権三と助十 前進座公演 2005.5.26

24日、国立劇場の前進座公演千穐楽を見てきました。

主な配役
権三 梅雀
助十 矢之輔
家主 梅之助
おかん 国太郎
彦三郎 広也
勘太郎 源次郎

「権三と助十」(ごんざとすけじゅう)のあらすじ
名奉行として名高い大岡越前守が江戸の町をおさめていたころの話。神田橋本町の裏長屋では、年に一度の井戸替えで家主・六郎兵衛の音頭とりで長屋中の人々が総出で働いている。それなのに籠かきの権三はさぼって昼寝の最中。

これに腹をたてた籠かきの相棒・助十が、権三の女房のおかんに文句をつけにくる。おかんも黙ってはいないし、それに家主や助十の弟・助八も加わって大騒動になる。

そこへ元この長屋の住人・彦兵衛の息子で、彦三郎という若者が家主を訪ねてくる。彦兵衛は小間物を商っていたが、馬喰町の旅籠の女隠居を殺して百両の金を盗んだという疑いをかけられ、取調べの最中に牢の中で病死してしまった。

彦三郎は父親の無実を信じていて、なんとか父の汚名をそそごうと江戸へ出てきたのだ。家主はその心に打たれるが、一度お裁きが決まってしまったものをひっくりかえすのは難しいだろうと困惑する。

それを陰で聞いていた権三と助十、「犯人は左官屋の勘太郎に違いない」と言い出す。実は事件のあった晩、権三と助十が夜遅く仕事から帰ってくる道すがら、ほおかぶりして着物を天水桶で洗っている男を見たのだ。

それは勘太郎のようだったと二人は思ったが、その後彦兵衛が犯人として捕まったので、係わり合いになるのを恐れた二人は今までだまっていたという。

そこで家主は一計を案じ、彦三郎と権三、助十の三人に縄をうって、「彦三郎の父親は無実だという訴えに、力を貸した権三と助十が家主のところへ殴りこんできた」と奉行所へ訴えることにする。こうすれば必ず再吟味を開始してもらえるとふんだのだ。

ところが一ヶ月たっても、事件は一向に解決せず、そのまま町内あずかりになった権三と助十は仕事にでることもできず家でごろごろしているので、家族といざこざがたえない。そんなところへ、なんと釈放された勘太郎が角樽を持って二人のところへお礼参りにやってくる。

すっかり意気消沈してしまった権三と助十は平謝り。しかし勘太郎は居丈高に嫌味を言い続ける。そこへ長屋に住む猿回しの飼っている猿がやってきて、角樽にそえてあったのしイカをひったくり、怒った勘太郎は猿を絞め殺してしまう。

その様子を見ていた権三と助十は謝るのをやめ、勘太郎を袋だたきにして、なわでしばりあげる。そんなところへ町方が勘太郎を探しに来る。

やれやれ助かったと思う勘太郎。だが、実は勘太郎が釈放されたのは犯人だという証拠を探す作戦で、かくし目付けに血のついた財布を焼くところを見つかった勘太郎は真犯人として御用となる。

その上牢内で病死したとばかり思っていた彦兵衛も、大岡越前の配慮で無事に匿われていたことがわかり、一同は大喜びするのだった。

岡本綺堂作の「権三と助十」は十五代目羽左衛門によって大正十五年に初演されました。このお芝居は綺堂が明治から大正にかけて書いた「鳥辺山心中」などの作品と違って、綺堂物の特徴である謳いあげるようなところが全くない、庶民の生活を描いた世話物です。

英語に堪能で海外の推理小説を耽読していた綺堂は、その知識を下敷きにして書いた江戸版推理小説というべき「半七捕物帳」を20年にわたって書き、これには劇作志望の門下生のための江戸風俗考証のテキストづくりという意味あいもあったと、筋書きの中に矢野誠一氏が書いています。

この芝居にでてくる「井戸替え」はこれがかかれた当時、すでに滅多に見られなかったそうで、この芝居の中に実際に井戸をさらうところが出てくるわけではありませんが、江戸の庶民の生活を垣間見るような楽しさがあちこちにちりばめられています。

「権三と助十」は大岡裁きの謎解きをするという推理小説風のお芝居です。

新三の時はちょっと粋なところが欠けていて合わないと思えた梅雀も、権三には人の良さが出ていてぴったり。助十の矢之輔も掛け合いの間の良いコンビでした。家主を演じた梅之助は、声がちょっと弱かったけれど、同じ大家でも新三の時よりもずっと自然でよかったです。この家主も最後の謎解きを語って聞かせる重要な役でした。

けんかばかりしているけれども仲の良い女房のおかんの国太郎は、お女郎さん上がりだという雰囲気を上手く出していました。彦三郎の広也はすっきりとした口跡で目をひきました。

井戸替えの場面では総勢30人ほどの長屋の住人が綱を引いてドヤドヤと舞台に登場。前進座らしいのは、長屋の住人の中に女優さんが7人混じっていたことです。でも台詞はないので、筋書きを見なければ判りません。猿を演じた子役も愛らしく、この猿が殺されてしまうところには勘太郎の残忍さがよく出ていました。

この「権三と助十」が面白かったので、六代目が演じたという半七捕物帳の「勘平の死」もぜひ観てみたいと思いました。

もう一つは「佐倉義民伝」。歌舞伎座で観た時はなかった「門訴の場」がついていたので、村人たちの苦しさがよく理解できました。門訴が取り上げられず、とぼとぼと百姓衆が花道を引っ込んでいく時、「それでもどうも」といって全員が本舞台を振り向くところが忠臣蔵四段目の「でも侍」を思い出させました。

びっくりしたのは船頭の甚兵衛がならず者の長吉を鉈で殺してしまうことで、前に観た時はそんな件はなかったと思います。矢之輔は甚兵衛には声が少し立派過ぎるように感じました。

この日の大向こう

この日は千穐楽だったためか、たくさんの方が声を掛けられました。三階上手に4〜5人、下手に3〜4人、中央に2〜3人といったところでしょうか。寿会の方もお見かけしました。

「佐倉義民伝」では女房おさんを演じた瀬川菊之丞に「路考」(ろこう)という声が掛かりました。これは二世菊之丞が使いはじめた瀬川家代々の俳名で、それはいいのですが三度も掛けられたのはちょっと多すぎたように思いました。

宗五郎が印旛沼の渡し場に出てくるところでは、揚幕が音をしないように静かに引かれ宗五郎の圭史が足音をしのばせ笠をかぶって出てきます。にもかかわらずすぐに「豊島屋」(てしまや)と声が掛かっていましたが、こういう場合せめて花道七三まで位は待った方がいいのではと思いました。

「権三と助十」では敵役の勘太郎・小佐川源次郎の出に2〜3人の方が「鯛屋」(たいや)と声を掛けていらっしゃいました。

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