気がつくと、夜の街を走っていた。
 肉体的な限界で走れなくなるまで走り続け、そうなって漸く、真央は足を止めた。呼吸を整えながら肩を抱き、身震いをする。両足が震えているのは走った疲れによるものではない、頭の芯に残った甘い痺れのせいだ。
「っっっっはぁァ……〜〜〜〜〜ッッッッ!!!!!」
 真央は肩を抱き、ぶるりと震える。全身が火照り、胸は高鳴りっぱなしだった。
 真央は思い出す。露出した肌に突き刺さる無数の視線。不特定多数の――特に男の――視線を一身に集める、優越感にも似た快楽。牝として自分が優れていることを本能で感じることが、痺れるほどに心地良い。
(もっと……もっと……感じたい……)
 ビルとビルの隙間に身を潜め、真央は自分の体を撫でながら身もだえする。この快楽を、もっと感じる方法は無いかと。そしてそれは、当然の結論へとたどり着く。
(下着も……とっちゃえば……)
 全てを取り去り、そして先ほどの場所――駅前へと戻れば、一体どれほどの快感を得られることだろう。下着姿でさえ、あわや失神しかけたのだ。
 ましてや全裸なら――。
「はぁ……ンっ…………」
 想像しただけで、甘い声が漏れる。胸の頂を、みだらな蜜に濡れた恥毛すらも。妄想だけで、下腹から甘い痺れが電撃のように全身を貫き、どこまでも快楽に貪欲なその体は徐々に、“ただ夢想するだけ”では物足りなくなる。
(だけど……ダメ……さすがに、全部脱ぐなんて……)
 さながら、パンドラの箱の中に最後に残った希望のように。真央の中に残ったひとかけらの理性が、それだけはダメだと両手を広げて制止の声を張り上げる。
(あぁ……でも……でも…………でも……!)
 感じてみたい――その誘惑に、真央は次第に抗えなくなる。衆目の前で堅くしこった乳首を。広げた足の奥、男を求めてヒクつく粘膜すらも見られた時、どれほどの快楽がこの身を貫くのか――。
(そんなコト……絶対、だめ…………父さまに、叱られちゃう……)
 体が疼く。疼いて、疼いて、疼いて、どうにも我慢出来ない。今にもブラを外してしまいそうに痙攣する自分の手を、真央は最愛の父親の顔を思い浮かべることで、何とか堪えていた。
(でも――)
 そんな真央の心を、黒い刃が刺し貫く。
(先に約束を破ったのは……父さまだ)
 父のために、“良い子”であろうとする真央の最後の理性が脆くも崩れ去った瞬間だった。真央はブラを、そしてショーツを脱ぎ捨て。
 震える足で、ビルの合間から歩き出した。


 


 
 

 

 

 

 

『キツネツキ』

第五十九話

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 



「真央、今度の日曜は久々にデートでもするか」
 木曜日の夜、なにやら随分と厄介な宿題が出たとかで、月彦は帰ってくるなりずっと机にかじりついていた。宿題の邪魔をするわけにもいかず、真央は仕方なく一人でゲームに興じていた矢先のことだった。
「うん! 父さま、どこに行くの?」
 青天の霹靂。気がついた時には、ポーズもかけずに真央はコントローラを放り出し、椅子の背もたれに飛びつくようにして尻尾をぶんぶん振っていた。
「そうだな、どこがいいかな。真央はどこに行きたい?」
 父さまと一緒ならどこでもいいよ!――と素直に答えれば、父親が窮するということを真央は知っている。とはいえ、一緒なら本当にどこでもいいのだから、一つに絞るというのもすぐには出来なかった。
「うーん……じゃあ、ボーリング行きたい!」
「ボーリングか、わかった。じゃあ日曜は一緒にボーリングしにいくか」
 ついでに由梨ちゃんも誘って3人で行こう――そう月彦が言わなかったことが、真央は少しだけ嬉しかった。もちろん由梨子と三人で遊ぶのが嫌ということではない。嫌ではないが、“今回は二人きりでイチャイチャしたい気分”を月彦が察してくれたことが嬉しかったのだ。
 そう、だから真央も察した。どうして土曜日じゃなくて日曜日なのかとか、そんな野暮な質問は絶対に口にしない。仮にその土曜日がこっそり由梨子との二人きりのデートだとしても、絶対に後をつけたりしないし、そのことで由梨子を詰ったりもしない。もし月曜日の体育の着替え中に由梨子の体にキスマークを見つけたりしても、見てないフリを――
「ま、真央……?」
「あっ……ご、ごめんなさい、父さま…………嬉しくって、つい……」
 ハッと、真央は背後から月彦の首を絞めかけていた両手を慌てて離し、照れ笑いでごまかす。階下から、葛葉の声が聞こえたのはその時だった。
「あっ、義母さまが呼んでる!」
 真央はドアを開けてぴょんと階段近くまで体を覗かせる。
「お風呂湧いたから、早めに入りなさいね」
「はーいっ」
 真央はいつになく元気に返事をし、部屋へと戻る。
「父さま、義母さまがお風呂に入りなさい、って」
「風呂か……もうちょっとで終わりそうだから、真央先に入ってていいぞ」
「えっ、でも……」
「俺もすぐ行くから」
 一緒に入るのは同じことだと説得され、真央は渋々着替えを手に部屋を出ようとして――
「あっ、真央?」
 月彦に呼び止められた。
「父さま?」
「階段を下りる時には注意しろよ?」
「階段に……? どうして? 父さま」
「あっ、いや、うん……なんでだろうな。何となく、今日は特に気をつけたほうがいい気がしたんだ」
 どうやら月彦も、特に理由らしい理由があったわけではないらしい。とにかく気をつけろと言って、再び机に向かってしまった。
(…………父さま、最近ちょっとヘン……)
 というのも、ここ一週間ほどの月彦のカンの良さは真央も知る所だったからだ。天気予報は晴れだと言っているのに、今日は雨が降りそうだからと傘を勧められれば午後から大雨になったり、テレビを見ていても「この芸能人そろそろ何かやらかしそうだな」と呟いた翌日に弟子の芸人を殴打して書類送検されたりと、小さなものを上げれば切りがない。
 が、当の月彦は自分が予知じみたことをしているという自覚はないらしく、あくまで「最近カンが当たるな」程度の認識らしい。しかし当人にその自覚がなくとも、そこまでカンの良い相手に「階段に気をつけろ」と言われれば、ただ事ではないと思うのが普通だ。
(……ゆっくり、降りよう)
 真央は着替えを小脇に挟み、両手で手すりを持ち、慎重に一段ずつ降りていく。幸い、危惧したような不測の事態も起きず、真央は無事階下まで降りる事が出来た。
 ホッと息をつき、脱衣所へと移動する。服を脱ぎ、浴室に入るや全身にたっぷりと湯をかけた後、体と頭を洗う。全身の泡を洗い流し、さあ湯船に入ろうとしたところで、はたと。
(あっ、入浴剤……)
 真央は昨日、葛葉が新しい入浴剤を買ってきたことを思い出し、浴室から体半分出して脱衣所の棚に置いてあったそれを取ろうと手を伸ばす。
(…………そうだ、これなら)
 瞬間、真央は一つの閃きを得た。そう、入浴剤――その手があったかと。
(父さまに、食べ物にこっそり薬入れちゃダメって言われたけど……)
 入浴剤についてはまだ何も言われてはいない。その気になれば、“似たような匂いを出すそっくりなモノ”ならばいくらでも作ることが出来るだろうし、知識が足りない所は、里から持って来た書物を紐解けば補うことは出来る。
(そして、父さまと一緒に入る時に使えば……)
 嗅ぐだけでエロエロな気分になってしまう入浴剤を作ることが出来れば――“その結果”を想像し、真央は肩を抱きながらぶるりと震える。それとも、“遅効性”の方がいいだろうか。入浴時はポカポカと体が温まるだけに留めておいて、湯から上がった後ムラムラと性欲の押さえが効かなくなるほうが“楽しめる”のではないか。“上がる際”に中和剤を入れておけば、葛葉に迷惑がかかる事もない。
(……ケダモノになっちゃった父さまも大好きだけど、必死に我慢しようとしてる父さまも……)
 ぞくんっ――背筋に寒気に似た快楽が走る。暴走する性欲に翻弄されながらも、理性を総動員して耐えようとしている月彦の顔を思い出すだけで肌が上気するのを感じる。「ダメだ、このまま理性を無くしたら、真央に酷いことをしてしまう」――まるで月彦の苦悩がそのまま伝わってくるかのような、あの苦悶の表情。
 思い出すだけで堪らない――真央は手に取った入浴剤の包みを破り、中身を湯船の中へと放り投げる。ボーッと妄想に耽りながら手にとったそれはただの匂い付きの石鹸であり、運の悪いことに湯船に入ろうとした真央は、ピンポイントでその上に足を乗せてしまった。
「あっ」
 すてーんと盛大にすっころんだ真央は後頭部を打ち、そのまま気を失ってしまった。
 


「おいっ、真央! 大丈夫か!?」
「ぁ……父さま……?」
 目を開け、体を起こそうとした瞬間――後頭部に鈍痛が走り、真央は思わず声を上げた。
「いいからじっとしてろ。すぐ母さんを呼んでくるから」
「う、うん……」
 真央は言われた通りに体を寝かせる。後頭部にひやりとした感触があり、見ると氷枕をタオルで包んだものだった。
(ええと……確か……)
 自分が一体どうなったのか、真央は思い出した。浴室で転んでしまったのだ。そしてどうやら葛葉か月彦に助けられ、体にバスタオルを巻かれさらに上から毛布を被せられた状態で、リビングのソファに寝かされていたらしい。
「良かった、気がついたのね。さっきはびっくりしたわよ? お風呂場の方からいきなりものすごい音が聞こえて、見に行ったら真央ちゃんが白目向いてたんですもの」
「ぁ……義母さま……」
「俺もびっくりしたぞ? 何か聞こえたと思ったらいきなり母さんに呼ばれて風呂場に行ったらこれだもんな」
「ご、ごめんなさい……ちょっと、足を滑らせちゃって」
 邪な妄想に耽っていて、うっかり入浴剤と石鹸を間違えて湯船に入れ、しかもそれを踏んで転んでしまった――などとは、とても言えない。真央は羞恥に赤面しながら、毛布を鼻の下まで被る。
「とにかく、もうすこし氷枕で冷やしてたほうがいいわ。そんなに強く打ったわけじゃないみたいだけど、こぶになっちゃってるみたいだから」
「そうだな。真央、一応着替えも持って来てるけど、着替えられるか?」
 そのままじゃ寒いだろ?――苦笑混じりに言われるも、実際は恥ずかしさで体が火照り、熱いくらいだった。

 どうやらたんこぶについては迅速に冷やした甲斐もあって翌朝には“触れば痛いが、触らなければどうもない”くらいの痛みに落ち着いた。もちろん吐き気を催したり、意識が混濁したり、ものが二重に見えたりといった症状が出ることもなく、冷やせば大丈夫という葛葉の見立ては正しかったらしい。
「……真央すまん。階段じゃなくて風呂場に気をつけろって言うべきだったんだな」
「ううん、父さまのせいじゃないよ。私が不注意だっただけだから」
 部屋に戻った後も、月彦はまるで自分のせいで娘を怪我させてしまったと言わんばかりに意気消沈していた。もちろん真央は毛ほどもそんな事は思ってないし、事故の原因も100%自分の不注意によるものだと理解していた。さらに言えば、事故の原因が原因だけに、あまり蒸し返さないで欲しいとすら思っていたが、さすがに月彦にはそんな乙女心は伝わらないらしい。

 結局、“事故”による一番の被害は頭を打った痛みなどではなく「今夜は安静にしてた方がいい」という月彦の言葉から“いつもの日課”を禁じられてしまったことだった。
(……自業自得……自業自得………………)
 隣で寝ている月彦の方に手を伸ばしたくなるのを必死に我慢しながら、真央は悶々と夜を過ごすのだった。
 



 翌朝、浮き立つ心を抑えながらいつものように登校した真央は、教室の前で思わぬ人物の待ち伏せを受けた。

「あーっ、やっと来たバカギツネ! ねーねー聞いて? 昨日ね、ママと一緒にお洋服買いに行ったの! なんでか分かる?」
 真央が呆気にとられて黙っていると、珠裡は勝ち誇った笑みのまま“答え”を口にした。
「明日、ツキヒコとデートするの」
「え……?」
「ママにね、可愛い服いーーーっぱい買ってもらっちゃった。私はね、別にツキヒコとのデートなんて全然楽しみじゃないし、ツキヒコがどうしても私と一緒に行きたいって言うから仕方なく一緒に行ってあげるだけだから、服なんて買わなくていいって言ったんだけど、ママが行くからにはちゃんとした服着ていきなさいって言うから――……って、こら! マオ、ちゃんと聞いてるの!?」
 月彦が、珠裡とデート。一体何故――疑問の答えは、記憶の中にあった。そういえば、珠裡の試験勉強を手伝った際、ご褒美として遊園地に連れて行く約束をしたというような話を、月彦がしていたのを思い出したのだ。
(………………別に、隠さなくていいのに)
 そういう理由だから、土曜日は珠裡と遊園地に行くが、別に珠裡が好きでデートするわけじゃないとはっきり言ってくれればいいのに。無自覚のうちに、不満が顔に滲んでいたのだろう。
 珠裡のニヤけ顔が満面の笑みに変わる事で、真央はそれを自覚した。
「ふぅーん、やっぱり聞いてなかったんだ。ツキヒコ言ってたよ? 私とデートするってマオにバレたらすっごく機嫌悪くなって暴れたりするからこれは絶対内緒だって。マオはすっごく束縛してくるから窮屈で堪らないって」
「………………。」
 父さまがそんなことを言う筈がない――少なくとも、珠裡相手には漏らす筈がないと口にしかけて、黙る。嘘に決まってる珠裡の言葉にいちいち反論すること自体ばからしいからだ。
「ふん。言葉も出ないくらい悔しいの? どーせマオのことだから、ツキヒコに遊園地に連れて行ってもらった事なんてないんでしょ」
 バカギツネと呼ばれるのも不快だが、珠裡にマオと呼び捨てにされるのも同じくらい不快だ。怒りに身を任せたくなる誘惑を感じながらも、真央は堪える。年下の珠裡の安い挑発くらい受け流せばいい。
「…………私も、日曜日に父さまと一緒に遊園地に行くもん」
 そう、挑発など軽く受け流せる――筈だった。しかし気がつくと、真央は珠裡を睨み返しながら張り合っていた。
「何それ。なんでマオがツキヒコと遊園地に行くのよ」
「なんでって……私と父さまは親子だもん」
 珠裡の方こそ、恋人でも何でもないくせに――そんな言葉が喉まで出かかって、飲み込む。まだ多少は「自分のほうが年上なのだから」というブレーキが、真央の中に残っているからだ。
「言っとくけど、ツキヒコは私のことが好きなんだからね。バカギツネのマオとはお情けで一緒に暮らしてるだけなんだから」
「…………っ……」
「ま、真央さん! ちょっと売店行くの付き合ってくれませんか?」
 思わず、“手”が出そうになった所を、飛び込むように現れた由梨子に止められた。
「何よ、負けそうだからって逃げる気?」
 由梨子に腕を引かれながらも、真央は睨み返そうと体を捻ろうとして――さらに由梨子に強く引かれ、失敗した。
「喧嘩になったら、一番悲しむのは先輩です。だから」
 我慢しましょう――由梨子の言葉に、真央は渋々頷く。
「……わかった。ごめんね、由梨ちゃん」
 由梨子に手を引かれ、売店の近くまで来た頃には、真央の頭も冷えていた。確かに由梨子の言う通りなのだ。珠裡の言葉にいちいち腹を立てていてもしょうがないではないか。
(……私の方が、我慢……しなきゃ)
 珠裡の言うことなどデタラメだ。信用には値しない――それは分かっている。分かっているが――。
(…………父さま、どうして言ってくれなかったの?)
 そのことだけが、楔のように真央の心に残り続けた。

 帰宅してからも、真央は悩み続けた。珠裡との件について、月彦に問うべきか否か。
(…………もし、責めてるって勘違いされたら……)
 だから秘密にしてたんだと、月彦に思われるに違いない。別にそういうつもりでなくても、月彦にそう判断されたら同じことだ。
 確かに、日曜日のデートの前日に珠裡ともデートするという話を聞かされれば、いい気持ちはしなかっただろう。ただしそれは抱きしめられてキスの一つもされれば軽くチャラになるくらいの“ちょっとした不満”だ。
「うん? どうしたんだ、真央?」
 思案がよほど顔に出ていたのだろう。夕飯の際にはそんな言葉までかけられた。
「……ううん、なんでもない」
 食卓には葛葉も居る。さすがにこの場で珠裡とのデートについて問うわけにはいかなかった。
 



 が、結局の所葛葉が場に居るか居ないかは関係がないのだということを、真央は自室で月彦と二人きりになった瞬間に思い知った。どうにか“責めている”と勘違いされずに珠裡との事を聞く方法は無いかと考えるも、“そういうつもりで訊いているんじゃない”と強調すればするほどかえって逆にとられる気がして、どうにも切り出せないのだ。
(……いっそ)
 と、真央が最後に思いついた解決策は単純明快。このモヤモヤが完全に消し飛ぶような甘々なエッチをねだることだった。さらに言うなら、結果的に月彦が消耗し、翌日足腰立たぬ程になってくれれば最高なのだが、そればかりは狙って出来ることでもない。
「……父さま」
 入浴が終わり、部屋で月彦と共にゲームに興じること一時間。九時を過ぎたことを横目で確認してから、真央はさりげなく月彦に身を寄せ、“そろそろシたい”とモーションをかける。
「ん? 真央、どうした?」
 甘えるように体を擦りつけると、苦笑混じりの月彦に優しく体を撫でられる。さながら甘えん坊の飼い猫を撫でるようなその手つきに、真央もまた擽ったそうに声を上げながらふざけ半分にじゃれる。
 そう、ただじゃれ合っているだけ。さながら友人以上恋人未満の男女が、ふざけて擽り合っているものの、“決定的な場所”に触れることは互いに遠慮しているような、そんな手つき。
 もちろんそんなじゃれ合いで満足出来る真央ではなく、焦れるように自らパジャマの胸元のボタンを一つ外す。白い果肉が露出し、母譲りの――今にもこぼれ落ちてしまいそうな程にたわわな胸元が、先端ギリギリまで露わになる。
「うぐ」
 という月彦の呻きがなんともおかしく、同時に嬉しくて堪らない。自分の体は、父親を誘惑するに足ると保証してもらったようなものだ。真央はさらに身を寄せ、ほとんど乳を押しつけるようにして月彦を絨毯の上に押し倒してしまう。
「ま、待て……真央、今日は……」
「今日は……?」
 まさか、ダメだとでも言うつもりなのか。
(ひょっとして……)
 明日、珠裡と寝るつもりではないのか。デートならば渋々ながらも我慢出来るが、さすがにそれは許容できない――うずうずと両手が月彦の首へと向かおうとするのを、真央は我慢せねばならなかった。
「…………日曜、デートだろ? “その後”まで我慢したほうがいいんじゃないか?」
「…………でも…………」
 一瞬頷きかけるも思いとどまったのは、素直には賛成出来なかったからだ。
(確か、前にも……)
 後日○○だから、それまで我慢したほうが燃える――そんな事を言われた結果、予想を遙かに超える期間我慢を強いられた経験から、真央は頷けなかったのだ。
 そんな真央の後ろ髪へと、月彦の手が這う。
「……あっ……」
「ほら、まだ痛いだろ? もうちょっと安静にしてたほうがいい」
「……ううん、平気。平気だから……」
 こぶの痛みなどわけはない。行為を始めてしまえば、きっと気にもならなくなる――そう目で訴える。
「平気って言われてもな。…………真央だって“手加減”なんかして欲しくないだろ?」
 一瞬。ほんの一瞬だけ、肉食獣のような目で見据えられて、真央は思わずゾクリと寒気にも似たものを感じた。もちろん、それは恐怖によるものではなく、興奮によるものだ。
「そう、だけど……でも、もしまた……」
 “不測の事態”のせいで、伸びてしまったら――上目遣いに、真央は再度食い下がる。
「…………そんな目をするな、真央。今回はどんなに長くても明後日の夜までだ。それくらい我慢出来るだろ?」
 こぶの位置を避けるように後ろ髪を優しく撫でられ、狐耳をふにふにされ、内耳の白い毛を指先でこちょこちょされ、真央は次第にむすーっとした顔を続けられなくなる。
「あんっ……父さま……」
「……それに、真央は自覚はないかもしれないけどな。………………“焦らされた真央”はもう匂いからしてエロくて、入れた時の絡みつき方も最高で、めちゃくちゃ興奮させられるんだ」
 そして、耳元に囁かれたその言葉がトドメだった。そんなことを言われては、例え十年我慢しろと言われても断ることは出来ない。
「…………ぁ…………ぅん…………わかった…………我慢、する…………でも……」
「分かってる。我慢するのは“明後日の夜”までだ」
「んぅ……絶対だよ? 父さま……絶対に……あんっ」
 息が弾む。耳を愛でられ、さらに胸元から手を滑り込まされ、むにむにと優しく握るように揉まれ、体の方はすっかり準備が出来てしまっている。この状況で“我慢する”のは困難極まりないが、月彦がそれを望むのであれば、我慢するしかない。
「ぁっ、ぁっ……だ、だめぇっ……父さまァ……それ以上、されたら……っ……」
 くすりと、耳元で月彦の笑い声が聞こえ、程なく愛撫の手が止まる。呼吸を整えながら、真央は濡れた目で父親を見上げる。
「父さま……約束、だよ?」
「ああ、約束だ。明後日を楽しみにしてろよ、真央?」
 


