クグツガリ

倉木デパート 四

 約束の時間通り一〇時を回って間もなく、玄関の外で待つ美佐子のもとに迎えが訪れた。高木奈美のほかに、家が近い進藤竜樹の顔も見える。
「ほんと、助かったわ。二人ともありがとねえ」
 一体何が入っているのか、大きなリュックサックを背負った奈美が弾んだ調子で言う。その足取りも軽く、高校で見かけるときよりもずいぶん活き活きとして見える。
「でも、桐紗ちゃんは一緒に来なかったんだ。まあ誘わなかったからかもしれないけど、こういうの好きそうなのに」
「桐紗ちゃんは寝てたから……昨日、遅く寝たからね」
 美佐子としても、桐紗がついてきてくれるのが一番心強かった。しかし美佐子が目覚まし時計のベルで起きて居間に出たとき桐紗の姿はなく、祖父もまだ帰宅していない様子だった。
 唯一定位置で丸くなっている静見の姿はあったが起こすわけにもいかず、タオルケットを掛けてやって出てきたのである。
「それじゃあしょうがないよね。まあ、普通の人は寝てる時間だし」
 普通は高校生が出歩くような時間ではない。駅前通りならともかく、人通りの少ない場所では目立つ。
 治安が悪くはないこの辺りでは警官の姿もあまり見かけないものの、美佐子は少しだけ、補導されたらどうしようという、現実的な恐怖を感じる。
 しかし、奈美たちは今までにも何度も夜の肝試しを行ってきたはずだ。今まで無事ということは今度も大丈夫なのだろう、と信じるしかない。
「あ、メテオ」
 少し驚いたような竜樹の声で、美佐子は我に返る。
 行く手の電柱の陰から黒い尻尾が揺れていた。近づくと、金色の目が並んで歩く三人に向けられる。
「ちゃんとうちに帰れよ、お前」
 竜樹が声を掛けるが、三人が電柱の脇を通り過ぎて間もなく、黒猫も距離を置いて追いかけてくる。
「ついてくるつもりみたい」
「車にひかれんなよ」
 猫に何を言っても無駄という思いからか、竜樹はあきらめた様子で一声掛け、あとは振り返りもせず歩き続ける。
 住宅街を出ると、三人は駅で酒井由里とB組の皆川真琴、そしてC組でバスケットボール部だという山吹司川本正己の男子高生二人と合流する。
 C組の二人は美佐子とはほぼ初対面だが、クラスメイトの竜樹とはそれなりに仲がいいのか、親しげなやり取りを見ているとそれほど警戒する必要性は感じなかった。
「変わった猫ちゃんだねえ。ちゃんとついてくるよ」
 長身でボーイッシュなテニス部員の真琴は動物好きらしく、何度も黒猫を振り返る。彼女が触ろうと近寄っていくとメテオは塀の上など手の届かないところに離れ、じっと様子を見るように目を向ける。
 そうして、相手が離れて歩き出すとまたもとの距離を保って追いかけ始める。
「まあ、六人と一匹の肝試しってのもいいものかもね」
「オレたちに何があっても、槍が降ろうが雹が降ろうが、こいつだけは明日の朝にはしっかり家にいるだろうしな」
 竜樹が少し恨めしそうに振り返ると、黒猫はつまらなそうに目をそらす。
 線路を渡って裏通りに入ると、駅前通りの賑わいとは打って変わって周囲を静寂が支配した。ときどき設置された街灯が目立つほどに、辺りは濃い夜闇に包まれている。
 そんな中でそびえたつ古いビルは、想像以上に不気味に見えた。
「おお、絶好の肝試しスポットって感じ」
 奈美のメガネの奥で、細めた目がきらりと光る。
 それに苦笑しながら、美佐子は持参した懐中電灯をポシェットから取り出した。
「それで、どうやって中に入るの?」
 倉木デパート、としっかり壁に書かれた目的地には着いたものの、簡単に建物に入ることができるとは思えなかった。
 しかし由里は嬉々として、非常階段へと歩き出す。
「それがね、ここ、鍵が掛ってないのよ。掛け忘れたまんま、だれーんも気がつかずにいるみたい」
 怪談クラブリーダーの彼女がドアノブを回すとカチャリと音がして、ドアがゆっくりと開かれていく。
 ドアが押し開けられた隙間から、闇が見えた。窓辺に立つ、不気味な人影。
「ひぇっ、誰かいるの?」
 怯えた声を上げながらも、由里は中へと懐中電灯を向ける。あちこちの怪奇スポットに出向いているだけあって、なかなかいい根性をしているらしい。
