MACBOOKのキーボード

在宅勤務をしてみてふと疑問が湧いた。私が家にいるあいだの光熱費は誰が負担するものなのか。

会社に行っていれば、その間、家の電気や暖房は使わない。会社に行かず家にいれば家で電気や暖房を使う。その費用は自分で負担することになる。そこが腑に落ちない。もらった給料を返してるような気になる。

金額では大したことではないかもしれない。でも、気になる。金額の多寡に関わらず、在宅勤務という制度の本質に関わる大きな問題であるように思う。

自家用車を業務で使用した場合にはガソリン代+αが支払われることがある。

今は気持ちの問題で済んでも在宅勤務が労働時間の半分くらいになったら、そんな議論ももっと出てくるだろう。


「もらった給料を吸い取られる」と書いて思い出したことがある。以下、余談。

その違和感を一番顕著に感じるのは、会社内にある自動販売機。一度もらった給料を吸い取られているように感じる。

営業職をしていた頃、訪問した先で栄養ドリンクやカップ麺の自販機があると嫌な気持ちになった。働いている人たちは「これでも食って残業しろ」と言われているような気がしないのだろうか。

水とお湯くらい、会社持ちで用意してほしい。コーヒーとお茶があればなおいい。


閑話休題。

思えば、20年前、下の子が生まれた時、当時2歳だった娘と暮らし、在宅勤務をした。

顧客と電話で話していると「ナーニ?ナーニ?」と娘がまとわりついてくる。

一度だけ「黙れっ!」と怒鳴ってしまった。客には怪しまれるし、娘は大泣きするし、たいへんだった。

幼児を側において仕事をするのは簡単ではない。


その後、家で仕事をすることはなく過ごした。忙しくなったのはベンチャー企業に入った2009年から。2009年から2014年までは昼間も激務で、さらに帰宅して食事してから仕事をすることも多かった。

最初は食卓でパソコンを広げていたのだけど、「仕事をしているときは眉間にシワが寄って顔が怖い」と言われてから自室のベッドの上で仕事をするようになった。

あの頃はまだ自室に机がなかった。デスクを買ったのは病気で会社を辞めたあと。小さなパソコンデスク。最近、文章はほとんどそのデスクで書いている。

今日は、家族が出かけてから食卓にパソコンを仕事用と私用の2台置いて、仕事をしながらTwitterを見たり、過去の文章を推敲したりした。

ホテルで書いた文章には自分で気に入っているものが多い。


在宅ではないけれど、出張先のホテルで仕事をするのは好きだった。過去形なのは、もう泊まりがけの出張をすることはないから。

アメリカのホテルの大きいデスクでも、部屋の小さな大阪のビジネスホテルでも、日常と違う雰囲気のなかで集中力も高まった。

ホテルでしたのは会社の仕事だけではない。『庭』にはホテルで書いた文章が多くある。ホテルで書いた文章には思い出深いものや、よく書けたと思うものが少なくない。



追記。会社から配信された在宅勤務の手引書に、「ベッドで仕事をしないように」という注意書きがあった。

さくいん:労働