Day 01 贖いの命

 強い風が、後から後から砂を舞い上げた。灰色の雲に埋められた背景と、煙のように舞う砂埃が、溶け合うように辺りを満たしている。
 砂煙の向こうで、うっすらと透かし見える、人1人分の影が動く。
「ようやく、来たみたいだね」
 声が、砂煙の中に響く。中性的な、男とも女とも断言し難い、ただ、耳に心地よいと言ってよい声だった。
 それに答える声も、灰色に包まれた空間から聞こえた。
『もうすぐその時が来る……一体どれほどの時を待ち続け、耐え続けただろうか。辿り着いてくれればいいが……早く会いたい』
「ボクたちを終わらせてもらうために?」
 答えたのは、憂鬱そうな声だった。だが、最初に声をあげたほうは、どこかおもしろがるような、皮肉っぽいような調子で問い返す。
 少しの沈黙があった。
 やがて、最初の声があきらめたようにことばを紡ぐ。
「まあ、いい。我々も願うばかりではどうにもならないからね……彼らに、力を与えよう。それが、ボクたちやこの世界、それに彼らの運命を選ぶ力となるだろう……

 絶え間なく吹きすさぶ風が途切れる時を待っていたミュートだったが、彼女が待ち望む瞬間は、一向に訪れる気配はなかった。
「しょうがないかな」
『これ以上は弱まりそうもないね』
 途切れることはないものの、多少は風の勢いが弱くなっている。ミュートとルータはそこで妥協することにして、半壊した小屋から出た。少し警戒して出たものの、呼吸が苦しいほどではない。
『意外と強い出力が確保できるみたいだね』
 風に抵抗しながら、ルータは少女の頭上を飛んだ。
 あまり健康に良さそうではないが、とりあえず、普通に歩けないこともない。そのことに少しだけ元気づけられて、進み始める。間もなく、足場はひび割れ、ところどころ穴の空いたアスファルトになった。
 ボロボロのアスファルトの上を歩きながら、ミュートは周囲を見回した。瓦礫の山が点在し、何か良くわからないものの燃えカスや、スミのようなものも散乱している。
 行く手に、大きなホテルか何かの一部だったらしい、城壁のような壁が立ち塞がっていた。その向こうには、一際大きな瓦礫の山の頂点が見える。
『向こうに見えている瓦礫は他と材質が違うみたいだね。なんだか、見覚えがある気がするよ』
 言って、ルータは高度を上げる。
「あ、待って!」
 慌てるミュートのはるか頭上を越えて、探査艇は壁の向こうへ消える。直後、声だけが聞こえてきた。
『人間は不便だねえ。まあ、回り込んで来るといい』
「仕方ないなあ」
 ミュートは肩をすくめ、壁の端のうち近いほうに向けて歩き出す。
 瓦礫を踏み越え、穴をまたいで、壁の向こうにあと一歩と迫ったとき、強い風が吹き抜けた。ミュートは足を止め、砂が入らないよう、目を閉じる。
 再び風が弱まり、目を開ける。
 そこには、壁の向こう側にある光景が広がっている――はずだった。
 実際に彼女の視界いっぱいに広がったのは、すべてを包み隠す、白いもやのようなものだった。足もとすら見ることができず、まるで足場が不崩れていきそうな、不安定な感覚を抱く。
 ミュートは動かず、周囲を見回した。どこまでも続く白の世界に、方向もわからない。風は変わらず吹いているが、もやは晴れなかった。
「ルータ?」
 声を張り上げてみるが、反応はなかった。隔離されたかのような静寂が周囲を包んでいる。
 少女は途方に暮れ、立ち尽くした。闇雲に動いても仕方がないので、とりあえずしばらくの間、じっとしていることにする。
 身体の向きを変えることなく、目だけで周囲をうかがう。
 そして間もなく、人影に気づいた。
『久ぶりだね……
 もやのためか、どこかこもった声だった。それでもミュートは、聞き間違うことはない。
「きみは……
『力を授けよう……
 もやに映る影が大きくなる。声も、少しずつはっきりしてきた。
