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【モノカキさんに30のお題回答(3)】


21. Cry for the moon. - 裏切り


 四〇年続いた名君の治世が終わると、あっけないほど簡単に国は乱れ、貴族派の南と王族派の北に分かれた。境界上の村など常に襲撃に怯え、人々は緊張を強いられた。
 それだけなら、まだマシなほうだっただろう。一部の町や村では敵方からの潜入者を見つけた者には報奨金が出るとされ、魔女狩りに等しい様子を呈していた。
 サルビス・レイマーも、そうした潜入者狩りの犠牲者の一人には違いない。ただ、一四歳の少年が潜入者らしいということに、疑惑の目を向ける者、軽蔑の目を向ける者もいたが。
「まったく、ついてないよなあ、お前も」
 見張りの兵士の中でよく話しかけてくる男が同情の目を向けてくるが、サルビスは唇を噛んで睨み返す。
 故郷のサリトナで何年もともに笑いともに泣いてきた少女、エルナ。確かな絆があると信じてきた想い人に、敵方の潜入者だと突き出されたのは、一週間ほど前だ。
 ――金に目がくらんだか。
 エルナの母は病気で、弟もまだ幼い。彼女が今日を生き抜く金にすら困っていたことは知っていた。
 ――だからって、こんなやり方するなんて。
 仕方がない、という気持ちと裏切られた、という気持ち、そして、本当は嫌われていたんじゃないか、などというさまざまな疑念が湧いてきて、少年の心を苛む。
 処刑の日取りも決まっておらず、彼は幾日もの間、暗く冷たい牢の中で過ごした。
 だが、妙に喧騒が流れてきた日の夜、いつもの兵士がサルビスに声をかけた。
「終わったよ。お前の疑いも晴れるだろう」
……どっちが勝ったんだ?」
 大した興味もなく訊くと、兵士は苦笑した。
「民衆の一部が蜂起した。民衆派の勝ちだ」
「じゃあ……サリトナは無事か?」
 格子を握って身を乗り出すと、兵士の表情が曇る。
「サリトナでレジスタンスが蜂起したんだ。中心になった連中は逃げて別の町で逆転したが、町は戦場になった。町民はほぼ全滅で、今は焼け野原だ」
 そう言い残して、兵士は去っていく。
 何も信じられず、しばらく茫然としていたものの、やがて、少年の喉の奥からしぼり出された叫びが、夜の空気を震わせた。
 小さな窓からのぞく満月だけが、それを見下ろしていた。


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22. ふたり - ふたりで生きる


 心地よい風が頬を撫でていく。
 この山は、サツキにとって大学のサークル仲間にも教えていない穴場だった。良く知らない者は頂上付近へ続く獣道のような唯一の抜け道を、見つけることなどできない。風も芝の短い斜面の角度も申し分ないのに、今日も貸切状態。
 ただ、少し風が強い気がしたが、どうしても飛びたかった。そういう気分だった。
 いい風が吹いたのを見計らい、走り出す。断崖絶壁に向かって駆け下りるように。
 ふわり、と一瞬の浮遊感があって、次の瞬間から自分の体重をずしりと感じる。雲のまばらな空に黄色と赤のパラグライダーが舞った。崖が遥か足元を過ぎていく。足が地に着いていない感覚が少し心細いが、それ以上の解放感と視界一杯に広がる世界の広さがサツキは好きだった。
 ――まるで、別の世界に来たみたい。
 日常の色々なわずらわしいことも、空には届かない。失ったものとも、いつか巡りあえる。届かないものにも、同じ空でつながっている。
 ――癒されるって、こういうことなのかしら。
 そんなどこか温かい思いが心の奥から湧いて来たとき、不意に、横から強い風が叩きつけた。
「あ」
 それだけが口をついて出て見上げた目に、ねじれたロープが映った。

