Day 20 灰色の胎動

『ここで臨時ニュースです』
 人数に対して、快適というほど広くはないブリッジに、広域放送が流れている。メインモニターには、エルソン人の美人キャスターが真面目くさった顔をして立っていた。
『太陽系内第3惑星・地球の衛星、月を拠点とする銀河共同防衛軍――GTGが、地球上の何者かに砲撃を行った模様。エルソン政府は、この件についてGTGに説明を求めていく考えです』
「いよいよ、きな臭くなってきたな」
 クルーの中の唯一の男が、あくび交じりに言って天井を仰ぐ。
 だが、答えは彼のとなりの席から返った。
「戦争になるのかしら?」
 他人事の口調に、もう1人の女が苦笑する。
「普通なら、そうね。でも、地球の艦隊はもう長い間、宇宙へと出たことはない……それに、GTGの攻撃にも、意味はあるはず」
「それも、すぐにわかるさ」
 男のことばに反応して、合成音声が降ってくる。
『指針、変動無し。メインドライヴ起動中。間もなくワープ・モードの準備に入ります』
 サブモニターの縮小マップ上で、進路予測ラインが直線を描く。
 船は順調に、地球へ向かっていた。
 
 静けさが辺りを包んでいた。どうやら、来るときにはあれほどいたほかの客も、だいぶはけたらしい。
 それでも充分周囲を見回してから、ヒルトはブースを出る。今は、できるだけ人と顔を合わせたくない。それが、気心の知れた友人たちであっても。
 情報センターを出て通りを歩きながら、彼はつい先ほどまで見聞きしていたことについて考える。
 彼が体験したことは、彼自身の本来の記憶だ。その中でも印象に残ったのは、あの、少女ミュートの姿。
 あれが、キイ・マスターなのか……
 映像で見たのと同一人物とは思えない。しかし、同じ目をしていたようにも思う。
 人混みを避けるように端を歩いていると、急に肩を叩かれた。考え込んでいたヒルトは驚き、顔を上げる。
 そして、さらに驚いた。
「ああ、ここのセンター使ってたんだ。久しぶり」
 そう声をかけられるものの、つい先ほどまで相手の顔を見ていたヒルトには、久々とは思えない。
「ユキナさん……?」
「そうだよ。びっくりした?」
 ベージュのジャケットに黒のパンツという服装は違うものの、黒目黒髪の快活そうな少女は、間違えなく、仮想世界で一緒だったユキナ。
「あれ? ユキナさんも、記憶を消されたんじゃ……
「あたしは、消されてないんだ。ま、詳しいことはどこかでメシでも食いながら話そうや」
 言われて、ヒルトはようやく空腹感に気がついた。昼食時ゆえに、情報センターからも人が減っていたのだろう。
 2人は小さな食堂に入り、料理を頼む。人間ではなく機械で実在の有名シェフの味を再現するタイプの店で、人間シェフのいる店に比べ、値段は格安である。
 席について間もなく、壁に備え付けられた取り出し口から料理が押し出されてくる。
「えーと、それで、なんだっけ?」
 パスタをふた口すすって、ユキナはやっと思い出したらしい。
「なぜ、記憶が消されなかったか」
 答えて、地鶏のリゾットを口にする。彼は、シグナが調節するこの店の味は、本家より美味いのではないか、と思っていた。
「ああ……あいつだよ。シグナさ。シグナは一部の人にだけ、記憶を残したんだ」
「一部……? 何のために?」
「さあねえ」
 言って、考え込むように、天井辺りを見上げる。
「こうなることがわかっていたのか、それとも、キイのすることへの抑止力かもね」
 もう滅びたもう一基のシグナは、ユキナたちに、キイを止めて欲しかったのかもしれない。
 それでは、キイ・マスターの目的とは、一体何なのか。
 それは訊かずとも、おそらくユキナにもわからないだろう、とヒルトには知れた。
「それで……あなたは、彼女を止めるつもりですか?」
「わからないよ。でも、何をするのか、見届けたい。それからどうすか決める」
「でも、どうやって?」
 思わず出た問いに、少女はナプキンで口もとを拭いながら少し考え、
「ルータと一緒に行ったのは間違いない。それに、長く航行していればとっくに手がかりがあるはずだから、行き先はそう遠くじゃないね。あとはまあ……何か事件が起きてるトコをしらみつぶしにでも当たるさ」
 最後のほうは、少々投げやりな調子で言う。
 彼女はひとりで、キイ・マスターを捜すつもりだ。そう察知するなり、ヒルトはテーブルに身を乗り出していた。
「ユキナさん、ぼくも行きます。それに、ゼクロスも。あちこちの惑星を訪ね歩くなら、宇宙船のアシはあったほうがいいでしょう?」
 そう言い募ると、相手は、大きめの目をさらに見開く。
「あんた……ゼクロスに会ったのかい? そりゃあ、あいつが一番キイを捜してるはずだし、知ってもいる。あいつが一緒に捜してくれるなら、それ以上のことはないよ。もちろん、あんたも歓迎だよ」
 ずっと心にわだかまっていたものが、スッキリ消えるほうへ近づいた。それを感じながら、ヒルトは、ゼクロスがキイ・マスター捜索行を断るわけがない、と確信していた。
 
