仮面について 

Sur Les Masques

 

 

 

 


HHJ VOL.75 20008

              

P 45   46   P 47   ★ HHJ

黒・白・赤、15 [5

☆籾押しと幡上げが終わると、それからは舞台が中心である。縦横1間半(約27m)の正方形の舞台で、危険に思えるほど狭い。9間(約16m)四方の広々とした伽藍の真ん中にそんな舞台を置いた理由は、何だろうか?真上ではないが、中空には幅40cmくらいの薄織りの麻布が緩やかな曲線を描いて水平に延びている。それは古事記の継体天皇の章に出る〈麻〉と錦木伝説の狭布を結び付けるものだろう。実物を見るとは、予想もしなかった。

 大日堂舞楽には、祭式と本舞がある。舞台の上で演じられる祭式は神子(みこ)舞・神名手(かなて)舞合わせて16種目で、各集落の能衆が入れかわり立ちかわり次々と舞う。十方諸神招請の舞いとか天地拝礼の舞いと言われ、軽快に回転しながら鈴を鳴らしたり紙切れの束を振ったりする単純な動きである。挨拶みたいな印象を受ける。衣装はスモーク・ブルーの麻布で、同じ色の日の丸の入った白い扇が付く。本舞では羽織りや装飾物などを上にまとう舞いがあるが、明るいスモーク・ブルーの正装は共通している。このシックな色彩は、〈はせ川食堂〉のファサード(正面)と2階のアール・デコ調匂欄に用いられていた。父が尾去沢鉱山のマーケットで見つけた色だ、と米代川ドキュメンタリーのルポルタージュで触れた。スモーク・ブルーを作る色については、青と黒と白、それに〈黄色〉を少し混ぜると父が言った。布地だから、白色は麻を川の水に浸して日光に晒す酸化漂白の手法か亜硫酸による還元漂白の手法で出されたと思われる。他の色の染め方については推測の域を出ない。ぼくは白黒写真でしか大日堂舞楽を見たことがなかったので、日本的な美意識から離れたモダンな色彩感覚に唸った。テーマ音楽の笛の伴奏はそれに合い、フラットの連続する沈み込む感じのメロディになると、モダン・ジャズの曲の断片があれこれ記憶の中で響いた。この類似は脳神経細胞のシナプス間が共通する状況に陥ったせいじやないか、と笑い事ではなく考えさせられた。化学伝達物質が奏でる音楽なのか…?

 神子舞・神名手舞が終わると、米撒きの行事と修法が行なわれた。近隣の人たちが舞台に散らばった米粒を脇から拾ったり、舞台の縁に紙を置いて何か書きつける。理由を聞きたかったが、余裕がなかった。修法では、朝廷の使者が巻き物を開いて小豆沢大日堂に音楽博士を遣わしたことを述べる。おそらく718(養老2)年元正天皇の勅命で再建したことをも…この辺はメモ程度の途切れ途切れの撮影で、記憶に残っていない。鹿角市史によれば、行基が大日堂再建の指導に当たった。温泉開発と土木福祉事業で名を残した僧なので、設計もしたに違いない1。温泉とは前に考察したように鉱山のメタフォール(隠喩)である2

 

 

 

 

麻布

 

 

 

 

 

 

 

 

文章を書く人

 

 

 

 

 

 

1        行基: 668~749奈良時代の僧。聖武天皇に厚遇され、東大寺大仏建立に貢献する。

大日如来像製作の伝承がある。

2        理想的な表現 [C] 参照

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


                                    

            

                       

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

仮面について 

Sur Les Masques

  

                     

P 46   47   P 48  

 

 

本舞には7種目ある。順序は、最初の権現舞と3番日の烏遍舞と4番日の鳥舞を除いて、定まっていない。大日堂舞楽の代名詞である五大尊舞は18世紀半ばまではトップで演じられたが、不浄の観衆が卒倒したために最後に回したという。昭和初期からは5番目に出る。ドラマ性はないので、順序は気にならない。簡単に見ていこう。

【権現舞(小豆沢)】…これは地蔵舞と同じ舞いである。

【駒舞(大里)】…木造りの馬の頭と胴を腰に付けた能衆が二人、舞う。一心不乱の大地踏みや仏教式合掌。本舞の中では一番悲壮感が漂う。人の両腕には蔓状植物の飾りが垂れ、頭には同じ飾りと白い紙切れの乱れ髪風の帽子が載っている。馬の頭は蛇に似ている。麻色の立て髪が付いているが、口は真っ赤で、白い円の中に群やかな青色の日玉がある。頭部のフォルムと色彩は一見して象徴性が濃い。馬の背中には枯れ枝のような小さな荷が見えた。神主に聞くと、集落にある駒形神社の〈ご神体〉だという。

