仮面について 

Sur Les Masques

 

 

 

 


HHJ VOL.64 199810

P 12  13   P 14    ★ HHJ

              

 

 

理想的な表現A

                  ☆ツィムシアン族はスワイフウェ(クウェクウェ)仮面を持たなかった。大陸クワキウトル族の北方、レヴィ-ストロースの《仮面の道》の地図には領地が示されていないが、やはり仮面を持たなかった強大なアタパスカン族領地と隣接した海岸部に住んでいたようだ。この部族の神話は、銅の起源ばかりか銅金属と人間の関係の歴史を語っている。構造上の屈折で前編と後編に分ける。

前編…〈「光を帯びた」天来の貴公子が、嫉妬深い父親の監視を受ける首長の娘のところに現われた。〉〈次の晩、貴公子は彼女を迎えに奴隷を遺わしたが、彼女は貴公子と感違いして、その男に身を任せてしまった。貴公子は跛の妹の方に心を移し、彼女の痼疾を癒してやった。それから彼は銅の独占に成功し、奴隷だった男に復讐した。この金属は近づき難い山の頂にあったが、貴公子はそれを石投げ器で一撃のもとに落とした。銅はゆっくりと峡谷を滑り落ち、ばらばらに割れて現在の鉱脈となった。その後、貴公子と奴隷の男は釣りの競争で争った。貴公子はその奴隷を、頭を上げるたびにロから胃袋が飛び出す〈赤かさご〉に変えた。〉〈貴公子はまた義姉を〈青腹〉と呼ばれる種類のかさご、つまり「首長の娘であったが故に、魚のうちで最も華麗な魚に変えた。それから彼は、この間に嫁いでいた二人の娘を地上に残し、妻をともなって天に戻っていった。〉             

後編…〈ある日、姉娘は夫に、父親がスキーナ川上流に生んだ銅鉱脈のことを教えた。二人は探索隊を組んでそれを手に入れようとしたが、その企ては果たされなかった。というのも、二人は探索行を半ばで中止し、「馥郁たる香りを放つ木」を伐り出して売り拗く方を選んだのである。貴公子の娘とその夫はそれをなりわいとして裕福になった。/妹娘の方は夫を、銅に変わるという鮭を探しに行かせた。彼は見事に探し当てたが、その「生きている銅」の発散する毒気に当たって死んだ。そこで思いきってその銅を焼いてみると、鋳造技術としか我々には解釈の仕様がなさそうな発見がなされたのである。航海者や交易者によって帯銅がもたらされるまでは、天然の銅を鋸で挽いたり槌で叩くだけの太平洋岸のインディアンにはこの技術が知られていないとされているだけに、この話は猶さら不可解なのである。いずれにせよ、貴公子は地上に再び降りて来て、娘婿を生き返らせた。貴公子は「生きた銅」が危険であることを教え、彼の言葉によれば、「生きている銅を殺し、貴重な物に変える」ことのできる唯一者たる彼の娘の夫とその子孫を除いて、銅の使用を禁じた。実際彼は、彼らに有毒な煙から身を守る術を授けたのである。この知識のお蔭で、二人は思いも寄らぬほど裕福になった。〉

 

 カサコ(笠子)

北海道からフィリピンまで分布する温帯性の磯魚で岩礁の間に潜む、と小学館の百科事典にはある。レヴィ-ストロースはこう補足する。〈専門家の証言によれば、その魚は水から揚げられると、内臓が口腔まで上がってしまう。すなわちスクアミシュ族の言うように、赤かさごは「内と外とが裏返しになる」のである。〉

アウトドアのBEPAL誌は同じ特徴の魚を載せたルポルタージュで、内臓が出る原因を気圧の関係だと述べている。

 

 

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仮面について 

Sur Les Masques

 

 

 

 

 


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他の神話・伝説と違って、この部族の言語的表現はきわめて完成度の高い自立性を持っている。前編と後編は相似的な関係とある種の対立で構成されているので、歴史的な事実に近い後編のストーリーは過去の神話的表現の解釈を可能にする。両方の特徴的な要素を表にしてみると、非現実的な神話の中に何が表現されているのかが鮮明に浮かび上がるだろう。それは原始的な製錬による銅生産の挫折である。銅鉱脈の発見後に貴公子と奴隷が魚釣りで競争するのは、富の獲得に急に無関心になったからではあるまい。魚は銅(銅鉱石)とのダブル・イメージであって、それが引き起こした争いを暗示する。前号の考察から知れるように、魚釣りとは川の底に銅が天然銅か銅鉱石として存在したことから由来した言い回しではない。後編の〈銅に変わるという鮭〉という巧みな言語的表象は、リロエト族の墓碑柱の仮面に正確に対応するものだが、文脈から外れたこの奇妙な魚釣りに凝縮された象徴的な意味を開示している。採掘に始まる原始的な製錬の過程、そこから発生する猛毒の煙の恐怖、財産を築き上げるチャンス、魚が有毒物質に汚染されて生活を脅かす危険性。争いの結果は悲惨だった。語り手の民衆は魚釣りに複雑な思いを抱いただろう。敗北した人間は再び亜硫酸ガス(二酸化硫黄SO2)の発生で猛烈に苦しむことになったのだ。亜硫酸ガスは硫黄と酸素の化合物で毒性が強く、空気中に0015%程度あっても、呼吸器官を痛め、0037%で生命が危険である1。専制国家でないかぎり、鉱山経営者の貴公子は働く労働者をやがて失ったはずである。

