思い出にする日

 そこは、左右を崖に囲まれた、山道の周囲に広がった町だった。山道とはいえ、標高はそれほど高くない。
 立ち塞がるようにそびえる白い門をくぐり、一人の少女が街のなかに入った。長い黒髪に黒ずくめの姿は、淡い茶色の土を固めて造られたこの町の中ではひどく目立つ。特殊な素材のマントとローブから、一見して魔術師だと知れた。
 彼女は通りの端を歩きながら、辺りを見回した。通りに沿うように小川が流れていて、子どもたちが遊んでいる。通りには、土を固めたブロックを積んだ馬車や、荷物を運ぶ大人たちが行き交っている。
 少女は宿を探し、中心部へと進んでいった。間もなく道が十字になった、開けた場所に出る。
 正面左手側に、宿屋らしい二階建ての建物があった。その宿屋の前に、老若男女、十人ほどの人間たちが集まっていた。その中心にいる十代半ばくらいの、黒髪の少女が来客に気づき、母親らしい女性の袖を引っ張った。
 皆が振り返ると、少女が旅人に走り寄った。
「お姉さん、旅の人?」
 少女は何かを期待するように、相手を見上げて言った。相手は小さくうなずく。
「ああ。そうだよ」
「あの、泊まっていきませんか? あたしの家、宿屋なんです! 次の街まで、半日くらいかかりますよ」
 言われて、旅人は空を見上げた。太陽はすでに地平線にかかろうとしている。今この街を出ると、今夜は野宿になるだろう。
「そうだね、お願いしよう。わたしはセティア。きみは?」
 少女は嬉しそうに笑った。
「あたし、リュアです。よろしくね!」
 少女はセティアの手を引き、宿のなかに入っていった。

 建物は土のブロックでできているが、内部の壁は白く塗られた木の板で補強され、清潔そうだった。部屋は広く、簡素だが、必要な物は一通りそろっている。
(さっき、あの人たち、何を話していたんだろう?)
 セティアの頭のなかに、少年の声が響いた。この、二階の部屋まで彼女を案内してきたリュアは一旦姿を消し、室内にいるのは彼女ただ一人になっている。
「ああ。事件、という感じでもなかったけど、ただならない雰囲気だったね」
(ここに泊まってるのはセティアだけみたいだし、宿のなかで何かあったとも思えない)
 セティアが声に出さずに答えたことばも、相手に通じている。遠くにいる者と話すための魔法、〈テレパシー〉の効果だ。
「後で、あの子に聞いてみよう」
(リュアか。あの子、奇妙な感じがする)
「奇妙? シゼル、どういうことだい」
(さあ、よくはわからないけど。魔力とか、そういうのではない。それなら、セティアもわかっているはずだしね)
 セティアは荷物を置き、マントを椅子にかけた。そして、ふと、ガラスのない窓に歩み寄る。穏やかな風が流れ込む四角い窓からは、下の様子を眺めることができた。左手側に小川が見え、正面には、二つの墓石が見える。一つは大きく、もう一つは小さかった。
(ここの家の人のかな?)
 セティアがうなずきいて口を開きかけたとき、「失礼します」と声をかけて、再びリュアが姿を見せる。部屋にドアはなく、代わりに、厚手の布が入り口に垂れ下がっている。
「セティアさん、この街、まだ見て回ってませんよね? 良かったらあたしが案内しますよ」
 彼女はセティアに歩み寄り、相手が窓を背にしているのを見た。そして、その窓から何が見えるか、すぐに気がついたらしい。
「ここ、お墓が見えるんですよね、忘れてました。嫌ですか? お部屋、替えましょうか?」
「いや、いいよ。ご先祖様のお墓かい?」
「ええ……と言っても、おじいちゃんだけだけど。おじいちゃんの代に、ここに越してきたんです。それと……お姉ちゃんです」
「ああ……案内、お願いするよ」
 一瞬ことばを失ったセティアは、取り繕うようにそう言った。
 リュアのほうは、暗い表情を見せることなく、終始笑顔だった。セティアは客の前だからかとも思ったが、どうやら心の底からの笑顔のようだ、と思い直す。久々の客がよほど嬉しいのか。
 少女は明るい笑顔で、セティアの袖を引いた。
「夕食までに終わらせましょう。さ、早く早く」
 二人の少女が部屋を出て、通りに向かう。
 それを、宿の主人とその妻が、廊下から見ていた。
「そういえば、さっき集まっていた人たち、何だったんだい? 親戚?」
 リュアの後をついて通りを西に向かいながら、セティアは気になっていたことを尋ねた。宿の前に集まっていた人々は、セティアが宿に入って間もなく解散したようである。見たところ、皆地元の者らしかった。
 リュアは、振り返らずに答えた。
「近所の人たちと、役所の人たちです。実は、この街には特別なルールがあるんです。後で、お話しますよ」
 道にそって川が流れていた。彼女は、その川の上流に向かっている。そこには小さな湖があり、その湖は遺跡の一つになっているという。この街の数少ない名所だ、とリュアは説明した。
 家々が並ぶ西区を出ると、道の幅が狭くなった。それから間もなく、小さな丘の上にある円形の湖に辿り着く。
 湖というより、人工的な溜池のようだった。石造りの円形プールに水が湧き、そこから川が流れている。淡い緑の水を透かし、底に刻まれたレリーフが見える。それは、文字や怪物の姿に見えた。
「ここから、水を供給しているんです。大昔の魔法の遺跡だと言われています。この水があるから、あたしたちは生きていける。町の人はみんな、感謝しています」
(魔力を感じる。セティア、何かわからない?)
