NO.11 陥落 - 鳥篭の中の心

 子どもたちの表情は、恐怖にまでは至っていなかった。不安、というより、心配が表れている。何度か安心させるように声をかけながら、ミライナはペンライトをつける。ブリッジに満ちた闇に対して頼りない光が、暗闇を小さく円形に切り取った。
 頭の中で自分に落ち着くように言い聞かせながら、彼女はゼクロスのことばを思い出した。緊急用バックアップシステムを起動し、地上と連絡を取る。それが、これからすべきこと。
 目的がはっきりすると、自然と気持ちが落ち着いた。記憶を辿りながら、しゃがみ込んでコンソールの下にあるパネルを開く。緊急通信システムは起動すると、直通で〈リグニオン〉に接続する仕様になっている。ミライナは簡単な手順を、じっくりとひとつひとつ確かめながらクリアしていった。
 作業が終わると、彼女は顔を上げてメインモニターに目をやる。子どもたちも何かを予感してか、正面に注目した。
 いつもなら音声と同時に映像で通信相手を確かめられるが、今回は数字を含む文字列が隅に表示されただけだった。しかし、その素っ気ない文字に、一同はどれだけほっとしたことか。
『ミライナ、そこにいるのね? 子供たちは無事?』
 聞き馴れた女性の声は、オペレーターのエイシアだ。相手には見えないと知りながらも、ミライナは思わずうなずいていた。
「ええ、皆無事よ。でも、一体何が起こったのか見当もつかないわ。ゼクロスと接触できないの。そちらは、何かつかんでる?」
『航宙管理局の映像を受信してる。ドライヴも完全に停止しているわ。今、警備隊がそちらに向かっているはずだけど……
 奇妙な沈黙があった。それが過ぎるのを、じれったい気分で待つ。
 何か確認でも取っているのだろう、と口を挟むことなく待っていたミライナだが、沈黙を破ったのは、予想外に切迫した声だった。
『危ない! 何かにつかまって!』
 驚きながらコンソールにしがみつき、ミライナは子どもたちを見た。皆、慌てて椅子につかまっている。
 間髪入れずに、叩きつけるような衝撃が来た。モニターの光が淡く照らすだけの暗闇の中に、小さな悲鳴が上がる。顔は見えなくとも、皆、不安を表しているに違いなかった。
 遠くで引っかくような音がすると、揺れがおさまる。ほっとしたのも束の間、ふと目をやると、モニターの表示が消えていた。唯一の希望とも思えていた、オリヴン上との接続が。
 絶望と、子どもたちを勇気付けなければという一種の使命感との間に揺れながら、ミライナは、どうしてこんなことに、と、めまぐるしく考え続けていた。

 巨大な空母のような、しかしそれ自身が好戦的な印象を与える宇宙船は、ゆっくりと沈黙する小型宇宙船に近づくと、アームを出して対象を鷲掴みにした。航宙管理局の者も〈リグニオン〉の者も、小型といえ、人間の視点から見た宇宙船XEXに壮観な印象を持っている。それが、衛星から転送される映像を通した今は、まるで壊れかけた玩具のようだ。
 実際、巨大宇宙船に比べると10分の1以下の大きさしかない。アームに力を加えられれば簡単に大破しそうなくらいだ。
「キイはどこへ行った?」
 巨大戦艦がゼクロスとそのクルーを丁寧に扱うように祈りながら、バントラムはエイシアに声をかけた。
「ラファサと地上に。緊急信号を送信済みです。近くの宇宙船に救難要請を出しましたが、戦闘機で15分以内に駆けつけられるのはランキムでしょう」
 エイシアが振り返り、感情抜きの事務的な声で説明する。その左右からモニターを見つめるアスラードやマリオンといったスタッフたちの表情は、一様に厳しい。
「警備隊はまだか? 緊急時用の自動射出ビットでものせておくんだった」
 見ているだけで何もできないことを悔やむように、マリオンは唇をかんでいた。画面の中央にたたずむ巨大戦艦を、きつい目でにらみつける。
 間もなく、オリヴン警備隊の宇宙船がズラリと並び、戦艦を取り囲んだ。その光景は、普段なら見る者の目に勇壮な印象を与えただろうが、今はただ、『無駄なあがき』としか映らない。
 ゼクロスを回収しようと、その機体を捕らえたアームがドッグに向かって折り込まれ始める。警備隊が一斉にレーザー射撃を始めるが、軽く機体が揺れる程度で、相手機には傷ひとつつけられない。手も足も出ない状況だが、とりあえず義務を全うしようというように、効果のない砲撃が続いた。
