魔術師たちの決闘

 広い草原に、一本の、土が剥き出しになった道があった。それは円形の城壁に囲まれた町の真ん中を抜け、緩やかに波打つ丘の上へと続いている。町の西側には、木々に覆われた低い山がそびえていた。
 その道を、一人の旅人が歩いていた。黒いマントにローブという、見るからに魔術師らしい出で立ちをした少女である。黒目黒髪で、一つに束ねた長い髪とマントが風になびいていた。
(ねえセティア、本当にあそこに偉大な魔術師とやらがいるの?)
 少女の頭の中に、少年の声が響く。距離を隔てたものと会話をすることができる、〈テレパシー〉と他人の目を借りてものを見ることができる〈ビジョン〉は、一般の人々にとっても割りと馴染みがある魔法だ。
「古い情報だそうからね。わたしも半信半疑だよ」
(会えたらいいな。それに、図書館があるんだよね)
「シゼルは読書好きなのかい」
(本を読むことくらいしかできることがないから。今は、もっとたくさんのものを見たり聞いたりできるけどね……感謝するよ)
「珍しい。気持ち悪い」
(ひどいなあ、まったく)
 すねたようなことばに苦笑を洩らし、少女は眼前に迫った白い城壁を見上げる。二人の門番が立つ入り口から、人の姿が行き交う通りと、その両端に並ぶ露店が見えた。
 門番は、特に武装しているわけでもない。旅人がそばまで来ると、親しげに声をかけて来る。
「ようこそわが町へ、旅のお方。ここへは、観光で?」
「まあ、そんなところです。できれば、図書館訪問と、偉大な魔術師にお会いできたらいいなと思っているのですが」
 セティアが言うと、若い門番は首をかしげ、一度もう一方の門番と目を合わせた。
「魔術師……ですか? 山の魔術師の噂はありますが」
 彼は、西の山に視線を向けた。高い山ではないが、角度が急で、針のような木がびっしりと生えた、見る者に〈険しい〉ということばそのままの印象を与える山である。
 もう一方の、少し歳のいった門番が、詳しい説明を付け加えた。
「昔から、あの山に悪い魔術師が住んでいて、この町を支配しようと狙っている、という言い伝えがありますが、ただの噂でしょう」
(聞いていたのと違うね)
 セティアは、頭の中でシゼルのことばに同意する。
「そうですか。残念です」
「まあ、図書館は見所だよ。あと、暇があれば、町中を見て回るといい。芸術と触れ合えるよ」
 どこかおもしろがるような表情の門番の言葉に、今度は、セティアが首を傾げた。
 しかし、通りに出て間もなく、彼女とシゼルは彼のことばの意味を知ることになる。
 通りは、多くの人々で賑わっていた。人々に紛れて歩いていたセティアは、露店が並ぶ脇で、制服姿の男たちが一人の老人の周囲に集まっているのに気づく。その集まりの周囲に、さらに人垣ができかけていた。
 人垣が厚くならないうちに、速足で集まりに近づく。ある程度近づくと、集まりの中央にあるものがわかった。
 それは、勇壮な戦士の像だった。鎧や兜の模様まで、細かく彫りこまれている。材質がどことなく安っぽい白い石なのが玉にきずだが、像の存在感と美しさは、それを補って余りあるものだった。
(わー、すごい。芸術作品だね)
 周りに居並ぶ野次馬たちも、シゼルと同じような感想を抱いているらしい。皆、感動を表して戦士の像を見上げている。
 そんななか、制服姿の髭をたくわえた男だけが、不快の表情を浮かべていた。
「じいさん、困るんだよ。いつもいつも、無許可で勝手に石像置いて」
 セティアは身を乗り出して通りの奥をのぞき込んだ。見ると、石像は一定の間隔で並んでいる。神官だったり、騎士だったり、あるいはドラゴンのような、人間外の姿をした像もある。
 白髪に白髭の老人は、屈託のない笑みを浮かべて言った。
「まあ、いいではないかい。ここら辺は木も少ないし、殺風景だ。何か注目を引くものがあったほうが露店の売上も増えるだろう」
「しかしじいさん……
 困ったような制服の男に、彼の部下らしい制服姿の青年たちが笑みを向ける。
「まあまあ、いいじゃないですか。邪魔になるものでもないし」
「街中が観光名所になりますしね」
 そのことばに、周囲の見物人たちからも同意の声があがる。部下からも人々からも反論されて、髭の男は苦虫を噛み潰したような顔をする。その彼に向けて、老人は相変わらずにこやかに声をかける。
「いつも申し訳ありませんな。次は警備隊長殿をモデルに彫りましょうか」