 シゼルが声をかけた。その心の声は、リュアには聞こえない。
 セティアは膝をつき、湖の底をのぞき込んだ。
「これは下位魔法語だね……ええと、『忠実なる大神フォゼドのしもべたる兄弟たちに、命の源たる母ネスリアの祝福あらんことを』、『緩やかなる流れのゆりかごに抱かれて眠り、再び海と地のなかに生まれたまえ』……だってさ」
「凄い! 読めるんですか? 初めて聞きました!」
 楽しそうな、そして尊敬のまなざしを向ける少女に、セティアは立ち上がり、頭をかいてうなずいた。
「ああ、まあ……。それより、さっき言ってた特別なルールってなんだい?」
「ああ、そのことなんですけど」
 リュアは持って来たバッグを開け、何かを取り出した。そしてそれを、セティアに向かって差し出す。
 それは三枚の金貨だった。上等の宿に三泊できるくらいの金である。
 受け取るべきなのかどうか反応に困っている相手に、リュアはいたずらっぽく笑って説明した。
「実は、この街では初めて訪れた旅人にお金が出るんです。『思い出を作る金貨』と呼ばれています。この街をよい旅の思い出にできればと。だから、これはセティアさんのものです」
「変わった決まりだね……本当にいいのかい?」
「ええ、受け取ってください」
 セティアは押し付けられた金貨を受け取り、一度、まじまじと眺めた。労働などの対価として受け取ったのではないせいか、自分のものになった、という実感がわかない。何かはぐらかされたような妙な気分で、財布代わりのポーチに入れる。
「セティアさん、何かお買い物ありますか? この街は交易が盛んで、結構大きな市場があるんですよ。キレイなアクセサリーを売ってるお勧めの露店があるんです。それに、おいしいデザートが食べられるお店もあるし」
 リュアは期待に輝く目でセティアを見上げた。何を期待しているのだろう、と魔女は思う。もともと自分の物ではないお金については、何を期待されてもいいような気がするが。
 とりあえず宿代がただになるだけでいい。たまには無駄遣いをしてみようか。
 そう心を決めると、セティアはうっすらと顔に笑みを浮かべてうなずいた。
「ああ、行こうか。案内頼むよ」

 市場は東区にあった。木の板を継ぎ合わせただけ、あるいは広げた布の上に商品を並べただけのシンプルな露店が並んでいた。売り物は食べ物から工具や動物まで、様々だ。さすがに都会の賑わいには及ばないが、この街で最も人の姿が多い場所であることには違いない。
 セティアはまず、リュアに欲しい物を言って、保存食、カンテラ用の油など、旅に必要な物を買った。携帯食の店の主人に長持ちすると勧められて、この辺りの山奥にだけ育つという、表皮の硬い、楕円形の緑の果物を三つ購入した。
「いいんですか?」
 果物を渡されて、リュアは嬉しそうにきいた。
「ああ、毒見は一人じゃ怖いからね」
 硬い緑の皮は、縦に走った筋にそって引っ張ると簡単に取れた。なかには、瑞々しい白い実が詰まっている。それを、二人の少女は歩きながら食べた。二人はすぐに、水分が多く、甘い汁をこぼさないよう、完全に皮をはがさずに食べるのがコツだと気づいた。
 甘く、しかしさっぱりとしていて、少し酸味があった。いい買い物をしたな、とセティアは思う。
 歩きながら果物を食べ終えたころ、急にリュアが立ち止まった。その視線の先には、広げた布に並べられたアクセサリーがある。
 彼女は店の前にしゃがみ込むと、アクセサリーの一つを手に取った。赤い玉石を果実に見立てた、可愛らしいイヤリングだった。
 セティアがふと周囲を見回すと、行き交う人々のなかに、リュアと同年くらいの少女の姿がいくつか視界に入った。皆、アクセサリーを身に着け、綺麗な服で着飾っている。一方、リュアは動きやすそうな、飾り気のない服だ。
 家の手伝いのために、遊ぶ時間もないのだろうか。そう思いながら、露店をのぞき込む。
「おじさん、これ買います」
 ポーチから金貨を取り出す彼女を、リュアが驚いて見上げたが、何も言わなかった。
 店の主人に代金を払い、店を少し離れたところで、セティアは困ったようにイヤリングを手にしている少女を振り返った。
「着けてみなよ。似合うと思うよ」
「そうですか……それじゃあ……
 にっこり笑って、イヤリングを耳につける。赤い玉石がだいぶ傾いた太陽の光を受け、きらりと輝いた。その可愛らしいシンプルなデザインは、少女のまだあどけない顔立ちによく似合う。
「似合うよ」
