Day 11 再びつなぐ手

 荒れ果てた大地の上を、赤茶色の土をさらった風が荒々しく吹き抜けていく。それは、上空からの眺めを、より赤く、血のような色に染め上げる。
 あの痩せて干からびたような大地も、ほんの数ヶ月前は緑にあふれていた。常に稲光に脅かされ、黒く厚い雲に埋め尽くされた空も、抜けるような蒼を見せていた。
『ユール……
 物憂げな声が、まだその顔にあどけなさの残る若い男を、追憶の世界から引き戻す。名を呼ばれた青年は、小さな窓から顔を上げた。
『ルッサさんが呼んでいます。至急司令室に来るようにとのことです』
 事務的なことばを聞くと、ユールは溜め息を洩らし、重い足取りで暗い通路を歩いていく。
 誰ともすれ違うことなく中心部の司令室に到着すると、意を決して足を踏み入れる。ドアがスライドし、半円形のデスクの向こうに立つ男の、白いゆったりとした服をまとった背中が見えた。今まで、一番頻繁に目にしてきた背中。
「来たか」
 端正な顔が外部を映すモニターから上げられ、鋭い視線で部屋への侵入者を射抜く。
「何の用だ……
 相手の視線から少しだけ目をそらし、ユールは無感動に問う。相手の返事もまた、感情のこもらないものだった。
「お前にも、少しは働いてもらおうと思ってな。地上で任務をこなしてもらおう」
 この男なら、どんな残酷なことも、どんな桁外れなことも言いかねない。そう覚悟していたユールだが、彼は、相手のことばに目を見開いた。
 この船を出て、任務を遂行する。それがどれほどの危険をはらむのか、ことばの主も知っているはずだ。
「本気なのか……ルッサ」
 彼にとっては、まるで、死刑宣告をされたに等しかった。
「私は不要な虚言を吐くことはない」
 一方、相手の調整者の青年――ルッサは、いつもそうするように、淡々とことばを紡ぐ。そのことばの内容通りに、彼の言動は常に計算に裏打ちされ、実用的で理論的だ。
「すぐにでも準備しろ。詳しい任務の内容は追って連絡する」
 試されている、とユールは思った。
 果たして、どこまで調整者として任務に忠実になれるのか。調整者としてここにいる資格があるのか。可能なら、そんな物は放り出してしまいたかった。そう感じている彼にとってはチャンスでもある。地上に降りたら、どこか遠くへ逃げてしまえばいい。
 しかし、それは彼が今まで生きてきた中でのつながりを、すべて捨てることでもあった。故郷とも、家族とも、温かく接してくれたわずかな人とも、そしてこの船の人格を持つ中枢システムとも、2度とことばを交わすことはない。
 どうにしろ、拒否することはできない。拒否すれば、処分されるか、囚われて実験動物のような扱いを受けるだけだ。
「わかったよ。やりゃあいいんだろう」
 吐き捨てるように言い、背中を向ける。
 逃げるように去ってゆくその背中を、ルッサは鋭い目で見つめていた。

 大地の色と同じ、赤茶色のテントが周囲に並んでいた。テントの周りには強い風を避けるため、岩やどこか街の残骸から運んで来たらしい、原形をとどめない機械部品が積み上げられている。
 テント群の周囲には小さな丘があり、その側面に、いくつも穴が口を開けていた。どうやら、人工的な洞窟の入口らしい。
 土を踏み固めただけの通りを行き交う人々は、テントと同じ生地の服をまとい、フードを被っていた。
「なんだか、人間の強さを感じる街だね」
 しばらく迷っているかのように通りの入口に立ち尽くしていた少女が、意を決して足を踏み出した。フードもマントのような服も身につけていない彼女の格好は、ここではひどく目立つに違いない。
『ああ、ミュート。どうやら洞窟の奥にアリの巣のように地下室を作っているようだ。畑もあるみたいだね。風も避けられるし、スペースもとらないし、おまけに……上空の調整者にも見つからない』
 最後のほうは声を潜めて、小型探査艇の姿を借りた宇宙船制御AIが分析結果を告げる。センサー領域は本来の物より狭まっているが、その能力自体は失われていない。
 それも、彼らが精神生命体に近い存在の仕方を強いられているこの世界においては、論理的な思い込みによるものだが。
「ということは、ここの人々は調整者の存在を知っているってことになるけど……ルータ、そもそも調整者はこの世界の存在なのかな?」
『少なくとも、我々がこちらに来る前には存在していたようだけども。彼らが私たちを呼んだ可能性もある』
 ことばを交わしながら歩くうちに、ミュートは、通りの脇の露店の並びの端に辿り着いた。妙な人工物を抱えた少女の姿を見咎めて、綺麗な石を加工した装飾品を売っている露店から、口ひげを生やした男が顔を突き出す。
