第一章 フェイヴァニカの遺跡


  二、街なかの魔法乱舞


 揺れは、一瞬のことだった。地震ではないらしい。
「外が騒がしいな」
 棚から落ちかけた食器を危ういところで受け止めたマスターが、窓の外を見て言う。窓から見える広場は、煙に包まれていた。
「マスター、戻らなかったらツケといて」
「あいよ」
 シリスは立ち上がり、店を出た。その後ろにリンファが続く。
 飲食店街が建ち並ぶ西通りの中でも、この辺りは中央広場に近い。ナーサラ大陸一の貿易都市らしく、いつもは水夫や商人、冒険者や地元の人々が大勢行き来しているのだが、今はまったくと言っていいほど人通りがなかった。代わりに、煙が晴れてきた中央広場に、人だかりができているのが見える。
 シリスとリンファもまた、野次馬たちの輪のなかに加わる。
 その輪の中では、二人の魔術師が対峙していた。
 一人は、少女と見まごう美少年である。栗色のサラサラの髪に空色の瞳で、年の頃は、一六、七くらいか。青いローブとナナカマドから掘り出したと見える杖が、彼が魔術師であることを如実に表わしている。顔立ちはまだあどけないが、落ち着いた雰囲気をまとっていた。
 もう一方は、二〇代前半くらいの青年だった。金髪でそこそこハンサムだが、目つきや表情から、見る者に何となく柄の悪い印象を与える。身につけている地味なローブは、近くにある魔法学院の制服のようなものだ。
 学院生のそばには、凍りついた木片が散らばり、少年のそばでは石畳がえぐられ、周囲の草木が焦げていた。
「その程度でエリート学院生だって言うの? 魔法学院って、よほど評価が甘いんだね」
「うるさい、お前が杖を壊したから、集中が上手くいかなかったんだろうが!」
 あきれた様子で言う少年に、学院生は憎々しげに怒鳴った。わななくその右手に、魔力の光が収束し始める。
 シリスが周りの野次馬に聞いたところ、少年の侮辱に怒った学院生が火球で威嚇したのだという。いきなり杖を壊されて侮辱されれば、誰でも頭に来るだろう。
 だが、理由もなしにケンカを売るなど、あり得るだろうか?
 この状況下でも面倒臭そうにしている少年は、どう見ても好きで争いに参加するタイプではない。それに、これは野次馬たちの中でもシリスとリンファくらいにしかわからないが、少年の魔力は人並み外れて強力だった。わざわざ杖を破壊することもないだろう。
「駆け出しの見習いが、エリート魔術師に嫉妬したところで、実力の差は歴然だ! 思い知らせてやる!」
 怒りに顔をゆがめて怒鳴る学院生と、少しも怯まず、ただ冷ややかに相手を見上げている少年魔術師。一触即発、今にも攻撃魔法が乱れ飛びそうな気配だ。
 その危機を察し、一人の巨漢の剣士が、野次馬たちを押し退けて進み出た。
「おいおい、街中で魔法ぶっ放す気かぁ? もうすぐ警備兵も来るだろうしよ、このままじゃ、二人仲良くブタ箱行きだぜ。……よぉ兄ちゃん、何されたか知らねえが、たかがガキのしたことだろ?」
 いかつい顔になだめるような愛想笑いを浮かべつつ、彼はとりあえず、一人息巻く学院生に声をかけた。一見してわかる通り、少年のほうはこの争いに消極的だと判断したのだろう。
 しかし、彼の配慮はどうやら、逆効果になってしまったらしい。
「ふざけるな、仕掛けてきたのはそいつだぞ! たかがガキに侮辱されて、黙っていられるか!」
 少しも怯んだ様子も悪びれた様子もない少年と、大人気ない、と言いたげな野次馬たちの視線。その両方に、彼は頭に来たらしい。すでに完成いていた右手の火球を、見せびらかすようにして高くかざした。
「みんな、離れて!」
 シリスが叫ぶのにワンテンポ遅れて、野次馬たちの間から悲鳴が上がる。その数秒前からリンファは呪文を唱えていた。
「〈マナウォール〉」
 赤い光の膜が一気に展開し、ドーナツ型を形作った。内側から放たれた火球の爆発とその余波は、半透明な膜に遮られ、部外者にかすり傷ひとつ負わせることはない。
 最も、当事者たちにも怪我はないらしかった。少年も防御魔法で身を守ったのだろう。そのすぐそばに、新たなクレーターがひとつ、石畳に刻まれている。
「おっ、おい、本当にこの街を壊す気かよ!?」
 危うく魔法に巻き込まれそうになり、尻餅をついた大男がわめく。だが、それも対峙する二人の耳には届いていない。それどころか、少年魔術師は剣士を見て冷たく言い放つ。
「どいてたほうがいいんじゃない? おじさん」
「おっ、おじ……
 あまりのショックのせいか、剣士は絶句した。
 このままでは本当に、街なかを破壊されかねない。シリスがそろそろどうしようかと、辺りを見回した、その時――
「道を空けろ! 何事だ!?」
声とともにこの修羅場に踏み込んできたのは、六人の、似た格好をした男たちだった。彼らがたずさえた大きな長方形の盾、ヒータシールドには、パンジーヒア王国の紋章が刻まれている。それは、このセルフォン市内の安全を預かる者たち――警備兵の証だった。