 翌朝早くに、月彦は出掛けていった。それはもうさりげなく『ちょっとハガキを出しに郵便局まで行ってくる』とでも言うかのように意味深にハガキを指先に挟んだまま家を出て行った。
 もちろん本当は珠裡とのお出かけだと知っているから、真央も笑顔で送り出した。
(…………私だって、明日は父さまと……)
 行き先こそ違えど、紛れもないデートだ。それも珠裡のような“約束してしまったから仕方なく”などではない。正真正銘、二人きりで楽しむ為のデートだ。
 だから、羨ましくなどない。一日くらい、ちゃんと辛抱して留守番も出来る。
(…………それに、いっぱい焦らされて、ムラムラしてる私とシたいって……)
 昨夜、耳元で甘く囁かれた言葉を思い出して、真央は思わず身震いをする。まるで、たった今耳元で囁かれたかの如く完璧なクオリティで脳内再生されたその言葉に、下着の奥が熱を帯びるのを感じる。
 そう、自覚は無い。自覚はないが、月彦の言うことは恐らく事実なのだろう。だからこそ、何かにつけて月彦は我慢をするように命じ、焦らそうとしてくるのだ。
(…………我慢しなきゃいけないのは、苦しいけど……)
 その苦しさの分、より月彦に喜んでもらえるのなら、苦痛も苦ではない。
(…………我慢、しなきゃ……)
 間違っても、自慰などで発散させてしまってはいけない。この苦しさも、身を焦がすほどの“ムラムラ”も全て体の内側に溜め込み、月彦にぶつけなくてはならないのだから。
(…………父さまが、期待してくれてるんだから……)
 疼く体を抱きしめながら、真央は一人ベッドの上で身悶えする。本当ならば今すぐにでも抱かれたい。それが不可能なら、自慰を始めてしまいたい。体の疼きを体現するかのように両手の指は不自然に反り、掏り合う太ももを止められない。
「はぁ……ンっ……ふぅ…………ふぅ…………ふぅ…………」
 まるで体に火でもつけられたかの様。焦れったくも堪えがたい熱が全身に広がり、渇きにも似た快感への飢えに気が狂いそうになる。
「だ、め……何かで、紛らわさなきゃ……」
 ただ待つだけでは、とても持たない。それこそ正気を失うか、辛抱しきれずに自慰を始めてしまうだろう。
 ここは一つ気を紛らわせる為に勉強でもしようと、真央は机に向かうことにした。もちろん開くのは学校の教科書――ではなく、秘蔵の薬学書の方だ。
(…………“明日”には多分、間に合わないけど)
 そう、先日ちらりと考えたエロエロ入浴剤――それをどんなものにするか。まず興奮剤、これは外せない。理性をトバし、さらに精力を増進させつつ、出来れば凶暴性も高めたい。入浴剤にそれらの効能を持たせることは比較的簡単なのだが、真央の目指すステージはそこではなかった。
(出来れば、父さまだけ……)
 “女”には効かないエロエロ入浴剤――それが真央の理想だった。確かに薬によって興奮させられ、理性を消され、ケダモノのように交わるというのも堪らない。が、それよりなにより自分が今から何をされるのかをきちんと認識した上で襲われたいと真央は思う。
(入浴剤に何か混ぜたな、真央――って、父さまが怒って……それから……)
 普段の月彦なら、理性のある人間ならば絶対にやらないような陵辱を、おしおきという名目で一身に受けたい――真央はぶるりと体を震わせる。月彦に、“女を抱く”のではなく“性欲のはけ口にする”ように扱われたい――そんな歪んだ考えを抱いてしまう自分を、真央は止めることが出来ない。
「………………ぁっ…………」
 キュンと、下腹が疼く。あまりにリアルな妄想を抱いたが為に、体の方が反応してしまったのだ。ことここに至って、真央は自分があまりにも単純なミスを犯してしまったことを認めざるを得なかった。
 そう、高ぶった性欲から気を紛らわす為に、エロエロ入浴剤の効能について思案するという愚――そんなことをすれば、ますます体に火がついてしまうのは当たり前だ。
「ぁっ……ぁっ……」
 僅かに身じろぎしただけで、火照った肌が衣類と擦れ、快感が迸る。むらむらとこみ上げてくる快楽への欲求に必死に抗いながら、真央は深呼吸を繰り返す。
「……あ……ふ…………ぅ…………」
 火照りはなかなか収まらない。再度気を紛らわすために、今度は学校の教科書などを読んでみるも、全く効果が得られない。
(っっ…………だ、め…………これ、もう…………)
 満たされない性欲に、息苦しさにも似たものを感じる。火照った体が、生存に必要な栄養素として“快感”を欲しているかの様に、真央は堪えがたい疼きを抱えてとうとう椅子から転げ落ち、絨毯の上に転がった。
「あっ……ぁっ……!」
 蹲るように体を縮めたかと思えば、次の瞬間には仰け反るように身を伸ばし、絨毯を掻き毟り、身もだえする。尚も我慢を続けようとする真央が、無意識のうちに下着の中へと手を伸ばしてしまうまでに、さほどの時間はかからなかった。
「やぅっ……やっ、……だめ、だめっ…………」
 指先に感じる、とろりとした蜜と粘膜の感触。痺れるような甘い快楽は瞬く間に真央の全身へと伝播し、狂おしいまでの息苦しさが緩和されていく。
「ぁっ……ぁっ……ぁっ…………」
 そして、一度始めてしまえばもう、止まることなど出来ない。暴走する性欲に翻弄されるように、真央がそのまま自慰の虜と化そうとした――その時だった。
「よっ、と。真央ーいるー?」
「か、かあさま!?」
 唐突に窓を開けて入って来た母狐の声に、真央はバネ仕掛けの人形のように体を起こした。
「ど……どうしたの? 母さま…………父さまなら居ないよ?」
 大慌てで乱れた衣類を正しながら絨毯の上に座り直し、真央は愛想笑いをする。はぁはぁと呼吸は乱れ顔は紅潮しっぱなし。不自然なことこの上ない真央の姿に、真狐はやれやれとでも言いたげな苦笑を浮かべる。
「……たくもー、しょうがない子ねえ。一体誰に似たのかしら」
 どうやら、隠し通せなかったらしい。母の言葉に、真央は改めて顔を真っ赤にする。
「悪かったわね、真央。次からちゃーんと“ノック”してあげるから」
「ぅぅぅぅぅ………………」
 恥ずかしさのあまり、とうとう真央は唇を噛んだまま俯いてしまう。そんな真央の頭に、不意にふわさっ……と、何かがかけられた。
「……これは……?」
 真央は頭にかけられたそれを、手にとってまじまじと見る。赤い毛糸で編まれた、そしてえらく年期の入ったマフラーだった。
「面白いモノが捨ててあったから、思わず拾ってきちゃった。あたしは要らないけど、あんたには丁度良い玩具になると思ってね」
「捨て……え?」
 真央は改めて手元のマフラーを見る。まじまじと観察しても、やはり年期の入ったマフラーにしか見えない。
「そういう時はね」
 真狐は苦笑混じりに人差し指を立て、己の鼻を指さした。ハッとして、真央はマフラーに鼻を埋めるようにして匂いを嗅ぐ。
 ……微かに、“妖気”の残り香を感じた。
「ま、見た所大した妖具でもないし。大方どっかの誰かが気まぐれに作ったものが何かの偶然で人間の持ち物に混じっちゃったって所かしら。…………いいからほら、騙されたと思って巻いてみなさい」
 この母親のことであるから、騙されたと思って――といいつつ、本当に騙される可能性も無くは無い。が、そこはそこ、真央は母を信じ、恐る恐るマフラーを首に巻いた。
(あっ……)
 ぽぅ、と。忽ち仄かな暖気に全身が包まれるのを感じる。同時に感じた、微かな脱力感。目を向けると、真狐は真央の問いを察したように頷いた。
「暖かいでしょ? しっかり妖気を通わせれば、もっともっと暖かくもできるわよ? …………服なんかいらないくらいに、ね」
 恐らくは、妖力を吸って熱を放出する、一種の暖房器具なのだろう。見た目は確かに普通のマフラーそのものであるから、真狐の言う通りその価値を知らない者に捨てられたというのも仕方ないのかもしれない。
 ――が。
(…………母さま、いつもそんなことばかりしてるの?)
 この母親が普段一体何をしているのか、真央は詳しくは知らないし、知ろうとも思わなかった。が、もしゴミ捨て場を漁って回っているのだとすれば、少しだけ悲しい気持ちがこみ上げてくるというものだ。
「あ………………ありがとう、母さま。これ、大事にするね」
「元はゴミ捨て場にあった物だし、別に大事にしなくてもいいわよ? ふふっ…………でも真央、これだけは言っておくわ。絶対に“悪いコト”に使っちゃダメよ?」
 お前がそれを言うのか、と。もしこの場に月彦が居たら、食ってかかっている所だろう。が、真央は良い子なので勿論そんな言葉は口にしない。
「うん、分かったよ、母さま。絶対に“悪いコト”に使ったりしない」
 そもそも、暖房機能付きのマフラーを使っての悪事など思いつきもしない。優等生な真央の返事に、真狐は含み笑いを一つ漏らしてくるりと踵を返してその手を自分が入って来た窓へと伸ばす。
 ――が。
「あっ、そうそう。そういえばこないだ読んでた漫画、途中であのバカに邪魔されて続き読めなかったんだっけ」
 その手を不意に止め、鼻歌交じりに本棚に近づくや漫画の単行本の一冊を手に取り、そのままごろりとベッドに寝転がる。
「母さま……?」
「なーに? 真央」
 返事をされて始めて、真央は自分が言うべき言葉が見つからないことに気づいた。
「…………なんでもない」
 ギュッと、折りたたんだマフラーを握りしめる。弾みそうになる息を必死に抑えながら、平生を保つ。
(…………いつもは、父さまが帰ってくるとうるさいからって、すぐ帰っちゃうのに)
 月彦の留守中に真狐がやってくることは珍しくない。殆どは大した用事でもなく、やれタイヤキを買ったから半分あげるだの、外が寒いから暖まりにきただのといったものだ。そして大体“用事”が済むと素っ気ないほどにあっさりと帰ってしまう――それがいつもの流れなのに。
(…………っ…………んぅっ……)
 焦れる。疼く。突然の真狐の登場で僅かに治まったものが、時間の経過と共にむらむらと首を擡げてくるのを感じる。いつものように帰ってくれれば、続きが出来るのにと。母の存在が疎ましくすら感じる。
(いっそ……)
 トイレに行くフリをして、そのままこっそりシてしまおうか。しかしそれはそれで、意地悪く察した真狐にトイレを使わせろと戸を叩かれるような気がして踏み切れない。
(……そっか、ひょっとして、母さま……)
 もしや、分かっててやってるのか。自分の娘がどういう状況なのかを察した上で、意地悪く部屋に居座っているのだ、そうに決まってる。
「ふふ、どうしたの、真央? あたしの顔に何かついてる?」
 気がつくと、真狐はもう漫画などそっちのけでベッドに横になったまま頬杖をついていた。そして真央の責めるような視線すらも楽しむように口元を歪めながら体を起こすや、そのままふわりと着物を踊らせ、舞うように真央の目の前へと身を寄せる。
「か、母さま……?」
「ダメよ、真央。そんな風に“お願いだから早く帰って! 続きをさせてぇ!”って顔されたら、ますますいじわるしたくなっちゃうじゃない」
「ち、違っ……」
 真狐の手が、頬に宛がわれる。そのまま指先が滑るようにして、顎の下を撫でられる。
「違わないでしょ? こんなに体を火照らせて、ムラムラしてるの丸わかりだし。もう月彦じゃあ満足出来なくなっちゃったのかしら?」
「だ、だって……昨日も、その前も……父さまにシてもらえなかった、から……」
「から?」
「だからっ…………ひぅっ……か、母さま……!?」
 顎を撫でていた手が再び頬へ、後ろ髪へ。いつしかそれは愛撫へと変わっていることに真央が気づいた時には、れろりと頬を舐められていた。
「ぁっ、ぁっ……あっ、んっ……!」
 次は、部屋着のシャツの上から胸を触られる。下着をつけたままであるのがもどかしいと感じるのは、既に真狐の手から与えられる快楽の虜となりつつある証拠だった。
「あっ、やっ……み、耳っ…………あぁぁぁぁぁぁっっっ…………!」
 内耳の白く細い毛をちろちろと舌先で弄ばれ、真央は背筋を迸る快感に身震いする。ただでさえ快感に飢えた体は、母狐からの的確すぎる愛撫の前に声を抑えることが出来なかった。
「くす。……ほら、真央……どうして欲しいの? ちゃんと“おねだり”しないと、続きはシてあげないわよ?」
「ぁ…………そん、な……続き、なんて…………」
 明日の夜まで我慢をする――月彦とそう約束をした。自慰すら、それに抵触すると真央は思っていた。
 でも――。
「んぁっ……んぷっ……!」
 渋る真央をいたぶるように、真狐の指がにゅぷりと唇を割って侵入する。唾液まみれの中指と人差し指をゆっくり抜き差しされると、それだけで真央は頭の芯が痺れるように何も考えられなくなる。
「あらあら、指フェラだけでそんなエロい顔になっちゃうなんて。…………普段よっぽど父さまのをしゃぶらされてるのね。もう完全に“調教済み”って感じ?」
 嘲るような母の言葉に恥じ入るよりも、その指をしゃぶることに夢中になってしまう。れろり、れろりと舌を這わせ、自ら頭を前後させて。そう、真狐が言った通り、“しゃぶらされた時”により月彦に感じてもらえるよう、体が調教されているのだ。
「わぁっ、すっごい吸い付き。こんな風にしゃぶられたらあのバカ、あへあへになって腰砕けになっちゃうわね。ったくもぉ……ヒトの娘になんてこと仕込んでくれてるのかしら」
 怒っているようで、その実ニヤついているような、真狐の呟き。ついと唐突に指が抜かれ、ちゅぽんと音を立てて唾液の糸が伸びる。
「あんっ……母さまぁっ……」
「ダメよ、真央。ちゃんとおねだりしないと、続きはナシ」
「ぁぅ…………」
 喉まで“おねだり”が出かかるも、真央はからくも飲み込む。確かにこのまま母の手に体を委ねれば、それこそ自慰の何倍――或いは何十倍の快楽に溺れることが出来るかもしれない。
 しかし、それでは月彦との約束を違えることになってしまう。少なくともそれは“自慰”よりも明らかな“裏切り”だと、真央は判断する。
「……ふぅん?」
 目聡い母親は、そんな娘の決意を表情を見ただけで読み取ったのだろう。口元を歪めたまま真央の腕を引いて抱き寄せるや、まるで包み込むように背後からその体を絡め取ってしまう。
「なるほど、ね。あんたなりに、あのバカに操を立ててるってワケ?」
「ご、ごめんなさい……母さま…………」
「別に謝ることはないのよ? あたしは怒ってなんかないし、むしろ嬉しいくらいなんだから」
 だって――耳元で囁くように言葉を続けながら、真狐は真央を抱きしめている両手を、もぞりと服の下へと潜らせる。
「そんなあんたに、“やっぱり母さまのほうが良い”って言わせる楽しみが出来たんだから」
「っ……!? そんっ……んふッ……」
 藻掻こうとした体が、キス一つで封じられる。まるで麻痺毒でも打ち込まれたかのように抵抗が出来なくなった体を、真狐の両手が這い回り――
「んんんっ…………ンンーーーーーーッ!!!」
 真狐の腕の中で、真央は電気ショックでも受けたかのように体を跳ねさせる。その両手は服の下で巧みに真央の弱い場所を刺激し、腰砕けにさせていく。
(あっ、あっ…………あァァ!)
 娘の弱いツボなど知り尽くしているような指の動きに、真央の体は理性という本丸だけを残して、支城のことごとくが陥落してしまう。もはやろくに抵抗すら出来ないほどに快楽の虜となりつつも、自分から求めることはしないというのが、真央に出来る最後の“抵抗”だった。
「んぁ……はぁっ……はぁっ…………やっ、母さまっ……やめっ……」
「くす。“ココ”はもうこんなにトロトロになっちゃってるのに、素直じゃないんだから。ほらほら、母さまがしっかり聞いててあげるから、可愛い声でいっぱい鳴きなさい」
「っっ……やっ……違っ……あっ、あんっ!」
「何が違うの? ほら、ヒクヒク、ヒクヒクッて、あたしの指にこんなに絡みつかせて、一体何が“違う”のか、母さまにちゃんと説明しなさい」
「ぅぅぅ……」
 下着の中へと伸びた真狐の手を握りながら、真央は顔を真っ赤に俯くことしかできない。目尻に滲んだ羞恥の涙を、母狐は愉悦の笑みと共に、舌先で掬い取る。
「ふふっ、ホントすっごい締め付け。コレじゃあ、あのバカが真央、真央って夢中になって腰振っちゃうのも納得ね。イヤ、イヤって嫌がるフリしながら“ココ”で毎日毎晩、たっぷり父さまの濃いの搾り取ってるんでしょ?」
 悪い娘ねぇ――意地悪く囁かれる真狐の言葉から逃げるように、真央は狐耳を伏せ、イヤイヤと首を振る。が、意地悪な母は娘のそんな姿を見ても、心を痛めたりはしない。
 むしろ、嬉々と目を輝かせ、舌なめずりすらしてみせる。
「ほらほら、自分が女子高生離れしたエロい体をしてるって、ちゃんと自覚してるの? 胸までこんなに育っちゃって、男共にガン見されてるのあんただって気づいてるでしょ? きっと学校の男子達はみんな毎晩あんたをオカズにしてるわよ?」
 むにっ、ぐにいっ。ブラのホックを外され、服の中で力任せに揉み捏ねられる。それも、同じ事を月彦にされるよりもより絶妙な力加減だった。そう、真狐自身、自分がもっとも“良い”と感じる力加減を娘にも味わわせているかのように。
「あっ、あっ……だめっ……母さまっ……あぁぁっ……!」
「“父さまより良い”って言えたら、止めてあげるけど?」
「そん、な……ぁっ……あひぃんッ!」
 キュッと、唐突に敏感な突起を摘み上げられ、真央はビクンと体を跳ねさせ、イく。
「ほらほら、こうされるの弱いでしょ?」
「あっ、やっ……擦らなっっひぁあッ! やっ……ひンッ!」
「そしてぇ、耳も……あむっ」
「あァァッ! やぁっ……耳っっ…………やめっ、れろれろってしないでぇ……!」
「そう? じゃあ止めてあげる」
「ぁっ……止めなっ……」
「止めな……?」
「…………っっっ…………」
 真央はハッと口を噤み、母の視界から逃れようとするかのように顔を背ける――“振動”を感じたのは、その時だった。


「ぁ……携帯が……」
「携帯?」
 真央は部屋着のスカートのポケットへと手を入れ、携帯電話を取り出す。画面には、公衆電話からの着信が表示されていた。
 ちらりと、真央は真狐の顔色を伺う。
「出れば?」
 相変わらずの、意地悪笑み。幸い、愛撫の手は止まっている。真央は通話ボタンを押した。
『真央か!?』
「と、父さま!?」
 普段ならばきっと、“公衆電話”の表示だけで、月彦からの着信であると気づけただろう。しかし今はタイミングがタイミングなだけに、真央は純粋に驚いた。
『すまん、真央。珠裡がヤバいことになった。しばらく帰れないかもしれん』
「珠裡ちゃんが……? 父さま、何があったの?」
『いや、えーと……その、なんだ……実は今日は珠裡と遊園地に来てたんだが……ミラーハウスに入ったらいきなり鏡の中から手が出て来て珠裡が――……あぁ、まみさん! こっちです! とにかく、しばらく帰れないって、母さんに伝えてくれ! 頼んだぞ!』
「待って! 父さま、一体どういう――」
 ぶつん、と。通話が一方的に切られる。真央はしばし呆然と、携帯を握りしめたまま惚けていた。
「か、母さま……」
 どうしよう――そんな問いかけを込めて、背後の真狐を振り返った真央が見たものは。
 これ以上ないという程に、楽しそうに両目を輝かせた、母の顔だった。
「悪いわね、真央。久しぶりにたっぷり可愛がってあげようと思ってたけど、母さま急用が出来ちゃった」
 ついと真狐が離れ、立ち上がる。今にも飛び出していきそうな雰囲気の真狐に、真央は殆ど縋り付くように言った。
「ま、待って……母さま! 今の話だけで何があったか分かったの!?」
「んー、まぁ、要領は得なかったけど厄介事があったのは間違いなさそうね。しかもあのデブ女も絡むとなれば、ここは一つ邪魔……もとい、嫌がらせ――じゃなかった、手助けしてやんなきゃ」
 ふっさりとした尻尾が、ワクワクする心に踊らされるように激しくうねる。それだけでもう、真央には母の本音が透けて見えるようだった。
「そゆわけだから、ちゃんと良い子でお留守番してるのよ? それから、さっきあげたマフラー。くれぐれも悪いことに使っちゃダメだからね?」
「待って、母さま! 私も――」
 連れて行って――その言葉は、真狐が飛び出していった窓から吹き込む寒風にかき消されてしまった。
「そんな……母さま……父さま……」
 突然の事に、真央は目眩すら覚えた。鬱陶しいほどに火照りきっていた肌は窓から吹き込む寒風に冷やされ、狂おしいほどだった肉欲が急速にしぼむのを感じる。
「…………明日はデートだって……絶対の絶対に約束だって……父さま……言ってたのに……」
 真央は混乱の最中にあった。最中にあったが、ただ一つだけはっきりと分かることがあった。それはまたしても妖狸に邪魔をされたという、唯一無二の事実だった。