「お嬢ちゃん、外から来たのかい? ここの者は、みんな同じ格好だからね」
「はい。その格好は、上空から目立たないためですか?」
 彼女の問いに、相手はわずかに眉をしかめた。
「ああ。前にいた場所は、あの円盤に攻撃されてねえ。大勢が死んだ。オレたちは、その生き残りだよ。それにしても、今日は色々な人が来る日だ」
『色々な人?』
 即座に、ルータが聞き返した。男は、その声の主を見て目を白黒させる。
「な、なんだい、お前さんたちは本当に変わった客だねえ……ああ、今日は外からの客が多いんだよ……広場のほうに歩いていったのを見たが」
「ありがとうございます」
 勢いよく頭を下げてから、ミュートは駆け出した。その背中を、店の主人はまだ目を見開いたまま、見送っていた。
 通りを早足で進むミュートの脳裏には、前の街を先に出発した、ルータを捜しているらしい旅人たちのことがあった。自分たちと同じく、VRDに接続していてこの世界に呼び込まれた者たちに違いない。出会うことができれば、元に戻る方法か、そうでなくても有効な情報を得られるかもしれない。
 やがて通りが途切れ、街の中心の広場が見えてくる。広場は市場になっているらしく、地面と同じ色の布の上に座り、その前に商品を並べたスタイルの露店が所狭しと展開されていた。市場とはいえ、やはり金でのやり取りはなく、商品は物々交換で行き来している。
『結構活気があるね』
 洞窟で栽培されているらしい長芋や豆などの食べ物、ナイフや針金、売主も用途がわからないような何かの部品、住人全員が同じという服装にひとつのポイントを与えるささやかな装飾品など、様々な物が売られている。ひとつの種類にまとめられた商品を置く店より、手に入った物を何でも並べているような店が多い。
 欲しい物を見つけるのに手間がかかるが、人々は、その手間を楽しんでいるようだった。
「お嬢ちゃん、綺麗なブローチでもいらないかい?」
 老女に優しく声をかけられて、ミュートは戸惑ったように足を止めた。
「あの……その前に、その布はどこで手に入るんでしょうか?」
 何せ、周囲はテントも人間も、ほぼ地面と同じ色に偽装しているのだ。そんな中、彼女は取り残されたように目立っていた。明らかに外からの人間である彼女に、露店の客引きも集中する。
 老女は苦笑し、ある丘の方向を指さす。
「あそこにある洞窟に衣料部屋があるから、これを渡してもらっていらっしゃい」
 握らされたのは、銀の髪飾りだった。ミュートは驚き、それを老女に差し出す。
「これは頂けません。物々交換が必要なら、自分の物を差し出しますから」
「いいや、いいんだよ。衣料部屋の娘たちは、装飾品を一番喜ぶからね」
「では……
 ミュートは髪飾りをポーチに仕舞うと、別のポーチの中を探った。そして、以前手に入れていた缶詰のひとつを取り出す。
「髪飾りに比べれば安いかもしれないけど……
「いや、いいのかい? 嬉しいねえ。好きなんだよ、サバの味噌煮」
 老婆は喜んで缶詰を受け取り、大切そうに布に包む。
 ミュートは彼女に礼を言うと、周囲を見回しながら、広場を出ようとする。先にこの街に着いているはずの旅人たちに早く出会いたかったが、今は、服をどうにかするのが先決だった。
 網の目のような狭い店の間を抜けて、広場の東口に向かう。その背中に、機械部品を売る店の主人が声をかける。
「嬢ちゃん、よさそうな玩具持ってるじゃないか。何かと交換しないかい?」
『私は玩具じゃない!』
 反射的に、ルータが声を上げた。今までその存在を突然知らされた者がしたのと同じように、店の主人は驚き、手にしていた金属の塊を足の上に落とした。
「痛っ……と、そりゃ悪かったな。手に入ったら、さっき来てた連中に売ってやろうと思ったのに」
 再び歩き出そうとしていたミュートが、振り返る。
「さっき来てた連中って……外の世界から来た人ですか?」
「ああ、そうさ。ついさっき、きみたちと同じようにそこから出て行ったところだけどな」
「ありがとうございます」
 礼を言って、ミュートは足早に市場を出る。もしかしたら、という希望を胸に、教えられた洞窟への道を急ぐ。
 道行く人々の奇異の目に少々首をすくめながら、その視線から逃れるためにも足を速め、木の柱で補強された洞窟の入口に走り入る。壁の燭台の火に照らされただけの薄暗い閉鎖空間が、今は外よりも落ち着いた場所に思えた。
