「鳴神」 團十郎の鳴神 2007.10.3 W196 | ||||||||||
3〜4日、名古屋御園座の顔見世を見てきました。
「鳴神」のあらすじはこちらです。 夜の部の最初は、4年前のこんぴら歌舞伎以来ひさしぶりに演じられる團十郎の鳴神。ちょっとおなかのあたりが太めで穏やかな表情の鳴神上人には、俗世と隔絶された無垢な感じといかにも古風でおおらかな雰囲気があります。 團十郎の台詞まわしにはかなり急な高低差があり、前回見たときよりも低い声を多用していたように思いました。絶間姫にだまされたと知って怒り狂った鳴神の隈を取った顔は、ぼかしがまさに牡丹の花びらのように絶妙で生き生きとしていて大変美しかったです。隈取った顔のダイナミックな美しさという点で、團十郎は文句なしに当代一だと改めて思います。 團十郎は気がグアーッと飛んでくるような充実した見得をたっぷりと見せ、最後は花道を力強い飛び六方でひっこんで行きました。声がかすれがちだったのだけはちょっと気になりましたが、團十郎の元気な姿が見られて本当に嬉しかったです。 今回の雲の絶間姫は菊之助が6年ぶりに演じました。前回は海老蔵の鳴神との共演。菊之助の絶間姫は最初のうち「鳴神を色仕掛けで落として雨を降らせる秘密を探ろう」という胆をほとんど見せなかったのが、良かったと思います。そうでなくては「ならぬか。ならぬか」と鳴神に関係を迫られおびえていた絶間姫が、コロッと態度を変えて「なるわいな」と言う場面の意外さ、おかしさが生きてきません。 ここで上手いなと思ったのは菊之助の台詞のテンポで、仕方噺の間はおっとりとしていながら決してだれずに進んでいきます。河を渡る場面で、裾をぐーっと持ち上げる時も、わざわざ鳴神の方へむきなおってから裾をたくしあげるようなことはせず、品がよくて自然でした。おなかが痛いふりをするところでも、「そうだ!あの手がある」とばかりにうなずいたりしなかったのが良かったです。 鳴神が絶間姫の懐へ手を入れるところでは、菊之助ははやくから口を半開きにしていたようでしたが、なるべく最後まで開けないほうが生にならないと思います。世話になってからは、台詞のテンポを少しずつあげ鳴神との掛け合いも快調でしたが、ヒステリックに声を張り上げる所はおさえめにしてほしかったです。 鳴神を酔いつぶし、蓮台から走り出てきた絶間姫が、きちんと座って「もったいなや、お上人様」と自分のしたことを詫びるところは、もっとキッパリ変えたほうが良かったように思います。しかし品がありながらうちに秘めた色気がにじみ出るような、6年前とくらべて格段に進歩したと思える菊之助の雲の絶間姫でした。 次が菊五郎劇団総出演の舞踊劇「達陀」。二月堂のお水取りを題材に取ったもので、途中で修行僧の煩悩をあらわす青衣の女人(しょうえのにょにん)が登場します。 真っ暗な中に大松明を背負った童子に先導された菊五郎の僧・集慶や練行衆が花道から出てきては上手の階段を上って行く様子はとても印象的で、初めて見た時は厳粛な気持ちになったものでしたが、今回は粛々と進むという気分はちょっと薄かったようです。 やがて始まる荒行の数々は、以前テレビで見た本物にそっくりでとてもよく雰囲気を掴んでいます。そこへ花道のスッポンから登場する青い薄物をかぶった女性は、僧・集慶が侍だったころの恋人・若狭。菊之助は初演時からこの青衣の女人を見事に演じていましたが、菊五郎の集慶とともに幻のように踊る様にはさらにしっとりとした落ち着きが出ていました。 僧たちの修行風景は日本舞踊にしては珍しい男性の群舞で、大変力強く迫力があります。若者もベテランも揃って踊るこの舞踊、題材が珍しいうえに変化に富んでいてとても楽しめました。 夜の部の最後は海老蔵の「四の切」。初演の時は、教えを請うた猿之助のやり方にあくまでも忠実に演じた海老蔵が今回どう変わっているかが楽しみでした。最初の本物の忠信の出は、前回は病気あがりという雰囲気を強くだしていましたが、今回は早く義経に会いたいという気持ちが強かったと思います。 狐と見顕されてからは「みすぼらしい」という義太夫の詞章にあわせたようなしょんぼりとあわれな忠信。鼓の皮にされた両親をしたってここまで来たという健気な気持ちが強く伝わってきました。この場の奥の浄瑠璃は葵太夫でしたが、渋い声がお芝居をひきたてていました。 9月に吸血鬼を演じたためか、だいぶほっそりした海老蔵は数々のケレンを小気味良く演じていました。台詞も初演の時よりは落ち着き、水泳のようだった宙のりも形になってきました。ただ空中で両手を大きく開くところにはやはり違和感があり、手を伸ばしすぎなのではないかと思いました。 海老蔵はこの狐忠信を心から誠実に演じていると感じました。