「どーせ、マネキンかなんかだろ」
 確認する前から、竜樹はそう決め付ける。事実、明りに照らされたのは服を着けていないマネキンだった。
「なんだ、つまんねえの」
「いや、もっと奥に行けば、何かあるかもしれないぜ」
 正己と司は、この肝試しにかなり乗り気らしい。少し身を引いていた由里の前に割り込むようにして、二人はデパートの内部に踏み込んでいく。
「あ、待ってよ」
 由里と奈美、それに真琴が興味津々で続き、竜樹と美佐子は渋々追いかけた。
 床には埃が積もり、棚やマネキンもだいぶ古びてところどころ色が剥げているものの、フロア全体としては、何年も使われていないデパートのものとは思えなかった。
 棚も商品を並べればそのまま営業できそうな配置をされ、まるでデパートの休日に忍び込んだような印象を受ける。奇妙な罪悪感を覚え、それが今自分は特別なことをしているのだという背徳的な優越感を増す。美佐子は少しだけ、肝試しに夢中になる者の気持ちがわかった気がした。
 不気味な雰囲気をものともせず長身の男子二人はためらいなく先へ進み、階段を登った。それに、ときどき物陰に隠れたマネキンや鏡に楽しそうな悲鳴を上げながらも、怪談クラブの少女たちがついていく。
「三階はオモチャ売り場か。なんか、懐かしいよな」
 茶色く染めた髪を撫で付けながら、正己が天井を見上げる。
 飛行機の絵が描かれた色あせたパネルが吊るされ、周囲にはやはりだいぶ色の薄い折紙の環を連ねた鎖が飾り付けられている。
 このデパートが閉鎖されたのは、彼らが生まれて間もなくくらいのことだった。実際にはこの場に来たのも初めてである。
 ただ、美佐子も確かに、ここには昔弾んだ気持ちで訪れた懐かしの玩具売り場の雰囲気が残っていると感じた。しかしそれもすべて過去のものだ。かつては賑わったであろう玩具売り場の雰囲気も残り香でしかないと考えると、少し寂しい気がした。
「よお、どうした。怖くなったのか?」
 急に後ろから声をかけられると、美佐子はビクリと肩を震わせて振り向いた。
 幼いころから見慣れた顔を見つけると、ほっと息を吐く。
「脅かさないでよ、進藤くん……ちょっと、考えごとをしていただけよ」
 桐紗のことばがあったおかげか、ずいぶんと楽な気持ちでデパート内を歩くことができていた。
 ふたたび歩き出そうとして、ふと、足もとにあたたかく柔らかいものを感じて見下ろす。
 黒猫が、ニャアと一声鳴いた。
「ちゃんとついて来てるのね、メテオ」
「オレが近づくと逃げるくせによ」
 少女に撫でられゴロゴロとのどを鳴らす飼い猫を、竜樹は目を細めてむ。
「二人とも、置いてくよー?」
 周囲を散策していた四人はこのフロアにも特に何もないと判断し、五階へ向かうことにしたらしい。
「あ、行く行く」
 奈美の呼びかけに答えて駆け寄る美佐子と竜樹に、メテオも続く。
「それにしても、何てことないな。まあ、肝試しなんて大抵こんなもんなのかもしれないけど」
「あら、五階に何かあるかもしれないじゃない?」
 期待を込めた真琴のことばを、正己は鼻で笑う。
「怪獣の着ぐるみでもあったら、確かに驚くかもな」
「びっくりしても、置いて逃げないでよ?」
 二人の会話も、この肝試しはこれまでの肝試しがそうだったように、どうせ少しハラハラするくらいで終わるだろう、という調子に聞こえた。
 実際そうなるだろうと、ほかの皆と同じように美佐子も思っている。
 だから彼女は、階段の最後の段に足を上げたときに嫌な気配を感じたような気がしても、気にしないことにした。

 もうすぐ――あと数日で月が満ちる。
 それを憂鬱に思いながら桐紗はベッドを這い出し、部屋を出て階段を降り、明りのついたままの居間に向かった。したままなのを忘れていた腕時計に気がつき目を落とすと、もうすぐ午後一一時半を過ぎようというころだ。
 傀儡たちが動き出し傀儡狩りが街に出るのは、いわゆる丑三つ時だ。もうすぐその時間を回る。
「あー、美佐子ちゃんもまだ帰ってないんだ」
