夜。
 宮本由梨子は自室のベッドの上で正座をしていた。既に入浴を済ませ、寝間着姿。にも関わらず、まるで全力疾走をした後のように脈に落ち着きがない。
(この電話をかけたら……もう、引き返せない)
 視線の先には、愛用の携帯電話がある。由梨子は恐る恐る手を伸ばし、中折れ式のそれを開く。
 深呼吸を数回。震える指で携帯電話を操作し、アドレス帳から“紺崎真央(自宅)”の項目を選択する。
「……っ………………」
 発信ボタンを押そうとした親指が、止まる。握力の抜けた手からするりと携帯電話が滑り落ち、ぽふっ……と上布団の上に落ちる。
(大丈夫、これは……真央さんへの裏切りじゃない……)
 なんとか自分を説得して、電話を拾う。再度深呼吸をして、今度こそ発信ボタンを押す。
 少しの間のあと、呼び出し音がなり始める。一度、二度――三度目の途中でがちゃりと受話器を取る音が聞こえた。
『もしもし、紺崎ですけど』
 良かった、と由梨子は快哉を叫ぶ所だった。ここでもし真央が電話に出たら、いろいろと面倒な事になったかもしれないからだ。
「あ、もしもし……先輩ですか? 私です、由梨子です」
『えっ……由梨ちゃん?』
 余程意外だったのだろう。月彦の発音に疑問がありありと混じっていた。
「夜分遅くにすみません」
『いやいや、まだ九時過ぎじゃないか、全然大丈夫だよ』
 本当は八時前にかけるつもりだったんです、と由梨子は心の中で詫びた。決心が固まるまでに、それだけの時間を要してしまったのだ。
『それで、どうしたの?』
「ええと、その……先輩、今度の週末の事なんですけど」
『うん』
「何か予定とか、ありますか? ま、真央さんと……出かけたり、とか……」
『んー……こないだ出かけたばっかりだから、特に予定ないけど。どうして?』
「あのですね、もし……何も予定がないなら――」
『ああ、解った。そういうことか』
 みなまで言わなくてもいい、とばかりに月彦が由梨子の言葉を切る。
『約束してたもんな。大丈夫、俺は忘れてないって。おーい、真央ーーーーっ! 由梨ちゃんがデートしないかってさ』
「えっ、ぁ……違っ……」
 由梨子は慌てて否定しようとしたが、その時には既に月彦は受話器を耳から離した後だったようだ。僅かな保留音の後に、『もしもし』と真央の声が聞こえる。
「あっ……真央さんですか? こんな時間にすみません。実は――」
 由梨子は必死に声のトーンが落ちぬよう気をつけながら、月彦に言う筈だった言葉を真央に伝える。せめてもの救いは、真央の返事がOKだった事だろう。
「…………………じゃあ、真央さん。また明日、学校で」
 可能な限り明るい声で挨拶をして、由梨子は通話を切った。ずきんっ……と、胸の奥が痛む。
(失敗、した……)
 由梨子は携帯電話を握りしめ、そのままベッドに伏した。
 

『キツネツキ』

第十四話

 

 


 


「由梨ちゃん、何だって?」
「うんとね、ボウリングのタダ券が手に入ったから一緒に行きませんか、だって」
「ボウリングかぁ〜」
 そういえば長いことやってないなぁ、としみじみ思う。中学の頃などは妙子、千夏、和樹の三人と一緒によく行ったものだ。尤も、四人全員揃うことはごく希で大抵は千夏、和樹との三人でやったのだが。
「真央、どうしたんだ?」
 と、声をかけたのは愛娘がどうにも浮かない顔をしているからだ。腑に落ちない顔、と言ってもいい。
「うん……由梨ちゃん、どうして電話してきたのかな」
「ん、別に変じゃないだろ?」
「今日はまだ水曜日だよ? 休みの日の事なら、明日学校でいっぱい話せるのに」
「ああ、そりゃあ……アレだ。早くしないと、俺が真央とデートする予定を入れちゃうからじゃないのか?」
 えっ……と、真央が顔を赤らめる。
「と、父さま……デートして、くれるの?」
「いや、それはモノのたとえってやつだ。真央はもう由梨ちゃんと約束したんだろ?」
「うん……でも、父さまが連れて行ってくれるなら……」
「それは駄目だ。真央、それは由梨ちゃんにとっても失礼な事だぞ。もし真央が由梨ちゃんとのデートを断っても、俺はデートなんかしないからな」
「……父さま、ずいぶん由梨ちゃんの肩持つんだね」
「そういうわけじゃない。友達付き合いの基本ってやつだ。これが何処の馬の骨とも知れない男ならデートなんか断固として認めんが、由梨ちゃんなら大丈夫だ。真央だって、別に嫌じゃないだろ?」
「それは……そうだけど」
 真央はやはり何かが腑に落ちないのか、うーんと唸る。
「まあ、何でもいいさ。真央だって俺とばかりじゃなくて、友達とも遊んだ方がいいに決まってる。でも真央、暗くなる前には帰ってくるんだぞ?」
「うん、それは……解ってるけど……父さま、一つ聞いてもいい?」
「なんだ?」
「ボウリングって……どんな事するの?」


「それで、先輩はどういう風に教えて下さったんですか?」
 ふふ、と微笑みながら、由梨子が先を促してくる。真央はむーっ、と頬を膨らませ、月彦が吹き込んだ酷い出鱈目について由梨子に愚痴を零す。
「穴掘りだって。お金を払って好きな場所をロープで囲って、そこを頑張って掘るんだって。金が出たら半分お店に渡して、半分は持って帰っていいんだって、言ってた……」
「酷い出鱈目ですね。……まあ、あながち嘘というわけでもないですけど」
 くすくすと、由梨子が笑う。真央はまだむぅーと頬を膨らませたままだ。
 木曜日の昼休み。外が雨だから、真央も由梨子も教室で昼食をとっていた。由梨子は真央の見慣れたいつもの弁当箱ではなく、一回り小さい弁当箱を持ってきていたが、それでもご飯は食べられるようになったようでしっかりと食事をとっていた。
「私、知らなかったから……いっぱい金を掘ってくるね!って先輩に言ったの。そしたら先輩……期待してるぞ、十キロくらい掘れたら大金持ちになれるぞ、って……」
「あらあら……先輩も悪い人ですね。……でも、今時ボウリングも知らない真央さんの方も問題があると思いますよ?」
「わ、私が暮らしてた所は……すっごい田舎だったから……そんなお店、無かったの」
 真央は顔を赤らめ、そう弁解する。ふふ、と由梨子が優しく笑む。
「ボウリングっていうのは、玉を転がしてピンっていう棒を倒す遊びです。ピンは十本あって、一度に二回まで投げられます。一回で全部倒してしまうことをストライクと言って一番得点は高いのですけど、なかなかそう巧くはいきませんから、とりあえず二回投げて全部倒すのを目標ですね」
「十本倒したら終わりなの?」
「いえ、それを十回やって、その得点を競うんです。九回目までは二回ずつ投げられますけど、十回目だけは三回投げられます。これも条件があるんですけど」
「なんか、難しそうだね」
「そんな事はないですよ。五才の子供にだって出来る遊びです」
 五才――という響きに、真央はぴくんと体を揺らしてしまう。
「どうかしましたか?」
「うん……由梨ちゃん、変な事聞いてもいい?」
「何ですか?」
「本当は私とじゃなくて、……と……月彦先輩と、行きたかったんじゃないの?」
 えっ、と由梨子が笑みを止めた。しかしすぐに苦笑に変わる。
「確かに、変なことですね」
「ご、ごめんね。何となく、そんな気がしただけなの……やっぱり、気のせいだよね」
 ふふ、と由梨子は静かに微笑む。まるで、場を誤魔化すような笑みだった。
「大丈夫ですよ、真央さん。先輩は確かに見舞いにはよく来てくれましたけど、退院してからは殆ど話すらしてないんですから。先輩が一番好きなのはあくまで真央さんです」
 それは真央さんが一番よく知っている筈でしょう、と言われて真央は黙り込んでしまう。たしかに、月彦と同じ家に住む真央はほぼ四六時中月彦と一緒にいる。学校に居る時がほぼ唯一月彦と離れている時間帯といっていい。そしてその時には、由梨子は自分と一緒に居るのだ。二人が顔を合わせるのは、それこそ朝のひとときくらいのものだ。それで妙なことを勘ぐってしまう自分が、真央はちょっと嫌になる。
「でも、最近由梨ちゃん……月彦先輩の話ばかり、するよね」
 ぽつりと、真央が呟く。にっこり、と由梨子が笑顔を浮かべる。
「それはたまたまです。私は入院していて世情に疎いですから、真央さんとの共通の話題ということで、先輩の話になってしまうだけですよ」
 由梨子の言うことは確かに筋が通っているように聞こえた。それでも、真央は言いしれぬ不安を覚えるのだった。
 
 