 月曜日の朝を、真央はこれ以上無いという程に暗澹たる気持ちで迎えた。ちなみに本来ならば月彦とのイチャラブデート&イチャラブエッチに費やされる筈だった日曜日は殆どふて寝をして過ごした。
 そう、月彦は戻ってはこなかった。約束は守られなかったのだ。
「しょうがない子ねぇ。出席日数は大丈夫なのかしら」
 二人きりの朝食の際、葛葉はそんな愚痴ともつかない言葉を漏らしていた。真央が言った「同じクラスの珠裡ちゃんと一緒に遊園地に出掛けて、“何か”があってしばらく帰れなくなったらしい」という説明だけで息子の失踪に納得し、「しょうがない子ねえ」の一言で済ませる母親はひょっとしたら日本中捜しても葛葉一人かもしれない。
 着替えを済ませて家を出ると、いつになく強い北風が頬を撫でる。そういえばと、真央は一端自室へと戻り、先日真狐からもらった赤いマフラーを巻いて改めて外に出た。
(……寒くない)
 脱力感を覚えるのは、マフラーに妖力を吸われている為だ。とはいえ微々たるもので、例えるなら体に数百グラム程度の重りをつけたくらいのものだ。ちょっと重いカイロをつけているのだと思えば、さしたる苦にもならない。
(…………いいの、もらっちゃった)
 鬱々とした気分が、僅かながらに晴れる。捨てられていたマフラーというのが少々引っかかるが、盗んできたと言われるよりは遙かにマシだ。
(…………もうちょっと“強く”しよう)
 マフラーの暖気で体を包んで尚、寒いと感じる。そういえばテレビのニュースで昨夜からしばらくの間冷え込むというようなことを言っていたのを真央は思い出していた。見れば、はらはらと雪まで舞っている。
「……きゃっ……!?」
 灰色の空を見上げながら歩いていた真央は、突如背後からの衝撃に思わず転びそうになった。よろけながらも体勢を整え、振り返ると同じく体勢を崩している背広姿のサラリーマンが不可思議そうに書類鞄を抱え、走り去っていくのが見えた。
(…………一言謝ってくれてもいいのに)
 ぶつけられた肩がまだ痛む。真央はむすっとした顔をマフラーに埋めて歩き出す。悪いことは重なるもので、決して長いとは言えない通学路で真央はさらに二度、三度と体をぶつけられ、ただの一度も謝罪をされなかった。
 いらいらを募らせながらも歩き続け、校門近くになってマスクをつけた由梨子の姿を見るなり真央は右手を振って声を上げた。
「由梨ちゃん、おはよう!」
 今日は朝からツイていないと。そもそも土曜からしてツイていないと、由梨子に話を聞いてもらえば、少しは気持ちが楽になるかもしれない。――が、どういうわけか由梨子からの返事は無く、それどころか真央の方を見もしない。親友からの完全無視に、真央は思わず上げた右手をそのままに固まってしまった。
 由梨子との距離は二十メートルもない。車道を車が行き交ってはいるが、声が届かなかったとは思えない。
 それなら、どうして――不安と困惑の渦に飲まれる真央の背を、追い打ちが襲ったのはその時だった。
「痛ってぇ………………???」
 ぶつかったのは制服姿の男子だった。またしてもそれまでの例と同じく、不審そうに周りを見ながら、足早に校門へと走り去っていく。
 まさかと。真央は事ここに至って事態の真相に漸くたどり着いた。そう、このマフラーは“暖房器具”などでは無く――。
「ま、真央さん!? いつからそこに居たんですか!?」
 側に歩み寄り、マフラーへ通わせていた妖力をシャットアウトするや由梨子がギョッとした声を上げた。
「…………そっか。そういうことだったんだ」
 予想は正しかった。だから「悪いことに使っちゃダメ」と言われたのだ。
「驚かせてごめんね、由梨ちゃん」
「いえ……確かに、驚きましたけど…………」
「後でちゃんと説明するね。とにかく教室に行こ? ここは寒いから」
 なまじ“暖房”つきで歩いてきた分、それがなくなると普段の何倍も寒さが堪えた。真央は由梨子の手をとり、教室へと急いだ。



 どうやら風邪が流行っているらしい。真央のクラスでも五人が欠席しており、その中の一人が珠裡だった。
(……誰が“届け”を出したんだろう)
 と、真央はHRを受けながらふと、そんな事を思った。土曜日に珠裡が失踪(?)し、月彦がおそらくまみに連絡し、共に捜索に出掛けたのだとすれば、学校に珠裡の病欠を連絡する者など居ない筈だ。事前にまみが届け出を出していたのだろうか。それともまみは一足先に帰って来ているのか――。
(…………どうでもいい)
 不意に考えるのが面倒になって、真央はそこで思考を打ち切った。妖狸の安否などどうでもいい。言い換えれば、月彦さえ無事戻って来てくれるのならば二匹の狸はどこかで野垂れ死んでくれてても一向に構わないとさえ思った。そう考えてしまう自分は酷いと、真央自身思う。ひょっとしたら自覚している以上に、珠裡には怨みが募っているのかもしれない。
(だって……)
 珠裡に邪魔をされるのは、今回が初めてではない。そもそも、出会いの印象からして最悪だった。月彦はどうやら珠裡と仲良くなって欲しいと願っている節があるが、真央の見る限り珠裡のほうにはそんな気はさらさら無いのでは仲良くしようもない。

「そう、ですか……先輩が珠裡さんと……」
 昼休み、真央は暖房の効いた教室内で由梨子と共に昼食をとっていた。さすがに外で食べるには寒すぎるし、何よりも由梨子が風邪気味というのが決定的だった。
「珠裡ちゃんの家庭教師をした時に、遊園地につれていってあげる約束をしたから、だから仕方なかったみたい」
 本当は珠裡なんかを連れて行くのは月彦も不本意だった――そう言わんばかりの言い方だった。由梨子は一瞬困った様に表情を曇らせ、すぐに笑顔に戻った。
「でも、珠裡さんのお母さんも一緒なら、きっと無事に戻って来ますよ。確か、すっごくいい人なんですよね?」
「………………。」
 真央は無言で、渋々ながらも頷いた。由梨子の言葉を否定することは、月彦の無事帰還という願いを否定することにもなるからだ。
(…………でも、母さまがちょっかい出しに行っちゃったから……)
 母、真狐のことを考えると、真央は複雑な気持ちになる。あの様子では間違い無く、現場で妖狸と対立し、ひょっとしたら月彦の帰還はさらに遅れるかもしれない。
(……それに……私が母さまに喋ったって、父さまに勘違いされるかもしれない)
 とはいえ、それに関して言えば“おいしい誤解”だとも言える。冤罪とはいえ、“おしおきのネタ”が増えることにもなるからだ。
 ただ、本音としてはやはり、あまりちょっかいは出して欲しくない。出来ればまみと協力して、一分一秒でも早く月彦が帰れるようにしてくれるのが最高なのだが、母の性格を考えれば考えるほどそれは絶望的だと思わざるを得ない。
「ぁ……っと…………そ、そういえば真狐さんにもらったっていうそのマフラー! すごいですね、暖かくなるマフラーだなんて……私は寒がりですから、すっごく羨ましいです」
「でも、これを使うと……周りから見えなくなっちゃうんだよ? それに多分、声とかも……」
「確かに外で使うのはちょっと危ないですね。でも、一人で部屋に居るときとかだったらいいじゃないですか」
「そうだね」
 由梨子の言葉に相づちを打ったものの、室内に居る時に限ればさほど寒さが苦にならない真央としては、そういう目的で使うことはないだろうなと思う。
(…………多分、暖かくなるのは“副作用”なんだ)
 マフラーの本来の機能は透明化――声も聞こえなくなるらしいから、正確には透明化だけではないが――で、その際の副作用として周囲を暖気してしまうのではないか。或いはそんな“失敗作”だから捨てられていたのかもしれない。
(…………母さまは悪いことに使っちゃダメって言ったけど……)
 確かにこのマフラーの透明化機能を使えば、悪事は働き放題だろう。逆を言えば、悪事に使わなければその使用法は著しく限られることになる。
(…………“使え”ってことなのかな)
 “悪いこと”に――母の性格を考えれば考えるほどに、そう促している気がしてならない。しかしそれは月彦の教えとは真逆の選択だ。もし母の勧めに従って悪事に手を染めれば、叱られるだけでは済まないかもしれない。
(………………でも、先に約束を破ったのは…………父さまだ)
 悪事の誘惑に乗ってはいけないと。側で戒めてくれない月彦が悪い――真央はそう考え始めていた。


 どうやら“暖気マフラー”は由梨子にとってよほど魅力的な代物に見えるらしい。放課後、マフラーの機能を詳しく調べようと提案したのは由梨子の方で、人気の無い空き教室へと移動をして様々な実験を行った。
「………………どうですか、真央さん。やっぱりダメですか?」
「うん。はっきり見えるよ、由梨ちゃん」
「ほんの少し薄くなってるとか、そういうことも……」
 真央は無言で首を振る。
「そう、ですか…………やっぱり、私には使えないんですね」
 由梨子がマフラーを外し、返してくる。もし自分にも使えるなら使いたい――ということなのだろう。消えたいわけではなく、由梨子が引かれるのは“暖かくなる”という機能の方だというのは明白だった。どうやら真央が思っている以上に、由梨子にとって冬という季節は過ごしにくいものらしい。
(……とりあえず、分かったことは――)
 マフラーに妖力を通せば、姿が見えなくなる。そして声も聞こえなくなる。ただし放出する妖力を抑えればその効果も弱まる。ここで最も重要なのは、マフラーの力は“物理的に見えなくなるわけではない”ということだった。つまり“姿を消す”のではなく、あくまで“気づかれにくくなる”というだけの代物。だけ、とは言ったが、少なくとも由梨子の言を信じるならばある程度以上の妖力をマフラーへと通わせれば、よほど注意して真央を認識し続けようとしても見失ってしまうとの事だった。具体的にどのように“消える”のか、客観的に見ることが出来ればいいのだが、由梨子には使えない以上、真央自身がその状態を観測することは出来ない。
 とにもかくにも、由梨子との実験を通して真央は確信した。このマフラー、平和利用をしようとすれば、それこそ室内でストーブ代わりに暖気を発散させるくらいしかない――と。

「じゃあね、由梨ちゃん」
「はい。真央さんも気をつけて…………先輩、早く帰ってくるといいですね」
「…………うん」
 由梨ちゃんも風邪に気をつけて――そう言おうとした唇の動きが、止まる。“実験”のせいで疲労が溜まっているのか、そんな何気ない気遣いの一言すらひどく億劫に思えてしまったのだ。
 真央は、唇を噛んで首を振る。
「…………由梨ちゃんも風邪気をつけてね」
 何が億劫なものか。由梨子は大事な親友だ。真央は怠惰な己の心を叱咤し、改めて言った。
「はい。………………あっ、真央さん!」
 別れて、アパートへの道を歩き出そうとした由梨子がハッと思い出したように足を止め、振り返った。
「あの、もし今度真狐さんに会ったら……」
「母さまに会ったら……?」
「………………あっ、いえ…………やっぱり、何でもないです。忘れて下さい」
 由梨子は首を振り「また明日学校で」と早口に言って殆ど逃げるように走り去っていった。由梨子は途中で止めてしまったが、真央には親友が何を言おうとしたのか何となく分かる気がした。
(多分……由梨ちゃんは……)
 自分でも使えるようなマフラーが無いか訊いてみて欲しい――由梨子はそう言いたかったのではないだろうか。今日一日だけで、由梨子がどれだけ寒がりで、ホカホカと暖気を発するマフラーを欲しているか。側で見ていた真央には痛い程に分かった。
(…………由梨ちゃん、もうちょっと太った方がいいんじゃないかな)
 由梨子が寒がりなのは、その皮下脂肪の少なさも関係しているのではないだろうか。ほどよく太れる薬を作れば由梨子に喜んでもらえるかもしれない。
 そんなことを考えながら、真央は一人帰路に就いた。


 火曜日になり、そして水曜日になっても、月彦は帰ってこなかった。相変わらず風邪が流行っているらしく、クラスの欠席者は七人に増え、その中には由梨子も含まれていた。携帯で放課後見舞いに行く旨を打診すると、意外にも由梨子は固辞した。「真央さんに伝染すといけないですから」「大丈夫、明日にはきっと治りますから」――あまりにも見舞いを由梨子が嫌がるものだから、ひょっとしたら月彦が帰ってこないのは由梨子の部屋で監禁されているからなのではという邪推までしてしまった程だ。
 結局、見舞いをすることがかえって由梨子の負担になってはいけないと、真央は大人しく帰ることにした。が、一人で帰ったところで何をする予定もない。寒々とした部屋でベッドに座り、呆然と惚けることしか出来ない。
 月彦の行方を探ろうという試みは、全て失敗した。遠視の術は月彦の気配すら捉えることが出来ず、かといって真狐に連絡を取ろうとしてもこれも失敗に終わった。ひょっとしたら、このまま二度と月彦に会えないのではないか――そんな漠然とした不安が、心の内側で徐々に体積を増していく。
 心に満ちる、灰色の霧のような不安。それらは妖狸に対する怒りの炎と混ざり合い、真央は己の内側がどす黒いもので満たされていくのを感じる。
(…………約束、したのに)
 唇を噛む。日曜日にはデートだと、今度は絶対だと約束したのに。もちろん月彦に悪気はなく、全てはあの生意気な豆狸のせいだというのは分かっている。月彦を恨むのは筋違いであると。
 それは分かっている。
 分かっている――のに。
「………………。」
 気がつくと、真央は勉強机の上に畳まれたままになっているマフラーを見ていた。一昨日由梨子と共にその力を検証し、防寒具として優れてはいるものの外で使うにはあまりにも危険と判明してそれきり放置していたものだ。
 悪いことに使っちゃダメよ?――不意に、母の言葉が脳裏に蘇る。同時に、真央は口元に笑みを浮かべていた。浮かべた後で、自分が“嗤っている”ことに気がついたのだ。

「あら、真央ちゃん。こんな時間におでかけ?」
「うん。学校に宿題忘れちゃったの」
 夕飯の支度をしている葛葉を尻目に、真央は部屋着のパーカーにミニという出で立ちのまま外に出る。……当然のように、その手には母からもらった赤いマフラーが握られていた。


 夜道を歩く。風はあまりない――が、代わりに僅かでも吹くと身を切られるように体温を奪われた。どうやら気温自体はかなり低いらしい。
 夜道を歩く。まだ七時過ぎだというのに、驚く程に人通りが少ない。居ても、みな早足に帰宅を急ぐ者ばかりだ。早く暖かい我が家に帰って暖を取りたい――そんな思いが伝わってくるかのようだ。
 ぶるりと、体が震える。真央はマフラーを巻き、妖力を通わせる。忽ち全身を暖気が包み込み、寒さが苦では無くなる。
(……車には気をつけなきゃ)
 もちろん車だけではなく、自転車も、バイクも全てだ。歩行者相手でも、油断をしていると体をぶつけられるかもしれない。まずは“それ”に慣れなくてはいけない。真央は歩道を歩きながら、こちらを認識してない通行人とぶつからずに行き交うことのみに専念する。そしてそれは、真央が思っていた以上に難しいことだった。
 不意に進路を変えてくる者、突然立ち止まる者――それらに体をぶつけられないように注意しながら、真央は夜道を歩く。
 徐々にコツを掴んでくると、今度は意味も無く並んで歩いてみたり、後をつけてみたりする。由梨子の話では、マフラーを使っている時は音を立てても認識できないらしいが、どうやら足音も同様に認識されないらしい。
 しかし何かしらの気配は感じるのか、時折立ち止まって後方を振り返る者も居た。最初はバレたのかと焦ったが、気のせいかとばかりに歩き出す相手を見ているうちに、うずうずと“悪戯”の誘惑が首を擡げてくる。
 最初に狙ったのは、熟帰りらしい少年だ。一人で夜道を歩いているその後ろをつけ、不意にふっ……と耳元に息を吹きかけてみる。少年はギョッとしたように立ち止まり、辺りを見回す――が、やはり真央の姿は見えないらしい。
 首を傾げながら歩き出す。心なしか早足のそれを真央は追いかける。知らず知らずのうちに口元に笑みが浮かぶ。今度は少年が右手に提げている鞄を掴み、クイと一瞬だけ引いた。
「ひっ」
 少年が、はっきりと悲鳴を漏らした。慌てて鞄を両手でかかえ、走り出す。真央もまた嬉々としてその後を追った。真央は無意識にマフラーの出力を調節し、姿は消したまましかし足音だけは聞こえるようにすると、少年は悲鳴を上げながら走る速度を上げた。
 そのまま100メートルほど追いかけて、さすがに気の毒になって真央は追うのを止めた。息を弾ませながら、ぶるりと肩を抱く。息が乱れているのは、走ったせいではないと、真央はうすうす自覚していた。
 その後、さらに二人。気の弱そうな――そして一人で歩いている――少年を捜しては、同じように怖がらせて遊んだ。やっていることは完全に変質者のそれなのだが、真央にはその実感は無く、それどころか“悪事”を働いている自覚すら無かった。
 たっぷり楽しんだ真央が帰宅したのは午後九時を回ってからだった。帰宅が遅くなったことを葛葉に謝り、温め直してもらった夕飯を食べた後、入浴を済ませて部屋へと戻る。
(………………父さまが、いけないんだ)
 一人。シンと静まりかえった部屋で立ち尽くしながら、真央はそんな事を思った。


 翌日になっても月彦は戻ってこなかった。由梨子も学校を休んだままで、真央は学校に居る時間の殆どを退屈に――話をするクラスメイトが全く居ないわけではなかったが――過ごした。
 珠裡の席も空席で、欠席者はさらに8人に増えていた。このまま病欠が増えれば学級閉鎖の可能性があるらしいが、真央にはどうでもよかった。その頭の中は、今日はどんな悪戯をしようかという妄想ではちきれんばかりになっていたからだ。
 が、真央の“新しい遊び”は思いの外早い段階で頓挫することになった。日が落ち、こっそりと家を抜け出した真央は昨日同様に一人で歩いている気の弱そうな少年を狙って脅かそうとして――反撃を食らったのだ。
 認識されなければ、危害を加えられることはない――真央はそう高をくくっていた。しかし姿の見えない襲撃者に半狂乱になった少年は鞄の中から防犯グッズらしいスプレーを取り出し、手当たり次第にまき散らしたのだ。すんでのところで飛び退り、直撃は避けたものの、この遊びは危険だと判断せざるを得なかった。
 真央は一人寒風吹きすさぶ公園のベンチへと腰を下ろす。人影はなく、無人の公園では遊具達が寂しそうに佇んでいる。真央は徐に立ち上がりブランコを漕ぎ、ジャングルジムに上ってみるが、微塵も楽しいとは感じなかった。かといって家に帰ろうという気にもならない。自分のことながら、それが真央には不思議だった。
 葛葉には本当によくしてもらっている。ある意味では、実の母親以上に世話になっていると言っても過言ではない。夜遊びを続ければ、そんな葛葉に心配をかけてしまうかもしれないと分かっては居るが、どうしても足が家の方に向かないのだ。
 かといって、何をするでもない。いっそマフラーの力を使って万引きでもしてしまおうか――しかし、さすがにそれは一線を越えてしまうのではないかと躊躇する。万引きがダメなら、壁に落書きでもして回ろうか。それとも――
「……………………。」
 真央は頭を振る。自分でも不思議な程に、思考が危うい方向へと傾いているのを感じる。危険な兆候であると分かっているのに、自力ではどうにもならない。まるで、何か大事な歯車が狂ってしまったかの様だった。
(……父さま、早く帰ってきて……じゃないと……)
 このままでは、取り返しのつかないことになってしまう――確信に近い予感を抱きながら、真央はフラフラとした足取りで公園を後にした。