 居候たちはともかく、神代家の者は二人とも帰った形跡がない。廊下から見える範囲の部屋にある姿は、いつもの場所のいつもの浴衣姿だけだった。
「ほら、そろそろ時間ですよー」
 タオルケットを取って顔を覗き込もうとすると、急に相手が身を起こして立ち上がる。それが余りに突然だったので頭をぶつけそうになり、桐紗は慌てて身を引く。
「何さ、いきなり――あ」
 理由を問う前に、彼女も理解した。
 五感ではない部分で捉える、異質な気配。
「まだ逢う魔が時じゃないのに、なんで」
 たまに、傀儡が昼間や夜の早いうちから活動することもあった。美佐子が初めて傀儡を目にした日のように。
 しかしそれは続けて何度もあるようなことではない。
 静見が何も言わずに玄関に向かうと、桐紗も慌てて追いかける。
「あのさ」
 外に出て気配の方向を探りながら歩き始めたころ、桐紗は切り出す。
「この方向って、どう考えても……
 早足だったのが、駆け足に変わった。何度異質な気配を探りなおしても、それはある場所に存在するとしか思えない。
「どう考えても、あのデパートなんだけど……?」
「儂にもそう思える」
 静見が走りながら、右手を前方のビルの上へと振る。
 彼は宙へと跳躍した。月光がほんの瞬きの間、その指先と四階建てのビルの屋上を囲む柵をつなぐ糸をきらめかせる。
「これってさ……
 桐紗もそれを追って跳ぶ。
「あたしたちの、ミスなんじゃないのー?」
 運動が原因ではない汗が、少女の額に浮かぶ。
 昨夜は確かに、何の気配もなかったのだ。
 負の感情をエサにする傀儡が現われる場所には傀儡が好む邪気が凝り固まり、大抵の場合、予兆をつかむことができる。昨日の倉木デパートとその周辺には、邪気と呼べるだけの負の力は感じられなかった。
 ――間に合うかな……いや、絶対間に合わせる。美佐子ちゃん、無事でいて!
 夜の闇を駆ける静見のあとを追いながら、桐紗は祈るような思いで、行く手の空に浮かぶ月を見据えた。

 五階は広大な、ひとつのフロアになっていた。もともとはイベント会場などに使われていたらしい。
 パネルがいくつか置かれているくらいで、窓からさし込む月光がそのまま床に歪んだ長方形を並べている。それがどこか不気味だった。
「なんか出そうだよね、ここ……
 由里のか細い声が、不穏な空気をかき乱す。
 その背後で嫌な予感を無視しようとしながら、美佐子は窓の外に目をやった。並ぶ建物の隙間からのぞく満月までもう少しという月が、やけに大きく見えて美しい。
 それに見とれているうちに、床に白く照らし出された歪んだ長方形の中で影が動いた。
「おい……何かいるぞ?」
「カラスじゃねえのか?」
 少し焦ったような声を出す司に、どうせ見間違いだろうという調子で言って、正己が窓へと目をやる。つられて、ほかの四人もそちらを見た。
 黒い何かの影が、窓の端から伸びていた。それは良く目にするもののシルエット。
 長い爪をつけた手の影が、ゆっくりと何かを握るように動く。
「あ……
 静止した時間の中で、最初に声を洩らしたのは誰だったのか。
 一度あふれかけたものは、止められない。
「ああああ!」
 甲高い悲鳴が上がる。
 同時に、窓が破られた。弾けるけたたましい破砕音。
「何だってぇんだよ!」
 司が叫んで、逃げ出した怪談クラブの少女たちを追いかける。正己も続き、美佐子も階段に引き返そうとした。
 途端に足首に何かがひっかかり、転倒する。
「大丈夫か!」
 竜樹が気がついて駆け戻ってきてくれる。しかし美佐子は、それを認識する余裕すらなかった。
 彼女の目も注意も、ある一点に集中する。
 足首に絡みついているもの。それは、確かに白い指だった。
 その指を剥がしたい思いと、触れたくない思いが少女の中でせめぎあった一瞬に、黒いものが飛びついてきた。メテオが美佐子の足首を拘束するものに牙を立てる。
 白い指が剥がされた。同じく、相手から離れながら、メテオがまるで庇うかのように、美佐子の前で毛を逆立てて威嚇する。
「何やってんだ、メテオ……?」
 竜樹には、見えていないらしい。
