NO.1 宇宙の使徒 - PART I

『おはようございます、キイ。現在、ネラウル系時間で午前7時30分です』
 半円形のブリッジに、透き通るような、中性的で美しい声が響いた。
 ブリッジは白を基調としたシンプルな造りで、一般的な百メートル級宇宙船に比べかなり大きなほうである。それにしては、コンソールは必要最低限しか備えられていないようだった。船を制御する航法コンピュータへの指示は、音声入力を主としているのだろう。
 コンソールの並ぶ正面モニターの逆方向、人の肉声ならざる音声出力が向けられた相手――ブリッジ内に入ってきた人物は、長い黒髪をベレー帽に突っ込んだ、一見20歳前後の、画家志望の美少年にも見える風体の女性である。
 その名は、キイ・マスター。この、人工知能XEX――ゼクロスを搭載した宇宙艦のオーナー。その本名、年齢、出身地等を知る者はいない。
「時間なんて、移動すれば変わるものだろう」
 彼女は肩をすくめ、室内を見回した。モニターが並ぶ正面は整然としているが、その反対側には本や小物が雑然と並んだ棚がある。雑然としてはいるが、高速移動時の圧力の被害を受けたわけではない。操縦スタッフ用の席は十近くあるが、すべて埋まったことはなかった。
「今は、艦内時間では午後6時25分だよ」
『それぞれの土地の文化を大切にしろと言ったのは、キイ、あなたですよ』
「ここに来るごとに朝の挨拶を聞いている気がしてね」
 すねたように抗議するゼクロスに答えながらいつもの艦長席に座ると、彼女はメインモニターの左右に二基ずつのサブモニターのひとつに、その漆黒の瞳を向ける。画面のなかでは、深淵の闇をバックにした白と紺を基調とする小型宇宙船が、青白く輝く巨大な輪、CSリングに囲まれてたたずんでいた。機体の周囲には、いくつかの数字や文字列が並んでいる。
「何かおもしろいことはあったかい?」
 船に異常がないのを確かめると、彼女は退屈そうに尋ねた。一呼吸の間も置かず、ゼクロスは応答する。
『本艦の状態を含め、ネラウル系内では、特に変わったことはありません。GPは忙しそうですが、いつものことでしょう。少なくとも、AS搭載船が出撃するような事件はありません』
「ふうん。ロットは大変だな」
 知り合いのGP――ギャラクシーポリスの刑事を思い出し、キイはぼやいた。GPは、複数の惑星間に渡る事件などを取り扱う、惑星連合直轄の特殊捜査組織だ。
「こっちは何も無しか。なんだ、つまらない。時空要塞でも出てくればいいのに」
『あるいは宇宙海賊や、《時詠み》ですか?』
 宇宙船制御コンピュータは、嫌そうに付け加えた。彼らが並べたてた名は、どれも、強力な力を持つと噂される者たちである。
『よしてください……そんな生きた伝説に出てきてもらっては、私が迷惑です。戦いにならないなら、いいのですけどね』
 その声が、後半、わずかに調子を変えた。当然キイは聞き馴れた声の異変に気づく。
「どうした?」
 必要最低限のことばに、即座の応答。
『正体不明の戦艦を3機捕捉。別の1機が攻撃を受けています。となりの星系ですよ。攻撃を受けているのは……ルータです』
 それを聞くなり、キイはわずかに眉をひそめた。
 ルータは、高い文明レベルをもつ平和主義な惑星エルソンの、最大にて最新の宇宙船だ。実は、人工知能が搭載された宇宙船のようなものは、まだそう多くはない。その少ない存在のなかに、ゼクロス同様ルータも含まれていた。ルータとそのクルーたちは、キイやゼクロスとは何度も仕事を同じくし、わりと親しい関係にある。
 キイは当然のように、短く声をかけた。
「発進」
『了解しました。ハイパーAドライヴ、ワープモード機動』
 ゼクロスも、言われるまでもない。メインモニターの映像が切り替わり、光線となった星が、スクリーンを流れ落ちていく。それはゼクロスがわかりやすく加工したものであり、見えるそのままの光景というわけではないが。
 左右のサブモニターのひとつには、目的地までの進路が表示されていた。
『超拡張空間に突入しました。復帰まで6秒。5…………
