仮面について 

Sur Les Masques

 

 

 

 


HHJ VOL.80 20006

              

P 55   56   P 57   ★ HHJ

よい踊りを盗む [1

            

☆ニムキシュ族の首長がある日対岸のサリシュ系コモクス族の〈よい踊り〉つまリスワイフウェ踊りを盗もうと企む。首長の婿は弟にコモクス族を襲撃するよう説得する。弟はlOO人の強者を率いて舟で海を渡り、大陸が見えるところで雷鳴を聞いた。それはコモクス族が仮面をたたえて歌っている祭りで、戦士たちは上陸すると、踊り手の姿と天まで達する鷲の羽毛の雲を目撃した。コモクス族は踊りのあと戦士たちと饗宴を催した。新たに雷鳴が響いて〈羽根に覆われた黄土色の四つの仮面が板屋貝(ペクテン)に糸を通して作ったガラガラを手にして現われた。1〉首長はニムキシュ族に仮面一式を収めた箱と舞踊を踊る権利を贈った。

 クワキウトル系ニムキシュ族は、歴史的事実とだいたい一致していると言われるそんな伝説を伝える。このユーモア伝説には驚嘆させられる。まず第一に、仮面の踊リが盗まれて伝わる場合があるということだ。スワイフウェ仮面は婚姻の贈物として諸部族の特権階層に伝播するが、それに付随した踊りも物のように権利の対象と見なされる。ニムキシュ族はその権利を気前良く与えられて盗む必要がなくなった。戦ってまでも手に入れたいと望んだ〈よい踊り〉とは、猛毒の煙を無害なものにする銅製錬(精錬)の極秘技術であると考えていいだろう。次に、戦士たちが聞いた雷鳴とは踊り手が鳴らす板屋貝のガラガラに他ならない。《仮面の道》でレヴィ-ストロース(C.LeviStrauss)はガラガラを地震のメタフォールととらえて、銅鉱脈はしばしば地震によって発見されることを理由に挙げる2。しかし、北アメリカ・インディアンの伝承において例外的に雷鳴と踊りと煙の描写をするこの貴重な伝説のメッセージを疑う理由はない。スワイフウェとクウェクウェという仮面の踊りはともに、銅あるいは祖先を意味する仮面がどこから来たかを語る神話・伝説にガラガラの伴奏を付けて雷を現前させるのである。雷がなぜ銅鉱脈と結びつくのか?簡単なことだ。銅が現代社会で電線や避雷針に使用される電気伝導率の高い金属であるという性質から推理すると、雷が銅鉱脈の上に落ちて発見につながった事実が多かったためだろう。鹿角地方にはそれを証明する痕跡がある。尾去沢に伝わる708(和銅元)年の銅発見のほとんど流布していない伝説は、朝廷が銅鉱脈を探索させたときに大盛山に獅子に似た異人が出現して土民の梵天(矛)を取って空中から峡谷に投げると、そこが赤く禿げて剣の先に青色の土つまり硫化物が付着していたと語る3。年代と経緯の信憑性はともかく、落雷が銅発見につながったことを表わした伝承や文献は他に見い出せない。しかし、銅と雷の関係は鹿角地方では由来のはっきりしない地名としても残っている。鹿の角をイメージとして見れば稲妻のメタフォールで、これが雷と密接なつながりのあることは言うまでもない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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1 板屋貝と帆立貝のこと。

2 翻訳者:山口昌男、渡辺守章 

3 両刃の剣に長い柄を付けた武器。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

Modern Vancouver Island

カナダ杉の島は四国より少し小さい。世界のサケ漁の中心でウニとカキの宝庫。ハリウッドのスターが遊ぶアウトドアとレジャ−の別天地。スキー、水上スキー、ハイキング、乗馬、カヌー、セーリンク、ドライブと、何でも楽しめる。気候は温暖である。クワキウトル族は居留地生活らしい。ユーモア伝説の舞台はキャンベル・リヴァーの町付近と思われる。

-ウッディ・ライフ 1985

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


                         

            

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◇ プロローグ

1    仮面の起源

2        仮面の可能性

 

◇ 第1

1        スワイフウェ仮面と言語的表象

2        仮面を付けた人物の墓碑柱

3        理想的な表現

 

