「珍しいじゃない。あんたの方から誘ってくるなんて」
「そりゃあね。……私だって、たまには誰かと飲みに行きたい夜だってあるわよ」
 憎まれ口を叩きながら、雪乃はくいと生ビールのジョッキをあおる。瞬く間にジョッキ半分ほどを飲み干し、ふうと一息。
「まあ、でも丁度良かったわ。前から一度来てみたかったのよねこの店。…………今日はあんたのオゴリなんでしょ?」
 対する矢紗美はといえば、グラスを手にカラカラと琥珀色の液体を揺らした後、ちびりと口に含む。。
 飲みに行こう――と誘ったのは雪乃だが、店を指定したのは矢紗美だった。最寄り駅から二駅ほどの所にある新しい飲み屋はなるほど、客入りも多く盛況している様だった。
 所謂、“バー”ではなくあくまで“飲み屋”を指定するのも、姉妹で飲む際の通例と言えた。姉曰く、バーは雰囲気に酔う場所、飲み屋は酒に酔う場所、なのだそうだ。
 そして、雪乃自身姉の説に別段異論を唱える気もなかったから、がやがやと程よい喧騒に包まれた“飲み屋”の角席でこうしてグラスを突き合わせる事になったわけなのだが。
「……で、何? 私に何か話があるんじゃないの?」
 空になったグラスをテーブルに置くなり、矢紗美がにんまりと笑みを浮かべる。
「別に……話って程のものじゃないけど……ちょっと、お姉ちゃんに訊きたい事があるってだけよ」
「それを世間一般では“話がある”って言うのよ。……それで、何が訊きたいのかしら?」
「………………。」
 雪乃は答えず、代わりの酒を注文した。いつもなら張り合って代わりの酒を注文する姉は、どういうわけかちびちびとグラスに口をつけるだけだ。
「……お姉ちゃんってさ、百人くらい付き合ってるって言ってたよね」
 注文を承った店員が去るなり、ぽつりと。忌々しげに雪乃は呟く。
「付き合った事のある相手が合計で百人以上、ね。いくら私でも同時にそんなに相手できないわよ」
「……それってさ、私にも……出来る?」
 えっ、と。矢紗美の口が疑問符を漏らしたまま固まってしまう。
「……べ、別に……百人と付き合いたいっていう意味じゃないのよ!? ただ、なんていうか……男を落とすコツみたいなの……お姉ちゃんなら知ってるかと思って」
「……雪乃、あんた……紺崎クンに飽きたの?」
 矢紗美が、どこか嬉々とした口調でそんな事を聞いてくる。
「飽きてないわよ! ……私だって、飽きちゃうくらい……一緒に居てみたいわよ……」
 でも――と、雪乃はそこで言葉を切り、店員が持ってきたスクリュードライバーを一息で飲み干し、さらに追加のカクテルを注文する。
「……もしかして、全然会ってないの? 冬休みなのに?」
「うん……電話も、ないの」
 その事実を改めて口に出すと、つい泣き声になりそうになってしまう。正月も明け、じき学校が始まろうというのに、デートの誘いはおろか電話一本無い。さすがに堪えかねて、姉に泣きついてしまったわけなのだ。
「それはさすがにヘンね。雪乃……あんた何かやらかしたんじゃないの?」
「そんな……私はただ、クリスマスを一緒に過ごそうって言っただけよ!? お姉ちゃんだって紺崎くんも連れてこいって言ってたじゃない!」
「……原因は、もっと前かもしれないわよ? その前のデートの時とか」
「その前の……デートの時……っ……」
 反射的に雪乃は赤面し、己の腹部へと右手を這わせた。
「……どうかしたの?」
「な、なんでもないの! あの時は……そんな、失敗とかは――」
 紺崎くんの精子が欲しい――不意に、己が呟いた言葉が脳裏に蘇ってきて、雪乃はボンと湯気を噴いて顔を真っ赤にする。
(やだっ……思い出しちゃった……っ……)
 あの日以来、何度も何度もフラッシュバックして、その都度床を転げ回った恥辱の極みのような記憶。夢にまで見せられて、何とか記憶の片隅に追いやったものが、また。
(んくっ……ぅ……)
 下腹が、じぃんと疼く。体の奥底、子宮に血が集まり、熱を帯びてくる。
「わ――」
 意識してはダメだと。話題を逸らさなければと、雪乃は賢明に思考を働かせる。
「私の、事はいいの……お姉ちゃんが……どうやって、彼氏をいっぱい作ったのか、その話が、聞きたいだけなんだから……」
「…………どうやってって、急に言われても、そんなの口で言える様な事じゃないわよ」
 雪乃の態度の急変っぷりに矢紗美は首を傾げながら、追加の水割りに口を付ける。
「つまり、あんたが聞きたいのは“男の落とし方”じゃなくて、“紺崎くんの落とし方”なわけでしょ?」
「……落とし方っていうか……そういうのじゃなくて、もっとこう……っ……」
 どれほど気に掛けまいとしても、一端熱を帯びた下腹はしつこく自己主張を続け、その熱が伝播するようにして頭までもが痺れてくる。
「……もっと……紺崎くんが私の事を気に掛けてくれたり、電話くれたりするようになってくれればいいなぁ……って……」
 いつの間にかテーブルに置かれていたカクテルに口を付け、雪乃はまたしても一息に飲み干してしまう。
 体が、“渇き”を訴えているのだ。しかし、酒などいくら飲んだところで“渇き”は毛ほども収まらない。
「それ、で……できれば、紺崎くんがもっと私の事を好きになって……昼も夜も一緒に居たいって、そうしないと生きていけないっていうくらいメロメロになってくれれば……言うことないかも……」
「……雪乃?」
 姉の怪訝そうな声から逃げるように、雪乃は再び店員を呼び手当たり次第にアルコール度数の高いカクテルを三,四種まとめて注文をする。
「……お、お姉ちゃんは飲まないの? 今日は随分ペース遅いじゃない」
「勿論飲むけど…………雪乃、あんた大丈夫なの?」
「大丈夫よ……これくらい……最近ご無沙汰だったから、少しくらい飲み過ぎないと調子悪いくらいなんだから」
「そりゃあ、お酒に関しては全然心配してないけど……」
 口籠もって、矢紗美はそっとグラスに口を付ける。が、しかし肝心の酒のほうは全くと言っていい程に減っていない。
「ねぇ、雪乃。紺崎クンの事だけど……あんまり無理に我慢とかしない方がいいわよ? 会いたいなら会いたいって、アンタの方からでも電話するなり家に行くなりしてみたら?」
「私だって……それくらい考えたわよ。……でも……」
 そう、何度も考えた。いっそ電話をかけてしまおうか、或いは家に行ってしまおうかと。
 しかし――。
「……お姉ちゃんなら解るでしょ。あんまり……公には出来ないのよ」
「まぁね。でも、我慢のし過ぎも体に毒よ?」
 ふふんと、まるで全てを見透かすような矢紗美の目に、雪乃はハッと顔を逸らした。
「なんかさー、今のアンタって、逮捕されて何日も拘留されて、溜まりに溜まって暴発寸前の性犯罪者見てるみたいなのよね」
「なっっ……し、失礼な事言わないでよ! 私の何処が性犯ざ――」
 ばんっ、とテーブルに両手を叩きつけるようにして雪乃は声を荒げて立ち上がりかける――が、当然の事ながら、店内中から一斉に注目を集めてしまい、雪乃は赤面しながら椅子に腰を落とした。
 矢紗美が小声で「ものの例えよ」と付け加えた。
「とにかく、これだけは言えるわ。相手を変えたかったら、まず自分が変わってみせるしかないの。雪乃、あんたは奥手過ぎるのよ。……まっ、その年になるまでマトモに男と付き合った事もないんじゃ、しょうがないけどね」
「……誰のせいだと思ってるのよ」
 さぁ、と矢紗美ははぐらかすように両掌を見せる。
「それに、私が見た所、紺崎クンもあまり積極的な男の子には見えなかったし。お互い相手から声掛けてもらうのを待ってるような状態なんじゃない? ……だったら、年上のほうが多少強引にでも相手をリードしてやらなきゃ、ね」
「……もっと強引に紺崎くんに迫った方がいいってこと?」
「若い男なんてものはね。基本的に“年上のお姉さん”にグイグイ引っ張ってもらいたがるものなのよ。勿論、表面上では嫌がるような素振りを見せるかもしれないけど、そこはほら、嫌よ嫌よもなんとやら、ってね」
 なるほど、と雪乃は納得をしてしまう。他の誰でもない、男食いの猛禽雛森矢紗美がそう言っているのだ。説得力はある――と思ってしまう。
(紺崎くんを……無理矢理……)
 膨らみかけた妄想が、不意に――腹部の疼きによって中断させられる。じぃん、と体の奥が熱を帯びる感触に、雪乃は強烈な乾きを覚えて追加注文のカクテルに即座に口を付けた。
(……違う……)
 甘いような、辛いような。なんとも甘美な味が喉を潤すが、同時にそう感じてしまう。違う――と。求めているのは“これ”ではないと。
(……欲し、い……)
 腹部を押さえていた手が、さわさわと蠢き、その“下”へと動きかけて、雪乃は慌てて右手を制した。
(ダメッ、だめっ……! 私、何しようとしてるのよ……)
 こんな公衆の面前で、実姉の前で。ふぅふぅと荒ぶる息をなんとか誤魔化しながら、雪乃は残りのカクテルに口を付ける。
「ホント、紺崎クンに会えなくて随分“溜まってる”みたいね。さすがにそのペースにはついていけないわ」
 矢紗美は依然、最初の水割りをちびり、ちびりと口にしていた。雪乃以上ののんべであるこの姉にしては、異常とも言えるロウペースだった。
 普段の雪乃であれば、姉の変化には当然気がついただろう。
 しかし。
「……ねえ、お姉ちゃん」
 矢紗美の挑発に反論すらせず、熱を帯びた腹を押さえながら、雪乃は焦点の虚ろな目で呟く。
「父親の名前を伏せたままでも……産休ってとれるのかな……」
 勿論、雪乃が聞けたのはきちんとした“返答”等ではなく、気管支と鼻腔に痛烈なダメージを受けた姉からの罵倒と説教だけだった。


 
 


 

『キツネツキ』

第二十八話

 

 




「月彦、帰りどっか寄ろうぜ」
 始業式後のホームルームも終わり、三々五々生徒が教室から出て行く最中、月彦は鞄を肩にかけながらおう、と親友の誘いに返事をした。
「千夏は?」
「多分来る。妙子にも一応電話かけてみるっつってたが、どうだろうな」
「……妙子も来るのか?」
 予想外の人物の参戦に、自然と声のトーンがやや低くなってしまうのは否めない。
「そんなに嬉しそうな顔をするなって。まだ来るかどうか解らねーんだからよ」
 ばむっ、と必要以上の力で背中を叩かれ、月彦は力無い笑みを浮かべた。それを“嬉しそう”と表現する友人の感性には最早脱帽するしかなかった。
(いや、でも……案外……巧く行ったりする、かも……)
 月彦はそれとなく“今年の冬休み”を振り返った。長かった様で短かった冬休み、例年に比べて必要以上に波乱に富んだ休日であったことは否めない。愛娘に包丁で斬りつけられた挙げ句、家出をされるという幕開けから、年明けには姉が入院しているという、一年の計としては最悪の元旦であったと言えなくもない。
 とはいえ、全く悪いことばかりであったわけでもない。中でも妙子の家に使いに行った時などは、何となくいつもより態度が軟化していたような気がしなくもないように思えたものだ。
「……まぁ、あいつは俺たちと違って勉強が忙しいだろうからな」
 妙子に会える事を期待しつつも、まるで来ない方が嬉しいような口を利いてしまう自分に、月彦は苦笑してしまう。妙子の事が好きである事は間違いないのだが、対峙していて一番胃が痛む相手であることも間違いはないのだ。
「とりあえず、千夏のクラス行ってみようぜ。妙子が来るか来ないかで遊ぶ場所も変わるしな」
「だな。…………あいつ勝負事にはムキになるしな」
 苦笑しつつ、親友と共に教室を出たその刹那だった。
「紺崎くん」
 背後から浴びせられた声に、月彦の足はぴたりと止まった。勿論、振り返るまでもなく、“誰”なのかはすぐに解った。
「ちょっと良いかしら? 資料の整理を手伝ってもらいたいんだけど」
「……えーと、俺これからちょっと予定が――」
 振り返り、丁重に雪乃の誘いを断ろうとした月彦は俄にたじろいだ。
「そんなに時間は取らせないから、ね?」
 強いて言うなら、“迫力”。プレッシャーとでも言うべき見えざる圧力を感じて後ずさろうとするも、その腕が雪乃に掴まれてしまう。
 ぎりっ、と。およそ女性の握力とは思えないその力に痺れすら感じて、月彦は恐る恐る友人の方へと振り返った。
「悪い……カズ。そういうことだから……」
「あ、あぁ……解った」
 和樹もまた、雪乃のプレッシャーを感じたのか、或いは何か別の意図があってか、まるで逃げるようにその場を後にする。その背が視界から消えるよりも早く、雪乃が資料室に向かって歩き出す。
「せ、先生っ……ちょっ、解りましたから手離して下さい!」
 雪乃からの返答は無く、そのままぐいぐいと引きずられるようにして資料室の中へと連れ込まれる。同時に、体を入れ替えるようにしてドアを背にした雪乃がカチャリと、後ろ手で鍵をしめたかと思えば――。
「んんんンッ!?」
 突然、雪乃に突き飛ばされるようにして壁へと押しつけられ、そのまま唇を奪われた。
 さらに、唇に続いて体までもが密着させられ、月彦は反射的に逃げようとした――が、背中が壁でつかえ、それ以上逃げる事は出来ない。雪乃はさらに体を密着させてきて、ふくよかな肉の感触に否が応にも“男”が反応してしまいそうになる。
「んくっ、んんっんっ……んんっ……!」
 何とか雪乃の体を引きはがそうと試みるも、信じられないような怪力でしがみつかれ、それも敵わない。後頭部へもしっかりと手が回され、キスも自分の意志では止める事が出来ず、やむなく雪乃の気が済むまで月彦は大人しく待つ事にした。
「っ……んっは……はぁぁ……もうっ……紺崎くんのバカ」
 たっぷり五分ほどはキスを続けていただろうか。漸く唇を離した雪乃が肩を揺らしながら、いきなりじろりと睨み付けてくる。
「……あ、の……先生?」
 一体どういう――と言葉を続けようとした矢先、またしても唇が奪われた。くち、くちと軽く舌を舐め合うようなキスは、今度はすぐに終わった。
「冬休みの間中……紺崎くんに会いたくて、会いたくて……爆発しちゃいそうだったんだから」
 恨み言のように呟いて、三度唇が奪われる。今度は、前二回とは比較にならない程に濃密なキス。
(う、わっ……)
 合わせて、すりすりと体までもが擦りつけられて、月彦は思わず唇を塞がれたままうわずった声を上げそうになってしまう。
(せ、先生っ……ちょっ……それは、ヤバいですってっ……)
 雪乃に自覚があるのか無いのか、月彦の足を太股で挟み込み、そのまま股間を擦り当てるように動かされ、学生ズボン越しに否が応にも雪乃の下着の感触を感じてしまう。
「んはぁ……ねぇ、紺崎くん……今夜、大丈夫?」
「えっ……今夜……ですか? えーと……どういう意味での“大丈夫”なんでしょうか……」
 惚けてはみたものの、雪乃のしっとりと濡れた目を見る限り、どう考えても一つの意味しか思い浮かばなかったりする。
「本当は今すぐって言いたいけど……この後職員会議とかいろいろ予定があるの。だから……それが終わったら……ね?」
「ちょっ、せ、先生……ダメですって! 明日も普通に学校があるんですよ!?」
「そんなの……私だって解ってるわよ……でも、紺崎くんが悪いのよ? 休みの間、電話一本くれないなんて……信じられないわ」
「いや、それはですね……年末姉が入院して、それでいろいろドタバタしてて……それで……うわぁぁぁぁっ……!」
 突然首筋から耳までを舐め上げられ、素っ頓狂な声を上げてしまう。
「ね、紺崎くんだってシたいでしょ? 男の子なんだもの」
「そ、そりゃあ……俺だって、出来ることなら……で、でも、さすがに今夜いきなりは勘弁してください!」
「だめ。絶対今夜。冬休みの間構ってくれなかった分、今夜しっかり返しなさい」
 ぎゅうううっ、と密着したまま、雪乃は額を合わせるようにして教師のような口ぶりでとんでもない要求を突きつけてくる。
「……せ、先生……待って下さい! なんか、冬休みの間ずっと先生を放っておいたみたいな言われ方してますけど、俺だって……先生に会いたくてマンション尋ねたりしたんですよ?」
「紺崎くん……私の部屋に来たの?」
 ぴたりと、雪乃が動きを止める。
「え、えぇ……二十六日だったか、二十七日だったか……どうしても先生に会いたくなって行ったんですけど、留守だったみたいで……」
「二十六日も二十七日も実家に帰ってたけど……紺崎くん!?」
 がしっ、と。両手で頭が掴まれ、アイアンクローのようにぎりぎりと力が込められる。
「どうして電話してくれなかったのよ! 電話さえしてくれたら、すぐにでも戻ってきたのにっ!」
「そ、それなんですけど……考えてみたら、俺……先生の携帯も、部屋の方の電話番号もどっちも知らないんですよ……だから、その時も渋々帰ったんですけど……」
「私の番号を……知らない……?」
 まるで、天地が逆になったと聞かされた様な呟き。フッ……とアイアンクローの手が緩んだかと思えば、雪乃の姿が資料室の奥へと消えた。
「……先生?」
 ガタガタと、何かが倒れる音や崩れる音に交じって、ビリビリと紙が破れるような音。程なく、肩を怒らせた雪乃が戻ってくるなり、
「はいっ、絶対無くしちゃダメよ!?」
 明らかに何らかの資料から破り取られたと思われる紙片に、力任せに書き殴られたいくつかの番号。雪乃の自宅の番号に始まり、携帯の番号。そして何故か実家の番号に矢紗美の携帯の番号まで書き込まれていた。
「あの……先生、どうして実家の番号や矢紗美さんの番号まで……?」
「たまたま出先で私の携帯の電池が切れてて連絡つかないって事もあるでしょ? その時もしお姉ちゃんと一緒に出かけてたら連絡つくじゃない」
「……そんなレアなケース百回に一回も無さそうですけど……」
「紺崎くん……あのね?」
 ぽんっ、と肩に置かれた手が、これまたギリギリと鎖骨を砕かんばかりに握りしめられる。
「私はっ、その百回に一回を絶対に逃したくないの! とにかく、その四つの番号があれば、九割以上の確立で私に連絡つくから…………“会いたかったけど、連絡がつかなかった”なんて二度と言わせないわよ!?」
「……は、はい……解りました」
 鬼のような形相で睨まれて、月彦は電話番号の書かれた紙を丁寧に胸ポケットに仕舞った。破り取られた紙片に“持ち出し厳禁”や“重要”といった文字列がチラチラ見えた事に対するツッコミは最早出来なかった。
「ええと、話を戻しますけど……先生、やっぱり……平日の夜っていうのはちょっと無茶だと思うんですよ」
「どうして? 言っとくけど、友達との約束があるから――とかは聞かないわよ?」
 いつになく強引な雪乃の物言いだが、確かに雪乃の言うとおり、冬休み中ずっと放置プレイを強いてしまった手前、そのように強気に出られるのも致し方ないかな、と月彦は思ってしまう。
「勿論、友達との予定よりは先生の方を優先させますけど…………ただ、そうするとしても……足りないんですよね」
「足りない……?」
「ええ。……時間が足りないと思うんですよ。だって、先生……考えてみて下さい? 職員会議があるって事は、今日この後、先生が家に帰れるのは早くても夕方以降ですよね?」
「まぁ……そうね。それより早くなることはないと思うわ」
「で、そこで俺が先生の部屋に行きますよね。……うん、やっぱり足りない」
 月彦は指折り数えて、むう……と低く唸る。
「どういう事? ちゃんと解るように言って!」
「……平たく言っちゃうとですね……先生を抱く時間が足りないな、という事です」
「なっ――」
 雪乃が絶句し、顔を真っ赤にする。
「先生だって、当然そのつもりで来いって言ってるみたいですし。俺もそのつもりで行きますし……先生の言うとおり、ずーっとシてなくてすっげぇ溜まってますから……多分いつもより激しくなっちゃうと思うんですよね」
「い、いつもより激しく……って…………こ、紺崎くん?」
「久しぶりですから、手加減なんか出来ないでしょうし……まずは六時間くらいかけてじっくり先生の体をさわさわしたりもみゅもみゅしてテンションを上げて本番に入るとすると……」
「ま、待って! 六時間って……だ、ダメよ! そんなの絶対だめ! するなら、ちゃんと、普通に……」
「でも先生。……その方が、普通にするより絶対気持ちいいですよ?」
 ぼそりと、囁くように月彦は呟く。さりげなく、今度は雪乃の体を壁に押しつけるようにしながら、ぼそぼそと。
「俺だって、すぐにでも先生に挿れたい……でも、それを我慢するんです。勿論、指も挿れません。六時間、たっぷりかけて、先生とキスしたり、おっぱいを触ったりお尻を触ったりして、先生の中がもースゴいくらいトロトロになっちゃった所で挿れたいんですよ」
「っ……い、いやっ……そんな、事されたら……私……本当に爆発しちゃう……ンぅ……っ……」
 囁きながら、さりげなく雪乃の腰へと手を回し、そのままミニスカートの上からお尻を優しくなで回す。撫でながら、さらに耳を舐めるようにして、囁く。
「先生だって、もう解ってるんでしょう? 我慢したあとのエッチほど“良い”って。それに――」
 れろり、と耳を舐めると、忽ち雪乃は悲鳴にも似た声を上げて体を強張らせる。
「先生の要望に応えて、今夜“普通のエッチ”をシてもいいですけど……本当に良いんですか?」
「ど、どういう……事……? ンぁ……」
「そんなので満足出来ますか?――って言い換えれば、解って貰えますか?」
 さわ、さわさわ……尻を撫でていた手を太股へと落とし、内股の方を撫でながら囁くと、忽ち雪乃は声を震わせて息を乱し始める。
「残り時間を気にしながらするような“普通の”エッチでいいんですか? 冬休み会えなくて堪っちゃった分がそんなので解消されるんですか?」
「そ、それ……は……」
「俺だって、そんなのじゃ満足出来ません。ヤるからにはキッチリと、先生の声が枯れるくらいイかせてあげたいんです」
 だから、先生?――甘く囁きながら、月彦は雪乃の唇に人差し指と中指を当て、そっとしゃぶらせる。
「二人きりになるのは週末……という事にしませんか? さすがにそれなら、時間を気にすることなく……じっくり楽しめますよ?」
「で、でもぉ……ンンッ……ンぷ……んっ……」
「それとも、今夜無理に時間を作って……中途半端なエッチをしますか?」
 先に言っておきますけど、今日シたら週末は無しですよ?――指をしゃぶらせながら冷たく囁くと、雪乃が恨むような目で見据えてくる。
「それに先生、週末って言っても、今日はもう水曜日ですよ? つまり、あと木曜と金曜さえ過ぎれば土曜日なわけですから、たったの二日待つだけでいいんです。…………それも我慢できないくらい、ムラムラしちゃってるんですか?」
 ぅぅぅ、と雪乃が泣きそうな顔をする。月彦はくすりと笑みを零して、しゃぶらせている指をそっと抜いた。
「……わ、解った、わよ……紺崎くんの、言うとおり……週末、まで……待――やっ……だめっ……!」
 さわ、さわと尻をなで回すと、途端に雪乃が泣きそうな声を上げてぎゅうっ、としがみついてくる。
「解ってもらえたみたいで、俺も嬉しいです」
 惚けたような口調で言いながら、今度はぐにぃっ、と雪乃の尻を強く揉む。あぁァッ、と雪乃が声を荒げ、しがみついた手が爪まで立て始める。
「だ、めっ……だめっぇ……もうっ……」
「ダメ、なんですね。解りました」
 いつになく感度の良い雪乃の尻をいつまでもなで回したい誘惑を抑えて、月彦は渋々手を離す。途端、くたぁ……と雪乃が脱力するようにもたれ掛かってきた。
(くすっ……先生、ホントに“溜まってる”んですね)
 さて、週末はどういう風に楽しみましょうか――いつのまにやらスイッチの切り替わってしまった月彦は、さりげなく雪乃にとっては残酷で、それでいて最も快楽が得られるようなシナリオを組み立てるのだった。


 



