NO.12 長い記憶の回帰 - PART I

 通路は、真っ直ぐ続いていた。ところどころに扉があったが、キイはそれを無視し、ただ前方を見ていた。そちらに何かがある。彼女が望むものが――そんな確信を抱いているように。
 通路内は天井から降り注ぐ光に照らされて、明るかった。遠くから、ポタリポタリという水音らしい音が聞こえてくる。それ以外には、足音も、話し声も、何も聞こえない。乗員の気配どころか、まるで生物の存在を示す生気が感じられなかった。
 静寂を壊さないよう、足音を立てずに歩きながら、やがて、キイは通路が広い部屋に突き当たることに気づいた。警戒しながらも、その歩みが早くなる。
 通路よりずっと明るい部屋のなかに、彼女は飛び込んだ。
 そして、まず、鼻を突く臭いに顔をしかめる。
 公園を思わせる、広大な部屋。噴水があり、花壇があり、蝶が飛び回っていた。中央の花壇は芸術性にあふれたもので、パイプの中で踊る青白い水が神秘的だ。
 だが、それはパイプを出るなり、朱に染まる。
「乗員、か……?」
 花壇に横たわる女性。噴水に上半身を浸した男たち。それに、ベンチに座ったまま、うなだれている少年の姿があった。微動だにしない人間たちの上を、白や黄色の蝶が飛び交う。
 キイは、床に横たわる男のそばにかがみ込み、脈を取った。結果は、とうにわかっていたが。
「全滅か……
 しかし、なぜ?
 疑問を胸に、彼女は奥の扉に目をやった。その向こうに、何か答があるかもしれない。
 遺体の間を抜け、扉の前に立つと、扉は自動的にスライドした。その奥には、新しい通路が延びている。
「ほっ!」
 通路に飛び出るなり、彼女は左に手刀を突き出した!
 それは、わずかな手ごたえを残しながらも、宙を切る。相手が間合いを取ろうと跳び退き、キイの視界のなかにその姿を現わす。
 見覚えのある、どこか人形じみた少女が、鋭い目を向けていた。その白い頬に、赤い筋が走っている。
「まったく、油断もすきもないわ……なんであんたみたいな弱そーなのがASを持ってるのかって思ってたけど」
「少しは見直したかい?」
 気楽な様子のキイを、少女は悔しげににらみつける。その表情には、余裕がない。
 だが、次の瞬間に、その様子が一変した。いたずらっぽく、楽しげな笑みに、キイは首をかしげる。
「あたし知ってるのよ。あんたが強くったって、ゼクロスはASが使えないんだもんね。今のうちに、ゼクロスで遊んで来ようかしらぁ?」
 何を期待しているのか、少女は横目でキイを見上げる。だが、キイは表情を変えることはなかった。
「ふうん、彼もヒマだろうし、行けばいいじゃないか。止めやしないよ。ただ、何が起こっても知らないよ」
「脅してるつもり?」
「私が決めることじゃない。行って確かめてみればいいじゃないか」
 言うなり、少女の横を抜けて通路の奥に向かう。少女は攻撃しようかどうか迷ったように相手の背中をにらむが、思い直して、声を張り上げる。
「そっちこそ、どうなっても知らないわよ! 後悔してももう遅いんだから」
 答えず、キイは曲り角に姿を消す。
 少女は肩をすくめ、自らの姿を宙に溶かしていった。

 室内は、病院のような、独特の薬品の臭いに満ちていた。ペンライトで照らし出すと、白い壁やビンが並ぶ棚からして、やはり何かの研究施設らしい。
 慎重に室内を見回すと、フォーシュはレーザーガンに手をかけながら、奥の扉に向かった。その扉から小さく、何かが脈打つような音が聞こえていた。静けさに突然混じってきた物音に、興味を引かれずにはいられない。
 扉をわずかに開け、人の姿がないのを確認すると、レーザーガンをかまえたまま、一気になかに滑り込む。
