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四国の山 第6日目 最終日 観光の日+情報紹介  

5月01日晴れ
今日は皆さん帰宅の日。観光地巡りということで、近くの道の駅、夜須町の「ヤ・シーパーク」でのんびり散策。
(=夜須(やす)にあるので「ヤス」&ヤシの木がたくさんあるので「ヤシ」+海浜公園なので「シーパーク」と並べたぐらいの意味)
地元物産店+観光案内所+道の駅+第3セクター奈半利(なはり)線の夜須駅(=やすにんぎょちゃん駅)+海浜公園がミックス。
観光名所は跳ね上げ橋と延長約530mのボードウォーク(木製散歩路)。
観光案内が必要な方はここをクリック 
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写真上(提供Oさん):ヤ・シーパークの海水浴場部分 左に漁港入口の跳ね上げ橋が上がった状態 右にボードウォーク
写真下(提供Oさん):ヤ・シーパーク西端:ボードウォークを歩き行きついた西の外れ 中央左の小山は月見山
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写真左:ヤ・シーパーク東端。左手側にヨットハーバ&漁港あり 写真中:Nさん、立入禁止区域だよ 
写真下:木製の散歩路を歩き開始  (写真提供全てKTさん)

その「ヤ・シーパーク」の前にあったコンビニ「くいしんぼ如月(きさらぎ)」。私も知らなかったが高知県内のみで全21店。もともと弁当屋→24時間営業化→コンビニ化したようで、県内第2番目にできたらしい。正月3が日は休むという異色の存在。近年は大手におびやかされているとの話。
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写真左:くいしんぼ如月(きさらぎ)の看板  写真中:5月2日の観光案内所の展示物1 写真右:観光案内所の展示物2 

今度は南国市に向かう。途中、鬼瓦という負の遺産を見て、後免(ごめん)町北方の西島園芸団地に向かう。

ちなみに、地名の「ごめん」は、土佐藩山之内家家老の野中兼山が国分川南岸の荒地を新田開発するために集落創世に関わった所で、租庸調(そようちょう)を免除ということからの命名。謝罪しているわけではない。

その後免町内で、路面電車路に入る。道路のど真ん中に複線の路面、その左右にほぼ1車線の車道。途中で右折して複線路を横切り、JR御免駅前を通過して北上。
西島園芸団地には、ちょっとうろうろしたがほどなく到着。今日は、県中東部の4−5月の風物詩「フラフ」が風にはためきお出迎え。
この近くには史跡も多々あり。
昔々に紀貫之くんが暮らしていた土佐国の国府跡地や国分寺(四国88箇所29番)が北方1km先に。
昔に元親くんの住んでいた根城:岡豊(おこう)城跡が北西方3km先にある。共に国分川の北岸。 

西島園芸団地は、売店・レストラン・事務所、果物狩りする所までも全てビニールハウスの中。
温室栽培を得意とする南国市ゆえ3月−5月ぐらいから温室スイカを販売。温室スイカ発祥の地では無いらしいが結構早い時期に商業化していた有名地。バックヤード近くでは、ギフト用の小箱(この時期は温室スイカか温室メロン?入り)200個ぐらいが出荷待ち。宛先の名前からみて子供の日の贈り物かも?
そのスイカやメロン、フルーツトマトを横目で見ながら西川屋の「けんぴ」を買う。
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写真上:西島園芸団地のながめ。温室スイカの店頭販売&直販商業化の地? 公衆トイレの屋根までスイカ模様 
写真下:左は苺狩りのビニールハウス 駐車場にはフラフが6基 
(写真提供全てOさん)
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写真上:花ばっかり     写真下:左から2つめはミッキーマウスの木 

ちなみに「フラフ」は、近年ようやくgoogle検索でヒットし始めた。染め屋の販売価格:3m*5mサイズで75k円ほど。5*7mで150k円のも。
   →フラフの実物の写真はここに 