 後編は、貴公子の娘たちが成長して、放棄されていた銅鉱山を探しに行く物語である。姉と夫は途中で芳香を放つ木を発見して、それを売る商売で裕福になる。ほっと息をつかせるこの爽やかなエピソードは、銅生産による森林や環境の破壊を否定する自然と調和した生活への回帰と考えるべきだろうか?北米インディアンが森林破壊したという資料はないが、銅生産が大気を汚染するのは必然的である。木の芳香は傷ついた精神と神経の薬として役立ったかもしれない。現代でも香りのいいシーダー(スギ)・ヒバ・ヒノキは、ナチュラル・ライフの小道具である。この金属の存在が巻き起こす荒っぽい話と対照的な芳香を放つ植物のロマンは、錦木伝説で若者が贈り届ける五色の木の枝と長者伝説の芳醇な酒の泉に新たな視点を与えるように思える。

 

前編      神話的

後編     歴史的

◇貴公子の降臨

首長の娘姉妹

奴隷との対立

妹娘の治療と結婚

◇銅鉱脈発見(生成)

◇貴公子と奴隷の魚釣り競争

(原始的製錬)

(ガスの臭気)

奴隷→赤かさご (中毒)

姉→青かさご (転身)

(製錬の挫折)

◇貴公子と妻、天上に帰還

◇貴公子の娘姉妹

成長(時の経過)

◇銅鉱脈の探索

姉娘と夫…香りの木の発見と商い

裕福な結末

妹娘と夫…銅に変わる鮭の発見

夫→中毒死 (煙害)

銅の鋳造

◇貴公子の再登場

妹娘の夫の蘇生 銅使用の特権化

煙から身を守る術の伝授

幸福な結末

 

1 小学館の日本大百科事典より

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◇ プロローグ

1    仮面の起源

2        仮面の可能性

 

◇ 第1

1        スワイフウェ仮面の言語的表象

2        仮面を付けた人物の墓碑柱

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

仮面について 

Sur Les Masques

 

 

 

 

 

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               理想的な表現B

                       ☆貴公子の妹娘の夫は〈銅に変わるという鮭〉を発見する。この言語的表象はリロ工卜族の墓碑柱に刻まれた仮面のダブル・イメージと対応する。その彫像と言語的表象が同じ部族に揃っていないのは、必ずしもレヴィ-ストロースが考えたように共通のメッセージの中に対立関係がある場合別の独自な可能性の選択をしたからということではない。出来事それ自体が極度の不安や恐怖その他のパトスを引き起こすとき、独自性の志向は決定的な要因とはならないだろう。表現の可能性を選ばせる、というよりもむしろそれを限定するのは、表わそうとする出来事(内容)に対する表現者の関係の仕方と表現者が生きている固有の環境世界である。リロエト族では不可解なカタストロフがそれについての言語表現をも廃墟同然にしてしまった。彫刻はその代わり死者を通して出来事を目の前で起きたかのように現代的なリアリズムの手法で再現しようと試みる。ツィムシアン族は出来事との間に客観的に距離を置くことができた。その理由は、因果関係の認識が恐怖心と妄想を抑制したこと、奴隷的な部族民に被害が多かったことにあるかもしれない。この神話の際立った特徴の一つは、〈天来の貴公子〉と〈奴隷〉という単語を使って階級的な対立を鮮明にしていることである。

 これは〈仮面の可能性〉で考察したクワキウトル族のクウェクウェ仮面とゾノクワ仮面の否定的間係に似ている。人類学者がツィムシアン族の神話をアカカサゴの追跡線から切り抜いたのは、あの恐れられる嫌な性格の仮面クウェクウェの項でだった。純白の顔、真っ赤な唇と舌、黒い毛髪と髭というコントラストの強い赤・黒・白の配色はパトスを揺さぶるナチスの旗と同じ配色で、しかも、赤銅色の皮膚のインディアンとは対照的に普段の表情なら白人の貴族のように見えなくもない容貌だ。後編における人類学者の疑問を尊重するからには、この配色は無視するわけにはいかない。鹿角の伝説では何もないような白い色の中に重要な秘密が隠れていたのを見た。現代芸術と反対に、一般に近代以前の人間は色と形に特定の意味を込めて創造する。しかし、ともあれ、日の前の問題を片付けることにしよう。