【烏遍舞(長嶺)】…開拓や架橋を手伝った天狗の舞いとか継体天皇妃となった長者の娘の葬送という説がある。黒い羽織りに紺色の肩当てを付けた武士風の6人が刀を持ち、鈴や白い紙切れの束を振ってスローテンポで舞う。沈鬱で重厚な動き。防御用の頬当てかと思った黒塗りの面は実は長嶺毘沙門神社のご神体で、烏のイメージで作られたように見える仮面だ。額の左右に開いた丸い穴が目を表わし、頭に巻いた白い布の端が両目を通って顎まで垂れ下がっている様子は北アメリカインディアンのスワイフウェ仮面を想起させる。能衆は顎が外れた感じの仮面の口から顔を覗かせていることになる。目玉のない〈烏〉と〈愕〉の映像性に注目しよう!

【鳥舞(大里)】…長者が飼っていた鶏の舞いと言い伝えられ、紙製の冠の頂きに鶏を付けた男の子3人が日の丸の扇を片手に太鼓の伴奏で輪を描いて舞う。冠の下は祭式のときと同じく半分に割った卵の殻に似た形の白い綿帽子で、赤いリボンを巻いている。舞いの途中で稚児たちが中心軸に寄り集まってしゃがむと、鈴を持った一人が扇を軸の上に置き、両手で鈴を振って日の丸の扇を拝む。放課後の遊びの情景そっくりだが、中心軸の近くに銅色の十円玉がころがっている。何でもないような在り方が気になる。男の子たちの両腕は白と麻色の蔓状植物の飾りで蔽われている。

 これまでの記号解釈を適用すれば、鶏は製錬炉の銅を拝んでいる。銅鉱石を焼くときに出る亜硫酸ガスの毒性を完全に消すここができるように、鶏がお祈りやお呪(まじな)いをする様子である。それだけでは自然環境の浄化を祈る舞いで、確かにそれが目的だったかもしれない。しかし、長者が鉱山経営者であることを忘れるべきではない。近代ヨーロッパの鉱山の例を参考にすると、坑道内で働く作業者の生命を酸素欠乏とガス中毒から守るために空気の汚れに敏感なカナリアを置いた。カナリアが歌うのを止めたら、外に逃げなければならない。鶏の祈りとは猛毒の煙の犠牲にならないで済むように、ということだ。精練の全工程で作業者の安全のために空気の亜硫酸ガス汚染度を検知する必要があるとき、鶏で試した光景が浮かぶ。鶏が生存できれば、人は恐怖を感じないで製錬炉に接近することができる。そのために鶏は富と幸運をもたらす霊鳥とされた。もちろん坑道内でも鶏は身代わりになったはすだが、他の鳥も犠牲になったと思われる象徴的用法が神話にある。そして、鳥居は人の運命を占う鳥類が漢字に残るとおり繋ぎ置かれたために守護神的な構造物とされたのだろう。

 

駒舞

   

 

 

 

 

 

 

 

 

 

        烏遍舞

 

 

 

  

 

 

 

 

 

鳥舞

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◇ プロローグ

1    仮面の起源

2        仮面の可能性

 

◇ 第1

1        スワイフウェ仮面と言語的表象

2        仮面を付けた人物の墓碑柱

3        理想的な表現

 

       2

 銅のテーマ~米代川劇場の顔見せ興行

2            クウェクウェ仮面の赤い舌

3            向かい合う仮面

4            銅と太陽のアナロジー

5            黒・白・赤、1;5

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

仮面について 

Sur Les Masques

 

 

 

 


HHJ VOL.76 200010

P 47   48   P 49  

 

 


黒・白・赤、15 [

             ☆可愛い鳥舞が終わると、緊張した雰囲気になる。

【五大尊舞(谷内)】…面を付けた6人の能衆が控えの間から威勢よく鳥居を通って舞台に上がる。狭い空間で刀と面が光り輝くだけでスリルがある。この狭さは、転落や切り傷の恐れがある危険な密集的な舞いを演出するために計算されたものだろう。能衆の衣装はスモーク・ブルーの麻の正装に黒い上着である。上着の羽織りは黒地に白い3本の平行線が肩と腕に付く。前後は印象的な幾何学模様で、胸に縦横5個の正方形に近い白のダイヤ、腰の辺りに2本の水平な白線、その下に同じく2本の水平な白線とその1本から垂直に下がる12本の白線がある。上下の組み合わせは、〈銅と太陽のアナロジー〉で考察したT字型の象徴的記号の芸術的なデザインである。白のダイヤ柄模様は銅の白熱光線を表わし、12本の変形T字型は溶融した銅の出現を意味する。〈スワイフウェ仮面の下顎に関する解読はT字型の線の意味を明らかにする。富と幸運、輝かしい将来を約束する記号なのである。T字型が分ける面は…(略)…一つの存在から互いに正反対の性質の二つのものが生じることを表わす自然哲学の表象である。銅は富と恐怖をもたらす極端に両義的な存在なので、人間の精神に世界観を刻印するまでに至ったと言える。クウェクウェ仮面は、自然の中に素朴に生きていた人間を自然から引き離して、自然と対立する存在としての自己意識を確立した。T字型の上半分は始源の世界であり、下半分はそこから生成した自然界と人間界を表わす。)

