奇跡の復活

埼玉県の謎のキャブオーバーバス(事前調査編)

とある個人ブログの写真に写っていたキャブオーバーバス。一見すると富士重工製ボディに見えましたが、調べれば調べるほど謎が生まれてくる「キワモノ」でした。
発見から3年半以上を経てのサルベージと、その後の調査の記録です。

すべては個人ブログから始まった
上信電鉄

撮影:埼玉県(2007.6.30)

ある日何気なく見ていた某個人ブログに、終戦直後のものと思われる箱型バスが写っているのを見つけました。画像はちょうどこの画像のように、正面がよく見えない状態で葉っぱに覆われていました。
側面の窓の形状から「バス窓」誕生前のキャブオーバーバスと推定。しかし、どんな顔つきをしているのかが分からないと、メーカーや年式も想像がつきません。
さっそく前後の文章などから場所を推定し、Googleアースで付近をスクロールしてみると、小型バスくらいの大きさの茶色い長方形が目に留まりました。

これが現地のGoogleマップです。
中央部ちょっと右側に見える長方形の物体が、大きさから言って小型バスに見えます。左側に広がるのは畑ですが、撮影が冬期間のようで土の色が見えるだけです。

上信電鉄
第1陣が現場到着
上信電鉄

googleマップの情報を元に、早くもその週末、宮城県の「昭和の車保存会」の伏見さんが「仕事の帰り道に」ここに立ち寄り、バスの存在を確認します。
携帯画像ではありますが、正面スタイルの一部が明らかになりました。正面窓が一部しか見えませんが、なにか不気味なスタイル。それでも富士重工製っぽい形に見えます。
また、車体の一部に「JOSHIN」の文字があったとのことで、上信電鉄のバスであったことが想像できます。


撮影:伏見正浩様(埼玉県 2007.6.20)

現地調査実施(2007年6月30日)

草木に埋もれて
上信電鉄

撮影:埼玉県(2007.6.30)

こんな場所に埋もれているキャブオーバーバス。表通りからは見えず、畑作業をする人だけが通る道から見えるバス。多分、そのブログがなければ誰にも見つからなかったに違いありません。
翌週、海和隆樹さんと栗原大輔さんが現物を確認に行くとの話。ちょうど私も予定が空いていたため,一緒に見に行くことにしました。
熊谷駅に集合し、栗原さんの自家用車「つばめ号」に乗り込んで目的地を目指します。

正面は・・・

現場に到着すると、さっそく車両の観察に入ります。その間に海和さんは所有者のお宅を訪問し、調査の了解を取ります。
気になっていた正面スタイルを見ると、窓がへこんだ「テレビ型」と言われる富士重工スタイルであることが分かりました。東武博物館や塩釜交通の保存車両でおなじみだったため、私は「贅沢にも」失望を感じ、早くもやる気をなくしてしまいました。
もっとも、正面窓の下辺の形が塩釜交通のトヨタBMより不細工な感じだと栗原さん。そして海和さんもエンジンルーム部分のふくらみが大きいようだとさっそく特徴を見つけ始めます。

上信電鉄

撮影:埼玉県(2007.6.30)

後ろ面は・・・

特徴あるのは後ろ面のスタイルです。3枚窓のうち中央の窓が大きくなっています。どこかのバス会社の社史などで、こういう後ろ姿のバスが写っていたりしたのを見たことがあります。
また、このバスは側面にも非常口がないため、1951(昭和26)年以前に作られたものであることがわかります。

上信電鉄

撮影:埼玉県(2007.6.30)

側面は・・・

側面の窓は鉄枠の2段窓。Hゴム固定窓が開発される前の標準的なスタイルです。
この写真は運転席部分を横から見たもの。運転席窓だけがHゴムを使ってバス窓風になっています。そもそも、その部分だけが屋根の鉄板がはがれていたり、側板の錆が進んでいたり、「くっつけた感」が見て取れます。
塩釜交通トヨタBMのときにボンネットバスからの改造車だったと言う事実を経験しているだけに、こういった部分は見逃せません。

