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・2008年03月31日:第27話 分かれ道(上)
・2008年03月31日:第27話 分かれ道(下)
第27話 分かれ道(上)
わたしたちが旅立って間もなく、パラパラと雨が降り出した。雨足はどんどん激しくなって、どうにかナジの村に辿り着いたときには、視界がほとんどなくなっていた。雨の少ないこの世界で、ここまで降るのはかなり珍しいくらいらしい。
村唯一の宿屋に急いで入って、ひたすら雨が過ぎるのを待ち続けること三日間。
その間わたしたちは、即席魔法講義をやったり受けたり、これからの旅について話したり、豪雨の中やってくる村人の相手をしたりしていた。おかげで、あんまり退屈はしない。
「ようやく、出発できそうな頃合いだな」
食堂の窓の外に久々の青空を見つけて、道化師さんが立ち上がる。
「ほかの班のみんなを待たせるわけにも行きませんし、遅れを取り戻さないといけませんね」
ティーセットを片付けながら、ビストリカも行く気満々。
まあ、天候はそんなに変わらないだろうし、それほど差はついていないだろうけど。
ちなみに、〈水鏡に映る恋歌〉亭でもらったお弁当とわたしが研究所の食堂のおばちゃんに作ってもらったお弁当は、世間話をしにきた村人たちと一緒に美味しくいただいた。今度は、この宿屋、〈土の温もり〉亭にお弁当を頼んだ。
〈水鏡に映る恋歌〉亭のお弁当は、色々な餡入りの餅米風の米の団子に、厚めの干し肉で豆やキノコをくるんだもの、果物の砂糖漬けなど、保存食っぽいのが多かった。ここのは野菜中心らしいけれど、一体どういうものになるのか、楽しみだった。
「もう、すぐに出ていくのかい? 道はぬかるんでいるだろうし、馬車でも大変だよ」
お弁当を持って来てくれた白髪の宿の主人が、そう忠告してくる。
「安全に行くなら乾くまで待つべきだろうが、ルルークに人を待たせているからな。余り悠長にはしていられない」
「ま、この辺の道はそんな狭くないし、大丈夫だろ」
対照的な調子の、慎重派道化師さんと大らかなジョーディさんだけど、これからの行動についての意見は同じ。
「さ、早く行こうぜ」
膝を伸ばしたりスクワットしたり、忙しなく準備運動中のヴィーランドさんも賛成のようだ。ここにいた三日間も、屋内でよく体操していたのを見た。
外に出てみると、雨のあとの独特の湿った空気が辺りを包んでいる。
宿の馬車庫から馬車を出すときには、馬たちも早く出発したそうに、手綱を引っ張るまでもなく自ら外に出てくる。
「気をつけて行くんだよ」
雨の間にも何度か顔を出していた農民の奥さんが、畑でとれた果物をくれた。緑色で小ぶりのトマトに似ているけれど、皮は硬そうだ。ビストリカによると、カシタという名前らしい。
「三日間、ありがとうございました」
「また寄ってくれよ。気をつけてな」
宿屋の主人や村人たちに見送られながら、ふたたび馬車に乗り込んだわたしたちは、ナジの村をあとにした。
ジョーディさんが言っていたように、道は広い。ただ、長雨でぬかるんでいる上に、どんどん曲がりくねった、崖に囲まれたような入り組んだ道になっていくのも確かだった。
そして、行く手に大きくなっていく水陰柱が、少しだけ不安を煽る。いつもと違って茶色いし、かなり太いからだ。
「あの分だと、川もかなり増水しているだろうね。橋が無事だといいが」
わたしの頭の中を見透かしたように、寝ているように見えてた四楼儀さんが言う。
「橋を渡るんですか」
「普通なら、馬車も平気で渡れるような丈夫な橋だ。心配ねえ」
御者台から、ジョーディさんが声を張り上げる。
馬車に揺られながら、もらった果物を食べてみる。硬い皮をナイフでむいて、みかんのようなオレンジ色の実を食べるものらしい。みかんのようなつぶつぶはなく、種も小さくてそのまま食べられる。味と食感は、マンゴーに似ていた。
「おいしいね」
「これ、わたくしも結構好きなんです」
カシタの実をヴィーランドさんたちにもあげたり、ビストリカと一緒に楽しんでいるうちに、間もなく、橋が見えてきた。木造だけど、確かに丈夫そうだ。