「なんだ、そっちのボウリングか。それならそうと言ってくれればいいのに、由梨ちゃんも人が悪いな」
 家に帰るなり、真央は早速月彦に文句を言った。しかし、月彦は心外だとばかりに居直った。
「真央、ボウリングって言葉には二種類の意味があるんだ。一つは真央が言ったようにボウルを投げるボウリング。もう一つは掘るって意味のボーリングだ」
「でも、由梨ちゃん……掘る方のはスポーツじゃないって言ってたよ?」
「確かにメジャーではないが、あるのはあるんだ。古くはゴールドラッシュに起因し、今も北海や中東で盛んな由緒正しいスポーツなんだぞ?」
「……父さまはやったことあるの?」
「もちろんだ」
 と、月彦は胸を張が、真央は虚偽の目でじぃ……と見つめる。こほん、と月彦は咳をつく。
「とはいえ、まぁ確かに由梨ちゃんが言ったほうがメジャーではあるな。だがボウリングは危険なスポーツだからな。真央にやらせていいものかどうか……」
「どうして? 由梨ちゃんは子供でも出来るって……」
「甘い」
 そう言って、月彦はずいと顔を近づけてくる。
「ボウリングの球の重さは一番重い物で約七キロ。これは足の上とかに落としたら軽く骨が砕ける重さだ。事実、俺の友達は昔ボウリングの球を持ったまま転んで指の骨を潰した」
「指が……?」
「ああ。肉がぐちゃぐちゃで、骨が見えてた」
 ひっ……と、真央は恐怖に体を震わせる。
「ある程度慣れてるならそういうことも起きないけどな。その友達は初めてボウリングにいって、そして転んだんだ。気をつけろよ、真央。ボウリングってのは極めて危険なスポーツだからな。気を抜くと――」
 ぐしゃっ、と月彦は脅かすように大声を出す。月彦の言い方があまりにリアルで、真央は己の指や足が棘付きの鉄球に――真央の想像の中のボウリングの球はそうだったりする――で押しつぶされる所を想像し、ぶるぶると震える。
「父さま、ひょっとして……私が由梨ちゃんとボウリングに行くの、反対なの?」
 由梨子とのデートが決まってからというもの、月彦はやたらと意地悪な事を言ったり、嘘を吹き込んだり、挙げ句怖がらせようとしてくる。もしかして、と真央は思ったのだ。
「……何を馬鹿なことを言ってるんだ。女の子が友達の女の子と遊びに行くのは、至極当然な事だ」
 と、月彦は憮然な態度。怪しい、と真央は思う。
「とにかく、だ。ボウリングの球は重い。そして女の子の力は弱い。ちょっとした事が事故に繋がるから、用心して行くんだぞ、真央」
「……うん」
 と、返事をしたものの、正直真央は気が進まなくなっていた。そんなに危険な遊技だとは思わなかったのだ。
 きっと由梨子も、真央が初心者だとは知らずに誘ったのだろう。月彦や由梨子の言葉を聞くに、ボウリングというのは人間の間では比較的ポピュラーな遊びらしい。もし、初めてで勝手が分からず、月彦が言ったようにボールを落としてしまったり、転んだりしてしまったら――。
「大丈夫だ、真央。用心さえしていれば、そうそう事故は起きない」
 わしゃわしゃと髪を撫でられるが、真央の心は晴れなかった。


「……はぁ」
 一体何度目のため息だろう。金曜日の夜、由梨子は自室のベッドの上で足を崩し、呆然と部屋の壁を見ていた。
 明日はボウリング。真央とのデートだというのに、一向に気が晴れない。むしろ、時計の針が進むに連れて気分が重々しくなる。
(先輩を誘う筈だったのに……)
 退院以来、月彦との会話の回数は目に見えて減った。朝、校門の側で二人を待ち、挨拶をするそのひとときだけ。それも真央がいるから、話らしい話も出来ず、殆ど軽い挨拶をするのみで終わってしまう。
 そんな状況を打破したくて思いついたのが今回の作戦だった。たまたま母親が由梨子と弟に一枚ずつボウリングのタダ券をくれ、弟は部活があるから要らないと自分の分を由梨子に渡した。弟もまた、由梨子と同じようにその券の出所に気がついているようだった。それもそうか、と思う。母親がこのように唐突にサッカーのチケットだのコンサートの券だのなんだのを由梨子達にくれるのは今回が初めての事ではないからだ。
(別れるつもりなのかもしれない――)
 漠然と、そんな予感がする。“その時”の為の根回しとして由梨子達の機嫌を取ろうとしているのではないか。――尤も、既に由梨子や弟の武士に見透かされている時点で効果は薄いのだが。
 ただ、今はそんな券でもありがたかった。ボウリングの券というのがまた微妙に良い。これがコンサートやライブチケットであれば、それはそれで誘いづらいし、遊園地の入場券であっても同様だ。由梨子と月彦の関係は友人ですらない。友人の従兄弟と、従姉妹の友人というひどく遠い関係だ。そんなに遠い相手からいきなりコンサートに行きませんか、或いは遊園地に行きませんかと誘われたら、月彦だって変に思うだろう。
 その点、ボウリングならば遙かに気軽だ。近場だし、“お見舞いに来てくれたお礼”という名目としても妥当な所ではないかと思う。
(デートじゃなくて、あくまで……恩返し……)
 そのつもりで由梨子は一大決心を固め、電話をかけた。しかし結果は見事に惨敗。予想だにしなかった月彦の対応に由梨子は軽いパニックに陥り、適当に誤魔化せばよいのに真央を誘ってしまった。
「……はぁ」
 自分の要領の悪さに嫌気が差す。少し前の自分なら、真央とのデートということで狂喜乱舞している筈だった。なのに、今は微塵も楽しい気持ちになれなかった。
(先輩に……会いたい……)
 きゅうっ、と胸の奥が苦しくなる。何もかも、自分が撒いた種だ。真央にまで迷惑はかけられない。明日は精一杯、楽しいフリをしよう――そう心に決めて、由梨子は布団の中に潜った。

 一晩明けて、土曜日。天気は由梨子の心をあざ笑うかのように雲一つ無い青空だった。
 洗顔して身支度を整えるが、大凡気合いが入らない。部屋着に毛の生えた程度に着飾って、由梨子は家を出た。外は木枯らしが吹きすさび、マフラーに顔を埋めるようにして真央と待ち合わせをしている駅前まで歩く。待ち合わせは午前十時だったが、由梨子は十五分ほど早く到着した。まだ、真央の姿は無いようだった。
「……はぁ」
 駄目だと解っていても、ついため息が出てしまう。いけない、と思う。少なくとも真央と一緒に居る時には、ため息など絶対に駄目だ。由梨子は駐輪場の回りにあるパイプ型の索に持たれるようにして、真央を待つ。
 時計を見る。十時を五分ほど過ぎた所だった。真央は時間にルーズな印象は無かったが、少しくらい遅れる事もあるだろう。
 由梨子は待つ。さらに十五分が経過した。ひょっとした待ち合わせの場所を勘違いしているのかもしれないと思って、家に電話をかけてみようと携帯電話を取り出した時だった。
「由梨ちゃーーーーーーん!」
 遠くから、真央の声が聞こえて、ハッと振り返る。――途端、由梨子はその場から逃げ出したくなった。
「ま、真央さん……と、先輩!?」
 あわわと狼狽え、軽いパニックに陥る。どうして、何故月彦が――と考えて、由梨子は漸く気がつく。
 そうなのだ。いくら昼間のデートとはいえ、真央を一人で出歩かせるのは危険な事だ。月彦が送り迎えすることくらい、ちょっと考えれば解る事ではないか。
(そうと、気がついてたら……)
 もう少しマシな格好で来たのに。殆どすっぴんに近い姿を月彦に見せてしまうなんて――由梨子は湯気が出そうなほどに顔を赤くした。
「遅れてごめんね、由梨ちゃん」
「いえ……私も、今来たところですから」
 そっと伏せ目がちに真央の方を見る。私服の月彦が、真央の後ろにばつが悪そうに立っていた。
「ごめん、由梨ちゃん。真央がどうしても……俺が一緒じゃないと行きたくないって言うんだ」
「えっ……?」
「だって……私、ボウリングって初めてだし……。怪我とかしたら……」
「だから、大丈夫だって言ってるだろ? あれはちょっと大げさに言っただけで……」
「でも、と……月彦先輩の友達が怪我したのは、本当なんだよね?」
「まあ、そりゃあ……」
「あの、すみません。事情が飲み込めないんですけど……」
 そぉ〜っと、由梨子は挙手をして会話に割り込む。
「ごめんね、由梨ちゃん。今日のボウリング……月彦先輩も一緒じゃあ、だめ……かなぁ?」