『これは、望みを実現させる力だ。これを、きみの望みを実現させる糧とするがいい……望みが再生にせよ、滅びにせよ』
 声に苦笑がにじむ。
 ミュートは相手の正体を確信した。そして口を開きかけたとき、彼女はかすかに悲鳴を聞いたような気がして、はっと周囲を見回す。だが、変わらず漂い続ける白のもや以外のものは見えない。
 視線を前方に戻すと、人影も消えていた。替わって、左の手首に今までなかった感覚を感じる。わずかな重みとぬくもりに気づいて手を持ち上げ、袖をまくってみると、腕輪のような装置がはめられていた。
「AS……?」
 記憶をたぐり寄せ、つぶやく。
 姿のないまま、聞き覚えのある声が告げる。
『この世界から出たければ、役目を果たすといい』
 無駄だと知りながらミュートは見回すが、やはり、相手の居場所はわからなかった。あるいは、すでに近くにはいないのかもしれないが。
 声は、淡々と先を続ける。
『その役目は――』

 世界と別の次元で存在していたかに見えた白いもやが、風に流され始めた。もやが吹き散らされた部分に現れた光景は、もやに埋め尽くされる前と変わりない。
 視界が戻ると、彼女は壁の向こうに跳び出して、見回しながら人ならざる同行者の名を呼んだ。
「ルータ? どこ?」
 唯一話し相手になる者。貴重な同行者。寂しさなどとうに感じなくなっているはずなのに、彼女は必死の思いでその姿を捜した。
 そして、小さな瓦礫の上に、小型探査艇を見つける。
 慌てて駆け寄り、持ち上げてみると、あたたかさが伝わった。
『あ、うー……ミュート?』
 特徴のある声が響くと、少女はほっとする。
「大丈夫?」
『ああ……なんだか、霧のようなものに包まれて……
「ルータも、ASをもらったの?」
 ルータはその質問の意味がよくわからなかったのか、答えるまで少し時間を費やした。
『AS……って?』
「アストラルシステムだよ。意識形成で使用されている量子力学的情報の交流を応用して、物質の状態変化やエネルギーの発生を起こすの」
 ルータは、さらに少しの間沈黙してから言った。
……ミュートは難しいことを知ってるんだね。私にはよくわからない。ただ、確かに何かを受け取った気はする』
 言って、少女の腕のなかから飛び立つ。
『それより、興味深いものを見つけたんだ。来てくれないか』
 言って、彼は巨大な瓦礫の山の近くへ飛んでいった。
 その山は、割と原型をとどめているようだった。普通の建物とは違い、流線形で、端が鋭くなっていた。それが横倒しになり、自らの外殻がはがれ落ちて瓦礫と化したものの山に半分埋もれている。あちこちがはがれ落ち、いくつも大きな傷を刻んだ外殻は歪み、真っ黒になっていた。だが、瓦礫のなかには、半透明な元の色を残したものもある。
 そんな欠片のひとつを手に取り、ミュートは下から透かし見た。それはかすかな虹色を通して向こう側の景色を映す。これならアクセサリーにもできそうだ、と彼女は思う。
『入り口があるんだ。ちょっと足場が悪いけど』
「へー、どこ?」
 ルータがミュートを案内する。瓦礫を踏み、バランスを崩さないよう気をつけながら、少女は探査艇を追った。
 瓦礫の山の向こうに、彼女はふと、十字架のようなものを見たような気がした。だが、それに注目するのは後回しにする。
 瓦礫の中に横たわる建造物の側面に、人1人がくぐり抜けられる程度の穴が空いていた。ルータはそのなかへ、少女を先導する。
『足もと、気をつけて』
「うん、ありがと」
 壁からうっすらと明かりが放たれているが、足もとがはっきりするほどではなかった。ペンライトを手に、ミュートは建造物の奥に入る。
 入ってしばらくは瓦礫や何かの部品で通路が狭くなっていたものの、やがてそれがなくなり、広くなった。黒く歪んでいたアーチ状の天井から壁にかけての面も、黒がなくなり、半透明な青緑の壁と化した。透かし見えるのは、吹き抜けになった広場のような空間と、少し高いところにある空中回廊だ。
