HALF AND HALF JOURNAL

 

 

HHJ

 

 

 


仮面について

                               

 

 

 

 

仮面について〜43    

 

耳のゼンマイ巻き [2]

☆止まっているトンボの目玉に人差し指で渦を巻くのは何のためかと言えば、トンボは渦を見ると、目を回して動けなくなるので、簡単に羽をつまんで捕らえることができるからだ。多くの人はそう誰かに教わり、試したはずである。しかし、トンボが眩暈に襲われることはなく、すばやく逃げてしまう。それは一種の遊びだが、日本だけに伝わる遊びか、世界のどこかに起源があるのか?

 渦巻きは時間的な表現である。アルファベットの〈A〉が、その斜線で製錬炉で銅を生産する作業の悲喜劇的な出来事を象徴したように1。〈太陽の娘は魚や宝石を簡単に作り出せ、それはバルコニーと屋根のフォルムが暗示するA、つまり富と幸運と輝かしい未来の約束なのである。〉

トンボに渦巻きを見せて捕まえるという遊びの由来は、トンボと渦巻きという同じ要素のある古代社会の青銅製品が明らかにしてくれる。青銅製の流水紋銅鐸鋳型に描かれた渦巻きは川の流れに隣接して、渦の中心に向かって水が流れる映像である。

トンボは今渦巻きの中に飛んでゆこうとしているように感じられる。これは鹿角地方に伝わる伝説のプロローグの脚色かオリジナルのようである。夢の中でトンボが若い農民の口に尾を入れるかあるいは鼻穴に入ったり出たりして、酒の泉が湧く場所に案内する。大日堂舞楽では、この劇的なシーンはトンボの羽の飾りを持った若衆の行列で映画的に表現されていた2。舞いの白黒フィルムはアマテラスの鏡がある本殿の前に立つ白木の鳥居をくぐり舞台を一周して戻る。

流水紋銅鐸には魚も描かれているが、銅のメタフォールである魚がそこにあるというのはトンボに対応して銅製錬の完成を表わしたと考えられる。小文字の〈α〉は魚と渦巻きのイメージらしい3

渦巻きは中心から外部に向かう運動をも表現している。製作者が作業のプロセスの特権的な一部というか記念するべき瞬間を製品に記録するのは、富本銭で考察したとおり、青銅製品の特徴である4。銅銭は炉口とそれを見る望遠鏡の円を形象化していた。それらのイメージに共通するのは、時計の秒針を見るかのように時間に対する鋭い意識があるということで、20世紀前半の芸術家に似ている。

 

 


                大日堂舞楽

 

                 [HHJ]

 

 

Updated 2005.4.16

 

1 仮面について〜9   銅と太陽のアナロジー [1]

仮面について〜28 よい踊りを盗む [9]

シチリアの民話 ;  ぎょうせい出版

2 仮面について〜13  黒・白・赤,1;5 [3]

3  仮面について〜27 よい踊りを盗む [8]

4  仮面について〜9   銅と太陽のアナロジー [1]

 

 

 

* 引用その他の利用については著作権法と国際ベルヌ条約を

遵守してください。

疑問には、暇があるかぎり丁寧に答えたいと思っています。

メイルの送信は遠慮しないでください。

 

 

 

 

 

 

 

 


仮面について〜42    

 

耳のゼンマイ巻き [1]

1960年代のある日、長谷川木工所で働く三枚目の職人が酒に酔っていたのか、こんなジェスチャーをして笑わせた。左手の人差し指を耳の穴に入れてゼンマイを巻くように回転させながら、〈ゲベガボゴボ〉と言って舌を垂れる。目玉は下がっていたかもしれない。その表情と身振りは夜店で売っている単純な仕掛けの玩具を連想させた。意味のない擬音がゲロを吐く様子を表わすことはすぐに分かった。しかし、三枚目のこっけいなジェスチャーは最近まで忘れていた。

仮面に関する長い考察から、舌のそういう動きが何を表現するか、説明しなくても理解できる。銅製錬による亜硫酸ガスが引き起こす嘔吐や内臓器官の痙攣などの鉱害病、自然環境の破壊、しかし、それと反対に製錬炉で生成した銅の幸運な流出、それらを象徴的に表わす指示記号である。人間の顔を持ったクウェクウェ仮面の赤い舌は悲劇的な状況を強調して、銅製錬の失敗と自嘲という意味を道化師のような表情で浮き上がらせていた1。〈ゲベガボゴボ〉の舌出しは、クウェクウェ仮面系のジェスチャーであると見るべきだろう。三枚目はその起源を知っていたかどうか、自由な社会なら言葉や文字で伝えた記憶を身振りで受け継いで保存していた。米代川水系には、他の保存手段としてべらぼう凧の絵と〈咒〉という漢字が記録されている。しかし、身振りと踊りは最も起源に近い表現方法であるにちがいない。

 耳のゼンマイ巻きについてはどう考えればいいのか、ぼくは迷う。遠くにラビリントス(迷宮)が見えるので、難しい問題に出遭いそうだという予感がする。しかし、ゼンマイ巻きのメタフォールを集めてみると、小豆沢大日堂舞楽の考察の終わりにこんなメモがあった。〈伝説のトンボ---トンボと渦巻きは仲がいい。神戸市神岡桜ヶ丘4号銅鐸にはその光景が、大阪府東奈良遺跡の流水紋銅鐸鋳型にはトンボと魚と渦巻き模様が、描かれている。他にもあるが、その関係の闇についてはトンボの目に人差し指で渦を描いた懐かしい記憶が囁き示してくれるにちがいない。〉

 

トンボ、魚、渦巻き模様

上記の銅鐸鋳型

 

週刊朝日百科 

世界の美術

 

 

 

 

 

 

 

 


Updated 2005.2.12

 

1 クウェクウェ仮面の赤い舌/向かい合う仮面

2   黒・白・赤、1;5 

 

垂れた舌に関する最初の分析を読む

▼ 仮面をつけた人物の墓碑柱

 

 

 

 

 

 

 

仮面について〜41    

 

             煙と灰と葉 [12]

 ☆この章でも、思いがけない曲がり角と予感した小道の発見があった。暇があれば、それらを辿って行くことができただろう。例えば…

★ローマの観光名所トレビの泉は、後ろ向きにコインを泉に放れば、再びローマに帰れるという言い伝えがある。この硫化物が溶けた青緑色の泉は象徴的な指示記号で、酒と同じく温泉と銅鉱脈と製錬を暗に示している。コインの金属はそれから取られたので、始原に返せば、その人も無事に戻れる、と想像されたのだろう。ただし製錬炉で銅が溶けるときに発する白熱光線が目を傷めることに用心しなければ、盲歩きである。この風習は日本の呪(まじな)い銭と神社の賽銭に共通する。

★酒の上に浮かぶケヤキの落葉と起源が同じなのは、浮島である。これは比内町独鈷の大日堂のそばにある庭園のような池で見ることができる。幸運をもたらす単なる縁起物か、銅に係わる記念物なのか、疑問だ。ケヤキの葉はフォルムの類似から女性の生殖器を連想させる葉だが、雄略天皇の酒宴では歌の象徴との論理的な調整が難しい。しかし、トランプのジャック(従僕)が片手に持つ一枚の葉っぱにはそのイメージが感じ取れる。北アメリカインディアンの伝承ではしばしば銅と女は同一視される1

★木魚は、銅と仏教の関係をひそかに伝える。文字どおり木で作られた彫刻の魚で、鱗模様がなければ何なのか分からない丸い空洞のリズム楽器である。経を読むときに叩くと、虚無的で曖昧な響きを上げる。仏教では魚はタブーで、食べるのは忌み嫌われる。木魚の起源には魚=銅の恐るべき魔力を伴奏にしながら現世の無常を想起させる目的があるのではないか?