墓碑柱と神話の詩的な表象は、同じ一つの現象を描いたように思えるが、実はこの対応的な類似性には重要な違いがある。彫像のタブル・イメージは、鱗のある魚と銅(銅鉱石)の同一性を明らかにして〈この魚は水中の有毒物質に侵されていた〉という解釈を成り立たせた。一方墓碑柱から明らかになった〈銅に変わるという鮭〉の表現は、と言えば、

     

 

クウェクウェ仮面

 

             ゾノクワ仮面

 

仮面の道

レヴィ-ストロース

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

仮面について 

Sur Les Masques

 

 

 

 

 

 

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これは表面的には漁業資源としての鮭が富に変化することを意味するが、同時にその鱗のある魚は金属的な塊の銅鉱石のメタフォール(隠喩)であって銅に変化する過程で危険なガスを発散することをも言い表わしている。妹娘の夫はそのことを知らなかったために〈生きている銅〉の発散する毒気に当たって死ぬ。〈生きている銅〉とは、《仮面の道》の記述では天然銅と推定しているが、貴公子が犠牲者を蘇らせて〈有毒な煙から身を守る術〉を教えたとあるのだから、多かれ少なかれ銅を含んだ鉱石を焼いてガスを発生させたと捉えるのが自然だろう。天然銅だったとしても、その可能性は十分にある。これについては、《銅の文化史》に参考になる一節がある。〈(708年日本で最初に秩父で発見された)和銅は"にぎあかね"と呼ばれ、日本の鉱山には、むしろ珍しい自然銅であり、これとの出会いは当時の技術面からいっても幸運の一言に尽きる。ある資料では、銅の含有比90%に近い良鉱だったと言われる。〉不純物を除去して天然銅の輝きと柔軟性を高めるために木を燃やして原始的な精練を試みたとき、硫黄が含まれていたとすれば、銅鉱石の製錬の場合と同じことが起きたに違いない。硫黄はほとんどの金属と化合して存在する、融点が112.8Cと非常に低い物質である。銅は融点1083Cなので、普通の燃焼では溶けないが、純度はある程度高まる。これは、五大湖のスペリオル湖畔で紀元前30世紀から8世紀まで続いた謎の銅文明が語りかけることではないだろうか?紀元前30世紀と言えば、メソポタミアとエジプトに文明が輝き出した頃である。17世紀にヨーロッパ人がそこで発見したのは広大な銅採掘の跡で、一万個所もの立抗があった。採掘量はおよそ2300トン。人力と労働時間に換算すれば、だいたい1000人×1000年の規模だという。〈十分な技術にはほど遠いとしても、巨大な銅鉱岩の上でさかんに火を焚き、焼けた石に冷水をかけてヒビ割れを起こさせるなどのことはやったらしい。〉製錬技術は加熱と鍛造の域を出なかった。ミステリーは、この集団が原始インディアンかどうかはっきりしないこと、何に使用されたか分からないこと、〈今にも再び帰ってくる〉ような気配が坑内に残っていること、だという。《仮面の道》は、北部アタパスカン系のデネ族がその末裔で気象条件の急変による環境の変化が移住の原因だろうと推測している。神話の内容と構造からすれば、リロエト族やツィムシアン族も無関係ではない。そして、カタストロフは鉱害と森林の伐採が引き起こしたという可能性も否定できない。天然銅の採掘とはいえ、硫黄を多量に含んだ黄銅鉱や黄鉄鉱などの未知の鉱石を好奇心から迂闊に焼いてしまったというケースも考えられる。人間は試行錯誤で発展した生き物なのだ。

 ところで、人類学者が不思議がる鋳造は現実にはありえなかったことだろうか?銅の溶融は、近代技術以前に可能だったかどうか…藤野明の《銅の文化史》には、古代ベルシアにおける粗銅の製錬は燃料の薪と火勢を強化コントロールする鞴(ふいご)の技術で行なわれたとある。良質の鉱石なら、〈一発勝負でも〉90%以上の品位の粗銅が得ら

 

 

 

 

 

 

 

 

 

1 特に注記がないかぎり、科学関連の引用は小学館の日本大百科事典から。

 

■ 黄銅鉱〔CFeS2

黄鉄鉱についで最も産出がありふれた金属鉱物。銅の鉱石として最重要なもの。銅と鉄の硫化物。真鍮色に美しく輝き、金や黄鉄鉱と間違えやすい。水・空気・炭酸ガスの作用で別の銅鉱石に変化する。例、孔雀石。藍銅鉱。表面が黒色や紫色に変化しやすい1

