思い返せば、最初から“違和感”はあった。
 そもそも、朝の登校途中に見知らぬ相手から声をかけられる事自体希ならば、そのまま人気のない路地裏まで誘われるなど、彼の十年そこそこの人生経験においては皆無な出来事だった。
 知らない人に誘われてもついていってはいけない――それは、彼の年代の子供ならば誰しも耳にした事がある言葉だ。
 無論、彼も特別愚かしい自覚はなく、そのように知らない相手から声をかけられても当然拒絶する筈だった。
 ――声をかけてきた相手が、“そういった輩”を取り締まる事が仕事の――所謂婦警でさえなかったら。
「ン…………!?」
 路地裏へと連れて行かれ、わけのわからないうちに唇を奪われた。それはさながら、海藻かなにかに擬態していた魚に一瞬にして飲み込まれた小魚のような心持ちだった。
 “相手の女”はそういった虚を突く事に酷く長けているようだった。
「くす……キスしたの、初めて?」
 女はぺろりと、耳を舐めるような声で囁いてくる。
 一体いつキスをされて、そしていつ唇が離れたのか。突然の出来事のあまりの衝撃にそれすら判断が付かなかった。
 半ばパニックになりながらも、それでも聞かれた事には答えねばならないという良識から、彼は辛くも頷く。
 くすりと。眼前の女が笑う。
「んくっ……!」
 再び、キス。――否、それは彼の知識の中にあるキスとはあまりに違っていた。もっとずっとねちっこい――脳を直接舌で愛でられているような不思議な感覚だった。
「ねぇ、キミ……いくつ?」
 キスが終わるなり、膝から力が抜けて崩れ落ちそうになる。それでも背中を壁に預けることでなんとか耐え、眼前の女を見上げる。
 女も、決して大柄というわけではない。成人女性としては、むしろ背が低い方ではないか。しかしそれでも、彼よりは頭一つは余裕で大きかった。
「じゅういち……です……」
「十一才かぁ……じゃあ小五、六って所かな?」
 一体何が愉快なのか、女はくすくすと鼻で笑いながら首を、頬をなで回してくる。その手が徐々に、彼の大事な場所へと。
「うぁっ……!」
 蛇のような手がついと股間を撫でるなり、ついそんな声を上げてしまう。女が人差し指を立てて、しぃ……と言った。
「大きな声を出しちゃだめ。……解った?」
 すり、すりとズボンの上から股間を撫でられながら、そんな事を囁かれる。その巧みな指使いに、次第につま先立ちになり、まるで股間を女の方に差し出すように体を反らせてしまう。
 自分の体が何故そうなってしまうのか、無論彼には理解できなかった。他人の手によって己の体が勝手に操作されてしまうのは恐怖ではあったが――しかし、それ以上の“何か”が彼に大声を出す事を躊躇わせた。
「オナニーって、知ってる?」
 さわ、さわ。
 股間を撫でながらの囁きは、悪魔のそれのような甘美な響きだった。
 彼は無言で小さく、首を縦に振った。
「そう、じゃあ……自分でシた事は?」
 今度は、首を横に振る。
「無いの? ホントに?」
「……っ……ぅ、ぁ、あ!」
 指が。まるで本音を探るように。ズボンの下で強張っているものの根本から先までを撫でてくる。
 彼は必死に、首を縦に振った。
「ふぅん……ウブなんだ。じゃあ、今日は特別に……お姉さんが“オナニー”の良さを教えてあげる」
 壁の方を向いて手をついて――囁かれるままに、彼は壁の方を向き、両手をついた。その背後から女が抱きつくようにして、かちゃかちゃとズボンの前を開く。
 ずい、と。堅くそそり立った股間が顔を出した瞬間、さすがに彼は怯えるように背後を見たが、心の内では既に抵抗は無意味だと悟っていた。
 相手は絶対的な捕食者で、自分は無力な雛に過ぎないのだと。なにより、体が――生まれて初めて与えられる“快感”というものの虜になりはじめていた。
「ぅ、ぁ、ぁ……!」
 露出した性器が、女の手によって嬲られる。その都度、腰が勝手にくい、くいと前後に動いてしまい、それが女の嘲笑を買った。
「ねぇ……気持ちいい?」
 性器を弄ることで、女の方も興奮しているのか。女の吐息は先ほどより幾分荒々しかった。
「ほら、ちゃんと答えて?」
「うぁあっ! あっ!」
 にゅりっ、と先端部を弄られて、途端に素っ頓狂な声が出てしまう。彼は咄嗟に路地裏の出口――大通りの方へと目をやった。そこには――僅かな隙間からだが――確かに、往来する人の姿がちらほらと見えた。
「ちゃんと言わないと……続きしてあげないよ?」
「っっ……いい、です……気持ち、いい……ですっぅ……ぅあっ……!」
 れろり、と首筋を舐められ、全身がびくんと震える。くすくす……耳の後ろの嘲笑がますます大きくなる。
 にゅり、にゅりと蠢く女の手。その手に絡みついているぬろぬろとした液は、どうやら自分の性器から出ているらしかった。
「ほら……もっと自分で腰を動かして、私の手に擦りつけるようにして? そう、上手よ…………だんだんオチンチンが熱くなってきたでしょ?」
 女の巧みな愛撫に導かれて、透明な液がどんどん溢れてくる。それに応じて――女の言う通り――熱い塊が溜まっていくのが解った。
「っ……ぁっ……やっ……な、っ……か、変っ……です…………もう、やめっ……て……くださっ…………ッ……」
 恐い――と。
 彼はここにきて初めて思った。恐い――このまま続けられたら、何か凄いことが自分の体に起きてしまいそうで。
 しかし。
「だぁめ。……キミがどんな顔で、どんな可愛い声を上げてイくのか、見たいもの」
 女の返事は無情。にゅり、にゅりと性器を弄る手はよどみなく。確実に彼を高みへと押し上げていく。
「あっ、ぅあっ……やっ、やめっ……あっ……あっ……あううぅぅ!!!!」
 どくんっ!
 心臓が裏返ったかと思うような衝撃と共に、全身を稲妻が貫いた。同時に、何か熱いものがとてつもない勢いで射出され、ぴちゃりと壁に張り付いた。
「あっ! あっ!」
 それは一度では止まらず、びゅっ、びゅっ……と立て続けに三度ほど続いた。忽ち全身を覆う脱力感に、彼の膝は完全に力を失い、ずるずるとその場に座り込んでしまった。
「ぁ、ぁ……ぁ……」
 びく、びくと。体が不自然な痙攣を繰り返すも、白濁とした思考では一体何が起きたのかまったく解らなかった。ただ、虚ろな――それでいて、完全に骨抜きにされた目で、うっとりと、眼前の捕食者を見上げるのみだった。
「なっ……ちょ……矢紗美さん! 何やってんですか!!!」
 そして彼は、朦朧とした意識の中で、そんな男の叫び声を聞いた気がした。
 


 

『キツネツキ』

第二十二話

 

 



「あっ、紺崎クン、おひさ〜」
 月彦の方を振り返るなり、矢紗美はけろりとした顔で挨拶を返してくる。
「おひさ〜、じゃないですよ! 一体これはどういうことですか!!」
 どういうこと、もなにも。何があったのかは状況が全てを物語っていた。
 人気のない路地裏。ズボンの前だけをはだけさせ、己が出した精液で服が汚れるのも構わずその場に脱力して座る、目の虚ろな美形の少年。そしてその場に――好色淫乱な婦警が居れば。
「紺崎クン待ってる間暇だったからさー、つい、ね」
「つい、じゃないですよ! これって立派な犯罪ですよ!?」
「だーいじょうぶ。“被害者”が存在しなきゃ犯罪なんて成立しないんだから」
 とても公僕の台詞とは思えないことを言いながら、矢紗美はぺろりと己の指を舐める。そして、脱力して座り込んでいる少年の方へと唇を寄せ、ぼしょぼしょと何事かを囁き始めた。
「ほら、この子もちゃーんと誰にも言わないって約束してくれたし」
「……言えるわけ、ないじゃないですか」
 似たような目に遭った経験のある月彦としては同情を禁じ得ない。
(……でも、あの子の目は……)
 虚ろではあるが、最早完全に矢紗美の虜と化してしまっている目に見えた。
(純真そうな子なのに……悪魔の手管で虜にされちゃったか……)
 可哀相だがああなってしまっては手遅れ。合掌――月彦は己の無力を少しだけ嘆いた。
「まあまあ、こんな所で立ち話も何だから――」
 そう言う矢紗美に手を引かれるようにして――茫然自失としている少年を複雑な心境で置き去りにしながら――月彦は表通りに止めてあったパトカーの側へと連れてこられた。
「さあ、乗って」
「……どうしてですか。俺、これから学校なんですけど」
「署に戻るついでに送ってあげる。積もる話は車の中で、ね?」
 “この間の事”とか――矢紗美はぺろりと舌を出し、赤い唇を舐める。
「……遠慮します」
 自ら後部座席のドアを開け、乗れと急かしてくる矢紗美を侮蔑と疑惑の目で睨みつつ、常に一定の距離を保つ事も忘れない。
 眼前の女性が、体躯に似合わず強引な手段にも長けている事を経験から知っているからだ。
(ていうか、本当に婦警だったんだな……)
 制服姿は“意外”にも似合っていた。この格好で声をかけられたら、純朴な小学生などは疑いも持たずに路地裏へと連れ込まれる事だろう。
(一体……どういうつもりなんだ……?)
 そもそもの発端は、登校途中。突然若い警官に声をかけられ、任意同行を求められたことだった。理由を尋ねても教えては貰えず、やむなく真央を一人で学校へと行かせ、自分は警官の指示に従い――言われた通りの場所で、矢紗美に出会ったのだった。
(ってことは、あの人と矢紗美さんはグル……なのか?)
 年は随分若い様だったから、上司と部下なのかもしれない。或いは――あまり考えたくはないが、それ以外の関係なのかもしれない。
(兎も角、ここは……誘いにのっちゃダメだ)
 矢紗美の狙いが何であれ、それが自分にとって不幸しか呼ばないであろうことは安易に想像できるからだ。
「……この間の事、先生に黙っててくれたのは感謝します。じゃあ、俺は学校がありますから」
 そもそも矢紗美が手を出して来なければ“あのような事”になることもなかったのだから、感謝をするのも変な話だった。
「……いいの? 本当に。乗らなくて」
 パトカーの屋根に両手を重ね、さらに顎を乗せてにやにやと余裕の笑みを浮かべる矢紗美の言葉に、踵を返した月彦の足は止まった。
「……どういう意味ですか?」
「私の話、ちゃーんと聞かないと、紺崎クン絶対後悔すると思うんだけどなぁ」
「大事な話なら、この場で、手短にお願いします」
「だぁめ。乗ってくんなきゃ、絶対言わない」
「……くっ」
 唇を噛みながら、月彦は逡巡する。
(やっぱり、姉妹だな――やり口がそっくりだ……)
 違いを言うならば、雪乃の方にはまだ可愛げらしいものがあるが、矢紗美の方は――。
(ブラフ……だと、思いたい……けど……)
 もし矢紗美がその気になれば、この間の夜に起きた事をあること無いこと雪乃に吹き込むという事も可能だろう。雪乃がそれを信じるか信じないかは兎も角として、厄介な展開になることだけは間違いない。
(仕方ない……ここは、大人しく言うとおりにするか……)
 固辞したところで、事態が好転するとは思えなかった。
「……解りました。話をする……だけですよ?」
 月彦は渋々……本当に渋々、パトカーの後部座席へと乗り込んだ。それを確認してから、矢紗美もまた運転席へと座る。
(……なんとか、“このパターン”から抜け出す方法を考えないとな……)
 そうでなければ、自分はこれからも雛森姉妹の罠にかかり続ける事だろう――月彦のそんな思案をあざ笑うかの様に、車は軽快な音を立てて発進した。


 