「まあ、ルータのバリアを破れる兵器がそうそうあると思えないがね」
 クッションの効いた背もたれに寄りかかりながら、キイは天井を仰いだ。
 惑星エルソンは攻撃性に欠ける反面、防御機能に力を注いでいる。その回避・防衛に関わる技術は宇宙一の呼び名も高い。
「相手がウワサの海賊のように、AS使いでもなければいいね」
 安心するのはまだ早い、という思い入れで、キイはボソリと付け加える。
『怖いことを言わないでください。しかし、その心配はなさそうです』
 思わずカウントダウンをやめて、ゼクロスが告げた。モニターの映像が一瞬ブラックアウトし、次の瞬間、3機の宇宙の闇に同化しそうな色の戦艦と、半透明な、美しい船を映し出した。白と黒だけの世界に、芸術品と称される青白い船と、その周囲で弾ける虹色の光が鮮やかに輝く。
『異相スライド完了。出現ポイント、基準点よりルータから南東45度、水平地点』
 ルータへの砲撃はかすりもしていない。ハイパーAドライヴを停止すると、ゼクロスは安心してチャンネルを開いた。
『やあ、キイ、ゼクロス。いいところに来てくれた』
 人の声とは微妙に違う――しかしゼクロスのものではない、快活な、そして落ち着いた声がブリッジに響いた。キイは、その声の調子でいつもの通りだと確認する。
「やっぱり大丈夫そうだね。でも、このままでは身動きが取れないだろう」
『3機は通信に応じようとしません。何者なんでしょう?』
 交信を試みたゼクロスが報告する。その間にも、攻撃は続いていた。やがては、3機の中の1機が、ゼクロスにも砲門を向ける。
「平和的な解決は望めなそうだな……ゼクロス」
『はい。敵砲門を狙います』
 戦艦の1機が発射した魚雷の一撃がゼクロスに飛んだ。しかしそれはゼクロスの機体を囲むリングに当たり、爆散する。ゼクロスは予想通りの指示に即答すると、何ごともなかったかのように3門のレーザー砲を起動し、同時にレーザーを放った。
 3本のレーザーはいつ狙いをつけたのかわからない早撃ちにもかかわらず、発射されたと同じ瞬間に、正確に相手の唯一の兵器を射抜いていた。
『敵艦、撤退します。追いますか?』
「いや。追ってどうなるものでもない。とりあえずGPに通報」
『了解』
 その会話の間に、3機の戦艦は消し飛ぶようにモニター上から消えていた。戦艦としては特に速いほうではない、とゼクロスは分析したが、人間の目で追えるものではない。
 それを確認すると、ゼクロスはためらうように言った。
『なんだか、はぐらかされたような、妙な気分です』
「説明がつかないからかい? 私も、わけがわからないが」
 ゼクロスと同じ疑問を、キイも抱いていた。
 ルータのバリアの強力さは知れ渡っている。そうでなくても、すぐに攻撃が通用しないことはわかったはずだ。なのに、逃げ去った戦艦たちはかなり長い間、攻撃を続けていたようだ。
「ルータ。被害は?」
 キイは、一旦疑問を置いておくことにした。
『ゼロだよ。ありがとう、急ぎの用なんだ。フラクサスIIIに救援物資を届けなくては』
「フラクサス III?」
 フラクサス III はかつて、高度なホログラム装置を造り出し、栄えていた。他の技術レベルはそう高くないが、他の惑星との交流も盛んで、豊かな惑星だった。しかし近年、フラクサス政府に反対する過激な宗教団体、〈宇宙の使徒〉と慢性的な戦争状態にあり、他の惑星との交流もほぼ断絶していた。
『エルソンは戦争の手助けなどはしない。しかし、つい最近、ソネア火山という大きな火山が噴火してね。そのために妙なガスや妨害電波が発生し、ふもとの村が孤立しているのだよ』
 ルータは説明しながら、メイン・ドライブを起動させた。今にも飛び去ろうという様子のエルソン船に、慌ててゼクロスが声をかける。
『待ってください。まだ戦争状態なのでしょう? それと関連してかどうかはわかりませんが、また攻撃される可能性もあります』
「そうだな。今、ヒマだし」
 ゼクロスのことばに、キイはあっさり同意した。2人は以前にも、ルータの護衛を引き受けたことがある。
『ありがとう。任務が終わったら御礼をするね』