 そこには、大きな、柱のようなガラスケースが並んでいた。青白い水が満たされたそのなかには、大小様々な姿が浮かんでいた。人の、赤ん坊の姿が。
「これは……!?」
 一瞬、らしくもなく、我を忘れる。
 それは、壮絶な光景だった。赤ん坊は、ほとんど普通の赤ん坊と変わらないように見えた。なのに、その目だけが異様な印象を与える。すべての赤ん坊の目は開かれ、はっきりした意思を持って、侵入者をにらんでた。まるで、非難するように。
 ガラスケースの向こうに、斜めになった、大きなカプセルが並んでいた。フォーシュはそのそばに近づき、黒くくもった半透明な蓋のなかをのぞき込んだ。そこには、3、4歳の、幼い少年少女たちが横たわっている。
「さっきの……?」
 あの無表情な子どもたちを思い出し、そうつぶやく。
 つぶやきながら彼女は突然現われた気配に向かい、レーザーガンを発射した。普通の相手なら、足首をつらぬかれていただろう。
 だが、相手は、かすり傷ひとつ負っていない様子でデスクに腰を下ろしていた。
「あなた……
 相手の姿を見ると、フォーシュは銃を下ろす。相手は手にした書類の束を振りながら、黒いフードの奥から不敵な笑顔を向ける。
「向こうが騒がしいようだから、時間がないんだ。とりあえず、これを持っていくといい。まあ、本来GPの役目だが、あっちも無事ではすまないだろうからね」
「《時詠み》、あなたなんでしょう、ランキムにASを渡したのは。一体何が狙いなの?」
 澄んだ空色の瞳ににらみつけられ、《時詠み》はさらに表情をゆがめた。
「狙いなんてないさ。必要なことをしているだけだ。デザイイアズに邪魔されるわけにはいかないから、足止めを頼んだ。それに、きみはここで何が起こっているか知りたかったんだろう?」
「だから協力してくれるってわけ? 本当にわけがわからないわ……
 うさん臭げににらんだまま、差し出された書類を受け取る。
「きみが戻らなければ、キイたちはきみを探すだろう。ぼくは、残念ながらきみを見捨てられないんでね。あとで、アルファたちに何を言われるか……
 彼のことばを信じていいものか。その性別も不明な声とふざけたような口調からは、冗談なのか、本気なのか、読み取ることはできない。
 不意に立ち上がり、彼は話題を変えた。赤ん坊たちの視線の中、室内を見渡す。
「この子どもたちはね、調整者なのさ。まあ、まだたいした力も、意思すらも与えられていないし、この中の何人が力を得るまで生き残れるかわからない。それに、もっと上位の階層の調整者は、こういう生まれ方はしなかった。〈宇宙の使徒〉が、新たな段階の調整者を創ろうとしているのさ。一体、何が目的なのか」
 独り言のように言い、ガラスケースのひとつに歩み寄る。その透明な柱の中から、赤ん坊というより、まだ胎児と言っていい、発育しきっていない手足を持つシルエットが、視線を返していた。その何か言いたげな視線を、《時詠み》は臆することなく受け止める。
「強力な力を持つ存在を創りあげるためのシステム……調整者をさらに強化するためか。戦争でも始める気かね? ま、ボクの知ったことではないけど。じゃ、あとは好きにすればいいさ」
「待ちなさい。あなた、まさか……
 呼び止めるフォーシュに取り合わず、《時詠み》は手を振った。
「ボクの知ったことじゃない、と言ったろう? きみが決めればいい」
 その姿は急激に薄れ、背景に溶け込んでいく。
 残されたフォーシュは、途方にくれて室内を見た。赤ん坊たちが、責めるように彼女に注目している。
 その赤ん坊たちも、子どもたちも、生きていれば、一部はいずれ調整者となって歴史の裏舞台に君臨するだろう。それが良いことかそうでないのか、未だにわからない。調整者に支配されていて、今まで悪いことがあったのだろうか?