「ほんっとごめん、由梨ちゃん。これ、ノーカンでいいからさ」
 駅で切符を買う間も、月彦は何度も由梨子に謝ってきたが、その声も殆ど由梨子の耳には届いていなかった。
 結局、由梨子は月彦の同行を承諾した。というより、断る理由が無かった。しかし、喜んでばかりもいられなかった。
 どうしよう、どうしようという思考ばかりが渦のようにぐるぐると回る。忘れ物をしたと言って一度家に帰って着替えてこようか。しかしあからさまに着飾って来たら変に思われるのではないか。とはいえすっぴんのままの自分を見られるのも嫌だった。
(……これは、罰だ)
 そんな気がした。相手が真央だからと、気を抜き手を抜いた事の罰なのだと。たとえ前日でも、こうなると解っていたら美容院に行って軽く髪を整えるくらいはしたのに。由梨子は己に対する嫌悪の念と素の自分を見られることの羞恥でまともに月彦の顔を見れなかった。
(入院中は、大丈夫だったのに……)
 着飾る余裕が無かったから――だろうか。寝間着にドテラ姿という、本来ならば一番見られたくない姿にもかかわらず、まだ普通に月彦に接することが出来た。入院中ならばそれが普通だから、それで仕方がないからと言い訳も出来る。しかし今は。
(私もちゃんと女の子なんだって、先輩に見せてあげたかった…………)
 電車での移動中、由梨子は少し離れた位置からそっと月彦の方を盗み見た。辛うじて空いていた座席を真央に譲り、月彦は真央を他の客からガードするような位置に立っていた。ああいう風に庇われたい――と、そんな事を思う。
「由梨ちゃん、大丈夫?」
「えっ……」
「立ってて辛くない? 私、代わろうか?」
 願いが通じたのかのような、真央の申し出だった。きっと、退院したての自分の体を気遣ってくれているのだろう。
 すみません、お願いします――その言葉が喉まで出かかって、止まる。
「大丈夫です、たった一駅ですから」
 笑顔で、そう返してしまう。私のバカ――そう、心の内で呟きながら。

 馴染みのボウリング場までは、駅から五分と歩かない距離だった。ちょっとした百貨店くらいの大きさで、一階の半分が駐車場、残りの半分がゲームセンター、二階がボウリング場になっている。
 頻繁というわけではないが、真央と出会う前などは二月に一度くらいのペースでクラスメイトと遊びに来たりした場所だ。……無論、円香とも何度か来た。
「へぇ……こんな所があったのか」
 入店するなり、月彦が関心するように呟く。ゲームセンター部分を素通りして階段を上がると、ガコォン、ガコォンと聞き慣れた音が出迎えてくれる。うわぁ……と声を上げたのは真央だ。
「ここがボウリング場です」
「すっごぉい! 先輩、早くやろっ!」
 真央はぴょんぴょん跳ねながらぐいぐい月彦を引っ張っていく。その歓び方がまるで初めてボウリング場につれてきて貰った幼子のようで、由梨子は微笑んでしまう。
 三人でまずカウンターへ行き、レーンの番号札を貰った。その後、貸し靴の自動販売機――正確には販売ではないが――の前へと移動する。
「へぇ……今はこんなのあるんだ。俺がやってた頃は普通にカウンターで貸してもらってたなぁ……」
「先輩はやったことあるんですか?」
「まあな。中学の頃少し囓った程度だ」
「私も、友達と時々来るくらいです」
 他愛のない会話だが、どきどきと胸が高鳴った。こんなに近くで、こんなにたくさんの言葉を交わすのは、本当に久しぶりだった。
「タダ券があるのに、お金払うの?」
 貸し靴販売機に千円札を吸い込ませる月彦を見て、真央が不思議そうに首を捻る。
「ボウリング場のタダ券っていうのは、基本的に貸し靴代は含まれてないものなんだ。それが商売ってモンなんだ、真央」
「変なの……詐欺みたい」
 真央の呟きに、月彦も由梨子も苦笑する。
「先輩、先に言っておきますけど……私が持っているタダ券は二人分だけ、三ゲームまで無料の券なんです。ですから……」
「解ってるって。無理矢理ついて来たんだ、自分の分くらい自分で出すさ。それにここ、俺が行ってた所よりも安いみたいだし、何ゲームでもOKだよ」
「すみません」
「いいって。……由梨ちゃん、靴のサイズは?」
「24.5ですけど……」
 答えた瞬間、月彦は24.5の靴のボタンを押す。
「先輩、あの……私、自分の靴代くらい、自分で――」
「いいから。少しは俺にも先輩面させてくれ」
 月彦は取り出し口から靴を取り、由梨子に渡す。
「あ、ありがとうございます……」
「ほら、真央も」
「これ履かないとだめなの?」
「ああ。滑ったりすると本当に危ないからな。さて……次は球選びか」
「あれもお金払うの?」
「いや、ボールはタダだ。…………少なくとも俺がやってた所では」
 と、月彦はちらりと由梨子の方を見る。
「大丈夫ですよ、私もそんなにあこぎなボウリング場は知りません」
「だよなぁ……んじゃあ俺はこの黄色いので」
「どれでもいいの?」
「ああ、好きなのを選んでいいぞ」
「じゃあ、あのピンクのがいい」
「大丈夫か? これは重いぞ?」
 月彦は真央が指さしたピンクの球をとり、手渡す。うっ、と真央が僅かによろめき、ボールを受け取る。
「へ、平気……」
「まあ、どうせ両手投げからやるだろうから重くてもいいか。由梨ちゃんは決まったか?」
「ええと……じゃあ、私はこの緑ので」
「よし。んじゃあ早速始めるか」
 と、ボール置き場を後にしようとすると、真央がくいくいと月彦の袖を引く。
「先輩、一個だけでいいの?」
「ん……ああ、ボールは投げたらちゃんと戻ってくるんだ。だから一個だけでいいんだぞ、真央」
「真央さん、本当に初めてなんですね」
 苦笑する月彦に、由梨子もつられて笑う。いきなり月彦と二人きりで来るよりも、ひょっとしたらこうして三人でわいわいしながらやった方が良かったかもしれない――由梨子はそんな事を思った。