 欲求不満度百二十%のムラムラ雪乃をなんとか説得し終えた月彦は大急ぎで友人達の後を追った――が、既に昇降口に靴は無く、雪乃に強制連行されていた時間を鑑みるに、追いかけるのは無駄だという結論に達した。
(……こういうとき、携帯があると便利なんだけどなぁ)
 皆で遊びに行こうという話がどうなったのか、携帯さえあれば瞬時に解る事なのだが、生憎と月彦は所持していない。それは便利とか不便とかそういった問題ではなく、“生死”の問題に発展する可能性を秘めているから持ちたくても持てないわけなのだが。
(……仕方ない、今日の所は大人しく帰って……真央の相手をしてやるか)
 週末相手をしてやれない分もかまってやろう、等と思いながら家路についていると、なにやら前方に見慣れないものが見えてきた。
(何だ……交通整理か?)
 どうやら車同士の事故があったらしく、帰り道の途中が変形した二台の車とパトカーによって塞がれてしまっていた。月彦にとって幸いであったのは、車両の通行こそ規制されているが、人が隅っこを通る分には一向に構わないらしいという事だった。
(………………なんだかなぁ)
 最早月彦には、この細い通り道がそのまま小川に仕掛けるヤナか何かのようにしか見えなかった。
(……でも、ここ通らないと……遠回りで三十分くらい余計に歩くことになるしなぁ……)
 むう、としばし迷った末、意を決して月彦はそのまま進む事にした。何事も起きない様祈りながら、顔を伏せるようにして早足に歩いていると。
「あら。紺崎クン?」
 実況検分をしていた婦警の一人が黄色い声を上げるなり、ぴょんと飛び跳ねるようにして近づいて来る。月彦は鞄で顔を隠したまま、なんとか逃げ切れないかとトライしたが、強引に腕を掴まれてその夢は儚い泡と消えた。
「奇遇ね、こんな所で会うなんて」
「……俺にはとても偶然とは思えないんですが」
 にこにこと、笑顔満面の矢紗美を横目で睨むようにして、月彦はぽつりと呟く。
「矢紗美さん、この前約束しましたよね。……学校帰りに待ち伏せするような事はしないって」
「何言ってるのよ、これの何処が待ち伏せしてたっていうの?」
 矢紗美は事故車と、そのドライバーらしい二人の男性、そしてその二人から事情聴取をしている警官を掌を広げるようにして示す。
「事故が起きたから、私は仕事をしてただけ。そこにたまたま紺崎くんが通りがかっただけなのに、言いがかりをつけられちゃ堪らないわ」
「解りました、解りました。そういう事にしておきます……じゃあ、俺は帰りますね。お仕事頑張って下さい」
 本来ならば、確かに矢紗美の言う通り“偶然”と判断すべきシチュエーションではある。が、しかしこれまでの事があるだけに、素直に偶然だと信じる事はできなかった。
「ちょっとちょっと、紺崎クン! そんなに急がなくてもいいじゃない! 折角会えたんだから……少し話でも――」
「いえ、仕事中の矢紗美さんを邪魔するのも悪いですから俺は帰りますよ」
 じゃっ、と手を挙げて帰ろうとする月彦の腕を、矢紗美が掴む。
「待ってって言ってるでしょ! 仕事なんて後輩に任せておけばいいんだから、私の話を――」
「ダメですよ。後輩の前だからこそ、きちっとした上司の姿を見せなきゃいけないじゃないですか。仮にも公務員なんですから、少しは真面目に仕事をしてください」
 じゃっ、と再び挙げて月彦は去る――が、今度は腕をとられなかった。そのことが逆に意外で、はてなと。月彦は止せばいいのに振り返ってしまった。
「なっ……ちょ、矢紗美さん!」
「……話くらい……聞いてくれたって…………」
 立ちつくしたまま、両目いっぱいに涙を溜めた矢紗美にギョッとして、月彦は慌てて駆け戻る。
「な、何泣いてるんですか……すみません、何でもないですから」
 怪訝そうな視線を送ってくるドライバー二人と若い警官から矢紗美を隠すように己の体を盾代わりにして、月彦はそれとなく矢紗美の腕を引いて細い路地へと入る。
「ほら、矢紗美さん……涙を拭いて下さい」
 月彦はハンカチを取り出して、矢紗美の涙をそっと拭う。
「……待ち伏せなんて、本当にしてないのに…………」
 月彦からハンカチを受け取り、自分で涙を拭いながら、まるで恨み言のように矢紗美は呟く。
「そりゃあ、紺崎クンの家の近くだから、ひょっとしたら会えるかもって、通行人はチェックしてたけど……」
「……す、すみません……矢紗美さんの事ですから、てっきり全部仕込みかと……」
「いくら私でも、紺崎クンと会う為に事故起こしたりなんて出来ないわよ!」
 うーっ、とまるで癇癪を起こした幼子のような目で睨まれて、月彦は何も言葉を返せなかった。
「そ、それで……話って何ですか? 言っておきますけど、今週末はもう埋まってますから無理ですよ?」
「……雪乃と会うの?」
「ええ、よく分かりましたね。その通りです」
「……この間、一緒に飲みに行ったとき……すっごい愚痴零してたから、もしかしてって思っただけ」
 ぷいと、矢紗美は拗ねるように顔を背けてしまう。
「私の話っていうのも、雪乃絡みなのよね。……紺崎クン、今日の夕方時間とれる?」
「えっ……それって、もしかして――」
 また、姉妹そろって同じ要求をされるのかと、月彦が露骨に嫌な顔をした時だった。そんな顔をされるのを予想していたとばかりに、矢紗美が言葉を付け足す。
「……この間、実家に帰ったとき……雪乃に黙ってこっそりアルバム持ってきたの。紺崎クン、あの子の昔の写真とか見たことある?」
「いえ……そういえば、見たことない……ですね」
 昔の雪乃に関する情報といえば、中学の頃は胸が無かったという事が辛うじてインプットされているのみだったりする。そういう“乳”関連の情報だけは決して消えない己の脳味噌の構造が、月彦は少し悲しかった。
「もし、紺崎クンが見たいなら……今夜どうかなぁって。その話がしたかったの。……それなのに……」
「だああっ、それに関しては俺が全面的に悪いです! すみません!」
 うるうると、また涙が溜まり始めて、月彦は慌てて矢紗美を宥めにかかる。
「“昔の先生”に関しても非常に興味があるんですけど……でも、アルバムは矢紗美さんの部屋にあるんですよね?」
「さすがに仕事中は持ち歩けないわよ。大きいし、重いし」
「……アルバムを見る“だけ”なら、是非お邪魔したいです」
 本来ならば、こんな見え透いた罠にかかりたくは無かった。確かに、“昔の雪乃”には興味がある。あのグラマラスな体は一体いつ頃から培われたのか、はたまたぺったんこだったという中学時代はどうだったのか。疑問は膨らむばかりだった。
(虎口に入らずんば虎児を得ずとはまさに……)
 アルバムは見たい――が、矢紗美の部屋には行きたくない。ゆらゆらと揺れるその天秤を傾けたのは、偏に矢紗美の見せた涙だった。
(行かないなんて言ったら……また泣かれるんじゃなかろうか……)
 どうも前回の事以来、調子が狂う――と月彦は思う。意地悪が過ぎて、矢紗美に泣かれてしまったのはしょうがない。悪ふざけが過ぎたと反省もした。その後の甘々なエッチで矢紗美も機嫌を直したものだとばかり思っていたのだが。
(…………もしかして、味をしめられたとか……そういうことは無いよな?)
 実は嘘泣きで、涙さえ見せれば自分の思うままになると思っての演技ではないのか――そんな疑念が沸いたのは、先ほどあまりに簡単に矢紗美が涙を見せたからだ。事実、あそこで泣かれなければ、自分は間違いなく矢紗美を振り切って家路についていただろう。
(どっちだ……わからん……)
 女性の涙が演技か本物か。その真贋は限りなく難しい。ましてや、矢紗美は月彦が知り合った女性の中でも屈指の部類に入るやり手だ。常識的に考えれば演技――だという事になるのだが。
「私の部屋に……長居はしたくない、っていう事?」
「いえ、矢紗美さんの部屋に居るのが嫌とか、そういうんじゃなくてですね……明日も普通に学校がありますから、最悪でも日付が変わる前には家に帰して頂きたいな、と……」
「それなら大丈夫。九時前には家に送ってあげるから」
「……朝の九時……じゃあないですよね?」
 月彦としては、冗談半分念押し半分で言ったつもりだったが、見ていて心臓がひやりとする程に、矢紗美が露骨に表情を曇らせる。
「…………大丈夫。ちゃんと今夜の九時までには紺崎クンの家まで送ってあげる、約束するから……アルバム、見に来る?」
「……はい、じゃあ、伺わせてもらいます」
 最早、断れるような雰囲気ではなかった。


 露骨にベッドの中にもつれ込もうとする愛娘のアタックをなんとかかわし続け、さもお使いを頼まれたかのように装って月彦は辛うじて自宅を脱し、矢紗美と合流したのは午後六時をやや過ぎた頃だった。
「そういえば……紺崎クン、私の車に乗るのは初めてだっけ?」
「そうですね……前の時はパトカーでしたし」
 矢紗美の車は雪乃のそれとは違った、丸っぽいボディの赤い軽自動車だった。意外と言えば意外、らしいといえばらしいその車はそれなりに年代物らしく、内装なども矢紗美の愛着が感じられた。
「ご希望なら、パトカーで迎えに来ても良かったんだけどね。……最近、ちょっと都合が悪くって」
「いや、パトカーなんて出来れば絶対乗りたくないんですが…………都合が悪い、っていうのは?」
「んー……なんて言えばいいのかなぁ。やっぱりつり上げた魚も餌をあげなかったら死んじゃうって事かな」
「よく解らない例えですけど……男漁りが巧く行かないって事ですか?」
 そうね、と矢紗美は力無く笑う。
「紺崎クン以外の男と寝ないって決めてからでも、それなりに使えそうな相手とかは渋々デートしたりしてたんだけどさ。……なんか最近、それすらも煩わしくなっちゃって」
「…………いや、えーと……別にそんな、俺なんかに操立ててくれなくてもいいんですが……」
 一応、“恋人”というような事になっている雪乃ならばいざ知らず、100%横恋慕してきているだけの矢紗美に操を立てられても困る――というのが、正直な感想だった。
「違うの。操を立てるとか、そういうんじゃなくて……純粋に、私が紺崎クン以外の男と寝たくないって思うから寝ないだけ。別に紺崎クンの為なんかじゃないの」
「いや、でもですね……ひょっとしたら俺なんか比較にならないくらい“良い”相手が現れるかもしれないじゃないですか。そんな無理に壁作ったりしないで、広く世界を見聞したほうが良いと思いますよ?」
「………………紺崎クンが迷惑してるっていうのは、私だって解ってるの。……だけど、自分でもどうしようもないの」
 まるで独白のように呟いて、矢紗美はそれきり口を噤んだ。月彦もまた、矢紗美の部屋に着くまで、一言も言葉を発さなかった。

「ささ、遠慮せず上がって。自分の家だと思ってくつろいでね」
「はぁ……お邪魔します」
 矢紗美の明るい声に誘われるようにして、月彦は部屋に上がる。来客を見越して片づけでもされたのか、いつになく部屋の中は整理整頓されていた。
「そうだ、紺崎クン……晩ご飯まだでしょ?」
「そう……ですね」
「良かったら何か作るけど、食べたいものとかある?」
「いえ、お構いなく。インスタントのラーメンでもあれば、それでお願いします」
「雪乃じゃあるまいし、うちにはインスタントなんてコーヒーくらいしか無いんだけど。……しょうがないわ、時間もそんなに無いし、何か適当に作るから紺崎クンは先にアルバム見てて」
 矢紗美に背中を押されるようにして、月彦は掘り炬燵へと押し込まれる。すぐに暖かいお茶が運ばれてきて、眼前にはどさりと重厚なアルバムが三冊置かれた。
「じゃあ、私は台所に居るから。どうぞごゆっくり」
「あの、矢紗美さん……ほんとに簡単なものでいいですから」
 果たして月彦の言葉は届いたのかどうか、矢紗美はルンルンとした足取りで台所のほうへと消えた。月彦はため息を一つついて、アルバムの方へと目をやる。
(……なんか緊張するな……。人の家のアルバム見るのなんて初めてだ)
 とりあえず、一番上のアルバムから順に開けてみる事にした。真っ先に飛び込んできたのは、恐らく親族全員で撮ったと思われる集合写真だった。
(へぇ……これは比較的新しいやつだな)
 恐らく、ここ二,三年ほどの間に撮られたものだろう。二十人ほどの見知らぬ人物達の集まりの中で、二人の見知った顔がそれほど変わっていないのを見て、月彦はそう判断した。
(位置的に……この人が先生と矢紗美さんのお父さん……かな)
 成る程、厳しそうだ――と、月彦は第一印象で思った。白髪交じりの頭は六:四で綺麗に分けられ、黒々としたカイゼル髭と鋭い眼光が如何にも“堅物”という印象を受ける。
(で、となりが……お母さん、かな)
 堅物そうな父親とはあまりに不釣り合いな、慈愛に満ちた笑顔を浮かべている婦人には、確かに雪乃似な所があった。と言うより、雪乃が年を重ねていけば丁度このような感じになるのではないかという見本を見せられているかのように、婦人の姿は雪乃によく似ていた。
「ね、あの子……母親似でしょ?」
「うわぁっ!? や、矢紗美さん、音もなく背後に立たないで下さいよ!」
「紺崎クンが熱中して見てるからよ。ちなみに、こっちの赤いアルバムの方が雪乃が高校生くらいの頃のやつだったと思うわ。こっちの黒いのはそれより前」
 言うだけ言って、矢紗美はまたルンルンとした足取りで台所へと戻っていく。なにげに、私服に赤いエプロンをつけたその姿が可愛らしかったりするのだが、月彦は気を取り直してアルバムの続きへと目を戻した。
「これは……成人式のやつかな。……うわ、先生若っ……」
 数多の写真の中で一際目を引く雪乃の晴れ着姿に、月彦の目は釘付けになった。成人式という事は、恐らく今よりも五歳若いという事なのだろうが、まだ学生臭さの抜けていない――というより、実際大学生なのだろうが――雪乃の姿に、軽い感動すら憶えてしまう。
(なんて初々しい……それに比べて……)
 何頁か戻った所に、同じく矢紗美の成人式らしい写真も載っているのだが、軽い感動すら憶えた雪乃の晴れ着姿に比べてこちらはなんともはやな出来だったりする。
(……今とぜんっぜん変わってない……目新しさが皆無だ)
 雪乃と同じく晴れ着をして、友達らしい女性の肩を抱くようにしてVサインをしている矢紗美の姿に軽く目眩すら憶えてしまう。
 そのままはらり、はらりとページをめくっていくも、まるで特撮写真でも見ているかのように矢紗美だけはちっとも代わり映えがしなかった。
(先生は……やっぱり変わってるなぁ……これは大学の卒業式のやつかな)
 スーツを着た雪乃が、やや恥ずかしそうに卒業証書を抱えて映っている写真を見て、月彦はしみじみとその体のラインに目をやる。現在の豊満極まりない体の雪乃も良いが、この熟し切れていない感じの雪乃もまた決して悪くないと、そんな事を思ってしまう。
(うんうん、やっぱり来た甲斐はあった。矢紗美さんに感謝しなきゃ)
 眼福眼福、と月彦はゆっくりとアルバムを眺めていき、続いて赤のアルバム――恐らく高校時代あたりが納められていると思われる――を開いた。
 最初は、セオリーとでもいうかのように集合写真。勿論、月彦の目は会ったこともない雪乃の親族などよりも、雪乃本人の姿へと釘付けになる。
(へえ……先生、昔は髪延ばしてたんだ)
 恐らくは、高校時分の雪乃だろう。背中あたりまで髪を伸ばしているその姿は違和感こそあるものの、決して悪くない――と思ってしまう。
(……先生、こんな可愛かったのに彼氏居なかったのか)
 いくら矢紗美の妨害があったとはいえ、考えられないと思ってしまう。写真の姿を見るに、仮に校内ミスコンでもやろうものなら男子生徒の9割以上の票を集めてしまうのではないかという可愛らしさなのだ。
(……やばっ、なんか写真見てるだけでドキドキする……)
 言うまでもなく、現在の雪乃も十二分に魅力的な女性には違いない。が、しかし――この雪乃もまた殺人的な美しさを秘めているのだ。確かに、今に比べて遙かに背は低く、胸も尻も無いに等しいが、それを補って有り余る可愛らしさがあった。
 月彦はさらに、ページを進める。
(……この写真、ちょっと欲しいな……)
 登下校中の写真だろうか。撮影者の姿に気付いた雪乃が瞬間的に振り返り、睨むような視線を送っているその姿がなんとも可愛らしく、月彦はガラにもなく見とれてしまう。
(ん……待てよ、この制服って……確か……)
 それまで、雪乃のあまりの可愛らしさに気を取られて制服にまで注意を払えなかったが、雪乃が纏っているのは何処か見覚えのある制服なのだ。
(……これ、たしか如水中の制服、だよな……)
 それともたまたま似た制服なのだろうか。てっきり高校生の頃の雪乃かと思っていたのだが、確かにそれにしは些か幼すぎるようにも思えてくる。
(成る程、高校じゃなくて中学だったのか……道理で胸が……)
 ぺったんこだと、しげしげと写真を眺めながら月彦は納得する。中学までは全然だった――という雪乃の証言通りだ。
(……確かにぺったんこ……でも、良いじゃないか!)
 子猫的な可愛らしさ、とでも言うべきか。性的な魅力など無くとも、十二分に可愛いと思えるのだ。
(十年前は先生こんなだったのか……惜しいなぁ……)
 出来ることならば、この頃の雪乃とも知り合いたかった――などと詮ない事を考えつつ、月彦はしげしげとぺったんこ胸の女子中学生の写真に見とれるのであった。
 


 最後のアルバムへと移る前に矢紗美が夕飯の支度を終え、食事がてら小休憩という事になった。
「とりあえず、家にあったもので適当に色々作っちゃった。……紺崎クンって、確かいっぱい食べるのよね?」
 台所から次々に運ばれてくる料理は、明らかに“二人分”の分量を逸していた。“余り物で適当に作った”という言葉通り、並べられた料理はオムライスにロールキャベツに唐揚げ、マカロニサラダに冷や奴と、統一性の欠片も無かった。。
「か、簡単なもので良いって言ったじゃないですか! こんなにいっぱい……いくらなんでも食べ切れませんよ!」
「食べきれなかったら残しちゃっていいから。明日のお弁当のおかずにすればいいんだし」
「そ、それなら……いいんですけど……じゃあ、折角ですからいただきます」
「うん、いっぱい食べてね。紺崎クン」
 やや複雑な面持ちで、月彦はスプーンを手にオムライスへと口をつける。
(ん……?)
 意外な味付けに驚きながらも、二口、三口と次々にスプーンは動き、瞬く間に半分ほども平らげてしまう。
「どう、美味しい?」
「……え、ええ……あれ、この味は――」
 月彦は改めてルビー色に炒められたオムライスを口へと運ぶ。内側だけトロリと半生な薄焼き卵に包まれたそれはなんとも深い味わいを醸しだし、未知の風味に誘われるようにぐう……と腹まで鳴ってしまった。
「……普通のケチャップの味と違いますね。何か特別なのを使ってるんですか?」
「市販のケチャップって、味がとんがってて嫌いなのよ。だから、いつも自分でトマトを煮て作ってるの」
「ケチャップを自分で……ですか」
 成る程、それでこの味が出せるのかと、月彦は目から鱗が落ちる思いだった。
「保存料とか使わないから、二週間くらいでダメになっちゃうんだけどね。でも、少しくらい手間がかかっても自分で作ったほうが美味しいって知っちゃったら、もう市販のやつなんて使う気がしなくって」
 気ままな独り身で時間ならあるし――と、矢紗美は自嘲気味に呟く。
「確かに……これだけ美味しいなら、自分で作る価値はありますね……」
 月彦は箸に持ち替え、今度は唐揚げにかぶりつく。これまた、なんともジューシィな鶏の肉汁とスパイシーな衣の味に瞬く間に虜となってしまい、瞬く間に二つ、三つと平らげてしまう。
「紺崎クン、実はかなりお腹が空いてた? そんなに焦らないでもっとゆっくり食べたら?」
「確かに腹は空いてましたけど……すみません、ロールキャベツいただいても良いですか?」
 テーブルの端に置かれていたロールキャベツを、矢紗美が小皿に取り分けて月彦へと渡す。これまた、巧い具合に煮られた絶妙なロールキャベツだった。キャベツの芯が気になることもなく、肉汁のうま味とキャベツの風味が一体となったその味に、ますます胃が開いていくのを感じた。
(意外だ……矢紗美さん、本当に料理上手だったんだ……)
 味付けに関しては決して王道ではない。市販の調味料ではなく自家製のそれを使った味は恐らく万人に受け入れられる味ではないだろう。だがその代わり、好きな人にはトコトン好かれる部類の味付けはある意味矢紗美らしいと言えなくもない。
 そして、幸か不幸か、月彦の味覚もまたこのクセのある味付けが嫌いではないのだ。

 続いて月彦はマカロニサラダへと口をつける。サラダに関してはこれといったオリジナリティーは無く、強いて上げるならば薄味に仕上げられたドレッシングなのだろうが、これがまた他の料理の濃厚な味を程よく打ち消し、見事な引き立て役になっていた。
 気がつけば、月彦は瞬く間にテーブルの上の料理を食らいつくし、最後に残った冷や奴を食後のデザートのようにぺろりと平らげてしまった。平らげてしまった後で、食卓の上に置かれた全ての料理を自分一人で食べてしまった事に遅まきながらに気がついた。
「あっ――」
 失態に気付くなり、かあ……と頬が熱くなる。
「す、すみません! 俺っ……矢紗美さんの分まで…………」
 あわわ、あわわと月彦はいつになく狼狽した。いくら腹が減っていたとはいえ、同伴者の分まで一人で食べてしまうなど、躾の出来ていない幼児以下の醜態ではないか。
「い、いつもはこんな事ないんですけど……その、料理がメチャクチャ美味しくて……だからってそれが言い訳になるなんて思ってないんですけど……すみません! 俺、何か買って来ます!」
 居たたまれなくなって、炬燵から飛び出ようとした月彦だったが。
「……ほんっと、雪乃から聞いてた通り。すっごく食べるのね。一体その体の何処に入ってるのかしら」
 くすくすと、微笑ましいものでも見るような矢紗美の声に、月彦はぴたりと足を止める。
「勿論、全部食べてくれて良かったのよ? だからほら、座って」
「いや、でも……それじゃ矢紗美さんは……」
「私は良いの。味見とかで結構お腹膨れちゃったし。紺崎クンが美味しそうに食べてくれてるの見てたら、それだけで胸が一杯になっちゃった」
 頬杖をついて、心底満足そうな笑顔を浮かべる矢紗美に、月彦は恐縮しつつも照れ笑いを返すしかなかった。
「ホント、美味しかったです。矢紗美さんに彼氏が多い理由の一つが解った気がしました」
「あら、紺崎クンったらお上手ね。……でも、確かに私は何人も彼氏が居たし、付き合ってもきたけど、手料理振る舞った事なんて実は一度も無いのよ?」
「え……そうなんですか?」
 もったいない――と、月彦は思う。本性を隠し、あくまで純朴な女性を装いつつ先ほどの手料理を振る舞えば――勿論、味付けの好みによる差はあるだろうが――並の男なら瞬く間に結婚したい女性ランキングの上位に矢紗美をランクインさせるのではないだろうかと。そう思えたからだ。
「私はほら、どっちかっていうとそういうのより……“体”でオトして離れられなくするタイプだし。……紺崎クンには逆にヤられちゃったけどね」
 言われてみれば、と月彦は思う。自分とて、初めて矢紗美と会った日、拘束され無理矢理掘られかけたのだ。ああいう手で男をオトすのならば、そもそも手料理など振る舞う機会は無いだろう。
「だから、家族以外で私の料理食べたのは、正真正銘紺崎クンが初めて。味付けとかかなりオリジナル入ってるから、不味いって言われたらどうしようって、実は少し不安だったの」
「確かに、結構クセの強い感じでしたけど……でも、俺こういうの嫌いじゃないですよ。っていうか、むしろ好きです」
「お世辞でもそれだけ言えたら合格よ、紺崎クン。……でも、そこまでにしておいてね。それ以上言われたら、お世辞だって解ってても私、舞い上がっちゃうから」
「いえ、世辞なんかじゃなくて本当に美味しかったですよ」
 そうでなければ、あそこまで見境無く食べてしまったりするものかと。月彦は言外に言い含める。
「……ねえ、紺崎クン。雪乃は、料理とかつくってくれる?」
「いえ……先生と居る時は、だいたい外で食べるか、後は出前とか……ですね」
「……相変わらず、かぁ。本当にしょうがない子なんだから」
「はは……確かに先生の手料理も興味ありますけど……苦手なものを無理強いするのも悪いですし……」
「週末、デートするんでしょ? その時にでも言ってやればいいじゃない。“手料理が食べたい”って。きっとあの子、笑えるくらいオロオロしちゃうわよ?」
「成る程……確かにそういう先生を見てみたい気もしますね」
 決して悪くない案だと、月彦は頷く。
「……あの子、紺崎クンが思ってる以上に紺崎クンにゾッコンなんだから。私が言っても聞かないような事も、紺崎クンが言えば一発よ」
「そうだと良いんですが……最近の先生って結構強引で、なかなか……」
「……ひょっとして、“週末のデート”もあの子が無理矢理?」
「ええ、まぁ……確かにこっちも冬休み色々あって先生と連絡とれなかったのは悪かったと思ってるんですが……」
「雪乃ったら、相変わらず自分の都合しか考えないんだから。……紺崎クン、一度びしっと言ってやらないとダメよ?」
「びしっと、ですか……」
「そうよ。私にはいつも強気で突っぱねてたじゃない。ああいう風に、雪乃に強引に誘われても、しっかり断らなきゃ。じゃないと、あの子調子にのってどんどんあり得ない要求してくるわよ?」
 確かに――、と月彦は昼間の事を振り返る。週末のデートは兎も角、平日の夜に会いたいなどと無茶も良いところだ。
(矢紗美さんの言う通りだ……時には、がつんと言う事も……必要かもしれない)
 年の差がどうとか言っている場合ではないのだ。雪乃のためにも、時には勇気を出して断らねばならない事もあるだろう。
「……よく分かりました。確かに、矢紗美さんの言う通りだと思います。無理な事は無理だって、きちんと断る事も必要ですよね」
「…………あの子の恋愛経験が足りないのは私のせいだもの。困ったことがあったらいつでも相談にのるくらいの事は当然よ。……私も、あの子と紺崎クンには幸せになってもらいたいし」
 まるで、娘の成長を見守る母親のような目でそんな事を言われ、月彦は渇いた笑みしか返せない。
「そ、そうだ……アルバム見ましたけど、矢紗美さんってぜんっぜん変わってないんですね。ちょっとびっくりしましたよ」
「家族からも友達からも良く言われるわ。実際、中学の終わり頃から身長も殆ど変わってないのよね……もう少し延びるかと思ってたんだけど」
 ふう、と矢紗美は複雑そうな顔でため息を漏らす。
「逆に、先生は良い意味で変わってる感じでしたね。中学の頃なんて、胸もお尻もぺったんこですけど、そんなの全然気にならないくらい可愛いですし……」
「中学生の雪乃が……可愛い?」
 信じられない言葉でも聞いたように矢紗美がピタリと動きを止める。
「紺崎クン……本気で言ってるの?」
「ええ……今と違って長い髪も結構似合ってますし……俺でなくても男なら百人中九十九人は可愛いって思うタイプだと思うんですけど」
 月彦は改めて、先ほど見た雪乃の写真を脳裏に思い描く。思わず顔がにやけてしまいそうな程に可愛らしいその姿に、己の判断は間違っていない――そう思った。
 が、矢紗美はまるで絶句したように口を噤み、徐にレポート用紙をどこからか取り出すと、それにサインペンでなにやら書き込み始めた。
「紺崎クン、これは見えるかしら?」
 と、矢紗美が紙をぶら下げてそれに書かれているものをペン先で指し示す。
「ええと……下、ですか」
「じゃあこれは?」
「左、右斜め下、上、下です」
 矢紗美が指すランドルト環の空いている場所を月彦は順次言い当てる。
「……目は悪くない様ね。だとすると、愛の力ってそんなにも現実を歪めて見られるものかしら……」
「矢紗美さん、俺には矢紗美さんが言ってる事の方がおかしいって思いますよ。誰がどう見たって、先生は可愛い部類だと思いますよ?」
「そんな筈はないわ。よっぽどのマニアなら話は別でしょうけど……待って、紺崎クン!?」
 はたと、何かに思い至った様に、矢紗美が強い声を出す。
「“長い髪が似合ってた”――さっきそう言った?」
 こくりと、月彦は頷く。
「…………解ったわ。紺崎クン、ひょっとして……赤のアルバムまでしか見てないんじゃない?」
「ええ、黒いのはまだ……」
「ふふ、じゃあ見てみると良いわ。……心臓に悪いかもしれないから、気を強く持ってね」
「し、心臓に悪い……って、これ、アルバム……ですよね?」
 矢紗美からアルバムを受け取り、月彦は恐る恐る開いた。