「ばっ、馬鹿なことを言うな! 行くぞ!」
 老人から目をそらし、彼は部下たちを怒鳴りつけた。若い部下たちはがっかりしたように肩をすくめ、元気なく返事をして、すごすごと退場する警備隊長のあとに続く。人々は、おかしそうな表情でそれを見送った。
 ほとんどの者たちは石像より警備隊と老人のやり取りが目的だったのか、それとも像はいつでも見物できるためか、間もなく人垣は崩れ始める。
 人々がいなくなる間、老人は知り合いに声をかけながら、布きれで石像を拭いていた。
 やがて、道行く人が足を止めて眺めることはあるが、像のそばで見物しているのはセティアだけになった。それに気づいた老人が、ボロボロのバッグに布きれをしまいながら声をかけて来る。
「お嬢さん、旅の人だね? どうだい、なかなかのものだろう? 長年やってると、素人も玄人に変身するってものさ」
「他の像も……すべてお一人で?」
「ああ。北の丘に鉱山跡があってね、そこに転がってる岩を再利用しようと思ったのさ。老後のたしなみってやつだよ。是非、あちこちにある像を見ていってくれ」
 そう言い残して、老人はバッグを肩に下げ、軽く手を振ってセティアの前から去って行った。
 シゼルの希望もあり、セティアは老人の勧めに従って街を見て回った。街の各所に、美しい芸術作品である石像を見ることができる。ときには、橋の上や墓地の真ん中など、変わった場所にも置かれていた。しかし、それぞれの石像は完全にその場に一体化していて、違和感はない。
 町中を見て回った後には、すでに太陽が沈みかけていた。
「図書館は明日にするか。時間をかけて、色々読んでみたいし」
(そうだね。今日もいいもの見れた。満足、満足)
「そりゃよかった」
 セティアは街の中央部にある宿屋に部屋を取り、夕食を済ますと、その日は早めにベッドに入った。

 翌朝、彼女は早速、宿屋からそう遠くない図書館を訪れる。想像以上に大きな建物に、想像以上に多くの書物が収められていた。
(凄い。世界一、かもね)
 シゼルが嘆声を洩らす。
 セティアは、カウンターの向こうに座っている、少し眠たげな顔をした女性に声をかけた。
「凄い数の本ですね。この街には、出版社も多いんですか? それとも、すべて貿易で買い付けてるとか」
 その問いに、司書の女性はあくびを噛み殺しながら答える。
「いいえ。実は、これみんな、ある人物からの寄贈なの」
「寄贈? 一体誰が……
「それが、わからないの。毎月、いつの間にか裏口の前に本が積んであって、〈人々へのプレゼント〉というメモが残されているだけで」
「そうですか。ありがとうございました」
 わずかな間を空けて礼を言い、セティアはカウンターを離れた。
 早朝ということもあってか、利用者は彼女の他に、二、三人というくらいだった。館内が広いので、他の利用者が視界に入ることはまれである。
 セティアはしばらくの間、シゼルにせかされるがままに、小説や旅行記を本棚から取って開いていた。大きな四角いテーブルの隅に座り、ページをめくっていく。
(色々なジャンルの本があるね。寄贈してくれる人はお金持ちなんだろうな)
(貿易商とか? それにしても……
 頭の中で答えて立ち上がり、セティアはある一角に並ぶ本棚群に近づく。そこに収まった本は、どれも限られた人間のみが読む、魔法書だ。
(街の図書館に、こういう本をたくさんプレゼントするだろうか……
 彼女は、魔法書の集まった本棚の周りを歩き始める。そして間もなく、その範囲の大きさに気づいた。
 魔法書は、館内の本棚の、じつに三分の一近くを占めていたのだ。魔法書は、当然のことながら、一般の書籍に比べて種類も発行部数も少ない。ずいぶん重複もあるだろうが、それでもこれだけ多くの魔法書を集めることはかなり困難だろう。
 一冊を手に取り、分厚い表紙をめくってみる。セティアも見覚えのある内容の、有名な基礎魔術の本だった。
(そっちにあるのはエノク語辞典……あ、あれはネクロノミコンだね。本当に色々そろってるね)
 セティアが使うような黒魔術に縁はないものの、魔法に関する知識はそれなりに持っているらしいシゼルが、おもしろそうに言う。
 本をパラパラとめくり、最後のページに行き着いたセティアは、後付を見て眉をひそめた。
「おかしいな……
 ボソリとつぶやくのを、シゼルだけが聞いている。
(どうかしたの?)