五大尊舞は悪魔退治の舞いと言われる。大日如来の呼び名は真言密教の摩訶毘盧遮那仏(マカピルシャナ)の訳で太陽にたとえられ、従者の普賢・文殊・毘沙門・不動は守護神的な性格を持つ。本質を錯綜させないために思想よりも仮面と舞いに光を当てよう。舞台で最も目を引くのは金箔の面と漆塗りの黒い面だ。真っ黒な面は金色の目をした異様な迫力がある。眼球の穴を除いて金色に輝く目を持つとは、どんな必然なのか?二ツ井町小掛(こがけ)集落の厄除け人形を見ると、理解できる1。杉の葉の銅色の簑を着て煙管(きせる)をくわえ、銀紙を張ったような目で睨んでいる。記号の方向性にしたがえば、その目はきみまち阪の加護山製錬所で南蛮吹きで粗銅から分離された銀を見ている。記号〈目の中の銀色〉と対象〈精練炉の銀)は習慣的に帰属関係にあることから、精練作業者である。金色の目に映るのは黄金色の銅であると考えるべきだろう。

同じように黒い色は暗闇の表現か、光の乱反射を防ぐための色か?斜め円錘形の目のフォルムは例の双眼鏡の平面化で、したがって眼球が鼻に寄っている。共通する他の特徴としては、額の左右に付いたアール・デコ調の直線的な金色の鳥の羽、頭に巻かれた金色の歯形の輪がある。アール・デコは機械化に適合したデザイン思想で、古代の一時期おそらく中大兄皇子(天智天皇)の時代にも、流行したのではないかと想像させる。

 

 

           

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

1 鐘馗(ショーキ)様  旧二ツ井町歴史資料館所蔵

  

  

 

 

 

 

 

 

Atelier Half and Half

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

大博士

黒い面

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

仮面について 

Sur Les Masques

 

 

 

 

 

 

P 48   49   P 50  

この機械マニアは水時計を作ったり、水力利用の装置(水碓)で冶金を行なった1

鳥の羽と頭飾りについては、いずれ機会を見て。

 大日如来は、正確には金剛界大日如来(大博士)とその妻の胎蔵界大日如来(小博士)の二人である。ぼくは前者を始源の存在と受け取り、主役と五大尊で15の比率を構成した。仮面の造型では、金色の面2;黒い面4。ところが、舞台では女のやつれた面が本殿を背にして、黒い面の4人を後ろに従えた主役の金色の面と向かい合って舞うクライマックスが2度も繰り返される!アマテラスは呪術的社会での女性の太陽神なので、〈太陽が来たような〉美女を始源の存在に置いてもいいわけだ。

金色の面1;金色の面1+黒い面4という舞いの演出には、何か根拠がないか?北アメリカインディアンの感受性に富んだ説話を想い出そう。それは銅と太陽がよく似ていることを暗示した。実際、炉の中で溶けた銅は〈眩い白熱光線を放つと、小さな太陽が現われたようなものだっただろう。銅という金属が神聖な存在と信じられたのは、唯そのときのイメージに由来する。これが世界の夜明けと結びつくのは自然なことだ。〉空にある太陽が始源の存在(実体)なら、そこから放射する光線(現象)に照らし出される事物は仮象である。光線と小さな太陽と銅は同一化される。金色の仮面は分離して片方が、超越から内在へ降りるように地上の自然界と人間界の側に移ることになる。二つの金色の面が相対する場面には、その生成変化の意識が現われている。それを男と女(夫と妻)として舞踊化するのは、生命の普遍的な欲求に違いない。

