NO.06 ある惑星の生死(中)

 ライナは朝食を終えるといつも通り、テーブルの上の壊れかけたMDプレーヤーのスイッチを入れた。飾り気のない部屋のなかには、錆びついた機械部品や古そうな何かの装置がごろごろしている。MDプレーヤーも、そんな装置の中のひとつだった。
 途切れ途切れのクラシック音楽だけが、室内の音声領域を満たした。飛行場の一角にあるこの部屋は、街の喧騒とは無縁だ。たまに宇宙船や飛行機の離着陸があると、一時的にひどくうるさい場所と化すが。
 そして、今日は珍しい、うるさい時間が訪れる日のほうだった。
 長い焦げ茶色の髪を束ねたところで、彼女は風を切るような音が近づいてくるのに気づく。今は、飛行場の機能も停止しているというのに。
「命知らずなヤツだ」
 面倒臭そうにつぶやくと、あまり座り心地のよいとは言えないソファーから腰を浮かせ、木のテーブルの上に置いてあったサブマシンガンを手にする。ガーベルドンで武器を手放しても安全なのは、中央都市であるグロイスくらいだ。
 コートをまとい、その内側にマシンガンを隠すようにしながら、少女は倉庫の一部を利用した我が家から出た。

 飛行場に降り立ったのは、3機の小型宇宙船だった。そのなかの1機は、ライナも見覚えのある機体だ。
「よお、ライナ。久しぶりだな」
 紅の翼が映える船から、やはり見覚えのある青年の姿が手を振りながら降り立った。「決して他人に心を許すな」という信条を持つライナだが、その顔にわずかに笑みがこぼれる。
「レックス、久しぶり。あんまり顔を見ないんで、GPにでも捕まったかと思っていたよ」
「ま、色々あってな」
 色鮮やかなバンダナを幾重にも巻きつけた頭をかき、レックスは苦笑した。だが、その鋭い目は、別の方向に向いている。ライナがつられて視線を動かすと、別の船のクルーたちが降りてくるところだった。
 ライナにとっては、未知の相手だ。一見荒事に強そうな相手ではないが、彼女はコートの下でマシンガンのトリガーに指をかける。
 一方、レックスは何の警戒もなく、素早くある人物に駆け寄った。金髪碧眼の、美女のもとへ。
 その後ろ姿で、ライナは何となく事情を察する。
「さて、約束通り、一緒にドライヴに行こうぜ」
「何が約束だ」
 馴れ馴れしいほどに自然体で声をかけたレックスに、冷たい視線を向けながら即答したのは、美女のとなりに立っていた茶色のコートの青年だった。
 しかし、レックスは口を開いた時のままの最上の笑みを崩さず、青年の声は聞こえなかったフリをする。しかし、その存在に気づいていないわけではない。
「こんな男よりオレと一緒にいたほうがずっと楽しいぜ。ほら、船だってその地味なのよりずっとカッコイイだろ?」
 このことばを当然『その地味なの』の中枢システムも聞いているが、彼は大人気なく反論したりはしなかった。
 レックスに声をかけられている女性も至って冷静に、一言。
……三文海賊には興味ないわ」
 取り付く島もない。玉砕だった。さすがの宇宙海賊も、凍りついたように動きを止める。
 だが、その視界に、彼は別の標的を見つけた。一瞬死んだ魚のような目をしていたのが、今度はまるで水を得た魚のように、生き生きとした足取りで走り寄っていく。
 彼が次に駆け寄ったのは、なぜかワンピースのスカートの上にフリルつきのエプロンを身につけ、手には竹ボウキを握っている、整った顔立ちの少女だった。
 当惑したような表情を浮かべる少女に、レックスは女性に受けがいい――と、彼自身が信じている笑顔を向けた。
「お嬢さん、これから一緒にお茶にでも……
 相手に手を差し出そうとするなり、彼は膝を折って前のめりに転倒した。いつの間にかその背後に回りこんでいた小柄な女性が、膝の裏を蹴り飛ばしたのだ。
『無様ですね』
