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凡例

序に代へて人生觀上の自然主義を論ず

目次


[#表紙題言]

 

在るがまゝの現實に即して

全的存在の意義を髣髴す

觀照の世界也

味に徹したる人生也

此の心境を藝術といふ


[#扉]

 

島村滝太郎著

近代文藝之研究

早稻田大學出版部蔵版


 

       凡  例

 

[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]


一、本書に收めた諸論文は、凡て其の文末に附記した如く、明治三十九年から今四十二年の初に及ぶまでに書いたものゝ中から選り出したのである。而して排列の順序は年代によらずして、專ら思想及題目の關係を本とした。


一、『早稻田文學』の外『新小説』『太陽』『趣味』『新潮』『明星』『白百合』『歌舞伎』『中央公論』『能樂』等に掲げたものに對しては此等諸雜誌社が之を本書に再録するの快諾を與へられた好意を謝する。中にも講話欄の全部及其の他の二三篇は『新小説』其の他の編輯者が筆記の勞を取られたものである。


一、著者は此の書に於いて、自然主義論を中心とし、最も複雜曲折を極めた自家の藝術論に一段落をつけて見やうと思ふ。


一、二三用語の是正、固有名詞の正誤等の外、凡て原本のまゝを再録したのは、自ら自家を省察する料にもと思つてゞある。間違つた所は大方の指教を待つ。

[#ここで下げ終り]


  明治四十二年晩春[#地から3字上げ]抱月生識



 

  序に代へて人生觀上の自然主義を論ず

 

      一

 

私は今茲に自分の最近兩三年に亘つた藝術論を總括し、思想に一段落をつけやうとするに當たつて、之れに人生觀論を裏づけする必要を感じた。

けれども人生觀論とは畢竟何であらう。人生の中樞意義は言ふまでもなく實行である。人生觀は即ち實行的人生の目的と見えるもの、總指揮と見えるものに識到した觀念で無いか。所謂實行的人生の理想又は歸結を標榜することで無いか。若しさうであるなら、私にはまだ人生觀を論ずる資格は無い。何故ならば、私の實行的人生に對する現下の實情は、何等の明確な理想をも歸結をも認め得て居ないからである。人生の目的は何であらうか。我等が生の理想とすべきものは何であらうか。少しも分かつて居ない。

勿論斯やうな問題に關した學問も一通りはした、自分の職業上からも、斯やうな學問には斷えず携はつて居る。其の結果として、理論の上では、あゝかかうかと纏まりのつく樣な事も言ひ得る。又過去の私が經歴と言つても、十一二歳の頃から既に父母の手を離れて、專門教育に入る迄の間、凡て自ら世波と鬪はざるを得ない境遇に居て、それから學窓の三四年が思ひ切つた貧書生、學窓を出てからが生活難と世路難といふ順序であるから、切に人生を想ふ機縁の無い生涯でも無い。しかも尚是等のものが眞に私の血と肉とに觸れるやうな、何等の解決を齎らし來たつたか。四十の坂に近づかんとして、隙間だらけな自分の心を顧みると、人生觀どころの騒ぎではない。我が心は依然として空虚な廢屋のやうで、一時凌ぎの手入れに、床の拔けたのや屋根の漏るのを防いでゐる。繼ぎはぎの一時凌ぎ、是れが正しく私の實行生活の現状である。之れを想ふと、今さらのやうに armer Thor の嘆が眞實であることを感ずる。

 

      二

 

