エルトリア探訪日記

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・2007年10月10日:第19話 その生の意味は(上)
・2007年10月10日:第19話 その生の意味は(下)


第19話 その生の意味は(上)

 今日は休日だった。例の魔法薬を飲んだ魔術師は未だまともに魔法が使えない関係からか、最近ちょっと休日が立て込んでる。
 わたしは読書や散歩やお茶や……そして、こっそりやってる幻術の練習やらに時間を費やすことが多い。
 今日はというと、早めの朝食後、図書館に行こうと外へ出た。
 すると、妙な影が視界の端を横切る。
 捉えたのはほんの一瞬だが、目で追ったその影の形は、翼のある人間に見えた。湖の上を低空飛行で去っていくのは、できるだけ目立たないようにとの配慮か。
 もともと人の少ない時間帯なので、それに気がついたのはわたしくらい。わたしは、アクセル・スレイヴァの上級師官らしい姿が去っていった、出発地点となる辺りへ足を向ける。きっと、あの人がいるはずだ。
 ――その予想は、裏切られる。
「……どこへ行くんですか?」
 上級師官を見送っているような様子のあと、門へ向けて歩き出す相手に近づいてから、わたしは、ちょっとポカーンとした感じで問う。いや、振り返った相手のほうも驚いていたけれど。
「ああ……街にちょっとした用事だ」
「今の、アクセル・スレイヴァの上級師官ですよね?」
 道化師さんは少し困ったように考えてからうなずく。
「……そうだ」
「まさか、例の魔法薬のことで何かあったとかですか。いや、それなら道化師さんには言わないか……何かの連絡でも?」
「きみには関係のないことだ」
 答えて、相手は目を逸らす。確かに関係ないのかもしれないけれど、これはきっと、後ろめたいことがある反応。
「街に出ないといけない用事でも頼まれましたか。でも、ちょっとした用事なんてわざわざ道化師さんに頼むとは思えませんし、きっと特殊な用事でしょう」
「簡単な魔物退治だ」
 これ以上黙っているとヤブヘビになると思ってか、道化師さんはこちらに向き直る。
「エレオーシュ近郊の洞窟に魔獣が住み着いているので退治して欲しいという依頼があった」
「え? 道化師さん、まだあんまり魔法使えないんでしょ。危険なんじゃ」
「低級魔獣の一匹くらいは、今のわたしでも何とかなるさ」
 そう言って背中を向ける。でも……。
「念のために、備え役か先生の誰かでも連れて行ったほうが……」
 門へ歩き出す相手を追いかけながら提案してみるが、相手は首を振る。
「今、研究所の守りはただでさえ薄くなっている。これ以上少しでも人員を割くべきではないだろう」
「じゃあ、いっそ依頼自体誰かに回してもらえれば……」
「向こうからは何も言っては来ないが、きみの言うとおり、魔法薬のことがあるからな。今はアクセル・スレイヴァを刺激しないほうがいいだろう」
 言うことには、どれも一理あるんだけど――あるんだけどー。
「でも、一人じゃ危険ですって。何かあったらどうするんですか」
 両脇に門番が立つ扉の前まで来て、相手は一度足を止め、振り返る。その顔は、少し笑っているように見えた。
「きみがついて来るとでも言うのか?」
「でなければ、備え役の誰かに言いますよ」
「わたしを脅迫するのか」
 また困ったように肩をすくめる。
「どうにせよ、無理な話だ。きみはこの研究所からは出られないし、わたしもきみを連れて出るような真似はできないからな」
 門番のエレオーシュ警備隊二人が、こっちの話に耳をそばだてている。あの二人の目を誤魔化さないと無理か。
 ――なら、誤魔化してみようじゃないか。
「勝手について行きますから、どうぞお先に」
 わたしが手を振ると、道化師さんは「?」な表情。
「どうするつもりかわからないが……あまり無茶なことはするな」
 それは今の道化師さんには言われたくない。
 が、とりあえずわたしは見送ろうともせず、黙って引き返す。建物の陰へ。閉じられていた扉が開く、重々しい音を最後に。
 ゆったりとした足取りで門番の死角に入ると、一気に動きを加速。早口で呪文を唱えて発動。
「〈キシェファム・ファメル〉」
 周囲の景色と同化する、つまり、姿を消す幻術だ。なかなか高度な魔法だけれど、あいにくわたしが維持できるのは、相変わらず三〇秒余り。なので、一気に門へ猛ダッシュ!