 少女の目に映る、腰から上だけのものや脚だけのもの、胴体だけのものなど、様々な形のマネキンたちが。
 顔の部分があるマネキンも目や口は彫られておらずのっぺりとしているのに、なぜかマネキンの視線が自分に集中しているのがわかった。
「あ、え……
 何か言おうと口を開くがことばにならない。
 目を離すことができずに見続けているうちに、白いマネキンたちはドロリととろけるようにして変貌を遂げる。
 腕に鎌のような刃を持つ不気味な傀儡たち十体ほどが、ずらりと並んで目を向けている姿に。
 傀儡のうちの一体が、少女めがけて跳びかかってくる。それをメテオが見かけの体重からは信じられない力で飛びついて落とし、さらに引っかく。
 見えない何かと格闘する飼い猫に目を丸くしながら、竜樹は幼馴染みの手を引いた。
「美佐子、逃げるぞ!」
 無理矢理立たされ、美佐子は少しだけ身体の自由を取り戻す。それでも、傀儡の指を目にしたときからずっと、まるで映画の一場面を眺めているような現実感のなさは続いているままだ。
 ――何も起こらないはずなのに。
 初めてそんな疑問が心の隅に湧くが、後悔したり同じ家に暮らす友人を責めたりする余裕はなかった。感情が抜け落ちたような気分で、ただ竜樹に引っ張られるように駆け出す。
 それでも本能的な恐怖は失われていない。その強烈さに、意志と関わりなく身体は反射的に動いてくれた。
「おいっ……
 階段に向かおうとして逆に引っ張られ、竜樹はバランスを崩し尻餅をつく。
 その頬に、赤い線が走る。
「な、なんだよこれ……
 驚き頬をなぞった指に、赤い液体がついた。
 美佐子の目には、竜樹の向こう側に這いつくばるようにして見上げている傀儡が映る。それが見えない竜樹にも傀儡は触れられるらしい。
 傀儡が、蟷螂の鎌に似た腕を振り上げる。
 それが振り下ろされたとき、竜樹の首が飛ぶだろう。
 そんな想像に恐怖を覚えると、同時にひとつの強い思いが芽生えた。
 ――見えるわたしがしっかりしなきゃ。
 視界の端に小さな身体で懸命に傀儡と戦うメテオが見えた。その頑張りを無駄にしたくないという気持ちも、固まっていた筋肉を動かす力を与える。
 ――自分の足で逃げなきゃ!
 竜樹の手を握り、思い切り引く。傀儡のさらなる一撃は、少し前まで少年の首があった辺りの空を切った。
 逃げ道を確認しようと階段に目をやり、走り出す。少し驚きながらも竜樹は黙ってついてくる。
 あと少し。
 といったところで、背後から天井近くを跳んできた傀儡が行く手を塞ぐ。
「何かいるのか?」
 急に立ち止まった美佐子に、妙な気配くらいは感じているのか、幼馴染みの少年がわずかに顔をしかめてきいてくる。
 それにうなずきながら、彼女はじっと相手の隙をうかがった。
 一度吹っ切れると自分でも驚くほど冷静になれた。必ずどこかに、相手の動きの間に合わない手の届かない場所があるはずだという自信が生まれる。
 ――でも、早くしないと……
 メテオが相手をできる数にも限りがあるだろう。
 背後からの重圧を気にしながら、少女は階段を塞ぐ一体を睨みつけた。相手のどんな小さな動きも、その予兆も見逃すまいと。
 間もなく意を決して駆け出した刹那、美佐子は、シュッという空気が抜けるような小さな音を聞いた。
 そしてそれに続く、先ほど聞いたものに似た破砕音。
「美佐子ちゃん!」
 信じられない声を聞いた気がして、思わず目の前の傀儡の存在を忘れ振り返る。
 砕けたガラスを払って駆け寄って来る少女は月光に背後から照らし出され、どこか現実離れして見えた。
「な、何だこいつら!」
 唐突に、竜樹が身を引く。その目は近づく桐紗ではなく、階段の前に立ち塞がる白い姿に向けられていた。
「あーあ、面倒ごとが増えた」
 場にそぐわないほど軽い調子で言って、桐紗が右手を振る。よく見ると、その右手には時代劇にでも出てきそうな薙刀が握られていた。
 傀儡が声もなく切り裂かれ、白い蒸気となって消える。
 小さな爆音は続けざまに鳴った。
 振り返る美佐子の目に、いつの間に現われたのか、静見が映る。浴衣の袖の中で腕を組んでたたずむその周囲に傀儡たちが群がった。
