入門その頃のバス

富士重工(観光バス)

ボディ 1960年代〜70年代にかけて、観光バスは路線バスのバリエーションとして製造された側面が強く、これが1980年代に入る頃から分離して行った傾向にあります。これはボディについても同様で、路線バスの前後の窓をルーフラインまで大型化し、側面をメトロ窓にしたものが観光ボディの基本でしたが、徐々に観光バスとしての独自性を持ったスタイルに変わってきています。
富士重工では、路線バスと共通ボディが長く続き、前面傾斜窓が特徴でした。しかし、1990年代に入る頃から観光バスと路線バスのスタイルが分離されています。
なお、ダブルデッカー(2階建てバス)については、2階建てバスの項目で解説します。


1964−1982 R13型

13型は前後がヒサシ状になった傾斜窓スタイルが特徴です。観光タイプの場合は、主に前後の窓をルーフラインまで伸ばし、側面をメトロ窓にしたものが主流です。
1970年代後半から観光バスのデラックス化に伴い、様々なハイデッカータイプが誕生し、そのバリエーションは豊富です。

シャーシの組み合わせ・・・いすゞ、日産デ、日野、三菱

B型(3B) 1964−1982
宮城交通 いすゞBU15P(1968年)
宮城交通

撮影:板橋不二男様(仙台市 1977.5.7)

13型の観光バージョンで、前後の窓をルーフラインまで大型化し、側面はメトロ窓を採用しました。富士重工ではこういった一般観光タイプをB型と呼んでおり、13型B型という事で3Bと通称されるそうです。
初期のスタイルでは、前面のマスク形状は前照灯と社名表示を一体化した丸型、側面の雨樋はドアのラインに降りてきています。

九州国際観光バス 日野RV730P(1976年式)
九州国際観光バス

撮影:大分県(1987.3.9)

1972年からドア上の雨樋がルーフラインに上がり、直線的になりました。これは、路線バスに3E型が登場したのと同じタイミングと思われます。
前面のマスク形状は、1970年代に入るとJRなど高速バス仕様で見られた吊り目のタイプが主流になってきています。

岩手県交通 いすゞCRA580(1978年)
岩手県交通

撮影:滝沢営業所(1987.6.5)

1976年頃から側窓の縦寸法が拡大されています。前ドア上部のスペースで違いが確認できます。

S型(セミデッカー) 1973−1980
コトデンバス 三菱MS512N(1979年)
コトデンバス

撮影:OKMR様

床をかさ上げし、外観的にも屋根に段差をつけることで差別化を図るセミデッカーが1970年代に入ると各ボディメーカーでラインナップされます。
富士重工では13型をベースに、1973年にセミデッカーを設定しました。これは、フロントのすぐ後ろで屋根に段差がつくタイプで、S型と呼ばれます。

全高・・・3,300mm

G型(セミデッカー) 1975−1980
王子運送 いすゞCRA650
王子運送

撮影:双葉SA(1986.8.18)

1975年には窓1個分後ろで屋根の段差がつくG型と呼ばれるセミデッカーを発売しました。
これらのセミデッカーは、いずれも当初は上級車種として人気を博しましたが、フルデッカーやスケルトンタイプの登場などで、次第に姿を消しました。

全高・・・3,300mm

P型(パノラマデッカー) 1976−1980
岩手県交通 いすゞCRA580(1978年)
岩手県交通

撮影:盛岡駅(1986.5.29)

1976年に、セミデッカーG型を基本に、明かり窓を拡大したP型と呼ばれるパノラマデッカーが設定されました。
大型の明かり窓は、外観的には大きなインパクトがありますが、室内からの眺望効果はなかったというのが一般的な評価です。
写真の車両は、後部にスキー用扉付。

全高・・・3,315mm

R1型フルデッカー 1977−1982
諏訪バス いすゞK-CSA650(1981年)
諏訪バス

撮影:茅野営業所(1989.3.21)

各メーカーがセミデッカーやパノラマデッカーから新たにフルデッカーの開発にしのぎを削っていた1977年、富士重工ではインパクトのあるR1型(アールワン)フルデッカーを発表しました。これは従来の13型を基本としながら、2階建てバスのイメージを強調した上下2分割のフロントガラスと深いヒサシを持つ斬新な正面スタイルを持つもの。
側面は連続窓風のカーブガラスやスィングドアの同時採用などで、これまでにない窓の大きなバスとして人気を博しました。このスタイリングは他メーカーのフルデッカーにも影響を与えています。
セミデッカーやパノラマデッカーに代わり、特別車としての導入例が多数見られます。

全高・・・3,300mm

R2型フルデッカー 1978−1982
東武鉄道 いすゞK-CSA650
東武バス

撮影:双葉SA(1986.8.18)