       2

 銅のテーマ~米代川劇場の顔見せ興行

2            クウェクウェ仮面の赤い舌

3            向かい合う仮面

4            銅と太陽のアナロジー

5            黒・白・赤、1;5

 

 

 

 

 

 

 


  

                     

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

仮面について 

Sur Les Masques

 


HHJ VOL.80 20008

よい踊りを盗む [2

            

鹿の角は稲妻のメタフォールらしいと分かったので、古事記と日本書紀から鹿の角と鹿を機械的にざっと拾ってみる。その言葉は銅と繋がりがありそうな場面に現われるに違いない。古事記では、天の石屋戸の場面で占いのためアメノコヤネがフトタマを召して、天の香山(かぐやま)の真男鹿(まをしか)の肩を内抜きにする。弥生時代に中国から伝わった鹿占いでは、鹿の肩甲骨を焼いた後の亀裂で万物の生成を占う。亀裂は空を裂く電光と似ている。仲哀天皇の章では、タケチノスクネ(建内宿禰命)が越前若狭湾の角鹿(ツヌガ)に皇子(後の応神天皇)の仮宮を造る。今の敦賀で、土地の神(気比大神 ケヒ)は皇子と名を交換したいと申し出て〈明日の朝浜辺に来れば、名を替えたしるしの幣(まい 贈物)を献上しよう〉と言う。浜には鼻を傷つけて捕らえた入鹿魚(イルカ)がいて腐臭が漂っていた。大化改新で暗殺された蘇我入鹿と同音同字である。幣には金(かね)の意味もあるが、もっと分析を進めなければならない。応神天皇の章には、〈千葉の葛野(カズノ)〉が出てくる1。今の京都桂川流域の宇治平野で、そこでヤカハエヒメ(矢河枝比売)と会って詠む歌に、角鹿(ツヌガ)の蟹がどこから来てどこに行くかというのがある。鹿の角と蟹の鋏はダブル・イメージと見ていい。ヒメの名前に河の枝という漢字が使われている理由は、流れが枝分かれした河のフォルムが稲妻と鹿の角に似ていることにあるだろう。

日本書紀ではどうか2?天の岩屋戸の場面の〈一書〉に天の香山の〈金(かね)〉で日矛を作り、真名鹿(まなか)の皮で天羽鞴(あまのはぶき)つまりふいごを作るとある。仁徳天皇の章では、皇后が山背の筒城宮(ツツキノミヤ)に別居した後、天皇の夢の中で牡鹿が牝鹿に夢の話をする。〈白い霜が多く降って私の身を覆った。何の前兆か?〉白い霜とは灰のメタフォールらしい。筒の城は星と〈望遠鏡〉の城である。百舌鳥耳原(モズノミミハラ)に御陵を築いた日には、鹿が倒れ、耳の中から百舌鳥が飛び去る。耳の中とは地中や墓のメタフォールで、そこから鳥が飛び立つのは奇怪なことではなく幸運の印だ。吉備国では怪現象が起き、水蛇の怪物が川で暴れて毒気で通行人を大勢殺す。退治に行くと、水蛇は鹿に化けた。この変化には竜のイメージがある。殺すと、川の水が赤く染まった。天智天皇の章では、104月に天皇が皇子の頃みずから製作した漏刻つまり水時計を新台(あたらしきうてな)に置き、初めて使用した。同じ月に8本足の鹿が生まれたという短い文が並ぶ。前の事実との因果関係は説明されないが、日本書紀の後半蝦夷に関して多用される構造的な《並列》だ。中大兄皇子と水時計使用と

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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1         千葉は多くの葉という意味の枕詞。倉野憲司 校注 岩波文庫

2         小学館: 校注 訳 小島憲之、直木孝次郎、西宮一民、蔵中進、毛利正守

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

兵庫県神戸市神岡 出土 4号銅鐸

 

P 56   57   P 58 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

仮面について 

Sur Les Masques

 

 

 

 

 

 

 

P 57   58   P 59 

 

 