 いつも無愛想なセティアの色白な顔に、ほんのわずかな間だけ、ほほ笑みが浮かんだ。
「ありがとうございます! これ、ずっと欲しかったんです」
「年頃の女の子は、大抵お洒落したいものだからね」
(セティアみたいな変わり者もいるけどね)
 セティアはシゼルの思考を無視して、半ば地平線に沈んだ太陽をチラリと見た。
「まだ夕食には早いな。リュア、お勧めのお店、紹介してくれるんだろう」
「はい! こっちです!」
 露店が並ぶ通りの東の外れに、白い建物があった。建物の前には丸いテーブルと椅子が並べられている。なかなか盛況らしく、談笑する男女や親子連れの姿が目立った。
 空いているテーブルにつくと、エプロン姿のウェイトレスが注文を聞きに来る。
「リュアと同じものにしよう。お勧めは何かな?」
 リュアは一度メニューに目を落とすと、すぐに顔を上げた。
「ルリーシュの実のジュースと、ストロベリー・ムースクレープをお願いします」
 同じものを二つ頼むと、ウェイトレスは建物内にさがっていった。それから約五分後に、注文したデザートが運ばれてくる。
 ジュースは、淡い青緑の液体だった。いくつかの果実の汁を合わせた、さっぱりしたミックスジュースである。そのさわやかな味が、皿に盛られた甘いクレープとよく合った。クレープは新鮮な苺が使われていて、飽きがこない。
「どうです? おいしいでしょう?」
 リュアは、親指についた生クリームを舐め、尋ねた。
「ああ。ほどよく甘くて、これならいくらでも入りそうだよ。ま、カロリーが気になるからたくさんは食べられないけど」
「えー、甘いのは別バラ、ですよ」
「でも、たくさん食べると夕食が食べられなくなるよ」
 それを聞くと、少女は目を輝かせた。
「ええ、家のお母さんが作った料理はとってもおいしいんです! 焼きたてのロールパンは近所の人たちにも人気で、よく作り方を教えてあげるんです」
「秘密の作り方とかあるのかな。きみも伝授されたんだろう? これからも、秘伝の技として受け継いでいかないといけないし」
「ええ……きっと、きっとお母さんに負けない名手になって見せます」
 ほんの一瞬、そのあどけない顔に寂しげな表情がよぎった。
 セティアはそれを見逃さなかったが、リュアがすぐに笑顔に戻ったので、そのことには触れないほうがいいだろうと判断する。
 気がつくと、太陽がほとんど地平線の下に隠れていた。
 食べ終えると、セティアが代金を払い、リュアとともに通りを引き返す。行き交う人の姿も、先程より減っているようだった。
 宿に着くと、リュアは部屋までセティアを送る。
「今日はありがとう、リュア。楽しかったよ」
「いいえ。こちらこそ、色々買ってもらったりして……
 部屋の入り口の前に立ち、彼女は指先で耳に着けたイヤリングに触れた。銀色の葉をつけた木の実が揺れる。
「なに、案内してくれたお礼だよ」
 セティアが穏やかに言うと、リュアは一瞬、何かを迷うような様子を見せた。
 だが、やがて意を決したように口を開く。
「あの……あと一つだけ、お願いしてもいいですか?」
「ああ、何だい」
 首を傾げるセティアに、リュアは今までになく、ためらうように小声で告げた。
「あの……一回だけ、お姉ちゃんて呼んでいいですか?」
 彼女のことばに、セティアは、窓の外の墓のことを思い出した。不幸な事故か、それとも病気か。姉を亡くし、姉の分まで働いて両親を手伝ってきたのだろうか。寂しくても、ずっと笑顔を作ったまま。彼女は、自分に姉の面影を見ていたのか。
 本当のところは、本人にしかわからない。そう思いながら、セティアはうなずいた。
……いつでも呼んでいいよ」
「お姉ちゃん」
 リュアは笑った。
「夕食の準備ができたら、呼びに来ますね」
 言って、彼女は廊下の向こうへ姿を消した。
 それから間もなく、再び現われたリュアに呼ばれ、セティアは一階の食堂で夕食をとった。もともと泊まり以外の客の食堂も兼ねているらしく、他にも客の姿があった。メニューは、焼きたてのパンにカリカリのベーコンエッグ、山菜とキノコのスープ、フルーツゼリーと、質素だが手作りらしい、洗練された味のものだった。
 リュアは別のところですでに食事を終えたらしく、食器洗いを手伝っていた。
 食事を終えると、セティアはリュアに「おやすみ」を言って部屋に戻り、眠った。

 夜中、不意に騒がしい物音を聞きつけて、セティアはベッドから降りた。
(ふにゃ? どうしたの?)