★歴史的な記憶をよく保存しているフランス語は〈rivière 川〉という言葉にどんな意味を持たせているか、大修館の辞書で初めて見ると、〈川〉の他に〈rivière de diamants ダイヤの首飾り〉という比喩的な慣用表現だけが載っていた。直訳すれば、ダイヤモンドの川。

 

           

 

 


独鈷大日堂の浮島

 

杉林の中にある池

 

[HHJ 1999.5.1 撮影]

 

 

 

 

Updated 2004.12.16

 

1         ツィムシアン族の神話から眺める

▼ 理想的な表現

 

 

 

 

 

 

 


仮面について〜40    

 

             煙と灰と葉 [11]

             ☆葉については、雄略天皇の章に印象的なストーリーがある1。長谷のケヤキの木の下で酒宴を催したとき、三重の采女(うねへ、うねめ)が酒の入った大きな杯をささげ持って行くと、ケヤキの葉が酒の上に落ちた。采女はそれに気がつかなかった。天皇は酒の上に浮かんでいる葉を見て、怒って彼女を切り殺そうとした。采女は〈私を殺さないでください〉と言って、歌った。天皇を賛美する歌だが、宮殿のケヤキを叙情的に描写する。上の枝の先の葉は中の枝に触れて落ち、中の枝の先の葉は下の枝に触れて落ち、下の枝の先の葉は杯に浮いた脂のように落ちて漂い、水をかき回してできたオノゴロ島のようだ、と。落葉が酒に漂うのは天の下に現われた最初の陸地を暗示する幸運な出来事である、と認識を変えたということか、雄略天皇は采女の罪を許した。

葉は、魚との類似から銅のメタフォールである。酒は、硫黄分で白く濁った温泉であると同時に銅鉱脈や精錬を指示する。酒の上に漂う落葉は、環境と作業者にとって危険な製錬(精錬)で分離溶解した銅を暗示するだろう。知性にあふれた采女の歌は、その工程が3段階あることを示している。これは686(朱鳥1)年天武天皇の病気治癒を祈願して道明が建てたと言われる長谷寺の三重多宝塔の階層と一致する。天武は古事記の編纂を思い立ち歴史をみずから語った天皇である。中におさめられた千仏像の法華説相図銅板には、采女の歌と並行的に照応して中央の三重塔の各階層に仏像とそれらしい形象が見える。葉と魚のイメージの変形である。銅は、その魔力への畏怖のために宗教的な領域では主に仏像に変化させられた。慰霊の意味もあっただろう。

 銅板の原材料は雄略天皇の時代に生産されていたかもしれない。銅板には欠けた部分が2か所あるが、それは忍歯(オシハ)王の子オケとヲケが、雄略天皇に殺害された父の復讐のために天皇の御陵の土を少し削り取ったドラマを想起させる。オケとヲケはダブル・イメージである。

3階にあるフォルムは、坐像らしい形の下半分しか見えない。

法華説相図銅板 (国宝)  中央部分

 

宝塔は地中から湧出したという。

原色日本の美術 第3巻 小学館

     

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


Updated 2004.10.13

 

1 倉野憲司校注 岩波文庫

 

 

 

 

 

 

 

 


仮面について〜39    

 

             煙と灰と葉 [10]

           1世紀に作られたポンペイの壁画は、ヴェスヴィオ山の上空に灰色の煙に包まれたオリーブの葉の細長い編み飾りが描かれている。雀に似た小鳥が一羽がそこに止まり、細長いリボンがオリーブの飾りの両端から垂れて揺らいでいる。小鳥の直線的な嘴は、〈富と幸運、輝かしい将来を約束する〉象徴的なT字型のヴァリエーションである1

この壁画上半分は、構図に目を向けると、不思議なほど小豆沢大日堂舞楽の舞台設定に非常に近い。

1 オリーブの葉飾りに照応して、荒編みの稲藁が舞台の宙空に左右から吊り渡されている。煙のフォルムを混ぜ込んだこの注連縄は、浄化の力を表わす。オリーブの葉は榊の葉と同じく魚のメタフォールだが、それが選ばれた理由は稲のように生活を形成する植物であることと〈平和のシンボル〉だからだろう。オリーブの実は銅のメタフォールである。

2 細長いリボンは複雑な指示記号だが、大日堂舞楽では薄い麻布がそれに照応して稲藁の上に吊るされている。浄化の力があるという麻布は鹿角地方の伝説的な狭布(せばぬの)のことだろう。このリボンは先端が逆三角形に裁断されていないが、大日堂舞楽で考察したことと本質的な変化はない2。〈(田楽舞)両端に長く垂れた2枚の板は、外観の同一性はほとんどないにもかかわらず烏遍舞の仮面の目と共通する観念を持つことが分かる。つまり、これも知性の勝利を象徴する望遠鏡のヴァリエーションである。〉〈(烏遍舞)烏のイメージで作られたように見える仮面だ。額の左右に開いた丸い穴が目を表わし、頭に巻いた白い布の端が両目を通って顎まで垂れ下がっている様子は北アメリカ・インディアンのスワイフウェ仮面を想起させる。〉

3 こうして、オリーブの葉飾りに止まっている小鳥というイメージは、大日堂舞楽では舞台の正面にある鳥居と並行的に照応する。

小豆沢大日堂舞楽との共通点は他にもあって、酒の泉を発見したトンボ長者に対応するように酒神ディオニュソスが前景にいる3。しかし、葡萄の葉は描かれていない。

大日堂の中2

麻布と稲藁

[HHJ]

烏遍舞

 

[HHJ]

鳥居と舞台

アマテラスの鏡が眺めている

[HHJ]

ポンペイの壁画

3

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


Updated 2004.8.13

1 銅と太陽のアナロジー 

2 黒・白・赤、1;5  

3  週刊朝日百科 世界の美術

 

 

 

 

 

 

 


仮面について〜38    

 

             煙と灰と葉 [9]                  

☆シンデレラの民話はヨーロッパ各地に広く伝わっている。17世紀ペローが洗練したストーリーでは、サンドリオンは継母に冷たく扱われる娘で、ある日城で舞踏会が開かれても行かれない1。魔法使いが彼女を哀れんで、カボチャを馬車に変えてサンドリオンを美しく装わせて、城に送る。12時前に帰らなければ魔法が消える、と忠告して。若い王子はサンドリオンに心を奪われるが、時計が12時を打つと、ガラスの靴を片方残して美女の姿は消えていた。

 フランス中部ロワール河支流に伝わる民話では、サンドリオン(灰娘)は灰の中からレンズ豆を選り抜く無茶な仕事を継母に命じられる2。妖精が来て、髪を金色にする櫛と金色の靴を贈り、クルミの殻を幌付き馬車に変えて彼女を教会のミサに出席させる。王子が一目ぼれするが、ミサの終わる前にサンドリオンは帰ってしまう。次の機会に王子は家来に命じて、彼女が立ち去るとき金色の靴を片方盗ませる。

結婚までの終局は共通している。片方の靴に足がぴったり合う若い娘を探させて、王子はサンドリオンに再会する。この民話が異彩を放つのは、時計のゼンマイを巻いてドラマを動かすこと、残された片方のガラスの靴あるいは金色の靴のロマンスである。銅製錬作業に中大兄皇子が水時計を使用したという推理を想い出せば、シンデレラの民話のモチーフは理解される3。時間が来ると、金色の太陽光線のような長い髪が視界から消えて、ガラスの靴が生成する…ガラスの製造と銅製錬は古い時代にはどちらも炉を使うために工業的に密接なつながりがあっただろう。読者のフェティシズムでハイヒールに変えないようにしよう。ロマンスの展開は寓話であり、〈理想的な表現〉で描いた計画の挫折と再現という前編・後編のパターンに近い。

そのアングルから見なおすと、〈灰の中に撒き散らされたレンズ豆〉は粗銅から銀を取り出す精錬法の象徴で、レンズ豆は金銀銅の硬貨のメタフォールになる。イタリアには1年の最終日にレンズ豆の煮物を食べる風習がある。金持ちになれるそうだが、眼の病気が癒える期待があったと考えることもできる。光学レンズと眼球の水晶体とゼンマイ仕掛けの時計の振り子の球(円盤)はフランス語では同じ〈lentille ランティーユ〉である。髪を金色に変える櫛は、仮面の遮光器だろう。

 

レンズ豆

 

お豆百科事典 HP

 

 

 

 

 

 


1  Charles Perrault ; 17世紀フランスの童話作家

2 フランスの昔話; 編集 Achille Millien, Paul Delarue  新倉朗子 訳 大修館書店 

3        仮面について: 黒・白・赤, 1;5  [6]  よい踊りを盗む [2]