「紺崎クン、最近雪乃とはどうなの?」
「どう……って、別に普通ですよ」
 外見はパトカーとはいえ、乗車してしまえば多少の内装の違いはあれど、乗用車とそれほど変わるというわけではない。とはいえ、物珍しくないわけでもなく、そこかしこに目を走らせながらも、月彦は決して緊張は緩めなかった。
「ちゃんとヤッてる?」
「…………黙秘します」
 俺は貴方には気を許してません――言外にそう含める様に、月彦は毅然とした態度を取る。
「紺崎クンって普段は結構素っ気ないんだ。“この間”は雪乃の前だから口数も多かったのかな?」
「……矢紗美さんが相手だからです。それより、さっき言ってた“聞かないと後悔する話”って何ですか?」
「あー、それねー。まあ良いじゃない。焦らなくてもそのうち話すわよ」
 くつくつと、まるでどこかの女狐の様に笑う。
(……この人、尻尾でも隠してるんじゃないのか……)
 過去の経験から、ついついそんな事を疑ってしまう。
「……ちょっと、矢紗美さん。そこ、右に曲がらないとうちの高校へは――ってああ!」
「え? あら……道間違っちゃった?」
 月彦が指した方向とは真逆に左折しながら、矢紗美はぺろりと舌を出す。
「雪乃の学校とか行ったことないからさー、紺崎クンがちゃんと道言ってくれないとダメじゃない」
「……道も知らないのに送っていくとか言ったんですか」
 月彦は奇妙な既視感を覚え、目を瞑って眉間に指を当てる。そして思う――やっぱり姉妹だ、と。
「……とりあえず、どこかで戻って下さい。このままじゃ遅刻になるじゃないですか」
「って言ってもこの道一通だから戻れないのよねぇ。まぁまぁ、遅れた時はお姉さんがちゃんと口添えしてあげるからドンと構えてなさい」
「……そういう問題じゃないと思うんですけど」
 と言いつつも、まがりなりにも婦警が事情を説明してくれるというのであれば、確かに遅刻にはならないだろうと月彦は少しだけ安堵した。
(ん……待てよ……?)
 そこではたと、月彦は奇妙な事に気がついた。
「……ふと思ったんですけど、矢紗美さんってこれから出勤じゃないんですか?」
「ん? どうして?」
「いや、普通は出勤してから着替えるものなんじゃないかなーって……あれ、でもパトカーに乗ってるってことは……」
「ああ、夜勤明けなの。……って言ってもちょっと特別な夜勤だけど」
「はぁ……そうなんですか」
 ここは深く聞かないのが吉――月彦の直感がそう告げていた。
「普通は交番勤務の連中くらいしか夜勤やらないんだけどね〜。署長がどうしても〜ってゴネるからさ〜」
 しかし、聞きたくなくても勝手に喋られてはどうしようもなかった。
「ああ、でも大丈夫よ? ヤらせたわけじゃないから。ほら、私って雪乃と一緒で紺崎クン一筋だし」
「話半分に聞いておきます。……あ、矢紗美さん、そこ左に曲がったら戻れますよ」
「えっ、どこどこ?」
 と、喋っている間に車はするりと交差点を抜けてしまう。
「どこって……矢紗美さん、今目の前に交差点あったじゃないですか!」
「ごめーん、話に夢中だったし、でもそんな急に言われてもさ〜。急ハンドルは事故の元だしぃ」
「交差点までたっぷり二百メートルはありましたよ!」
「そうだっけ? でも車に乗ってると二百メートルなんてあっという間よ?」
 かんらかんらと笑いながらも、車はどんどん学校とは真逆の方向へと走っていく。ここに来て漸く、さすがの月彦も何か変だと思い始めた。
「……矢紗美さん。まさか、とは思いますけど……態とですか?」
「んー、何が?」
「何が、じゃないです。俺を一体どこに連れて行くつもりですか」
「何処って、最初に言ったじゃない。“署に戻る”って」
「戻るついでに送る、って言うから、俺は乗ったんですよ?!」
「だってぇ、そう言わないと紺崎クン絶対乗ってくれないでしょ?」
「当たり前です!……というより、それでも乗りたくはなかったですけど」
「紺崎クン、私ね」
 と、矢紗美は珍しく真面目な顔でルームミラー越しに見据えてくる。
「今まで、いろんな男の子と付き合ってきたけど、正直“あんな目”に遭わされたのは生まれて初めてだったの」
「……それは……い、言っておきますけど、矢紗美さんにも責任はあるんですからね?」
 そう、自分はあくまで被害者であって、正当防衛をしたに過ぎない――と、月彦は主張する。
「まあ、そうは言ってもそれなりに気持ちよかったし、楽しめもしたんだけど。やっぱり年下にいいようにされたっていうのが悔しくって。雪乃には悪いけど……きっちり“お礼”しておこうかなって思ったわけ」
「お礼……?」
 言葉の意味とは裏腹に、凄まじく嫌な予感が月彦の脳裏をよぎった。
「紺崎クン、私……“署に戻るついでに送る”とは言ったけど、学校に、とは一言も言ってないわよ? 私はあくまで、“留置場に”って意味で言ってたんだけど」
「なっ……」
「罪状はそうねー、登校途中、路地裏で少年に淫らな行為を行っていた所を現行犯逮捕って事で。ついでに過去の婦女暴行もおまけに付けちゃおうかな」
「……ちょ、何言ってるんですか! アレは矢紗美さんが……」
「でも不思議な事に、あの子の証言では紺崎クンに襲われた事になっちゃうのよねぇ、何故か」
「……矢紗美さん、正気ですか」
「あら、私は正気だし、本気だけど? それに言ったじゃない。“紺崎クンがちゃんと我慢できなかったら、どんな手を使ってでも雪乃と別れさせる”って」
「……っ……それはっ……!」
「さすがにあの子も、紺崎クンにショタの性癖があるなんて知ったら、百年の恋も冷めるでしょ?」
 だからって――その呟きは、掠れて声にならなかった。
 物言いこそあっけらかんとしているが、矢紗美から向けられる視線、発せられる空気はまさしく犯罪者に対するそれだった。
(本気で……俺を犯罪者にする気……なのか……?)
 確かに、矢紗美ならやりかねないと思えた。屈折した姉妹愛と男を食い物くらいにしか思っていないこの女ならば、己の雪辱を晴らす為にそのくらいの事は。
「でも、私も鬼じゃないから、紺崎クンに最後のチャンスを与えてあげる」
「……俺に、どうしろって言うんですか」
「あら、分かり切ってるじゃない。雪乃と別れて、私のものになるって誓えばいいのよ」
「……嫌です」
 雪乃と別れるのは兎も角として、矢紗美の所有物に成り下がるのだけは我慢がならなかった。
「随分即答なのね。もっとよく考えて返事したほうがいいわよ? 紺崎クンの人生がかかってるんだから」
「前にも言った通り、何と言われても俺は先生とは別れませんし、矢紗美さんのモノになる気もありません」
 “この手の女”には絶対に屈しない――月彦には譲る気など、微塵も無かった。
「……ふぅん、そこまで雪乃のコトが好きなんだ」
 忌々しくも嬉しい――そんな笑みを矢紗美が浮かべる。
「これだけ脅しても折れないって事は、本当の本当に雪乃の体だけが目的で付き合ってるわけじゃあ無いみたいね」
 ふっ……と。唐突に車内の空気が弛緩するのを、月彦は感じた。
「……どういう意味ですか?」
「やーねぇ、紺崎クン。そんなに恐い顔しないで、さっき言ったのはほんの冗談よ」
「……いきなり冤罪で留置場送りにされそうになって、笑顔で居られる人なんてそうそう居ないと思いますけど」
 ルームミラー越しにじろりと睨み付けるが、肝心の矢紗美の方は何処吹く風。月彦は大きくため息をついた。
(冗談がシャレになってないんだよな……矢紗美さんの場合)
 まさに、“矢紗美ならばやりかねない”といった話の内容に加えてあの演技。自分で無くても引っかかるだろう、と月彦は思う。
(……案外、本気だったんじゃないのかな)
 もし雪乃を捨てる――そういった答えを口にしていた場合、本当に留置場に入れられていたのではないか。――過ぎたことを思案しても詮ないことなのだが。
「……とにかく、早く車を戻して下さい。さっきからどんどん遠ざかってるじゃないですか!」
「当たり前よ。態と遠ざかってるんだもの」
 それは、月彦もうすうす感じていた事だった。
「もう、紺崎クンったらほんと鈍いんだから。はっきりと“学校なんかサボってお姉さんとエッチしない?”って言ってあげなきゃわからないの?」
「なっ……じょ、冗談じゃないですよ! どうして俺が学校サボってまでそんなことしなきゃいけないんですか!」
「嫌がってるフリなんかして、本当は嬉しくてたまらないクセに。照れてる紺崎クンも可愛いから許してあげるけど」
 ダメだ、この人……早くなんとかしないと――月彦は頭を抱えた。
(なんでこんな風になっちゃったんだ……誰も叱る人は居なかったのか……)
 そうして月彦が言葉を失っている間にも車は進み、とうとう見覚えのある景色を経て――矢紗美のマンションの地下駐車場へと入っていく。
「さぁ、ついたわよ、紺崎クン。愛の巣に」
 鼻歌交じりにシートベルトを外す矢紗美に突っ込む気力すら、月彦には残っていなかった。
「……俺は徒歩で帰ります」
 項垂れ気味に後部ドアを開け、外に出ようとするも――しかし、開かない。
「残念。こっちでロックを外してあげないと、内側からは開かないのよねぇ……フフフ」
「じゃあ、外して下さい」
「だぁめ、外してあげない」
 猫が追いつめた鼠に見せるような――そんな笑みを見せて、矢紗美はするりと、運転席から後部座席へと移ってくる。
「ちょっ、矢紗美さん……正気ですか! こんな朝っぱらから、しかもこんな目立つ所で、よりにもよってパトカーの中でって……!」
「だってぇ……紺崎クン外に出したら逃げられちゃいそうだし。ここでするしかないじゃない?」
「逃げません! 逃げませんから、外に出して下さい!」
 狭い後部座席では逃げ場など無いに等しい。そんな中、ぴたぁ……と矢紗美に密着され、首筋に吐息を吹きかけられながらも、月彦は必死に平静を保つ。
「“絶対逃げないから外に出してくれ”――容疑者にそんなコト言われて、鵜呑みにしてたら世間は脱獄者であふれかえっちゃうわ」
 フーッ、と耳元に息をかけられ、月彦はうわずった声を上げてしまう。
「だいたい、どうして俺なんですか? 矢紗美さんにはいくらでもボーイフレンドが居るんじゃないんですか?」
「しょうがないじゃない。紺崎クンのチンポ欲しくなっちゃったんだから」
 全然しょうがなくない、と月彦は思う。