1978年に、13型の全体を高くしたR2型フルデッカーが設定されています。前面窓が縦長ですが、屋根の段差がないため、インパクトは少なく、R1型フルデッカーの陰に隠れて地味な存在でした。

全高・・・3,300mm

1980−1992 R15型

15型は、観光バスのスケルトンタイプ化が進む1980年に製造が開始されたボディで、富士重工製ボディの丸みのある印象を生かしつつ、全体的に角張ったスタイルに変わりました。当初は上級グレードのR3型フルデッカーのみの設定で13型と並行生産されていましたが、1982年にこちらに統一が図られました。
その後、1990年に後継の17型が登場し、ハイデッカーはそちらに移行、1992年にスーパーハイデッカーも移行し、15型の生産は終了しました。

シャーシの組み合わせ・・・いすゞ、日産デ、日野、三菱、(ボルボ)

R3型フルデッカー 1980−1990
東武鉄道 いすゞK-CSA650
東武鉄道

画像:所蔵写真(東武鉄道)

日野スケルトンバスの影響で、富士重工も観光バスをフルモデルチェンジし、15型を投入しました。これまでの13型より角張った断面となり、前面窓も大型化、後面窓は側面に回りこんだ曲面ガラスとなりました。
1980年に最初に投入されたのは前面1枚ガラスのフルデッカーで、R3と呼ばれます。深いヒサシが特徴で、側面のスィングドアから側面連続窓に斜めにつながるスタイルが特徴。同時にカーブガラスを用いる例も多く、大きな窓面積が注目を集めたボディです。
なお、1982年までは車両断面の丸い13型も継続生産されていました。

全高・・・3,265mm

R2型フルデッカー 1982−1990
日本国有鉄道 いすゞP-LV219Q(1985年)
国鉄バス

撮影:盛岡支所(1985.5.18)

左右2枚ガラスのフルデッカーは、1982年に13型から15型にモデルチェンジしました。基本的には、R3型フルデッカーより低いグレードの車両を指します。
もっとも、様々な仕様の車両が生まれる中で、結果的には両者の区別はあいまいです。


全高・・・3,265mm

R1型フルデッカー 1982−1990
昭和自動車 日産デK-RA51R(1982年)
昭和自動車

画像:富士重工業会社概要(1985年)

1982年の15型統一以降、セミデッカーやパノラマデッカーはなくなりましたが、上下2枚ガラスのR1型フルデッカーは、15型の断面になって継続生産されています。
しかし、これまでの曲線的な流麗なスタイルではなくなったこともあり、生産数は多くはありません。

全高・・・3,265mm

B型(5B) 1982−1990
日本国有鉄道 いすゞK-CSA580(1983年)
国鉄バス

撮影:盛岡駅(1985.4.29)

1982年に観光バスはすべてスケルトンタイプの15型に切り替えられました。標準床車は引き続きB型と呼ばれます。
当初はリベットのあるボディで、側面窓の前後には隅にRがありましたが、1984年にリベットレスボディとなり、窓のRもなくなりました。
なお、標準床車でも前面窓1枚ガラスや側面窓カーブガラスなど、様々な仕様で作られるようになってきています。

全高・・・3,100mm

R3Pフルデッカー 1984−1985
秋田中央交通 いすゞP-LV219S(1985年)
秋田中央交通

撮影:左党89号様(秋田駅 2001.7.20)

過渡期モデルとなりましたが、R3型フルデッカーの後面形状をダブルデッカーで採用した形状に変更し、側窓を上方に拡大したR3Pというモデルが生産されています。
ケイエム観光やはとバスなど一部の事業者に採用されましたが、まもなく前面もモデルチェンジされたHD-Ⅰに移行しました。

HD-Ⅱ 1985−1992
松電観光バス いすゞP-LV719R(1987年)
松電観光バス

撮影:本社営業所(1988.11.23)

1985年に日産ディーゼルのスーパーハイデッカースペースウィングの登場と同時に、これまでより角張った新スタイルをデビューさせました。これは、1984年に発売された2階建てバス「スペースドリーム」のボディを基本にしたもので、直線を多用した前面と、プレーンカットと呼ばれる後部の成型が特徴です。
1986年にフルデッカーHD-Ⅰの登場により、こちらはHD-Ⅱと名付けられました。

全高・・・3,650mm

HD-Ⅰ 1986−1990
花巻観光バス 日野P-RU638B(1986年)
花巻観光バス

撮影:宮野目営業所(1986.4.29)