 扉はいつも朝方に開けると夕方まで閉めないので、扉が閉まる前に駆け抜けろ、みたいな状況ではない。でも、門番に姿を見られるわけにはいかないから、心の中で数を数えながら全力疾走。
 二八まで数えたところで橋を渡りきり、その欄干の陰で魔法を解く。かなりキツイ。ぜえぜえ言いながら呼吸を整える。
 やっと落ち着いて見回すと、通りの奥に見覚えのある後ろ姿。
「……どうやって来た?」
 駆け寄ると、声をかける前に振り返り、驚きと感心と、あきれの交じった声で訊いてくる。
「それはまあ、企業秘密ってやつでして」
「まあいいが……一緒に来るつもりなら、わたしのそばを離れるなよ」
「そうしますよ」
 追い返そうとしないのが道化師さんのいいところ。まあ、追い返せない状況が作り出されてる、作り出してる部分もあるけれども。
 夜でもなければそうそう迷いはしないけれど、わたしは素直に相手の後ろをついていく。西の外周の道を北上し、橋を渡って郊外へ。
 途中まで水陰柱が大きく見える。コートリーへ行くときには眺めている余裕はなかったけれど、水しぶきを散らし降りそそぐ水の柱は神秘的で壮大だ。
 それも、郊外への道に入ると後ろに小さくなっていく。とはいえ、目的地は川沿いに歩いてすぐに見つかる。
 丘に口を開けた穴は、高さ二メートル、幅三メートルといったところか。
「こんな場所ならすぐに退治されていそうですけれど、最近住み着いたんですかね」
「らしいな。こんな人里に居つくのは珍しい」
 道化師さんはナイフや呪符を取り出して確かめる。わたしも自分の持ち物を……って言っても、主にいつもの鞄だけだ。
 あと、呪文を頭に思い浮かべておく。
「危険を感じたらすぐに逃げろ」
「はい。躊躇なく逃げますからご心配なく」
 薄情なことを言って、わたしはカンテラを手にした道化師さんに続き洞窟内へ。洞窟を形作る赤い土は粘土質で、靴が汚れそうだ。
 どうやら、それほど深くはないらしい。脇に転がる岩を避けつつ歩いて間もなく、低い唸り声が聞こえてきた。
 奥の闇にきらりと輝く目がふたつ。
 一気に爆発したような、圧縮された空気が向かってくる感触。
「〈ソルファジオ〉!」
 はわたしではなく道化師さん。虎に似た白い獣――ただし毛は生えておらず皮膚は鱗状の生き物が、突進してくるなり防御結界にぶつかる。
 だが、衝撃が大き過ぎたのか、結界は砕け散った。
 道化師さんに手を引かれ、脇の岩の陰へ。魔法の壁をぶち破った魔獣はそのまま真っ直ぐ突進し、壁に当たる。
 辺りが揺れ、ザザザ、と大きな音がした。
「あ」
 思わず声が洩れる。カンテラの光量は充分でも、出入口から光が入らなくなると心細い。
「脱出の算段はあとだ。まずは、敵を片付ける」
 魔獣は頭を振り、こちらに向かってくる。はっきりわたしたちの姿を把握してはいないようだけれど、気配や匂いでわかるのか。
「〈シャルデファイン〉」
 道化師さんは氷に相手を閉じ込めようとする。すでに獣一匹を閉じ込められるだけの大きさの氷を出せるのが凄い。少なくとも、今の状態でも魔力はわたし以上。
 でも、敵もさるもの。氷を内側から打ち砕く。
「〈マピュルク〉!」
 これはわたし。獣は炎を怖がるかもしれないという希望的観測にのっとった攻撃。
 でも、炎の球はすべすべの鱗に弾かれたように逸れ、壁に当たって消える。
「まさか、ここまで耐魔能力が高い個体だとは……手こずりそうだな……」
「低級魔獣って言ってましたけど、弱点とかないんですか?」
「首の後ろに色の違う鱗がある。そこを傷つけると致命傷になる」
 言って、彼はナイフを手にする。
 でも、魔術師が接近戦は無謀なんじゃ……どうにか、魔獣の気を逸らせれば。
 とか思っているうちに、向こうはこちらの居場所を把握したらしい。目を光らせて突進。
 ――ひええええぇぇっ。
「〈アルフィ・ロデイア〉」
 道化師さんは呪符を相手の足もとへ散らす。呪符は、珊瑚に似た妙な植物へ変わった。召喚魔法だ。
 魔獣は少しだけ、足止めされる。その間にわたしたちはもっと奥の岩陰へ。
「今みたいに、動きを止められません?」
 魔獣は植物を踏み潰し、すぐに奥へやってくる。わたしたちの姿は見失ったらしく、周囲をうかがっているけれど。
「あの怪力相手で、今使える魔法では難しいな。もっと広ければ手はあっただろうが……。どうにか注意を引きつける間にナイフで弱点をつくか」
 小声でことばを交わしながら、ナイフの柄をこちらに向けてくる。
 それってつまり……。
「わたしが注意を引きつける。あとは頼んだぞ」
「ええっ、そんな危険な……」
 引き止める暇もなく、道化師さんは呪文を唱えながら獣の前へ飛び出していく。
 ――ちょっと、危険過ぎるって!