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

仮面について 

Sur Les Masques

 

 

 

 

 

P 16 17  P 18

 

 

れたようだ。しかし、その過程は、《日本鉱山史の研究》から江戸時代の別子銅山の製錬の例を取って類推するしかない1。この方注は南蛮渡来のものらしく、それ以前の銅精練技術は記録にない。まず最初に銅鉱石を鉄槌で砕き石の分を捨て、板石を積んで箱形にした焼釜に薪と銅鉱石を交互に積み上げる。銅鉱石に対する薪の量は3割から5割で、筵・萱(カヤ)・藁の類で覆っておよそ30日間焼く。この段階で酸化した硫黄分が、どれくらいの量か分からないが、亜硫酸ガス〈2酸化硫黄SO2)となる。現代の工程では空気を送り込み、硫黄分を半分ほど除去する。次に硫黄分の減った鉱石を半円形の穴に入れて上部に炉を築き、煙突を付けて炉の裏に風通しの穴を開け、鞴(ふいご)の送風装置を付ける。炉の中に木炭を入れて鉱石を置き、溶剤として珪石を加えて溶解する。現代の工程では溶剤に珪酸鉱・石灰石を用いる。溶剤と化合した不純物のどぶ(珪酸鉄)は軽いため上部の溝から外に流れ出る。水を打ってカワ(硫化銅)を剥ぎ取ると、底に粗銅が残る。硫化銅は真吹床でさらに珪石を加えて木炭と鞴で溶かし粗銅にする。鉱山で作られた粗銅は一般的に金や銀を含み、大阪の町に送られてヨーロッパヘの輸出用にさらに純度の高い精練が行なわれた。町の空気が汚染されなかったか、と言うと、そうではなかったようだ。

 こうして見ると、北太平洋岸のインディアンは送風の道具さえ持っていれば、生命はともかく、銅鉱石から銅金属を取り出す製錬や鋳造が可能だった。資料がないので、これについてはいずれ考えることにしよう。

 レヴィ-ストロースは、鋳造と思われる行為を語った神話に首を傾げた。それがコロンブス以後にヨーロッパから伝えられた技術の模倣と伝承なら、不思議はないが、そうとは認められないということである。他の箇所でスワイフウェ仮面の存在と伝播について、彼は漠然とこう語っている。〈土地の伝承が暗示しているより遥かに古い時代に遡るだろう〉〈銅板や仮面に先立ってその精神が存在していたと考えるに充分なものをそれらは保存している〉仮面といくらか似た機能を持つ形の銅板はヨーロッパ産の銅を使用したものだが、仮面は神話などの物語が確立する前の非常に古い形態を伝えているという。その精神、つまり仮面を創造しようとする精神は、環境世界との関係を通して形成されたものである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

1 小葉田淳 著 この工程は泉屋(住友)が刊行した《鼓銅図録》による。

 

 

 

 

 

花輪鉱山

選鉱系統図

 

秋田鉱山誌

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

仮面について 

Sur Les Masques

 

 

 

 

 

P 1718  P 19

《銅の文化史》の著者は有機化学者だが、先の引用に続いて、こんな奇妙なことを述べている。〈在来品の鋳つぶしで銅材料を補給していた仏師や鍛冶工たちが首を長くして待ち望んでいたものであったろう。しかし、この自然銅の発見より前に鉱石から製錬した銅を取りだした人がいたかもしれない。わが国なら、おそらく赤銅鉱(キュプライト)か、硫批銅鉱(エナルガイト)などの原鉱石でこのことが起こっただろう。「銅鉱石を高熱処理すると金属銅に変わる」という太古の西アジア・ベルシア人の製錬に似たような発見が、現実に日本でもあったという可能性を、誰が否定しきれるだろうか。〉専門家のこの熱いっぽい想像は、人類学者の当惑と偶然にも呼応する。どちらも伝えられた歴史・神話と〈事実〉の間に断層が存在すると考えている。だが、これはツィムシアン族の神話に構造上の屈折が起きて時間的に前編と後編の2部構成に分かれたことの理由が明らかにしてくれる。銅製錬の試みと挫折。その経験という型から作られたのは〈ある精神〉だった、と言うべきか‥いずれにしても、日本人もやはり恐怖の前編を歴史として認めることを拒んだ疑いがある。尾去沢鉱山の始まりが和銅元年(708年)という伝記的な説と慶長4年(1599年)という歴史に記された定説の二つあるのは、米代川ドキュメンタリー撮影の時から疑問に思っていたことだが、ツィムシアン族と同じような出来事がそこでも起きたこいうことの残滓であると見るべきだろう。