「へぇ……今時は採点も自動かぁ……」
 カウンターで指示されたレーンに移動するなり、月彦は関心する。昔通っていたボウリング場は採点は手書きだったのだ。
「今時はって……随分前からそれが普通だと思いますけど」
 だから、由梨子に意外そうに言われて、月彦は些か恥ずかしい思いをしてしまった。
「お、俺が行ってたところはほんとボロっちい所だったんだよ。ヤな爺さんが受け付けやってて、貸し靴もろくに洗ってないからたまに無茶苦茶臭いのとかがあってだな…………まあ、そんな所だからとっくに潰れちまったが……」
「……そんなところに通ってた先輩が凄いと思います。誘われたお友達もさぞかし……」
「違う! 俺が言い出しっぺじゃなくてカズのやつが“穴場だ”っつって――」
「先輩っ!」
 ぐいっ、と服の背中を引かれて月彦が息を詰まらせる。
「由梨ちゃんとばかり、喋らないで」
「あ、あぁ……悪い、真央。つい熱くなってな……さて、じゃあ順番決めるか。由梨ちゃんは何番がいい?」
「私は何番目でも。ただ、最初は私か先輩のほうが良いと思います。真央さんは勝手が分からないでしょうから」
「そうだな。じゃあ俺、由梨ちゃん、真央の順に登録すりゃあいいな」
 月彦は辿々しく、レーンに備え付けられた端末に自分たちの名前を入力し、登録する。
「ああ、先輩。真央さんはビギナー設定しておいたほうがいいと思います」
「ビギナー? そんなのあるのか?」
「はい、ええと……確か……」
 と、由梨子が割り込んで端末を操作する。不意に、微かな香水のような香りがして、月彦はハッと距離をとってしまう。
「これで大丈夫な筈です」
「よ、よし。……じゃあ、早速始めるか」
 ゲームスタートのボタンを押し、月彦は颯爽と立ち上がる。
「先輩、頑張ってくださいね」
「先輩、がんばって!」
「おう」
 月彦は軽く体をほぐし、ボールを手にとる。うろ覚えにボールを構えて、じっとレーンを睨む。
(ここは、見せ場だ)
 真央はともかく、由梨子には格好良い所を見せねばと月彦は意気込んでいた。となれば、ボウリングという競技において最高のパフォーマンスであるストライクを取るしかない。
 月彦は軽く助走をつけ、球を投げる――というより、正確には滑るように転がすのだが――黄色いボールは勢いよく奥のピンへと向かっていくが、徐々に左外へと切れ始める。
「あああぁ!」
 と、月彦が悲痛な叫びを上げた時にはボールはガーターへと吸い込まれ、背後の座席からもあぁ……という嘆息が聞こえた。
「先輩、凄い! あそこに入ったら何点なの?」
 ただ一人、真央だけがきゃあきゃあと騒いでいる。いきなりのガーターに月彦は意気消沈し、答える気力も無かった。
「あそこはガーターっていって、点がもらえないんですよ」
「そうなんだ……じゃあ、先輩0点なの?」
 真央の無慈悲な問いが、グサリと月彦の胸に刺さる。
「まだ0点かどうかはわかりません。次で十本倒せばいいんですから」
「十本倒したらストライク?」
「いえ、二投目ですから全部倒してもスペアですね」
「そうなんだ……最初に全部倒さないといけないんだね」
 結局、月彦の二投目はガーターにこそならなかったものの、隅っこの三本だけをパタパタと倒すというなんとも盛り上がらない出だしになった。
「先輩、ドンマイです」
「ありがとう、由梨ちゃん」
 力尽きたように月彦は座席に戻る。座席にあるディスプレイにはきっちり月彦の得点がたった三点であることが表示されていた。
「三点って凄いの?」
 目を爛々と輝かせて聞いてきたのは、勿論真央だ。
「……まあ、ぼちぼちだ」
 さっぱりだ、とは言えず、月彦は少しだけ見栄を張ってしまう。
「じゃあ、次、行ってきますね」
「おう、由梨ちゃん、無理はするなよ!」
「がんばって、由梨ちゃん」
 はい、と返事をして、由梨子が投げる。長いブランクがある月彦と違って、由梨子のフォームは大分様になっていた。
 由梨子は一投目で五本を倒し、二遠目で三本を倒した。由梨子は納得がいかない顔をしていたが、八点は凄いと真央が喜ぶから釣られて笑みを零していた。
「じゃあ、次は私だね」
「ああ、真央。俺たちみたいに無理して片手で投げない方が良いぞ。最初はほら、あんな感じで両手で投げるといい」
 と、月彦は三つ隣のレーンでプレイしている家族のほうを指さす。そこでは小学生くらいの女の子が両手でボールを置き、コロコロと転がしてプレイしていた。
「えーっ……私も由梨ちゃんみたいに投げたいなぁ……」
「初めのうちはああやって転がして慣れたほうがいい。大丈夫だ、勢いが無くてもピンに当たればちゃんと倒れるから」
「先輩の言うとおりですよ、真央さん。最初は転がして慣れた方がいいと思います」
「うん……先輩と由梨ちゃんがそう言うなら……」
 真央は渋々ボールを両手で持ち、レーンに転がす。が、やはり不慣れなのか、ゴロゴロとガーターに向けて一直線に傾いていく。
 しかし、真央のボールはガーターにはならず、寸前で何か柵のようなものに当たって跳ね返り、またレーンの中央へと戻っていく。
「ビギナー設定だと、ガーターに行かないように柵が出るんです」
 月彦の疑問に答えるように、由梨子が言う。
「へぇぇ……ハイテクになったなぁ……」
 月彦が関心している間にも、真央のボールはごろごろと進み、結局一投目だけで九本ものピンを倒してしまった。
「やったぁ!」
 真央は飛び跳ねるようにして座席の月彦の方に抱きついてくる。そのまま褒めて褒めてとばかりに頭をグリグリ押しつけられて、やむなく月彦は真央の頭を撫でてやる。
「先輩っ、九本倒したよ! これで九点なんだよね!」
「ああ、初めてで九本も倒すなんて凄いぞ、真央。なぁ、由梨ちゃん」
「え……ええ。そうですね、真央さん、才能あると思いますよ」
「そういう事だ、真央。まだ一投残ってるから、早く投げてこい」
 さすがにこれは人目を憚るとばかりに月彦は真央を無理矢理引きはがし、ボールの返却口へと押し出す。真央はまだ甘え足りないのか、未練がましく月彦の方を見たが、自分のボールが戻ってくると嬉々としてそれに手を伸ばした。どうやらボウリングの楽しさを覚えたらしい。
 が、結局最後の一本は倒せず、真央の得点は九点止まりだった。ビギナー補正が利いているとはいえ、第一フレームの結果は月彦三点、由梨子八点、そして真央が九点という結果になった。
「ボウリングって楽しいね!」
 自分が一番得点が高いということで真央はかなりご機嫌のようだった。
「なんの、ゲームはまだ始まったばかりだ。いくらでも逆転してやるさ」
「そうですよ、真央さん。私も負けませんから」
 真央のいきなりの高得点に由梨子もまた負けん気を出してくる。
(あぁ……この感じ、懐かしいなぁ……)
 互いの結果に一喜一憂、月彦達の場合はそれに罵声が加わり酷いときには乱闘まがいの事まで起きたが、やはりこういうのは良い――と思う。
(妙子……元気かなぁ……)
 長く顔を合わせていない幼なじみの顔が、唐突に浮かぶ。月彦、和樹、千夏がやいのやいのと騒ぐ中、ただ一人氷のように静かで、そのくせ負けん気だけは人一倍。納得いかない、もう一勝負と言い出すのは決まって妙子だった。一時期は想いを寄せた事もあったが、今はそれも随分遠い昔の事に思える。
「先輩、何ボーッとしてるんですか、先輩の番ですよ?」
「えっ、あぁ……悪い。そうだったな」
 由梨子に急かされ、月彦は腰を上げる。
(今の俺には真央が……そして由梨ちゃんが居る……)
 ボールを掴み、まるで妙子への未練を断ち切ろうとするかのように放る。月彦の第二フレーム、それは見事なストライクだった。
 
 
 


 結局、第一ゲームの結果は月彦112点、由梨子133点、真央75点という結果になった。
「むぅ〜〜〜…………」
 序盤好調だった真央だが、月彦、由梨子が徐々に調子を取り戻してぽつぽつとストライク、スペアを取り出した辺りから徐々に点差をつけられたのだった。
「鈍ったなぁ……昔はアベレージ150くらいあったんだが」
「私は140くらいでしたけど……ブランクの差ですね」
 初心者だから最下位なのは仕方がない、と真央は思う。そのこと自体はさほど不快ではない。不満なのは、投回が進むにつれて月彦と由梨子が親しげに話をし始めたからだ。
(私の父さまなのに)
 ボウリングの専門的な話――に、真央には聞こえる――になると、自分は全く入っていけない。それがもどかしくて、何とか良い結果を出そうと頑張っても、やはり不慣れで巧くいかない。
「先輩、次は私も普通に投げていい?」
 投げ方のせいではないかと思って、真央はそんなことを提案してみる。
「えっ、あ……悪い、真央。聞いてなかった……なんて言ったんだ?」
 が、月彦にそんな事を言われて、思わずかちんと来てしまう。
「私も普通に投げたいって言ったの!」
「ああ、そうか。良いんじゃないか、真央もそろそろ慣れただろう」
 月彦は素っ気なく言って、由梨子の方に向き直ってしまう。ぴくぴくと、真央の眉が震えた。
 だいたい由梨子も由梨子だと思う。自分と月彦の関係を知っているなら――というか、誤解しているのなら――もう少し気を遣ってくれてもいいんじゃないかと。そんな事まで真央は考えてしまう。
 何のことはない。ただの、そしていつもの嫉妬だ。そして、自分はそれを抑える――と、月彦に誓ったのではなかったか。
(でも、やっぱり許せない)
 月彦を同行させたのは他ならぬ真央自身であるということすら忘れて、真央はめらめらと悋気に燃える。
「よし、んじゃあ二回戦いくか」
「真央さん、どうします? もう一回ビギナーモードにしますか?」
「……いい。私も普通にやりたい」
「無理しなくていいぞ、真央。もう一回くらい様子みといたほうがいいんじゃないか?」
「早く上手になりたいの」
「そ、そうか……そういうわけだ、由梨ちゃん」
 わかりました、と由梨子が端末に設定を入力する。程なくゲームが再開。月彦も由梨子も大分カンを取り戻したのか、月彦の第一フレームはスペア、由梨子はいきなりストライクをとった。
(私も、負けない)
 ボールを持って構え、見よう見まねで助走をつける。
「んっ……!」
 真央なりにど真ん中に向かって投げたつもりだった。しかし、ボールは徐々に曲がり、レーンの中央付近でガーターに落ち込んでしまう。
「あぁ……」
 真央はそのまま、自分のボールがごろごろとガーターを転がっていくのを見送り、膝を突いた。月彦や由梨子はああも簡単にピンを倒しているのに、どうして自分だけが――と、少しばかり泣きそうになる。
「あーあー……ダメよぉ、そんな投げ方じゃ百年経ってもストライクなんて入らないわ」
 不意にそんな声が聞こえて、真央はびくりと身を震わせ、振り返った。月彦と由梨子が座っている座席、その後ろに見覚えのある顔があった。
「かっ、母さま……」
「真狐!?」
「えっ……真央さんの、お母さん……?」
 月彦、由梨子も一斉に振り返る。真狐は片足を切り落としたジーンズに胸元の大きく空いたラフな長袖シャツ、スポーツサングラスというなんとも季節感のない格好で、意気揚々とレーンの方へと歩いてくる。
「真央、あたしが手本見せてあげるわ」
 月彦達が唖然と言葉を無くしている隙に、真狐は助走をつけてボールを放る。そのフォームは月彦や由梨子よりも明らかに様になっていた。結果、ボールは並んだピンの中央よりやや右の辺りに軽く弧を描いてぶつかり、激しい音を立てて全てを倒してしまった。
「……とまぁ、こんな風に真ん中じゃなくてちょっとズレた所を狙うのがコツよ」
 ぽん、と座り込んだ真央の頭を叩いて、真狐はそのまますたすたと何処かへ消えてしまう。
「何しに来たんだ、アイツ……」
「か、変わった人ですね……」
 唖然とする二人。真央もまた、呆然と母親を見送った。が――
(真ん中よりも、少し横を狙う……)
 その言葉だけは、奇妙なほどに真央の中に残った。