 同じ自然哲学が、古事記でアマテラスが登場する中心的な場面に見出だされる。太陽神天照大御神が弟須佐之男命(スサノヲ)の乱暴に怒り岩窟に閉じこもると、世界は夜だけになった。神々は優れた知能の思金神(オモヒノカネ)に計画を練らせる。この演出者は長鳴鳥を集めて鳴かせ、天の金山の〈鉄(まがね)〉で鍛治屋に鏡を造らせ、鹿占いをした後さまざまな呪術的な装飾で舞台の準備をする2。真賢木(マサカキ)、八尺(やさか)の匂玉(まがたま)の五百個の御統(みすまる)の玉、八尺鏡(やたかがみ)、青い木綿(ユウ)と白い麻の2種類の和幣(にぎて)、日景(ヒカゲ。サガリゴケのこと)、真折(マサキ。ツルマサキのこと)、小竹葉(ササバ)。登場人物は4人(布玉命、天児屋命、天手力男神、天宇受売命)で、アメノウズメが乳房を揺らして踊る3。アマテラスは楽しそうな騒ぎを訝かり、別の太陽神がいるのかと嫉妬して戸の隙間から外を見る。鏡に映ったのはアマテラス自身だが、〈奇(あや)しい〉と思う。アメノタヂカラヲが戸を開け放ち、世界に光が戻る。鏡のドラマが想像力を刺激する。

      アマテラス;青銅鏡(=太陽神の映像=分身)+4

 五大尊舞の仮面との間に平行的な比例関係があることが分かる。15の変形というより、これが原型だろう、小さな太陽を製造する精練と鋳造作業が。この場面には確かに太陽の復活を祈る呪術社会の祭儀の痕跡がある。しかし、植物その他の要素はどれも銅精練の過程からイメージを取っている。まだ説明されていない要素については化学分析が実証的に明らかにするはずだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

1        日本書紀  

2 鉄という単語が選ばれた理由については、〈仮面をつけた人物の墓碑柱〉〈クウェクウェ仮面の赤い舌〉を参照。銅を否定的に指示するダブル・イメージの記号表現。

3 登場人物4---フトタマ、アメノコヤネ、アメノタヂカラヲ、アメノウズメ。

 

 

 

 

 

 

 

女性の太陽神と向き合う

金色の面と黒い面

白木鳥居と舞台

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

仮面について 

Sur Les Masques

 

 

 

 


HHJ VOL.77 200012

P 49   50   P 51  

 

 


黒・白・赤、15 [7

             ☆金色の仮面の間にもダブル・イメージを見ることができる。ただそれらは実体(太陽)と現象(光線)の関係としてとらえたので、根源的なダブル・イメージとして枠組みを少しずらさなければならない。このダブル・イメージを成立させる根拠はそういうふうに認識する人間存在である。鏡の反射は、人間が自分自身をも視野に入れて環境世界を考えるべきであると気づいたことを意味するだろう。参考のために、哲学を不安にする実体・現象・仮象という三つの名詞を相関的に思い切って単純に定義してみる。仮象とは言語表現や普通の記号のようにそれが否定的に表わす事物から存在の根拠を受け取ることである。現象とは時間の中で自己同一的にそれ自身の存在の根拠を持つと知覚される事物である。例えば、笑顛は一般に現象だが、軽蔑の前触れと分かっていれば、その笑顔は仮象である。実体とはイデアあるいはエイドス(形相・型)のように仮象と現象の不変的な本質であると認識されたものである。北アメリカインディアンの仮面についての長い考察は、仮象から入って現象あるいは実体に行き着いたと言える。

15に変化した理由は、次の視点から見るべきだろう。大陸との対比構造系において世界観を考える。大博士(金剛界大日如来)は〈5大(地・水・火・風・空虚)共に響きあり〉というインド起源らしい詩的直観の思想の終局に位置付けられる宇宙の中心に存在する優れた認識者である。そのうち最初の4大要素物質は古代ギリシアの自然哲学と同じだが、舞台背景にあると思われるのは識という人間精神が加わる東アジア的宗教の特徴を持つ6大要素の宇宙論だろう1。それは鈴を耳に当てて空中の動きを敏感に捕らえようとする様子で表現されているようだ。その仕草は街の中で携帯電話を使用する人にそっくりで、〈まだかな、いいかな〉と思案顔だ。この宗教臭くない表現は、伝承にあるとおり行基と音楽博士が伝えたか考案したに違いない。しかし、6大要素の宇宙論だけではない。中国の自然哲学である五行説(水・金・火・土・木)と日本の呪術的な太陽信仰との融合がある。五行説は推古朝に伝来したとされる。大陸との対比構造系において日本の政治情勢を重ね合わせると、この114のドラマは支配階層の構造に一致するメッセージを含んでいる。天皇は《始源の存在》であるが、絶対的な地位にはない。大化改新以前は蘇我氏が政治の実権を握っていた。中大兄皇子がクーデターに成功した後から天武天皇の時代になると、そのメッセージは天皇制の強化確立を狙うこれからの統治理念に合わない。だから、日本書紀の記述は青銅鏡を単なる舞台装飾のひとつに引き下げている。これには別の意味もある。漢字で記された〈歴史書〉が神聖な青銅鏡に取って代わるために、過去の古い時代にさよならを告げるということだ。ついでに付け加えると、太平記は日本書紀と同じように鏡を扱うが、アマテラスが再び出現したとき人の顔が光線で白く見えたので、