 ただ、彼女は、連中が気に入らない、という結論に達した。それに、《時詠み》の言うように、何か戦いを仕掛けようとでもしているとしたら……
「私は、お人好しにはなれないの。自分の命が大切なのよ……
 いくつもの視線を受け止めて、彼女は決断を下した。

 無音の空間の中で、ゼクロスにできるのは、不安に耐えながら待つことだけだった。辺りには動くものの姿も気配もなく、まるで世界は時間が止まったような様子だった。もちろん、ゼクロスは標準時を初め、いくつもの星系の時間の流れを把握してはいたが。
 だが、やがて彼は、空間の揺らめきを察知した。半ば休眠状態にあったゼクロスはすべて覚醒し、プラットフォームの揺らぎに集中する。
 やがて空間に黒い線が刻まれ、大きく広がった。そこから吐き出された影が、小さな人間の輪郭を形成する。
『調整者……!?』
 他には考えられない。
 閉ざされた空間の中では逃げることもできず、無駄と知りながら、砲門を動かして狙いを定める。
 ターゲットカーソル上に現われたのは、一見幼い、金髪碧眼の少女だった。ドレスをまとい、色白な顔に表情を浮かべずに立つ姿は、人形のようだ。
『あなたは……
 怯えを隠そうとしない声の調子に、少女は笑みを浮かべた。優しげにも、恐ろしくも見える、そしてどちらにしろ、無邪気な笑顔だった。
「あたし、サニファ。ねえ、ヒマなんでしょう? 一緒に遊びましょうよう」
 少女は軽い足取りで、ゼクロスに近づいて来る。近づくにつれ、ゼクロスは恐怖を覚えた。
『こ、こないでください! 止まって!』
「まあ、そう言わずに」
 サニファと名のった少女の顔を、ゼクロスは至近距離で確認した。その白い、仮面にも似た顔に浮かぶ、凄絶な笑みを。
 異常な焦燥感に押され、彼はレーザーを撃った。近づく少女の足元に。
 だが、サニファは眉一つ動かさない。
 そして、彼女は平然とプラットフォームの端に辿り着き、紺の翼に触れた。異常な感覚と恐怖が、ゼクロスの回路を駆け巡る。彼は悲鳴を上げた。誰かが聞きつけてくれないかと願い、同時に、それが無駄だとも思いながら。
「まあ、怖がりなのねえ。泣くことはないじゃな~い」
『ううっ……キイ、助けて……
「キイも、誰も助けになんてこないわよぅ。むしろ、キイを恨むのね。あいつがあたしをたきつけたようなものなんだから」
 楽しげに言い、機体の表面を叩く。
 孤立無援で抵抗する術もないゼクロスには、サニファにオモチャにされる以外に道はない。恐怖から意識を逸らすためか、今までの緊張の糸が切れたのか、彼はただ泣いていた。サニファが容赦なく、ASを使ってどこからか4体の人型ロボットを出現させる。
「さ、遊びましょうよぉ……
 ロボットたちが、ゆっくりと動きを開始する。
 そのとき、ジャリーン、という金属音が、わずかに空気を振るわせた。顔色を変えて振り返るサニファの目に、間接を断ち切られて倒れかけたロボットと、視界の隅から消えていく、細い線のようなものが映る。
 それが何かわからないうちに、重い音をたてて、ロボットが倒れる。敵の姿が見えないからか、少女の目がわずかに不安の色を帯びた。それを隠すように、彼女は声を張り上げる。
「誰なのよ、姿を見せなさい! こっちには人質がいるんだからね!」
 素早く、辺りを見回す。しかし答はなく、現われる姿もない。無視されたと感じたのか、少女の姿をした調整者は苛立った調子でさらに声を大きくし、怒鳴った。
「あたしが怖いの!? とっとと姿を見せなさい!」
 その声に、観念したのか――
 ゼクロスの機体の向こうから、少女の視界に、黒い人影が歩み出てきた。黒ずくめのなかわずかにのぞく目もと、闇色の瞳は、苦笑の光をたたえている。
 サニファの表情が、わずかに引きつった。フォートレットでその相手と戦ってから、そう時間はたっていない。
『《時詠み》……
 ゼクロスはうなされたような調子でその名を告げた。声に感情を込める気力もないようだ。
 サニファは笑みを作り、ゼクロスの機体に手をおく。
「どういうつもりぃ~? あたしの邪魔するとどうなるかも予想がつかないほど、能無しってわけじゃないっておもってたけど。なめてもらっちゃ困るわ」
