Day 04 人という温もりとの再会

 赤茶けたガレキが両脇に積みあがった、足場の悪い道とも言えそうにない道を、黒髪の青年が慎重に進んでいた。底の厚いブーツがなければ、破片ですぐに怪我をしてしまっているだろう。
 砂混じりの強い風が、黒のレザー・ジャケットを激しくはためかせる。サングラスで砂から守られた目は、じっと前方をにらんでいた。
 前方には、小さな岡があった。その岡には、もともとは門と壁だったものが半壊した、何かのオブジェのような建造物がそびえている。傾いた門の枠の向こうに、白い、薄汚れた大きなテントが3つ、輪を作っていた。その周辺には、人の姿も見える。
 青年がさらに岡に近づくと、不意に、傾いた柱の陰から、茶色の髪をみつ編みにした若い女性が現われた。
「ルキシか。外は危険だぜ」
「なら、1人で外には出ないことね」
 左手を目の前にかざして砂を遮りながら、ルキシと呼ばれた女性は苦笑する。
 彼女の目の前まで進むと、青年は肩をすくめた。
「この辺はもう駄目だな……めぼしいものは何もない。せめてバッテリーがあればよかったが。理想は、高級エネルギーパックだけどな」
「贅沢は言ってられないでしょ」
「確かに、そうなんだが」
 2人は門をくぐり、肩を並べてテントに向かって歩き始めた。
「例の、新しく拾われた連中ってのはどんな様子だ? ティシアに会って来たんだろ」
「ええ。とりあえず、怪我はないみたいだけど……
 ルキシは説明に困ったのか、少しの間口ごもり、お手上げ、という様子で細い肩をすくめる。
「まあ、百聞は一見にしかず、と言うでしょう。自分で見てみるのが一番早いわ」
「そうさせてもらうよ」
 最初から、そのつもりだったのだろう。
 2人は並んで、汚れた白い生地で形作られたテントの内部に潜り込んだ。

 目を開けると、くすんだ白が飛び込んでくる。
 壁や天井の形が、直線的ではなかった。かといって、洞窟のように自然そのものの形状でもない。どこか遠くで、何かが激しくはためくような音が聞こえて、ミュートは、布、という単語を漠然と思い浮かべた。
 私は生きている――
 それを自覚するなり、彼女は反射的に跳び起きた。横に転がり、地面に敷物を敷いただけらしい、床に伏せる。
 彼女が素早く室内を見回そうとしたとき、まず、驚いたように見つめる女性と目が合った。
……あ」
 ミュートは、どう反応すればよいか困る。見知らぬ人物ではあるが、ゆったりとした白いワンピースのロング・スカートにカーデガンを羽織った、見事なブロンドを持つ優しげな女性からは、敵意も脅威も感じない。
 その女性は、少しの間目を丸くしていたものの、間もなく、自身の容姿に最も自然な表情、ほほ笑みを浮かべた。
「それだけ動けるなら、身体は大丈夫そうね。でも、無理をしてはいけませんよ」
 ミュートは照れたように頭を掻き、立ち上がる。彼女はようやく、自分が白い寝巻きを着せられていることに気づいた。
「はい……あの、あなたが助けてくれたんですか?」
「ええ、私たちが、ですね。私たちは、劇団です。総勢20人の、小さなものですが」
 女性は小さく笑うと、スカートの裾を持って、貴族に対するような礼をした。その仕草は、慣れたものを感じさせる。
「私は、ティシア。ティシア・オベロンです。あなたのお名前は?」
 そう訊かれた少女は、名のりかけて、一瞬迷ったようにことばを飲み込んでから、再び口を開く。
「私は、アイス・ミュート。ミュートと呼んでください。それと……
 同行者の姿を探し、室内を見回す。部屋のカーブした壁際に、フタのない、金属性の箱があった。
 ミュートの視線を敏感に察知して、ティシアが箱に駆け寄り、そこから見慣れた超小型探査艇を抱え上げる。
「やっぱり、あなたのだったのですね?」
 ティシアから差し出されたそれを、ミュートは不安げな表情で、慎重に受け取った。もしかしたら、自分だけが生き残ってしまったのでは……という恐れが、少女の心をよぎっていた。