 できるだけ物資を積めるようにということで、ルータはクルーを乗せていない。その事実からしても事態が急を要することが知れるが、上の判断を要することをその場で相談できない不便がある。彼は惑星エルソンにある本部とのチャンネルを開き、状況を報告した。攻撃を受けたことを聞いて愕然としたクライン艦長らは、キイとゼクロスのことを聞くとほっとした。何度か仕事をともにし、彼らはキイたちを信頼している。GPなどにはその存在を煙たがる者もいるが。
 報告を終えると、2機は並んでメインドライヴを起動した。ネラウル系のとなりにはジザイオ系があり、そのとなりにフラクサス系がある。そう遠い距離ではない。
 間もなく、メインモニターの中心に青緑の球体が浮き上がる。モノクロの世界にたたずむ鮮やかな惑星は、正にオアシスのようだ。
『キイ?』
 艦長席で足を組み、どこかから持って来た、表紙に『正しい悪人の苛め方』と書かれた本を開いていたキイは、ゼクロスの声に異変を聞き取り、顔を上げた。ゆるみきっていた表情が一変し、その目に鋭い光が宿る。
「ああ、何だい?」
『GPが引き返すように警告しています。フラクサス系からの退去を勧告し、ランキムを向かわせている模様です』
 同じ警告を受け取ったのだろう。ルータが停止し、ゼクロスもそれにならった。
 本をパタンと閉じ、キイは溜め息とともにことばを吐き出した。
「何が起こっているのかわからない」
 現状を一言で表現する。
『GPはどういうつもりだろう? 私には任務があるというのに』
「とにかく、私とゼクロスは、ルータ次第だよ。任務を中断するにせよ、しないにせよ」
 ルータは母星エルソンの本部に指示を仰ごうとチャンネルを開いた。しかし、通信可能域にもかかわらず応答はなく、代わりに、ノイズが妨害の存在を告げていた。同じく通信を試みて、ゼクロスもそれを確認した。
 進退窮まったそこに、さらに異変が追い討ちをかける。
『惑星付近に妨害電波が発生しているようですが……キイ、4機の不明船がこちらに向かっています。例の戦艦と同じ型のようです』
 めまぐるしい状況の変化に、キイは肩をすくめた。こうなった以上、何も知らぬまま撤退する気にはなれない。
「惑星の裏に回りこんで降りよう。わざわざ相手にする必要もない。どうしても戦争したいなら、後でまとめてやってやるさ」

 GP所属戦艦、ランキム。人工知能を搭載した、GPのNO.2と言われる戦艦だ。実力のわりに実績が伴っていないのは、ひとえに運のなさかもしれない。
「2って、中途半端なのが1番ダメなんだぞ」
 GPの若き刑事、ロッティ・ロッシーカーは、疲れ切った様子で背もたれに寄りかかりながらぼやいた。
「また、あいつらに関わることになっちまった」
『そこで文句を言っていてどうにかなるものではありません。進路を修正します』
 乾いた声が事務的に告げた。艦名と同名の航法・戦術AI、ランキムだ。数少ない、超A級人工知能である。
「まあ、いいじゃないの。何にでも首を突っ込むのはキイたちの習性みたいなもので、悪気はないんですもの」
 艦長席の後ろから、ロッティの部下の1人、技師兼刑事、テリッサ・ユーロンが笑う。その結い上げた黄金色の髪も、明るい性格も、『太陽のような』という枕詞がよく似合う。
 そのとなりの席にもう1人のクルー、レオナード・オークスが腰を下ろしている。
「キイとゼクロスはともかく、フラクサスの連中が厄介だ。なかにはAS搭載船もあるらしい」
 フラクサス系の情報が表示されたモニターから整った顔を上げ、ロッティよりいくつか年下らしい青年は視線を向けた。
「ASか……
 後方をチラリと振り向き、前方に視線を戻してから、ロッティは渋い表情を作る。
 AS――アストラルシステムは、量子力学的情報を操る装置だ。使い手によっては、強力な兵器にもなる。GPのナンバーワン戦艦であるデザイアズもAS搭載船であり、実際には、デザイアズとランキムの戦闘力には天地の差がある。
 そのASの開発者は、ゼクロスと、ゼクロス自身の開発チームだ。キイとゼクロスもAS所有者であり、AS提供者であるがゆえにGP上層部に感謝され、強力な力を持っているがゆえに疎まれてもいた。