 

Updated 2004.6.14

 

 

 

 

 

 

 

 

 


仮面について〜37

 

煙と灰と葉 [8]

灰には人間の生活に役立つ現実的な効力がある。陸上植物を燃やした後にできる灰のカリウムは水に溶けて炭酸カリウムになると、土壌をアルカリ成分で殺菌して植物の成長を助ける。だから、古来農業の肥料として使われた。農業社会において灰は、虚無よりも浄化と再生の象徴的な意味を強く持つだろう。灰が呪術的に使われる風習は少なくない。

 カリ肥料の他に、陸上植物の灰は染料の発色と定着のために使用された。日本では16世紀の初期には染色業向けに灰を生産して売る商売があり、江戸時代には灰買い人が都市の灰を集めて〈川越などにはその灰を取り引きする定期の灰市も立った〉という1。利根川の源流に秩父銅山があったことを考えれば、興味深い事実である。

 灰は、近代まで日常生活でも欠かせない物だった。暖房用具としての火鉢は、縁の近くまで木灰を詰めて、その上で炭を燃やす。灰を使うのは、燃焼力を強め、火鉢に熱を伝えない、保熱効果があるためらしい。この暖房用具は、平安時代に貴族が製錬用の木炭を室内で燃やすために考案された2

囲炉裏は、火鉢の普及で近世には田舎に追いやられた。室内の真ん中の床に埋めた正方形の箱に灰を敷きつめて、その上で薪や炭を燃やす。炎の上には、天井の梁から下がった鈎に掛けた鉄の鍋や鉄瓶がある。鍋はもちろん素材を煮るのに使われる。自在鈎の上部には木彫りの魚が付いているものが多く、独特のスタイルをより印象的にする。灰と鍋と鈎と魚の呪術的な構図は、銅製錬からイメージを写し取った象徴的なコピーである。そして、カナダ・インディアンの魚釣りの神話と共通する。カリウムは水と激しく反応するので、灰に水をこぼすと、灰の煙が巻き上がり、〈灰神楽になる〉というイマジネイティブな表現ができた。 

庭のイロリ     〔3

 

秋田市 昭和48

魚のあるイロリ  〔4

自在鈎は上下左右に位置を調整する。

 

秋田県八竜町 昭和58

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


Updated 2004.4.12

 

1         小田亮 : 平凡社 世界大百科事典 

2 宮本馨太郎 : 小学館 世界大百科事典

34 写真資料 秋田の民俗 : 木崎和廣,鎌田幸男,稲雄次

               無明舎出版

 

 

 

 

 

 

 

 


仮面について〜36

 

煙と灰と葉 [7]

☆灰は、歴史社会的にも語るべきことが多い事物である。言語の考察から先に挙げると、灰と同音の肺は、交換機能を表わす〈市〉という漢字を付けている。体内の炭酸ガスと新鮮な空気を交換する器官だから、浄化作用の象徴としての灰と同じ発音なのだろう。日本語で呼びかけへの返事と質問に対する肯定の意味を表わす〈はい〉は、アメリカン・イングリッシュで軽い挨拶のときに使われる〈hi〉と非常に発音とフィーリングが似ているが、これも同じ起源だろう。この類似は、昔から不思議に思っていた。高いという意味の〈high〉は、灰の価値を考えると、やはり起源の共通性があるだろう。

灰が地名として残るのは珍しいが、大館市二井田地区の字に四羽出(しのはい)というのがある。読み方を知らないと、四枚の羽が出るんだからトンボのことか、と想像してしまう。トンボと死の灰はどんな理由で一緒になるのか、その地区が位置する米代川と犀川の合流地点から犀川をさかのぼれば、解ける疑問だ。古代から源流の大葛(おおくぞ)に鉱山があって、鉱害による環境汚染がひどかったという事実をそれとなく抵抗の意志を込めて世の中に伝えるイメージなのである。トンボは銅の発見の象徴であり、製錬が排出する2酸化硫黄の煙は植物と生物を痛めるために灰は放射能の灰のように死の意味を強く帯びるようになる。それと似ているが、フェニックス(不死鳥)は製錬の終わりに空気汚染状態を占う犠牲の鳥からイメージを発展させている。鎮魂の意味があるだろう。

煙と鳥から得られたその種のイメージの製作物は、藤ノ木塚古墳で見ることができた。枝葉を広げた樹木をかたどった金銅製の冠。鶏の尾羽と葉のフォルムの混合は、ダブル・イメージである。

 

金銅製の冠

奈良県斑鳩町藤ノ木塚古墳

[日本の歴史 3:集英社]

[写真提供: 国立橿原考古学研究所]

 

 筒型金銅製品

榊の一種と思われる小さな葉を〈望遠鏡〉に散らしている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


Updated 2004.2.10

 

 

 

 

 

 

 

 

 


仮面について〜35

 

煙と灰と葉 [6]

☆神楽で気になるのは、宮廷内侍所の神楽には〈歌だけがあって、舞いはは初めからなかったらしい〉ということである。内侍所にはアマテラスの宝鏡のコピーが安置されている。ヴァンクーヴァー市が河口にあるフレーザー河中下流域の神話では湖から仮面とガラガラを釣り上げるが、主人公は役割を果たす術を知らなかったので、複製を作って仮面を湖に返した。役割とは、下流域の他の物語によれば、仮面=銅に魔力を発揮させる歌と踊りのことである。

神楽での榊の使用は異なったアングルから眺めなければならない。亜硫酸ガスの毒性を消す陸上植物だが、豊富に生える植物ではない。花は紫色で上品さを漂わせ、冬でも鮮やかな緑色を保つので、生命の希望と高貴さを象徴すると説明されるかもしれない。しかし、榊の重要な点は、何よりもまず乳白色の斑入りの葉が銅精錬後に残った灰と生成した《魚》のイメージを合わせ持つからである。魚は、鱗に蔽われた金属的な見かけとの類似から銅のメタフォールであることは前に述べた。だから、カナダインディアンのテナクタク族の神話では〈墳墓の上に拾い集めた針葉樹の葉から魚を創り出した〉。杉の枝葉は魚の骨に、枯れた色は銅に似ている。小豆沢大日堂舞楽の五大尊舞では、歌い手の一人が〈まな板〉を打楽器として使う。それらは暗示的な表現だが、コモグワ仮面の伝説は勇気を出して、灰の中から銅を取り出した、と事実を語る。

映画ファンなら当然連想するポーランド映画《灰とダイヤモンド》では、灰はネガティブに廃墟の意味を帯びている1。本来は、そうでなかった。しかし、ダイヤ柄についても言えることだが、天然のダイヤモンドが表現の中で銅の代わりに使われるのは、最高に硬い透明に光輝く宝石が金・銀・銅の金属に似ているから、だろうか?鉱山に密接なつながりのある川の水が太陽光線の輝きを浮かべる情景にダイヤモンドが重なるからだろうか?それでも間違いではないが、もっと深い根拠が隠れているようなので、機会を見て書こう。

榊の葉

五大尊舞

杉の板は舞いのドラマに関係する不思議な小道具である。

       [HHJ]

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


Updated 2003.12.7

1ポーランド映画 Papiol i Diament ; 1957年制作。アンジェイ・ワイダ(Andrzej Wajda)監督。詩人ノルウィド(Cyprian Kamil Norwid)の墓碑銘が題名の由来である。

 

 

 

 

 

 

 


仮面について〜34

 

 

煙と灰と葉 [5]

☆アメノウズメの踊りは神楽の最初の記述だが、この神事では舞い手は榊や葛や御幣を手にして踊ることが多い1。これを採物(とりもの)と言う理由は、鳥についての意味論が明らかにする。歴史上の始まりは出雲地方の佐陀神社とされ、ゴザを手にして舞う様式が見られる。これは〈特殊な〉と解説者が当惑する形態だが、江戸時代の銅製錬の工程では鉱石を薪で焼いて硫黄分を除去するとき筵(むしろ)・萱(かや)・藁の類を上にかぶせた2。呪術的な動機である。ゴザは、葛や御幣が指示する煙のメタフォールに似て浄化する力という意味を持っている。