私は何うしたら善からうか。私は一體何うして日々を送つて居るか。全くの其の日暮し、其の時勝負でやつて居るのだらうか。強ちさうでも無いやうである。事實、自分の日常生活を支配してゐるものは、やつぱり陳い/\普通道徳に外ならない。自分の過去現在の行爲を振かへつて見ると、一歩も其の外に出ては居ない。それで以て、決して普通道徳が最好最上のものだとは信じ得ない。或部分は道理だとも思ふが、或部分は明に他人の死殻の中へ活きた人の血を盛らうとする不法の所爲だと思ふ。道理だと思ふ部分も、結局は半面の道理たるに過ぎないから、矛盾した他の半面も同じやうに眞理だと思ふ。斯ういふ次第で心内には一も確固不動の根抵が生じない。不平もある、反抗もある、冷笑もある、疑惑もある、絶望もある。それで尚思ひ切つて之れを蹂躙する勇氣は無い。つまり愚圖々々として一種の因襲力に引きずられて行く。之れを考へると、自分等の實行生活が有してゐる最後の筌蹄は、たゞ一語、「諦め」といふことに過ぎない。其の諦めもほんの上つ面のもので、衷心に存する不平や疑惑を拭ひ去る力のあるものでは無い。しかたが無いからといふ諦めである。

 

      三

 

此所まで回顧して來て、何時も思ひ悩むのは其の奧である。何が自分をして諦めさせるのだらう。私に取つてはそれが神の力でも信仰の力でも無くして、實に自分の知識の力である。若し自ら僭して聰明といふことを許されるなら、聰明なからである。假に現在普通の道徳を私が何等かの點で踏み破るとする。私には其の後の事が氣づかはれてならない。それが有形無形の自分の存在に非常の危險を持ち來たす。或は百年千年の後には、其の方が一層幸福な生存状態を形づくるかも知れないが、少なくともすぐ次の將來に於ける自己の生といふものが威嚇される。單身の場合はまだよいが、同じ自己でも、妻と擴がり子と擴がつた場合には、愈々それが心苦しくなる。つまり名といひ、利といひ、家といふ、無形、有形、單純、複雜の別はあつても、詮ずる所自己の生といふ中心意義を離れては、道徳も最後の一石に徹しない。直觀道學はそれを打ち消して利己以上の發足點を説かうけれども、自分等の知識は、何うも右の事實を否定するに忍びない。却つて否定するものゝ心事が疑はれてならない。(衆生濟度の方便なら構はないが)傍に千萬卷の經典を積んでも、自分の知識は「道徳の底に自己あり」といふ一言で之れを斥ける勇氣を持つてゐる。而して此の知識が私をして普通道徳の前に諦めをつけさせる、爲かたが無いと思はせる。それ以上、自分に取つては普通道徳は何等崇高の意義をも有しない。一種の方便經に過ぎない。

まだ一つある。私は寧ろ情負けをする性質である。先方の事情にすぐ安値な同情を寄せて、氣の毒だ、かわいさうだと思ふ。それが動機で普通道徳の道を歩んで居る場合も多い。そして是れが本當の道徳だとも思つた。併し段々種々の世故に遭遇すると共に、飜つて考へると、其の同情も、あらゆる意味で自分に近いものだけ濃厚になるのがたしかな事實である。して見ると是れも餘り大きな事は言へなくなる。同情する自分と同情される他者との矛盾が、死ぬか生きるかの境まで來ると、そろ/\本體を暴露して來はしないか。先づ多くの場合に自分が生きる。よつぽど濃密の關係で自分と他者と轉倒してゐるくらゐの場合に、言はゞ病的に自分が死ぬる。又は極局身後の不名譽の苦痛といふやうなものを想像して自分が死ぬることもある。所詮同情の底にも自己はあるやうに思はれてならない。斯んな風で同情道徳の色彩も變つて了つた。

更に一つは、義務とか理想とかの爲に、人間が機械となる場合がある。唯何とはなしに、爲なくてはならないやうに思つて爲る、たゞ一念其の事が成し遂げたくてする。斯んな形で普通道徳に貢献する場合がある。私も正しく其の通りの事をしてゐる。併し是ればかりでは地球がいやでも西から東に轉ずるのと少しも違つた所はない、徹した心持ちが無い、生きて居ない、不滿足である。そこで色々考へて見ると、何うも矢張り其の底に撞きあたるものは神でも眞理でもなくして、自己といふ一石であるやうに思はれる。此の意識の消し難いが爲に、義務道徳、理想道徳の神聖の上にも、知識は其の皮肉な疑ひを加へるに躊躇しない、曰はく、結局は自己の生を愛する心の變形でないかと。