「それにさぁ……紺崎クンとシてから、なんだかずっと欲求不満なの。病みつきになっちゃったみたい」
 だから、責任とって――囁きながら、矢紗美の手は股間を撫でつけ、ジッパーを下ろして蛇のように侵入してくる。
「せ、責任って……そんなの、俺のせいじゃ……っ……」
「人をあんなに……ケダモノみたいに犯しておいて、どの口で言ってるの? クセになっちゃうくらい、何度も何度も中出しして、ドロッドロの濃いの塗りつけまくったクセに」
「そ、それはっっ……」
「ほら、もう大きくなってきた。紺崎クンだってシたいんでしょ?」
 矢紗美の手に導かれるようにして、ぐんと天を仰いだ肉柱がジッパーの合間から顔を覗かせる。
「ダメ、ですよ矢紗美さん……こんな所、もし人に見られたら……」
「いいじゃない。スリルがあったほうが燃えるでしょ? 紺崎クンも」
「お、俺は矢紗美さんとは違います! っ……ぁ……ほ、本当に止めて下さい……こんな……」
「紺崎クン、人生何事も経験よ? “パトカーの中で婦警さんと”なんて、イメクラに通ったって滅多に体験できる事じゃないんだから」
 別にそんな人生経験は要らない――そんな月彦の言葉は、完全にうわずった声へと変わった。
「っ……矢紗美、さんっ……!」
 歯を食いしばりながら、月彦は矢紗美を睨み付ける。――が、そんな呟きも矢紗美の耳には届いておらず、その目も、完全に月彦の顔からは外れていた。
「あぁぁ……コレぇえ……コレが欲しかったのぉ……んぷっ……んぐっ……!」
 鼻息荒く、うっとりと目を細めた矢紗美が剛直にしゃぶりつく。途端、稲妻のような快感が走り、仰け反った拍子に月彦は後部ドアのガラスで後頭部を強打した。
「あらあら、狭いんだから気を付けなきゃだめよ? んっ……んく、んっ……」
 悪戯っぽく笑って、矢紗美は再び口戯を再開する。その舌使いはさすが――としか言いようがなく、月彦はもう軽口を叩く余裕も無かった。
(……なんで、こんな事になってんだ……)
 自分はいつものように家を出て、そして学校へ行くハズだった。それなのに、何故こんな事に。
(やっぱり……逃げるべきだった……のか……?)
 矢紗美に何を言われようと耳を貸さず、一目散に逃げるべきだったのだろうか。こうなってしまった今となっては、それこそ最善の手だったように思えてくるのだが。
「はむ、んぷ……んっ……ねぇ、紺崎クン……私も……欲しいぃ……」
 濡れた目で見上げ、ねっとりと絡みつくような視線で訴えかけてくる。訴えながら、矢紗美は既に自らスカートとタイツ、下着を脱ぎ、足首の辺りまで下ろしてしまっていた。
「ねぇ、いいでしょぉ? 紺崎クンの麻薬チンポ欲しくて堪らないのぉ」
「ま、麻薬って……人の体の一部に物騒な単語くっつけないでもらえますか……」
「どうしてぇ? だって本当のコトじゃない」
 はぁ、はぁと息を荒げながら、矢紗美は月彦の足を跨ぐようにして被さってくる。
「や、やめて……下さい……俺は、矢紗美さんとは……」
 月彦は最後の理性を振り絞り、矢紗美の尻を掴むようにして腰を下ろさせない様にする。
「んもぅ、紺崎クンったら本当にカタいんだから。ここまでしちゃってるんだから、もう流されちゃえばいいのに」
「だ、だったら……せめて、避妊を……スキンを、つけます、から……っ」
「だぁめ、ナマが良いのぉ」
 矢紗美は強引に腰を下ろし、剛直の竿部分ににゅり、にゅりと恥蜜を塗りつけてくる。
「ほらぁ、紺崎クンだって、ナマの方が良いでしょ?」
「で、でも……うぁっ……!」
 にゅり、にゅりと動いていた矢紗美の秘裂が剛直の先端へと宛われ、にゅぷっ、と先端部が軽く埋められる。
「あはぁあっ……んっ……ぁっ、熱くて……おっきぃ……んんンぁあ!」
 痺れるような快感に、矢紗美の腰の落下を拒んでいた手の力が緩んだ。刹那、剛直が一気に飲み込まれる。
「あぁ……どぉ? 紺崎クン……私のナカ……緩い?」
 はあ、ふぅ――呼吸を整えながら、今にも唇が触れそうな距離での問いかけ。
「ッ……緩い、わけが……く、はっ――」
 ただでさえ、体格の小さい矢紗美の中は狭く、そのうえ雑巾搾りでもかけられているように強烈に締め付けられ、迂闊に口を開けば間抜けな喘ぎ声が出てしまいそうだった。
「そう? 良かった……前に紺崎クンに緩いって言われてから、徹底的に下半身を鍛えたんだから」
「あ、アレは……くっぅ……」
 ただの出任せ、矢紗美に屈辱感を与える為だけの嘘だった等と、今更言えるハズもなく。
「は……ァン……んもぅ、紺崎クンの……本当に、太くて……ンッ……奥に、ズンッ……って来る……ダメ、全部は……入らない……」
「ッ……矢紗美、さんの中も……すっげぇ狭くて……俺、もうかなり、ヤバいです……」
 そう、確かに狭い。しかし“ヤバい”のは、それだけが原因では無かった。
(悔しいけど……矢紗美さんの格好、エロすぎる……)
 下半身だけ裸の婦警服という、普段は絶対に目にしないマニアックなコスチュームに、否が応にも興奮がかき立てられるのだ。
 既に、月彦の意志とは無関係に――本来ならば矢紗美の行為を止めるために宛われた――その手が、肉欲丸出しの手つきで矢紗美の尻を撫でつけ始めていた。
「んンッ……散々嫌だ、嫌だってゴネたクセに……やっぱり紺崎クンもエッチ好きなんだ?」
「……嫌いでないのは、認めます……」
 それを認める事は、恥でも何でもない。むしろ、年頃の健全な男子であれば、セックスが嫌いな方が異常だろう。
 ただ、問題は“相手”だ。
(相手は、誰でもいいってわけじゃ……ない……それ、なのに……)
 頭ではそう思っても、体の方が反応してしまう。そしてやがて――体の方に、思考までが引きずられる。
「あっ、あっ、ン……! あっ、あぁっ、ぁっ……やっ、だめっ……声、でちゃうっ……んっ……!」
 両手を月彦の肩に置き、徐々に腰を使い始める。限られたスペース内で巧みに上下左右に腰をくねらせ、強烈な締め付けも相まって矢紗美の中で剛直が撓る。
「っ……い、嫌なら……いつでも止めていいんですよ? 矢紗美さん……」
「やぁっ……止めちゃ、だめぇっ……もっと、欲しいぃ……ンッ!」
 矢紗美の動きが激しいものになるにつれ、その反動でぎしぎしと車が揺れる。外から見れば、さぞかし不審な動きに見える事だろう――しかし、車内で絡み合う二匹のケダモノには、その様な危惧は念頭にすら浮かばない。
「はぁ、はぁ……くっ、そ……!」
 矢紗美の巧みな腰使いに、マグロに徹していた月彦も次第に焚きつけられる。
「あっ、うンッ! やっ、紺崎クンっ……あっ、あぁっ、そんなっ……んんっ! あっ、ひぐぅうッ!!」
 矢紗美の尻を掴み、強引に腰を落とさせてぐりゅ、ぐりゅと先端を膣奥に擦りつける。それが、反撃の合図だった。
「ひぁぁっぁぁ……だめっ、ぇっ……おくっ……おくっはぁっ……ぁっ、んぁぁああっ……腰、がくがくってなっちゃう……ひぅうう!!」
 背を反らせながら、月彦の首に腕を絡めるようにして矢紗美が喘ぐ。しかし、月彦には容赦をする気は微塵もない。もともと矢紗美が誘いを持ちかけ、始めたことなのだ。
「ほら、どうしたんですか? 矢紗美さん。自分でも動いてくださいよ」
 ひぃ、ひぃと肩で息をしている矢紗美に意地悪く囁きかける。そして――矢紗美が何か言おうと口を開きかけると。
「ふぃぃいっ!! ひぁっ、やあっ、らめっ、そこっ……んあっ、あっああああ!!」
 ずんっ、ずんと車が軋む程に強く突き上げる。何度も、何度も。矢紗美が爪を立ててこようが、大声で喚こうが知ったことではなかった。
「はひぃぃっぃっ……奥っ……おくっ、おくっ……おくぅうっ……奥っいい……奥もっとシてぇえっ……ああぁっ、あンっ……あっ、あっああぁあっあっあぁああアあああ!!」
「こんな感じ……ですか?」
 矢紗美の要求通りに、執拗に“奥”を小突き、擦りつける。時折、一際強く爪を立ててくるのは必死に快感を堪えているからなのか、それとも小刻みにイッているからなのか。
(後者っぽいな……きゅっ、きゅって強く締めてくる……)
 その収縮がなんとも心地よく、次第に月彦の方まで息が荒くなってくる。
「はァー……はァー……紺崎クン……イきそう?」
 そして“それ”を見抜く辺りは、さすが場慣れをしていると、思わざるを得ない。
「いい、よ……そのまま、奥で……ンッ……出して、いいから……ああ、ぁっ……んっ! それ、でっ……私、もっ……んン!」
「っ……くっ……“奥で出していい”じゃなくて、……“奥に欲しい”の間違い、じゃ……ないんですか?」
 それは、月彦なりの精一杯の強がり、虚勢、イきそうであることを見抜かれた悔しさを誤魔化す、せめてもの反撃だった。
 そしてまた、矢紗美が反論をしようとすると――。
「ふぁっ、あっ、あうううっう!! んっ、あっ、やっ、激しっ……過ぎっ……あっ、ぃぃっ!」
 矢紗美の尻に爪をたてるようにして上下に揺さぶり、さらに自らも腰を突き上げる。
「……ッ……限界、です。矢紗美さん……ッ……!」
 どくんっ――!
 特濃の白濁がせり上がるのを感じたその刹那、月彦は最後の理性を振り絞って矢紗美の体を持ち上げ、剛直を引き抜いた。
「きゃっ……!?」
 矢紗美がそんな悲鳴を上げたのは、突然引き抜かれたからか。それとも、抜かれた瞬間、縦一直線に白濁の閃光が走ったからか。
 びゅるっ、びゅ、びゅっ……剛直が脈動し、その都度、矢紗美の服に白濁の塊が付着していく。
「やだ……どうして抜いたの……?」
 至極不満そうな矢紗美の声。その頬にもべっとりと白濁がこびりついていた。
「さすがに、中出しはマズイ、ですよ……矢紗美さん」
「……この前は避妊の“ひ”の字も口にしなかったクセにぃ……空気読まない子は嫌われるわよ? 紺崎クン」
 それに、と矢紗美は自分の服と、天井を指さす。
「制服にかけられたり、車内汚される方がもっと困るんだけど?」
「す、すみません……」
 矢紗美の制服を盛大に汚してしまったのは瞭然。さらに見れば、天井にもべっとりと白濁の液体が張り付き、とろり、とろりと矢紗美の髪に垂れかかっていた。
「悪いことをした、って思うんだったら……ちゃんと“償い”をしなきゃね。紺崎クン?」
「……ちゃんと綺麗にしろ……って事ですか?」
「違うでしょ? “部屋で続き”。……ね?」
 月彦は、大きくため息をついた。

