北陸新幹線建設と並行在来線関連略年表
【主として富山県関係】
1963年8月 富山空港開港
1965年9月24日 金沢市で開かれた1日閣議で「北回り新幹線構想」が提唱される
1967年12月 北回り新幹線建設促進同盟会結成(72年7月「北回り」を「北陸」に改称)
1969年10月1日 北陸線の全線複線電化完成
1970年5月13日 全国新幹線鉄道整備法成立
1973年11月13日 政府は北陸新幹線整備計画を決定。東北(盛岡以北)、九州鹿児島ルート、同長崎ルート、北海道も計画
1973年12月 石油危機に伴う総需要抑制政策のもと、大型事業新規着工凍結で整備新幹線計画も凍結
1977年12月 環境影響調査などに限り凍結解除
1978年12月 79年度予算に整備新幹線建設費を計上。但し、公的助成が決まるまで凍結
1981年6月5日 整備新幹線建設費を地元が負担する「全国新幹線鉄道整備法」成立
県内で、新幹線建設を歓迎する声とともに、新幹線は本来、国と国鉄の責任で建設すべきもの。地元負担は地方財政を深刻にさせるの声もあがる
   7月6日 運政審は、過疎地域など「自家用車中心の交通体系を目指す」とした「長期展望に基づく総合的な交通政策の基本方向」を答申
   9月 神岡線など40線を第一次特定地方交通線に選定。第二次は越美南線など84年85年で31線、第三次は能登線など86年87年で12線を選定
   11月10日 自民党は、北陸新幹線、東北新幹線の優先着工を決定
1982年3月20日 鉄建公団は、ルート、駅の概要を公表
   7日30日 臨調は「整備新幹線は当分見合わせる」と答申する
1983年3月31日 自民党は、整備新幹線の財源として@新幹線利用者から特別使用料として特急料金の20%相当を徴収、その半分をあてる。A駅施設の建設費は地元負担とする。Bできる限り公共事業として施行する案を発表
   10月19日 長野、富山、金沢に北陸新幹線着工準備作業所開設
1984年6月 自民党は、@整備新幹線の建設は公共事業方式とする。Aその財源は、建設国債等をもって充当する。B建設費の10%は地元負担とするなどを決定
   12月26日 自民党は、競合する在来線の廃止を前提に、北陸・東北新幹線の来年度からの着工を決める
1985年3月14日 上越新幹線が上野駅乗り入れ
    8月4日
 
国鉄富山港線を守る会連絡会発足(岩瀬、萩浦、奥田地区に結成された富山港線を守る会の連絡会)。廃線に反対し短期間に約8000名の署名を集める
    3月14日 国鉄富山港線を守る連絡会は、大糸線白馬行き臨時列車(4両編成)「ローカル号」を走らせる(北日本新聞が社説で取り上げる)
1986年10月 共産党は、整備新幹線について@国が責任をもつ公共事業としておこなう。A路線と事業計画の決定は、関係住民の参加など民主的手続きと、国民合意ですすめる。B環境基準をつくり、公害・災害に十分な対策を。C在来線サービスの切り捨てはおこなわず、在来線と結びついたネットワークをつくるなどの政策発表
1987年1月30日 政府は、整備新幹線着工凍結解除を閣議決定
   4月1日 国鉄の分割・民営化。JR発足
   10月
 
JR各社は、整備新幹線着工の前提として建設費全額を公費負担とする公共事業方式をこぞって掲げ、政府に意見書を提出
1988年3月25日 能登鉄道廃止。のと鉄道開業
   8月 政府・自民党は、整備新幹線の着工条件として並行在来線の廃止の可否を検討
1989年7月 富山空港・東京便1日6往復
1990年11月29日
 
JR西日本が、高岡〜津幡間、魚津〜糸魚川間を廃線、または経営移管を検討していることが明らかになる。その理由についてJRは、赤字が見込まれることをあげ、第三セクターによる経営を考えてもらいたいとした
   12月7日   県が並行在来線のJRでの継続経営を求めたのに対し、JR西日本角田社長は「並行在来線の経営分離は会社の経営方針であり、継続経営には応じられない」と述べる
   12月14日 政府・与党(自民党)は、「(新幹線を)建設着工する区間の並行在来線は、JRの経営から分離することを認可前に確認すること」で合意
   12月26日 「読売」新聞は県内経済界の声を掲載。「新幹線が絶対に必要な以上、経済界として第三セクターに出資すべきだろう」「(経営分離の)合意に時間が必要」(秋藤佐藤工業副社長)、「第三セクターにしろ、という声は出ていないが(経営分離区間の輸送実績からいって)全県あげて企業が出資しなければならない程の会社規模にはならない」「鉄道施設の無償払い下げや国の助成をどれだけひきだせるのか」(緒方富山地方鉄道社長)
   12月 新湊市を除く市町村議会が並行在来線の存続決議をあげる。北日本新聞は「相次いで意見書決議が採択されている状況からみても、JRによる存続経営はいわば県民の総意」とする社説を掲載(18日)
1991年3月14日

