微睡みの中。不意に何かの刺激を受けたような気がして、月彦はゆっくりと瞼を開けた。
 が、すぐに閉じた。そのままうつらうつらと眠りの淵に転がり落ちようとした矢先、今度ははっきりとぴんぽーん、とインターホンの音が聞こえた。
「んん……?」
 こんな朝っぱらから誰だと、軽い苛立ちと共に枕元の目覚まし時計に目をやると、時計の短針は十一時を過ぎていた。ヤバい遅刻だ!――と咄嗟に体を起こそうとして、そういえば今日は土曜日だったと思い出す。
 ホッと安堵したのもつかの間、すぐさま眠気が襲ってきて瞼を九割方閉じたところで、またインターホンが鳴る。いつもならば一回目ですぐに葛葉が出る筈だが、ひょっとすると出かけているのかもしれない。
 ならば真央は――と思うも、すぐ隣で全裸のまますやすやと眠る真央を見てしまえば、自分が出るしかないと思わされる。
(…………いいや、無視しちゃえ)
 どうせ宗教の勧誘とか、訪問販売とかだろう。自分には気怠さに身を委ね惰眠を貪るという大事な仕事があるのだと、月彦は再び瞼を閉じる。
 訪問者も諦めたのだろう。次のインターホンは鳴らなかった。ぱらぱらという小雨の音を子守歌代わりに、月彦は再び眠りの淵へと転げ落ちかけて――。

 コンコンコン。

 今度はノックの音に目が覚める。また別の訪問者か、それともさっきの客がまだ粘っているのか。
(いやだ……起きたくない……)
 月彦は頑なにノックの音を無視した。そもそも、とてもベッドから出ることが出来るコンディションではないのだ。
(今朝だって――)
 月彦は思い出す。最初の予定では、先だっての失敗の代わり――というわけではないが、きちんとしたデートを行うつもりで、昨夜は体力を温存する意味でも十時前には就寝し、翌日のデートに備えた。
 が、今度は早く寝すぎた為か五時前には目が覚めてしまった。その時にさっさと寝直せば良かったのだが、つい隣で寝ている真央の方へと手を伸ばしてしまった。眠るまでの暇つぶしのような感覚で愛娘の胸をこね回していると、今度は真央が起きてしまった。すっかり体が疼いてしまった真央に半ば襲われるような形で、明け方から本番を始めてしまった。
 さらに言えば、ヤッてる最中に外では大雨が降り出し、これじゃあ外でのデートも無理だからと、軽くヤッて眠るだけのつもりが思いのほかがっつりとヤりまくってしまった。
 まあたまにはこんなだらだらとした休日もありだよなと、惰眠に興じる自分を正当化しながら寝返りを打つ月彦を窘めるように、ノックの音はしつこく続く。
「ああもう……」
 いくらなんでもしつこいのではないかと思う反面、ひょっとしたら大事な用事なのではという危惧が沸く。もしかしたら出かけた葛葉が事故に遭い、現場に居合わせた人が大事を知らせにきてくれたのかもしれない。
(でもそれなら、先に電話じゃないのか?)
 もちろん、電話は鳴らしたが爆睡していた為気づかなかった、という可能性もある。これはいよいよ出たほうがいいかもしれないと思い、月彦がベッドから出て着替えを探しているうちに、ノックの音は”コンコン”から”ドンドン”へと変わっていた。
「はーい! 今出まーす!」
 果たして玄関まで聞こえたかどうかは解らなかった。それほどに、ドアを叩く”ドンドン”という音は大きく、今にもドアを壊さんばかりの勢いだった。これはいよいよただごとではないと、月彦は大慌てで服を着て部屋を飛び出る。
 メキメキとバキバキとドンガラガッシャーンが全て混じったような音と凄まじい時響きと女性の悲鳴が轟いたのはその時だった。
「な、なんだ!?」
 飛び降りるようにして階下に降り、玄関を見ると内向きに盛大に壊れたドアの上に被さるように女性が倒れていた。
「あいたたた…………あっ、月彦さん!」
「し、しほりさん!?」 
 目が合うや否や、しほりは慌てて立ち上がり、照れるように身をくねらせて微笑を浮かべた。
「…………どうしてもお会いしたくて、来ちゃいました」


 
 

 

 

 

 

『キツネツキ』

第六十五話  

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 






「き、来ちゃいました……って……」
「あぁっ! ごめんなさい! ちょっと強く叩き過ぎちゃったみたいで……すぐ直しますね!」
 絶句する月彦の前で、しほりはひょいとドアを持ち上げると壁に立てかけ、肩掛けバッグから――どう見てもちょっとした化粧品くらいしか入らなそうな大きさのバッグなのだが――大工道具らしきものを取り出し、並べ出す。
「いや、えーと……直しますって、これどう見ても……」
「大丈夫です。私、直すの得意なんです」
 言いながらも、しほりは散らばったネジやら釘やらを集めては、曲がってしまった部分を素手でえいやと修正し始める。割れたり折れたりした木材は接着剤らしきものを使って見事に元の形へと戻していく。その手つきはさながら熟練の大工を思わせ、直すのが得意だというしほりの言葉はあながち嘘でもなさそうだった。
「と、とりあえず俺も着替えてきますね……真央も起こさないと……」
 月彦は部屋にとんぼ返りして真っ先に真央を起こした。
(まだ寝てる……)
 あの轟音と時響きの中起きなかったのかと、呆れとも感心ともつかない気持ちと共に体を揺さぶると、意外にも真央はすぐに目を覚ました。
「えっ……あのヒトが?」
 起き抜けに簡単に事情を説明すると、真央もまたすぐに飛び起きた。二人で大慌てで部屋を片付け、シャワーと着替えを済ませて改めて玄関へと戻ると。
「えっ?」
 思わず我が目を疑うとはこのことだった。ひび割れ歪んでいたドアも、ひん曲がっていた蝶番も見事に修理され、そこには月彦の記憶にある通りの玄関とそのドアに戻っていたからだ。
(真央を起こして、部屋を片付けてシャワーを浴びて戻ってくるまで長くても三十分くらいだぞ……)
 少なくとも、まだ髪を乾かしている真央がここに来た時、玄関が一度壊れたことなど気がつかないだろう。
「あっ、月彦さん! もうよろしいんですか?」
「ええ……待たせてしまってすみません。……とりあえず部屋に――」
 自室に案内しようとして、はたと気づく。別に自室に案内する必要はないということに。
「いえ、リビングのほうが広いからこっちにしましょうか。どうぞ」
「はい。おじゃまします」
 しほりをリビングのソファへと案内し、茶の用意をしていると真央が脱衣所から戻ってきた。そしてリビングを覗くなり「わっ」と声を上げ、逃げるような早足で二階に上がってしまった。
「真央?」
 首を捻りながら、月彦は三人分の紅茶を用意し、リビングへと戻る。
「どうぞ、口に合わなかったらすみません」
「ありがとうございます。大丈夫です」
 あっ、と。紅茶と引き換えとでも言うかのように、しほりが先ほどまで手に提げていた紙袋を差し出してきた。
「あの、これ……玄関を壊してしまったお詫びというわけではないんですけど……」
「そんな、ちゃんと直ったみたいですし、ドアのことは気にしないでください」
 お詫びではなくお土産という形なら頂きますと、月彦は紙袋を受け取る。思いのほかずしりと重いそれは、乳製品の詰め合わせだった。
「あれ、これ……ウシ印のチーズにバター……って……」
 見覚えのあるコミカルな牛の顔のシールが貼られたそれは、月彦の知る限り普段口にする乳製品の軽く十倍は根の張る乳製品シリーズに使われているものだった。
「あっ……もしかして、ウシ印の乳製品って、しほりさん達の……?」
「はい。ナイショですよ?」
 しほりは悪戯っぽく人差し指を立てて、そしてぽっと顔を赤らめる。
「今日持って来たのは、その……”私の”です。普通のお店に卸しているのより等級も上ですから、きっと気に入っていただけると思います」
「な、なるほど……それは、美味しそうですね……」
 ごくりと、思わず生唾を飲んでしまう。しほりのミルクであれば既に何度か”味見”はしている。あのミルクをベースに加工した乳製品であれば、まずいわけがない。
 なんとも控えめな”足音”が近づいてきたのは、そんな時だった。
「おっ、真央着替えてきたか」
「…………こんにちは。はじめまして。」
 真央は無愛想にそれだけ言うと、月彦の隣に腰を下ろす。何故か不自然なまでに厚着をし、室内だというのにジャンパーを羽織って喉元までジッパーを上げていた。
「はじめまして、妖牛族の芭道しほりといいます。真狐さんのお子さんの真央ちゃんですよね。お母さんそっくりですね」
 そうかな――ついそう口にしてしまいそうになって、言葉を飲み込む。あの悪魔のような女と、天使の様に可愛い真央を一緒にしないで欲しいと思うも、さすがに口に出すのははばかられる。それにしほりもきっと、ただの社交辞令としてそう言っただけだろう。
(……にしても、見違えるほどに育ったなぁ)
 こうして向かい合って見ると、しみじみと思う。白のハイネックセーターの胸元にはその質量の証とでも言わんばかりにくっきりと濃い影が落ち、その質量たるや恐らく真狐のそれを越えていることだろう。
(ていうか、胸もだけど……)
 色香が増した、と感じるのは何故なのだろうか。しほりの服装自体はハイネックの長袖白セーターに、焦げ茶のロングスカート、黒のストッキングと素肌はそれこそ顔と手の先くらいしか露出していない。にもかかわらず、こうして対峙しているだけでムラムラとしたものがこみ上げてくるのは何故か。さながら、密閉容器に入れられて尚、熟れた果実の芳香が漏れ出ているかの様。人知れず股間が持ち上がりそうになる度に、月彦は左手の薬指につけられた銀色のリングへと視線を向け、深呼吸気味の息使いで高ぶる己の欲望を抑えつけねばならなかった。
「ええと……それで、今日は一体どういう用件で来られたんですか?」
「ぁっ、はい! それは……月彦さんにお会いしたくて――」
 あっ、と。しほりは言葉を止める。
「も、もちろんそれも理由の一つではあるんですけど……その、ちょっとご相談したいことがあって……」
「相談……ですか」
 もしや、またお乳が出なくなった――という話だろうかという危惧が、どうやら顔に出ていたらしい。
「……いえ、その…………あの時は、本当に申し訳ありませんでした」
「あぁ、いや、責めてるわけじゃ……」
 月彦は慌てて微笑を浮かべる。
「……そう、ですよね。あんな嘘をついておいて、今更また相談事だなんて……」
「だ、大丈夫ですから! それにあの時は、確かに嘘ではありましたけど――」
 別に何も損はしていない――そう口に仕掛けて、隣の真央の存在に気づいてぐっと言葉を飲み込む。
 幸い、と言うべきか。真央は真央で、何か思うところがあるのか、しきりにしほりの胸元を凝視しては思い出したように自分の胸元に視線を落とす、というようなことを繰り返しており、月彦としほりとのやりとりにはあまり興味が無い様だった。
「と、とにかく……本当に俺は気にしてないですから。……それで、相談事というのは?」
「……はい。……その、実は私、こちらでお店を開こうと思ってるんです」
「お店……というと?」
「はい。美味しいミルクを使った飲み物や、チーズやクリームを使ったお菓子なんかを出すお店を考えています」
「それは……聞くからに流行りそうなお店ですね」
 しほりのミルクの味はよく知っている。仮に、あのミルク一杯に千円の値段をつけられても、高いと感じる人間は少ないだろう。
(しかも、店主がこんな……色気ムンムンの人妻だったら……)
 たとえ出される料理が生ゴミと大差ない代物であっても、しほり目当てに通う男も多いことだろう。ましてや出される料理の味も極上とあれば、もはや繁盛は約束されたようなものではないか。
 ただ、問題は――
「あの、お店を出したいというのはわかったんですけど……」
 何故、自分にその相談を持って来たのだろうか。月彦はしほりの真意を窺うように、控えめに疑問を投げかける。
「はい、それはその……実は、お店を出そうと考えた時に、最初に桜舜院さんに相談したんです」
 成る程、それなら解ると月彦は大きく頷く。
「そしたら、桜舜院さんから、月彦さんに相談するように勧められたんです」
「は……え?」
 日常会話をしていた筈なのに、突然話がフェルマーの最終定理に飛んだかのように、月彦の頭の中はたちまち”何故?”で埋め尽くされた。
「ちょ、ちょっと待って下さい! なんでそこで俺の名が?!」
 お店を出したいから、恐らく相当な実力者で権力者で顔も広そうな春菜に相談するというのはよく解る。種族こそ違えど、もともと母乳が出ないということで春菜に相談していたのだから、そこについては異論は無い。
 問題は、春菜に相談したら紺崎月彦の名を出されたということだ。
「はい。桜舜院さんがおっしゃるには、”こちら”では、私たちのことはあまり公にはできないそうなんです」
「それは……そう、なんだろうと思います」
「その点、月彦さんなら諸々の事情をご存じで且つ、”こちら”でお店をされている方もお知り合いに居られるとかで、きっと力になって下さるとのことでした」
「………………。」
 成る程、説明を受けると、春菜の言わんとするところも解らなくもないと思える。
(……人外で、”こちら”で店をやってる知り合い、か……)
 少し前であれば、それこそ二つ返事で紹介したことだろう。しかし今は――少なくとも前ほどは気軽に声を掛ける気にはなれない。ましてや、頼ることなど。
「いえ……春菜さんには悪いですけど、生憎そういった知り合いの心当たりはないですね」
「そう……ですか……。桜舜院さんは、”従業員候補”についても月彦さんに紹介してもらえるとおっしゃってたんですが……」
「従業員……」
 はてな、こちらは誰のことだろうと月彦は首を捻る。真っ先に思いついたのは隣に座っている真央だが、はたして真央に接客業が出来るだろうか。
「”月彦さんの知り合いで、暇を持て余してる娘が居るはず”と、桜舜院さんは仰ってました。その方を紹介してもらったら、これを渡す様にと封筒を預かったんです」
 そう言って、しほりはハンドバッグから桃色の和紙封筒を取り出して見せてきた。表には達筆な筆書きで”炬燵免状”と書かれている。
「いえ、悪いですがそちらも心当たりは……」
 知り合いで、というからにはやはり真央のことではないのだろう。しかし他に暇を持て余してそうな人外の知り合いといえば、鏡の国に出かけたきり帰り道を失って往生しているであろう性悪狐くらいしか心当たりはないし、あの女に接客など出来るわけがないことなど、自分以上に春菜のほうが詳しいだろう。
「そう、ですか……」
 しゅんと、しほりが大きく肩を落とす。おそらくは、春菜の言葉を全面的に信じ、紺崎月彦だけを頼みとしてここまではるばるやってきたのだろう。
 そう思うと、あまり無碍に突っぱるというわけにもいかない。
「あぁ、いえ……春菜さんが言うなら、俺がど忘れしてるだけかもしれません。何か思い出したら、すぐしほりさんに連絡しますよ」
「本当ですか!? 私もしばらくはこちらに居ますから、その時は――」
 しほりは不意に言葉を切って、一瞬考えるように黙り込む。
「……あの、申し訳ないんですけど、私……電話というものを持っていないんです。使い方もよくわからなくて……その、もし良かったら……”その時”は私が泊まっている部屋まで来ていただけないでしょうか?」
「ええ、そのくらい全然大丈夫ですよ。ちなみにどちらに泊まってるんですか?」
「このメモのホテルです。……ごめんなさい、本当は私が窺うのが筋だと思うんですけど…………その、また壊してしまったらと思うと…………」
「…………う、牛さんって、力強そう、ですもんね。仕方ないですよ」
 月彦はしほりからメモを受け取り、住所を見ると見覚えがあった。どうやら前回泊まったのと同じホテルらしい。と思っていると、メモを持つ手がそっと、しほりに握られた。
「……月彦さんが来て下さるのを、私……ずっと待ってますから。その時は是非、”お土産”の感想も聞かせてくださいね?」
 じぃと熱を帯び濡れた目で見据えられ、月彦は思わず赤面してしまう。握られた手からしほりの体温が伝わってきて、気がつくと心臓までもがどぎまぎと不自然なリズムで脈打っていた。
(だ、ダメだ……なんで、こんなに……)
 どぎまぎとしてしまう自分に、月彦は戸惑いを隠せなかった。今の今まで、”大人の女性”の色香には、雪乃や矢紗美のそれで耐性があると自分では思っていた。
 しかし今、眼前のしほりから匂い立つそれはなんとも抗いがたく、細く長い無数の触手のように全身に絡みついてくる。
「あっ……ごめんなさい、私ったら……」
 しほりが、ハッとするように手を離し、照れ隠しのように紅茶に口をつける。たちまち、全身に絡みついていた不可視の触手も空気に溶け、月彦も安堵の息をついた。
「でも、私……こちらでは月彦さんしか頼れる方が居なくて……」
 これまたなんとも色っぽい、人妻の上目遣いに折角落ち着いた心臓がまたしてもどきりと跳ね上がる。狙ってやっているとすればとんでもない男たらしだが、恐らくしほりは無自覚だろう。
(……初めて会った時からは考えられないな)
 全身を強ばらせ、媚びではなく不慣れや猜疑からくる上目遣いのしほりを思い出し、尚更感慨深くなる。同じ女性でも、態度の軟化(?)でここまで印象が変わるものなのか。
(まるで……)
 隣の家の庭の木から伸びた枝先についた果実がまるまると熟れ太り、さあどうぞとばかりに差し出されているかの様。どれほど容易くもげそうに見えても、隣の家の果実。勝手にもぐわけにはいかない。
「わ、わかりました……とにかく、お店の件はできる限り協力しますから……」
 とにかくその無自覚な誘惑を止めてくれと、月彦は懇願したい気分だった。
(ましてや、真央の前でなんて……)
 否、真央の前だからこそ、こうして平生を保っていられるのかもしれない。これが密室に二人きりであれば、とっくの昔にケモノと化してしほりを押し倒していた可能性も――。
「はい、そう言っていただけると……助かります」
 そしてしほりはちらりと、一瞬だけ真央の方へと目を向ける。
「……今日はもうお暇しますね。真央ちゃんも、良かったらお土産食べてみてくださいね」
 真央は話しかけられたことに驚くように僅かに目を剥き、そして俯くように小さく頷いた。

 玄関先までしほりを見送り、リビングに戻ると上着を脱いだ真央が前屈みになっていた。何をしているのかと思えば、下着の上から自分の乳に手を宛がい、質量を量っているらしかった。
「真央……何やってんだ?」
「父さま……!」
 ハッとした真央が慌てて上着を羽織り、首元までジッパーを上げる。
「……スゴいなぁ、って」
「それは……」
 比べる相手が悪いだけだと月彦は思う。世間一般の基準から言えば、真央のもつそれも同年代――同学年代というべきか――では十二分に規格外の代物だ。
(……さすがに”それ以上”を望むのは罰当たりってもんだぞ、真央?)
 むしろ真央の背格好に”アレ”を搭載したら、それこそ爆乳を越え超乳の域にまではみ出し、おっぱいマイスターを自称する月彦をもってしてもストライクゾーンから外れることになる。
「……父さま、あのヒトとエッチするの?」
「はぁ!? いきなり何言ってるんだ、するわけないだろ!?」
「だって……あのヒト、母さまより……」
「んん?」
 愛娘の言わんとするところが、月彦には理解出来なかった。
(真狐よりおっぱいが大きいと、なんでエッチすることになるんだ?)
 まるで、乳の大きさだけで誰と寝るかを決めているかのような言われようがショックでもあり、心外でもあった。
「それに……まるで、父さまを誘ってるみたいだったから」
「それは……しほりさんも言ってたけど、こっちで頼れる相手が居ないってだけなんだと思うぞ? 前は真狐を頼りにしてたみたいだけど、ほら今はあいつ居ないだろ?」
「そうだけど……」
「それに、しほりさんは既婚者だからな? 夫が居るのに、そんなことするわけないだろ?」
「……………………うん」
 真央の顔を見れば、納得していないであろうことは明らかだった。
(……そんなに見境がない男だと思われてるのか)
 確かにしほりが魅力的であることは認める。認めるが、既婚者と平気で寝るような鬼畜外道であると娘に思われているのは心外だった。
「わかった、真央。そこまで疑うならちゃんと目を見て誓ってやるから。しほりさんとはエッチ、セックス、交尾の類いは絶対しない。不倫になっちゃうからな」
「……うん」
 それでも、真央の目から完全に疑いの光が消えることはなかった。
(……まぁいい。真央が信じなくても、俺がきちんと自制すればいいだけの話だ)
 そもそも、真央に疑われているから不倫をしないとか、そういう話ではないのだ。自分のために、そしてしほりの家庭を壊さないために自制をする、それだけだ。
「……っと、しほりさんから貰ったお土産を冷蔵庫にれておかないとな。こんなたくさんのウシ印の乳製品が冷蔵庫に入ってたら母さん腰抜かすかもな」
 紙袋の中にはミルクにチーズ、バターにヨーグルトと乳製品がどっさり入っていた。ウシ印食品の相場を考えれば、諭吉さん一人ではとても足りないであろう量の高級土産に、今更ながらに後悔の念が沸く。
(……ちょっと、素っ気なかった……かな)
 隣に真央が居たとはいえ、もう少し親身に相談に乗ってやることが出来たのではないか。しほりの言う通り、”こちら”には本当に頼りになる知り合いが居ないに違いない。その唯一の拠り所便りにはるばるやってきたというのに、知らない心当たりはないで突っ返されては、さぞかし心中は不安で一杯だろう。
(心当たり……か)
 本当はある。あるが、あまり頼りたくはない――。
(ん? 待てよ……何で”そんな風”に感じるんだ?)
 乳製品を冷蔵庫にしまいながら、月彦ははたと疑念を抱く。何故自分は、こんなにも”あの男”の顔を見たくないと感じるのか――。
「……ふあぁっ…………」
 思案の海への航海は、愛娘のとろけたような声であっさりと中断された。
「真央、どうした?」
 見れば、真央はしほりが持って来たバターの箱を手に持ち、何度も繰り返しくんくんと匂いを嗅いではふあぁっ、と声を上げていた。
「父さま、これ……すっごくいい匂いがする」
「確かに……作りたてって感じだな」
 鮮度の良いバターはそれだけで美味いと聞いた事はある。しほりのミルクから作られた鮮度抜群のバターであれば、それは逆に時間をおいて劣化させてから食さねば、落としたほっぺたを食後に探すはめになるのではないか。
 そんな危惧とは裏腹に、鼻先を擽る芳香にたちまち空腹感は倍加し、ぐぅと腹まで鳴り出す。まるで真似をするように真央のお腹もきゅうと鳴り、二人そろって吹き出すように笑った。
「朝飯はパンにするか」
「…………うん!」
 真央の一瞬の逡巡は、おそらくしほりのミルクから作られているということへの抵抗感だろう。しかしそれすらも容易くねじ伏せ、口へと運ばせるだけの破壊力がこの香りにはあるのだ。
「っと、食パンは残り1枚か。ひとっ走り買って来るから、真央はサラダとかその辺の準備しといてくれるか?」
 しほりのバターへの期待値に対して、さすがに高校生二人が食パン1枚ではあまりにも戦力不足だ。明け方から消費した体力を鑑みれば、一斤用意してても足りるかは怪しい。
 部屋着のまま、サイフだけを手に家を出る。折角最高のバターがあるのだから、食パンもスーパーのものではなく、歴としたパン屋のものを選ぼうと。久しく使っていなかった自転車に跨がる。
 幸い小雨はもう止んだらしい。雲間から差し込む陽光が水たまりを目映いばかりに輝かせ、月彦は目を細めながら最寄りのパン屋へと急ぐ道すがら。
「なんだ……?」
 パン屋への道の途中にある公園の入り口に出来た人だかりに、月彦もまた足を止めた。


 人だかりとはいえ、よく見れば人数はそう多くはなく、大人が3人子供が4人といったところだった。しかし全員が全員、怪訝そうに眉を寄せて――子供の方はどちらかというと怪訝というよりは好奇に目を輝かせていたが――園内のある一点を注視していた。
 そこには。
「あっ、菖蒲さん!?」
 うっかり叫んでしまい、今度は月彦が一斉に全員の注目を浴びる羽目になった。叫んでしまった以上仕方ないとばかりに、月彦は自転車をその場に駐め、園内へと足を踏み入れる。
「まぁ、月彦さま。お久しぶりでございます」
 声は菖蒲にも聞こえたのだろう。メイド服に身を包んだ貞淑な従者は月彦の方へと向き直るや、ぺこりと辞儀をする。
「こんなところで何やってるの?」
「はぁ、それがわたくしにもよく……」
 菖蒲は言葉を濁しながら、手に持っていた布巾とも手ぬぐいともつかない白布で、”作業”を再開する。
 そう、どう見ても”ジャングルジム磨き”にしか見えない作業を。右手に持った布巾で丁寧に水滴を拭き取り、左に持った布巾で汚れも拭き取る。見ればジャングルジムだけではなく、鉄棒も滑り台も同様に陽光を照り返さんばかりにピカピカに磨き上げられていた。
(……鉄棒とか、摩擦が減ってむしろ危ないんじゃないかこれ…………)
 一体全体どうして菖蒲が遊具磨きなどをしているのかは解らないが、少なくとも公園に用事がある保護者達の目には不審者以外の何者にも映っていないらしい。
「と、とにかく! 一端菖蒲さんの部屋にでも行こう。話はそこで聞くから!」
「ですが、まだ掃除が……」
「大丈夫、もう十分綺麗になってるから!」
 菖蒲の手を引き、月彦は逃げるように公園を後にした。