「ま、キイとゼクロスがAS搭載船の相手をしてくれるだろう。こっちはエルソン船を守るのが任務さ」
 レオナードはどこか突き放したように言い、席の背もたれにもたれかかった。まるで、事件はもう解決したというように。
 組んで1ヶ月余りだが、ロッティはどうもこの部下が好きになれなかった。GPの利益のために働いているような様子が気に入らない。
「シュルファンに急行だ。面倒なことになっていないといいが」
 しかしもちろん内心の不信など表情には出さず、ロッティは進路を確認した。

「どういうことですか?」
 珍しく本当に驚いて、キイはきき返していた。
 ゼクロスとルータは大気圏に突入するなり、フラクサス軍に囲まれ、フラクサスの首都シュルファンの郊外、岡の上の空き地に誘導された。工事が中断されている無人の飛行場の滑走路だ。戦いのために中断されているのだろうか、普通戦争時は飛行場が使われるはずだが……と、キイは思う。
「ああ、本当だ。証拠映像もある。そこの宇宙船が我々を攻撃したのは事実だ」
『攻撃ですって? 私が?』
 隊長らしき男のことばに、ゼクロスが心外だという声を上げた。
「罪状は説明するから、誘導に従え。抵抗すればどうなるか、わかっているだろう」
 キイは、こめかみに冷たく硬いものを感じる。レーザーガンの銃口が、彼女に突きつけられていた。
 あまり滑らかとは言えない古い滑走路に、2機の小型の宇宙船が並ぶ。その周囲を十数台の白いエアカーが取り囲み、窓から顔を出した屈強な男たちが、手にかまえたレーザーガンを一点に向けていた。小柄な、少年にも見える姿の女性の頭に。
 キイは、自分がゼクロスに対する人質にされたことを自覚した。彼女は保安部長のエアカーに乗せられる。
 エアカーに先導され、ゼクロスとルータはシュルファンの軍の基地内の外れにある大きな建物に大人しく収容された。
 ほとんど倉庫のようなドックで、キイもともに、保安部長いわく『証拠映像』を見せられる。
 フラクサスの紋章をつけた闇色の戦艦が3機。それを、一方的に攻撃するゼクロス。砲門を破壊され、退却する戦艦たち――。
『そんな! 私の記録と違います』
『私の記録とも違う。保安部長、この記録は誰が?』
 暗い航宙ゲート内に、抗議の声が響く。プラットフォームには隊長と、2人の警備員、そしてそれに囲まれ、キイの姿があった。
「攻撃された中の1機だ。他の2機も同じ内容さ……なるほど、お前たち、〈宇宙の使徒〉にホログラム発生装置で何か吹き込まれたんじゃないか?」
『そんなはずありません!』
 映像技術専門家を自負しているゼクロスは、強い調子で反論した。そして軍の映像の鑑定を申し出たが、あっさり却下された。キイの身の安全をたてにされればどうしようもない。
 保安部長は容赦なく宣告した。
「我が軍を攻撃したことは変わらない。しばらくここにいてもらう。ルータは攻撃していないが、傍観していたので共犯とする」
 一方的な判定にもちろん納得はいかなかったが、キイは何も言わず、基地の地下の一室に監禁された。いつも身につけているイヤリング型マイク兼スピーカーや、隠し持っているスタナーも、取り上げられる。
 警備員の足音が遠ざかり、やがて聞こえなくなると、キイは肩をすくめた。
「何もないな……
 金属性の冷たいドアに触れ、しっかりとロックされているのを確認した後、彼女は薄暗い室内を見渡した。窓はもちろんのこと、椅子も、テーブルも、ベットも、調度品と呼べるものは何一つない。ただ、天井の四角いパネルが淡い光を放ち、隅に監視カメラのレンズが光っているだけだ。
 立方体の室内を見回しながら、彼女は左の手首、袖の下にある腕輪型の装置に触れた。その感触は、どこか安心感を与える。
「ま、ゆっくりしていくか」
 気楽に言い、奥の壁を背にしてあぐらをかくと、航宙ゲートに思いをはせる。自らのASとゼクロスのASを通し、閉じたまぶたの裏に、ゼクロスのセンサーの一つが捉えているであろう映像の一つを描く。