 



「ねぇ、ほら……紺崎クン、早くゥ」
 部屋に戻るなりベッドへ直行、汚れた制服を脱ぎ散らしながら手招き。月彦は寝室の入り口で呆然としながらまたしてもため息をついた。
(……考えてみたら、矢紗美さんが無理矢理誘ってきたんだから、俺が負い目感じる事も無いんだよな……)
 そもそも、“困る”と言っておきながら、車内の処理もせず、制服の汚れすら拭わずに飄々と部屋まで戻ってきた矢紗美の剛胆さは呆れるばかりだった。もし途中で誰かに遭遇したらどうしよう――などといった危惧は毛ほども無いとしか思えなかった。
「……矢紗美さん、やっぱり俺……帰ります」
 月彦の言葉に、すっかり全裸待機状態になっていた矢紗美はぴくりと眉を揺らした。
「考えてみたら、これってやっぱり浮気……じゃないですか。先生に悪いですし、学校もありますから」
 と、とりあえず角の立たない言い訳をして、月彦が踵を返そうとしたその刹那。
「紺崎クンって、自分だけ出してスッキリしたら急に冷たくなるタイプなんだ。ふーん、雪乃に告げ口しちゃおっかなぁ」
「ぐっ……告げ口って、何をですか」
「“全部”に決まってるじゃない。それにぃ、こんなのもあるし」
 矢紗美が枕の下へと手を伸ばし、なにやら黒いものを取り出し、見せつけてくる。てっきり拳銃か――と思ったが、そうではなかった。それよりも小さい、煙草の箱程度の黒い機械の様だった。
「……何……ですか? それは――」
 問いかける前から、既に嫌な予感はしていた。矢紗美の意地悪な笑みで、それは倍加されることになる。
「私さぁ……男の子を“食う”のも好きだけど、“記念品”集めるのも好きなのよね。紺崎クンも見たでしょ? 私の携帯」
「ああ……あの悪趣味な画像ですか……」
 危うく、自分もその中の一人になるところだったのだ。月彦は思い出して身震いした。
「……ってことは、それはデジカメか何かですか?」
「ハズレ。“記念”になるのは何も画像だけじゃないでしょ? “音”や“声”だって立派な記念品よ」
「音や……声……?」
「紺崎クン、変だって思わなかった? あの時、私がどうして急に寝室に行こう〜なんて言い出したか。いくら泥酔してるとはいえ、雪乃だって居るのに。……それはね、これを使いたかったからよ」
「つまり……レコーダーかなにか、ですか?」
「そういうコト。元は押収品をこっそりパクッた奴なんだけど、性能は抜群よ? どれくらい抜群かっていうと――」
 矢紗美がボタンを操作すると、微かな雑音と共に人の声のようなものが漏れ始める。ゆっくりと、矢紗美がボリュームを上げていくと――。
『……してもいいですけど……矢紗美さん、本当に今日の事……先生に黙っててくれるんですか?』
 “その声”は月彦にもはっきりと聞き取れた。聞き取れただけではなく、“誰”の声かすらも。
「勿論、私達のアヘ声もばっちり入ってるわ。今度の週末、雪乃を誘って飲みにでも行こうかなって思ってるんだけど、その時にコレ持っていっちゃおうかな〜」
「ぐっ……」
「最近の雪乃って、ちょーっと調子に乗り過ぎてる気がするのよね。会うたびに胡散臭いノロケ話ばっかり聞かされてもーうんざり。…………だから、教えてやりたくなるじゃない、“現実”をさ。フフフ……」
 ゾクリと、背筋が冷えるような矢紗美の笑み。
(確かに、この人なら……やりかねない……)
 そう思わせる為の演技なのかもしれない。しかし過去の矢紗美の行動を鑑みれば――やはりただのブラフと思う事も出来ない。
(なんて人に……弱みを握られちまったんだ……)
 いっそ雪乃との別離覚悟で矢紗美と縁を切ったほうがいいのではという気さえしてくる。
(いや、それで済むだろうか……)
 矢紗美にとって“思い通りにならない男”こそが興味をそそる対象なのだ。そう――丁度猫が、鼠をいたぶる時の様に。全てを諦め、動かない鼠よりも、限界まで足掻く鼠の方が、より猫を楽しませ、興奮させるに決まっている。
(……矢紗美さんが俺に飽きるまで、大人しくしてるしか、無い……か)
 そう、逆らわないのが一番無難なのだ。――同時に、一番難しい事なのだが。
「ほらぁ、紺崎クン……どうするの?」
「……矢紗美さん。……その性格改めないと……いつか、刺されますよ?」
 はあ、と三度ため息をついて、月彦はしぶしぶベッドに腰掛ける。その背に、ぎゅう、と矢紗美が抱きついてくる。
「んふふ、大丈夫よ。私、“本当に嫌がってる子”には無理強いしないから。……あくまで、“大義名分”を作ってあげるだけ。…………“これならもう、浮気してもしょうがない”っていう、ね」
「矢紗美さんがさっきの機械捨ててくれるんだったら、俺は今すぐにでも帰りますけど」
「んもぅ、紺崎クンってば、意地悪言わないでよ。私だって、紺崎クン達の関係壊すのは本意じゃないんだから。……ただサ、少しくらいおこぼれ貰ってもいいじゃない。……もう他人じゃないんだし」
「だったら、せめてもうすこし時と場所を考えてもらえませんか。……だいたい、矢紗美さんも仕事があるんじゃないんですか?」
「ああ、私はいいの。今日は“自由勤”だから。行っても行かなくてもどっちでも」
 それで良いのか日本の公務員。ニュースでよくみる公務員の不祥事などは対岸の火事だとばかり思っていた月彦だったが、意外に身近な所にも火種は潜んでいるのだと悟らされた。
(……まあ、そういう人はほんの一握りで、大多数は真面目な人なんだろうけど……)
 そういう人にしてみれば、矢紗美のような人種は迷惑極まりない存在だろう――などと考えていると、突然ぐいと引っ張られ、強引にベッドの中に引きずり込まれる。
「んもう、いつまでそうやって座ってるの? はやくぅ、さっきの続きぃ…………ね?」
 舐めるようなキスと共に、早くも服が脱がしにかかられる。片手でてきぱきとシャツのボタンを外していく様は異様なくらい手慣れていて、みるみるうちに月彦の上半身は裸にされた。
「ほらぁ、下もぉ」
「ちょっ……矢紗美さんっ、待って下さい! 下は、自分で脱ぎますから」
 卵を狙う蛇のような動きでズボンをなで回す矢紗美の手を取り、引きはがす。渋々ながらもズボンを脱ぎ、ベッドの外に落とした所で、ニャアとばかりに矢紗美に飛びかかられる。
「や、矢紗美さん! まだ――っ……!」
 月彦が静止するのも聞かず、矢紗美はぐいとトランクスを下にずらし、剛直に頬ずりを始める。
(……まさに、猫にマタタビ……状態だな…………)
 ふぅふぅと獣のように息を荒げ、頬ずりはやがて舌戯に。月彦は矢紗美の頭に手を置いたまま、しばしされるがままになる。
 ちゅぱ、ちゅっ、じゅるっ――矢紗美が頭を蠢かすたびに寝室に汚らしい音が響き、痺れるような快感が全身を包む。
「んはぁぁ……紺崎クン、続きぃ……」
 とろり、と糸を引かせながら、矢紗美が顔を上げる。
「今度はぁ……紺崎クンが上に……ね?」
 悪戯っぽい――雅な笑み。うっかり「はい」と返事をしてしまいそうになる。
 が。
「……矢紗美さん、何を言ってるんですか?」
「え……?――んぷっ!」
 月彦は矢紗美の頭を掴み、強引に下ろさせ、再び剛直を咥えさせる。
「どっちが上に――とか、それを決めるのは俺ですよ。当然ですよね、矢紗美さんのワガママに、俺が付き合ってあげてるんですから」
「んぐぅぅうっっ、んふっ……んっ……!」
 矢紗美はあからさまに抗議の目を向けてくるが、無論月彦は聞き入れない。
「ほら、ちゃんと舌を動かしてくれないと、このまま喉奥まで突っ込みますよ?」
 頭を掴む手に力を込め、ぐっ――と押し込むような素振りをすると、矢紗美は慌てて舌を動かし始める。クスリと笑みを漏らし、月彦は両手の力を些か緩め、再び矢紗美の口戯に酔いしれる。
(ほんと……“飽きられるまで大人しくしている”って、難しいよな……)
 矢紗美の強引な誘惑によって、獣欲がムクリと首を擡げるのを感じながらも――月彦は矢張り、それに抗おうとはしないのだった。

 


