仮面について

Sur Les Masques

 

 

 

 

 

読者に

《仮面について》のレポートおよびエセーは、長い間日本の政治とジャーナリズムの権力から黙殺されている。日本人の知性にとって理解しやすい研究でないとしても、そのような陰険な反応は表現の自由と幸福追求という普遍的な権利を尊重しない精神風土に根があるという単純なことを、ぼくは理解させたい。《仮面について》の批評なんてことは、考えなくていい。

作品は反抗する。日本人が読むことをあらかじめ拒否する。受け入れられるのは、自由に生きるために明快な考え方を見つけようとする若い人たちだけである。

 

長谷川喜作

仮面について

 

Essai : プロローグ

仮面の起源

仮面の可能性

Essai : 1        

   スワイフウェ仮面と言語的表象

     仮面を付けた人物の墓碑柱

理想的な表現

Essai : 2        

                   銅のテーマ~米代川劇場の顔見せ興行

                    クウェクウェ仮面の赤い舌

向かい合う仮面

銅と太陽のアナロジー

黒・白・赤、1;5

Essai : 3

                                                      

    

 

                        

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 

 

 

 [先にレポートを読む]

  

 

 

 

 

Report 1

 

 


                                                         

   

 

         HHJ 812 VOL.20

不思議な源流

87(土曜日)青空。薄雲がところどころに見える。撮影担当の工藤君が抱負を語る。〈川の流れと一体化して〉という監督の言葉に答えて。

―水の分子を撮りたい。

 午前720分、小型のワゴン(4WD)で大館を出発。小坂・大湯回りで花輪の北の峠を越える。車で走れるルートではいちばん急勾配だ。舗装していない林道へ入ると、瀬ノ沢川の緩やかな上流に沿って進む。約6kmで終着の沼のほとり。5日の下見で、そこから先は川の中のルートだと分かっていた。蒙雨で道路が削られていなかったら、もう少し先へ進めたに違いない。トランシーバーの点検をしてから、運転兼後方支援兼アドバイザーの鵜川君と、1時間後に最初の連絡をしてずっとトランシーバーを開いたままにすると打ち合わせした。往復少なくとも3時間はかかるだろう。食事は戻ってから、と鵜川君に言って、撮影班の2人(工藤忠と長谷川)は、リュックを背負って軽やかな足取りで出発。広い川原を行くと、まもなく流れの中に嵌まったジープの残骸に行き当たる。コンクリートの大きな破片を見て、疑問が湧く…投棄されたものか、上流から流れたものか?角が磨り減っているので、かなり古い。その疑問はすぐに解けた。驚いたことに、川の流れに沿ってコンクリートの舗装道路があったのだ。今は流れに沈んで川底になっていたり割れて砕けて川の砂利に紛れたり…

―何のために作ったのかな?

―立派すぎるな。

 乗用車が通れる幅だ。上流の方に、鉱山があったのだろうか?

トランシーバーで最初の連絡を試みる。雑音だけで何も聞こえない。意味不明の他人の話し声が響くが、諦めてスイッチを切る。心配をかけたくないが、仕方がない。さらに歩いて行くと、水の流れが白くなってうねる狭い滝が見えた。岩の横にコンクリートの舗装道路が昔の状態で残っている。短いが、遊歩道のような景観だ。

 それを過ぎると、薄い灰色の空が広がる明るい川原に出る。土の道路の向こうに、鉱山のボタ山のような黒ずんだ丘。精練した後の廃棄物だろう。登ってみると、向こうに川の合流点が見えた。左に進めば、いよいよ水源だ。地図には、水源の上部に続くなだらかな道が載っているが、予備知識を得たいので、あえて沢を歩く。

 比較的通りやすい沢だ。水源に近づくにつれて、細く緩やかな滝になる。1220分、約3時間でやっと清流が尽きる地点に辿り着いた。滝の途中の岩の間から水が音もなく泌み出ている。厳粛な気分になって、撮影開始。カメラマンの自主性と創意を重んじて、ぼくは細かな指示はほとんど出さなかった。午後415分、予定より大幅に遅れて沼に戻った。鵜川君がかなり心配しながら食事もしないで待っていた。2時頃、40分ほど上に行ってみたそうだ。飲物もそのままなので、ぼくは呆れるやら感心するやら…

 瀬ノ沢川は全般的に川底が美しい。形と色彩の変化に富み、透明な水さえも鉱物的な印象を与える。北秋田の自然を反映していると言えるだろう。

 