 最初に目に入ったのは、やはりと言うべきか集合写真。月彦は心臓が高鳴るのを感じながら、じっくりと隅々まで目を通す。が、矢紗美の言うような“心臓に悪いもの”は一向に見つからなかった。
「……あの、矢紗美さん? 本当に……」
「いいから、よーく見てみなさい」
 矢紗美に言われるままに、月彦は視線をアルバムへと戻す。
(……本当に、矢紗美さんだけは全然変わってない……)
 真っ先に目についたのは、今と変わらぬ矢紗美の姿だった。ちらり、と次のページなどを見てみると、いくつかセーラー服を着ているものがある事から、恐らく高校か中学の頃の写真だろう。
(先生は……これは小学生……かな?)
 矢紗美の写真に交じって、赤いランドセルを背負っている目つきの悪い子供の写真があった。体格から察するに小学校に入ったばかりといった所だろうか。
(ん……待てよ……)
 はたと、月彦は我に返る。矢紗美と雪乃はそんなにも年の差があっただろうか。記憶が正しければ、年齢差は確か二か三……。
 ハッとして、月彦は改めて集合写真を見る。矢紗美と“目つきの悪い小学生”……その年の差はどう見ても二、三ではない。
 くつくつと、横から覗き込んでいる矢紗美が含み笑いを漏らす。
「どうしたの、紺崎クン?」
「ええと……念のため聞きますけど……この写真に写ってる矢紗美さんって、いくつくらいの頃ですか?」
「そうねぇ、十七,八歳頃じゃないかしら。もうちょっと若いかも」
「……そのころの先生って、小学生……じゃないですよね?」
「あの子とはそんなに年は離れてないわよ? 中学くらいだと思うから、多分十三、四って所じゃないかしら」
「中学生……」
 月彦は、集合写真を見る。しかしその何処にも、“髪の長い、可愛らしい中学生”は写ってはいなかった。
 ざわりと、月彦の胸中に不吉なものが沸く。
「や、矢紗美さん……どういう事なんですか? 赤のアルバムに載ってたあの子は……」
「いいから、早く雪乃を見つけてあげてよ。候補はそんなに居ないんだからすぐ解るでしょ?」
 確かに、親族全員集合写真とはいえ、“中学生の女の子”の候補となるとそう多くはなかった。月彦は真剣に、一人一人の顔と記憶の中にある雪乃のそれを比べていく。
「ええと……この人、ですか?」
 月彦は写真の右奥、どう見ても高校生あたりにしか見えないような身長の女性を指さすが、矢紗美は無言で首を振る。
「じゃあ、この子とか……」
 次に指さしたのは、ズボンを履いたオールバックの青年だった。写真では男にしか見えないが、写真写りが悪くてそう見えただけでは――と思ったのだ。
 しかし、矢紗美は無言で首を振る。
「そんな……だってあとは……ご両親に親族っぽいおじさんおばさんにお爺さんとお婆さんに赤ん坊に幼稚園児……それと――」
「それと……何?」
 にやにやと、矢紗美がこれ以上ないという意地の悪い笑みを浮かべる。
「まさか、この……ドラム缶みたいなのが……先生、ですか?」
 全く代わり映えのしない矢紗美のとなりに写っている性別不明の人物――否、確かによく見れば、スカートらしきものを履いてはいる。しかし、その顔は原型を留めない程に肉で埋まり、目元などは細い線となってしまっているのだ。
「ドラム缶かぁ……あの子が聞いたらどう思うかしら」
「いや、だってほんとにこれ……」
 ドラム缶でなければ、人型に作ったハムに服を着せたかの様。とにかく、今現在の雪乃の姿とは似ても似つかないのだ。
「まあ、でもこの写真は特に極端よね。こっちのとかは、辛うじて面影は残ってるでしょ?」
 矢紗美がいくつかページをめくり、どうやらプールで撮られたらしい写真を示す。これまた見事なハム子ちゃんぷりではあるが、顔などは幾分原型を留めているように見えた。
「確か、一大決心して痩せるためにプールに通ってた頃じゃなかったかしら。で、五`減の記念にとった写真だった筈よ」
「五`も痩せて……まだこんなに太ってるんですか」
「そりゃあ、あの頃の雪乃の食欲は凄かったもの。でも、あの子もさすがに女の子よね。男の子の目が気になりだしてダイエットを始めて――」
 ぱらり、と矢紗美がページをめくり、そして写真を指し示す。
「なっ、また元に戻ってるじゃないですか!」
「リバウンドってやつかしら。二ヶ月かけて減らしたのに、ものの二週間で元に戻っちゃったのよね〜。で、またダイエットして――」
 矢紗美が順番に雪乃の写真を指さしていく。確かに、徐々に痩せてはきているのだが。
「はい、また元通り〜。ほんっと雪乃ってば意志が弱いわよね」
 矢紗美が指した写真ではまたもやドラム缶の様な体型に戻ってしまっていた。
「でも、確かこのころ好きな男子が居て、あの子も性根を据えてダイエットをして…………ほら、今までで一番痩せてるでしょ?」
「ええ、確かに……これならポッチャリ系で十分通りますね」
「でも――」
 ぱらり、と矢紗美がページをめくり。
「どーん! また元に戻っちゃいました」
 セーラー服をはちきれんばかりにした雪乃の写真を見るなり、矢紗美は腹を抱えて笑い出す。
「なっ、一体何があったんですか!」
「んーとねえ、確か……そうそう、前に話したでしょ? 雪乃が中学の時彼氏を連れてきたって。で、それを私が盗っちゃってぇ、それでヤケ食いしちゃったんだったかな?」
「……矢紗美さんのせいですか」
「そうだと言えなくもないわね。まあそんなこんなで中学の頃は太ったり痩せたりを繰り返して、結局今みたいな感じに落ち着いたのは高校卒業するちょっと前くらいだったかしら」
 矢紗美は赤の方のアルバムを広げ、一つの写真を指し示す。
「……成る程、こっちが……先生の写真だったんですか」
 “美少女の中学生”の写真の方に気を取られすぎてて、太ったり痩せたりを繰り返しているポッチャリ系と見えなくもない女子高校生の写真は全く目に入って居なかった。
(人に歴史あり、とは言うけど……)
 あの雪乃の過去にこれほど強烈なメタモルフォーゼがあったとは予想だにしなかった。
「……待って下さい! じゃあ、この写真は……?」
「消去法で一人しか居ないじゃない。末っ子の瑤子よ」
「末っ子……先生の妹、ですか……先生そっくりじゃないですか!」
「雪乃と瑤子は母親似だって、前に言ったでしょ?」
 確かに、三人で鍋をつついた時にそういう話は聞いた。が、しかしこれほどまでに似ているとは思わなかった。
「それに、似てるけど……目元とかは結構違うでしょ? 雪乃は人が良いっていうか、如何にも男に騙されそうな感じだけど、瑤子の方はきっつーい目してるし」
「言われてみれば……って感じですが……確かに、そこで見分けはつきますね」
 雪乃に比べ、末っ子の瑤子の方はたしかに、ツンとした印象を受ける。恐らく、性格の方も雪乃よりもキツいのではないだろうか。
「あれ、っていうことは……もしかして矢紗美さんの一番下の妹って俺と同年代くらいですか?」
「んー……どうだったかしら……私と雪乃が三つ違いで、雪乃と瑤子が五つ違いだか六つ違いだった筈だから……多分、紺崎クンより一つ上じゃないかしら」
「……一つ上、ですか……如水中通ってたってことは、ひょっとして今は如水学院に?」
「二年くらい前までは通ってたと思うけど……今はちょっと解らないわ。ひょっとしたら辞めちゃってるかも」
「えっ……ちょっ、なんでそんなに情報が不透明なんですか! 妹じゃないんですか!?」
「妹には違いないんだけど、雪乃と違って年も離れてるし、正直あんまり仲は良くないのよね。紺崎クン、雪乃から瑤子の話って聞いたことある?」
「……いえ、そもそも姉が居るって事自体、矢紗美さんの部屋の前で初めて聞かされましたけど」
「あの子はホントにもー……まあ、雪乃に聞いても、多分瑤子の動向はさっぱり分からないと思うわよ。今年の正月にも顔みせなかったし。……まあ、勘当されてるから戻るに戻れないんでしょうけど」
「勘当……って、ちょっと待って下さい! それも二年前の話ですか!?」
「そうね。だいたいそれくらいだったかしら。……ほら、うちの父さんって公務員じゃなきゃ許さない質だって、前に言ったでしょ?」
「ええ……そうでしたね」
「それがあの子、どうしても嫌だったみたいでさ。ある日大ゲンカして家飛び出していっちゃって。それでそれきり、消息不明」
「そんなっ……どうして捜さないんですか! 姉妹じゃないんですか!?」
「そうしたい所だけどさ、私達とあの子ってほんとソリが合わなかったのよ。それに、父さんには内緒で母さんがこっそり仕送りとかしてるみたいだから、大丈夫かなぁって」
 あの子も母さんにだけは懐いてたから――と、矢紗美は懐かしむように言って、静かにアルバムを閉じる。
「……なんていうか、先生の事といい、妹さんの事といい…………いろいろあったんですね」
「別にうちだけが特別じゃないでしょ? 紺崎クンの家だって、いろいろあるんじゃない?」
「……ええ、まあ……確かに、うちもいろいろありましたね……」
 父親の事、姉のこと、そしてなにより――“娘”の事。それこそ、雛森家の一大事が霞むような出来事が、確かに紺崎家では起きている。
(……それは兎も角として、一番下の妹……瑤子さん、か)
 どうやら、瑤子の写真自体は中学のものまでしか残っていないらしいから、どうにも年上としてイメージすることが出来ないのだが、なんとも気になる容姿であると言わざるを得ない。
(……まんま、先生の中学生バージョンだもんな……ああでも、今は高校生なのか)
 勿体ないような、期待が膨らむような、なんとも複雑な気分だった。
(しかし、如学に通ってたのか……ひょっとしたら、妙子に聞けば何か解るかもしれないな……)
 現在の動向が分かった所で、自分に何ができるというわけでもないが、機会があれば聞いてみるのも良いかも知れない。。
「あ、そうだ。紺崎クン……そろそろ時間じゃない?」
「え……時間……?」
 言われて、月彦は腕時計に視線を落とした。確かに、いつのまにやら随分時間が経ってしまったらしく、時計の針は八時半を指していた。
「九時までには家に帰るんでしょ? だったらそろそろ出なきゃ」
「そう、ですけど……あの……」
「なに?」
「本当に、家に帰してくれるんですか?」
「だって、そういう約束だったじゃない」
 矢紗美は苦笑して、食器類を台所へと片づけ始める。
(いや、でもいつもの矢紗美さんなら――)
 と、月彦は過去の記憶を振り返る。初めは甘い言葉で、そしてなんだかんだとなし崩しにベッドへともつれ込むのが、いつもの矢紗美の手口だったのだ。
 それなのに、ただ話をして夕飯を食べただけで家に帰してくれると言っている。それが逆に怪しく、危うくすら感じられるのだ。
「それともなぁに? 今夜、泊まっていってくれるの?」
 冗談っぽくではあるが、期待を込めた目でそんな事を言われ、月彦は渇いた笑みしか返せなかった。
「……すみません、明日も学校ですし、さすがに……」
「うん、解ってる。ちょっと……言ってみただけ」
 一瞬、寂しそうに笑って、矢紗美は重ねた食器類を手に台所へと消える。一人居間に残された月彦は、その後ろ姿を正視することが出来なかった。

 

 



「私が思うに、雪乃って……欲求が強すぎるタイプだと思うの」
 帰り道の車の中で、矢紗美がまるで独り言の様に呟く。
「欲求が強すぎるタイプ……ですか」
「そ。例えば、食欲が強すぎて……あんな風になっちゃったりとか」
「……あれは、確かに……凄まじかったですね」
 それはさながら、醜い芋虫が蛹を経て美しい蝶へと変化したかの様。当時の同級生達の誰一人として、あの赤丸ハム子がグラマー美人に化けるとは想像だにしなかったに違いない。
(……女の人って、怖いな……)
 月彦は記憶を振り返り、己が小学生であった頃の同級生達の顔を思い出す。雪乃ほどではないにしろ、太っていたり或いは逆に痩せすぎていたりした女子達は少なからず居た。雪乃の例を見る限り、彼女らが目映いばかりの蝶へと変化している可能性は決してゼロではないのだ。
「紺崎クン、ひょっとして……幻滅したんじゃない?」
「えっ……?」
「あの子が昔、あんなにデブだったって知って。ショックじゃなかった?」
「いや、まぁ……確かにびっくりはしましたけど、そんなにショックってわけじゃないですよ。昔がどうであれ、今の先生は凄く綺麗ですし……」
「でも、何かの切っ掛けでまたああなっちゃうかもしれないのよ? それでもあの子のこと愛せる?」
「えっ、と……それは……」
 即答は出来なかった。矢紗美がふふふ、と意味深な笑みを浮かべる。
「も、もしそうなったら……俺も一緒になって先生のダイエット手伝いますよ。見た目が変わったから別れようなんて、絶対言いません」
「そっか……紺崎クン、本当に雪乃のことが好きなんだ」
 そう呟くなり、矢紗美は口を噤んでしまった。月彦も返す言葉がなく、車内には場違いな程に明るいバラエティラジオの音声だけが流れ続ける。
 程なく、行きの時に矢紗美に拾ってもらった郵便局前で車が止まった。
「っと……じゃあ、矢紗美さん。今日はありがとうございました。夕飯、凄く美味しかったです」
「どういたしまして。……そうそう、紺崎クン。アルバムを見たっていう話は、雪乃には内緒にしておいた方がいいわよ? あの子、昔の写真見られるの凄く嫌がるし、何より何処で見たのか、すごく説明が面倒でしょ?」
「ええ、解ってます。先生には絶対言いません」
 知られたくない過去というものは、確かにある。雪乃が隠したいと思っているのならば、知らぬフリをするのが思いやりというものだろう。
「それじゃあ、矢紗美さん。気を付けて帰って下さいね」
「紺崎クンもね」
 車を降りて、月彦は矢紗美の車のテールライトを見送り、そして家路についた。
(……矢紗美さん、本当にあっさり帰してくれたな……)
 今までのように強引にベッドに連れ込まれるのも困ったものだが、このようにあっさり帰されたら帰されたで何か裏があるのでは、と思ってしまう。
(それとも、やっぱりこの前の事が……)
 前回、矢紗美の部屋に連れ込まれた時に、月彦は三つの条件を提示した。それを守らねば、縁を切る――と。あの時はそうしなければ、これから先の安寧はないと思ったが、いざ堅実に守られるとそれはそれで心苦しかったりする。
(やっぱり、無理……してるんだろうな)
 人間、そうそう簡単に変われるものではない。あれ程傍若無人だった矢紗美があのように大人しく振る舞うというのは恐らく想像を絶する負担を掛けてしまっている事だろう。
(……俺が、言い出した事……だ)
 これが、自分が望んだ事ではないのか。このままさりげなく、矢紗美にフェードアウトしてもらえればそれが一番ではないか。
(……でも、なんでこんなに……モヤモヤするんだ……)
 最良の方法をとった筈だというのに、なんとも胸中が落ち着かない。むしろ、今までになく矢紗美の事が気にかかり、尾を引くのだ。
「くっ……」
 家路を急ぐ月彦の目に、まるで用意されていたかのように“それ”が目にとまる。最近では滅多に見かけなくなった公衆電話ボックス。月彦はあえてそれが視界に入らないようにして通り過ぎたが、しかし不意にその足が止まる。
「……っ……」
 ただ、そこに電話ボックスがあるというだけならば、きっと何もしなかった。否、出来なかった。
 しかし、今は――月彦は財布を取り出し、小銭入れの内側に切れ目を入れて隠しておいたメモを取り出す。言うまでもなく、昼間雪乃にもらったメモだ。
「……っ……矢紗美さん」
 呻くように呟いて、月彦は電話ボックスの中へと入った。


 数回の呼び出し音の後、『もしもし?』という矢紗美の声は不審そうな響きを孕んでいた。
「もしもし、俺です」
『えっ……紺崎クン!?』
 余程意外だったのか、矢紗美がなんとも素っ頓狂な声を上げる。
「はい、あの……今、電話大丈夫――あっ」
 そこではたと、月彦は己の失態に気がついた。今大丈夫かもなにも、時間的に矢紗美はまだ車を運転している筈ではないか。
「す、すみません! まだ車の中ですよね……あとでまたかけ直しますから――」
『待って! 今、車止めたから……どうしたの? 忘れ物?』
「いえ、そういうんじゃなくて……ちょっと、矢紗美さんにどうしても言わなきゃいけない事が……」
 月彦はちらり、とテレホンカードの残高へと目をやる。大丈夫、まだ十分に余裕はある――。
「その、この間の事ですけど……あれ、あんまり本気にしなくてもいいですから」
『この間の事……?』
「ほら、俺……矢紗美さんにエラそうな事言って、条件とか出したじゃないですか。……あの時は、矢紗美さんのやり方に腹が立って、キツい事言っちゃいましたけど……矢紗美さんはやっぱり矢紗美さんらしいのが一番だと思うんです」
『………………。』
 矢紗美からの返事は帰ってこなかった。その沈黙が怖くて、月彦はごくりと固唾を呑んだ。
「あ、あの……でもやっぱり、脅迫とか、そういうのは止めて下さいね! そういうのさえなければ、俺……矢紗美さんと一緒に居るの、そんなに嫌じゃないですよ」
『………………。』
 またしても、矢紗美は黙ったままだ。冷や汗がたらりとこめかみを伝う。
(ヤバい、ひょっとして……墓穴ほっちまったのか……?)
 年下の男が自分と付き合いたければこうしろ――などと偉そうに条件を出した挙げ句、今度は大人しくなったその態度が気に入らないと難癖を付けている、とでも思われているのではないか。
「あ、あの……矢紗美さん?」
『………………うん、大丈夫。聞こえてるよ』
 漸く返ってきた矢紗美の声は、心なしか震えていた。
『ごめんね、まさか紺崎クンが電話掛けてくれるなんて思ってなかったから……びっくりしてちょっと涙出ちゃった。……私の番号、雪乃に聞いたの?』
「はい、先生の番号を聞いた時、何故か一緒に実家の番号と矢紗美さんの番号まで……」
『そっか……最近変な電話多いから、出ようか迷ったけど、出て良かった。まさか、紺崎クンからだなんて……』
「公衆電話からですみません……家からだと、家族とかが居る手前、おちついて話も出来ませんから」
 何より、真央に聞かれるわけにはいかないから家の電話は絶対に使えないのだが、勿論そのようなことを矢紗美に説明するつもりはない。
「とにかく、その……今日の矢紗美さん、すごく無理してるみたいでしたから……気になって、電話してみたんですけど……」
『別に無理してたわけじゃなかったけど……そう見えちゃった?』
「はい。……だって、いつもと全然違ったじゃないですか」
『それは…………うん、やっぱり……紺崎クンにはっきり“強引な女は嫌い”って言われたから、かな』
「さ、さっきも言いましたけど……それ、あんまり気にしなくてもいいですから! そりゃあ、強引過ぎるのも困りますけど、やっぱりちょっと強引なくらいの方が、矢紗美さんらしいですし……」
『うん、紺崎クンがその方が良いっていうなら、そうなるように頑張ってみる』
「えっ、いや……そういう事じゃなくてですね……」
 それは何か違う――と、月彦は思うも、巧く説明が出来ない。
(もっと程よくネイティブな感じの……って言っても、難しい……よな……)
 完全に元の矢紗美に戻られても困る。が、今の様に明らかに無理をされているのも胃に悪い。月彦は言葉に詰まり、ぐう……と唸る。
『……ごめんね。紺崎クンからしたら、私の存在って……結構負担……だよね』
「えっ、いや……そんなことは――」
 無い、とは言えなかった。
『……でも、もう前みたいに無理矢理誘ったり、脅したりもしないから。……だから、時々でもいいから……またこうして電話かけてくれる?』
「……っ……」
 はい、それくらいなら全然OKです――喉まで出かかったその言葉を、月彦は飲み込んだ。
「……あの、矢紗美さん……」
『…………?』
 ダメだ――と、胸の内で誰かが叫ぶ。が、もう止められなかった。
「今度の週末、ですけど……土曜日じゃなくて、日曜日の方、空いてませんか?」




 矢紗美をデートに誘ったことを一度も後悔をしなかった――と言えば、嘘になるだろう。しかし一度口に出してしまった手前、やはり無しでというわけにはいかない。月彦に出来る事は、予め“そのつもり”で土曜日を迎える事だけだった。
(……そうだ、これはただのお礼……夕飯をご馳走になったお礼に、日曜日に誘っただけだ)
 これは浮気ではなく人付き合いの礼儀なのだと。少なくとも月彦の頭の中の振り分けではそういう事になっていた。
(……雨、か)
 傘を手に、月彦は午前七時過ぎに家を出た。雪乃との打ち合わせによって決まった待ち合わせ時間は九時半であるから、異例の早さと言って良かった。
(でも……多分……)
 これでも早すぎるという事は無いのではないか――これまでの経験から、月彦はそんな気がするのだった。
 待ち合わせの場所は、最寄り駅ではさすがに人目が気になるという事で二つ隣の駅という事になった。これがそのまま、先日由梨子と行ったショッピングモールでデートをしようという流れになったのだった。
(それに……“あそこ”も近いし)
 ショッピングモールでのデートはいわば飾り。本命は別にあったりする。勿論、雪乃には秘密だ。
(先生……やっぱり……)
 電車を降り、改札を潜るなり行き交う人混みの中に待ちくたびれたように腕時計に目をやるコート姿の雪乃を見つけて、月彦はため息をつきたくなった。
(二時間前でもまだ遅いんですか……)
 これでは待ち合わせ時間など決める意味がないではないか。
「あっ……」
 月彦の姿に気がついたのか、そんな声を漏らして雪乃は駆け寄ってくる。
「良かったぁ……すっぽかされちゃったかなって心配してたんだから」
「すっぽかすって……先生、九時半に待ち合わせでしたよね?」
 うぐっ、と言わんばかりに、雪乃は顎を引く。
「そうだけど……別に、早く来てくれたって良いじゃない。何なら、別に前の晩からうちに泊まりに来てくれたって……私は全然構わないんだから」
 拗ねるような、それでいて照れるような声で言いながら、雪乃は半ば強引に月彦の腕をとり、ぎゅうと巻き付くようにして腕組みをしてしまう。
「……ま、まぁその件はさておき、これからどうしましょうか」
 そもそもが、目当てとするショッピングモールの開店時間を鑑みて九時半に待ち合わせをしたのだ。それより二時間も早く集合した所で、行く宛など在るはずがない。
「……ねえ」
 ぎゅうと、絡め取られた腕に雪乃の胸が押しつけられる。
「紺崎くんは……どうしてもそこに行きたいの?」
「いえ、別にどうしてもって程じゃないんですけど……先生?」
 大丈夫ですか?――ついそんな言葉を出しかけて、月彦は口を噤んだ。
「いいのよ、別に……このまま……私の部屋に行くとか……そういうのでも」
 どこか熱っぽく、焦れったげに身をよじりながら言われるまでもなく、月彦には雪乃の言わんとする所は十二分に伝わった。
(先生、そんなに……したいんですか)
 先ほどから執拗なまでに自分の部屋へ、部屋へと誘ってくる雪乃に、月彦は思わず苦笑してしまいそうになる。考えても見れば、そもそもの発端の水曜日の時点であの有様だったのだ。そこからさらに日数を重ねたのだから、普通に考えればさらに“溜まってる”という事にはなる。
「何なら、どこか……ホテルとかでも……」
「……こんな朝っぱらからホテル……ですか」
 雪乃の提案に苦笑してしまいそうになるのを堪えながら、さてどうしたものかと月彦は考える。雪乃の望み通り、雪乃の部屋なりホテルなりでするべきことをしてしまうか、それとも、当初の予定通り“あの場所”へ連れて行くか。
「ふむ…………よし、決めました」
「えっ……ど、どっちにするの?」
 期待に満ちた雪乃の声に、月彦は勿論笑顔で答えた。
「やっぱり最初の予定通り普通にデートしましょう。折角ここまで来たんですから」
「ふ、普通に……って、まだお店開いてないわよ?」
「ですから、開くまで喫茶店にでも入ってましょうよ。喫茶店がダメならファーストフード店でも、どこかしらは開いてると思いますし」
「で、でもっ……」
「先生、折角の二人きりで過ごせる休日なんですよ? いろんな事して楽しまなきゃ勿体ないじゃないですか」
 ううぅ……そんなうなり声を盛らしながら焦れったげに太股をすりあわせお尻を振る雪乃に苦笑しそうになりながらも、月彦はあくまで“俺は普通のデートを楽しみたい”という顔をする。
「……まあ、先生が“デートなんかどうでも良いから今すぐエッチしたい”って言うんでしたら、話は変わってきますけど」
 さも、「先生はそんな女性じゃないですよね?」と語尾につきそうな口調で月彦は言う。
「ぅぅ……わ、解ったわよ……紺崎くんがそうしたいなら……私も、それで……いいわよ」
 ふぅ、ふぅとまるで発情期の真央のように湿った息を荒げながら、雪乃が渋々同意する。
(見栄が張れるうちはまだまだ我慢できますよ、先生)
 モジモジしっぱなしの雪乃を先導するようにして、月彦は駅を後にした。