「っ……いい、ですよ……矢紗美さん……そうです……もっと、吸って下さい……」
 ベッドの上に座り、寝室の壁にもたれ掛かるようにして、月彦は矢紗美の口戯を堪能する。その舌使いの巧さを褒めるように、右手は矢紗美の髪を撫でつけているが、それは半ば脅しでもあった。
 そう、少しでも舌の動きを怠れば――“押し込む”と。
「ンく……ンッ……」
 そんな月彦の意図を知ってか知らずか、矢紗美は一心不乱に口を、舌を動かし続ける。否、それは到底“脅されて仕方なく”というノリではない。
 自らすすんで――そう、まさに溢れてくる蜜が好物で堪らないといった類の口戯だ。
「……矢紗美さん、ずいぶん美味しそうですね」
「ンぁ……だってぇ……紺崎クンのチンポ汁……ホントに美味しいんだもん……んくっ、ちゅっ……」
 うっとりと目を細め、剛直に頬ずりをするようにしながら上目遣いにそんな返答。月彦はもう苦笑するしかなかった。
「んハぁ……ホント、美味しいんだから……こうやって舐めてるだけでムラムラしてきちゃう」
「……それは俺に限らず、誰のでもそうなんじゃないんですか?」
「ンもう……意地悪言わないでよぉ……紺崎クンのがイイのぉ……んぷっ、んっ……」
 拗ねるような声と共に、矢紗美の口戯がさらに激しくなる。月彦は軽く下唇を噛むようにして、漏れそうになる喘ぎを押し殺しながら、矢紗美の後ろ髪の僅かに爪を立てる。
「ッ……く……矢紗美さん……巧い、ですよね…………先生は、口ではシてくれませんから……凄く、新鮮……です」
「あら……雪乃はフェラしてくれないんだ? どうして?」
「解りません……舌、止めないで下さい」
「はいはい。ご主人様の仰せのままに……フフッ……んっ……」
 ちゅっ、ぴちゃっぐぷ……。
 そんな淫靡な音を聞きながら、はてと月彦も考えていた。
(そういや本当に……先生に口でしてもらった事って無いな……)
 正確には、二度ほどある。が、しかし一度は憑依状態の雪乃であるし、二度目も意識朦朧の中の掃除フェラであるから、勘定には入らない。
(俺も……先生を前にすると……“口で”っていう前に、あの体に……しゃぶりつきたくなっちまうから……)
 この世の中で最も嫌いな女を除けば、知人の中ではダントツのプロポーションの持ち主なだけに、事に及ぶ際にはどうしてもその体を堪能したくなってしまうのだ。
(でも、先生のフェラ……か……ちょっと興味ある、かも……)
 もし今度“そういう機会”があったら切り出してみようか――“あの雪乃”が一体どのように恥じらいながら事に及ぶのか。
 それを考えただけで――
「んっ、んっっ……やだっ……紺崎クン……今、雪乃のコト考えたでしょ?」
「……っ……ど、どうして……ですか?」
「だってぇ……口の中で急にびくんっ、びくんって。それにさっきよりさらに堅くなってきてるし」
「そ、それは……矢紗美さんが上手だからですよ」
「そうかしら? ふふ……でも、イきそうなのは本当みたいね」
 そこを見透かしてくる辺りはさすが――と言わざるを得なかった。
「ねえ、紺崎クンはどうしたいの? このまま口でイかせて欲しい? それとも……んぷっ……!」
「悪いですけど、その手にはのりませんよ、矢紗美さん」
 主導権は渡さない――とばかりに、月彦は剛直を押し込み、矢紗美の口を塞ぐ。
「俺が矢紗美さんにイかせてもらうんじゃなくて、矢紗美さんが口に出してもらうんでしょう?」
「んふぅぅぅ……」
 剛直で口を塞がれたまま、矢紗美が露骨に視線で抗議をしてくるが。
「反抗的な目ですね。口に欲しくないんですか?」
 無言のまま、矢紗美の気迫が一瞬緩む。その表情の皮一枚下でプライドと、本能からの欲求がせめぎ合っているのだ。
「あっ……」
 矢紗美の頭を掴み、無理矢理に持ち上げ、ぬろりと剛直を引き抜く。
「ほら、矢紗美さん。ちゃんと“飲ませて下さい”って言わなきゃ、続きをさせてあげませんよ?」
「っっ……」
 ぺちぺちと、剛直で頬を叩き、挑発をする。さすがにプライドが傷つけられたのか、矢紗美がはっきりと睨み付けてくる。が、しかし――月彦はくすりと余裕の笑みを浮かべ、口紅のすっかり溶けたその唇へと指を二本這わせ、咥えさせる。
「んふぅっ、んっ……!」
 指で矢紗美の舌を弄びながら、矢紗美を抱き寄せ、さらに囁きかける。――まるで、暗示でも刷り込む様に。
「……濃いの、飲みたくないんですか?」
「んんっ……!」
 ぶるりと、矢紗美が体を震わせるのを確認して、月彦はぬろりと指を引き抜く。そう、引き抜いたのはただの指であるのに――まるでイきそうなのを寸止めされたかの様に、矢紗美は切なげな声を漏らした。
(……ここが、正念場だ……)
 イかせて欲しいのは月彦の方だ。しかし、焦燥に負けて矢紗美の言いなりになってしまうわけにはいかなかった。――そう、“今後”の為にも。
「ンもう……紺崎クン……狡いぃ……」
 はぁ、はぁと。肩で息をしながら、もう辛抱たまらないという顔。
「解ったわよ……言えばいいんでしょ? 紺崎クンのドロッドロに濃いチンポ汁が飲みたいって。ねえ、ほら、言ったから、早く――んっ!?」
「飲ませて下さい、でしょう? 矢紗美さん」
 矢紗美の髪を掴み、屹立しきった剛直に頬を擦り当てる。矢紗美が身じろぎして唇を付けようとすると――今度は無理矢理引きはがす。
「やぁっ、やぁぁっ……意地悪しないでぇ……飲みたいのぉ……飲ませてよ……紺崎クンだってイきたいんでしょ? だったらぁ――」
 月彦はもう何も言わない。ただ無言で――そう、動物を躾る時のようにしっかりと矢紗美を見据える。
 そんな月彦の意図を感じ取ったのだろう。矢紗美も、如何にも渋々という態度で。
「っ……………………ませて、下さい……」
「聞こえませんよ」
「っっっ…………の、飲ませて……下さい……」
「何を、ですか?」
「こ、紺崎クン、の……濃くて、美味しい……チンポミルク……、の、飲ませて……下さい……」
「…………やれやれ、そんなに飲ませて欲しいんですか?」
 苦笑して、さも嫌々――という素振り。その実、付け根が爆発しそうな程に、焦れに焦れているのだが、月彦はおくびにも出さない。
「しょうがないですね……先生のお姉さんですし、ここは顔を立ててあげますよ」
 ほら、口をあけて――びくっ、びくと小刻みに痙攣をする剛直を、ゆっくりと矢紗美に咥えさせていく。
「んぅっ……んくっ、んっ……!」
 同時に、白濁を催促するように矢紗美の舌がうねる。既に暴発寸前だった月彦に、そう長く耐えられる筈もなく。
「っ……矢紗美さん……要望通り……出します、よ……!」
 びゅぐんっ、びゅぐっ、びゅぐっ。
 一度寸止めをした反動か、車の中でのそれよりも遙かに多い量が矢紗美の口腔内へと射出される。
「んんンンンン!!!! んんっ!!」
 勿論、頭を引く事など許さない。月彦は両手で矢紗美の頭を掴み、剛直を押し込んだまま、びゅぐっ、びゅぐと心ゆくまで白濁を溢れさせる。
「……ふぅぅ……どうですか? 矢紗美さん。美味しかったですか?」
 最後の一射まで放ってから、ゆっくりと矢紗美の唇から引き抜き、その頬に剛直を塗りつける。
「けほっ……かふっ……かはっ…………こ、紺崎クン……もうちょっと……加減、を……」
「加減? 一体どの口が言ってるんですか?」
 四つんばいのまま激しく咳き込む矢紗美の被さるようにして囁きかける。
「平日の朝っぱらから拉致まがいの事をするのは、やりすぎじゃないんですか?」
「そ、それは……紺崎クンだって……まんざら嫌じゃ――んンッ!!」
「学校に行かせて下さい――俺は何度もそう言ったと思いますけど?」
 被さったまま矢紗美の体をまさぐり、乳を揉みしだき、唇の中に指を挿れる。
「まあ、でも……お望み通り飲ませてあげたんですから。もういいですよね?」
「え……?」
「矢紗美さんも満足したんじゃないんですか?」
 意地悪く囁きながら、月彦は矢紗美の耳の裏でくつくつと笑みを漏らす。
「もう、学校行ってもいいですよね?」
 良いわけはない。少なくとも、矢紗美がそれを認める筈はない。
(口でシただけで、こんなになっちゃってますもんね……シたくてシたくてたまらないんでしょう?)
 あえて口には出さず、ほくそ笑みながら――にゅぐり、にゅぐりと月彦は腰の動きのみで濡れそぼった秘裂に剛直を擦りつける。
「やっ……んっ、ぁ、ふっ……ぁあっ……はや、く……んんぅ……」
「早く……何ですか? 用は済んだから早く学校に行けって事ですか?」
「ち、違っ……欲しい、のっ……紺崎クンの……欲しい……」
 やれやれ――そう言いたそうなため息を、演技たっぷりに漏らす。
「これだけ付き合ってあげてもまだ足りないんですか。ホント、矢紗美さんって先生とは血が繋がってるとは思えないくらいド淫乱なんですね」
 にゅぐりっ、と。剛直で秘裂を擦り上げる。それだけで矢紗美は悲鳴めいた声をあげ、びくんと背を逸らす。
「矢紗美さん。俺はちゃんと教えましたよね? “欲しい時”はどうすればいいんでしたっけ?」
「っっ……さ、さっきから……ちょ、調子に乗って……い、いい加減にしないと……雪乃に、バラすわよ?」
 辛抱の限界に達したのか、矢紗美がキッ……と迫力を込めた視線を向けてくる。が、月彦は余裕の笑みを崩さない。
「矢紗美さんがそうしたいんだったら、俺は別に構いませんよ?」
「え……?」
 月彦の答えが余程意外だったのか、矢紗美は目を丸くする。
「まあその場合……ほぼ間違いなく俺と先生は破局でしょうね。運良く繋がったとしても――その時は先生と矢紗美さんの関係も滅茶苦茶じゃないですか? それがどういう事か解ります?」
 ぺろり、と耳の裏をひと舐め。
「どちらにせよ、矢紗美さんと俺を繋ぐ線――つまり、矢紗美さんが俺を脅す材料が無くなるって事ですよ。そうなったら――」
「……っひぅっ!」
 にゅぷっ――先端だけ埋め、そのまま引っかけるようにして撓らせ、抜く。
「俺はもう二度と、矢紗美さんの相手なんかしませんよ? いいんですか? 矢紗美さんはそれで」
「そ、それは――……っ…………」
「欲しく、ないんですか?」
 囁きながら、何度も。何度も剛直で秘裂を擦り上げる。きゅっ、と閉じられた太股をこじ開けるように、何度も。
「解りましたか? 矢紗美さん。……自分の立場が」
「っっっ……つ、強がってるだけ、でしょ……本当は、バラされるの、恐い、くせ……に……ァァぁっ……」
「まだ解らないんですか? 矢紗美さんが先生に全部バラしても、俺の方はひょっとしたら……先生が許してくれるかもしれないっていう目がありますけど、矢紗美さんは完全に俺と切れるんですよ? ……まあ、矢紗美さんには山ほどセックスフレンドがいるみたいですから、今更俺の一人くらい抜けたってどうって事はないのかもしれませんけどね」
 そう、バラしたら――もう金輪際“コレ”は味わえないのだぞ、と。言外に含めて、月彦は執拗に剛直を塗りつける。
「〜〜〜〜っっっ………………」
 余程悔しいのか、それとも単純に喘ぎを抑えているだけか。矢紗美は唇を噛み、しばし口を閉ざす。
 しかし、不意に。
「……わか、った……わよ……」
 とうとう堪えきれなくなったのか、喘ぎ混じりに。
「私の負け、よ……何でも、紺崎クンの言うとおりにするから……だから……」
「何でも、ですか。……確か前にも同じ台詞聞きましたけど」
「ほ、本当、よ…………紺崎クンも、もう……解ってるでしょぉ……? もう……わたし、が……我慢なんか、出来ないってコト……」
 矢紗美は上体を伏せ、そして尻を持ち上げるような仕草をする。月彦はその意図を察して、やや距離を置く。
「ほらぁ……私のおまんこ、紺崎クンのが欲しくて、もうこんなになっちゃってるのよ?」
 尻だけを持ち上げた体勢のまま、自らの指でくぱぁ、と割開かれたそこはしとどに濡れ、ひく、ひくと蠢くたびにトロトロと蜜が滴り落ちる。――その光景に、“演技”をしている月彦ですら、思わずゴクリと生唾を飲んでしまう。
「ねぇ、お願い……今、途中で止められたら気が狂っちゃう……」
「ぅぐ……しょ、しょうがない……ですね……本当は嫌ですけど…………続きをしてあげます。その代わり……解ってますね?」
 それは最早確認をとるまでもないことだった。――否、発情したメス猫のように尻を振る矢紗美には、最早言葉など届いていないのかもしれない。
(……ちょっとずつ、躾けていくしかない、か……)
 快感をエサに。そう――愛娘にそうしているように。兎も角それが、月彦なりの教育法なのだった。


