Day 03 破滅の使者たち

 白い建造物だった。それ以外の表現は、なかなか見つからない。
 建物の表面は、今はところどころ汚れているものの、高レベルなデザイン性を感じさせた。また、周囲の他の建物に比べパーツごとの形状は留めていることから、強度もかなりのものらしい。
 建造物の上部は、崩れた壁が重なり合い、洞穴のようになっていた。完全にもとの姿を留める部屋もあるが、今は洞穴が最も広い部屋、ホールのようになっている。
 ただ、照明は弱かった。そして、その下に存在する姿はただひとつしかない。
 それも、人の姿、と呼んでよいものかどうかも知れない、ただのシルエットのような姿。
……始まったようだね。数が増加している」
 それでも、その姿は人間の声を発した。若い、男とも女ともつかない、中性的な声だ。
『ああ。多ければ多いほどいいのだろう。成功率が上がる』
 最初の声に、どこからか、電子的な響きのある声が応じた。どちらの声も、感情が抜け落ちたように平坦だった。
「しかし、わかるのかい? 彼らの狙いは?」
『確かなことは、私にもわからない。種をまく、というのは確かだろうね』
「彼らの思い通りに行く世界を増やすために?」
『あるいは、彼ら自身を、だよ……それにしても』
 波のなかった声に、憂愁のかげりがにじむ。
『もうすでに、私たちの上にも撒かれているのかもしれない。こっちの狙いはつつぬけだろう。我々は生かされているんだろうね。本来なら、とうにやられている。何せ、私は動けないのでね』
「そうだね。きみはね」
 人間が、意味ありげに同意する。
「どうにしろ、ボクたちはエサとして生かされてるんだろう。せいぜい、旨いエサを演じてやろうじゃないか」
 言って、壁際にうずくまっていた人間は立ち上がり、出口に向けて進み出る。
……思えば、虚しい存在だね。ただ、死なせてくれるのを待つ存在とは」
『何を今更。我々はもう、とうに終わっているさ。今は、オマケみたいなものだよ』
「それは、わかっているがね」
 彼は苦笑し、外の風景に目をやった。部屋が高いとこにあるため、遠くまでを眺めることができた。
 とはいえ、そこからの眺めは、到底感動的とも、美しいとも言えなかった。
 血を吸ったように赤茶けた地面に、雪のように積もった白い破片、オブジェのように傾き、半壊した建物たち。かつては芸術的で機能的だった街並みが、今は、亡霊のみが住む廃墟のようだった。
 しかし、黒ずくめの人間は、その闇色の瞳を細める。
 空に鋭く突き出したいくつもの尖塔の狭間に、細い、白い筋がはしった。それは一瞬後に太くなり、視界を白に染めた。
 それは雷光のように間もなく消え失せ、視界に新たな存在を浮き上がらせる。
 光の降り注いだ辺りに、人間が倒れていた。それも、5人。そのうちの2人は女性らしかった。
 間もなく、5人のうちの1人が動き出す。
「へえ……
 人間が、初めて声に感動を表した。
「こんなところに転送されて来た者がいるとはね……どうやら、隠居までにもうひと仕事あるらしい」
『使われているうちが華、かい』
 黒ずくめが、白い洞穴を飛び出す。
『これで、少しは虚しさを忘れられそうだよ……
 つぶやき、声は黒ずくめの名を呼んだ。
『《時詠み》』