 それはさながら、海底散歩をしているような気分だった。ふわふわと足下は覚束なく、月彦と腕を組んでいなければひょっとしたら歩くこともままならなかったかもしれない。
 モーニングをやっている喫茶店で過ごした二時間ばかりの歓談は、雪乃自身何を喋っていたのかほとんど記憶に残っていなかった。話題は学校の事や、冬休みの間の出来事など、当たり障りのないものばかりで、月彦が喋り雪乃が相づちをうつ――終始そのような感じだった。
 あれほど楽しみにしていたデートなのだから、もっと自分から積極的に話をしても良い筈なのだが、口を開いても出るのは切なげな息づかいばかり。その原因は、雪乃自身いやという程に分かっていた。
(……っ…………ぅ……)
 月彦と顔を合わせてからというもの、下腹の奥が熱を帯び、それが全身へと伝播し、これでもかと肌を火照らせる。上気しているのは肌ばかりではない、まるで熱で浮かされているように思考も朧気で、深く物事を考えるという事が出来ないのだ。
 “それ”は欲求不満だと、かつて姉は言った。だが、本当にそうだろうかと雪乃は思う。“これ”は欲求不満などという当たり前の言葉で片づけられるものなのだろうか。世間一般の女性は皆“これ”に身を蝕まれながらも平然と日々を過ごしているのだろうか。
「……………せい、先生っ!?」
 気がつくと、なにやら肩を揺さぶられていて、雪乃ははたと現実に引き戻された。
「あっ、うん……何? どうしたの? 紺崎くん」
「どうしたのじゃないですよ。急に立ち止まってボーッとして……先生、ひょっとして熱でもあるんじゃないですか?」
 慌てて回りを見渡すと、どうやら女性下着売り場らしい場所のど真ん中で立ちつくしてしまっていたらしかった。喫茶店を後にした所までは覚えていたのだが、いつのまにか目当てのショッピングモールの中に入っていたらしい。
「店に入るなりいきなり黙って下着売り場に来るなんて……何か欲しい下着でもあったんですか?」
「そういうわけじゃないんだけど……」
 雪乃自身、何故自分が下着売り場に来てしまったのか解らなかった。月彦の言う様に、欲しい下着があるというわけでもない。
 強いて言うならば――
(……あそこなら…………)
 雪乃の目が、下着売り場の一角、三つほど並んでおかれている試着室へと向く。二人してこっそりとあの中へと入る事はできないだろうか。そうすれば――。
(ぁっ…………)
 “その先”を想像して、雪乃はぶるりと体を震わせる。狭い試着室の中で、月彦と二人密着し、キスを交わしながら体をまさぐり合う――それはなんとも甘美な誘惑を覚える想像だった。
「先生……? 本当に大丈夫ですか?」
「うん、大丈夫……大丈夫よ」
 返事をしながらも、チラチラと何度も試着室へと視線を走らせてしまう。あの中に入ってしまいたい、入ってしまうことが出来たら――。
「…………ぅっ…………」
 じぃんと、下腹から痺れのようなものが走って、雪乃は小さく呻き声を漏らしてしまう。
「は、早く……他の所に行きましょ……何処でもいいから」
「わ、わかりました……」
 首を傾げながら歩き出した月彦にすがりつくようにして、雪乃もまた下着コーナーを後にした。


 その後も二人でぶらぶらとモール内を見て回り、館内レストランで昼食を食べ終わった頃にはもう、雪乃の忍耐のほうが限界に達しようとしていた。
(もう、ダメ……このままじゃ、紺崎くんを押し倒しちゃう…………)
 そもそも、水曜日の時点で我慢の限界に来ていたのだ。それをなんとか騙し騙し土曜日まで持たせられた事自体、奇跡といって良かった。
(……正直に言えば、紺崎くんだって…………)
 今すぐセックスをしたい――デートを中断してまでそう切り出すのは、とても抵抗がある。が、このまま夜まで待つ事など到底出来ない。その前に、衆目の前で月彦を押し倒してしまうかもしれない。
(言わなきゃ……)
 雪乃は、組んだままの腕をぎゅうと圧迫するようにして月彦の方へと目をやる。
「あ、あのね……紺崎く――」
「そうだ!」
 そんな雪乃の言葉を遮るように、月彦が大声を出した。
「先生、すみません……これからの事ですけど、ちょっと予定変更しても良いですか?」
「予定変更……って……何をするの?」
 まさか、もしかして――雪乃は期待に濡れた目で月彦を見る。月彦もまたそれに応えるように、にっこりと微笑んだ。
「ここの近くに映画館があるんですけど、そこでやってる映画が確か今日までなんですよ。もし、先生さえよければ観にいきたいんですが」
「ぇ……映画を……観るの?」
 雪乃としては、承伏できる話ではなかった。露骨に――という程ではないが、やんわりと拒絶の意を示す――が。
「どうしても観たい映画なんです。出来れば先生と一緒に」
「そんな……映画、なんて……」
 映画なんかよりも、今すぐ肌を重ね合わせたい――そう言えたら、どんなに楽か。
(…………やっぱり、ダメ……今すぐしたいなんて言ったら、紺崎くんに軽蔑されちゃう……)
 もっと強引に行け――と、姉は言った。一度は言われたとおり強引に迫ってはみたが、やはり無理は続かない。自分と姉とは違うのだと、雪乃は思う。
(すごく……したい…………けど、我慢しなきゃ)
 たかが映画だ。時間はせいぜい九十分から二時間といった所だろう。そのくらいなら――と、雪乃は決意を固めた。
「解ったわ……紺崎くんがそんなに観たい映画なら、私も……一緒に観たいわ」
 一緒に観たい――雪乃がそう呟いた後、一拍おいて月彦は笑顔で頷いた。……まるで、言質を取ったとばかりに。
「良かった。じゃあ、上映時間も調べないといけないですし、早速映画館に行きましょうか」
 善は急げと言わんばかりに早足になる月彦にすがりつくようにして二人、ショッピングモールを後にする。小雨が降る中、身を寄せ合うようにして相合い傘をするこの瞬間までは、間違いなく雪乃は幸せだった。




 月彦に誘われるままに大通りを離れ路地裏を通り、人気のない方へ人気のない方へと歩いてきた末に、その映画館はあった。
「なっ……」
 そして、その前に立つや、雪乃はまず絶句した。
「良かった、丁度午後の部が今から始まるみたいですよ」
 平然とチケット売り場に行こうとする月彦の腕を、雪乃はがっしりと掴む。
「待って! 紺崎くんが言ってた観たい映画……ってこれなの!?」
「ええ、そうですけど……」
 何か問題でも?――そう言いたそうな月彦のきょとんとした顔。雪乃は改めて、眼前にそびえ立つうらびれた映画館を見た。如何にも場末の映画館というものの見本のようなその外観、チケット売り場のガラス越しに見える暇を持て余した厚化粧の老婆。そして何よりも現在上映中の映画のリストが。
「どうしても……この“有閑マダム深夜のスクワット対決”“超姉貴〜俺の姉がこんなに強いわけがない〜”“淫乱女教師種付け地獄”の三本立てが見たくって……」
「………………ちょっと待って、紺崎くん。情報を整理するから……」
 雪乃はまるで頭痛でも堪えるようにこめかみに指を当てて、しばらく目を瞑る。
「……紺崎くん、これは三つとも成人用映画なのよ。それは解ってる?」
「ええ、前に何度か友達と来たことがありますから。ここってそういうのばっかりやってるんですよ」
「…………それを知ったうえで、“一緒に観たい”って言ったの?」
「勿論です。だって――」
 不意に、月彦の手がするりとコートの内側、腰へと回ってきたかと思えば、その手がさわさわとスカート越しに雪乃の尻を撫でつけてくる。
「んくっ……!」
 たちまち、ゾワリとした快感が迸って、雪乃は唇を噛むようにして声を押し殺す。
「……なんだか、先生がしたくてしたくて我慢できないっぽかったですから。デートは早めに切り上げて先生の部屋に行こうかと。最初はそう思ったんですけど」
「やっ……だめっ……紺崎くん、こんな、所で……ンぅ……」
 スカートの上からさわさわと撫でるだけだった手が、雪乃の尻肉を揉み始める。たちまち、雪乃は声を震わせて息を荒げる。
「折角ですから、こういうエッチな映画を見て……気分を盛り上げてからしたほうがいいかなぁって」
「そ、んな……そんな事……しなくても……私は、もう…………」
 はぁ、はぁと切なげな声を出しながら、雪乃は尻を捏ねられるままに身をよじる。雨が降っていて人気が少ないのは幸いだった。雪乃はただただ、暇そうに煙草の煙を燻らせている老婆の視線の先が自分に向かない事を祈り続ける
「先生がどうしても嫌だって言うんでしたら、俺一人で観てきますけど。どうせここは身分証も何も無しで素通りさせてくれますから」
「だめっ……だめっ……一人で、待つ、なんて…………」
 ぐに、ぐにと尻を揉んでいた手が唐突に離れる。
「一人で待つのが嫌なら、一緒に映画観るしかないですね。二者択一です、どうします? 先生」
「ぅぅぅぅぅ……」
 それは二択になってない――雪乃は目尻に涙を溜め、睨むようにして月彦を見る。見ながら、既にどう足掻こうと月彦の提案内容は変えられないという事も悟ってしまった。
(こんな時……お姉ちゃんだったら……)
 “強引”に月彦を部屋に引っ張っていけるのだろうか。あの姉ならばそれをやりそうだと思う反面、やはり自分には無理だと雪乃は思う。
(だって、もし……)
 ここで月彦の提案を拒否し、無理矢理部屋に連れ込めたとしても、その後確実に成人映画三本立てを欲求不満状態で見せられる事以上の責め苦を味わわされる事が明白だからだ。
(紺崎くんなら……やるわ……)
 ニコニコと天使のような笑みを浮かべながら、焦れに焦らされて身もだえする自分を見下ろす様が目に浮かぶ。そう、所謂将棋でいうところの詰み、チェスでいう所のチェックメイトにハマってしまったのだ。
 故に、雪乃には月彦の申し出を承諾するしか、術が無いのだ。
「わかっ……たわよ……一緒に、見れば……いいんでしょ」
「良かったです。実は一人で入るのは結構恥ずかしかったんですよ」
 そんなに恥ずかしいなら無理して入らなければいいのに――と雪乃は口にしかけて、黙った。こういう時の月彦には、何を言っても無駄だと知っているからだ。


 チケット売り場では、月彦が言った様に身分証の提示などを求められる事は無かった。代わりにとでも言うように、老婆の絡みつくような視線がこれでもかと向けられた。それも未成年である月彦ではなく雪乃に対して。
「ねえ、紺崎くん……私達、なんだか目立ってない?」
「気のせいですよ。先生、急ぎましょう」
 館内には思ったよりも客は多く、劇場へと行く途中で出会った男性客の全てが雪乃の方を見る度に目を剥くようにして足を止めていた。とても気のせいなどとは思えず、雪乃は真っ赤になった顔を隠すように下向き加減で劇場へと足を速めた。
 既に中では予告編(それらも全て成人映画)が始まっていて、雪乃は月彦と共に身を屈めるようにしてチケットに明記された番号の座席へと座る。客の入りは座席に対して2割といった所だが、それは雪乃にとって十分驚くに値する数でもあった。
(……ちゃんと居るのね、こういう映画を見に来る人も……)
 途中の廊下ならばいざ知らず、明かりの落とされた劇場内では最早客層の男女比は判別がつかなかった。つかなかったが、そのシルエットの形、挙動などで恐らく女性客は一人も居ないだろうと雪乃は思った。
「ほら、先生。始まりますよ」
 始まる、と言われても元々映画が見たくて入ったわけではない手前、雪乃としては反応に困る所だった。唯一の救いは、座席の肘掛けが背もたれの間に収納可能で、ぴったりと月彦に寄り添うようにして居られる事だった。
 やがて始まった一本目の映画は、なんとも出来の悪いエロパロものだった。倦怠期に入り、夫との惰性のセックスにも飽き気味。そんな有閑マダムがひょんな事からボディビルダーを目指し、笑いあり涙あり挫折あり迷いあり筋肉隆々のインストラクターとの浮気ありの紆余曲折を経て、最終的には体を鍛えたことで膣の締まりが増し、夫とのセックスに新鮮味が出た事で無事倦怠期を乗り切る――スタッフロールが流れ始めても、ああやっと一本目が終わったという感想以外、何も雪乃の中に生まれる事は無かった。
 一本目が終わり、休憩時間を告げるアナウンスと共に場内の照明がつくや、劇場内に居た客達がゾロゾロと席を立ち始める。恐らくは帰る訳ではなく、生理現象その他の理由なのだろうが、それらの客から向けられる視線から逃げるように、雪乃は月彦に密着した。
「いやはや、実にくだらない映画でしたね」
「そ、そうね……演技も酷かったし……」
 事実、場内にはクスリとも笑い声は漏れなかった。素人臭い演技と時おり入る馬鹿馬鹿しい効果音は面白さを通り越してむしろ痛々しくさえあった。
「いまのうちに俺たちもトイレとか済ませておきましょうか。飲み物とかも欲しいですし」
 月彦の意見に雪乃も同意し、休憩時間のうちに生理現象その他の用事を済ませる事にした。唯一の不安は到底女性客など見込めそうもないこの館内に果たして女性用トイレなるものが存在するのかという事だったが、それは雪乃の杞憂に終わった。ただ、明らかに使われた形跡が乏しく、ゼロではないまでも女性客は矢張り少ないのだろう。或いは、あの老婆しか使ってしないのかもしれなかった。
「先生、急がないと次始まっちゃいますよ」
 一足先にトイレを済ませ、既に二人分の飲み物とポップコーンを購入済みの月彦に急かされるようにして、雪乃は早くも明かりの落とされた劇場内へと戻った。先ほどまで座っていた座席へと戻ろうとして、はたと。雪乃は違和感を覚えた。
(あれ……?)
 別段、席がどうこうという事ではなかった。ただ、先ほどまで回りには誰も座って居なかった筈であるのに、いきなり雪乃と月彦の座席を挟み込むように前後の席のいくつかに人影があるのだ。
(新しい客……?)
 三本立ての映画だからといって、全員が一本目から見るわけではないだろう。当然、二本目から見始める客も居る筈だから、客の姿が増えているのは別段問題ではない。その筈なのだが――。
(いやだわ……)
 邪な気配、と言うべきか。まるで森の中で一人、暗闇の中から肉食獣に狙われているような、そんな気分なのだ。こちらの吐く息、心臓の鼓動まで伺われているような気がして、雪乃はますます月彦に密着して息を潜めた。
「先生、ポップコーンはどうですか? ここのキャラメルマンゴー味は結構イケますよ」
 そんな雪乃の心中を知ってかしらいでか、月彦は回りの視線や動向などお構いなしとばかりに雪乃にポップコーンを勧めてくる。そんな月彦が頼もしくもあり、恨めしくもあった。
(紺崎くんは……ここにいる人たちに私がどうにかされるんじゃないかとか、そういった事は考えないのかしら……)
 ここに居るのは、誰も彼も休みの日に好きこのんで成人映画を見に来るような助平ばかりの筈なのだ。そのような所に女性が一人、何が起きても不思議ではないのではないか――。
 やがて2本目の映画の上映が始まった。内容はどうやら、地球侵略を目論む異星人とそれを防ごうとする別の異星人の争いに偶然巻き込まれた女子高生が瀕死の重傷を負い、善玉の異星人と融合することで命を長らえ、代わりに異星人の戦いに力を貸す――というなんともオリジナリティー溢れるSFエロの様だった。
 救いとしては、一本目の痛々しい演出に比べれば話のテンポも良く、CGもなかなかの出来で主役の女子高生がどう見ても二十台後半の必死の若作りにしか見えない事を除けば、それなりに見れる内容であることだった。
 無意味に裸を乱発した一本目とは違い、前半三十分ほどはせいぜい胸チラ下着チラとシャワーシーン程度であり、もし裸やカラミを目的に見ていたとすれば些か物足りない内容ではあっただろう。その代わり、と言わんばかりにクライマックス前の主人公の女性と実の弟(という役の男性)とのセックスは実に濃密だった。
 建前としては、悪玉の異星人が主人公の女性の正体に気がつき、人質として攫われた弟を苦戦の末救出したものの特殊な毒を盛られたせいで後数時間の命にされてしまった。それを解毒する為に――という事ではあるのだが、たっぷり二十分近くの尺をとって繰り広げられる濃厚なエロスは序盤のバカバカしい映画で幾分忘れかけていた雪乃のムラムラを触発するには十分な内容だった。
「……はぁ……んっ……」
 その強烈なカラミに、思わずそんな羨望の交じった吐息を漏らしてしまった。漏らした後で、雪乃はハッと自らの口を塞いだ。何故なら、うっかりと吐息を漏らしたその刹那、まるで聞き耳を立てていたと言わんばかりに前後の席で動きがあったからだ。
 そこからは、常にハラハラと息を潜めながら、雪乃の方が周囲の動向に気を使い続けた。映画の方は恐らく、最終的には善玉の異星人の方が勝利し、地球を去っていった――という内容だったのだろうが、最早雪乃の頭にはエロシーンの強烈な印象しか残っていなかった。
 スタッフロールが流れ、休憩を告げるアナウンスと共に場内に明かりが灯る。と、同時に雪乃達の座席を囲むように座っていた男性客達も三々五々に何処へなりと散っていった。
 その後ろ姿を見て、矢張り――と雪乃は思った。先ほどの休憩時間の時は明らかにもっと前の方の席に座っていた筈の客の姿があったからだ。
(……どういうつもりかしら)
 男達の意図が読めず、そのことが雪乃の恐怖心を煽る。もし、側に月彦が居らず一人きりであったなら、問答無用でこの場から逃げ出している所だった。
 休憩時間が終わり、雪乃にとっては漸くの三本目。映画は夜の校舎のシーンから始まり、いきなり女性の喘ぎ声が聞こえてくるという出だし。そういえば――と、雪乃は思い出した。
(そういえば、三つ目の映画って……)
 他ならぬ、“女教師もの”であった事を思い出すなり、雪乃は暗がりの中ちらりと月彦の顔へと目をやった。そんな雪乃の視線には気がついていないのか、当の月彦はといえば食い入るようにスクリーンの方へと目をやっていた。
(やっぱり、紺崎くんってこういうのが好きなのかしら……)
 雪乃もまた、スクリーンの方へと視線を戻す。画面では、二人の男女が夜の教室で立ったまままぐわっていた。一人は、学生ズボンに半袖のカッターシャツといった出で立ちの比較的若い男。相手は勿論、女教師と思われる格好をした女だった。
(……ぅ……)
 なにやら、下腹の奥が疼くような感触に雪乃は口の中だけで僅かに呻いた。そして、またちらりと月彦の顔の方へと目をやる。月彦は已然スクリーンを注視したままだ。
 画面の方では二人のカラミから徐々にカメラが離れ、その様子を物陰から写すビデオカメラらしきものが映し出された。そして、筆書きのタイトル――“淫乱女教師種付け地獄”が画面にカットインする。
(淫乱女教師……って…………)
 雪乃自身、自分が教師でさえなければ、別段気にもしなかっただろう。
(違うわ……私は、淫乱なんかじゃ……)
 否定して、はたと雪乃は気がつく。それはただの成人映画のタイトルであって、雪乃自身がそう言われたわけではないという事に。
 そんな雪乃の思惑とは関係なく、映画の方は進んでいく。話の大筋としては、教え子との蜜月をビデオに撮られた女教師がそれをネタに脅迫され、複数の男子生徒に体を許していくというものだった。
(いやな話だわ……)
 と、雪乃としては思わざるを得なかった。スクリーンでは今まさに、女性教師が生徒の脅しに屈し、跪いて口での奉仕を始めた所だった。
「……ん……く…………」
 その光景に、無意識のうちに、雪乃はごくりと唾を飲み込んでしまう。既に、雪乃の目もまたスクリーンに釘付けだった。
(あんなに音を立てて……)
 じゅぽ、じゅぷ、ぐぷっ……汚らしい音と女性教師の息づかいが劇場内に響き渡る。そのあまりに生々しい響きに、雪乃はまるで自分が奉仕しているかのような錯覚すら覚えた。
「んっ……」
 また、ごくりと唾を飲んでしまう。ちらりと月彦の顔の方を見上げるが、やはりスクリーンを注視したまま。そのことに奇妙な嫉妬を覚えて、雪乃はそれまで以上に月彦にもたれ掛かるようにして体を擦りつける。
「先生……?」
 さすがに月彦が驚いたような声を上げて雪乃の方を見た。咄嗟に雪乃は視線を逸らし、無言のまま頭を月彦の胸元に擦りつけるようにする。
(ぁっ……)
 と、つい声を出してしまいそうになったのは、月彦の右手が雪乃の腰へと回り、ぐいと抱き寄せるようにしてきたからだ。
(紺崎くん……)
 月彦の胸元にもたれ掛かったまま、雪乃もスクリーンへと目をやった。既に奉仕が終わり、嫌がる女教師が二人の生徒に手足を押さえつけられ、衣類を剥ぎ取られようとしていた。
(いやだわ……こんなの……紺崎くんは嫌じゃないの……?)
 月彦にしてみれば、恋人がならず者達に強姦されているところを見ているようなものではないのか。それとも、あくまで映画は映画として楽しんでいるだけなのだろうか。
(どうせなら、もっと…………こういうのじゃ、なくて………………)
 生徒と教師の恋愛がメインの内容であったなら――そんな詮ないことを思いながら、雪乃の目はそれでもスクリーンに釘付けになる。
(私は……絶対に嫌よ……紺崎くん以外となんて……)
 もし映画の女教師のように脅しをかけられたとしても、自分ならば体を許す事よりも教職を去る方を選ぶだろう。そういう雪乃としては、映画の中の女教師に自分を重ねる事は出来なかった。
 出来なかったが――。
『あぁっ、ぁんっ……ぁあっ……ぁっl、ぁあっ……!』
 切なげな女教師の嘆願に、徐々に快楽の色が交じり始める。最初こそ抵抗する素振りをみせていたものの、気がつけば二人の生徒を相手に前から後ろからの乱れっぷり。それよりなにより、“生徒と教師”というシチュエーションそのものが、雪乃の体に強烈に揺さぶりをかけてくる。
「っ……くっ…………ふ…………」
 下腹の奥がゾワゾワと疼き、雪乃は思わず太股を擦り合わせてしまう。既に吐く息は湿り、鼓動は高鳴り、雪乃の意志とは関係なくその体は男を受け入れる準備を始めてしまっていた。
 スクリーンではいつの間にか陵辱のシーンは終わっており、日常の学校の様子が映し出されていた。いつもとは様子の違う女教師を変に思った恋人役の生徒が詰めより、一体何があったのかと聞きだそうとしている所だった。
 最初は誤魔化し、なんでもないと女教師はつれなく振る舞った。が、夜――恋人役の生徒が自宅にまで押しかけてきて再度詰め寄られ、とうとう隠しきれなくなって全てを話した。男は最初は怒りを露わにしたが、もちろんそれは女教師に対してではなかった。そして涙すら見せる女教師を抱きしめるようにして慰め、そのまま濡れ場へと突入した。
(ぁぁ……っ……)
 それは、雪乃にとって最大の弱点とも言える“生徒と女教師が愛のあるセックスをする”場面だった。至極、女教師を自分に、相手の男を月彦に重ねて見てしまう。
「……んっ……ぅ……」
 喉を鳴らしながら、雪乃はとろんと目をとろけさせ、食い入るようにスクリーンの中の二人を見る。そしてその右手は知らず知らずのうちに月彦の体へと延び、ズボンの辺りをしきりになで回し始める。
(欲し……い……)
 それはまるで、体が強烈な乾きを訴えているかの様。モジモジと焦れったげに腰をくねらせていた雪乃は不意に――。
「あふっっぅ……ン……」
 そんな声を漏らしてしまい、慌てて唇を手で覆った。そして咄嗟に月彦の顔を見上げた。
「くっ……ンっ……ンンッ……!」
 さわ、さわと。腰に回っていた月彦の手が雪乃の尻をなで回してくる。火照りきった体には、ただそうしてなで回されているだけでも声を抑えがたい愛撫だった。
(だめっ……紺崎くん……やめてっ…………声が、出ちゃう……!)
 雪乃は視線でそう訴えかけたが、月彦はにっこりと雪乃に微笑み返すだけだ。まるで、“先に仕掛けたのは先生の方ですよ?”と言わんばかりの笑顔だったが、無論自覚の無かった雪乃には何のことだかわからなかった。
(ぁぁっ、ぁぁぁぁぁぁぁぁっ…………)
 スクリーンでは、女教師が恋人役の生徒に背後から突き上げられ、あられもない声を上げていた。劇場内に木霊するその声に紛れさせるようにして、雪乃の方も息も絶え絶えに悶える。
「ひっ……」
 脅えるような声を出してしまったのは、月彦の手が尻から太股、それも内股の方へと延びてきたからだった。
(だめっ……だめっ……)
 たまらず雪乃は月彦の右手を左手で押さえたが、動きを止める事は出来なかった。何より、雪乃の体の方が、月彦にそうして愛撫される事を望んでいた。
「あっ……ぁうっ……ぁっ、ぁぁぁぁぁぁぁ…………!」
 手の方にばかり意識が行っていた所へ、不意に今度は耳を舐められ、そのまま優しく食まれて雪乃は溜まらず声を出してしまった。雪乃の欲求不満は臨界点に達し、はあ、はあと露骨に肩を揺らすようにしながら、火照った体を持て余すように悶える。
「先生……」
 ぼそりと、そんな囁きが不意に届いた。雪乃が顔を上げると、その顎先をそっと月彦の左手が持ち上げた。それだけで雪乃は全てを察し、体を持ち上げるようにして上体を延ばし、そのまま月彦に抱きつくようにして唇を重ねた。
「んふっ……んくっ、んんっ……んっ……」
 最早周囲の動向も、映画の事もどうでもよくなっていた。これでもかと舌を絡め唾液を交換するような濃密なキスに、ただただ没頭した。
 そして――月彦の手がスカートの下、下着の上から雪乃の最も火照った場所へと触れた瞬間、雪乃の中で“何か”が決壊した。
「んっ……んくっ……んんんっ…………ンんんっ!!!」
 唇を月彦に押しつけ、雪乃はぶるりと体を震わせながら、喉の奥だけで歓喜の声を漏らした。