 一度は姿をくらました真狐だったが、五分ほど経ってから再び姿を現した。一体何をする気なのかと見ていると、さも当然のように隣のレーンへと入り、一人でプレイし始めた。どうやら、姿を消したのは受付に行っていたかららしい。
「……あの人が、真央さんのお母さんなんですね」
 やや小声で、由梨子が聞いてくる。ああ、と月彦は返事を返す。
 一体どういうつもりなのだろうか。普段ろくに姿を見せないくせに、こういう楽しい場に限って姿を見せて雰囲気をぶちこわすのだ、あの女は。事実、真狐の突然の登場以降、月彦は動揺を抑えきれずガーター連発、由梨子に至っても決して本調子ではないようだった。
 唯一、真央だけが真狐のアドバイスでコツでも掴んだのか、少しずつ点数を出してきている。現在の第五フレームでは月彦とほぼ並び、由梨子が二十点ほど差をつけて一位という状態だ。
「なるほど……道理で、真央さんは……」
 と、由梨子はなにやら真狐の胸の辺りを見てそんな事を呟く。確かに、ボウリング玉を二つ並べたかのような巨乳は目を引くだろう。
 当の真狐は隣のレーンに入りながらも、まるで月彦達など知らないとばかりに一人でばんばん投げてストライクをとり続けている。三人でプレイしている月彦達に比べ単独プレイの真狐はあっという間に第一ゲームを終え、その得点は268点という凄まじい点数だった。
 その点数に、月彦はつい目を奪われてしまった。それを真狐に見られ、にやり……と笑われる。どう、あたしは凄いでしょ――そう言われたような気がして、月彦も負けじとボールを投げるが、しかしストライクが入らない。
「あーらら、初心者丸出しね。そんなんでよく真央に偉そうな口がきけたもんだわ」
 ゲームを終えて暇になったと見える真狐が隣の座席から絡んでくる。月彦は無視して、二投目を放る――が、全てのピンは倒せず、スペアも取れない。
「ぷっ……」
 と、あからさまに真狐が笑い、月彦はとうとう我慢が出来なくなってしまう。
「おい、真狐! 何のつもりだ」
「何よ、自分がストライクとれないからってあたしに言いがかりつける気?」
「ストライクなんか関係ねえ! 俺たちは俺たちで楽しくやってんだ、口出しすんな!」
「バッカねえ、あたしの言うことを聞けばすぐに巧くなれるのに」
 月彦がぷんすかと背を向けたから、真狐も立ち上がって二ゲーム目に入る。しかしことある毎に隣からヤジが飛び、月彦の乱調は続いた。
「ご、ごめんね……由梨ちゃん。母さま、ああいう人だから……」
「い、いえ……楽しいお母さんで羨ましいです」
 と、由梨子は引きつった笑いを浮かべながら、明らかにお世辞と解る返事を返す。由梨子もスペアを取り損なった時にへたくそーっ、とヤジを飛ばされたのだ。
「全く、嫌な奴だ。確かに巧いのは凄ぇって思うが、何も隣に来なくてもいいだろうに」
 事実、真狐はそうとう投げ込んでいるようだった。マイシューズに手には専用のグローブ、そして使っているのはコミカルな狐の絵がプリントされたマイボールという、明らかに素人ではない装備に身を包み、ばんばんストライクを取る様にいつしかギャラリーまで出来ている。
「あんな奴はほっといて、俺たちは俺たちだけで楽しもう」
「そうですね」
 由梨子が頷いた瞬間、ずしっ……と何か柔らかいものが二つ、月彦の頭の上に乗った。
「あー、疲れたわぁ……」
「って、真狐! 何乗せてんだ!」
 月彦は慌てて真狐の巨乳から頭をどかし、立ち上がる。
「月彦ってば照れちゃって。……嬉しい癖に」
「誰がだよ! もう二度とこっち来んな!」
 しっ、しっ……と月彦は野良犬でも追い払うように真狐を隣のレーンへと追い出す。
(よし、平常心だ……)
 深呼吸を数回。よし、と気合いを入れて月彦はアドレスに入る。が――
「あーっ! 月彦、足下にカルガモが――」
 カルガモ!?――と、月彦が一瞬声を出しかけ、結果それが微妙な動作の乱れとなりボールは速攻にガーターに落ち込んでしまう。けらけらけら、と忽ち隣のレーンから大爆笑がわき起こる。
「……私、ちょっと文句言ってきます」
 たまりかねたように由梨子が立ち上がるが、月彦がそれを制す。
「いや、俺が行く。髪ふんづかまえて店の外に放り出してくる」
「待って! と……月彦先輩!」
 と、さらにそれを真央が止める。
「離せ、真央。もう我慢ならん」
「待って、あのね……今日の母さま、少し変だと思うの」
「あいつはいつも変だ」
「そうじゃなくて……ひょっとして母さま……私達と一緒に遊びたいんじゃないのかなぁ」
「まさか」
 とは言うものの、真央にそう言われると本当にそんな気がしてくる。ちらり、と月彦は真狐の方を見る。
「おい、真狐」
「何よ」
「お前、俺たちと一緒にやりたいのか?」
「なんであたしがあんた達みたいなヘタクソの塊と一緒にやらなきゃいけないのよ。ばっかじゃないの?」
 けらけらけら、とまた笑う。この野郎、と月彦が踏み出しかけて、今度はそれを由梨子が止める。
「ダメですよ、先輩。そんな言い方じゃ」
 そして由梨子もちらり、と横目で真狐を盗み見る。
「……先輩。前に先輩が入院していた時に見舞いに来た“例の人”っていうのは、真狐さんですね?」
「ああ、そうだけど……」
 何故この場で由梨子がそんな事を聞いてきたのか、月彦には理解ができなかった。由梨子は成る程、となにやら頷いている。
「何となくですけど、真央さんのお母さんがどういう方か解りました。先輩と真央さんはそこで待っていてください」
 由梨子に肩を押さえられるようにして、月彦は着席させられる。由梨子は一人席を離れ、隣のレーンの真狐の方へと歩み寄っていく。
「初めまして。私、宮本由梨子といいます。真央さんの友達です」
「見ればわかるわ」
 ふんっ、と真狐はそっぽを向く。あんにゃろ、由梨ちゃんになんて口をと月彦が立ち上がりかけるが、まるでそれを制すかのように、由梨子がちらりと月彦の方を見る。
「真狐さん、ボウリングお上手なんですね。いつも通われてるんですか?」
「んー……たまにね。暇で暇でしょうがないときにちょこっとやるくらい」
「マイボール、とっても可愛いですね。狐、お好きなんですか?」
「まあね」
「私達、まだ初心者なんです。もしお時間あるんでしたら、少し教えて頂けませんか?」
 ぴく、と真狐が眉を揺らし、ふんと鼻を鳴らして足を組む。まるで“どーしよっかなぁ”とでも言いたそうな態度だ。
「さっき、暇で暇でしょうがないときにボウリングをやるって仰いましたよね。ということは、今はお暇なんじゃないんですか?」
「ま、どーしてもって言うんなら、教えてあげないでもないけど」
「是非、お願いします」
 ぺこり、と由梨子が深く頭を下げる。
「全くしょーがないわねぇ。そこまで言うんなら、少しだけ付き合ってあげるわ」
 言葉とは裏腹に真狐はにこにこしながら立ち上がり、すたすたと月彦達の方へと歩いてくる。
「いーい、あんた達。あたしは一端精算してくるから、さっさとそのゲーム終わらせなさい。次からびしばし扱いてあげるわ」
「偉そうに……あのな、誰がお前なんかに――」
 と言おうとした口を、真央に塞がれる。ふがふがと月彦が吠えているのを尻目に、真狐は鼻歌を歌いながら受付の方へと去っていく。
「ぷはっ……真央、お前悔しくないのか!?」
「だって……あのままじゃ母さまずーーーっと嫌がらせしてくるよ?」
「私もそう思います。敵にするより、味方にして一緒にやったほうが楽しいじゃないですか」
「………………まあ、二人がそう言うんなら」
 でも、どうなっても知らないぞ、と月彦は念を押す。
(とはいえ、由梨ちゃんも居るんだ。あのバカもそうそう妙なことはしないだろう……)
 口ではそう言いつつも、心の中では勝手に安堵する。無論、月彦は己の目測がかなり甘かった事を後で思い知らされるのだが。
 




