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藝術と實生活の界に横たはる一線
憧憬の本體を現實の生に求めんとする思想が現れて文藝上の自然主義となる。吾人は「自然主義の價値」論の結末で此の意を一言して置いた。されば當然次いで來たるべき考察は、其の所謂實生活と藝術との交渉如何といふ問題である。更に之れを廣めて言へば、人生は何の爲に藝術を所有するか、此の考察が取りも直さず美學である、美學の最後の一語は此の疑問に對する答でなくてはならぬ。
茲に實生活といふ、吾人が生涯の内に營む一切の活動を含むのは言ふまでも無いが、たゞ是れに對して一つの對照語となり得るものが藝術である。之れを廣く言ふ時は藝術も亦た我等が生涯中の一活動に外ならない、從つて藝術も同じく實生活である。けれども斯んな事は人間に言葉あつて以來、そも/\言ふ必要が無いことで白も黒も色ではあるが白と黒との實印象は違ふ、其違ふ所を言ひ表はしたい爲に言葉も出來れば、研究も生ずる。
色だから分ける必要は無いといふやうな空疎な抽象の議論をする者が、吾人の此の論に對する最低級の反對者である。此の種の論者に對して便宜の爲に二つの言葉を作つて置く。すなはち廣い意味での實生活は直ちに用ひなれた人生といふ語で掩うてよい。人生の中に藝術もあれば道徳もある、乃至衣食住から思想上の諸作用廣くは山川動植の現象存在に至るまで、皆人生である。斯やうな意味で人生と藝術に二つのあらう譯が無い。是れに對して狹義の人生を茲に實生活といふ。實生活とは、人生の諸活動の中から特に一つ藝術活動を取り除いた名である。而して之れを取り除くには勿論理由がある。
吾人は先づ此の問題に伴ふ幾多の問題と事實とを振り返り見る。第一に何人も實驗してゐる事實は人生の諸現象中ひとり藝術が他の活動に對して閑事業、無用の長物、道樂、不眞面目といふ如き意識を漠然と伴ひ易いことである。此の意識が漠然の境を通り越すと文藝侮蔑の聲になる。常に腐儒庸俗の口から聞く此の侮蔑の聲にも本能性に似た一種の根據があると見えるのは此の故である。而して此の點で藝術と連續するものは一般の遊戯である。文藝と遊戯とは人生の閑事道樂といふ觀念が消えない。是れは何ぜであらうか。
啻に一般庸俗の人のみでなく、藝術に身を委ねるものでも、一定の自覺に達すると、一度は必ず此の疑惑に襲われる。文藝のみでなく、凡ての事業が之れに沒頭する鋭敏な人に取つて一度は馬鹿々々しいとか、眞面目にやる値打があるだらうかとかいふ自覺、不安、煩悶の階段を通過して種々に變形せられるものと信ずるが(八月の『太陽』に出した「充實を欲する社會」參照)文藝は何れの方面から見ても、特に此の傾向を多分に持つてゐる。文藝と遊戯とは他と懸け離れて無用の長物視され易い性を有する。所謂四十面を提げた髯男が眞面目に文藝でもあるまいといふやうな漠然たる不安の感を起こさせる。是れが文藝の一種特殊な性質であるとすれば、それは畢竟何を意味するか。此の點からが研究である。
二
研究の端は既に前人によつて開かれてゐるが、其の前にイギリスの思想史を見ると、夫の詩人シエレーやキーツ等に至つて極まつた十九世紀初頭のロマンチシズムは、熱烈な崇拜と耽溺とを文藝に拂つて全生活を擧げて藝術に沒入せんとした。文藝が人生の支配權であつた。是れが彼等をしてロマンチシズムの犠牲たらしめた悲劇の因由である。されば次の時代を代表すべき思想はおのづから評論家たるカーライルやマコーレー等にあらはれて彼等は文藝に醉はんよりも寧ろ實生活に醒めんとした。所謂文明批評家の一味である。實生活が當さに藝術を支配すべくして、藝術が實生活を支配する筈のものでは無い。此の意味に於いて僅に藝術即人生である。カーライルの『ラターデーパンフレツト』は藝術をして宗教たらしめんと言つた。