エルトリア探訪日記

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・2008年08月12日:第47話 水の世界の終わる日(上)
・2008年08月12日:第47話 水の世界の終わる日(下)


第47話 水の世界の終わる日(上)

 一度の野宿を経てネタンに到着したわたしたちは、小さな、目立たないようにと選んだ飲食店で遅い昼食をとった。わたしは先生に、約束のデザートをおごる。
 そこで食べながら考えた作戦通りにわたしたちは動いて、数日を費やした。もちろん、この数日は時間の流れを遡っているわたしたちにとっての話だ。
 準備を終えて、やっと、未来へ踏み出す。幻術で姿を隠し、鍵を使って建物に入り、三人で装置の前に立つ。
 ――あの日の……わたしが最初にあなたに頼んで時間を渡った日の、朝に行きたい。
 ――了解。
 即座に変化が訪れた。
 ぴりぴりと空気の引きつったようなあの日の、中央公園の木陰にわたしたちは現われ、学長さんがコラールさんと話していた、あの小路の近くに身を隠す。
 やがて、角の向こうから近づいてくる気配。
「……必要な魔力を測ると、ゆうに世界すべての魔術師を合わせただけの魔力量を超えている。少なくとも数十名が耐えられぬはずです」 
 聞き覚えのある、穏やかな、でも緊張をはらんだ声。
 それに対し、若い、抑揚のない声が、溜め息交じりに答える。
「まったく……余計なことをしたものだ」
 ――これ以降の会話は、わたしにとってはすでに聞いたもの。二人の意見は決して噛み合うことなく、話し合いは決裂する。
 そして、慌しく駆けつける過去のわたしたち。
 それから間もなく。
「逃げなさい!」
 テルミ先生の鋭い叫びの直後に、低い声が指示する。
「追え」
 去っていく気配があった。過去のわたしを追いかける魔術師だろう。
「本当にこのようなことをするつもりなのですか……?」
 学長さんは守るように、前にいるビストリカのさらに前へと、一歩踏み出した。
 対峙する美青年の顔に浮かぶ色は、あくまで無表情。
「他に方法はない。これは、エルトリアという世界とそこに住む人々全体を救うためだ。そのために、必要な犠牲なのだ」
「そんな犠牲は必要ない」
 断定することばを遮る、突然の声。
 身を隠していた建物の角から現われたのは、もちろん、わたしと道化師さんとキューリル先生の三人。
 はっと身を引いたあと、目にただ警戒の色を浮かべて見ていたコラールさんや学長さん、それにビストリカとテルミ先生も、わたしたちがフードを取って顔を晒した瞬間、愕然とする。それも当然だ。ついさっき去っていったはずのわたしがいるだけならともかく、死んだはずの道化師さんとキューリル先生がいるのだから。
「なぜ……きみたちがここにいる」
 コラールさんは細長い杖を道化師さんに向けたまま、かすかに震える声で問うた。その仮面のように表情の少なかった顔に、初めて動揺が見える。
「あなたの知らない方法で、ですよ、コラールさん」
 何か言いかけたキューリル先生の口を塞ぎ、わたしが答える。
「わたしはこの場を立ち去ったあと、ずっと考えていました。誰も犠牲になることなく、エルトリアを水没から救う方法がないだろうかと」
「あるはずがない」
 相手は、にべもなく決め付ける。
「アクセル・スレイヴァとて、長きに渡り方法を考え続けてきた。この世界を救う、より確実で、安全な方法を。しかし、あらゆる可能性を検討した結果、最後に残ったのはこれしかなかった。エルトリアの者を誰一人死なせないためには、異訪者に身代わりになってもらうしかなかったのだ。かつて、同じことが行われたように」
 水陽柱の力が弱まり、異訪者が召喚されたのは今回が初めてではない。もし、かつて呼ばれたのも地球人たちなら、その人たちはこの世界で命を落とし、地球では行方不明のままになっているわけか。
 その事実に少し怒りとやるせないものを感じないでもないが、どうしようもない。今は、現在と未来が大事だ。
「それは、アクセル・スレイヴァ内だけでの話でしょう。世界を救う方法を考えていたのはあなたたちだけじゃありません。世界は魔術師だけのものでもないんですから」
「多くの魔術師の力が必要なのも、確かだがな」
 伝説の杖を手にした道化師さんがそう付け加える。
 そう、多くの魔術師の力が必要だから、優秀な魔術師には一人として命を落として欲しくなかった。道化師さんを助けに行ったときには、そこまで考えていたわけじゃないけど。
 コラールさんは警戒の目を向けたまましばらく考え込んでいた様子だったが、やがて、杖の先を下げた。
「いいだろう……話を聞いてみるくらいの価値はありそうだ」
 こうして、わたしはやっと、彼らが数分間を過ごす間に自分が体験して考えた、長い時間の中身を話せることになった。