 しかし、それは取り越し苦労だった。触れた途端に、気配のようなもので、彼女はルータの存在を感じる。よく考えれば、ここは現実世界ではないのだから、死んだ時には消えるはずだ、と彼女は思った。そして、現実世界に精神の消えた抜け殻が残されるだけだ、と。
 ほっとすると、ミュートは探査艇を叩きだした。
「おーい、起きろー」
 ティシアが首を傾げる前で、ミュートは手のひらの厚い部分を使い、バンバン音をたてて殴打する。
「朝だよー。おーい」
『むー……
 ミュートには耳馴れた、ティシアにとっては正体不明の声が小さく流れた。ただの探査艇としか見ていなかったであろうティシアは、興味津々で、少女に抱えられた機械を眺める。
「ルータ?」
 名を呼ばれると、探査艇は機首を上げた。
『おはようミュート。でも、もっと優しい起こし方はなかったものかね?』
「いいじゃない。減るものじゃないし」
『私の体力が減るー』
「わがまま言わないの」
『これはわがままじゃない!』
 と、叫んだところで、ルータはようやく、室内にいる別の人間に注意を向けた。決して、気づいていなかったわけではない。その態度からは忘れそうになるが、優秀なセンサーと処理能力を持つコンピュータは、瞬時に周囲の状況を把握している。
『この世界に、他にも人間がいたとはね……私はルータ。エルソンの宇宙船の話は知っているかい?』
「もちろん、有名ですもの。私はティシア・オベロンです。この劇団で歌い手をしています……それにしても、驚きましたね」
 彼女は、どこか無邪気に、いたずらっぽく笑った。
「皆、あなたたちに会いに来るでしょう。色々と話も聞きたいし……それにしても、人間だけがこの世界に呼び込まれたんじゃないなんて。私たちにとっては、そのことのほうが驚きですよ」
「私も最初はそう思いました」
「そうね……とりあえず、お食事にしましょうか。話は、それからでも遅くないもの」
 ティシアは食事と、洗濯済みのミュートの服を取りに、一旦部屋を出て行く。
 束の間、室内にミュートとルータが取り残された。ミュートはベッドに腰かけ、ティシアを待つ。ルータは、宙を浮遊していた。
「ちょっと安心したね。救いの神なんていない、見捨てられた世界かと思っていたんだけど」
『ああ。人間を救うのは、人間だよ』
「なに、それって自虐?」
『そんなつもりは無かったのだけど。私はもう被造物を超えた、人間に近い存在だからね』
「自意識カジョー」
 自分以外の人間に出会えたためか。ミュートの顔に広がる笑みは、この世界に来てから今までより、ずっと和らいだものだった。
 間もなく、ティシアがすっかり乾いた服と、色々な道具が入ったポーチを抱えて戻ってくる。彼女はそれをミュートに渡すと、食事を取りに引き返す。
「見ないでよー」
『はいはい』
 ミュートは借り物の寝巻きから、自分の服に着替えた。やや袖の長過ぎる服から着慣れた動きやすい服装になっただけで、だいぶ身体が軽くなったように感じる。屈伸運動をしてみた後、彼女はポーチの中身を確かめた。ナイフも、その他の道具も、他人の手が入った形跡はない。
 着替え終わって少ししてから、見計らったように、ドアがノックされた。どうぞ、と声をかけると、食事が載った盆を手にしたティシアと、その背後から、続いて若い男女が入ってくる。
「はい、どうぞ。こんなものしかないけど……
「いいえ、充分です」
 盆には、鶏肉入りのコーンスープが入った皿と、見るからに硬そうなパンが載っていた。どれも保存食らしいが、この世界に来てから何も食べていないミュートは、喜んで手をつける。
 だが、その手を止め、思い出したように問うた。
「そちらの2人は?」
 ティシアの背後の若い2人は、興味津々といった様子だった。じっと見つめられた中で食事をするのは、さすがに気味が悪い。最も、注目の的になっているのは少女よりその背後を飛ぶ探査艇のほうだったが。
 質問を待っていたように、ティシアが流暢に紹介した。
「こちらは、昨日私たちと合流したロズさんとルキシさん。他に2人、リグさんとグエンさんって方もいるけど、今は団長たちと会議中なの」