 当然、獣は見つけた獲物に突進。
「〈ソルファジオ〉!」
 道化師さんの魔法は、魔獣の目の前に小さな壁を作り出す。範囲を狭めたことで強度を上げたのか。
 わたしも呪文を唱えつつ、岩陰を出た。いやこれ、わたしもけっこう危険じゃん!
 でも、視界が狭いらしい魔獣の注意は目の前にだけ向いている。今のうちに……。
 と思った瞬間、結界が割れた。
「くっ!」
 とっさに脇に飛ぶ道化師さんの横を、魔獣が通過して奥の壁に激突。轟音とともに壁の一部が崩れ、顔がのしかかる土に埋もれた魔獣は何度も首を振って後退。
 その間に、わたしたちはもう一度岩陰に退避。
「この作戦は危険過ぎますよ。だから、囮なんて……」
 相手の袖をつかんで言いかけて、やっと気がつく。
 そうだ、いるじゃないか。絶対傷つかない囮が。
「何か思いついたのか?」
 答える代わりに呪文を唱え始める。彼なら、呪文の内容で気がついただろう。
「〈イーミテッド・ファムモレノ〉!」
 マドルックさんの屋敷で使ったのと同じ幻術だ。匂いでバレるか少し怖かったが、ここの魔獣は視角に頼るらしい。
 出入口のほうで敵を挑発するわたし(偽)。それを唯一の標的とばかりに、魔獣は突撃。
 前を獣が通り抜けると同時に、道化師さんがわたしが持ったままだったナイフをひったくって飛び出した。
 魔獣はわたし(偽)の姿を通り抜け、出入口を塞ぐ、崩れた岩や土に顔面から突っ込む。だいぶ時間が稼げるはずだ。
「良くやったな、アイ」
 言いながら、道化師さんが両手に握るナイフの切っ先を振り下ろす。それは硬そうな鱗をさっくりつらぬいた。
 ぶもおおお、と低い唸りを上げ、魔獣は脚を折る。ちょっと生臭い臭いが立ち込めた。
 ――良かったぁ……。
「危ないところでしたよ」
「まったくだ。それにしても、すでにそこまで幻術を使いこなしているとは。きみに合っているのかもしれないな」
 何か、褒められるとむずがゆい。
 まあ、出入口も魔獣の突進でほとんど開いたことだし。
 一件落着――
 と、思った途端。

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第19話 その生の意味は(下)

「……!」
 道化師さんの足もとで、魔獣がピクリと動いた。そして、身を引く余裕もなく、首が勢い良く持ち上げられる。
 弾き飛ばされた道化師さんは、岩にぶつかって地面に倒れ込む。
「道化師さんっ!?」
 そばに寄って揺すっても反応はない。息はあるものの――
 でも、なぜ?
 顔を上げると、魔獣は濁った目をあさっての方向に向けたまま身を震わせる。首の後ろからあふれた黒い血が飛び散った。
 死んでいる。確かに死んでいるはずだ。
 茫然となりかけるけれど、前脚が地を掻くのを見て我に返る。突進してくる!
