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・2008年04月03日:第28話 遠いあの日の夕暮れは(上)
・2008年04月03日:第28話 遠いあの日の夕暮れは(下)
第28話 遠いあの日の夕暮れは(上)
あれからさらに一度の野宿を挟んだ次の日の昼頃、行く手に、木の柵に囲まれた村が見えてきた。
「あれがリダの村ですね」
地図を確かめる。ずい分久々に思える人里の家の並びに、思わず足を踏み出すのが速まる。
「ああ……この村を抜ければもうすぐルルークだ。食糧を買い込んだら、すぐに出発しよう」
幸い、財布はなくしてないし、村にはいくつかお店もあるようだ。
道を辿るがままに村の中に入ると、道端を歩いていた女性や畑にいた老人が珍しそうな目を向けてくる。
目立つからな、わたしたち。道化師さんは言うまでもないけれど、白い上着を着ているとはいえ、青いスカートは、この世界ではなかなか見ない鮮やかな色合いらしい。
でも、下の着替えなんて持ってないので仕方ない。
「道化師さん、買い物の前に、まず腹ごしらえしません?」
小さな食堂を見つけてわたしが誘うと、道化師さんは少し考えて、
「わたしは保存食で充分だ。きみが食べている間にわたしが買い出しをしていれば時間を節約できる。何か、欲しい物はあるか?」
と、せっかちなことを言う。
「べつにありません。お任せしますよ」
「では、東の出入り口で待ち合わせしよう」
――あんまり、ここにいたくないのかなあ。
お店に向かって歩き出す背中を見送りながら、そんなことを思った。
わたしは、〈憩いのとまり木〉亭と刻まれた、木造の小さな看板がかかった食堂に入る。建物は小さいけど、赤茶色の濃い木の屋根に木目の出た明るい色の木の壁、という組み合わせが鮮やか。
ドアを開けると、涼しい音色が鳴った。カウンターの奥の、若い赤毛の女性が、笑顔で声を掛けてくる。
「いらっしゃい!」
ほかにお客さんは二人。わたしは皆に注目されながら、カウンターの席についた。
「お客さん、旅の人だね? 是非、この村の野菜を味わって行ってよ」
「それじゃあ……」
わたしは板に貼り付けられていたメニューから、野菜の多そうな料理を選び出した。
「野菜たっぷりシチューと、フルミエのケーキで」
「お客さん、目が肥えてるね。フルミエのケーキは一番のオススメなんだ。それじゃあ、少々お待ちを」
言って、彼女は奥の厨房に消えていく。
ここ、ひとりでやってるんだろうか。あんな、わたしとほとんど変わらないくらい若いのに、凄いなあ。
などと感心していると、
「ビーケちゃんっていうんだけど、彼女、大人びてるだろ?」
お客さんのひとりが、声を掛けてきた。
「孤児院出身の子は、しっかりしてることが多いね。だから、うちの店でも将来有望な子に目をつけてるんだよ」
旅装のおじさんは、この村の人ではないらしい。
「ぼくはルルークから来たんだ。きみは?」
「エレオーシュ魔法研究所から来て、ルルークに行くところなんです」
しめた、何か情報をもらえるかもしれない。と、答えると、相手も笑顔。
「ルルークで銘創館っていう雑貨屋をやってるから、是非寄ってよ」
「時間があれば、そうしたいところなんですけどねえ。ところで、ルルークは最近どうです?」
我ながら、まるで通っぽいきき方をしてみる。
「最近はねえ……昔より、犯罪が増えてるね。色んなとこから商売人が集まる町だから、多少は仕方ないけど、最大の原因は今の警備隊が腐ってることだね……って、これは内密に頼むよ」
「わかってますよ」
この人も警備隊に悪い印象を与えると困るんだろう。
大げさに見回す相手の姿に笑っているうちに、店主のビーケさんが料理を手に戻って来た。
「さあ、出来たよ。召し上がれ」
目の前に置かれたシチューが湯気を立てるのが食欲をそそる。
この瞬間には、もう頭から何もかも消え去っている。あるのはただ、食欲だけ。
「おいしそう。いただきまーす!」
わたしは母親に食事を出された素直な子どものようにスプーンを取って、シチューを食べ始めた。
野宿するときに主食になる木の実とか焼き魚とか、野生のものも嫌いじゃないけど、ここまで人の手が入った料理を食べるのは久々な気がしてしまう。それだけに、新鮮で温かくて、おいしく感じる。
「いやあ、それだけおいしそうに食べてもらえると、こっちも作った甲斐があるってもんだよ」
彼女が目を輝かせ、じっとわたしが食べる様子を見ていたのに気がついたのは、もうシチューもすっかり食べきって、ケーキに取りかかろうとしていたときだった。
「だって、おいしいですもの」