 ずいぶん渋っていた割りには、真狐はとんだ教え魔だった。
「あーもう、そうじゃなくてもっと右から投げるの! ボールは重いから、素人はまっすぐ投げてるつもりでも左にカーブしちゃうのよ。だから少し右から投げるとストライクになりやすいわ」
「は、はい……こんな感じですか?」
「それはちょっと行き過ぎね。もう少し左、そう、その辺りから投げるといいわ」
「はい」
 返事をして、由梨子はアドレスに入る。真狐に教わった通り、胸の前にボールを構え、レーンの奥を見つめて軽くカーブをかけるイメージでボールを放る。結果、ボールは滑るようにレーンを走り、そのまま豪快に十本全てのピンをなぎ倒した。
「真狐さん、やりました!」
「ん、まあまあって所ね。今の感じを忘れちゃだめよ」
 はい、と返して由梨子は座席に戻る。
「ほらほら、次は真央の番でしょ。あんたにはまずフォームから教えてあげるわ。ボールなんて置いといていいから、まずはこっちに来なさい」
 と、手招きをして真央の手とり足取り投げ方を教える。
「母さま、私早く投げたいんだけど……」
「変な癖がついてない分、初心者のあんたが一番上達の見込みがあるのよ。あの二人に勝ちたくないの?」
 そう言われては真央も従わざるを得ず、しぶしぶ真狐の言うとおりにフォームの練習をする。くすくすと、微笑みを漏らしたのは由梨子だ。
「最初は意地悪な方かと思いましたけど、すっごく良いお母さんじゃないですか」
「…………まあ、ありゃ猫被ってるからな」
 月彦はぶすっとした顔でジュースに口を付ける。真狐が受け付けから戻ってくる際に四人分のジュースを買ってきたのだ。あの女にしては珍しく気の利く事をするものだとほんの少しだけ月彦は感心した。
「でも、真央さんと一緒には暮らしてないんですよね」
「その辺は事情が色々あるからなぁ……」
 と、その時ガコォンとピンの倒れる音がした。どうやら、漸く真央が投げさせてもらえたらしい。が、悲しいかなストライクではなかったようだ。
「バカ! ドジ! よりによってなんて残し方してるのよ!」
「そんな……私、母さまに言われたとおりに投げ……あうぅぅぅ!」
 真央は真狐にヘッドロックされ、ぐりぐりと頭に拳を押しつけられている。見れば、丁度レーンの端と端のピンだけ残っているという状態だ。
「口答えしない! ストライクをとれなかったって事はあんたが私の言う事をやれなかったって事なのよ!」
「そ、そんなぁ……母さま、許してぇ…………ぅぅぅぅ……」
 散々ぐりぐりされた後、漸く真央は解放される。全く、と真狐はブツブツ言いながら、戻ってきた真央のボールをむんずと掴む。
「いーい、真央。ああいう残り方をした時はね――」
 と、真狐が投げたボールはゆるいカーブを描きながら右端のピンへと向かい、それを勢いよく弾く。弾かれたピンは反対側のピンへと当たり、結果真央のスコアはスペアとなった。
「とまあ、こんな風に倒すわけよ」
「私……自分で投げたかった……」
 ぼそり、と真央が呟くも、真狐はこつんとその額を小突く。ヘタクソが生意気言うなと言い残し、今度はマイボールを掴む。
「いい、真央。これがお手本よ」
 真狐は流れるようなフォームでボールを投げ、当たり前のようにストライクを取る。
「真狐さん、本当に凄いです」
「あったりまえよぉ、こちとら、応仁の頃から似たような遊びやってたんだから」
 オウニン?と由梨子が首を傾げる。
「あのころはねー、戦、戦でどこもかしこも骨だらけだったから。こう、シャレコウベの目の所に指引っかけてとぉーっ!って放り投げるのよ。ちなみにピンの代わりにしたのは――むぐ」
「もういい、喋るな」
 月彦は慌てて真狐の口を塞ぐ。」
「先輩、あの……オウニンって……」
「こいつ、ちょっと虚言癖があるんだ。適当に聞き流してくれ」
「はあ……解りました」
 由梨子は納得がいかないのか、気のない返事をする。途端、がりっ、と指を噛まれて、月彦は声を上げながら手を離す。
「ってぇ! 何しやがる!」
「ふん、ばーか」
 んべえ、と真狐は舌を出してけらけらと笑う。
「ほら、次は月彦、あんたの番でしょ。さっさと投げなさいよ」
「言われいでか!」
 と、月彦はボールを持ち、レーンに向かう。そしてふと、後ろを見る。
「何よ」
「俺にはアドバイスはないのか?」
「ふふん、してほしいの?」
 にやり、と真狐は勝ち誇った笑みを浮かべる。
「やっぱりいらん。自力で投げる」
「そう、せいぜい頑張るといいわ」
 月彦はアドレスに入る。ボールを手放す瞬間、不意に後ろで呟きが聞こえた。五本、と。
 月彦が放ったボールはゆるくカーブを描き、左側のピンに直撃。そのピンが他のピンを弾き、結果的に倒れたのは五本だった。
「凄い……真狐さんどうして解ったんですか?」
「立ち位置と構え、あと癖ね」
 くっ……と月彦は唇を噛み、戻ってきたボールを手に再度アドレスに入る。今度は二本、と聞こえた。そして、倒れた本数も二本だった。
「アドレスに入ったら喋るなよ! 気が散るだろ!」
「ごっめーん、じゃあ次からは由梨ちゃんと真央にだけ聞こえるように言うわ」
「くっ……このっ……」
「ボクの悪いところを教えてください、お願いします真狐さま、って言えたら、教えてあげるわよ?」
「誰が言うか!」
「負けん気だけは人並みねえ。…………そうだ、いーこと思いついたわ」
 んふふ、と真狐がやらしい笑みをする。どうせろくでもない事だろう、と月彦は先に毒づくが、真狐は全く無視する。
「折角だからさぁ、二対二のチーム戦にしない? その方が漫然とやるより絶対上達すると思うわ」
「チーム戦……」
 コイツにしてはまともな意見だな、と月彦は思う。
「勿論、負けた方は罰ゲームよ」
「罰ゲームって……何やるんだ?」
「とりあえず、ここの払い。それと昼食奢りなんてどう?」
「ま、妥当かな……」
 罰“ゲーム”じゃあないと思うが、やはり真狐にしてはまともな意見だと思う。らしくない、と思った途端、にんまり、と真狐が笑う。
「あとはそうねぇ、勝った方のチームは負けた方のチームを一晩好きに出来るってのはどう?」
「なっ……なんだそりゃ……そんなモン承知できるか!」
 なあ真央、と同意を求めるも、真央はまんざらでもない顔をしている。
「母さま、それ……どういう風にチーム分けるの?」
「んー……そうねぇ。実力的にあたしと真央、月彦と由梨ちゃんって所かしら?」
「……だったら私、やる」
 顔を赤くして、真央はこくりと頷く。なっ、と絶句したのは月彦だ。
「だ、だめだ! 俺はともかく、由梨ちゃんをそんな危ない目にあわせられるか!」
「先輩、それは言い過ぎじゃ……真狐さんだって、そんなに酷い事は言わないんじゃないんですか?」
「甘い、由梨ちゃんはあいつの事を全ッ然知らないからそんな事が言えるんだ」
「でも、所詮罰ゲームですし……それに面白そうじゃないですか」
 甘い――と、月彦は心底思う。きっと由梨子は一晩言いなりといってもせいぜい使いっ走りにされたり晩飯を奢らされたりするくらいだとでも思っているのだろう。眼前のこの女がとんでもない性獣であるなどとは夢にも思っていないに違いない。
 かといって、そんなことを説明することなど出来よう筈もない。娘の真央までそうなのかと思われてしまうかもしれないからだ。
「じゃあ、由梨ちゃんは参加するのね?」
「ええと……はい。あの、お手柔らかにお願いします」
 ぺこり、と由梨子は頭を下げる。
「ゆ、由梨ちゃんっ……」
「さぁ、残るはあんただけよ、月彦。どうする?」
「どう……って……」
「大丈夫ですよ、先輩。勝てばいいんです」
「ほらほら、どうするの? 心配しなくてもあんたが勝ったら一晩、あんたの言いなりになってあげるわよ?」
 好きにしたいでしょ、この体。――と、真狐は見せつけるように両手でぎゅうと胸元を寄せ、誘惑してくる。うぐ、と月彦はうめき、後ずさってしまう。
(……確かに、勝てば…………)
 由梨子に何の迷惑もかける事なく、この性悪狐を――と生唾を飲んでしまう。
「わ、解った。但し、条件がある」
「何?」
「ハンデをくれ。俺たちはそれぞれアベレージ140くらいだ。真狐、お前はさっき見てた感じじゃ250以上は出しそうだから真央が80くらいいったとしても軽く300超えちまうことになる。ハンデ50点、これは譲れない」
「情けないわねぇ……でもいいわ。ハンデ50点くらい。あんた達が140ずつとってもあたしが満点とれば真央が40点ぽっちでも勝てるわけだしねぇ」
 くすくすくす……と真狐は自信たっぷりに笑う。
「ま、待て……やっぱりハンデ百――」
「先輩、それは駄目。もう一度決めたんだから」
 と、思わぬ所から駄目出しされる。どうやら美味しい餌に釣られて真央は完全に寝返ってしまったらしい。
「ま、真央〜〜っ……!」
 月彦が睨むと、真央は真狐を盾にするように隠れる。
「大丈夫ですよ、先輩。私も真狐さんにコツを教えてもらって、今なら大分やれる気がしますから」
「……ちなみに由梨ちゃん、MAXどれくらいいけそうだ?」
 真狐に聞かれないように、月彦はぼそぼそと小声で囁く。
「そう、ですね……調子も大分取り戻してきましたし、今なら最高に巧くいって200ちょっとという所じゃないでしょうか」
「……俺の自己ベストは214だ。二人とも最高のプレイが出来れば……勝てる、な。由梨ちゃん、頼りにしてるぜ」
「は、はい。先輩も……頼りにしてます、から」
 月彦が由梨子の手を握り、由梨子も弱々しくも握り返す。それを狡賢い狐が目ざとく見て、にやりと笑う。
「真央、相手が月彦だからって手抜くんじゃないわよ?」
「うん。……頑張る」
 意気込む狐の母娘。こうして、月彦&由梨子ペアVS真狐&真央ペアのボウリング決戦は幕を開けたのだった。

 