鹿、それら特徴的な要素の組み合わせが文法のように意味を成立させる。銅製錬を試みた、しかも、炭の燃焼時間を水時計で測って。この鹿はふいごに使用された鹿ではない。鹿の角が意味する雷と稲妻に対応した鹿の肉、つまり地中の銅鉱脈や製錬後の銅と考えなければならない。鹿の皮袋がふいごに使われた理由は、縁起がいいからにすぎまい。幸運な数字の八本の銅を生産した、ということか?8本足の生き物は水質汚染に最も敏感なタコだから、この試みは犠牲が多かったか?いずれにしても、鹿の角は自然現象による銅鉱脈の発見から人工の銅製錬までも意味を広げる。銅鉱脈は天然銅の場合もあれば、銅鉱石が落雷の高熱で自然製錬された場合もあったかもしれない。天武天皇の9年には、鼓のような音が東の方角で響き、鹿の角を葛城山で得る。角の先が一つに合わさり、そこに肉が付き、肉の上には毛が生えている1。鼓の響きと雷鳴の類似は、否定できない。大日堂舞楽で使われる太鼓には、三本の鎌の刃をプロペラのように組み合わせた黒い色の稲妻のデザインが描かれていたものがあった。それは音波のリズムで生命の神経細胞と万物を活気づけるが、農業社会でも雷と稲妻は雨が降る印で同時に植物の成育に欠かせない窒素を空気中に作るので、日本人好みの呪術楽器になった。二本の鹿の角が三角形をなしているのは、銅の幸運な流出を意味する呪術的な表現である。その先端に毛の生えた肉が付くとは、溶けるときの白熱光線の放射が銅の最大の特徹だという事実を想い出せばいい。銅と肉の塊は、北アメリカのエスキモーなどの少数民族でも同一化される。フレーザー河流域に住んだスワイフウェ仮面群の諸部族の神話・伝説は湖で釣った仮面とガラガラを籠に入れて運ぶ2。水中から出現する仮面はサーモンの金属的な鱗と味

わい深い赤い肉を媒介にして銅を指示する哀れな記号である。そこまで来れば、658(斉明4)年安倍引田臣比羅夫(アヘノヒケタノオミヒラフ)の蝦夷征伐で登場する地名〈肉入籠(シシリコ)〉の背景にも光が当たる。注釈によれば、北海道か青森だが、米代川中流域の鷹巣町綴子(ツヅレコ)辺りという説もある。日本書紀ではそこに着くと、原住民胆鹿島(イカシマ)と菟穂名(ウホナ)の要請にしたがい後方羊蹄(シリヘシ)に政庁を置く。後者の名前には本来なら魚(うを、いを、な)の漢字が使われるはずだ3。〈いを〉の発音が蘇らせるほぼ同音の硫黄に関する考察からすると、川から鮭などの魚が消えていたのではないか?北方の諸地域からは熊以外の献上物がない。入鹿魚の鼻が傷ついたという不思議な出来事には、2酸化硫黄のガスがからんでいたようだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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1 注釈よれば瑞祥である。

2 参照;スワイフウェ仮面と言語的表象、仮面を付けた人物の墓碑柱。

エスキモーについても、《仮面の道》でレヴィ-ストロースが考察している。

3 小学館 古語大辞典

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


Atelier Half and Half

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

仮面について 

Sur Les Masques

 

 

 

 

 

 

P 58   59   P 60 

 

 

飛鳥の西にある葛城山は古代史の重要地域である。日本書紀では神武天皇の大和平定に逆らうアカガネノヤソタケル(赤銅八十梟帥)がその山に住んでいた。木の上の鳥という漢字の映像が問題になるだろう。古事記の雄略天皇はそこでエピソードを二つ残した。山に登ったとき大きな猪が現われ、矢を射ると、唸って襲いかかった。榛の木(ハンノキ)の上に避難して、悠然とその状況を歌に詠んだ1。前4世紀頃の南シベリアの金製〈狩猟文飾板〉の浮き彫りには、暴れ猪から逃げて葉の茂った広葉樹の上で闘う騎士がリアリズムの手法で描かれている。猪の口だけは象徴的な手法で下唇を一直線に描き、スワイフウェ仮面群や古墳時代中国から伝えられた青銅鏡の獅子の□の特徴と共通する〔2〕。舌は垂れていない。それから、あるとき赤い紐を垂らした青い装束を家臣たちに着せて山に登ると、同じ行列の蜃気楼がなぜか尾根に現われる。天皇が幻影に矢を射ると、家臣たちも矢で倒れてしまう。エコーの一言主大神が姿を現わして名を告げたので、天皇は弓矢と色鮮やかな赤と青の衣装を贈った。ヒトコトヌシはお礼に気さくな勇者を朝倉宮のある長谷(ハツセ)まで送った。蜃気楼は自然の鏡である。赤と青は、水銀と青銅の複雑なストーリーに象徹的に使われる。