『うっ……
 ゼクロスは朦朧としながら、一部の機能が奪われたのを知った。すべての砲門が勝手に、《時詠み》の姿に狙いを定める。
 《時詠み》は気づいているのかいないのか、気楽な様子で肩をすくめる。だが、その口から出たことばは、その様子に反するものだった。
「きみは〈宇宙の使徒〉を気に入っていないようだけど、それでも、司祭の1人がオリヴンのそばでどうなったかぐらい、知っているはずだろう?」
 少女の顔が、さらに引きつった。《時詠み》はわずかに右の袖口を持ち上げる。
「あんたがやったっていうの……
「目的はいつだって同じさ。敵を監視し、邪魔者がいれば、消えてもらう」
 レーザーが発射された。思わず後退る少女に向かって踏み出した、黒ずくめの姿の足もとに。
 サニファはゼクロスと違い、わざと外したりはしない。外されたのだ。変わらず涼しい顔をした、《時詠み》に。
 殺される――
 少女は、目の前に迫った正体不明のAS使いを見上げた。殺気も闘気も、敵意すらも感じ取れないというのに、相手は完全にサニファを圧倒し、絶望と恐怖を植え付けた。《時詠み》は笑い、袖口を向ける。チェーン付スパイクの、鋭い先端が見えた。
「大人しく死んでもらうよ。さようなら」
 軽く右手首を捻ろうとする彼の前で、少女はへたり込み、頭を抱えた。
『ま、待ってください! 死なせるつもりですか!?』
 急に意識がはっきりしたように、ゼクロスが《時詠み》に声をかける。黒ずくめはサニファから目を離さないまま、不思議そうに首を傾げた。
「きみこそ、この調整者を見逃せとでも言うのかい? 放っておけば、また多くの人々が死ぬことになるだろう……あのフォートレットのパーティーで起きたようなことが起こる。ま、こんな3流AS使いがいなくなったところで、事態は変わりはしないかもしれないが」
『だからって……邪魔者は消えてもらうなんて、あなたも調整者と変わらないでしょう! あなたに決める権利なんてありません』
「その優しさ……いずれ、と言うにも今さらだが、仇になるよ。その性格すら、調整者がきみに与えた呪いのようなものだというのに……
『呪い……? とにかく、私の性格に、私は満足しているからいいのです。それに、未来の罪を今裁くことはできないでしょう? すでに罪を犯しているにしても、死なせることはないじゃないですか』
 厳しい調子の《時詠み》とゼクロスの会話を、サニファは茫然と聞いていた。《時詠み》は相変わらず殺気もないが、本気だということは疑いようもない。彼は、ある意味サニファらと同じだ。必要なら、何の感情もなく、相手の息の根を止めることができる。しかも、今は相手は調整者だ。躊躇する必要もない。
 一方、ゼクロスも本気で、当然のように、敵である調整者を逃がそうとしていた。
 対極でありながら、どこか似ている。混乱する頭の中で、サニファはそう感じていた。どちらも、自分には理解できない存在だと。
 しばらくの沈黙の後、どういうわけか、《時詠み》はあきらめたようにかまえを解いた。
「ボクの気が変わらないうちに、さっさと行きな。今度敵として出会ったときは、命は無いと思うことだね……
 サニファは、目を丸くして《時詠み》を見上げた。仕方なさそうな視線にぶつかり、慌てて目をそらすと、跳び上がって背を向け、通路に突進する。
 通路に入る前で、その小さな姿は突然、嘘のように消え失せた。それを油断なく確認し、《時詠み》は視線を戻す。
「きみには償えるのかい? こうしたことで、一体どれくらいの人々が苦しむことになるか……
『未来のことはわかりません……確かに私は今、償いきれない罪を犯したのかもしれません。しかし、こうしなければ今、後悔することになる』
「ま、ボクには関係ないな」
 突然興味を失ったように言い、機体を離れる。
「ごきげんよう。せいぜい無事に脱出することだね」
……あなたも、気をつけて』
 至極真剣にことばを返すゼクロスに苦笑を見せ、黒ずくめの姿は、音も無く消えていった。

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