「天の神」を祀る天神社
[謎を追え#1:浮かび上がる少彦名神
(Tenshin-shrines of Heavenly God)

-- 2010.02.04 エルニーニョ深沢(ElNino Fukazawa)

 ■はじめに

 私たちは「××天神」と名の付く神社に対しては通常何の疑いも無く所謂「天神様(てんじんさま)」と言われる菅公(=菅原道真の尊称)を祀り境内の何処かに伏臥牛が侍る神社を思い浮かべて仕舞います。確かに菅公を祀る天神社(てんじんしゃ)や天満宮は稲荷社・八幡社・伊勢神明社に次いで全国で4番目に数が多く約1万余社在りますので無理も有りません(※1の[3]、△1のp295)。
 しかし「××天神」と名の付く神社が全てそうか?、と言うと全てがそうとは限らないので話がちと込み入って来るのです。まぁ、何事にも「例外無きは無し」というのが、業(ごう)を背負って生きる人間界の掟(おきて)の様です。このページではその例外の方、即ち極少数乍ら存在する「菅公とは別系統の天神社」を特集します。それらは本来の「天の神」の意味の天神(てんしん)(※1の[1])を祀る神社です。こういう少数派に対する場合は先入観を取り除いて見て行きましょう。

 ■大阪




 (1)御幸森天神宮(みゆきのもりてんしんぐう)

 大阪市生野区桃谷3丁目に在り御幸森神社とも言います。ここは既に「猪甘津の橋と猪飼野今昔」で紹介済みです。


 大阪市生野区

 (2)服部天神宮




 (3)露天神社(つゆのてんじんしゃ)

 飲み屋街の大阪市北区曽根崎2丁目に在り、通称の「お初天神」の方が圧倒的に親しまれて居ます。ここも既に「[人形浄瑠璃巡り#2]露天神」で紹介済みです。

 (4)桑津天神社

大阪市東住吉区桑津3丁目



 ■京都




 (2)五条天神宮

 京都

 (3)藁天神

 京都市北区衣笠天神森町に在り、正式名は敷地神社で主祭神は木花之開耶姫(←木花之開耶姫は天孫である瓊瓊杵尊の妃で天孫系の神)。創建は不詳ですが、828(天長5)年に淳和天皇が勅旨を遣わし止雨を祈願したと伝えられて居ます。嘗ては北山天神の丘に在ったのが天神称の由来とも考えられ、足利義満の金閣寺造営時に現在地に移されました。
 安産祈願・授子祈願の神社として知られ、安産の御守りとして授けられる藁の護符が通称の起源です。



 (4)北白川天神宮

 元は天使社/天使大明神と呼ばれ主祭神は天使大明神(=少彦名命名)
 8世紀前半に当初は久保田の森(現久保田町)に創建され「延喜八年八月十三日」と刻銘された黒鉾が出土。1463(寛正4)年に足利義政の命に依り現在の千古山(現仕伏町)に遷座して以来白川の里人の尊崇を集め、1673(寛文13)年に照高院第五代道晃法親王に依り「天使大明神」を「天神宮(てんしんぐう)」と改号





 ■浮かび上がった共通項

 以上の様に「菅公とは別系統の天神社」ばかりを何社か見て来ると、次の点が自ずと浮かび上がって来ます。即ち
 <第1の注目点>は、「菅公とは別系統の天神社」には次の様な共通項(=キーワード)を挙げる事が出来ます。

  正式名が「××天神」では無く「××天神宮」「××天神社」の神社に多い
  少彦名神(※5)を主祭神とする神社に多い

 これは「菅公とは別系統の天神社」を新たに探す際のヒントに成ります。

 <第2の注目点>は、「菅公とは別系統の天神社」は探せば”意外に在る”というのが偽らざる感想です。その理由は、元々は「天の神」(※1の[1])を祀る神社だったものが、人々の間では「天の神」の天神(てんしん)が余り知られて居らずに「天神=菅原道真」(※1の[3])という短絡解釈が余りにも強い為に後から無理矢理に菅公の事蹟をくっ付けて菅公を祭神に加えて仕舞った事例が余りにも多いのです。特に<第1の注目点>のキーワードに該当する神社の由緒来歴と祭神を詳細に検討すれば、「菅公とは別系統の天神社」は当ページに採り上げた以外にも沢山発掘出来そうに思えます。私一人では手に余るので「菅公とは別系統の天神社」探偵団を組織しようかしら!!