フルデッカーにも角張ったスタイルが登場、HD-Ⅰと名付けられました。
曲線の多いR3などと並行生産されましたが、角張ったボディスタイルが増える中で、こちらを好んで採用するユーザーもありました。
なお、外観上はこれまでの15型とは全く異なりますが、基本断面が同じなので15型に属するとのことです。

1990−2000 R17型

観光バスは、路線バスに遅れて1990年にモデルチェンジにより17型に移行しました。
路線バスとは基本構造から異なっており、外観上の共通点もありません。また、観光バスでもハイデッカーとスーパーハイデッカーとで共通性はありません。

M型(7M) 1990-2000
元立山開発鉄道 日野U-RU2FNB(1991年)
RU2FNB

撮影:上田市(2013.6.23)

1990年に、観光バスではハイデッカーが先行してモデルチェンジし、17型に移行しました。前モデルに比べて、丸みが出ているのが特徴。路線バスとは共通性はなくなっています。
ミドルクラスのハイデッカーという意味でM型と呼称されます。なお外向けには「マキシオン」「7HD」という名前もあります。
2000年に21型にモデルチェンジされました。

S型(7S) 1992-2000
伊那バス いすゞU-LV771R(1992年)
伊那バス

撮影:伊那本社

スーパーハイデッカーは、少し遅れて1992年に17型に移行しました。前面窓が大きくカーブを描いていて、ヘリコプターのようなスタイルをしているのが特徴。ハイデッカーとは共通性のないボディです。
1991年にボルボのアステローペに架装された時に、このスタイルは最初に登場しています。
スーパーハイデッカーはS型と呼称されます。

富士重工のボディ型式
車体にも名称があるようです。ただし、車体にも車台にも、また銘板にも記載されておらず、書籍などでしかその全容を知ることはできません。ここでは、富士重工(1984)「富士重工業三十年史」、ポルト出版(2003)「富士重工業のバス達」をもとに、富士重工のバスボディの名称について、まとめてみます。
車体呼称

例:R13型
富士重工の車体には、時期ごとに車体呼称があり、1〜2桁の数字で示されます。また、頭には車体形状を表すアルファベットが付きます。
アルファベット記号は、下記のように付けられています。
C=ボンネットバス
F=フレーム付リアエンジンバス
R=フレームレスリアエンジンバス
T=キャブオーバー型バス
U=フレーム付アンダーフロアエンジンバス
数字については、テレビ形のくぼんだ前面窓を持つ7型、傾斜窓になった9型など、奇数を基本にモデルチェンジの都度に数字が大きくなってゆきます。偶数は中型サイズなどに付番されるようです。
この記号と数字が組み合わされて、R13型などと呼ばれます。

仕様を表す呼称

例:5E
路線バスと観光バスとで仕様に違いが発生するのが1960年代ですが、これらにまたアルファベットの記号が付きます。
A=ヒサシのない観光型(13型)
B=前面窓を上方に拡大した観光型(13〜18型)
D=前面窓を下方に拡大した視野拡大型(13型)
E=ワンマンバス用の前構(13〜18型)
G=セミデッカー(第4柱で段上げ)(13型)
M=ミドルクラスのハイデッカー(17〜18・21型)
P=パノラマデッカー(13型)
R1=前面窓上下2分割のフルデッカー(13〜15型)
R2=前面窓左右2分割のフルデッカー(13〜15型)
R3=前面窓1枚のフルデッカー(15型)
S=セミデッカー(前方で段上げ)(13型)
S=スーパーハイデッカー(17・21型)
これらの仕様を表す呼称は、期間を通じて変わらないため、13型の時期でも17型の時期でもEは変わりません。
これを、車体呼称と組み合わせて、13型Eなどと呼称しますが、これを現場では省略して3Eなどと呼んでいたそうです。本ページでも、その省略呼称に準じます。

車格を表す呼称

例:HD-Ⅱ
1970年代の後半から、貸切バスにはハイデッカーが複数設定されるようになり、これにも新たな呼称が加わります。
当初は上記の仕様を表す呼称からR1型フルデッカーR2型フルデッカーR3型フルデッカーなどの呼称をそのまま使っていたようで、富士重工作成のパンフレットにも記載されています。
1986年からのモデルでは、新たにHD-ⅠHD-Ⅱなどの名称を付けています。

シャーシメーカーでの呼称

例:ハイデッカⅢ
富士重工には既述の通り車格を表す呼称が用意されていますが、日産ディーゼルの車両カタログには別の呼称が記載されている場合があります。
1982年発行の日産デK-RA51では、フルデッカⅠ(富士重工のR1)、フルデッカⅢ(富士重工のR3)などの呼称が使われています。
1987年発行のP-RA53では、ハイデッカⅡ(富士重工のR3)、ハイデッカⅢ(富士重工のHD-Ⅰ)などの呼称が使われています。

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