 何故、そうしようと思ったのか、真央自身にも分からなかった。強いて言うなら“なんとなく”なのだが、そもそも“なんとなく”でそんな発想に至るものなのだろうか。
 夜道を当てもなく彷徨った真央は、先ほど居た公園に舞い戻っていた。そして戻るや否や衣類を脱ぎ、下着とマフラーだけの姿になった。脱いだ服をベンチの上に畳み、一歩、二歩と後退る。この脱いだ服は第三者に見えるのだろうかと、そんな事を考えながら。
 夜の公園に、ほとんど下着のみという姿で、真央は立ち尽くしていた。マフラーの力で誰にも見られるわけはないと分かってはいても、足の震えが止まらない。公園の前の道を人影が行き交う度に、思わず物陰に隠れてしまう。
「………………っ……」
 マフラーのおかげで、寒さも感じない。否、仮に暖房機能が無くとも大丈夫なのではないかという程に、全身が火照っていた。真央は湿った息を吐きながら両手で擦るように体をなで回す。
 自然と、息が乱れた。公園の両側は住宅に挟まれている。どうやら夕食時らしく、耳を澄ませば家族の団らんの声すら聞き取れるようだった。
 そんな場所で、下着姿になっている――そのことを改めて意識するや、思わず背が反るほどの痺れが尾の付け根から走った。はあはあと悶えながら、徐に鉄棒を跨いだのには特に意味はない。足の爪先が届くギリギリの高さのそれを跨ぐと、下着越しに鉄棒の冷たさを感じることになる。
「……はぁ……ン……」
 思わず声を漏らしてしまい、真央は慌てて右手で口元を覆った。咄嗟に辺りを見回してしまい、遅れてマフラーを使っていたのだと安堵する。
「んっ……んっ……んっ…………」
 しかし、安堵したのもつかの間。下着越しに感じる鉄棒のひやりとした感触が妙に心地よく、真央は無意識に腰を使い始めていた。太ももで挟み込みながら、クイクイと小刻みに動かしたかと思えば、両手で鉄棒を掴み、ゆっくりと前後させながら、徐々にその行為に没頭していく。
「ぁっ、ぁっ、ぁっ」
 自慰をしているという自覚も無しに、真央は行為に没頭していく。喘ぎは徐々に抑えきれないものになり、湿り気は下着を越えて鉄棒へと絡みつき、ぬらぬらと光沢を放ちながら、それらは湯気となって拡散していく。
(やっ……ダメ……これ……止まらなっっ……)
 近くで聞こえた、飼い犬の遠吠え――それがほんの一瞬だけ、真央に正気を取り戻させた。夜の公園で、下着姿になって、自慰をしている――真央は現状を認識し、顔を真っ赤に染める。
(ダメ、なのに……)
 気がつくと、耳も尻尾も露出させてしまっていた。痺れる頭で、それでもマフラーへの妖力伝播だけは疎かにはできないと半ば念じながら。本来ながらおよそあり得ない状況で快感を得ていることに、真央は身震いするほどの興奮を感じていた。
 否。その興奮故の痺れるほどの快感なのかもしれない。真央は等々鉄棒に擦りつけるだけでは我慢出来なくなり、ふらふらとした足取りで衣類を置いているベンチまで戻るや、尻餅でも突くような勢いで腰を落とした。
 ベンチに腰を落ち着け、足を開くや我慢出来ないとばかりに右手を下着の中へと滑り込ませる。熱い、ゼリーのようにどろりとした蜜を指先に感じながら、真央は顎を跳ねさせて甘い声を上げる。
(ダメ、ダメ……こんな、ところ、で……)
 まるでイヤイヤをするように首を振りながら、それでも真央は自慰を止められない。マフラーさえ使い続けていれば、誰かに見られるという事もない。しかし、このまま自慰に没頭し続ければ、いつマフラーのことを失念するとも限らない。
(気持ち……いい…………イイィッ!!!)
 自室や、浴室でするのとは雲泥の快感に、真央は見も心も痺れきっていた。小刻みな絶頂に何度も両足をビクンと跳ねさせながら、真央は自慰に没頭する。濡れそぼった下着の周りには蜜が飛び散り、ベンチから糸を引いて滴り落ちる。
「アッ……はァア……ッッ!」
 快感の大波に翻弄され、真央は大きく背を逸らしながら天を仰ぎ、甘い喘ぎを虚空へと響かせる。
「ァ、ァ、ぁンッ…………あんっ……あンッ!!」
 さらに、二度、三度と身震いするほどの快感が断続的に襲ってくる。さながら父、月彦にイかされた後に、さらに立て続けに絶頂が襲ってくる時のように、真央は腰を跳ねさせながら、声を抑えることも出来ずにイき続ける。
「はーっ………………はーーーーっ………………はーーーっ………………」
 大きく仰け反った後、マフラーに半ば顔を埋めるようにして真央は呼吸を整える。絶頂の後の、気怠さを伴った余韻に浸りながら、その目は呆然と星空を見上げる。
「はっ…………っくちゅん!」
 数分そうして余韻に浸っていた真央は、唐突なくしゃみで体がすっかり冷え切っていることに気づいた。あっ、と。慌ててマフラーに妖力を通わせる。
(今、私……)
 “見える状態”だった――そのことに気がつき、ゾッと肝を冷やす。マフラーのことだけは失念しまいとしていたが、快楽に没頭するあまりついその存在を忘れてしまった。
 慌てて周囲を見渡す――が、幸い人目はない。しかし物陰から、或いは遠くのマンションのベランダから、絶対に誰にも見られてはいないとは言い切れない。
 急に自分がしたことが恐ろしくなって、真央は慌てて脱いだ衣類を纏うと逃げるように帰路についた。


 金曜日には、クラスの欠席者はとうとう10人を越えた。由梨子も病欠、珠裡の姿もない。そして、月彦も戻って来ない。
 月彦が姿を消したのは、先週の土曜のことだ。つまりまだ一週間も経っていないことになる。だというのに、真央はもう何年も父親の顔を見ていないような錯覚すら感じていた。
 そう、ただ側に月彦が居ない。その声を聞くことが出来ない。顔も見れないというだけで心がザワつく。目に見えない澱のようなものが徐々に蓄積していくような感覚。その“毒”は決して強力なものではない――が、少しずつ、しかし確実に心身を蝕み、病ませていく。そして最後には、“病んでいる”という自覚すら失わせる――そんな厄介な毒に、真央は犯されていた。
 
 昼休みに、真央はマフラーを手にふらりと教室を出た。何かを考えての行動ではなかった。その証拠にどこに行くでもなく校舎の中を歩き続け、その歩みがふと、生徒用のトイレの入り口の前で止まった。
「…………。」
 不意に辺りを見る。何の偶然か、右を見ても左を見ても生徒一人見当たらない。真央は反射的にマフラーに妖力を通わせ、“いつもとは逆の方”へと入り込んだ。
「わぁ……」
 思わずそんな声が出てしまう。男子トイレに入ること自体は、実は初めてではない。月彦に誘われて――実際は殆ど真央が誘ったような場合の時もあったが――個室の中で体を重ねたことも一度ならずある。
 しかし、一人で、しかも自発的に侵入したのは初めてのことだった。
「………………。」
 自分は、禁忌を犯している――その実感が、真央に甘い痺れをもたらす。こんなところをもし誰かに見られでもしたら、学校中の噂になることは避けられないだろう。
 誰かに見つかる前にすぐに出なければ――しかし真央の体はそれとは正反対に動いた。個室のドアを開け、ドアを閉めて鍵をかける。そのまま便座カバーの上に腰を下ろし、ただただ息を潜め――待った。
 五分と経たずに足音が近づいてきた。どうやら数人連れの男子が世間話をしながら用を足しに来たらしい。当然ながら、男子達は個室に女子が潜んでいるなどとは夢にも思っていないらしく、用を足しながら平気で下ネタを言い合っている。
 どきどきと、心臓が高鳴る。ただ、男子トイレの個室に潜んでいるだけ――それだけなのに、なぜこうもドキドキするのだろう。月彦とのことを思い出して、体が勝手に反応してしまうのだろうか――自己分析に励んでいた真央の目の前で、唐突にドアノブが捻られたのはその時だった。
「…………っ!?」
 思わず悲鳴を上げてしまいそうになり、慌てて両手で口を覆う。鍵をかけていなかったら、間違い無く開けられていたことだろう。
「あれ、誰か入ってんのか?」
 ガチャガチャとドアノブを弄っているらしい男子の声。薄壁一枚越しのそれは真央の想像を遙かに超えた恐怖を与えた。
「山中じゃね。さっき腹痛ぇーって言ってたし」
「マジ? 上から覗いてやろうかな」
 男子達のやりとりに、真央は掠れた悲鳴を上げそうになる。覗かれても、姿を消せば見つからない――その発想が、瞬時には出てこなかったからだ。
(もし、見つかったら……)
 或いは、無意識のうちにあえて“発想”を遅らせたのかもしれない。この見つかるかもしれないというスリルを極限まで楽しむ為に、自分にはもう逃げ場は無いと思い込もうとしたのかもしれなかった。
「おい、止めとけよ。知り合いじゃなかった洒落になんねーぞ」
 しかし、分別のある男子の一言で真央の“期待”は脆くも打ち砕かれた。そのまま足音が遠ざかるのを聞きながら、真央はホッと安堵の――落胆だったのかもしれないが――ため息をついた。
 



 まるで自滅を願うかのような奇行だと、真央は薄々自覚していた。昨夜の公園でのことも、昼休みの男子トイレでのことも、どちらも冷静に考えれば気が狂ったとしか思えない所業だ。それなのに、何故愚行に興じてしまうのか――真央には勿論その理由も分かっている。分かってはいるが……しかしそれは、真央にはどうにも出来ないことでもあった。
 夜。
 昨日あれほど後悔したばかりだというのに、真央は体が燃えるような疼きを堪えかね、マフラーを手に家を飛び出した。上着もスカートも、どちらも部屋で脱ぎ捨てた。玄関を出たその時点で、真央は下着姿だった。
「はぁぁ……っ……」
 身震いする。全身が火照り、下着の奥がキュンと疼くのを感じる。真央は自分がマフラーを巻いていることを確かめて、恐る恐る足を踏み出す。
 ただ、夜道を歩く――それだけで、気を抜けば失神してしまいそうだった。極度の緊張と興奮、そして腹部に走る、ジンジンと疼くような甘い痺れ。まだ家から五十メートルも離れていないというのに、既に下着は濡れそぼり、溢れた蜜が太ももを伝い、靴下にまで達していた。
「……っ……」
 不意に、前方からの足音を感じ取って、真央は思わずその場に立ち尽くす。大丈夫、気づかれない――そう思い直して、震える足で前に出る。足音の主はコートを着た若い女性だった。帰宅を急いでいるのか、ずいぶんと早足だ。
 見えていない、気づかれる筈が無い――しかし、真央はついマフラーに顔を埋めるようにして息を殺し、女性とすれ違う際には足まで止めて、そっと見送った。女性は真央には気がつくことなく、そのまま早足気味に歩き去っていった。
「〜〜〜〜〜っっっ………………はぁぁっ…………」
 緊張、そして弛緩。真央は再び歩き出す。次に聞こえた足音は、男性のものだった。緊張が、さらに高まる。中年、しかし40には届かないだろうか。右手には書類入れを持ち、やはり帰宅を急いでいるのか早足だ。
 ふうふうと、マフラーに口を埋めるようにして息を殺しながら、真央は自ら男の方へと歩み寄り、そして体がぶつかる寸前でついとかわした。
「………………?」
 “風”を感じたのか、それともマフラーが発する暖気を感じ取ったのか。男性が不思議そうな顔をしてきょろきょろと辺りを見回す。その目は確実に真央が居る場所を捉えた筈だが、やはり認識は出来ないらしい。
(…………ぁ、ぁ…………もっと、もっと……人がいっぱい居るところ、に……)
 見えている筈が無いのに、それは分かっているのに。男の目がはっきりと自分の方を見た瞬間、真央は電撃のような甘い痺れが体を貫くのを感じた。下腹がキュンキュンと疼き、もっと、もっと見られたい――視線を集めたいという欲求に、徐々に抗えなくなる。
 いっそ、マフラーすらも外してしまおうか――そんなことを考えて、慌てて首を振る。さすがにそれはダメだと。もしそんなことをすれば、取り返しのつかないことになる。
(あぁ……でも、でも……!)
 マフラーを外すことは思いとどまった。しかし、真央は疼く体に翻弄されるままに、フラフラとその足を駅前へと向けるのだった。



 通勤帰りの人々で溢れかえった駅前で、真央は下着にマフラーという出で立ちで立ち尽くしていた。尤も、正確には立ち尽くしているのではなく、自分が見えていないであろう人々にぶつかられない様、ちょこちょこと移動を繰り返しているのだが、そうでない時は足を止め、その全身に視線が突き刺さることに興奮していた。
(本当は……違う、実際に見られてるわけじゃない……けど……)
 目は、確実に真央の方を向いている。ひょっとしたら、マフラーが何らかの機能不全を起こしていて見られているかもしれない――そんな“想像”に、真央は思わず声を上げそうなほどに興奮する。
(ぁ、ぁ……す、ごい……ジンジンって痺れて…………あぁぁぁ…………!)
 下腹を走る甘い痺れに、両足が震える。今すぐにでも右手を下着の中に伸ばしたくなるのを懸命に堪えながら、真央は“状況”を楽しんでいた。
(……もっと……もっと……)
 この興奮を味わいたい――真央は本能の赴くままに、ベンチに腰掛けスマホを弄っている男性のすぐ隣へと座る。気配のようなものを感じたのか、男は一瞬真央の方へと視線を向けるが、やはり認識は出来ないのかすぐに目線をスマホの画面へと戻した。
 それを確認して、真央は己の体へと手を這わせる。
「ぁっ……ふっ……」
 こんなに人目のある場所で。しかもすぐ隣に人が居るのに――真央は下着の中へと差し込んだ指を艶めかしく動かし始める。どろりとした熱い蜜を指先に絡めながら、くちゅくちゅと下着の中から漏れる音がひょっとしたら周りに聞こえているのではないかと“妄想”しながら、真央は自慰に没頭する。
「あっ……ぁっ……あぁぁぁ…………!」
 はあはあと息を荒げながら、真央は焦れったげに腰を回す。濡れそぼった指を下着から抜き、ブラごと自らの両胸をこね回す。たちまち耐えがたいほどの“疼き”に襲われ、真央は右手を下着の中に戻しかけて――無理矢理止める。
(父さま、なら……)
 そんなに簡単に触ってはくれない。もっと、もっと気が狂いそうな程に“欲しくなる”まで焦らしてくる――真央はそれを身をもって知っている。
(あぁっぁぁぁっ……父さまァア…………おね、がい……悪い真央に、オシオキ、してぇ…………!)
 疼いて、疼いて、疼いて堪らない。これ以上はもう我慢出来ない。触りたい――しかし、真央は我慢する。はあはあと悶えながら、蜜に濡れた指をしゃぶるように舐めながら、耐えかねたように勝手に股ぐらへと伸びかけた左手を慌てて制しながら。
(やっ……も、う…………)
 我慢のしすぎで、気が遠くなりかけた時、真央は意を決して自慰を再開する。
「――――――――ッッッ〜〜〜〜〜〜〜っ!!!!!!」
 ビクンッ!――指先が焦れに焦れた蜜壺に触れた瞬間、まるで電撃でも受けたかのように体が大きく跳ねた。その振動はベンチにも伝わり、すぐ隣で座っている男が何事かと左右を見る。
「あッッ……はァァ…………あぁぁ……あぁぁァァ……!」
 頭の中が――否、体の中身がすべて、“気持ちいい”で埋まっていく。指を僅かに動かすだけで軽くイき、何度も何度も小刻みにイき続けた後の“大きな波”に翻弄され、さらに小刻みな絶頂を味わい、大きくイく。
「ンッ……! ンンッ……! ンンッ!!」
 体が跳ねる。収縮する肉襞にぎゅうぎゅうと指が締め付けられるのを感じながら、真央はうっとりと絶頂の余韻に浸りかけて――ハッと、我に返った。行き交う雑踏の中から一人、疲れ切った風のサラリーマンが重そうな荷物を抱えてベンチの方に近づいてきていたのだ。
 真央は震える足でなんとか踏ん張り、慌てて立ち上がってサラリーマンの体を避ける。どっかりとベンチに腰を下ろしたサラリーマンはすぐさまギョッとしたように立ち上がり、ズボンの尻の辺りを触っていた。“自慰の跡”がベンチに残っていたのだと察し、真央は顔を真っ赤にしながら逃げるようにその場を後にした。



 雑踏にぶつからぬ様に夜の街を走って、気づいた時には裏路地、ビルの隙間に身を隠していた。呼吸を整えながら肩を抱き、身震いをする。両足が震えているのは走った疲れによるものではない、頭の芯に残った甘い痺れのせいだ。
「〜〜〜〜〜っっっっっッッッッ!!!!!」
 真央は肩を抱き、ぶるりと震える。全身が火照り、胸は高鳴りっぱなしだった。
(もっと…………もっと…………)
 まるで譫言の様に、さらなる快感への渇望だけが真央の頭を支配していた。いっそ、下着を取り去ってしまえば――そんな考えが、理性によって差し止められる。しかしそれも長くは続かない。
 真央の中に存在する大義名分――“先に約束を破ったのは父さまの方”はあらゆる倫理を無下にし、“悪い子”への堕落を肯定するからだ。――そう、まるで約束を守らない月彦に対する当てつけのように。
 真央はブラを外して室外機の上へと置き、さらにショーツに指をかけ、足を抜く。ぐっしょりと濡れそぼったそれは、ぴちゃりと卑猥な音を立てて室外機の上へと落ちた。
 これでもう、マフラー意外に身を隠すものは無い。この姿で駅前に戻れば、さっきとは比較にならない快楽が得られるに違いない。
(……だい、じょうぶ……マフラーさえちゃんと使ってれば……)
 そう、これはあくまで“シチュエーションプレイ”だ。本当に全裸を見られるわけではない――頭では分かっているのに、真央はなかなかビルの物陰からの第一歩を踏み出すことが出来ない。下着姿と、全裸とではこれほどに差があるのかと、痛感する。
 しかし、その逡巡も決して長くはなかった。何より、体が快楽を欲して飢えに飢え、ジッとしていることなど不可能だった。意を決して足を踏み出し、真央は雑踏の中へとその身を晒す。
(あっ、あっ……ぁぁぁぁあああああっ……!)
 途端、ゾワゾワと全身の毛が逆立つほどの羞恥が襲ってくる。見られない――認識はされないと分かっていても、真央はあまりの恥ずかしさにまともに歩くことも出来なくなる。
(あああああ……だめ、だめ……こんな、の……失神しちゃう……!)
 あまりの羞恥と興奮に、マフラーの制御すらもおぼつかなくなるのを感じる。真央は十歩と歩かずに限界を感じ、下着を置いて来たビルの隙間に戻ろうと踵を返したところで――がくんと。不意に“何か”が真央の体を引っ張った。
「えっ……」
 突然の事に真央は混乱した。ビルの側に置いてある看板の突起にマフラーが引っかかったのだと気がついた時には、震えてろくに力も入らない足のせいで半ば転ぶようにその場に膝をついてしまっていた。
「だ、ダメッ……!」
 転んだ拍子に、しゅるりと首からマフラーが離れるのを感じて、慌てて掴もうと手を伸ばす。が、極度の興奮で痺れきった手は真央の望みを叶えることは出来なかった。結果、真央は全裸に靴下と靴のみという格好で道ばたに四つん這いになってしまっていた。
(やっ……う、嘘……立てな…………)
 慌てて立ち上がり、マフラーを手に取ろうと試みる――が、足が震えてろくに力も入らない。ならばせめてマフラーだけでもと手を伸ばすが、なんとも意地の悪い風に棚引くそれはことごとく真央の指から逃れてしまう。
(は、早く…………しないと……こんな、ところ……誰かに見られ、たら……)
 それはもう羞恥ではなく恐怖だった。真央は奥歯を鳴らしながらなんとか体の向きを変え、どうにかマフラーを掴み、引く――が、看板に引っかかったそれは引けども引けども手元には戻って来ない。さらに真央は力任せにマフラーを引くと、バランスを崩した立て看板がぐらりと真央の方に倒れてきて――。
 ――それが、済んでのところで止まった。
「あっ……」
 看板は、男の手で掴まれ、倒れるのを止められていた。咄嗟に真央はマフラーから手を離し、両手で体を隠していた。看板を止めた男と、真央は目が合った。男はギョッとしたように目を丸くしていた。
「…………真央、そんなところで一体何やってんだ?」
 ため息混じりに言う月彦に、真央は何も答えられなかった。



 
 針のむしろという言葉がある。文字通り、針で出来たむしろの上に座っているかのように居心地の悪い状況を指して使われる言葉であるわけだが、ひょっとしたら今の状況はそれよりも遙かに居心地が悪いのではと真央は思っていた。
「…………成る程。言い分は分かった」
 思いもよらなかった突然の再会。嬉しさよりも恨み言を言うよりもなによりも先に、真央は“弁明”をしなくてはならなかった。帰宅するなり真っ先にシャワーを浴び、部屋着に着替え、自室へと帰ってきた真央は、月彦が居なくなってからの事を包み隠さずに話した。
 一人で留守番をしていた際に真狐が来たこと。その際に姿を消せるマフラーを貰ったこと。由梨子までもが病欠してしまい、寂しさからついつい“非行”に走ってしまったこと……。
「たしかに先に約束を破ったのは俺の方だ。真央が一人で寂しかったというのも分かる」
 月彦の目線が痛い。部屋着に着替えはしたが、真央は自発的に絨毯の上に正座をして肩を縮こまらせていた。
「けどな、真央。いくらなんでもアレは……」
 ううぅ――呆れたような月彦の言葉に、真央は全裸で町中を歩こうとしていたとき以上の羞恥に苛まれる。とても月彦の方を見ることが出来ず、ただただ唸るような声ばかりが絞り出される。
「…………と、とにかく……もう二度とあんなことはするんじゃないぞ?」
 あまりにもぶっとんだ娘の非行に、月彦の方も叱り方が分からなくなっているような、そんな苦慮がふんだんに感じ取れる言葉だった。
「ね、ねぇ……父さまは――」
 話題を逸らしたくて――何よりも、今まで一体何処で何をしていたのか聞きたくて、真央は恐る恐る切り出す。――コンコンと、ノックの音が聞こえたのはそんな時だ。
「月彦」
「うん、分かってるよ、母さん。…………じゃあ、真央。俺はちょっと母さんと話があるから」
 そう言い残して、今度は月彦が葛葉に連れられ、葛葉の部屋へと連行される。さすがの葛葉も、一週間近くにも及ぶ(ほとんど無断の)外泊は腹に据えかねたということなのだろうか。数時間後、こっそり真央が葛葉の部屋の近くまで様子を見に行くと、襖の隙間から正座をしたままこってりと絞られている月彦の姿が見えた。
(…………父さまは悪くないのに)
 そう、悪いのは全て妖狸だ。そのことを葛葉に説明すべきでは――そう思って真央は意を決し、手を襖にかけた――刹那。隙間の向こうの月彦と目が合った。それだけで、月彦は全てを察したらしく、無用だとばかりに小さく首を振った。やむなく真央は部屋の前を後にし、自室へと戻った。
(…………でも、良かった)
 折悪しく月彦の前で生き恥を晒す羽目になってしまったが、そんなものは無事に戻って来てくれた事に比べれば些細なことだった。よほど安堵したのか、真央は月彦を待ち続けることが出来ず、部屋の明かりを消すことも忘れてそのままベッドで寝入ってしまった。
 数時間後、真央は俄に意識を覚醒させたが、消えた明かりと背後から包み込むように抱きしめる月彦の腕と、その体温に安堵し、そのまま眠りの淵へと落ちていった。