併しそれは藝術即宗教であるので無くして、藝術が宗教の門に一歩を枉げるの意を含むことを免れなかつた。若し文藝が自立して行かうとすれば唯人を娯ます手品の類と擇ばなくなる。是れがカーライルの思想であつた。此處に至つてイギリス文壇の代表思想は文藝から外れて實生活に解決を求めんとした。彼等は藝術家たるよりもむしろ史家社會經營者たるを以て貴しとする傾を帶びて來た。而して更に次の時代に入れば一方にロゼチ。モーリス等の、寧ろ過ぎ去つたシエレー。キーツが熱情の跡を追ひ窮はめんとするものあると共に、一方マシユー、アーノルドがいはゆる「詩は人生の批評也」の論が藝術を再び其の本領に引き戻さんとする。藝術と實生活とは、此處まで來て双方互に獨立しながら、根底の深處に於いて抱合せんとした。更に是れにラスキンが眞即藝術の思想を加へて考へれば、文藝と實生活との關繋が十九世紀末に近よるに從つて、何れの方向に進んでゐたかを猜するに難くあるまい。
一面に右のやうな事例があると共に、他面、藝術と遊戯とを一括して實生活から峻別する思想は甞ても論じた如くスペンサー。アレン等に精彩を放つた。其要は一切吾人の活動が生活支持の機能を目的とするものであると見て、たゞ遊戯及び之れと連續した藝術のみが此の機能と離れてゐるとするにある。實生活と芸術とたゞ生活機能を目的とすると否とによつて分かれる。更に之れを言ひ換へれば、自己の保存及び擴張の役に立つ活動が實生活で、其の餘贅力の放散が藝術である。藝術を以て一種長閑な別天地の事のやうに感ずる思想を直ちに其の根本に突き入つて最も簡明に解釋したのが此の説である。
三
併しながら件の説は半面に於いて尚少なからぬ疑ひを殘してゐる。瓶に溢れた水がおのづからにして流れ出る如く餘贅力の放散せられるのが藝術であるとすれば、之れを作るに於いても之れを鑑賞するに於いても、藝術活動は凡て受動的若しくは沒努力的でなくてはならぬ。藝術の或る境に斯んな形跡のあるのも事實であるが、併し反對に努力的發動的な意識の伴ふのも事實である。作をする時の氣持は所謂神徠の興に乗つて千言立正といふやうな經驗も無いとは言はないが、寧ろ多くは筆を舐め額を抑へて苦吟する經驗である、殊に近代の作者に此の傾向が多いかと思はれる。觀者の側から言つても、たゞ寢ころんで聊かの努力も要せぬ氣持で賞翫する藝術は必ずしも大なる藝術で無い。むしろ種々の努力を以て迎へ味ふのが近代芸術の特色である。
又餘贅力のおのづからの放散といふ説に必然伴ひ生ずる結論は、だから快樂がやがて藝術の目的なり結果なりであるといふにある、而して其の快樂は所謂遊び事の快樂であるから、自然愉快な、喜悦に滿ちたのんきなものになる。けれども是れも事實に合しない點が多い。藝術の味は必ずしも遊び事と同じ意味での快樂のみでない。藝術中に遊び事式の所があるやうに思はれるのも事實であるが、却つて遊び事と反對に眞面目な苦痛の分子もある。のみならず此の方の分子が殖えれば殖える程其の藝術は品等が高いやうに思はれるのも否み難い事實である。即ち昔の美學者などが、悲哀の快感といふことの解釋に頭を悩ましたのも此の事實に觸れたからである。悲哀といへば通例苦しい感情である。其の苦しい感情が何うして遊び事の主要な材料になるか。斯う考へつめて居る限りは、容易に説明の出來ない問題である。要するに悲哀が直ちに藝術の中樞に立ち得るのは、藝術が踏襲的に考へられてゐるやうな遊戯的快樂でないからでは無いか。茲でも藝術は一種高級の遊興といふやうな傳襲思想を一擲し、見地を一翻して考へ直す必要がある。