「…………で、なんでまた遊具なんて磨いてたの?」
 菖蒲の部屋へと退避し、飲み物と茶菓子を用意し終わった菖蒲が対面席へと座るなり、月彦は早速とばかりに切り出した。
「はい。それはもう、話せば長くなること請け合いの、込み入った事情があるのでございます」
「込み入った事情?」
 はいと、菖蒲は深刻な顔で頷く。
「実は……白耀さまに暇を申しつけられました」
「暇を……って、それ、もしかしてクビてこと!?」
「いえ、白耀さまが仰るには……どうやらわたくしには、”ゆうきゅう”というものが随分と溜まっているそうなのでございます。それを消化し終わるまでは仕事をしてはいけないそうなのです」
「な、なるほど……そういうことか。ちなみに、どれくらい溜まってるの?」
「それが……白耀さまが仰るには、約十年分とのことです」
「随分溜めたね。ってことは、2,3ヶ月くらいがっつり休む感じかな?」
 もちろん月彦は白耀の営む料亭が年に何日有給を支給しているかなど知らない。2,3ヶ月というのは、十年分の有給の合計はそれくらいかな?という感覚的な概算に過ぎなかったのだが。
「いえ、ですから十年なのです」
「うん?」
 もしや、と思う。
「ひょっとして、十年分の有給じゃなくて、有給で休む期間が十年ってこと?」
「はい」
 けろりとした顔で――尤も、菖蒲はだいたい無表情だが――菖蒲は人ごとのように頷く。
「ちょ、ちょっと待って! どういう計算したらそんなことに!?」
「はぁ……わたくしにもよくは解らないのですが、わたくしが白耀さまにお仕えするようになってからおよそ二百年、その間殆どお休みというものをいただいていなかったので……そのくらいになるのだと言われました」
 勤続年数二百年分の有給ということであれば、確かに合計すれば十年に届くのかもしれない。
「いやでも十年って……いくらなんでも長すぎるんじゃないかな。せめて半年ずつとか、小分けに……」
「わたくしもそう申し上げたのですが、白耀さまは聞き入れてくださりませんでした。そういう訳で、唐突に手持ち無沙汰になってしまいまして……」
「すっかりやることがなくなって、公園の掃除と遊具磨きをしていた、と」
「お察しの通りでございます」
 しゅんと菖蒲が肩を落とす。
(……暇でやることがなくなって、暇つぶしにやることが掃除って辺りが……)
 良くも悪くもメイドさんだなぁと、しみじみ思う。おそらく最初は自宅の掃除から始めたのだろう、菖蒲の部屋を見渡せば、何もかもが極限と言っても良いほどに磨き上げられ、ちり一つ落ちていない。掃除をし尽くして、部屋の外へと手を広げているうちに、公園の掃除まで始めてしまった――ということなのだろう。
「とはいえ、掃除も些か飽いていたところです。月彦さまにお会いしたのも何かの縁ということで、いかがでしょうか?」
「へ? いかが……とは?」
「働き者で且つ忠実なしもべをおそばに置く気はございませんか? もちろんわたくしが好きでお仕えするのですからお給金などは無用でございます。ただ、月彦さまのお世話をさせていただければ、それが何よりの報酬でございます」
「えっ……ぁ、いや……どうかな……。そういうのは母さんに聞いてみないと……」
 確かに、菖蒲が家事をやってくれれば葛葉としても大助かりではあるだろうが、その分無用のトラブルが起きるであろうことは明白だ。
 特に、真央との。
(いや……待てよ。しほりさんが言ってた”暇を持て余してる娘”ってもしかして……)
 そもそもしほりにそのことを伝えたのは春菜だ。
 であれば、菖蒲に斡旋すべきは紺崎家家事手伝いではなく――。
「……菖蒲さん、ごめん。ちょっと会って欲しいヒトがいるんだけど……」

 



 ひょっとすると、このビジネスホテルは知る人ぞ知る、人外のお客さん御用達なのだろうか。それとも、単純に最初に泊まった際に特に不満が無かったから、続けて利用しているだけなのだろうか。
 懸念としては、紺崎邸を辞した後のしほりが直接ホテルの部屋に帰らず、観光などをしていた場合は尋ねても空振りとなってしまうことだったが、その可能性は極めて低いと月彦は思っていた。
 いつもの様にフロントを顔パスした月彦はそのまましほりの部屋を尋ね――
「月彦さん!」
「わわっ!」
 どっしーん!
 ドアをノックするやいなや、飛び出して来たしほりの猛烈なタックルに月彦は派手に尻餅をついた。
「こんなに早く来ていただけるなんて思ってませんでした! あぁ……月彦さん!」
「ぐぇええっ……く、苦しっ……し、しほりさん、ちょっ、緩めて! 潰れます!」
「あぁっ、ごめんなさい! 大丈夫ですか?」
 肋骨が変形するほどの抱擁から漸くに解放され、月彦は激しく咳き込んだ。
「げほっ……げほっ……ろ、朗報が……し、しほりさんに紹介したいヒトが居るんですけど……今から出れますか?」
「はい……?」
 きょとんと。しほりは頭の上に大きなはてなマークを浮かべたまま首を傾げている。
「いや、ほら……従業員になってくれそうな娘に心当たりはないかって、さっき言ってたじゃないですか。しほりさんが帰った後、”心当たり”を思い出したんですよ」
 正確には、思い出したのではなく直接会ったのだが。
「……あぁ! そういうことだったんですね。すみません、私、てっきり……」
「てっきり?」
「い、いえ! その、あのっ、そ、それで、その方というのはどちらに……?」
「あぁ、えっと……直接連れてこようかとも思ったんですけど、このホテルの部屋に3人はちょっと狭いかなと思って、近くのファミレスで待ってもらってます」
「まぁ、それは急がないとですね。準備しますから、ちょっとだけ待って頂けますか?」
 そう言って、しほりは慌てて部屋の中に引っ込むや、五分と立たずに出てきた。何かを準備したのだろうが、少なくとも月彦には肩掛け鞄を持った以外の差分を見つけることが出来なかった。
「さぁ、参りましょう。どんな方か、私……すっごく楽しみです」
「はは。しほりさんとなら、きっと気が合うと思いますよ」
 月彦には確信があった。
 猫と牛は仲が悪いという話は聞いたことがないし、事実しほりと春菜はとても中が良い様だ。なにより猫は……ミルクが大好きなのだ。


「初めまして、芭道しほりと申します。妖牛族です」
「初めまして、保科菖蒲と申します。妖猫です」
 ファミレスの四人がけのテーブル席で一人待っていた菖蒲の所に合流するなり、真っ先にしほりが自己紹介をし、続いて菖蒲が自己紹介をする。つられて月彦も自己紹介をしそうになって、無用だと慌てて止めた。
 ”面接”はしほりと、菖蒲と月彦が対峙するような形で行われた。
「保科……?」
 菖蒲の自己紹介を受けたしほりが、オウム返しに呟く。
「保科さんというと、ひょっとして――」
「はい。その”保科”です」
 にこりと、菖蒲が――ある意味珍しい――笑みを浮かべる。
「まぁっ、それは――……何と申し上げれば……」
「ん? しほりさん、菖蒲さんのこと何か知ってるの?」
「あぁ、いえ……何でもないです」
 今度は、しほりのほうが茶を濁すように笑った。
「昔のことでございます」
 目を閉じたまま、独り言のように呟く菖蒲の雰囲気に、なんとなく触れるべきではないことであると、月彦はそれ以上の追求を止めた。
(そういや……前に聞いたな。菖蒲さんは元々春菜さんの所に居て……)
 何か大きな失態をして、それがきっかけに白耀の元に行くことになったと。ひょっとしたらその絡みなのかもしれない。
「え、えーと。とりあえず自己紹介は済んだということで……一応、菖蒲さんには簡単に説明はしたんだけど、しほりさんからも説明してもらえるかな?」
「はい。実は私、”こちら”でお店を開こうと思ってるんです。おいしいミルクやチーズを使った料理を出すお店にしたいと考えてます。規模は……そうですね」
 しほりはファミレス内を見回す。
「このお店の1/4くらいの、小さなお店です。テーブル席は二つと、カウンター席を6つくらいにしようと思ってます」
 ふむふむと、菖蒲は小刻みに頷きながら熱心に話を聞いている。
「お金儲けの為というよりは、”こちら”での生活を経験する為です。もちろん、たくさんのお客さんが来てくれて、楽しんで頂けるならそれが一番だと思ってます」
 まぁ、客が来るかどうかという問題については考慮する必要はないだろうな――と、月彦は思っていた。
(むしろ問題は、需要に供給がおいつくのか、ってところじゃないかな)
 はて、しほりは一日にどれくらいの”ミルク”を出せるのだろうか。真剣に計算をしようとすると、否が応にもしほりの色っぽい喘ぎ声が脳裏に蘇ってきて、月彦は慌てて数学の公式で脳内を埋め尽くした。
 月彦がせっせと公式の復習をしている間も、しほりは自分のプランについて熱く語り続けた。ただ、横で聞いている限りではしほり自身ざっくりとしたイメージしか無く、詳細は全く詰められていないようだった。
「――私からは以上です。保科さん、一緒に働いていただけますか?」
 菖蒲は即答しなかった。しほりの語る”お店像”がザックリしすぎていて印象が掴めないのか、はたまたこれではとても無理だと判断してどう断ろうかを迷っているのか、その表情からは殆ど感情らしいものが読み取れない。
「……お答えする前に一つ、質問させていただいてもよろしいですか?」
「はい」
「わたくしの担当はどちらになるのでしょうか? 接客ですか? それとも調理ですか?」
 あっ、とでもいうように、しほりがぽかんと口を開けてしまった。
「ごめんなさい、考えてませんでした。出来れば両方をお願い出来ればと思ってます」
「両方?」
「はい。実は、その……私、”料理”というのが出来なくて……」
 あぁ、それはさもありなんと。月彦は人知れず納得していた。
(ごはんが”野菜まるかじり”だもんなぁ……)
 ひょっとしたら、妖牛族には料理という概念自体が乏しいのかも知れない。チーズなどの素材の加工術はあっても、”調理”には縁がないのではないか。
「それに、世間知らずですから……お客さん達と巧く話せるかも自信が無くて……もちろん、ちょっとずつ慣れていこうとは思ってるんですけど……」
 よくそれで見知らぬ土地でお店をやろうなどと思ったものだと、月彦は突っ込みたい衝動にかられた。まるでそんな月彦の気持ちを察したかのように、ちらりとしほりが視線を向けてきて、月彦は慌てて逃げるようにそっぽを向いた。
「成る程。重ねてもう一つ質問させて下さいまし。月彦さまから窺った話では、桜舜院さまと交流があられるとか。”お店”のことも桜舜院さまに相談されましたか?」
「はい、それはもう。今回のことも、春菜さんに相談して――……あぁっ!」
 しほりは思い出したとばかりに、バッグから桃色の封筒を取り出し、テーブルの上へと置いた。
「すっかり忘れてました。春菜さんからは、私のお店で働くことになる方にはこれをお渡しするようにと言われました」
「これは……!」
 封筒に書かれている文字を見るなり、菖蒲が思わず腰を浮かせ、絶句する。
「知ってるの? 菖蒲さん」
「炬燵免状ではありませんか! 桜舜院さまがこれを、芭道さまに預けられたのですか?」
「はい……。あの、これ……どういうものなんでしょうか? 私、よく分からないまま預かってたんですけど……」
「それは……」
 菖蒲は腰を落ち着け、口ごもる。何かを思案しているらしく、表情は極めて渋い。
「……わたくし達妖猫の恥を晒すことになりますが……桜舜院さまが免状を預けるほど親密にされている方であれば、言っても差し支えないでしょう」
 そう言って、菖蒲は訥々と語り出した。
「炬燵、というものがございます。月彦さまはご存じでしょうが、芭道さまはご存じではないかもしれないので説明させていただきますと、冬場に暖を取る為の道具で、簡単に言えば火鉢に布団を被せたようなものです」
「はぁ……火鉢に布団を……燃えたりしないのでしょうか?」
「火鉢に直接じゃなくて、机の上に布団を被せて、火鉢は机の下に置くっていう風に考えれば分かり易いんじゃないかな?」
「左様でございますね。火鉢というのはあくまでもたとえで、実際は火をつけた豆炭を石綿で包んだもの使うのが主流でした。とにもかくにも、芭道さまが想像されているほど、容易く燃えるような仕組みではないのでご安心くださいまし」
「はい。でも、お話を伺う限りですととても暖かくて心地よさそうに聞こえるんですけど……」
「左様でございます。冬場の炬燵の心地よさはそれはもう天にも昇らんばかりのもので、わたくし共妖猫の間では大変な人気でございました」
 ――が、と。菖蒲は苦渋の顔をする。
「そう、炬燵は”心地よすぎた”のでございます。冬に仕事をする者が居なくなり、出歩く者も居なくなった。挙げ句、餓死する者まで出始めて、とうとう桜舜院さまが禁止令を出されてしまったのです」
「餓死って……どんだけ炬燵から出たくなかったんだ……」
 猫が炬燵好きであることは無論月彦も知るところであるが、炬燵に入ったまま餓死する程とまでは思っていなかった。
 春菜もきっと、悲しいやら情けないやらで胸いっぱいになりながら、炬燵禁止令を発布したのではないだろうか。
「しかし完全に禁止とするのはさすがに忍びないとのことで、一部の公共施設や、炬燵の使用を許可しても大丈夫であると桜舜院さまに認められた者に限り、使用を許されることになりました」
「成る程、つまり……この免状は”炬燵を使用しても良い”という免状で、大変な価値があるってことか」
「左様でございます。この免状があれば個人で楽しむことももちろん可能ですが、望めば”炬燵屋”を開くことも出来、それだけで巨万の富が約束されるような代物でございます」
「炬燵屋……」
 例えるなら、銭湯やサウナ、マッサージ屋のようなものだろうか。尤も、菖蒲の話を聞くに、猫たちの炬燵中毒っぷりはその比ではなさそうだが。
「まぁ……そんなに価値のある物だったんですね。春菜さんは私のお店で働いてくれる娘に、お礼として渡せば良いとおっしゃってたので、まさかそんなに価値があるものだったなんて……」
 瞬間、きらりと菖蒲の目が光るのを、月彦は見逃さなかった。
「成る程。桜舜院さまのことです。恐らく全て解った上で、この免状を芭道さまに預けられたのでしょう」
 確かに、偶然にしては出来すぎている。この免状は初めから、菖蒲に渡されるものとしてしほりに預けられていたとしか思えない。
「……芭道さま、最後にもう一つだけ質問させてくださいまし。芭道さまがご覧になられてる通り、わたくしには愛嬌というものがございません。調理はともかく、接客を任されましても、きっとお客様に不愉快な思いをさせ、芭道さまに不利益な結果となるのは明白だと思われます。それでもわたくしに接客を任せたいと思われますか?」
「えっ、えっ……?」
 しほりが、助けを求めるように視線を向けてくる――が、月彦はあえて無視した。ここはしほりが自分で解決すべき問題であると思ったからだ。
「えっと……ごめんなさい、利益とか不利益とか、そういうのはどうでもいい――っていうと、お店なんかやっちゃダメですよね。その、ええと……少なくとも私は保科さんとお話していて不愉快な思いはしてませんし、それに愛嬌がないとも思ってないですよ?」
 しほりの答えが余程予想外だったのか、菖蒲が――相変わらずの無表情ではあるが――僅かに目を見開く。
「ほら、やっぱり。保科さん、いつもキリッとしてますけど、その分些細な表情の変化が分かり易くて、とっても可愛いと思いますよ? お客さんの中にも、保科さんの良さを解ってくれる人達がきっとたくさん居ると思います」
 だから、保科さんに接客を任せることが不利益になるとは思いませんと――しほりはそう言って、自分の言葉に照れるようにはにかんだ。
「実は……」
 それはしほりに向けての言葉というよりは、独り言に近い。それも告解のような重苦しさを孕んだ声だった。
「長く、白耀さまにお仕えはしましたが……ずっと接客はさせていただけなかったのです。曰く、装いが店に似つかわしくないのと、店に出すには愛嬌が足りないとのことで」
「……まぁ、」
 白耀の言うことも解らなくはない――と、月彦は思う。あの和風料亭にはいくらなんでもメイド服は不釣り合いであるし、客商売をするには愛嬌が足りないというのも解らなくはない。
(愛嬌はしょうがないとしても、服装くらいはどうとでもなりそうなもんだが……)
 しかし言われてみれば、和装の白耀に対して何故菖蒲は”メイド服”なのだろうか。初めて会った時からその組み合わせであった為、そういうものかと思っていたが改めて考えると拭いきれない違和感を感じる。
「……わたくしには和装は似合いません。どうも手足の長さの案配が、和装向きではないようなのです。桜舜院さまのお墨付きですから、間違いございません」
 ひょっとして、自分は”サトラレ”なのではないか――心の声にこうも的確に返事をされると、そんな心配をしたくなる。
(でも確かに、菖蒲さんには洋装が似合うんだよな)
 逆に和装の菖蒲は想像がつかない。よくよく見れば顔立ちも、どこか海外の血が入っているようにすら見える。
(まあでも、中には和装洋装どちらでも無駄に似合う例外も居るが……)
 誰とはいわない。誰とは言わないが、和装でも洋装でもはちきれんばかりのおっぱいをこれでもかと見せびらかしては男を誑かす性悪狐という例外も居るには居るが、ここで言うようなことではない。
「保科さんは……接客をしたかったんですか?」
「どうでしょう。確かにわたくしはどちらかといえば人見知りで、よく知らない方と話すのは不得手です。逆に接客をやれ、と言われてたら、それはそれでわたくしの事を何も解ってくれない主だと嘆いたかもしれません」
 ですが、と。菖蒲はちらりと、意味深な目を月彦に向けてくる。
「少なくとも今は、そういう仕事もやってみたいと思っております。……或いは、ある方がわたくしを変えて下さったからかもしれません」
 まぁ、としほりが共感の声を上げる。
「奇遇ですね! じつは私も、最近ある方のお世話になって……その、いろいろなモノの価値観が変わったばかりなんです」
 今度はしほりのほうが、しっとりと濡れた目で意味深な目を向けてくる。その目が意図するところに気づいたらしい菖蒲が、口元にこれまた意味深な笑みを浮かべた。
「それはまた……とても興味深いお話でございますね」
 まるで月彦に同意を求めるような言い方に、視線を逸らしたままもはや氷しか残っていないお冷やを口にすることしか出来ない。
「あの、それでその……お店の件なんですけど……手伝って頂けますか?」
 上目遣いに恐る恐るという具合に切り出すしほりに対し、菖蒲は――きっと、菖蒲なりの精一杯の笑顔なのだろう――静かな微笑をもって答えた。
「むしろわたくしの方からお願い申し上げます。接客はともかく、料理の腕には多少の自負もございますし、仕入れや手続きの面でもきっとお力になれるかと存じます。是非、お力添えをさせて下さいまし」
「おおっ! ありがとう菖蒲さん! よかったね、しほりさん!」
「はい!」
「それでは早速、もう少し細かいところを詰めて参りましょう。…………しほり様、お時間の方は大丈夫でございますか?」
「はい。私は大丈夫です」
「いいなぁ、俺もできる限り手伝うよ。そうだ、二人ともお腹空かない? 折角だし、お祝いに何か俺に奢らせてよ」
 朝から何も食べてないんだ――そう苦笑して、はたと。
 月彦は固まった。
「月彦さま?」
「月彦さん?」
「ごっ――ごめん! ちょっと急用を思い出したから俺は帰るよ! また後で!」

 テーブルの上に千円札を投げ出すや店から飛び出し、かつてないほどに立ち漕ぎで飛ばし、大急ぎで食パンを買い、予定を二時間ほどオーバーして帰宅した月彦が見たのは、先に帰宅した葛葉に作ってもらった朝食兼昼飯をムスッとした顔で食べている愛娘だったそうな。



 どうやら月彦が思っていた以上に、しほりと菖蒲はウマが合ったらしい。聞いたところによると、二人はあの後深夜まで打ち合わせを続け、それでも尚話し足りず、結局菖蒲のアパートの部屋にしほりが転がり込む形で打ち合わせを続行。その後しほりは改めてホテルを引き払い、菖蒲の部屋で寝泊まりしながら出店計画を詰めているらしかった。
(やっぱり、猫と牛って仲が良いんだな)
 月彦は数年前に見た、牛舎に住み着いた猫が牛にミルクを分けて貰う代わりに、牛の背中や乳首を啄もうとするカラスを追い払い、仲良く暮らしているドキュメンタリーを思い出しながら、そんなことを思っていた。
「保科さんってスゴいんです! ”こちら”でお店を出すのがあんなに大変だなんて、私ちっとも知りませんでした!」
 学校帰りに菖蒲の部屋に寄ると、もはや同居状態のしほりが鼻息荒く――しかし諸々のことで疲れて寝ているらしい菖蒲を気遣って小声で――教えてくれた。しほりの考えでは、漠然と”えらい人”にお店をやりたい旨を伝えて、あとは自分で場所を確保して売るモノを準備すれば商売を始められる――程度の認識だったらしい。
 しほりの認識も恐ろしいが、さらに恐ろしいのはそのことを知りつつ「月彦さんを頼れば大丈夫」と丸投げで放流する春菜ではないだろうか。結局、その月彦も菖蒲に全てを丸投げする形になったのだから、人のことは言えないのだが。
「お店も、保科さんが良い場所を見つけて下さったんです。元が喫茶店で、すこし改装すればすぐにお店も始められるみたいです」
「へぇ、場所はどこらへんなんですか?」
「この部屋から、歩いて十五分くらいです。二階に住めるところもあって、私一目で気に入っちゃいました」
「それはよかったです。順調みたいで俺も安心しました」
 順調、という単語が引っかかったのか、しほりが僅かに顔を曇らせる。
「いえ、その……それが……実は、お金が少し足りないみたいで……」
「お金が?」
 そもそもしほりに店が出せるほどの資金があることに驚くべきだったのかもしれない。
(でも、”バイト”の時はちゃんと日本円使ってた、よな……?)
 最低限通貨の価値というものは知っている――とばかり思っていた。が、しほりの世間知らずっぷりを鑑みれば、或いはその時の報酬額も真狐に言われるまま出していただけだったのかもしれない。
「ちなみに、しほりさんはいくらくらい用意されてきたんですか?」
「はい……。その……以前月彦さんにお支払いしたお金の五倍くらいです」
「うん?」
 最初は、聞き違いかと思った。
(俺に払ったお金の五倍って……)
 恐らく、バイト一回の報酬ではなく、通算で――なのだろう。
 だとしても。
(……報酬の合計が確か、安めの原付ならギリ新品で買える……くらいだったような)
 五倍した程度では、とても店など手に入れられるわけがない。
(それとも、テナントとして、ってことなのかな?)
 しほりの言い方だと建物ごと手に入れるような感じに聞こえるが、実際の所は賃貸ということなのかもしれない。
「……月彦さま、いらしてたのですね」
 話し声が聞こえて目が覚めたのだろう。世にも珍しいパジャマ姿&寝ぼけ眼の菖蒲が、寝室のほうから顔を覗かせる。
「立ち話などさせてしまって申し訳ございません。すぐに部屋を片付けますので少々お待ちいただけますか?」
「あぁ、学校の帰りにちょっと寄っただけだからおかまいなく。すぐ帰――」
「そんな、お茶くらい飲んでいかれてください。あっ、保科さんシャワー行かれますよね、その間に私がお茶を淹れますから」
「お心遣いありがとうございます」
「いやほんと、二人が仲よさそうで安心したし、今日のところは――むぐっ」
「私、毎日保科さんにお料理習ってるんです。お茶だって淹れられるようになったんですよ?」
 ブレザーの上着を――その下のカッターシャツごと――掴まれ、月彦は半ば引きずられるように部屋の中へと上がらされる。力ではとても妖牛様には敵わないことを悟り、月彦はやむなく居間へと案内された。テーブルの脇に座り、しほりが茶の準備をしている最中、はたと思う。
(あれ、炬燵は置いてないんだ……)
 てっきり、これ幸いとばかりに居間には絨毯が敷かれ、さらにテーブルは炬燵に変わっているものだとばかり思っていた。キッチンの方から漏れ聞こえる鼻歌に耳を傾けながら、月彦は椅子に腰を下ろしてのんびりと待つ事にした。
「お待たせしました。どうぞ」
「おっ、この色は……ひょっとして抹茶ラテですか?」
 しほりがもってきた三つのマグカップには緑かかった乳白色の液体が満ち、湯気を立てていた。
「月彦さん、ご存じなんですね。ひょっとして有名な飲み物なんですか?」
「そうですね、割と知名度は高いと思います………………ん、これは……美味いですね」
 予想通り、と言うべきか。暖めた”しほりミルク”に抹茶を混ぜただけらしいそれは、ミルク自体の自然な甘さも相まって極上の味わいに変化していた。
「これは……すごいですね。もうこのままの味でお店に出せますよ」
「気に入っていただけて嬉しいです! これ、草の味がして私も大好きなんです」
 なるほど、しほりの感覚ではそうなのかと。しばし歓談しながら抹茶ラテを啜っていると、やがてシャワーと身支度を終えたらしい菖蒲がメイド服姿で戻って来た。
「お待たせいたしました。しほり様、お茶のご用意ありがとうございます。よろしければ何か、茶菓子になりそうなものをお作りいたしましょうか?」
「あっ、俺はそんなに長居はしないからお構いなく。それより菖蒲さんこそ何か食べた方がいいんじゃないの?」
「わたくしはミルクを頂ければとりあえずは……」
「あっ、保科さん! 昨日一緒に作ったアプリコットパイがまだ半分残ってますから、月彦さんにお出ししませんか?」
「ですが、あれは焼き加減が――」
「えっ、しほりさん達が一緒に作ったパイがあるの? それはちょっと味見したいな」
「ですよね! 私も、月彦さんに感想を聞きたいと思ってた所だったんです」
 乗り気の月彦、しほりを見て、菖蒲も観念したように微笑を浮かべた。
「……承知いたしました。それでは切り分けて持って参りますので、少々お待ちいただけますか?」