「よろしく、ミュートちゃん」
 長い茶色の髪をみつ編みにした女性が、ニッコリ笑って手を出した。ミュートは一瞬ためらった後、相手の手を握る。
「よろしくお願いします、ルキシさん、ロズさん」
「よろしくな」
 挨拶が済むと、ロズが、食べながら聞いてくれと前置きして、自分たちの状況を話始めた。
 彼と、3人の仲間たち――
 エルソン系内のある惑星の宇宙港で働く同僚4人は、休日、息抜きにVRD――仮想現実体験装置を試していた。その途中、気がつけば、見知らぬ世界に立たされていたという。
 何度呼びかけても、仮想現実を牛耳るはずのシグナからの応答はない。その一方、彼らは冷たく激しい強風の中で、疲労を感じ始めていた。
 呼びかけをあきらめて歩き始めると、間もなく、幸いにもほとんど無傷で残った自動車を発見する。仕事上、全員、地を進む乗り物の操縦などにも慣れていた。
「オレたちはラッキーだったみたいだな。すぐにアシ兼寝床を手に入れて、その翌日には、この劇団に出会うことができたんだから」
「この劇団は、確かにもともと色々備えもあるし、精神的にも強い人たちが多いの。各地を旅して公演しているから、耐久力は必要ですし」
 ティシアは、小さく笑った。
「私たちがこの世界に引き込まれたのは、オンライン・コンサートの真っ最中でした。音楽が消えて、おかしいなと思ったら、瓦礫の中に」
「皆さん、何か兆候のようなものはなかったんですね」
 後ろで黙っているルータをよそに、ミュートが自分たちの今までの状況を話し始める。ただ、ASを与えられた部分は省いてだが。
「そっちはずいぶん苦労したみたいね」
「まあ、そんなんでもないですよ。1人だったら、もっとずっと苦労したでしょうけど」
「まさか、ルータだったとはな」
 ティシアから、すでに話は聞いていたのだろう。ロズが、意味ありげに探査艇を見る。
……なに?』
「いや……正体を知るまでは、使えそうな機械部品が取れそうだ、と思っていたんだが。すまない」
『分解するつもりだったんでしょー』
 ルータは不機嫌そうに言った。まだ、ロズに対しては警戒しているらしい。
 ミュートが不思議そうに、彼女の前に出たがらないルータを見る。
「ルータ、わかってたのかい?」
『一度うっすらと意識が戻ったときに、これなら動力に使えるかも知れん、って言ったのを聞いていたのだよ』
「いや、それはグエンが……だから、謝ってるじゃないか」
『別にいいけどねー』
 頭を掻きながら困惑するロズに、ルータはつれないことばを返す。
 その横で、空になった食器を載せた盆を両手に、ティシアが立ち上がった。
「団長や他のメンバーを紹介するのは、後にしましょう。それまで、自由に休んでくださいね。無理をしてはいけませんよ」
 まるで母親のような彼女のことばに、ミュートとルータは、はーい、と元気のよい返事を重ねた。

『ミュート、早くここを離れようよ』
 2人きりになるなり、ルータの第一声はこうだった。
「分解されやしないって。せっかく見つけた人間と別れるのが寂しくないの?」
『寂しいけど……元の世界に戻るための犠牲になってくれー、は嫌だな』
「元の世界に戻れる?」
『彼らは、その方法として希望をかけているものがあるようだよ。空を飛べれば何とかなると思っているのか……あるいは、宇宙船か、ワープゲートかね』
「ふうん……なら、それを見届けてもいいんじゃない」
 彼女の何気ないことばに、ルータはしばらくの沈黙を返し、
『ミュート、私たちは、まだ帰るわけにはいかないんだろう。役目を果たすまでは』
 ささやくように言うのに、ミュートは肩をすくめてことばを返す。
「そうだね……
……というか、だから、見届けるには私が犠牲になるんだってば』
「まあ、人助けだと思って」
『ひとでなし』
 テントの厚い布で仕切られた一室から、賑やかな声が洩れる。
 その明るい声からは、2人の使命など、うかがい知れなかった。

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