NO.12 追憶 - 想いの奥に

 長い沈黙と暗闇の時間を経て、宇宙船管理システムの中枢であるゼクロスは、ようやく外界との接触を取り戻した。センサーが周囲の色形を、音を、人間の目には捉えられない温度や電波の流れをも伝えてくる。
 航宙管理局のネットワークにアクセスして現在位置を特定しようとするが、応答がなかった。広大な、ところどころひび割れたパーキングエリアの脇に見える街並みも、彼のデータバンクにはないものだった。ただ、ガーベルドンのラトーガジュネスに似ている、という印象を宇宙船制御システムの中枢は抱いた。
「よお、気分はどうだい」
 ブリッジ内に意識を向けると、頭にバンダナを幾重にも巻いた青年が艦長席に座っていた。その後方には、作業服の男が3人、工具を片付けたり開いたパネルのなかを見学したりしている。
……ミライナと子どもたちは?』
 機内に姿がないと気づいて、ゼクロスは心配そうな声を出した。宇宙海賊レックスは、苦笑しながら答える。
「街の知り合いに預けている。なに、手荒なことはしないさ。オレは他人を操ったりもてあそんだりして偽りの優越感に浸ったりはしないからな」
……あの戦艦のことですか?』
「ああ。ナシェル・ニアトリンだ。知ってるだろ? ガーベルドンのこともあいつの仕業に違いない。オレには予想できていたことだ」
『そう考えれば辻褄は合います。しかし、何のために? ……あなたは、彼の目的をご存知のようですね』
 ナシェルがゼクロスを狙っていたなら、ラファサはその目的のために送り込まれたスパイということになる。だから、彼は黒幕がナシェルだと信じたくなかった。だが、ナシェルとの出会いからラファサが〈リグニオン〉に来たこと、ガーベルドンのシステムを支配したPPLOWS7のウイルスプログラム……すべての陰に、事態を操る者の存在が見える。
 それ以前に、レックスには確信があるようだった。
「あいつは、な。海賊だ」
『海賊……?』
 美しい合成音声が、わずかに驚きに揺れる。
「ああ。オレは別の世界を築くことで自分を支配する社会や体制から自由になったが、あいつはすべてを操ることで自由になるっていう理想にとり憑かれてるのさ。オレとはそりの合わない海賊だ。あいつは力を手に入れようとしていた。何かを操るには力が必要だからな」
『そして、それを手に入れたのですか』
「もともと頭のいいヤツだったからな。頭脳も力だ、素質があったとも言える。でも、まだ完全じゃねえ。あの戦艦には、その頭脳がない。だからお前さんを狙ったんだろう。手段を選ばない、あいつらしい」
 ふん、と鼻を鳴らし、彼は背を伸ばして後方を逆さまに見た。工具箱を持った中年男性が、振り返り、軽く自由なほうの手を振る。
「もうこっちは終わったよ。じゃあな、レックス」
「ああ、ザムの旦那、また何かあったら頼むぜ」
 部下らしい若い技師2人を引き連れ、男はブリッジを出て行こうとする。
『あの、直してくださってありがとうございました』
 予想外に礼を言われたためか、ザムは少し驚いた顔をして立ち止まった。
「オレたちは大したことはしていないさ。ウイルスはブレードが削除した。礼を言うならブレードだな。……ま、礼儀正しいのはいいことだ」
「誰かさんと違って、って言いたそうだな」
「お前がそう思うなら、そうかもな」
 ザムはレックスに向かって獰猛な笑みを残し、軽く手をあげて通路の向こうに消えていった。
 技師たちが機外に出るのを確認して、ゼクロスは控えめに声をかける。
『あなたは、ナシェル博士を個人的によく知っているようですね。同じ海賊だから……ですか?』
「オレだって、今どれくらい海賊がいるかも知らないさ。でも、そうだな、オレがあいつと出会ったときから、間違いなくあいつは海賊の目をしていた。オレとあいつが出会ったのは、ずいぶん昔のことだ」
『昔……子どものころですか?』
 レックスは、少なくとも外見上は20代にしか見えない。昔、といえ、何十年も前のことではないだろう。
 海賊は懐かしむように目を細め、溜め息交じりに言う。
「ああ……オレとあいつは、同じ星、同じ街に住んでいた。オレもあいつも、面倒な、押し付けられる体制に反発し、海賊っていう夢を抱いていた。同じ夢を持つ連中が集まって、まずは、船を手に入れようってことになった。強力な戦艦を」