 奈良のマスコットを忘れるわけにはいかない。百科事典によれば、春日大社では鹿

が神の使いと見なされている。この神社は大化改新の演出者中臣釜足に始まる藤原氏

の氏神で、元明天皇期に平城京造営とともに創設された。祭神は四柱で、タケミカヅ

チ(茨城鹿島神宮祭神)、イワイヌシ(千葉香取神宮祭神)、アメノコヤネ(藤原氏

の祖神)、ヒメカミ。境内の神鹿(しんろく)は雷神タケミカヅチが鹿島から乗って

飛んできた白鹿の子孫といわれ、平安後期から神鹿崇拝が行なわれる。ヒメカミは太

陽神アマテラスのことらしい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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1 樺の木科の落葉高木。松の実に似た実がなる。 

2 参照; 銅と太陽のアナロジー

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

狩猟文飾板

紀元前4〜同3世紀

金 練物,珊瑚,黒曜石 102×192cm

ピョートル1世のシベリアコレクション

レニングラード エルミタージュ美術館

---週刊朝日百科 世界の美術 朝日新聞社

 

フランス語をもう少し

cerfvolant[セルフボラン](直訳すれば空飛ぶ鹿);

     Arête[アレット]; 1 魚の骨 (骸骨)2(二つの面が合う線)稜 

3 山稜  

---大修館

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

仮面について 

Sur Les Masques

 

 

 

 


HHJ VOL.80 200010

 

P 59   60   P 61 

 

 

             よい踊りを盗む [3

 

☆白鹿が表わす現象は、日本書紀に描かれている。景行天皇の時代にヤマトタケル(日本武尊)が東方征伐の帰りに碓氷峠を通り信濃に入る。霧深い森の中で山の神の化身白鹿に出会い、不思議に思ってヒトツヒル(二ン二ク)をはじくと、目に当たって鹿が死ぬ。ヤマトタケルは道に迷って〈出口〉が分からなくなる。白鹿から有毒ガスが発生したということだろう。事実、その地域では神の邪気に触れて病気にかかる者が多かったと後述している。この出口は、大日堂舞楽の五大尊舞でのラスト・シーンに通じる。6人の人物は少年たちの肩に手を置いて鳥居をくぐって帰る。英雄は白い犬に導かれて美濃に脱出する。それから、重病に陥り、陸奥国で捕虜にした蝦夷どもを伊勢神宮に献上して死ぬ、という重要な記号が付く。叔母のヤマトヒメ(倭姫命)は、ヤマトタケルが東方に向かう途中草薙の剣を贈っていた1。英雄の死後その捕虜が昼夜喧しく騒いだので、ヤマトヒメは蝦夷を神宮に近付けないように朝廷に進言する。朝廷は御諸山(三輪山)の麓に置いた。最初に鳥居が建てられたと伝えられる神聖な山である。しかし、蝦夷は山の樹木を切ったり人民を脅かして暴れるので、帝都から遠ざける。この蝦夷を人間と考えると、真実が見えなくなる。歴史の確定作業にたずさわった知識人たちは日本書紀では銅という漢字の使用を忌み嫌わないが、銅に関する歴史的な事実関係を語ることには強い畏怖と政治的配慮に囚われ、銅を指示するためにその鉱物資源と密接な繋がりのある蝦夷を使ってストーリーを展開することを選んだ…そう仮定するのは、いつものように北アメリカ・インディアンの仮面と説話の考察から得たモデルを適用することである。実際にエミシ(蝦夷)と銅の関係は日本書紀のどこかに間接的にでも書かれているだろうか?