詮ずる所藝術は沒努力的でも遊戯的でも無いとすれば從つて其の長閑な浮世離れのしたやうな性質は間違ひであるか。曰はく事實を間違ひだといふことは出來ない。頭から此の事實を揉み消さうとするのは、矢つ張り他の思想に囚へられた者のする誇張たるに過ぎない。唯罪は此の一事實を誇張し墮落させて遊び事の部にまで引き下げた點に存する。一方には理論家が是れをやり、一方には作者と鑑識者とが是れをやつたのだ。藝術が與へる印象の中には、何と言ひ前しても、一點この齷齪の實行世界と相離れた所がある、けれどもそれは決して遊び事であるからでは無い。單に浮世の苦勞が無くなつたといふ消極的の意味では無い。言はゞ更に深い生活に這入つたからである。手足を動かしてゐる間は、其の動いてゐる部面だけは眞實だが、覺醒、自照、自鑑、要するに意識といふ貴い部面に於いてまだ眞實の度に至つてゐないのである。眞實が此の部面に達した時手や足の活動は休むかも知れない。けれども同時に我が心には今迄無かつた別の意識が眼をあいて來る。一種の嬉しさを感ずる、急に自分が廣がるやうに感ずる。是れが言ふ所の味といふやつであらう。人生の味が始めて滲んで來る。此の時の気持ちは正しく禪家のいはゆる湛然の水に眞如の月が澄んだとか、花は紅く柳は緑に雨は濕つぽく風は寒く現じて來るとかいふ境である。此に於いてかたゞの浮世とは違ふ、一種超越的の感を伴うことになる、手や足の實行の世界から見ればたしかに閑事業とも言へる。しかも尚此の場合の閑事は中に千萬重の大匆忙を包括してゐる。實生活裡の情緒波瀾は如何なるものでも藝術に這入り得ない例は無い。大匆忙が直ちに大閑寂なのである。
藝術の快樂は此の味の異名でなくてはならぬ。其の他作家が往々にして經驗する神徠的な沒努力といふ如きものは平日の思想の屈托が半意識裡に統一せられること、例へば我等が數學の問題を一生懸命で考へてゐる内は何うしても出來ないで、投げて置くと不圖獨りでに出來るといふ例と同じ理由からも來るし、また感情の強烈な心作用は我れの思考力の制限を越えて溢れ出るといふやうな刹那的の理由からも來る。此等は以て藝術の沒努力的性質を誇張する材料にはならない。努力の藝術、生を味ふ藝術、吾人は此の研究に這入らなくてはならぬ。
四
前段で藝術の努力性の事を言つたから論のついでに藝術本能といふ事を一言して置く。盖し既に努力といへば、必ずそこに目的が伴ふ。何等か爲めにする所が無ければ人間に努力といふものは起こらない。けれども藝術の場合に於いては、其目的が所謂外在で無くして内在である。例へば之れを作る上から言ふと或る者は實際たゞ原稿料を得るを目的で作をするかも知れぬ、又或る者は聲名を得たいが目的で之れをやるかも知れぬ。少しく方角を更へては勸懲といふ道徳のためにも、乃至社會經營、政治法律等の主張を徹底せしめんが爲にも作をする。併し是等は凡て所謂外在目的であつて、藝術を上下するに足るものでは無い。さらば其の外に尚ほ甚深な藝術本自の目的を見出し得るか。此の疑問に到達した時多くの研究者が二途に迷ふ。問題をごつちやにする。茲では何時でも二つの方角に分かれて進むことを忘れてはならない。一は哲學である、美哲學である。跡から考慮して附加した結論である、知識的滿足を得、また此の滿足した知識で斷えず藝術の弛怠を引き締める役をするものである。又他の一は作る時直下に作者が所有してゐる気持である。後から研究して附加する結論的目的では無い。而して此の兩途中、前者は依然として外在たるを厭はない。此の境に於いては、夫の「藝術は藝術の爲」といふ漠然たる提唱は破れる。唯しかし、それが普通の功利の爲とか道徳の爲とかいふ第二義の外在目的で無くして第一義の外在目的に達するのである。即ち發端の言に回顧して、藝術は何の爲に此の世に存ずるかといふ問題に答へることになる。