 気がつくと、木の枝からぶら下がっていた。少し焦って、こういうときはナイフでロープを切るのが常よね、と思うものの、見下ろしてみるとロープは割りと高い位置に引っかかったらしく、下の枝葉の隙間からのぞく大地は遠い。
 周囲にも、同じような高さの木々が並んでいる。この林の外からは見えないだろう。少なくとも、地上の者には。
 サツキは携帯電話を置いてきたことを後悔する。いつもなら安全第一で携帯電話は常に持ち歩くし、そもそも、こんな風の強い日には飛ぼうとしない。でも、今日は日常のあらゆるものから遠ざかりたかった。だからあえて、誰からも声をかけられないよう携帯電話を家に置き、隠れるようにしてここまで来たのだ。
 ――それに、携帯電話にはまだ、あの人の番号が残っているから。
 それでも、少しだけ後悔した。もしかしたらこのまま誰にも発見されず、干からびて死ぬのかもしれない。そんな不安が押し寄せてくるから。しかも、もうすぐ夜が来る。飛行機もヘリも滅多に通らない上空から発見される可能性は少ない。望みは、友達が気がついてくれるかどうかだ。
 不安を押し殺して、祈るような気持ちで待つことにした。長い間を黙ってそうしているのも疲れるもので、さらに、ふと不安を思い出してしまう。やがてひとりでしりとりをしたり、楽しい記憶を思い出して時間を潰すようになる。
 ――皮肉なものね。ひとりになりたい、と思ってたのに。
 苦笑しかけたとき、夕日が薄れ暗くなりかけた空の彼方から、何かが聞こえた。
 ――ヘリか飛行機が来た?
 心臓が跳ね上がる。これで助かるかも、という喜びと、半信半疑な気持ちで、徐々に大きくなる黒い影を凝視する。
 姿がはっきりするにつれてわかった。それは、ヘリでも飛行機でもない。ハングライダーにつかまる人間だ。大きくなる音は、悲鳴だったらしい。
 若い男だ、とわかるくらいまで大きくなると、悲鳴も枯れていた。
「ああああぁぁぁ……
 ちょっと疲れたように尻すぼみになった直後、バサッ、と大きな音がして、舞い散った木の葉がサツキのほうまで飛んだ。男が突っ込んだのは、ひとつ挟んだ向こうの木だ。
「あの、大丈夫ですかー?」
 少しの間あっけに取られながら、心配になって声をかけてみる。
「え? あ、人がいるんですか? 何とか引っかかって大丈夫みたいです。あの、どこですか?」
 まさか、相手も枝に吊るされているとは思っていなかったのだろう。サツキがこっち、と声を張り上げると、男はそちらを振り向いて、ええ、と大声を上げた。
「いやあの、奇遇ですね、こんなところでこんな風に会うなんて」
 不謹慎だと思いながらも、サツキは思いがけず人と出会えたことに嬉しさを隠せない。
「携帯電話とか、お持ちじゃないですか?」
 救助してくれるようなヘリや飛行機でなかったことに少しがっかりした部分もあるが、それでも外と連絡が取れれば救助を呼べる。このご時勢、大抵の人は携帯電話を持っているはずだ。
 しかし、男は首を振った。
「すみません。どうも、今日は携帯電話を持ちたくなくて……。実は昨日、大事な試験に落ちたんですよ。だからまあ、話を聞いてくれるような人もいないし、逆に結果を訊かれるのも嫌だし、鬱憤晴らしにこうやって飛んでたところなんです」
「そうですか。わたしも同じようなものなんで、気にしないでください。一週間くらい前に大事な人が亡くなって……それで、ひとりになりたかったんです」
「え。それじゃあ、ぼくはお邪魔でした?」
 男がおどけたように言ったので、サツキは思わず笑った。
「そんなわけないじゃないですか。ひとりより、ふたりのほうが心強いですよ」
 話し相手ができただけで、ほとんど不安を忘れることができた。
 相手も黙っていると不安なのか、それとも話し好きなのか。まずは自己紹介をしたあと、色々なことを話した。サツキは一緒に飛ぶことの多いサークル仲間のこと、大学を出たらインテリアデザイナーを目指すこと、実家のこと、好きなお店やそこの料理、他愛もないことを。男はバイトをしながら医者を目指しているという。彼はバイト中のコンビニであった面白いエピソードを中心に話していた。
 夜、暗闇の中でも眠らず、眠ることなどできず、話し続けた。ふたりとも飛ぶのが好きなこと、好きな音楽やテレビ番組が似ていることで盛り上がった。
 ――こんなに笑ったの、久しぶりかもしれない。
 死の危険すらある状況なのに、サツキはこれほど楽しい時間を過ごしたのはいつだったろう、と思った。こうなって良かった、とすら、少し思っていた。
 そして、この特殊な状況だからかもしれない、と頭の片隅にあっても、不安など少しも表に出さずこちらを気遣う男に、惹かれるものを感じた。
 やがて夜が明ける。暗かった木々の間にも、時間ごとに強さを増す朝日が射し込む。
「サツキさん、良かったら今度の日曜日、一緒にドライブに行きませんか? なんか、話してて楽しいし、もっと良く知りたいなと思って」
 そう思われたことに、喜びを感じる。
「わたしも、あなたと話してると凄く楽しい。行きましょう、ふたりで」
 どこかから聞こえてくるプロペラの音を耳にしながら、ふたりは笑い合った。