その疑問に決定的に答えているのは、エミシが最初に出る場面である。初の国家建設者となる神武は土着勢力ヤソタケルを忍坂(おさか)の穴蔵に誘い、酒宴の最中に全滅させる2。天皇軍は凱旋を祝い、〈蝦夷を 一人百な人 人は云ヘども 手向かいもせず(訳文)〉と歌い大笑いする。蝦夷は一人が百人に相当すると言われるが、反抗もしないのだから。天孫降臨の先払い役で天皇軍の中核である来目部(くめら、くめべ)の来目の意味は不詳らしいが、すでに見たとおり知性の勝利である3。〈来〉の映像表現は〈一〉と〈米〉の組み合わせで、富と幸運と輝かしい未来を意味する。〈一〉はスワイフウェ仮面の直線的な口と同じく銅製錬や鋳造の炉口を表わし、〈米〉はそこから溢れ出る光のメタフォール。それに目という漢字が付くと、製錬炉の前にいるクウェクウェ仮面になる。

 エミシが最初に歌の中に現われる理由は、フレーザー河下流系の説話が暗示していた。スワイフウェ仮面に生命を吹き込んで魔力を発揮させるためには、歌あるいは歌と踊りという役割(フォンクション)が欠かせないということである。魔力とは硫黄

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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1 伊勢神宮を祭った最初の女性  

2 ヤソタケルは多くの勇武な人という意味。  

3 仮面について〜銅と太陽のアナロジー

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ヤマトタケルの遠征ルート

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

仮面について 

Sur Les Masques

 

 

 

 

 

 

と酸素の結合から発生する猛毒の亜硫酸ガス(SO2)に由来して、銅に潜在する〈何でも手に入る〉貨幣経済的な効力を言う1。歌や踊りであらゆる存在するものの霊魂を巧みに化学反応させれば、仮面つまり銅が白熱光線を放ってこの世界に出現する。原文を見てみよう。〈愛瀰詩烏(えみしを)〉と記している。注によれば、歌謡の表記は古事記と同じく漢字の音訓を日本語に当てる。エミシの仮名書きは他にない。その漢字に本来含まれる意味の結び付きは歌の内容と反対に幻想的だ。目のない〈烏〉は多義的な記号である。行為の対象を示す格助詞の一つ、嘆息や感動の表出。生命。例えば、崇神天皇の章に〈烏烏(命を)〉というのがある。そして、この烏は頭八咫烏(やたからす)と並行しているために、その枠組みで考えなければならない。九州を出発して大阪湾に上陸した神武はそこで苦戦した後、太陽を背にして伊勢から大和侵入を試みる。志摩丹敷浦で悪神の有毒ガスに将兵が倒されると、太陽神アマテラスが剣と道案内の烏を贈る。この鳥が来るのは幸先の良い夢(いめ)だと天皇は言う。烏は鶏と同じく酸素欠乏やガス中毒の危機から人を救う役割なので、清浄な空気の喜ばしさと犠牲になった生命ヘの哀悼という両義的な意味を帯びる2。このシークェンスの構成は、太陽の中に三本足の烏が住むという中国の太陽黒点説話を変形したものだろう。鏡の修飾でもある八咫という漢字は、富本銭のデザインの分析が明らかにしたとおり銅製錬の炉と銅の流出を描いた富と幸運の象徴的なメタフォールである。詩という漢字は世界を映す鏡が詩であるという認識で用いられたに違いない。歌の中に出現する仮面は、文字どおり愛情が満ちあふれている詩である。理由は〈愛瀰詩烏〉=白熱光線を放つ銅だからである。穴蔵と酒は鉱山のイメージである。