 計画の変更がすべての参加者に伝えられたのは、数時間後のこと。さすがに、当日のうちに変更後の計画を遂行するわけにはいかず、日程は明日に繰り越される。
 集まった魔術師たちはネタンに宿泊し、あるいは、一旦住処に帰ることになった。わたしたちは留学中に泊まった建物を宿泊場所として与えられ、一夜を過ごすことになる。
 ただ、わたしは余りそちらには居ずに、夜遅くまで、中枢塔の一室に呼ばれていた。
「本当に、これで上手くいくのかね?」
 高価そうな机に向かって、やっぱり豪華な椅子に座った壮年の男性が、少し不安そうに聞いてくる。
「失敗して、取り返しのつかぬことになるような類の計画ではありません。失敗したら、そのときは本来の計画に戻す約束です」
 そう応じたのは、コラールさん。
 彼の言うように、わたしたちは、失敗したら元の計画に変えてかまわないという条件を出していた。ほかに方法が思いつかないのも理由のひとつだが、この計画ひとつに賭ける気持ちがあるからだ。
「計画そのものはそれでいいかもしれないが……」
 男性――名前はヒルズさんだったか、彼の目は、コラールさんの後ろのソファーに座っているわたしたち、中でもたぶん、道化師さんに向けられている。
「伝説によれば、魔王が討たれねばならぬはず……」
 これには、わたしが答えた。
「だから、過去の計画そのものを崩すんです。夢魔がどこからやってくるのか、誰にもわからないと聞いています。天上の水が地上に降りてくれば、その原因もいずれわかるでしょう」
 夢魔も、普通の魔物と同じように対処すればいいだけだ。実際、一流の腕を持つ魔術師は対夢魔用になる魔法も使えるものだし、今でも状況は大して変わらない。
 ヒルズさんの視線の先は、こちらにずらされる。
「もし、夢魔が爆発的に増加し、それを止めるために魔王を倒さなければならなくなったらどうするね?」
 その問いには、道化師さんが答える。
「そのときは、いくらでも命を差し出そう。どうせ、そうなるとしたら地球人たちが帰った後の話だ。わたしは魔術師、アクセル・スレイヴァの意向には滅多なことでは逆らわないさ」
「そのときになったら、わたしもできるだけ犠牲を出さないための方法を考えるけどね」
 と付け加えたのは、リビート先生の旧友で科学者の町サヴァイブに住む、フレック・スールー氏。変更後の計画の、正式な考案者だ。
 明日の計画は、彼の緻密な計算通りに遂行される。
 夜遅くまでかかった打ち合わせは、スールー氏を残して一旦切られた。部屋を出るとき、わたしはコラールさんの背中を見つけ、呼び止める。
「コラールさん。話を聞いていただいて、ありがとうございました」
「べつに、礼を言われるようなことはしていない」
 わたしが頭を下げると、美青年は淡々と応じた。
「わたしが拒否すれば、きみはまた時を変えるだろう。拒否することに意味がないだけだ。それに」
 いつもは鋭く冷たそうなエメラルドの瞳の光が、わずかに和らいだ気がした。
「わたしとて、犠牲を出すことなく終われるのなら、そのようにしたい。優秀な魔術師が一人でも欠けるのはアクセル・スレイヴァとしては痛手。当然だろう」
 彼も少しは、罪悪感を覚えていたのかもしれない。
 早々に去っていく背中を見送り、わたしは廊下を歩いた。道化師さんが少し遅れてついてくる。
「……次、どっちでしたっけ?」
 左右に廊下が延びた辺りで、声をかける。広さはそれほどでもないものの、この塔はけっこう造りが入り組んでいて、正直、一人では抜け出す自信がない。
「ここを右、突き当りを左の階段だ。あとは、正面に下り階段がある」
 道化師さんもここを訪れたのは数えるほどらしいけれど、さすがの記憶力。
 言われたとおりに階段を下りていくと、途中、見知った姿が立ち塞がるようにして待ち受けていた。
 背中に翼のある、上級師官。
「……何か用事が?」
 わたしは、頭ではその必要はないと思いながらも、少し警戒した。
 ヴァリフェルとレゴール。二人は少しためらうような目で、こちらを眺めている。わたしとのこともあるが、彼らは、道化師さんの命を狙い戦った相手でもある。
「お礼と、お詫びが言いたくてな」
 そう切り出したのは、やっぱりレゴールさんのほう。
「我らにはどうしようもなかったとは言え、本来無関係な地球人、魔王というだけで何の非もない同胞を死なせようとしたことは確かだ」
「あなたたちは、地球人が犠牲になることを知っていましたか?」
「いや。それは知らなかったが……」
 だったら、何も言うことはない。彼らはただ、役目を果たそうとしただけだ。
 道化師さんも、わたしと同じ考えのようだ。
「でも」
 横をすり抜けようとしたわたしたちに、ヴァリフェルが初めて口を開く。
「一応、礼を言っとくからな。ありがとよ」
 早口で、目も合わせないままだったけれど、たぶん滅多に感謝のことばなんて口にしないであろう彼の気持ちは、充分伝わってきた、と思う。
 それから宿に戻ったわたしたちは、『いても話がややこしくなるだけ』という理由で残っていたキューリル先生と、遅くまで起きて待っていたビストリカやテルミ先生に質問攻めにされ、それに答えたり受け流したりするのに数時間を費やす。すべてを答えるわけにはいかず、歯切れの悪い部分もあったけれど、無理に追及されたりはしなかった。
 おかげで、わたしは翌朝、早起きするのに苦労することになる。まあ、魔法を使うのに差し障りがあるほど睡眠不足でもないけれど。
 そして、出発のとき。
 新たな志願者、魔術師だけでなく科学者も乗せて、多くの飛竜船は旅立つ。南の大海の上へ――。