藝術研究の結論が是れに達するに當たつて、是非とも潜らなければならないのは内在目的の論である。「藝術の爲の藝術」は要するに此の内在目的研究の途次に相當する思想である。或る者が之れを以て全然藝術論の外道とするとは、共に正鵠を逸した謬論たるや明白。之れを實驗に徴して、作者が作をする氣持、觀者が作に接する時の氣持は、眼中唯當の藝術あるのみで他に何物も無い。勿論繼續する心的經過の事であるから長い間には斷續交錯して種々の雑念もまじる。しかも其の純藝術的な、言ひ換へれば吾人が前に言つたやうな眞味に味到する瞬間や、斯やうな妙趣を製作し出す瞬間やは、必らず此の藝術そのものといふ唯一念の支配である。外在目的を許さないのである。此の時の氣持を言ひ現はして最も適切なのは藝術の爲の藝術である。「藝術の爲の藝術」といふ語が若し抽象に過ぎて他念を引き入れる虧隙があるとすればもつと具體的に「其の作品の爲の作品」と言つてよい。而して其の作品が作品になつてゐるか居ないかといふ判斷は直觀的である。尺度はたゞ自己あるのみである。其時の自己が滿足すれば其作品は其の作者に取つては作品になつてゐるのである。標準すなはち目的は内在である、潜在である、殆ど本能的に之れを判斷する。藝術本能とは實に此の謂ひに外ならない。總じて斯くの如く一切の標準、尺度、目的を自己といひ主觀といふ一名辭の中に含蓄せしめて了つたのは十九世紀のロマンチシズム以來の、傾向である。而して之れに行き止まつてゐる所に「藝術は藝術の爲」の思想が醗酵する。是れが藝術論上の内在目的論でやがて藝術論の小乘境である。けれ共更に進んで其の含糊として自己の主觀内に潜むところを、何とかして取りひろげて見やうとする所に近世美學の意義が存する。研究上の大乘境は此所まで來なくてはならぬ。
五
そこで小乘と見るところの藝術本能(又藝術衝動 Art-impulso)とは如何なるものかといふに、唯其の品が思ふ存分に作りたい、觀たい、是れだけの性に過ぎない。藝術發作の動機である、起源である。而して是れを一歩研究の方へ引き擴げたものとして古來ある所の藝術本能の説を一瞥して見るには、アメリカのグーレー氏スコット氏合著『文學批評の諸流及諸材料』(Methods and Materials of Literary Criticism —— Gayley and Scott)と題する書に漫然數へ上げたものが最も便利である。それを拔抄すると
(1)摸倣本能(Imitative Instinct)の發現すなはちプレトー、アリストートル以來の説で、たゞ造化の作物が摸寫したいといふ本然の性が藝術を成すのだから、藝術本能即摸倣本能であるといふに歸する。
(2)自己表現(Instinct for Self-Expression)の本能が藝術本能である。自分を向ふへ突き出して見たいといふ本能が藝術を成す。アメリカの心理學者ボールドウヰン氏等の唱説する所が是れである。此の説などが本論の研究には最もよく適合する。
(3)遊戯衝動(Play-Impalse)がやがて藝術本能である。此の説の意は前來の論で略察せられやう。
(4)秩序本能(Instinct for Order)といふものが人間にはあつて是れで我々の發散する力を調整せんとする、是れが藝術本能である。夫の美術論の著者たるエヂンバラのブラウン氏の説が之れを代表する。
(5)吸引本能(Instinct to Attract Others)即ち他に快樂を與へて以て他を自分に引き着けんとする本能が發して藝術を成すのだから藝術本能即吸引本能若しくは與樂本能であるといふ、イギリスの建築美學家マーシャル氏の説の如きがそれである。
(6)威嚇本能(Attempt to Repel or Terrify)とでも言ふべき作用から發するのが藝術で、夫の甲冑に恐ろしい形相の飾りをつける類がそれだといふ、フランスのドグリーフ氏が社會學に説いてゐる所などを代表とする。前項の直反對である。
(7)交通衝動(Impaise to Communicate)即ち思想感情を交通せんとする本能が藝術の本だといふにある。是れは專ら言語學側と連續して説かれる。