小豆沢の大日堂舞楽の五大尊舞では歌の役割を銅製錬と青銅生産のドラマの中に見ることができた。同時代に平行して連係的に書かれた歴史書では、そのドラマは国家建設の凱旋歌の原文に現われる〈愛瀰詩烏〉という表現と歌う来目部の存在で象徴的に描かれている。学説に反して本来エミシはそういう指示記号だったとすれば、古事記にエミシが出ないことや擬人化した蝦夷のストーリーに概念の揺れ動きが投影するのは理解しやすい。〈愛瀰詩烏〉の傲慢な歌は勝手に歌ったのではなく天皇の御心の内にしたがったという釈明的な文。伊勢神宮ヘの野蛮な捕虜の献上や三輪山での破壊行為、など。同じようにそこから解読できるのは、蘇我蝦夷が権力の頂上にいながら辺境の帰順集団蝦夷と同じ名前を持った理由である。これはダブル・イメージがぴったり当てはまる好例で、実体あるいは現象はエミシヲである。歴史上その名が先に付いたのはとちらか明瞭ではないが、日本書紀では独裁者が後から推古18年に登場する。この二つが奇妙にからむのは642年皇極元年で、9月越の蝦夷帰順→10月地震→朝廷で蝦夷饗応→蘇我大臣(おおみ)が帰順蝦夷を招待して慰問→1112月ほとんど雷の続発記事(計8度)→(?月)蘇我大臣蝦夷が祖廟を葛城に建設。1年後入鹿が聖徳太子の子山背大兄皇子一族を滅ぼすのだが、表現の紛らわしさと政治の混乱が一致している。行政文書と同じく仕組まれた晦渋さと言うべきだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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1 クワキウトル族では銅板が経済的効力を持ち、クウェクウェ仮面はない。

2 仮面について〜黒・白・赤、1;5  [8]

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ダブル・イメージ

 

蝦夷

 

                愛瀰詩烏

蘇我蝦夷

 

 

*ダブル・イメージの実例 A B C

P 60   61   P 62 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

仮面について 

Sur Les Masques

 

 

 

 


HHJ VOL.81 200012

 

P 61   62   P 63 

 

 

             よい踊りを盗む [4

 

☆蘇我蝦夷と同じ名前の帰順集団との錯覚を起こしそうな交わりは、事実だったとすれば、大して問題はない。地震と雷は舞台効果みたいなものだ。しかし、よい踊りを盗む伝説から明らかにされたのは、雷が秘めた深い記号性である。これが錯覚的な出来事は技巧的なフィクションかもしれないと疑わせる。その目的は、蘇我蝦夷と帰順集団をダブル・イメージの枠組みに入れることで明確になった。それが指示する実体はエミシヲ=白熱光線を放つ銅だが、現象としては単に銅製錬(精錬)ばかりではなく、大和朝廷が関係するので、国家による鉱山経営を象徴的に指示する。そして、蝦夷とは銅精錬技術を持つ集団をも意味すると考えれば、朝廷と蘇我大臣の邸宅での歓待は意外なことでも奇妙なことでもなくなる。蘇我大臣は自分で蝦夷と名付けたのではないだろう。

日本書紀はこのおかしなフィクションで何を語ろうとしたのか、もう一度追跡してみよう。蘇我大臣(おおみ)が帰順蝦夷を招待した後再び地震があり、11月と12月は雷の記事が8回連続する。これは学者の解釈と違って政治と社会が激動する前兆として書かれた天変地異ではない。雷が銅鉱脈の上に落ちて発見につながった事実をそれとなく告げる記事でもない。越の蝦夷が帰順した9月に始まるストーリーは、その次の10月に地震が3回起きたこと記す。ここでは《仮面の道》でのレヴィ・ストロースの考察がそのまま当てはまる。ガラガラは地震のメタフォールであり、銅鉱脈はしばしば地震によって発見されたことに由来するという説である。雷と地震は宇宙的な驚異なので、意味の転化が起きやすい。雷の連続は、鹿が自然現象による銅鉱脈の発見から銅製錬の生産物に指示範囲を延ばした例のように銅精錬や鋳造を指示する記号だろう。影のストーリーは、日本海地方の越で発見された銅鉱石(あるいは天然銅)は大和地方で精錬・鋳造されたということだ。銅鉱石を遠隔地に運ぶのは合理的でないので、製錬した粗銅だっただろう。蝦夷の技術集団は蘇我大臣が作った製造所でその作業に携わった。これは、ツィムシアン神話の前編後編モデルから切り取ることができる。山奥に生成した銅鉱脈を獲得するために貴公子と奴隷が悲惨な〈魚釣り競争〉をする物語である。気象通報には雷の他に雨や春の温暖さ(インディアン・サマー)も出るが、先の舒明天皇の喪葬の礼と交錯して、後編に移る。同じ年の最後に日付不明で述べられているその出来事は象徴的である。〈この年に蘇我大臣〉は自分の祖廟を葛城に立て八佾(やつら)の舞いをする。蝦夷と入鹿の双墓(ならびのはかを造り、皇子女の出産や養育に従事する乳部(みぶ)を皆労役に使い、聖徳太子の娘

