入門その頃のバス

富士重工(路線バス)

ボディ 富士重工は、すべてのシャーシメーカーに架装していた点で珍しいボディーメーカーです。シャーシメーカーの系列下になかったことが理由ですが、早くから日産ディーゼルの指定ボディメーカーとなり、モデルチェンジのタイミングも合わせていました。
富士重工のバス製造は、終戦後に中島飛行機株式会社から改称した富士産業株式会社に始まります。航空機製造で養った技術で、逸早くモノコックボディの製造を始めます。
スタイリングの特徴としては、技術的に業界の先端を行きながら、癖のない万人に好まれる車両を発表しています。
全シャーシメーカーに架装できた半面、系列化の波には逆らえず、徐々に日産ディーゼルへの架装の比率が高まり、最終的に日産ディーゼルが西日本車体へのボディ一本化を表明したことから、2003年にバスボディ製造を中止するに至りました。
(注1)


1949−1952 R5型

大阪観光バス 民生BR311(1951年)
大阪観光バス

画像:所蔵写真(1955)

富士重工のリアエンジンバスの最初のボディが、R5型で、丸みを帯びたボディ断面に、へこんだ前面窓が特徴です。
この前面窓は、米国進駐軍が持ち込んだGMCイエローコーチを範としています。ガラスを運転席に近づけることで、視界を向上させる効果や、車内の映り込みを解消する効果があるそうです。

1952−1957 R7型

大阪観光バス 民生BR341(1954年)
大阪観光バス

画像:所蔵写真(1955)

基本断面を決めてモデルチェンジされたボディで、R13型まで同一の断面で製造が続けられました。
R5型とはよく似ていますが、へこんだ前面窓の角度が大きくなり、縁に水切りがつくなど、顔つきが若干変わっています。

大阪観光バス 民生BR311(1954年)
大阪観光バス

画像:所蔵写真(1954)

R7型と並行して、前面を傾斜窓とした新しいボディスタイルが登場しています。流線形を連想するシルエットから、観光バスへの使用を想定してデザインされたものと思われます。
車体断面、後部のスタイルなどは変わりません。

1956−1962 R9型

江ノ島鎌倉観光 三菱R470(1961年)
江ノ電バス

所蔵:BA10-2407291様(鎌倉営業所 1961)

1956年頃から、前面窓の縦寸法が拡大され、これが標準的なスタイルとして、しばらく続きます。
後面スタイルは引き続き同じで、2枚窓です。
前面窓がくぼんだR7型とは並行生産されていますが、次第にこちらのボディが主体になっていったようです。

シャーシの組み合わせ・・・いすゞ、日産デ、日産自、日野、三菱、トヨタ

1960−1963 R11型

江ノ島鎌倉観光 三菱MR470(1962年)
江ノ電バス

所蔵:BA10-2407291様(藤沢営業所 1962)

R9型の後継ボディで、外観はほとんど変わりません。
側窓下のリブが2本から1本になった点が見分けられる点だそうです。

シャーシの組み合わせ・・・いすゞ、日産デ、日産自、日野、三菱、トヨタ

1962−1982 R13型

前期形 1962−1970
千曲自動車 いすゞBU05D(1969年)
千曲バス

撮影:小諸駅(1981.7.24)

富士重工では1962年に13型にモデルチェンジを行いました。傾斜した前面窓や、スタンディウィンドウの下にある雨樋などは前モデルを踏襲していますが、前後にヒサシがつき、後面が連続窓になりました。このヒサシ付の角張ったスタイルと後面連続ガラスは、他のメーカーにも影響を与え、バスボディの新標準を確立しました。

シャーシの組み合わせ・・・いすゞ、日産デ、日産自、日野、三菱、トヨタ

後期形 1970−1982
岩手県交通 いすゞBU10D(1971年)
岩手県交通

撮影:都南車庫(1985.8.1)

1970年にサッシ窓を標準とするモデルチェンジを行いました。後面も方向幕に対応した直線的なスタイルに変わりました。
後ろのほうに、側窓と窓柱の広い部分がありますが、これは後ろ扉設置に対応した窓配置で、このボディの特徴です。

シャーシの組み合わせ・・・いすゞ、日産デ、日野、三菱、トヨタ

E型(3E) 1972−1982
小田急バス 三菱MR470(1976年)
小田急バス

撮影:吉祥寺駅(1985.1.15)

1972年より、ワンマンバス用のフロントスタイルが追加されました。3Eと呼ばれるこのスタイルは、方向幕の視認性やワンマン機器の装備、広幅ドアなどに対応しています。方向幕周りのプレスに特徴があり、左端が通気孔のようになっているものも多く見られます。ヘッドライトとフォグランプ付近を一体にしたプレスもこのボディを印象付けています。
1973年頃に各シャーシメーカーがフロントオーバーハングを延長するモデルチェンジを行い、以降ほとんどが3Eになりましたが、傾斜窓のタイプも並行生産されています。

1982−1988 R15型E(5E)

西武バス 日産デK-U31L(1983年)
西武バス

撮影:吉祥寺駅(1985.1.15)

1982年に路線バスも15型に移行しました。基本構造は観光バスと同じですが、路線バスに特化した前面スタイルで5Eと呼ばれます。
窓の大型化やリベットの減少が図られ、前面は方向幕を一体化した大型窓を採用、その後の路線バスボディに大きな影響を与えました。側面は、折戸のアルミ枠化やサッシ窓の大型化が図られ、屋根上のダクトが側面最後部に移り、FRP化されました。後面は観光バスと共通のスタイルで、方向幕は窓に内蔵されています。

シャーシの組み合わせ・・・いすゞ、日産デ、日野、三菱

1988−2003 R17型E(7E)

越後交通 いすゞU-LV324L(1990年)
越後交通

撮影:本社営業所(2014.11.16)


1988年に15型から6年弱という短いサイクルで、角張ったボディスタイルにモデルチェンジしました。
3E以来特徴のあったヘッドライト周辺の処理は、ヘッドライトとバンパーと一体化するという独特の手法で継続しています。
2003年に富士重工がバス製造から撤退するまで、このボディスタイルは続き、富士重工最後のモデルとなりました。

シャーシの組み合わせ・・・いすゞ、日産デ、日野、三菱(日野、三菱は1998年まで)


富士重工の系譜
  • 1946(昭和21)年 小泉ボデー製作所を設立、バスボディ第1号を生産
  • 1947(昭和22)年 小泉ボデー解散。富士産業の伊勢崎工場がバス製造を継承
  • 1950(昭和25)年 富士自動車工業設立、事業を移管
  • 1955(昭和30)年 富士重工業が富士自動車工業などを吸収合併、バス製造を継承
  • 2003(平成15)年 日産ディーゼルからのボディ発注中止に伴い、バスボディ製造を中止
  • 2017(平成29)年 SUBARUに社名変更

富士重工ボディについて詳しい本
富士重工業のバス事業 富士重工ボディについて詳しく記載した書籍をご紹介します。
バスラマスペシャルの8号として発行された「富士重工業のバス事業」で、富士重工がバス製造に幕を下ろした2003年に発行されています。
富士重工は、アメリカのGMCを範とした正面窓のくぼんだスタイルが印象的でしたが、その後もセミデッカーや大型カーブドガラスの採用、連接バスへの架装、スロープ付小型ワンステップバスの製造など、各時代ごとに先進的なバスボディを製造してきたことが分かります。
(注1)
富士重工のボディ形式とその製造期間については、富士重工業(1984)「富士重工業三十年史」をベースにしている。
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80s岩手県のバス“その頃”