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23. 永遠 - 永遠に美しく


 騎士イスタル・カートンと王女の侍女セリアス・アルテナの深い関係は、宮廷に勤める者の誰もが知っているところだった。何せ、二人は孤児院からの幼馴染で何をするにも一緒だったのだ。同じ宮廷勤めという役職を選んだのも、おそらくできるだけ長く一緒に居たいからであろう。
 そんな二人をずっと目にしていた王女マイアはある日、悪戯心を出した。
「イスタル。そなた、わたしの物になれ」
 最初は、王女としても冗談のつもりだったのだろう。しかし、言われた方はそうは受け取らない。何せ、騎士は王族に剣を捧げた身であり、侍女のセリアスにとっては王女は主君なのだ。
 二人は泣く泣く王女に従った。宮廷勤めを辞め駆け落ちするなども考えなかったではないが、王立孤児院で育った二人には、国への恩返しという大きな目標もあったが故だとされている。
 初めは冗談のつもりで適当なところで切り上げようと考えていた王女も、やがて見目麗しく誠実なイスタルに夢中になった。彼女は父王の反対を押し切ってまで、騎士と婚約しようとした。イスタルは、王女との婚約をあることを条件に承諾したという。
「どうか、薔薇の一種類をわたしにください。その薔薇にセリアス・アルテナと名づけ、愛でることをお許しください」
 当時、貴族の間では薔薇を掛け合わせ新種を作ることが流行していた。王女も自分の土地で何種類もの薔薇を作らせ、新種を生み出していた。
「なんなりと選ぶがいい。その代わり、もうあの女と会うことは許さぬ」
 イスタルはそれを受け入れ、小ぶりな薄いピンク色の薔薇を選んだ。間もなくセリアスは侍女の役を解かれ、人知れず宮廷を後にしたという。
 薔薇の一種類くらい何だ、と王妃になったマイアはたかをくくっていた。彼女の宮は薔薇や宝石で彩られ、画家に美しく着飾った自分を何枚も描かせてあちこちに飾った。イスタルに常に自分を忘れさせないようにするかのように、永遠の美を刻み付けるように。
 だがイスタルはそれを目にしながら、ひっそりと咲く薄桃色の薔薇に毎朝声を掛けるのを忘れなかった。
「セリアス、今日も綺麗だよ」
 まるでそれが幼馴染の代わりというかのように、彼は薔薇を愛でた。毎日それを目にしているうちに、最初は平然としていたマイア王妃の心に嫉妬が燃え上がる。しかし、誇り高き彼女は約束を破ることはできず、ただ自らの美を磨くことでイスタルの心を奪おうとした。
 しかし、やがてその国は隣国からの侵略で滅ぼされる。きらびやかだった宮廷も焼け落ち、王妃の描かせた絵もほぼすべてが炭と化し、わずかに残った宝石や芸術品は奪われた。
 ただ、王妃が作った何種類もの薔薇は各地で栽培され、五〇〇年もの時を経て今に伝わっているという。

「へえ……マイア王妃の薔薇だけは、永遠の美になったんですですね」
 学生らしい少女が、台の上に飾られた鉢入りの薔薇を眺めてため息を洩らす。そのとなりで、連れの青年が苦笑した。
「永遠になったのは、美しさだけじゃないけどね」
 言って、彼は愛おしむように小さな薄桃色の花びらを撫でた。
「セリアス、今日も綺麗だよ」


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24. 3k - 最期のプレゼント


 地球人がL79と呼ぶ星雲にある惑星アノンから来たその女性は、スペースポートの床を踏んだ瞬間から、丸山藤吉の目と頭の中を支配した。
 色白な肌に細い手足、まるで本物の黄金のようなブロンド。目は薄い茶色で、ほとんど地球人と差異はないが、近づいてみれば手の指の間にわずかにえらが張っていた。しかし、当然ながらそれが彼女の魅力を損なうことは少しもない。
「あなたが案内人の人?」
 流暢な銀河共通語でのことばに、初めてこの仕事に就いていたことを喜びながら、藤吉は大きくうなずいた。
「アノン星からいらっしゃったエーソさまですね。わたしがガイドの丸山藤吉です。それでは、早速出発しましょう」
 エアカーに乗り、藤吉の運転で地球の名所めぐりが始まった。
 彼はここぞと持てる知識と知恵を発揮し、名所にまつわる話で彼女を感動させ、移動中の車内では笑わせた。やがて、だいぶ打ち解けた彼女は自分の身の上の話を始め、地球で文科系ジャーナリストになりたいと言い、それに対し藤吉は知り合いを紹介しようと応じた。
 地球を訪れるアノン星人は少ない。初めての惑星で頼りもないエーソは、それに感謝した。
 ツアーが終了してからも何度も二人は顔を合わせ、やがてお互いを恋人と認識するまで時間はかからなかった。それもやがて夫婦という関係に変わり、贅沢ではないが豊かな生活が始まった。
 始まって間もなく検査で地球人とアノン星人の肉体構造に相容れない部分はないと判明すると、子宝にも恵まれた。史上初の地球人とアノン星人のハーフの女の子は、すくすくと育っていた。
 しかし、幸せが続くのもここまでだった。エーソが原因不明の病に倒れたのである。
「先生、何とかならないんですか?」
 藤吉はつかみかからんばかりに医者に詰め寄った。しかし、医者はどうしようもない風に首を振る。
「アノン星の医者でも治療法のわからない病なのです。気の毒ですが、お手上げです」
 間もなく妻を失うことになった男は、目の前が真っ暗になった。妻を失うことも悲しいが、娘が不憫で仕方がない。その上、一人で娘を養っていかなければいけないのだ。
 エーソは何も伝えられていないにもかかわらず自分の状態を理解しているのか、病室で二人きりになると、最期の頼みだと告げた。
「最期なんて言うもんじゃないよ。すぐに元気になるって」
「いいの、わかってるの。だからお願い、聞いて……わたしが死んだら、火葬にして。そして、骨以外の物は自由に使ってね」
 なぜ、そんなことを言うのか。理解はできなかったが、藤吉は彼女の想いを汲み、わかった、と答えた。

 その一ヶ月ほどあと、エーソの葬儀が行われた。少ない参列者で式は慎ましやかに行われ、やがて彼女が火葬に処されたあと、藤吉らが中に入る前に、火葬場から係りの者が小さな容器を持ってやって来た。
「どうやら、これは奥さんからの最期の贈り物のようです」
 受け取ると、見た目より重い。三キログラムはあるだろうか。
 中身を見ると、そこにはエーソの髪を思わせる黄金が輝いていた。