「ああああアッあああああッ、ひぃいいっい!!!」
 尻を掴まれ、乱暴に剛直を突き入れられた刹那、矢紗美は絶叫に近い声を上げた。
(あぁぁああっ、コレっ……コレぇええっ、コレが欲しかったのぉ……!!)
 ずんっ、と子宮を揺らす衝撃にゾクゾクと身震いしながら、矢紗美は惜しみなく嬌声を上げる。
「っ……くっ、ぁ……また、さっきより、締まります、ね……」
「んはぁぁっ、それはぁ……紺崎クンが、焦らす、から……でしょぉ……? あんっ! あっ、あぁんっ! あっ、はぁあっ、あっ、あんっ!!」
 しかし、矢紗美がどれほど締め付けても、それを苦もなく押し広げ、奥の奥まで貫いてくる。――その都度、身も心もとろけそうになるほどの快感を伴って。
(あぁぁぁぁっ、スゴい……紺崎クンのっ……スゴいぃい……!)
 腰砕けになる、とはまさにこの事だった。肉の皮を被った鋼鉄の芯がひっきりなしに矢紗美のナカを責め立て、無理矢理に押し広げてくるのだ。
「くひぃぃぃっ、……はぁっ、はぁっ……んぃぃぃいいっ!!!」
 他の男相手では絶対に出ないようなくぐもった喘ぎ声すら出てしまう程に。快感を堪える為にベッドシーツを握りしめたのなど、何年ぶりだろうか。
「……随分良さそうですね、矢紗美さん」
「あ、あふっ……お、くに……ずんっってぇ……はひぃぃいい!!!」
 その“奥”に、さらにグリグリと先端が擦りつけられ、矢紗美は舌を突きだしながらベッドシーツを掻きむしる。
「でも、前も言いましたけど……矢紗美さんのナカって俺にはちょっと狭くって。根本まで挿れるには……もうちょっと延ばさないと無理みたいですね」
「ふぁっ……の、延ばすって……何、を……あいぃいいィ!!!」
「勿論、矢紗美さんの“ナカ”に決まってるじゃないですか。……こうして――」
「えっ、やっ……ひう!!」
 奥がこつんっ……と小突かれる。
「何度も、何度もトントンってしてたら……少しずつ延びるんじゃないですか?」
「ひぁっやぁっ……む、無理っ……そんなのっ……ひぐぅうううううッ!!!!」
 “トントン”が突然“グリグリ”に代わり、矢紗美は悲鳴を上げる。
「そうですよね。少しずつ、なんて生っちょろいこと言ってられませんよね。だったら、こうして――」
「い、嫌っ……こ、紺崎クン……それ、だめっ……ぁっ、おね、がっ……少しずつにっ……少しずつ、にっ……してぇ……」
「少しずつ、ですか? 俺はどちらでも構わないんですが」
 ちっ、と舌打ちでも聞こえてきそうな程に残念そうな声だった。
(この子……本気でやる気……だったんだわ……)
 自分のが入りきらないから、“ナカ”を広げようと。少なくとも矢紗美が今まで付き合ってきた男の中には、その様な恐い発想をする男は居なかった。
(……そもそも、狭くて入りきらない……って言われた事自体、初めてだったんだけど……)
 とはいえ、この年下の男を相手にするに至っては面食らうことばかりだから、今更驚くような事でもなかった。
「解りました。……じゃあ、少しずつ……こうして奥を小突いて……矢紗美さんのナカを延ばしてあげますね」
「っ、……延ばす、なんて……そんなのっ、無理にっ……あっ、うっ……!!」
 最早、反論すら躊躇ってしまう――そんな自分に、矢紗美は唇を噛まざるを得なかった。
(段々……紺崎クンに逆らえなく、なってる……)
 最初は、半ばノリ――冗談交じりで“それ”を演じていた。しかしそれが、段々冗談ではなくなりつつある。
(こんな……一回りも年の違う……年下の男の子に…………この私が…………)
 今日とて、何度も主導権を握ろうとした。しかしその都度逆襲に遭い――やりこめられた。そしてその度に、矢紗美は己のプライドが削られていくのを感じた。
「あっ、くっ、あっ、んっ……あっ、あっ、あっ……!! あっ、あっぅあっ、やっ、。だめっっ……あっあぁあぁぁああぁああッ!!!!!!」
 有言実行――月彦は言葉通りに、矢紗美の腰をしっかりと掴み、執拗に奥ばかりを小突いてくる。そして時折、ぐりぐりと先端部を押しつけるようにして“延ばし”にかかってくる。そのたびに、矢紗美は声を荒げ、軽くイかされるのだ。
(やっ……ホント……スゴい……スゴい、けど……こんなっ……こんなっ……こんなにっっ…………あっ、あっあっ…………!!)
 実際の“口”は元より、思考の中でさえ喘ぎ声を漏らしてしまう。その様な事――少なくとも“他の男”では経験が無かった。
「っ、く……先生に比べて……矢紗美さんは大分イきやすいんですね…………そんなに、何回も何回も締め付けられて、声を上げられたら……俺の方も、そんなには持ちませんよッ……」
「ふ、ぁ……ゆ、雪乃は……もっと……?」
 それも矢紗美には信じられない話だった。“コレ”で良いように突かれて、かき回されて奥をグリグリされて、耐えられる女など居るのだろうか。
(単純に、大きいとか、堅いとか……そういうんじゃ、無い――)
 それでは、ここまで感じてしまう理由にならない。何かがあるのだ。紺崎月彦には。
何か――“秘密”が。
(でもっっ………………――ッ!)
 押し寄せる快感の波に、そんな些細な疑問などどうでもよくなってくる。
(紺崎クンも……イきそう、なんだ……)
 既に前回、これでもかという程に肌を重ねている。月彦がイきそうな時の腰使いくらい、矢紗美には瞭然だった。
 それは、即ち。
(今度こそ……びゅぐんっ、って……)
 車の中では成しえなかったあの瞬間が、とうとう。
「そうだ、矢紗美さん。……最後はやっぱり外に出さないといけませんよね?」
 矢紗美には、月彦のその発言が理解できなかった。
「矢紗美さんがいくら大丈夫って言っても、やっぱりデキちゃったらヤバいですし」
「そ、……なっ……いま、さら……ンッ……あっ、んっ……ナカっ……ナカにぃっ……おまんこの中が良いのぉっ……!」
 そんな言葉を、恥も外聞も無く喚き散らしてしまう自分に、矢紗美は驚いた。――否、今までも、ノリで口にしたことはいくらでもある。
 しかし、これは――“本音”だった。
「嫌です。先生となら兎も角、矢紗美さんと出来ちゃった婚なんて、シャレになりません」
「やぁぁっ、絶対……大丈夫、だからぁっ……ねっ、お願い……紺崎クン……中出ししてぇ……!」
「くす……そんなにナカに欲しいんですか?」
 月彦のその言葉に、矢紗美は“交換条件”の匂いを感じた。
「だったら……そうですね……。さっき見せてくれたあのレコーダー……あれをくれるんなら、そうしてあげてもいいですよ」
「えっ……どうして……そんな――ンぅううう!!!!」
「詮索はしなくていいんですよ。イエスかノーか。俺が聞いているのはそれだけです」
 月彦が、“弱み”の回収をしようとしているのは明白だった。そのくらい、快感で暈けた頭でも容易に理解できる。――そして、それを手放してしまったら、ますます自分の立場が不利になってしまうであろう事も。
 だから。
「やっ、ぁっ……あれ、はっ……だめっぇ……んひぃっ……ぁっ、はぁっ……ぁう……」
「ダメ……ですか。じゃあ中出しもお預けですね」
「っ……! そん……な……んぐぅぅううっ!!」
「ほらっ……矢紗美さん。考える時間なんて、そう長くはありませんよ? ナカに欲しかったら――」
「あっ、あっ、あぁっ、あっ……やっ……んっ、あっ……ひぃっ……ぁあぁっ、あァl!!!」
 小刻みに早く、時にはゆっくりと。まるで、その腰の一振り一振りで、矢紗美の理性を削り取っているかの様に。
「はぁっ……はぁっ……やっ、ぁっ……おね、がい……ナカにっ……中にぃいいっ……!」
「だったら。……解ってますよね?」
「んっ、ぁぁっ……あげるっ……あげるからぁっ……レコーダーでも何でもっ、紺崎クンが、欲しい、ならっ……だからっっ……」
 年下男にいい様にされてたまるかという自負も、津波のような快感と、下腹のうずきには逆らえなかった。頭の後ろで、またくすりと、意地悪な笑い声。
「ホント……矢紗美さんは中出しが好きなんですね。まぁ、いいですよ……素直な矢紗美さんに、ご褒美、ですっ……」
「えっ、ぁっ……そんっ、な……いきなりっ……ひいっ、ひぃぃいいいいいっ!!!!!!!」
 ぐりぃいいっ、と膣奥に押しつけられた剛直が、突然膨れあがったような錯覚――同時にびゅくびゅくと子宮口を叩くその衝撃に、矢紗美は声にならない声で絶叫していた。
「ああアああぁああアあッ!!! あっ、あっ、アァッ……あァァーーーーーーーーーッ!!!!」
 ベッドシーツを握りしめ、遮二無二引き寄せるようにして暴れるその体を、背後からしっかりと抱きしめられたまま、ごびゅっ、ごびゅと種付けをされる。
(あひっ……ひ、ぁっ……何、コレ……前、より……スゴい…………!)
 記憶の中にある中出しの快楽――本来ならば、味わえぬ日々によってその妄想は誇大化している筈であるのに、それすらも越える快楽に、矢紗美はもう歯の根が合わない。
「ふーっ……ふーっ……矢紗美さん、そんなに嫌がらないでくださいよ……中出しして欲しいって言ったのは矢紗美さんですよ?」
 シーツを引き寄せ、暴れる様がどうやら月彦の目にはそう映ったらしい。
「はーっ………………はーっ………………はーっ………………」
 背後から抱きすくめられたまま、口から垂れる涎も拭わぬまま、矢紗美はただひたすらに呼吸を整える。
「ひぅっ……はひぃぃいっ……やっ……だ、めっ……まだ、動かさっ……んんんんっっ!!!」
 しかし、矢紗美の懇願は聞き入れられず、ぐりゅ、ぐりゅと萎え知らずの剛直によって特濃の牡液がまんべんなく塗りつけられる。
(あぁ……マーキング……されてる…………)
 ゾゾゾッ……――そんな悪寒めいた快感に身震いしながらも、矢紗美は抱きすくめられたままの体勢で大人しくそれを受け入れる。受け入れながら――牝としての至福を感じながら――頭をよぎったのは、何故か妹の事だった。
 もし仮に、本当に自分が月彦との関係をバラした場合、どうなるか。矢紗美にはその答えは分かり切ってしまった。
 雪乃は、月彦と別れられない。何故なら、自分よりも先に――そしてきっと自分よりも多く、“コレ”を味わってしまっているからだ。
 そんな雪乃が、別れられる筈がない。血の繋がった姉妹だからこそ、そうだと解る。
「……矢紗美さん。……今度は、矢紗美さんが上になってもらえますか?」
 荒唐無稽。“学校に行くんじゃなかったの?”――そんな軽口が言えた自分が、ひどく過去のものに感じられる。
 それほどに。
「ああ、違いましたね。…………俺は“学校に行かなきゃいけない”んでした。ヤりたいのはあくまで――」
 そこから先は小生意気な含み笑いに消された。くっ……と、矢紗美は唇を噛む。唇を噛んで――。
「……私が……上になる、から……続きを、して……下さい……」
 二十数年で培ってきたプライドも、ずくんっ、ずくんと下腹から突き上げてくる牝としての衝動にはあらがえず。
(子宮が……紺崎クンの精液もっと飲みたいって……言ってる…………)
 矢紗美は唇を噛みながら、少しずつ――しかし確実に、身を落としていくのだった。



 