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第47話 水の世界の終わる日(下)

 何隻もの船がときどき休みをとりながら、丸一日近くかけて、目的地に到達する。スールー氏が作った計画書の通り、それぞれに配置について。
「うわ……凄い」
 甲板に出るなり感嘆したのは、伝説の杖をもう少しの間借りる代わりに同行することになったパルくんだ。
 少年の目に、大小さまざまな飛竜に背負われた船の群れが映る。
「映画になりそうだね」
「『超巨大ドラゴン軍団来襲!』ってのはどうだ?」
「それじゃあ、あたしらが悪役じゃない」
 レンくんとヴィーランドさんが盛り上がっているところに、アンジェラさんの突っ込みが入る。
「我々は、正義の味方さ! さあ、天も大地もこの風も、我らを祝福してくれている!」
 船首に足をかけ、朗々と詠い上げるような声が響く。
 確かに、風は強過ぎず寒過ぎず、良く晴れた空を爽やかに吹き巻いている。海の深い青も、何かを期待するように揺らいでいた。
「もうすぐ、合図があるでしょう。みんな、心の準備はいい?」
 ほほ笑みを浮かべて一同を見渡すのは、アウレリアさん。
 そう、彼女もまた、時間を渡ったわたしたちの手で救い出されていた。それが、ヴァリフェルに感謝された理由でもある。
 ただ、聖剣を彼女に戻すという方法でしか、助けることができなかった。コラールさんは、いずれ別の治療方法が考え出されるだろうと言ってはいたけれど。
 彼女も優秀な魔術師ゆえ、この計画にはなくてはならない存在でもある。それは、弟さんにも言えるのだが……彼は、残念ながら、この短い期間では探しきれなかった。
「ねえ、何で杖の布、取らないの?」
 ちょっとだけ、もっと上手くできたかな、ほかに方法があったのかもしれないな、という、淡い後悔というか、心残りを抱いたわたしの思考を、無邪気な声が遮る。
「そりゃそうだ、パルの言うとおり! ほら、伝説の杖の布を取って見せてやったらどうだ、伝説宮の魔術師さんよ」
 どん、とシュレール族のちょっと固い手で押されて、道化師さんは、縁から下を覗くような格好になる。
「落とす気か! それに、この杖は、こっちのほうが都合がいいんだ」
「似合いそうなのに」
「似合わない似合わない」
 しれっと言ったテルミ先生にあきれた視線を向けて、道化師さんは杖を振る。
 ちなみに、道化師さんの格好は、正体が知れ渡ったことでああである必要はなくなったのだけれど……どうも落ち着かない、という理由で、あの道化っぽい格好のまま。
 ――それもう、癖になってんじゃあ……?
「あ、そろそろ時間みたいですよ」
 サヴァイブから持ち込まれた、正確な時計を眺めていたビストリカが、声をあげる。
「みんな、準備して」