 

 二人合作のアプリコットパイはなるほど、確かに菖蒲の言う通り焼き加減が今ひとつだった。器となっている外側のパイ生地の方はやや火が通り過ぎて焦げ気味であり、かとおもえばパイの中心部分は半生に近い。が、そんなことなど気にならないほどに濃厚で美味な味だった。
(……ていうか、これは材料が卑怯だな。何でもかんでも、しほりさんのミルクを使えば、激旨になるんだから)
 しほりミルクを使ったパイ生地を使えば、中身が酔っ払いのゲロでもそこそこ食えるレベルの味になるのではないかとすら思えるほどに、味は濃厚かつ風味豊かなのだ。冷蔵庫で一晩冷やされた生地は表面こそしっとりとしているものの中はサクサクで、仄かな塩味がアプリコットジャムの甘みと酸味と混ざり合い、その芳醇な味わいに舌が躍り出すほどだ。
「これも美味いな……さっきの抹茶ラテもそうだけど、お店で出したら絶対売れると思うよ」
「左様でございますね。妖牛族のミルクが素晴らしいものであることはわたくしも存じておりましたが、しほり様が持参されたものはその中でも群を抜いております。このパイに使ったものは通常の牛乳と混ぜて濃度を半分に落としたものなのですが……」
「半分でこれか……」
「あ、あの……ごめんなさい。その……私のお乳に……何か問題があるのでしょうか?」
「あぁ、いや……問題があるっちゃあるんだけど……」
「しほり様のミルクは料理に使うには少々濃すぎますので、他の牛乳で割った方が良い、というだけのお話でございます。ミルク自体は、大変良いものですから問題などございません」
「は、はい……保科さんにそう言っていただけると……」
 自分のミルクには問題が無かったと解り、しほりはほっと安堵の息を吐く。
「引き続き料理の手ほどきは行うとして、やはり問題は濃度でございますね。料理に応じてどれだけ薄めるかの加減がわたくしにも掴めません。こればかりは実際に作って試してみないことには。……白耀さまであれば、味見をしただけで、きっとどの料理にはどれくらい薄めれば良いかまで解られるのでしょうけど……」
 小声で、菖蒲は独り言のように付け加える。
「……まぁ、白耀も忙しいだろうし、それにしほりさんがやりたいのは洋風の喫茶店だろう? さすがに畑違いじゃないのかな」
「あの、ごめんなさい。その……はくようさん、という方は一体どういう方なのですか?」
 はて、どう説明をしたものか――月彦と菖蒲の間で、まるで思案を交わすように視線がぶつかった。
「まぁ、簡単に言うと凄腕の料理人だよ。妖狐で、真央の兄貴なんだ」
「真央ちゃんのお兄さん……ということは、真狐さんの息子さんですね!」
「そうだけど……自分で料亭を営んでて、もの凄く忙しいみたいだから、協力を仰ぐのは難しいと思うよ」
 なんとなくだが、白耀の協力は得たくない――そう自分が考えていることを、月彦は認めざるを得なかった。菖蒲もまた、白耀を頼るのはばつが悪いと感じるのか、月彦の”方便”を特に否定もせず、粛々と抹茶ラテを口に運んでいる。
「そうなんですね……。でも、真狐さんの息子さんで、真央ちゃんのお兄さんなら、一度ご挨拶くらいはしないとですね」
「まあ、機会があったら紹介するよ。……そういえば、菖蒲さん。折角春菜さんに炬燵免状を貰ったのに、炬燵は使わないの?」
「はい、今はまだ。……わたくしには資格が無い様に思えましたので」
「資格が無いって……でも、あの免状があれば、炬燵を使ってもいいんじゃないの?」
「確かに、炬燵を使用しても桜舜院さまに咎められることは無いとは思われますが……」
 菖蒲はそこまで口にして、黙る。
「…………どうも、試されているような気がしておりまして」
 そして、耳を澄ましていなければ聞こえない程の声で、そう呟いた。
「そんな、試すなんて……」
 菖蒲は目を閉じたまま、小さく首を振る。
「わたくしの勘ぐり過ぎかもしれません。ですが……」
「……ま、まぁ、気が進まないなら無理することはないよな、うん」
 菖蒲の顔色で、月彦は察した。恐らくは、過去に”過ぎた褒美”を軽々に受け取って酷い目に遭ったか、遭った者を見たことがあるのではないかと。
(……よっぽど厳しく躾られたんだろうなぁ)
 猫というのは、本来自分が楽しいと思うことしかしない生き物だと、月彦は思っている。一見貞淑瀟洒行儀作法の塊のように見える菖蒲だが、白耀の元に仕えていた頃は秋刀魚の腸を盗み食って主と揉めるようなお茶目な事件も起こしている。
 その菖蒲が、春菜相手だとここまで警戒を強め、裏の裏まで読もうとしているのだ。きっとそうせざるを得ないだけの経験をしたのだろう。
「保科さんって、すごくしっかりした方なんですね。私だったら、何も考えずに飛びついちゃいそうです」
「とんでもございません。わたくしなどまだまだで御座います」
 そこまで口にして、あっ、と。思い出したように菖蒲が声を出した。
「そういえば、しほり様? 折角今日月彦さまが来られたのですし、例のアレを頼まれてはいかがでしょう?」
「例のアレ?」
 と、しほりに視線を向けると、たちまち顔を赤くされた。
「ぁ……そ、そう……ですね。もう持って来た分は使っちゃいましたし、そろそろお願いしないと……ですね」
 しほりが顎を引き、上目遣いに潤んだ目を向けてくる。それだけでもう、何を頼まれるのか解ったようなものだ。
「えーと、つまり……”アレ”をすればいい、ということかな?」
「はい。よろしくお願いいたします」
「……よろしくおねがいします」



 

「それでは、わたくしは食材の買い出しに行って参ります。恐らく二時間程はかかるかと思いますので、どうぞごゆっくり」
 お楽しみ下さいまし――最後に小声でそう言ったように聞こえたのは、はたして空耳だっただろうか。粛々とした動作で菖蒲が部屋を出て行ってしまった為、月彦はしほりと二人、居間に残される形となった。
「えーと……どうしましょうか」
「は、はい……そう、ですね……。保科さんが戻られる前に、終わらせないと、ですね」
 準備します――そう言って、しほりはキッチンへと消える。が、すぐに大きな空のガラス瓶を手に戻って来た。
「あの、”私たちのやり方”でも大丈夫ですか?」
「しほりさんたちのやり方?」
 しほりの乳搾りならば一度ならずしたことはある。あるが、それは単純に治療の為だったり、ちょっとした”懲らしめ”だったりで、乳搾りそのものが目的だったわけではない。
 つまり、”搾ったミルクをどうするか?”という所については、まるでノウハウが無いのだ。
 しほりがガラス瓶をテーブルの上に置く。牛乳瓶をそのままサイズアップしたようなそれは、十リットルは入る代物だ。瓶自体はガラスだが、淵の部分だけ金色をしており、そこだけ金属製のようだった。
 そしてしほりは肩掛けバッグからも何かを取り出し、それをテーブルの上に置いた。
 それは金色の、二つの指輪だった。
「私たちは”これ”を使って、お乳搾りをします」
「……? この指輪を使って?」
「はい。……多分、口で説明するよりも、実際にやってみせたほうが分かり易いと思います」
 そう言って、しほりは上着のセーターとインナーを脱ぎ、さらには紫のブラまで外して、上半身を露出させる。
(う、お……これはまた……)
 思わず両手を合わせて拝みたくなるような、すばらしい巨乳がそこに在った。照れるような、恥じ入るようなしほりの朱に染まった顔がまた良いワンポイントとなり、月彦は思わず生唾を飲んでしまう。
「これは……指輪ではないんです。こうやって……んっ……」
 上半身裸になったしほりは、テーブルの上に置いていた二つの指輪を、自らの胸の突起へと押し当てる。たちまち、金の環がしゅるしゅると縮み、突起の根元部分を締め付けるように形を変える。
 一瞬、ほんの一瞬だけ金の環が赤く光ったように、月彦には見えた。
「んっ……これで、”呪”がかかりました」
「……? 今のは一体……?」
「この環は、あちらの瓶の縁と繋がっているんです。たとえば今、こうして――」
 しほりが自らの胸元に手を宛がい、軽く圧迫してみせる。胸の方には特にこれといった変化は無かったのだが――。
「あっ、こっちの瓶に……」
 瓶の縁の辺りから白い液体がとろとろと、ガラス瓶の内側を伝っていく。成る程と、月彦は納得した。
「つまり、今お乳を搾れば、ミルクは全部こちらの瓶の方に行く、と」
「はい、あとは、いつものように搾っていただければ……」
「成る程。これなら、搾ったミルクを一滴も無駄にせずに貯蔵することが出来ますね」
 さすがミルクで生計を立てる種族の方法だと、月彦は感心せざるを得ない。
「それじゃあ、さっそく始めますか」
「は、はい! よろしく……お願いします」
 しほりは膝立ちのままテーブル周りを移動する。そして月彦に背を向けるような形でテーブルに手を突いた。
「え、えーと……そうやって、するものなんですか?」
「えっ!? は、はい……いけませんか?」
「いえ……いけなくはない、んですけど……」
 人妻の無防備な背中と、まるで差し出すようにして向けられた尻の輪郭に、月彦は再度生唾を飲み込む。
 美人の若妻と密室に二人きり。
 上半身裸。
 たわわに実った巨乳。
 差し出された尻。
 たわわな巨乳。
 尻。
 巨乳。
 二人きり。
「あ、あの……月彦さん?」
 無意識にスカート生地をつまみ、めくりあげようとしていた月彦はしほりの言葉にハッと我に返った。
「す、すみません! ちょっと、ぼーっとしてて……そ、それじゃあ……始めますね」
 月彦は慌ててしほりの”横”へと周り、左のお乳に手を当て、えいや、えいやと搾り始める。
「んっ……ぁっ……?」
 ガラス瓶の方から、ちょろちょろと音が聞こえる。一応絞れてはいるのだろうが、その流量は先ほどしほりが自分でやってみせたものと大差ないごく少量でしかない。
「あ、の……月彦さん? どうして……」
「へ? な、何か問題ですか?」
 もちろん問題があることなど、月彦は百も承知だった。”こんなやり方”では巧く力もいれられず、何よりしほりも気持ちよく無いだろう。
「その……できれば、いつもみたいに……」
「いつもみたいに、ですか」
 しほりが言わんとすることは解っている。そう、”いつもの様”に、背後から両手でもみくちゃにするように搾って欲しいということだろう。
(解ってる、解ってる、けど……)
 こんな色気ムンムンの人妻に背後から密着して乳をこね回して、果たして正気を保てるのだろうか。己の理性を信じたばかりに何度も何度も後悔するハメになった月彦としては、”事故”を避ける為に絶対に避けたいシチュエーションではあった。
(あぁ……でも、やってみたい! しほりさんのあの巨乳を、両手でめちゃくちゃにしてみたい……!)
 そう、避けねばならないシチュエーションであるのは間違いない。間違いないが、”それ”を避けるくらいなら死んだ方がましだと叫ぶ声が聞こえる。成る程、その通りだと、気がついた時には内なる声に月彦は頷き、しほりに背後から被さっていた。
「きゃっ!? つ、月彦さっ――……んんんぅぅう!」
 同時に、両手でこれでもかとしほりの巨乳をもみくちゃにする。ガラス瓶の方から、じょばじょばと小気味の良い音が聞こえるが、構わず白い乳肉に指を埋め、桜色の先端を弄る。
(成る程、この金属の輪っかみたいなの……堅いかと思ったら……)
 見た目こそ金属のようだが、実際に触ってみるとまるでゴムのような感触だった。きゅっと、乳首の根元を締め付けるようにして固着されているそれごと月彦は指先で摘まみ、搾乳を続ける。
「んんっっ……は、ぁぁっ……んんぅぅ……あぁぁっっ……月彦さんっ……もっと……もっとぉ……!」
 なんとも心地よさそうな艶を帯びた喘ぎ。乳が張るほどに溜まっていたミルクが絞り出されていくのが快感なのか、密着している月彦にもしほりが心地よさそうに身震いしているのが伝わってくる。
(……天職かもしれない)
 将来、就職に困ったら妖牛族の里に赴き、乳搾り請負人として雇ってもらえるように懇願してみようか――そんなことを考えながら、月彦もノリノリの手つきで搾乳を続ける。
 「んんっ、んんんっ! はぁっ……はぁっ…………す、ごい……どんどん、出て…………あぁっ……お乳を出すのが、こんなに、気持ちいい、なんて…………!」
 甘い声で喘ぎながら、焦れったげに体をくねらせて。しほりはまるで下半身を差し出すように尻を押しつけてくる。
 そんなことをすれば必然的に――
「ひっ」
 興奮した牡の”強ばり”に尻が接触し、悲鳴めいた声と共に体を引こうとしたしほりを、今度は月彦が両手で捕らえるように抱きしめる。
「……? どうかしましたか、しほりさん」
「あ、あの……月彦さん……その、私の、お尻に……」
「お尻に?」
「あ、熱い、のが……ひゃっ!?」
 しほりに密着したまま、そのうなじに息を吹きかける。
「つ、月彦さん……い、息、が……あぅぅうう!!」
 しほりの尻に”強ばり”の熱を伝えるように密着しながら、そのうなじに吐息をかけながら、丹念に乳肉を捏ね、先端を”環”ごと摘まむ。ガラス瓶には先ほどよりもさらに勢いよく乳白色の液体が注ぎ込まれ、早くも容積の半分を満たそうとしていた。
「ぁっ、ぁっ、ぁっ……やっ……だ、ダメっ、です……こん、なっ…………」
「ダメ? 何がダメなんですか?」
 こんなにも順調に絞れているのに――そう囁くように、月彦は乳肉を優しく捏ね、先端を摘まみ、擦り上げる。
「ひゃぅうううんっ! だめっ、だめっ、です……はぁはぁはぁ……ほ、欲しく……なっちゃいます、からぁ……」
「欲しくなる?」
 囁き、”続き”を促すように、きゅっと先端を強く摘まむ。
「あぁッ! ァッ! だめっ、です……だめっ、だめっ…………も、もうっ……許しっ………………っ…………?」
 感極まったような声を上げるしほりから、月彦はついと身を引き、離れる。ぜえぜえと息を荒げながらも振り返るしほりに、月彦は優しい笑顔を浮かべ、そっとテーブルの上を見るように促す。
「あっ……」
 と。テーブルの上に置かれたガラス瓶、その容積の九割八分まで満ち満ちた乳白色の液体に、どうやらしほりも月彦が搾るのを止めた理由を察したらしかった。
「そんな……まだ、全然……」
「全然?」
「あっ、いえ……その……お、夫にしてもらってる時は……いつももっと時間がかかって……それでも、あの瓶が満杯になることなんて無くて……」
「そうなんですか? 随分勢いよくお乳が出てるように見えましたけど……」
「それは……月彦さんだから、です……月彦さんに搾られると――」
 しほりが首を振り、言葉を修正する。
「――月彦さんが側に居るだけで、どんどんお乳が張ってきて……苦しくなっちゃうんです」
「側に居るだけで……ですか。それは困りましたね」
「……はい、とっても、困ります……本当に」
 しほりが顎を引き、ムッとするように睨んでくる。が、しっとりと濡れ情欲の光を帯びたその目は、およそ”本気で困っている目”には見えない。
 月彦はくすりと笑い、部屋の中を見回した。
「ちなみに、換えの瓶とかは無いんですか?」
「ごめんなさい……今まで一本で足りてましたから……」
「成る程。じゃあ、続きはまた、この瓶が空になってからですね」
「そんな……そんなの、私…………とても、待てません…………」
 ほとんど叫ぶように言い、しほりは月彦の手を取ると、まるで祈りでも込めるように両手で握りしめてくる。しっとりと汗ばんだ手のひらの感触に、しほりの高い体温が伝わってくるかの様だった。
「月彦さんに触られてから、おっぱいが凄く熱くて……」
「でもほら、あの容器はもう一杯になっちゃったみたいですし。あの瓶って、たださっきの輪っかと繋がってるだけじゃなくって、きっと品質とかそういうのもしっかり維持出来る特別な瓶なんじゃないんですか?」
 ただの推測――だったが、しほりは驚いたような目をして反論はしてこなかった。どうやら、図星であったらしい。
「何か適当な器を用意してただ普通に搾るだけなら出来ると思いますけど、それだと雑菌が入っちゃったりすると思いますし……」
「……それでも、いいんです。……お願いします、もっと……もっとお乳を搾って頂けませんか? 今、止められたら……私……私……!」
 ゾクゾクゾク――しほりの懇願に、思わず背筋が震える。半裸の、しかも色気たっぷりの人妻に搾乳を懇願されることなど、滅多にあることではない。
「月彦さん、お願いします……おっぱいが苦しいんです……」
 確かに、しほりの言うとおり、搾る前よりもおっぱいが張り、いかにも苦しげだった。
(……ヤバい、しほりさんの上目遣い……エロすぎだろ)
 濡れた唇も、切なげに漏れる吐息も、何もかもが男の――否、牡の嗜虐心を擽る。今ならおっぱいを搾る代わりに何かエロい要求をしても、すんなりと受け入れられるのではないか――そんな邪念が、鎌首をもたげる。
(……って! そんなのダメだろ! しほりさんは結婚してるんだから!)
 が、月彦は辛くも踏みとどまった。相手が既婚者でなければ、邪な発想のままに道を踏み外していたかもしれない。
「あの、月彦さん……後生ですから……」
「いや、搾ってあげたいのは山々なんですが……」
「お困りですか?」
 ”第三者の声”に、月彦としほりが同時に悲鳴を上げた。慌てて振り返ると、ダイニングへと通じる引き戸の隙間(十五センチほど)から菖蒲の片目が覗いていた。
「あ、菖蒲さん! 二時間は戻らないんじゃ無かったの!?」
 月彦は壁掛け時計を見る。菖蒲が出てから、まだ一時間も経っていない。
「はい。そのつもりでしたが…………恐らく一本では足りないのではないかと思い、何よりも先にこちらを買って参りました」
「えっ、これって……しほりさんのやつと同じ……?」
「はい。もちろんこちらも準備いたしました」
 そう言って、菖蒲は片手に二つずつ計四つの金の環を両手の上に乗せ、差し出してくる。
「……同じだ……こんなの、一体どこで……」
「ふふ、秘密の”ほおむせんたあ”に行って参りました。よろしければ、今度ご案内いたしましょうか?」
「興味はあるけど……っと、しほりさん、これで続きが――あれ?」
 振り返ると、そこにしほりの姿はなかった。代わりに、寝室へと通じる引き戸の隙間から顔を真っ赤にしたまま覗くしほりと目が合った。
「何でそんなところに……」
「……ごめんなさい。今日はもう、終わりにしてください」
 びっくりして、お乳が止まってしまったと、消え入りそうな声で言い、しほりは引き戸を閉めてしまった。
「……菖蒲さん、しほりさんが居るときは足音を立てずに背後に立つのは止めた方がいいかもしれない」
「左様でございますね。以後注意いたします」
 しゅんと尾を萎れさせ、しほりには後ほどきちんと謝る旨を言い残し、菖蒲は再度買い物に出かけてしまった。
「しほりさん、菖蒲さんは出かけちゃったけど……」
 寝室の戸が開く気配はない。もしかすると、ビックリした以上に、搾って、搾ってと男に縋り付く様を菖蒲に見られてしまったことにショックを受けているのかもしれない。
(……今日の所は、そっとしておいたほうがいいかもしれない)
 引き戸ごしに今日は帰る旨を伝えて、菖蒲へもメモ書きを残し、月彦もまた菖蒲の部屋を辞した。


「わぁ、すっかり綺麗になりましたね。もう明日にもお店を始められるんじゃないですか?」
「外見は整いましたが、まだ備品に足りないものが御座います。手続きも御座いますし、実際に営業出来るのは半月後かと思われます」
「へぇ〜、これがしほりさんのお店か」
 土曜日の朝。菖蒲としほりに連れられ、”しほりの店”を見に行った月彦は外観を見上げ、思わずほっこりした。駅から徒歩五分圏内という立地条件もさることながら、白と黒のツートンを基調としたファンシーな外観は良い意味で人目を引き、きっと地域住民からも愛される良いお店になることだろう。
「菖蒲さん、もう中に入れるの?」
「はい。もう内装工事も完了しておりますし、営業こそ出来ませんが普通に住む分には何の問題もございません。もちろん、簡単なものならお料理もご用意出来ます」
 ということはあくまで営業が出来ないだけで、ガス水道電気などは問題無く来ているらしい。菖蒲がエプロンドレスの内側から取り出した鍵で施錠を解除し、どうぞという手つきで一歩下がると、しほりが堪えきれないような手つきでドアの取っ手を握り、手前に引いた。

 ――ガラン、ガランッ。

 たちまち鳴り響くカウベルの音に、しほりは両目をぎゅっと閉じてぶるりと震えた。
「私、この音大好きです。素敵なベルをありがとうございます!」
「はは、気に入ってもらえたなら俺も嬉しいです」
 プレゼントした甲斐があったと、月彦は胸をなで下ろす。
 菖蒲としほりの為に、自分も何かやらねばと。放課後古道具屋やらアンティークショップやらを練り歩いて、ドアチャイムとして使える”カウベル”を探してきたのだった。
(出来れば、まみさんを頼りたかったけど……)
 生憎、性悪狐退治に出かけたまま留守が続いているためそれは出来なかった。尤も、まみを頼ったら頼ったで、いつぞやの鈴のように厄介事に巻き込まれることにもなったかもしれないのだが。
「わたくしも本当に良い音色だと思います。音が濁らない様、毎日欠かさず手入れをさせて頂きます」
 世辞も入っているのだろうが、菖蒲自身やはり一つの大きな仕事を終わらせた(実際にはまだ終わっていないのだが)ということもあってか、感慨深そうにお店を見上げている。
 その看板には少し溶けたようなレタリングで”Cow Bell”と書かれている。店の名前を何にするかの会議の際、これという名前が決まらず、じゃあドアチャイムにカウベルを使うんだし、お店の名前もそれでということになったのだった。
(しほりさん案の”牛さんの休憩所”も牧歌的で悪くはないと思ったんだけどな……)
 ただ、お店の名前としては些か長いということになり、覚えやすく口にもしやすいカウベルに決まったのだった。
「わぁ! 保科さん、月彦さん、見て下さい! 中もすっごく綺麗ですよ!」
 一足先にお店の中に入ったしほりが大声と共に手招きをする。月彦は菖蒲と一瞬顔を見合わせ、小走りに”カウ・ベル”に入店した。


 四人がけのテーブル席が二つに、カウンター席が八つ(しほりの希望は六つだったが、お店の広さやカウンターの長さと相談した結果、八つになった)。内装は主にチーク材用い、しほりの希望で鉢植えの植物を多く飾ってある。本当は床も牧草か、せめて芝生にしたかったらしいが、これについては菖蒲が説得し壁や天井同様、チーク材の床になった。
 窓を広くとってある店内は明るく、知る人ぞ知る通好みの店というよりは、誰もが気軽に入れて広く浅く親しまれるお店に仕上がっている。今はまだ内装工事直後のつんと鼻を突く匂いが残っているが、菖蒲の言うとおり営業開始が半月後であれば、換気をすれば十分匂いは抜けることだろう。
「内装についてはまだまだこれから詰めていく予定ですが、ポプリ等も置こうと思っております。もちろん、しほり様と相談しての事になりますが」
「な、なるほど……」
 鼻を気にしているのを見られていたのだろう。相変わらず油断ならない従者だと思う。
(その菖蒲さんをあれだけ慎重にさせるんだから、春菜さんってどんだけ……)
 我ながらよく春菜の屋敷になど泊まれたと思う。モノを知らないというのは本当に恐ろしいことであると今更ながらに寒気がする。
(しかし、テーブル席が二つにカウンター席が八つか……)
 足りるのか?――そんな危惧が沸く。しほりのあの絶品ミルク目当てに毎日大勢の客が押し寄せるであろうことは明白だ。さらに言えば、しほりの色香に狂って無駄に長居をするであろう男達の事を考えると、まともな回転率にならないのではないかと思える。
(俺が気にしても仕方ないことだけど……)
 菖蒲ならば上手く回してくれるのではないかと、期待するしかない。
「って、なんじゃこりゃー!」
 一通り内装を見終わり、”STAFF ONLY”と書かれたドアをくぐるなり、月彦は思わず声を上げた。
「あっ、月彦さん! 私も今見て驚いてたんです」
 STAFF ONLYの掛札の奥に構える調理室。その三分の一を占めるのは銀色に輝く巨大なタンクだった。
「これ……まさか……」
 タンクには大きく、例の”ウシ印”が描かれている。マークに気づくなり、しほりがぽっと頬を赤らめた。
「はい。お乳――”ミルク”用の水槽です。保科さんと相談して、このお部屋に入るもので一番大きなものにして貰いました」
「……もしかして、このタンクもあのボトルと同じような仕組みに?」
「それだけじゃありません。保冷も保存も完璧にできる凄い水槽なんですよ? ね、保科さん」
「しほり様が仰るとおりでございます。……個人用としては、些か大きすぎる気もしますが……」
 菖蒲の笑顔が少しだけ引きつっているのを、月彦は見逃さなかった。恐らくは相当”高かった”に違いない。
(確かに……一体何リットル用なんだ……?)
 タンクを見上げながら、何処かに容積表示でもないかと探す月彦の目が、菖蒲の白い手袋を捕らえる。しほりからは見えない――しかし月彦からは見える意味深な位置で、菖蒲は指を三本立て、その後に”0”を三回作った。
「おおぅ……」
 つい、そんな声が出る。個人用のタンクとしては大きすぎるという菖蒲の言葉も納得の容積だった。
「月彦さん?」
「って、ぅあ!?」
 目を離していた隙に、殆ど真隣にまでしほりに接近されていた。左手がしほりに握られる形でぐいと引かれ、そのまま脇に挟まれるような形でむぎゅりと。乳肉を押し当てられ、密着される。
「これなら、”満杯になったから、今日はここまで”にはならないですよね? お店を始めるんですから、いっぱい、いっぱいミルクが必要だと思うんです」
 だから――耳の裏を、しほりの甘い囁きが擽ってくる。
「月彦さんにも、是非協力して頂きたいんです。……ダメですか?」
「ぅ……っ……」
 必ず殺すと書いて必殺。そう、まさに必殺の上目遣いだった。仮に明日が本命の入試で、今すぐ帰宅して一夜漬けをしないと浪人は確実だと解ってはいても、
「も、もちろん……俺に出来ることなら何でも言ってください」
 きっとそう答えてしまうことだろう。
「わぁ、嬉しいです! このお店、二階部分が私のおうちになってるんです。月彦さんさえ良かったら――」
 そちらで、すぐにでも搾乳をお願いしたい――濡れた目で訴えてくるしほりに、うぎぐと月彦は顔を引きつらせる。
(……今日は、昼過ぎには帰って真央とイチャイチャする予定なのに)
 まだ昼前とはいえ、しほりが満足するまで搾乳を行って果たして間に合うだろうか。最近ただでさえ菖蒲の部屋に行く頻度が増え――後ろ暗い事は何もしていないにもかかわらず――真央の態度が冷ややかになってきていることからも、今日くらいは是非とも真央の機嫌をとりたかった。