 彼が軽く視線を動かすなり白い怪物たちは弾け、霧散した。
「ずいぶん、攻撃的に変化した連中だねえ……こりゃ、短気な若者の負の感情にでも当てられたか」
 静見を無視して追いすがってきた最後の一体を、桐紗が美佐子の前に滑り込み造作もなく斬り捨てた。
 それを確認すると、彼女はほっと息を吐く。薙刀がその手のひらの上でまるで手品のように木片に変わるのを、美佐子は恐怖感が麻痺したような不思議な気分で見ていた。
 ぼうっと眺める美佐子と、驚きのあまり表情を凍りつかせた竜樹。
 二人の様子を見て、桐紗は誤魔化すように頭を掻いた。
「あー、その、これはひとつの事故っていうか……本当は存在しないはずのものが予想に反して来ちゃったっていうか……
「これは儂のミスだ。巻き込んで済まなかった」
 言い訳がましく説明する少女の横から、静見が歩み寄る。
「お、男らしい……くっ、あたしも悪かったよ、ごめん」
 なぜか静見の潔さに対抗心を燃やしたのか、桐紗が頭を下げる。
 理由は良くわからなかったが、美佐子は二人を責める気にはならなかった。それ以前に、極限状態から脱したばかりの今、ただひたすら安堵に身を任せるだけだ。
 竜樹のほうも、半ば放心状態らしい。疑問と驚きを抱えきれないほど抱えながら、口を開くこともできずにいる様子だった。
 しかし、傀儡狩り二人のことばに平然と答えた者があった。
「まったくですぜ、ご主人。危うく、あっしも死ぬかもしれない目に遭った。こんなの、話が違うじゃねえですかい」
 言いながら人間たちの真ん中に歩み出てきたのは、小さな、金色の目の、闇を切り取ったような獣。
「しゃ……しゃべった? メテオがしゃべった!」
 ついに緊張の糸が切れたように、竜樹の表情が、口が動く。
 しかし黒猫は飼い主を仕方なさそうに一瞥し、
「竜樹の、寝床と飯の恩義はありやすが、あっしの主は遥か昔から、静見さまただ一人でさァ。あっしの名前は九虎丸ってんで、そう呼んでくれた方が嬉しいですぜ」
 ただ飯喰らいのくせに偉そうな言い草で、竜樹は我に返ったのか目を細めていつものように黒猫を睨む。その態度は間違いなくメテオだ――否、九虎丸が本名らしいが――と確信したらしい。
「その九虎丸さんが何でオレんちに? お前、化け猫なのか? 少なくとも、普通の猫じゃないだろ」
 腹立たしさが奇妙な落ち着きをもたらしたのかいつもと変わらぬ調子で話す竜樹が、美佐子にとっては少しおかしかった。
「あっしはまあ、アヤカシとか妖怪と呼ばれるものに近い存在でさァ。まあ、そんなものと一緒にされるのもシャクだから、一種の精霊だと思ってくんなせェ」
「妖怪って、さっきのも……?」
 傀儡のことを言っているのだと、ほか三人と一匹も即座に理解する。
 知らぬ存ぜぬという様子で明後日の方向を眺める黒猫をのぞく三人が顔を見合わせ、結局、静見が口を開いた。
「確かにあれは、そういうものの一種だ。あれを見る力がある者は少ない。今回お前さんがあれを見たのは、儂が傀儡狩りの結界に巻き込んだからだよ」
「傀儡狩り?」
 傀儡のことを話せば、自ずと傀儡狩りのことも話すことになる。静見は、カフェで桐紗が美佐子にしたような話をかいつまんで淡々と説明した。その無感情な話し方が説得力を増す。
「お前さんはもうあれを見ることはないだろう。不安なら、もうこういう場所には近づかんことだ」
 言って、右手を竜樹の顔の前にかざす。
 痛みも忘れていたが、竜樹は頬の傷に妙な熱さを感じてようやく怪我の存在を思い出した。しかし指でなぞってみたときには、すでに傷の感触は消えている。
「そろそろ結界を解く。お前さんがたの友人たちが迎えに来るからな。真っ直ぐ家に帰ることだ」
「ちゃんと見張ってるから、安心してよね」
 背中を向けた静見を追いガラスの割れた窓に歩き出してから、桐紗が安心させるような笑顔で振り返る。
 何でもないことのように五階の窓の外に飛び出していく二人を見送りながら、美佐子は、この状況を奈美たちにどう説明しようかと、忙しく考えをめぐらせていた。

> 次項
< 前項