こういう例は日本各地に見出だされるに違いない。鉱山が開かれる前に流布した民話が鉱害伝説であるという矛盾は、矛盾ではない。だんぶり長者の伝説は鹿角市史によれば鉱山が開かれる前の室町時代にはすでに成立していたとされる。物語が尾去沢の少し上流小豆沢(あずきさわ)の大日堂縁起に記されたのは継体17年(523年)と伝えられる。実際の建立は平安時代後期の10世紀から11世紀の間だという。先に鉱害を織り込んだ伝説があっても、おかしくない。

 鹿角の伝説は、ツィムシアン族の神話の後編に当たる。現代の語り手と聞き手は、酒の泉(霊泉)発見のストーリーに対して植物のロマンという自然環境保護的な意識を持たない。鉱山が引き起こす忌まわしい病気や災いへのアンチ・テーゼという意味が、鹿角の伝説では酒が薬としての効果もあったという以外はほとんど消失してしまっているから。とはいえ、伝説の成立時期が鹿角・大館地方に稲作が定着した飛鳥・奈良時代(7世期から9世紀前半)か鹿角市史の言う室町時代以前だとすれば、酒飲みを愉快な気分にする言葉はメッセージ(意味内容)を反転させる。清酒は室町時代に入ってから作られ、それまでは白い濁り酒を飲んでいた1。つまり、この白いアルコールは石灰水(水酸化カルシウムの水溶液)のメタフォールとなって米代川に注ぎ、米のとぎ汁と合流することで鉱害の意味を強めたのである。酒の泉と米のとぎ汁という表象を結び付けるのは白い色だが、現実のイメージとしては例えば八幡平の後生掛(ごしょうがけ)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

1        江戸時代までは貴族さえも玄米を食べていた。

2        シュールレアリスムの小説《円形彷徨》より。

ダブル・イメージ2

             酒の泉          

               

温泉                                   舌

(→治療)                                

 

だんぶり長者の伝説        ツィムシアン族の神話・リロエト族の墓碑柱

香りの木

米のとぎ汁

(→疾患)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

仮面について 

Sur Les Masques

 

 

 

 

 

P 18 19  P 20

温泉のような硫黄分を含んだ乳白色の温泉だっただろう。白い色は、アルカリ性の強い消石灰(CaOH2水酸化カルシウム)から生じる。しかし、鹿角の伝鋭では大日如来の夢のお告げが主人公夫婦に上流で金剛の恵みがあると教えるだけで、貴い金属(金・銀・銅)の発見と製錬はストーリーの表面に出るここはない。代わりに米と鉱物資源という社会的に対立しがちな産物の混合飲料が合法的に作られてしまう。酒と鉱害は農漁業を中心とした住民に相反する情念を引き起こすが、ダブル・イメージとして見れば、この伝説は病を癒す湯煙に鉱物資源の忌まわしい出来事とそれから憧憬的に生じた植物のロマンを二重写しで展開させている。過去と現在が同時に流れ、そして、主人公たちはツィムシアン族の神話の後編で二組の夫婦が担う対対照な役割の明るく幸運な局面をそれとなく両方演じている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

仮面について 

Sur Les Masques

 

 

 

 

 

P 19 20  P 21

 

 

理想的な表現[C

              ☆北太平洋岸の貴公子に語を戻そう。彼は天から再び降りて来て、〈生きている銅〉の毒で死んだ妹娘の夫を蘇らせる。それから、どこか先進地で銅製錬の科学的な知識を学んだか新技術をみずから開発したということなのか、〈有害な煙から身を守る術〉を授ける。この方法が呪術だとしたら、何度試みても、結果は惨憺たるものだ。ありえたかもしれない可能性としては、まず石と土で固めた焼釜あるいは炉の創設だろう。この存在を暗示する例はスワイフウェとクウェクウェの神話・伝説群には全然現われない。製錬鉱害の犠牲者の顔としか見えないクワキウトル族の鬼女ゾノクワの項で、《仮面の道》は神聖儀礼の一場面をこう書き留める。〈しかし彼女は睡魔に襲われて踊ることができず炉を回りながら道順を誤って、よろめき倒れる。〉サリシュ系コモクス族とクワキウトル系ヌートカ族の伝説には、鬼女が略奪した子どもを焼いて料理するときに〈かまど〉や〈炉〉という単語が出てくる。〈かまど〉や〈炉〉という木造家屋の生活を支える中心的な道具は、寒い土地だから、雑なものではなかっただろう。それから製錬用の炉を発想するのは簡単なことだ。銅生産をほぼ独占していたアタパスカン族の隣地に住むトリンギット族の神話には、炉を使った銅製錬の過程を盗み見たかのようなストーリーがある。主人公は父親(太陽の息子)が残した銅製の舟を見つけ、細かく切って、〈掘立小屋の木の枝の下に、その銅板で銅の家を建てた。〉〈その家は、木の枝のカムフラ−ジュを取り除けるや、余りにも鮮やかな光輝を放っていたので、近付いた人々は、皆一斉にたじたじとなったほどであった。〉クワキウトル系のテナクタク族の神話はもう少し現実に接近したイメージで表現する。主人公の胃袋から生まれた子どもが潰瘍とかさぶたの原因は自分だと告げて、〈墳墓の上に拾い集めた針葉掛の葉から魚を創り出した。〉江戸時代の銅製錬から類推すると、木の枝や葉などの植物灰は銅鉱石を焼くとき亜硫酸ガスから酸素を奪う還元作用で毒性を弱める働きをしたと考えられる。陸上植物の灰の主成分は炭素と珪酸である。この複雑な問題についてはスワイフウェ仮面の造形に関する解釈でもう一度取り上げたい。ところで、煙突を取り付ければ、亜硫酸ガスを吸い込む危険性はさらに減ったはすだ。布で鼻と口を覆う必要もあっただろう。さらにリロ工卜族の死者の仮面はこんな想像をさせる、その長方形の仮面は本来は煙を吸わないためのマスクとして実用的に用いられた道具だったのじゃないか、と。そして、これは山田福男さんを触発してヘルメット型の伎楽面の起源を考えさせたが、ぼくは同じ型のギリシア悲劇面を想い出していた。