 神秘的で、美しい光景。だが、ところどころ亀裂が入り、広場の床には小さな瓦礫の山がある。
 ミュートはその光景を少しじっくりと眺めたかったが、ルータが通路の向こうに消えていくのを見て、慌てて足を速める。
 通路の奥にはワープゲートらしき装置があったが、砂埃を被って半壊しており、動きそうになかった。ルータは当然のように、ワープゲートのそばにあるハシゴに向かう。
『ここから、奥につながってるはずだよ』
 宙で停止しているルータを一瞥し、ミュートはギシギシ音を立てるハシゴに登った。なんとか、少女の軽い体重には耐えられそうだ。
 彼女が壁のハッチを開けると、ルータが滑り込んだ。なかは、大人1人がかがんでなんとか通れる程度の高さと幅しかない。それでも、小柄な少女とそれ以上に小さな探査艇には充分な広さだが。
「どれくらい奥に続いてるかわかる?」
 両手と膝をついて進みながら、先行するルータにライトを向ける。
『ああ、そんなに離れていない。もうすぐだよ』
 彼の言う通り、間もなく、その姿の向こうに出口が見えてくる。出口の向こうは、他の場所よりは明るいらしい。
 近づいてくる、その四角く切り取られた空間を見ながら、ミュートは予感を抱いていた。ここが一体なんなのか。そしてその確信がおそらく出口の向こうで得られるだろう、ということに。
 まず、ルータが飛び出して、次にミュートがハシゴの最上段に足をかけ、身体の向きを変えて飛び降りた。数メートル下の床に着地し、ルータを追って、機械が込み合った狭苦しい空間を出る。
 そこは、円形の部屋だった。部屋としては広く、30くらいの席が配置されている。席の前には、簡単な入力用パネルが並んでいた。壁は通路などのものとは違う材質で、おそらく、モニターにもなったのだろう。
 正面には、巨大なモニターがあった。全面がひび割れており、もうどこかの光景を映し出すこともない。
『ここのモニターは活きているみたい』
 まるで屍のようだが、その一部分は運良く被害を免れ、極局所的にではあるが、今も動いていた。ルータが見下ろすコンソールも、パネルがどこか頼りなく点灯している。
 ルータはどこかでシステム内に接続したのか、端末を操作してコンソールのモニターに灯を入れた。
 そこに、〈現在の状態〉というデータが表示される。
 それに目を向けてしばらくしてから、ミュートは口を開いた。
「ルータ、やっぱりここは……
『そうだよ』
 宇宙性制御システムは即答する。
『ここはおそらく、私の機体の中。どういうことかわからないけど、それは間違いないないようだね』
 ルータは明るい声で応じて、ははは、と笑った。ミュートはどう答えていいのかわからない。ルータは今、何を思っているのか。
 立ち尽くす少女の視界に、モニター上の別の一文が飛び込んできた。
「所在地……地球……?」
 彼女は目を疑う。ルータもまた、慌てて画面に寄る。
『一応地図もある……だいぶ地形が変わっているけど、これも今の私が記憶しているものとは違う……わからないな』
 ルータは、活きている端末のローカルメモリから地図をダウンロードした。画面上に、今とはだいぶ違う地形が表示されている。それは最後に記録されたものだろう。GPSは機能していないらしい。
 その、変形した地形を表した地図に、しばらくの間、ミュートは見入っていた。
 だがやがて、背を向ける。
「一応ここがどこかわかったことだし、外に出よう。まずは、私たちが無事に帰ることが大前提だから」
 言って、ハシゴに向かう。
 少女のことばに、強い意志を感じたのか。ルータは無言で、彼がこの世界で知る、唯一の人間を追いかけた。

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