 ■「小さ子」の少彦名神の謎








 『古事記』(※4)に於いて少彦名神(※5)は次の様に登場します、即ち大国主神(※6)、出雲の御大(みほ)の御前(みさき)に坐(ま)す時、波の穂より天の羅摩船(かかみぶね)(※7)に乗りて、鵝の皮を内剥に剥ぎて衣服(きもの)にして、帰り来る神ありき。ここにその名を問はせども答へず、また所従(みとも)の諸神に問はせども、皆「知らず。」と白(まを)しき。ここに谷蟆(たにくく)(※8)白(まを)しつらく、「こは神産巣日神の御子、少名毘古那神ぞ。」と答へ白しき。故(かれ)ここに神産巣日の御祖命に白し上げたまへば、答へ告(の)りたまへしく、「こは実(まこと)に我が子ぞ。子の中に、我が手俣(たなまた)より漏(く)しき子ぞ。故、汝(いまし)葦原色許男命(※6-2)と兄弟となりて、その国を作り堅めよ。」とのりたまひき。故、それより、大穴牟遅(※6-1)と少名毘古那と、二柱の神相並ばして、この国を作り堅めたまひき。然(さ)て後は、その少名毘古那神は、常世国に度(わた)りましき。故、その少名毘古那神を顕(あら)はし白(まを)せし謂はゆる崩彦(くえびこ)(※9)は、今者(いま)に山田のそほど(※9-1)といふぞ。この神は、足は行かねども、盡(ことごと)に天の下の事を知れる神なり。」と(△5のp53~54)。
 先ず注釈ですが、天の羅摩船とは鏡草(※7)の事ですが、『古事記』の注にガガイモ(※7の[3])と在り、この実は割ると小舟の形に似ていると在ります。同じく『古事記』の注に「鵝の皮(=鵝鳥の皮)」では大き過ぎるとし『古事記伝』(※4-1)に従い「蛾」の誤りとして居ます。谷蟆(※8)とはヒキガエルの古名(※8-1)です。葦原色許男命(※6-2)、大穴牟遅神(※6-1)は何れも大国主神の別名です。山田のそほど「かかし(=案山子)」(※9-2)の事ですが今は山田の僧都(そうず)(※9-2の[2])などと言われます。

 私は前からこの少彦名神の登場する場面を不思議に思って居たのですが誠に奇怪な話です。何故奇怪か?、それを説明する為に話を整理して見ましょう。

    <『古事記』が語る少彦名神>

 ①.少彦名神は「父親の手の間から漏れ落ちる」程小さく、それがガガイモの舟に乗り蛾の皮を纏って遣って来た。
 ②.誰も知らないのにヒキガエルだけが少彦名神の正体を知っていて「これは神産巣日神の御子、少名毘古那神(=少彦名神)だ」と答える。
 ③.少彦名神は大国主神と協力して国土を建設した。
 ④.少彦名神は常世の国へ渡って行った。
 ⑤.崩彦(=久延毘古)は「かかし(案山子)」で、足は動けないが世の中の事は何でも知って居る神である。「かかし」も少彦名神を知っていたが喋れない。



 尚、案山子(かかし)については
  初歩的な神道の神々(The gods of rudimentary Shinto)

をお読み下さい。







 小さ子伝説(※x)というのが在ります、一寸法師とか。







 ■結び - 

 





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φ-- おしまい --ψ

【脚注】
※1:天神(てんしん/てんじん)とは、
 [1].(濁らず「テンシン」)
   [a].(元々は中国で天界に住む神を言い)天の神。←→地神。
   [b].(記紀神話に転用されて)天津神(あまつかみ)、天孫系の神。←→地祇、国津神。
 [2].〔仏〕天界に住して仏法を守護する神。天。諸天。
 [3].(濁って「テンジン」)菅原道真の神号。道真を火雷天神とする信仰が起り、後に京都に北野天神が創建された。又、道真を祀った神社(天満宮)
