 ゼクロスとルータは小型の宇宙船である。ルータはエルソン船では最大であるものの、優れた収納技術のため、エルソンの輸送船はどれも他の惑星のものよりひと回り以上小さい。それでも、この建物は窮屈だった。
 狭く薄暗い場所に押し込められたゼクロスを、プラットフォームに立つ人物が、さらに憂鬱な気分にさせる。しかし、彼は黙っていた。
 隊長はもとよりゼクロスに用はないという調子で、ルータに向かって口を開いた。
「明日、うちのスタッフを乗船させる。救援物資はありがたく受け取っておく」
 保安部長はほとんど押し付けがましいような口調で告げると、去っていこうと背を向ける。そこに、ルータは必死に食い下がった。
『私の任務は村の人々に物資を届けることです。きちんと届けられたことを見届ける義務があります』
「エルソンに、逮捕されたせいでできなかったと報告するんだな」
『映像を中継すればいいだけでしょう』
「妨害電波のせいでできない。わかってるだろう」
『そのために、輸送できないからと私が呼ばれたのでしょう。どうやって届けるのですか?』
「さあな。上が決めることだ」
 面倒臭そうに言い、プラットフォームを去っていく。静寂の中、靴音だけが、カツカツと高く響いた。
 人間の姿が完全に消え去った後、ゼクロスが沈黙を破った。
『横暴です』
 その美しい声に力を込め、彼は断定する。しかし、すぐに思い出したように調子を変える。
『ルータ、大丈夫ですか?』
 映像技術の他に、彼はカウンリングという特技を持っていた。その声を聞くだけで、大抵の者は心が安らぐと言うが。
『私は大丈夫だよ。しかし、村の人たちが心配だ。だいぶ弱っているようだし、早く食料を運べればいいが、どうもここの人たちは信用できない……
『そうですね……
 言いかけて、ゼクロスは何かに気づいたように沈黙した。
 周囲に人の姿がなくなったと見て、キイがASを通して呼びかける。
『そっちも今は大丈夫のようだな。ゼクロス、ルータ。監視カメラは停止してある』
 ゼクロスの外部スピーカーから、キイの声が流れる。ゼクロスは慣れきっているが、突然のことに、ルータは愕然としたらしかった。
『なに? キイなの? どうやって?』
 驚きと同時に、おもしろがっているような、好奇心に満ちた声にで問う。逆に気圧されたのか、ゼクロスは戸惑い気味に応じた。
『は、はい。ASを通して会話しています』
『えーえす?』
『アストラルシステム。量子力学的情報を操る装置さ。思いつくことは何でもできるが使いこなせるだけの意志力を持った者は少ないし、代償として存在自体を消費しているようなものだから、多用はできない』
『ふーん』
 キイの説明に、ルータはわかったようなわかってないような声を出した。
……それより、キイ、ここはおかしいと思いませんか? 惑星ネットワークに接続できませんし、基地内の様子、それにあの映像……
『戦争中には見えないな。まるで準備だけして放り出しているみたいだ』
 航宙ゲートを見、そちらの会話に注意を向ける一方、自身の周囲も警戒しながら、キイは同意した。
『あの映像は、私たちの知らないうちにホログラム発生装置を使われて騙されたものとは思えない。かと言って、惑星外まで効果を及ぼす巨大な装置がこの辺にあるとも思えないな』
 部屋に連れてこられるまでの間、キイは基地内を観察していた。内部はどこも狭く、建物自体、航宙ゲート以外は小さなものだ。
『強力な妨害電波を発生させている装置も一緒にあるでしょう。この狭い基地内にあるとは思えませんね。外にある戦艦はスキャンしてみましたが、違います。ただ、戦艦の何機かは惑星外に出ているでしょう』
 例の戦艦との交戦の映像のことを考えると、戦艦のどれかにホログラム発生装置が搭載されていたとも考えられる。
『そうか……じゃ、もう少し待ってみるか』
 つぶやき、キイはASでの交信を止めた。
 ドアの外に近づいた足音が通り過ぎていくまで、彼女は目を閉じたまま、じっと考えをめぐらせていた。

 窓一つないため視覚的に実感するのは不可能だが、今は深夜1時過ぎだと、キイは直感した。部屋の隅の冷たい床に横たえた身体を起こすより先に、ASで航宙ゲートと自身の部屋の付近を探る。
