ベランダの雨の滴

映画を観て気に入った作品の原作を続けて読んでいる。

原作と比べると映画は非常にシンプルな筋書きになっている。原作は登場人物も多く、それぞれの心理の変化が細やかに描かれている。

また、映画原作をかなり改変している。プロットこそ、変更してはいないものの、場面を入れ替えたり、台詞を言う人や場所を変えたり。違和感を覚える人がいてもおかしくない。映画を先に観た私は、原作を読みながら細かい心理を深掘りしている感じで心地よい。

最近、漫画や小説の映画化をいくつか観てきた。映画化には要約や省略がどうしても必要になる。原作の核を残しながら、どこをまとめてどこを削るか、脚本家の腕の見せどころなのだろう。


文化祭の場面はそれぞれの内面が詳しく描かれていて、映画よりも面白い。由奈の行きつ戻りつの心持ちには共感する。言葉にすべきかどうか、悩んだ経験が私にもある。

亮介の登場には少し戸惑う。映画では一度しか登場していないが、原作では朱里と和臣の仲を引っ掻きまわす役どころ。二人の関係が進展しないのでじれったくなる。多くの読者はそれを楽しむのだろう。主人公がピンチに陥ることが好きではないので、こういう横やりが入るとイライラしてしまう。


朱里はとても不器用な性格。混乱した状況を生き延びるために、感情をなるべく表に出さないようにする。別れることが辛いから初めから深入りしないようにして人間関係が淡白になる。所属が変わると前に所属していたコミュニティとは縁を切る。

こういう朱里の性格にも私は共感するところがある。朱里や和臣のように「家族のなかでどう振る舞うか」ということを、十代の頃、私は過剰に意識していた。

例えば、かなり遠いのに下宿せず、実家から何とか通える大学を選んだことには、私が家を出れば家族が崩壊する、という意識も働いていた。もっとも、一人暮らしをする必要のある地方の国立大に受かる実力はなかったから、実家から通える私立大に進むしかなかった。


読みながら、一つ、思いついたことがある。

共感できるキャラクター

エンターテインメント作品では、何よりも重要な要素だろう。

朱里は周囲の影響で少しずつ変わっていく。その過程がいい。『アオハライド』を観たときにも思った。咲坂伊織は、心境が変化していく過程を描くのが巧い。

思春期特有の、いつでもモヤモヤが残っている不安と、にもかかわらず、自分の決めた道を前に進もうとする勇気。これが上手に描かれている。恋愛が中心の筋書きではあるけれど、それだけに終始せず、読み応えのある、幹の太い作品になっているのはそのせいだろう。


さくいん:咲坂伊織