 それからどうやって月彦を自分のマンションまで引っ張っていったのか、雪乃には記憶が定かではなかった。映画も終わらぬうちに月彦の腕を引いて映画館を出、駅前でタクシーを捕まえ、運転席を蹴り飛ばす勢いでドライバーを急かし、エレベーターが一階に下りてくる時間ももどかしいとばかりに階段を駆け上がった――ような気がするという程度の朧気な手応えだけが辛うじて残っていたのみだ。
「紺崎くん……」
 ドアを開けるや、雪乃は靴も脱がずに月彦を壁に押しつけるようにして唇を奪った。
(ダメっ……爆発しちゃう……)
 欲しくて、欲しくて堪らない――雪乃は狂おしいまでの“体”からの欲求にしたがって、嬲るようにキスを続ける。
「んふっんんむっ、んっ、んっ……んんっ……!」
 キスを続けながら、もどかしげに両手を動かして月彦の上着を脱がしにかかる。頭で考えての行動では、勿論ない。全ては、本能の――。
「ちょっ、先生……せめて、ベッドに……」
 言い訳など聞かない。聞くつもりはない。雪乃は貪欲な触手のように舌を動かし絡めさせながら、右手で月彦の股間を撫でつけた。既にそそり立ちはじめたそれを、ジッパーを下ろしトランクスをずらすことで外界へと解放してやるやいなや、膝立ちになってそれを口に含んだ。
「んふっ……んぷぷっ、んんんくっ!!」
 息が詰まるのも構わず喉奥へとくわえ込み、唾液を、舌を絡めながらしゃぶる。全身を襲う狂おしいばかりの焦燥を少しでも緩和させるには、それしか術が無かった。
「んふーっ……んふーっ…………んむっ……んはぁっ……はぁ、ふぅ……」
 一頻りしゃぶった後は、竿の裏へと唇を当て、筋沿いにゾゾゾと舌で何度も何度も舐め上げる。口で奉仕した回数は決して多くはないが、そうすればより月彦が喜ぶ事を本能的に雪乃は覚えていた。
「せ、先生っ……」
 そして、頭を抑えるように当てられた手に力がこもるのは、限界が近い証拠である事も。雪乃は“その瞬間”を待ちわびるようにして奉仕を続ける。
「んぷっ……んんんぅ……!」
 ドクンっ――そのような振動と共に、一瞬肉竿が膨れたように思えた、その刹那。びゅくりと口腔内に熱い奔流が迸った。
「んっ、ふ……ンふっぅ……」
 生命の源とも言うべき、特濃の牡液を喉奥に受けながら、雪乃はとろんと瞳をとろけさせる。強烈なクセのある青臭さすら、今この瞬間においては堪らなく甘美であり、雪乃はまるで砂漠で一週間彷徨った後のような貪欲さで牡液を飲み干していく。
「は……ぁふ……ふーっ…………ふーっ…………」
 一頻り射精が終わり、打ち出された子種の全てを飲み干し終えて雪乃は漸く肉竿から唇を離した。まるで、牡液そのものがある種の鎮静剤であったかのように、体を襲っていた狂おしいばかりの焦燥は幾分和らぎ、漸くに雪乃は“現状”を理解することが出来た。
(やだっ……私、何して…………)
 決して、無意識であったわけではない。しかし、先ほどまでの自分の行動には殆ど一切の理性が働いていなかった。それがとても恐ろしい事に思えて、雪乃はさぁっ……と血の気が引くのを感じた。
「……先生、少しは落ち着きましたか?」
「……ぁっ…………」
 そして、今の今までの醜態は全て――他ならぬ月彦に見られていたのだ。雪乃は忽ち顔を朱に染めて、ぺたんと尻餅をついたまま俯いてしまう。
(やだっ……やだっ……私……っ…………あんな、こと……)
 一体、月彦にどう思われただろうか。デートを途中で強引に切り上げ、家に引っ張り込むや靴も脱がずに男の股間にむしゃぶりつくような女を、少なくとも良くは思わないだろう。
(恥ずかしい……っ…………)
 いくら欲求不満だったからとはいえ、ここまで我を忘れた行動をとってしまうなんて。
「……先生、どうしたんですか?」
 下を向いていた所を、顎を持ち上げられるようにして強引に月彦の方を向かされる。
「すみません、まさか先生がそこまで我慢できないくらい“溜まってる”なんて気がつきませんでした」
「こ、紺崎くん……私……ンッ…………」
 そのまま、唇を奪われる。ただそれだけで、死にたいほどの羞恥も、後悔も、全てが頭から吹き飛んでしまった。後に残ったのは、愛しい相手の子種が欲しいという、極めて原始的で本能的な欲求だけだった。
(あぁ……紺崎くん……欲しい、欲しいの…………)
 ずくんっ――下腹が強烈に疼き、全身が火照り出す。先ほど嚥下した牡液が発散する臭気が喉の方から鼻腔を刺激し、そのあまりに誘惑的な香りに頭がクラクラしてくる。
「くすっ……解ってます。続きはベッドに行ってからにしましょうか」
 靴が脱がされ、体が持ち上げられる。そう、いつもの――“お姫様だっこ”の形だ。そうして抱え上げられるだけで、雪乃の心臓は高鳴り、ますます“堪らなく”なってしまう。
 玄関からベッドまでの距離は、せいぜい二十数歩といった所だったが、一歩一歩近づくたびに鼓動は早く、全身に凄まじい勢いで血が巡り出す。
(だめっ……興奮しすぎて……鼻血出そう……)
 “体”が期待しているのだ。この後に行われるであろう、濃密な交尾を。早すぎる鼓動に気が遠くなりそうになりながらも、雪乃は辛うじて自分の背中がベッドに横たえられるのを感じた。
「……先生、随分待たせちゃいましたね。でも……その分はきっちり今から返しますから」
「あぁ……紺崎くんっ……」
 被さってくる月彦の体重を全身に感じながら、それを受け入れるように雪乃は体を開き、そして抱きしめる。
「あぁぁぁっ…ンッ………!」
 抱きしめ、抱きしめられながら、静かに唇を重ねる。それが、“夜”の始まり――だった。

 


 雪乃をベッドに押し倒した後は、互いに揉みくちゃになるようにして衣類を脱がせあった。脱がせる合間合間にも、何度も何度も唇を重ねた。まるで、互いの気持ちを確かめ合うように。
(……先生も、随分積極的になったもんだ……)
 顔を真っ赤にしたまま、ベッドの上で硬直しきっていた頃の雪乃を思い出して、月彦はつい苦笑を漏らしてしまう。
「な、なによ……そんなに、ニヤニヤして……」
 既に下着だけの姿になった雪乃が顔を赤らめながら咎めてくる。
「……すみません。なんだか嬉しくて。……先生も随分エロくなりましたよね」
「なっ……何、言って……やっ……!」
 雪乃の言葉を遮るようにして、月彦は雪乃のブラの上から巨乳に顔を埋めるようにして、クンクンと鼻を鳴らす。
「こ、紺崎くん……!?」
 微かに雪乃が抵抗するような素振りを見せるが、月彦は気にせずそのままブラに鼻を擦りつける。擦りつけながら、すぅはすぅはとこれでもかと鼻を鳴らす。
(先生も良い匂いがするなぁ……真央とはまた違った意味で興奮する……)
 火照った肌から、まるで揮発性の媚薬でも発散しているかの様。真央や真狐のそれはあからさまに獣欲を刺激するものだが、雪乃のそれはもっと上品なものに思えた。
「やだ……そんな……匂いなんて……嗅がないで……」
「どうしてですか? 俺はすっげぇ好きですよ、ムラムラしてる時の先生の匂い……こうしてるだけで、頭がクラクラしそうな程に興奮してきます」
「う、嘘よ……! 匂いなんかで……っ……」
 雪乃は否定の言葉を述べて、それを途中で切ってしまう。それが月彦にはまるで、雪乃自身心当たりを思い出してしまったかのように見えた。
「……そうだ、先生。大事な事を聞き忘れる所でした」
「な……何……?」
「今日は……生でシてもいいですか?」
「えっ…………」
 かあっ、と。雪乃が忽ち顔を真っ赤にする。雪乃のそんな反応が大好きで、月彦はあえて訊いてみたくなるのだ。
「先生がムラムラしてる所、ずーっと見せられたせいか、俺の方もかなりヤバい感じなんですよ。……平たく言うと、先生に中出ししたくてしたくて堪らない状態なんです」
「な、中出しって…………だ、だめ……今日は……危ない日、なの…………妊娠しちゃう…………」
 だめ、と言う雪乃自身、ひどく残念そうな口調だった。まるで、欲しくて欲しくて堪らない“何か”を諸々の事情で渋々諦めざるを得ない――そんな顔だった。
「先生……どうしてもダメですか?」
 雪乃のブラを優しく取り去り、愛娘のそれよりもたわわな巨乳を優しく捏ねながら、月彦は再度囁きかけるようにして“おねだり”をする。
「だ、……だめ……だめよ……ちゃんと、避妊……しないと……」
 自分の意志ではなく、他人の意見を無理矢理喋らされているような、なんとも説得力のない言葉だった。ダメ、と否定しながらも、しかしその瞳は何かを期待するような――そう、真央との行為の最中に何度も見せられる目と同じ光を孕んでいた。
 当然、月彦は――
「解りました。やっぱり避妊はちゃんとしなきゃダメですよね」
 さも、聞き分けの良い生徒のように頷き、もにゅもにゅと雪乃の巨乳に没頭するように顔を埋める。頭の上の方で、ううぅ、と駄々っ子のうなり声のような声がしたが、勿論無視した。
「……で、でも……ね、紺崎くん……」
 おっぱいに頬ずり、頬ずりしていると、些かうわずった声で雪乃が切り出した。
「もし、紺崎くんが……本当に我慢できないのなら――」
「いえ、大丈夫です。先生の“治療”のおかげで俺も大分我慢強くなってますから」
 ちゃんと我慢します――キッパリと言い放つと、雪乃はますます進退窮まったようなうなり声を出す。焦れったげに太股をすりあわせるその姿が一回り近くも年上とは思えなくて、月彦はつい微笑んでしまいそうになる。
(じゃあ、次は美味しそうな太股をいただきますか)
 胸元、腹部に何度かキスを残しながら、月彦は徐々に雪乃の下半身へと顔を寄せていく。
「やっ……あんまり、見ないで……」
「見ないで、っていうのは……濡れに濡れてぴっちゃりと張り付いちゃってる下着の事ですか?」
 それとも――と、月彦はさも呆気なく、下着を膝下まで下ろしてしまい、片足を抜かせる。
「やっ……」
「…………ヒクつきっぱなしの、ココの事ですか?」
 雪乃の太股を開かせ、さらに秘部を指で広げるようにして覗き込む。ぬらぬらとした粘液を多量に含んだピンク色の肉が、ヒクッ、ヒクと物欲しげに蠢いていた。
「だっ、め……そんなに見ない、で…………恥ずかしい、のっっ…………」
「恥ずかしいっていうなら、俺だっていきなり玄関先でジッパー下ろされて恥ずかしかったんですからね? だから――これでおあいこです」
 ちゅっ……と、月彦は蜜をしとどに蓄えたそこに口づけをする。
「ンぁッ……! ぁっ……やっ……こんざき、くんっ…………はぁはぁっ…………あんっ……!」
 雪乃の両手が頭を押しのけるように添えられる――が、月彦は両手で雪乃の太股を抱え込むようにして体を固定、そのままじゅるじゅると蜜を啜るようにして舌を上下させる。
「ァはぁッ! んっ、ぁっ……はぁっ、はぁっ……だめっっ……だめぇえっ……あふれちゃうっ…………!」
 頭を離れた雪乃の手がベッドシーツを掻きむしり、声を抑えるように口元へと添えられる。雪乃のそんな反応が可愛くて、月彦はますます口での奉仕に力を入れた。
(ふむ……先生はクリトリスよりも“中”の方が感じるのかな?)
 それぞれを刺激したときの雪乃の反応を見るに、そうとしか思えなかった。姉妹なのだから、てっきり矢紗美と同じようにクリのほうが弱いのかと思ったのだが。
(成る程、“中”の方が感じやすいから、中出しが好きになっちゃったんですね)
 舌だけでなく、指も使ってまんべんなく雪乃の膣内を刺激し、ちゅるちゅると指先に絡みついてくる肉襞の感触に段々月彦の方が我慢できなくなってくる。
(俺も……我慢が足りないよな。……できればこのまま、先生が発狂しそうになるまでじわじわ苛めてみたいところだけど……)
 グンッ、とそそり立ちっぱなしの分身がそういったゆるいプランを許してくれそうになかった。月彦はズボンと下着をスパパーンと取り払うとこれまた手早く剛直にスキンを装着した。
「先生……そろそろ、良いですか?」
 ヒクつきっぱなしの秘裂に剛直を擦りつけるようにしながら、月彦はあえて雪乃に合意を求める。
「こ、紺崎くん……本当に……避妊、するの……?」
 ちらちらと、スキンに覆われた剛直を恨めしそうな目で見ながら、雪乃が辿々しく聞いてくる。
「まるで避妊するのが悪い事みたいな言い方ですね」
「そういうわけじゃ……ただ、紺崎くんがちゃんと気持ちよくなれるのかなぁ、って……」
 嘘をついている後ろめたさからか、雪乃が白々しく視線を逸らす。
(気持ちよくなれないのは俺じゃなくて、先生の方じゃないんですか?)
 ぬり、ぬりと先端によく蜜をなじませ、そして一気に――。
「んふっ……んんんんぅ!!!」
 剛直が埋没するにしたがって、雪乃はじわじわと背をそらし、ぎゅうと己の巨乳を抱きしめるような仕草をする。
「あぁっ、ぁっ……ぁっ……くっ…………ぅぅ……」
「先生……どうしました?」
 半分ほど剛直を埋めたところで一端挿入を止め、いつになく苦しげな声を出す雪乃を観察する。
「な、何でも……んっ……くふっ……んんっ……やっ……なんか、変、なのっ…………」
「変って……何が変なんですか?」
 ぐぐぐっ……剛直をさらに根本まで埋没させながら、月彦は被さるようにして雪乃の頬を撫でつける。
「くっぅ……んくっ……ふぅ……ふぅっ…………だ、めっ……やっぱりだめっ……紺崎くん……いつも……いつもみたいに…………」
「いつもみたいにって……一体何がダメなんですか?」
 さも解らない、といった風を装いつつ、先端が膣奥を小突く寸前の所で月彦は挿入の動きすらも止めてしまう。たちまち、雪乃が腰をくねらせるようにしてハァハァと息を乱し始める。
「お、お願い……紺崎くん……早く……」
「いえ、ですから……一体何がダメで、どうして欲しいのかを言ってくれないと……」
「ううぅ、っぅぅぅぅぅ〜〜〜〜〜〜っ…………!」
 雪乃は唇を噛むようにして、両目いっぱいに涙を溜め下腹の辺りを抑えるような仕草をする。勿論、月彦が見逃す筈はない。
「先生……もしかして、お腹痛いんですか?」
「え……ど、どうして…………?」
「なんか、お腹抑えてるじゃないですか。そうならそうと言ってくれれば……」
「ち、違うの! これは……お腹が痛いんじゃなくて……」
「痛いんじゃなくて?」
 続きを促すも、雪乃は黙り込んでしまう。仕方なく月彦は雪乃が手を宛っている下腹の辺りへと、右手を伸ばした。
「やっ……だめっ……紺崎くんは触っちゃダメ!」
「触っちゃダメって……どうしてですか?」
 別に傷口でもなんでもない、無駄な贅肉もない綺麗なラインのお腹に触れる事が何故いけないのか。月彦は雪乃の制止を振り切り、下腹の辺りへと手を宛い、そして優しくさするように動かした。
「んっ……ふっ……だめっ、だめっ……なの…………そこっはっ…………ぁぁぁっ……」
 たちまち、雪乃が呼吸を乱し、はあはあと胸を上下させる。雪乃のこの反応は月彦としても意外で、一体全体何がどうなってそうなるのか、ひどく興味を惹かれた。
「はぁっ……はぁっ……やっ……ぁっ……だ、め……そこっ……触らないでっ…………欲しく、なっちゃう…………」
「……何が欲しいんですか?」
「っ……ぅっ……」
 また、雪乃は唇を噛む。
「そんな、の……言えない…………あぁァッ……!!」
 月彦は雪乃の下腹へと当てた手をやや強く、押し込むようにしてさする。忽ち、雪乃は甲高い声を上げた。
「だ、めっ……子宮……熱い、の…………はぁ、はぁ…………はぁっ、はぁっ……んっ、……ふーっ…………ふーっ…………ふーっ…………」
 今度は、雪乃を落ち着かせ、宥めるように優しく腹部を撫でる。雪乃の言う“熱さ”は月彦の掌までは伝わっては来なかったが、まるでそれを優しくマッサージし、雪乃の全身へと伝播させるかのように。
「だめっ、だめっ……ぁぁぁぁ……」
 かぶりを振るようにして、雪乃が掠れた声で鳴く。
 そして――。
「……い、の……」
「先生?」
「欲しい、の……」
 腹部を撫でる月彦の手を掴み、ぎりぎりと握力のみで締めつけてくる。
「紺崎くんの……精子……欲しい……」
 まるで、熱に浮かされたような声だった。
「……先生、それは……“生”でシたい……っていう意味ですか?」
「……ぅ……」
 雪乃は顔を赤らめたまま僅かに逡巡、しかし小さく頷いた。
「じゃあ、はっきりと声に出して言って下さい。…………生でシたいって」
「っっ……そん、な……恥ずかしいこと…………」
「言ってくれないなら、つけたまま最後までしちゃいますよ?」
 さも、自分はそれでも全然構わない、という口調。本当は月彦自身、すっかり発情しきっている雪乃に中出ししたくてしたくて堪らないのだが、そこはポーカーフェイスで完璧に隠し通した。
「ぁっ……くっ……ぅ……な、………………生、で………………」
「生で?」
「したい……の…………」
「ちゃんと続けて言って下さい」
「こ、紺崎くんと……生で、シたいの……我慢、できないのぉ…………」
 耳まで真っ赤にしながら、雪乃は辛うじて聞き取れる声で呟いた。
「……よく言えましたね。先生……じゃあ、ご褒美です」
 きゅっ……と雪乃を抱きしめ、耳を舐めるようにキスをして、一端剛直を引き抜く。そして、雪乃の要望通り、スキンを取り去ってしまう。
「……じゃあ、先生……改めて……挿れますよ」
 雪乃の両太股を押さえ、広げるようにして、肉槍を濡れそぼった秘部へと宛い、ゆっくりと押し込んでいく。
「ぁっ……ぁっ…………やっ……紺崎くっ……ぁっ、……あっ、あっ、あァーーーーーーーーーーーーーーーーッ!!!!!」
 何ら隔てるもののない、肉と肉の接合。極上の体を持つ牝のサカり声を聞きながら、月彦はぺろりと小さく舌なめずりをした。


 避妊具をつけたままの剛直を挿入された時に感じたあの違和感――不快感と言っても差し支えないその感触は、雪乃自身形容する術を持たなかった。
 とにかく、体が悲鳴を上げるのだ。『異物が混じっている』――と。それらのシグナルがあまりに強烈で、呼吸まで苦しく感じた程だ。
 そう、さながら水に濡らしたマスクで口を覆われでもしたかの様に。息苦しく、そして耐え難い苦痛。
 それが、一度避妊具を取り去られ、再挿入されるや――。
「ンぁああァッ……! ぁあっ、ひっ、ぁっ……あぁぁぁんっ!!」
 固く、太く、逞しすぎる剛直が下腹を貫くようにして入り込み、ごちゅっ……と奥を突き上げてくる。待ちに待ったその瞬間に、雪乃はベッドシーツを掻きむしり、たちまち在られもない声を上げて達していた。
「あはぁぁぁぁぁ………………あふっ…………」
 キュキュキュッ……キュッ……キュッゥゥウ!!――びくっ、びくと腰が撥ねるのが雪乃の意志とは無関係ならば、そうして肉襞が剛直に絡みつくのも雪乃のあずかり知らぬ所だった。
(何、これ……こんなの……知らない…………!)
 頭の奥から、どぱぁっ……と濃密な汁のようなものが迸り、それらが身震いするほどの快感を伴って全身へと広がっていく。
「くっ、は…………ちょ、先生っ……いきなり、締めすぎ、です……」
 見上げれば、月彦が脂汗を浮かべながら歯を食いしばっていた。そんな月彦が愛しくてたまらなくて、雪乃は両手で月彦の頭を抱え込むようにして口づけをする。
(紺崎くん……好きよ……大好き…………)
 胸の奥に渦巻く想いの何億分の一でもいいから伝えたくて、雪乃は何度も、何度もキスをする。
「んはっ……ぁっ、あぁっ、あぁぁぁぁっ……!」
 しかしそのキスも長くは続かなかった。月彦が一度抽送を開始すれば、唇を合わせたままでなど居られない。弾かれたように声を出し、全身を駆けめぐる行き場のない快楽に翻弄され、ベッドシーツに爪を立てる。
「っ……今日の先生……感度抜群ですね……そんなに喘がれると……俺もっっ……」
「ァッ……ひィッ! ぁっ、ぁっ……やっ……奥っ……そん、なっ……奥っ……あはぁぁぁっ……」
 膣奥を小突くように突かれ、熱を帯びた子宮を揺らされ、雪乃は視界に火花が散るほどの快感に翻弄される。
「まっ……って……待って、こん、ざきく…………ゆっくり…………ゆっくりが、いいの…………」
 たまらず、雪乃は懇願していた。こんなに強く、立て続けに子宮を揺らされたらどうにかなってしまいそうだった。
「はぁ……はぁっ……お願い……今、凄く……いいの…………だから、まだ……イかせないで欲しいの…………」
「……解りました。ゆっくり……ですね」
 月彦が被さってきて、互いに抱擁を交わすようにしながら、剛直だけがゆっくりと出入りする。
「あぁぁっ、ぁぁっ……あぁっ……あぁぁぁぁぁぁっ……ぁああああああっ!!」
 極太の肉柱によってこれでもかと膣を広げられ、カリ首で肉襞を刷り上げられ、雪乃は飛びそうになる意識をつなぎ止めるように、必死に月彦にしがみつく。
「はぁっ……はぁっ…………ひぃっ……す、ごい…………今までで、一番、いい……はぁはぁ……」
 ゆっくり、ゆっくり剛直が埋没してきて、最後はぐいいっ……と子宮を押し上げるように奥が押し込まれる。その瞬間が、歯の根が合わないほどに心地よく、たまらない。
(あぁっ……あぁぁっ……紺崎くんっ……もっとっ……もっと、ぐぃぃって……ッ……奥っ……奥が良いのっ……奥に来てェ……!)
 はぁ、はぁ、ひぃ、ひぃ……荒ぶる呼吸で自由にならない発声に代わりに、雪乃は涙の滲んだ目で必死に訴えかける。
「っ……先生、……こうすると、“良い”んですか?」
 月彦が腹を擦りつけるようにして、一際深く剛直を埋めてくる。
「ひっ……ぁ、ぁ、ぁ……くひっ……あァーーーーーッ!!! ぁはぁぁぁぁぁぁァァ……はーっ……はーっ…………」
 一際深く突き上げられ、固い先端でグリグリと子宮口を刺激され、雪乃はたまらずサカり声を上げた。
(ぁ……またっ……どぱぁっ……って……)
 頭の奥から濃密な汁が溢れ、それらが痺れすら伴って全身へと快感を運んでいく。
「はぁっ……はぁっ……も、だめ…………とろけそう…………あぁんっ……! あぁっ、ぁっ……はぁ、はぁ……」
「……くっ……解り、ました……俺も、もう……限界、です……」
 月彦の動きが、“ゆっくり”から“スパート”に変わる。
「先生……じゃあ、このままナカで……良いですか?」
「ぇっ……ゃっ…………中は……だめっ……んひぃぃっ……はぁっ……はぁっ……だめ、だめ、なのぉ…………」
 中に出したい――その言葉を聞くだけで、ゾクリと。寒気にも似た快感が走る。子宮が、熱を帯びてくる。
「……でも先生、さっき……“精子欲しい”って言ってましたよね?」
「あ、あれは……っ………………か、体に……かけて欲しい、っていう……意味だったの…………んぅ……はぁ、はぁ……と、とにかく……だめ……外に、最後だけ、外にぃ……」
「前にも言いましたけど……本当にダメなら、言葉だけじゃなく行動で……っ……示して下さいね。……じゃないと、俺……止まりませんから」
 裏を返せば、口だけでいくら拒絶した所で無意味――そういう事だ。そんな月彦の言葉に妊娠の恐怖よりも、むしろ雪乃は安堵を覚えてしまう。無論、月彦を突き飛ばそう等といった行動は、雪乃は微塵もとらない。
「くっっ……はぁっ、ひぁっ……だめっ……中出し、絶対ダメぇ……あっ、あっ、あっぁっ、あっぁ!!!」
 こつ、こつと連続で膣奥を小突かれ、子宮を揺らされ、雪乃はたまらず背を仰け反らせた。そこへ月彦が被さってきて、ぎゅうっ……と抱きしめられる。勿論、雪乃には解っていた。それが、月彦がイく時の合図であると。
「待って………………キス……キス、したい……――ンンンッ……!!」
 唇を奪われ、そして、雪乃自身も両腕でぎゅうっ……と月彦を抱きしめる。
「んくっ………………!」
 ぐいいいいっ、と一際強く押し込まれる膣奥。ぐんっ――と剛直が一瞬膨れあがったかと思ったその刹那。
「っっっ……はっ、あっ、あァァァーーーーーーーーーッ!!!!!!!」
 びゅぐりっ、と膣奥に特濃の牡液があびせられた瞬間、雪乃はたまらずキスを中断して声を荒げた。
「あっ、ぁあっ、あっっ……ひっっ……あはっぁぁぁぁ……だ、だめっ、ぇ……奥に……熱いの、出てるぅ……!」
 腹部を内側から押し広げようとするような、圧倒的な奔流。
「はーっ…………はーっ…………す、ごい…………こん、な……熱い、の……………溶け、ちゃう……はーっ…………はーっ…………」
 びゅぐっ、びゅぐっ、びゅぐっ……。
 何度も、何度も。しつこい程に浴びせられる灼熱の奔流に腰をヒクつかせながら、雪乃は感極まったような息を漏らす。
(あぁ……注がれてる…………紺崎くんの……精子……いっぱい…………)
 どれほどこの瞬間を夢見たか。歯の根が合わぬほどの快楽もさることながら、牝としての本能を満たされるこの瞬間が永遠に続いて欲しいと、雪乃は願わずにはいられなかった。
「ふーっ…………ふーっ…………先生……」
「ぁ、ぁ……ナカは、ダメって……言った、のにぃ…………」
 言葉の意味では、中出しを咎めているものの、その口調はさも満足げで、むしろ褒めているかの様。
「…………すみません、先生とシてると、どうしても我慢できなくなるんです」
 先ほど中断してしまったキスを、もう一度やり直すように唇を重ねる。ちゅく、ちゅくと絶頂の余韻を楽しむような、ゆるやかなキス。
(んぅっ……!)
 同時に、ゆっくりと動かされる剛直。ぐりゅ、ぐりゅと牡液を塗りつけるようなその動きに雪乃は喉奥で噎びながらも、それでもキスは止めない。
(したい……もっと…………紺崎くんと…………紺崎くんの……精子、欲しい…………)
 それは、頭で考えた事ではなく、“体”の方から強烈に突き上げられる狂おしいまでの欲求だった。
「んはぁ…………ねぇ……紺崎くん……」
 一瞬の逡巡。しかし、下腹から突き上げられる強烈な欲求に、雪乃は意を決して切り出した。
「次は……私が、上になってもいい……?」