 ところで、羽飾りの分析はその根元にある藁束に注意を向けさせる。68号の〈向かい合う仮面〉に戻ると、〈クウェクウェ仮面が選び取らなかったのは、(スワイフウェ仮面の抽象的な下顎の)その奇妙なフォルムと、それと共存する鳥の頭や羽、綿毛、草花などの自然の叙情性である。草花は植物のロマンであり、鳥には人の病気や怪我の苦痛を取り除く呪術的な役割を担う一面がある。スワイフウェ仮面は、銅鉱石と人間との係わりの幸福な様相を語っているように思える。〉しかし、モデルとなった仮面の抽象的なフォルムは、実は熱で溶けた銅が製錬炉から流れ出る幸運な展開の再現だった。赤色と黄色の羽飾りが恐怖と護符の煙のメタフォールであるということがニムキシュ族の伝説から明らかになった今、スワイフウェ仮面は銅製錬に関係する要素を多く取り集めていると補完修正しなければならない。綿毛は空に浮かぶ煙雲である。藁束は、カナダ・インディアンが稲か麦類を栽培したか知らないが、江戸時代の資料に記録されたとおり粗銅生産のために鉱石を焼くときにかぶせた筵の類である。要するに、鳥の羽飾りと藁束は銅鉱石が焼けて硫黄分が消え去る光景を再現している。これと非常によく似た構図を出雲地方の比婆(ひば)神社の神楽に見ることができる。ただ白紙の御幣はダイヤ柄には似ていない。

 

 

スワイフウェ仮面

比婆神社 緑・黄・赤の煙

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


Updated 2003.10.8

 

1  民俗芸能: 国立劇場芸能部演芸室長 西角井正大

2  理想的な表現 [B]参照。日本鉱山史の研究: 小葉田淳 この工程は大阪の泉屋(住友)が刊行した《鼓銅図録》による。

 

 

 

 

 

 

 


仮面について〜33

 

 

              煙と灰と葉 [4]

             ☆御幣は中国から伝わった風習で、神事や祭りの用具として物忌みと清めの目的で日本でも広く用いられている。御幣の材料には白絹や五色の染め絹、白紙、金銀色の紙があり、それを本来は細く切り裂き竹あるいは木の棒の先端に挟んで作った1。御幣が描かれる最古の文献古事記では、天の岩屋戸のシーンでアメノウズメが踊るとき榊にかけた鏡の下に白い和幣(にぎて)と青い和幣を垂らす。前者は木綿(ゆう コウゾの繊維)で後者は麻である。その場面は、小豆沢大日堂舞楽の五大尊舞の分析で小さな太陽を製造する銅精錬と青銅鏡の鋳造作業が太陽の復活を祈る呪術社会の伝統と結びついていることを明らかにした2。舞台で使われる植物は亜硫酸ガス(SO2 二酸化硫黄)の毒性を消す働きをする陸上植物である。浄化の白い煙は銅の生成と生命の安全を告げるので、幸福そのもののフォルムだっただろう。蔓などの曲線が重宝に思われたのはその煙に似ているからであり、御幣は浄化の煙のように揺れ動いてこそ呪力を発揮すると信じられた。青い色は水の流れからイメージを取っているのではないか?

 御幣の起源が銅製錬(あるいは精錬)の過程にあることを単純に裏書するイメージは、神社で見ることができる。稲藁を編んで作った注連縄(しめなわ)とそれに垂れ下がる白い紙の御幣。小豆沢大日堂の注連縄は御幣と交互に煙の自然のフォルムを模倣したような房が垂れて、NHK推薦の〈蛇の生命力〉説を冷やかに嘲っている。

 

 

小豆沢大日堂舞楽

本殿の注連縄と御幣

鳥居でも同じ様式

[HHJ]

 

大日堂に入る前の挨拶

光の加減でダイヤ柄が

くっきり浮かぶ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


Updated 2003.8.10

1 小学館大百科事典

2         仮面について〜16 黒・白・赤、1;5 [6]

 

 

 

 

 

 

 


仮面について〜32

 

 

煙と灰と葉 [3]

                                         ☆ニムキシュ族の戦士たちが目撃した〈天まで達する鷲の羽毛の雲〉は、煙のメタフォールである。これは大陸のインディアンが踊っているストーリーから浮かび上がるかなり普遍的なイメージだ。アメリカの開拓時代を描いた映画を通して。そこでは羽が一枚付いたヘア・バンドも馴染みぶかいマークだが、鷲の羽毛と雲には表面的でないつながりがあることはスワイフウェ仮面を見るまで分からない。仮面の頭の上で揺れる羽飾りは、黄色に染められた羽と赤い羽の束である。それが煙の映像であるとすれば、黄色は硫黄を表わし、赤色は水銀蒸気を表わす。硫黄は古代において不思議な火を発する燃える石として崇拝されていたようだが、銅製錬での酸素と化合した亜硫酸ガス(SO2 二酸化硫黄)は硫黄そのものを恐怖の対象にした。赤色についても〈黒・白・赤,1;5〉で朱色を分析したとおり、〈溶融した硫黄に水銀を加えて黒色硫化水銀(HgS)を作り、これを強熱すると、赤色硫化水銀(HgS)が昇華する。1〉この赤い煙は猛毒だが、粉末の顔料は古代社会で呪術と殺菌消毒に用いられた。羽飾りは、したがって二面性を帯びて恐怖を引き起こす魔力を持つと同時に危害から身を守る護符である。ヨーロッパでも同じ起源の伝統的な羽飾りがある。鳥の羽でなければならない理由は、鳥が銅生産のプロセスで人間の身代わりになる犠牲の生き物であること、鳥の運命が幸運と悲惨の記号であることによるだろう。

日本では紙の御幣が羽飾りと同じ機能を果たすようだ。小豆沢大日堂舞楽の五大尊舞の主役金剛界大日如来の金色の仮面は、純白の御幣を頭に付けている。これは毒性が消えた幸運な煙である。連続する幾何学的なダイヤ柄は、煙の映像に似せた原始的な御幣を洗練したものだろう。

 

 

スワイフウェ仮面 

    フレーザー河

     中下流域のマスキーム族(?)

 [仮面の道:レヴィ-ストロース 新潮社]

 

 

 

 

 

   五大尊舞の主役 民話のだんぶり長者

米代川上流

[HHJ]

 

 

 

 

                       Updated 2003.6.10

 

 

 

 

 


仮面について〜31

 

 

煙と灰と葉 [2]

☆板谷貝と扇の間に放射状の白熱光線がイメージの思いがけないリンクを作ると、さらに共通項が浮かび上がる。扇の中央に浮かぶ白い円が、貝殻の中にある内蔵器官の平面的なフォルムと重なるのだ。小豆沢大日堂舞楽の地蔵舞では、〈白地に赤い日の丸の付いた扇〉は白熱光線に包まれた〈溶銅=太陽〉からイメージを得たメタフォールとしての指示記号である。舞においてはそれは獅子面の口に当てられて銅製錬のクライマックス、つまり、製錬炉の口から神聖な存在が誕生する出来事を象徴した。

 ニムキシュ族の伝説では、幸運なことに大陸のコモクス族のよい踊りの技術を盗むために戦争をしなくても済んだ。スワイフウェ仮面の所有者である首長が、仮面一式をおさめた箱と舞踊を踊る権利を気前よくニムキシュ族に贈ったからである。地蔵舞では能衆の一人が新しく建立された白木の鳥居の下で杉の箱を神妙に背負っていて、その中から紺色の布に包まれた獅子面が出ると、舞が始まる。獅子面は、そこでは銅鉱石を意味する。この位置関係は銅鉱脈とそこに通じる坑道に立てられた坑木の関係に由来する。しかし、ニムキシュ族の場合仮面一式とは銅製錬と鋳造作業に用いるマスクなどの道具のことだろう。仮面と踊りの資料はないが、このマスクとはどういうものか?白熱光線が視界を妨げないようにする道具と有毒な亜硫酸ガスを吸い込まないようにする道具と顔面を高熱から守る道具である。スワイフウェ仮面では望遠鏡が視力を守る道具だが、すでに暗示したように頭を蔽うヘルメット型の伎楽面やギリシア悲劇面もその目的に十分かなう可能性を持っている1。ミケーネ文明の死者に付けた黄金の仮面は遮光式の眼である。しかし、現実の出来事から切り取ると、江戸時代末期に大館で起きた〈麻疹〉の流行は城主の馬小屋の飼葉桶をかぶれば身を守れるという風聞を広めた2。鉱山地帯で暮らす人々に対して飼葉桶の形が連想的な呪力を及ぼしたと考えるべきだろう。