 道化師さんを引きずって岩陰へ。獣は侵入できない隙間に身を置く。
 岩に、魔獣が体当たりを仕掛けてきた。大きな岩とはいえ、ひびが入るのが見えてギクリとする。
 魔獣はさらに距離を取り、勢いをつけて岩へ激突。パラパラと粘土質の一部が剥がれ落ちる。
 ――まずい。これは物凄くまずい。
「道化師さんっ!」
 唯一の頼みの綱を起こそうとする。いや、結界で少しでも岩を延命すべきか……?
 余り期待はできないが、もう一度幻術を試そうと呪文を唱える。時間が稼げたとして、せいぜい三〇秒余りではあるけれど。
「〈イーミテッド・エトーモレノ〉!」
 出現したのは、あの魔獣の鳥だ。記憶にある一番存在感のある鳥がこれだった。
 だが、獣は鼻の前を横切った怪鳥に目もくれない。敵は岩陰のわたしたちだけ、という様子。今までとは少し行動パターンが違う。
 ――どうすればいいんだ……?
 幻を消して、防御結界の呪文を唱える。その間に、三度目の突進。岩の上部が大きく崩れた。まだ、身を隠せる程度ではあるが。
「〈ソルファジオ〉!」
 結界を張り、岩を強化。破られたらまた張ろうと、さらに呪文を唱える。
 隙間から、じろりと獣がのぞいてきた。獣の鋭さとはちょっと違う、冷たい視線だ。不気味。怖い。
 すると、じっと濁った目を向ける魔獣の表面から何か、薄い、半透明な黄色の膜のようなものが伸びてくる。それは、ぐにゃりと曲がって手の形になり、隙間から這い進む。
「う、うわ……」
 呪文を中断して、パニックになりかける。伸びてくるそれを鞄で払う。
 すると、ジュッ、と半透明な手が溶けた。その事実がわたしを冷静にさせる。
 ――夢魔!
 そうか、そういうことか。
 相手の正体がわかると少し落ち着く。地球人の持ち物には夢魔を祓う力があるのではないか、とは、四楼儀さんのことばだった。
 鞄を開け、わたしはペットボトルを投げつけてみる。が、ペコン、と間抜けな音がしただけ。
 手に持ってる物じゃないとダメなのか?
 ならばこれでどうだと、孫の手を取り出し右手にかまえる。鞄との対夢魔武器二刀流である。
「……アイ?」
 声をかけられて固まる。いやその、これが対夢魔用最強装備なんだよ、見た目は間抜けだけどっ! とか言ってる余裕もない。
「道化師さんっ! 獣に夢魔で危険なんですっ!」
 我ながら意味不明な説明だが、半分朦朧としていたにもかかわらず、道化師さんは理解したらしい。
「そうか。夢魔が魔獣に取り付いていたために肉体が死んでも動けたのか」
 そうとだけ言うと呪文を唱え始め、ふたたび突進しようと後退る相手に手のひらを向ける。
「〈ヴァルスランク〉」
 白い光弾は、以前見たものより小さい。それでも、対魔攻撃魔法としての威力は発揮する。さらに。
「〈ヴァルスランク〉」
 質が足りなければ量。しつこいまでの連続攻撃に、魔獣、正確にはそれに取り付いた夢魔は苦しみ、身をよじって唸った。
 それでもなお、突進しようとするそこに、わたしが躍り出る。
「何を……!」
 呪文を中断した道化師さんの声を聞きながら、わたしは孫の手を突き出した。もう、相手にそれに耐えたり避けたりする力はない。
 じゅーっと音をさせ、全身から白い霧のようなものを噴き出したあと、魔獣はどうと横に倒れた。
「終わったか……」
 何を言う気力もないのか、道化師さんは座り込んだまま溜め息を洩らす。
「危なかったのは、道化師さんですからね」
 わたしはそう言って、ペットボトルを回収し、どうにか無事だったカンテラを拾い上げた。
 ――あとは、帰るだけ。
 そう思ってたのだけれど。
「なあ、お前さんがた。ここを出るつもりなら、ついでに運んでってくれないか?」
 突然の、聞き覚えのない声に警戒する。それも、声が魔獣の口から出ているのだからなおさらだ。
「魔獣がしゃべった……?」
「違う違う。わたしゃ、ここだ」
 どう考えても死んでいるし、夢魔も消えたはず……と見下ろすと、獣の口から、白いカメレオンに似た生き物が出てくる。
 な……何だこれ?
「お前は何者だ?」
 のぞき込む道化師さんも警戒した様子。
 相手は、大きな赤い目で見上げてくる。ちょっと愛嬌あるかも?