 ガラン、ガランッ。

 突然の音に、三人の動きが止まった。聞こえた音は間違いなくドアに備え付けられたカウベルの音だ。
 ということは、誰かが――。
「白耀さま……!?」
 いち早く動いたのは菖蒲だった。調理室のドアを開けるなり、声を裏返らせた。続いて、菖蒲の背を押しのけるようにして月彦が店内へと戻る。
 入り口のマットの上に立つ、和装の男。涼やかな笑みを称えたその男は紛れもなく真田白耀だった。
「やあ、菖蒲。そして月彦さん……おひさしぶりです」


「……久しぶりだな、白耀。珍しいところで会うな」
「珍しい……そうですね」
 くつくつと、白耀が肩を揺らして笑う。その笑い方が母親のそれにうり二つで、月彦は反射的に舌打ちをしそうになる。
「ここのところ全然月彦さんが遊びに来て下さらないからおかしいと思っていたら、こんな面白そうなことをなさっていたんですね。水くさいじゃないですか、どうして僕に一言相談して下さらなかったんですか?」
「相談……?」
「はい。”こちら”でお店をやるということがどういうことなのか、僕ならば色々とアドバイスできることも多いと思いますが。これでも、ここら辺一体ではそれなりの”顔”なんですよ?」
「あぁ……そうだな。確かに、お前に相談したほうがいいかも、っていう話にはなったんだ。けど、菖蒲さんと相談した結果、忙しいお前に面倒はかけられないってことになったんだ」
「とんでもない! 忙しいどころか、ここ一月ほどは店のことは部下に任せて殆ど遊びほうけていましたよ。確か、月彦さんにもいつでも遊びにいらしてくださいと伝えた筈ですが」
「そう――だったかな。悪い、俺の方がバタバタしててすっかり忘れてた」
「そうですか。忘れてらっしゃったんなら仕方ないですね。……菖蒲」
 はい、と。上質のガラスで出来たグラスを指で弾いたような澄んだ返事だった。およそ感情というモノが籠もっていない――月彦の知らない菖蒲の貌がそこに在った。
「僕の都合で急に暇を出すことになってしまって心苦しく思っていたけど、良い仕事場が見つかったようで安心した。解るよ、僕の代わりに月彦さんの力になってくれたんだろう?」
「はい。微力を尽くさせて頂きました」
「あ、あの! ちょっと、通してください!」
 背後からの悲鳴に、月彦と菖蒲が慌てて左右に退く。漸く調理室を出ることが出来たしほりが二人の前に一歩歩み出て、にこりと白耀に微笑んだ。
「私、妖牛族の芭道しほりと申します。さなだ……はくようさん、ですね。お話は保科さんと月彦さんから伺ってます」
「初めまして、妖狐の白耀です。妖牛の方とお会いするのは初めてですが……なるほど、道理で」
 一体なにが道理で、なのか。白耀はしほりの胸元と、月彦を交互に見て、妖しい笑みを浮かべた。
「真狐さんの息子さんって聞いてます。私、真狐さんにはとてもお世話になってて……いつか挨拶に行かないといけないって思ってました。お会いできて良かったです」
 あっ、と。月彦は思わず目元を覆った。白耀に”母親の話”はタブーなのだが、それをしほりに伝えていなかったからだ。
「そうなんですか。こちらこそいつも母がお世話になってます。何かご迷惑をおかけしていないと良いのですが……」
 しかし、白耀の返事に月彦は耳を疑った。月彦の知る白耀であれば、真狐の名を出されただけで顔中に脂汗を滲ませ、呼吸は荒く白い肌をさらに青白くさせて息も絶え絶えに中座を願う筈であるのに。
「迷惑だなんてとんでもないです! 私、その……とても困っていたんですけど……真狐さんの仲介で月彦さんとお会いできて……その………………すごく…………」
 ちらりと、しほりに見られる。なるほどと、それだけで何かを察したらしい白耀が意味深に頷いた。
「そういうご縁なんですね。だとしたら良いご判断です」
 うんうんと頷きながら、白耀が薄ら笑みを浮かべる。
「月彦さんは僕がお会いした人間の中で一番と言えるくらい、誠実な方です。きっと力になってくださると思います。もちろん、月彦さんの弟分である僕も、微力を尽くさせて頂きます」
「はくようさんが……、月彦さんの、ですか?」
「はい。僕も年ばかり重ねて三百を越えてますが、人格者という意味では月彦さんに遠く及びません。今までも、随分と学ばせてもらいました」
「止してくれ、白耀。あんまり持ち上げられるとかえって馬鹿にされてるみたいに聞こえる」
「申し訳御座いません。そんなつもりは毛頭無かったのですが、不快にさせてしまいましたか」
 白耀が深々と頭を下げる。仕草こそ丁寧だが、腹の底では嗤われているように感じるのは何故なのだろうか。
「っと、挨拶が長くなってしまいました。とにかく、”こちら”で商売をする仲間が増えることは喜ばしいことです。後で花など届けさせましょう。……菖蒲」
「はい」
「何か困った事があったら、遠慮せず僕を頼って構わないからな。取引や仕入れも、僕の名を出せば楽が出来ることも多いはずだ」
「お心遣い感謝いたします」
「悪いな、白耀。……お前が言う通り、連絡くらいするべきだった」
 申し訳ない――そう言って頭を下げる。そう、やはり真田白耀は母真狐とは違い、良識ある男だ。そんな男に対して苦手意識を抱いてしまうのも、単純に自分側の問題だ。
「良いんです、悪気があってのことではないと解ってますから。…………でも、そうですね。もし、少しでも僕に対して”悪いことをした”という意識がおありなら、この後ちょっとだけお付き合い頂けませんか?」
「この後……って、”この後”か?」
「はい。”この後”です」
「…………えーと、実は先約が――」
 断ろうと思って、口を噤む。白耀は「少しでも”悪いことをした”という意識があるのなら」と言った。ということは、ここで白耀の申し出を断るということは、罪悪感などまるでない、口だけのペラッペラの謝罪をした男ということにはならないか。
「……ごめん、しほりさん。その……さっきの話だけど……」
「ぁ……はい。私は大丈夫です。……その、はくようさんとの用事が終わった後、でも……」
 ちらりと、しほりが白耀を見る。私が先約を入れてたのにな――そんな気持ちを含めた、ちょっぴり恨みがましい目だ。出来れば、白耀が察して引き下がってはくれないかという気持ちが込められているのが、端で見ている月彦にも伝わって来る。
「そうですか、良かった。ご安心を、そんなにお時間は取らせませんから。……さ、月彦さん。行きましょうか」
「あ……ああ? ごめん、そういうわけだから……菖蒲さん、あとはよろしく頼むよ」
「はい。いってらっしゃいまし」
「月彦さん……早く戻って来てくださいね?」
 二人に見送られ、月彦は”カウ・ベル”を後にした。



 白耀は”カウ・ベル”前に車を待たせていた。黒塗りの高級車の車内は広く、まるでソファのようにふかふかの座席に座るなり、面向かいになる形で正面に白耀が座った。
 程なく、静かな音と共に車が走り出す。月彦は改めて、面向かいに座っている男をしげしげと観察する。
 やはり、以前の白耀とは違う――月彦はそのことを確信していた。以前の白耀であれば、きっとしほりの視線の意図するところに気がつき、自分から引き下がった筈だ。
(……顔つきも、やっぱり違う、様な――)
 美形だが、頼りなさが勝っていた以前の印象とは明らかに違う。頼もしさというよりも野性味に近いそれに加えて、艶を帯びた――”あの女”に似てきたように感じる。
「すみません。ちょっと強引な形でしたね。……でも、今日は是が非でも月彦さんをお招きしたかったんです」
「そうだな。白耀らしくないと思った。……どうしてそんなに俺を呼びたかったんだ?」
「僕の気のせいなら良いのですが――」
 白耀は俄に表情を曇らせ、そして不安げに笑った。
「最近、少し月彦さんと距離があるように感じていましたので。今日はそれが僕の杞憂であると確認したくて、お招きした次第です」
「………………。」
 成る程と、月彦は納得した。
(……確かに、俺は白耀を避けていた)
 一つは、菖蒲とのことで取り返しの付かない裏切りをしてしまったこと。
 そして、もう一つは――。
(あ、れ……もう、一つは――)
 当然のように思い出せる筈の事が思い出せず、月彦は軽いパニックに陥った。さながら、唐突に歩き方を忘れてしまい、一歩も動けなくなったような、そんな恐怖にどっと全身から汗が噴き出る。
 くつくつと、嫌な笑いが聞こえた。眼前の、宿敵である女にそっくりな貌をした男の口から漏れる音だ。
「月彦さん、顔色が悪いみたいですが、どうかなさいましたか?」
「いや……なんでもない」
 強がりだった。内心、自分が忘れてしまったものが何かを思い出すべく、片っ端から記憶を探っていた。
「…………道が混んでいるようですね。着くまで、少し話しでもしませんか?」
「話……?」
「はい。月彦さん……貴方は、この世で最も罪深い行いは何だと思われますか?」
 ドキリと、心臓が撥ねる。動揺が顔に出たかどうかまでは解らなかった。少なくとも白耀は先ほどから微笑を崩していない。
「いやだなぁ、月彦さん。そんなに深く考えないで下さい。目的地に着くまでの、ちょっとした世間話ですよ。軽い気持ちで答えてくだされば、それでいいんです」
「そ――うだな。やっぱりほら、あれじゃないかな。殺人とか、放火とか……」
「あと、”強姦”もですね」
 くつくつと、笑い混じりに言う白耀に、月彦は驚きを隠せなかった。この男は、”それ”を、冗談交じりに話すことが出来るのかと。
「さすが月彦さん、ちょっと面白みには欠けますが、常識的な解答だと思います。僕も概ね同意です」
 でも――と、白耀は言葉を続ける。
「僕はそこに”信頼を裏切ること”も付け加えたいですね」
 えっ――思わず声が出そうになる。
 まさか。
 まさか、バレているのか――?
「考えてもみてください。単純な、それこそ交通事故のように無作為に行われる強姦も許しがたいですが、信頼して、家に上げた相手に襲われる――これこそ悲劇だと僕は思います。 襲われた方の心の痛みは、信頼の度合いに比例して大きくなりますし、事によっては誰に襲われたのか解らないままのほうが遙かに幸せなことだってあるはずです」
 ドッと吹き出した汗が、たちまち冷えていく。
(何だ……”強姦”の話か……)
 夜道で誰とも解らない相手に襲われるよりも、場合によっては信頼していた相手に裏切られ、襲われる方が辛い――白耀はそれを言いたかっただけなのだ。
「おや、月彦さん……ものすごい汗ですね。ひょっとして、暖房が強すぎますか?」
「あ、あぁ……そうだな、すこし効き過ぎかもな」
 わかりました――そう言って白耀は肘掛けについているスイッチを操作する。程なく、暖房の音が止まった。
「少し、話題を変えましょうか。……月彦さん、逆に……この世で最も喜ばしいことは何だと思われますか?」
「喜ばしいこと――か」
 先ほどの質問とは打って変わった、明るい質問にホッと安堵の息をつく。
「そうだな……いろいろあるとは思うけど……俺だったら、仲が良い人達に何か良いことが起きること――かな」
 くわっ、と。唐突に白耀の両目が見開かれ、月彦はぎょっとのけぞった。
「月彦さん! やっぱり、貴方は僕の師となる方です! きっと月彦さんならそういうお考えだろうと予想はしていましたが、本当にそうだったなんて!」
「えっ、あ、いや……俺もそこまで深く考えて答えたわけじゃ……ほら、最初に”軽い気持ちで”って言っただろ?」
「確かに言いました。……でも、月彦さん。深く考えて出した答えよりも、何も考えずに答えた方がより本心に近い場合が多いと、僕は思います」
「ま、まぁ……そういうこともあるかもしれないな」
 実を言えば、”本音”としてはあの性悪狐が名のある霊媒師か退治屋の類いに捕まって封印されるとか、折檻されて心を入れ替えるというのが最も喜ばしいと思ったのだ。しかしさすがにその答えでは白耀の考える”月彦像”にはそぐわないのではないかと思い、優等生じみた解答に変更したのだった。
「おっと、丁度着いたようです」
 車が停車していることに、白耀に言われて気がつく。それほどに静かな到着だった。車を降りると、そこは懐かしくも見慣れた、白耀邸の門扉の前だった。
(……参ったな)
 門扉を見上げながら、月彦は俄に憂鬱になる。恐らく白耀は”離れてしまった距離”を縮めるために、豪華な食事でも用意して歓待をするつもりなのだろう。用事が済み次第さっさと帰るつもりだったが、あまり早く帰ってはまた白耀に勘違いをされかねない。
 少なくとも、紺崎月彦との間には前と変わらぬ絆があり、距離があるように感じていたのはただの杞憂だったと白耀が思う程度には歓待を受ける必要がある。が、実際心に後ろ暗いものを持つ月彦としては、それこそが苦行以外の何物でもない。
(……いや、でも必要なことだ)
 この針のむしろでの歓待こそが自分がやってしまったことへの罰でもあるのだ。逃げるわけにはいかない。
「さぁ、どうぞ」
 白耀に促されるままに、月彦は白耀邸の中へと入って行った。



 白耀の屋敷に来るのはいつぶりだろうか。はて、何か違和感があると思えば、いつもせわしなく動き回っている人形達の姿が見えない。昔であれば、いつの間にか背後に回った菖蒲にドキリとさせられ、そのまま道案内をされるのが定番だった。
(……菖蒲さん、庭木の手入れとかもしてたのかな。なんか、全体的に……)
 ”荒れた”と感じるのは気のせいだろうか。まだ菖蒲が辞めてまもない筈であるが、庭木の枝の伸びっぷりや、落ち葉の溜まり具合からそのような印象を受けるのは、それだけ菖蒲の仕事が完璧であったという証左なのかもしれない。
「……今更だけど、別に菖蒲さんに暇を出さなくてもよかったんじゃないのか?」
 つい、そんな言葉が口から出てしまった。白耀は先導する足をとめ、くるりと振り返った。
「いえ、菖蒲は今までとてもよく尽くしてくれました。少しくらい長めの休みをやってもバチは当たりませんよ」
「それは本人が休みを望んでいた場合だろう? 菖蒲さんはお前の所で働きたかったんじゃないのか?」
「さて、どうでしょうか」
 白耀は言葉を濁し、再び前を向いて歩き出す。月彦は黙ってその後に続いた。
「どうぞ、こちらで寛がれてください。すぐにお茶を淹れさせますから」
 いつもの応接室へと通され、月彦は促されるままにソファへと腰をおちつけた。ふうと一息をついたところで、はたと気がついた。
「ん? 茶を……淹れさせる?」
 先ほど、菖蒲はもう居ないと零していたばかりだというのに、妙な言い回しだと思う。誰か菖蒲の代わりでも雇ったのだろうか。
「………………。」
 何かの匂いがして、くんと鼻を鳴らす。以前の応接室には無かった類いの匂いだ。しかしどこかで嗅いだことのある匂いだと思って記憶を探り、美術室の油絵の匂いであると気づく。
 見れば、応接室内に飾られていたボトルシップは全て片付けられ、代わりにいくつかの油絵が額に入れて飾られていた。まだ習作なのだろう。どれも美術の教科書に載るような絵と比べれば明らかに素人臭い。が、どの絵にも試行錯誤の跡が見え、その技量は一枚描き上げる度に格段に上がっているようだった。
「へぇ……もしかして、白耀が言ってた新しい趣味って油絵のことだったのか」
 ボトルシップの次は油絵とは、なんとも大人な趣味であると思う。
(……でも、白耀にベレー帽は似合わないな)
 絵描きといえばベレー帽に水色のケープ、そして片手に筆片手にパレット姿というのがテンプレだと思っている月彦は、白耀のそんな姿を想像して吹き出しそうになる。
 おや、と思ったのは、丁度対面のソファの後ろ側に見慣れないものがあったからだ。四角い何かに白布がかけられ、調度品の棚にもたれかかっている。大きさ的に、恐らくこれも額縁に入った絵のようだが、何故これだけが壁にかけられず、布をかけられているのだろうか。
 布をめくってみようかと思ったのは、単純な好奇心からだ。なにせ、この絵だけ――まだ絵であると決まったわけではないのだが――ほかの絵に比べて三倍は大きい。二人掛けのソファから横枠がはみ出すほどの大きさだ。
 もしかしたらこの絵だけ未完成で、それ故布をかけられているだけかもしれないが、見たからといって別段怒られもしないだろう。そこまで見られたくない絵であるならば、もっと目に付かない場所に隠しておく筈だ。
 ほんの軽い気持ちで、月彦は布をめくってみた。最初に見えたのは、白くて細い柱だった。が、すぐにそれが柱ではなく、ソファに腰掛けた人間の足だと解った。足であると解った瞬間、不思議と胸の奥がザワついたが、自分でも理由は分からなかった。
「えっ……」
 布をめくっていく。絵の全貌が明らかになるにつれて、胸の奥が鈍痛を伴う動悸が襲った。それでも布をめくる手が止められない。
 それは裸婦の絵だった。丁度先ほどまで月彦が座っていたソファと同じものに腰掛け――否、座ると言うよりは、気怠げにもたれかかるような座り方だった。右手はソファ生地を撫でているような形で少し体から離れ、左手は秘部を隠そうとして、それを禁止されたような位置にあった。秘部そのものはさすがに露わにはなっていないが、陰毛ははっきりと描かれている。両足の太ももは閉じているが、膝から下は少し開いている。リラックスしているというよりはまるで踏ん張っているような足つきだ。
 最初は、技術不足でそう見えているだけかと思った。しかし絵自体は細部まで実に細かく描かれていて、それは”記憶の中にある裸”とほくろの位置まで見事に合致した。
 苦しいと感じるのは、呼吸が上手く出来ないからだ。何故呼吸を上手く出来ないのか、何故裸に見覚えがあるのか。苦しくて堪らないのに、月彦は布をめくる手を止められない。
 腹部、胸部までもが露わになる。その小ぶりな胸元、まだ成長段階にある控えめな乳房にも、薄いピンクの先端部にも見覚えがあった。首、やがて顔が露わになった瞬間、無音の衝撃と共に月彦は全てを思い出した。
「……っ……由梨、ちゃん――っ!」
 堰を切ったように、由梨子との思い出が溢れ出す。むしろ、何故顔を見るまで気づかなかった。思い出さなかった。まるで、由梨子の記憶だけを封じられていたかの様。
 何故。そう、何故の嵐に、月彦は布をめくる手を止めたまま身動きが出来なかった。
 この絵が一番最後に描いたものなのだろう。他のどの絵よりも抜群に上手かった。まるで、由梨子の肉体ごと絵の中に閉じ込めたかのように細部まで見事に描かれ、今この瞬間にも動き出しそうな程だ。
 恐らく、由梨子が望んでモデルとなったわけではないのだろう。その表情には羞恥が滲み、小さく唇を噛んでいることからも伝わってくる。秘部を隠そうとした手が中途半端なところで止まっているのも、由梨子なりの精一杯の意思表示だろう。
「やあ、見つかってしまいましたか」
「っ……は、くよう……?」
 肩越しに、まるで顎を乗せるように現れた白耀に驚き慌てて月彦は横向きに飛び下がる。
「いかがです。僕としてはよく描けたと思っているのですが」
「あ……あぁ、そうだな。新しい趣味って、油絵だったんだな。うん……絵の善し悪しは俺には分からないけど……上手い、んじゃないかな」
 口の中がカラカラで上手く喋れなかった。そのくせ全身からは冷や汗が滝のように出ていて、軽く目眩までする。
 状況に、頭も、体も、何より心がついてこない。ただ立っているだけのことが、平常時の全力疾走よりも辛く感じる。
 そんな月彦の状況を知ってか知らずか、目の前の狐はくつくつと満足そうに嗤う。
「良かった。月彦さんにそう言っていただけて、僕もようやく自信が持てました。……月彦さんさえよろしければ、この絵も是非飾りたいと思ってるのですが、いかがでしょうか?」
「え……飾るって、この部屋に、この絵をか?」
「はい。他の絵を脇に寄せて、この壁の真ん中に」
 と、白耀は向かい合わせになっているソファの右手――丁度、廊下から応接室に入ってきた場合の真正面の壁を指さす。
「それは……ちょっと……一応これ、裸だし、由梨ちゃんも嫌がるんじゃないかな」
「由梨子のことなら大丈夫です。僕の言う事には絶対に逆らいませんから」
 あまりにさらりと言われたせいで、その発言の異常さに気づくのに数秒を要した。
「でも、そうですね。確かに応接室に飾るには、少々品が足りないかもしれませんね」
 胸の奥に鈍痛が走る。まるで、鋭い刃を心臓まで突き刺されたことに遅れて気がついたかの様。由梨子。由梨子は逆らわない。一体どういう事かと問いたい。しかし口が回らない。
「まぁ、絵のことはまた追々考えましょう。それよりも一体どうされたんですか? そんなに汗をかかれて……顔色も良くないように見えますが」
「あぁ、いや……ちょっと気分がな……なんだろう、油絵の匂いのせいかな」
「そんなに汗をかかれたのでは、さぞかし喉も渇いたことでしょう。……おや、そういえばお茶もまだでしたか。先ほど確かに命じたのですが」
 キッと、白耀が不意に外――開きっぱなしの障子戸のさらに向こう、庭に面した廊下のの方を睨み付ける。
「なんだ、そこに居たのか。どうした、早くお茶をお出ししなさい」
 返事は無い。白耀は無言で右手を挙げ、廊下の方へ伸ばしたかと思えば――その右手が不意に”溶けた”。
 という風にしか、月彦には見えなかった。着物の袖から覗いている白耀の腕の部分だけが黒い霧と化し、は虫類の舌のような動きでしゅるりと障子戸の向こう、廊下の方へと伸びる。
 小さく、悲鳴が聞こえた。