『よく、それだけの技術と資金がありましたね。苦労したのでしょう?』
 不思議そうな声に、レックスは苦笑する。
「なに、元になる船は盗んだのさ。オレたちの、最初の海賊行為だった。そして、こっちには天才的なメカニックがいた。〈果て〉の向こうまで行ってみたいっていう目的で仲間になった奴だが、本当に天才だった。体制のせいで、その才能を認められなかったけどな」
 元になる船を盗み、それをメカニックが改造する。計画は数年をかけて準備され、結果、それは成功する。
「でも、ナシェルは計画に反対で、結果を見る前に抜けた。オレたちに必要なのは、生きるために必要な船、生きるための力だ。でもあいつは違う。あいつは、もっと大きな力を求めていたのさ。オレは……お前が求めているのは結局他人から与えられる力だ、他人に認められたいんだ、と言った。でも、あいつは、すべての者に認めさせれば、それも〈自由〉になる、と答えたよ。すべてをねじ伏せて、好き勝手やりたいのさ」
『自由ですか……
 溜め息をつくような沈黙があった。レックスは眉をひそめ、天井を見上げる。
「不思議かい。自由を求めるのが」
 一呼吸置いて、ゼクロスは応答した。
『いいえ。あなたは、自由を楽しんでいるように見えます。……しかし、ナシェルさんはまるで、自由になるという妄執に束縛されているように思えます』
「確かに、な……
『ところで』
 ゼクロスは少し声の調子を変えた。
『私を、どうするのですか? ただ置いておくわけではないのでしょう』
 ゼクロスは、自分に期待されていることを理解しているようだ。レックスの顔に、海賊らしい、どこかいたずらっぽいような笑みが広がっていく。
「率直に言うと、囮だ。お前さんはあいつにとって、旨いエサだからな。それに、ブレードに似ているから、何か仕掛けでも使えば、上手く相手を騙せるかもしれない」
『それはかまいませんが、子どもたちは安全なところにいさせてください。私が戻れなくても、オリヴンに帰してあげてくださいね』
「戻れない、何てことはねえよ」
 言って、彼は席を立った。
「少し休んでおきな。何かあったらブレードに言うといい。じゃあな」
 手を振って、唯一ゼクロス機内に残っていた人間が出て行く。
 ゼクロスのとなりには、対照的な赤い翼のノルンブレードが駐機していた。パーキングエリアには、他に宇宙船その他の姿はない。
 レックスがブレードに乗り込んで間もなく、ゼクロスはセルフモニターで全機能をチェックし、異常がないことを確認して休眠した。
 それを感知して、ブレードはゼクロスのセンサー系統との接続を切る。彼は、ブリッジに入ってきた見慣れた姿に注意を向けた。
『ずいぶん気を許していますね。あなたが昔の話をするなんて』
 席に腰を下ろしながら、レックスは少し考えて答えた。
「そうだな……あの声のせいか、それとも、お前に似ているからかもな」
『そうですか?』
「ああ。兄弟かなんかでもいたか?」
『まさか。私の開発者が彼の開発者と同じはずはない……わかっているでしょう』
 数秒間の沈黙の後、レックスは、ああ、とうなずいた。
「お前は、あいつの唯一の作品だからな。宇宙のなかで、今までもこれからも、唯一の……
 彼と仲間たちが初めての海賊行為で手に入れた船。それが、このノルンブレードの元となったものだ。それを改良し、既存の電子頭脳の力を借りて中枢システムのプログラムを書き上げたのは、もう、この世には存在しない人物。
「あいつもまた、自由の形を探すうちに、ASを手に入れた。……勝てると思うか? 力と力では負ける気はしねえが、向こうには数と、権力と、金がある」
『愚問でしょう。手に入らないものは奪うのみです。こちらには囮がいる。それも、AS搭載船です。子どもたちを使えば、ゼクロスはほぼ何でもする。こちらは、勝利と安全を奪えばいい』
 海賊らしい答に、レックスは唇の端をゆがめる。しかし、それは完全な笑みの形にはならなかった。
 自分の命を最優先させるためにすべてを切り捨てる覚悟は、常にできている。実際、必要となれば簡単にゼクロスを切り捨てることはできるだろう。問題は、その後のことだ。