(8)心靈具體本能(Desire to Obtain an Image of Intangible or Spiritual Part of Man)ともいふべき作用即ち人間の物的でない靈的の方面を具體せしめて見たいといふ衝動の結果が藝術だといふのであつて、社會學者ギツデヰング氏等の見る所である。
斯やうに列擧して見ると、其の中でおのづから獨立して考察に値するものと然らざるものとの別が生ずる。こゝで一々細評する餘地がないから、吾人の結論のみを言へば、此の中から三或は四の重要な見方を取り出して、それを更に一つに減ずる、それは自己表現本能の説である。人間は自己を表白せんとする本能的衝動を有してゐる。藝術の成る動機が即ち是れである。斯う見る説は比較的よく藝術本能の實状に適合する。唯一圖に其の品を其の品らしく作らうとする努力は、他面から言へば自己中に所有してゐる感想を其のまゝ減殺する所なく直寫しやうとする努力に外ならない。即ち自己表現の衝動である。
斯くして一旦藝術本能を自己表現本能に移すときは、こゝに藝術の目的は純内在的から一歩を轉じて、外在的になりかける。藝術の成るはたゞ藝術みづからの爲でなくして、作家が自己を表現せんためである。藝術本能といふ漫然たる自己の滿足のためでなく、むしろ自己表現のためといふことになる。自己滿足から自己表現に移つた所に思想上の幾多の展開がある。藝術以外に一層明白な標準が出來かゝつたのである。
之れを事實に照して見ても、自己の表現が其作品の價値の目安になる境地がある此の點までは穿鑿して標準を考へるが、これで行き止まり、これで滿足して作者の個性の出ると否とを最後の判斷とする批評は、此の境地を豫定するものである。併しながら是れではまだ至極と見られない。少なくとも吾人にはまだ此の上が考へられる。第一之れを觀者讀者の側に移して考へた時、他人の自己表現が何の爲め我れに價値を生ずるか。また作者の側から言つても、單に自己を表現さへすれば、果たしてそれが藝術として滿足せられやうか。自己表現は自己表現だが、表現して藝術を成すときの自己には、普通の自己と何か違つた所がありはせぬか。自己の内容に二樣が無い以上、素材は勿論普通の自己であるが、而もなほ、其の上に何等かの別境が開けて居りはしないか。即ち單なる自己表現以上、作者觀者の兩面に通じて、もう一段明白な目的觀念が展開すべきでは無いか。吾人は是れがあると信ずる。若し「藝術の爲の藝術」が小乘觀なら、「自己の爲の藝術」はまだ權大乘の域に止まる。眞の大乘觀は更に一展轉した所に見出だされる。
六
以上で、藝術が沒努力的な閑事業といふ意味で實生活から分かれるので無い理由は明かだと信ずる。而して其の藝術が沒努力でなく閑事業でない所以は專ら藝術本能即ち動機の上から説明せられたが、更に之れを結果の上から言つても、現に或る時期、就中原始的時期に於いては、藝術品の價値の源は其の實用功利の如何に存した事實が多い。また近代といへども、或る種類の藝術、たとへば建築美術といふ如きものにあつては、實用といふことが明白に美術としての評價の大半を助けてゐる。所謂建築上の自然主義と呼ばれるものは、此の實用價を直に藝術價に化せんとする傾向で、專ら、工場、勸工場、停車場等の實用的大建築が榮えて、寺院、殿堂等の比較的優長な建築が減じた結果から來たものである。のみならず、原始的に實用功利と連續してゐたものが、發展進化の途次に於いて、始めて一旦之れと分離し、無關心沒利害を標榜するに至つたのであるが、是れまた其の次の過程に於いて、例へばフランスのギヨーが『美學問題』に於いて説く如く、快樂そのものからが、結局は更に大なる勤勞に入らんが爲の精力準備作用であつて、利害と沒交渉とは言はれぬといふ反動思想に回歸せんとしてゐる。之れを要するに、如何にしてか藝術を優長長閑な遊び事といふ成心から脱せしめんとするのが、近世に於ける藝術觀の一傾向である。