 

地蔵舞

手前に見える祠の前に立つ鳥居とその下に位置する杉の箱

[HHJ]

 

 

 

1 伎楽面については山田福男の推理。 2 年代豊凶録:長谷川貞顕、屋政 共著

 

 

 

 


    

 

 

 

 

 Updated 2003.4.12

 

1  伎楽面については山田福男の推理。 

2 年代豊凶録:長谷川貞顕、屋政 共著

 

 

 

 

 

 

 

 


仮面について〜30

 

 

煙と灰と葉 [1]

☆ニムキシュ族の伝説が語るスワイフウェ仮面は、黄土色である。これは銅鉱石に含まれた硫黄のメタフォールであって、製錬のとき酸素と化合して猛毒の亜硫酸ガスを発生する硫黄の恐るべき魔力の象徴だろう。その仮面をつけた踊り手の4人は、東西南北の宇宙を表わすものだろう。小豆沢大日堂舞楽の五大尊舞に出る黒い仮面の4人は〈製錬技師〉だが、黄土色の仮面が板谷貝(ペクテン)のガラガラを鳴らして踊るシーンは、むしろ田楽舞と共通する。そこでは仮面をつけない4人の舞い手が、風と雷光のイメージの太鼓が響くと、〈ささら〉という木琴に似た楽器を鳴らして踊る。カナダ太平洋岸で板谷貝が使用されるのは、どんな理由からか?貝類は水質汚染に非常に敏感であることをニュースから想い起こさなければならない。犠牲になった弱い生物が、銅鉱脈の発見と銅製錬を象徴する雷の道具にされるのは、合理的ではないようだが、この表現のモチーフには次のような説明が考えられる。

1        環境汚染の原因と結果をストーリーのように表わしている。

2 板谷貝(通称ホタテ貝)の殻の扇形と放射状の筋が製錬で溶けた銅の白熱光線に似ていることから、幸運の象徴とされたか?田楽舞では〈ささら〉を扇状に広げて耳に当てるシーンがあった。〈黄色の放射状のフォルムは白熱光線を表わす。しかし、それと同時に、その身振りは宇宙のあらゆる物質の状態が楽器を通して聴覚に伝わる様子を表現しているようだ。1〉耳の指示記号については後でもっと深く考えたい。

3 日本では貝殻が顔料や建築の装飾に使われたことから単純に推測すれば、貴重な白色に浄化の願いを込めた可能性もある。白色の形而上学的な定義は、〈まだ存在しない存在の始まり〉だった2

 

 

        

                                          

 

 

田楽舞

 

[HHJ]                                 

 

 

 

 

 

 


Updated 2003.2.16

 

1  黒・白・赤、1;5  [8]    2  同 [2]

 

 

 

 

 

 

 


仮面について〜29

  

 

よい踊りを盗む [10]

             ☆北アメリカのヴァンクーヴァー島に住むニムキシュ族の伝説を再び想い出そう。首長が対岸の大陸に住むサリシュ系コモクス族の〈よい踊り〉スワイフウェ仮面の踊りを盗もうとたくらむ。娘婿の弟は100人の強者を連れて舟で海を渡る。すると、大陸の見えるところで雷鳴を聞いた。仮面をたたえて歌っている祭りだった。戦士たちは上陸して、踊り手の姿と天まで達する鷲の羽毛の雲を目撃した。コモクス族は踊りのあと戦士たちと饗宴を催した。新たに雷鳴が響き、〈羽に蔽われた黄土色の四つの仮面が板谷貝(ペクテン)に糸を通して作ったガラガラを手にして現われた。1〉首長はニムキシュ族に仮面一式をおさめた箱と舞踊を踊る権利を贈った。

〈よい踊り〉とは、猛毒の煙である亜硫酸ガス(2酸化硫黄 SO2)を無害なものにする銅製錬(精錬)の極秘技術であると考えていい、とこの章の最初に書いた。よい踊りを盗むことは、科学技術の情報の交流がある現代と違って、専制的な古代社会や未開社会では常習的な行為だっただろう。しかし、小豆沢大日堂舞楽の五大尊舞で見たように銅製錬作業が戦闘のイメージで再現されたり、神武天皇の大和征服のように戦闘を銅製錬作業のイメージで再現したり、という例はあっても、極秘技術を盗む活動を描いたものは見当たらない。その技術は熟練者の記憶か文書か踊りで伝えられたと思うが、それだけを盗むのは技術集団と国を征服するよりも難しかったかもしれない。とはいえ、疑わしい記述はある。一つは古事記の葦原中国平定のエピソード。アマテラスが帰順させるために使者アメノワカヒコを派遣すると、彼はオオクニヌシの娘と結婚して帰らない。理由を聞くために雉を送ると、アメノサグメという女が楓の木に止まった雉の鳴き声を聞いて、〈この鳥は鳴き声がとても悪い。射殺しなさい〉と言う。アメノワカヒコが弓矢で殺すと、矢は天に届き、それを見たタカキノカミは矢をアメノワカヒコに投げ返して死なせる。葬儀に友人のアヂシキタカネが天から下る。死者の父と妻が彼をアメ

 

ダブル・イメージ

 

アヂシキタカネ 

 

                     

アメノワカヒコ               

                  実体あるいは現象 

 

 

 

銅製錬

 

 

 

 

 

 

 

 

 


1 仮面の道 ; C.Levie-Strauss  新潮社 創造の小径叢書

 

★ 

ノワカヒコと見間違い、怒ったアヂシキタカネは喪屋を切り倒してしまう。

妹は雷神を賛美する歌を歌う。見間違いはダブル・イメージの表現である。それが指示する現象は、銅製錬である。怪しいのはアメノサグメという鳥占い女で、注釈によればその意味は天の探り女、隠密なものを探り出す巫女のことである。銅製錬作業では鳥は有毒ガス検出器の役割を果たしたが、女がそれをチェックする係だったとは考えられない。他にこれといった根拠はないが、外交官アメノワカヒコも本来極秘技術を学ぶ任務を持っていたのではないか?

神功皇后の朝鮮半島遠征は、もう一つの例である。日本書紀によれば、夫の仲哀(ちゅうあい)天皇が8年に神託を受けて、金銀の宝のある国(新羅)を征服するよう言われる。海の向こうに国は見えない、と拒否すると、罰が当たって死ぬ。翌年皇后は西方の国を征服しようと、海の向こうを探させ、日本海を渡る。新羅(しらぎ)の国は降伏して朝貢を始める。高麗(こうらい)と百済(くだら)もそれを知って降伏する。皇后は国の地図を提出させる。地図の記述が出るのは他にない。金銀の宝を得るのが目的だから、鉱山や鉱脈のある土地を探そうということだろう。46年には、それと正反対の動きが述べられる。

百済王が東方に日本国があることを聞いて通交を願うが、海路なので、行き着くことが難しく宝を貢物として献上する、という。翌年は新羅と百済が朝貢する。しかし、前者の貢物の量が多く、後者は乏しい。理由がおもしろい。百済の国の使者が道に迷って新羅の国に行ってしまい、そこで貢物を奪われ、新羅の国の物とすりかえられた。新羅の貢物は実は百済の国の物だったのである。この紛らわしい出来事の記述は単に新羅の国の狡猾さを責めるためではない。朝鮮半島三国の位置関係の上に貢物の移動を描いてみると、真相が浮かび上がる。半島はクワキウトル族の銅板であり、国境線はT字型である。物資の流れは順調なら並行的に日本に向かうが、そのストーリーではアミダクジ式に屈折して、銅製錬の成功つまり溶融した銅の幸運な流出を象徴するイメージに見える。百済の東方外交と日本の西方遠征は青銅鏡を暗示する記述にすぎない。日本書紀の作者たちは朝鮮半島に関しても呪術的な操作をしている。