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25. 棘 - 遠き薔薇色の日々


 綺麗な薔薇には棘がある。
 オペラ歌手のクレリアは、まさにそれを全身で表わしたような女だった。ブロンドに碧眼、代名詞のような赤いワンピースのスカート。彼女がくるりと一回転すれば、劇場の上の席に座る観客には薔薇の花が見えるという。それゆえか、あるいは気高くなびかない性格ゆえか人々は彼女を〈真紅の薔薇姫〉という二つ名で呼んだ。
 彼女に想いを寄せる者は多いが、中でも二人の男が熱心に気を引こうとしていた。一人は当時の貴族の息子レオン、もう一人は花屋のベンだ。
 レオンは公演後、必ず彼女に百本の薔薇を贈った。
 ベンはそれに対抗し薔薇を見繕うものの、売り物を使うわけにはいかない。彼は二人の弟を養うために、一切の無駄はできなかった。
 仕方がなく布と紐で作った薔薇を何本か作り、彼女に手渡そうとした。
「ずいぶん安っぽい薔薇ね。わたくしには似合わないわ」
 手作りの薔薇を見るなり、クレリアはそう嘲った。
「香りもなく、味気ない。輝きもないわ」
 彼女の両腕には薔薇の花束が抱えられている。その花束からは、甘い香りが漂ってくる。
「確かに、この薔薇からは甘い香りはしません。しかし、この薔薇は腐ることもなく、水をやる手間もありません」
「それで、生きていると言えるかしら? 部屋の片隅で忘れ去られていくだけよ。邪魔にならないだけ、腐る方がマシだわ。それに、棘もないじゃない」
「忘れられていくにしても、あなたと同じ空間にあるだけで幸せなのです。それに、棘が万が一にもあなたの美しい柔肌を傷つけないかと不安なのです」
 少しだけ興味を持ったように、クレリアはいかにも安そうで地味な服を来た男を見た。
「そう、それじゃあもらってあげるわ。でも、植物の薔薇の棘に負けるほど、この薔薇姫はヤワじゃないわよ」
 ほほほ、と上品な笑い声を上げて、美女はベンの前から去っていった。

 〈真紅の薔薇姫〉クレリアが舞台を降りたという話が新聞を賑わせたのは間もなくのことだった。ベンはどうにか金を作ってオペラを鑑賞したが、歌手は見たことのない女に代わっていた。
 彼は劇団の関係者に食い下がり、クレリアの居場所を突き止めた。
 街外れの、小さな家。小奇麗ではあるが、記憶にある彼女の姿に比べてずいぶんと質素で寂しげに見える。
 白いドアをノックすると、中から小さな声がした。鍵はかかっておらず、取っ手を回して押し付けると簡単に開いた。
 中に入ると、居間にベッドが置いてあった。そこに一人の人間が横たわっている。奇妙な姿だ――全身、ほとんど包帯でグルグル巻きだ。帽子を深く被り、表情は見えない。しかし、その見事なブロンドは確かに見覚えのあるものだ。
「びっくりしたでしょう?」
 弱々しい声がマスク越しに聞こえる。彼女の言う通り、ベンは茫然として出入り口の前に立ち尽くしたままだった。
「こうなってから、みんなわたくしの周りから離れて行ったわ。わたくしをもてはやした色々な人たち、結婚しようとささやいたあのレオンも。馬鹿な話。あの頃は周りに寄り付く人のほとんどがうざったくて、それでも心のどこかで不安で、きつく当たっては離れていかないかどうか、自分の価値を確かめてたのでしょう」
 彼女はゆっくりと身を起こすと、手の甲を隠す包帯をずらして見せた。すると、かつて『白磁の肌』と何度も形容された肌に、赤い腫れ物がいくつも並んでいた。それはまるで棘のようだ。
「あなたの言う通り、薔薇の棘は危険なものだった。不注意で棘を指に刺してしまって、そこから何か病気の元が入ったらしいの。わたくしに優しかったのは、結局あれだけよ」
 彼女に残されたただ唯一の花束が壁に飾られていた。薔薇姫と常にともにあった薔薇を思わせる物は、この家の内外でそれだけだ。
「あなたも、こんなわたくしに興味をなくしたでしょう? いいのよ。所詮、棘のある者など厄介者ですもの」
「そんなことはありません」
 何かに突き動かされるようにベンは声を張り上げていた。事実、彼は今のクレリアを厄介者とも不気味とも思わなかった。むしろ、前より好ましくさえ思える。
「あなたの棘は、わたしの心にずっと突き刺さっています……それは少し痛いけれど、とても甘美で忘れられないものです。どうやら、とっくに薔薇の棘の毒にやられていたらしい」
 彼はベッドのそばにより、今は誰しも触れたがらない女の手を取った。
 驚いたように顔を上げたクレリアは頬を染める。その色は、薔薇のようだった。