 地面に這いつくばる形になったレックスに冷淡にそう言い放ったのは、彼の相棒、宇宙戦艦ノルンブレードの中枢だ。
「ブレード、キャプテンに対してそりゃひでぇんじゃねえか?」
『あなたの脳内がインスタントラブの名産地であることは重々承知していますがね』
 服についた土を払い、立ち上がる海賊に、ブレードは口調だけは至極上品に言った。
『別の用事があったはずでしょう?』
「おいおい。オレにとって、そんな用事と美しい女性との楽しい時間、どっちが大切だと思ってるんだ?」
『しかしキャプテン。彼女は人間ではありませんよ』
 向き直って再び少女にほほ笑みかけたところで、レックスはがっくりと肩を落とした。
「ホントか……?」
 栗色の髪に、大きな緑がかった瞳。ライナから見ても大人しそうな少女にしか見えないその人物は、少し恥かしそうにうなずいた。
「はい……私は、キイのお供として参りました、生体ロボットです。ラファサといいます、よろしくお願いします」
「ああ、よろしく」
 毒気を抜かれた様子で、レックス。
「それで、用事って?」
 画家志望の少年にも見える姿の、キイと呼ばれた女性が、宇宙海賊に冷めた視線を向けた。
「そろそろ、説明してほしいものだね」

 飛行場から街までは、それなりの距離がある。6人の客人が、ライナのねぐらに迎えられることになった。もちろんライナはこの事態を歓迎しているわけではないが、レックスに恩を売っておいて損はない。
 キイは、唯一の窓のそばに座った。スプリングが壊れたソファーひとつしかないと見るなり、ラファサは人数分の座布団を持ってくる。それと、ティーセットもだ。ライナに客人に茶を出すような習慣はない。
「気がきくねえ。誰かさんとは大違いだ」
「うっさいね。オレの客じゃないんだよ」
 ハーブティー入りのカップを受け取り、嫌味を洩らすレックスに、ライナはふてくされたように言った。彼女はラファサからカップを受け取り、自分の家にいながら、奇妙な居心地の悪さを感じる。
 全員にカップを配り終えると、ラファサはキイのとなりに座った。
「それで? オレたちを集めてなんの用だ」
 やはり、元GP刑事としての感情か、ロッティのレックスに対する目は厳しい。
「ああ、そっちのべっぴんさんにほれたってのもあるけどな。あんたたち、GPに行くならここのメインシステムの様子を見ていったほうがいいぜ」
「何のことだ?」
「見てみりゃ、わかる。もっとも、見るのはオレたち人間の役目じゃないけどな」
 言いながら、懐から紙切れを取り出し、とりあえず、見るからに専門家らしい白衣の青年、ストーナーに手渡す。その紙切れには、びっしりと文字列が印字されていた。
「以前、ブレードがここのメインシステムに侵入したことがあってな。中枢システムのアクセスコードだ。数日ごとに変わってるからそのままじゃアクセスできないが、パターンがヒントになるだろう」
……どういうことだ?」
 ストーナーは、相手のことばの意味が理解できないような調子だった。
 レックスはこの惑星に詳しく、キイやストーナーの目的も理解している、ということはわかる。それならば、なぜ、わざわざアクセスコードを教えるのか。ストーナーは頼まれてこの惑星にやってきたのだから、そんなものは担当者から教えられるはずだ。
 ロッティとフォーシュからすると、なぜ自分たちが呼ばれたのか、それも気になる。
 周囲に並ぶ不審げな顔をもったいぶったように見回してから、レックスはようやく口を開いた。
「それが、メインシステムが『勝手に』コードを変えちまいやがったのさ。だから、グロイスの主任コンピュータ技師だって、もうプログラムをいじれねえのさ」
 どこか優越感たっぷりに言う彼のことばに、ストーナーらは愕然とした。ただの故障を直すつもりでやってきたのだ。まったく予想外の事態だった。