「来い」
 およそ白耀の口から出たとは思えない、冷徹な声。黒い霧状の触手に絡め取られた”何か”が引き寄せられているのだろう。障子戸の向こうに人影が映り、それが徐々に部屋へと近づいてくる。
 いよいよ障子戸の影から姿が露わになるというところで、恐らく最後の抵抗をしたのだろう。体が障子戸から露わになるのを避けようと踏ん張った反動で、手に持っていた盆から湯飲みがこぼれ落ち、応接室に転がった。注がれていた茶が絨毯を濡らし、その滴が僅かだが月彦の靴下にもかかった。
「何をしている。月彦さんの前だぞ」
 窘めるというよりは、もはや恫喝に近い声だった。人影はひぃと身を一層縮こまらせ、意を決したように歩み出て絨毯に転がった湯飲みを盆へと戻すが、人影が出来たことはそこまでだった。
 女性――と呼ぶにはまだ若すぎる体躯。年はせいぜい十六才――間違いなく十八には届いていないだろう。標準より痩せ気味で、身長は年相応。髪は肩にかからない程度――第一印象としては、姿形はとても”宮本由梨子に似ている”と思った。
 だが。
「片付けは後だ。早く立ちなさい」
 その右手首に絡みついたままの触手がグンと引き上げる形で、少女は無理矢理に立たされ、その全身を月彦の眼前へと晒される。
「……っ…………!」
 平生を保とうとした。保とうとしたにもかかわらず、それでも月彦は顔を引きつらせてしまった。およそ理解を超えた眼前の光景に、頭の中で渦巻いていた思考の全てが消し飛ばされた。
「やあ、お恥ずかしいところを。ご覧の通り、まだまだ躾が至らず申し訳御座いません」
 慇懃な白耀の言葉も、右から左に素通りし月彦の脳には一切の足跡を残さなかった。
 宮本由梨子。初対面の頃は紺崎月彦どころか男性全般に対して嫌悪を露わにしているような、どこか冷たい印象を与える少女だった。やがて笑うととても可愛い子であることを知り、料理が上手く細かな所までよく気がつき、一緒に居るととても癒やされるようになった。乳こそ極めて標準的な高校一年生のそれだが、そんなことは全く気にならない程に魅力的な少女――だった。
 片腕で釣られるようにして立たされている由梨子。首元には幅の広い黒いチョーカー。白の薄手のセーターに、水色のジャンパースカートという出で立ちだが、大きく膨らんだ腹部のせいでまるでマタニティドレスのように見える。
『見ないで下さい』――必死に月彦から顔を背けているその震える唇が、まるでそう言っているように月彦には見えた。
「はは。驚かれましたか? 実はこれを月彦さんにお見せしたくて、お招きしたようなものなんです」
 白耀が由梨子へと歩み寄り、その背中側へと回る。黒い触手と化していた右腕は実体の腕へと変わり、まるで愛しいものでも撫でるような手つきで、由梨子の膨らんだ腹部を這い回る。
「いや、でも……まだ、そんなに――」
「はい。実はちょっと由梨子と二人きりで”旅行”をしまして。月彦さんならご存じかもしれませんが、”あちら”では時間の流れがこちらとは違う場所があるんですよ」
「な、――」
 なるほど――声は出ず、唇だけが動いた。月彦の目はもう、由梨子の腹部に釘付けだった。かつては好意を――否、今尚好意を抱き続けている少女が今、他の男の子を孕んでいる。
 その現実をどうかみ砕き消化すればよいのか。
「……残念です。てっきり、月彦さんなら喜んで下さるものだと思っていたのですが」
「あぁ、いや……悪い。ちょっと、頭の整理がおいつかなくてな……ええと、おめでとう、白耀、由梨ちゃん」
 いや、本当に”おめでとう”なのだろうか?――液体窒素漬けにされた時計のように動かない頭の片隅で、月彦は疑念を抱く。祝福されるべきことなのであれば、由梨子は何故両目一杯に涙を浮かべているのか。唇を噛みしめ、恥辱と屈辱に必死に耐えているような顔をしているのか。
「ありがとうございます。月彦さんに祝福して頂けて、本当に嬉しいです。……なぁ、由梨子?」
「……はい」
 由梨子の声は、まるで意思のない人形のような声だった。
「実は、少しだけ不安だったんです。由梨子から、月彦さんとはそれなりに深い仲だったという話を聞いていたもので。……ひょっとしたら、今でも月彦さんには未練が――由梨子と復縁なさりたいという気があるのではないか、と」
「それは――」
 無い、といえば嘘になる。
 しかし。
「…………もちろん、今でも由梨ちゃんのことは好きだけど」
 慎重に、言葉を選ぶ。嘘は言いたくない。しかし未練がましい男であるとも思われたくなかった。
「だけど、由梨ちゃんが俺より白耀を選んだなら、そのことで由梨ちゃんを責めたりしたくないし、白耀との仲を素直に祝福したいと思ってるよ」
 その時、再会して初めて由梨子が月彦の方を見た。ただの人形だと思っていたものが、突然ぎょろりと眼球を動かしてきたかの様で、月彦は内心どきりとした。
「成る程。月彦さんの中では既に折り合いがついているということで、本当に安心しました。……良かったな、由梨子」
「はい、本当に良かったです」
 由梨子の目が再び光を失い、地面を向く。今の由梨子に比べれば、蝋人形の方がまだ情緒豊かにすら思える。
 思い出の中にある由梨子の姿とのあまりのギャップに、月彦はただただ戸惑うばかりだった。そしてこんなにも変わってしまった由梨子を背後から抱きすくめたまま、まるで愉悦に浸っているように笑みを崩さない白耀にも、「本当に白耀なのか?」と口にしかけ、幾度となく言葉を飲みこむ。
「いや、わかります。月彦さんの仰りたいことは重々承知です。いくらなんでも”これ”は早すぎると、そうおっしゃりたいんですよね?」
 これ、と示すように、白耀が由梨子の腹部を撫でる。
「実は僕自身驚いてるんです。長年ずっと、”僕はあの母親とは違う”――そう思って生きてきましたから。でも――結局の所、同じだった様です」
「同じ……?」
「はい。認めたくはありませんが――今はもう、由梨子を虐めるのが楽しくて楽しくて」
「え……?」
「ああ、もちろん暴力を振るったり、暴言を吐いたりとか、そういう意味ではないので安心してください。あくまで”プレイとして”ですよ。虐めるという表現がお嫌いであれば、”辱める”と言えば解っていただけますか?」
 それなら解らなくは無い――が、何故だろうか。
 堪らなく、不快に感じるのは。
「由梨子の弱いところを探して、そこを責める。責め続けて、もう止めて下さいと懇願させる。でも止めない。由梨子を泣かせて、喚かせて、本性を曝け出させるんです。それがもう、本当に楽しくて」
 事実、本心からそう思っているのだろう。まるで、月彦自身その光景を見せられたかのように、説得力のある言葉だった。
「由梨子にMッ気がないのがまたいいんです。これが実はMで、責められて喜ぶというのなら僕は興ざめしてました。由梨子の本性が極振りのSなのがいいんです。Sの由梨子だからこそ、責め甲斐があるんです。月彦さんなら解って頂けますよね?」
「まぁ……」
 解らなくは無い。解らなくは無いが、明らかに会話の内容に興味を失っているような相づちで、月彦はそれとなく話の終了を促しているつもりだった。
 しかし白耀には伝わっていないのか、伝わって尚無視されたのか。その興奮気味の早口は止まらない。
「媚薬を使って、娼婦のように腰を振らせた翌朝、正気の由梨子にその様を見せながらするのがまた最高なんです。ああそうそう、娼婦といえば一度プロの娼婦を雇って由梨子を責めさせてみたんですが、あれもなかなか良かったですよ。どうやら由梨子は”女同士”も好きみたいですね。でも、そのことを僕に知られまいと必死に演技してるのが可愛くて可愛くて。あまりに可愛かったから、その次は奮発して三人雇って、一晩中責めてもらいましたよ。もちろん、一晩中責められて人形みたいにぐったりしている由梨子とするのがまた新鮮で、十分元は取れました」
 もう、月彦は相づちすら返さない。
「実は僕自身、本当に驚いてるんです。自分が、ここまで由梨子の体にゾッコンになってしまったことに。きっと、僕は心底月彦さんの事が好きなんだろうと思います。だって、月彦さんの”おさがり”だと思うだけで、こんなにも由梨子のことが愛しくて堪らなくなるんですから」
「…………成る程な。白耀、確かにお前は”あの女”の息子みたいだ」
 月彦に言えたのは、それだけだった。意図はどこまで伝わったのか、白耀は満足そうな笑みを崩さなかった。
「褒め言葉と受け取っておきます。……そうだ、月彦さん。もし良かったら、お土産にこちらはいかがですか?」
 そう言って白耀が差し出したのは、野球ボールほどの大きさの水晶だった。透き通ってはいるが形は歪で、まるで山に落ちていたものを拾ってきたままのように見える”それ”を見るなり、
「止めて下さい!」
 それまで意思のない人形のようにただ立っているだけだった由梨子が、突然大声を上げた。
「だめです、止めて下さい! それだけは、それだけは先輩には絶対見せないで下さい!」
 声だけではない、由梨子は両手で――否、全身で白耀の右手に、水晶を持つ手にしがみつくようにして懇願する。
「それを決めるのは僕だ」
「お願いします。あとでどんな罰でも受けます、何でもしますから、だからお願いします。先輩に見せるのだけは止めてください…………」
 最後は、殆ど涙声だった。由梨子は白耀の右手にぶら下がるようにして膝から崩れ落ち、大きなお腹を庇うようにしてその場に蹲った。
「やれやれ、由梨子の”恥ずかしがり屋”にも困ったものですね。これはいわば記録メディアです。プロジェクターと記憶ディスクが一緒になったもので、由梨子とのプレイの一部始終を全て記録しているものなんですよ」
「…………悪いな、白耀。俺は人のそういうのを見るのは好きじゃないんだ。由梨ちゃんも嫌がってるし、それは受け取れないよ」
「……そうですか。月彦さんが見たくないと仰るのでしたら、僕としては無理強いは出来ませんね」
 口元に愉悦の笑みを浮かべる白耀を見て、月彦は思った。元々白耀は水晶などどうでも良く、ただ由梨子を泣かせて愉しみたかっただけではないのかと。
「月彦さん、折角ですから少し由梨子と二人きりで話されてはいかがですか? 僕はその間に夕餉の支度をしてきます。今夜は”四人”で、楽しく過ごしましょう」
 断る間もなく、白耀は体を霧と転じかき消えてしまった。後に残されたのは、月彦と、蹲ったまま身動きしない由梨子の二人だけ。
「……由梨ちゃん?」
 大丈夫?――しゃがんで、そう声を掛けようとした矢先、
「なーんちゃって。先輩、私が本当に泣いてると思いましたか?」
 ひょいと由梨子が顔を上げ、得意げに笑った。
「思いましたか――って、それ……」
「これですか? 目から出てますけど、本当の涙じゃないんです。練習して、いつでも自由に出せるようにしただけで、本当に泣いてるわけじゃないんです」
 そう言って由梨子は目元の”水”を拭い、よっこらせと立ち上がる。
「ほら、女優さんとかもいつでも泣けるように練習するじゃないですか。私も練習したら、出来る様になりました」
「……なんでそんな練習を?」
「それは……白耀さんを喜ばせる為です。白耀さん、私が泣いてみせると、本当に嬉しそうに笑ってくれるんです」
「それは……」
「歪な関係――だなんて、思わないで下さいね? そんなこと言ったら、先輩と真央さんの関係だってよっぽど歪なんですから」
 確かに、と。月彦は思わず苦笑する。てっきり、変わってしまったと思った由梨子の”いつもの姿”に俄に安堵する。
「……すこし、痩せたように見えるけど、それも大丈夫なのかな?」
「さすがですね、先輩。じつはちょっとつわりが酷くて、一時期ほとんどご飯が食べられなかったんです。でも、白耀さんが一生懸命食べられるものを探してくれたおかげで、今では大分よくなったんですよ?」
「白耀が……?」
 以前の白耀であれば、納得出来る話だった。
 だが。
「あっ、ひょっとして先輩も、白耀さんが変わったって思ったんですか? 見る目がないですね。白耀さんは何も変わってないんですよ? ただちょっと、悪ぶってるだけなんです。それが格好いいと思ってるだけなんです」
「……そうか」
 由梨子がそう言うのであれば、異論を唱える気はなかった。泣きはらした顔を無理矢理化粧でごまかしたような顔で言われたのでなければ、或いは信じたかもしれないのだが。
「……由梨ちゃん、立ってるの辛くない? 座りなよ」
「ありがとうございます。実際、ちょっときつかったです」
 そう言って、由梨子はソファに腰掛ける。月彦も、その隣へと座った。
「やっぱり、目立ちますか?」
「うん。何ヶ月?」
「八ヶ月くらいだと思います。白耀さんと”旅行”をしていたのは多分三年くらいなんですけど……」
 由梨子はそこで自分の体を見るように、視線を落とす。
「お腹以外、私変わってますか?」
「変わってない――ように見えるね。三年なら、俺より年上の筈だけど……そういう所の水って、成長や老化を止めるような効果があったりするから、そのせいかもしれないね」
「そうなんですか?」
 由梨子に問われて、はたと首を傾げる。自分は何故、そんな事を知っているのかと。
「でも、成長は止まっても、お腹は大きくなるんですね」
「妊娠は成長や老化とは違うから、ってことなのかな」
 白耀ならば知っているかもしれない。が、確認は別に必要ないように思える。
「そういえば、学校は?」
 二人の間に沈黙が流れることを回避するためだけの質問だった。
「このお腹で学校に行ったら大騒ぎになっちゃいますよ」
「それは、そうだけど……。ほら、子供を産んだ後とかなら……」
「そしたら赤ちゃんの世話をしないといけないですから。……学校にはもう行けないと思います」
「でも」
「いいんです」
 何か、方法はあるのではないか――そう思うが、由梨子自身になんとかしたいという意思が無いのだろう。
「そういう風には見えないかもしれませんけど、私……今すっごく充実して、幸せなんです。今更学校なんて行きたくないんです」
「それは――」
 本当に、本心なのか?――たとえ口にしたところで、本心にしろ本心でないにしろ、由梨子の答えは同じだろう。
「あっ、でも白耀さんとの子供だから、真央さんみたいにすっごく成長が早いかもしれないですね。女の子だったら、白耀さんに似てすっごい美人になっちゃうかもですね。先輩、絶対手を出しちゃダメですよ?」
 由梨子らしからぬ早口だった。それだけで、月彦は由梨子の言わんとすることを察した。
「そういえば、真央さんにももう随分会ってないですね。私の感覚だと三年ですけど、きっと先輩や真央さんだとほんの数週間くらいなんでしょうね」
「……真央も、驚くだろうな」
「先輩、勝手に言っちゃダメですよ? 私が直接このお腹を見せて真央さんを驚かせるんですから」
「解った。由梨ちゃんがそのつもりなら、俺からは言わないよ。今度真央を連れてくるから、直接見せてやってよ」
 果たして真央は由梨子の事を覚えているのだろうか。それ次第で、紺崎月彦が好きな女の子のことを容易く脳内から消してしまえる人でなしか、それとも何者かの意図的な認識阻害が入ったのかが解るかもしれない。
「…………先輩、私は本当に大丈夫ですから」
「うん」
「だから、責任を感じたりとか……そういうのは止めてくださいね。先輩には何の責任も、関係もないことですから」
「解った」
「……本当に解ってますか?」
「もちろん」
「それなら、いいんですけど…………」
 ふうと、息を吐いて由梨子がソファにもたれかかる。
「名前……」
「名前?」
「もし良かったら、子供の名前……先輩、一緒に考えてくれませんか?」
「俺に? 白耀は?」
「白耀さんは……その、そういうことにはあまり興味がないみたいなんです。ええと、その……私の事は好きで好きで堪らないみたいなんですけど、子供のことはまだ実感が無いみたいで……」
「……そうか、わかった。俺でよかったら力になるよ」
「ありがとうございます。……少し、気が楽になりました」
「他にももし相談したいことがあったら、何でも言ってね。俺に出来ることなら何でもするし、それに――」
 ハッとしたように、月彦は慌てて言葉を飲み込んだ。
 自分は今、一体何を言おうとしたのだろうか。
「それに?」
「………………………………白耀は俺の親友だからさ。もし白耀に至らないところがあって、由梨ちゃんに迷惑がかかるなら、俺がガツンと言ってやる必要があると思うんだ」
「ふふ、そうですね。その時はよろしくお願いしますね」



 ”4人での夕食”は、月彦の予想とは裏腹に大いに賑わった。月彦にしてみれば由梨子と顔を合わせていなかったのはほんの数週間に過ぎないが、由梨子と白耀の方からすれば年単位の時間格差があり、その間の”土産話”が山ほどあったからだ。
 恐らく白耀が腕を振るったのであろう、贅を尽くした料理の数々を口の中に捨てるように食し、土産話にさももっともらしく相づちを打ち、新しい命の誕生に祝福の言葉を述べる。
 それは月彦が想定していた”針のむしろ”がペルシャ絨毯のように心地よく感じられるほどの、想像を遙かに超えた地獄に他ならなかった。”正気”を鉋でガシガシと削られているような会食はたっぷり三時間続き、月彦が白耀邸を出た時にはもう夜も更け、月が高く昇っていた。
 白耀には泊まるように勧められたが、とてもそんな気分ではなかった。ならばせめて送らせて欲しいと言われたがそれも断った。これ以上、白耀の姿も声も、なにより他の男の子を孕まされている由梨子の姿を視界に止める事に耐えられなかった。

 夜道を歩く。頭が”こんな状態”であっても、歩くことは出来るということに月彦は驚いていた。
 今夜の会食で一つだけ安心したのは、白耀も別段由梨子を奴隷のように扱っているわけではないということだった。大きくなった腹を気遣ってはいるのか、料理の配膳などは全て白耀自身が行い、由梨子には専用の椅子まで用意していた。
(いや、それでも……)
 それがあの瞬間だけの、うわべだけの気遣いではないと言い切れるだろうか。”由梨子を虐めるのが楽しくて堪らない”などと公言する白耀だ。肉体的にいたぶるようなことは無くとも、由梨子の精神に痛手を負わせるようなことは茶飯事的に行われているのではないか――。
(三年、か……)
 知り合ったばかりの男女が、深い仲になるには十分な時間であると言える。実際由梨子が妊娠していることからも、セックスをする程度の仲にはなっているのだろう。さすがに合意の上ではなく、無理矢理孕まされたわけではないと信じたかった。
(そう、だよな……いくら何でも……そんな……)
 意に反して襲われる辛さは、白耀自身トラウマがある筈だ。そんなことは絶対しないと思う反面、”加害者の血”もまた白耀に流れているのだという事実が、一抹の不安としてある。
 もし。
 もし仮に、由梨子が望まぬ妊娠を強いられたのだとしたら。それでも尚笑顔を作り続けることを強要されているのだとしたら。
 それは絶対に許されるべきことではないし、自分にはそれに気づいてやる義務がある。
 夕食中、それこそ月彦は由梨子の一挙手一投足を観察した。何処かにサインは無いか。助けを求めてはいないか――しかし、”そう”だと解るようなものは何も見つけることが出来なかった。
 そもそも、由梨子の性格を考えれば例え望まぬ妊娠であったとしても、”助け”を求めてくるとは限らない。それが自分の運命であると受け入れ、最悪の中の最善を探してそこに落ち着こうとするのが、宮本由梨子という少女の性分だ。
(……ダメだ、わからない)
 何が正しくて、何が悪いことなのか。そもそも”これ”は本当に自分がどうにかすべき事なのか。
 本当はただ、由梨子が他の男のモノになったという現実を受け入れられないだけなのではないか。由梨子が望んでそうなったわけではないと信じたいだけなのではないか。
(……ただ一つ、確かなことは)
 自分は今尚、由梨子のことが好きで、その由梨子は他の男の子どもを身ごもっているということだ。
「………………っ……」
 胸の奥が疼く。痛みとも痒みともつかない”それ”が何であるのか、月彦自身解らない。失恋による痛みなのか、そもそもこれが失恋に当たるのかも解らない。
 ただ、好きな女を他の男に奪われたという確かな屈辱と、敗北感――それが胸の奥に黒く重い、痼りのように残り、苦しくて堪らない。手の届く所に刃物があれば迷わず手に取り、胸を開いて苦しさの素を掻き出してしまいたかった。
(ダメだ、このまま帰ったら……)
 自分が何かをやらかすのは、”こういう時”であると月彦は知っている。このまま家に帰れば、間違いなく真央に辛く当たってしまうだろう。或いは真央はそれすらも受け入れてくれるかもしれないが、まがりにも父親として娘をはけ口にするわけにはいかない。
 はけ口にするということであれば、それこそ打って付けの相手が一人居るが、さすがに本人起因でないことまでぶつけるのはいかがなものかと思う。自分はあの人でなし姉妹と違って良心があるのだなと、苦笑交じりに夜道を歩く。
 が、前述の理由により家には帰れない。さてどうしたものかと途方に暮れた矢先、
「あの……月彦さん……」
 背後からの、思いも寄らぬ相手からの声に、その足を止めた。

 
 


 誰の声かは、すぐに解った。それ故に、月彦は目眩にも似たものを覚えた。
 ある意味、”今の状況”で最も会いたくない相手だったからだ。
「……しほりさんですか」
 振り返ると、後方電柱の影から上半身半分だけ覗かせていたしほりが、ぴょんと夜道に飛び出してきた。
「は、はい! あの、今更ですけど……お声をお掛けしても大丈夫だったでしょうか……」
「……? どうしてそう思うんですか?」
 実際、良くはなかったのだが、月彦にはしほりが何故そう感じたのかが気になった。
「それは……月彦さんの様子がちょっとおかしいみたいでしたから……何か、あったんですか?」
「いえ、別に何も……。ちょっと、友達と、”その恋人”と一緒に晩ご飯を食べてきただけですから」
「そう、なんですね。昼間来られた、はくようさんと……ですよね。恋人さんがいらっしゃるんですね」
 うんうんと頷きはしているが、さほどに興味はなさそうだった。単純に、愛想として頷いているだけなのが明白だった。
「しほりさんこそ、こんな時間にこんなところで何をしてたんですか?」
「わ、私は……その、てっきり”用事”というのはすぐ終わるものだとばかり思ってて……でも、月彦さんがなかなか戻られなくて……それで……その……」
 ちらりと、しほりは背後を見る。
「実は、夕方くらいからずっと、白耀さんのおうちの前で月彦さんを待ってたんです」
「……そうだったんですか。すみません、全然気づかなかったです。でも、よく俺が白耀の屋敷に居るって解りましたね。菖蒲さんに聞いたんですか?」
 いや、違う――と、月彦は首を振る。白耀ははっきりと屋敷に招くとは言ってなかった。菖蒲は屋敷の場所は知っていても、紺崎月彦がそこに連れて行かれることまでは解らなかった筈だ。
「……私、解っちゃうんです。月彦さんがどっちの方角にいて、どれくらい離れているかが……月彦さんの居る方に近づくと、それだけでもう、おっぱいが疼いて…………」
「あぁ……」
 成る程、と月彦は納得した。おっぱいの力なら居場所くらい分かって当たり前であると。
「……私、本当に困ってるんですから。責任、とって欲しいです」
 心底迷惑だと言わんばかりの、恨みがましい目だった。
「はは……。つまり、気になって屋敷の前で待ってたけど、様子がおかしかったら声をかけられなかったということですね。……でも大丈夫、俺は全然、いつも通りですよ」
「そう……なんですね。安心しました」
 しほりは納得はしていない様だが、とりあえず頷いてはくれた。
「あの、それで月彦さん……一体どちらに行かれるつもりだったんですか?」
「どちらに……」
 それはこっちが教えて欲しい所だった。自分は一体、どこに行けば良かったのだろうか。
「もう、夜も遅いですし、それに、お家の方角とも……」
「しほりさんのお店の方角とも違うから、ですか?」
 苦笑する。成る程、声を掛けられなかったけど、それでも声をかけたのは、これ以上進むとしほりの店に向かう道とは全然別の方角に行くことになるからだったのだ。
(……さて、困ったな)
 月彦は思案ずる。もちろん、今の自分の精神状態についてはよく解っている。こんな状態で、しほりの様な色気たっぷりの人妻についていったら大惨事になることは確定的に明らかだ。
 故に、何か理由をつけてこの場を去らなければいけないのだが、何か上手い理由があるだろうか。
「あの……」
 考えているうちに、いつのまにかすぐ脇にまでしほりが忍び寄っていた。そのまま、月彦の左手を抱き込むように、むぎうと巨乳を押しつけてくる。
「昼間、保科さんともお話をしたんですけど……お店を始めるために、チーズとか生クリームとか、いろいろ準備をしないといけなくて」
 ちらちらと、機嫌を伺うように上目遣いで媚びてくるしほりの、なんと艶やかなことか。およそ人妻が、亭主以外の男にするような媚び方ではなく、そのことが今この瞬間に限っては可愛いさよりも腹立たしさが勝った。
「その為には、たくさんミルクが必要で……でも、今ある分だけでは全然足りなくて…………だから、その……」
「出来れば、今すぐにでも搾って欲しい……ということですか?」
 水を向けるや、しほりは花が咲くようにたちまち笑顔を零して大きく頷いた。
「は、はい! その、もう夜も遅いですし……月彦さんも気分が優れないようなのに……申し訳ないんですけど…………本当にもう、おっぱいが張って、苦しくて…………」
 実際、苦しくて堪らないのだろう。腕に押しつけられるおっぱいの感触から察するに、しほりの言葉は嘘ではない様だった。
(……だとしても、ちょっと無防備が過ぎるんじゃないかな)
 こんな夜遅くに、搾乳を懇願することがどういった事故を引き起こすか。ましてや、相手は夫ですら無い、赤の他人だ。ただ搾乳行為だけが粛々と行われるのだと思っているのだとすれば、あまりにも世間知らずだと言わざるを得ない。
(それとも、本心ではむしろ事故が起きることを望んでいるのかな?)
 ごくりと、つい生唾を飲んでしまう。成熟した女性――それも妖牛族――の体はむっちりとした肉付きでなんとも食べ応えがありそうだ。ただでさえしほりの体にはムラムラとしたものがこみ上げてくるのを理性の鎖で辛うじて耐えていたというのに。
 よりにもよって今、この瞬間にそんなものを見せられて、しかも”お誘い”までかけられたら。
「……………………。」
 一瞬、脳裏に二人分の人影がフラッシュバックする。大きく膨らんだ腹部を恥じるように唇を噛みしめる由梨子と、その背後から――誇らしげに――由梨子の腹部に手を当てている白耀。
(………………なんか、もう、色々どうでもよくなってきたな)
 ”事故”が起きぬ様我慢をするということ自体、とても馬鹿馬鹿しい事のように思えてくる。これまで、自分なりに最善を尽くしてしたつもりだが、その結果が”アレ”なのであれば、そもそも最善など尽くす価値があるのだろうか。
「……わかりました」
 月彦は静かに頷いた。
「そういうことなら、俺も一肌脱がないといけませんね。……しほりさんのおっぱいを躾け直して、ミルクを作りすぎないようにしてあげます」
「ぇ……ぁ……べ、別に、そこは……」
「冗談ですよ。……さぁ、それじゃあしほりさんの部屋に行きましょうか」



 
 