 

           

根源的なダブル・イメージ

 

                             

 

               

 

 

 

[注]偶然か、現象のギリシア語ファイノメノンは(φαινομνον)は光を表わす言葉フォース(φωσ)に由来する。---ハイデッガー《存在と時間》の桑木務訳注より。

 

 

1        有名な哲学教授梅原猛の《密教の再発見》より。

 

   

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  

実体

現象

人間存在

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

仮面について 

Sur Les Masques

 

 

 

 

 

 

P 50   51   P 52  

 

 

〈面白し〉という言葉が生じたと語る。製錬炉の前に立つ特権階層のクウェクウェ仮面。ヴァンクーヴァー島のクワキウトル族が大陸のスワイフウェ仮面群と対立して主体性を確立するメッセージを深ったときに、独創的なクウェクウェ仮面ができた。それと似たイメージが飛鳥地方の物語に出るのは偶然でない。日本書紀の計画は、大化改新後朝鮮半島での戦争に負けて列島に追いつめられた危機的状況の中で始まった。

 五大尊舞の際立った特徴は、歌が付くことである。フレ一ザー河下流系のスワイフウェ仮面の神話・伝説では、歌と踊りで〈役割(フォンクション)を果たす術〉を知らなければ、仮面に生命を吹き込んで魔力を引き出すことができないのだった。〈仮面の魔力を引き出すとは、銅鉱石から亜硫酸ガスを発生させないで粗銅を製錬すること、および粗銅か天然銅を純度の高い銅に精錬することだろう。歌と踊りはその驚異的な技術を意味する〉と書いた1。五大尊舞の歌と踊りは、どうか? 

五大尊舞祭文という素朴な節回しの歌は、残念ながら意味を聞き取るのが難しい。伴奏楽器は稲妻模様のない太鼓と杉板で、後者は形と大きさから連想するとおりまな板と考えていいだろう。長老と呼ぶにふさわしい威厳のある能衆が歌を唸りながらそれを細い棒で叩く。大博士は鈴を鳴らしながらそれを杉板に近付ける舞いをする。まな板の上に魚があると想像すれば、魚は銅のメタフォールだから、錫との合金で青銅を鋳造する作業を暗示しているということが分かる。鈴(スズ)は同一の音である金属の錫(スズ)を意味している。この場面での鈴の役割は、本来的な意味を帯びていて、銅の魚から魔力を引き出すことである。それが魔除けと言われる鈴の起源らしい。ツィムシアン族神話の後編で語られる〈銅に変わるという鮭〉が舞台にあるが、現実に鮭の姿は誰にも見えない。楽観的に、青銅を作り出すことはできたと考えたい。歌には、人が世界と一体化して存在するあらゆるものを魅惑する呪力があると信じられたのだろう。

しかし、舞いが柊わると、6人の能衆は意気揚々と凱旋するのではない。舞台わきで待機していた少年たちの肩にそれぞれ片手を掛け、覚束ない足取りで踏み段を降りて歩き去って行く。極端に視力が弱ったことを表現するのは、ゾノクワ仮面の前衛的な造型と舞踊劇に共通する。ぼくは眺めながら、第1次大戦で毒ガスを受けて視力を失った兵士たちの哀れな行列を想い出した〔2〕。五大尊舞の場合、煙と白熱光線による視覚障害が起きたと考えるべきである。

 仮面が消えると、観衆も減った。終わりに予期しなかった問題を整理しておこう。〈大日堂舞楽と神話歴史書は、北米インディアンの仮面・祭り群と神話・伝説群のように銅の存在が社会の中で構造化した一つのシステムと考えれば、ある呪術的な理由で相似的に作られた構図かもしれない。〉ぼくはそう書いた。古事記と大日堂舞楽面の間に見られる114という同一の比率は、それが相似的に作られた構図であることを証明する。したがって、二つの神話歴史書の時間的継起と並行関係は歴史的事実である。とはいえ、重要なのは実現のタイミンクだ。祭儀の形式と手法をどうでもいいと思っていなかった支配階層の人たちは、古事記と大日堂舞楽と日本書紀をその順序で連係して仕上げるべき理由を持っていたのである。