「それに、メインシステムはGPの戦力を探っていやがった。そろそろ作戦決行だろう、今日中にな」
 惑星中心部の事情にはもともと詳しいほうではないが、ライナですら知らない驚くべき事実を、レックスはどこか楽しげに告げる。
「それは……本当なのか?」
 ストーナーは予想外の事態に、緊張を含んだ声を出した。古い機材を寄せ集め、時間をかけてプログラムを継ぎ足し完成させたガーベルドンのメインシステムに、人工知能が搭載されているはずもない。それが、勝手に自身のプログラムを書き換えたというのか。
 あり得ない、考えられない話だ。外部からの干渉がなければ。
「ブレードの話だと、侵入を受けた可能性があるそうだ。極めて進化したウイルス……ASでしのぐことは可能だが、気をつけたほうがいいぜ。素じゃあブレードでも処理しきれねえ」
『しかし、さらに状況が変わっている可能性もあります。まずは現状を把握するのが1番です』
 飛行場内の建物に備付けのスピーカーから、ブレードが合成音声を響かせる。
 キイとストーナー、それにラファサの目的地は、グロイスだ。一方、ギャラクシーポリス本部のある惑星ルーギアに向かっていたロッティとフォーシュだが、攻撃されるかもしれない場所に向かう気にはなれない。それどころか、この惑星でできる限り状況を把握して、必要なら警告しなければならないだろう。ロッティとしても海賊の言うことをすぐに信じるつもりはなく、確かめずにはいられない。
 グロイスに大きな飛行場はない。危険な土地に不慣れな者たちのために、ライナは倉庫のなかにエアカーを取りに行った。
「あんたの一声で、避難させるとかは無理なのか?」
「あいにく、下っ端だったものでね」
 ライナがテーブルに置いていったサブマシンガンを見ながら、ロッティは宇宙海賊に胡散臭そうな視線を向ける。
「それより、宇宙海賊がGPの心配をするとはな。どういうつもりだ?」
 GP刑事ではなくなっても、その相手の真意を見透かそうとするような視線は無くならない。レックスはそれを、軽く受け流すが。
「べつに、GPのためじゃねえさ。ここの連中を罪人にしたくねえ」
 なるほど、と、ロッティは納得した。ガーベルドンのメインシステムによりGP本部が攻撃されれば、ここの人々が疑われるのは明白だ。ただでさえ、一部には宇宙海賊が出入りしているという噂、いや、事実があるのだ。
「ここの連中をはめようとしているヤツらがいる」
 一瞬だけ暗い表情になって、有名な海賊はつぶやいた。
 ストーナーとラファサは荷物を取りに行っている。辺りを支配した沈黙のなか、キイは窓の外を見やった。
 一番遠くに、銀で縁取られた赤い翼の戦艦が駐機している。その反対側の滑走路の端に、対照的な紺の翼が目立つゼクロス。それを守るようにして元GP船のランキムが陣取っている。
 座布団の上に、もうここから動かない、という感じで座り込みながら、キイは左耳のイヤリング型通信機に声をかけた。
「ずいぶん手間取ってるな。何か問題でも?」
『いいえ。今、準備を終えたところです。ラファサは、少々荷物が多いようですが』
 聞き馴れた美しい声が、耳をなでる。
『こちらでもアクセスコードのパターンを解析してみます。ブレードから直接データをもらえますから。ランキムは止めておいたほうがいいと言うのですが』
「だろうね」
 パターンの解析ではなく、海賊船とデータをやり取りすることが気に入らないのだろう。一応面識があるキイやゼクロスと違い、GP時代は敵だったとも言える相手を信用できないのも無理はない。
『まあ、こちらは心配いりませんよ。ブレードが私に危害を加える理由はありませんし、あなたたちがグロイスにつくまでじっとしているのも退屈ですからね。それより、危険なところに行くのでしょう?』
「なに、心配ないよ」
『あなたはいいのですがね。ちゃんとラファサをガードしてくださいね』