 眠っていたシゼルを一応〈テレパシー〉で起こして、マントを肩にかけながら、廊下に出る。一階から、大勢の話し声のようなものが聞こえていた。
 燭台のロウソクに照らされた廊下を歩き、階段を下りる。降りてすぐのところに、昼間に宿の前に集まっていた者たちが顔を見せていた。そして、彼らに囲まれて、布の上に横たわっている、少女の姿。
(死んで……る?)
 シゼルがためらうように言う。
 横たわったリュアの青白い、まだあどけない顔には、安らかなほほ笑みが浮かんでいた。

「実は、この街には特別なルールがあるんです」
 この街の町長だという老人が、重々しく口を開いた。
「それは、住民が亡くなるとき、そして前もってそれがわかっていたとき、お金を出すのです。『思い出を作る金貨』と呼ばれています。最後に、そのお金で好きなことをするようにと」
「この子は、自分はお客さんに喜んでもらうのが好きだから、そのお金をお客さんにあげると決めたのです。でも、自分が死ぬことでそのお金を使うのを迷って欲しくないと……。だから、そのことを隠して欲しい、とわたしたちに言っていました」
 時折ハンカチで目もとを押さえながら、リュアの母は言った。その、娘と同じ色の瞳が、横たわる姿を映す。彼女の分身とも言える少女を。
 リュアは、姉と同じ病気だったという。もう余命いくばくも無いことを知り、『思い出を作る金貨』をあげる相手を探していた。そして、間もなくセティアがやってきた。
……こんなにすぐに亡くなってしまうとは思わなかった。でも、きっとあなたが金貨を手にしたから、笑顔で逝けたのだと思います。もし、あなたでなかったら……この日でなかったら、笑っていられなかったかもしれない」
 人々は皆、静かに横たわる少女を見ていた。まるで、安心させる、心を落ち着けるようなほほ笑みを浮かべていたから。
「そろそろ、儀式を始めよう」
 町長が沈黙を破った。
「儀式?」
「ええ。あなたもご覧ください。是非、あの子の最期を見届けていただきたい」
 男たちが布の両端を持って、リュアの身体を持ち上げた。それに、女性たちや老人が続く。
 宿の外に出ると、通りの両端に人々が並んでいた。掲げられたたいまつが、緩やかな風に揺れる。空には豪華なほどの星々がまたたいていた。
 大勢の人間に見送られて、リュアは辿り着く。丘の上の湖へ。
「母なるネスリアよ、フォゼドの元に生まれし我らが血族を、どうか新たな命の流れに導きください」
 皆は祈った。そして、成り行きを見つめるセティアの前で、リュアは湖に沈んでいった。
 途端に、湖の底が光り、少女の姿が消える。祝福するように淡く輝きながら、新鮮な水が溢れんばかりに湖を満たす。
 それを見ながら、しばらくの間人々は祈りを捧げていた。

 翌朝、リュアの両親は旅立つセティアに礼を言い、携帯食として焼きたてのパンを持たせてくれた。それをリュックにしまい、セティアは山道に出る。
(パンの他に、何かもらったの?)
 歩き始めて間もなく、片方の崖が消え、草原と遠くの山並みを眺めることができた。そこで、セティアは一旦足を止めて、ポーチから何かを取り出す。そして、取り出した何かを耳に着けた。
 鏡にそれを映し、彼女はほほ笑む。
「似合う?」
(まあ、物がいいからね。ここじゃ、誰も見る人はいないけど)
 セティアは苦笑し、再び歩き始めた。