とされる上宮大娘姫王(うえのみやのおおいらつめ)の怒りを買う。注記によれば、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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仮面について

クウキウトル族の地震神

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

仮面について 

Sur Les Masques

 

 

 

 

 

八佾の舞いは8列の方形の舞で、天子のみが行ないうる。つまり、蘇我大臣蝦夷は天皇の舞を盗んだのである。蝦夷という名の存在は前編で帰順集団と貴族の役を演じたが、後編では天皇の従僕でありながら王として振る舞い川を渡る歌を詠む。実際どんな舞だったかは、祖先の霊を祭る祖廟と双墓の建設で知れる。スワイフウェとクウェクウェの仮面神話では、銅は太陽に等しいことから来るが、祖先は銅である。銅生産をほぼ独占していたアタパスカン族の隣地に住むトリンギット族の神話では、主人公は父親(太陽の息子)が残した銅製の舟を見つけ、細かく切って、〈掘立小屋の木の枝の下に、その銅板で銅の家を建てた〔1〕。〉掘立小屋の内部には銅の製錬炉がある。木の枝の下というのは亜硫酸ガスの毒性を消す〈針葉樹の葉〉と同様にそれが関係する言葉の指示内容を方向づける。青銅鏡にもニワトリのいる屋根のわきに樹木と稲妻型の幾何学模様の光景が描かれたものがある。青銅鏡が自分がどんなプロセスをへて出来上がったかを語るのは、反省的な知性の所産である。銅の家は莫大な利益の表現だが、祖廟の建設は祖先としての銅が降臨したことをも言い表わそうとする。

 ところで、祖廟は死の位置づけが恐怖の地下世界から壮麗な天空に移るだけで、墓と一対の概念である。〈死者を夢の中で見るというような経験から、初期の人間はこう信じた。あらゆる生きものは自分の中に魂または秘密の生命を持っている〉とアメリカの歴史学者デュラント(Will Durant)は書く〔2〕。日本では鹿角地方のだんぶり長者と錦木塚の伝説で説明したように、墓は銅のストーリーに見え隠れするきわめて特徴的な要素だということを想い出さなければいけない。その必然性は、クウキウトル系テナクタク族の神が開示した〔1〕。主人公の子どもは〈墳墓の上に拾い集めた針葉樹の葉から魚を創り出した〉のである。墳墓とは土を高く盛った墓のことで、デュラントは〈北米の古墳製造人の遺跡にも銅はあるが、時代が不明〉とニック・ネームで文化の特徴を示唆する。墳墓は製錬炉のメタフォールだが、日本でのように内部が岩石の組み立てなら、実際に製錬炉に使われた可能性もある。9世紀中頃に作られた製鉄炉の復元図を見ると、古墳に似た形をしている〔3〕。鉄鉱石の製錬からも亜硫酸ガスが発生するので、呪術的要素は銅製錬と共通する。双墓とは大小の円墳が連接した瓢箪型の墓や二つの近接した円墳を言う。乳部を双墓の建造の労役に使うという非現実的な記述は、乳房とのアナロジーを媒介にした銅の一連の出来事の象徴にすぎない。乳房から流れる白い液体も、そこでは多義的なメタフォールである。墳墓と銅製錬にはもっと密接な忌まわしいアナロジーがあるのだが、それは後で書く。ツィムシアン族神話の後編は、こうして蘇我という漢字の意味を暗示する。貴公子は妹娘の夫が再発見した銅の有毒ガスで死ぬと、天から降りて蘇生させ、〈有害な煙から身を守る術を〉を授けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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1 仮面の道

2 世界の歴史(The story of civilization):

3  ?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

青銅鏡

イナヅマ型の幾何学模様のある建物

 

2羽のニワトリと樹木のある家

 

奈良県佐味田宝塚古墳 出土

製錬炉の模型

伝統技術にもとづいて東京工業大学が復元した。

 

P 62   63   P 64 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


Atelier Half and Half