「もちろんだよ」
 低いエンジン音が聞こえた。ライナがエアカーを裏から正面に持ってくる。
 レックス、それにロッティとフォーシュは、それぞれ別々に中央都市に向かう。もともと、エアカーは4人乗りだ。
 ストーナーがクレジットを出し、ライナを雇うことになった。彼女が運転席に座り、ストーナーが助手席、後の2人は後部座席だ。
「気をつけろよ、キイ」
「そちらもね」
 ロッティとフォーシュがエアカーを見送る。あの2人なら心配ないだろう、とキイは思った。
「しっかりつかまってな」
 言うが早いか、ライナはアクセルを全開にする。エアカーは勢いよく宙に飛び出し、突然シートに押し付けられたラファサは小さく悲鳴を上げた。
「あ、あの、安全運転でお願いしますぅ」
「安全運転だよ?」
 ライナは笑った。強い風がその頬を撫でる。
「速いほうが厄介な連中に捕まらないからな」
 グロイスに向かうには、ラトーガジュネスという街を抜ける必要がある。宇宙海賊や盗賊が出入りしていると言われる、お世辞にも治安がいいとは言えない街だ。
 一体どんな厄介な人たちがいるのだろうか。ラファサは不安になった。
 エアカーはすぐに、灰色の街並みに入った。工場からたち昇る煙をよけ、人の群れが行き交う通りを眼下に、一気に街の上空を突き抜ける。
「まだまだ。本番は降りてからさ」
 街並みの彼方に、半球形の半透明なシールドに囲まれた、巨大な都市が見えた。ラトーガジュネスとその都市、グロイスの間に、平たい建物が広がっていた。それが、ラトーガジュネスとグロイスをつなぐ出入口だろう。
 エアカーは建物の天井のゲートから駐車場に侵入し、降下した。駐車場のなかは、警備システムにより厳重に監視されている。
 その代わり、駐車料金は高い。
「安全ほど高いものは無い、ということか」
 ライナは当然のように、ストーナーに支払いを任せた。帰りの脚が無ければ困ることに違いはないので、青年博士は素直にクレジットを出す。これは、報酬を倍もらわなければわりに合わないな、と思いながら。
 ライナはカードキーを抜き取り、懐におさめた。車外に出た3人に気を配りながら、彼女は車の間を抜け、エレベーターに向かう。グロイスへ通じる道は地下1階にある。
 丁度エレベーターのドアが開いた。他に乗り込む者はなく、4人だけを乗せて、ドアが閉じる。直後、エレベーターが動き出し、浮遊感が乗員を包んだ。
「下にゲートがある。そこで武器を預けるんだ。グロイスのなかに入っちまえば、あとは安全さ。ならず者たちは弾かれるからな」
「IDカードが必要なんだろう?」
 と、ストーナーは少女たちを見た。キイはパイロットとしての証明カードがあるが、人間ではない上に生れたばかりのラファサ、それに、ライナは身分を証明できるものを持っていない。
「あんたがオレたちの身分の保証人になりゃいいのさ。それで入れてもらえる」
 ライナは答え、視線を天井に向けた。
 その時だった。
「なにっ?」
 ガタン、と一瞬エレベータが傾き、4人は転びそうになった。バランスを崩したラファサを支えてから、キイは壁のパネルに目をやる。
 照明は切れ、緊急事態を示す赤いパネルがうっすらと内部を照らした。
「もしもし?」
 備付けの緊急用通信機で、管理室との交信を試みる。キイは何度か声をかけたが、答は返って来なかった。
「システムが故障したのか……?」
「ここのシステムはグロイスのシステムに接続してる。今までこんなことはなかったのに」
 だが、今はいつもと状況が違う。レックスが言っていたことを思い出し、皆は顔を見合わせた。
「ここは電磁シールドに包まれてるわけではないね」
 状況を知らなければどうしようもない。キイは通信機のスイッチを入れた。
「ゼクロス?」
『はい、キイ。皆さんご無事ですか?』