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26. パンドラ - 戦士の感情


 今週もまた、サイレンが鳴った。鳴るたびにユキは、ぼくと同い年という設定にしては幼い顔に笑みを浮かべ、手を振って戦闘機のハッチの向こうに消えていく。
「それじゃ、タクミ。お留守番、よろしくね!」
 実年齢はずっと年下のクセに、姉のような口ぶりで言って、家でもある基地を飛び出す――戦場に向かって。
 戦いのために造られた、人工戦士。まだ、生まれて一年も経っていない少女、それがユキだ。
 この国には、人工戦士の意志を守る法律がある。彼女が戦いたくないと言えば、国はその意志を尊重しなければならない。
 でも、そんな法律は見せ掛けだけの役立たずだ。戦いに関係のない部分は赤ん坊同然の彼女に、何をしたい、何をするのは嫌だ、なんて感情はない。周囲は彼女を戦士として扱い、彼女もそれを当然のものとして受け入れるのだから。
 この基地の科学者である父も、そんな状況に疑問を持っていたのかも知れない。だからぼくに、彼女の話し相手を頼んだ。
 そして、ぼくもそれを受け入れ、同時に、誓った。絶対、彼女に『戦い』以外のものへの興味を抱かせて見せると。

 ぼくはまず、ユキに感情を教えなければならなかった。彼女はいつも笑顔だったけど、常に『嬉しい』わけではないらしい。
「こういう顔してると、みんな、同じような顔になるの。これって、いいこと?」
 いつものやわらかな笑みを浮かべて、彼女は、小さく首を傾げる。
「確かに、ユキが笑っていたら、ぼくも嬉しいよ。でも、無理をして笑うことはないんだよ?」
 基地のみんなも、ユキがいると周りが明るくなると言う。でも、彼女が無理をして笑顔を作ってるんじゃないかと、ぼくは心配だった。
 彼女は首を振り、いつもの笑顔で言った。
「ううん。あたしも、タクミが笑っていたらいい気分になるの。『嬉しい』って、こんな感情なんだね」
 彼女が感情を知れば知るほど、ぼくは嬉しい。
 そのことを知った彼女は、熱心に、何かを感じるたびに『これ、何ていう感情?』と尋ねるようになった。
 そのたびに説明するのは苦労したけど、ユキは少しずつ、感情を覚えていった。
 でも、感情には、嫌な感情、というものもある。生まれて間もない彼女の心には、パンドラの箱を開けたように、新しい感情が次々と出てくる。その中には恐れ、悲しみ、寂しさ、妬み、不安など……そういう感情も次々と生まれてくるのだ。
 ぼくは、少しだけそれを教えることになる日を恐れていた。でも、その日は、必ず来る。
「ねえ、これ、何ていう感情かな?」
 ユキが戦場デビューを果たした直後。いつもの笑顔で、彼女は基地内の丘を駆け登って来た。
「大勢の敵をやっつけて、みんなに褒められたんだ。これは、嬉しいこと?」
 彼女の敵は、機械でも何でもない。敵国の兵士とはいえ、戦闘機に乗っているのは、感情を備えた人間だ。
 こんな重い事実を、生まれてまだ数ヶ月のユキに、言うべきだろうか。
 ぼくが口を開く前に、ユキは、ぼくの表情を読んだ。
「タクミ、悲しい顔をしてる」
 彼女の暗い声に、ドキリとする。
「これは、悪いことなの? あたし、このために造られたんだよ。あたしは、悪いことのために造られたの?」
「そうじゃない。戦うのは必要だよ、ぼくが生きるためにも、きみが生きるためにも。でも……
 戦うのは、彼女だ。何もせずにまってるだけのぼくが、こんなことを言っていいのか。彼女を悩ませるだけじゃないのか。
 顔を上げて見ると、悲しみの表情を浮かべたまま、それでも彼女は待っている。ぼくのことばを。
「敵の人間だって……生きていたいんだ」
 こんなこと、言って何になる――。
 自己嫌悪に陥りそうになったとき、目の前に、ユキの笑顔が広がる。
「じゃあ、死なせないように勝てばいいんだ」
 彼女は、こともなげに言ってのけた。

 あれ以来、ユキは確かに、『死なせないで勝つ』ことに力を使うようになった。
 そして、彼女が生まれて半年。そろそろ、戦いの終りも見えてきた。
「戦争が終わる前に、今まで聞きそびれていた感情のことを知りたいんだ」
 丘の上で並んで座り、もうすぐ『戦士』を廃業する彼女は、ぼくを見る。
「最近、タクミと一緒にいると、胸がドキドキするの。ドクターに聞いたら、これは病気じゃない、タクミにきいてごらん、って言うの」
 聞いているうちに、ぼくまで、鼓動が速くなるのを感じてしまう。
 この感情は――。
「これ、なんていう感情?」
 少し赤く染まった笑顔で、ユキはこちらを向く。
 ぼくは、顔をそらした。こちらも赤面していることを、見られたくなかったからだ。
「ぼくも、よくわからないけど、ユキに同じような気持ちになるよ。これから少しずつ、二人でこの感情を確かめていこうか」
「うん!」
 まだ、こちらの複雑な感情は見抜けない少女は、ぼくの照れ隠しを真に受けて、勢いよくうなずく。
 このときぼくが感じていた感情は、パンドラの箱の底に残っていた最後のものに近いかもしれない、と思った。