 上になりたい――まさか雪乃の側からそう切り出されるとは思わなくて、月彦はすぐに返事が出来なかった。
「……良いですよ。期待してます」
 しかし、別段断る理由も見あたらず、月彦はごろりとベッドに横になり、雪乃の好きにさせる事にした。
「はぁ……はぁ…………んっっ…………」
 雪乃はおずおずと月彦の体を跨ぎ、ヘソまで反り返っている剛直を自分の秘裂に宛うと、ゆっくりと腰を落としてくる。その肉を裂いていくような感触に思わず、月彦は寒気すら覚えた。
(っ……先生のナカって……深い、よなぁ……)
 単純に、体躯の問題もあるだろう。真央や由梨子の様な成長途中の体だったり、矢紗美のように女性の中でも小柄な部類とは違い、雪乃は女性にしては身長も高く、そしてスタイルも良い。
(深くて……こう、根本まで、みっちりと包み込まれる感じで……)
 雪乃が完全に腰を落とし、太股で挟み込まれるとまるで肉食獣かなにかに補食されているかのような錯覚すら覚えてしまう。
「ンンンンぅ……! くっ……ふぅ…………紺崎くんのが……奥に、当たって……ぐいぃ……って、……はぁ……はぁ……」
 漸く腰を落とし終えた雪乃が、息も絶え絶えに呟く。確かに、雪乃の言うとおり、“先端”の辺りに雪乃の体重がかかっているのは月彦にも自覚はあった。
「はぁ、はぁ……そんなに……奥、突き上げないでぇっ……あぁぁっ……だめっ……また……欲しくなっちゃう……」
「えっ……ちょ、先生……?」
 突き上げるもなにも、月彦としては今のところマグロ一辺倒、雪乃の出方をうかがっているだけだったりする。つまり、“突き上げている”のではなく、雪乃が無理矢理“押しつけている”が正しいのだが。
「くっ……ぉ……!」
 そうして先端へと雪乃の体重がかかったまま、ぐい、ぐいと腰が動かされる。最初は緩やかだったそれが、次第に激しく、剛直に吸い付く肉襞の圧力も相まって、まるで雑巾搾りでもかけられているかのようだった。
「はーっ……はーっ…………どう……紺崎くん……気持ち、良い……?」
 腰をくねらせながら、照れ混じりに雪乃に聞かれ、月彦はコクコクと小さく何度も頷く事で意思表示をした。
(これ、は……気を抜くと、やられるぞ…………)
 剛直を締め付けてくる肉襞や蜜の感触等々、極上の具合の膣もさることながら、眼前で照れ混じりに腰をふる雪乃の仕草がまた可愛かったりするのだ。
(あぁっ……巨乳がっ……先生のおっぱいが…………)
 雪乃の両手の合間でむぎゅうっ、と潰されたかと思えば腰の動きの反動でたゆたゆと揺れたりと、一秒とじっとしていないその塊に月彦はつい手を伸ばしてしまう。
「あんっ……もうっ……紺崎くんったら……本当におっぱいが好きなのね」
「はい……大好きです。……特に、こういった片手に余るような、巨乳は……」
 ぐに、ぐにとこね回しているうちに、否が応にも興奮が高まってくる。本来ならば、このまま下からガンガンに突き上げて雪乃をイかせ、中出しをしたい所なのだが。
(……っ、今下手に動いたら……暴発しちまう……)
 元々、我慢は得意ではないのだが、それにしても早すぎる。雪乃の事だから『紺崎くんって早漏なのね』等と詰ってきたりはしないだろうが、それにしても不必要な自信をつけてしまう事になるのではないか。
(主導権は……俺が握りたいっ……だが、しかし……!)
 射精を堪える、というのはなんとも忍耐力を使う作業だった。先ほどもそうだったが、こうして脂汗を浮かべながら必死に我慢していると、普段から如何に楽なセックスをしているのかと身に染みる思いだった。
(真央相手じゃ……我慢する必要なんか……無いもんなぁ……)
 そもそも真央の方が、月彦よりも早いペースでイくし、仮に遅くても中出しをしてやれば、その瞬間にイくから、月彦としては相手に合わせる必要はまるでない。が、しかし雪乃相手ではそうもいかない。
「紺崎くん……どうしたの?」
 我慢の辛さが余程顔に出ていたのだろうか。不意に雪乃が腰の動きを止めて、そんな事を聞いてくる。
「い、いえ……別に……」
 何でもない、という体を装い、ふいと雪乃から視線を逸らす。――が、その胸元から頬へと、さわさわと雪乃の手が這ってくる。
「紺崎くん……凄く、精子出したそうな顔してる……」
「そ、そんなことは……っく……!」
 キュッ……と剛直が締め付けられ、月彦は咄嗟にベッドシーツを握りしめる。
「……精子、出したいの?」
 月彦の頬へと手を沿え、まるで被さるようにして雪乃が尋ねてくる。ふぅ、ふぅと弾んだ息が顎の辺りにかかり、同時にむぎゅうっ……と胸板に巨乳が押しつけられる。
「我慢、しないで……出したくなったら、出していいのよ。…………紺崎くんのなら、いくらでも受け止めてあげる」
 先ほどまで――建前とはいえ――中出しはダメだと言っていたのが、随分な変わりようだった。ちゅっ、とのど仏の辺りにキスをされたかと思えば、ゾゾゾと舌が這ってきてそのまま唇まで奪われる。
(先生……ひょっとして、騎乗位好きなのかな……?)
 前回といい、“上”になるやいなや、雪乃はまるで水を得た魚のように生き生きとしているように見えるのだ。
「んふっ……んんんっ、ん!!」
 唇を合わせたまま、雪乃がゆっくりと腰を動かしてくる。恐らくは、雪乃にとってもっとも気持ちいい“ゆっくり”の速度なのだろうが、それですら限界ギリギリで辛うじて堪えている月彦には――凶悪な攻めだった。
(せ、先生っ…………ちょっ……もうっ…………!!)
 雪乃を押しのける事ができれば、まだ何とかなったかもしれない。しかし、剛直をくわえ込んでいる肉襞が腰の動きと相まってまるで生き物の様に蠢き、そのあまりの快感に月彦の手足は痙攣したように反りっぱなしでまるで言うことを聞かなかった。
(くっはっ…………!)
 そして、月彦の“我慢”が切れると同時に、ドクンッ、と。腰が撥ねるような勢いで射精が始まる。
「ンンンッ……!」
 雪乃が喉奥で噎び、しかしキスは止めず、さらに射精を促すようにくい、くいと腰を動かしてくる。
「っ……ぷはっ……せ、先生っ……ちょ、ダメですって……動かさ――んんっ……!!」
 一度は中断したキスが、雪乃の両手によって強引に顔を真正面に向かされ、再度唇を奪われる。その間も腰を使われ続け、結果余計に射精の回数を稼がれてしまった。
(くぉぉ……吸われるッ……搾り取られるっっ…………!)
 キュウッ、と絡みついた肉襞が文字通り精液を搾り取るように蠢き、月彦は雪乃の腰の動きに合わせて思わず尻を浮かせてしまった。
「んっ……んっ……ぁふ、ぅ…………いっぱい出たね、紺崎くん」
「で、出たというか……搾り取られたって言う方が…………」
 まるで、妖女の様に微笑む雪乃に圧倒され、月彦はその後に続く言葉を紡ぎ出せなかった。
「でも……まだダメ。……まだ、足りないの……もっと、欲しいの……」
 雪乃がゆっくりと体を起こし、月彦の胸板に手を置いて再び腰を使い始める。
「せ、先生っ……ちょっ、そんなすぐ、に…………くっ……はぁぁぁぁっ…………」
 キュウッ、と肉襞が絡みついてきたと思えば、強烈に締められたまま上下に動かされ、月彦はたちまち情けない声を上げてしまう。
(ヤ、バっ……この体勢は、拙い……!)
 何とかしなければ――月彦は咄嗟に、雪乃の両足の付け根の辺りへと手を伸ばした。雪乃の太股を掴むようにして、下からガンガンに突き上げ、隙が出来た瞬間に体位を入れ替える――筈だったのだが。
「……ダメ、紺崎くんはじっとしてて」
 その両手の手首を雪乃に凄まじい力で掴まれ、頭の上の辺りでベッドに押しつけられる。
「今日は……私がシてあげるの」
「いや、あの……せ、先生……?」
「私が、どれだけ紺崎くんに会いたいの我慢してたか……解って貰えるまで……離してあげないんだから」
 そんな――と、叫びたい気分だった。
「せ、先生……それは、話が違っっ…………ぅああッ!!」
 抗議、反論は“行動”で却下する。それはいつも月彦が雪乃にしてきた事だった。
(こんな、筈じゃ…………)
 まだまだエッチ初心者と見くびっていた相手にいい様に喘ぎ声を上げさせられながら、月彦は因果応報の言葉通りに報いを受けるのだった。



 明け方。
 すぅ、すぅと寝息を立てる雪乃の傍らで、月彦はもぞりと身を起こした。
「ううぅ……酷い目に遭った……」
 体中から力という力が抜け、はいずるのがやっとの状態だった。
(甘かった……俺は、先生を甘く見過ぎていた)
 真央相手ならばいざ知らず、まさか雪乃相手にあそこまで圧倒されるとは思わなかった。
(乾涸らびるかと思った……)
 雪乃の下に組み敷かれ、一体何度イかされた事だろう。十か、二十か、とにかく致命的な回数であることは間違いない。
(いつもなら……)
 そのような一方的な暴虐を、月彦は許さない。例え一度は主導権をとられても、最終的にはそれを奪い返し(真央相手の場合は)一体誰が飼い主かを教えてやる所なのだが、今回に限ってはそういった行動が一切封じられてしまった。。
(何故だ……)
 と、月彦は思う。とはいえ、内心うすうすその理由に気付いていたりもする。
(先生が……本気だったから……かな)
 苛めてやろう、とか相手を支配下に置きたいといった類の邪念ではなく、真摯な気持ちが雪乃の一挙手一投足からヒシヒシと伝わってくるのだ。至極、そんな雪乃を無理矢理やりこめてしまう事に迷いを覚え、結果的に一方的に搾り取られるハメになってしまった。
(先生ならいいかな……って……思っちまった……)
 こんな風に、本気で“欲しい”と思ってくれるのなら――そんな心の流れも、一切抵抗できなかった理由の一つではあるだろう。
(これが、真央や……真狐だったら……)
 たとえどれほど精力を搾り取られようと、魂を削ってでも反撃し、意地でも“ごめんなさい”を言わせてやる所なのだが。雪乃の行為の根幹にあるものがあまりに純粋過ぎて、毒気を抜かれてしまう形になってしまったのだろう。
(後は…………先生をあまり焚きつけるのは止めよう、うん……)
 自分を抑えきれず、乱れる雪乃はそれはそれで魅力的なのだが、毎度毎度こうでは身が持たない。
(とにかく、今のうちに逃げないと……)
 鬼の居ぬ間になんとやら。月彦は勿論、この後の矢紗美との約束を覚えている。雪乃が眼を覚ます前に何とか部屋を脱出し、体勢を立て直す必要があった。
 ――が。
「……ひっ!?」
 それが、あまりにも予想外の出来事で、月彦はついそんな悲鳴めいた声を漏らしてしまった。後少しでベッドから這い出る事ができるという所で――足を何者かが掴んだのだ。
「……紺崎くん、どこ……行くの?」
「せ……先生……寝てたんじゃ…………」
 いつもならば、ヤるだけヤった後は熟睡。多少ほっぺたを抓ろうが胸を揉みまくろうが眼を覚まさない雪乃のまさかの起床に、月彦は全身に冷や汗をかいた。
「ええとその…………ちょっとシャワーでも浴びてこようかなって……うわぁぁああっ……!!」
「……ダメ、一緒に寝るの。シャワーはその後」
 一も二もなく却下され、月彦は足からベッドの奥深くへと引きずり込まれた。そのまま雪乃に抱きマクラにされるようにしっかりと抱きしめられる。
(マズイ……これってもしかして……メチャクチャヤバいんじゃないか……!?)
 背中に雪乃のふくよかな胸の感触を感じながら、月彦は息を潜めて脱出の機会を待つ事にした。

 ――が、日が昇りベランダから小鳥たちの囀りが聞こえてきても尚、そんな機会は訪れなかった。寝息から察するに、恐らく雪乃は眠ってはいるのだろうが、ぎゅううっ……と宝物でも抱くかのように抱きしめられたまま脱出は愚か殆ど身動きすらとれなかったのだ。
(どうする……どうすれば逃げられる……!?)
 素直に雪乃を起こし、今日は用事があるからと申し出るか――無難な手であり、成功率も高そうではあるが、果たして雪乃が聞き入れてくれるかが怪しい所だった。
(私と一緒にいる事よりも大事な用事なの?……って詰め寄られるよな、絶対……)
 そう詰め寄られた際、雪乃を納得させるだけの“用事”を見繕うのがなかなかに大変な作業だった。なにしろ、一度言ってしまったが最後変更は利かないのだ。その言い訳が通用しなかった場合、自然と雪乃の気が済むまで部屋に監禁されることになるだろう。
(矢紗美さん……凄く嬉しそうだったもんなぁ……しかも、俺から誘ったわけだし……)
 いつものように、矢紗美が無理矢理脅迫じみた手でデートの予定をねじ込んできたのならば無視する事も可能だが、自分から申し込んだ手前、そういうわけにもいかない。
 結局、雪乃が目を覚まし抱きマクラの刑から月彦が解放されたのは十時を回ろうかという頃合いだった。
「んぅ……おはよう、紺崎くん……」
 もごもごと、半分寝言のように呟きながら、雪乃がうっすらと目を開けた。
「お、おはようございます……」
「んふふ……なんだか、すごく久しぶり。こうして紺崎くんと一緒に朝起きるの」
「そう……ですね……言われてみれば……ってうわぁああっ!!」
 さわ、さわと雪乃の手が股間へと伸びてきて、月彦はたまらず声をうわずらせた。
「紺崎くん……勃ってる」
「あ、朝ですから……生理現象です!」
 そしてさらに付け加えるなら、背中に先生の生乳が当たりっぱなしだからです、と月彦は心の中で付け加えた。
「良かった。昨日あんなにシたのに、紺崎くんは物足りなかったのかと思っちゃった」
「……先生も、昨日はスゴかったですね。……もうムラムラは解消しましたか?」
 月彦なりの、ささやかな仕返しのつもりだった。雪乃は、背後で顔を赤らめでもしているのか、しばし黙り込んだあと「紺崎くんのバカ」と小声で呟いた。
「言っとくけど……あれは、紺崎くんが……悪いんだからね!? 紺崎くんが……もっと、ちゃんと会ってくれてたら……」
「……ま、まぁ……兎も角、満足してもらえたようで良かったです。…………先生?」
 剛直を握る雪乃の手が、なにやらサワサワと動いているのだ。興味津々であり、どこか焦れったげなその手つきは、愛撫ともとれる動きで、さわさわ、さわさわと剛直を撫でつけてくる。
「……ねえ、紺崎くん」
 雪乃が両手で、きゅっ……と竿を握りしめてくる。
「シャワーの前に、口とおっぱいでシてあげよっか?」
「えっ……」
 予期せぬ雪乃の提案に、月彦の芯はぐらりと揺れる。
「だ、だって……生理現象って言っても、こんな風になっちゃってるのは…………シたいからじゃないの……?」
「それは……そういう事、なんでしょうか……」
 確かに、背中に当たりっぱなしの巨乳の感触が気になって気になって仕方がなかったりするから、シたくないと言えば嘘になってしまうだろう。
「それとも……夜の続き……シちゃう?」
 背中に巨乳を押し当てられながら、ぼしょぼしょと囁かれ、月彦の心は大いに揺れた。
(先生……ひょっとして、まだ満足できてなかったりするんですか……?)
 もしそうだとすれば、男として責任をとらねばならない――と、月彦は思う。それでなくとも、巨乳の魔力は偉大なのだ。例え枯死寸前であっても、極上の巨乳を目の前にしたら、男というものは奮い立ってしまうものなのだ。
「えーと……先生……あのですね……」
 先ほどまであれほど悩んでいた矢紗美の件が、忽ち頭の隅へと追いやられる。雪乃の手の中で、グググッ……と、たんなる朝立ちから臨戦態勢へと、剛直がモデルチェンジする。
「是非、その両方で……お願いします」


 寝起きの一発+αを終え、二人ともいい加減精根尽き果てた所で朝風呂にゆっくりと浸かること一時間。高級マンションならではの広い湯船の中でさんざんイチャイチャした後、体を洗って風呂場から出た時にはもうすっかり昼下がりになってしまっていた。
 雪乃が用意していたペアルック物の部屋着に渋々着替え、昨日の夕方から一切何も口にせず交尾に耽っていた二人としては当然の流れとして腹ごしらえをすることになった。
「はい、紺崎くん。あーん」
 雪乃がプラスチックのフォークで海老グラタンをすくい、月彦の口へと運ぶ。
「あ、あーん……」
 渋々口を開けて、月彦はグラタンを口に含み、むぐむぐと咀嚼する。
「美味しい? 紺崎くん」
「え、ええ……美味しいです」
「まだまだいっぱいあるから、沢山食べてね」
 居間のテーブルの上には、これでもかという程に調理済みの冷凍食品が並んでいた。冷凍のピザ、冷凍のグラタン、冷凍のフライドチキン、冷凍のスパゲッティetc……勿論その中に雪乃の手料理など一つも無かった。
「はい、紺崎くん」
「……いただきます」
 ソファに座る月彦の右腕は、ぴったりと身を寄せた雪乃の左手によってがっしりとロックされていた。その右腕の代わりにとばかりに、雪乃が右手で食材をフォークでとり、自分の口に運んだり月彦の口に運んだりしているのだが。
(……こんなペースで飯くってたら、日が暮れる……)
 やんごとなき事情で一刻も早く退去しなければならない月彦としては、このまだるっこしい事極まりない食事方式に焦りを感じるのだった。何よりも、月彦の予定よりも遙かに多く雪乃に搾り取られてしまった手前、体力を回復させる為にも思いきりがっつきたいのだが、このような形ではそれも出来ない。
 しかし、当の雪乃はといえばこのイチャイチャとした食事方式がひどく気に入っているらしく、何ともご機嫌だったりする。
(欲求不満もすっかり解消したみたいだし……)
 あとは立つ鳥後を濁さずとばかりに速やかに部屋を辞する事ができれば何の問題も無いのだが、それが困難極まりなかったりする。
(とくに、この右手が……)
 逃がさないわよ、とばかりにがっちりロックされている右手から雪乃の執念のようなものをひしひしと感じるのだ。
「はい、紺崎くん。あーん」
「あーん……」
 雪乃のフォークによって運ばれた冷凍ものの一口カツをむぐむぐと噛みながら、月彦は己の格好へと視線を落とす。薄い青ともネズミ色ともつかないトレーナーにピンク色のハートのアップリケがそこかしこにちりばめられていた。ズボンはトレーナーと同じ色で無地。雪乃の着ているそれは月彦のものとは配色が逆のペアルックなのだが、どちらにも言える事はセンスの欠片もないデザインをしているという事だった。
(…………この格好で人前に出るのは裸より恥ずかしい……)
 雪乃と二人きり、それでいて雪乃も同じ格好であるから辛うじて堪えられるが、仮に真狐あたりに見られた日には三時間はぶっ通しで笑われた挙げ句、向こう半年間はからかわれるネタにされる事だろう。
 兎も角、そんなにも酷い着替えなのだが、着ない訳にはいかない理由があった。――雪乃に、着てきた服を全て洗濯されてしまったのだ。
(……やっぱり、帰らせない為か……?)
 どうも雪乃はいつもの――“目が覚めたら紺崎くんが居なくなってる”というのが余程不満だったらしい。今日という今日は自分が満足するまで絶対に逃がさないとばかりに、いくつもの布石を打っている様だった。
(となると……この着替えがダサいのも……態となんだろうか)
 こんな格好では人前にでられないという事を承知で用意されていたのか――或いは、純粋にペアルックが着たかっただけなのか。
「はい、紺崎くん。あーん」
「あーん……」
 これまた冷凍ものの野菜スティックを口にくわえさせられたかと思えば、その反対側から雪乃がかぶりつき、互いに食べ勧めていくにつれて自然とキス――というお遊び。自分で仕掛けた事だというのに、実際キスをしてしまった後は、雪乃は恥ずかしそうに顔を赤らめ、モジモジしながらよく慣れた飼い猫のようにすり、すりと体を擦りつけてくる。
「……あ、先生……洗濯終わったみたいですよ」
 胃が凭れそうな程に雪乃に甘えられながらも、月彦は脱衣所の方から聞こえてきた洗濯終了を告げる音を聞き逃さなかった。
「せ、洗濯物……干したほうがいいんじゃないですか?」
「…………そんなの、後でいいじゃない。乾燥機だってあるし、急がなくても」
「いや、でもですね……また雨が降ってくるかもしれませんし、乾燥機だって故障するかもしれませんから、早めに干したほうが……」
「私が、後でいいって言ってるの! 御飯が終わってからでも、そんなに違いは無いでしょ?」
 確かに――と月彦は思う。これが通常の食事であり、十分や二十分で終わるものならば、終わってからでも良いとは思える。
(一体、いつ終わるんだ……)
 食卓に広げられた冷凍食品類はまだ半分も食べていないというのに、暖め直しが必要なほどに冷め始めてしまっていた。このペースで食事を続ければ、比喩ではなく本当に日が暮れてしまうだろう。
(矢紗美さん……すみません、今日は無理かも……)
 通常の待ち合わせの形でなくて良かった――と月彦は思う。一体何時に雪乃の部屋を脱出できて、一度家に帰って体勢を立て直せるか解らなかった為、“準備万端”になった時に月彦の側から電話をかけて、それから合流する予定だったのが幸いした。
(……少なくとも、待ち合わせ場所で矢紗美さん一人待ちぼうけさせる事は無い……)
 何しろ、待ち合わせの場所を決めていないのだ。聡い矢紗美の事であるから、連絡が入るまでそれなりに時間がつぶせる場所で待っている事だろう。
(……必ず、後日埋め合わせはしますから……)
 だから許して下さい――恐らく今も待っているであろう矢紗美に向けて、月彦は念波を送るが、勿論届きはしないだろう。
 届いて、ない筈なのだが。
「……あれ、先生……何か鳴ってませんか?」
「うん……?」
 むーっ、むーっ……と。なにやら低いうなり声のようなものがどこからともなく聞こえてくるのだ。
「携帯だわ」
 寝室の方から聞こえてくるその音に、雪乃はそう判断するが、別段これといった動きは見せない。
「先生……出なくていいんですか?」
「……いいのよ。どうせ大した用事じゃないわ」
 それよりも、イチャイチャする時間の方が大事だとばかりに、雪乃はますます密着してくる。
「で、でも……学校とかからの大事な呼び出しとかかもしれませんし……一応、出たほうが……」
「……もし急を要するような重要な連絡だったら、携帯につながらなかった後に家の電話にもかかってくる筈だわ」
 だから、出る必要はないのだと、雪乃は言う。
(そんな……ちょっと寝室に行って携帯とってくるだけじゃないですか)
 時間にしてほんの十数秒の事だ。そんな短い時間すらも離れたくないと言うのだろうか。
 程なく、むぅむぅと唸っていた携帯の呼び出しバイブは止まった。代わりに――
「……あの、先生。電話、鳴ってますけど」
 ピロピロと“自宅の方の電話”が鳴り始め、さすがに雪乃も無視できなくなり、渋々月彦の右腕を解放して受話器を取った。
(……今だ!)
 とばかりに、月彦はテーブルの上に広げられた冷めた冷食を一気にがっついた。これさえ減らしておけば、確実に食事の終了時間を早める事が出来るからだ。
「もしもし…………なんだ、お姉ちゃん?」
「ぶはぁっ!」
 そうやって思いきり頬張った冷食類だったが、雪乃の電話第一声を聞くなり月彦は頬張っていたものを全て吐き出してしまった。
「何よ……こんな時に。大した用じゃないならすぐ切るからね?」
 月彦はげほげほと思いきり噎せながら、あからさまに不機嫌そうな声を出す雪乃に必死に聞き耳を立てていた。
(矢紗美さん……一体なんで先生に電話なんか…………まさか……)
 いつまで経っても現れない月彦に業を煮やし、怒り狂って全てを暴露するつもりなのでは――月彦は己が吐き出してしまったものの後始末をしながら、いつでも玄関から駆け出せるようにそれとなく玄関に近い方へと体をスライドさせていく。。
「え、今? そうよ、家に居るわよ……当たり前じゃない。……なっ……だ、ダメよ! 絶対駄目!」
 月彦には、矢紗美の声は聞こえない。だから、雪乃が一体“何”に対してダメだと言っているのかは解らない。解らないだけに、とてつもなく不安ばかりが大きくなる。
「今、紺崎くんが来てるの! だから絶対駄目! 来ても玄関開けないからね!」
 がちゃんっ、と雪乃が叩きつけるように受話器を置く。勿論、月彦は聞かずにはいられなかった。
「あの、先生……一体どういう事ですか?」
「……お姉ちゃんが、暇だから遊びに来るって言うのよ。でも安心して、絶対家には上げないから」
「えっっ…………や、矢紗美さんが来るんですか……!?」
 さぁ……と一気に血の気が引いた。
(矢紗美さん……一体なんでそんな事を……)
 矢張り、バラすつもりなのだろうか。それとも、自分との約束をすっぽかして妹とイチャイチャしていた男に対して、何らかの報復をするつもりなのだろうか。
(ヤバい、ヤバい……絶対ヤバい……)
 雪乃は部屋に入れない、と言っているが、果たしてそれで済むだろうか。月彦には、矢紗美の性格上、どうしても大人しく引き下がるとは思えないのだ。
 実は今日、紺崎クンとデートする筈だったんだけど、すっぽかされて暇になっちゃったから――そこまではっきりとは言わないだろうが、それに類するような事を言われただけで、忽ち月彦は窮地に陥るだろう。こんな密室では逃げ場も無く、最悪怒り狂った雪乃に絞め殺されるかもしれない。
「あの……先生、矢紗美さんが来るんでしたら……俺、先に帰ります」
「えっ……ちょっ……紺崎くん!?」
 月彦の言葉が余程意外だったのだろう。雪乃の反応は随分遅れた。
「すみません、あの人は俺、苦手なんです。帰って宿題とかもやらなきゃいけませんし……いろいろごちそうさまでした!」
「待って! お姉ちゃんは絶対家に入れないから……紺崎くん!?」
 制止する雪乃の声を振り切るようにして、月彦は玄関から飛び出した。この際、服がダサすぎて表を歩けないとか泣き言を言ってられる状況ではなくなった。命の危険から身を守る為に、一刻も早く雪乃の元から離れる必要があった。