さらば吾人が藝術を實生活から分かつ境界は何れにあるか。之れを作る上及び之れを鑑賞する上に於いて、醇藝術的になつた刹那の心境は、表裏若しくは消積兩極面から説くことが出來やう。それに先つて實生活といふ事を考へて見るに、日常吾人が營んで行く感覺、思想、情意の諸活動が即ち、人生の實行方面であつて、一切自己の保存及び擴張を目的とし、之れを成就し若しくは守護せんが爲に營まれる、但し自己の保存擴張といふことが嫌ひの人は、自己の理想を實現するためと言い直してもよい、吾人みづからは前の考へ方に賛成するが、兎に角何れとしても、自己の欲しねがふ所を實現せんとする活動といふ點では同じである。而して斯やうな實行的活動は、當然の性質として一局部的である。實行して實際的効果に達しやうと全力を之れに集中する結果、其の部面乃至之れと密接の關繋ある部面だけが意識の眼界に入つて來る。そして一局部から一局部へと結果の階段を逐うて移動して行く、而して自己の欲する所を成就せんが爲めの活動であるから、其の一段々々毎に自己の利害干繋に照準して快苦の價値を判定する。即ち利なるものは快となり、害なるものは苦となる。又或る場合には利害とも著しくないため無快苦の中性状態になる。例へば茲にポツニセフといふ男があつて、妻が宅に出入りをするハイカラな厭な音樂者と姦通して居はせぬかと疑ふ。自己に不利な觀念活動だから、苦痛である。併し此の苦しい疑惑の心持を自由に蔓らして置くに堪えないで、之れを除く階段に歩を進める。旅先から夜中だしぬけに歸宅して見る汽車中でも色々自分に不利な觀念活動のみを續けるから不快である。けれどもただ一圖に此の事を中心にやきもきと胸のみ忙しい状態に執着する、一筋途を狹く執ねく追うて行く。家に歸りついてそつと目ざす室を窺ふと、居ない筈の音樂家が深夜に正しく妻と二人きり差し向かひで居る。嫉妬、憤怒、凡て自己に有害な活動であるから大苦痛が伴ふ。一と思ひに刀を提げて躍り込み、男を殺す。取りすがる女をも一刀に刺し倒す。苦痛を除いた刹那の痛快、復讐の快味といふやうなものを覺える。自己の欲する所を成し遂げたからである。斯んな風に一段一歩すべて自己の利害欲不欲を中心にして、それからそれへと一筋に移つて行く。其の一段毎、一歩毎にそれみづからの快苦乃至無快苦の調子が明白に感ぜられる。其の他砂糖を甞めれば味覺を當局にした快があり、名譽を得れば虚榮心を當局にした快がある。實人生とは是れに外ならない。
七
之れに對して藝術活動は消極的には、自己の利害感と距たり、從つて其の一局部から來る快苦感と距たる。一向的でなく執着的でない。他の方面は前に論じた無關心、沒利害の思想で代表せられる。カント以來幾多の思索家が頭を支配した此の思想は、決して反動論者のいふ如く、全然無意義では無い。眞の藝術境を成すべき必須條件として消極的には是れあるを要する性質である。而して之を成すには、嘗ても論じた如く、我等の感情の四段作用中、我的から他的同情に移るを常とする。自己の利害といふ意識が退いて、其の觀念中の主格の利害感情が其の跡に入れ換はるのである。ポツニセフが妻を殺すのを傍で見てゐたとすれば其の時間が我れに及ぼす利害の感情は我的であるが、それを忘れてポツニセフ其の人の此の刹那の利害感情を我が心に感受してゐるのは他的である。