「はぁ……また、やっちまった……」
 シャワーを浴びつつ、ため息。自己嫌悪に打ちひしがれるも、しかしそれも最早今更の一言。慣れてはいけないものだと解ってはいるが、それでもこう毎度のコトでは、まあ仕方がないかな――などと思ってしまう。
 結局、なんだかんだで両手の指でも足りないくらいヤッてしまい、疲れ果ててそのまま熟睡。目が覚めた時には午後四時を過ぎているという有様。
 殆ど惰性でシャワーを借りて、脱いだ制服をそのまま着て寝室に戻ると、矢紗美もまた布団を被ったまま、気怠そうに自分の携帯を弄っていた。
「………………」
 奇妙な気まずさを感じながら、ベッドの沸きに腰掛ける。気まずさの原因は勿論――先ほどまでの“プレイ内容”だ。
(…………すっげぇ調子に乗っちゃったよなぁ……今更だけど)
 矢紗美に主導権を握られてはいけない――そんな事を考えた所までは覚えている。が、しかし――その後。まるで調教でもするかのような物言いに至っては、後悔の一言だった。
(絶対……矢紗美さん気分悪くしてたよな……)
 気まずい、というより、恐ろしくて矢紗美の方を見れない。
(先に謝った方がいいよな……うん。……いやでも、このまま気まずくなったほうが、縁も切れていいかも……)
 などとうだうだ考えていると、不意に背後で衣擦れの音がした。
「作業、終了ーっ」
 嬉々とした声を上げて、まるで子供のように布団ごと月彦に抱きついてくる。
「しゅ、終了って……メールでも打ってたんですか?」
「んーん、アドレス消してたの。セフレの」
「なんでまた……」
「だってぇ……紺崎クンの方が断然いいんだもん。紺崎クンの麻薬チンポの味知っちゃったら、他の有象無象なんて相手したくないわよ」
「……そ、そうですか…………」
 きっと褒められている――のだろうが、月彦には素直に喜べなかった。
「ねぇ……紺崎クン。ものは相談なんだけどォ」
「……あんまり聞きたくないですけど、何ですか?」
「家出てさ、ここで私と一緒に暮らさない?」
「………………」
 いきなりタガログ語で話し掛けられたような気分だった。
「どうして俺が矢紗美さんと同棲しなきゃいけないんですか!」
「私、こう見えて結構家庭的なんだから。雪乃なんかと違って料理も得意だし。それに、一緒に住めばさぁ……毎日好きなだけエッチできるじゃない。学校はここから通えばいいし、何だったら毎日パトカーで送り迎えしてあげるけど?」
「俺は超問題児ですか! 悪いですけど、その話の何処にもメリットを感じません」
「あら、そう? 紺崎クンがシたい時は真夜中だろうと勤務中だろうと好きなときに好きなプレイをやらせてあげるし、お小遣いだって月二十万くらいだったらあげられるけど?」
「月二十万って……どこからそんなお金が…………何れにしても、矢紗美さんと住むことのデメリットが大きすぎて検討の余地すらありません。大体、先生になんて言えばいいんですか」
「一夫多妻で行こう、とか」
「殴り飛ばされますよ。先生のパンチってかなり痛いんですから」
「雪乃に殴られるような事したことあるんだ。……興味あるなぁ」
 弱った鼠を見つけた猫のように目を輝かせる矢紗美に、月彦はもうため息すら出ない。
(……てっきり、怒ってるかと思ったけど……完全に杞憂だったのか……)
 矢紗美もまさかそんな無茶を自分が飲むとは思ってないだろう。つまり、そういった冗談を言えるくらい上機嫌であることは間違いない、という事だ。
「あ、そーだ。はいこれ。約束通り紺崎クンにあげる」
 黒い固まりが、不意に手の上に落とされる。
「……いいんですか?」
「そういう約束だったでしょ? 私、約束はちゃんと守る女よ?」
 にったらにったらと笑みを浮かべながら、肩、喉、顎、胸板と意味深な愛撫。
「だからぁ、紺崎クンもさぁ……雪乃の相手ばっかりじゃなくてぇ、たまには……ね?」
 猫なで声、とはまさにこの事。気を強く持っていなければ、うっかりうんと言ってしまいそうな、気怠い雰囲気。
「……いや、そう……したいのは山々なんですけど……やっぱり俺は先生を裏切れませんから」
 それに“確固たる証拠”さえ手に入れてしまえば、例え矢紗美がバラしても被害は最小限で済むだろう。つまり――もう朝っぱらから拉致される事も無くなるのだ。
(矢紗美さんには悪いけど……これ以上“関係”を複雑にしたくない……)
 ただでさえがんじがらめの中を辛うじて綱渡りしているような状況なのだ。この上さらに浮気相手が増えてしまっては、それだけ崩壊の可能性が高まってしまう。
「だから……矢紗美さんとは、これっきりということで」
「……この私がこれだけ譲歩してるってのに、そういう事言うんだ」
「すみません、としか……言えません」
 何故謝らなければならないんだろう、とは思うものの、頭を下げて場が丸く収まるのならばそれで良し。
 しかし、矢紗美からの返事は――不敵な笑みだった。
「……ねえ、紺崎クン。そのレコーダー、使い方わかる?」
「いえ、解りませんけど……使う予定はないんで別にいいですよ」
 出来るだけ早く、粉々に砕いて分別ゴミに出す所存だから、使用法など関係なかった。
 しかし、矢紗美はまたにんまりと笑う。
「そのレコーダー、メモリースティックが無いと録音出来ないから気を付けてね」
「メモリースティックって、記憶媒体の事ですか? でもそれなら――」
 そこまで口にして、ハッとする。そして月彦は慌ててレコーダーのスイッチを片っ端から押して、メモリースティックとやらが挿入されていないことを確認する。
「……矢紗美さん。これの中身はどこなんですか」
「紺崎クンがシャワー浴びてる間に隠しちゃった」
「レコーダーは要りませんから、その“中身”を下さい」
「い、や、よ。だってアレは最後の切り札なんだもの。欲しいんだったら……解るでしょ?」
「くっ……矢紗美さん、卑怯ですよ!」
「どうしたの? 紺崎クン。顔色悪いわよ? バラすならバラせばいい……さっきそう言ってたじゃない」
「それ、は――」
 矢紗美を追いつめるための出任せ――に近いハッタリに過ぎない。否、単純に雪乃に事がバレるだけならば実質そこまでのダメージは無い。
 月彦が恐れるのは、その解れが発端となって芋蔓式に“全て”が露見してしまう事なのだ。
 もしそうなったら――自分は到底生きてはいられないだろう。だからこそ、是が非でも奪い取っておきたかったのだ。
(もう一度犯って、取り上げるか……?)
 それが最良――と一瞬考えたが、しかし時間が遅い。今からまたさらに矢紗美の相手をしていたら、それこそ帰宅は夜中になってしまうだろう。
 さすがにそれは拙い。
(……それに、矢紗美さんの事だ。バックアップをとってるかもしれない……)
 それが可能であるのかどうかは兎も角、『予備がある』――と矢紗美に言われたら、考慮せざるを得ない。
(つまり、俺は……これからも――)
 搾取され続けるのだ。この極悪淫乱婦警に。
「あら、紺崎クン……ますます顔色悪くなってるけど、大丈夫?」
 貴方のせいです、と言ってやりたかった。
「心配しなくても大丈夫よ。あれはあくまで保険。私だって可愛い妹が折角つかんだ幸せを壊したくないもの。…………勿論、その為には紺崎クンの協力が不可欠だけど」
 すすす……と、矢紗美の手がズボンの上から股間をなで回してくる。
「そういえば紺崎クン……さっき、“先生は口でシてくれない”って言ってなかった?」
「ええ……言いましたけど」
「それは、雪乃がはっきり嫌だって言ったの?」
「いえ……単純にそういう流れにならなかっただけ……だと思いますけど」
「ふーん、流れ……かぁ。普段雪乃と紺崎クンってどんなエッチしてるのかなぁ」
 目を爛々と輝かせてくる矢紗美に、月彦は無言で「聞かれても絶対話さない」の意を示す。
「まぁいいわ。とりあえず、まだ雪乃に口でさせた事がないのなら、一回やってみるといいかもしれないわよ?」
「……どうしてですか?」
「バイリンガルの娘って、一般人より舌の筋肉が発達してるから、もの凄くフェラが上手らしいわよ? ああ、そういえば雪乃は大学でドイツ語も専攻してたからトライリンガルになっちゃうのか〜…………って事は?」
「……っっ……や、矢紗美さんじゃないんですから、俺はそんな邪な目的で先生とエッチしたりしません!」
「どうかしら……フフッ。紺崎クンも同じ穴の狢だと思うけど?」
 全てを見透かすような矢紗美の目に、月彦はうぐ、としか唸れなかった。



 結局月彦が帰宅したのは午後六時をやや過ぎた頃だった。矢紗美が「体に力入らないから運転なんか無理」と、自称手下の警官を呼びつけ、月彦を送らせたのだ。
 恐らくまだ卒配してそれほど間もないであろう若い警官は――勿論美形でもある――月彦と矢紗美の関係について聞きたそうな素振りをしていたが、余程矢紗美の教育が行き届いているのか、終始送迎係という役に徹していた。
 月彦もまたいろいろな意味で疲労困憊していたから、パトカーの中では終始無言だった。主な懸念はこれから先起きるであろう矢紗美の罠からの身のかわし方だが、その様な便利な技が一朝一夕で思いつくわけもなく、半分寝転けているうちに自宅についた。
「父さま、何処行ってたの?」
 玄関に入るなり、出迎えた真央の開口一番は尤もな質問だった。
「……色々あったんだ。そうだ、真央……土産だ」
 と、媒体の入っていないレコーダーを真央に手渡し、力のない足取りで二階へ。
(……今日の休みは……フォローいれといてくれるって言ってたけど…………大丈夫かな……)
 公欠扱いになる様、手を回す――と。別れ際矢紗美はそんな事を言っていたが、果たしてそんな事が可能なのだろうか。別に今更無断欠席が一日増えた所でどうという事も無いが、欠席は無いなら無いに越したことはない。
「……ふぅ……疲れた……マジで疲れた…………」
 机に鞄を置き、制服も脱がずにベッドに横になる。矢紗美の部屋で昼寝まがいの事はしたが、この精神的疲労は到底その程度の休息で消えるような類ではなかった。
「父さま……」
 後を追ってきたのだろう、キィとドアを開けて、真央が部屋に入ってくる。
 その不安げな顔を見れば、今日何があったのかを聞きたくてたまらないのは明白だった。しかし同時に真央にも、月彦が二重の意味で疲労困憊であることも伝わっているらしく、聞くに聞けない――そこに、愛娘の優しさを見て、月彦は苦笑しながら真央を抱き寄せ、一緒にベッドに横になる。
「ぁ……」
 一体何を勘違いしたのか、ただ抱き寄せ、横になっただけで真央がそんな甘い声を上げる。本来ならば真央のそんな声を聞いただけで、月彦もまたケダモノとなってしまうのだが。
(……矢紗美さんから受けたダメージが、でかすぎる……)
 逞しすぎる獣性すら封じ込めてしまう程に。矢紗美とのエッチがどうこう、というより、これから先怒るであろう波乱への危惧に思いやられるのだ。
「父さま……ホントに疲れてるの?」
 だから、愛娘の意味深な――そして期待をふんだんに込めたそんな上目遣いにも、うぐ、とうなりこそすれ、母譲りのはしたない体にむしゃぶりつくという事はない。わざわざ月彦に揉まれる時の事を考慮してブラを付けていない巨乳を揉みくちゃにすることもない。
「だったら……その、ね……私が…………」
 だが、その唇が。物欲しげな――真央の口が、月彦の目を捉えて離さない。
(っ……矢紗美さんが……あんな事……言うから――だ……)
 バイリンガルの娘は舌使いが上手――単なる都市伝説ではないか、と月彦は思う。しかし、“あの雪乃”に口でさせるという興奮と相まってしまえば――。
(ダメだ……真央に、先生の代わりをさせる、なんて……)
 そんな非人道的な事は出来ない――そう考える月彦の頭とは裏腹に、その股間は――早くも吐息を乱している愛娘の愛撫で屹立しつつあり。
「……疲れてる、時はね……溜まってるの……出した方が、ぐっすり眠れるらしい……よ……?」
「真央……それは……」
 一体どこのインチキ医学書から引っ張ってきた家庭療法だ――否、真央にしてみれば、それが本当であるかどうかなどどうでもいいのだ。
 ただ、“口実”として、それらしくさえあれば。
「……悪い、真央……頼む」
「うん……私も……父さまの……飲みたい……」
 慣れた手つきでベルトを外し、ぐんっ……と天を仰ぐ剛直をうっとりとした目で見つめ、さす、さすと撫でる愛娘の頭を撫でながら、月彦は静かに目を閉じた。


 翌日、学校で月彦を待っていたのは身に覚えのない賞賛の嵐だった。
「紺崎、昨日は大変だったそうだな」
 てっきり無断欠席を咎められるとばかり思っていた月彦は、担任の一言に昨日の矢紗美の言葉を思い出した。
(……何か根回し……してくれたのか?)
 月彦は迂闊にも一瞬喜んでしまった。が、それはすぐに後悔へと変わった。
 担任がHRで語った内容によれば、どうやら“登校途中、破水した妊婦を抱きかかえて奔走し、病院に届けたその帰り道にひき逃げを目撃してその車のボンネットに張り付き、逮捕に協力した”という事になってるらしかった。
(…………矢紗美さん、アクション映画じゃないんだから)
 どよどよとざわめくクラスメイトの視線の中で、月彦は赤面を禁じ得なかった。
 とはいえ、そのウソっぱちのお陰でどうやら昨日の無断欠席は公欠扱いになることが職員会議で決まったらしく、その点だけは喜ばしい事だった。
 休み時間には、当然のようにクラスメイト達から質問攻めにされた。昼休みには幼なじみ二人に根ほり葉ほり聞かれ、答えに詰まり、結局あることないこと話して誤魔化すしかなかった。
 嘘をつき疲れて迎えた五現目の授業は英語だった。教室に入るなり、ちらりと目配せをしてくる雪乃から華麗に視線を逸らしつつ、月彦はまたしても矢紗美の言葉を思い出していた。
(多言語が話せる人はフェラが巧い……かぁ……)
 昨夜、真央に五回も口でヌかせたにも関わらず、雪乃のむちっとした体つきを見ていると、うっかり机が浮いてしまいそうになる。
(反則、だよなぁ……)
 真央の体も、同年代の女子に比べれば反則気味にエロいが、雪乃の大人の色気にはさすがに一歩及ばない。
 しかも、月彦のクラスで授業がある日に限ってやたらと色気のある服を着てくるのだからたまらない。黒板に英文を書き込むその後ろ姿、ぴちっとしたタイトミニに浮かぶ輪郭はもう悩ましげの一言。並の精神力では黒板の方へと目を向ける事すら出来ない程だ。
(胸も……スゴいし……)
 肩幅、袖の長さ共にぴったりであるのに、胸元だけがさも窮屈といった具合。今にもボタンをはじき飛ばしてしまいそうで、やっぱりそこからも目を離す事が出来ない。
(先生に、口で……か……)
 試してみたい――と。その想いが次第に強くなる。が、しかし――そんな事、どの面下げて頼めばいいというのか。
 普段は素っ気なく遠ざけ、ムラッと来た時にだけ体を求める――それではあまりに雪乃に失礼だ。
(でも……したい……先生と…………)
 最早“口で”という条件すらどうでもよくなってくる。あのむっちりとした体を、一晩中――否、一日中でも構わない。貪り尽くしたい、堪能したい――。
(したい……先生に、中出し……を――)
 そこまで考えた所で、はたと正気に戻る。
(っ……馬鹿ッ……授業中に何考えてんだ……俺は……)
 昨日も矢紗美と、そして真央とも散々シたじゃないか――しかしそんな常識的な説得では、一度首を持ち上げてしまった獣欲はどうにも御しがたく、月彦は授業の終了まで机の脚が浮いて仕舞わぬ様、必死に押さえつけねばならなかった。