上信電鉄

撮影:埼玉県(2007.6.30)

車内は・・・

所有者の許可を得ているので、車内の様子も見てみます。
このように物置になっていますが、座席の一部や手すり、広告枠などは現役時代をとどめているようです。中央にぶら下がっている裸電球は、倉庫として使用する際につけたものでしょう。

上信電鉄

撮影:埼玉県(2007.6.30)

木下ラジオ店・・・

車内前方の仕切り板をズームしてみると、「木下ラジオ店」というポスターが貼ってあります。「ラジオ、テレビ、家庭電化製品」を扱っているお店です。テレビよりラジオの方を前に持ってくると言う順番が時代を語ります。
もっともここに写っている二人が、こまどり姉妹であるのかどうなのかなどは、私の世代では見当もつきません。

上信電鉄

撮影:埼玉県(2007.6.30)

前所有者は・・・

外からではドアが開かないので、まず海和さんが窓から車内に入り、内側からドアを開けてくれました。
車内に入ってみると、はっきりと「上信電気鉄道」のプレートがありました。また、当時の登録ナンバー「群2い15-20」も残されており、年式や型式を追跡するのも可能かと思われます。
しかし、それ以外にメーカーを示すようなプレート類は一切存在しません。

上信電鉄

撮影:埼玉県(2007.6.30)

エンジンは・・・

プレート類が見当たらないなら、車台番号から型式を読み取る以外にありません。しかし、これも錆と角度のせいでなかなか読めません。
とりあえずはエンジンの写真を撮影しておきます。これを見ることでメーカーが分かる可能性もあります。

上信電鉄

撮影:埼玉県(2007.6.30)

とりあえずは、こんな感じで3人は調査を終えました。
途中、廃車体近くに置いてあったガソリン缶を栗原さんが踏み抜き、足が異常に熱くなってしまったので「つばめ号」の中で休憩していたら、海和さんがタバコを吸おうとライターで火をつけそうになる言うハプニングはあったものの、おおむね調査は順調でした。
海和さんはその場で所有者の方に譲渡のお願いをし、物置はトラックの廃コンテナを持ち込むことで話をつけました。こういうところの海和さんの行動力には、見習うべきものがあります。
このときの調査で気付いたことをまとめると、以下の通りです。

  1. 富士重工T5型に比べて窓下が角張っている。上信電鉄が地元富士重工の試作品を購入したと言うこともあるのでは。(栗原)
  2. フロントのエンジングリル付近が、塩釜交通トヨタBMよりふくらんでいる。(海和)
  3. 非常口がないことから1951年以前の車両と思われるが、正面方向幕は大きく、時代が合わない。後の改造では。(私)
  4. フロントのタイヤが通常のキャブオーバーより更に内側に寄っているようだ。(海和)

画像掲示板で話題に・・・(2011年1月10日)

それからしばらくの間、海和さんも多忙のようで、このバスを引き上げることは先延ばしになっていました。
そして、3年半が経過したある日、当サイトの画像掲示板にこのバスについての書き込みがありました。

果たして富士重工製なのか
上信電鉄

撮影:廃札主任様(埼玉県 2011.1.10)

これを撮影した廃札主任さんは、あまりの古さに、これの正体を判断しきれず、掲示板に書き込んだとのことでした。
それに対し、私は安易に「富士重工製のキャブオーバーバスです」と答えてしまったのですが、色々見ていくと変だというのは、廃札主任さんの視点も同じでした。
確かに正面スタイルは富士重工だが、側面窓を見ると西工のような、川崎航空機のような特徴がある・・・との指摘です。

比べてみる
正面窓比較

まず正面窓を東武博物館の富士重工製キャブオーバー(1951年式)と比べてみます。
こうして見ると、共通点はへこんでいる点のみで、曲線を多用した滑らかな富士重工に対し、左の廃車体はかなり武骨な感じです。
また屋根上のベンチレーターも、丸みのある富士重工製に対し、廃車体のほうは角張っています。