 翌朝、約一週間ぶりに三人揃っての朝食はどこかぎこちない、しかし笑顔に溢れたものだった。真央は勿論、昨夜のアレを見られたという負い目があるし、月彦も無断外泊で一週間近く家を留守にしたという負い目があるのだろう。笑顔に溢れてはいるが、しかしやはりぎこちない。
「やっぱり母さんの作るご飯が一番だよ」
 やれメダマ焼きの焼き加減が最高だの、味噌汁の塩加減が絶妙だのと褒め続けている。その姿はこっぴどく叱られた翌日の高校生というよりは、妻に黙って超高級ゴルフセットを購入したことがバレた夫――という様に、真央には見えた。
「とにかく、もうちょっとちゃんとしなさい」
 葛葉は月彦の見え見えの世辞を聞き流し、最後にそれだけ言って洗い物を始めてしまった。うぐと月彦は反論も出来ず、朝食を終えるなり自室へと戻っていく。真央もまた慌てて、その後を追った。
「……真央も、約束破って悪かったな。言い訳に聞こえるかもしれないが、“アイツ”さえ余計なちょっかいを出してこなかったら、もっとずっと早くに帰れたんだ。……ったく、どっから嗅ぎつけて来やがったんだか」
 部屋に戻り、勉強椅子に腰掛けるなり、月彦は腑に落ちないとばかりに渋い顔をする。
「……父さま、一体何があったの?」
「何が……か。実のところ、俺にも“あそこ”が一体どこなのかさっぱりわからないんだ。鏡の中の世界とでも言えばいいのか……」
「鏡の中の世界!?」
「最初はまぁ、普通に遊園地に入って、はしゃぎまわる珠裡と一緒にいろいろ見て回ってたんだ。そんでミラーハウスに入った途端、いきなり目の前で鏡の中から出て来た手に珠裡が捕まって、そのまま飲み込まれちまったんだ。慌てて後を追おうとしても、鏡にぶつかるだけでどうやってもダメだった。真央に電話したのはその後だ」
 真央は月彦との電話のやりとりを思い出す。正確には、先にまみの方に連絡をいれたのだろうが、そこは大した問題ではない。
「あの後、まみさんと合流して珠裡の後を追ったんだ。まずは一度まみさんちに戻って、倉の中にあった大きな立ち見鏡から――」
 月彦は語る。まみと共に“鏡の向こう側”へと渡り、その先に待ち受けていた冒険の数々を。やれ食い詰めた盗賊団だの、動物のように動き回る植物たちの森だのと、月彦の語る内容はなんともファンタジックな煌めきに満ちあふれていた。
「――そんなこんなで、やっとのことで手がかりをかき集め、珠裡の居場所を突き止めたと思ったら――」
 当然のように、それは“ある女”によって流された偽の手がかりだったり、ある街では通行人に話しかけた途端問答無用で捕縛されたりもしたな。それも“ある女”が事前に街を訪れ、この男に手酷く強姦されたと訴え、克明な似顔絵を残していった為で、誤解を解くだけでまる一日を要したりと、聞けば聞くほどに真央は肩身が狭くなるのを感じた。
「…………とまぁ、まみさんが一緒だったから何とかなったけど、そうじゃなかったら一生帰ってこられなかったかもしれない。なんせ盗賊は出るわオークみたいなのが群れを成して襲ってくるわで、俺一人だったらどうにもならなかっただろうな」
 いやぁ、本当にまみさんが一緒で良かった――月彦は騎士の英雄譚でも語るように、遠い目をする。
「………………珠裡ちゃんは見つかったの?」
「ああ、そもそも珠裡のやつがイグマ王国ってところの姫にそっくりだったことが全ての発端らしくてな。家出したお姫様と間違われてすげー大事にされてたよ。珠裡もああいう性格だからすっかりハマり役でな――」
 珠裡は無事――そう聞いた途端、真央は危うく舌打ちをしてしまうところだった。ということは、下手をするとこの先また同じように“邪魔”をされる可能性があるということではないか。
「んでその家出した本物の姫様ってのが、たしかに珠裡にそっくりでそのくせ性格は正反対の――」
「ねえ、父さま」
 月彦の言葉を強引に遮って、真央は「ごめんなさい」と続ける。
「……? どうしたんだ、真央?」
「あのね……私、なの」
 得体の知れぬ炎が、胸の内に燃えさかるのを感じる。――否、“得体”は知れている。“これ”は紛れもない、嫉妬の炎だ。
「父さまから電話があった後、私が……母さまに言っちゃったの」
 ぴくりと、月彦の眉が揺れる。“マフラーの件”については、既に月彦に報告してある。が、しかしそれはあくまで“留守中に母さまが来て、不思議なマフラーをくれた”としか言っていない。
「何……だと……おい真央、それは本当なのか!? そんなことをアイツに言ったらどうなるか、真央にだって分かるだろ!?」
「ご、ごめんなさい……だって、父さまが危ないことに巻き込まれてると思ったから……」
「危なくない! 全ッ然危なくなかった! あっ、いや……まみさんが居なかったら死んでたかもしれないってのが5,6回はあったけど、その殆どが真狐のヤツのせいなんだよ! 砂漠で砂嵐に飲まれたり、吊り橋から落ちたり、連続強姦魔の濡れ衣を着せられて姫騎士って連中に追いかけ回されたり、学校のプールをひとまたぎに出来そうなくらいでっかい岩の巨人に捕まって危うく握りつぶされそうになったり、ぜーーーーんぶアイツのせいなんだよ!」
 ごめんなさい――真央は再度、震えた声で謝る。顔は伏せ、月彦の方をまともに見れない――そんな演技を添えて。
「はぁ……ったく……まあでも、しょうがないか。悪気があったわけじゃないんだろうし、先に心配かけるような電話しちまったのは俺の方だしな」
 やれやれ――そう言いたげに首を振る月彦の方を、真央は反射的に見てしまう。違う、“そう”じゃない――“目的”の為に、真央の頭はフル回転する。
「……違う、の」
「違う? どういう意味だ?」
「え……っと…………か、母さまに言った、のは……ね…………本当は、父さまが心配だったからじゃ、なく、て…………本当は珠裡ちゃんとデートなのに、そのことを黙ってたから……なの……」
 うぐと、月彦が言葉を詰まらせる。真央はさらに続ける。
「母さまに教えたら……父さまにいっぱい意地悪してくれるかもって…………だから…………」
 もちろんそんな事実は無い。ただの作り話だ。月彦もまさか鵜呑みにはしないだろう。が、真央も当然こんな話を信じて欲しくてしたわけではない。
 全ては、月彦に気づいて欲しいが為だ。
「………………成る程、な」
 ふぅぅ……そんなため息混じりに、月彦が呟く。
「どうやら俺は勘違いしてたらしいな。…………真央はきちんと良い子に育ってる……それは俺の思い込みだったらしい」
 あっ――思わずそんな声が出そうになる。どうやら、今度は巧く伝わったらしい。真央はそのことに身震いするほどの興奮を覚える。
「今回のことは約束を破った俺が悪い。それは間違い無い。だから、“昨日の事”も不問にするつもりだったが……そういうことなら話は変わってくるな」
「ぁ……と、父さま……き、昨日のこと、は……」
 かああと、頬が熱くなるのを感じる。身悶えするほどの羞恥に、真央は反射的にキュッと太ももを閉じる。
「ふむ……そうだな」
 月彦が徐に壁掛け時計へと目をやり、釣られて真央も見る。時刻は九時になったばかりだ。
「折角だ、真央。先週できなかったデートに今から行くか」
「えっ…………で、デート……する、の?」
 意外――だった。てっきりこのまま“おしおき”の流れだとばかり真央は予想していたからだ。そんな真央の意外そうな声を聞いて、にぃと。月彦が口元を歪める。
「何だ、嫌なのか?」
「う、ううん……嫌じゃない、けど……」
「じゃあ決まりだ。すぐに出るぞ、準備しろ」
 月彦は膝を立ち、颯爽と立ち上がった。


「と、父さま……本当に……」
「もちろん。真央だって、デートしたいんだろ?」
「でも……」
 月彦に強引に手を引かれ、階下へと降りる。そのまま台所にいる葛葉のところまで連れて行かれた時には、思わず悲鳴を上げそうになってしまった。
「母さん、ちょっと真央と一緒に出かけてくるよ」
「あら、いってらっしゃい。今日はきちんと帰ってくるのよ?」
「分かってるって。夜には必ず帰るからさ」
 冗談交じりに言う月彦に手を引かれ、真央は玄関へとやってきた。促されるままに靴を履き、月彦がドアを開ける――反射的に、身を隠そうとしてしまうも、掴まれたままの腕がそれを許さなかった。
「大丈夫だ、真央。さっき母さんも何も言わなかっただろ?」
「で、でも……父さま……」
「俺の目にもちゃんと“服を着ているように見えてる”んだ。だから大丈夫だ」
「ううぅ……」
 真央は渋るが、月彦に無理矢理腕を引かれ、外へと歩き出す。その体は昨夜同様、マフラーの下には下着しか身につけていない。

 事の経緯はこうだった。
「なぁ、真央。真狐に貰ったっていうそのマフラーだが……」
 いざデートの準備を始めるに至って、月彦が真っ先に手にしたのは意外にも例のマフラーだった。まずはその効果を実際に見てみたいと、月彦の目の前で“消える”様に言われた。
「…………へぇ、凄いな。本当に見えないぞ」
 月彦は興味深そうに手を伸ばし、“消えている”真央を触ってくる。
「ふむ……一応触れば、そこに何かあるってのは分かるんだな。これって音とかも聞こえなくなるんだろ?」
 うん――そう頷いてから、聞こえていないと判断して、真央は一端マフラーの効果を止める。
「うん。だけど、そういうのは微調整できるみたい」
「微調整?」
「えっと……私も、殆ど無意識にやってたんだけど……」
 罪も無い少年を追いかけ回す際、半ば無意識に足音だけを響かせたことを、真央は月彦に告げる。
「…………そんなことまでやってたのか。可愛そうに……もう二度とするんじゃないぞ?」
 こつんと、握った拳で軽く頭を小突かれる。
「でもその話は興味深いな。音だけ出すとか、そういう調整が利くってことはひょっとして、ただ消えるんじゃなくて“違うモノ”を見せることも出来るんじゃないのか?」
「違うモノ……?」
「ただ消えるんじゃなくって……たとえば、服を着ていないのに、着ているように見せたりとか出来ないか?」
「ふ、服を着てないのに……着てるように……?」
「ああ。……真央、やってみてくれないか?」
「そんな……無理だよ、父さま…………そんなの、出来るわけ……」
 マフラーの効果は、ただ周囲の認識から外れるだけ――真央はそう理解していた。月彦の言うような効果など在るはずが無いと。
「真央の“力加減”でどこまで認識されないかのレベルを調節出来るんだろ? だったら、単純にオンかオフかだけじゃなくって、その認識の内容自体もいじれそうなもんじゃないか?」
「…………母さまだったら、出来るかもしれないけど……」
 少なくとも、自分には無理――真央がそう言おうとした刹那。
「………………もしそれを出来るなら、すっごい“オシオキ”が出来るんだけどな」
 ぼそりと、キツネ耳にそんな言葉が囁かれる。お仕置き――その単語に、真央は思わずビクンと俯き気味だった顔を上げてしまう。
「大丈夫、真央なら出来る。ほら……?」
「う、うん…………わか、った…………やってみる、ね……」
 さらに優しく髪を撫でられた時にはもう、真央の頭の中は“おしおき”一色になっていた。
(ええと……まずは……服をイメージして……)
 成功すれば、おしおきをしてもらえる――そう思っただけで、恐ろしいほどに集中することが出来た。月彦と同居をするようになって約一年、その間何度も何度も特上の快楽と共に躾けられてきた体が今、そのポテンシャルの全てを使って、“父親の期待”に応えようとするかのように。
「んっ……ぅ……………………」
 マフラーに妖力を通わせる。今までは、注射器の中に溜まった液体を押し出すようなイメージで、ただマフラーに力を注ぎ込んでいただけだった。しかし今、真央が思い描いているのはさらにその先。さながら、マフラーを一つの楽器、或いはキーボードのようなものだとイメージして、“操作”を試みる。
「おっ……?」
 月彦がそんな声を上げる。
「いいぞ、真央。それは……制服、だな。ちょっとボヤけてるが……一応ちゃんと制服に見えるぞ」
 ボヤけている――月彦の言葉を聞いて、真央はさらに“調整”をする。
「これで、どう? 父さま」
「凄い……バッチリだ。なんだ、真央……やれば出来るじゃないか」
 褒められて、真央は自分の姿に目を落とす。困ったことに、どれだけ“制服”をイメージしても真央の目にはそれはパジャマにしか見えない。どうやら“消える時”と同様、術者本人には真実の姿しか見えないものらしい。
「でも、その格好じゃデートはちょっとな。普通の服装も出来るか?」
「うん……多分、出来ると思う……」
 真央はイメージする。“お出かけ用”の服を。下は白のニーソックス。チェック柄のスカートはやや短めのものにする。上は……巧くイメージがまとまらない。結局普段着にしているピンクのパーカーをベースに、外でも見苦しくないデザインに少しだけ弄る。
(……上着も一応……あったほうがいい、かな……)
 やれ大寒波が来ていると騒がれている今、上着も無しに外をうろつくのは目立ってしまうかもしれない。真央は苦心して上着をイメージする――が。
「おお、良い感じだな。………………それ、由梨ちゃんのコートと同じじゃないか?」
「ご、ごめんなさい……これしか、巧くイメージ出来なくて……」
 由梨子が外出時に使っている白トレンチを、サイズと細部を変えてイメージし直す――それが精一杯だった。
(…………自分が着ている服より、他の人が着てる服のほうがイメージしやすいのかも……)
 とにもかくにも、イメージは出来た。一度固めてしまえば、それを維持するのは意外にも苦ではなかった。ひとえに、“おしおき”に釣られての尋常では無い集中力の賜物だ。
「……凄いな……動いた時の皺とかも完璧じゃないか」
 興味深そうに月彦が手を伸ばし、目に見えている服装と実際のパジャマ服との触感の違いが面白いとばかりにさすさすしてくる。
「ふむ……いいぞ、真央。これで今日のデートは面白いものになる」
「え…………父さま、もしかして…………」
「ああ、真央は賢いな。…………勿論、真央が考えてる通りだ」
 月彦が、意地の悪い笑みを浮かべる。思わずゾクリと、尾の付け根から甘い痺れが迸る、真央が大好きな“あの笑み”を。
「真央は下着姿で外をうろつくのが好きみたいだからな。…………今日のデートは、そんな真央の望みも叶えてやる」


 月彦に連れられるままに、真央はマフラーに下着姿という出で立ちで――靴下と靴はさすがに履いているが――真っ昼間の住宅街を歩いていた。マフラーの効果で他人からはきちんと服を着ている様に見えていると分かっていても、肌に視線が突き刺さるのを自覚せずにはいられない。
「どうした、真央。まだ家から100メートルも離れてないぞ?」
 どうしてそんなに息が荒いんだ?――そう言いたげな月彦の顔。もちろん月彦の目にも“服を着ている姿”が見えているのだろう。が、唯一月彦だけは“本当の姿”を知っている。何故息が荒いのかなど百も承知の筈なのだ。
「とう、さま……今日は、何処に行く、の……?」
 マフラーの効力の維持で、常に頭のキャパシティの半分近くは持って行かれている。残りの半分で、真央は考え、尋ねた。
「んー、そうだな。折角だし、久しぶりに遊園地でも行くか?」
「ぇ……そんな…………」
 こんな格好で――真央はちらりと、自分の体に視線を落とす。周りはともかく、真央の目にはただ白の下着だけを身につけた自分の体しか見ることができない。
 この姿で、遊園地に。その未来を想像しただけで、両足が震えて立っているのも危うくなる。
「…………真央は想像力がたくましいな。もちろん、嫌だなんて言わないよな?」
 娘の挙動を見ただけで、何を考えたまで見抜いたらしい月彦の言葉通り、真央には断るつもりなど無い。荒い呼吸をごまかすようにマフラーに顔を埋めながら、気持ち月彦の影に隠れるような足取りで、駅へと向かう。
(こんな格好で……電車に……)
 もし混んでいたらどうしよう。電車が揺れて、誰かにぶつかられたらどうしよう。見た目では分からなくても、直に触られたら――駅に近づくにつれ、不安ばかりが大きくなる。――そして、その不安を同等かそれ以上の興奮に、真央は全身が熱を帯びるのを感じる。

 電車で移動すること数駅。そこからさらにバスに乗り換え、目当ての遊園地に到着したのはそろそろ昼にさしかかろうという時間だった。
「父さま、ひょっとしてここって……」
「安心しろ、珠裡を連れてきた所とは違う遊園地だ」
 さすがにそこは弁えていると、月彦は大きく頷く。もっとも、月彦がただそう言っているだけで本当は珠裡を連れてきた場所と同じであったとしても、真央には真偽は分からないのだが。
「ほら、真央。早く中に入るぞ」
「う、うん……」
 本音を言えば、仮に珠裡と訪れた場所であったとしても、別段これといって不満があるわけではなかった。が、唯一引っかかるものがあるとすれば、それは月彦の方がそれでは楽しめないのではないかという危惧だった。
(でも……)
 しかしそれもまた杞憂であると、真央は隣を歩く月彦の横顔を盗み見て理解した。月彦は間違い無く楽しんでいる。尤もそれが遊園地でのデートが楽しみなのか、“悪い子”へのお仕置きが楽しみで仕方ないのかまでは分からないが。
(そう、だ……“意地悪な父さま”が……このくらいで、お仕置きを済ませるワケが……)
 きっとまだ何か仕掛けてくるに違いない。わざわざ遠出をして遊園地にまで来たのもその為に違いない――真央はドキドキとワクワクが同時にやってきたような胸の鼓動の高まりを感じていた。


 もしこれが“普通のデート”であったならば、真央はデートとして純粋に楽しんだことだろう。入場ゲートで貰ったパンフレットに一緒に目を通しながら、アレに乗りたいコレに乗りたいと――時にはちょっと月彦が困るようなワガママっぷりも演出して――子供の様にはしゃいだ事だろう。
 しかし実際には、真央は“遊園地”という場所を素直に楽しむことが出来なかった。パンフレットを開いて目を通しても、頭の中に浮かぶのは一体いつ月彦が仕掛けてくるのだろうという妄想ばかり。何に乗りたいかと月彦に聞かれても、どう答えればより月彦の中のサディスティックな部分を刺激できるだろうかとか、そういう方向にしか考えることが出来ないのだ。
 しかし、そうそう都合の良いアトラクションなど用意されているはずも無い。結局真央は特に考えもなしにただパンフレットの一番最初に書かれていたというだけの理由で、ジェットコースターを選んだ。
 ――が。
「それは難しいな」
 月彦は渋い顔をする。
「マフラーを巻いたままじゃ多分、乗れないだろう」
 言われて、あっ、と。真央も納得する。たしかにマフラーを巻いたままジェットコースターというのはそれだけで嫌な予感しかしない。
 同じ理由でスピードの出るものや巻き込みの可能性があるアトラクションの殆どは断念せざるを得なかった。が、にも関わらず真央には不思議な程不満は無かった。
(だって……父さまが側に居て、二人きりでお出かけしてるだけで……)
 世を儚み、拗ねるように非行に走るしか無かった昨日までとはまさに天国と地獄。ましてや、“この後”に待っているであろうさらなるお仕置きの事を考えれば、遊園地どころか駐車場でのデートになったとしても構わないとすら思っていた。

 結局、アトラクション巡りは至極安全なものに限られた。密閉された座席に座り、画面に現れる敵を銃で撃ちながら進む体感型のコースターや、人口の川をのんびりと遊覧するボート、メルヘンカップという名のコーヒーカップ等々。月彦と共にそれらを巡るのは純粋に楽しく、うっかり“おしおき中”であることを忘れてしまいそうな程に、真央は楽しんだ。
(……でも、ちょっと物足りない、かも…………)
 月彦の仕置きがこんな程度で済むわけがないと思っている真央としては、些か物足りない――そんな気分が、空気を通して伝わってしまったのか。はたまた、月彦自身“そろそろかな?”と思っていたのか。
 園内のオープンカフェでやや遅めの昼食を取り終わった後、月彦はぽつりと漏らした。
「…………真央。午後は……“ソレ”も外して回るか」
 ゾクゾクゾクッ――月彦の言葉の意味を理解するなり、真央は握っていたスプーンを取りこぼし、密かに。そして人知れず、押し殺すように――絶頂を迎えた。