五台山への道すがら「けんぴ」を食すが・・・・歯ごたえが良すぎるようで・・・みなさん歯痛のよう。
ついた五台山展望台。春ゼミがうるさい。松の梢に見つけたので、少々よじ登りキャッチ。撮影後開放するも、あちこちぶつかりながら逃げまわる。
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写真上(提供Oさん):浦戸湾+高知市の眺め 画面中央:鏡川 左手方向に国分川(上流に先の岡豊城跡、国分寺あり)
写真下:松の木に止まる春ゼミ 捕獲   4等三角点136m(五台山頂は141m) 高知城 のんびり風景(提供Oさん)

展望台からはお城が見えるはずだが、今日は靄っててはっきりしないので適当に撮す。眼下に広がる浦戸湾、幅はそんなに広くないが奥行き(写真では左右方向)があり、2つの川が流れ込み、生物が豊富。この湾内にも「あかめ=目が赤く光る魚」が生息しているのだが、四万十川河口ほどは全国的ではない(NHKがその生態(魚体に動画カメラ+発信器を付けて調査)を全国放映しているので)。 2012年春のNHK高知の地元向け番組ではこの湾の希少種の一つとして、絶滅危惧種のカニらと共に、「あかめ」の映像(釣り魚:撮影後にリリース)もあったのだが。

次は観光名所の桂浜に。立派な道を南下し、浦戸湾を横断する橋を渡ればすぐに桂浜。今年も龍馬像の脇には「傍から眺めよう」タワーが建っていた。アイスクリン(まあ、アイスクリームとシャーベットの中間のアイス)を食べつつ浜におり、向かいの神社まで横断。ひとしきり写真を撮ってお終い。
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写真上(提供Oさん):桂浜全景 
写真下:左から順に、龍馬像と傍から眺めようタワー 神社から(東方向)桂浜の眺め 高見から神社俯瞰  西方向の浜

はりまや橋をみたいとのリクエストで、もと来た道を返し町中に向かう。はりまや橋交差点を右折。15mほどで「はりまや橋」通過。途中でUターンしてもう一度見るが、車中からはほとんど眺められず。
ちなみにこの交差点は、路面電車(=とでん:土電)同士の交差点でもあり、国道32,33,55,56,196,197号線の起点でもある。

「ひろめ市場」での昼食はあきらめ、空港に向けての帰路、讃岐系のうどん屋にて昼食。湯がいたうどん+トッピングを自分で乗せ、汁も自分でかける超セルフ形式。うまいがなにか味気ない。やっぱり「かやくうどん」でなきゃ。

野市町で皆と別れ必要なものと高知新聞の本を買って帰宅。本の内容は、生物多様性に根ざした治水の土木会社の社長の話で、「先立つ者は支持されない」の高知では典型の話。川の治水が主だが、屋久島で山道の土砂崩れ防止にも応用し、田部井さんをもうならせたと書いてあるのだが。

5月2日晴れ

5月にしては自宅から明神山がよく見えている。
昨日持ち運びが面倒なので買うのをあきらめた「あおりいかの一夜干し」を求めに、再び「ヤ・シーパーク」に。1枚1700円也。干せば4000円のおたふくスルメに化けるやつ。

帰りに月見山に上がる。さすがに自転車では登りきれず、道中の2/3は押して登る羽目に。
この小山は土御門上皇が月を眺めたとの碑がある。
時の鎌倉幕府に反発した承久の乱で敗れ、後鳥羽上皇(父=隠岐に流刑)と順徳天皇(弟=佐渡に流刑)とともに土佐に刑された方。
展望台で、一時間ほど堪能。東方向はヤ・シーパーク+夜須港の可動橋が跳ね上がっていたのがいつのまにか降りていたりする。
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写真上:月見山展望台から東方のヤ・シーパーク全景 写真中:可動橋跳ね上げ中  写真右:可動橋閉鎖中 