 カウ・ベルは二階がしほりの居住スペースとなっている。当然寝室もあるわけだが、六畳という部屋の広さにはあまりに不釣り合いなベッドはどう見ても”一人用”には見えなかった。
「……随分大きなベッドですね」
 つい、口からそんな言葉が出る。
「えっと……その、私、寝相があまり良くなくて……これくらい大きくないと、はみ出して落っこちちゃうんです」
 成る程と、月彦は頷いてみせる。
「俺はてっきり二人でも寝られるようにわざわざ大きなベッドにしたのかと思いましたよ」
「そんな、ことは…………」
 ”無い”とは、言わなかった。くつくつと、月彦は笑みを漏らす。
「さて、どうしましょうか。しほりさんはどうされたいですか?」
「えっ……ぁっ…………」
 しほりと二人、ベッドの脇に立ったまま、耳元に唇を寄せる。
「し、搾って……欲しい、です……」
「搾るだけでいいんですか?」
 えっ――そんな声と共に、しほりが身をよじって視線を向けてくる。その目は期待に濡れ、口元には隠しきれない笑みが浮かんでいた。
「どういう、意味、ですか?」
「どういう意味もなにも。こんな夜更けに、寝室に、男と二人きりで……ただ、ミルクを搾って、それでおしまいでいいんですか?」
 たわわに実った両胸の下に手を宛がい、軽く揺さぶる。それだけで、しほりは声を震わせて身をよじった。
「あふっ…………よく、わかりません……私はただ、搾って、欲しくて……」
 成る程、卑怯だと、月彦は思う。この期に及んで、あくまで”被害者”ぶるつもりなのかと。
「……解りました。しほりさんがあくまでそういうつもりなら、俺も我慢しないといけないですね」
「が、まん……? ぁハァア!」
 服越しに優しく宛がっていただけの手に力を込め、ゆっくりと圧力をかけていく。しほりはたちまち声を上げ、背を反らして喘ぎだした。
「やっぱり、既にアレをつけてたんですね」
「は、はい……そう、しないと……ちょっとずつ、漏れてきちゃって…………あはぁぁあっ……!」
「そんなになるまで搾ってあげなかった俺の責任ですね。……安心してください、今夜はたっぷり、しほりさんが満足するまで搾ってあげますから」
「ほ、本当ですか? あっ、あんっ……! あっ、あっ、あっ……おっぱい、気持ちいい、です……あぁぁあっ…………!」
 両足をがくがくさせながら喘ぐしほりに、つい苦笑が漏れる。座りましょうか――そう囁き、月彦はベッドに深めに腰掛け、その足の間に、しほりを座らせる。
「あぁっ、あっ! あぁぁぁぁぁァァ! おっぱい、気持ちいいっ…………ずっと、ずっとこうして欲しくて……あぁぁっ!!!」
「服越しでも、凄い勢いでミルクが溢れてるのが伝わってきますよ。あの輪っかをつけてなかったら大変なことになってましたね」
 今頃、一階のタンクには凄まじい勢いで絞りたてのミルクが注がれていることだろう。おかげで、衣服が濡れるのを気にせず搾ることに専念出来る。
「あ、のっ……月彦、さんっ……」
「どうしました?」
「そのっ……ほ、本当に……今夜は……」
「はい。しほりさんが満足するまで搾りますよ」
「ぁ…………それ、なら…………」
「うん?」
 搾る手を止めると、しほりはベッドの枕元にある小物入れへと手を伸ばす。引き出しを空け、中から取りだしたのは緑色の小さな布袋と、同じく小さな小瓶だった。
「それは?」
「これは……その、簡単に言うと”ミルクの素”です」
「ミルクのもと?」
「はい。こっちの丸薬は、ミルクの素になる穀物を特別な方法で凝縮したもので、これ一粒で十食分くらいの栄養が摂れるんです」
「なるほど、栄養剤みたいなものってことですね。こっちの小瓶は?」
「そっちは……水を同じように凝縮したもので、その一瓶の中に下の水槽と同じくらいの水が入ってます」
「成る程、道理でどちらも見た目の割にやたら重いわけですね」
 尤も、こんな一口で飲みきれそうな容積の小瓶に、実際に一階のタンクと同じ量の水を凝縮したら小物入れなど容易く突き破るほどの重さになってしまうだろう。手で持てる程度の重さで済んでいるのは、そこに何らかの”呪”とやらがかかっているからに違いない。
「つまり、しほりさんは……今、おっぱいに溜まってる分を搾ってもらうだけじゃ”足りない”と。そういうことですね?」
「そ、それは……その、私じゃなくて、保科さんが……お店を始めるのに、もっとたくさんのミルクが要るって……だから……」
「成る程。あくまで必要に迫られて、仕方なく……ということですね」
 しほりが、小さく頷く。
「解りました。そういうことなら、俺も頑張らないとですね」
 ただ搾って貰うだけでは飽き足らず、そんな栄養剤めいたものを飲んでまで搾乳し続けて欲しいのかと。月彦は半ば呆れを通り越して感心すらする。どうやら自分が思っていた以上に、牛娘達にとって搾乳という行為は抗いがたい快楽であるのかもしれない。
(……てことは、搾乳を取引材料にすれば、どんな要求も通るってことだよな)
 推測通り、搾乳行為がしほりにとって麻薬にも等しいものであるならば、それこそ体を要求し、さらに他言無用を誓わせることも容易なのではないか。
(…………成る程。だから、妖牛族にとって、おっぱいは大事なのか)
 月彦は今になって得心がいった。しほりと出会ったばかりの頃は、その身持ちの堅さに驚いたものだ。妖牛族の娘にとって、おっぱいを見られるというのは強姦されるにも等しい恥辱行為というのも今なら納得出来る。
 ひとえに、おっぱいという無二の弱点を守り続けるための、種族単位での防衛本能だったのだ。
 しほりが丸薬を口に含み、さらに小瓶の液体を一口分煽る。端で見る分には、それは液体というよりも極めて弾力に富んだゲル状のものに見えた。しほりが丸薬と小瓶を小物入れに仕舞うのを見届けるや、
「ひゃああん!」
 月彦は待ちかねたとばかりに搾乳を再開した。両手でしほりのたわわおっぱいを下から抱えるようにして、ゆっくり、大きく、揉みしだく。
「つ、月彦っ、さっ……そんっ……急にっ…………あっ、あっ、あっ……!」
「すみません。ずっと”待て”をされてる気分だったんです」
「そ、それは……私、も……ンッ……あふっ……ぅ……!」
 胸を捏ねられながら、しほりが艶やかに喘ぐ。心なしか、”薬”を摂取する前よりも反応が良くなったように見える。それとも単純に、”焦れ”による快感の倍加なのかもしれない。
「あはぁぁっ……あぁっ! あぁぁぁあっ……もっとっ……もっと搾ってください……もっと、もっとぉ……!!」
 次第に、その声量も大きくなる。もどかしいと言わんばかりに、しほりは自らの手を月彦の手に重ね、激しく動くように促してくる。
「月彦さんっ……お願いしますっ……もう、服の上からじゃ…………直接、触って……搾ってください……お願いします……!」
「そうですね。俺もそろそろそうしたいと思ってました。……しほりさん、脱いでくれますか?」
 しほりは頷くや、着ていたハイネックのセーターを脱ぎ捨てる。その内側に籠もっていた、発情した人妻の体臭がふわりと室内に飛散し、否が応にも興奮をかき立てる。
「ブラも外しますね」
 しほりの返事を待たず、月彦はホックを外してブラを引きちぎるようにして剥ぎ取る。自由になったたわわおっぱいを鷲づかみにして、
「あはァァッ……! あっ、あぁぁあァァーーーーーーーーーーッ!!」
 ぐにぐにと欲望のままにこね回すや、たちまちしほりが甲高い声で鳴いた。
「ああァァ! あっ、あぁぁあァッ!!!!!」
 びゅうびゅうと凄まじい勢いでミルクが迸っているのが、手のひらに”振動”で伝わる。これだけ勢いよく出ているのなら、しほりもさぞ気持ちいいだろう――尤も、その反応を見れば、そもそも一目瞭然なわけだが。
「あぁぁっ、ぁぁぁあッ! す、ごい……です……月彦さんに、ぎゅうって、搾られると……頭の奥で、火花がバチバチってなって……」
「そんなに気持ちいいんですね。……じゃあ、こういうのはどうですか?」
 月彦は手のひらと、中指から小指までの三本で乳房を圧迫し、さらに人差し指と親指で先端部を装着されている輪っかごと、キュッとつまみ上げる。
「ィひっ……!? っっっっっっ!!!………………〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜ッッッ!!!!」
 しほりが大きくのけぞり、声にならない声を上げながら痙攣するように体を震わせる。
「くすっ。……気持ちいいですか? しほりさん」
 しほりの反応に満足し、月彦は一端揉む手を止める。その腕の中で、しほりが俄に脱力し、ぜえぜえと荒い呼吸を繰り返す。
 そんな”休憩”も、一分も続かなかった。しほりの手が、再び力を取り戻し、月彦の手に重なる。
「い、今の……もう一回、お願いします」
 人妻の、息も絶え絶えの”おねだり”に逆らう理由など在るはずも無い。しほりがそんなに気に入ったのなら、二度でも三度でもと。
「あヒッッ!! こ、これ凄ッッ………………あぁぁァッ…………〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜っっっ!!!!!!!!!!!!!」
 すっかり搾乳の虜になった人妻を、さらに骨の髄まで快楽漬けにしていくのだった。



「はぁっ……はぁっ……はぁっ………はぁっ……………………」
 ベッドに横になったまま、息も絶え絶えに肩を上下させる半裸の人妻を見下ろす。その肌はすっかり上気し、玉のような汗がいくつも浮かんでいる。なんとも艶やかな、それでいて無防備なその姿に、月彦はもう、己の中に渦巻く黒い欲望を抑えきれなかった。
「すみ、ません……ちょっとだけ、休憩、させて、ください……」
 体を起こす気力も無いのか、しほりはぐったりと横になったまま、ただそれだけを口にした。その口ぶりに、或いは本当に、しほりは”搾乳”だけが目的だったのかもしれないと思わされる。よもや、自分がいまから夫以外の男に抱かれることなど、可能性として微塵も考慮していないように見えたからだ。
(……いや、どうかな。そもそも初めて会った時だって――)
 しほりは自らホテルに部屋を取り、招き入れようとしていたではないか。つまりは、そういう女なのだ。
「……月彦、さん?」
「何ですか、しほりさん」
 しほりに、被さる。たちまち、しほりがぎょっとしたように身じろぎをし、体を起こそうとするが、その肩を掴んでベッドへと押しつけ、阻止する。月彦を見上げるしほりの目に、今更ながらに怯えの色が走る。
 が、もう遅い。
「えっ、えっ……あのっ……えっ?」
「何ですか? まさか、今更嫌だなんて言いませんよね?」
 たとえ言ったとしても、逃がさない――そう意思表示するように、しほりの肩を押さえつけている手に、力を込める。
「俺が必死に我慢してるのに、何度も何度も挑発するみたいにおっぱいを擦りつけたり押しつけたりしておいて、今更ダメだなんて言わないですよね?」
 そう、もう”紳士ぶった仮面”など被っていられないとばかりに、月彦は欲望全開の目つきで、しほりの肢体を舐めるように観察する。
「初めて会った時から、しほりさんとヤりたくてヤりたくて堪らなくて、でもしほりさんは人妻だからって、自分に言い聞かせて必死に我慢してきたのに。そんな俺の気もしらないで、こんなエロい体を見せつけて、搾乳してくださいだなんてよく言えましたね」
「つ、月彦……さん?」
「だけどもう、限界です。良い機会ですから、しほりさんも男を気軽に寝室に入れたらこうなるって、学んで下さいね」
 苦笑交じりに言って、月彦はそのまましほりに被さり、うなじに口づけをするようにして、玉のようになっている汗を舌先で舐め取る。
「ぇっ……ぁっ……ンっ……やっ……だ、ダメ、です……月彦さんっ……私には、夫が……!」
 なんとも遅い、そしてお決まりの文句に、月彦は思わず含み笑いを漏らしそうになる。
「知ってますよ。知ってなかったら、最初に出会った日の夜には襲ってたでしょうね」
 こんなエロい体を前にして我慢できるわけないじゃないですか――囁くように言って、月彦はそのまましほりの髪に鼻先を埋め、深く息を吸う。人妻の濃密な発情フェロモンを胸いっぱい吸い込むなど、禁忌を犯す覚悟が無ければとても出来ないことだ。
 尤も、今宵この時、月彦にその覚悟があるかというと、決してそういうわけではないのだが。
「い、嫌っ…………だめっ、です……こんな、こと……止めて、下さい…………」
 か細い抵抗。そして、テンプレートのような拒絶の文句。そのくせ体を押しのけようともせず、ただただ身を強ばらせているその様に、苦笑しか出てこない。
(”本気”を出せば、俺なんかよりよっぽど力が強いくせに、無力な人妻気取りですか?)
 少なくとも月彦にはどれほど全力を出しても、腕力のみで自宅の扉をカチ割る事など出来ない。そのことだけでも、しほりが本気で嫌がってはいないことなど明白だった。
「ほら、しほりさん?」
「ぁ……ンッ……」
 しほりの顎先をつまみ、そのまま食らいつくように唇を重ねる。むくむくと、下半身にさらなる力が滾るのを感じる。キスが好きだから――ではない。人妻であるしほりの唇を奪うことに、単純に興奮するからだ。
「んぁっ……んんっ!」
 堪らず、舌を入れて口腔を犯す。しほりの舌を探し、無理矢理に絡ませる。さすがに積極的に合わせてくることはないが、かといって逃げるでもない。
 少なくとも、”今”はそれで十分だった。
「んふぁっ……んぁああっ!!!」
 合わせて、胸元をまさぐると、しほりの反応は格段に良くなった。のけぞるようにして噎び、次第にではあるが舌を動かしては、自ら絡めてくる。
「んぷっ……んんっ、んんんっ!!!!」
 さらに、胸元をこね回す。搾るというよりは、純粋な愛撫だった。こうなると先端部に着いている輪っかが邪魔だったが、見た目ほど堅くはないからそこまで気にもならない。輪っかに締め付けられるようにして勃起している先端部分を指の腹で擦るように撫でてやると、しほりはたちまちキスを中断して甲高い声を上げた。
「やっぱり、おっぱいが弱いんですね。ここ擦られるの、そんなに気持ちいいんですか?」
「あっ、あっ……やっ! だめっ、ですっ……そこ、っ……敏感、過ぎて……あぁぁぁ!!!」
「敏感すぎる……そうみたいですね。じゃあ、触るの止めましょうか?」
「ぁっ……やっ……止め、ないで……下さい…………………………」
 殆ど即答だった。そのことをしほり自身恥じているのか、たちまち顔を赤くする。
「解りました。じゃあ、代わりにしほりさんも触ってくれますか?」
「触る……?」
「はい。……ここを」
 月彦はしほりの手を取り、自分の下半身の方へと引き寄せる。そして、ズボンの上からでもはっきりと解る程に怒張した部位へと触れさせるや、
「ひっ」
 と、しほりが怯えるような声を上げてたちまち手を引いてしまった。
「ダメですよ、しほりさん。ちゃんと触って下さい」
「で、でも…………」
「触ってくれないなら、止めちゃいますよ?」
 乳首の先端を撫でている指の動きを止め、離す――それだけで、しほりは慌てて右手を月彦の股間へと宛がった。
「そうです。そのまま、摩るように動かして」
「……は、い…………」
 言われるままに、しほりが手を動かす。その動き自体には大した刺激を受けないが、人妻に奉仕させているという状況が、堪らなく興奮をかき立てる。
「……月彦、さん……これ…………」
「熱い、ですか?」
 しほりが、小さく頷く。
「それは全部しほりさんのせいです。勃起してるのも、ズボン越しでも解るくらい熱を帯びてるのも、全部しほりさんがエロくて、可愛いからです」
「わ……私の、せい……なんですね」
 声を震わせながら言うしほりの両目はもう、月彦の下半身の怒張に釘付けになっていた。じゃあ、私が責任をとらないといけませんね――まるでそう言うかのように、撫でつける手がしっかりと、ズボンの上から怒張の形を辿るように、ねちっこいものになる。
「直接触ってもいいですよ」
 乳首を弄りながら囁く様に言うと、しほりはハッとしたように摩る手を止めた。
「ダメです、動かし続けて」
「は、い……」
 さも、仕方なく――そう取り繕うような動き。しかしその手つきは男に飢えた人妻のそれ以外の何ものでもない。はぁはぁと息を荒げているのも、乳首を弄られている快感のせいだけではないだろう。
「あの、これ……どう、すれば……」
「先にベルトを外してください。そうすれば、勝手に出てきますから」
 はい――熱に浮かされたような声で言って、しほりがベルトを外し始める。月彦の言葉の通り、ベルトを外すや否や、剛直がグンと怒張し、勝手にズボンの留め金とジッパーを降ろしてその質量の半分ほどを覗かせる。ひっ、としほりは悲鳴こそ上げたが、露わになった怒張へと手を伸ばすや、たちまち愛しげにさわり始めた。
「凄い……夫のと、全然、違います」
「どう違いますか?」
「凄く大きくて……それに、力強くて……熱い、です……」
「成る程。…………しほりさんは、どっちが好きですか?」
「どっち、というと……」
「旦那さんのか、俺のか」
「っ………………そんなの、答えられません」
 恥ずかしがっているというよりも、少し怒ったような口調だった。
「解りました。……後でもう一度聞きますから、その時は答えを聞かせて下さいね」
 胸を弄る手を止め、そのまま徐々に南下させる。
「ぁっ……やっ……止めないで、下さい………」
「後でまたいっぱい触ってあげますよ。今は、それよりも――」
 しほりの腹部を撫で、スカートの方へと手を向かわせる。
「しほりさん。脱がせますから、腰を浮かせてもらえますか?」
 返事は無かった。が、腰は浮いた。月彦はホックを外し、ロングスカートを脱がせる。
(……黒ストか)
 しほりの”洋装”をコーディネートしたのは恐らく真狐なのだろうが、珍しく良い行いをしたと褒めてやりたい気分だった。それほどに、しほりの下半身に黒のストッキングは似合っていたからだ。
「月彦、さん……早く……」
「早く? 解りました」
 まさかしほりから催促されるとは思っていなかった。しかし、急げと言われるのであれば急がざるをえないと、その手を秘部の方へと這わせるや、たちまちしほりに手首を掴まれた。
「ち、違います! そうじゃなくて……お、おっぱいを……もっと…………」
「ああ、そういう意味でしたか。……でも、俺はこっちを触りたいんです」
 しほりの制止を振り切り、月彦はしほりの秘部へと指を這わせる。じっとりと湿り気を帯びたストッキングと、その向こうの下着越しに、ゆっくりと。
「はぅぅン! つ、月彦、さっ……そこ、はぁっ……!」
「うん? おっぱいより”良くない”ですか?」
 人差し指と中指をストッキングに押し当て、ちゅくり、ちゅくりと音を立てながら円を描くように動かす。
「あっ、あっ、あっ……だめっ、です……そこ、触られ、たらっ…………」
「”欲しくなる”ですか? 良いんですよ。…………しほりさんがそうなるように、触ってるんですから」
「だめっ、だめっ……です……こんなこと、良くない、のに…………あぁぁぁあっ…………だめっ、だめっ……こ、擦らないで……あぁぁぁっ……!」
 しほりは腰を浮かせ、まるで指の動きに合わせるように腰をくねらせ始める。その動きがなんともエロく、月彦は思わず生唾を飲み込んだ。
「………………しほりさん、破きますね」
 返事を待たず、月彦は秘部を中心にストッキングを破る。えっ、と声を上げるしほりを尻目に、破いた裂け目から指を入れ、さらに下着を押しのけるようにして。
「あぁあんッ!」
 直接、秘部に触れる。ぬらついた媚肉の感触を指先に感じながら、さらに指を割り入れる。
 当然のことながら、しほりは処女ではなかった。が、そんなことはどうでも良かった。月彦が知りたいのは、ただ一つ。
(う、わ……熱くて……めっちゃうねって……吸い付いてきて……)
 そう、”挿入できる状態になっているか”――ただそれだけだった。
「なんだ、しほりさん……ダメッって言ってたわりに、すっかり準備万端じゃないですか」
「ぁぅぅ……それ、は、だって……月彦さんが…………」
「とにかく、これならもう挿れても大丈夫そうですね」
「え……い、挿れるって…………だ、ダメです! それは……それだけは……!」
 ここに来て、しほりはもっとも強く抵抗した。両手をばたつかせて月彦の体を押しのけようとする様は成る程、確かに”嫌がっている”様には見えるかもしれない――が。
(……心配しなくても、もうちょっと強めに抵抗しても、俺は途中で止めたりはしませんよ?)
 月彦にしてみれば、真央と時々やる”疑似強姦プレイ”の方がまだ歯ごたえのある抵抗だった。何せ、真央の場合は本気で噛みついたり、場合によっては爪を立ててきたりするのだから。
「ダメって言われても困ります。俺はもう、しほりさんを犯すって決めてるんですから」
 ほら、とでも言うように、月彦はその猛りきった下半身をしほりに見せつける。
「しほりさんとヤりたくてこんなになってるのに、今更止めろなんて言われて、止められると思いますか?」
「月彦、さん…………そんなに……私と…………?」
 求められることによる興奮――ゾクリと背筋を震わせているのがありありと解る。しほりはとろんと瞳をとろけさせ、まるで月彦を迎えようとするように、強ばっていた体を紐解いていく。
「はい。さっきも言ったように、俺はしほりさんと初めて会ったその日からもう、ヤりたくてヤりたくて堪らなかったんです」
「あぁっ……月彦さん! 私も、私もずっと――ンッ」
 その先は言わせないとばかりに、月彦が口づけで遮る。
「……しほりさん、これはあくまで俺がヤりたいから、無理矢理しほりさんを襲ってるんです。いいですね?」
「で、でも……ひっ――」
 剛直の先端を、ストッキングの破れ目に宛がう。濡れそぼった秘裂に剛直の熱が伝わり、しほりがたちまち身を固くする。
「ほら、しほりさん。挿れますよ?」
「ぁっ……ンっ……い、嫌っ……だめっ……です……止めて、くださ――……ぃうっ!!!」
 そう、”それ”でいいんです――そんな愉悦の笑みを浮かべながら、月彦は人妻との禁忌の饗宴に酔いしれるのだった。


 ゆっくりと、剛直を挿入する。八割方入った時点でしほりの奥へと到達したが、それでも構わず根元まで突き入れる。
「あぁぁぁぁっ……お、お腹の、奥が、押され…………あはぁぁぁあああッ!!!」
 膣奥を押し上げた瞬間、しほりはブリッジでもするように腰を浮かせ、声を荒げる。どうやら”その場所”を刺激されるのは初めてのことだったらしいと、月彦はズタズタに傷つけられた牡としての矜持が、俄に持ち直すのを感じた。
「どうですか。ここ、気持ちいいでしょう?」
「ひぁっ! ひぅっ! やめっ、らめっ……あひぃっ!」
 二度、三度と小突くと、しほりが堪りかねたように手首を掴んできた。その握る手の力が痛みを伴うほどに強いことから、しほりの方も余裕が無いのだということが伝わってくる。
(ていうか、ナカの方、も――)
 熱く、ねっとりとした肉襞がこれでもかと絡みついてきて、僅かに動くだけでも痺れるような快感が迸る。ただでさえ極上の具合に仕上がっていることに加えて、今宵この瞬間に限って言えば、”人妻”に手を出しているという興奮が、快感を何倍にも膨れ上がらせていた。
(ヤバいな……これ、持たないぞ……)
 ”人妻”と寝ているという興奮が凄まじい――というだけではない。白耀に孕まされた由梨子の姿が、牡としての深層心理に与えた計り知れないダメージ。その尤も手痛い一打でもある、”他の牡に先を越された”という後悔。
(……そんなの、絶対、ヤバい…………でも――)
 しほりを、孕ませたくて、堪らない――その欲求に、どうしても抗うことが出来ない。
「しほりさん!」
 腰のくびれを掴み、ぐいと引き寄せるようにして浮かせる。
 そして。
「つ、月彦……さん? あぁンッ……!」
 突く。
 引いて、さらに、何度も。
「あンッ! あンッ! あンッ!」
 ぶるんぶるんと、二つの塊が激しく暴れ回る。”それ”へと手を伸ばしたくなる衝動を抑えながら、兎にも角にも剛直を突き入れ、しほりのナカを蹂躙する。
「やっ……月彦っ、さっ……激しっっ……あん! あんっ! あんっ!!!」
「しほりさんっ! しほりさんっ、しほりさんっ!」
 出したい。人妻の膣内という禁忌の領域に、欲望のままに己の子種をぶちまけてやりたい――そんな黒く歪んだ欲望に取り憑かれ、月彦は夢中になって腰を振る。
「やっ……だ、だめっ……です、月彦っ、さぁんっ……はぁはぁっ……それ、はっ……それだけ、はぁ…………!」
 自分が今から何をされるのか、しほりも察したのだろう。文字通りケダモノの様に自分を犯す月彦の体を撥ね除けようとするかのように、その手を肩へと押し当てる。
 ――が。
「だめっ……だめっ……本当に、ダメっ、です……そんなの、絶対、しちゃだめなこと、なんです……だめっ、だめぇええッ!」
 言葉だけの拒絶。否――その声色すらも快感にとろけ、喘ぎ混じりだった。月彦を撥ね除けようと宛がった筈の手は、いつのまにか首へと回されていて。
「月彦、さんっ……」
 殆ど唇が触れ合うほどの距離まで引き寄せられ、何かを促すような上目遣いに、月彦は殆ど反射的に唇を奪っていた。
「んふっ……んんっ、んんんぅ!」
 唇を重ねながら、突く。しほりは喉奥で噎びながら背を反らし、両手を月彦の脇から背中へと回し、肩に引っかけるようにして抱きついてくる。
「ンンッ! ンンッ、ンンンッ!!」
 ただ、好き勝手に突かれるだけではない。自ら腰をくねらせ、より”良い所”に当たるように仕向けてくる。普段のしほりからは想像もつかないような積極性に、内心驚かされながらも、だからといって予定が変わる筈も無い。
「しほりさん……このままナカで……いいですか?」
 答えを聞いたからといって、中出しを止める気など毛頭無い。ただ、しほりの反応を見て愉しみたいがだけの、残酷な問い。
「な、ナカは……ダメ、です……ぜったいに……それは、それだけは…………お、お願い、です、からぁ……」
「でも、俺はしほりさんのナカに出したいんです」
 ぜえぜえと息を切らしながら、月彦は腰をくねらせ、ねちっこく突き上げる。
「はぁはぁはぁっ……だ、ダメっですッ…………ほ、本当にっ……それだけはっ……はぁはぁっ……」
「ダメだって言われても、もう……止まりません。はぁはぁはぁっ……しほりさんっ……しほりさんっっ…………!」
「やっッッッ……ほ、ホントにダメッッ…………やぅッ!? お、奥ダメッッッ………………ひっ……で、出てっっ……〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜ぅッッッッッ!!!!!!!」
 一際奥を小突き、そのまま果てる。
「くあぁっっ…………!」
 まるで、滾りに滾った肉欲の全てを直接注ぎ込んでいるかのような錯覚。同時に達したらしいしほりの肉襞が痙攣するように震え、ぎゅうぎゅうと締め付けてくる。
(…………っ……たまんねぇ……!)
 単純な快楽とは明らかに違う、牡としての満足感。禁忌とされる、人妻への中出し行為に、脳内のスイッチがパチリと切り替わるのを感じる。
 極度の興奮の中で、人間としての紺崎月彦の意識は、その瞬間に途切れた。