 大急ぎでマンションの階段を駆け下り、外へと出るなり、刺すような周囲の視線に思わず月彦は赤面したが、そんな事に構ってはいられなかった。見た目の体裁より何よりも命の方が大事に決まっているからだ。
(家まで……一気に走るか……)
 まさか雪乃は追ってこないとは思うが、可能性はゼロではない。月彦が走り出そうとしたその刹那、突然後方からクラクションが鳴らされた。
「え……矢紗美、さん……?」
 マンションの側に、見覚えのある小さな車が停車していて、それが徐行で月彦の方へと近づいてくる。
 まさか、もう側まで来ていたなんて――月彦は背筋を冷やしながらも、衆目から逃げる意味でも助手席へと乗り込んだ。
「や、矢紗美さん……あの、俺――」
「話は後。とにかくここから離れるわよ」
 月彦がシートベルトをしたかしないかの所で、矢紗美が車を発進させる。そのまま十分ほど車を走らせ、あまり人気のないコンビニの駐車場で矢紗美は車を止めた。
「ふぅ……何か飲み物買ってくるけど、紺崎クンは何が良い?」
「いえ、俺は……っと……じゃあ、何か冷たいお茶系の物をお願いします」
「冷たいお茶ね、解ったわ。少し待っててね」
 矢紗美の姿がコンビニの店内へと消えるのを見てから、月彦はホッと安堵のため息をついた。
(……ええと、これはつまり……どういう事だ?)
 今から行く――という電話をかけた矢紗美が、既にマンションの前まで来ていたというのは、矢張り雪乃の部屋へと押しかけるつもりだったのだろうか。
(いや、それとも……)
 そういう電話をかければ、月彦が部屋を飛び出してくると踏んで待ちかまえていたのだろうか。
 矢紗美が本気で雪乃の部屋に行く気があったのか、無かったのか。これは月彦にとって極めて重要なファクターだった。何故ならば、その事で矢紗美の怒り具合をうかがい知る事が出来るからだ。
(……全く怒ってない……わけはない、よなぁ……)
 デートの誘いを持ちかけておいて、いざ当日になっても連絡は無く、何をしているのかといえば別の女の家に入り浸っているわけなのだ。並の女性ならばヒステリーを起こしても許されるだけの理由ではある。
(やっぱ、先生と矢紗美さん両方と二日間でデートするっていう事自体無理なスケジュールだったんだよな……)
 むうう、と後悔とも自己嫌悪ともとれる苦悩に月彦が悩まされていると、程なく矢紗美が飲み物を抱えて戻ってきた。
「お待たせ、紺崎クン」
「どうも……ありがとうございます」
 ペットボトルのお茶を受け取り、口をつけながら月彦はちらり、と矢紗美の方を見る。足りない身長を補い、少しでも“大人っぽく”見せる為だろうか。雪乃に比べていつも大人びた化粧をしている矢紗美だが、今日に至ってはそれも控えめに見えた。そう、まるで――“相手”に合わせるかのように。
「あ、あの……矢紗美さん――」
「待って、紺崎クン」
 遅参の件に関する謝罪を切り出すも、矢紗美の強い言葉によってそれが切られた。
「まず、私に謝らせて。雪乃と一緒の所、邪魔しちゃってごめんなさい」
「邪魔って……さっきの電話ですか? あれは……邪魔っていうより、逆に助かりました。お陰でなんとか帰る切っ掛けが出来たんですから」
「庇ってくれなくていいの……私、本当に悪いことをしたと思ってるんだから…………ごめんなさい」
「そんな……俺の方こそ、今日は矢紗美さんと会う筈だったのに……こんな時間になっちゃって……」
 すみませんでした、と矢紗美より強い語気で月彦は謝罪する。
「本当はもっと早くに帰る予定だったんですけど………………こんな事言っても、言い訳にしかならないですよね」
「それって……紺崎クンは帰りたかったけど、雪乃が帰らせてくれなかったってコト?」
「……まぁ、それに近い感じではありました。俺の方も冬休みの間先生をほっといた手前、無理に帰るとも言えなくて……だから、矢紗美さんの電話、ほんと助かりました」
「……確かに、雪乃ってそういう所あるのよね。束縛女っていうか……自分本位っていうか……」
 まるで過去の出来事を思い出すように、矢紗美は呟く。
「紺崎クンは……雪乃のそういう所、嫌いじゃないの?」
「えっ?」
「ほら、紺崎クン……前に言ってたじゃない。“強引な女性は嫌い”って。……雪乃ってそれに当てはまるんじゃないの?」
「それは……確かに……」
 言われてみれば――と、月彦は思う。確かに、強引な女性は苦手ないし嫌いであり、雪乃もどちらかと言われればその範疇に含まれる女性だ。
(でも、先生の場合は――)
 成り行きとはいえ処女を奪ってしまったり、その後もなんだかんだと負い目がある手前、多少強引に出られても仕方がないかなと、そう思ってしまう。
(それに……胸が……お尻が……)
 あの巨乳と桃尻の前には、多少のデメリットなどどうでも良くなってしまうのだ。
「ま、まぁ……それはさておき……どうしましょうか。さすがに、今からデート……っていう時間でもないですし……」
 既に夕暮れ、陽が建物の屋根に沈もうとしている頃合いだ。
「そうね……この時間からだったら、何処かで一緒に晩ご飯でも食べて、それでお終いかな」
 特別残念という風でもなく、まるで人ごとのように矢紗美は言う。それがかえって、強がりを言っているように月彦には聞こえた。
(……そんなので良い……筈は無い……よなぁ……)
 かつての矢紗美の執着と、そしてその“目的”を鑑みるに、“一緒に夕食”等で済ませて良い筈がないのだ。
(でも、時間が……)
 せめてあと六時間早く雪乃から解放されていれば――詮ないこととはいえ、月彦はつい腕時計に視線を落としてしまう。
「あの、矢紗美さん……」
「なに?」
「その、もし良かったら……また今度、矢紗美さんの都合の良い日にやり直しとか……そういう形にしませんか?」
 その提案は、それなりに心の動く誘いだったのだろう。矢紗美が一瞬何かを言いかけて、そしてすぐに口を閉じてしまう。
「……でも、それだと……また紺崎クンとあの子の時間を削っちゃう事にならないかしら」
「一日くらいならなんとか……先生とも毎週会ってるわけじゃないですし」
「うん、それは聞いてる……けど、止めておくわ。紺崎クンの空いてる時間は極力あの子の為に使ってあげて」
「そんな……」
「私は紺崎クンの都合の良い時にだけ、ちょこっと会ってくれればそれでいいの。……そうね、雪乃に対する愚痴が溜まりに溜まった時とか声をかけてくれたら、いくらでも聞いてあげる」
「そんなの、いつになるかわかりませんよ。お願いですから、矢紗美さんの都合の良い日を教えて下さい」
「私の都合が良くても、雪乃の都合も良かったら紺崎クンどうするの?」
「それは……」
 はっきり矢紗美を優先する――とは言えなかった。建前とはいえ、一応雪乃と恋人関係にあるような事を匂わせている以上、そうそう露骨に雪乃をおざなりにするような事など言える筈もない。
(……矢紗美さん、やっぱりちょっと……根に持ってるのかな)
 どこか意地悪な言い回しは、約束を反故にしかけた事を怒っているからなのだろうか。
(でも、考えてみたら……やっぱり無茶……だよな……)
 いくら矢紗美が「気が向いた時にだけ会ってくれればいい」と言った所で、一応ながらも“関係”がある以上、時間を全く割かないという訳にもいかない。至極、ただでさえ無茶のあるローテーションにさらに狂いが生じ、また今回の様な事にならないとも限らない。。
(今回は、まだマシだ……でも次は……どうなるか解らない……)
 今こそ、決断をするべき時ではないかと、月彦は思う。かつての矢紗美ならば、そのような事を切り出しでもしたら死なばもろともとばかりに雪乃に全てを暴露されたかもしれないが、今の矢紗美ならば――。
「……解りました、矢紗美さん。……どうやらもう、この手しかないようです」
「この手……?」
「はい。……その前に、矢紗美さんに一つお願いがあります」
「何かしら」
「誰が聞いても納得する“帰りが遅くなる理由”……出来れば公的な匂いがして、尚かつ不自然でない理由を矢紗美さん以外の人経由で、俺の家族に伝わる様にして欲しいんです」
「えっ……紺崎、クン……?」
 それって――と、絶句に近い形で言葉を途切れさせる矢紗美に、月彦は大きく頷いてみせる。
「矢紗美さんの事ですから、もう俺が言いたい事は解って貰えますよね」
「さ、察しはつくけど……でも、紺崎クン……本当に良いの?」
「はい。元々今日はその予定でしたし……家族に心配さえかけずに済むなら、やっぱり予定通り矢紗美さんの部屋にお邪魔したいんです」
 何より、そうすることで今後二度と矢紗美の部屋に行くことは無くなるのだ。そう考えれば、こうして今宵多少の無理をして矢紗美の部屋を尋ねるのは、決して悪い考えではないように思えた。
「わ、解ったわ……紺崎クン、ちょっと待っててね」
 なにやらソワソワしながら、矢紗美が携帯電話を手に車の外へと出る。恐らくは“根回し”の手配だろう。先ほどまでの落ち着いた様子から一変して喜色満面。丁度雪乃をデートに誘った時にそっくりの挙動だった。
(……すみません、矢紗美さん。……喜ばせてしまった分のツケは、必ず体で返しますから)
 だから、今夜で最後にしましょう――月彦は密かに、胸の内で呟いた。



「ちょ、ちょっと、待って! 紺崎クン……そんな、いきなり……」
 部屋に入るなり、月彦は靴も脱がずに思いきり矢紗美を抱きしめた。
(……矢紗美さんって、こんなに小さかったんだ……)
 まるで、初めて家に男を連れ込んだ処女のようにぎこちない抵抗をする矢紗美の体をそのままひょいと抱え上げる。そう、昨日雪乃をベッドに運んだ時のように。
「もうっ……雪乃とするときも、そんな風に“玄関先からいきなり”なの?」
 にやついてしまいそうになるのを必死に噛みつぶしているような、そんな矢紗美の苦笑。抱え上げられたままヒールを脱ぎ、ぽいと玄関先へと投げ捨てる。
「場合によりけりです。先生の方から襲われる事もありますし……俺の方がムラムラしてる時は、こんな風に部屋に入るなり襲っちゃいます」
 月彦もまた靴を脱ぎ、矢紗美の部屋へと上がり込む。
「紺崎クン………」
 矢紗美が、首にしがみつくようにして上体を起こし、キスをねだってくる。応じながら、矢紗美の体を壁や家具にぶつけないように慎重に歩き、そのまま寝室へとなだれ込んだ。
 既に日は落ち、カーテンを閉められたままの寝室は文字通り闇の中。しかし、月彦の目ははっきりと、ベッドに横たわった矢紗美の体を捕らえていた。
「やだ……どうしよう、紺崎クン……私……」
「どうかしました?」
 仰向けに寝たまま、不自然なまでに胸を上下させている矢紗美に被さりながら、月彦は優しく声をかけた。
「変なの……すごく、ドキドキしてる…………」
 まるで“初めて”の時みたい――そう呟く矢紗美の唇を奪い、髪を撫で、そして服の上から胸元をまさぐる。
「んぅっ……ぁはっ…………」
 そのまま腹部、太股へと撫でつけ、撫でつけながら徐々に矢紗美の服を脱がしていく。その慣れた手つきたるや、まるで霧亜のそれ――食べ慣れたフルーツの皮でも剥くかの様――であるのだが、勿論月彦自身に自覚はない。
「はぁっ、んっ……ぁふ……ぅ……ぁはァッ……!」
 ストッキングを脱がし、直に太股を撫でるとそれだけで矢紗美は体を震わせ、声を上げる。
「……矢紗美さん、いつになく感度がいいみたいですね」
「んっ……だって………前に、紺崎クンとシてから…………ずっと……誰ともシてなかったから……ぁぁぁっ……」
 さわ、さわと内股を撫でると声を上げて矢紗美は弓なりに仰け反る。既に、ミニスカートとショーツ、ブラだけの格好で、はあはあと息を荒げながら濡れた目で月彦を見上げる。
「……じゃあ、矢紗美さんも相当“溜まってる”んですね」
 月彦の記憶が正しければ、最後に矢紗美を抱いた日も、雪乃を抱いた日も同じの筈だった。つまり、姉妹揃って同じ日数分“溜まってる”という事になる。
(でも、先生に比べて……矢紗美さんの方はそうでもないのかな……?)
 少なくとも外見上はそう見える――が、“中身”はどうだろうか。月彦はまるでそれを確かめる様に、矢紗美の肌を撫で回し、その“ムラムラ度合い”を探る。
「ンぅ……こ、紺崎クン……もっと……ぁっ……」
「もっと強く、ですか?」
 闇の中、矢紗美は小さく頷いた。月彦は矢紗美のブラを外し、そこに顔を擦りつけるようにして愛撫する。
「ぁんっ……! ぁっ、ぁっ……んんっ……紺崎、クン……ぁはぁぁっ……」
 矢紗美もまた、両手で月彦の頭を抱き込むようにして己の胸元へと擦り当てる。体躯の割には立派に実っている乳房に頬をすり当て、先端を舐め含みながら、月彦もまた己の衣類を脱ぎ捨てる。
(そういえば……矢紗美さんって……)
 不意に前回の事を思いだして、月彦は唐突に矢紗美の胸元から顔を上げた。
「ぇ……紺崎クン……?」
 矢紗美としても、この年下男のおっぱい好きは承知の上であったろうから、この早すぎる撤退が余程不自然に思えたのだろう。
「矢紗美さん、思い出しました」
 月彦は矢紗美に添い寝するようにして、その背中側からぎゅうっ、と強く抱きしめる。抱きしめながら、もぞもぞと右手を矢紗美のスカートの下、ショーツの中へと滑り込ませる。
「やっ……紺崎クン……!? ぁっ……やんっ……!」
 月彦の指先が最も敏感な場所へと触れるや否や、矢紗美は悲鳴にも近い声を上げてびくりと体を硬直させてしまう。構わず、月彦は勃起し始めているその突起を優しく指先で弄り回す。
「ぁぁぁぁあっッ……やっ、ぁっ……だめっ、そこ、だめっ……あんっ……!」
 たちまち矢紗美は呼吸を乱し、月彦の手を制するようにその手首を掴む。そして掴まれるなり、月彦はあっさりと指の動きを止めた。
「……止めていいんですか?」
「ぇ……あぁぁんっ!」
 ボソリと耳元に囁いて、一瞬だけ強く突起を摘み上げる。月彦の腕の中で矢紗美は甘い声を上げて身震いし、その吐息はますます荒々しくなる。
「本当に嫌なら、もう触りませんけど……?」
 囁きながら、右手をショーツの中から引き抜こうとすると、手首を掴んでいる矢紗美の手がそれを制するように握りしめてくる。
「だめっ……止めないで……もっと触ってェ……!」
 月彦の方を振り返るようにして、矢紗美が懇願する。
「……解りました」
 苦笑混じりに、月彦は愛撫を再開する。
(……本当なら、もっと焦らして、おねだりさせたい所だけど…………)
 相手がいつもの矢紗美ならば、間違いなくそうしていただろう。しかし今回に限っては、そういう訳にはいかない。
「ぁっ、ぁっ、ぁっ……あんっ、あぁっ……あぁぁぁぁ…………!」
 優しくクリトリスを弄ると、矢紗美はなんとも甘い声で喘ぎ出す。月彦の指の動きに応じるようにして腰をくねらせ、時折身を捻るようにしてキスをねだってくる。月彦はそれに応じながら、時折強く押しつぶすようにしたり、摘むようにしてよりますます矢紗美を喘がせる。
「……矢紗美さん、本当にクリ弱いんですね」
 指先でほんの少し撫でつけてやるだけで、腕の中で悶え続ける矢紗美が愛しくすら思えて、月彦は今度は自ら左手で矢紗美の顎先を捕らえ、誘導して口づけをする。
「ンンッ……んんぅぅ……!」
 口付けしたまま、さらに愛撫を続ける。そうして愛撫を続けているうちに際限なく蜜は溢れ出し、既に指先はおろか、下着そのものまでグショグショに濡れそぼってしまっていた。
「ぁはぁぁ……んふぅぅ…………いい……凄く、いい、の……もっと、もっとシてぇ…………!」
 解りました、と心の中だけで呟いて、月彦は矢紗美の耳をはみはみしながら、愛撫を続行する。
「あぁぁァッ!……いいっ……いいのぉ…………はぁっ、はぁっ……紺崎クンに、クリ弄られるの、好きぃ……あぁン!」
「……そんなに気に入って貰えて光栄です。……何なら、もっと“良く”してあげましょうか?」
「えっ……? きゃんっ……!」
 月彦は返事を待たずに添い寝状態から体を起こし、グッショリと湿った下着を一息に脱がしてしまう。
「ま、待って……紺崎クン……もしかして……」
「はい。前に約束しましたよね……たっぷり、クリフェラをしてあげます、って」
 ぐいと、月彦は力任せに矢紗美の足を開かせ、その間へと体を入れる。
「やっっ……だめっ……今、そんな事されたら、私……すぐにっ……ぁぁぁぁぁァァッ!!」
 勿論、月彦は矢紗美の制止など聞くつもりはなかった。散々愛撫されて痛々しいまでに勃起し、恥蜜でテラテラと光沢すら放って見える淫核を優しく口に含み、嘗め回す。
「ァァァッ!! やっ、ぁっ、だめっ、ぇっ…………やぁっ……イくっ……イくっゥ……ぅ……〜〜〜〜〜っっっ!!!」
 “それ”は、本当に“すぐ”だった。淫核を口に含み、軽く嘗め回しただけで、矢紗美は仰け反り、ベッドシーツを握りしめるようにして容易くイッてしまった。
「はーっ…………はーっ…………も、もう……紺崎クンったら……容赦ないんだから……今度は、私に――」
「じゃあ、次は……指も一緒に使ってシてあげますね」
 矢紗美の言葉に被せるようにして、月彦は笑顔で言うと再びクリフェラを再開。同時にヒクヒクしっぱなしの秘裂へと指を埋めていく。
「ひァッ!? ま、待って……そんな、イッてすぐに――……ぁぁぁァぁぁぁあッ!!」
 キュキュキュキュキュゥッ!!――人差し指と中指を根本まで入れるなり、いきなり強烈に締め付けながら、矢紗美がまたしても腰を撥ねさせる。
「やっ、だめっ……イくっ……またイッちゃう……ッ……あぁぁあんっ! だめっ……だめっ……だめぇっ……!」
「今日は随分ペース早いんですね、矢紗美さん。それで三時間ちゃんと持ちますか?」
「ぇ……三時間って……何……?」
「この前言ったじゃないですか。三時間クリフェラしてあげます、って」
「っっっっ……! だ、だめっ……そんなの、ダメって、言ったじゃない……! そんなにされたら……ひっっ……」
「遠慮なんてしないで下さい。何なら、四時間でも五時間でも俺は構いませんよ」
 にゅぐりっ、と指を動かしながら、月彦は再び淫核へと舌を這わせる。
「やっ……ぁああんっ! あァッ……あっ、だめっ、……そんなにっ、されたらっ……どうにかなっちゃうッ……だめっ、だめぇえッ!!」
 矢紗美が駄々っ子のようにかぶりを振り、抵抗をする――が、勿論月彦は己の言を曲げる気も無ければ、約束を破る気もないのだった。


 



「ぁっ、ぁあっ………あっ! あァァッ………やっ、も、止めっ………………ふぁっぁっ………ぁぁァッ!!」
 矢紗美が掠れた声を上げ、びくりと弓なりに背を反らせる。それを一つのキリとして、月彦は漸くに口戯を中断した。
(………さすがに、舌が攣りそうだ)
 “三時間クリフェラ”は想像以上に大変だった。が、恐らくもっと大変だったのは矢紗美の方だろう。
「………ぁッ………………ぁ………………」
 愛撫を止めるや否や、ぐたぁ………と脱力しきったまま、ひたすら荒い息をついている。闇の中うっすらと見えるその肢体は玉の汗が浮かぶ程に上気しきっており、特に先ほどまでたっぷりと愛でていた秘裂などは湯気が立ちそうな程に熱を孕んでいた。
「………如何でした、矢紗美さん。満足してもらえました?」
 疲労で縺れそうになる舌を賢明に動かし、さも自分はまだいくらでも続けられるといった体を装いながら、月彦は声をかける。が、矢紗美の反応は如何にも鈍かった。どんよりと濁った目で脅えるように月彦の方を見ただけだ。
「………もっとシた方がいいですか?」
「………ッ………!」
 口戯を再開しようとすると、矢紗美は微かにびくりと震えて拒絶するような素振りをした。月彦はそのまま動きを止めず、しかし秘裂は素通りしてそのまま矢紗美に被さるようにして、今度は猛りっぱなしの剛直の先端を秘裂へと導く。
「ぁっ………ま、待っ………ぃンぅううッ!!」
「ダメです、待てません」
 制止しようとする矢紗美の声を無視して、月彦は強引に剛直を挿入する。
「口でシてる間ずっと、矢紗美さんに挿れたいの我慢してたんですから」
「ァァァッ………ぁっ……かはっ………くっ………ひぃッ………!!」
 剛直をねじ込んでいくにしたがって、矢紗美が体を逃がそうとするのを、肩を押さえつけるようにして月彦は無理矢理に根本まで埋没させる。
「ぁっ、ぁっ………やっ………ダメッ………そんっ………無理矢理っ………ぁっっ………ぁぐぅうッ!!」
「大丈夫ですよ。ちょっと狭いですけど………ンッ………ちゃんと、根本まで………っ………」
 ぐいぃっ、と先端で膣奥を押し上げながら、月彦はふぅぅと息をつく。
「矢紗美さん、今日は随分バテるの早いですね。いつもはもっと………」
 真央並み、と言っても過言ではない程にイかせてもイかせても、もっともっととねだってくる矢紗美が妙に大人しく、されるがままなのが気になって、月彦はつい口に出してしまった。
「な、に………言って………あんなの、三時間、も………されたら………誰、だって………」
「でも、矢紗美さんがシて欲しいって言った事じゃないですか」
「わ、私がいつ――ンぅ………!」
 多少なりとも矢紗美が元気を取り戻した所で、月彦はゆっくりと抽送を始める。
「ぁっ、ぁっ、ぁっ………やっ、ぁ、ぁっ………」
 どうやら本当にバテてしまっているらしい矢紗美の体を気遣うように、それこそゆっくり――まるで雪乃にするような速度で。
「ぁっ、ぁっ、ぁっ、あんっ………やだっ………紺崎クン……また、そんな………急に、優しく………んぅ………!」
「“急に”じゃないですよ。“いつも”です」
 月彦は矢紗美の胸元へと手を伸ばし、これまた“優しく”こね回す。妹と比べさえしなければ成人女性として十分すぎるそのボリュームを楽しみながら、これまた“優しく”腰を使う。
「はぁ、はぁ………ンッ………ぁぁっ……ンぅ……はぁ、はぁ…………ふぅ……ふぅ…………」
 まるで、それらの“優しい愛撫”による快楽に没頭するかのように、矢紗美がトロンと瞳を濡らし、体を開くようにして脱力する。
「……矢紗美さん?」
「ン……な、何……? 紺崎クン」
 まるで、夢の途中で起こされたようなぽぅっとした声で、矢紗美が答える。
「いえ、なんだかボーッとしてるみたいでしたから……物足りないんですか?」
「そうじゃ、ないの……逆に、凄く……良かったから……」
 浸っちゃった、と矢紗美は小声で付け加える。
「……あのね、紺崎クン……今……気がついたんだけど」
「はい……?」
「……もしかしたら……私、“優しく”されるの……弱い、かも……」
「……優しくされると……弱い……?」
 はてな、と月彦は思う。てっきり矢紗美はそれこそケダモノの様に精根尽き果てるまでガッツリ犯るのが好きなのだとばかり思っていただけに、この発言は甚だ意外だったのだ。
(待てよ、考えてみれば……)
 そもそもが、矢紗美の性経験の殆どは自らが“男”と化し、逆に男を食らう――それが殆どであった筈だ。勿論“そうではない場合”も多々あっただろうが、矢紗美の性格を鑑みるに恐らくは自分主導のものであったに違いない。
(てことは逆に……“優しく抱かれる”っていう事には免疫が無かったりするのか……?)
 あり得ることだ、と思える。こうして眼下でやや不安げに自分を見上げている矢紗美の姿を見れば尚更、そうだと思えてくる。
(それに、先生も……“ゆっくり”が好きって言ってたし)
 姉妹である矢紗美もそのようにされるのが好きである可能性は十分にある。
「……矢紗美さん」
 月彦は一端全ての愛撫を止め、そっと被さって“優しく”キスをする。
「ンッ……ぁ……紺崎クン……」
 そっと、唇が触れ合うだけのようなキス。何度も、何度も啄むようにしてそれを繰り返し、徐々に唇が触れ合う時間を長くしていく。そうして触れあう時間を増やしながら、月彦は矢紗美の背へと手を回し、ぎゅうっ……と抱きしめる。
「ンッ……あぁぁ…………あふっ……ンッ……!」
 矢紗美もまた、両手を月彦の肩に掛けるようにして身を寄せてくる。互いに密着し、一際“濃い”キスをした刹那、矢紗美が微かに喉奥で噎びながらぶるりと体を震わせた。
「ンンッ……ンッ……!!」
 噎びながらも、キスは止めない。ヒクッ、ヒクと剛直に絡みついてくる肉襞の感触を心地よく味わいながら、たっぷり十分ほど続いたキスを名残惜しむ様に、月彦は俄に体を起こした。
「……嘘みたい」
 微かに息を弾ませながら、矢紗美が照れ混じりに小声で零す。
「紺崎クンにキスされただけで、軽くイッちゃった」
 今まで、他の男性に優しくしてもらったことは無かったんですか?――そんな質問が喉まで出かかったが、月彦は我慢した。
「そういう事なら、もっと早くに教えてくれれば良かったんですよ。そしたら――」
「だって、私もさっき気がついたんだもの。……知らなかった、セックスって……こんなに良いものだったんだ……」
「……そんなに違うんですか?」
「うん……全然違う。……なんていうか……“愛されてる”っていう感じがして、身も心もトロトロになっちゃうの」
「愛されてる……ですか」
「……あくまで、そういう風に感じるだけ、っていう話よ?」
 誤魔化すように矢紗美は笑うが、果たしてその笑みは本心からだろうか。
「ねえ、紺崎クン」
 そんな月彦の危惧を見透かしたように、矢紗美がそっと頬を撫でてくる。
「こんな風に……キスされただけでイかされちゃうくらい優しいセックスで最後までされたらどうなっちゃうのか、私……知りたいな」
「……解りました」
 本音はどうであれ、そうして欲しいと矢紗美が望むのであれば。月彦としては、反対する理由は無かった。



