第二章 光亡き街


  三、忘れられた都


 シリスの加勢を事前に察知したのは、ザンベルだけではない。シルベットもとうに、自分が唯一の戦力となったことに気づいている。
 彼は両手の剣から繰り出す絶え間ない攻撃をようやく止め、身を引いた。二刀流とはいえ、それぞれの刀で相手をするには、シリスとザンベルは手に余る……そう踏んだのだろう。
「天晴れな連中だ。いずれ、また手合わせ願うとしよう」
「待ちやがれ!」
 岩のようにじっと耐え、相手の攻撃をしのいでいたザンベルが、久々に敵に突進をかける。
「〈プリベント〉」
 後退しながら呪文を唱え、シルベットは高度な防御魔法を使った。自分ひとりにしか効果がないが、強力な結界で身体の表面を覆う魔法だ。リンファとロイエが追撃の魔法を放つが、それも傷ひとつつけることなく遮られてしまう。
 そして、シルベットは魔法の爆発や光にまぎれ、その向こうに広がる闇の海へと溶け込んでいった。
 常に吹き付けていた威圧感と殺気が消え、徐々に、戦場の熱が引いていく。
「ったく、冷や冷やモンだぜ……
 ザンベルがどかっと腰を下ろした。まだ剣は鞘に入れられておらず、にらむように闇を見据えている。
「みんな、大した怪我もなくてよかったよ」
 シリスは、ふうっと溜め息を洩らしながら言い、ザンベルに治療魔法をかける。彼自身とリンファも多少の傷を負っているが、それは後回しにする。
 剣を収めながらも、柄には手をかけたままで周囲を警戒していたリンファが、はっと何かに気がつく。
「どこへ行くつもりなの?」
 鋭い声と刺すような視線を向けた先には、足音を立てることなく、シルベットと同じように闇に紛れようとする、小柄な少女の姿があった。彼女はギクッと肩を震わせた後、観念したのか、その場に座り込む。
「わかったよ、返せばいいんだろ、返せば!」
 投げやりに言って突き出す財布に、傷の治療が済んだザンベルが飛びついた。
「おお、やっと戻ってきたか」
 財布と言うより金貨を包んで口をしばっただけの布切れだが、彼はそれに、大切そうに頬ずりする。
 一息ついて、振り返りかけたその視界に、仁王立ちしているリンファが見えた。その宝玉のように麗しい瞳が、真っ直ぐザンベルを見上げている。何か、見る者をギクリとさせるものを含んだ視線だ。
 やがて……彼女は凶悪な笑みを浮かべた。
「ふふふ……ザンベル、お財布を取り返すのを手伝ってもらっておいて、まさかタダってことはないでしょうねぇ……
 『ただ働き』は、リンファが最も嫌いなことばのひとつである。
「ぐっ……そう来ると思ったぜ」
 どうやらザンベルも、なんとなくリンファの性格を理解してきたらしい。彼はあきらめきった様子で、宿屋に一泊できる程度の金額を渡す。
 幾度となく似たような場面を見てきたシリスが、苦笑交じりにそれを眺めた後、決まり悪そうに顔をそむけている少女に歩み寄った。
……な、なんだよ」
「どうしてスリを? きみなら、まっとうに稼ぐこともできるだろうに」
 動揺を隠すようにぶっきらぼうに言う彼女に、シリスはそう問い掛ける。
 実際、彼女が〈光のステージ〉亭で稼いだ金額は、旅芸人としてもかなりのものだ。毎日の暮らしに困っているようには見えない。
……まっとうに稼いでる時間はないんだ。それに、あたしみたいなのをちゃんと雇ってくれるやつはいないよ。せいぜい盗賊関係くらいさ」
「時間がないって、何か理由があるのかい?」
「まあ……あんたには関係ないだろ。あんたが雇ってくれるってんなら、教えてもいいけどね」
 突き放したような彼女のことばに、シリスは腕を組んで考え込む。何かいい方法がないかと見回すその目に、拘束して意識を回復させたシムスから情報を聞き出すのに苦労しているリンファたちが映った。その光景に何かを思いつき、彼は顔を上げる。
「そうだ、彼から有効な情報を聞き出せたら三百カクラムっていうのはどう?」
「ほんとっ?」
 シリスの提案に、途端に目を輝かせる少女。