 技術の最先端を行くオリヴンの警備隊の目の前で、戦艦は堂々と、ゼクロスを機内に収容する。
「キイは、ランキムはまだか……?」
 バントラムは誰に問うでもなく言い、視線で相手を滅ぼそうとするように、モニターの中の戦艦を凝視し続けていた。
 相手の目的がゼクロスなら、すでにそれは遂げられている。今すぐにでも、警備隊の前から立ち去ろうとするだろう。そうなれば、追跡してゼクロスを取り返すのは至難の業だ。目的が別にあるなら惑星オリヴンとしての被害は拡大するだろうが、とりあえず、〈リグニオン〉のスタッフたちは、戦艦がすぐに立ち去らないことを祈る。
 と、そのとき、戦艦の下部に赤い光が走った。
 一瞬広がった光の膜は、ゼクロスがASを起動して展開する結界の存在を示していると、スタッフたちは知っている。その結界に弾き飛ばされるようにして戦艦の下部の一部とアームが千切れ飛び、勢いよく画面左上へと飛び去った。警備隊が少し包囲網を遠ざける。
 戦艦の下部ハッチの破片の向こうに現れたのは、捕らわれたはずの紺の翼だった。期待の目で見守るスタッフたちの視線の中、ゼクロスは脱出という明確な意思を見せず、漂っていた。しかし、それもほんの少しの間である。
 突然その姿が歪んだかと思うと、背景に広がる闇の虚空へと消えた。
「どうした……? ランキムがASで転送したか……?」
「ランキムはまだワープアウトしていません」
 推測は挟まず、エイシアが事実だけを告げる。
 すぐに近くに現れるかもしれない、と淡い期待を抱いていた一同だったが、その期待は裏切られた。それは戦艦も同じだったらしく、余裕を持ってたたずんでいたその姿が、今までとは違う様相を表す。青い光が噴射され、闇を照らした。
「ドライヴを起動した模様。行き先不明」
 航宙管理局により航路を登録されていない船は、衛星などネットワークの端末となるものがない地域に出られると、行方を知ることはできなくなる。
 しかし、方向くらいはつかめるはずだ。オリヴンの数多い衛星や宇宙望遠鏡の各種センサーが、戦艦の動きすべてを捉えようと狙いを定める。
 異変は、唐突に訪れた。
 機首をめぐらせる、ということもない。気がついたときには、すでにその巨大な質量が消え失せていた。まばたきの間に消えたのが信じられず、しばらくの間、皆は確かめるように画面を凝視していた。
 エイシアの膝の上に乗って画面を凝視していたフーニャが、一声、力なく鳴いた。その鳴き声で我に返り、エイシアはパネルを叩いて、警備隊やランキムと連絡を取り始める。周囲の者にできるのは、ただ、待つことだけだった。

 商店街は、警備隊の出撃を目にした人々のざわめきで、いつもと少し違う雰囲気になっていた。それを背後に、袋入りの食材を手にしたキイとラファサは、急いで引き返す。キイは警備隊出動の原因について情報を引き出したりはしなかったが、〈リグニオン〉からの緊急信号の内容を確かめるまでもなく、原因が他人事でないことは当然のように察知していた。
 それでも、キイは平然としている。その横顔を見ながら、ラファサは思う。まるで、何が起きてもやり過ごせる自信があるようだと。
 道の脇の家々の姿もまばらになり、辺りには、広い敷地の工場がいくつか点在するだけになっていた。すでに仕事は始まり、昼食には早過ぎる、という時間帯で、他に通行人の姿はない。
 そう、まるで、計ったようなシチュエーション。いや、確かに自分はこれを狙っていたのだ。それを否定したい衝動に駆られながらも、ラファサのかまえはためらいを感じさせないほど素早かった。
 キイは、油断なく足を止める。彼女は予想済みだったかのように冷静だった。その反応は、ラファサが思い描いた通りでもある。
「ディリンジャーか。3発分のパワー・セルが入ったレーザー炸裂型」
 ラファサの伸ばされた右手の先、中指にそって突き出た細い銃口が、キイの眉間をポイントしていた。紙のように薄い銃身は完全に手のひらに隠れている。
「グローブもなしに撃つと、手のひらを火傷するよ」
……そんなことはかまわないと、わかっているでしょう?」
 ラファサはキイと正反対に、ようやく声をしぼり出した。
 彼女は引き延ばされた時間の中で、考える。
 この人なら、トリガーを引いてもそれで終わらないかもしれない。トリガーを引くより速く、自分を攻撃できるかもしれない。それを恐怖に思いながら、私はそれを期待している!