素直な感想を言うと、彼女は嬉しそうに笑っていた。
代金を払い、挨拶をして店を出て、まだ待ち合わせには早いかと思いながら見回すと、北の外れに、小さな円柱状の建物と、長屋があった。
――孤児院があるんだっけ。
少し高い丘のようになっているそこに、ときどき、子どもの姿が見える。
足が自然にそちらを向いた。白い木で十字を作っただけの墓が並ぶ墓地の前を通って、わたしは孤児院への道を登った。
目ざとい女の子がひとり、わたしを見つけて駆け寄ってくる。
「お姉ちゃん、旅の人でしょう? どこから来たの?」
興味津々の様子で、大きな栗色の目を輝かせる。
「わたしはね、南のエレオーシュの町にある、魔法研究所から来て、ネタンに行くところなんだよ」
屈んで目を合わせながら答えると、女の子はさらに目を丸くした。
「ほんとー? ちょっと待ってて!」
そう言い残して、走って行ってしまう。そちらにはいつの間にか、大人の女性がいて、女の子の話を聞くと一度奥に消えて、すぐにまた出てくる。
ふたりは、わたしに歩み寄ってきた。女性が何か白いものを女の子に渡し、女の子がそれをわたしへ差し出す。白地に綺麗な刺繍が入ったハンカチだ。
「これ、ときどき来てくれるお姉ちゃんに渡して欲しいの。ビストリカお姉ちゃん、って、魔法研究所にいるんでしょ?」
「うん、ルルークで待ち合わせしてるけど……」
ビストリカ、ここに良く来るんだ。そういえば、昔いた場所にはときどき様子を見に行ってるって言ってたような……。
――そうか。ビストリカはここの出身だったのか。
彼女はわたしにそのことを知られるのは嫌かもしれないけれど、でも。
「これ、先生に教えてもらいながら、あたしが作ったの。いつも遊んでくれるから、お礼なの」
「そう、これ可愛いね。……あなた、名前は?」
色々な花が咲いた模様は素朴で、それでいて彩り豊かで可愛らしい。
「あたし、マユカっていうの」
「そう。マユカちゃん、ありがとう。ビストリカもきっと喜ぶよ」
わたしのことばに嬉しそうな笑顔を見せる少女からハンカチを受け取って、大事に鞄に仕舞う。
「先生、ミギル爺ちゃんが呼んでる」
マユカちゃんの後ろにいた女性が口を開きかけたとき、少年が駆け寄ってきた。
「本当にありがとうございました」
「ありがとー」
女性は頭を下げ、女の子の手を引いて建物のほうに去って行く。
――さて、そろそろ戻ろうか。
と、下り坂を引き返し始めて間もなく、墓の間に隠れるようにしていた見慣れた姿が歩み寄って来る。
「やはりここにいたか……好奇心旺盛過ぎるのも考えものだな」
「せっかく寄ったんですから、色々知りたいじゃないですか。もう二度と来れないかもしれないんだし」
ため息交じりの相手のことばにわたしが反論すると、道化師さんは仕方がなさそうに口を開きかける。
それは、後ろからの声で遮られた。
「すみません! 旅のかたたち」
息を切らせて駆け寄って来たのは、先生、と呼ばれていたあの女性だった。
「これくらいの背の、黒髪の男の子、見かけませんでした? しばらく前から、姿がないんです」
手でわたしの腰辺りの高さを示して、そう尋ねてくる。
「いや、見ていないが……」
「わたしも」
わたしたちが答えると、
「じゃあ、魔法で捜すことは……」
いかにも魔術師以外の何者でもない姿の道化師さんに、すがるような目を向ける。
「知っている気配なら探れるが、相手が見ず知らずの子どもでは……。幼い子どもの足ではそうそう遠くへは行けないだろう。手分けして捜すしかない」
やれやれ、という調子で肩をすくめるものの、一緒に捜す気満々の道化師さん。もちろん、わたしだってそのつもり。
「さあ、早速捜しましょう。先生はもう一度、建物の中を見てみてください」
「本当にありがとうございます!」
わたしが言うと、先生は、深々と頭を下げた。
第28話 遠いあの日の夕暮れは(下)
子どもが行きたがりそうな場所を中心に、わたしたちはまず、建物の周りを捜した。床下や木の上、木箱の中などを探りつつ、徐々に捜索網を広げて行く。
――子どものころ、かくれんぼでどこに隠れたかなあ。
そんなことを思い出しながら捜すものの、なかなか見つからない。
しかし、陽が傾き掛けたころ、遠くからの声を聞きつけて、わたしは北の土手に辿り着く。同じく、捜索に加わってたほかの面子が駆けつけるのも見えた。
わたしたちを呼んだのは、ウェルくん、というらしい孤児院でも年長の子。わたしよりいくつか年下くらい。
「あそこ!」
と言って彼が指さしたのは、急な斜面の下のほう。赤茶色の土がむき出しになったそこで、どこからどう降りたのか、黒髪の男の子が草にしがみついている。
――ロープ!