「ちゃんと外してきたか?」
「う、うん……」
 公衆トイレから出て来た真央は、月彦に借りていたナップサックを返す。中には、先ほど脱いだばかりのブラが入っている。
 そう、今真央はマフラーと、そしてショーツしか身につけていなかった。
「あっ、やぁん!」
 ナップサックを返すなり、唐突に胸を掴まれ、そのままぐにぐにと捏ねられて真央は思わず甘い声を漏らしてしまう。
「悪い悪い、俺には見ただけじゃわからないからな。ちゃんと触ってみないと…………たしかに、嘘はついてないみたいだな」
「……ぁ、ぅ………………」
 確かめるだけなら、別に触らなくてもナップサックの中を見れば脱いだブラが入っているのだからそれで問題は無いはずだ――などとは、真央は思わない。こんな人目のある場所で、ひょっとしたら誰かに見られるかもしれない場所で、ピンと堅く尖った乳首ごと胸を鷲づかみにされたことに頭が痺れるほどに興奮したからだ。
(……っ…………こんな、場所で…………私…………)
 そう、知らず知らずのうちに下着姿に慣れてしまっていた自分に、真央は今更ながらに気がつく。しかしブラすらないとなれば話は別だ。ブラさえあれば、結局の所露出している面積は水着とさほどには変わらないとも言える。しかし今は違う。真っ昼間に、しかも周りを見ればカップルから家族連れまでいるような場所で、両胸を露わにしている。
 その背徳感に、頭の芯が痺れて思わず気が遠くなりそうになる。しかし失神するわけにはいかない。最低でもマフラーの効力の維持だけはし続けなければ。
「…………なんだか喉が渇いたな」
 ふうふうと肩で息をしている真央の耳に、そんな“意地悪な声”が響く。
「真央、ちょっと冷たいものでも買って来てくれないか?」
 月彦に手を取られ、小銭を握らされる。そしてその指が示したのは自動販売機ではなく、有人のドリンク売り場だった。
「え……とう、さま?」
「ジュース二人分、真央の好きなのでいいから買って来てくれ」
 言うだけ言って、月彦はどっこらしょーとばかりに近くのベンチに腰掛けてしまう。真央は改めて月彦が指し示したドリンク売り場へと目をやる。若い男性の店員が元気よく声を張り上げ、少しでも利用客を増やそうとしているのが見えた。
(こんな、格好で……買いに行くなんて……)
 しかも異性。想像しただけで足が震え、その場に崩れ落ちそうになる。真央は再度月彦の方を見る――が、月彦はまるで他人のフリでもするように真央とは目も合わせない。
「…………っ…………ンッ……」
 背筋を甘い痺れが走る。足を縺れさせて転ばぬ様に、真央はゆっくりと売り場に向かって歩き出す。
(大丈夫……ちゃんと服を着てる様に見えてる筈、だから)
 何も恥ずかしいことはない。例えこちらに目を向けても、その目には裸など映ってはいないのだと、何度も何度も自分に言い聞かせる。
(ぁ…………もし、父さまが嘘、ついてたら……)
 きちんと服を着ているように見える――それを確認したのは月彦だけだ。葛葉にも見せたが、はっきりと感想を聞いたわけではない。ひょっとしたら、服を着ているように見えるというのは真っ赤な嘘であり、本当は裸が丸見えなのを皆眉をひそめつつも言い出せずに居るだけではないのか――。
「いらっしゃいませ。何になさいますか?」
「ぁ…………えと…………」
 しかし真央の危惧とは裏腹に、冬だというのに真っ黒に日焼けした店員は好感の持てる笑顔を浮かべている。その顔を見るに、およそ裸であることを嘲笑しているようには、少なくとも見えない。
「じゃあ、これと…………これを…………」
 荒い呼吸を悟られまいとすることで頭がいっぱいで、自分が何を選んだのかすら真央には分からなかった。代金を支払い、両手でストロー付きの紙コップを持ち、おぼつかない足取りで月彦の元へと戻る。
「か……買って来たよ、父さま」
「ん、ありがとう、真央」
 月彦がベンチから立ち上がり、ジュースを受け取る。そして真央に身を寄せ、その耳に囁く。
「…………興奮したか?」
 真央はマフラーに口元を埋めるようにして、小さく頷いた。



 楽しい時間というのは、どうしてあっという間に過ぎてしまうのだろう。半裸のまま月彦に遊園地内を連れ回され、やれアトラクションへの道を聞いてこいだの、やれあそこで風船を貰ってこちだのというおつかいを繰り返す内に、真央の興奮はほとんど最高潮に達しようとしていた。
「ね、ねえ…………父さま…………もう…………」
 我慢出来ない――ふぅふぅと肩で息をしながら、真央は何度もそう訴えた。興奮のあまり溢れた蜜で下着はぐっしょりと濡れそぼり、太ももにまで垂れてしまっている。否、或いはもう、靴下にまで達しているかもしれない。
「ねえ、父さま……」
 シよ?――真央は目で訴えかける。公衆トイレの個室でもいい。何なら、アトラクションの建物の裏でもいい。家までなんて、とても待てない――真央は月彦の腕に自らのそれを絡めて身を寄せ、ぎゅうと胸を押し当てながら、シたい、シたいと訴え続ける。
「そうだな……じゃあ、次はアレに乗るか?」
 だから、月彦がそう言って観覧車を指さした時にはてっきり月彦もそのつもりになったんだと思った。個室という意味では些か頼りないが、少なくとも一周して戻ってくるまでの間は二人きりになれるからだ。
(ぁっ……ぁ…………はや、く…………早く…………早くっ……!!)
 月彦と共に観覧車の列に並んだ真央は、何度も叫び出しそうになった。遅々として進まない順番待ちの列に苛立ち、あろうことか客も係員もみんなグルで意地悪をする為にわざとモタついているのではないかとすら勘ぐりたくなる程に、真央は焦っていた。
 冷静になって考えてみれば、そもそも客や係員がどれだけキビキビと動こうが観覧車の回るスピード以上の回転率を出すことは不可能なのだが、それすらも分からない程に真央はいっぱいいっぱいだった。
(早く……早く、早く…………)
 体が疼く。早く、早く月彦に触って欲しくて、貪るように求められたくて居ても立ってもいられない。もし仮に、何らかのアクシデントで観覧車が止まるようなことがあれば、発狂してしまうのではないかとすら、真央は思う。
「おっ、次だな」
 真央達の前の客が観覧車へと乗り込む。あと十数秒もすれば、自分達の番だ――真央は焦れる心を必死になだめすかして、その瞬間を待ちわびる。
 程なく真央達が乗るべきゴンドラがゆっくりと回ってきて、係員が手早く扉を開けて客を降ろした。入れ替わりに真央と月彦が乗り込み、係員がその扉をロックする。
「ああぁっ! 父さまァァッ!!!」
 もはや、人目のあるなしなど気にしてはいられなかった。扉が閉まるなり真央は獣の様に月彦に抱きついていた。
「こーら、真央。“おすわり”だ」
「やぁ! もう我慢出来ないのぉ! お願い、父さま…………シてぇ……!」
「ダメだ、真央。ちゃんと座れ」
 月彦に促され、真央はその隣へと座らされる。が、珍しくその全身からは不満オーラをこれでもかと滲ませていた。
「………………考えてもみろ、真央。こんな窓だらけのゴンドラでヤったりとか出来るわけないだろ?」
 確かに月彦の言う通りだった。ゴンドラはその表面積の7割強がガラス或いは強化プラスチックのような素材で作られており、見通しは抜群だった。同様に外から中を見ることも容易いだろう。
「でも……でもっ……もう………………」
「“我慢”だ。…………でなきゃお仕置きにならないだろ?」
 おしおき――月彦の言葉を、真央は頭の中で反芻する。そうだ、これはお仕置きなのだ。お仕置きならば、苦しくて当然だ。そうでなくてはお仕置きにならないのだから。
(あぁぁ……でも、でも…………でもぉぉ…………!)
 お仕置きだというのは分かる。分かるが、いくらなんでも辛すぎる――そう訴える。
「…………まったく、本当にこらえ性がないな。誰に似たんだか」
 苦笑混じりに月彦の手が伸び、背中を回って左手が掴まれたかと思えば、ぐいと抱き寄せられる。
「あンっ……!」
 ただ、抱き寄せられただけ――それだけで、興奮の極みにあった真央は、軽く達してしまった。続く愛撫を期待して、真央は濡れた目で月彦を見る。――が、予想に反して、月彦は何もしてこなかった。それどころか、まるで真央には興味が無いとばかりにふいと、その目を外へと向けてしまう。
「ははっ、すっげ…………真央、ほら見て見ろ。あっちの方、海まで見えるぞ」
「とう、さま……」
 真央は頭を振る。景色などどうでも良い。自分を見てと、目で訴える――が、肝心の月彦がよそ見をしたままでは気づいてもらえる筈もない。
 こんな“お仕置き”はいくらなんでも酷いと、真央が絶望にうちひしがれかけた――その時だった。不意に、月彦の左手がさわりと、真央の太ももを這った。
「ぇ……あんっ……!」
 月彦の手は、そのまま真央の内ももの辺りを執拗に撫でてくる。あぁぁ――突然の愛撫に、真央はつい蕩けるような声を上げてしまう。
(あぁぁ……もっと、もっと…………お願い、父さま……もっと、真央に触ってぇ……!)
 月彦の左手首を掴み、ショーツの方へとさりげなく誘導する。くすりと、窓の外を見たままの月彦が含み笑いを漏らすのが分かった。その手が、次第に真央の誘導に従い、ショーツの方へと近づいてくる。
「ああァッ!」
 月彦の手がショーツの下へと潜り込み、ドロドロに濡れそぼった秘裂を割り開くように指が侵入してくる――待ちに待った快楽は電撃のように真央の体を駆け抜け、思わず思い切り背を反らせた真央は後頭部をゴンドラの壁で思い切り打ち付けてしまった。
「ずいぶんと強くぶつけたな……真央、大丈夫か?」
「だい、じょぶ…………大丈夫、だから……父さまぁぁ…………」
「くす……頭を打った痛みなんかまるで感じてないって顔だな……まったく……」
 苦笑。そして被さるように身を寄せられ、真央はそのまま唇を奪われる。
(ぁっ、ぁっ、ダメっっ…………キス…………あぁぁぁぁあッ!!!)
 舌を絡ませたわけでもない、ただ唇が触れあうだけのキスで、真央の頭はホワイトアウトしてしまった。ギョッと、驚いて唇を離したのは月彦の方だ。
「おい、真央。服が消えてるぞ」
「ぁ……うん、だいじょぶ、父さま……すぐに…………」
 キスで痺れた頭をなんとか元に戻し、真央はマフラーへと意識を集中する。――その作業を、ショーツに潜り込んだ月彦の指が妨害する。
「あっ、やっ……父さま、今っは……はァァッ……!」
「ほら、ほら、どうした真央? 早くしないとゴンドラが下についちまうぞ?」
 まるで、集中しようとする真央の意識それ自体を指でかき回すかのように、月彦の指が敏感な粘膜の合間で暴れ回る。
「はぁっ……はぁっ……やっっ、ぁっ……ダメッ……父さまっ……おね、がっっ…………ほ、ホントに集中出来ないのぉ!」
 月彦の指の動きに合わせて、勝手に腰がうねる。もっと、もっとと肉襞が月彦の指に吸い付き、愛撫をねだる。頭の中が、ハチミツのように甘い快楽で満たされ、何も考えられなくなる。
「どうした、真央。もう“3時”を過ぎたぞ? 早くしないと本当に――」
 そう言いながら、月彦は胸にまで手を伸ばしてくる。堅くしこった先端を手のひらで転がしながら、ぐに、ぐにと力任せにこね回される。
「だめっ、だめっ……父さま……おっぱいダメぇえっっ…………ほ、ホントにダメなのっっ……気持ち良すぎて、集中できなっっっっ………………ンンンッッ!!!!」
 ビクンッ、ビクッ、ビクッ!
 ショーツの中に侵入した指を折り曲げられ、Gスポットを執拗に擦りあげられ、真央は溜まらず腰を跳ねさせながらイく。ほとんど脱がされたショーツとの隙間からびゅるびゅると潮まで吹きながら、立て続けに二度、三度と襲ってくる絶頂に翻弄され、真央はもう殆ど諦めかけていた。
 月彦からの愛撫の一切が止んだのは、その時だった。
「真央、あと10秒だ」
 その言葉に、真央は理性を総動員する。快楽物質漬けになった頭を総動員し、マフラーに妖力を通わせ、“衣服”を再現するべく“集中”する。
「あと5秒」
 真央にも、ゴンドラが地上すれすれの高さまで来ていることは分かっていた。最後の力を振り絞って、真央はゴンドラの扉が開かれるギリギリになって漸く、衣類の“再現”に成功した。


 一難去ってまた一難。ゴンドラを下りて――びしょ濡れになった床と、真央が座っていたシートに関してはもう、しらんぷりを決め込むしかなかった――月彦が漏らした一言に、真央はそんな一文を思い出した。
「…………そろそろ、下も脱ぐか?」
 下――この期に及んで、まさか靴下を脱げという意味ではないだろう。月彦の言葉に、真央は心の底から震えた。
「ま、待って……父さま……お願い、それだけは……」
「嫌なのか?」
 真央は戸惑い、そして小さく頷いた。
「嘘だな」
 しかしそれは、月彦に否定された。
「昨日だって、自分から下着まで脱いでたじゃないか」
「あ、あれは……違うの…………あの時は…………」
「わかった。真央…………つまり、こう言って欲しいんだな?」
 月彦はため息混じりに言い、人のそれを模している真央の耳の近くへと唇を寄せる。
「“脱げ”」
「ぁっ……」
「バッグを貸すから、さっきみたいにどこか物陰で脱いでこい。今すぐだ」
 ゾクッ……!
 ゾクゾクゾクッ……!
 囁かれただけでイく――それは真央としても、あまり経験の無い事だった。
「は、い…………」
 “命令形”で言われたからには、真央には拒否権など存在しない。月彦が肩にかけていたナップサックを受け取り、真央はふらふらと建物の物陰へと移動し、その場でショーツを脱ぎ捨て――恐らく月彦が忍ばせていたであろうハンドタオルに包んで――ナップサックの中へとしまう。
(……とうとう、下着、まで……)
 昨日は、ここまで脱いでしまったらまともに歩くことすらも出来なかった。真央は恐る恐る、建物の影から身を乗り出し、月彦の元へと戻る。
(こんなに……人が、いっぱいいる、のに……)
 僅かに風が吹いただけで、恥毛の先がそよぎ、甘い痺れが爪の先まで迸る。溢れた三つが太ももを濡らし、ツツと靴下にまで伝うのを感じる。或いは服を着ているように見えていても、“それ”までは隠しきれていないのではないかという危惧すらも、さらなる興奮を呼ぶ材料へと転換される。
 そう、文字通り――真央は全身でこの状況を愉しんでいるのだった。
「…………さすがに“下”をここで確かめるのは、な。…………真央を信じるか」
 月彦が腰に手を回してきて、そのまま共に歩き出す。どうやら行き先は特に決まってはいないらしく、月彦の歩き方は無軌道だった。強いて言えば、その足は常に人が多い場所へと向かっているようだった。
「ふぅーっ………………ふぅーっ………………ふぅーっ………………」
 真央は顎を引き気味に、目元以外を殆どマフラーに隠すようにしながら歩く。大丈夫、周りからは服を着ているように見えている筈だ――今日だけで、一体何度そう念じたことだろうか。そしてその度に「ひょっとしたら、父親に騙されているのではないか?」という疑念が湧き、ひやりと肝を冷やす――そのサイクルを、一体何度味わったかしれない。
「だいぶ日が落ちてきたな。どっかに泊まって帰るかーって言いたいところだけど、母さんに夜には必ず帰るって言っちまったしな」
 隣を歩いている月彦の言葉が、ひどく遠くで聞こえた。興奮のしすぎ――それもある。が、何よりも半日近くマフラーを使い続け、集中力が切れかけているらしいことを、真央は自覚する。
(……だ、め……これ、もう……家までなんて、絶対持たない…………)
 仮に今すぐ遊園地を出てバスに乗ったとしても、駅につくまでには集中の維持が不可能になってしまうだろう。
(父さまに、休憩させて、って……言わなきゃ……)
 このままでは、本当に取り返しのつかない事になる――それがわかりきっているのに、真央はどうしても言い出すことが出来ない。
 そう、真央自身――このような場所で裸を晒すことに、抗いがたい興奮と快感を感じているからだ。
(もっと、もっと……いっぱい見られたい…………)
 本音を言えば、マフラーを外してしまいたい。疑似露出ではなく、実際に見られた時に一体どれほどの興奮と快感が得られるのか、それを確かめたい――それはいつしか、真央の中に決して小さくは無い願望として居座っていた。
(あぁぁぁ…………見られ、てる…………見られて、靴下まで濡らしてるトコロ…………全部……)
 痺れる。全身が燃えるように火照り、下腹が疼いて止まない。鼓動は高鳴りっぱなし、溢れた蜜は靴下まで垂れている――それを年端もいかない子供にまで見られている。
(ああァァァ……!)
 静かな、さざ波のような絶頂。月彦に連れられ、一歩踏み出す毎に。靴を通して足を伝わる微かな振動――それすらも愛撫であるかのように。真央はただ見られ、歩くだけで小刻みにイき続ける。
「………………ダメだな。もうちょっと持つかと思ったが」
 不意に、月彦が呟き、そして足を止めた。
「とう、さま?」
「真央、来い」
 そして乱暴を引かれ、真央は早足に歩かされる。危うく転びそうになりながらもなんとか体勢を立て直し、月彦の後についていくとやがていくつかの飲食店が見えてきた。広場には無数の椅子とテーブルが置かれ、そのうち半分ほどが既に埋まっている。また何かおつかいでもさせられるのだろうか――そんな真央の予想を裏切って、月彦は飲食店の裏へと回るや唐突に足を止めた。
「と、父さま……? きゃん!」
 真央はさらに手を引かれ、最後には肩を押される形で飲食店の裏手の壁へと背中を押しつけられる。悲鳴を上げながらも真央は月彦の顔を見上げ、そして全てを理解した。
「悪いな、真央。……もう、我慢の限界なんだ」
「とう……さま……?」
 ふぅふぅと、ケダモノのような息使い。真央は最初、それは自分のものだと思っていた。しかし、違った。
「本当は、家に帰ってからのつもりだった。それまでくらいは我慢できるって思ってた。…………けどな、ダメだ。すぐ隣で、こんなに“美味そうな匂い”を垂れ流されたら、我慢なんて出来るわけがない」
 月彦の手が、乱暴に真央の胸を掴む。
「実を言うとな、観覧車の時もそうとうヤバかったんだ。真央を押し倒しそうになるのを、歯を食いしばって我慢してた。真央の方を見てると、それだけで頭がどうにかなっちまいそうだから、外の景色を見て必死に気を紛らわしてたんだ」
 “ネタバレ”をしながら、月彦の右手がぐにぐにと乳肉をこね始める。それだけで真央は甘い声を上げてしまいそうになる――が、それ以上に、月彦の言葉に聞き入っていた。
「考えてみたら、ずいぶん長い間真央とシてないんだから……我慢なんて出来るわけが無かったんだ。ましてや、“完全に出来上がってる真央”の側で、発情フェロモン全開でハァハァ言われ続けたら…………なぁ真央、どうなると思う?」
 真央の目は、既に月彦の顔を見ていなかった。その下、今にもベルトの金具をはじき飛ばさんばかりに怒張しきったその場所へと、真央の両目は釘付けになっていた。
(う、そっ……何、アレ…………父さまのって、こんなに…………)
 大きかっただろうか。それとも、離れていた時間が、そう感じさせているのだろうか。そのあまりの質量と、凶暴な息使いから自分がどんな目に遭わされるのかを夢想し、危うくイきそうになるのを辛くも堪える。
 そう、想像などでイくのはもったいないと――母に似て、こと快感に関してはどこまでも貪欲な体が強引にストッパーをかけたのだ。
(あぁ……あぁぁ……アレ……父さまの、アレ……欲しい、早く、欲しい…………!)
 両目で月彦の股間をガン見しながら、真央はゴクリと生唾を飲む。何度も、何度も。肩を大きく揺らし、自身もケダモノのように息を荒げながら。
「…………“咥えろ”なんて言わないぞ、今日は。もう、真央が欲しくて欲しくて、気が狂いそうになってんだからな」
 真央の視線に気づいて、月彦は手早くベルトを外す。忽ち、グンと天を仰ぐように現れたそれを、トロトロのグチョグチョになっている場所へと宛がってくる。
「ぁっ……ま、待って……父さま…………こんな、ところ、で…………」
「うるさい。家までなんて待てないんだよッ…………挿れる、ぞ……真央…………声は、抑えろよ?」
「ま…………待っっ……………………〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜っっっ!!!!!!!!」
 堅く熱い、肉の塊が濡れそぼった蜜壺の入り口にキスをする――次の瞬間、真央は慌てて右手で口を塞ぎ――そして、奥の奥まで貫かれながら、達した。


 