 黒い岩場に、1人の少女と1機の探査艇の姿があった。周囲に動くものは、汚れ切ってほぼ一色に染まった波だけだ。
 ミュートは少しの間、ごつごつした、黒い岩の地面を凝視していた。ただの、〈地面〉でしかない場所を。
「幻……じゃないよね?」
 彼女は、頭上に浮かんでいる超小型探査艇を見上げた。
『考えられる可能性はいくつかある』
 気を取り直して、ルータはいくつかのパターンを提示した。
『シグナの仮想現実処理……もしくは記憶に何らかの障害が生じていること。あるいは、私たちが通常より深く仮想現実に結びついているため、その感情や記憶が影響を及ぼしているということ。あとは……何かの扇動とか』
「扇動なら、私たちに何をさせたいんだろう?」
 彼女は、老人のことばや仕草を思い返してみる。ただ、謝るばかりだった老人。彼は、最後に空の一角を見上げていた。
 そちらを見上げてみようとした彼女に、ルータが、今までより少し和らいだ声で言った。
『わざわざ、立ったままで考えることもないんじゃない。こんな臭い寒い風にさらされたままじゃ健康に悪いよ』
 彼のことばで、ミュートは興奮で一時的に忘れていた、不快指数の高い鼻腔への刺激を思い出す。
「そ、そうだね」
 少し鼻にかかった声で言って、少女は振り返る。
 ミュートはペンライトを手に、洞窟に近づいた。湿った岩肌が奥まで続いている。少しずつ細くなっている道の続きは、闇に消えていた。
『そんなに深くはないはずだよ。生物はいないようだね』
 ルータの声が、洞窟内に反響する。
 とりあえず、ミュートは奥に入っていった。ルータも、相変わらずその頭上についてくる。
 ポタポタという水音が聞こえた。天井から水滴が落ち、地面に小さな水溜りを作っている。その水の色は、黒ではなかった。
 ミュートは一瞬考えた後、ポケットから、破り取った小さなメモ用紙を取り出した。それを手に、水溜りのそばにしゃがみ込む。
『飲むのは止めといたほうがいいと思うよ』
「どうして? 何かわかるの?」
『わかってると思うけど……それは、酸性が強すぎて到底飲むのに適さない。そんな紙でも火種にはなる。もったいないよ』
 それはもっともだ、と納得して、ミュートはメモ用紙をポケットに戻す。
 水溜りを避けて、彼女は奥に進んだ。そして、行く手を塞ぐ壁に突き当たる。周囲に抜け道などなく、ここで終わりらしい。
「なんだ、小さいな。でも、一休みにはいいかな」
 肩をすくめて、壁に手を伸ばす。
 そのとき、彼女は空気の震えを感じた。
『なに……? 地震、でもないようだし』
 ルータも異変に気づき、機首をめぐらせる。
 ミュートは突然、走り始めた。自分の目で確かめなければ、安心できない。一応右手はポケットの中のナイフの柄を押さえながら、洞窟の出入口に駆け出す。
 そして、完全に外に出る前に足を止め、慌てて中に戻って顔だけを出した。洞窟の出口から見える景色には、あきらかな異変が見える。
 赤黒い、時折雲の内側を貫くような閃きを見せる空の3分の1が、黄色に染まっていた。巨大な、円盤状の飛行体だった。彼方の山並みから姿を現わしたそれは、徐々に、こちらに近づいて来た。
 移動速度を落とさないまま、不意に、円盤の下部中央から太い光の柱が放たれ、大地に突き刺さる。ドッという、空気の壁に押し殺された轟音が鳴り、巨大な瓦礫や枯れ木のようなシルエットが舞ったのが小さく見えた。
 一瞬後、生ぬるい強風が叩きつける。ミュートはルータを左手でつかまえると、膝をついて前傾姿勢をとった。それでも、吹き飛ばされてしまいそうだった。
 強風は、幸い、すぐに止んだ。だが、飛行体は光の柱で地面をえぐりながら、こちらに向かって空中を滑る。
……どうする?』
 ルータが乾いた声を出した。感情の揺らぎは表われていないが、その小さな、仮初めの身体を抱いているミュートには、恐怖が直接伝わった。
 洞窟を出てしまえば、発見されるだろう。もしかしたらすでに発見されているかもしれない、と少女は思う。発見されてはいけない、と本能が告げていた。どこにも逃げ場はなかった。相手が大き過ぎたのだ。
 どうする?
 彼女は、ルータの質問を自分の中で反芻する。
 ここで、終わりなのか?
 光の柱が、波と岩を割った。傷口に、どす黒い海水が流れ込む。
 ミュートは少しでも離れようと、洞窟の奥に走った。
『逃げられなくなるよ』
 少女に命を預ける探査艇が、独り言のように言う。
 走りながら、ミュートは考えていた。
「まだだ……まだ……死ぬわけにはいかない……やるべきことがあるんだ……
 無意識のうちに、彼女は繰り返し、繰り返しつぶやく。生きていたい、と叫ぶように。
 光が、洞窟を裂き始めた。岩が崩れ、弾け飛んでいく。地面はえぐられ、深い傷を刻まれる。その裂け目の端が、光の柱と同時にミュートに迫る。
 近くで見ると、それはとても不自然で、リアルだった。竜巻に追いかけられたらこんな気分かな、と少女は思う。
「力を貸して」
 彼女は、落ち着いていた。
「私たち、力をもらったんでしょう? こんなところで、犬死できない。今、その力を使うべきだよ」
『AS……
 ルータは、ようやくその存在を思い出す。
 少女は、死の危機を目の前に、平静を保っていた。なにかを悟ったような、覚悟を極めた者の表情だった。
 死ぬかもしれないし生き残るかもしれない、というとき、そしてそれが自分では選べないとき、ミュートはどうすればいいか知っている。
 彼女は、そのことを考えないことにした。
 誰もが世界の最後を感じる轟音と震えを意識の外に追い出し、心を無にする。
 いつの間にか、静寂か喧騒かわからない世界が辺りを包んでいた。
 彼女は、右手を添えた左の手首を持ち上げる。
「そう。だから……

 その、1分後。
 円盤は、どこかへと飛び去っていた。空はただ、変わりなく重たくのしかかっている。
 光の柱は、かつて公園だった場所を大きく抉り取った。そこには、ボロボロの険しい峡谷が姿をさらすのみである。
 黒い液体が、徐々に大地の傷口に侵入しつつあった。
 その、水位を増しつつある水の中。1人の小柄な少女と、小さな探査艇らしきものが、少し高くなったところに転がっている。
 少女と探査艇は、ピクリとも動かなかった。

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