 ゼクロスはキイの居場所を感知している。彼も異常事態を知り、情報収集していたらしい。
『情報センターへの接続が最低限に制限されているので詳しいことはわかりませんが、メインシステムがそちらの管理システムに手を出したようですね。正確にはメインシステムを操るウイルスか、ウイルスが作り出したプログラムですが』
「ここの構造が情報センターのデータバンクにあるはずだ」
 キイは皆を安心させるため、イヤリングではなく、腕時計型通信機も使用していた。そこから洩れる初めて聞く美しい声に少しの間驚いていたが、ライナは相手がブレードのようなコンピュータであると見当をつけ、勢い込んで言った。幸い、その情報は誰でも入手できるレベルにあったらしい。
『少しお待ちください……はい、ありました。あなたたちがいるのは、丁度地上と地下の中間ですね』
「バックアップ・システムはないのか?」
『あります』
 ストーナー博士のことばに、ゼクロスは即答する。
『1階です。駐車場の壁にドアがあったでしょう。その奥に緊急用バックアップシステムがあります。ただ、問題は、そこまでどう戻るかですよ。そちらまでのネットワークも遮断されていますから、警備隊に通信できません。探査艇を使って連絡を取るにしても時間がかかります』
「なに、待ってる必要はないさ」
 ライナは言い、天井を見上げた。サブマシンガンをコートのなかから取り出すのを、ラファサが不安げに見つめる。
 それを意に介さず、ライナはストーナーにしゃがむように言った。渋々膝を折る青年の肩に足をかけ、天井にある四角い溝に手を触れる。もともと力仕事には不慣れなストーナーは、足場として安定しているとは言えない。
「しっかりしろよな、おっさん」
「そう言われてもな……
 溝の一角にあるナットに狙いを定め、ライナは突然銃弾を放った。衝撃でよろめくストーナーを、キイとラファサが慌てて支えた。
「いきなり何を……
 抗議する前にライナはマシンガンで天井を殴りつけ、四角い板を弾き飛ばした。そのまま、身軽な動きで天井の上に乗る。
「一緒に行こうか?」
 キイが、上から覗き込んだライナと視線を合わせた。
 ライナは笑みを浮かべ、首を横に振る。
「オレ1人で充分さ。大人しく待ってな」
 言うなり立ち上がり、身をひるがえす。その姿は下の3人の視界のなかからすぐ消え去った。
 白い箱に残されたほうにできるのは、待つことだけだ。ストーナーとラファサは、隅に腰を下ろした。キイは壁にもたれかかり、通信機に声をかける。
「探査艇が上に辿り着くまでどれくらいかかる?」
『早くて24分といったところです。その前にライナさんがバックアップ・システムを起動するかもしれませんが……しかし、気になります』
「何が?」
 ストーナーが顔を上げる。
『メインシステムのことです。なぜ、今まで気にかけなかったここの管理システムに手を回したのか』
 ゼクロスの安心させるような声を聞きながら、キイは、天井の隅に目をやっていた。そこには、小さな監視カメラがあった。
「気に入らないな……
 彼女は、まるで敵に見張られているような、落ち着かない感覚を覚えていた。
 ストーナーもそれに気づき、立ち上がりかけた途端、バランスを崩した。
「きゃっ!」
 突然浮遊感に襲われ、ラファサが悲鳴を上げる。キイはエレベータが加速すると同時に壁に手を伸ばし、身体を支えた。
 吹き飛ばされそうなほどの、下からの圧力。エレベーターは突然、普段ではありえない速度で地下に向かっている。
「どうなってる、ゼクロス?」
『今、地下1階を通り過ぎました。このままでは――』
 ガン、と、衝撃が突き上げた。キイは壁に背を寄せたまま、膝をつく。
「問題は、どうやら私たちに悪意を持っているらしいということだな」
 キイが沈着につぶやく間に、エレベーターは上昇を開始する。こんどは、重力が倍加したような圧力が3人を襲った。