なお海老蔵は今回も猿之助に指導を仰ぎ、猿之助は名古屋まで出向いて熱心に指導したということが、「竹本葵太夫のHP」に詳しくでています。 義経の友右衛門は特徴のある声が義経にあまり合わず、静御前の門之助もきちんと演じていましたが似合っているとはいいがたかったです。特に立って鼓をたたく姿勢が美しくないのは研究を要すると思いました。出だしの川連法眼と妻のやりとりは縮小版で、サッサと法眼が種明かししてしまうので家橘と右之助がちょっと気の毒でした。 4日、昼の部の最初は松緑の「毛抜」。4年前の初演でも感じましたが、化粧が中国の京劇のようなのが、とても気になります。 道具がいつもと違い真ん中に屋根のついた座敷があり、下手は外になっていて松が見えました。(下手には最初門があって弾正はそれをあけて入ってきたように思います。)上手にはついたてがあり、偽万兵衛がごねている間いつも下手で待機する弾正が、今回は上手で正面を向いて待機。秦民部が偽万兵衛に一度金を渡そうとする件もありませんでした。 松緑の弾正は5つの見得のうち頬杖をつく見得では後ろに高く跳ね上げた足がバラバラでやりすぎだと思いましたが、後ろむきの見得でのギバが見事にきまるところなど、全体としては豪快さがでていました。弾正が花道の引っ込みで見せる見得は、両手で刀をさし上げる見得ではなくて、刀を肩にかついで極まっていました。 次は海老蔵と菊之助の舞踊劇「かさね」。仮花道がないので、まず最初に糸立てで顔を隠した海老蔵が花道を出てくるとその後を追って頭巾をかぶった菊之助が登場。二人でしばらく花道で踊りましたが、ここは仮花道を与右衛門が出てくるほうがはるかにすっきりして二人とも引き立つと思いました。 海老蔵は糸だてを取った顔の輪郭と、愁いにみちた切れ長の眼が惚れ惚れするほど綺麗で客席からジワがきました。最後の連理引きで何度も舞台に引き戻されるところでは、あいかわらず何事もなかったかのようにスタスタ歩き始めるため、そのたびにしのび笑いが聞こえました。 菊之助初役のかさねは、大変に美しかったですが、理知的すぎてまるで与右衛門よりも年上であるかのように思えました。与右衛門は過去にかさねの母とも不義をおかしたのですから、この二人の年齢はいくつなのかとふと考えてしまいました。しかし海老蔵の与右衛門はどんな女性でも身をあやまってしまいそうな色悪の魅力をたしかに具えています。 昼の部の最後は團十郎と菊五郎の「権三と助十」。岡本綺堂が明治になってから江戸庶民の生活を描いた変わった形の大岡政談です。 ほとんど菊五郎劇団総出演の井戸替えの場面は運動会の綱引きのようで微笑ましく、ポンポン飛び交う台詞も楽しかったです。初役で権三の女房おかんを演じた魁春は、長屋のおかみさんがなかなかどうにいっていましたが、同じ台詞を3回も言ってしまい、自分でも苦笑。それをなんとか皆で取り繕えたのはチームワークのよさでしょう。 團十郎の権三はこういうポンポンと速い台詞が得意とは思えなかったのですが、声をいつもはりっぱなしという点をのぞけば全く問題はなかったです。まん丸い目が愛嬌のある権三でした。 いつも演じる権三を團十郎に譲り助十にまわったという菊五郎は、大所帯をきっちりとまとめあげていました。團蔵の勘太郎はこの芝居に出てくるただ一人の悪党で、現れただけで空気が凍るような冷たさを感じさせるはまり役。猿回しの秀調もいかにも猿が生きているように動かして見せたり、殺された猿の弁償金をもらうと、さっさと態度を変える現金なところがいかにもリアルで、大家の左團次もぴったりと役にはまっていました。 |
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この日の大向こう | ||||||||||
夜の部の「鳴神」はひさしぶりの團十郎の歌舞伎十八番という期待もあってか、感じよく声が掛かっていました。地元の会の方は3人いらしていたそうですが、5〜6人の声が聞こえ、それぞれ場にあった声を掛けていらっしゃったと思います。 「達陀」になると、青衣の女人が出てきた後の静かな場面で、「おとわや」と言う声が頻繁に掛かったり、どなるような声が聞こえたのはちょっといただけなかったと思いますが、「四の切」ではまたきちんと掛かっていました。 昼の部は昨晩よりは声を掛ける方も少なく、ちょっとさびしく感じました。会の方は二人みえていたそうですが、控えめに掛けていらしたようです。 |
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御園座10月公演演目メモ | ||||||||||
昼の部 |
壁紙:「まさん房」 ライン:「和風素材&歌舞伎It's just so so」