 

クワキウトル族の銅板

 

 

 

 


              

 

 

 

参照 : 仮面について~9

銅と太陽のアナロジー

 

 

 

 

百済

新羅

ダブル・イメージ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


; 日本の領土あるいは植民地とされる任那(みまな)の位置は、雄略天皇の御陵が復讐のため一部分削り取られた逸話と比較できる。

 

HHJ  VOL.89  2002.12.18

 

 

 

 

 

 

 


仮面について〜28

  

 

よい踊りを盗む [9]

                                       ☆地中海の民話の中にギリシア語のΑのアナロジーが入っていないか探してみると、シチリア島の〈太陽の娘〉にあった1。昔ある王と女王が子どもを欲しがり占い師に聞くと、女王さまは女の子を産むけれども、その子は14歳のときに太陽によって身ごもるだろうと言う。女王は予言どおり女の子を産む。王はもう一つの予言を恐れて、窓のない塔を遠い所に建てさせて王女をその中に閉じ込めた。14歳になると、壁に開けた穴から太陽の光が差し込み、王女は妊娠した。王は、それは運命なのだ、と悟る。しかし、王女の娘はこの世のものではないほど美しかったが、庭に放置された。隣の国の王子が狩りに来て、その子を見つけ、城で育てた。ラトゥギナ(ちさ)が成長すると、王子は結婚しようと望んだ。太陽の娘は拒否した。王子は仕方なく別の王女を選んで結婚式を挙げた。それから、ラトゥギナの魔術のドラマが始まる。花嫁が寂しそうな王子から理由を聞いて、召使を呼んでラトゥギナに甘い菓子を持って行かせると、太陽の娘は自然界に命令してかまどに火を起こし、フライパンと油をそれに上らせた。油がはねると、ラトゥギナは両手を中に入れた。しばらくすると、金色の魚が2匹焼き上がっていた。花嫁は負けん気を起こして真似をしたが、火傷して死んだ。王子は、別の花嫁を選んでまた結婚式をあげた。同じ展開があって、ラトゥギナはかまどの中にもぐって出てくると、髪の中から真珠や宝石が落ちた。花嫁は真似をして焼け死んだ。次の花嫁との結婚式では太陽の娘はバルコニーにいるが、夕日が鉄の手すりに届く頃になると、自分の椅子をバルコニーの手すりの上にのせて椅子に座った。

〈すると、まあどうだろう、その椅子は手すりの上にちゃんと立っていた。しかも太陽が屋根の影に消えていくと、ラトゥギナは自分の椅子を瓦屋根の上にのせた。召使はすっかり驚いて宮殿に走って帰り、自分が見てきたことを報告した。〉花嫁はやはり真似をして死ぬ。この民話は結局王子

 

別の花嫁  太陽の娘

結婚式のストーリー

は屋根とバルコニー

の構図に対応する。

硫黄(S)

錬金術記号

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


1 ぎょうせい 小沢俊夫 訳編

 

 

太陽の娘の結婚でハッピーエンドになるが、注目するべきなのは〈別の花嫁〉がエヴェンキ族の民話の〈どこか別の陸地〉と同じくストーリーの構造上の屈折を表現しているということだ。それはスワイフウェ仮面と神話で見た直接的に表現されない屈折と共通する。屈折は言語が適切に表現できない場合は構造的に処理される、と考えていいか?ともあれ、〈太陽の娘〉は銅製錬の悲劇を語ることはなく、きわめて隠喩的な展開で前編後編という構造的な屈折もある。前編は太陽による銅鉱脈の生成か、あるいは王国の銅鉱山経営の失敗を語る。隣国の王子はそれを再開しようとして、太陽の娘との難しい結婚を試みる。太陽の娘は魚や宝石を簡単に作り出せ、それはバルコニーと屋根のフォルムが暗示するΑつまり富と幸運と輝かしい未来の約束なのである。

雷と鹿の角のアナロジーから造船物語になったが、ついでに造船と楽器の関係に触れたい。古事記によれば応神天皇の時代に所在地も読みも不明の免寸河に高い樹があった。その影は朝日に当たれば、淡路島に伸び、夕日に当たれば、大阪の高安山を越えた。この樹を切って船を作ると、非常に速く走ったので、淡路島の寒泉(しみづ)を汲んで天皇の飲料水として献上させた。この枯野という船が壊れると、それで塩を焼き、燃え残りで琴を作った。音色は七里に響き渡った。日本書紀では仁徳天皇の時代で、伊豆国が献上した船とされている。枯野の功績を伝えるために船材で塩を焼かせ、500籠の塩を諸国に配って500隻の船を作らせた。ところが、武庫川の港にそれらを集めたとき新羅の船の失火で多数の船が燃えてしまい、弁償させた。新羅の国は腕のいい木工職人を献上した。天皇は塩焼きに使った枯野の燃え残りを奇異に思い、琴を作らせた。それは美しい音色を遠くまで響かせたという。琴の材料にはどんな木が使用されたかと言うと、桂の木である。比内町独鈷大日堂の近く楽森には琴を奏でて遊んだという伝承が残る。しかし、桂の重い材質は船材には向かない。塩とは木材が燃えた後に生じる灰のメタフォールであると考えるべきだろう。

 

 


サンマルコ広場(ベネチア)の塔

 

[JTBのパンフレット]

                                                                                         


 

 

 

 

 

 

Αα    あ     

ひらがなの〈あ〉は真言宗では宇宙の真理を象徴するという。十字と渦巻・魚の組み合わせと考えられる。本については富本銭の考察を参照すること。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


HHJ  VOL.88  2002.10.10

 

 

 

 

 

 

 

 


仮面について〜27

  

 

よい踊りを盗む [8]

☆造船物語と関係のある例をもう二つ挙げる。京都三千院の往生極楽院と名づけられた阿弥陀堂の逆さ船型天井。これは三角形の断面で船底の肋骨に似た梁も付いていないが、昔からそう呼び習わして観光客の首を疲れさせる構造物である。天蓋の下には阿弥陀像が安置されている。造船物語は問題が多いと直観したとき、その他に想い出したのは、ナイル河のほとり紀元前2500年頃に作られたギザのピラミッド群の内部構造である。クフ王の墓の〈王の間〉には逆さ船型の構造物が天井に載っている。三角形の屋根は重力軽減のために考案されたというのが通説である。しかし、図では〈女王の間〉も三角屋根で、重力がもっと大きい下の空間にはその構造が採用されていない。クフ王とカフラ王の墓には木造の船が埋められていることは、造船物語から由来するフォルムと解釈させる根拠になる。重要なのは三角形という記号である。〈銅と太陽のアナロジー〉で見たように溶銅の生成流出を写し取ったT字型は富と幸運と輝かしい未来を約束する象徴である。三角形(V字型)はその反面的な意味をも表わした苦い世界観の象徴だが、頂点から下りる時間の動きは製錬所の炉の中で白熱光線を放つ銅=太陽の子の生成と同じく世界の夜明けをも象徴する。そのために船底は三角屋根に変形される。この逆さ船は後世のピラミッド・テキストでも霊魂が乗って天に帰るための船である。カナダ太平洋岸トリンギッツト族の神話では世界の始まりに船が登場する。太陽の息子が銅製の舟に乗って地上に降りてきて、その子が舟の銅板で家を建てる。

 

クフ王のピラミッドの三角天井

 観光客による落書きがある。

[四大文明NHK出版]

 

北白川宮成久の墓碑柱

1923(大正12)41日北フランスで自動車事故死。この日は白い紙を切り抜いた魚を人の背中に張る風習がある。

        [皇族 :広岡裕児]

 

往生極楽院

[日本美術全集 講談社]

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 

住居の屋根に降りた船に堅魚木が並んでいるシーンを作れば、継体天皇陵と伝えられる今城大塚古墳の埴輪になる。瓦屋根はそういう神話的な観念が作った船と波のメタフォールだろう。