 
知事は、北陸新幹線整備問題検討委員会について「在来線の経営分離を前提とするものでない」「新幹線そのものの建設を促進することと、並行在来線の存続を計るという二つの柱に努力、第三セクターの移行を前提としておるわけでもない」と発言
   4月 JR西日本は、高山線・城端線・氷見線を「鉄道部」にする
   5月 入善町JR在来線存続対策協議会発足。小矢部市在来線存続期成同盟発足
   7月15日 入善町は、JR西日本による並行在来線魚津〜糸魚川間の継続経営を求める町民2万4500人の署名を提出。知事は、第三セクターとしての存続もあり得るとの考えを示唆する
   9月 9月県議会で県は、「『魚津〜糸魚川』間の在来線問題を検討する際は、現行のJRによるサービス水準の維持を前提とし、必ずしも継続経営にこだわらない」とした
   12月3日 県企画県民部長は、並行在来線について「富山、高岡まで含めて全県的な視点に立ち、採算面などを検討したい。第三セクターになれば、停車駅間を現在より短くしたり、本数を増やすなど、サービスをはかるべきだ、という検討会の意見もあり十分検討したい」と発言
   12月4日 北陸新幹線整備問題検討委員会は、現在の輸送人員が維持されることを前提とした県の収支試算例によると、糸魚川〜魚津間をJRが継続経営した場合、開業が予定される平成12年において、収入7億円に対して運営費は48億円で、41億円の赤字になるとした。また、中小私鉄並みでは2億円、第三セクター波の場合1億円の赤字になるとした
   12月


 
12月県議会。自民党県連は、糸魚川〜魚津間の並行在来線の取り扱いについて、魚津・富山、高岡間の全線整備を視野に入れた運行計画を検討する。これらを実現するため、運営方法、経営形態はJRの継続経営にこだわらず幅広く検討するとした。社会党は、「JRによる継続経営が県民の願い」と第三セクター化を否定。共産党は、JRによる経営継続と国が責任をもって新幹線建設をと主張。
1992年3月 魚津市で、北陸本線を守る3.8シンポジウム
1992年4月
 
魚津市・朝日町など新川4市町は「スーパー特急方式」を前提に、糸魚川〜魚津間の北陸線の第三セクター化に合意
   8月27日 北陸新幹線 西石動信号所〜金沢間着工
1993年10月13日 北陸新幹線 糸魚川〜魚津間着工
1995年10月 JR西日本は北陸線の石動〜市振間などを「鉄道部」に設置。北陸線の石動〜泊間は「北陸地域鉄道部」、高山線の県内線と富山港線は「富山鉄道部」、城端線と氷見線は「高岡鉄道部」となる
1997年10月1日
 
北陸新幹線高崎〜長野間開業。しなの鉄道(篠ノ井〜軽井沢間)発足。整備新幹線開業にともなう第三セクター第一号となる。横川〜軽井沢間はバス路線に転換
   10月1日 北陸新幹線高崎〜長野間の開通に、県知事は「喜ばしい限り」と述べ、「今後とも、北陸新幹線がフル規格で全線整備されるよう、ねばり強く取り組んでまいりたい」と談話
1998年3月28日 北陸新幹線 長野〜上越間着工(フル規格)
   6月15日 旅客鉄道分野における需給調整規制廃止むけての運政審答申
1999年5月21日 鉄道事業法の一部改正・公布
   12月15日

 
知事は、@長野から南越までをフル規格で整備、A並行在来線が経営分離されれば第三セクターで経営を存続、B城端線など枝線は並行在来線として取り扱わない−の3点で北陸三県とJR西日本は大筋合意と述べる。また、北陸三県とJR西日本で北陸新幹線に関する連絡協議会を設置するとした
2000年1月27日
 
新幹線建設に伴い、JRから経営分離される並行在来線問題などについて話し合う「並行在来線対策関係県連絡会議」の初会合が開かれる。富山、石川、新潟、長野、北海道、岩手、青森、熊本、鹿児島の9県参加
   2月1日 北陸線 近江塩津〜直江津間CTC使用開始
   2月4日
 