 キイは悪いと思いながら、ゼクロスの意識を安らかな眠りから引っ張り上げた。
『あ、キイ……?』
「悪いね。でも、どうやら脱出する必要がありそうだ」
 音声を伴わない情報のやり取りを行いながら、壁を背にしたまま立ち上がる。彼女は、部屋に近づく、十余りの気配を感じていた。
「とりあえずルータを起こしといてくれ。こっちも適当にやっておくから、援護はよろしく」
『キイ?』
 キイの周囲の異変に気づいてか、急激に不安にかられたらしいゼクロスとの通信を切り、ドアの横に立つ。息をひそめ、彼女は待った。
 もともと物音ひとつしない静寂のなかに、今は張り詰めた空気が広がっていた。長いような短いような緊張も、確実に1秒を刻み続ける時に押し流され――
 それは、轟音とともに終わりを告げた。キイの横で、金属性の厚いドアが吹っ飛ぶ。次いで、プロテクターをまとった屈強の男たちがなだれ込もうと、開かれた部屋の入り口に殺到する。
 先頭の男を横目に捕らえた瞬間、キイは腰を落とし、足払いをかけた。
「なっ!?」
 不意を突かれた男は転倒し、出入口を塞ぐ形になった。勢いをそがれ、続く男たちが立ち止まる。
 彼らの正面に跳び出し、キイは右手のひらを向けた。その手のひらから、青白い光が閃き、真っ直ぐに男たちを貫通していった。ASを使って発生させた、操作された雷撃。
 身体の中心に衝撃を感じたかと思うと、男たちはバタバタと冷たい床に倒れていった。
「ごめんよ」
 見晴らしがよくなったところで、脱出した捕虜は身動きの取れない男たちを踏みつけ、通路に出る。通路は部屋に劣らず暗く、どこか監獄を思わせた。
 注意深く辺りを見回すと、彼女は歩き始める。
「ゲートは上だったな……

 キイとの交信が切れるなり、ゼクロスは簡単に基地のシステムをのっとった。ホログラム技術以外はそう進んでいないこの惑星のプログラムを騙すことなど、超A級AIであるゼクロスにとっては易しいことだ。
『お返しです』
 ゼクロスはまずセキュリティシステムを制御下に置き、監視カメラの映像を奪い、細工し、密かに差し替えた。妨害電波により接触できない部分は、すべて破壊。環境システムを暴走させ、別のブロックに火災を発生させて注意を引きつけているうちに、キイが平然と、いつの間にか姿を現す。
『キイ、無事で何よりだね』
「ああ、しかし本当に火事を発生させるとはねえ」
 ルータに軽く手を上げて答え、キイはプラットホームを悠々と歩いてきた。ゼクロスはハッチを開け、ラダーを降ろす間もなく跳び移る唯一のクルーを迎える。
『これなら、火事の映像を疑われないでしょう?』
「でも、過激だなあ。いつものきみならもっとスマートにやると思うが」
 ハッチに跳び移るキイをブリッジに回収しながら、ゼクロスは意外そうなそのことばを無視して言った。
『あなたが無事でよかった。そうでなければ、私は初めて殺人を犯していたかもしれない』
「嘘だな。きみはそういう風にはできていない」
『わかっています。言ってみただけです』
 ゼクロスは遠隔操作で建物の天井を開け、ルータと並んで上昇。薄い光を受け止めながら、2機はフラクサスIIIの空に逃れた。

 ロッティはモニターに映し出された基地の映像を眺め、疑問を抱いた。
 彼はすでに政府に連絡をとり、着陸許可を待っていた。いざとなればGPの権限で着陸を強行することもできるが、いきなりそうするのは彼の流儀ではない。
 しかし何だかんだと理由をつけて、政府や軍は着陸許可を先延ばしにしていた。最初からこうなるとわかっていたとはいえ、そろそろロッティがイライラしてきたころ、ランキムが通信を妨害されていることを報告する。ランキムの通信機能はその程度の妨害はものともしないが。
『妨害電波の出所は複数です。いくつかは基地内からだと思われます。基地内では騒ぎが起きている模様です』
「キイたちだな。気は進まないが、手を貸してやろう」
 背後のレオナードの視線を気にしつつ、ロッティはランキムに指示を下した。