※4:古事記(こじき)は、現存する日本最古の歴史書。3巻。稗田阿礼が天武天皇の勅で誦習した帝紀及び先代の旧辞を、太安万侶が元明天皇の勅に依り撰録して712年(和銅5)献上。上巻は天地開闢から鵜葺草葺不合命(うがやふきあえずのみこと)迄、中巻は神武天皇から応神天皇迄、下巻は仁徳天皇から推古天皇迄の記事を収め、神話・伝説と多数の歌謡とを含み乍ら、天皇を中心とする日本の統一の由来を物語る。ふることぶみ。
※4-1:古事記伝(こじきでん)は、古事記の注釈書。本居宣長著。44巻。1767年(明和4)頃起稿、98年(寛政10)完成。1822年(文政5)刊行終了。国学の根底を確立した労作で、今日でも古代史/古代研究の典拠。




※5:少彦名神(すくなびこなのかみ)は、日本神話で高皇産霊神(たかみむすびのかみ)(古事記では神産巣日神(かみむすびのかみ))の子。体が小さくて敏捷、忍耐力に富み、大国主命と協力して国土の経営に当り、医薬・禁厭(まじない)などの法を創めたと言う。
※5-1:神皇産霊神/神産巣日神(かみむすひのかみ/かむみむすひのかみ)は、記紀神話で天地開闢の際、高天原に出現したと伝える造化の三神の一女神とも言われる。
※5-2:造化の三神(ぞうかのさんしん)とは、天地開闢の初め、高天原に現れて万物を経営したという3神。古事記では、天御中主神高皇産霊神神皇産霊神




※5-x:常世(とこよ)とは、[1].eternity。常に変らないこと。永久不変であること。古事記下「舞する女―にもがも」。
 [2].「常世の国」の略。万葉集18「田道間守(たじまもり)―にわたり」。
※5-y:常世の国(とこよのくに)とは、
 [1].the eternal land beyond the sea。古代日本民族が、遥か海の彼方に在ると想定した国常の国。神代紀上「遂に―に適(い)でましぬ」。
 [2].the land of eternal youth, Heaven。不老不死の国。仙郷。蓬莱山。万葉集4「吾妹児(わぎもこ)は―に住みけらし」。
 [3].the land of the dead, Hades。死人の国黄泉の国。黄泉路(よみじ)。黄泉。(古事記伝)。







※6:大国主命(おおくにぬしのみこと)は、日本神話で、出雲国の主神素戔嗚尊の子とも6世の孫とも言う。少彦名神と協力して天下を経営し、禁厭(まじない)・医薬などの道を教え、国土を天孫瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)に譲って杵築(きずき)の地に隠退。今、出雲大社に祀る。大黒天と習合して民間信仰に浸透。大己貴神国魂神葦原醜男(あしはらしこお)・八千矛神(やちほこのかみ)などの別名が伝えられるが、これらの名の地方神を古事記が「大国主神」として統合したもの。古事記の「因幡の素兎」の話は有名。
※6-1:大己貴神/大穴牟遅神/大汝神(おおなむちのかみ)とは、大国主命の別名。大名持神(おおなもちのかみ)とも。
※6-2:葦原醜男/葦原色許男(あしはらしこお)とは、古事記で大国主命の別名。風土記では国占めをする神。


※7:鏡草(かがみぐさ)とは、[1].大根の異名。正月元日に宮中で鏡餅の上に置いた輪切りの大根。春の鏡草
 [2].松の異名冬の鏡草
 [3].アサガオ/ヤマブキ/ウキクサ/ビャクレン(白蘞)/ガガイモ/カタバミ/イチヤクソウなどの異名。