斯やうにして、私の知識は普通道徳を一の諦めとして成就させる。けれども同時に其の源が神秘なものでも莊嚴なものでもなくなつて、第一義眞理の魅力を失ひ、崇拜にも憧憬にも當たらなくなつて了ふ。

 

      四

 

知識で押して行けば普通道徳が一の方便になると共に、其の根柢に自己の生を愛するといふ積極的な目標が見えて來る。世間には此の目標を目障りだと言つて見まいとするものもあるが、自分には何うしても見えると言ふ方が正直としか思はれない。從つて今の所、若し私の知識で人生の理想標榜といふやうなものを立てよといふなら、先づ差しあたり是れを持つて來る。人生の理想は自愛である、自己の生である。自分の實行的生活を導いて來たものは、事實この外に無かつた。無論實行の瞬間はそんな事を思ふと限るものでないから、唯傳襲の善惡觀念でやつて居ることが多い。けれどもそれは盲目の道徳、醒めない道徳たるに過ぎぬ。開眼して見れば、顏を出して來るものは神でも佛でも無くして自己である。だから自己が即ち神である佛である。

併し斯んな事は畢竟ずるに私の知識の届く限りで造り上げた假の人生觀たるに過ぎない。是れが分かつた爲に私の實行的生活が變動する譯でも何でもない。のみならず現に其の知識みづからが、まだ此の上幾らでも難解の疑問を提出して休まない。自己といふ其の内容は何と何とだ。自己の生を追うた行止りは何うなるのだ。殊に困るのは、知識で納得の行く自己道徳といふものが、實は何うしてもまだ崇高莊嚴といふやうな仰ぎ見られる感情を私の心に催起しない。陳い習慣の拔殻かも知れないが、普通道徳を盲目的に追うてゐる間は、時として是れに似たやうな感じの伴ふこともあつた。あの情味が新開眼の自己道徳には伴はない。要するに新舊何れに就くも、實行的人生の理想の神聖とか崇高とかいう感じは消え去つて、一面灰色の天地が果てしもなく眼前に横たはる。讃仰、憧憬の對當物が無くなつて、幻の華の消えた心地である。

私の本心の一側は、たしかに此の事實に對して不滿足を唱へるもつと端的に我等の實行道徳を突き動かす力が欲しい、而も其の力は直下に心眼の底に徹するもので、同時に讃仰し羅拜するに十分な情味を有するものであつて欲しい。私は此の事實を我等の第一義欲または宗教欲の發動とも名づけやう。或は斯んなことを思ふのが既に陳い夢に囚へられてゐるのかも知れない。灰色の天地に灰色の心で、冷たい、物凄い、荒んだ生を送つて行くのが人生の本旨かとも思つて見る。けれども今日までの私はまだ何うもそれだけの思ひ切りもつかぬ。一方には赤い血の色や青い空の色も欲しいといふ氣持が滅しない。幾ら知識を驅使して見ても此の矛盾は殘る。つまり私は一方には或意味での宗教を觀て居ると共に、一方は極めて散文的な、方便的な人生を觀て居る。此の兩端にさまよつて、不定不安の生を營みながら、自分でも不滿足だらけで過ごして行く。