 挿れられただけで、イく。それは真央にとって、珍しいことではなかった。しかし、挿れられた瞬間に出されたのは、ひょっとしたら初めてではなかったか。
「ふっ、くっ……はぁ…………」
 ググンと、剛直の先端で子宮口を押し上げられながら、真央は爪先が地面から離れるのを感じていた。壁に押しつけられながら、同時に月彦に抱え上げられるような形で突き上げられ、そのまま――。
「っっ……! ンンッッ……ッ!!! ンンンーーーーーーッ!!!!!!」
 慌てて、口を押さえる。ぐりっ、と押し当てられた肉の槍の先端から迸る、特濃の牡液の奔流。剛直に密着した粘膜越しに感じる、絶頂の脈動――真央は視界に火花を散らしながら、イく。
(っっっ……とう、さまのっ……ドリュゥゥって、入って……! 注ぎ込まれて……ッ!!)
 イく。
 剛直が脈打ち、びゅぐんと濃厚な牡液が撃ち出される度に、真央は二度、三度とイかされる。
(ま、またっ……っ……イッ……っっっ〜〜〜〜〜〜ッッ!!!)
 真央に出来る事は、度重なる絶頂の波状攻撃にさらされながら辛うじて意識を繋ぎ続ける事と、声を上げぬ様口をふさぎ続ける事のみだった。
「くっ……はぁっ………………」
 永遠にも思えた射精が漸く一段落つき、月彦がそんなため息じみた息を吐く。が、完全にイき癖をつけられた真央の方は射精が終わって尚、絶頂の波が止まらず、その体は痙攣を繰り返したままだ。
「ふーっっ……ふーっっ……真央の中、ヤバいくらい吸い付いて来やがる…………そんなに飢えてたのか?」
 真央は口を手で覆ったまま、小さく何度も頷く。
「……ま、それは俺も同じなんだけどな」
 苦笑。そして月彦によって手が退けられ、そのまま唇を奪われる。
「ンッ…………ぅうッ……!」
 唇を重ねたまま、ゆっくりと月彦が動き出す。足は以前浮いたまま、片足だけが膝裏で月彦に抱え上げられるような不自然な姿勢のまま、真央は壁についた背中でなんとか体を支えながら――ゾクゾクするほどの快楽に酔いしれる。
(あっ、アッ……父さまの、が……動いてるのが、分かる……アァァッ!)
 月彦の言う通り、極度の飢餓状態であった為か。いつもよりはっきりとその堅さが、熱が、形が感じ取れる。肉の槍に貫かれ、敏感な粘膜が擦りあげられながら、無理矢理形を変えさせられる――まるで型どりでもされているかのように、“父親の形”がはっきりと分かるのが、嬉しくて堪らない。
「っ……こら、真央っ……だからっ、そんなにっ……」
「そんなに……?」
 はぁはぁと息を弾ませながら、真央は小声で聞き返す。両手を甘えるように月彦の首に引っかけ、自ら腰をくねらせて。
「ッッ……ッくッ……すっげ……生き物みたいに絡みついてきてッ……なんでこんな風に……ッッ……」
「父さま……真央のナカ、気持ちいい?」
 あまりにも苦渋に満ちた月彦の顔に、真央はつい不安にかられてそんな質問をしてしまう。
「……ばかっ」
 返事は、そんな悔し紛れの一言だった。
「気持ちいいに、決まってる、だろ…………むしろ、良すぎて……くぁぁぁぁッ……」
 嬉しい! 父さま、もっと真央のナカで気持ちよくなって?――その思いを、“下腹部”に込める。困った事に、月彦に気持ちよくなってもらおうと真央が努力をすればするほど月彦の表情は苦悶に満ち、脂汗にまみれてしまった。
「……“悪い子”だ。そんなに“欲しい”のか?」
「うんっ……すごく、欲しいの……」
 真央は頷き、甘えるような声で、続ける。
「父さまのえっちなミルク……真央のナカにいっぱい、どぴゅどぴゅってシて欲しいの……」
「…………まったく。これじゃあお仕置きにならないな」
 真央をただ喜ばせているだけだ――自嘲気味に言って、月彦がスパートをかけはじめる。真央もまた思わず大声を上げてしまいそうになって、慌てて口を噤み、右手で押さえた。
「ンンッッ……ンンッッ! ンンッ……!」
 突き上げられ、さらに首筋、胸元にキスの雨を降らされながら、真央は仰け反るようにして――イく。何度も、何度も達する度に、ハグでもするように意識して剛直を締め上げる。
「っっ……ま、おっ……」
 やはり、月彦も相当に溜まっていたのだろう。いつになく限界を迎えるのが早い。もちろん、だからといって不満にも、ましてや失望したりはしない。
(……だって、父さまがイくのは、それだけ気持ちよくなってくれた証拠だから)
 自分の体で、月彦を喜ばせることが出来た――それが真央には純粋に嬉しい。もっと、もっと月彦に必要とされたいと、そう願わずにはいられない。――否、“必要とされたい”というのはあくまで通過点に過ぎない。真央が目指すのはあくまでその先……そう――
「ンッ……っっっ……っっっっッ!!!!!! …………ーーーーーっっっ!!!!」
 口を必死に抑えながら、喉奥で叫ぶ。どぷどぷと白濁液を注ぎ込まれながら、失神と覚醒を交互に繰り返すほどの絶頂に翻弄されながら。
「ァッッ……………………………………ハァァ………………♪」
 ぶるりと体を震わせ、法悦の息を漏らす。男に抱かれて、その子種をたっぷりと注ぎ込まれる快楽。真央は月彦を見上げながら、さながら淫魔のそれのように笑う。
「父さま……もっと、もっと……真央に夢中になって……? 父さまの濃いの、全部……真央に受け止めさせて?」
 キュン、キュンと締め上げながら、真央は“おねだり”をする。目の前の男が、自分無しでは生きていけないようにする――そんな無意識下の目論見は、既に半ば以上成功していた。


 “外で”というのも、意外とバレないものなのかもしれない。真央がそう思ったのには、もちろん理由がある。
 建物の裏手へと回り、極力人目につかぬよう、そして声も漏らさぬようにしながら月彦に抱かれること一時間以上。首にぶら下がるようにしてたっぷりと注ぎ込まれた後は一度下ろされ、壁に手をつかされ、背後から獣のように犯された。何度も、何度も注ぎ込まれた白濁液が溢れ出し、靴下にまで染みる――その頃にはすっかり日も落ちてしまっていた。
「ねぇ、父さま……口でさせて?」
 真央がそう切り出したのは、十数度目の中出しの後だった。月彦に求められ、気持ちのたっぷり籠もった白濁液を注がれれば注がれる程に、自分も月彦に奉仕したいという気持ちが強くなるのだ。
「あぁ、わかった」
 ぜえぜえと肩で息をしながら、月彦が壁にもたれ掛かる。真央はその前に膝立ちになって――地面は土だが、膝が汚れることなど気にもしなかった――ギンギンにそそり立っている剛直を優しく握り、そのまま頬ずりをするように舌を這わせる。
「あっ……ンッ……」
 なんて力強く、逞しいのだろう。舌を這わせながら、真央は改めて惚れ惚れする。先ほどまでたっぷりと自分を可愛がってくれた剛直が愛しくてたまらず、真央はキスの雨を降らせながら丁寧に舐めあげる。
(いつもの部屋じゃなくて、お外……なのに……)
 さっきまでは、月彦に突きまくられてとてもそんな余裕はなかった。しかし今は辺りに満ちる人の気配が否が応にも伝わってくる。壁の向こうからは店員の声が聞こえ、集中すればその内容すらも聞き取ることが出来るかも知れない。
 しかし、真央にしてみれば“他人の声”などはこの場合ただの興奮を増す材料くらいにしか考えられなかった。いつ、誰に見られるかわからないこの状況で。がやがやと不特定多数の声が聞こえる場所で跪き、雄々しく反り返った肉の槍を舐めている――そんな自分に身震いするほど興奮しているのだ。
「んはっ……んくっ…………んふっ……んっ、んっ、んっ……♪」
 咥え、頭を前後させながら喉奥まで頬張る。月彦の顔を見上げながら、精一杯に奉仕する。時折口の中でビクビクと嬉しそうに震える剛直に思わずうっとりと目を細めながら、真央は夢中になって頭を前後させる。
 ――そんな時だった。
「いや、マジマジ。ぜってーヤッてるって」
 そんな言葉と共に近づいてくる、複数の足音。真央は慌てて奉仕を中断するが、足音はもうすぐ側――建物の角の向こう辺りにまで迫ってきていた。このままでは、隠れるどころか立ち上がる時間すら与えられずに見つかってしまうだろう。――そんな断末魔の一瞬、真央の中に潜む爆発力がとてつもない冒険を生んだ。
 普通ならば、青姦の最中に他人に見つかりかけた場合、隠れるかそれとも逃げるかの二択だ。しかし真央は瞬時にマフラーに妖力を通わせ、その力を“拡張”させた。
「……ンだよ、誰もいねーじゃん」
「あれ……っかしーな……ヤッてる声が聞こえた気がしたんだけどな」
 角から現れたのは、若い三人組の男だった。その全員の視界は間違い無く月彦と真央を捉えた筈だった。しかし三人組はそのまま愚痴を零しながら広場の方へと戻っていく。
「何……だ? なんで見つからなかったんだ……?」
 月彦が絞り出すような声で言った。
「真央が何かしたのか?」
 言われて、真央は気がついた。咄嗟にマフラーの力を使って、自身のみならず月彦までもを他者の認識から消したことに。
「…………咄嗟に、父さまも一緒に消さなきゃって思ったの……多分、巧くいったんだと思う」
「……………………そんな事も出来るのか」
 感心するような、呆れるような呟きだった。何より咄嗟にそんなことをやった自分自身に真央自身驚いていた。
(…………多分、父さまが一緒だから……)
 自分一人の時に、やれと言われても恐らく出来ないのではないだろうか。“服”の件についてもそうだ。月彦に巧く出来たらお仕置き(ルビはごほうびでもOK)と言われたからこそ出来たようなものだ。
「成る程。真央も人が悪いな……こんなことが出来るなら教えてくれればよかったのに」
「わ、私も……驚いてるの……」
「てことはアレか。真央が服を着ているように見えたのと同じように、今は周りからは認識されないし、姿は当然声とかも聞こえない――そういう事か?」
 真央は少し考え、頷いた。先ほどの三人組の反応を見るに、少なくとも姿は間違い無く見えていない筈だ。
「そういうことなら…………真央?」
 月彦に手を引かれ、立たされる。さらにその耳に、唇が寄せられる。
「………………えっ?」
 聞き違いかと思って、真央は見開いた目で月彦を見た。同時に、その口元に浮かんだ邪悪すぎる笑みに、決して冗談などではないということも、真央は悟った。
(そんな……父さま…………ホントに、するの……?)
 ぶるりと肩を抱きながら、真央は早くも息を乱す。甘い痺れが全身を貫き、その両目は期待に濡れる。
「……ほら、真央?」
 もちろん、抵抗など出来るわけがない。する気もない。真央は月彦に誘われるままに、さらなる快楽に興じるのだった。


「あっ、あっ! あんっ! あんっ!」
 月彦に抱え上げられ、真央自身もその手を首に絡め足を腰に絡めて落ちないようにしがみつきながら、声を荒げる。
「あっ……! あぁぁっ…………!! あぁぁぁぁぁぁっ!!!!」
 尻と腰がぶつかる音を響かせながら、真央は大きく仰け反り、舌を突き出すようにして――イく。
「あァァァァッ!!!」
 ビクビクビクッ……! ビクッ! ビクッ……!
 絶頂が終わらない。電撃の様な快楽が何度も何度も体を貫き、その度に真央の体は痙攣し、歯を食いしばって意識を失わぬ様終わらない絶頂の波に耐えねばならなかった。
「うっ、お……! スゴいイき方だな、真央……やっぱり見られてると興奮するのか?」
「ァァアッ……! いひぃぃッ……ら、らってぇ…………こん、な、トコロ…………でぇッ……!」
 日が落ち、ライトアップされた広場。大通りと言っても良いその場所は両脇に飲食店や土産物屋が並び、行き交うカップルや家族連れに溢れている。そのただ中で、真央は月彦に抱かれていた。
(ぁっ、ぁっ……まわり、に……こんなに、人が……いる、のに……)
 すぐ側を、風船を手にした子供が駆け抜けていくこともある。友達同士らしい女子中学生三人組にぶつかりそうになることもある。そんな場所で月彦に抱かれている――未曾有の経験に、真央の興奮は最高潮に達していた。
「まったく、真央に露出の気があったなんてな。いくらなんでもイき過ぎだぞ?」
 尻肉を掴む手が爪を立ててくる。この不良娘がッ!――まるでそう罵るかのように、剛直が堅く、ググンとそそり立つ。
「あヒぃぃ!」
 根元まで挿入されたままの剛直がさらに肥大し、堅くそそり立つその感触に真央は悲鳴を上げながら月彦にしがみつく。
(あぁぁっ……父さま、叱ってぇ! 悪い真央を、もっと叱ってぇ! お仕置きシてぇ!)
 惚れ惚れするほどに堅い剛直に身も心も蕩けそうになる。むしろ、早くガン突きして欲しいとばかりに真央は自ら腰を前後させ、抽送をねだる。
「……ったく、どうしようもない“淫乱”だな」
「――っっ……!」
 ぼそりと、耳に囁かれた言葉に、真央の体は過敏なまでに反応した。
「どうした? 好きだろ? “淫乱”って言われるの」
「やっ、やぁぁっ…………と、父さま…………そんな事……言わなっ…………〜〜〜〜〜〜っっっっっ!!!!!!!」
 ゾゾゾゾゾゾッ――!
 “これ以上”の興奮などないと思っていた。“その壁”を、囁き一つで壊される。
「ああアッ! あァァーーーーッ! あああァーーーーーーーーーーーーーーッ!!!!!」
 そうして興奮した所を狙うように突き上げられ、さらに体を揺さぶられて真央は弾かれるように声を荒げる。髪を振り乱し、周りに不特定多数の人間が居ることなどおかまいなしに絶叫する。
「らめっ、らめえっ! もっっ……イクッ! イクイクッ! あーーーーーーッ! イクッ……またイクッ……イッちゃうイッちゃうイッちゃう! アァァーーーーーーーーーーーーーッ!!!!!」
「……っっ……ま、おっ…………!」
 ズンッ――!
 一際強く突き上げられ、そのまま強く、強く抱きしめられる。
「あァァーーーーーーーーーーーーーーーーッッッ!!!!!!!」
 絶頂に次ぐ絶頂。
「あヒぁっ……ひァッ……! ひぃっ…………んぃぃっ……濃い、のぉ…………おいひぃ……ぁんっ……!」
 剛直が脈打ち、その都度“濃厚なスープ”をたっぷりと注ぎ込まれる。舌の代わりに敏感な粘膜で味わいながら、真央は積もりに積もった寂しさが徐々に氷塊していくのを感じた。



「けっこう遅くなっちまったな……。すこし急いだ方が良さそうだ」
 遊園地を去り、最寄り駅まで戻って来た時には、既に八時を過ぎていた。月彦の言う通り、少し急いだ方が良いかもしれないと真央も思う。
(………………スゴかった)
 右手は月彦と繋いだまま、真央はうっとりと服の上から腹部を撫でる。“行き”は下着のみであったのに帰りは衣類を纏っているのは、ひとえに月彦がナップサックに着替えを入れてきていたからだ。
(あんなに人が居るところで、父さまにいっぱい…………)
 下着姿で連れ回され、挙げ句全裸まで強いられて。恥ずかしさと緊張で興奮の極みに達したところで抱かれる――ある意味理想的なデートだった。
(かなり……疲れたけど……)
 疲労の原因の9割は、マフラーの使いすぎと言わざるを得ない。月彦に服を貰うまで、殆ど常時使いっぱなしだったのだ。むしろ、よく一日持ったと真央自身驚きを隠せない。
(…………父さまが一緒だったから)
 自分一人であれば、それこそ2時間と持たなかっただろう。父親の期待に応えようとすればするほど、真央は体の奥底から無限の力が湧いてくるかの様な錯覚すら感じるのだった。
(……やだ、また……)
 うずっ……ほんの一時間前までの事を思い出して、下腹が疼く。あんなに何度もイかされ、たっぷりと注ぎ込まれて。マフラーの使いすぎて精神的にも疲労困憊である筈なのに。
(もっと、シたい……って……)
 呼吸までが荒くなる。ダメだ、さすがにすこし自重しなければ――そう思う。ただでさえ、今日は月彦の前でありえないほどに乱れてしまった。不特定多数の視線を集めながら――実際には見えていないのだから、視線を集めたわけではないのだが――イき狂う様を散々に見せてしまった。
 この上まだ物足りないなどと言おうものなら、興奮を誘う決め文句的な意味ではなく、本当に“淫乱”だと思われかねない。
(せめて……お家に帰ってから、なら……)
 家に帰り着き、シャワーを浴びた後なら。それならば月彦に“誤解”されることもないだろう。
「……そうだ、真央。帰る前に飯でも食うか?」
「えっ……? で、でも……義母さまがご飯用意してるかもしれないし……」
「それもそうだな。それにますます遅くなっちまうか」
 頷き、月彦が歩速を上げる。もちろん真央の本音は一刻も早く帰宅して“続き”がシたいというものだったが、どうやらバレなかったらしい。
 ホッと安堵の息をついたのもつかの間。
(あっ……!)
 唐突に、真央は自分の足が止まるのを感じた。
「……? 真央、どうした?」
 月彦もまた、足を止める。真央が足を止めた場所は住宅街の中に設けられた公園の入り口だった。
「真央?」
 月彦を無視しているつもりはなかった。それ以上に、真央の中に沸々とわき上がってくる一つの衝動に翻弄されていたに過ぎない。
「父さま……あのね……」
 ダメだ、我慢しないと――真央の中の理性が半狂乱になって制止する。が、それは暴走する機関車から伸びたロープを掴んで個人の力で制止させようとするかの如く実を結ばない行為だった。
「帰る前に……もう一回だけ…………」
 真央は息を乱しながら、震える声で言いながら、公園内のベンチを指さす。そう、かつて月彦に抱かれる妄想と共に自慰に耽ったベンチを。
「お願い、父さま……」
 もはや、月彦にどう思われるかなどと気にしている余裕は無かった。やれやれと、月彦はため息混じりに首を振り、そして真央の肩を抱いた。
「…………今日だけ、特別だぞ?」
 
 ベンチに腰を下ろした月彦に跨がり、真央は自ら腰を前後させながら喘ぎ、濃厚にまぐわった。耳も、尻尾もさらけ出して、ケモノのように声を荒げながら。尾を愛撫されながら淫らに腰を振り、耳を甘噛みされながらイき続けた。
「ンッ、んっ、んっ♪ んっ、んっんんっ♪ んんっ♪」
 唇を重ね、両手で月彦に抱きついたまま真央は腰を前後させる。両足で月彦の体を挟み込み、クイクイと前後させながら粘膜で剛直を扱き上げるのが、堪らなく気持ちいいのだ。
(あっ、あっ……イイッ……! あぁぁぁッ!!!)
 今回は“妄想”ではなく、実際に繋がっている、抱かれている。真央は何度も何度もそのことを反芻し、興奮を高めながら腰を振る。
「お、おいっ……真央……!」
 ぎっしぎっしとベンチを軋ませながら、真央はさらに踊るように腰を振る。両手はしっかりと月彦の首に絡め、或いは服を掴み、思いの丈をぶつけるようにその身をくねらせる。
「あハァァァ……! イイぃ……父さまぁ…………すっごく気持ちいいのぉッ……!」 「ちょっ……こらっ……少しは遠慮っっ……くぁぁぁ…………!」
 マフラーの効力で姿も、音も消せると分かっているからだろうか。声を抑えることもせず、動きを加減することもせず。
 真央は欲望のままにその身を躍らせ、サカり声を上げ続ける。
 ――マフラーが燃えだしたのは、そんな矢先だった。
「お、おいっ真央……なんか、焦げ臭くないか?」
 先に気づいたのは月彦で、尚も快感に惚けている真央の首から無理矢理にマフラーを引っこ抜くやそのまま放り投げる。そこで漸く真央も異常事態に気づいたが、出来る事といえば月彦にしがみついたままメラメラと燃えるマフラーを見守ることだけだった。
 ほんの十数秒でマフラーは灰となり、かすかに残った燃えかすも風に吹かれて消えた。呆然とする真央を現実に戻したのは、ぺちんと尻を叩かれた痛みだった。
「か、帰るぞ!」
 絶対に見られないという保証あっての野外プレイなのであり、それがなければとても出来ないという月彦の考えに、真央も賛同した。慌てて衣類を正し、逃げるように公園を去った。


 ……余談ではあるが、後にこの日は“とある遊園地の近くのラブホテル”だけすべて満室となり、しかもその中にはカウンターに子供を預けてまで泊まろうとする“どう見ても普通の家族連れ”にしか見えない客まで混ざっていた。結果部屋数がまったく足りず、真冬にもかかわらず野外で交尾に耽るカップルの姿がそこら中で目撃されたという“いろんな意味で伝説の日”としてホテル関係者に語り継がれることとなるのだが、もちろんたっぷり半日かけて発情フェロモンを振りまいた二人の耳に入ることは無かった。

 

 

 

 

 


 

 

 