 トリガーを引くまでは、彼女は動かないだろう、とラファサは思った。
 だから、自分の手で、終わらせられるチャンスはある。
「ごめんなさい」
 口をついて出たことばに、キイは怪訝そうな顔をする。
 その目の前で、ラファサは右手の指先をこめかみに当てた。キイが荷物を放り出して手を伸ばす前に、轟音が響いた。
 それは、ディリンジャーが発したものではなかった。
「ぐっ……
 その場に崩れ落ちながら、ラファサは愕然と目を見開いていた。その瞳が、膝をつくキイの姿を捉える。
 銃弾はラファサの右の脇腹をえぐり、キイの左肩を貫通していた。衝撃でよろめいて膝をつくキイの肩から、赤い液体が流れ落ちて袖を染めた。倒れたラファサの傷口からあふれる液体も、まったく同じ色だった。
 ラファサの後方、積み上げられたブロックの陰から、細長いバレルのライフルを手にした男が歩み寄る。男は金髪碧眼で、スラリとして背が高かった。
  彼が〈リグニオン〉を訪れたとき彼女はその場に居合わせなかったが、それでも、彼女は彼の顔に見覚えがあった。
「ウォルフ・ブロンクス……
 男はつぶやくキイにライフルの狙いをつけたまま、数メートル前まで近づいた。気を失って横たわっているラファサを盾にするような位置だ。
 彼は、どこか疲れたように笑う。
「覚えてもらっていて光栄だね。まあ、もうお別れだから、関係ないけどな」
「最初から雇われていたのか。ラファサの反応も……?」
「ああ。せいぜい利用させてもらったぜ。余りこういうのは好きじゃないが、こっちも仕事だ。それに、普通の女の子じゃなくて人形だろ」
「人形……
 キイは立ち上がった。その左手の指先から血がポタポタと地面にたれて、赤い斑点をつくる。
「同じ感情を、意思を持つ者を使い捨ての人形扱いするなら、あなたも彼と変わらない。人を人扱いできない、ただ目的のために動く、本当の意味の人形だよ……
 彼、というのは、ウォルフの雇い主のことか。
 ライフルのレーザーポインタの赤い点を額に受けながら、キイは恐れも、怒りすらもない瞳で相手を見る。しかし、その声にはどこか、悲しみの響きが込められていた。
 今まで見たことのない目だ、とウォルフは畏れのようなものを感じる。彼を雇った、依頼人の目に少し似ていた。何者にも支配されない立場でありながら、操り人形であることを自覚している者。
 彼は、それから逃れたいと思った。その最速の方法は、任務を終えること。
 彼はライフルのトリガーを引いた。
 ゴガンッ!
