朝見るのにちょうどよいドラマだった。『虎に翼』も面白かったけど、重いテーマもあって見ていてとても疲れた。本作は適度に深刻で、適度にコミカルで、毎朝、楽しい気持ちで見ることができた。
脚本に加え配役もよかった。北村匠海が演じたたかしは内気で自信がないけど芯が強い。これは『君の膵臓をたべたい』の春樹の性格に近く北村は適役だった。今田美桜はCM出演の多い美人というイメージしか持っていなかったけれど、演技力もなかなかのものだった。
高橋文哉と大森元貴もよかった。 河合優実と原菜乃華もいい配役だった。
一つ、難をあげるとしたらオープニング。歌詞が早口で聞き取れないし、映像ものぶでなくタレント、今田美桜のイメージビデオ以上のものではなかった。
今回は北村匠海が目当てで見はじめた。やなせたかしには正直、あまり関心がなかった。子どもたちに『アンパンマン』を読み聞かせたり、アニメを見せたりもしなかった。ただ、キャラクターの多い作品というイメージしか持っていなかった。
だから、ドラマは知らないことばかりで、驚くととともに楽しく見ることができた。
フィクションではないリアルなやなせたかしを知りたくて、図書館で伝記を借りてきた。登場人物は別にして、ドラマの筋書きはおおむね事実に即している。幼少期の苦労や戦場での体験、下積み時代などは彼の生涯を語るうえで外すことのできないピースなのだろう。
私はどうしてやなせたかしと関わらないで過ごしてきたのだろうか。やなせがサンリオで『詩とメルヘン』を編集していた頃、同じようにサンリオで活躍していた葉祥明のイラストはよく見ていた。でも『詩とメルヘン』は知らなかった。『アンパンマン』を見る年齢は過ぎていたからそこでもすれ違い。結局「手のひらを太陽に」を作詞した人という印象で漫画家であることすら記憶に残らなかった。私のアンテナが鈍かったせいもあるけれど、それくらいやなせはまだ表舞台に立っていなかったとも言える。
やなせたかしの生涯で特筆すべきは何といっても大器晩成だったことだろう。「手のひらを太陽に」を作詞したときすでに42歳。『あんぱんまん』発表は54歳、テレビアニメ化されたときには69歳になっていた。
もちろん、そのあいだにも、イラストや詩など多くの仕事を手掛けていたことはドラマも伝えていた。それにしても、69歳で代表作がアニメ化されたことは間違いなく大器晩成型と言えるだろう。
いまの言葉では「マルチクリエイター」と呼ばれるだろうけど、当時は「何でも屋」であることに葛藤もあったらしい。
『アンパンマン』というキャラクターは長い年月をかけて磨き上げられていった。最初のイラストは万人受けするものではなかった。アイデアだけでは足りない。それを磨き上げて初めて多くの人に理解される表現になる。この事実が示唆するものは大きい。
私も私なりのアイデアがある。目のつけどころは悪くないと思っている。でも、表現がまだ未熟。多くの人に伝わる表現になっていない。たかしのように時間をかけて磨いていきたい。
ところで、カトリック系雑誌でやなせたかしの特集をしているとTwitter(現X)で知ったので取り寄せてみた。やなせ自身は信徒ではなかったものの、雑誌の表紙イラストを一時期担当していた。雑誌には現在作品を管理している会社代表のインタビューが掲載されていた。
むしろ、教会の方から、自己犠牲という『アンパンマン』が持つテーマに親和性を感じて近づいていったらしい。メルヘン、ファンタジーに加えてスピリチュアルなものにも縁遠くはなかったように思われる。
ドラマでは戦争もリアルに描かれた。とくに戦場での飢餓については、たかしだけでなく屋村(阿部サダヲ)の経験も盛り込まれていた。ミュージカル『怪傑あんぱんまん』の後、たかしと屋村が語り合うシーンはとてもよかった。
死者への思いもテーマの一つだった。父親、育ててくれた伯父、弟、戦友。たかしは若いときに多くの死別体験をした。彼らへの絶えることない悲しみや追慕の念と、彼らの遺志を受け継ぐという気持ちが彼の作品に込められていることが、ドラマを見ていてよくわかった。
手塚治虫のように若いときから人気があり、多作で生き急いだような人もいれば、やなせたかしのように大器晩成の人もいる。埋もれていた才能が世に知られるようになったのは、やはり人との出会いがきっかけだった。いずみたくや手塚治虫は下積み時代にも、やなせの才能を見抜いていた。才能がある人は才能がある人を見出すということがよくわかった。
『あんぱん』が終わるとすぐに小泉八雲をモデルにした『ばけばけ』が始まる。しばらく『あんぱん』の余韻に浸りたいので、次の朝ドラは見ないだろう。
さくいん:NHK(テレビ)、北村匠海、『君の膵臓をたべたい』、葉祥明、悲しみ(悲嘆)、手塚治虫