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27. 迷い子 - 恒星のお触れ


「マルファン、救難信号の発生源は本当にこの辺りなの?」
 探査船〈インディ〉号の船長、永月ミノリは、オペレーターに尋ねた。金髪碧眼の青年は素早く、モニターに目標との相関距離を表示する。
「ええ、信号の劣化が激しいのでまだ正確な位置はつかめませんが、それももうすぐです。ただ、ちょっと色々と、おかしなことがありますが……
「おかしなこと?」
 部下の煮え切らないことばに、船長は鋭く先を促す。
「それが、目標が移動しているんです。また、どうもパラモ星系の恒星の反応が強力で……つまり、超新星爆発を起こそうとしているのではないかと」
「目標の、速度と針路を計算してみて」
 超新星爆発については無視して、船長は指示を下す。
 マルファンは内心苦笑しながら、数字をはじき出す。彼としては、すぐにパラモ星系から離れたいところだが、船長はパイロットのアランに、そのまま接近を命じていた。
「どうやら、目標は恒星の周りを公転していたようですね」
 間もなく船はパラモ星系に入ったらしく、ワープ航法から通常航法に移行する。
 モニター上の映像が切り替わると、ブリッジがわずかにざわめく。まず注目を浴びるのは、暴力的なほどの荒々しさを印象付ける、膨れ上がった恒星だ。真っ赤に燃え上がるその姿は、いつ爆発してもおかしくないように見えた。
「目標捕捉。モニターに出します」
 マルファンが言い、捕らえた映像を拡大した。映し出された船の姿は、もともとは純白だったはずの機体にいくつも黒いものが浮かび、かなり傷んだ様子だった。
「ただちに回収し、離脱します」
 クルーたちの間で〈鉄の女〉とささやかれる船長も、さすがに危機感を抱いているらしい。そして、彼女以上に切迫した心境の部下たちは、速やかに指示に従う。
 〈インディ〉号は間もなくアームで遭難船――マルファンが読み取ったところ〈ジェシカ〉号を固定した。
「どうやら、ずいぶん長い間漂っていたようですね。何十年か……何百年か」
「壮大な時間の迷い子だ。生き残りは期待できそうにないか」
 マルファンのとなりの席で、アランがたくましい肩をすくめる。
 それを見て同調し、視線を戻して、オペレーターはサブモニターの隅に表示された数字に飛び上がりかけた。
「こ、恒星に異状が!」
「バリア展開。ワープ、最大出力」
 皆まで聞かず、船長が指示する。パイロットの反応も、素早く、そして的確だった。
 崩壊を開始した恒星を横目に、〈インディ〉号は、もう一機の船とともにパラモ星系をあとにした。

 近くの惑星のスペースポートに降り立った〈インディ〉号のクルーは、すぐに、〈ジェシカ〉号の内部調査を終え、その処理を惑星の政府に任せた。
 数時間の後に、惑星ネットワークを、救難船確保のニュースが飛び回る。レオン星所属の探査船〈インディ〉号がパラモ星系にて〈ジェシカ〉号を確保、生存者七名――と。
「しかし、驚きましたね」
 スペースポートを離れ、すでに船が大気圏外に飛び出したところで、アランが改めて感嘆する。
「よく、百年以上も、よく生きていたものですよ。それほどパラモ星系の冷凍睡眠装置が優れていたってことですか」
「しかし、恒星の熱でだいぶ危険な状態になってましたよ。そうでなくても、少しでも遅れていたら、超新星爆発に巻き込まれていたはず」
 CGで表示されたパラモ星系をモニターに出し、マルファンが溜め息を洩らす。
「宇宙では、こういうことも度々あるわ。運命としか言いようのないことが。……もしかしたら、あの恒星がわたしたちを呼んだのかもね」
……そうですね」
 恒星の発する異常な電波が注意を向けるきっかけとなったことを思い出し、オペレーターは言った。
 爆発した恒星は次の世代の星々の礎となり、またいつか、周囲に星を、生命を生むことになるのだろう。
 きっと、生き残った七人が新たな世代に知識と技術を伝えていくに違いない。
 そんな願いを乗せたまま、船は深遠の闇に飛び込んでいった。