米代川ドキュメンタリーの水源地帯を見る

▼ RIVER COLLECTION 1

白い泡

 

 

 

 

 

 


       

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

88(日曜日)薄曇り。秋の涼しさ。ゴムボートに乗って、沼の中の撮影から始める。杉と雑木の枯れ林が粛然とした想いに誘う。ワゴンで移動しながら、チェック・ポイントを撮るので、仕事は楽だ。まもなくドキュメンタリーの出演希望者男女3名が現れる。打ち合わせ通り、ではない。初の人間登場に、カメラマンは興奮気味。後で美人に迫って、本性を露呈する。昨日の緊張感が欠けていたせいか、ぼくは流れの中で不注意に玉石に上がって転倒した。後ろが濡れたが、夏なので、むしろいい気持ちだ。笑えるハプニングは、裏話を楽しくする。

 しかし、水の透明度は次第に落ちてゆく。県境を越えた最初の橋(龍神橋)で、下見のときと昨日目撃した茶色の濁流を撮影しようとした、が、きれいな水だ。日曜日なので、廃水を流している施設が休みなのだ、と思い当たる。山のどの辺にあるのか、分からない。出口らしい物を探したが、見つからなかった。途中見た崖の上のパイプかな…迂闊だった。

 花輪鉱山の廃墟の前の川原で、陽気な昼食。環境破壊的なお喋り。午後も快調に飛ばそう。

 のどかな田園地帯を通って、民家と風景を撮る。川の水は濁っている。流れの近くに、平然とゴミが捨てられている。米代川本流の始点に降りると、水面から1mぐらいの高さの木の枝に幾つもゴミが引っ掛かっていた。いよいよ人間社会の喧騒と俗塵ヘ入る。米代川の上を蛇行する高速道路を撮影して行く。現代の象徴への批判か機能と自然との構図ヘの感嘆か、イマージュの新鮮さに言葉がない場面もあった。しかし、湯瀬の手前で新しい吊り橋を撮影中に不意にヴィデオ・カメラが故障して、終わり。参ったなあ。最終日はいつになることやら…修理が済むのは月末らしい。

 

 

HHJ 914 VOL.21

長谷川監督、若いカメラマンに民話を語って聞かせること

96日(月)台風を警戒して、4日の撮影は出発直前に中止した。天気が予期したほど崩れなかったので、少し残念な気がした。予定通りなら、今日は日本海まで行けるはずだったのだ。しかし、快晴に恵まれて、ブルースを流しながら撮影に向かう。

 最初に第2回撮影で撮り残した現場。花輪鉱山の採掘場があった辺り、白樺の林を通って川に行くと、水を流しているパイプが崖の中腹に見えた。この問は気がつかなかったが、丸太組みの廃坑の出入り口から延びている。帰りに花輪鉱山の事務所に寄って、瀬ノ沢川上流の歴史などについて質問しようと思った。鉱滓の中和のため職員がいるはずだ。が、あいにくきれいに磨いた純白の自動車があるだけだった。近くの山の沈殿池に登って毒々しさを丹念に撮る。それから、やっと第3回撮影の開始。カメラが壊れた佐比内(さっぴない)の新しい吊り橋から。                                           

館市(たていち)の村を通り抜けて、八幡平の頂上付近から流れる兄川との合流点を撮影する。堆肥を溜める巨大な建物の側にワゴンを停めて、そこの親爺さんに、畑の向こうが合流点ですか、と尋ねた。んだ、と秋田弁と同じ返事。臭気に追われて、さっさと川へ逃げる。兄川も米代川に優るとも劣らない流量で、そのうえ渓流のような流れだ。米代川は沼の静けさ。県境を過ぎると、古い木造の吊り橋。道路の向かいにあるドライブ・インで観光案内の看板を見ると、現在地に《だんぶり長者》と書いてある。花輪の伝説だと思っていたので、店の人に訊いた。         

―何か跡が残ってるんですか?