「ああ、あるべきものがないんだ」
 答えて、手にしていた本を戻し、別の魔法書を取って開く。今度は中身は見ずに、最後のページの後付を開いた。作者や発行年月日、出版者の名前などが記されている。一見、普通の本にもある後付と変わりない。
 だが、そこには確かに、彼女が求めるものは無かった。
(どうしたの?)
「魔法書には、必ず封印の法紋が描かれているはずなんだ。ここで誤って魔族を召喚したりすることのないようにね。あるいは、それに加えて図書館自体にも封印を施しておくのだけど、それもないようだし」
 説明しながら、もう一冊取って、開いてみる。その本にも、封印の法紋は無かった。
(それがないと、どうなるの?)
「普通、色々と悲惨な事件が起こるはずなんだけど……。ここは、そういうこともなさそうだな」
 本棚の間から出てカウンターに目をやると、司書の女性があくびをしながら分厚い本のページをめくっていた。

 結局宿に二泊したセティアは、町に来て三日目の朝、街を出た。丘の上に続く道を登りながら、昨日読んだ本のことを考える。
(やっぱり、あの小説が一番おもしろかったな。あの、人形たちが冒険する話)
「そうかい? あれは現実味がなさ過ぎるよ。わたしは、魔術師ローバンの実験録かな」
(そんな、色気の無い……
 不意に、セティアは立ち止まった。シゼルも、ただならない雰囲気を感じ取る。視界が西の山を捉え、そして、その上空に舞った黒い影が近づくのを追った。
 黒い影は、大きなコウモリだった。それは、数メートル前までやってくると、形を変える。
(うわっ、何?)
 現われたのは、黒いマントをまとった、三〇歳半ばくらいの、きつい目をした男だった。その外見と雰囲気、周囲を包む魔力から、魔術師であることは明らかである。ナナカマドから掘り出したらしい杖は漆黒に染められていた。
 男はセティアをにらみつけ、杖の先端を突きつける。
「わたしの力の礎になるがいい!」
 杖の先に赤い点が生まれ、間もなく燃えさかる炎の球となった。セティアは眩しさに目を細めながら、後ろに跳び退いた。
 火球は、放たれたと同時に吹き消された。男はわずかに表情を変えながら、呪文を唱える。
「マーク・アマンよ、盟約に従い、その怒りをここに示せ!」
 青白い光が閃いた。火花を散らしながら、きらめく舌が伸びてくる。
「死ねえ!」
 狂気の形相でにらみつける男の前で、セティアは動かない。ただ、電撃がその肌に触れようとすると、薄い液体の膜が彼女を包み、攻撃を遮った。
 そして、一瞬膜の一部が厚くなったかと思うと、爆発が起きた。
 男が、噴出した蒸気に包まれ、姿を消す。
 蒸気が消えたとき、そこには折り曲げられた杖と、黒いマントの切れ端が残っているだけだった。
(山の魔術師……?)
「そうみたいだね」
 セティアは、何事も無かったように平然と言った。そして、襲撃者の残骸には目もくれず、再び丘の上の道を歩き始める。
 道は、徐々に上へと向かっていた。トンネルのような木々の間をくぐりながら、セティアはふと思いついたように言う。
「本を寄贈していたのは、あの男だったのかもね」
(どうして?)
「町を混乱させることができるはずだ。いや、できなかったのだけど……
 溜め息交じりに付け加えて、木々のトンネルを出る。ほんのわずかだが暗い場所にいたため、太陽の光がまぶしい。周囲は遮るものがなく、青空と草原を区切る地平線がはっきり見えた。
 目が慣れてくると、セティアは町のほうを振り返った。円形の城壁に囲まれた街を見渡すことができる。
 その街並みに、セティアとシゼルは驚いた。
(なるほど……凄い芸術だね)
 少し間をおいて、シゼルは静かな声で言った。
「偉大な魔術師の業、でしかありえないね」
 うなずき、自身高名な魔女は、賛辞を送った。
 家々が並び、通りが四方にのびた街並み。
 そのあちこちに、白い点が打たれていた。そして、その点はある形を描いている。それは、魔法から対象を守るという、封印の法紋のひとつだった。
 セティアはしばらくの間、町を見下ろしていた。だが、やがて地上から視線を外し、歩みを再開する。
 街が木に遮られて見えなくなる前に、彼女は一度だけ、振り返った。
「最高の芸術は、最高の魔法にもなるってことさ」