 もっとも、洞窟内に他人の視線がないわけではない。だが、土色の通路の壁に並んだ空間への出入口を行き来する姿は、土色の布で覆い隠された物ではなかった。
『ああ、ここでは空からの目に備える必要がないからね』
「だから、自由にファッションを楽しめるわけか」
 ミュートは一番近い部屋をのぞいた。そこでは、小麦と水を練った物をちぎって丸め、台の上に並べている。若者が多く、皆、外の者より晴れやかな顔をしていた。
「年長者は、若い人にここでの仕事を譲ってるんだろうな」
『外の風に当たらなくてよいし、ここは外より安全なはずだ。もっと人生の先達を大切にすべきだね』
「ここじゃあ、若い労働力が貴重なのかもしれないよ」
 ひとつひとつの部屋をのぞきながら、彼女は洞窟の奥に進む。内部は計算されているらしく、徐々に下へ向かっていた。丘の外観からの印象より、かなり広く感じる。
 小さな畑の広がる部屋や、わずかに生き残った動物を大切に育て飼育する部屋、料理人の集まった部屋や、装飾品を作る細々とした作業を行う部屋、そして鏡を作る部屋などを、それなりの興味を持って、少女は見学した。洞窟内にはまだ十歳前後の子どももいて、時には彼女と同じように大人の仕事を見学し、あるいは手伝っていた。
 やがて、部屋を十近く回ったところで、次の部屋からの話し声がミュートの興味を引く。
「お姉さんには、このサイズが合うんじゃない?」
「とりあえず、これで全員分そろったみたいだな。じゃあ、今日はさっきのとこに泊まってくか?」
「ああ、今日はもう疲れたぜ。ここにゃあ、一応シャワーもあるようだし、ゆっくりしていこう」
 ミュートは、その会話に参加している声に、聞き覚えがあるような気がした。一瞬足を止めると、一気に、部屋の中に飛び込む。
 広い空間の端に、まっさらな布と赤茶色に染められた布が幾重にも畳んで重ねられ、そばには染料の入った歪んだ金属の箱が置かれていた。若い女たちを中心とした作業人が出来上がった服を手に、5人の客を囲んでいる。
 そして、人の輪の中央にある5つの姿は、ミュートにもルータにも見覚えのあるものだった。
「ミュー……ト?」
 金髪碧眼の、穏やかそうな女性が、信じられない様子で少女の名を口にする。
 喪った、と思っていた相手だった。名を呼ばれた少女はいつになく驚きを顕わにし、相手の元に駆けつける。そのまま相手に触れる勇気はなかったが、相手のほうが、手を伸ばして彼女を抱きしめた。
『こういうの、役得って言うのかな?』
 2人に挟まれて、ルータが苦しげな声を出した。慌てて離れ、2人は苦笑する。
「ミュートも、ルータも……本当に、よく無事で」
「ティシアさんも。それに」
 ミュートは、ティシアの背後に並ぶ、同じ職場の同僚同士だという4人の若者たちを見た。ルキシやロズ、その仲間のリグとグエンも、突然現われた見覚えのある姿に驚きと喜びを顔に表している。
「4人とも、無事だったんですね」
 彼女の問いかけに、ロズがうなずいた。
「ああ。あの円盤が見えたから隠れてやり過ごしたんだが、キャンプが気になってな。戻ったら、ティシアさんだけが……
 劇団のキャンプを襲った悲劇を思い出して、青年はことばを詰まらせる。一瞬にして仲間をすべて失ったことを思い出したのか、ティシアの顔にも、ほんのわずかな間、悲しみが浮かんだ。しかし、彼女はすぐに、いつもの優しいほほ笑みを取り戻す。
「あのときは、途方に暮れていました。ロズさんたちが戻って来てくれなければ、今頃どうなっていたことか。ここまで来れたのも、皆さんのおかげです。こうして、街にも辿り着くことができて」
『私たちとも、ようやく再会できたしね。くぼみの町ではすれ違いだったし』
 ルータのことばに、ロズは、仲間たちと目を見交わした。
「くぼみの町?」
 理解できない単語を耳にしたように、きき返す。ミュートは不思議そうにティシアたちを見返し、ルータも異変を察知したのか、黙り込む。
 やがて、ロズが自分のことばが信用できるのか迷うような調子で言う。
……オレたちが訪れた町は、ここが最初だぞ?」
『じゃあ……私たちを捜しているのは、他にもいるということか』
 ルータは、かすかな驚きを含んだ声でつぶやいた。
「まあ、とりあえず、あたしたちの部屋に行かない? ここには宿もあるの。それから、あなたたちを捜す別の人たちのことを調べましょう」
 驚きや喜び、不安の入り混じる沈黙を破るようにしてルキシが出した提案に、誰1人反論する者はなかった。

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