 ジャンケンで順番を決めた結果、真狐、月彦、由梨子、真央の順となった。真狐、真央の合計得点と月彦、由梨子の合計得点を競い、ハンデは50点。負けたチームはボウリング場の支払いと昼食代、そして一晩勝ったチームの言いなりという罰ゲームつき。
「……って事で全員いいわね? さて、異論がなければ、これに署名しなさい」
 と、真狐が取り出したのは古びた紙だった。正方形で、中央に赤い文字で“誓”と書かれ、それが同じく赤い丸で囲われている。
「稲荷誓紙だ……初めて見た」
 と、呟いたのは真央。
「母さま、それ……もしかして本物なの?」
「勿論よ」
 えへん、と真狐は胸を張る。
「また珍妙なモンを……」
「大丈夫よ、約束さえ守れば何も恐いことは無いわ」
 と、真狐は同じくどこから持ってきたのかボールペンで真っ先に“真狐”と署名を済ませ、親指をぺろりとなめて“誓”の字に当てる。
「決して約定を違えず、此を遵守する」
 真狐がを呟くと、返事をするように“誓”の字が赤く光る。見ると、押し当てた親指の腹も赤く染まっていた。続いて真央が些か躊躇いながらも同じように紺崎真央、と署名し、真狐の口上を真似した。
「あの、先輩……これって」
「驚いただろ。真央のかーちゃんは手品師なんだよ」
 苦しい言い訳だな、とは思いつつも月彦は説明し、署名して同様の口上を言う。最後に由梨子も躊躇いながらもそれに倣う。
「さて、と……これでもう引き返せないわよ、月彦」
 由梨子が署名をしている隙に、真狐がぼそぼそと囁いてくる。
「な、なんで俺だけに言うんだよ!」
「だって、そっちの娘は事情を把握してないんでしょう? ふふっ、たまには“普通”の子を混ぜて4Pなんてのもオツよねぇ」
「なっ……」
「言っとくけど、あたしはやるといったらやるわよ。負けたら最後、あんた達は今夜の日没から明日の日の出まであたし達のオモチャ。一切の反抗は出来ないわ」
「それは、俺たちが勝っても同じだろ。真央はともかく、お前には一切容赦しないから」
「ふふ、楽しみだわ。……言っておくけど、その時になってやっぱ止めなんて言っても無駄よ。稲荷誓紙はそんなに生やさしい物じゃないわ。一度誓ったが最後、絶対に逆らう事なんて出来ないんだから」
 そういう事は先に言え、と月彦は毒づく。由梨子が署名し終わるのを確認して、真狐は誓約書を仕舞う。
「んじゃあ、一投目、景気よく行くわよー!」
「母さま、頑張って!」
 真狐はむんずとマイボールを掴み、アドレスに入る。ミスれ、ミスれと月彦は祈るが、真狐は矢張り当然のようにストライクをとってしまう。
「ふふん、年期が違うわよ」
「くっ……負けるかよ!」
「先輩、頑張ってください」
 続いて、月彦がアドレスに入る。ボールを胸の高さに構え、じっとレーンの奥に並んだピンを見つめる。
(集中しろ……集中しろ……負けたら、由梨ちゃんが……)
 あの性悪狐の毒牙に――と、そこまで考えて、はたと由梨子の裸を想像してしまう。
(いかん、いかん……何を考えてるんだ、俺は!)
 雑念を振り払うように頭を振って月彦はボールを投げる。が、雑念だらけのボールは凄まじい勢いでレーンを斜めに横切り、あっという間にガーターに吸い込まれてしまう。
「あーらら、いきなり差がついちゃったわねぇ」
 けらけらけら、と真狐が手を叩いて笑う。
「先輩、大丈夫です。まだスペアがあります」
「あ、あぁ……」
 戻ってきたボールを手にとり、月彦は再び構える。
(この勝負だけは、負けられない)
 集中しろ、集中しろと己に言い聞かせる。
(逆転の発想だ。負けたら由梨ちゃんが危ないんじゃない、勝てば、アイツを――)
 月彦は、己の肉欲に対する執着心に賭けることにした。ちらり、と真狐を見る。あの今にもこぼれそうな巨乳も好き放題に出来る。生意気な口に無理矢理突っ込んでしゃぶらせてやることも出来るのだと。
「うし……!」
 己の中に不思議な力が充ち満ちてくるのを感じる。月彦はそのまま――欲望の赴くままにボールを投げる。
(いける!)
 投げた瞬間、そう確信した。黄色いボールは吸い込まれるようにピンに突っ込み、十本全てをなぎ倒した。
「よぉし!」
 思わずガッツポーズをとってしまう。と、同時に無性に自分自信が情けなく思えてくる。
(由梨ちゃんを心配するときより、アイツを懲らしめる時の方がやる気が出るのか、俺は……)
「先輩、凄いです!」
 そんな自己嫌悪も、由梨子の笑顔を見ると吹っ飛んでしまう。そうだ、やる気の動機はどうあれ、由梨子の貞操は守らねば、と改めて思う。
「由梨ちゃん、落ち着いて投げれば大丈夫だ」
「はいっ」
 月彦と違い、短期間とはいえ真狐の指導を受けた由梨子は綺麗なフォームで颯爽とストライクをとった。
「やりました、先輩!」
「由梨ちゃん、ナイスだ」
 ノリでついハイタッチなどをしてしまうも、やった後で二人共正気に戻ってしずしずと座席に座る。ふん、と鼻を鳴らしたのは真狐だ。
「面白くなってきたじゃない……真央、ちょっとこっちに来なさい」
「なに? 母さま」
 真央を呼び、その耳になにやら真狐がぼそぼそと囁きかける。次第に、真央の顔が赤くなっていく。
「じゃ、頑張ってきなさい」
「……うん」
 真央はなにやらフラフラしながらアドレスに入る。その後ろ姿に不安を覚えながら、月彦はずいと真狐の座席に詰め寄る。
「おい、真央に何言ったんだ?」
「別にぃ、やる気が出る魔法の言葉をちょっと囁いてあげただけよ」
「魔法の言葉って――」
 ガコォン!と、小気味の良い音が鳴り響いたのはその時だった。見れば、十本全てのピンがなぎ倒されていた。
「やったぁ! 母さま、見ててくれた!?」
 初めてストライク取っちゃった!――と、ぴょんぴょん跳ねて喜ぶ真央。父親としては褒めてやりたいが、これで月彦と由梨子は窮地に立たされた事になる。
 月彦&由梨子ペアVS真狐&真央ペアのボウリング決戦。第一フレームの結果はスペア&ストライクとWストライクという形で真央&真狐ペアが一歩リードする形になった。



