モリソン書庫

約半年ぶりに来た。昨夏、ここを案内したあと、父が体調を崩したので、何となく足が遠ざかっていた。来てみるとやはりいい。モリソン書庫の前に座ると心が静まる。

様々な文字と言葉が壁に書かれた回廊も、その先にある小岩井農場の味を提供するレストランも、思い出の場所に書き換えることができた。


今回の展示。ハワイを「布哇」と書くことを知らなかった。それを知っただけでも収穫。

モリソン書庫に展示されていた稀覯本にカラーで印刷された南方の動植物が美しい。

ハワイの歴史が戦乱の歴史だったということも初めて知った。諸島を統一する戦国時代があり、スペイン領だった時代から米西戦争の結果、米領となり、日本からの空襲を受けた。

島は自然の要塞であり、海で見えない国境線に点を打つ。

日本の中心である四島は太平洋戦争まで外国からの攻撃をほとんど受けなかった。

地政学的な理由も当然あるだろう。運もよかったに違いない。


岩崎久弥のような教養のある大富豪がいたからモリソン文庫は散逸せずに今東京にある。

では超格差社会にもよい面があるってこと?

文化の担い手は誰なのか?

ミュージアムに併設された小岩井農場が経営するレストランで、豪華なランチを食べながら考え込んでしまった。小岩井農場も岩崎家の遺産の一つ。


そんなことを考えたのは、モリソン文庫の成り立ちと、まだ全容が解明されてないというその広さと奥深さを紹介する本を読んだから。

19世紀後半、世界が小さくなりはじめた頃、外国語を操り現地で情報を収集するジャーナリストは裕福な特権階級だった。スパイとまでは言わないまでも民間人だからこそ得られた情報を大使館に伝えたり、自国政府と滞在先の政府をつなぐ、いわゆるフィクサーのような役割も演じる。

目覚しい働きはできず、名目上だけと書かれているものの、モリソンは袁世凱の公式な政治顧問だった。実際、スパイの密命を受けていた記者もいただろう。


岩崎久弥は今の価値にすると70億円もの巨費を投じてコレクションを購入したと書かれている。

その一方で、座談会に参加している東洋学の碩学たちは研究者になりたての頃、コピー機はあったのに、お金を節約するために史料を 筆写したと回想している。

70億円で史料を買う大富豪とその史料を手書きで写す学生。この構図をどう見ればいいのだろう。わからない。


わからないのは自分がそのどちらにも進むことができなかったからだろう。

がむしゃらに働いて金を稼ぎ、旅行したり芸術を楽しんだりする道では挫けてあきらめ、貧しくても熱意を持って勉学を究める道も選ばなかった。

どちらでもない中途半端な道を歩いて来た。それが自分らしいと開き直ることも、いまもできないでいる。



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さくいん:東洋文庫ミュージアム