ワールドカップ敗退で思う


ワールドカップで日本が敗退した。

これから思い出したように否定的な論調のコメントが噴出するだろう。曰く、全国民が同じ方向を向くのは怖い、マスメディアの一極集中は問題だ、ほかにも取り上げるべき問題があったはずだ、などなど。イベントが盛り上がっている間には黙っておいて、終わったとたんにアリバイ作りのために否定的な論評を付け加えておくというのが最近のメディアのパターンになっている。

卒業式の季節には「君が代・日の丸」の強制に反対と騒ぐ新聞も「ジーンときた」などというコメントを無邪気にのせる。「君が代・日の丸」に反対するならば、まず自分たちが後援する野球大会でやめさせるよう運動したらどうだろう。昨日もラジオである新聞記者が、「敗れた後のニッポンコールには外向きのナショナリズムとは違うものを感じた」などとコメントしていた。

ワールドカップにしろ、オリンピックにしろ、国家単位で参加すること自体、時代の流れから急速にずれていっているのではないか。ナショナル・チームと言いながら、帰化した選手も入っているし、現在はスポーツの拠点も生活の拠点も外国にしている人も入っている。そうした人も含めて日本チームとしてあたかも純粋な国民チームであるかのように振舞うのはまやかしにすぎない。

21世紀になっても人の心に郷土愛があることは否定しない。日頃見慣れた選手が出ているという単純な理由から日本チームを応援する人も多いだろうし、むしろ「国民として」などと肩に力を入れた人のほうが少ないだろう。

気に入らないのはそんな純粋な、そうでなければ単純な思いを「国民的な応援」にすりかえようとする意図をもつ必ず人がいること。

結局、裏では金、利権、ビジネス、そういった力学が働くのなら、包み隠さず営利を目的としたクラブチーム通しで戦うイベントとしたほうが胡散臭さは減ると思う。もちろん、メジャーリーグやNBAの突出した商業主義に両手をあげて賛成というわけではないけれど、まやかしの郷土愛で金権主義にふたして、国家主義の伸張を密かに画策するより、はるかにましなような気がする。


碧岡烏兎