この三角形の同類は珍しくない。アテネのパルテノン神殿の屋根は、初期の三角屋根の例だ。乾燥した気候だから、雨が溜まらないようにする目的で設計する必要はなかった。呪術的な動機の様式なので、三角屋根は西洋建築の入口の屋根に典型的に見られる。神殿の内部には象牙に金箔を張った守護神の女神アテナの像が祭られていた。女神像はギリシア彫刻に特有の目つまり目玉のない目をしている。それは無精神性の象徴どころか、二ツ井町小掛(こがけ)の煙管人形の銀色の目が明らかにしたように視覚の対象を反射することの記号の方向性による表現で、白熱光線に眩まされないで事物を見とおす知性の勝利を象徴する。白い眼で見る、という言い回しは起源をよく保存している。そして、それを裏打ちするよう銅鐸には人間の両目がかなり写実的に描かれているものがある。古代人は決して絵のテクニックが幼稚だったのではない。屋根の他には、西洋のある種の墓や柵の尖端に三角形を見ることができる。抽象すれば、境に付く。ギリシア語のΑ(アルファ)と小文字のαも、深い意味を秘めていると想像させる形である。Λ(ラムダ)とΔ(デルタ)はアルファベットの最初に置かれない。Αの水平線はT字型の水平線だから、Αが文字群の始まりに来る。小文字のαはそれに全然似ていないが、この曲線的なフォルムは何なのか?ルネ・ユイグの《かたちと力》によれば1、流体の渦は内部空間の最初の生成であり、時間に適応する生命体の運動の象徴である。小文字のαが渦巻と魚の結合だとすれば、おもしろい。 

 

 

アテナ

紀元前438年完成のパルテノン神殿に祭られた像の大理石によるレプリカ

 [アテネ国立美術館蔵]

 

 

 

 

古代精神は普通イメージの魔力を恐れて、リアリズムを避けた。

 

目と渦巻

広島県福田銅鐸      

[銅鐸の絵を読み解く

国立歴史民俗博物館編]

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


HHJ  VOL.87 2002.8.7

 

1 FORMES ET FORCES ; René Huyghe  ルーブル博物館館長

 

 

 

 

 

 

 


仮面について〜26

  

 

よい踊りを盗む [7]

☆船は、交通と運搬の道具としても鉱山と切り離せない。それは川を通って奥地に人や物資を送り届けたり、鉱山で採掘した鉱石を運んだりした。行基が橋を建設したという伝説も、その構造と役割から造船と似たような背景を持つだろう。

歴史と思われる造船物語は、米代川にある。きみまち阪の岩山の少し上流で、658(斉明天皇53)阿倍比羅夫の軍船は鋭く折れ曲がった流れに突き出た広い瀬に上陸する。その辺は、湖のように静かな水面である。小繋の人の話では七座神社の祭典のとき昔は川原に店が並んだという。上陸を記念したらしい。神社の建立は約2000年前と言い伝えられる。伝説と日本書紀は一致して、その土地の神に船と五色の綵帛(しみのきぬ)を奉納して祭ったと語る。その土地とは、注釈によれば前年訪れた齶田(あぎた)の浦である。齶という漢字は〈咢〉について考察したように映像表現として選ばれた銅製錬の指示記号である。地図に記されていれば、齶田は飽田(あきた)とは違う土地かもしれない。

このストーリーは、阿倍比羅夫が蝦夷征伐をしてその土地の神に船一隻と五色の布を捧げたという5要素の組み合わせだけで銅製錬の表現の特徴的な構図が透けて見える。土地の神とは危険な銅鉱石のことである。船は都から運んだ贈物でも戦死者が多くて余った船でもない。銅鉱石を掘るための坑道の木組みである。安倍(あへ)という名前は、造船物語の構造に入ってやっと実体を現わす。つまり、〈アエ〉の発音は喉の奥から出る息の擬音であるということだ。〈喘息(あへ)きて〉の注釈には『説文』に「喘、疾息也」とあり、万葉集366の歌に「安倍寸(あへき)つつ」と表記する例が

参考            

ラテン語〈aer;気、空気、雲霧。

aes;青銅、銅、貨幣。

その語源ギリシア語〈αε=αει〉; 常に、絶えず。

 

七座(ななくら)神社前

[HHJ]

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


あることが述べられている。今でもこの辺では、悲嘆や憐憫を表わすときに〈あえ!〉と最初に間投詞として用いられるのを聞く。この安倍の音読み〈あんばい〉は〈塩梅(この地方の訛りでは、あんべ)が良くない〉とか〈按配が悪い〉という言い回しにつながり、やはり身体器官の調子や素材の調合に関係する。酸素欠乏や有毒ガス発生、それが口と鼻による生命の呼吸活動と空気の存在を強く意識させる契機になったと思うが、象徴的に一連の恐るべき出来事を指示する呪術的な栄誉称号として結晶したのだろう。例えば、小豆沢大日堂(大日霊貴神社)の宮司は安倍姓である。阿片(あへん)という名詞は、それと共通するところがある。空気と曲という意味のある英語〈air〉も。

安倍と北方部族の係わりの記述で目を引くのは、歴史確定作業の従事者たちが安倍比羅夫の名前に対して異例の呪術的な操作を行なったことである。斉明天皇4年夏4月安陪臣[蕨名(名を欠く)]船団を率いて齶田・淳代の蝦夷討伐。是歳越国守安倍引田(ひけた)臣比羅夫が粛慎(みしはせ)討伐。53月安倍臣[名を欠く]が蝦夷の国を討伐。飽田・淳代、津軽、胆振金且(いぶりさえ)の蝦夷を饗応。63月安倍臣[名を欠く]が粛慎国討伐。渡島の蝦夷救助。5月安倍引田臣[名を欠く]が蝦夷50人余り献上。名を欠くとは、諸説があるということだが、明らかに想起できないからではない。仮面や土偶などの一部分を取り除く慣習と同じく魔力を封じ込める効力があると信じられたから、と考えるべきである。例えば、正倉院の伎楽師子(獅子)面はどれも右耳か両耳が故意に外されている。麻生の土面は左目が削られている。亀ヶ岡の遮光器土偶は左足が欠けている。この魔力とは記憶から消したい映像の呪縛である。4年の粛慎討伐では例外だが、幸運な遠征だったからだろうか?献上された蝦夷(エミシ)とは銅のことである。

 

亀ヶ岡遮光器土偶

縄文晩期

旧木造町縄文館

[HHJ]

 

 

 

 

 

 

 

 

 


HHJ  VOL.86  2002.7.1

 

▼ 安比川のページ

 

 

 

 

 

 

 


仮面について〜25

  

 

よい踊りを盗む [6]

☆鹿の角は中国系のイメージらしいと書いたが、サンタクロースが乗る橇を引くトナカイの角も稲妻のメタフォールのように思える。この伝説が銅精錬と関係があるかどうかは、赤と白の衣装を着たプレゼント配達人が煙突から出入りするという事実で確証できる。贈物を靴下に入れるのは、靴下を鹿皮製のふいごのメタフォールと見れば、合理的なイメージの組み合わせだということが分かる。

言葉とイメージ(映像)は、それだけでは何か他の対象を指示する記号として機能しない。本来の意味(概念)を否定する記号にはならない。靴下が何か他の指示記号として主観を超えて知覚されるためには、別の言葉かイメージの存在が必要である。しかし、化学物質の結合のようにその関係の仕方、言い換えれば構造が違えば、類似の要素がいくつ集まっても、そこには同じメッセージは生じない。次のシベリア東部エヴェンキ族の民話は、この章にふさわしい表現である。

―昔、一人の商人が使用人を何人も連れていかだで川を下って商売に出かけた。風で高波が起きて、いかだが壊され、みんな川の中に投げ出され、溺れ死んだが、一人だけ使用人が生き残った。男は海にまで流され、草も木も生えていない島に着いた。歩いてゆくと、石の上に大鹿の皮が広がって落ちていた。内臓も肋骨もない。それに包まって寒さをしのぐと、鷲が掴んでどこか別の陸地に運んでいった。高い木々が空までそびえ、広い道が延びていた。歩いてゆくと、一人の巨人に出会い、〈おまえは地上から天にやってきたのだ。ここで暮らせ〉/林の中には石のテントがいくつも建っていた。テントの間には深い堀があった。巨人の仲間は、腹を切り裂いた大鹿を堀に投げ込み、鷲がそれを掴んで外に運び出すと、鹿の肉の中から黄金が光り輝いた。