 始めに、何かの音が聞こえた。手拍子のような、肉と肉がぶつかり、弾ける音だった。次に、うっすらと視界に何かが浮かんだ。白とも肌色とも突かぬ――否、そのどちらでもある色だった。
 それは、男女の交接の場面だった。一人は、宮本由梨子。もう一人は、親友――真田白耀。
 二人とも一糸まとわぬ姿で、ケダモノの様にまぐわっていた。正常位で、座位で、後背位で。月彦は何故か、由梨子の姿にばかり注視した。
 最初は、仕方なく応じているという顔をしていた由梨子だが、白耀に攻められるうちに徐々に反応を返すようになり、最後には我を忘れたように快感に狂い、自ら腰を振っていた。あられも無い言葉を口にし、もっと、もっとと懇願する。
 それは月彦の記憶になる由梨子のどの姿よりも激しく、そして淫らに見えた。そして由梨子は自ら四つん這いになり、”後ろ”を犯してほしいと懇願し――

 ハッと気がついた瞬間には、月彦は闇の中に居た。暗く、しかし鼻腔をつく甘酸っぱい匂いに、たちまち”現状”を理解する。そう、自分は今、まさに――しほりとのセックスの最中であると。
(……気を……失ってた、のか?)
 最初にしほりに中出しをした直後からの記憶が全く無かった。が、そのまま暢気に伸びていたわけではないらしいということも、すぐに解った。
「はぁっ……はぁっ……月彦、さん……?」
 四つん這いになり、突かれるがままになっていたしほりが、突然の制止を不審がるように月彦の方に視線を向けてくる。
 体格の割にはなんとも可愛らしい牛尻尾が――筆のようになっている先端部の根元には小さな赤いリボンがついている――誘うように左右に揺れる。月彦は無言でしほりの腰を掴み直し、思い切り手前に引き寄せながら腰を突き出した。
「あひぃン!」
 そのまま、何度も。
「あんっ! あぁんっ! あぁんっ!」
 何度も、何度も。
 欲望と、そして苛立ちをぶつけるように、しほりを背後から犯す。
(……く、そ……なんて、夢を……俺は……ッ――)
 奥歯を噛みしめる。そう、あれは夢だ。現実などではない――そう思い込もうとするが、出来ない。事実、二人は子が出来る程度には、体を重ねている筈なのだ。
 であれば。
「あぁァッ! あァァッ!!! あああああァァッッ!!!!!」
 何度も、何度も。思いの丈をぶつけるように乱暴に突き続けた結果、しほりが声を上げて――イく。なんとも肉付きの良い、むっちりとした尻を見下ろしながら、月彦は剛直にさらなる力が宿るのを感じる。
(……由梨ちゃんと白耀の事なんて忘れろ。今は――)
 この、目の前の”極上の肉”にだけ集中すれば良い。何よりも、夫以外の男に抱かれて、狂おしげに声を上げ続ける淫乱人妻に仕置きをしてやらなければと、思う。
「しほりさん」
 挿入したまましほりに被さり、耳元に唇を寄せる。
「……俺と、旦那さん。どっちがいいですか?」
「えっ……」
 ぎゅうと抱きすくめているしほりの体が、緊張に強ばるのを感じる。そんなしほりの反応に、月彦は己の剛直が堅さを増すのを感じた。
「後でもう一度訊くって、言いましたよね? 答えてください、どっちですか?」
「そ、そんなの……言えません、答えられません」
「どうしてですか?」
「い、意地悪、しないで、ください……それより、早く……」
「早く……何ですか?」
「う、動いて……ください……さっきまで、みたいに……激しく……」
「質問に答えてくれたら動いてあげます」
 いや――と、月彦は口元を歪めながら、さらに言葉を続ける。
「突きながら、さらに搾ってあげますよ?」
「……っっっっ…………!」
「くすっ。ただ搾られるより、突かれるだけより、絶対気持ちいいですよね? その両方を同時になんて、頭おかしくなっちゃうかもしれませんね」
「ぁ……ぁぁっ…………して、欲しい、です! 両方、同時、に……! お願いします……月彦さぁん!」
「だったら、解ってますよね?」
「ぅぅ……で、でもっ…………」
「ほら、しほりさん?」
 焦らすように、やんわりとしほりの胸元を、揉む。ミルクが出るほどの刺激は与えない。ただ、しほりの意識が胸へと集中し、その結果――よりたくさんのミルクが作られ、張って、苦しくなるように仕向けるだけだ。
「い、言えません……そんな、夫を裏切るような、コト……」
 おやおやと、月彦は思わず吹き出しそうになる。それはもう、答えを言っているようなものではないか。
「言いたくないなら無理にとは。……ただ、その場合は――」
「わ、解りました……言います、言います、からぁ…………」
 焦れったげに太ももをすりあわせながら、しほりが泣きそうな声を上げる。その声の、なんと艶やかなことか。しほりの中で、ググンと剛直が質量と堅さを増す。今度は月彦の方が一秒でも早く、しほりを犯したくて堪らなくなる。
「ほら、言うなら早く言ってください。俺の気が変わらないうちに」
「は、い………………つ、月彦さんの、方が……夫、より、も……」
「旦那さんよりも?」
「大きくて……堅くて…………な、何倍も……気持ちいい、です……」
 何倍も。思わずそうオウム返しに口にするところだった。
(……そこまで言えとは、言ってないんだけどな)
 或いはそれが”事実”であったのかもしれない。
「途中声が小さくてあんまり聞き取れませんでした。もっと、はっきり言ってください」
「そんな……わ、私……もう……」
「嫌なら、別にいいんですよ?」
 その代わり、”同時”も無しですけど――そう言外に含めると、しほりはたちまち顔を真っ赤にして、大きく息を吸い込んだ。
「つ……月彦さんの、方が……夫の、よりも……大きくて、堅くて……何倍も、気持ちいい、んです……夫のじゃ、奥まで、届かなくて……月彦さんのみたいに、ゴリゴリってならなくて、満足なんて、出来ません!」
「よく言えました。…………奥、そんなに好きなんですか?」
「……はい」
「成る程、了解です。……そんなに好きなら、いっぱい奥突いてあげないといけませんね。もちろん――」
「んぁっ」
「こっちを搾りながら」
「は、はいっ……お願い、しまっっ……あひぃぃィッ!」
 ぐにぃっ――たわわな白い塊を握りしめるようにして搾りながら、ずんっ、と奥を軽く小突く。それだけで、しほりは甲高い声を上げ――軽くイッたようだった。
「い、今のっ……凄い、です……バチッって、火花が散ってっ……はひっ、あひぃいっ!!!」
「”今の”、って、”これ”のことですか?」
「そ、それっ……それっ、でふっ……ひっ、ひぃいいッ!! あふっ……あふぅうっ!!」
「くす。……いっぱい火花を散らしてあげますね」
 牡としての矜持を回復させてくれた礼だと言わんばかりに、月彦は両手で乳を搾りながら、奥を小刻みに突き上げる。
「いひィッ! はへっ……あへぇええっ! それっ……らめえええっ! ひぎっ……ひ、火花っ……がっ……あひぁっ! ひぅっ……んひぃいいいッ!!」
「う、ぁ……凄っ……しほりさん、ひょっとしてイきっぱなしになってますか? めちゃくちゃうねって吸い付いてきて、ギリギリって搾り取るみたいに……くぁぁっ……」
 ”余裕”が凄まじい勢いで削られていく。だからといって、動きを止めるわけにはいかない。そんなことをすれば、たちまち”牡”としての格を疑われる――そんな仮初めの矜持から、月彦は一心不乱に腰を使う。
「あぁぁあん! あぁんっ! きもひぃいっ……コレ、好き、れすぅっ……はぁはぁっ……もっと、もっとぉ……!」
「っ……喜んでもらえて、俺も嬉しいですっ…………もっと、もっと突いて、”火花”を散らしてあげますね」
 乱れ狂うしほりをもっと見ていたくて。もっと乱れさせたくて、月彦は両胸を搾るようにこね回し、何度も、何度も突き上げる。
「ふーっ……ふーっ…………しほりさん、俺も、そろそろヤバいです。……最後は……」
 しほりさんが大好きな”奥”をぐりぐりしてイかせるやつをしてあげますね――囁いて、同時に。
「アッ!」
 胸も。
「あァァァァァーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっっっ……………………………………ッッッ!!!!!」
 宣言通り、しほりの奥をぐりぐりと抉るように剛直の先端を擦りつけながらの、吐精。搾るように絡みついてくる肉襞にたっぷりと白濁液を飲ませながら、月彦は身震いするほどの征服感に酔いしれる。ゾクゾクと背筋が震える程の”それ”は、人妻と交わるという禁忌と引き換えでしか手にすることが出来ない至宝だ。
「はーっ…………はーっ…………はーっ…………んっ…………」
 呼吸を整えながら、しほりがぶるりと体を震わせる。ヒク、ヒクと物欲しげに吸い付いてくる肉襞の感触から、月彦はしほりがまだ満足しきっていないことを敏感に察した。
 くすりと、口元に笑みが浮かぶ。薄々解ってはいたが、やはりしほりは”貪欲”らしい。
 ならば。自分もそんなしほりにふさわしい扱いをしてやらねばと思う。
「しほりさん」
「は、い……?」
「ちょっと、お願いがあるんですけど」


「ぇ……く、口で……ですか?」
「はい」
 月彦はベッドに腰掛け、反対にしほりはベッドから降り、絨毯に膝立ちになっている。他ならぬ月彦が、しほりに口での奉仕を求め、促したからだが、見るからにしほりは気乗りをしていなかった。
「で、でも……そんなこと……私、やったことありません……」
「そうなんですか? 一度も?」
「……はい」
 成る程と、月彦は小さく頷く。しほりの夫というのは、あまり性生活に熱心ではなかったのかもしれない。或いは、妖牛族そのものが、口での奉仕という文化が無いのかもしれないが、どちらにせよ月彦には引く気はなかった。
(……てことは、口に関しては……”初めて”ってことか)
 夫のですら咥えたことのない人妻にしゃぶらせる――それはそれで、なんとも愉快な遊びではないかと、ゲスの極みのような考えが、今日この瞬間に限っては一世一代の名案のように思えるから不思議だった。
「それは困りましたね。俺たち人間に限らず、妖狐や妖猫の間でも、それこそ恋人同士なら当たり前のようにすることなんですけど」
「そう、なんですか……?」
「ええ。何なら、真狐とか春菜さんとかに確認されても良いですよ?」
「ぁ……ぅ……で、でも……口で、なんて……」
「”俺の”でも嫌ですか?」
「そんな……嫌というわけじゃ、ないんです。もし、噛んじゃったりしたら、と思うと……」
「それは……確かにちょっと怖いですけど……でも、そこはしほりさんを信じてますから」
「でも……あんっ!」
 尚も渋るしほりの胸元を優しく掴み、たゆたゆと軽く上下に揺さぶる。それだけで、しほりは体を強ばらせ唇を震わせ、トロンと蕩けた目で見上げてくる。
「ぁっ、ぁっ……つ、月彦……さぁん……そんな風にされたら……また…………ぁぁぁ……」
「口でしてくれたら、いくらでも搾ってあげますよ。ほら、しほりさん?」
「ぁっ、ぁっ、ぁっ……!」
 そうやって乳房を刺激してやるだけで、凄まじい勢いでミルクが生成され、乳房の重みが増していくのが指先から伝わってくる。なるほど確かにこんな勢いでミルクが作られるのでは、搾り続けなければ苦しくて堪らないだろう。
「わ、わかり……ました……します! 口っ、で……しますっ、からぁ……!」
 堪りかねたように承諾するしほりに、ゾクゾクするほどの愉悦を覚える。快楽で釣り、人妻に無理強いするというのはこれほどまでに興奮をかき立てるものか。
(……そりゃあ、世の中から不倫が無くならないわけだ)
 単純にしほりと恋仲になり、行為に及んだだけではここまで興奮することも無かっただろう。そういう意味では、しほりとの出会い方はまさに最良であったようにも思える。
 少なくとも、”今”だけは。
「さぁ、しほりさん?」
 乳房の重みでやや前屈み気味のしほりの髪を撫で牛耳の後ろを優しく愛撫して顔を上げさせ、膝立ちにさせる。その手にギンギンにそそり立った剛直を握らせ、今から自分が何をするのかを再認識させる。
 ぎょっ、と。しほりの目が剛直を捕らえた瞬間その身を固くしたのを、もちろん月彦は見逃さない。そんなしほりの一挙手一投足を観察するのが楽しく、何よりも興奮する。
「あぁ……こん、な……熱い…………それに、とても、太い……です……こんな大きいのが、さっきまで…………」
 自分の中に収まっていた、というのが信じられないというような顔。その唇を微かに震え、しかしどこか笑んでいるようにも見える。しほり自身、この状況を――夫以外の男との情事をいけないことだとは思いつつも、愉しんでいるかの様だった。
「な、舐めれば……良いんですか?」
「舐めたり、しゃぶったり、いろいろ試してみてください。いつか旦那さんにしてあげる時の練習だと思ってくれても良いんですよ?」
 禁忌の興奮に濡れきっていたしほりの目に、俄に正気の光が宿る。剛直を握る手からも躊躇いが、戸惑いが伝わってくる。その心の揺れが――堪らないと思う。
「……夫には、こんなこと……絶対、出来ません」
 ムッとしたような声で、しほりは抗議するように上目遣いをしてくる。それが夫に淫らな女であると思われるようなことは出来ないという意味なのか、それとも違う意味なのか。
 月彦が考えるよりも先に、しほりの唇が剛直の先端に触れた。
「んっ」
 そのまま、先端分が唇の中へと埋没していく。ゾゾゾと、冷たい物が背筋を昇ってくるような感触。
 しほりに、しゃぶらせている。――否、もはやしゃぶられていると言い換えてもいい。口内に含まれた部分をれろり、れろりとなめ回されながら、月彦は思わず声を上げそうになる。
 その動き自体はまだまだ拙い。しほりが口での奉仕をしたことが無いと言ったのは事実だろう。しかしそれを補って余りある興奮が、快楽を何百倍にもする。
(しほり……さん……!)
 目が、しほりの顔に釘付けになる。清楚で貞淑――良妻の鏡のようなしほりが、夫ですらない男のモノに口づけをし、自ら舌を這わせてしゃぶりついている。息が弾み、脳が焼け付くほどの興奮に、自ら腰を動かしそうになるのを懸命に止める。
「っ……いい、ですよ。しほりさん……とても、上手です」
 震えた声で、そう余裕ぶるのが精一杯だった。しほりも褒められて気を良くしたのか、ちらりと上目遣いで一瞬だけ月彦の方を見るや、剛直をさらに根元近くまでくわえ込み、頭を前後させるようにして舌を這わせてくる。
「くあああっ…………!」
 思わず声が出てしまい、月彦は慌てて右手で自らの口を覆った。まさか”初めて”でそんなに奥までくわえ込まれるとは思わなかったからだ。
(ちょっ……えっ……? は、初めて……だよな?)
 自分の判断に疑いを持ちそうになる。剛直の長さを鑑みれば、明らかに”喉”にまで達していて、あの真央ですら嘔吐かずにそこまで頬張れるようになるには随分とかかったからだ。
(それに……舌がっ……舌がっっ……!)
 絡みついてくる、という表現がこれほど適切なのも初めてだった。うねる舌の感触と頭の前後の動きと相まって、月彦はたちまち腰を浮かし、しほりの頭を抑えるように両手を添え、立ち上がる。
「んっ、んっ、んんっ」
 月彦の突然の起立にしほりは俄に眉を寄せ、苦しげに声を上げたがすぐに順応した。膝立ちのまま、剛直にしゃぶりつき、唇を窄めるようにして”吸って”くる。
「ちょっ……やばっ……」
 その凄まじい吸引力に、月彦はたちまち腰砕けになる。吸われながら、さらに唇で、舌で、喉でしごきあげられ、膝まで震え出すのにそう時間はかからなかった。
「し、しほり……さん!」
 待って――その言葉を絞り出すよりも先に、体が撥ねた。
「んんっ!」
 しほりが眉根を止せる。驚いたように剛直から口を離した矢先に、爆ぜるような勢いで白濁汁が迸り、しほりの顔を汚していく。
「ひゃっ…………ぁっ…………」
 何度も、何度も。剛直が脈打ち、そのたびにしほりの眉を、頬を、鼻を、緑の黒髪を白く染め上げていく。
「んっ……けほっ、けほっ…………はぁはぁ……こ、れ……月彦さんの…………?」
 顔を白濁汁まみれにしたまま、しほりは呆けるように絨毯にへたり込む。そしてその指先で、顔にかかった白濁汁をすくい取り、しげしげと見つめた後に唇へと運んだ。
「……んっ…………ミルクとは、全然違う味です」
「それは……」
 そうだろう、と思うが、声にならなかった。予想を遙かに上回る、しほりのバージンフェラ――というより、もはやバキュームフェラだが――の圧倒的快楽に月彦はベッドに尻餅をついたまま、思考力の大半を奪われていた。
(……きっと、”初めて”なのは違いなかったんだろう)
 ただ、妖牛族としてのポテンシャルが凄まじすぎた――だけの話だ。身体的な強度が人間と比べるべくもないことは言わずもがな、しほりにしてみれば喉奥まで剛直をくわえこむという事ですら、大して苦痛でもないのかもしれない。
(…………もし、しほりさんがテクニックまで身につけたら……)
 それこそ、とんでもないことになると思う反面、それを味わってみたいと思う自分が居る。
「あの、月彦さん……」
 じぃ、と。しほりの熱量を帯びた視線を向けられ、月彦はすぐにその意図するところを察した。
「あぁ、”約束”ですね。もちろん解ってますよ」
 しほりの手をとり、ベッドへと上げる。何を指示されるでもなく、しほりは自ら四つん這いになり、月彦を誘うように尻を向け、振り向き気味に視線を向けてくる。
 そんなしほりのなんとも露骨な”待ちきれない”に苦笑しつつ、月彦は濡れそぼった秘裂に剛直を宛がい、被さるようにして――。
「あっ……ああああぁぁぁぁぁっ!!!!」
 挿入と同時に、強く。乳房を根元からしごきあげるようにして、揉む。
「う、わっ……凄っ……」
 手のひらの”感触”だけで、凄まじい勢いで母乳が迸っているのが解る。そして、しほりの中を駆け巡っている凄まじい快楽までもが、剛直を締め上げる媚肉から伝わってくるかのようだった。
「ひはっ……ぁふっ……ぅう…………あ、頭の中っ……が……バチバチッって……もっと……もっと搾ってください……お願いします……」
 ぜえぜえと息も絶え絶えに”おねだり”をしてくるしほりに苦笑しつつ、月彦はさらに腰をくねらせ、ビクビクと痙攣するようにうねる膣内をかき回しながら――搾る。
「あひぁっ! ひぃぃぃいっ!! はぁはぁっ……はぁはぁはぁっ……! あぁぁぁぁっ!! ぁあっ! あァーーーーーーーーーーーーーーーーーッ!!!!」
 月彦の腕の中で、しほりが何度も声をあらげ、体を撥ねさせる。単純な絶頂――ではない。明らかにそれ以上の快楽に翻弄され、髪を振り乱しながら喘ぐしほりの姿はなんとも淫らで、興奮をかき立てる。
「もっとっ……月彦さんっ……もっと、お願いしますっ……もっと、もっとぉ……!」
 薬物中毒ならぬ、搾乳中毒――まさにそう表現するのがふさわしいほどに、しほりは貪欲に搾乳をねだってくる。
「はぁはぁっ……はぁはぁはぁっ……! もっと、いっぱい……搾って下さい……もっと、もっと突いてぇ……はぁはぁ……もっと、気持ちよくなりたい、です……!」
 おやおや、本音が出ましたね――そう囁いてやれば、しほりはどんな顔をするだろうか。
(……こんなにエロい奥さんだって最初から解ってたら)
 貞淑そうな仮面にすっかり騙されていた。これならば、無理して欲望を抑えることも無かったのではないか――どこか腹立たしさすら込めながら、月彦もまた己の快楽を極めるべくスパートをかける。
「あっ、あっ、アっ、あっ、アッ!」
 体を起こし、両手でしほりの腰を掴んで突き上げる。勢いに抑えるように、上半身をベッドに伏せさせるしほりを、月彦は好き放題に突き上げ、犯し尽くす。
「あっ、ァッ、あッ! あッ! アッ! アッ! アッ! アッ…………〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜っっっっっ!!!!!!!!!!」
 しほりの声の高まりに合わせて、掴んだ腰を手前に引き寄せ、奥の奥まで突き上げる。溜まりに溜まった鬱憤ごと、特濃の白濁汁で人妻の膣内を汚し、己の匂いで染め上げる。
「ひっぁっっっ、らめっ、れすっっ……やっっ〜〜〜〜〜〜〜ッッッ!!!」
 この期に及んでまだ”貞淑な妻”のフリをするのかと。月彦は口の端を歪めながら、お仕置きだと言わんばかりに容赦なく何度も、何度も射精を繰り返し、しほりの中を濁った白で満たした。
「はぁっ……はぁっ……はぁっ…………な、中……はぁ、らめっ……れす…………」
 脱力したまま、涎を溢れさせたままの唇で辛うじてそんな呟きを漏らすしほりを、仰向けに寝かせ直す。
「つ……つき、ひこ…………さん?」
「すみません、しほりさん。……ちょっと、さすがに喉が渇いてしまって」
「ふぇ……? ぁ…………」
 指を伸ばし、しほりの胸の先端についている金属の環をつまみ上げる。
「少し、貰いますね。嫌だなんて言わせませんよ?」