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28. 記憶 - タイムリミット


 僕がミッションから戻ると、エリサはいつも通りに迎えてくれた。
「お帰りなさい。お腹すいてる? まずシャワーでも浴びる?」
 本当にいつも通りのことばに、僕は苦笑する。
「それより今は、話がしたいな。この一ヶ月、変わりなかったかい?」
 何せただ一ヶ月家を空けていただけじゃない。僕は宇宙飛行士として地球を離れていたのだ。人類が徐々に宇宙を住処にするに至り通信技術も向上しているとはいえ、スペースシャトルの中からじゃ連絡もまともに取れない。一週間ごとにお互いの安否を確認する短いメッセージを交換するくらいだった。
「あ、あらそうね、気がつかなかったわ」
 彼女は少し焦ったように、読んでいた新聞紙を脇に挟むとほほ笑んだ。新聞紙には『爆発』とか『暴走』とか、物騒な見出しが並ぶ。世間はいつもと変わりなさそうだ。
「それじゃあ、お茶でも飲みながら積もる話をしましょうか」
 ――それから、妻と僕の今まで通りの日々が始まった。
 彼女は家で家事炊事をこなし、僕はほぼ家と仕事場である宇宙センターを行き来するだけの日々。というのも、エリサは僕が寄り道するのを凄く嫌う。理由を訊いてみたら『あなたが男前だから、心配になっちゃうの』と答えた。照れくさい話だけど、悪い気はしない。
 ただ、年に何度かだけ僕は寄り道をした。彼女の誕生日や結婚記念日、クリスマスの日だ。それでも彼女は嫌な顔をするので『同僚に頼んだ』と嘘を吐いて。罪悪感はあるが、贈り物くらい自分で選びたいじゃないか。
「すいません、これください」
 宇宙飛行から戻って五年目。毎回装飾品や芸術品では芸がないので、この年の誕生日プレゼントは趣向を変え、小型の3Dテレビにする。僕は家電商品店で、手のひらに載る大きさのそれをレジに持っていく。
 そのとき、展示品のテレビが一斉にニュースを流し始めた。
『最近、老化や感情の変化も完璧に再現するアンドロイドによる成り済ましが問題になっていますが、今日未明、T市の市長がアンドロイドだったことが判明しました』
 アンドロイドが成り済ます……僕にとっては、聞いたことのない話題だ。
『これは彼が倒れ、検査を受けたことで判明したものです。アンドロイドは一度に大量の情報を得るとメモリ不足に陥る可能性があり、その場合、停止ならまだしもプログラムが暴走する可能性もあります。安全策として稼動期間が決められていますが、その前に暴走の可能性もあるため、政府が対策に……
 僕は少し、怖くなった。
 出会った人が実は人間じゃないかもしれないという不気味さもあるが、気になっていたことがあるからだ。
 毎日取っていたはずの新聞が解約されていたこと。インターネットで調べ物をしても表示できるサイトが制限されていること。そして、一度だけ家で見かけたアンドロイド販売のパンフレット。
 考えているうちに、そうとしか思えなくなってくる。
 寄り道をするなと言うのも、余り一度に多くの情報を与えて欲しくないからかもしれない。彼女自身、外出することも少なくなったし。
 でも、家に帰って彼女の笑顔を見ると、たとえアンドロイドでもいいじゃないかと思う。
 もう五年も一緒に暮らしているのだ。何か事情があるなら彼女が話してくれるのを待とう。話せないならそれでもいい。
 僕はそんな風に、日常を守る選択を下した。

 宇宙飛行から戻って一五年目のある朝。
 エリサは塞ぎ込むことが多くなった。白髪も増えたし顔には皺が目立つ。それでも彼女は魅力的だけど。
「あなたはいつまでも若々しいわね」
 そう言う彼女の笑顔は、少し寂しそうだった。
「僕はただ老け顔なだけだよ。それとも、きみに苦労を掛けて楽をしたからかもしれないね」
「そんなことないわ。この一五年楽しかったもの」
 なぜ一五年に限定するのかわからないけど、気にしないことにする。
「僕も楽しかったよ。でも、こう見えてもけっこうガタがきてるのさ。目が霞んだり耳鳴りがしたり……誰でも老いれば多少の変化はある」
 話しながら立ち上がる。元気が出るように、彼女の好きなハーブティーを入れようと思ったのだ。
 なのに、椅子から立ち上がった途端、ぐらりと身体が傾いた。
「あれ?」
 身体の横から床に思い切り倒れる。なのに、少しも痛くない。
「あなた!」
 エリサが駆け寄る。声ははっきり聞こえるのに、見上げる目には動きが容量が重過ぎて再生しきれない動画のようにブレ、遅れて見える。
「あなた……今まで、本当にありがとう。あなたが居てくれたおかげで寂しくなった。事故の報せを聞いたときには、生きる気力を無くしたもの」
 事故……
 どういうことかわからない。質問しようと口を開くが、のどの奥から今まで出したこともないような声が出た。
「稼動期間の一五年が経過しました。三〇秒後にこの機体は完全に停止します」
 目の前がブラックアウトする。薄れていく意識の中で、口が勝手にことばを紡いだ。
「お買い上げ、ご利用、ありがとうござい、マシタ」



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29. おかえり - 悪夢の終わり


 わたしは追われていた。夜道を独りで歩いていると、足音がついてくるようになったのはいつからだったか。詳しいことは思い出せない。
 ただ、足音に気がついてからは、できるだけ人込みに紛れて歩くようにした。それでもアパートの付近になると独りになる。いつも慌てて部屋へ駆け込むことになるが、相手は階段まで登ってくる勇気はないらしい。
「警察に相談してみようかな」
 わたしがそう口に出してみると、同居人は首を振った。
「いくらストーカー対策が強くなっているとはいえ、実害が無きゃ動いてくれないだろう。相手の顔も見てないんだろ?」
「それはそうだけど……
「できるのはせいぜい、防犯ブザーを持って気をつけておくくらいだな」
 ほんのそこまで、送り迎えくらいしてくれればいいのに……と思うけど、彼は外に出るのが嫌いなのだ。仕方がない。
「それより、新しいパターンを設定してみたんだ。試してくれないか」
 彼が言うのは、脳に思い通りの夢を見させる装置の話。わたしはこれが好きだ。横になってヘルメット型の装置を被っていると、何ともふわふわしたいい気持ちになって、彼が設定した夢の世界に没入する。
 空を飛んだり、雲に乗って飛び跳ねたり、南国風の海岸でイルカと泳いだり。
 この日は、森を歩く夢だった。枝葉に遮られたやわらかな陽射しが心地良い。
 でも、そこにあるはずのない姿があった。黒くチラチラした、人の形を真似たもの。
「待ってくれ。敵じゃない」
 思わず悲鳴を上げかけたわたしをなだめるように、それは大きく両腕を開く。
「この装置にハックしてきみの夢に出ている。落ち着いて聞いて欲しい。きみは、ここに……その家にいてはいけない。明日、使いの者をやる」
「あなた、一体誰なの?もしかして、ストーカー……?」
「悪いが時間がない。とにかく、明日、迎えにいく」
 わたしの質問には答えないまま、影は薄れて消えていく。
 ハッキングしてまで会いに来るなんて、尋常じゃない。
「どうだった?」
 同居人は何も気づいてないらしい。
 恐ろしかったけど、わたしは彼の笑顔を見て何も言えなくなった。
「とっても気持ち良い夢だったわ」
 わたしは明日、独りで戦おうと決意した。