 鈍い音がした。衝撃を感じたウォルフは、反射的にライフルを放す。銃口に、サバイバルナイフの柄が突き刺さっていた。
 オートマティックが収まっている腰のホルスターに手を伸ばしながら、彼は、突進してくるキイ・マスターを見た。
 ラファサを跳び越えて、彼女はウォルフの右腕に跳びついて抱え、身体を反転して捻り上げる。ウォルフは右手の力を抜いて左手でナイフを抜いた。
 彼がそれを首筋に突き出す前に、キイは離れた。その手には、相手のホルスターから抜いたオートマティック・ピストルが握られていた。
「あんた……ほんとに人間か?」
 グリップを握る右手に添えられた、血に濡れた左手を見て、ウォルフは驚いたように言った。決して浅い傷ではないが、キイはその負傷の影響を何ひとつ受けていないようにみえる。
「これでも痛いんだけどね。でも、もっと痛い思いをしている者がいる。ここから立ち去れば、追うことはしない。時間が惜しいんでね」
「あんたも、甘いな。命を狙った相手だというのに」
 キイは笑った。
「命を狙われたぐらいで相手を殺していては、屍の山ができてしまう。死にたくはないから、生きるために必要なときは殺したさ。あなたが去らずにまだ私を殺そうとするなら、そうすることになるだろう」
 ハッタリや脅しではない、とウォルフは感じた。まだ、彼にも武器はある。キイが一筋縄ではいかない相手だという情報は受けていたので、それなりの準備はしてきていた。
 しかし、命をかけるにしては、勝率が危う過ぎると、理論で説明できない心の一部が告げている。生き残るのが最大の目標なのだから――。
 彼はナイフを収め、軽く手を上げた。
「わかった、降伏する。どうすればいい」
「好きにすればいいさ」
 キイは、オートマティックを投げて返した。つい今まで命賭けの戦いをしていた相手に武器を渡す行為に、ウォルフは受け取りながら、半ば茫然とする。
 いつでも生き残れる自信があるということか。彼は、恐ろしい相手だ、ということを再確認した。
「じゃ、オレは成り行きを見物させてもらうぜ。どういう結果に終わるか、興味があるからな」
 ウォルフはオートマティックをホルスターに収め、ライフルを拾い上げて銃口のナイフをキイに投げて返すと、コンテナの裏側に停めてあったらしいエアビーグルで上空へと消えていった。
 それを見送ると、キイは倒れたままのラファサに手をかざす。
 淡い光が傷を包むと、流れ続けていた血が止まった。
「ヒトよりも、怪我や病気が1番手ごわい相手ってことか」
 つぶやき、キイは雲ひとつない空を見上げる。
 蒼を映す空は澄み渡っていながらも、宇宙の闇の片鱗ひとつも見透かすことはできなかった。

 闇の中。何ひとつ外界との接触はない、閉鎖された世界。
 しかし、ゼクロスにはASがあった。センサーもネットワークも、すべてが切り離された時にもASとの接続は保てるように、設計者も調整担当もゼクロス自身も、細心の注意を払ってセキュリティを強化してきたのだ。
 彼はただ、緊急時用のシステムが起動するか、機能が復旧するのを待っていた。しかし、能動的にASを使用していなくても、それは一種の直感のようなものの助けとなる。ある一瞬に不吉な予感を感じた彼は、とりあえず結界を張った。何があろうと、ASによる結界が続く限りは、自分とクルーの身を守ることはできる。
 だが、いつまで結界が続くかが問題だ。それに、結界を張ったままでは救助隊も近づくことができないのだ。いつもなら結界を張ったままでも任意の相手を受け入れることができるが、今はそれを判断するための情報がない。
 いつ終わるとも知れない闇の中の時間が、いつまで続くのか。
 不安になりかけたゼクロスの意識に、何かが触れた。
『キイ……?』
 キイがASを利用して呼びかけているのかもしれないのと同時に、ついに中枢まで侵入を受けたという可能性があった。もちろん、ASを使って中枢と侵入を受けた領域は完全に切り離してはいるが。
 かすかだった感覚がはっきりしてきて、彼は、別の意識の存在を感じた。しかし、それは馴れ親しんだキイ・マスターのものではない。
『あなたをナシェルに渡すわけにはいかない。我々と一緒に来てもらいます』
 有無を言わさぬ声。聞き覚えのあるそれは、海賊船ノルンブレードのものだった。

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