……切り捨てた後の寝覚めの悪さは1番だろうな。それに、〈リグニオン〉とキイに狙われることになる」
『ならば、できる限りゼクロスの安全も考えましょう。私も、できればゼクロスを傷つけたくない。子どもたちも悲しむでしょうし』
 ブレードはあっさりと言った。そうやって、甘さを捨てきれないところがゼクロスに似ているんだ、とレックスは思う。しかし、彼自身が他人のことは言えないので、つまり、自分もゼクロスに似ているということになるな、と考え、妙におかしくなって、笑みを浮かべた。
『何をにやけているのですか。またいたずらを思いついたか、いかがわしい想像でもしているのでしょうけどね』
「おいおい……いつ、オレがいかがわしい想像をしたんだよ」
『キャプテン、通信が入っています。フィアナが呼んでいますよ。子どもたちの前で妙なことしないでくださいね』
「ひどい言われようだなあ……
 ブツブツつぶやきながら、彼は追い出されるようにして、ブレードのブリッジを出て行った。人の姿がなくなると照明が落とされ、ブリッジは闇に包まれる。
 パーキング・エリアの上空は雲に覆われ、地上に薄暗いベールを落としていた。

 戦艦が姿を消してしばらくの間、警備隊は周囲を探索していた。そこへ、航宙管理局から警告が行き、宇宙船の隊形が真ん中に空間をとる。星々のきらめく闇を歪ませてワープアウトして来たのは、飾り気のない、闇に紛れるような小型戦艦だった。
 元GP戦艦は〈リグニオン〉と接続すると、状況の説明を求める。
『キイはどこです? この警備隊の様子では、あまりいい状況ではないようだが……
 〈リグニオン〉のほぼすべてのスタッフが見守る画面のなかで、コート姿のロッティ・ロッシーカー元警部が厳しい表情を表す。
「ああ……キイは、まだ戻っておらん。とにかく、この映像を見てくれ」
 バントラムは、エイシアに衛星が捉えた映像を転送するよう指示を下した。その映像をサブモニターで眺めているのか、ロッティの視線が右下に向けられる。
 数分ほどの沈黙があって、彼は視線を戻した。
『普通のワープ航法じゃないな。ASか……それとも、新技術に心当たりは?』
「トラム研究所の最先端ドライヴかもしれないが……ASという可能性もある。どうにか、行き先を特定できないか?」
 ロッティが、再び正面から視線を外した。目でランキムに問いかける。コンピュータは、即座に応答した。
『確定はできませんが、少なくとも20光年離れていると思われます。しかし、ゼクロスを捉えた者もAS使いでしょうから、自ずと行き先は限定されてくる』
 ランキムの冷静な声に、頭のなかが混乱し始めていたものたちも、論理的な思考を取り戻す。
 彼らは、ガーベルドンで姿を見せた海賊のことを、キイやゼクロスから聞いていた。ここのところの異変が宇宙海賊がらみであることは間違いない。
 そして、宇宙海賊がよく出没するとされる場所がいくつかあった。確実なことではないが、今ある手がかりから当たっていくしかなかった。
『オレたちは、ゼクロスの行方を捜してみる。そっちは、一応トラム研究所と連絡をとってみてください。キイが早く戻ってくればいいが』
「ああ、すまない」
 少し希望が見えた。だが、バントラムは厳しい表情のまま通信を終えた。
 警備隊によるパトロールが強化されたオリヴンから、ランキムは惑星に影響を与えない最低限の距離まで離脱し、歪みの中に姿を消した。

 目を開くと、ぼやけた天井が見えた。白く塗られた、木造の天井だ。少なくとも、〈リグニオン〉の透明感がある金属性の、不思議な天井ではない。
 徐々に、意識がはっきりしてくる。記憶が途切れるまで何をしていたかは完璧に覚えていた。だが、今はそれがどこかぼんやりしている。その記憶データに、あまり接触したくない、無意識のうちに記憶を参照するのを拒んでいる、ということか。
 今は、何も考えたくない。彼女は、そう思いながら、目だけで、視界の届く範囲を見回した。
 どうやら、一般の家のなかのようだ。メイド型アンドロイドとしてトラム研究所で開発され、その後〈リグニオン〉で目覚めた彼女には、知識はともかく、一般の家を訪れた経験はなかったが。
