図書館で何度か手に取っていながら借りずにいた本。今回、目次を読んで興味を持ったので借りてきて読んでみた。
興味を引いたのは以下の3章。「第三章 徳川思想の方へ、二 丸山眞男との対決」と「第四章 歴史は蘇る、三 「思ひ出としての歴史」、そして「第五章 伝統と近代」。というのも、過去に小林秀雄と丸山眞男を「思い出」と「伝統」をキーワードに比較したことがあったから。
その文章、「丸山眞男と小林秀雄――「思い出」と「伝統」についての覚書」を書いたのは2002年だから今から24年も前のこと。『庭』のなかでも最初期にあたる。年も若く、文体に統一感がないし、論旨も散漫でわかりづらい。
当時と比べると、小林と丸山に対する見方は深まっているところもある。また、願わくば文章力も向上しているので、本書を下敷きにして二人について再論してみたい。
結論を先に書くと、本書を読み終えて、24年前に私がかなり大雑把に分析した丸山眞男と小林秀雄の視点の違いは、それほど的外れではなかったように見える。
「思ひ出としての歴史」。小林にとってそれは「直覚」するもの。丸山にとっては「噴出」するもの。これは24年前の文章にも書いた。以下は私が書いた一節。
小林にとって「思い出」は、現在から過去に引かれた延長線上に存在する。過去は現在という地点からしか観察することはできないという主張が、小林における「思い出」の根幹である。ここでは、観察者の現在性と主体性に力点が置かれている。対して丸山の言う「思い出」は、過去の事象や思想が脈絡なく、唐突に現在に蘇ることである。だから「思い出」は突発的に「噴出」する。
「思ひ出」に対する見方は二人で相反している。従って「歴史」や「伝統」に対する見方も正反対になる。
小林の立場は本書にも引用されている、次の一文からも理解できる。
私達の歴史に対する興味は、歴史の事実なり、歴史の事件なりのどうにもならぬ個性に結ばれてゐる。ある事件が、時空の上で、判然と局限され、他のどんな事件とも交換が利かぬ、さういふ風な過去の諸事件の展開が、現在の私達の心中に現前してるなければ、私達の歴史的興味は、決して発生しない。(小林秀雄「歴史」『全集』第十二巻)
小林の立場では「思ひ出」は歴史になりえるし「伝統」にもなる。丸山はその考え方には否定的。
丸山の視点からすれば、「歴史的興味」から摘み取った「思ひ出」は恣意的なものに映る。だから、脈々と続く「伝統」とみなすことはできない、という批判が成り立つ。「噴出する」という表現は恣意的な摘出を指している。
二人の立ち位置の違いを、本書は次のようにまとめている。
「存在と現象とを分離する以前」の、内面と外界とが融合した意識の経験を言葉で表わそうとする小林に対して、丸山はそうした意識の経験から距離を置き、作品を客体として眺める視点から特徴を指摘する。(「第三章 徳川思想の方へ、二 丸山眞男との対決」)
この一節は、文学的批評と学術的研究の違い、と言い換えてもいいだろう。文学的表現、なかでも近代小説の意義について本書は次のようにまとめている。
理性によって支えられた確固とした自我が、みずからの感覚による偏向を除去しながら、世界を対象化してとらえ、認識のための客観的な理論を構築できる。そうした前提を疑い、「直接経験の世界」のなかに身を浸して思考する地点から、小林を含む二十世紀の文学者と哲学者は出発していたのであった。(「第三章 徳川思想の方へ、二 丸山眞男との対決」)
本書は上に引用したような、小林秀雄たちが批評した近代の文学的な歴史表現を、丸山は十分に理解していなかったのではないかと提起している。
結局のところ、二人は同じように日本思想史、とりわけ江戸期の思想に関心を寄せていながらも、その立ち位置はまったく違っていた。
小林はどこまでも文学者で、丸山はどこまでも学者だった。そのうえ、二人は共に融通をきかせられない性分でもあった。
丸山には学問的でない業績や作品をあまり評価しないところがある。たとえば、数々の名エッセイを書き残した一方、フランス移住後には学術論文をほとんど書かなかった森有正に対する丸山の「森さんのいちばん悲劇的なところは、森さんは自分の哲学を体系的に示して世に問う前にたおれたという点です」という評価を見てもわかる。
一方、小林秀雄は学問的研究よりも文学的表現を高く評価する。学術論文を感情を排した無味乾燥な文章と見ていた節がある。本書でも、日本史に関する学術書が赤穂浪士に多くを言及しなかったことをもって厳しく批判したことが指摘されている。
苅部によれば、小林は「史料の行間を読み解くことで想像した映像を鮮やかに表現」することに眼目を置いていたという(「第四章 歴史は蘇る、三 「思ひ出としての歴史」)。「史料の行間」を読み解くことが批評家の仕事というのならば、書かれていることだけを読み解き、「史料の行間」を想像して読み解かないのが研究者の仕事だろう。歴史に対する二人のアプローチは平行線のまま交わることがない。
言うまでもなく、どちらが勝った、どちらが優れている、という話でもない。
もっとも、本書は小林秀雄を主題にしているので、彼に対して肩入れしている傾向があり、批評家は「勝手に」行間を読んでいるわけではないと擁護している。
ここで小林は、たとえば歴史家の書いた研究論文よりも、文学者による歴史小説の方が、史料から確定できる事実よりも深く広い「真実」を理解するためには、ずっと役に立つと論じているわけではない。あくまでも史料を集め、正確に読解した上で、歴史を語る営みを前提としている。
 その上でまず第一に、史料批判を通じて過去の事実を確定する作業にとどまる実証主義に対する批判を試みるのである。(「第四章 歴史は蘇る、三 「思ひ出としての歴史」)
実証研究をよく吟味したうえで、その行間に書かれている「思ひ出」を目の前にありありと浮かぶような文章で表現する。小林は、まさにそのような文章を書くことに「愉しい学問」(第五章 伝統と近代)を感じていたと本書は結論づけている。
批評家は、研究者から学ぶところは少なくないはず。それは小林も認めているし、引用文にあるように本書もそのような態度の批評を是としている。
では、研究者は行間を読み解く批評家から学ぶことはあるのか。本書がその答えになっていると思う。
補記。
丸山と小林は公式には対談をしていないけれど、第三者の仲介で非公式な場で会食をしたことがある、とどこかで読んだことがある。
その文章では、学術的な見地から本居宣長を説く丸山に対して、小林は「私が読んだ本居宣長」を披露するばかりで会話が噛み合わず、丸山は閉口した、と書かれていた。
このエピソードをどこで読んだのか、メモが残ってない。図書館で『丸山眞男集』『座談』『回顧録』のなかに探してみたけど見つからなかった。ネットで検索してもAIに調査を依頼してもわからない。第三者の又聞きを読んだのか。わからない。調査は続けるけど、はっきりしないので本文には入れなかった。
本書を読んでみると、そういう場が実際にあったとしても、二人の会話は噛み合わなかっただろうということは想像できる。
本書は、小林秀雄の作品を学術的な研究の上に構築された文学的な批評と考えているようだけど、丸山はそうは考えていなかったとも推測できる。二つの立場を架橋するのは容易な仕事ではないことがわかる。