四国琴平町金丸座で行われているこんぴら歌舞伎の8日第二部、9日第一部を見てきました。
「色彩間苅豆」(いろもようちょっとかりまめ)のあらすじー通称「累」(かさね)
ここは木下川の堤。恋人の累を捨てて浪人・与右衛門が一人逃げてくる。与右衛門を追ってきた腰元・累はここで彼にめぐり合う。
累の養父が閉門の憂き目に会っているときに娘が心中するのは親不孝だからと、一人で帰るように諭す与右衛門に、累は与右衛門の子を宿していることを打ち明け、もう生きていけはいけないと訴える。
それを聞いて与右衛門も心中を決意し、土手に上がり手を合わせて両親へ暇乞いをする。すると川上から鎌の突き刺さった髑髏が卒塔婆に乗って流れてくる。与右衛門が引き寄せてみると、卒塔婆には「俗名助」と書かれてあった。それを見るやいなや、与右衛門は卒塔婆を真っ二つに折る。
するとにわかに累の足に激痛が走り、片足をひきずり始める。実は与右衛門はその昔、累の実の母お菊と密通し、その夫・助を惨殺したのだ。与右衛門が髑髏の鎌を抜いて髑髏を叩き割ると、累は顔を抑えて悲鳴をあげ倒れる。
そこへ捕手が与右衛門を捕らえようとかかってくる。捕手の懐から落ちた手紙を与右衛門が月明かりで読むと、それは与右衛門の罪がくわしく書かれている回文状だった。
親を殺した男と契ったたたりで顔半分があざで醜く変わった累はそれを知らないまま、回文状を他の女からの手紙だと思いこみ、激しく嫉妬して与右衛門にすがりつく。
与右衛門は相貌が変わってしまった累を殺そうと鎌で切り付け、鏡をつきつけて醜くなった顔を見せ、自分が累の親を殺した犯人だと明かす。累はそんなこととは知らずに親を殺した犯人を好きになってしまったことを嘆き悲しむが、与右衛門は土橋の上で累を惨殺する。
しかし累の怨念は去っていこうとする与右衛門を何度でも引き戻すのだった。
浄瑠璃所作事「色彩間苅豆」は1823年、鶴屋南北作の「法懸松成田利剣」(けさかけまつなりたのりけん)の二番目序幕として、三代目菊五郎の累、七代目團十郎の与右衛門で初演されました。
まず花道を亀治郎の累が頭巾をかぶって傘を持って出てきた、と思ったら同時に(金丸座に常設されている)仮花道から海老蔵の与右衛門が糸立で顔を隠して登場。この仮花道を使うやり方は、一時上演が途絶えていた「かさね」を復活させた六代目梅幸と十五代目羽左衛門が演じた型だとか。
花道七三で向かい合い、まず累が被り物をとり、それから与右衛門が糸立の前を開いて顔を見せたのですが、このときの海老蔵の白い端正な顔は、あたかも雲の間からサーッと陽がさしたようでした。
本舞台で顔を合わせた二人、なじる累に捨てたいいわけする海老蔵の与右衛門はたよりない色男のようでしたが、累が自分がその女房を盗んで殺した助の娘だったと知ってから、二目と見られない醜い顔になった累を殺そうとするときの顔の狂気めいたすさまじさ。この振幅の大きさが海老蔵の芸の幅を示しているように思いました。
亀治郎の累は最初のうちうつむきかげんの顔がとてもしとやかで美しく、お腹に与右衛門の子をみごもり与右衛門に必死ですがりつこうとする感じがよく出ていました。海老蔵と亀治郎の組み合わせは、とてもフレッシュで素敵でした。
とうとう累を鎌で殺した与右衛門が花道をひっこんでいくと、場内が真っ暗になり、火の玉が飛びはじめ怨霊となった累が手招きすると一度揚げ幕に入った与右衛門が連理引きで引き戻されてきます。
そして舞台中央までくると、急にしゃんと襟を直してまた花道へ行こうとするのですが、何度も見えない力で襟首や手首をつかまれ引き戻されます。このしゃんと襟を直す様子が、まるで何事もなかったかのようでちょっと可笑しかったですが、身体を後ろへひっぱられながら足を限界まで前に高く上げていたのが印象的でした。
第一部の最初は同じ鶴屋南北作の「浮世柄比翼稲妻」。先年、国立劇場で通し上演されたものを一部分上演したのですが、「鞘当」のところは有名でも後はほとんど知られていない話で、はたして観客の共感が得られるのかと思いましたが、雨漏りのする部屋の中に盥をつるすようなオンボロ長屋に花魁道中がやってきたり、はては女中のお国が死にそうなのに気がつかない山三の能天気な会話などなど、趣向満載のこのお芝居はなかなか魅力がありました。
山三の三津五郎は貧苦などまるで気にしない優雅なところがとても良く、濡れ燕の衣装がとてもよく似合っていました。亀治郎のあざのある娘お国と傾城葛城二役は、とくにお国の山三をひたむきに想う気持ちに胸をうたれました。
秀調の浮世又平というどこかで聞いたような名前の、お国の悪者の父親を演じた秀調は、これが秀調とはちょっとわからなかったくらい暗い悪の凄みがよく似合っていました。大きな劇場で見るとただただ豪華絢爛な花魁道中ですが、花道が低い金丸座で見るとしっくりと場になじんで舞台と客席が渾然となった雰囲気でした。
肝心の「鞘当」は、海老蔵の不破伴左衛門が声は良いのですが、傘を取った顔がなんだかあまり冴えなくて少しがっかりしました。脇として芯の役者を立てるためかとも思いますが、もっとはっきりしていても良かったと思います。花道から登場した止め女の茶屋女房郁は亀治郎の三役目でした。
翌日9日の第一部はまず「仮名手本忠臣蔵」の五段目と六段目。市蔵の定九郎は元の山賊に近いごつい雰囲気で、特に足に色悪といわれる華がなかったように思います。
海老蔵の勘平はちょっと声が上ずっているようにも思えましたが、誤って撃ち殺してしまった人の金を取って、仇討のための金を納め、家へ帰ってきたときの様子がいかにもこれで問題が解決したという感じで晴れ晴れと嬉しそうでした。
だから余計に「金は女房を売った金、撃ちとめたるは舅殿」だったとわかった時のショックの大きさが見て取れたともいえます。海老蔵の良いところは、決してパワーと激情で押し通すようなことはせず、人が芝居をしているときはハラを維持したままじっと自分を殺し、古い芝居の作法をきちんと守った上で演じていたことです。
一文字屋お才のことを「あのお方はどなたでござりまする」と尋ねるところなどで時々妙に現代調になってしまうことはありましたが、もう一度見てみたい魅力的な勘平だったといえます。
第一部の舞踊は三津五郎の変化舞踊「浅妻船」と「まかしょ」。浅妻船は赤い着物に烏帽子の白拍子姿、まかしょは願人坊主のコミカルな踊りで、やはり「まかしょ」の方に三津五郎の軽妙な持ち味が生きていると思いました。
「鞘当」で山三と伴左が両花道からが出てくる前に天井のぶどう棚の数箇所から
桜の花びらが客席に撒かれたのはとても風情がありました
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