  

 

                   小掛集落の杉の葉人形

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

1        参照: 仮面について~2 スワイフウェ仮面と言語的表象

    仮面について~8 向かい合う仮面

 

 

杉板

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

仮面について 

Sur Les Masques

 

 

 

 


HHJ VOL.78 2002

黒・白・赤、15 [8

☆回廊でタバコを吸ってから、中の鳥居を背景に入れて再び舞いを撮影した。スモーク・ブルーの正装はVTRでは光の加減で浅黄色にも見える。浅黄色は水色に近い青で、本来なら麻黄色と記すべきものだろう。

【工匠舞(大里)】…鹿角市史によれば、〈大日神〉の御神体を刻む有様を舞いにしたと言い伝えられ、黒い烏帽子をかぶった4人の能衆が出る。舞いは、横一列に並んで左右に体を揺り動かすことから始まる。ボーカル・グループが笛のメロディに乗ろうとするときの動きに似ていて、おもしろい。両手には白紙の房が付いた道具らしい物を持ち、スロー・テンポで抽象的なフォルムを描く。彫刻作業らしい身振りはない。烏帽子は縁に赤い布が鉢巻き状に巻かれ、両耳の上に白い紙の房飾りが付く。この黒・白・赤はクウェクウェ仮面の配色と同じく非常に印象的だ。烏帽子は奈良時代に唐の烏沙(うしゃ)帽を真似たものだという。烏に見えなくもないが、それを帽子にする理由は何か?すでに考察したように人の代わりに酸素欠乏や有毒ガスの犠牲になる哀れな鳥を守護的存在としたのだろう。そして、頂きが前に折れ曲がったフォルムはスワイフウェ仮面の屈折と共通して、シベリア東部に住むオロチ族の非常に短い民話を暗示する。鮭は流れの急な川を遡るには頭が大きすぎたので、タラに頭を取り替えようと言って交換した。それ以来川を上れるようになったというストーリーだ。北アメリカ・インディアンの伝説では食べることを禁じられた黒い鮭と赤い鮭が守譲神になった。

黒・白・赤の舞いとは何なのか?だんぶり長者の伝説には出ないが、独鈷大日堂の説明書きでは行基は桂の木から大日如来坐像を3体彫り出して、それを長者の故郷長牛(なごし)と妻の故郷独鈷(とっこ)と二人が結婚した小豆沢の3集落の大日堂に置いた。別所大日堂の言い伝えによれば、行基は別所の1本の木から3体の阿弥陀仏を彫り、長牛の代わりに別所の大日堂とする1。舞楽では大日神である。一つの事実を異なる角度から眺めたように思えるが、それらを調整しても真実は別の所にある。一木三体作りの形式は、烏帽子の黒・白・赤が化学的には辰砂(水銀と硫黄)、宗教的には銅から生じた色であることに対応する。1個の鉱物から3色の物質が生じるというのはT字型と三角形の象徴と類似して、実際五大尊舞の鈴に1点から3本の直線が下りたその図形を見ることができる。奇妙な形式が呪術でなく現実的な意味を持つとすれば、別所で銅鉱石が掘り出されたことの否定的表現である。尾去沢伝説では異人が投げた矛(ほこ)が大盛山の渓谷に突き刺さり、銅の潜在を告げる硫化物の青色(麻黄色)が露出した。その渓谷は尾去沢の裏に当たる別所川だということになる。このルートは大館・尾去沢間の最短距離だ。

 大日神、つまり小豆沢大日堂の公式名称大日霊貴神社が祭るアマテラス。日本書紀の一書には大日霊貴(オホヒルメムチ)と記され、訳注によればオホとは美称で、ヒルメとは日ル(連体助詞)女(メ)つまり太陽である女性、ムチとは高貴な人である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

1 神亀5728)年創建。去年ご神体の天照大御神坐像が現われた。後世のものだろう。---北鹿新聞619

 

 

 

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仮面について 

Sur Les Masques

 

 

 

 

 

 

五大尊舞は鈴(錫)と魚(銅)の合金による青銅品の鋳造を暗示したが、古事記との平行関係から考えれば、太陽を映す青銅鏡だっただろう。そうすると、大日堂再建のとき五大尊舞を舞う谷内(たにない)集落にある神明社(天照皇御祖神社)に大日神像あるいは鏡を置かなかった理由が分かる。実体のいる場所だから、必要がないのである1