側窓比較

次に側面窓です。富士重工で保存している「ふじ号」(1949年式)と比べてみます。
富士重工製は上部の角がRを描いたもの。これに対し、廃車体のほうは下のほうの窓枠部分にも欠き取りが見られます

後ろ面比較

最後に後ろ面の比較です。元塩釜交通のトヨタBM(ボディは1953年式)と比べてみます。
後面2枚窓の多い富士重工ですが、非常口取り付けの関係で3枚窓も存在しています。しかし、窓下のリブなどに違いが見られます。

川崎航空機製なのか・・・

廃札主任さんからご指摘いただいた「川崎航空機」説を裏付けるものがないか。
本をめくっていて、これに行き当たりました。八戸市営バスに1両だけ納入されたと言ういすゞの「ツインバス」(1950年式)です。川崎航空機製のボディですが、後ろ姿がそっくりです。また、側面の窓、側面最後部の窓、窓下のリブ、すべてに共通性があります。
この廃車体は川崎航空機製ボディである可能性が高いのではないか・・・。

バスラマエクスプレス

1996年発行の「私の知っているバス達<いすゞ自動車>(バスラマエクスプレス02)」

サルベージ決行まで

アルピコバスまつりで・・・
長野県

撮影:ヒツジさん様(長野県 2010.6.5)

さて、話は2010年6月に遡ります。
ボンネットバスの無料周回運行で参加した長野県の「アルピコバスまつり」の場で、サルベージメンバーの皆さんは「名古屋廃バスクラブ」の方に声をかけられます。場所は離れていますが、同じように廃車になったバスを保存する魂の持ち主が、ここで出会いました。
(写真は、宮城県の保存会が出展したボンネットバスと、他の方が保存しているバスの並び。名古屋廃バスクラブとは関係のない画像です)

ボンネットバスのサルベージを決める
長野県

撮影:長野県(2008.4.6)

その後、名古屋廃バスクラブの方々とは、車両の保存に関する技術的な情報交換などを行っていました。そんな中、2011年1月15日、名古屋廃バスクラブの会長さんから、「レストアして寄贈できるようなボンネットバスはないだろうか」との問いかけがありました。ある企業でそんなボンネットバスを探していると言うのです。
貴重なバスの復活に寄与できるのであれば・・・と伏見さんは快諾し、3年前に所有者の方とサルベージの約束を取り付けていた長野県のボンネットバスをすぐにサルベージすることを決めました。
(写真は、3年前に現地に赴き、所有者と譲渡交渉をした後の海和さんとボンネットバス)

ボンネットバスが消えていた・・・
長野県

撮影:長野県(2011.2.19)

長野県のボンネットバスは、日野のシャーシに川崎航空機製ボディのBH15。元伊那バスの車両です。
剣道面のボンネットや丸型の後ろ面など、最盛期のボンネットバスの風格が漂うこの車両を寄贈しよう。そう考えて、サルベージ日程を2月の3連休に設定、所有者に連絡を取ったところ、衝撃的な回答がありました。
「中を片付けようと農園に見に行ったら、ボンネットバスがなくなっていました」

いすゞBX553を譲渡する
ジェイバス

撮影:澤田募様(宮城県 2011.2.7)

「昭和の車保存会」では緊急ミーティングを行い、譲渡する車両を2008年5月に秋田県のりんご畑から引き上げたいすゞBX553に変更し、3連休の初日2月11日に運搬することに決めました。
しかし、これを運搬するセルフローダーが帰路に空車になることに着目、伏見さんは埼玉県のキャブオーバーバスを帰り道に引き上げてくることを海和さんに提案しました。いくら所有者が譲渡を快諾してくれたとはいえ、長野県のボンネットバスのように、ある日突然消えてしまうかもしれない・・・そんな心配も頭をよぎったのです。

ジェイバス

撮影:澤田募様(石川県 2011.2.11)

いすゞBX553を載せて北陸自動車道を走るセルフローダー。ボンネットバスを降ろした後、北陸自動車道を戻り、埼玉県へ向かいます。
明日は、あのキャブオーバーバスのサルベージです。

SALVAGE

>>搬出編に続く

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80s岩手県のバス“その頃”