―別に。何もないですよ。

中年の男の人が答えた。確かめたわけじゃないが、夫婦で経営している様子だ。店の前に停まった3台の長距離トラックの運転手と連れ達が、昼食を取っていた。たぶん常連だろう。見慣れない顔だな、という表情が並んだ。

―だんぶりってのは、昔の言葉で、トンボのことだよ。

 ぼくは工藤君に言って、だんぶり長者の伝説を語って聞かせた。

―むかしむかし米代川を源流から日本海までヴィデオでドキュメンタリーを撮ろうという、馬鹿者が、いや若者が、あったそうじゃ。友達を誘って、山奥深く入って行くと、トンボが泉に導いてくれたんじゃよ。飲んでみると、それは何とサッポロビールでな。若者は、ビールが嫌いなもんで、隣の泉を見たら、これはウォッカじゃったのだよ、まったく。それを里の人達や都の人に売って、大儲けしたっていう話だ。大した賑わいだったらしくて、な、長者の屋敷から出る米の研ぎ汁で川が白く濁るほどじゃった。だから、昔は米白川と書いたものだよ。今も二ツ井に、米白橋という名前で残っとるよ。

―ぼくも、NHKの大河ドラマで見ましたよ。

 冗談はさて置いて、撮影班は、少し先の壊れた橋を写して、その近くで昼食を取った。橋は、右岸の手前で途切れて渡れない。道路だったと思うが、向こうは断崖絶壁で、行き止まり。橋の上には雑草や低い木が伸びている。ぼくは、工藤君に映画を作るようになった時期ときっかけを訊いた。

―大学生の頃。高校の時、銀映に名画座があって、フェリーニ(Federico Felini)の《甘い生活》を見て、ぼくも映画を作りたいと思ったんです。ストーリーはあるようなないような映画ですね。

―あれは見てないけど、有名だな。ぼくが好きなのは、《フェニリーニのローマ》。監督みずから映画の中に出て、制作している映画について喋る。何気ないシーンに、妙な、心に訴えるものがあるんだな。

―《甘い生活》の後ですね、フェリーニがだんだん前衛的になるのは。

―イタリア人らしく、おおらかな作り方をすると思うね。フランスの前衛映画に較べれば。アラン・レネ(Alain Resnais)なんかは、理論的に細かく計算して不純物を排除するようなところがある。

―やはり国民性が出てるな。イタリア人は陽気でお喋りですよ、本当に。

工藤君はヨーロッパとアジアを旅行したことがあるので、少し熱の入った口調になった。ぼくも、ベネチアでの経験を想い出して、でも重厚な人間もいるよ、と言った。

―建物と同じように堂々とした感じを受けるんだ。人間と創造物は別々じゃない。

それから、どういうわけかドン・キホーテの話になった。そう、工藤君が兄川との合流点を撮影しているとき、レコンキスタという言葉が思い浮かんだと言ったからだ。

―レコンキスタっていうのは、カスティラ王国のイザベル女王が、(夫のアラゴン王とスペイン王国という統一国家を作って)イベリア半島を支配してるアラビア人を征服した運動のことだろう。グラナダ王国が最後のアラビア人の国家だった。グラナダは良かったか? 

―ええ。

―スペイン人も面白いな。夢見がちで、ね。ドン・キホーテを読んだことがあるか?あれは凄い小説だよ、現代的な。16世紀の小説とは思えないくらいだ。読んでみるといいよ。ドン・キホーテは昔の騎士道物語に熱中して、自分で騎士の真似をして旅に出るんだが、現実はもうそんな時代じゃない。おかしな行動ばかりして、さんざんな目に遭う。確かに狂気に囚われてる。しかし、世の中の人間よりもずっと真実らしいことを言ったりする。現実主義者のサンチョもかなわないほど。続編になると、《ドン・キホーテ》の偽の続編が出て、主人公を悩ませる。環代の前衛小説みたいなところがあるよ。                

セルバンテス(Miguel de Cervantes Saavedra)は、物語とは何か考えた最初の作家かもしれない。書くことについての自覚、人間と社会についての深い洞察力…それは小説の複雑な構造と密接に係わっている。  

 

幸福な民話の解読の試み 

いよいよ湯瀬渓谷に入る。湯瀬温泉は簡単に撮影するつもりだったが、プロムナードの下に魚が群れていたのと三菱マテリアル碇発電所へ行く水路が山側にあるので、少し時間をかけた。それから先の渓谷は接近するのが難しく、いい絵を撮るのは半分諦めていた。だが、高速道路の笹の渡しトンネルの下で、右へ、つまり渓谷へ入る砂利道が見つかった。花輪線の鉄橋をくぐって行くと、まもなく整備されたプロムナードがあり、目が眩むような谷底へ歩いて降りる。といっても、途中までしか行かれないが、水の流れのダイナミックな彫刻、女性的な岩肌、吸い込まれそうな静かな青緑色の藍桶(あいごが)など、獅子ケ淵の迫力ある美しさを撮影できた。プロムナードの終点は、石積みの円柱の鉄橋とその向こうに聳える高速道路のアーチ型の橋だ。下を歩きながら、ぼくは感嘆して言った。