西方向は、ややもやってはいたが、筒上・手箱の右手に石鎚の山並みを確認できた。情報提供のOさんに感謝。
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写真上:月見山展望台から西方向     写真中:筒上・手箱、石鎚の山並み  写真右:Oさん提供カシミール画像 

山を58m下り、麓から眺めた石鎚は手前の稜線に隠れて見栄えがしなくなる。少しの標高差でこんなにも違うのかと思ったりする。
帰り道、フラフと鯉のぼりを眺める。よそでは見られない光景。
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写真上:月見山麓から西北西方向。石鎚が小さくなる  写真中:フラフその1  写真右:フラフその2,3  

夕刻、明神山がオレンジ色の空に更にくっきりする。ひょっとしてと思い、望遠+デジタル拡大で写真を撮ると山頂のレーダードームが人形みたいに見えた。
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写真左:昼間の明神山              写真それ以右:順に拡大の明神山 

(5月4日朝刊)に『3日朝、中村市の海岸で冬の名物詩:だるま日出を撮影』との記事があったので、2日−3日朝までは冬の天気であったらしい。


ただ、3日昼は靄が強く、赤岡町の潮見展望台(海抜14m+展望台10mから眺めるが、明神はかすかに、筒上・石鎚はまったく見えず。眼下のちりめんじゃこ干しを眺めているうち「中日」を食べたくなり「とさお」食堂に向かう。
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写真上:潮見展望台から干場を見る   写真中:ただいま展開中  
写真右:中日(ラーメンの麺(=中)+和風だしのスープ(=日)から中日と命名。昭和27年頃赤岡町で流行った)
=出汁はちりめんじゃこの湯がき汁を3−4倍に薄め+αのだし、トッピングは、かまぼこ(なると)+天ぷら(魚のすり身の素揚げ)+おぼろこんぶ+ちりめんじゃこ+わけぎ)。このトッピングは、いわゆる「かやく」。麺がうどんになれば「かやくうどん」に。

ついでにくろしお鉄道:御免・奈半利線の赤岡駅に立ち寄る。偶然、展望列車:維新号に遭遇。
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写真左:赤岡駅のマスコット:あかおかえきんさん 写真中:赤岡駅展示:奈半利線のキャラ人形せいぞろい。 
写真右:展望列車(南側=左手側面が展望デッキ)。南側に広がる土佐湾が窓ガラス無しで眺められる。
     が、トンネルにはいると帽子が吹き飛ばされる欠点もある。 

 

以下、うっとうしいが赤岡町内の見所列挙。
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写真左中:赤岡裏通り(昔は国道55号)の骨董屋2軒 大正時代の品多数。 写真右:西川屋:けんぴ発祥の地 

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写真左:町の芝居小屋:弁天座       写真中:向かいの絵金蔵         写真右:浜五郎兵衛屋敷跡。 

絵金(えきん)は、狩野派に従事した絵師で、贋作の疑いをかけられて城下を追われ赤岡に。おどろおどろしい絵が特徴。
浜五郎兵衛は元日和佐城主:隠遁後この地に呼ばれ、造塩業を起こす。塩の道はここから山越えして徳島の祖谷渓まで続く。
一領具足の一揆を取り鎮めた功で大庄屋に成った人物。 浦戸一揆や、種崎の虐殺、滝山一揆など一領具足の乱が続いた頃。

そうそう、北緯33度33分の記念碑もあり
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写真左:伊能忠敬と帝国陸軍の活躍の伝承 写真中:香南市教育委員会の活躍の証 写真右:町の豪商の館とか。 
昔から商業の町・漁港・製塩で栄えていたが、この日すれ違った人は5−6人。弁天座は貸しきりで演芸発表会が行われてはいたが、すっかり寂れた感じ。

ここから西に進み、空港南部〜同北部をうろうろと明神・筒上山の眺めを確認しつつ、空港北部の神社にカメラを置き忘れ、4時間後に取りに戻る始末。カメラを守ってくれた神社にお賽銭500円也を奉納。
(5円玉も10円玉も50円玉も100円玉も無かったのではある。)



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