『なぜ、そこに皆さんが乗っているのがわかったのでしょう?』
 通信機から、ゼクロスの心配をにじませた声が流れる。
 キイは首に力を入れて、カメラを見上げた。その監視カメラも、管理システムの警備区画に所属しているはずだ。そして、管理システムは狂ったメインシステムに操られている。
 キイは、必要最低限の動作でブーツのかかとに仕込んだ小さなナイフを抜き、カメラのレンズに投げ放った。激しく揺れているにもかかわらず、ナイフはレンズの真ん中を貫き、奥深くにまで突き刺さる。
 その途端、エレベータが停止した。
『人間の姿を感知したら攻撃動作を行うように設定されているのでしょうか……ライナさんが心配です。ガードロボットが配置されているようですし』
 いわゆる警備に当たるロボット、ガードロボットは、サブマシンガンくらいではびくともしないだろう。
「ライナさん……
 ラファサが祈るように手を組み、天井に空いた穴を見上げる。キイが跳びあがってふちに手をかけ、身体を持ち上げた。天井に腰をかけて見上げたところで、彼女は溜め息を洩らす。
 太いパイプが3本、その先端をはるか上の闇に隠していた。壁には錆びついたハシゴが続いている。
『ずいぶん下に来てしまいましたからね……。ゲートの入り口も閉じているかもしれないし、早く手を打たないと』
 遠くから、爆音が響いた。空気の震えに何か予感を抱いたのか、キイはエレベーターのなかに跳びこんで戻る。
 数秒の間を置いて、何かが天井に落下してきた。
 ラファサがストーナーにしがみつく。エレベーターが大きく揺れる。普段は気にならないことだが、吊るされた箱のなかにいるのだ、という実感がわく。
 揺れがおさまるまで、キイも息を殺していた。
「今の爆発は一体……。状況は、一刻を争うらしい」
 と、彼女は金属の何かに塞がれた天井を見やる。どうにかして、ここを出なければ。そう、ASを使ってでも。
 彼女が決意して左の手首に右手をのせた時、ゼクロスがその思考を中断させた。
『方法はあります。情報センターのプロテクトを破ればそちらに接続できる。一瞬でも接続できれば、独自のグリッドを確保できる自信はあります』
「しかし、問題はその後だろう。1度接続してまた別のグリッドを使うのでは、相手に警戒させるスキを与える。それに、中核にアクセスできないままでは……
 ストーナーが反論した。グロイスに到着もせず、準備もできないうちにうかつに接触したくないのだ。
『コードのパターンの分析は進んでいます。それに、ライナさんの安全を確保できさえすればよいのです。先ほどの爆発から推測するに、ライナさんがガードロボットに発見された可能性が高い。事態は切迫しているのですよ!』
「しかし、調査の前にきみに問題が発生したら……
『私より、ライナさんの命のほうが大切です』
 決然として言った宇宙船搭載電子頭脳のことばに、ストーナーは少なからずショックを受けた。
……そんな風に、考えていたのか? どういう意味で?」
『わかっています、しかし』
「その話は、後だよ」
 キイが首を振り、2人の会話を遮った。ラファサが、期待と不安の混じった表情でキイを見上げる。
 キイは、腕時計を外して少女に渡した。彼女自身は、いつものイヤリング型通信機でゼクロスと連絡をとることができる。
 手を天井に向け、ASを起動する。闇の中に火花が散り、天井の上に乗った金属の塊を蒸発させた。
「んじゃ、行って来るよ」
 1度、不敵な笑顔で振り返ると、軽く天井まで跳び上がる。まるで、体重を感じさせない動き。
 いや、ASを使えば、空も飛べるはずだ。その力を見極めるように、ラファサはキイの姿をじっと凝視したまま、見送った。

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