「大丈夫だ、わたしがやる」
わたしが鞄に手を伸ばす前に、道化師さんが呪文を唱え始めている。
「〈グレミナ・シャルファイン〉」
彼が地面に手をつくと、何本もの太い蔦が周囲の地面から飛び出して、下の男の子を絡めとる。
蔦はそのまま、泥だらけで驚いた表情の少年を引き上げた。ちょっと怖い思いをさせちゃったかな?
先生が急いで彼の身体を調べるが、幸い怪我はないようだ。
その間、男の子の視線は道化師さんに釘付け。
「我々は、そろそろ……」
「待ってください。お時間は取らせませんから、ささやかなお礼をさせてください」
「礼が欲しくて手伝ったわけではない」
お世辞にもお金持ちそうじゃない孤児院から、何かをもらうというのは気が引ける。
しかし……。
「何かしてもらったら倍にして返すつもりでお礼をすること、というのがうちの指導方針です」
そんな風に言われたら、断れなかった。
「ありがとう、魔術師さん!」
怖い思いをしたのも悪い影響は与えなかったらしく、元気にお礼を言って頭を下げていた男の子は年長の子たちに任せて、先生はわたしたちを、塔のような建物の中へと案内した。
建物の中は壁全体を本棚に埋め尽くされた書斎のようになっていて、その中央辺り、木椅子に、白髪に白いヒゲと眉の老人が腰掛けていた。ミギル爺ちゃん、っていうのがこの人か。
「旅のかたたち、ありがとう。わたしからも礼を言うよ。これはほんの気持ちだ」
そのことばを合図にしたように、少しの間奥に姿を消していた先生が、「大した物じゃないけど」と言いながら紙の包み紙を渡してくれる。
先生はもう一度礼を言って、ドアの奥に去った。あんな事件があったあとなんだし、子どもたちが気になるのだろう。
「用事は済んだ。行くぞ」
急いでいる風に後ろを向く道化師さん。
それを追いかけようと身体の向きを変えようとしたところで、唐突にミギル爺ちゃんが言った。
「あなたを見てると、ここの世話をしていた魔術師から聞いた話を思い出すよ」
爺ちゃんの目は眉に隠れて良く見えないが、道化師さんに向けられているらしい。
道化師さんは、そのまま出て行こうとするけど……。
「大昔ここの玄関先に、手紙と一緒に、あなたのような仮面を着けた赤子が捨てられた。手紙には、消して仮面を外してはいけない、その下を見てはいけないと書かれていた」
たぶん、道化師さんと同じような仮面を着けた人なんて、滅多にいないよ……。
「十数年後、魔法の才能があったために、魔術師のキャラバンに引き取られていったらしいが……ここの世話をしていた魔術師は、いつも心配してたよ。今頃、どうしているかねえ」
わたしは、どう反応していいかわからない。爺ちゃんも、わたしに答は求めていないだろうけれど。
黙っていると、意外にも、出入口で背中を向けていた道化師さんが応じた。
「……無事に魔術師になれたなら、今もどこかで生きているだろう。もう日が暮れる、行くぞ」
「はい……ありがとうございました」
わたしは軽くミギル爺ちゃんに挨拶をしてから、大人しくついていった。
色んなことがあり過ぎてそれを考えるのに夢中で、どこをどう行って村を出たのかは良く覚えていない。
どうするんだ、ずっとこの空気に耐えられるのか?
鞄に入ったビストリカ宛てのハンカチのこと、抱えたままの包みのこと、色々なことが頭に浮かんだ。
でも、そんな進退窮まった空気に包まれてたのは、長い間じゃない。
「……一度は野宿することになりそうだな。戻って村で一晩過ごしてもいいぞ。宿はないから、それはそれで大変だろうが」
向こうから声をかけられたのは幸いだった。だって、話しかけにくいじゃないか。
「野宿にも慣れました。早くみんなと合流したほうがいいでしょうし」
「ああ……」
歩きながら、彼は軽くこちらを振り向いた。
「驚いたか? わたしがあの村の出身だと聞いて」
自分から、その話題も出してくるとは。
「いえ、驚いたってことは……誰もが、他人と違う過去は持ってるわけで……」
ビストリカと道化師さんが同じところの出身だってことには驚いたけれど、それは言わないでおいたほうがいいだろう。
そんなことを考えた間の沈黙を誤魔化すためだろうか。わたしはなぜか、
「あの村に寄ったこと……後悔、してますか?」
そんなことをきいていた。
言ってすぐに、嫌なこときいちゃったかなあ、何て、わたしがちょっと後悔していると、彼は首を振る。
「いや。今まで近づかなかったことが馬鹿に思える。良くも悪くも、離れていても消えないものはあるものさ」
そう言った仮面の奥の目は、笑っていた。
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