 それはさながら、雛森矢紗美ではない――全くの別人を抱いているかのような気分だった。
「あぁァ……ぅンっ……いいっ……そこっ……ああァァッ!!」
 剛直でゆっくりと蜜壷をかき回すようにしながら、矢紗美の肩を、胸元を、腹部を、太股をなで回していく。そうして優しく触れてやるだけで、矢紗美はなんとも甘い声を上げる。そして、キュウッと剛直を締め付ける事で己がどれほど感じているかを返してくる。
「ぁあっ、ぁっ、ぁっ、ぁっ……ンぅっ……はぁっ、はぁっ……だ、めぇ……奥、コンコンってされると、力、抜けちゃう……あぁぁっぁぁぁぁぁ…………はぁっ……はぁっ……す、ごい……ずっと、イきっぱなしになってる、みたい……」
 そのなんとも蕩けきった声が、演技でもなんでもなく、心底快感の虜になっている証拠だった。
(……本当に、矢紗美さんじゃないみたいだ)
 いつもはどちらかといえば、お仕置きに近いエッチになりがちなだけに、月彦はまるで他人を抱いているかのような錯覚に陥ってしまう。
(……でも、これはこれで……)
 決して悪くはない、とも思ってしまう。年上の女性に甘えられながら、あくまで優しく抱く――それはある意味では新鮮でもあったし、何よりも他ならぬ相手がそれで心底感じてくれるのだから、やり甲斐もあった。
 しかし――と、月彦は危惧する。
(……危険だ)
 そう感じるのは、まるで男に初めて体を許した無垢な少女のようにちょっとした愛撫一つに身をくねらせる矢紗美に対して、愛しいといった感情が沸き始めたからだ。
(……っ……振り切らないと)
 ここで流されるからダメなのだと、己に言い聞かせながら、月彦はあくまで“優しい”愛撫を続ける。
「えっ……きゃっ――」
 正面切って矢紗美に見つめられているから、そのように気が迷ってしまうのではないか――そんな思いから、月彦は唐突に足を潜るようにしてくるりと、矢紗美を俯せにし、四つんばいにさせた。
「んっ……後ろから、シたいの……? やっ……あぁぁぁァァンッ!!」
「こうすると、矢紗美さんが感じやすい場所も触りやすいですから」
 そう口にしてから、蛇足だったかもしれないと月彦は思う。まるで嘘を誤魔化すかのように、四つんばいになった矢紗美を背後から優しく突き上げ、突き上げながらくりくりと淫核を刺激すると、忽ち声を荒げて突っ伏してしまう。
「だめっ、だめぇっ………クリはダメェ………ふっ……ぅんッ……ンンンぅぅ……はぁっ、はぁっ……」
「でも、こうすると、矢紗美さんの中……キュッ、キュッってもの凄い締め付けてきてきますよね」
 囁く様に呟きながら、徐々に強く矢紗美の中を突き上げ始める。そう、何よりも月彦自身が“優しく”することに我慢ができなくなりはじめていた。
「はーっ……はーっ……だ、めぇ……また、イきそ……っ……あぁっ、あぁァッ!! ぅんっ……ひぅっ……はぁっ、はぁっ……ァァァァァッッッ!!!!」
「良いですよ。好きなだけイッて下さい……そろそろ、俺の方も――」
 ヒク、ヒクと痙攣する矢紗美の中を無理矢理こじ開けるようにして、月彦もまたスパートをかけていく。
「くひぃぃッ……あ、あぁっ、ぁっ……ァァァァッ……!!! っ……やぁっ……だめっ、だめっ……トんじゃうっ……おかしくなっちゃう……!」
 ぶんぶんとかぶりを振りながら声を荒げ、まるで逃げようとするかのように矢紗美が這う。――が、無論月彦は逃がさない。
「っ……矢紗美さんっ……!」
 ぎゅうっ、と矢紗美の体を抱きしめる――否、それは抱擁というより、拘束に近いものだった。逃げようとする牝を強引にねじ伏せ、種付けをする為の、牡としての本能――。
「あッ、あっ、あぁっ、……ひっ……ぁ、ぁ…………〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜ッッッ!!!!!」
 膣奥まで無理矢理剛直をねじ込み、そのままたっぷりと特濃の牡液を注ぎ込む。声にならない声――悲鳴とも言うべき声を上げながら、矢紗美もまた達した。
「ふーっ…………ふーっ………………ふーっ………………」
 己の子種が、間違いなく相手の体内へと注ぎ込まれていくのを感じながら、月彦は荒い息をつく。先ほどまで体中を渦巻いていた獣欲は間違いなく満たされた。満たされた――筈だった。
(…………っ……)
 しかし、胸の内にはなにやらモヤモヤとしたものが蟠っている。それが一体何なのか、月彦自身にも解らなかった。
 だから。
「ふぁ……ぇ、ちょ、紺崎クン……!?」
 恐らくは、中出しの余韻に浸るように、はぁはぁと呼吸を整えていた矢紗美が素っ頓狂な声を上げるのも構わず、抽送を再開させる。
「やっ、だめっ……少し、休ませ……んんんゥ!!!」
 暴れる矢紗美をねじ伏せるようにして組み敷き、犯す。背後からケダモノのように突き上げ、両乳を欲望のままに揉みしだき、強引に後ろを向かせて唇を吸う。
「あぁっ、ぁっ、ぁぁぁッ! んっんぷっ……んんんっ、んんっんふっ、んんんっ!!」
 背後から一頻り突いた後は、自ら仰向けになる形で強引に矢紗美に跨らせる形にして、下からこれでもかと突き上げた。ベッドのスプリングを利用して突き上げるたびに、剛直の先端に体重がかかり、その都度、矢紗美は掠れたような声で鳴いた。
「ひァァッ……! やっ、らめっ……お、く……コンコンってするの、らめェッ……!!」
 腰をひくつかせながら、必要以上に体を浮かせようとする矢紗美の足の付け根を押さえつけ、月彦はさらに突き上げる。
「ぁぁぁぁッァァァッ!!!!」
 ぎゅぬっ、ぎゅぬぬっ――締め付けてくる肉襞を、さらにこじ開けるように突き上げる。矢紗美は悲鳴を上げながら、体を弓なりに反らせた。
「……ッ……まだまだですよ、矢紗美さん」
 月彦は、己の迷いを振り切るように、機械的に矢紗美を犯し続けた。



 一体どれほどそのようにまぐわい続けただろうか。気がついたときには二人、互いの汗の中で解け合うようにして、ベッドに突っ伏していた。
 腕の中に、矢紗美の小さな体があった。全身を上気させ、脱力したままただただ呼吸を整える――そんな矢紗美の体を、月彦はそっと抱きしめた。
「ぁっ……」
 びくりと、微かに体を震わせて、矢紗美がそんな声を上げる。
「ごめ……ん、紺崎クン……私、もう、無理かも……」
 恐らく、まだ続きをされると思ったのだろう。息も絶え絶えに、矢紗美はそんな事を呟く。
「……いえ、さすがに俺ももう無理です」
 ただでさえ、雪乃との連戦で体調はお世辞にもベストとは言い難かった。しかし、この全身を襲う言いしれぬ疲労感は、単純にそれだけの理由ではないように思えた。
「……あんまり“優しく”出来なくて……すみませんでした」
 特に、後半は酷かったと、月彦は今更ながらに後悔していた。あんなものは、セックスではない。ただ、矢紗美の体を使ったオナニーだ。
「……ううん、いいの。紺崎クンがそうしたかったのなら、私はそれでいいの」
「矢紗美さん……」
 らしくない――と、思う。そういう素振りをされればされるほど、月彦の中で“迷い”が増大していく。
「あの……」
 口を開くも、言葉が続かない。今宵、矢紗美が満足するまで抱いたら、その時に切りだそうと、そう心に決めていた。
「その、なんて言ったら良いか……」
「……なぁに? 別れ話でもしたいの?」
 くすくすと、冗談っぽい口調でそんな事を言われ、途端に月彦は全身を凍り付かせた。
「……やだ、ひょっとして図星だった?」
「えーと………………別れ話っていうか、なんていうか……」
「紺崎クン……」
 腕の中で、矢紗美がくるりと体の向きを変え、まじまじと見上げてくる。
「本気で、私と縁を切りたいの?」
「うぐ……っ……」
 不安げな目でじぃと見られ、月彦は咄嗟に仰け反るようにして顔を背け、視線を逸らした。――が、矢紗美の手によって頭を掴まれすぐに正面を向かされる。
「正直に答えて。本気の本気で、私のこと……嫌いなの?」
「…………………………………………………………………………………………はい。」
 長い沈黙の後、月彦は呻くように答えた。
(……そう答えた方がいいんだ)
 雪乃の時と同じ轍は踏まない。なまじ「嫌いというわけじゃないんですけど……」等と言ってしまったが為に、うやむやのうちに関係が続いてしまうといったパターンを繰り返すわけにはいかないのだ。
(嫌いだから、別れる――そう言ったほうが、矢紗美さんもきっと納得してくれる)
 本音を言えば、無論嫌いなどではない。むしろ、ここ数日の印象によって肉体的な魅力による補正を無しにすれば、『むしろ先生より付き合いやすいかもしれない』と思える程だ。
(……でも、無理なんです……すみません)
 いくら何でも人数が多すぎる。心を鬼にしてでも減らさなければ、破滅は免れそうにないのだ。
「……ふぅん………………そっかぁ、そんなに嫌われてたんだ、私」
 別段、ショックを受けた風でもないというような口調だった。
「成程ね、道理でちょっといつもよりサービス良いな、って思ってたのよね。紺崎クン、最初からそのつもりだったんだ」
「…………………………はい」
「………そっか。そういうことなら、仕方ないね」
 てっきり、また泣かれたり、縋られたりするものだとばかり予想していた月彦としては、そのようにあっさりと引き下がられる事は予想外だった。
「……安心して、紺崎クン」
 その“意外さ”が顔に出ていたのだろう。
「一応これでも、今まで何人もの男とそつなく付き合って、フッてきたんだから。別れ際に見苦しい真似をするのがどれだけ相手に嫌われるかっていうのは、十分解ってるつもり」
「矢紗美さん……」
 勿論、今までは矢紗美のほうが“見苦しい真似”をされる側であったのだろう。だからこそ自分はしたくない――そう言ってもらえるのは、月彦としては有り難かった。
「仕方ないよね。紺崎クンは雪乃の事が好きで、雪乃も紺崎クンの事が好きなんだもの」
「はい……そういう事です」
 或いは、先生よりも早くに矢紗美さんと出会っていたら――そんな言葉を口にしかけて、月彦は慌てて口を噤んだ。ここでそうやって気を緩めるからダメなのだ。あくまで徹底して冷静に、最後まで事を運ぶのだ。
「……解ったわ。紺崎クン決心も固そうだし、さっきも言ったけど……見苦しい真似は私もしたくないから、紺崎クンとはもう……」
「……はい」
 ズキリと、胸の奥が痛む。それは一体どういった作用による痛みなのか、月彦には解らなかった。
(……これで……すこしは……)
 時間を自由に使う事が出来る。そして矢紗美もまた、自分と離れる事で自由に男漁りが出来るようになれば、少なくとも今のような状態よりは幸せだろう。
 そう、これで良かったのだ――そう思うことで、月彦は己の心の負担を軽くすることにした。
「……そういえばさ」
「はい?」
「考えてみたら、紺崎クンとはこうして会ってエッチとかはしてるけど、ちゃんとしたデートとかって一度もしたこと無かったよね」
「そ……ういえば、そうですね。だいたいいつも――」
 会うなり、なし崩しに襲われたり、車に詰め込まれて襲われたりと、体を重ねこそすれきちんとしたデートをしたことは一度もない。それは確かに、間違いはない。
「本当は今日がその“初めてのデート”になる筈だったんだよね。……紺崎クンと別れなきゃいけないのはもう、しょうがない事だけど……せめて一回くらい……ちゃんとしたデート、したかったな」
 要望、願望――というよりは、まるでただの独り言のようにして呟かれたその一言に、月彦はぐぅと唇を噛みしめた。
「えーと……それは……」
 さてどうしたものか、と月彦は心の中で首を捻った。
(……それは、矢紗美さんの言う“別れ際の見苦しい真似”には入らないんだろうか)
 もう別れると決まってる相手との最後のデート。そのようなものをやった所で、互いに苦々しい思いをするだけではないのか。
 それより何より月彦が恐れるのは、折角巧く行きそうである別れ話が、そのデートによってうやむやになったり、なし崩し的に関係が続いてしまう事だった。
「一回だけ……恋人として、っていうのが無理なら、友達として、っていうのでも良いんだけど。普通に朝、紺崎クンと待ち合わせをして、一緒に何処かに行ったり、御飯食べたりしてくれるだけで、私も紺崎クンの事完全に吹っ切れると思うんだけどな」
 またしても、ぽつりと漏れた独り言にしか聞こえないような、矢紗美の呟き。
(……本当に一回デートしただけで、今後一切関わらなくて良いのなら……デートくらい……)
 月彦は何度も何度も、この件を了承した場合としなかった場合のシミュレーションを脳内で繰り返した。
(確かに……矢紗美さんの言う事にも、確かに一理ある……)
 デートに誘ったのは本当であるし、そして自分はまだその責を果たしていない。別れるのはもうしょうがない事だとして、せめて最後にデートがしたいと矢紗美が言うのであれば、聞き入れる義務はあるのではないか。
「………………解りました。友達として一緒に出かける……っていうのでも良いんでしたら、矢紗美さんの都合が良い日に、一度だけなら……」
「本当っ!?」
 承諾して貰えるとは微塵も思っていなかった、と言わんばかりの笑顔で矢紗美が抱きついてくる。
「た、ただ……あくまで“友達”として、ですから……その、エッチとか……そういうのまでは……」
「うん、解ってる。普通に“友達”として、デートしてくれれば良いの」
 矢紗美もまた、ことさら“友達”の部分を強調するようにして返してくる。
「……それに、私も……これ以上紺崎クンに抱かれたら……本気で離れられなくされちゃいそうだし」
「……はは、は……大丈夫ですよ、矢紗美さんなら……きっとすぐにもっといい男性を捕まえられますよ」
 特に根拠があっての事ではなく、純粋にそうであって欲しいという願いから出た言葉だった。
「うん……そうだといいね」
 まるで、他人事のような口調で言って、矢紗美が凭れるようにして身を寄せてくる。月彦は俄に逡巡した後、その肩を抱くようにして引き寄せ、そして静かに瞼を閉じた。



 姉から「飲みに行かない?」と誘われた時に、二つ返事でOKしたのは勿論、“あの時”の文句を言ってやりたいからだった。
「どうしてくれるのよ! お姉ちゃんがあんな電話なんかかけてきたせいで、紺崎くん慌てて帰っちゃったんだから!」
 だむっ、と雪乃は空になったビールジョッキをテーブルに叩きつけながら、鬼のような剣幕でまくし立てる。
「ごめん! ほんっっとーにごめんなさい!」
 姉にしては――と言うべきか。多少胡散臭い程に素直に矢紗美は手を合わせて謝り、そして今日は私のオゴリだから、と媚びるような声で付け足してきた。
「だいたい土日は紺崎くんとデートするって、お姉ちゃんには言っといたでしょ? それなのにどうして邪魔するの?」
 姉を睨み付けながら、雪乃はテーブルメニューを手にとる。量が少なくて尚かつ値段の高いツマミ類と、同じく酒を味よりもアルコール度数と値段優先で注文する為にだ。
「……お姉ちゃんには解らないだろうけど」
 溜まりに溜まった鬱憤を晴らすかのように、雪乃は怒気と酒気の交じった声で続ける。
「紺崎くんが家に遊びに来て、長居してくれる事ってなかなか無いんだから」
「そう言ってたわね。やることやったらすぐ帰っちゃうんでしょ?」
 それは最早、幾度となく雪乃が矢紗美に愚痴った事だった。そして事実には違いないのだが、矢紗美のその言い方に雪乃はかちんと来てしまう。
「……お姉ちゃんの言い方だと、まるで紺崎くんが私の体目当てでうちに来てるだけみたいじゃない」
「……案外、本当にそうだったりして」
「もーっ! お姉ちゃんは謝りに来たの? それとも喧嘩を売りに来たの? はっきりしてよね!」
 だむっ、と雪乃が両拳をテーブルに叩きつける。今日という今日はこのイタズラ好きの姉にしっかりと釘を刺しておかねばならない――その意気込みが、いつになく雪乃を強気にさせていた。
「まーまー、ほら雪乃落ち着いて。……そうね、勿論喧嘩を売りに来たわけじゃないわ。この間の事は私も本当に悪いことしたなぁ、って思ってるんだから」
「本当にぃ……?」
 ジトリ、と疑いの目を向けながらも、雪乃は店員が持ってきたカクテルの一つを一息で飲み干す。その脇に、まるでリロード待ちの弾丸のように、様々なカクテルがカラフルな色合いを誇るかのように並べられていく。
「本当よ。あの日は私も“彼”と約束してたんだけどさ……すっぽかされちゃって。で、もしあんたがデート中だったら、ちょっと意地悪してやろうかな、って思っただけで、悪気なんて全然無かったんだから」
「悪気は無かった……ね。…………ふんっ」
 “意地悪”をしておいて、悪気は無かったと言い張る姉に最早突っ込む気も起きず、雪乃は鼻を鳴らしただけでさらにカクテルを煽る。
「……にしても、めずらしいわね。お姉ちゃんが男にデートすっぽかされるなんて、ひょっとして初めてじゃない?」
「そうね……うん。多分、初めてだわ」
 矢紗美はあっさりと肯定し、頷く。
「へぇー……お姉ちゃん、本気でそろそろヤバいんじゃない? いつまでも若くないんだし、早く本命の彼氏見つけないと売れ残っちゃうよ?」
 カクテル片手に、雪乃はいつになく毒を吐く。当然返ってくるであろう姉からの“反撃”に対抗すべく、あれこれと思案を続けるが、矢紗美はただ一言「そうね」とだけ言って、あとは黙ってグラスに口をつけるのみだった。
 そこではたと、雪乃は俄に血の上っていた頭を冷ました。
「……本当にどうしたの? お姉ちゃん。……そういえば、この間もなんか随分落ち着いてたけど……」
 雪乃は思い出す。そう、前回飲みに行った時も、姉の様子はおかしかった。そして、今回も……。
「……うん、ちょっと……ね」
 言葉を濁して、矢紗美はまだジョッキに三分の二ほど残っている生ビールに口をつける。それは入店と同時に一番最初に雪乃の分と一緒に注文したもので、既に表面に浮いた水滴が流れ落ちて久しいそれは恐らく、最早飲めたものではない味になっている事だろう。
「……ねえ、本当に大丈夫? 悩み事とかなら、相談のるわよ?」
 先ほどまで怒り狂っていた事もけろりと忘れて、雪乃はつい親身になってしまう。それほどに、眼前の姉の変貌はただごとではないように思えた。
「……悩み、って程の事じゃないんだけどね」
 照れ笑いを浮かべて、矢紗美はジョッキをテーブルへと下ろし、店員を呼んで下げてもらった。そして店内の喧騒にかき消されそうな小声で、そっと呟いた。
「……私、好きな人……出来たみたい」
「……え゛っ?」
 ぴくりと、雪乃は全身のあらゆる動きを止めた。
「お姉ちゃん、今なんて言ったの?」
「うん……だから…………好きな人、出来たって……」
「……………………。」
 自分が耳にした言葉が信じられなくて、雪乃は驚きとも混乱ともつかぬ顔のまままたしても固まってしまった。
(……好きな人、出来た……って……)
 ぐわぁん、と。こめかみを木槌で小突かれたような気分だった。
(いつも、“既にオトした男”の自慢話しかしなかったお姉ちゃんが……)
 まるで、十代の乙女のような言葉を吐くなんて。
「……ちょっと、自分から聞いといて、そこで黙るのって失礼じゃない?」
「……ご、ごめん……ちょっと、っていうか、ものすごーーーー〜〜〜〜〜く意外だったから…………」
 鳥が飛んだと言われた所で驚きはしないが、猫が飛んだとなれば話は別。まさにそんな気分だった。
「ねえ、お姉ちゃん……どういう事なのか詳しく聞かせて欲しいんだけど」
「……詳しく聞きたいの?」
「当たり前じゃない!」
 世の中に知り合いの色恋沙汰ほど面白い事はそうそう無い。雪乃もまた多分に漏れず野次馬根性全開で矢紗美の話に食いついた。
「……別に、特別話す事なんて無いわ。好きな人が居て、その人にはもう付き合ってる彼女が居て、手が出しづらいっていう、ただそれだけの話」
「何言ってるの! そんなのお姉ちゃんの得意分野じゃない!」
 他の女ならばいざ知らず――と、雪乃は思う。かつて、人が家に連れてきた男友達を一人の例外無く横取りしておいて今更何を言ってるんだこの女は、とさえ。
「……うん、勿論何度か手は出してるんだけどね」
「それで……ダメだったの?」
「……返り討ち」
 つまらなそうに呟いて、矢紗美はひょいと雪乃の脇に並んでいたカクテルの一つを手に取り、無造作にあおる。
「そもそも、最初は別に好きでもなんでもなかったのよ。ただ、“彼”の女っていうのが……ちょっと因縁がある子でさ。生意気に彼氏自慢とかするから、だったら一つ寝取ってやろうかな、って最初はほんの軽い気持ちだったの」
「ふんふん……それで?」
 ずずいっ、とテーブルに身を乗り出すようにして、雪乃は先を促す。
「その“彼”、“彼女”の前じゃ猫被ってるクセに、実はとんでもないケダモノでさ。信じられる? 鉄の鎖引きちぎったりするのよ?」
「鉄の鎖を……?」
 一体全体どういうシチュエーションで鉄の鎖が必要だったのかは解らないが、とりあえず雪乃の中で矢紗美の相手の男は大人しいゴリラのような風貌の男に差し替えられた。
「最初は“彼女”を裏切れないなんて言ってゴネてたクセに、いざ事を始めたらノリノリでさ。年下の癖に、私にあれこれ命令したりして……生意気だから、絶対虜にして、私から離れられない体にして、服従させてやるって……最初は思ったわ……」
「……そういう発想をするのが、やっぱりお姉ちゃんだよね」
 呆れるような、関心するような複雑な気分だった。
「でも、結局いつも下手に出て、いいようにされるのは私の方。それが悔しくて、またちょっかい出して……だけど結果は同じ。普段は普通っぽいのに、エッチの時だけ妙に意地悪になったりして……そのくせ、ちょっと泣くフリとかしてみせると、別人みたいに優しくしてくれたりして……それがクセになっちゃいそうなくらい良くって……」
 おや、と。雪乃は思わざるをえなかった。
(なんか……ノロケ入ってきた……?)
 むず痒いような、それでいて決して心地よくないものがムズムズと首を擡げてくるのを堪えながら、雪乃は矢紗美の言葉に耳を傾け続ける。
「結局の所さ……私って今まで……本気で男を好きになった事なんて一度も無かったのよね。誰も彼もちょっと話を合わせてやって、そして体でオトせばすぐ言いなりになるような奴ばかり。……だから、“彼”にはっきり貴方みたいな女は大嫌いって言われたとき……もの凄くショックだったわ」
 はふぅ、と遠い目をしながらため息をつく姉の姿など、雪乃は今までの人生の中で一度たりとも見たことが無かった。
「もの凄くショックで、こうなったら意地でも惚れさせてやるって……気がついたら“彼”の事ばかり考えるようになってたわ。……そして、“彼”と何度も会って、抱かれるたびに……もう離れられない、って思った」
「……それ、私もちょっと解るなぁ…………」
 最初はそれこそ“なんとなく”であった月彦との関係だったが、いつしか雪乃の中でかけがえのないものへと変わっていった。その切っ掛けの一つが月彦とのセックスである事は、雪乃には否定できなかった。
「それで、どうするの? お姉ちゃん。その“彼”の事、諦めちゃうの?」
 それは、とても姉らしくない発想だと雪乃は思う。そう、自分の知っている雛森矢紗美ならば――。
「まさか」
 一も二もなく、矢紗美は小さく首を振った。
「絶対諦めないわよ」
「だよね、やっぱり」
 うん、と雪乃は頷き、徐に矢紗美の手を握りしめる。
「がんばって、お姉ちゃん!」
「……雪乃?」
 妹からの激励が余程意外だったのか、矢紗美はきょとんと目を丸くする。
「その人の事、本当に好きなんでしょ? だったら振り向いてくれるまで頑張らなきゃ! 私も応援するから!」
「本当? 本当に応援してくれる?」
「当たり前じゃない!」
 弱々しくではあるが、矢紗美から手を握られ、雪乃はさらに強く握り返した。
「私、思うの。今まで何度もお姉ちゃんに男の子横取りされたけどさ、それって結局、私がちゃんと捕まえておけなかったからじゃないのかって。本当にお互いの事が好きなら、他の女からどんな誘惑されたって、絶対靡いたりしない筈だもの」
 少なくとも、自分はそうであると雪乃は思っていた。例えどんな――極端な例を挙げれば、一国の主であり莫大な権力を持ち、さらに容姿も魅力的で性格にも欠点は無し、そんな夢のような男性に熱烈に口説かれたとしても、自分は決して唇一つ許す気はないと。
 そしてきっと、紺崎月彦もまたそうに違いないと――そう確信していた。
「それに、その“彼”って、お姉ちゃんの事嫌いだとか言いながら、結局エッチしたりしてるんでしょ? それって絶対脈アリだって!」
「……そう、ね。私も、脈がないとは思ってないわ。相手の女にだって、身長とスタイルの良さ以外は何一つ負けてる筈がないって思うもの」
「お姉ちゃんって、料理とかも得意だもんね。……案外、手料理とか作ってあげたらコロッと靡いてくれたりして」
 ふふふと微笑みながら、雪乃は最後の弾丸ないし、最後のカクテルを口に含む。あれ程渦巻いていた姉への怒りは何処へやら、すっかり“恋する乙女”を応援するキューピッドのような気分になっていた。
「お姉ちゃん、もし私に何か手伝える事があったら、何でも言ってね。…………その代わり、その“彼”を本物の彼氏にした時は、ちゃんと紹介してね?」
「解ったわ、雪乃。その時はいの一番にあんたに見せて、自慢してあげる」
「うん、楽しみにしてるからね、お姉ちゃん」
 無論、姉の微笑の真意など、雪乃は知るべくも無かった。

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