炉については、こういう記憶がある。若い頃見たパイプのパンフレットに喫煙の歴史が載っていて、パイプの原始的形態として低い崖を掘って造った炉が描かれていたのだ。炉口から流れ出る煙草の煙を吸っていたのは、もちろん北アメリカインディアンだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

1 四日市・死の海と闘う: 地元の漁師の証言。岩波新書

 

タコ焼き

天満天神の縁日や盛り場で昭和の初めから屋台に出ていた。阪神沿岸は昔からタコが豊富に取れる。なぜタコの形でタコの足の小片を入れるか?大阪には百日咳にかかったとき7本足のタコの絵をかまどの上に張るというお呪(まじな)いがある。治れば、8本足にしてタコの絵を川に流す。空の凧はイカと呼ぶが、どちらも水質汚染に最も敏感な生き物である1。タコ焼きは〈煙の都〉の魔除けだろう。                                 

                                                     ---複数の百科事典参考

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

仮面について 

Sur Les Masques

 

 

 

 

 

 

P 20 21  P 22

 

 

この皮肉な習慣はヨーロッパ人がインディアンから教わり、世界中に煙草を広めた。

19世紀と20世紀は工場の煤煙と汽車の煙、自動車の排気ガスが大気を汚し、都市の人々は健康への関心を高めたが、一方では喫煙が流行してファッションになった時代だった。これはある種の生物が周囲の環境に似せて体の色を変えることと大して違わない、精神の防御本能かもしれない。東京で暮らすまで長木川のそばで風邪と咳で苦しめられたぼくは、一言付け加える権利がある。煙草は、喉の不快感を軽減する薬みたいなものでもあった。

 錦木の伝説に移ると、ここにもやはり植物のロマンと有害な煙との闘いがある1。ツィムシアン族の神話は製錬作業者の生命だけを心配したが、錦木ではいわゆる公害がテーマである。五の宮が葬られた山から大鷲が襲来して幼児たちをさらい、里の人々はパニックに陥る。クウェクウェ(スワイフウェ)仮面とゾノクワ仮面との否定的関係と平行して、ゾノワワ神話が子どもの略奪を重要なモチーフにするように、錦木伝説は米代川上流の伝説が表向き語るのを拒んだ暗い反面を表現しようとする。大鷲は大気を汚染する有害な煙(亜硫酸ガス)のメタフォールであり、だんぶり長者の娘と継体天皇の皇子五の宮のメトニミー(換喩)である。幼児たちは有害な煙の犠牲者だったと考えるべきだろう。だから、機織りの娘は気管支炎や喘息などの呼吸器障害から子どもたちを救うために一生懸命に白鳥の羽を混ぜた麻の着物を織る。