 今から何百年も昔のことである。地球が戦力というものを放棄し、銀河連合議会に派遣された組織――GTGに防衛を一任したのは。
 GTGは月に基地をかまえ、銀河連合下の惑星から交代で派遣される軍人の混合軍と、基地に常駐する十数名の幹部からなる。
 1ヶ月ほど前、その幹部も含め、数十人規模の増員があった。
「こうなることがわかってたのかねえ、フォートレットの3女神は」
 紋章入りの青い帽子をかぶった男が、ため息交じりにモニターを見上げた。
 それを聞いている唯一の人物が、ここ最近調子が悪かった壁のコネクタを器具を手に修理しながら、苦笑まじりに口を開く。
「デルファイ機能でも導入したのか? ま、確かにあいつらは頭がいいけどな」
 フォートレットの3女神は、超A級人工知能でも最高傑作、ついでにどの一基をとっても投入された資金も最高、と言われるシロモノである。3基はお互いを姉妹として認識しており、人々も3姉妹、3女神と呼んでいた。
「ま、良かったんじゃないのか? あんたは楽になるだろ。それとも、今更司令官席が惜しくなったか?」
「まーさか」
 軽く椅子の手すりを叩いて、男は肩をすくめる。
「んなこたぁないさ。それに、上には逆らえん。明日になればオレはここを引き払って、司令官はお役御免。あとは、趣味の植物観察にでも精を出すさ。それに、オレよりお前はどうなんだ、ロズ? 新しい上官とは上手くいきそうか?」
「わかるものか。顔も見たことないんだぜ。ただ、わかっていることは」
 一拍置いて、若い技師は続けた。
「名前は、エステル・ラーズ。女だ」
「それは、プラス材料だなあ」
「よせやい。言っただろう、顔も見たことないって。……もうすぐわかるんだ、どんな顔かじっくり拝もうじゃないか」
 そう結論づけたとほぼ同時に、小さな擦過音が鳴った。ドアがスライドし、背筋をしっかり伸ばし、赤茶色の髪を肩の下で切りそろえた女性が入ってくる。
 アーミラという名の彼女もまた増員要員で、一昨日着任したばかりだった。
「お話し中失礼します。エネル博士が、是非すぐにマーゴ司令に見せたいものがあると、展望室でお待ちです」
「わかった、すぐ行く」
 淀みない伝令のことばを聞いた男は、この半引退司令に何用か、という思い入れで溜め息を洩らしながら立ち上がる。
「最後の一仕事かもしれないぜ。ゆっくりしてきな」
 ロズの声に手を上げて応え、司令官はアーミラと並んで司令室を出た。
 展望室は地下2階、地上2階の基地の、最上階にある。地下1階の司令室の目の前のワープゲートを使えば、その距離も一瞬で詰められる。いかにも堅物なアーミラと雑談を交わす暇もない。
「おお、来なすったか」
 老博士は待ちわびていたと見て、ゲートに向けていた顔に笑みを浮かべていた。
「司令官。これをどう思う?」
 司令官とアーミラがコンソールのモニターに近づくと、宇宙学者は何か面白いものに遭遇した少年のように目を輝かせて、モニターの中の波形を示した。
「〈断崖〉方面からのものだ。多少はノイズが入っているが、自然のものにしてはずいぶんコヒーレントじゃないかね?」
 一般に〈果て〉と言われる、周辺宙域の者たちが進出した限界領域の端の、反対側の端の呼び名のひとつだ。万が一でも向こう側に行ける可能性があるとしたらHR基地が望む〈果て〉であり、今も理論上は向こう側へ至ることが可能な探査機や、衛星を改造した宇宙船が横断中である。
 一方、〈断崖〉は人類活動域の外枠の中でも航宙の妨げになる障害物や機械の動きを妨げる電波などが多く、向こう側へ至る可能性は低いと言われていた。
「探査機や何かの通信電波の跳ね返りの可能性は?」
「探査機はここ7年は出てないし、跳ね返るには遠過ぎる。この電波は明瞭な上、発生点も〈断崖〉の向こうだ。まあ、誰かが発生点を偽装してるというのはあり得るが、そんなことをする動機を持つ者は少ないだろうな」
「何の電波かわかるか?」
 まだ信じたい気持ちと疑う気持ち半分ずつの司令官に、エネルはモニター上の波形の一部を拡大して見せ、
「分析してみたところ、いくつか変化にパターンがあるのがわかった。通信電波かもしれない。もっと詳しいことを知るには、高性能なコンピュータが必要だ」
 何かを期待するように、今の地位にいる時間の残り少ない司令官を見る。
 不意に、マーゴ司令は遠くから状況を眺めているような感覚にとらわれる。戦時下にあると言っても過言ではないのに、宇宙の向こう側への夢を語っているなど、何とものん気な話だ。
 しかし、司令官としての最後の仕事としては、なかなか趣があるとも思える。
「エルソンに協力を求めよう。応じてくれるのは、新司令が今回の戦いについて会見を開いてからだろうけどな。オレにできるのはここまでだ」
「それで充分だよ。ありがとう」
 エネルは司令官に握手を求め、マーゴ司令が応じると、何度も礼を言った。
「マーゴ司令」
 束の間緩んだ周囲の空気を、アーミラの淀みない声が引き締める。
「そろそろ、お時間です」
 それは、司令官としての最後のときへのカウントダウンの始まりを告げるもの。
……行きますか」
 気の乗らないような、せいせいするような気分で、司令官はエネルから離れ、司令官生活最後の瞬間へと歩き出した。
 