此の説に對して起こる非難の重なるものが二箇條あるらしい。一は岩野泡鳴氏によつて提起されたものであるが、難者の言う所によると、自己に有關心有利害な活動即ち我的情緒の伴ふものゝ外に、藝術活動は無いといふ。是れは素材としての情緒と、それが藝術の形を取る瞬間の心的状態とを混じた粗匆である。乃至は夫の實感と假感との説を誤解したものゝ流亞である。作家が自己の痛切に實感する所を直ちに文字なり繪畫なるに訴へて作る藝術に何の批點も無いことは論を待たない。此の意味で近代の藝術は實感の藝術である。しかも尚それが瞬間たりとも我れの利害から遊離して、第三者にならなければ決して藝術化する氣遣ひは無い。そも/\筆を執り刷毛を執つてそれを紙や布に書いてゐる餘裕が無い。感ずるところは如何に切であらうとも、いざ文にしやう、繪にしやうといふ瞬間には、そこに餘裕が無くてはならぬ。但し餘裕とは出來たものがのんきな緩んだ調子だといふのでは無い。作中の感情は如何に逼迫してもよい。たゞ之れを作る人の氣持で、一寸離して眺めるのである。譬へば視角を整へるために睫毛の傍から向ふへ其の物を突き出すといふ態度である。是れが無ければ決して佳い文藝は出來ないと信ずる。是れだけの距離が無ければ、悲しいのはたゞ泣く譯である、怒るものは直ちに怒鳴る譯である、其の泣く聲、怒鳴る聲を文字や色彩に托する餘地がありながら、尚それが離れたものでないといふのは、僞りか、然らずんば内省の疏漏である。藝術は必ず此の自己を第三者化する所に發出の虧隙を求めるものと信ずる。
元來實行の上に痛切な喜憂哀樂の感を懷くものが、何の必要があつて之れをまどろつこい藝術に托するか。何故に手つ取り早く之れを實行の上に追究しないか。こゝで今一度藝術發生の動機すなはち本能問題に立ち戻るが、それが即ち自己表現の已みがたい本能とも言へやう。我が三寸の胸に欝積する感情は切に表現を求める。夫の『藝術起原』の著者ヒルン氏がいふ如く、情緒の表現そのものが本來其の情緒を放散し疏通せしむる一種の慰藉作用を有して生じたものである。此の點から言へば我等が情緒を有する、而して之れに應ずる表現(Exprssion)を要する、皆畢竟は自己保存の要求から來た本能である。併し自己の表現、情の表現といふ時は範圍は廣い。例へば悲しい想ひが内に欝結する。聲を上げて號叫する、と幾らか慰められる、是れも自己の表現である。また其の欝結した想ひを人に物語つて自ら發散する。是れも自己の表現である。けれどもこゝまではまだ藝術となる深遠性も有して居らぬ。更に一歩を跨いで其の欝結した想ひそのまゝを、第三者の地に据ゑ、之れに自己の經驗が率い來たる人生の背景を被らせて、自由に、心靜かに、其の情想の味を味わふときは、始めて其の心内の光景がそのまゝ消して了ふに忍びない心地になる。即ち單に自己の慰安のため滿足のために泣いたり叫んだりする域から、生の味ひの妙境を保留し表現したいといふ域に進む。同じ自己表現といひながら、自己の内容が違つて來るのである。前者の一部が主觀的文藝を成し得るに對して、後者の客觀的文藝は必然で深遠の性を備へると信ずる。所謂觀照の藝術である。
今一つの批難は樋口龍峡氏が他的同情を以て人間に限るものと見たことである。吾人の考へる所では、我々の情は必ずして對手が人間である場合にのみ流れ出でて先方へ附着するものではない。禽獸草木に對しても、將又全く無生なる摸樣、色彩等に對しても同情する。峯の頂に一本立つてゐる松の樹、元來は非情のものであるが、我が之に對すると、其の色や形の、空に拔んでた地位干繋や、乃至之れが風を宿し日を含む光景や、其の枝に止まつた鳥の心持や其の樹下に憩ふ人の心持やが相寄つて、件の松の樹が本來有するかとも思はれる一種の情を我が心内に組み立てる。而してそれが移つて松の樹に附着すると、其の松が生きた松の樹になる。別に松を人化したのでなく、松自然の生が我に味はゝれるやうに感ずる。またドイツのアインフユールングの論者も言ふ如く、例へば均整の形をした摸樣があるとすれば、其の均整は我が心作用の均整の方面と感通して、先方の均整な模樣に我が心の均整から生ずる一種快適な情が乘り移り、さながら均整な線條色彩が生きた本自の情を持つてゐる如く感ぜられる。之れも他的同情であらう。