 米代川上流に伝わる伝説と対比すれば、錦木伝説には図のようなタブル・イメージの形成が見られる。不滅のロマンになったダブル・イメージの実体については、説明が要る。日本の史に深入りするのは疎ましいが、93年に書いた〈色彩の暗合〉から引用すると、古事記の継体天皇の章にはわずか18行の中に〈色彩の文字が多いという非常に目立った特徴〉がある。廣国押建金日命(ヒロクニオシタケカネヒノミコト 目子郎女の御子)、手白髪命(タシラガノミコト 大后)、黒比賣(クロヒメ 后)、白坂活日子郎女(シラサカノイクヒコノイラツメ 黒比賣の御子)、赤比賣郎女(アカヒメノイラツメ 倭比賣の御子)、藍の御陵(みはか)。金・白・黒・白・赤・藍…〈この五色の色彩は、求愛に使われた錦木の五色と同じかどうか〉〈藍の色は植物の藍から作ったが、いずれにしても他の色は鉄資源と製鉄技術を持っていた継体天皇と結び付くようだ。というのも、硫黄は自然硫黄としてばかりでなく、鉄・銅・鉛・亜鉛などの金属と結合した硫化物(その中に金・銀も含まれる)としても多量に産出するが、この硫化物は、染料や漂白剤や顔料に用いられるからだ。…(略)…日本の古代においても鉱物性染料が使われていた。〉ぼくはそこで、麻組郎女(ヲクミノイラツメ 后)の麻を染料の色ではないという理由で除外した。しかし、この麻は狭布(せばぬの)の素材だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

     ダブル・イメージ

異質な二つの事物(=仮象)の同一性・類似・近接・可変・転化・移行を表わす。これが暗示する実体としての現象が、表現するイメージを限定する。

 

 

            五の宮                 五色の木の枝

煙害    →           継体天皇    →

 

            大鷲                  狭布

                                 (麻布)

実体(あるいは現象)

ダブル・イメージの形成

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

仮面について 

Sur Les Masques

 

 

 

 

 

P 21 22  P 23

白髪を水銀あるいは銀と見れば、金属の色および鉱物からできる無機質の色が5色揃って五色の木の枝にぴったりと照応する。求愛の印には、本来着色されない自然のままの5種類の木の枝が使われていた。大化改新の645年観音寺縁起の作者恵正(えしょう)法師は、現象を暗示するために自然の枝をあえて5色に染めたのだろう。この主題的な5色;1色の配合比は米代川上流の伝説では表面に出ないが、後の大日堂舞楽では大日如来と五大尊として舞台に登場する。それを認識していた作者は、五の宮を接点にして上流の伝説と相関的に下流の物語を展開したのである。ところで、古事記が述べる継体天皇の人生に現われる色彩と錦木伝説の色彩は、麻色の場合は明白に照応するが、数において一致する。これは、712年完成の古事記が錦木伝説から色彩の配合比を写し取った結果である。地方の伝説からストーリーを消し去ったこういう手法は、古事記の中に他に例がないだろう。しかし、記述のコンセプトは明快である。鉱物から色さまざまな金属と物質を取り出した驚異的な技術を応用して、天皇の画期的だが問題の多い銅製錬事業の象徹としたのだ1。その理由は繰り返さないが、象徴主義的なクウェクウェ仮面と共通の黒・白・赤の配色が古事記にもあることを記憶に留めたい。

錦木伝説のメッセージは、そんな風に下流地帯においては上流以上に植物のロマンが鉱物のロマンに汚染されていたことを広く後世に伝える。ロマンとは、ある事物が人間との関係で変化して潜在的な可能性を全体的に完成させようとする生命的な動きを言う。関係は現実的には行為や意識である。原始的な銅製錬は、長い間に錦木の里が位置する米代川と大湯川の合流地点およびその周辺の森林や植物にも致命的なダメージを与えたに違いない。鉄製錬でも、原料が砂鉄でなければ、同じ大気汚染を起こす。被害は幼児たちだけではない。山の木を刈って売る若者、幼児たちの親である農民と漁民、品質で人気の麻布を織る娘、里の住民すべてが生活の基盤を脅かされていたはずである。娘の父親の里長は〈おおみ〉という名前で近江を根拠地にした継体天皇の政権に従順だったことが仄めかされ、公害に反対する勇気はない。自然と健康を守るために反対運動を起こしたのは、みずから麻を栽培したかどうか知らないが、機織りの娘だった。しかし、若者は一度も言葉を交わしたことがない娘に機械的に求愛の印を贈りつづけるだけ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

1 720年完成の日本書紀は物語風の歴史的叙述で、后と子の名前から黒い色が消え、手白髪は手白香に変わる。鉱山と製錬の記述はなく、農業育成が語られる。

        大湯川                      ▲ 中岳

                            五の宮岳

               ★ 草木           ▲   平間田

        ★ 錦木      花輪   ★ 小豆沢大日堂    ★

                  ★

     米代川           尾去沢鉱山

 

注:錦木(ニシコホリ)という木はこの地方に豊富に自生して、木の灰が色素を定

着する媒染剤として柴根染めと茜染めに用いられていた。技法は奈良時代から伝わ

り、江戸時代には鹿角特産だった。---鹿角市史

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

仮面について 

Sur Les Masques

 

 