 つい今までの冷めた様子が嘘のように、やる気満々でリンファのとなりに滑り込む。
「さ、どいたどいた。こういうことは得意なんだ。任せてよ」
 不思議そうな一同の間に割り込み、彼女は、ロイエの魔法によって手足を凍り漬けにされたシムスの前にかがみ込んだ。典型的な武人気質のシムスは、ザンベルの脅しやリンファとロイエの魔法攻めにも、まったく動じない。
「押してダメなら引いてみろってやつだよ」
 なにやら懐をゴソゴソ探る彼女を、シムスは無表情で見上げた。
「無駄だ……殺すなら早く殺せ」
 魔法による炎や氷、水を利用した肉体的な拷問、それにもうここまでだ、という精神的圧力と説得も、彼の誇りと忠誠心の前には無意味だった。死より恥を嫌う者の前に、力による制圧など無意味だ。
 武人の心構えは微動だにしないと言いたげな彼に、だが、少女はニヤリと笑みを浮かべた。その左手には、なぜか桜色の口紅が握られている。
 その様子を見て、シムスはわずかな間だけ、怪訝そうな顔をしていた。
 その、五分後。
 リンファも加わり、彼女たちは戦慄する男性陣をよそに、恐怖の尋問を続けた。ついに観念したシムスは、洗いざらい知っていることを話し始めた。
「わたしたちは昔から七人で行動してきた。もう一人の女は、わたしたちを魔界から呼び出した男の部下らしい」
「その、あんたたちを呼び出した男って? ほら、言わないとイヤリングも着けちゃうよぉ」
「このネックレスも似合うんじゃない?」
「わかった、言う言う! 背の低い、マントで身を隠した男で、我々はほとんど会ったことはない。七人のリーダーのクーガや、参謀役のシルベットはよく会ってるかもしれないが」
 彼はさらに、七人全員について話した。まず、シムスにシルベット。リーダーの剣士クーガに、魔術師ロメンド、好戦的なベルオブ、何を考えているかわからない美少年エンデ、神官戦士ゴキス。
「我々の当面の任務は、ゾンビの手勢を増やすため、強い人間を殺すこと。すでに、エーリャ公国に三万以上がいるな。そして、より重要な任務は、この街からどこかに運ばれたという、源竜魂を捜すことだ」
「この街から運ばれたって、あのこと?」
 少女が、唐突に声を上げた。なぜ、それを知っているのか――と、周囲の者たちは驚きと疑惑の目を向ける。
「知ってるの?」
「心当たりが……タダじゃ言わないよ」
 身を乗り出すロイエの勢いにつられ、一瞬素直に言いそうになったが、彼女はことばを飲み込んだ。だが、少年魔術師は使命のためならいくらでも払うだろう。
 その前に、シムスを本来あるべき場所、魔界に返すことになる。魔力も高く知識はあるものの、リンファもロイエも召喚師ではないので、魔術師二人にシリスを加えた三人で、協力して〈魔界回帰〉の魔法を使う。
「待て、せめて化粧を落としてくれえ!」
 というのが、シムスの最後のことばだった。
 それにかまわず、四人が少女に話を聞いたところ、しばらく前に請け負った仕事で、ある物を運ぶのを手伝ったという。そのあるものの外見は、まさに源竜魂のようだ。
「運んだ先はあたしの故郷……暗黒都市グラスタさ。エアンセ公国にある、忘れられた都市だよ」
 忘れられた都市という異名の通り、長年旅をしているシリスやリンファ、ザンベルも聞き覚えがない都市の名前だった。エアンセ公国といえばのどかな農業の国で、暗黒都市など、まったく似つかわしくなく思える。
……あんたたち、グラスタに行くのかい?」
 不意に、彼女の顔色が変わった。
「なら、あたしを雇ったほうが身のためだよ。あの街は、この辺の常識が通じないんだ。それに、どこにあるかも知らないんだろ?」
 どこか今までと違う様相を帯びた彼女の様子に、シリスとロイエは一瞬目を見合わせた。結局、二人で依頼料を出して、少女を雇うことにする。リンファは金を出すくらいなら雇わないだろうし、ザンベルにはもうそれほどの持ち合わせがないだろう。
「賢明だね。あたしはピーニ・ランドラ。よろしく頼むよ」
 少女は言って、いたずらっぽく笑った。