此の點から考へると、世の一人生觀に歸命して何等の疑惑をも感ぜずに行き得る人は幸福である。况してそれを他人に宣傳するまでになつた人は愈々幸福である。私には凡てそれ等のものが信ぜられず、あらが見えるやうに思はれてならない。或るものは持つて廻つた捏造物だ、或るものは虚僞矯飾の申譯だ、或るものは楯の半面に過ぎず、或るものは唯の空華幻象に過ぎない。自分の知識が白い光を其の上に投げると、是等のものは皆其の粉塗してゐた色を失つて了ふ、散文化し方便化して了ふ。それを知らぬ振に取りつくろつて、自分でも其の夢に醉つて、世と跋を合はせて行くことは、私には段々堪へ難くなつて來た。自分の作つた人生觀さへ自分で信ずることの出來ない私であるから、况して他人の立てた人生觀など、其のま〓[#踊り字「二の字点」]受け入れることの出來るものは一つも無い。何ものをも批評するのが先になつて、信ずることが出來ない、讃仰することが出來ない。信じ得る人の心は平和であらうが、批評する人の心は何時も遑々としてゐる。茲に至つて私は自分の強梁な知識そのものを呪ひたくなる。

 

      五

 

自分は何等の徹底した人生觀をも持つて居ない。あらゆる既存の人生觀は我が知識の前に其の信仰價を失ふ。呪ふべきは我が知識であるとも思ふが、しかたがない。何等かの威力が迫つて來て、私のこの知識を征服して呉れたら、私は始めて信じ得るの幸福に入るであらう。

されば現下の私は一定の人生觀論を立てるに堪へない。今はむしろ疑惑不定の有りのまゝを懺悔するに適してゐる。そこまでが眞實であつて、其の先は造り物になる恐がある。而して此の私を標準にして世間を見渡すと、世間の人生觀を論ずる人々も、皆私と似たり寄つたりの邊に居るのではないかと猜せられる。若しさうなら、世を擧げて懺悔の時代なのかも知れぬ。虚僞を去り矯飾を忘れて、痛切に自家の現状を見よ、見て而して之れを眞摯に告白せよ。此の以上適當な題言は今の世に無いのでないか。此の意味で今は懺悔の時代である。或は人間は永久に亘つて懺悔の時代以上に超越するを得ないものかも知れぬ。

以上を私が現在に於いて爲し得る人生觀論の程度であるとすれば、そこに藝術上の所謂自然主義と尠なからぬ契機のあることを認める。けれども藝術上の自然主義はもつと廣い。また藝術は必して直接に我等の實行生活を指揮し整理する活動でもない。

 

      六

 

餘論として茲に一言を要するのは、史上にいはゆる人生觀上の自然主義である。過去に於いて明に斯やうな名辭を用ひたのは、私の知る限りでは、Professor W.H.Hudson のルーソー論に Naturalism in Life と言つてゐるのなどが其の最近の例である。是れは言ふまでもなくルーソーの「自然に還れ」「自然の人」「反文明」「反人巧」の人生觀に冠した名であるが、若し之れを定限とすれば、さやうな人生觀上の自然主義は、私に取つては疑惑内の一事實たるに止つて、解決の全部とはならない。

ニイチヱが人生觀の、本能論の半面に見はれた思想も、一種の自然主義と見る人がある。それなら是れもまたルーソーの場合と同しく、我が疑惑内の一事實を提示するに過ぎないのは言ふを待たぬ。

ロシアの作者、ツルゲネフやトルストイに見はれた虚無思想を以て最もよく人生觀上の自然主義に當たるものと見る人もある。虚無思想の中心は、ツルゲネフの作が定義する所によれば、あらゆるものを信ぜず、あらゆる權威に抗爭する點に存する。併し此の思想を一の人生觀として取り上げる時、そこに當然消極か積極かという問題が起こり來たらざるを得ないことは、既にヨーロツパの論者が言つて居る通りである。而して其の當然の解釋が、信ぜず從はずを以て單なる現状の告白とせず、進んで之れを積極の理想とするに傾くとすれば、是れも私には疑惑圈内の一要素となるばかりで、最後の解決とはならない。

斯くの如くして所謂人生觀上の自然主義も私には疑ひの一面たるに過ぎない。


 

 

 

凡例

序に代へて人生觀上の自然主義を論ず

 

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