八
藝術が消極的に實生活と異なるのは、其の我的情緒から離れ局部的快苦から離れるにあること以上の如しとして、其の積極的方面を見ると、これは最早或る度まで前來の説で言ひ及んだ氣味であるが、詮ずる所實生活から離れると同時に、擾々の聲、執着煩勞の情が稍朦朧となり、靜な觀照の態度にはいる。行ふ態度から味ふ態度にかはるのである。手や足の活動からは引き退くかも知れぬが、それだけ心の活動に突つ込んで行く。實生活で經驗することの出來なかつた別意識の香りがさして來る。所謂生の味に到達するのである。廣くいへば快感だが、狹くいへば其の事柄に對して今まで知らなかつた不思議を見るやうな、成程さうもあるかといふやうな、懷しいやうな忘れがたいやうな氣持ちを起こす。之れを反面から説明すれば、今まで右でも左でも自己の利害といふ岩石にぶつかつては激してゐた感情の浪が、其の岩石から距てられて、始めて過去經驗の一切を含蓄する自己内の人生圖の海に平衡を得た意識で、つまり一局部に跼蹐してゐた種々の心生活が其のまま全關的に暢達する所に生ずる氣持ちである。今までは其の局部々々の嬉しい悲しいの情緒にくらまされて、氣づかなかつた我が心内の諸觀念諸情意の活動すなはち天地一切を包含する我が生の營みの味もしくは意義を感得するのである。生そのものゝ味まで覺到した生活である。此所に至つて藝術活動は實生活と異なる條件を完成する。藝術と實生活とは實に局部我より脱して全我の意義すなはち價値に味到するといふ一線によつて區界せられる。
九
されば餘論として一言すべきは、實生活の味を識るに適しない事である。恰も近時世に出た論で長谷川二葉亭氏金子筑水氏等が唱ふる人世の味、泣かず笑わざる味といふ説は、之れを藝術に見て始めて、味といふを得るのでは無いか。吾人の考へる所では實世活は通常快か苦か無快苦の中性か、三者何れかの調子を有した愛惡欲等の諸情意によつて支配せられ、其の味と見るべきものはたゞ件の情意毎に伴ふ快苦たけである。從つて其の味は部分的、第二義的たるに止まり、事の味ではあり得るが人生の味では無いやうに見える。人生の味と名づくべきものは事の味以上にあるのでないか。即ち普通の人に取つては、實生活中にあつてそれを味ふことは容易でない。無意識的若しくは本能的に生の味を知つて之れに執着することはあるかも知れぬが、それを味だとするのは、後からの抽象的推測であつて、現に味として感じて之れに執着するのでは無い。たゞ一定の時處を距てて之を過去生活にすれば、味が意識されて來得る。それはちやうど藝術の場合と同じ順序によるのであつて、結局書かざる文學、描かざる繪畫たるに過ぎないのである。ポツニセフの經歴は、ポツニセフみづから實行してゐる間は味は分からないが、之れが一種の想ひ出になつた時、乃至トルストイの筆を假りて書き綴られた時は人生となつてゐる。若し大悟の人があつて、行ひながら、それを觀照の對境として靜に味ふことが出來れば、それは三味の天地であらう。其の人に取つては人生はやがて一大藝術である。けれども是は通例の場合では不可能である。實生活に埋頭してゐる内は、生の味は分からない。深い人生、價値を自識する人生、言ひ換へれば、味に徹した人生は獨り之れを藝術に見るべきである。藝術の使命は是れであらう。
功利の爲の藝術(Art for Utility's Sake)
而して
藝術の爲の藝術(Art for Art's Sake)
而して
自己の爲の藝術(Art for Self's Sake)
而して
生の爲の藝術(Art for Life's Sake)
吾人の論は斯んな順序で進んだ。機を得て更に人生觀上の自然主義を論じ足したい。(明治四十一年九月)
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