「わたしは、お前さんがたが言うところの古代種の一種だよ。自分たちでは、アズナの化水族と呼んでる。普通なら、大陸の北の山奥で短い一生を終える種族だね」
 わたしには、何がなにやらさっぱり。
「未確認種族……?」
 道化師さんもあまり変わらないらしい。
「人間の目に触れることなどないからね。わたしゃ、こいつに食べられて、ここまで運ばれてきたんだ。消化されないものでね」
「ということは、この魔獣はずいぶん長い距離を旅してきたものだな……」
「そんなに時間はかかってないから、こいつも怪鳥か何かに運ばれたのかもしれないけれども……ところで、わたしを水陰柱へ運んでくれるかい? 無理なら近くまででいいが、もうそれほど、時間がない」
 危険な生物ではないと判断したのか、道化師さんが相手を両手の上に乗せる。
「もののついでだからかまわないが、時間がないとはどういうことだ?」
「わたしの命が尽きるのだよ」
 軽い調子で放たれた一言に、わたしたちは一瞬黙る。
「なあに、そう気にすることはないだろう。これが我らの種族のものの運命さ。アズナの化水族は水陽柱の流れに逆らって海に産み落とされ、一週間以内に水陰柱に至り、溶けて消える。水の流れの逆に循環するのが宿命さ」
 何というか……衝撃的だった。
 一週間の命という短い運命を持ちながら、これだけ高度な知能を持っている。そして、従順に生命のサイクルにならうことが。
「あの、どうしても水陰柱に行って溶けなきゃいけないの? 生きながらえるのなら……」
「水陰柱に行かなくても、干からびて死ぬ。どうせなら、使命を果たしたと思って死にたいものだ」
 本人はあっけらかんとしている。
 それでも、わたし同様、道化師さんも納得がいかないらしい。
「それが運命、使命だということが事実にしても……生まれてきたことを後悔したりしないか?」
 それも、古代種は笑い飛ばす。
「普通の人間は空を飛べない、ということと同じように、決まりきったことを後悔しても仕方ない。これが、生きているうちにできることが世界に不幸をまき散らすようなことしかないならともかく、ひとつでも満足できることをやり遂げて死ねるなら、まあ悪くないだろう」
「……そうか」
 というものの、道化師さんの目は哀しそうにも見える。やっぱり納得したわけではなさそうだ。
 でも、このアズナの化水族の運命を変える手段なんて、わたしたちは持ち合わせていない。洞窟を出ると、道を引き返す。前方に、水陰柱が大きく見えてくる。
「まあ、同じ種族の中でもわたしは運がいい。ずいぶん長い距離を旅して、色々な経験を積んだからね」
 街に入ると、まだ人数は少ないものの、通行人が不思議そうに振り返ってくる。わたしたちはかなり汚れてるし、不思議な生き物もいるしなあ。道化師さんの格好にはもうみんな慣れてるらしいから別として。
「それにしても、水陰柱を昇って、水陽柱を降るなんて不思議……でも、水没を何とかしないと、その流れも絶たれるんですね」
「人間たちは騒いでるが、わたしたちは気にしない。水没したらしたで、別の生きかたになるだろうさ。あるいは、世界と一緒に滅びるのか。それも運命さ」
 その運命のせいか、彼は――性別なさそうな相手だけど――生き物の本能を超越した考え方をするようだ。人間としては、世界が滅びると物凄く困るんだけれど。
 エレオーシュの水陰柱は、北の公園のそばにある。小さな湖の真ん中に水の柱が降りそそぎ、流れは運河へ、研究所の湖へとつながっているのだ。
「いいのか?」
「ああ」
 アズナの化水族は、道化師さんの手のひらの上で水陰柱に向き直った。その赤い目は、少しだけ、感慨深そうにも見える。
「お前さんがた、世話になったね。達者でな。長生きしろよ」
 最後に声を掛ける余裕もなかった。
 ぽーん、と何かに弾かれたように跳びあがり、水しぶきの中へと消えていく。
 わたしたちはしばらく、木の柵の前で立ち尽くしていた。
「……何だか、さっぱりした人でしたね」
「そうだな。自分が世界の一部であることを強く自覚しているのか……素直に生きているということだろう」
「なんか、見た目だけじゃなく、性格もジョーディさんに似てたかも」
「ほお。誰が似てるって?」
「もちろん……」
 と、答えかけて振り返り。
 そこにある姿は、腕組をしたカメレオン人間と、警備隊員らしい男性二人。
 ――うひいいぃぃぃ!