 ――数日後。

 朝、身支度を済ませた真央は自室の机の上に、一枚の紙を広げていた。
「真央、何やってんだ?」
「あっ、父さま! んとね、母さまと連絡取ろうとしてるんだけど……」
 真央は目の前に広げられた紙へと視線を落とす。狐狗狸さん風にあいうえおが並んだそれは、真央が母に教えて貰った簡単な遠距離間の意思伝達妖術に用いるものだ。
「真狐に? なんでまた……」
 月彦が、露骨に訝しむ目をする。尋ねるまでもなく「あいつには関わるな」という偽らざる気持ちがひしひしと伝わってくる。
「……せっかく母さまがくれたマフラー、燃やしちゃったから……謝らなきゃいけないって思って」
 嘘をついているという罪悪感が、月彦から目を逸らさせる。母から貰ったマフラーを燃やしてしまったことに罪の意識を感じているのは事実だが、連絡を取ろうとしている理由は他にあった。
(…………母さまなら、きっと“作り方”も知ってるはず……)
 あのマフラーが燃えてしまった理由は分からない。元々の出来が悪かったのか、それとも本来の用途とは違う使い方を続けてしまった為か。どちらにせよ、真央は新たなマフラーを欲した。理由は無論、“外でのプレイ”にすっかりハマってしまったからだ。
「真狐、なぁ。真央には悪いが、多分しばらくは連絡とれないと思うぞ?」
「えっ……?」
 あの母ならば、きっと“アレ”よりも優れた妖具の作り方も心得ている筈――そんな淡い期待を抱いていた真央は、月彦の言葉を理解するのが遅れた。
「どうして? 父さま」
「あー、うん……なんて言ったらいいか…………真央、ソレってあれだろ? 真狐が俺たちを追いかけて鏡の中に行っちまったあとは連絡とれなかったんだろ?」
「うん。でも、父さまが戻ってきたなら……」
「いや、アイツはまだ戻って来てないと思うぞ。こっちに戻ったのは俺と珠裡だけだ」
「……???」
 月彦の言葉がまたしても理解できない。二人が戻ってきたのならば、母が戻ってこない理由などない筈だからだ。
「うーん…………あの世界のことは未だに俺もよくわからないんだ。分かってる事は、向こうじゃ1ヶ月くらい過ごしたけどこっちじゃ一週間しか経ってなかったってことと、こっちに戻るのに使える鏡はあの世界に一枚しかないってことだ」
「一枚だけ……なの?」
「姿見みたいな、結構大きな鏡なんだけどな。それをドアみたいに潜るんだ。壊れたりしたときに直したりするのは難しくないらしいんだが、二つ目三つ目の“ドア”は作れないって仕組みらしい」
 真央は黙って月彦の言葉を聞き続ける。とりあえず“壊れても直すのは難しくない”のであれば、少なくとも行き来出来る通路が無くなったから帰れないわけではないらしい。
「で、だ。向こうに居た間の1ヶ月間、俺とまみさんはアイツにさんざん煮え湯を飲まされてな。なんだかんだあって無事珠裡を保護して、さあ帰ろうって時に、まみさんだけが残るって言い出したんだ」
「父さま……それって……まさか……」
「うん。まみさんが張ってるんだ。ゴゴゴゴゴってなったまま、向こう側の鏡の前でずーーーっと」
 うわぁ……真央はついそんな声を漏らしてしまう。
「まみさん、あいつのちょっかいにかなりブチ切れてたからな。いくら真狐の奴だって、まみさんとガチで殴り合ったりできるわけじゃないだろうし。どうしても通らなきゃいけない通路の側で待ち伏せされたらどうにもならないだろうな」
 くつくつと、まるで“困る様”を見てきたかのように月彦が嗤う。
「つーわけで、悪いが当分アイツは戻ってこないぞ。ひょっとしたら二度と戻ってこないかもしれないが、それはそれで万々歳だ」
「そんな……父さま……」
 酷い――とは、言えなかった。大好きな母ではあるが、月彦にとっては決して“良き伴侶”等ではない事は、真央もよく分かっているからだ。
「………………それとな、真央。一応言っとくが――“あのマフラー”をまた手に入れて使おうなんて思うなよ?」
「えっ……? …………ど、どうして? 父さま」
 思いも寄らぬ言葉に、真央は反応が遅れた。月彦が「やっぱりか……」という顔をする。
「“アレ”はあの日限り、特別な“お仕置き”だ。真央には寂しい思いさせちまったし、約束も破っちまったからな。…………言っとくけど、あんなヤバい真似、俺はもう二度としないからな?」
「で、でも……」
「とにかくダメだ。…………だいたい、いくら周りからは見えてないって言っても、真央の裸を他の男に見られるかもしれない場所で晒すのは嫌なんだ。……真央は、“俺のモノ”だからな」
「ぁっ……」
 髪を、そして頬を優しく撫でられる。それだけで、ぶるりと――体が“反応”する。
「当然、真央の裸を見ていいのも俺だけにしたいんだ。…………わかってくれるか?」
「う、うん…………わか、った……」
 ふぅ、ふぅ……上気した体を冷ますように肩で息をしながら、真央は頷く。そんな真央の“状態”を見て、月彦が苦笑する。
「……これ以上煽ったら、逆に押し倒されそうだな。そろそろ出ないと遅れちまう、真央、急ぐぞ!」

 そして、“いつもの日常”が始まるのだった。

 


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――以下おまけ。読みたい方だけどうぞ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 一人暮らしをするにあたって不便だと感じることは多々あるが、その最たるものは体調を崩した時のどうにもならなさではないだろうか。
 朝。宮本由梨子は高熱に朦朧としつつも学校の方に欠席の連絡を入れた後、殆ど気絶するように床に伏した。が、熟睡できたわけではなく、寝ているのか起きているのか自分でもよく分からないような夢うつつのまま、悪化も回復もしない容態に翻弄され続けていた。
 途中、耐えがたいほどの喉の渇きを覚え、殆ど這うようにベッドから出る。フラつきながらもなんとか台所へと移動し、冷蔵庫に入れてあった水差しの茶をコップ一杯半ほど飲み、その段階で漸く自分がまだ解熱剤すら飲んでないことに気がつき、コップに残った半分の茶と共に薬を飲んでベッドへと戻った。
 ベッドから出たついでに氷枕も持ってくれば良かったと後になって気づいたが、どうにも体が重く再び立ち上がることが出来ず、由梨子は再び夢と現実の境界へと身を躍らせる。
 アパートの周囲は静かで、道を行き交う車の音を除けばエアコンの室外機の音しか聞こえない。人の声はおろか鳥のさえずりすら聞こえないのは、寒さ故だろうか。
(あっ……そうだ……)
 今夜はバイトも入っていたことを思い出し、由梨子は俄に意識を覚醒させる。携帯を手探りでたぐり寄せ、料亭の方に今夜は病欠する旨を伝え、これで一安心とばかりに由梨子の意識はすとんと夢の領域へと落ち込んだ。
 由梨子が再び意識を取り戻したのは、携帯のバイブ音がきっかけだった。ひょっとしたら料亭のほうからの折り返しの連絡かもしれないと画面を見てみると、内容は真央からのメールだった。学校帰りに見舞いに行ってもいいかとの打診に、由梨子は一瞬心が動くのを感じた。朝からずっと心細くて堪らなかった。真央が来てくれれば、どれほど励みになることだろう。
 ぴんぽーん――どこか間の抜けた響きと共にインターホンが鳴ったのは、丁度由梨子が返信のメールを打っていたその時だった。
「えっ……そんな……真央さん、もう……?」
 ハッとして時計に目をやると、時刻はまだ1時過ぎ。いくらなんでも早すぎる。ならば、新聞か宗教の勧誘あたりだろうか。
 無視を決め込み布団を被り直す。薬が多少は効いてきたのか、水を飲む前よりは若干具合が良くなったような気がした。結局インターホンは二度しか鳴らず、由梨子はそれ以上雑音に悩まされることも無く、再び浅い眠りへと落ちた。

 ……。
 今度は、夢を見た。夢の中でも由梨子は相変わらず風邪を引いていて、床に伏している。が、現実との違いはその傍らに月彦が居ることだった。
 汗が染み混み熱気の籠もった枕を涼やかな氷枕へと変えてもらい、さらに良く絞ったハンドタオルが額へと乗せられる。由梨子は微笑みながら礼を言い、手を伸ばして月彦の手を握った。
 その感触があまりに生々しくて、由梨子の意識は再び夢の領域から現実へと引き戻された。
「えっ……」
 夢――だと思っていた。しかし実際に枕は変わっていて、額にはひんやりとしたタオルが乗せられていた。暈けた焦点を合わせ、ベッドの傍らで膝を折っている相手の姿を見るなり、由梨子は慌てて体を起こした。
「は、白耀さん!?」
「ああ、由梨子さん。良かった……話しかけても返事をされないので心配していた所だったんです」
 ホッと、安堵するように言われて、由梨子の方が混乱した。何故、一体どうして白耀が目の前に居るのか。
「申し訳ない、失礼かとは思ったんですが、どうしても気になってしまって……勝手に入らせてもらいました」
 白耀の言葉に、由梨子はハッとする。ひょっとしたら、先ほどのインターホンの相手は勧誘ではなく白耀だったのか。
「えと……すごく、びっくりしましたけど……でも、ありがとうございます。一人で心細くて……」
 白耀が、再度安堵の笑顔を見せる。来て良かった――そんな気持ちが優しさのなかに滲み出るような微笑みだった。
「そうだ、お腹は空いてませんか? 何か作りましょうか?」
「いえ、そんな……!」
 断ろうとした矢先、空気を読まないお腹がキュウと鳴き、由梨子の弁明を台無しにする。
「粥でも作りましょう。実はとっておきの材料があるんです」
「ぁ…………ありがとう、ございます…………」
 由梨子はもう、顔を真っ赤にしながら布団に潜るしか無かった。苦笑混じりに白耀が立ち上がり、台所へと移動する。
(……白耀さん…………嬉しいけど、でも、どうして……?)
 布団に潜ったまま、由梨子は考える。白耀は合い鍵でも持ってるのだろうか――そこまで考えてそういえばと思い出すことがあった。月彦からだったか、真央からだったかは忘れないが、白耀はその体を霧のように変じさせることが出来ると。恐らくそれでドアの隙間から入ったのではないだろうか。
 合点がいくと同時に、携帯が震えるのを感じた。見ると真央からのメールであり、そういえばまだ返信の途中であったことを由梨子は思い出した。
(でも、どうしよう……)
 あの時は、確かに真央に見舞いに来て欲しいと思った。しかし今は事情が違う。もしこの場に真央が来たらどう思うだろうか。
(……白耀さんとやましいことなんて、何もない、けど……)
 真央に白耀が部屋に来ているところを見られ、そのことを月彦に――もちろん、月彦が無事帰宅したあとで――伝えられるだけで、あらぬ疑いをかけられるのではないだろうか。
 瓜田に履を納れずの言葉通りに、疑わしいととられる行動は予め避けるべきだ。真央には悪いが、見舞いは断ろうと、由梨子は真央にも風邪が伝染るといけないからと丁寧に断りを入れた。が、真央の方も何故か簡単には引き下がってはくれず、或いは白耀の存在を嗅ぎつけているのではと危ぶみたくなるほどに執拗に見舞いをしたがったが、数度の断りの後に漸く引き下がってくれた。
 携帯を置き、ふうと一息をついたのもつかの間。今度は台所の方からなんとも香しい匂いが漂ってくる。嗅いでいるだけでほう、と気持ちがとろけてしまいそうなほどに、陶然とさせる匂いだった。
「お待たせしました」
 盆を手に白耀が部屋に戻ってきた。盆の上には木匙と粥の漏られた皿、そして陶製の小さな急須のようなものが乗せられていた。皿はもともと家にあったものだが、木匙と小さな急須は見覚えがないから恐らく白耀が持参したものなのだろう。
「さあ、どうぞ。由梨子さん」
 白耀の手を借りる形で上体を起こし、膝の上に掛け布団越しに盆ごと置かれる。
「蜜はお好みでおかけください」
「蜜……?」
 どうやら急須の中身は何かの蜜らしい。粥の上で傾けると、とろり、とろりと琥珀色の液体が糸を引きながらゆっくりと粥の上へと落ちていく。それらはクリーム色の粥の上へとたどり着くや、今度は黄金色に変じ、目映いばかりに輝き出した。
 由梨子は木匙をとり、かけた蜜ごと粥をすくいとり、口元へと運んだ。恐る恐る舌の上に載せるや――
「……ふあぁ……!」
 思わず惚けたような声を出してしまった。ほんのりと甘みを感じる――ミルク粥だろうか?――粥自体もさることながら、かけられた蜜のなんと美味であることか。強い甘みを感じるのは蜂蜜などと同じだが、“香り”の芳醇さにおいては比べものにならない程なのだ。
 気がつくと、目の前の粥皿はあっという間に空になってしまっていて、さらに立て続けに2度も“おかわり”をして漸く由梨子はひと心地をつくことが出来た。おかゆの量を考えれば、それは明らかに“健康な時”の1回の食事量すらも超える量であったのだが、不思議なことに胃腸には全く負担を感じることは無かった。まるで、のど元を過ぎた粥はそのまま霞か何かに変じ、消化という経過を飛ばして直接体の中に吸収されたような――そんな錯覚を覚える程に。
「……ありがとう、ございました。こんなに美味しいおかゆを食べたのは初めてです」
 食べ終わった後でつい顔を赤くしてしまったのは、食べ方が汚くはなかっただろうかという危惧が後から後から湧いて出て止まらなかったからだった。食欲に負けて2度もおかわりをしてしまったが、卑しい女だと思われはしなかっただろうかという不安も、赤面に一役かっていた。
「気に入って頂けてなによりです」
 白耀の微笑みはどこまでも優しく、その微笑を向けられているだけで今度は違った意味で顔を赤くしてしまいそうになって、由梨子は慌てて顔を背けた。そんな由梨子の胸中を察したのかそれとも気づいていないのか、白耀は盆を手に涼やかな足取りで台所へと戻り、後片付けをする。
(…………どうしよう……どう、して……こんなに……)
 由梨子は気づく。ドクドクと尋常では無い早さで心臓が脈打つのは、病気のせいでも滋養のある粥を食べたせいでもない。ひとえに、白耀と二人きりであるからだと。
「すみません、由梨子さん。僕はそろそろ帰らなければならないのですが、もし良かったら誰か代わりの者を呼びましょうか?」
「代わりの……って……えぇ!?」
 それが“看病人は要るか?”という意味だと理解するなり、由梨子は大慌てで首を振った。
「だ、大丈夫、です! 白耀さんのおかげで大分、気分が良くなりましたから! あとは、一人で大丈夫です!」
「そうですか……もし何かありましたら、遠慮無く僕の自宅の方に連絡されて下さい。由梨子さんをご両親から預かったのも、一人暮らしを勧めたのも僕ですから、本当に遠慮はなさらないで下さいね」
 白耀の言葉に、由梨子は少しだけ――ほんの少しだけ落胆している自分の気持ちに気がつく。白耀が親身になって看病してくれたのは好意故ではなく、ひとえに責任感からだと分かってしまったからだ。
「……ありがとうございます。本当に……どうしても無理だって思ったら、その時は白耀さんに頼りますね」
 好意故にではなく責任感からの行動だからと、落胆をすること自体傲慢だ。一体自分を何だと思っているのか――由梨子は激しく渦巻く自己嫌悪を悟られまいと、必死に平生を装い、笑顔を零す。
「そうそう、食欲が無くても口を通りやすいものを何品か冷蔵庫の方に入れて置きましたから、良かったらそちらの方も食べられてください」
「……本当にありがとうございます、白耀さん。何から何まで………」
「気になさらないでください。普段なにかと由梨子さんには助けてもらってますから…………あぁ、言い忘れましたが、仕事の事は気にせずゆっくり休まれて下さい」
 ではと、白耀は短く言葉を切り、部屋を辞す。どうやら本当に時間が差し迫っていたのだろう、その去り際は素っ気ないと感じる程にあっさりとしすぎていた。
「……………………。」
 再び、一人。由梨子はすとんとベッドに横になり、そのまま肩まで布団を被る。
 白耀の心遣いは嬉しい。本当に嬉しい――でも、由梨子は考えてしまう。仕事は気にせずゆっくり休めという事は、暗に「別にお前が居なくても仕事に支障はない」と同義ではないかと。
(……本当に、どうして)
 折角の親切を、言葉通りに受け取ることが出来ないのだろう。自分で自分の性格が嫌で堪らないと感じる。何故こんな考え方しか出来ないのかと。
(…………だったら、せめて――)
 仕事ではない他の事で、白耀の助けになりたい。世辞でも気遣いでもなく、本当の意味で白耀に「ありがとう、由梨子さんのおかげで助かりました」と言われたい。
 そのために自分に出来ることは何か。幸い考える時間はたっぷりとある。
(……………………白耀さん……)
 微かに感じる胸の痛みをごまかすように手を当て、爪を立てながら。
 由梨子は静かに瞼を閉じた。
 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――以下おまけその2。読みたい方だけどうぞ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 人間誰しも己の中に正義を持っているものだ。それは自身の判断や行動の基準となるものであり、言うなれば自分が自分であるためのルールであると言ってもいい。
 そして今回の場合、白石妙子の中にある正義は「きちんと謝罪をするべき」であると告げていた。“正義”に言われるまでもなく妙子自身そのことを自覚してはいたし、そうしなければと思ってもいた。
 が、実際に行動に起こすとなると話は別であり、月彦とのいざこざのストレスを結果的に八つ当たりすることになってしまった佐由に対して、どうしても自分から「ごめんなさい」が言えず、時間ばかりが過ぎていった。
 もちろん。いつまでもそのままでいい筈もなく、また妙子も自身をそんな己の発言に責任を持てないちゃらんぽらんな人間であるとは認めたくはなかった。それはイコール軽蔑すべき紺崎月彦と同ランクの人間であると自ら証明するに等しく、皮肉なことに妙子は紺崎月彦のせいで級友と喧嘩し、紺崎月彦のおかげで謝る踏ん切りがついたのだった。

「…………今更って思うかもしれないけど、ごめんなさい」
 英理と佐由、三人でいつものように学食のテーブルにつくなり、妙子は佐由に頭を下げた。それは“喧嘩”からゆうに二週間以上も経った後のことだった。
「何のことだい?」
「何って……だから……」
「はは、冗談さ。私はもう気にしてないよ」
 けろりと笑って、佐由は箸を手に昼食――肉うどんを食べ始める。妙子の方も一応ながらも佐由に謝罪をしたことで肩の荷が下り、息苦しかった空気が俄に和むのを感じた。
「ふみゅう……ひょっとしてたゆりん、ずっと気にしてたにゃり?」
 ずぞぞと一足先にラーメンを食べ始めていた英理が呆れたように呟いた。
「そりゃあ……だって……私が悪かったんだし……」
「とは言っても、あの程度の口論をここまで引きずるのは私の知る限りでは白石君くらいだよ。私と英理だったら、昼食を挟んだらもうけろりと忘れているね、間違いなく」
 はっはっはと高笑い混じりに言われて、妙子はぐぎぎと歯を食いしばる。謝る必要など無かったのではないかと後悔の念が湧くが、今更だった。
(いいのよ、人がどう思おうと。私が、謝らない自分を許せなかったんだから)
 ふんと鼻息一つ残して、妙子もまた日替わり定食に箸をつける。今日のおかずはアジフライにキャベツとミニトマト、ごはんに味噌汁だ。
(ミニトマト……か)
 皿に盛られた赤い実を視界に捉えた瞬間、妙子は僅かに気持ちが沈むのを感じた。食べられないほど苦手というわけではない。しかし避けられるものならば避けたいくらいには苦手なミニトマトの存在が地味に鬱陶しいと感じる。
(ついいつもの流れで日替わり頼んじゃったけど……今日は別のにするんだったわ)
 先ほどまでは佐由に謝罪をしなければという思いから、ついメニューのミニトマトの存在を忘れてしまっていた。とはいえ別に食べられないわけではなく、ましてや残したら罰金がとられるというようなことがあるわけでもなく。ミニトマトについてそれほど重く考える必要も無いのだが。
「そういえば――」
 はたと、佐由が食事の手を止める。
「白石君は確か、ミニトマトが嫌いだったね」
「えっ……まぁ……嫌いっていうか、苦手なだけだけど」
「つまり、嫌いなんだね?」
 嫌いなわけじゃなく苦手なだけだと、再度否定しようかと思って、止める。そういえばいつぞやの口論もこんな些細なやりとりがもとでつかみ合いの喧嘩に発展したのではなかったか。
「嫌いよ、それがどうかした?」
「なら、私がもらっても構わないかな?」
 へ?――思わずそんな声が出てしまう。英理も佐由の申し出に目を丸くしていた。
「どうしたんだい。私はそんなにおかしなことを言ったかな」
「いやべつに……欲しいなら全然あげるけど」
 妙子の記憶が確かならば、佐由もまたミニトマトは苦手であった筈なのだ。それもひょっとしたら妙子以上に。
「いいのかい。本当に貰うよ?」
「だから欲しいならあげるって言ってるじゃない」
 何故そこまで念を押すのかと。妙子はサラダの皿ごとさあどうぞとばかりに佐由の方へと差し出した。
「…………いや、なに。世の中にはいらないものでも人にあげるのは惜しいという人間も居るからね」
「何よ、私がそう見えるって言いたいの?」
「まさか。何日も前の些細な口論のことを気に病んで、改めて謝罪をするような白石君が、そんな道理の通らない真似をする筈が無いって信じているよ」
 佐由はミニトマトをつまみあげるや、ぱくりと一口に食べてしまう。
「…………………………うん。白石君の皿にあったミニトマトなら或いはと思ったが、やっぱり私の口には合わないな、これは」
 そしてうげえと。露骨に顔を歪めて吐くような真似をする。
「私の皿にあったミニトマトならって、どういう意味よ。そんなに美味しそうに見えたっていうわけ?」
 褒めているのか、からかっているのか、佐由の目論見が分からず、妙子は俄に混乱した。そんな最中、英理だけがまるで何かに追い立てられているようにがつがつとラーメンを啜っていた。
「ああ、英理。心配しなくても私は別に昼食の量が足りないわけでも、“ここらで口直しに英理のチャーシューが欲しい”とかそんなことを言おうとしてるわけでもないから、そんなに焦らなくても大丈夫だよ」
「うにゃ? …………えへへへ、早く言って欲しかったにゃり」
 もうほとんどスープのみを残すのみとなったどんぶりを置きながら、英理が照れ笑いを浮かべる。
(……何、かしら)
 ざわりと、微かな違和感――不安にも似た――を覚えて、妙子は心中がザワつくのを感じた。今のやりとりの中で、或いは何か決定的な間違いを犯してしまったのではないか――。
(……私はただ、佐由に謝って――)
 そして佐由がミニトマトを欲しがったから、渡した。ただそれだけのことの筈だ。
 なのに、まるで言質でも取られたかのように感じるのは何故なのか。
(……まさか、ね)
 さすがに考えすぎだ。第一、一体何の言質だというのか。妙子は馬鹿馬鹿しいと首を振り、アジフライへと箸を伸ばす。
「あぁ……ミニトマトの何とも言えないエグみと青臭さを味わった後のうどんは格別だね。口直しにもってこいだ」
「……嘘にゃり。ミニトマトと肉うどんは絶対に合わないにゃり」
 心なしか上機嫌、饒舌な佐由と、何か譲れないものでもあるのか詐欺師を見るような目を崩さない英理。二人の間で、妙子は黙々とアジフライを囓るのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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