【田楽舞(小豆沢)】…長者が農夫を慰めるために始めたとか農耕の様子を表現したと言われる。舞台の隅で風と雷光のイメージの太鼓が鳴ると、ささらを振り鳴らす4人の能衆と卍の小鼓を持つ能衆が登場する。ささらは、木琴のように細長い板の一端を30枚ほど紐でつないだ楽器で、左右の2枚は白い紐で下の方にまで長く垂れ下がっている。太鼓を持つ能衆が加わると、6人は誇張した忍び足の動きでゆっくリプロペラのように回転しながら舞う。その場面ではささらは楽器でなく能衆の左耳に放射状に広げられる。能衆は五色の紙の鬘(かつら)を付けているので、五色の鬘と扇の組み合わせが特徴的な権現舞と照応する。黄色の放射状のフォルムは白熱光線を表わす。

しかし、それと同時に、その身振りは宇宙のあらゆる物質の状態が楽器を通して聴覚に伝わる様子を表現しているようだ。そう考えると、両端に長く垂れた2枚の板は、外観の同一性はほとんどないにもかかわらず烏遍舞の仮面の目と共通する観念を持つことが分かる。つまり、これも知性の勝利を象徴する望遠鏡のヴァリエーションである。この解釈は突飛に聞こえるかもしれないが、しかし、それを可能にした形象を明治維新のとき有栖川熾仁(たるひと)親王率いる官軍が翻した錦の御旗に見ることができる。緑色の地に金色の菊の紋章が輝き、その外縁に2本の赤い房飾りが少し触れるように垂れ下がっている2。金色の菊の花は太陽と光を表わす。このイメージは対立というより調和である。田楽舞は稲作農業と鉱業の二元論的な発展を願う舞いと考えるべきではないか?鉄製の道具は米作りを効率的に推進する。銅製の宗教用具は農業生活の祭事に欠かせない。稲と金属はより合わされたイメージになる。民間の古い形態を舞楽化した田舞(たまい)の記述は天智天皇の時代671年に初めて出る。

 リヴァー・ドキュメンタリーの原点とも言える麻布の有栖川宮記念公園がこのエセーを飾ることに、アンチ・ロマンの小説家はかなり抵抗を感じた。公園にある青銅の騎馬像が先回りして待っていると知って、運命とあきらめた。運命とは何か別として。

 舞楽の後、小豆沢集落の控え室の棚にある権現舞いの獅子面と傍らの暗い布包みが遠くから目に止まった。裏方が一人いるだけなので、遠慮なくヴィデオ・カメラを向けながら布包みの端をめくった。非公開の仮面だった。獅子面は派手に踊っていた面と同じフォルムだが、艶消しのチョコレート色の彩色。他には歯を表わす白い線だけ。紙の鬘は真っ白で一片の赤と緑がある。ぼくが疑問に思っていたのは獅子面に目があるかどうかだが、白い鬘のきつく縛った縁をやっと上げると、黒い線で雑に描かれた片方の目を見ることができた。人間の目に似ている。五の宮なのか?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

1 本来の実体は自然の太陽なので、谷内神明社が当時なかったとしても不思議はない。

2 維新のクーデター:歴史誕生4 NHK取材班

 

 

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仮面について 

Sur Les Masques

 

 

 

 


HHJ VOL.79 20004

 

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黒・白・赤、15 [9

☆舞台裏の仮面には両目があることを確認して、撮影を終えた。彫刻の仮面に手描きの目を付ける理由はどこにあるのか?表舞台で主人公さながらに絢爛に舞った五の宮の獅子面と対照的に棚に放って置かれた五の宮の獅子面が、どちらも目を鬘(かつら)の陰に隠しているのはなぜか?しかし、表舞台で派手に活躍した仮面がどんな目を持っているか確かめていなかった。野球の試合で次から次とサインが送られるプレイヤー並みに考えるべき記号が多すぎた。12時すぎ周辺を散歩すると、挨拶した大日堂関係者がこう話してくれた。

―五の宮の獅子舞に使われる面はオジ面、彩色のない木彫り獅子面はオパ面と呼ばれている。普段は本殿に置いています。

 この長い章では、スリリングな予想もしなかった記号のネットワークができた。構成を錯雑に乱さないためと新たな視野を開くために補完的な事柄を書き留める。

1 烏の黒い仮面…額の横に金色の菱形光線模様が付く。ヨーロッパのダイヤ柄デザインに似ている。

2 五大尊の黒い仮面…アーモンドに似た斜め円錐形の目とそっくりな目が、大阪府亀井遺跡で発掘された弥生土器の水差しに描かれている。弥生時代を代表する銅鐸には目玉(虹彩)が描かれないという1

3 舞楽に使用される鉄の刀…刀剣の製作は78世紀に始まるが、大日堂再建当時は反りはなかった。反りの形が完成したのは平安末期だという2

4 古事記と日本書紀の本の様式…実物の写真も見ていないが、奈良時代の本は巻物様式だったという3。円筒形のフォルムは〈望遠鏡〉からイメージを得たものだろう。製本技術と材料の制約がノート様式の本を作らせなかったのではない。ヨーロッパの歴史では反対に、パピルス(葦)から羊皮に移り変わるとき紀元1世紀を境に巻物が廃れる4。文字の発明と青銅鏡はそこでも関係があったか?