 通常の定期便を装った、その実、中の上レベルの兵装は搭載した小型船が一機、太陽系を横断していた。
 普通ならばもう、モニターに青い惑星の目の覚めるような姿が現われているはずだ。
 しかし――代わりに浮かびあがるのは、灰色のスクラップをどうにか球形に寄せ集めたような物体。
 船のわずかばかりのクルーは、それが地球、否、かつて地球であったものだと知らされていた。それでも大半は実際に目にするのは初めてと見えて、ショックを顔に表す。
「あれが、宇宙のオアシスと言われた蒼き星とはな……
 若い学者が言い、溜め息をつく。
「そう呼ばれたのは、大昔の話です。私としては、これから家となる基地のほうが気になりますね」
 黒目黒髪の女が、モニターの端に見えてきた月面基地を見上げた。砂の海をかきわけ、広大な基地が建造されていた。
 船はゆっくりと、目的地への直線となる針路をとろうとする。
 すると、モニターの端に滑り出していく灰色の球体に、小さな光の点が穿たれた。
「シールド・オン」
 女が声を張り上げる。彼女がこれから与えられる立場をよく知るパイロットは即座に反応した。
 光と衝撃が横薙ぎに船体をなぶる。一瞬だけ照明がちらついた。
 衝撃が去ると、パイロットは溜め息を吐く。降下予定だったポートとその周囲が破壊され、瓦礫に埋まっていた。
「別のポートへの着陸許可を。次の一撃が来る前に降りないとまずい」
 女のことばが終わらぬうちに、パイロットは素早く手を動かし始めた。
 
 突然の襲撃に、ムーンポート01は様子を一変させていた。
 天井は崩れ、床はひび割れ、棚はくの字にひしゃげて倒れている。
 その棚の下で、マーゴ司令は目覚めた。
 下半身の感覚がない。両手をついて身を起こそうとして、彼は自分の下に広がる血溜まりに気がついた。
 決定的な何かが欠けていくのを感じながら周囲に目をやると、アーミラの頭が見えた。外見上は、怪我はないようだ。
「アーミラ。大丈夫か?」
 手を伸ばし、肩を揺する。アーミラはすぐに顔を上げた。
「バリア展開。相手の攻撃地点を割り出し、3撃目がきたら反撃だ。さあ、行きなさい。戦術部に伝えたら、救助隊をよこしてくれ」
 蒼白な顔をしたアーミラは、わずかに動揺した表情を浮かべながらも、口を結んだまま強くうなずき、駆け出した。
 これで最後の仕事が終わった、と息を吐きながら、棚の下を出て仰向けに転がる。
 混乱し薄れゆく意識の中で、彼は暗かった視界が明るくなっていくのを見た。天井の壁が崩れ始めたのだ。
 バリアと環境装置は正常に作動しているらしい。それに安心しながら、終わりを確信する。天井からの大きな瓦礫が、やけにゆっくりと落下してくるところだった。
 痺れた頭で今までの仕事を思い出しながら、マーゴ司令は目を開け続けた。
 不意に、瓦礫で閉じかけた視界が開かれる。
 女がふたり、駆け寄ってくる。ひとりはアーミラ、もうひとりは――
「ようこそ、司令官」
 ろれつの回らぬ舌をどうにか動かして言うと、見覚えのない女は苦笑する。
「ありがとう、アルキメデス・マーゴさん。それだけ言えれば、大丈夫でしょう」
 彼女が背後の救助隊を呼ぶ声をかすかに聞きながら、マーゴは司令官としての時間を終えた。

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