でも、川の水は今にも橋の上に溢れ出そうとしているみたい。水源になっているらしい水陰柱が大きく近く見えて、ちょっと怖い。
「何か聞こえないか?」
橋のほんの少し手前で、水の流れによる轟音に負けないよう、道化師さんが声を上げた。
「オレにはわかんねーけんどな」
ジョーディさんが首を傾げる。
「わたしが見てくる。ここにいろ」
水の音が大き過ぎて、道化師さんの言う何かは、わたしにも一向に聞こえない。
わたしたちが戸惑ううちに、彼はヴィーランドさんが停止させた馬車の後ろから飛び出し、橋へと駆けて行く。
そして、屈み込んで覗いているような様子。
「何かいたのかね」
四楼儀さんのことばにつられ、もっとよく見ようと、前に身を乗り出す。
視界の端に入った水陰柱のうねりが変わったように見えて、わたしはとても不吉なものを感じた。
例の予言が頭をよぎる。
「ちょっと行ってくる」
鞄を手に、わたしは馬車を飛び出した。ビストリカに名前を呼ばれた気がするが、よく聞こえない。
ぬかるんだ地面に足を取られそうになりながら、今にも溢れそうな川のそばに駆けつけた。
近づくと、何が起きているのかがわかる。四、五歳くらいの男の子が、必死に細い柳のような植物を握りしめ、急流の勢いに耐えていた。
「どうして来た」
言いながら、ロープを取り出して先に輪を作る。
「道化師さん、水陰柱が」
まるで崩れたように水陰柱の根元の辺りが膨らむのを目にして、わたしは声が裏返るのを自覚する。
狭いふたつの崖の間を、押し寄せてくる。大量の、茶色く汚れた水。
視界の端に駆け寄ろうとしているビストリカとジョーディさんを見ながら、ロープを男の子に投げ、もう一方の端を後ろに投げる道化師さんの横で、とっさに最後の抵抗。
「〈シャルデルク〉!」
轟音とともに迫る流れの表面が一瞬凍りつくものの、すぐに後ろからの圧力で砕け散り、ほとんど時間稼ぎにもならない。
横から殴られるような衝撃を受け、水の冷たさを感じながら、わたしは気を失った。
第27話 分かれ道(下)
気がついたときにまず感じたのは、濡れた服の冷たさ。
身を起こすと、怪我がないらしいこと、ちゃんと鞄を手に握っていることにほっとする。
わたしが目覚めた場所は、川の水に浅く浸っている、小さな洞穴の中らしい。出口の方を見ると、急カーブしてる川の流れが見える。
その流れを見ながら、少しの間ぼーっとしていた。でも、意識がはっきりしてくると、色々なことを思い出す。
――道化師さん!
急いで洞穴を出て、川のそばを見回す。
――いた。
あの目立つ、あきらかに自然には有り得ない色の組み合わせは、すぐに見つかった。
「大丈夫ですか、道化師さん」
駆け寄って、声をかけながら揺する。でも、反応はない。
心配になって脈をとってみると、生きていることは確認できる。ただ、指先に冷たさを感じた。わたし自身も、思い出したように全身に寒気を感じる。
空を見上げると、夕日の名残が山並みの輪郭を薄くかたどっているだけで、周囲もだいぶ暗くなっている。これから、さらに寒くなってくるだろう。時季的にも、まだ春にはなりきれていないくらいだ。
――このままじゃあ凍えてしまう。身体を温めなければ。
わたしは急いで周囲の草木の間を探り、厚くて大きめの葉を何枚かと、乾燥したきの枝の切れ端一抱えを拾って戻った。
葉を重ねて敷いた上に薪を円を描くように並べ、さらにその上に、円の中心が高くなるように重ねる。
――火種を作る必要がないんだから、魔法って本当に便利だな。
そんなことを思いながら、呪文を唱える。
「〈マピュラファイン〉」
そういや、さっきは呪文無しで氷の魔法使えてたっけ。無我夢中だったから、どういう感覚だったのかも全然覚えてないけれど。
それにしても、わたしたちは助かったけれど、あの男の子はどうなったんだろう。見渡す限り、風景にはその姿はない。
考えないようにしようと思って、わたしは何か気を紛らわせる物を求め、鞄を開けた。中に入っていた食べ物で無事なのは、きつく口を縛っていたクッキーだけ。ほかの物も乾かさないと。
出して並べた物の中に、ヨレヨレになった地図を見つけ、広げてみる。
一体、どの辺りに流されたんだろう。
川を辿って見てみるものの、橋の川下がふたつに分かれていて良くわからない。
道化師さんならわかるかな?