―これはアーチ型である必然性はないな。たぶん垂直の柱でもよかっただろう。渓谷との調和を考えて、設計したに違いない。

 しかし、ぼくは時代を超えて屹立する茶色い石の円柱の方に魅力を感じた。素材だけを問題にすれば、コンクリートは石よりもはるかに非触覚的で、したがって冷たい人工的な印象を強める。時として、それは権力の得体の知れない面を象徴することがある。湯瀬渓谷では、地図を見れば一目瞭然だが、高速道路と国道と鉄道と米代川が重層的に縺れ合いながら蛇行して、独特の景観を形作っている。

それは歴史の重層性でもあって、川だけが流れていた古代から数知れない日常の出来事や物語が織りなされてきたに違いない。ぼくは獅子ヶ淵の外れで坐倒岩と名付けられた巨岩に気づいた。座頭と言えば、江戸時代の盲目の按摩のことである。実際、崖の細道を岩に縋って伝い歩くほど危険なところだ。歌舞伎に、ちょうど似たような場所で座頭が殺人事件を起こすという時事的な芝居があった。探せば、民話や伝説の形で残っている出来事が見つかるかもしれない。その出来事は、ありのままに表現することを禁じられているとき、隠喩などのレトリックで仮装する。

だんぶり長者がトンボに教えられた酒の泉とは、本当は何だったのか?

 あまりにも身近な民話について、ぼくは今やっと歴史的背景を考える気になった。酒が自然の中から湧くはずがない。仮に酒を売っても、儲けは多寡が知れていよう。それに原料の米の生産も平安時代(?)は少なかったはずだ。地下資瀕の豊富な地方だから、鉱物資瀕(金・銀・銅・鉄など)を掘り当てたのじゃないか…この地方では珍しくない出来事だ。しかし、清酒か濁り酒か分からないが、酒の泉と変えて言い伝える必要があるだろうか?人々は、直接はっきり言い表わせば生活を脅かされるからこそ、だが、それゆえになおさら、さりげない虚構の形式で真実を伝えざるを得なかった。つまり、鉱害の発生である。米代川が鉱毒で汚染されたのだ…鉱山経営者だんぶり長者は、どうしただろうか、確か公家の娘を妻に迎えて京の都と深い関係のある彼は?こういう場合、支配階級の反応は昔も今も同じようだ。因果関係の否認、無視、口封じ…農民とその他の民衆は鉱毒の恐怖ばかりか権力の恐怖にも堪えなければならなかったかもしれない。これは仮説にすぎない。しかし、今日の午後、ぼくは瀬ノ沢川の源流付近に関する情報と資料を得るために電話で十和田営林署に問い合わせると、白のイメージの意外な暗合に気づいた。

―精練した残りを捨てたところから上流へ行くと、山崩れを防ぐコンクリートの壁が川沿いにあって、その上を仰ぐと、人工的な赤茶けた地肌が見える。壁に排水溝が出ていて、水が流れ落ちてるけれど、そのせいか、沢の流れが接したコンクリートは漂白されたように白く、白い泡が浮かんでるんですよ。

―そうですか。昔、硫黄を採ったという話を聞いたことがありますが、ね。

―硫黄?それが白くするんですか?

 彼は自信がなさそうで、花輪鉱山の事務所で聞けばいい、と職員の名前を出した。

 米白川とは、どういう意味なのか、自然に答が浮かび上がってくる。硫黄は化学の発展する近代までほとんど使用されなかった。米の研ぎ汁は金属が精練された後の硫黄を含んだ鉱滓のことだろう。それが、川に流れて白く染めた…?

渓谷を抜けて鹿角の広い空と田園を眺めると、撮影班は自由を取り戻した気分でゆっくりと歩き回った。これからはもう難所はない。人がたくさん住む現代風の雑多な色彩がある街を遠くに見ながら、快く響く流れの音に揺られて行く…悲恋の錦木伝説のある辺りで、夕日が山の陰に落ちた。

 

 

 

 


左から流れてくるのが

米代川本流

小豆沢大日堂は

左側にある

 

 

 

 

;一部修正