5 国産銅についての分析結果…伝説の銅発見は6世紀である。銅に含まれる鉛の分析測定では、銅製品の原料が列島産であることを示す最古の年代は7世紀、国産銅で青銅器を生産するようになるのは7世紀以降だという。7世紀の銅製品(日本産鉛)では奈良県水落遺跡の水時計遺構の銅管がある5。ただし肝心の銅と錫の測定は不可能だから、年代は絶対的ではない。

6 伝説のトンボ‥‥トンボと渦巻きは仲が好い。神戸市神岡桜ケ丘4号銅鐸にはその光景が、大阪府東条良遺跡の流水紋銅鐸鋳型にはトンボと魚と渦巻き模様が描かれている。他にもあるが、その関係の闇についてはトンボの目に人差し指で渦を描いた懐かしい記憶が囁き示してくれるに違いない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

1         国立歴史民族博物館〈銅鐸の絵を読み解く〉学生社  

2 平凡社の世界大百科事典より

2         古事記と日本書紀の謎   

4 週刊朝日百科 世界の美術

5 集英社 日本の歴史2: 田中琢 著  歴史発掘7: 岩永省三 著

 

 

弥生土器の水差し

大阪府亀井遺跡

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

仮面について 

Sur Les Masques

 

 

 

 

 

 

7 関連がありそうな海外の黒・白・赤…

a クレタ島のクノッソス宮殿(紀元前15世紀)北入ロの柱;最頂部と基部が黒く、他は赤い色1

b クレタ島カマレス式嘴壷(紀元前1917世紀);鳥の嘴型の注ぎ□で、壷は黒・白・赤の象徴的模様1。この壷は古代ヨーロッパのさまざまな深層を開示してくれるに違いない。

c ドイツ国旗;黒・黄・赤だが、黄色は化学的に硫黄を意味する。

d トランプ;白札は黒白と赤白の2種類のヴァリエーション。絵札は黒・白・赤に黄色が加わる。トランプの絵は、注意してみると、謎めいている。例えば、ハートのジャックは左手に一枚の葉を持ち、クラブのジャックは帽子に一枚の葉を差している。キングとクィーンは葉のアクセサリーを持たないが、帽子に黄色地に黒の三つ葉紋様がある。王と后と従僕という3人の人物は雪沢の鹿島流しで小舟に乗せられる旦那と女房と従僕の紙の面、さらに日本書紀の中大兄皇子と婚約者とその強奪者の逸話を想い起こさせる。この共通する関係の構図は、ツィムシアン族神話前編の貴公子と婚約者と奴隷の〈魚釣り競争〉に類似した状況が作ったのだろう2

8 フランス語における現象の記憶保存についていくつか例を挙げる3

     trèfle  nm. 

(卜レフル)(男性名詞)    

 @クローバー A[建築]三つ葉飾り B[トランプ]クラブ

〜 ap médaille  trèfle 鋳造しそこなって像が二重になつたメダル

 形容詞

carreau  nm

 (カロー)        

@小正方形、格子縞 Aタイル B敷石の床、舗道、(鉱山の)採掘物置き場 C[トランプ]ダイヤ

 mettre  le cœur  sur  le  carreau [卑]吐く

   (置く)(心臓)(の上に)  

     fin  nf

(ファン)(女性名詞)

@終わり A目的 / nm. @純金属、純金、純銀 A上質の麻布 B細字 C問題の主要点、真意、極意

     feui11e  nf

(フィーユ)

 @葉 A(金属・スレ−ト・ガラスなどの)薄片

feuiller  vt

 @葉を着ける A(炭焼き釜に)青い葉をかぶせる

     ècaille  nf

(エカイユ)

@     鱗 A(大理石・銅などの)破片 B(貝の)殻  C(亀の)甲

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

                             

 

 

 

 

 

 

 

1         週刊朝日百科 世界の美術  

2 仮面の道: C.レヴィ・ストロース著 

参照; 理想的な表現[A] 

3 大修館の仏和辞典、他

 

 

 

 

 

4号銅鐸

神戸市神岡桜ケ丘

流水紋銅鐸鋳型

大阪府東条良遺跡

カマレス式嘴壷

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Atelier Half and Half