 ごつっ。
 驚いてる間に、シュレール族の拳がわたしと道化師さんの頭に落ちる。痛い。凄く痛い。
 そのままジョーディさんはわたしたちの手首をつかみ、早足で歩き始める。
「こ、これにはですね。そこの湖よりも深い理由がっ!」
「じゃかぁしい。言い訳は研究所で聞く」
「いやその、つい悪戯心がですね……!」
 振り返ることなく大股で歩くジョーディさんに、なおも言い募るわたし。あきらめモードなのか、あさっての方向を見たまま黙っている道化師さん。呆れ顔でついてくる警備隊員。
 そんなご一行が研究所の門をくぐると、ロインさんやマリンダさんら備え役の人たちに、学長さんやビストリカ、テルミ先生といった教授たち数人、それに学生さんや地球人のみんなまで集まってたりして。
 ――ど、どう見ても大問題だよコレ!?
 背後で扉が閉められる。ジョーディさんがやっと手を離し、困ったような顔をしたロインさんのそばへ。
 わたしは、みんなの顔を見回して。
「どうもすみませんでしたっ!」
 思いっきり土下座。
 恥も外聞もどこかに捨て去った行動に、さすがに周囲の人たちは虚をつかれた顔。
「好奇心を抑えられずに勝手に外に出て道化師さんのあとをつけました。自分勝手な行動を反省します。もうしませんごめんなさい」
 ここまでの謝りっぷりを披露したのは、昔お祖父ちゃんの盆栽を間違って葉を刈ってミニクリスマスツリーに仕立て上げて以来だ。
「ま、まあ……アイはそれでいいとして」
 やや引き気味のジョーディさん、道化師さんに目を向ける。
 だけど。
「休日の行動を制限されるいわれはない」
 相手はそっぽ向いたまま、そんなことをのたまう。
 わたしは彼の袖を引き、
「何言ってるんですか道化師さん、こういうときは謝るが勝ちですよ!」
 言わなくていいことを言ってしまう。テルミ先生があきれたように「世渡り上手……」などとつぶやくのが聞こえた。
 こっちを見下ろし、道化師さんもあきれたような感心したような、朝方も見た表情を少しの間浮かべるものの、すぐに目を逸らす。
「べつに……旅暮らしをしていたわたしにとっては、良くあることだ。咎められることはない」
 ――こういう風に、頑なになる性格じゃないと思ってたんだけれどなあ。
「確かに、書類上はその通りだが……」
 何やら口を開きかけたジョーディさんを制し、ロインさんが言いながら前に出て、ふう、と息を吐く。
「……お前のことだ。どうせ、今の状況でこれ以上備え役の負担は増やせないとでも考えたんだろうが……」
 リーダーはちゃんと性格を把握している。
「お前に何かあれば、それこそこの魔法研究所にとっては大きな損失だ。それも考えて行動しろ」
「わかっている」
 わかっているんだかいないんだか……それでも、ようやく、道化師さんは相手と目を合わせた。
 ほっとしたのも束の間。
「アイ。あなた、向こう一週間、風呂掃除ね」
 テルミ先生の宣告。
 学長さんも何も言わないってことは、そういうことか……ま、風呂掃除くらい……仕方ない。わたしがやったことは規律違反だ。
「まったく、ダメですよ無茶しちゃあ。それにしても、凄く汚れてますね、アイちゃん」
「まず、自分が風呂入らんとな。掃除は手伝うから、落ち込むな」
 ビストリカとヴィーランドさんがまず歩み寄ってきて慰めてくれる。それほど、落ち込んではいないけれど。
 道化師さんはロインさんやジョーディさんに引っ張られて行きそうだったけれど、急にそちらを離れ、早足で近づいてきて、
「アイ……すまなかったな。それに、ありがとう。きみがいなければ、おそらくわたしは死んでいただろう」
 淡々とそうとだけ言って、備え役の中に戻っていく。
 わたしは彼のことばで初めて、今回のことの重大さを実感した。それは、周囲が考えているものとは質も量も違う重大さ。
 それを、わたしは自分の胸に仕舞っておくことにした。


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