 リアさんの声で、談笑の声はやみ、全員の視線が下の海上に集まる。
 そして、心を研ぎ澄まし、耳を澄ます。
「詠唱開始」
 言った直後から呪文を唱えるのにタイミングを合わせ、魔法が使える者は全員、同じ呪文を唱え始める。
 使うのは、当初の計画で使う予定だったものよりも、ずっと簡単で呪文も短い魔法だ。集まった魔術師たちが一斉に低く呪文を唱える声だけが静かに流れる不思議な時間も、拍子抜けするくらい短く。
「〈シャルデファイン〉!」
 いくつも重なった叫びが、終止符を打った。
 海上に現われた白い点は次々に周囲を穿ち、半透明な触手を伸ばしていく。お互いが触手を絡み合わせ、ひとつひとつは小さな塊に過ぎなかったものが広がり盛り上がり、大きく成長する。
 新たに生まれる、氷の大陸。
 地球で言うところの、南極大陸だ。この世界にはもともと存在しないものなので、氷の大陸などあり得るのか、と、アクセル・スレイヴァの魔術師たちは心配していた。でも、見たところ大丈夫そう。
 氷に水を奪われ、一時的に、水位が異常に下がる。天上の水が流れ落ち続けているし、もうすぐ各所の水陰柱も崩壊するだろうから、やがては問題のない程度に回復する計算になっているらしい。
 広大な氷の大陸に空気が冷やされ、上空に吹き抜ける風もちょっと寒いものになる。わたしは慌てて持ってきていた上着に袖を通した。
「みなさん……計画は成功です。ありがとう。お疲れさまでした」
 どこかから聞こえてきた声に、拍手が起こる。
「……終わったね、アイちゃん」
 レンくんが清々しい表情で声をかけてくる。
「そうだね。これで、わたしたちがこの世界に来た目的は果たしたわけだ」
 ほかのみんなも、それぞれに達成感を顔に出し、友人たちとこの成功を喜び合ったり、称え合い笑い合う。
 ただ、一部の――特に地球人たちの顔には、笑顔とともにわずかな寂しさが垣間見えた。
 そう、目的を終えたということは、帰るときが迫っているということ。別れが訪れるということだ。
 さすがに戻ってすぐに帰還とはならないだろうけど、数日のうちにこの世界を去ることになるはず。
 一年も過ごせば、研究所も家みたいなものだ。寂しくなるなあ。
 それに、この世界で得た友人たちにも会えなくなる。せめて、いつでも思い出に浸れるように、物は大事にしたい。
 鍵は返したし、時の研究が記された魔道書は、スールー氏に預けてあるけれど。
「さて、帰ろうか。みんな」
 学長さんの声で我に返る。
 ほっと気が抜けたせいか、今まで忘れ去っていた疲労感を覚えた。できるだけ早く帰って、眠りたい。今日は船室で休むことになるだろうけれど。
 今は帰ろう、魔法研究所に。
 そこからまたすぐに、『帰る』ことになるとしても。


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