JR西日本は、北陸新幹線のフル規格による整備に伴い、北陸線(並行在来線)と7支線を一括経営分離する方向で関係自治体と協議する方針を明らかにした
   2月11日 JR入善駅の「委託・夜間無人」化を考えるシンポジウム
   2月17日 JR西日本の南谷昌二朗社長は、東京都内で記者会見し、北陸新幹線の開業に伴う並行在来線の経営分離とともに、富山港線、高山線、氷見線、城端線などの枝線だけの経営をJRで維持するのは困難とした
   3月 北陸4県とJR西日本は北陸新幹線の建設促進に向けた諸問題を検討する「北陸新幹線に関する連絡協議会」を設置
   3月 改正鉄道事業法施行(廃止が許可制から届け出制に)
   11月15日 交通バリアフリー法施行
   12月18日
 
政府・与党整備新幹線検討委員会は、上越〜富山間をスーパー特急方式からフル規格に切り替え12年後完成を目指すとする
2001年2月9日 富山港線の無人化や列車本数削減に反対しJRに約5000人の署名提出
   2月17日 富山市豊田で、港線と公共交通をよくする懇談会(シンポジウム)
   3月 JR西日本は、富山港線、城端線、氷見線の無人駅拡大、列車本数削減、最終時間の繰り上げなどのダイヤ改正を行う。各ローカルの充実を求め、沿線自治体、商店街、高校校長会やPTAの運動が起きる
   4月1日 のと鉄道の穴水・輪島間廃止
   5月27日 北陸新幹線フル企画での北陸新幹線上越・富山間約110qが新着工。総工費約7,200億円が見込まれている
   6月16日 JR北陸線・ローカル線の存続と公共交通を考えるシンポジウム
   7月 「新総合物流大綱」閣議決定。2010年までに、長距離雑貨貨物輸送のモーダルシフト化率(全輸送機関に占める鉄道・内航海運の利用率)を現状の43%から50%に向上させることを提唱
   11月17日 北陸線・ローカル線の存続と公共交通をよくする富山の会発足
   12月1日 JR本州3社完全民営化(旅客・貨物鉄道株式会社法に関する法律の一部改正)
   12月 高山線沿線の市町村長と議長、公共交通利用促進協議会は、JR西日本へ列車本数の確保や始発・終発時間の維持を求める要望書を提出
   12月14日 県議会・予算特別委員会で土木部長は、並行在来線が第三セクターに移行した場合の経営策について「しなの鉄道や先行している東北・九州新幹線の並行在来経営方向も調査研究し、経営安定化策の検討をすすめたい」とした。第三セクター経営の場合県内一括経営が不可欠の見方も示した。より広域的な連携策も検討されている
2001年 富山空港年間利用客117万人
2002年1月 県は、北陸新幹線富山駅整備にともないJR富山港線、高山線のあり方について、担当者レベルの検討に着手したことを明らかにした
   2月1日 バス・タクシー事業の規制緩和
   3月 JR西日本金沢支社は、高山線の上下10本の列車削減、速星駅夜間無人化を実施
   4月 万葉線 第三セクターとして出発
   5月 富山県内で発生した交通死者のうち65歳以上が52%と全国一位
   5月27日 JR西日本は、JR可部線の可部〜三段峡を来年11月末に廃止すると発表
   6月
 
平成12年国勢調査の結果、県内の通勤・通学者のうち、マイカーだけを利用している人の割合は72.0%と山形県に続く全国第2位。10年前より13.2%アップと車依存度が急速に高まっている
   6月11日 「鉄道事業法等の一部を改正する法律」成立。貨物鉄道事業の参入規制・休廃止の許可制を事前届出制。運賃・料金の上限許可制の廃止。附帯決議に、整備新幹線開業に伴う並行在来線の扱いについては、物流ネットワークの確保に支障を生じないよう十分に配慮すること」などを強調
   6月29日 公共交通と市民生活を考えるシンポジウム
   7月1日 土佐くろしお鉄道が運営する第三セクター鉄道「ごめん・なはり線」開業(42.7q)
   9月17日 県は、県境を越えた(並行在来線の第三セクター鉄道の)経営に関し「各県で輸送量に格段の差があり、各県ごとに経営収支を考えることが基本」と述べる
   12月1日 東北新幹線盛岡〜八戸間開業。JRGいわて銀河鉄道、青い森鉄道が運転開始予定
2004年春 九州新幹線の熊本県新八代〜西鹿児島間が開通予定
2013年頃 北陸新幹線が富山まで開業と想定される(政府・与党の申し合わせ)
 資料出所:「北日本」「富山」「毎日」「日経」「朝日」「読売」「北陸中日」「赤旗」の各紙、「衆院HP」「国土交通省HP」などにより2002年8月末作成。10月1日追加。     <作成者:世話人・事務局担当WS>
 
 
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