巨人たちは黄金を取り、また大鹿を堀に投げ込んだ。男は、その仕事を手伝った。一年働き、巨人の女と結婚したが、まもなく妻は病気で死んだ。

 

 

伝統的なダイヤ柄のソックス

ダイヤは必ず踵の上部に付く

 

 

 


                 

 

 

 

 

 

 

 

巨人たちは棺を作り、死者をその中に横たえて、男も一緒に中に入れと命令した。それが掟だった。男はためらってから、仕方なく棺に入った。巨人たちは  蓋を閉めて、棺を堀に投げ入れた。棺は音を立てて長い時間落ちて行き、堀の底にぶちあたって壊れた。エヴェンキ族の男は真っ暗な中を見回した。手探りで探ると、人間の骨があった。女の泣き声が聞こえた。歩いてゆくと、赤い目の怪物が来て、女の方に行った。骨をかじる音が聞こえた。男は歩いているうちに地面が土から石に変わったことに気づいた。身を守るために石を拾ってポケットに入れ、長い間歩いてゆくと、暗闇の向こうに小さな星がひとつ光っているのが見えた。それに近づくにつれて、星は大きくなり、足元がすっかり明るくなった。男は一休みして、ポケットから石を取り出してみた。すると、石ではなくて黄金だった。男は大喜びをして、また歩き始めた。小さな星は太陽になった。後ろを振り返ってみると、真っ黒い雲があった。前を見ると、泳ぐことができる川があった。そして、川の中をロシア人たちがいかだに乗って流れていった。男は白いシャツを棒の先につけて振った。ロシア人たちが気づいて、いかだを岸に寄せた。〈おい、見ろよ。おれたちの知ってる男だ。おまえは3年も前にいなくなったんだぞ。〉エヴェンキ族の男はどんなことがあったか話した。ロシア人たちはあのテントに男を連れ戻して、また旅を続けた。男はエヴェンキ族の人々に黄金を分けて、自分も少し取った。それ以来、仕事はうまくいった。

終わりに出てくる川は地底の川のような錯覚を与える。筏はそこで坑木のイメージに変化するが、この場面には鉱山の穴の中に滲出した水との闘いが投影され、地獄の川や沈没しかけた船を連想させる。島は単に地理的な記号ではなくて、鳥居の上の笠木に島木と呼ばれる横木が付くものがあることから類推すれば、造船物語の現場だろう。いずれにしても、堅魚木を載せた構造物のある埴輪は、それが銅を積んだ船であることを明らかにしてくれる。

 

      

 

 

 

 

 

 


                 

 

 

 

堅魚木のついた

船型屋根の埴輪

6世紀 大阪府 今城大塚古墳     [朝日百科]

花岡鉱山で使われていたナラの坑木 

[大館郷土博物館]

[撮影:HHJ]  

 

 

 

 

 

 

 

 


HHJ  VOL.85  2002.4.14

 

 

 

 

 

 

 

 

 


仮面について〜24

  

 

よい踊りを盗む [5]

銅と稲妻の関係を直接的に表現した事実は、ほとんどない。銅鉱脈を探し当てる技術や手法が知られることは、支配階層の政治と経済基盤を揺るがせる原因になるからだ。しかし、エセーの冒頭に付けた中国周末期(紀元前9世紀)に作られた木彫りの仮面は、珍しく頭部に2本の鹿の角が付いていて、メッセージを解読する貴重な鍵になった。これはスワイフウェ仮面やクウェクウェ仮面と同じく垂れた舌と突き出た目が特徴的である。周時代は黄河上流で銅生産が盛んだったので、作品の背景は北太平洋の東と変わらないと考えていい。断片的な記憶だが、ヨーロッパには地中の水脈や鉛管を見つけるときY字型の木の枝を使用する迷信がある。それを逆様にして両手の指先で軽く支えて歩くと、水脈や鉛管の上でY字型に下がるという。Y字型の枝の垂直変化は雷光のイメージである。日本の迷信では、アースを水道の鉛管に繋いだ。Y字型のイメージで、ぼくが見つけたのは、垂仁天皇が皇子と遊ぶために作らせた二股に分かれた杉の丸木舟。弓矢の先端。それから、推古26年船を作らせるために河辺臣(おみ)を安芸の国に遣わした出来事である。〈雷神が憑りつく木だ〉と地元の人が制止するが、御幣(みてぐら)を供えて伐採させると、大雨が降り雷電が響いた。河辺臣は剣の柄を握り、10回あまり落雷したが、傷はできなかった。雷電は小さな魚になって、樹木の枝の間に挟まった。そこでその魚を取って焼き、船を造り上げた。イメージの構成は正確だ。ツィムシアン族神話の銅に変わる鮭のダブル・イメージと平行する銅製錬の寓話である。木の枝は銅鉱石を焼くとき2酸化硫黄から酸素を奪う還元作用で有毒ガスの発生を止める陸上植物で、稲妻とのフォルムの類似を見ている。造船とは何か、問題の多い言葉だが、銅鉱脈に通じる穴に坑木=鳥居を組み立てること、銅を船に積んで持ち帰る冒険のことだろう。

 

伊勢神宮 内宮      

 [神社事典]

 

千木と堅魚木

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


                 

独鈷大日堂

[HHJ]

 

小豆沢大日堂

   [HHJ]

       

 

 

 

 

 

 

 

 


造船物語のイメージの構成を建築物に適合させたように思える例がある。神社の屋根に載っている千木(ちぎ)と堅魚木(かつをぎ)の組み合わせである。千木のフォルムにはY字型の変形のVXがあり、前後の千木に挟まれた棟にはほぼ円筒形の堅魚木が数本必ず横たわっている。千木は、デザインの差はあれ、稲妻のメタフォールだろう。この様式は伊勢神宮(V/Y)と出雲大社(X)と住吉大社(X)など、米代川流域では小豆沢大日堂(X)と独鈷大日堂(V/Y)にある。堅魚木の数は銅生産に比例するのかどうか、あるいは他のメッセージがこめられているのか、それぞれ10(内宮9)3本、5(断面が四角)5本、4本と異なる。5は継体天皇の章に出る色彩の数と同じである。造船物語と建築様式はどちらが古いか、ともあれ、堅魚木に関しては古事記の雄略天皇の章を開くしかない。大長谷若建命(おおはつせわかたけのみこと)が皇后若日下部王を訪れるために今の大阪府北河内郡にある日下(くさか)へ向かったとき、山の上から眺望すると、〈堅魚を上げて舎屋()を作れる家〉があった。天皇は誰の家かと問い、天皇の住居に似せて造ったことを怒り焼いてしまおうとする。大県主(おおあがたぬし)は、そうとは覚らないで過って作った、と謝罪して白い犬と布と鈴の贈物をする。注意したいのは、日下が太陽と草の親密な関係を風景画のように暗示していることだ。

寓話に出るイメージ構成は、他に潜在する同種の構図をも浮き上がらせる。錦木塚が位置するのは川の合流地点の間で、小豆沢大日堂は合流地点の脇にある。麻生集落は縄文期の遮光器式眼鏡をかけた土面が発見された田園地帯だが、米代川と阿仁川の合流地点の間にある。この仮面は銅鉱石に恵まれた上流から流れ着いたものではないな、と考えさせられる。遮光器式眼鏡といい、横から見た鼻の人工的な形といい、銅製錬の道具に使えそうな特徴を持っている。これは類似の目をした〈アガメムノンの仮面〉と呼ばれる死者の黄金のマスクと重ね合わせることができる。ユーラシアでは牛の角が雷のメタフォールで、リュトン(酒杯)に付いたりクレタ島の壺やブルガリアの墳墓に描かれている。小豆沢大日堂の壁には鹿角地方でありながら牛の絵馬が飾られている。鹿の角は中国系のメタフォールらしい。 

 

麻生の土面 

[二ツ井町歴史資料博物館]             

[HHJ]       

         

 

  

 

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 


黄金マスク

 

[週刊朝日百科]        

 

 

 

 

 

 

HHJ  VOL.84  2002.2.14

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


Atelier Half and Half