 とはいえ、一家族が住めるほど調度品も多くなく、アパートの一室らしい。
「目が覚めたかい?」
 声をかけられて、ラファサは驚いたように振り返った。シャツにネクタイを締めた青年が、救急箱の載った机に肘をつき、眠たげな目を向けていた。
 急に恥かしくなって、ラファサは身を起こし、ベッドの上に正座する。
「あ、あの……ここは……
「ここは、私の家だよ。私はクレイズ・オーサー。生物学者だ。キイにきみのことを頼まれた」
 一見して、彼が怪しい人物ではないことは知れていた。キイの知り合いと聞いて、ラファサはひとまず安心する。だが、彼女をここに連れてきたはずのキイの姿は、どこにも見当たらない。
「あの、キイはどこに……
「ついさっきまでいたんだけどな。出て行ったよ。ゼクロスを探すんだろう」
 そう言うと、彼は溜め息を洩らした。その表情に、今までにはなかった色が混じる。
「ゼクロスも子どもたちも、無事だといいが。ずいぶん今日を楽しみにしていたんだが……まさかこういうことになるとはね」
 そのことばが、ラファサの思い出したくない記憶データへのリンクを活性化させる。
 何の罪もない子どもたち。彼女は早朝、顔を合わせたわずかな間に、彼らの瞳の中、不幸な境遇ながらも肩を寄せ合い、健気に自分の居場所を創りあげようとしている、意志の強さと希望を見た。だが、その強さは、周囲の手助けがあってのことだろう。ミライナやホーメット、孤児院の協力者たちの優しさに触れ、その生き方を見て、彼らは育ってきたのだ。
 しかし、鍛えられた心を持っているとはいえ、親兄弟を亡くして傷ついた、天涯孤独の子供たちである。悲しみは癒えても、寂しさは、必要な存在がもうそばにいないという事実は消えない。それに、経済的な問題もあった。善意の寄付のおかげで食べる物に困るようなことはなくとも、さすがに普通の家庭のように趣味に使う物を買ってもらったり、旅行に行く、などということはほとんどできない。
 子どもたちが、どれだけ今日の日を待ち望んでいたことか。
 すべて、自分が壊してしまった。
 何もかも。
「どうかしたのかね?」
 声をかけられて、少女は、はっと顔を上げた。理知的な瞳が、何かを察知したように輝いていた。
 見透かされているような気がして、思わず、口を開いてしまう。いや、自分でもそれを望んでいたのかもしれない。知られるのが恐ろしいのに、どうしても誰かに言いたかった。
「私がやったんです。彼らを罠にかけた。私は、そのために造られて……そのために存在している……今でさえも」
 生物学者は、何も言わない。ただ聞いている。
「私は、どうすればよかったんですか? それに、どうすればいいんですか? 私は〈リグニオン〉の者ではありません。裏切り者は戻れないでしょう。かと言って、私を制作した人たちは失敗した私を許さない。処分されるべき失敗作だからです。なのに、あなたたちは私が廃棄処分されるのを阻止しようとする」
 少女の瞳が、初めて、相手の目を見た。
「私は、どうすればいいんですか?」
 むなしい問いかけだった。決して誰の心にも届かない気がしてならない。
 少しの間の沈黙の後、クレイズは静かに答える。
「その答を知っている者は、そうそういるものじゃない。私もね。今だって、どうしていいかわからないんだよ。きみの問いに答えるのに心理学が必要か? 生物学が必要か? 哲学が必要か?」
 ラファサは怪訝そうな顔をした。相手は、溜め息をついて瞳をそらした。
「何のために生きるか、何のためにするかなんてどうでもいい。問題は知識や理論じゃない。助けたい、死なせたくない、大切だから……そういう感情。そんな、生きるのに能率的でないものに身を任せて動いてる者たちもいるんだ。考えるのが面倒なら、考えてわからないなら、きみもそうするといい」
 言って、彼は照れたようにほほ笑んだ。
 自分の感情機能にも、そこまでの強い衝動があるのだろうか?
 そう思いながら、彼女は自らの心を探るのに集中し、目を閉じた。

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