 

 

 

P 22 23  P 24

 

 

で、状況とまったく関係しない。一見不思議なことだが、そうして五の宮岳の大驚と草木の里の若者がそれぞれ合流地点に往還運動を繰り返すのは、抗争の表現だろう…柔弱な若者は娘を援護しようと望んだのかもしれない。だが、努力は空しかった。若者の憔悴と病死。娘の後追い自殺。そこには自然環境の悪化が生活を根こそぎ破壊してしまったという過酷な状況がある。

ともあれ、錦木の里の人々は大気汚染を語り伝え、尾去沢の対岸にある花輪の町の人々は水質汚染を語り伝えた。隣接するこの両地域(錦木と花輪・尾去沢)の対立を反映したと思われる。だが、米代川の水を白く濁らせた責任が尾去沢鉱山にあったと断定できるだろうか?だんぶり長者伝説の《白》流出源はどこだったのか?ダブル・イメージでは、温泉と鉱山は同じ地下資源の異なった現象である。大日堂緑起と民間に流布した異文は共通して1、酒の泉と言い表わす金属の鉱脈をどこで発見したか曖昧だ。大日堂縁起ではだんぶり長者の居住地は米代川の公式的な源流根石川のほとり平間田だが2、その辺で実際に見出だせる鉱脈は西方の瀬ノ沢川流域にある。この支流は米代川の源流の中て一番長く、水量も根石川とは比較にならないほど豊富で、遠い昔からつい最近まで中岳の水源からずっと下流まで宝の山に囲まれていた。後世の呼び名で言えば、不老倉(ふろくら)鉱山と花輪鉱山。長者屋敷に近い後者は右岸の元山の表層に石膏を多量に含み、伝説の《白》流出源だった可能性が強い。この鉱物の成分は生石灰と亜硫酸と水だが、自然のままでは水に溶けない。しかし、金属の採掘を古代人が試みたとき生石灰がどんな処理で分解したか、という疑問に囚われることはない。金・銀・銅などの鉱石は火山活動でグリーン・タフ(緑色凝灰岩)の鉱床に形成されるので、川に面した鉱石採掘場からは不断に凝灰岩の白濁した屑が泥とともに出る。あの白い泡を発生させた不老倉鉱山のある源流はアルカリ分が強く、廃水防止工事をした現在でも魚が住める環境ではないが、非現実的なほど透明な水である。こういう実際的な事実を集めると、伝説の《白》はある鉱害事件から作られた水質汚染全般の象徹であって、白い物質を指示するメタフォールではない。メッセージの真の意味は川の水が鉱山(鉱脈)から出る有害物質で汚されたということである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

1 日本の民話; 松谷みよこ 未来社

2日本の民話; 千葉三郎 世界文化社

隠蔽的なダブル・イメージ

 

過去(前半)                                  現在(後半)

 

                                  

                                                                  

                                                                 

                          

 

        

  

 [ツィムシアン神話の前編に該当する]        だんぶり長者伝説                   

 

鉱脈

             鉱山

           (→製錬)

鉱毒         

              

             酒の泉

温泉

(→治療)                 

 

           米のとぎ汁     

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

仮面について 

Sur Les Masques

 

 

 

 

 

 

P 23  24  P 25

 

 

要するに、鹿角地方は花輪も含めて被害地域だった。鉱毒排出源は一箇所でなく、錦木の人々の証言に従えば煙害の発生源である尾去沢でも当然開発が行なわれ、米代川には有害な鉱滓を垂れ流していた。亜硫酸ガスの靄は、そこに精錬所があることを明らかにする。だんぶり長者の伝説と民話が宝の在処を明確に語ることを避けたのは、鉱山開発者を祀る大日堂がすぐ上流に建てられることになったこの鉱山こそ言葉とイメージの核だったからに他ならない。根石川沿いに実在する地名は瀬ノ沢川の鉱石採掘場を暗示するものだが、一種のアリバイ工作である。焦点を山の向こうに移動した理由は近世の隠し鉱山のように利益の独占を妨害されたくないためではなく、畏怖の対象を直接言葉で表わすのを素朴な宗教心が恐れたからである。表現しないことは必ずしも対象を否定することではない。それでは、だんぶり長者伝鋭と尾去沢鉱山を結び付ける伝承が何も残されていないか、と言うと、ちゃんと大日堂舞楽と和銅元年発見の経緯を語る後世の伝説の中にある1。この二つに共通するのはただ獅子権現という不思議な存在だが、722年小豆沢大日堂再建の時に始まったと伝えられる舞楽で始源的な型の獅子頭を付けて舞う者は五の宮の化身である。獅子舞いの面は舞楽以前の伎楽から来ている。

 

 

1 鹿角市史

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


Atelier Half and Half