※8:谷蟆(たにぐく)とは、ヒキガエルの古名。万葉集5「―のさ渡る極み」。
※8-1:蟇/蟾蜍(ひきがえる/ヒキガエル)は、カエルの一種(両生類カエル目)。体は肥大し、四肢は短い。背面は黄褐色、又は黒褐色、腹面は灰白色で、黒色の雲状紋が多い。皮膚、特に背面には多数の疣(いぼ)が有る。又、大きな耳腺を持ち、白い有毒粘液を分泌。動作は鈍く、夜出て、舌で昆虫を捕食。冬は土中で冬眠し、早春現れて、池や溝に寒天質で細長い紐状の卵塊を産み、再び土中に入って春眠、初夏に再び出て来る。日本各地に分布。ヒキガマガマガエルイボガエル。季語は。色葉字類抄「蟾蜍、ヒキカヘル」。





※9:久延毘古/崩彦(くえびこ)とは、(「崩(く)え彦」の意と言う)古事記に見える神の名。今の案山子(かかし)の事と言う。
※9-1:案山子(そおど/そほど)とは、(ソホヅの古形)かかし。古事記上「くえびこは今に山田の―といふぞ」。
※9-2:案山子/鹿驚(かかし/かがし/かがせ、scarecrow)は、(「嗅がし」の意)
 [1].獣肉などを焼いて串に貫き、田畑に刺し、その臭を嗅がせて鳥獣を退散させたもの。焼串(やいぐし)。焼釣(やいづり)。
 [2].竹や藁(わら)などで人の形を造り、田畑に立てて、鳥獣が寄るのを威し防ぐもの。鳥威し。山田の僧都(そうず)。季語は秋。日葡辞書「カガシ」。
 [3].見掛けばかりもっともらしくて役に立たない人。見掛け倒し。虚仮威(こけおど)し。






※10:喜田貞吉(きたさだきち)は、明治~昭和の歴史学者(1871~1939)。徳島県出身。東大卒。文部省に入る。日本歴史地理学会を起こし、雑誌「歴史地理」を刊行。法隆寺再建論を主張。1911年、国定教科書に南北両朝並立論を掲載し問題とされ文部省を休職となった。後、京大教授。<出典:一部「学研新世紀ビジュアル百科辞典」より>

















※x:小さ子(ちいさご/ちいさこ、dwarf)とは、神話・説話に登場する、体の極小さい子供。成人して大事業を成し遂げ、変身して幸福を得る話が多い。少彦名神や一寸法師など。


※y:韓神(からのかみ/からかみ)とは、(朝鮮から渡来した神の意か)守護神として宮内省に祀られて居た神。大己貴・少彦名の2神を指すと言う。神楽歌、韓神(からかみ)「われ―(からかみ)の韓招(からおぎ)せむや」。
※y-1:園神(そののかみ/そのかみ)とは、大内裏の宮内省に祀られた神。大己貴神の和魂(にぎみたま)である大物主神と言う。
※y-2:大神神社(おおみわじんじゃ)は、奈良県桜井市三輪に在る元官幣大社。祭神は大物主大神(おおものぬしのかみ)。大己貴神(おおなむちのかみ)・少彦名神(すくなびこなのかみ)を配祀。我が国最古の神社で、三輪山が神体本殿は無い酒の神として尊崇される。二十二社の一。大和国一の宮。杉の御社。三輪明神。



 補足すると、我が国最古の神社とされる大神神社は主祭神を大物主神とし大己貴神・少彦名神を配神とします。即ち、宮中では大神神社の主祭神を園神とし、配神2神を韓神として特別に祀って居た訳です。


    (以上、出典は主に広辞苑です)

【参考文献】
△1:『別冊歴史読本 日本「神社」総覧』(新人物往来社編・発行)。






△5:『古事記』(倉野憲司校注、岩波文庫)。



△7:『少彦名命の研究 民族と歴史(大正10年1月発行)』(喜田貞吉著、民族と歴史編輯所編、日本学術普及會)。


●関連リンク


御幸森天神宮や田島神社の記事▼
猪甘津の橋と猪飼野今昔(The oldest bridge and Ikaino, Osaka)

露天神社の記事▼
[人形浄瑠璃巡り#2]露天神([Puppet Joruri 2] Tsuyu-tenjin, Osaka)



案山子(かかし)について▼
初歩的な神道の神々(The gods of rudimentary Shinto)




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