 しほりの返事を待たずして、金属の環を外す。それだけでもう、桃色の先端部からは、じんわりと乳白色の液体がにじみ出る。月彦はごくりと喉を慣らすや、まるで獲物に食らいつく肉食獣のような動きで先端部を咥え、ちううと。
「つ、月彦さっ……っっ!」
 口腔内に、甘く芳醇なミルクの味が満ちた瞬間、しほりもまた仰け反る様にして体を撥ねさせた。
(お、わっ……これはまた――)
 ありがたいことに、”濃さ”はさほどではなかった。先ほどからひっきりなしに搾り続けたからというのもあるだろう。が、それがかえって喉が渇ききっている今はありがたかった。
「あ、あぁぁぁぁぁぁぁっ!」
 しほりの両手が、抱きしめるよう絡んで来て、かりかりと後ろ髪をかきむしってくる。構わず、月彦はずびずびと汚らしく音まで鳴らしながら、溢れる母乳を嚥下していく。
(や、ばっ……これ、美味過ぎだろ……)
 ほどよい甘さが、疲れた体になんとも心地よい。焦らしに焦らした後の生クリームのような特濃ミルクとは違い、適度な薄さがまた飲みやすく、水分を補給する意味でも飲むのを止められない。
 否。それよりも何よりも。
「ぷはぁっ! はぁはぁっ……はぁはぁはぁっ…………!」
 息継ぎすらも忘れて飲み耽って、意識がオチる寸前で慌てて唇を離す――が。唇を離した途端、体中の水分を失ったかのように喉が渇いて堪らなくなる。そのくせ、全身の血が凄まじい勢いでギュンギュンと駆け巡り、筋肉という筋肉に力が漲るのを感じる。
(まるで、栄養ドリンクとか……エナジードリンクとかの”原液”を、直接飲んだみたいな……)
 人間が口にしてはいけない”濃さ”のものを、牛乳のような飲みやすさでたらふく飲んでしまったかのような。そうとしか思えないほどに、顕著な”変化”だった。
(……まさか)
 真央や、真狐が使う薬の原料というのは、しほり達妖牛族のミルクか、そのミルクから作られる加工品ではないのかとすら思う程に、その効果は如実に下半身にまで現れていた。
 幾度となく射精を繰り返した筈の剛直は一週間の禁欲を経たかのようにギンギンにそそり立ち、白濁汁が先端部から溢れそうなほどだ。
(いや、違う……少なくとも、前に飲んだときは”こんな”じゃ……)
 栄養満点ではあっても、こんなにも露骨に下半身が元気になるようなことはなかった。
 となれば。
「……しほりさん。これはもう外してしまいましょう」
「ぇっ……で、でも…………」
「こんな、下半身に効きまくるエロいミルク、お店で出したりしたら一大事ですよ」
 月彦はもう片方の金属環も外すや、堪りかねたとばかりに食らいつき、ちううと吸い上げる。
「はぅううっ! つ、月彦さん……一体、どういう……あぁぁあ……!」
「んぷっ……解りませんか? しほりさんのミルクを飲んだだけで……こんなになってるんですけど」
 ”それ”を解らせるように、月彦は肥大した剛直で、ごりごりとしほりの中を刺激する。
「ひっ……つ、月彦……さん?」
「尋ねたいのはこっちです。……しほりさん、妖牛族っていうのは、発情するとミルクの成分がエロくなったりするんですか?」
「そんな、ことは……ひっ……あっ、あっ、あっ……!」
 ムラムラとこみ上げる肉欲に、自然と腰が動く。たゆたゆと上下に揺れる胸元を優しく捏ねながら、月彦はさらに詰問する。
「そうとでも考えないと、”これ”の説明がつかないんですけどね」
 月彦は胸の頂に唇をつけるや、ちううう、と吸い上げ、そのまましほりに口移しをする。
「んんっ……!?」
 そのまましほりと舌を絡め、二人がかりでミルクの味を確かめるようにたっぷりとキスをする。
「……いつもと違うでしょう?」
「は、い……で、でも……どうして、なのかは……私にも……」
 エロ母乳の効果は、本人にも有効なのか、しほりはまるで酩酊でもしたように瞳をとろんと蕩けさせている。
「なるほど、あくまでしほりさんはあずかり知らないことというわけですね。……それなら――」
 月彦は体を起こし、肥大した剛直を抜く。「ぁぁっ」と、しほりが名残惜しむような声を出したが無視し、その腹部に馬乗りになる。
「直接、おっぱいにお仕置き――じゃなくて、問いたださないといけませんね」
 肥大してギンギンに漲っている剛直を、妖牛族のS級おっぱいで挟みこむ。先ほどあれほど吸ったにもかかわらず、既にはち切れんばかりに母乳をため込んでいる妖牛おっぱいは、剛直を挟み混んだだけで先端部からトロトロとミルクを溢れさせ、赤黒い肉柱をデコレイトしていく。
(……理由なんてどうでもいい。ずっと、ずっとこうしてやりたかったんだ)
 剛直を挟み込み、白い乳肉が形を歪めている様を見下ろし、興奮のあまり鼻血が出そうになる。眼前に突きつけられた剛直の先端に怯えるように、しほりが目尻に涙を滲ませているのが、興奮をさらにかき立てる。
「つ、月彦……さん? 一体、何を……」
「何を、って、今言ったじゃないですか。……こんなエロいミルクを出す悪いおっぱいのお仕置きをするんですよ」
 詰問はもう省略された。疑わしきは――もとい、疑わしくなくともエロいものは罰せよの精神で、月彦はミルクを潤滑油がわりに抽送を開始する。
(はぁっ……はぁっ……しほりさんの、おっぱいを…………!)
 ギラついた目で剛直に犯されるおっぱいを見下ろしながら、月彦は徐々に腰の動きを早めていく。絶え間なく溢れる母乳がおっぱいは当然のこと抑える月彦の手も、剛直もすべてを白く染め上げていく。ローションのように適度にトロみのあるそれが、パイズリの快楽を何倍にも高めていく。
「あぁっ……おっぱいを……こんなっ……こんな、こと……いけない、こと、なのに…………」
 しほりの声は震えていた。他の種族とは比較にならない程におっぱいを神格化させている妖牛族にとって、おっぱいを犯されるというのはその身を犯されることの何倍も辛いことなのかもしれない。
 もちろん、しほり自身がこれを”レイプ”と感じているのであれば、の話だが。
「私の、おっぱいが……月彦さんの、に…………あぁぁっ……」
 ぶるるっ……背筋を震わせながらも、濡れた目を剛直に釘付けにさせているしほりは、屈辱に唇を噛んでいる風にも我が身に降りかかった災難から目を逸らして泣き寝入りをしているようにも見えない。
(……むしろ)
 禁忌を犯す快楽を愉しんでいる風にすら、月彦には見えた。
「ぁあぁ……こんなっ……こんなこと…………だめ、です……あぁぁっ……!」
 イヤイヤをするように首を振りながらも、しほりはおずおずと自らの手で両乳を左右から押さえつけ、剛直を圧迫する。まるでそうすることで、より強く剛直の感触を、熱を感じようとするかのように。
「はぁっ……はぁっ……しほりさんっ…………!」
 そんなしほりの変化を見下ろしながら、月彦はさらに腰の動きを早める。欲望のままに腰を振り続け、興奮の極みに達する瞬間、乳肉を左右から強く圧迫し、先端部を谷間に埋没させる。
「きゃっ……!」
 しほりにしてみれば、乳肉の狭間で何かが爆発したかのように感じられたかもしれない。剛直が震える度に乳肉が小刻みに揺れ、その間から湧き水のように白濁汁が溢れ出してくる。
「はぁっ……はぁっ……ダメだ、一回じゃ……もっと……!」
 出したばかりだというのに、たちまち焦れにも似た衝動に突き動かされ、月彦は白濁汁すらも潤滑油代わりに抽送を再開させる。
「あぁ……月彦さん……そんなに……私のおっぱいを…………」
 とろんと、しほりが瞳を潤ませる。乳肉の隙間を行き来する剛直をさらに圧迫するように、両脇を締め指を組むようにして両胸ごと剛直を抱きしめる。
「っっ…………!」
 まるで、真央がするそれのように「私のおっぱいにお仕置きシて?」と言わんばかりの人妻の上目遣いに、月彦の興奮はたちまち最高潮に達する。二回目のそれは一度目のそれとは比較にならないほどに早く、先端から迸ったそれは再びしほりの顔を白く汚した。

「あっ……」
 と、呟くしほりの声はなんとも嬉々としていた。その指で頬についたそれをすくい取り、ちゅるっと唇で吸う。
「……月彦さんの”ミルク”も、とってもエッチな味がします」
 どこかぎこちなく、照れ笑い混じり。そんな上目遣い。
「…………私のミルクの味が変わってしまったのは、月彦さんのせいです」
 その目が、じとりと恨みがましいものになる。
「……責任、とってください」
「せ、責任……!?」
 ”責任”という言葉に、ドキリと心臓が撥ねる。冷水でも浴びせられたように、熱に浮かされた頭が一気に冷やされる――が。
「せ……責任をとって、私の……悪いおっぱいに、もっと……お、お仕置きをして、ください……」
 なるほど、そういう意味かと安堵すると共に、それならばと。再び肉欲にギラついた目で眼下の悪い子”たち”を見下ろす。
「……わかりました。他ならぬしほりさんの頼みなら、二度とこんなエロいミルクを出したりしないように、たっぷりお仕置きしてあげます」
 ぁっ、と。しほりが濡れた目を細めた時にはもう、月彦の両手はたわわな乳房を捕らえていた。
 


「ほら、しほりさん。ちゃんと動いてください」
「は、いっ……でも、これっ……んんっ……堅っ、くてぇっ……」
 己の上に跨がり、ぎこちなく腰を動かすしほりを、月彦は両手を枕にして満足げに見上げていた。否、事実として、月彦はこれ以上無く満足していた。
(……こんないい長め、二度と拝めないかもしれない)
 しほりのような貞淑な人妻が、羞恥に頬を染めながら。夫への後ろめたさに躊躇いながら。それでも快楽に負けて腰を振っている。それも「上になるなんて初めて」というしほりの言葉を信じるなら、こんな初々しい動き方を眺められるのは文字通り一生に一度の事だろう。
「……ちゃんと動かないと、搾ってあげませんよ?」
「は、はいっ……動き、ますっ…………んんっ……! んっ……!」
 ”殺し文句”を口にするや、しほりはハッとしたように腰をグラインドさせ始める。本当に、妖牛族の娘にとって搾乳というのは抗いがたい快楽なのだろう。
(……その気になれば、本当に何でも命令できそうだな)
 しほりのようなエロい人妻を思うがままに出来る――そんな”妄想”に思わず口元に笑みが浮かびそうになる。否、自分さえその気になれば、それはただの”妄想”では無くなるのではないか――その実感が、月彦をますます興奮させる。
(あぁ、ダメだ……人妻とヤッてるってだけで、ヤバいのに……)
 その人妻を開発――或いは調教する愉しみまで見いだし始めている自分に、月彦は恐怖した。もちろん恐怖したからといって、じゃあ止めるかというとそれはまた別問題であるのだが。
(くそっ……エロい……エロすぎだ……)
 何故こんなにも興奮をかきたてられるのか。もちろんしほりミルクのエロ成分の効能というのもあるだろう。しかしそれ以上に、色白の肌を朱に染めながら辿々しく腰を振るしほりの姿に、これ以上ない程にムラムラさせられる。
「あぁっ……もう、おっぱいがっ……んんっ……はぁはぁっ……おっぱいが、張って……あぁっっ……!」
 そして、見るからに重そうなその乳房をたぷんたぷんと揺らしながら苦しげに喘ぐその姿がまた、月彦の興奮を倍加させる。
「あぁぁっ……もうっ……もうっ……無理っ、ですぅっ……搾って、下さいっ……お願い、します……」
「それなら、ほら。もっと激しく動いてみてください。もっと、腰を大きく振って回したり、上下に激しく打ち付けるようにしてみたり。……搾って欲しいなら、できますよね?」
 口調ほど、月彦にも余裕は無かった。むしろ、今すぐ逆にしほりを押し倒し返して、背後から両胸をこね回しながら突きまくってやりたくて堪らなかった。それを我慢出来ているのは、男に跨がるのなんて初めてのしほりが、搾乳の誘惑に抗えずに必死に腰を使う様をもっともっと見ていたいからだ。この清楚な人妻が、搾乳というエサに釣られてどこまでエロく変わるのか。それを見極めてやりたいからだ。
「あぁぁっ、あぁぁっ……おっぱいが、おっぱいが…………ぁぁあっ……!」
 とうとう耐えきれなくなった様に、しほりが自らの手で両胸を揉みしだき始める。しかし、どれよど強く圧迫しても、そして先端部を摘まんでも、数滴分の白い液体が滴るだけでおよそ”搾る”と表現できるほどの量は出てこない。
 くすりと、つい口元に笑みが浮かんでしまう。月彦にはまるで、しほりのおっぱい自体が自らの意思で、ミルクを出すことを拒否しているように見えたからだ。
「は、早くっ」
 ハッとしたときには、目の前にしほりの顔が迫っていた。
「搾って、ください……!」
 頭の後ろで組んでいた腕が凄まじい力で掴まれ、ぐいと引き寄せられる。到底抗うことなど出来ない、圧倒的な腕力に月彦の両手のひらがしほりの胸元へと押し当てられる。
(……ほら、”本気”を出せば、俺なんかよりよっぽど力持ちなんじゃないですか)
 或いはこれでもまだ、しほりは加減をしているのかもしれない。が、さすがにこれ以上焦らせば、完全に理性を失ったしほりの握力で骨ごと手首を握りつぶされるかもしれない。
 ――が。
「……仕方ないですね」
 ただ、言われるがままに搾る気はない。そう示すかのように、月彦はベッドのスプリングを利用して、大きく突き上げる。
「ひうっ」
 しほりが悲鳴を上げ、揺れる胸元を庇うように両手で抱く。その瞬間、月彦は両手でしほりの腰を掴み、再び大きく突き上げる。
「あっ、あんっ! あっ、あっ、あっ! あっ! あっ!」
「しほりさんの頑張りに免じて、望み通り搾って、そして吸ってあげます」
 あっ、と。しほりがたちまち笑顔を零した。月彦は断続的に突き上げながら、目線だけでしほりに覆い被さるように促す。
 たゆんっ、と。眼前に――それこそ視界いっぱいを塞ぐような圧倒的なボリュームの乳房の両方の先端を寄せ、吸い付く。れろりと、焦らすようにゆっくりと舐めたあと。
「ぃッッッヒッ……ぁッ! ああああぁぁぁああッ!!!!!!!」
 ぎゅうっ、と。乳肉を握りしめるようにして圧迫し、同時に吸い上げる。ミルクというにはあまりに濃い、クリームのように濃厚なそれが口いっぱいに広がり、それらを味わう暇もなく嚥下する。そうしなければ、たちまち口腔内に収まりきらなくなり、口の端から吹き出してしまうからだ。
「あァァァッ! 吸ってっ……もっと、吸ってぇっ……搾ってっっっ……あああァァァァッ!!!」
 しほりが髪をふりみだし、我を忘れたように叫びながら――イく。それを剛直を締め上げる粘膜越しに感じながら、月彦もまた――自身の快楽によってというよりは、半ば極度の興奮と極上のメスの求めに応じるように――射精する。
 ――が。
(んぐぉっ……こ、これはっ…………!)
 全力で飲む――が、追いつかない。咄嗟に乳肉を圧迫する手を緩め、口を離そうとした瞬間、しほりに両腕でしがみつかれ、月彦は逃げ場を失った。
(ちょっ……!)
 もはや、不可能でも飲み続けるしかなかった。そうしなければ、たちまち気道はおろか肺までミルクで満たされ窒息死する未来しかみえなかった。ならば”吸う”のを止めれば良いのだが、さきほどしほりが搾ろうとしたときは閉じた栓のようになっていた先端部が、まるで唇さえ触れてるなら吸わなくてもOKと言わんばかりに、溜まりにたまったミルクを押しつけてくるのだから堪らなかった。
 半ば白目を剥くようにしてミルクを飲み続け、漸くしほりが両手を離して解放してくれたのは、たっぷり五分は経ってからだった。
「はぁっ…………はぁっ…………はぁっ………………」
 今尚、ぜえぜえと肩で息をするしほりの両胸は、先ほどまでのぱんぱんに張った状態から三割ほどもサイズダウンして見えた。その先端からは弁が壊れたかのようにとろとろと乳白色の液体が漏れ続けている。
「凄かった、です……まだ、頭の中が……チカチカしてます…………」
 そうだろうと、月彦は思う。胸を押しつけられ、”強制授乳”させられている間もずっと、しほりの下半身は痙攣し続けていたことからも、その快楽や推して知るべしだった。
「あふんっ……」
 そんな鼻息めいた声を漏らし、しほりが脱力するように被さってくる。凄まじすぎる絶頂に、さすがに精魂尽き果てたのだろう。ぐったりとしたその肢体を優しく受け止め、月彦もまた疲労した体を労るように瞼を閉じる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 はずが、無かった。
「しほりさん。何勝手に満足して終わりにしようとしてるんですか?」
「……ふぇ?」
「あんな強壮剤の原液みたいなエロミルクたっぷり飲ませておいて、自分だけ疲れたから寝ちゃおうなんて、さすがに虫が良すぎますよね?」
 脱力しきったしほりの肩を掴み、体を起こさせる。言うまでも無く下半身はギンギンだ。
「えっ……えっ? つ、月彦……さん?」
「わからないフリをするなら、それでもいいです。……ただ、しほりさんには責任を取って貰いますから」
「やっ……そ、そんな……私、もう…………やっ、やめっ…………ああぁぁぁぁぁあっ!!!!!」
 


「ふーっ……! ふーっ……! ふーっ…………! …………しほりさん?」
 血走った目で、月彦は目の前でぐったりと横たわる人妻牛を見下ろす。その全身は桃色に染まり、玉の汗が浮かび――否、もはや湯気となって蒸発しそうな程に火照りきっている。
 ぜえぜえと喘ぐ口元はもはや何の言葉も発することはなく、ただただ呼吸の度に大げさに揺れる胸元に、むらむらとこみ上げてくるものを感じる。――が、既に幾度となく気絶したところを無理矢理襲い、覚醒させては気絶するまでイかせ続けるということを続けるうちにその反応すらも鈍麻し、殆ど昏睡のようになっているしほりをさらに犯すことは、さすがの”ケダモノ”も躊躇うようだった。
「……まだ、物足りないんですけど」
 さすがに、これ以上の責任をしほりに強いるのは酷であると、性欲にのぼせ上がった頭でも理解できた。
「……仕方ない、帰るか」
 外を見れば、すでに夜が白み始めている。誰がどう見ても、まごう事なき朝帰りだ。それも、何の連絡も無しに。葛葉はともかく、真央などはさぞかし気を揉み、そして何処の女の家に泊まったのかとへそを曲げていることだろう。
(……まあ、それはそれで)
 帰るなり、有無を言わさずわからせてやれば、機嫌も直るだろう。なにしろ今は――精力的な意味では――すこぶる体調が良い。今なら、あの真狐相手でも精力負けすることなくひぃひぃ言わせられると確信できる程に、全身に力が漲っている。
 そうとわかれば、一刻も早くへそを曲げているであろう愛娘のご機嫌取りをしてやらねばと、月彦は最低限の着衣を済ませて寝室を出る。すぐにでも飛んで帰りたい――とはいえ、さすがにシャワーくらい浴びて”他の女の匂い”は落としておかねば、真央の機嫌も修復しようがないくらいに悪くなってしまう危険性がある。
(……浴室は一階かな?)
 夜が明け始めているとはいえ、暗い室内は電灯スイッチの場所すらよく解らない。月彦は手探りで階段を探し当てると、これまた手探りで一段一段慎重に降りていく。
「えっ」
 と、思わず声を出してしまったのは、階段を降りきった場所の先。扉の向こうから明かりが漏れていたからだ。
(この先は、確か――)
 そう、調理場だ。しかも、何やら物音までする。”何者か”が居るのは間違いない。或いは泥棒だろうか。月彦は改めて下着しか履いていない自分の姿を見、一瞬の逡巡の後、意を決して調理場へと通じるドアのノブを掴んだ。
「誰だ!」
 突然の罵声に”不審者”がひるんだ隙に一撃を加えて制圧する――という月彦のプランは、ビクッ、と身構えたまさかの人影に、たちまち霧散した。



「……月彦さま、脅かさないでくださいまし」
「あ、やめ……さん?」
 ドアを開けるや否や飛びかかり様に一撃――のつもりだった月彦はおっとっととばかりに前のめりに転びそうになるも、辛うじて踏みとどまった。顔を上げて改めてまじまじと見る。典型的な猫耳メイドであるその姿は、どう見ても保科菖蒲そのヒトにしか見えない。
「なんでまた……こんな時間に」
 月彦はちらりと時計を見る。時刻は六時を過ぎたばかり。”出勤”にしては、あまりにも早すぎる。
「何故、とは心外で御座います。わたくしは昨夜より――いえ、正確には白耀さまと月彦さまがお出かけになられてからずっとこちらに居りました」
「えっ……」
「足りない調理器具や食材の買い足し。それに食材の仕込み等など、開店前にやることは山ほど御座います。それこそ、わたくし一人では朝までかかっても終わらないほどに」
「ご、ごめん……そんなにたくさんやることがあったなんて知らなくて……今からでも手伝うよ」
 慌てて切り出す――が、菖蒲は静かに瞼を閉じるとそのまま小さく首を振った。
「今更、で御座います。作業の方も現状で出来ることはあらかた終わって、わたくしもそろそろお暇しようと思っておりました」
 徹夜で準備をして、ここからさらに働く気はない――冷静な従者の仮面の裏にはっきりと不満の色を臭わせた菖蒲にじとりと睨まれて、月彦はうぐと唸ることしか出来ない。
「そ、そっか……ごめん、菖蒲さんばっかり働かせちゃって。この埋め合わせは今度、何か別の形でするからさ」
「左様で御座いますか」
 ぷいと、菖蒲が露骨にそっぽを向いてしまう。どうやら、自分が思っている以上に菖蒲の機嫌を損ねてしまったらしい――帰宅するなり真央とわからせックスを楽しもうと思っていた興奮も何処へやら。しゅーんと肩を落とした月彦の耳にちりんと。
 鈴の音が、聞こえた。
「……それよりも、いかがなさるおつもりですか?」
 溜息交じりのような、菖蒲の声に月彦は俄に顔を上げる。菖蒲は無言で、その白い手袋に包まれた右手の指で、天井を指した。
「え……っと……」
「しほり様に歴とした夫が居られることは、月彦さまもご存じだと記憶しておりましたが?」
「うっ……」
 菖蒲の刺すような目線に、月彦はごまかしの類いはもはや無駄であると悟った。昨夜ずっと階下で作業をしていたのであれば、二階で何が行われていたかなど筒抜けに違いなかった。
「全ての責が月彦さまにある――等とは思っておりません。ですが、”一夜の戯れ”では済まされないことを、しっかりと自覚しておられますか?」
 が、ここに至って月彦は菖蒲に責められながらも、ある種の驚きを隠せなかった。そう、他ならぬ菖蒲に、そのような一般人的な倫理観があるということに。
「妖牛族というのはしほり様を見れば解って頂ける様に、争いを好まないとても温和な種族なので御座います。しかし、一度怒らせれば――」
「お、怒らせれば……?」
「…………妖牛族の男は、女のさらに数倍の膂力を持つそうです。わたくしが聞いた話では、妻の密通を知った夫は怒りの余り忘我状態となり、相手の男の四肢をそれこそ虫の羽でももぐように容易く引きちぎったとか」
 不意に、ずきりと――両腕が痛み、月彦は視線を落とす。そこにははっきりと、しほりに掴まれた時の腕の後が、紫色の痣となって残って居た。
「…………しほり様は、桜舜院さまの知己でもあらせられます。その桜舜院さまより、しほりさまの力となるように仰せつかった手前、此度のことは桜舜院さまにも報告せざるを得ません。当然、しほり様の夫へも、話が行くことで御座いましょう」
「なっ……ちょ、ま、待ってくれ菖蒲さん! ほ、報告って、そんなことされたら……」
「はい。誠に遺憾ではございますが、しほり様にとっても……そして月彦さまにとっても、非常に不利益な結果になるかと存じます」
 ふっ、と。菖蒲が目を伏せる。そう、まるで紺崎月彦の死刑が既に確定し、その死を哀れんでいるかのように。
 りんっ、と。菖蒲の背後で鈴が鳴り、月彦はついその音の方を目で追った。菖蒲の尾の先についたリボンと、鈴。神妙な顔の菖蒲の背で、尾だけが別の生き物の様にうねり、りんっ、と。
 また音が鳴る。
「本当に、わたくしとしても大変心苦しいことでございます」
 ちらりと。
 菖蒲が上目遣いに月彦を見る。まるで何かの合図のようなそれに、月彦もさすがに違和感を覚える。
 まさか、と思う。
「しほり様とは、今後も良好な関係を続けていけると思っていた矢先に、まさかこのような……」
 ちらっ、ちらっ。
 早く気づけ、ほら気づけと言わんばかりの、菖蒲のチラ見に、月彦は漸く確信を持つ。
 そういうことかと。
「……”菖蒲”は、どうしても春菜さんに、今夜のことをチクる気なのか?」
「むしろ、”報告をしない”という選択肢がございません」
 りんっ。
 冷徹無表情。まるで機械人形のように感情の無い、キリッとした顔立ちの向こうで、その尾だけが期待にうねり、りんりんと鈴を鳴らしている。そのギャップがおかしくて、月彦はつい口の端を歪めてしまう。
「……言い忘れておりましたが、月彦さまがやんごとない事情で帰宅できない旨については、昨夜のうちに葛葉さまに連絡させて頂きました。知人のお店の開店準備の手伝いでどうしても人手が足りず、或いは”日曜日の夜までかかるかもしれない”と」
 おやおやと、月彦は思わざるを得ない。葛葉に無用の心配をかけなくて済んだのはありがたいが、しっかり”自分の利益”まで見越して布石を打っていたとは。さすが猫は自分の利益については目ざとく計算高いものだ。
(……不倫は見過ごせないとか、らしくないと思ったんだ)
 それもすべて、口止め料を高く見積もる為の布石だったということか。従者を気取りながらも、その強欲さが可愛らしくすら思え、月彦は口元を歪める。
「そうか、菖蒲は本当に良く出来た従者だな」
 笑顔。それこそ、見る者が見れば尤も警戒すべき――悪人が敵を油断させる為だけに使うようなそれを浮かべて、月彦は菖蒲に歩み寄る。もちろん、その笑顔が意味するところなど、菖蒲にも解りきっているだろうに、逃げたりもしない。
 何故なら。
「…………そんなに”口止め料”が欲しいのか?」
 その猫耳に生えた白い毛に唇が触れるほどに寄せて、囁く。微かに身じろぎした菖蒲の唇から、抑えた吐息が漏れた。月彦の手が伸び、メイド服のスカートの上から、その尻肉を掴む。
「ぁっ、ゃっ……止めて、下さいまし……!」
「何を止めて欲しいんだ?」
 俺には解っているぞと言わんばかりに、月彦は尻肉を乱暴に揉みしだく。不満そうな物言いも、つんとした態度も全てが演技。作業をしていた等大嘘で、本当はこっそり聞き耳を立て、体は疼いて堪らなくなっている事。このスカートの下では、既に下着が濡れそぼる程に興奮している事も、全てバレているぞと。
「ほら、どうした菖蒲。欲しいものを言え。俺はお前の口を塞ぐために、お前が欲しいものを与えないといけないんだ。どうして欲しいんだ?」
「ぁぅ……はっ……ぁっ……わたくしが、欲しい、もの、は――……」


 そして月彦は、無事菖蒲への”口止め料”を払うことに成功したが、代わりに愛娘の機嫌を直すことに失敗したのだった。

 

 

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