 五限目を鉄の自制心で乗り切り、六限目もなんとか無難にやり過ごし、さあ厄介事が起きる前に帰ろうすぐ帰ろうと早々に帰り支度を済ませて、月彦は廊下へと飛び出した。
(……どうにも嫌な予感がする)
 根拠はない――が、強いて上げるとするならば、五時限目に感じた雪乃のあの目。何かもの言いたげな――そんな類の目が、月彦に帰宅を逸らせるのだった。
(それに……今変に接触しちまったら……俺の方から襲っちまいそうだ……)
 前回の微妙に気まずい接触からろくに会話もしていないだけに、いきなりそういう展開ということも無いだろうが、事、“そういう展開”への偶然的な発展確立に関して、月彦は楽観視しない事にしていた。
「紺崎くん」
 だから、背後から呼び止められた時、驚きよりも“やっぱり来たか”――と思ってしまった。
「ちょっといいかしら?」
「……先生ですか。どうかしたんですか?」
「紺崎くん、この後……ちょっと時間とれる?」
 またこのパターンか……と、反射的に嫌な顔をしてしまいそうになるのは、この姉妹に散々謀られ続けたせいだ。勿論月彦は引きつりそうになる口を噛みつぶし、無理矢理に笑顔を作る。
「紺崎くんに見せたいものがあるの。そんなに時間はとらせないから、会議が終わるまで何処かで時間潰しててくれない?」
「俺に見せたいもの……ですか?」
 はて、何だろうと。純粋に興味は湧くが。
「すぐ済むから、ね? お願いっ」
「……本当にすぐ済むんですか?」
 じろりと。指につけられたバターをなめていたら何度も舌を掴まれた猫のような眼差しで、雪乃を見る。
「そういう目をされるのは心外だわ。私がいつ、紺崎くんに嘘を言ったの?」
「……自覚が無いんだったら、いいです。……とにかく、本当の本当に、すぐ済む用件なんですね?」
「そう言ってるじゃない。……紺崎くんっていつからそんなに疑り深くなっちゃったの?」
 あなたとあなたの姉のせいです――と、言ってやりたかった。
「……わかりました。図書室で適当に時間潰してますから、なるべく早く来てください」
 月彦の返事が余程嬉しかったのか、雪乃はホッと胸をなで下ろして職員室の方へと戻っていった。
(……何を見せるつもりか知らないけど、確信犯じゃない分矢紗美さんよりマシ――なのかな)
 考えようによっては、故意ではないぶんタチが悪い、とも言える。はあ、とため息をつきながら図書室へと足を運ぶ、その途中で。
「ん……?」
 階段の踊り場、掲示板に貼られていた一枚の紙に、月彦の足は止まった。
「これは……」
 “里親募集中”の大きな文字と、カラープリントされた五匹の可愛いアメショーの子猫。もちろん、その可愛らしさだけでも目を引くには十二分だったのだが、月彦が注目したのは、最下部に書いてある“連絡先”の項目だった。
「希望者は、職員室の雛森まで。面接あり……」
 はて、この学校に雪乃の他に雛森という名字の人物は居ただろうか――記憶を探るも、該当する人物は思い当たらなかった。
(……まさか、見せたいものって、コレかな)
 まじまじと、写真に写っている子猫を見る。生後一ヶ月過ぎ――辺りだろうか。くりくりとした丸い目と、やんちゃそうな顔立ちが愛らしいことこの上ない。
(……確かに可愛いもんなぁ…………)
 ひょっとしたら雪乃も“あの時”以来、どうにもばつの悪い思いをしていて、それらを払拭するためのきっかけを捜していたのではないだろうか。
 可愛い子猫をダシに雰囲気を和ませて、ちょっと世間話でも――そんな展開が目に浮かぶようだった。
(弱みをネタに脅迫してくる矢紗美さんとは、やっぱり違うな、うん)
 やり口がまだかわいげがある――雪乃の株が少しだけ上がるのを感じながら、月彦は再び歩き出す。
(まあ、仮になにか面倒が起きたとしても…………一緒に里親を捜して欲しいとか、最悪でもそのくらいの面倒だろう)
 うんうん、と頷きながら、一路図書室へと向かう。“最悪でも〜だろう”の想像が、えてして雛森姉妹には通用しないということを、子猫可愛さの為か月彦はコロリと忘れてしまっていた。


 図書室で文部省推奨漫画などを読みつつ時間を潰すこと一時間半、生徒もまばらになってきた頃になって漸く雪乃は現れた。
「ごめんね、紺崎くん。待った?」
「多少は……まあ、会議じゃしょうがないですよ」
「そんなに大した内容じゃなかったんだけど、義務みたいなモノだから。……そうそう、紺崎くん聞いたわよ? 昨日は凄かったんだって?」
「……ああ、その話は――」
 まったくのデタラメ、とはさすがに言えず、肯定も否定もせずにのらりくらいとはぐらかす。
「とりあえず出ましょう。人目がありますから」
 雪乃の背を押すようにして、月彦は図書室を後にする。辛うじて残っていた幾人かの生徒達の視線が気になったからだ。
「で、見せたいものって何ですか?」
「んふふっ、それはねぇ、見てのお楽しみよ。ついてきて」
 にこにこと上機嫌で先導する雪乃の後に月彦も続く。
 本当は察しがついているのだが、ここは雪乃の顔を立てて、月彦はあえて気がつかないフリをする。
(うん、それが優しさってもんだ)
 たとえば、真央が仕入れてきたばかりのなぞなぞを問いかけてくる。それ自体は既に一般的な高校生ならば小学生だか幼稚園だかの頃にいっぱい食わされたレベルの低い引っかけ問題に過ぎないのだが、そこをあえてひっかかり、真央の顔を立ててやる。そして頭を撫でながら褒めてやるのだ――真央は賢いな、と。
 雪乃は真央ではないが、“見せたいモノがある”等と意味深な言い方をするからには、少なからず驚かせようという気持ちがあるに違いない。
 ならば、ギリギリまで気がつかないフリをして、きちんと驚いてみせるのが人の道、礼儀だと月彦は思う。
「あれ、先生……職員室じゃないんですか?」
「え?」
 てっきり職員室に向かうとばかり思っていた月彦は、昇降口の方へと向かう雪乃についそんな疑問を投げかけてしまった。
(あっ……しまった、俺は知ってちゃいけないんだ)
 何でもないです、とその場を誤魔化し、再び雪乃の後に続く。
(そうだ、よく考えたら“職員室の雛森まで”って書いてあっても、子猫が職員室に居るわけじゃあ無いよな)
 ここにきて漸く、月彦は己の勘違いに気がついた。そしてそれは同時に、“もう一つの最悪”にも気づくことになった。
 そう、即ち――“うちに可愛い子猫がいるんだけど、見に来ない?”という展開だ。
(ダメだ、そんな事になったら――……絶対、俺は自分を抑えられない)
 ただでさえ、キツく仕舞われた胸元に、ふくよかな唇に、ぴっちぴちのタイトミニに散々ムラムラさせられた後なのだ。そういった状態で己を自制できない事にかけては、月彦は地球上の誰よりも自信があった。
(……ていうか、既に……“それも悪くない”って思っちまってるし)
 雪乃とヤりたい――だが、こちらから切り出したのでは如何にも体目当てという形でばつが悪い。しかし雪乃の方から誘いをもちかけてくれるのなら、まさに渡りに船。
(ああでもダメだ……今日は平日じゃないか……それに――)
 昨日、真央に口でさせた後、ボソリと言われたのだ。いつもより薄い気がする――と。
 当然その場はなんとか誤魔化したが、あまり不審ととられる行動を頻繁にとるのもよろしくない。しばらくは大人しくしていたほうが――。
「紺崎くん」
 雪乃の声に、はたと月彦は我に返る。
「靴を履いて、裏の駐車場の方で待っててくれる? 私もすぐにいくから」
「えっ……あ、はい。解りました」
 当然の事ながら、生徒と教師では昇降口の場所が違う。外に出るのなら、自然と一度別れる事になる。
(駐車場――ってことは、やっぱり……)
 子猫をダシに、お持ち帰りをするつもりなのだ。本音を言えば、その誘いに乗ってしまいたい――いや、しかし。
(今日の所は……断る、しかないよなぁ……)
 時期が悪すぎた。昨日矢紗美と会っておらず、真央に不審がられてなければ――或いは。
(よし、きっぱりと断るぞ、うん)
 決意を固め、月彦は駐車場へと足を運ぶ。雪乃もすぐにやってきた。
「ねえ、紺崎くん。どうして駐車場に来て貰ったか、解る?」
 まさに、“なぞなぞ”を覚えたばかりの真央のような悪戯っぽい笑みを浮かべて、雪乃がそんなことを聞いてくる。
 無論月彦は。
「いえ……さっぱり解りません。ここに何か珍しいものでもあるんですか?」
「珍しいか――って言われると、珍しくはない、って言わなきゃいけないかもね。それこそ、日本に万単位で在るモノなんじゃないかしら」
 珍しくはなく、万単位で存在するもの――やっぱり子猫か、と思いつつ、やはりおくびにも出さない。
「んふふ、解らない? じゃあ、紺崎くんにヒントあげる」
 いえ、とっくに察しがついています等とは、上機嫌極まりない雪乃に対して言えるはずもなく。
「ヒントその1,私が立ってる場所」
「先生が立ってる場所……ですか?」
 はて、それが一体何のヒントになるのだろう。さっぱり見当がつかないが、とりあえず気がつかないフリをせねばならない手前、月彦は雪乃の周囲を見渡す。
 何の変哲もない、アスファルトを白線で区切っただけの職員専用の駐車場。まだ校内に残っている教師が多いのか、六割以上車が止まったままだった。
 当然、雪乃が立っている場所の側にも車が停めてあるが、それは雪乃の車ではない。
「ヒントその2」
 月彦が首を捻っていると、辛抱しきれないとばかりに雪乃が次のヒントを出してきた。
「ここに在って然るべきものが無い筈よ。それは一体何でしょう?」
「ここに在って然るべきもの……」
 駐車場に無ければいけないもの――車だろうか。しかし車は見ての通り、大量にある。むしろ塞がっていない場所の方が圧倒的に少ない程に。
(……解らない。先生は何が言いたいんだ?)
 意味のない謎掛けなどせず、素直に言えばいいのだ。うちに子猫を見に来ない?――と。そうすれば、こちらとしても「今日は無理です」とはっきり断る事ができるのに。
(いや、待てよ……)
 そこではたと、気がつく。雪乃が見せたいモノというのは、本当に子猫なのか。
 思い返してみれば、雪乃の口からはっきりと、そうであると示唆するような言葉が聞けたわけではない。単純に、掲示板の張り紙を見て、自分が思いこんだだけだ。
(じゃあ――何だ)
 子猫ではないとすれば。雪乃は何を見せようとしているのか。月彦は第一のヒント、そして第二のヒントを再度吟味し――そして、一つの推測にたどり着いた。
(あっ……)
 しかし、月彦の頭をよぎったその推測はあまりに恐ろしく、そうであって欲しくないという想いがあまりに強くて、とても口には出せなかった。
「ぶーっ、時間切れ。……んもう、これだけヒントあげてるのに、紺崎くんってホント鈍いんだから」
 落胆したような――同時に、月彦が“気づかなかった”事に愉悦を覚えている様な、そんな複雑な笑みを浮かべて、雪乃は側にあるシルバーカラーの軽自動車の屋根の上で両手を重ね、顎を乗せる。――まるで、これは自分の所有物だと言わんばかりに。
 雪乃のそんな仕草が丁度、昨日矢紗美が見せた仕草とそっくりで、やはり姉妹だ――などと思う余裕は、月彦には無かった。あるのはただ――胃の腐を凍り付かせるような己の想像が、現実になってほしくないという想いだけ。
 しかし。
「これね、私の車なの」
 えてして、現実というのは残酷なもので。
「えへへ……新車、買っちゃった」
 どこか照れくさそうに笑う雪乃に、月彦は空笑いすら返せなかった。

 

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