と、目をやったところで、ふと、どうでもいいような考えが頭をよぎる。
――あんな急流に巻き込まれたのに帽子ひとつ取れないなんて、一体どういう作りになってるんだろう。
そういえば、今って、凄いチャンスなんじゃ……? 道化師さんの素顔が見れるかも?
などと思って、脇に近づいて手を伸ばすなり思い出す。罠が仕掛けられているという話だった。
ああ、残念。
がっかりして溜め息を洩らしたとき。
「何をしている?」
声を掛けられ、思わずびっくり。今の格好、あきらかに道化師さんに何かしようとしているようじゃないか!
「いやその、こっ、これはただ、何かこの状況の役に立つような物がないかなーと思って……!」
「……そうか」
納得したというよりやや疑問形で言って、彼は身を起こす。
「どうやら、南東に流されたようだな」
溜め息混じりに言い、平たい石の上に広げたままだった地図に目を落とす。
「すぐそこに北への道があるはずだ。少々遠回りになるが仕方がない。命があっただけ、幸いさ」
命があった、と言えば、わたしはどうしても訊いておきたいことがあった。きくのが怖い気もしていたけれど。
「あの……私たちは助かったみたいですけど、あの、男の子は……」
わたしの質問に、意外にも何のためらいもない声が返ってくる。
「ああ、あの子なら大丈夫だ。ジョーディが引き上げるところを見た」
あの混乱の中で、良くそんな余裕が……。とにかく、ほっとしたには違いない。
「良かったですね、助かって」
「まあな。問題はこちらのほうだ。ここでは、また川が氾濫する恐れがある。温まったら、野宿に別の場所を探そう」
だいぶ周囲は暗くなっていた。でも、ここは寝るには湿っぽ過ぎる。
――やっぱり、道の脇のほうが、野宿にも何かと便利か。
そう思って、だいぶ乾いてきた地図に視線を落とす。今は、地図のどの辺にいるのかはわかっている。
元の道の、一本東。元の道よりちょっと遠回りだ。しばらく行くとリダの村があって、そこから少し西にルルークがある。ほかのみんなは待たせることになりそうだ。
リダの村といえば……道化師さんが何か思い入れがありそうだったなあ。一体、どんな村なんだろう。
色々と考えているうちに、お腹がなった。思い出したように空腹感を感じる。
鞄の上に置いていたクッキーの包みを摘み上げてみる。包みは汚れているが、中身は無事だ。いや、ちょっとは汚れた水が染み込んでいるかもしれないが……考えないようにしよう。
わたしのちょっとした葛藤に気がついたのか、道化師さんが口を開く。
「そういえば、そろそろ夕食の時間だな。旅の途中こそ、きちんと食べて体力をつけることが重要だ」
「それじゃあ道化師さん、何か食べ物をお持ちで?」
「馬車に置いてきた」
わたしの期待を込めてのことばに、彼はサラッと答える。
このときのがっかり具合がよほど激しく見えたのか、彼は笑った。
「心配ない。持っていなければとればいい。食べ物は、現地調達が基本なのさ」
そう、道化師さんはかなり旅暮しに慣れた人だったんだ。少しの間忘れていたことを思い出して、わたしは安心した。
服が乾き、野宿の場所を北への道の脇に移すと、早速食糧調達。
道化師さんは持っていた丈夫な紐と針、落ちていた木の枝を使って、あっと言う間に釣り竿を作ってしまった。ちなみに、エサはちょっと気持ち悪い虫。
わたしはというと、薪拾いと食べられる木の実集め。レンくんと一緒に調べて回ったりリアス先生に捕まったりした経験がこんなところで役に立つとは。いや、捕まったのは関係ないかもしれないけど。
辺りが完全に夜闇に包まれたころ、焚火を調節しているわたしのところに、道化師さんが戻ってくる。
「ああいうことがあったときには、水陰柱に棲む魚も大量に流れ落ちてくるものだが……思ったより少なかったな」
そう言って見せてくれたのは、やや小ぶりな、綺麗な色合いの魚三匹。
「それだけあれば充分ですよ。木の実もいっぱい採れましたし」
「そっちは大漁だな。これなら明日の朝も大丈夫だろう」
彼は串代わりの細い枝に魚を刺し、焚火の周りに並べ始める。
その間、空を見上げてみると、すっかり晴れ渡った空に、地球のものとはかなり違う星空が広がっていた。
ビストリカたちも、ほかの班の人たちも、どこかでこの空を見上げているんだろうか。
そう思いながら、わたしは、やっと乾いた携帯電話に手を伸ばし、それがきちんと動くのを確かめて安堵した。
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