 ランキムは基地内の様子を探り、ゼクロスがほとんどの機能を奪っていることを感知する。ただ、ほとんど手つかずなのは音声系統だ。ゼクロスの得意分野が映像なら、ランキムの専門は音声や通信である。ランキムは軍の通信系統に虚偽の情報を流し、ゼクロスの作戦に補強証拠を加えた。
『しかし、ほとんど必要なかったかもしれません。ゼクロスは本当に火事を起こしているわけですから』
 しかし、火事が起きただけでは全員がそこに引きつけられるわけではない。情報が行き届かない可能性もあり、そうでなくても、誰かがキイを警戒するかもしれない。できるだけの人数をキイから引き離すため、情報操作は密かに大きな効果を上げていた。
「あいつらのことだから、自力でもいくらでも脱出できるだろ」
 モニターの画像が基地内の建物のひとつに寄った。真四角の建物の屋根が2つに割れる。
 現れたのは、紺色の翼の機体と、青白く輝く美しい船。
 GPの戦艦の姿を認めると、キイはすぐに声をかけてきた。ブリッジのメインモニターに、キイ・マスターの姿が映し出される。
『やあ、ロット。ご苦労様。ランキムが手を貸してくれたのだね』
「大した助けにはなってないだろうけどな。今回は災難だったな」
『戦争の真っただ中よりはマシだろうけども。我々にはともかく、大変なのはここの人々さ。もう乗っ取られている。そういうことなんだろう?』
 政府は、戦争などしてはいない。戦争はすでに終わっているからだ。今政府や軍を取り仕切っているのは、ホログラム発生装置によりもとの官僚の姿を偽装した、まったくの別人である。
『問題は、ホログラム発生装置がどこにあるかだな。それだけ大勢の姿を変えるくらいの高度なものだ。いくら技術が進んでいるといえ、大がかりな装置だろう』
「ランキムの分析では、首都周辺や、外を回っている戦艦にはない。外の戦艦は、追って来るGPの応援が抑える予定だ」
『GPは戦争の手伝いをする気かい?』
 ロッティは顔をしかめた。GPもレオナードのように、恩を売って損はない、という考えなのかもしれない。確かにフラクサスの政府を味方にできれば有利だろう。
 彼が答えないでいると、キイはあっさり話題を変えた。
『まあ、我々の目的地は火山のふもとの村だよ。有毒ガスが発生していると言うなら、救出活動も必要かもしれない。火山は着陸の降下中に見たけど、どこまでが事実かねえ』
 この惑星のどこまでがホログラムかわからない――という調子で、しかしどこかおもしろがるように、彼女はモニターの中で肩をすくめて見せた。
『エルソンに連絡をよこしたのは村の人だよ』
 疑いを向けられたと感じたのか、ルータがことばをはさんだ。
『映像を見せようか?』
 彼はゼクロスとランキムに映像を転送した。モニターに、1人の中年男性が映し出される。頬がこけていて、ひどく思いつめた表情をしていた。
  薄暗い部屋の中で、彼はもうすぐ食料がつきそうなこと、火山の噴火で村が孤立していること、最近妙な妨害電波のせいで通信が難しくなり、これを最後のチャンスと思い、エルソンへ向けての通信を放ったことを告げた。
 その映像が切れるなり、ゼクロスが告げる。
『キイ。今の男性はフラクサスの大統領アルカス・オライオンです。映像に細工されたような跡はありません。間違いありません』
『音声データもそれを示している』
 ランキムがつけ加える。
「つまり、ホログラムを使って政府をのっとった〈宇宙の使徒〉は、もとの政府の人たちを村に閉じ込めたの?」
「あるいは、大統領たちが逃げ込んで、追いつめられたか」
 テリッサとレオナードの会話を聞きつつ、ロッティは艦長席で背筋を正した。
「やることは決まった。村へ行って話を聞く。ランキム、メイン・ドライブ起動。キイたちは……止めてもついてくるんだろう」
『もちろん』
 溜め息交じりのことばに、3つの返事が重なる。
『座標、ソネア火山。メインドライブ起動』
 ランキムの無感動な声が響く。
 ゼクロス、ルータもそれにならい、3機は灰色の空を翔けた。

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