 掃除の仕事を終え、同居人に言いつけられた買い物を済ますためにスーパーに入った頃には、すでに夕方を過ぎていた。
 昨日のことがあるせいか、いつもより周りの人々が気にかかる。誰もが怪しく見えてくる。
 わたしと同い年くらいの若い女が、お菓子屋さんのケーキを買っていた。誰かの誕生日なのか。
 そういえば、彼の誕生日はいつだったろう。
 必死に思い出そうとするが、まったく具体的な数字が浮かばない。一緒に誕生日を祝ったり、子どもの頃一緒に遊んだ映像は思い出せるのに。
 ――彼と出会った日はいつだったっけ?
 ――中学生のときはどのクラスだったっけ。
 ――部活は何だったかな。
 彼とわたしは幼馴染みだったはずなのに、何も知らないような気もする。
「大丈夫ですか、お嬢さん」
 急に声をかけられ、わたしは驚いて顔を上げた。そこにいたのが優しげな白髪の老人だったので、少し安心する。
「お顔色が悪いようだ。この店には医務室があるからね。案内しよう」
「いえ、わたしはべつに……
 言いかけたとき、首筋に何かが触れた――と気がついたときには、もう視界が暗転していた。

 わたしはベッドの上で目覚めた。
 身を起こすと、三人の男女が周囲を囲んでいる。見覚えのある、同僚たちの顔だ。
「大丈夫? 起きられる?」
「ええ、平気よ」
 まだちょっと頭がぼうっとしていたけど、どうにか笑顔を作る。
……あの男は?」
 それが少し気になった。別に、しばらく一緒に暮らしていたから情が移ったというわけじゃないけど。
 わたしのことばに応え、テレビが点けられる。すると、わたしがしばらく暮らしていたあのアパートに同僚の警察官たちが突入するシーンが映し出されていた。ニュースの録画だろう。
『洗脳装置を開発していた容疑者は容疑を認めているそうです』
 わたしはあの男の身辺捜査中に記憶を消され、あの男――同居人に都合のいい記憶を植えつけられていたのだ。今からすれば、なんであんな男を信じていたのかわからない。
 まったくと言っていいほど外出しないのも顔を見られないため。わたしにあの装置を使っていたのも洗脳を解かないようにするため。ストーカーについて警察に相談しようと言っても賛成しなかったのは、警察と関わらないようにするためだろう。
 やっと地に足がついた心地のわたしに、仲間の一人が笑顔を向ける。同期の婦人警官だ。
「おかえりなさい」
 それは、実家に帰って聞いたときよりもじんと心に沁みた。



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30. And that's all ...? (それでおしまい) ‐ 物語り


 最後の扉だった。
 三人――アオ、キキ、グリンは顔を見合わせる。この扉を開ければ長い長い旅も終わる。世界に光を取り戻すという目的は達成され、旅の途中知り合って道を同じくしてきた三人の『仲間』という関係も終わる。
 それが少し寂しい気もしていた。しかし、このときのために旅立ち苦難に立ち向かって来たのだ。
「開けるよ。みんなで開けよう」
 アオが取っ手に手を置く。その手に、他の二人も自分の片手を重ねた。
「いくよ」
 同時に手に力を込め、取っ手を回して押し開ける。
 隙間から光が漏れ出した。闇に閉ざされていた世界に、奪われていた光が取り戻されたのだ。
 こうして三人は目的を果たし、それぞれの故郷へと帰っていった。

……それで終わりなの?」
 少女は、祖母がパタンと本を閉じる音を聞いてからたっぷり待ったあと、拍子抜けしたように口を開いた。
 その様子を見て、祖母は顔の皺をさらに深くして笑う。
「彼らの人生はこのあともまだ続くだろうけど、物語はここで終わっているよ。いつまでもダラダラ続けるわけにもいかないしねえ」
「でも、もっと読みたい! もっと面白いことだって、きっと起こるよ!」
 少し怒ったように口を尖らせる孫に、老女はしばらく笑っていたものの、やがて思いついたように紙とペンを渡した。
「それじゃあ、面白いと思うことを書いてみるといい。きっと、あなたならもっと面白い物語が書けるよ。そうでなくても、面白いことを書いておけばあとで眺めて楽しむことができるからね」
 祖母の差し出した物を、少女は喜んで受けとった。
「うん、書く! 面白い物語書いて、お婆ちゃんに読んであげるね!」
 お気に入りの野原の木陰に向かうつもりか、弾んだ足取りで去っていく少女の背中を眺めながら、かつてキキと呼ばれた老女は、懐かしそうにボロボロのノートを撫でた。



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