 戦いは思いの外白熱した。
 圧倒的な実力差を見せつけ、首位を独走するのは真狐。第七フレームまでにスペアが一度、あとは全てストライクという凄まじい戦績だった。
 離されつつもその後を追うのが由梨子。やや離れて後を追う月彦と、意外に縺れた真央。
 全員の得点を鑑みると、ハンデ50点を考慮に入れてもやはり真央&真狐チーム優勢に思えた。とにかく真狐のストライクが止まらない。月彦も様々な揺さぶりをかけてみたが、てんで効果がないのだ。
 そして誤算だったのが、真央の奮闘だった。真狐の“魔法の言葉”とやらが余程利いたらしく、初心者にあるまじき得点力で三位の月彦を猛追。抜きつ抜かれつの接戦となってしまったのだ。
 しかし仮に月彦と真央が引き分けたとしても、由梨子が真狐に50点差つけられなければ月彦達の勝ち――となるのだが、ここへ来て誤算の二が到来した。
 それは、由梨子が病み上がりだったという事だ。
「由梨ちゃん……大丈夫か?」
 ゲームも後半に入り、由梨子の疲労は目に見えて濃くなってきた。ボウリングはそんなに体力を使う競技ではないとはいえ、異様な緊張感の中、十キロ近い球を片腕で振り回さねばならないのだ。入院していた由梨子に長丁場が辛くないわけがなかった。
「大丈夫です。私今、凄く調子がいいんですから」
 力無く笑うが、しかしやはり疲労の色は濃い。先ほどの第七フレームも序盤のような豪快なストライクは入らず、結局二投目で辛うじてスペアはとったものの、真狐にさらに離される結果となったのだ。
(このままじゃ、ヤバイ……!)
 と、月彦も奮闘するが、いかんせん真央が食いついてくる。月彦もブランクの割りに奮闘を重ね、このまま行けば200点とまでは行かないまでも180点くらいには手が届きそうなのだが、それでも真央とは抜きつ抜かれつとなってしまう。
(何か、手を打たなければ……)
 しかし、真狐は揺さぶりにも全く動じない。となれば、月彦に出来る事は一つしかなかった。
「真央、喉渇かないか?」
 勝負が始まってからというもの、ほとんど口を利いていなかった真央に月彦はあえて話し掛ける。勿論真狐が投球している隙に、だ。
「さっき真狐が買ってきたジュースももう飲み終わっただろ。一緒に買いにいかないか?」
 真央は少しだけ訝しみ、結局こくりと頷いて後をついてくる。よし、と月彦は密かに拳を握りながら、真央をドリンクコーナーへと連れ込む。
「ところで真央。さっき真狐になんて言われたんだ?」
「えっ……」
「もう真央達の勝ちは決まったようなもんだろ。こっそり教えてくれないか?」
「……母さまに、言わない?」
「言わない、言わない」
 真央を安心させるためにも、月彦はなんとも優しい笑みを浮かべる。真央はやや頬を染めて、上目がちに月彦を見る。
「あのね、母さまが……勝負に勝ったら自分は由梨ちゃんと適当に遊んでるから、父さまの事は私の好きにしていいって……」
「……なんて単純な」
 そんな事を言う真狐も真狐なら、ころりと騙されてやる気を出す真央も真央だと月彦は頭を抱える。
「いいか、真央。はっきり言おう、お前は真狐に騙されてる」
「えっ……だって母さまは……」
「あの嘘つき真狐と、俺と、真央はどっちを信じるんだ?」
「それは……」
「それにな、真狐は言ってたぞ。自分たちが勝ったら4P……つまり、俺と真央、さらに真狐と由梨ちゃんでエッチをするってな」
「そ、そんな……そんなの……父さまが、母さまや由梨ちゃんとするなんて……」
 嫌、と真央は呟く。よしよし、と月彦はほくそ笑む。
「勿論、俺だって気が進まない。その点、俺たちが勝てば、真央には良いことずくめだ」
「どうして?」
「決まってるだろ。俺たちが勝ったら、真狐は適当においやって、三人でまた遊び直せるじゃないか。由梨ちゃんだって、そんなに遅い時間までは居ないだろうから、由梨ちゃんが帰ったら――」
「帰ったら……?」
 ごくん、と真央が唾を飲むのが月彦にも解った。一体何を期待しているのか、はあはあと切なげに息を乱している。
「そっから先は、俺たちが勝ってからの話だな。つっても、真央がこのまま頑張ったら、間違いなく俺たちは負けるだろうがな」
 月彦は四人分のジュースを買い、それをトレイに乗せて自販機から離れる。待って!と、真央が声を出す。
「父さま達が勝ったら……その、本当に………………して、くれるの?」
「ああ、もちろんだ。俺は真狐と違って嘘はつかないからな」
「……ぅ……」
 はあはあと一人悶えている真央を置いて、月彦は一足先に座席に戻る。
「月彦、あんたの番でしょーが。どこ行ってたのよ!」
「悪い、喉渇いてるだろうと思ってジュース買ってきた」
「いいから、早く投げてきなさいよ。後がつかえてんだから」
 憎まれ口を叩きながら、真狐は真っ先にジュースを手に取るとごくごくと飲み干してしまう。月彦は自分のボールを持ち、アドレスに入る。
(後は、俺自身が頑張らないと……)
 ちらり、と由梨子の方を見る。由梨子も月彦の方を見て、微笑み返す。
(見ててくれ、由梨ちゃん――!)
 レーンの奥を見据え、月彦はボールを投げる。ボールは曲がらず、ストレートだが力強くピンに辺り、ストライクとなる。
「よし!」
「凄いです、先輩。私も続かないと」
 些かふらつきながら、由梨子が立ち上がり、アドレスに入る。
「由梨ちゃん、無理はしなくていいからな」
「大丈夫です。先輩に元気を分けてもらいましたから」
 そして、由梨子もストライクをとった。ちぃ、と真狐が露骨に舌打ちをする。
「真央っ! あんたも絶対ストライクとるのよ、いいわね!?」
「う、うん……」
 真央はボールを持ち、そして月彦の方をちらり、と見る。月彦は真央にウインクを返した。
 真央が投げる。が、一投目はそれまでの奮闘が嘘のような見事なガーターだった。
「真央! 何やってんのよ! スペアは絶対取るのよ、良いわね!?」
 うん、と頷き、真央は投げるがまたしてもガーター。きぃぃ、と真狐が金切り声を上げる。
「月彦ね、月彦に何か吹き込まれたのね! この卑怯者!」
「卑怯はお互い様だろ。お前だって、真央に嘘を吹き込んだんだから」
「真央! このロクデナシとあたし、どっちを信じるの?」
「勿論俺だよな、真央」
 ずい、と二人、真央に詰め寄る。真央はしばし逡巡し、月彦を盾にするように隠れる。
「解ったか、真狐。普段の行いのツケってのはこういうところで回ってくるんだ」
「ふん。真央の助けなんか要らないわ。残り二フレーム、全部ストライクにすればいいだけの事よ」
 真狐は意気込み、投げる。が、平常心を失ったのか、ボールは見事なカーブを描いたものの僅か端の一ピンだけ残ってしまう。挙げ句、二投目でもそれを取り逃すというていたらくだ。
「勝負、あったな」
「ま、まだよ! まだ解らないわ!」
 真狐は強がるが、動揺は明らかだ。それを示すかのように第十フレームでもストライクを逃し、結果、月彦&由梨子ペアの勝利が確定した。


「いやー、喰った喰った。こんなに美味いメシ喰ったのは久しぶりだ」
「真狐さん、ごちそうさまでした」
 喜色満面で料亭を後にする月彦と由梨子。その後ろに続くのは些かばつのわるい顔をした真央と、ぎりぎりと歯を鳴らす真狐だ。
「さっすが、高そうな店ってなだけあったよなぁ」
 うんうん、と月彦は頷く。料理も美味しかったが、それより何より最後に領収書を見た時の真狐の度肝を抜かれた顔が何とも爽快だった。
 ボウリング勝負のあと、由梨子の疲労も鑑みてゲームは一端そこで終了ということになった。何より既に昼過ぎであり、負けたチームは昼食を奢らねばならないという約定もあったからだ。
 精算の時にタダ券を出そうとする由梨子を止めたのは月彦だ。それはまた今度来るときに、と説得すると、由梨子も納得したのか券を引っ込めた。
 昼食も、どうせ真狐の奢りなのだからととにかく高い所に行こうと言い出したのも月彦だった。街を歩き回る事一時間、一介の高校生には明らかに場違いな料亭を見つけ、そこでやや遅めの昼食をとることとなった。料亭側は未成年ばかりの客に渋い顔をしたが、保護者つきという事もあってか入店を断るという事は無かった。
 月彦はとにかく高くて尚かつ量の少ない料理ばかりを注文し、がつがつと食べた。由梨子は元々小食な事もあって月彦の五分の一も食べなかったが、それでも五千円は下らなかった。真央はといえば、母親を裏切ったというばつの悪さ故か普段より少なめで、当の真狐はといえばヤケ食いとばかりに月彦に負けじと喰い漁った。
「……十万超えたわ」
 真狐が苦々しく呟く。とはいえ、自分で半分近く喰っているのだから、自業自得と言うものだろう。
「……先輩、でも本当に良かったんですか?」
「うん?」
「だって、真狐さんって確か――」
 と、由梨子が口籠もる。お金が、と小声で呟く由梨子の態度で漸くその言わんとする所に月彦は気がついた。
「ああ、ええと、いや……実は借金があるっていうのは真央の父親の方で――」
 と苦しい言い訳を続けるも、それが自分だということに妙に後味の悪い思いをしてしまう。結局なんだかんだと月彦はごまかし続け、漸く由梨子は納得してくれたのだった。
 料亭から出ると、既に日が傾きかけていた。冬の暮れは早い。完全な日没となれば、件の“罰ゲーム”の開始となる筈だった。
「じゃあ、先輩。私、そろそろ帰りますね」
「え、もう……?」
 と、月彦が聞き返したのは、てっきり由梨子も何らかの形で罰ゲームに参加すると思っていたからだ。無論、健全な形で、だ。
「はい。その……恥ずかしい話ですけど、久しぶりにいっぱい体を動かして、もうくたくたなんです」
 罰ゲームはまた今度という事で、と由梨子は申し訳なさそうに頭を下げる。ああ、そういう理由なら仕方がない、と月彦は納得する。
「あ、勘違いしないでくださいね、今日は本当に楽しかったです。私の体調が万全なら、もっと遊べたと思うんですけど、残念です」
「仕方ないさ。まだ病み上がりなんだから、体力つけてまたボウリング行こうな」
「由梨ちゃん、またね」
「……ふん、勝ち逃げは狡いわよ」
 すみません、と由梨子は真狐に頭を下げ、そしてもう一度今日はごちそうさまでした、と礼を言う。
「何かあると危ない。家まで送るよ」
「いえ、大丈夫です。この辺は友達ともよく来ましたから」
「そういうわけには……じゃあ、駅までは一緒に行こう。由梨ちゃんが帰るなら、俺たちももう帰るから」
「そうですか……すみません」
 由梨子はまた頭を下げる。
「いいっていいって。じゃあ真央、帰るか」
「……うん」
 頷き、意味深に黙り込む真央。月彦は苦笑して駅へと移動し、電車に乗る。
「あの、先輩……」
 電車内は混雑しており、座席に空きはなかった。窮屈な車内で、由梨子がそっと小声で話し掛けてくる。
「今日は、……ありがとう御座いました。先輩が来てくれて、……その、凄く……嬉しかったです」
「えっ……」
 それはどういう意味かと尋ね返そうとした時、電車が駅に到着する。ドアが開くや、由梨子はまるで逃げるように下りてしまい、結局尋ねることは出来なかった。



「これで邪魔者は消えた――そう言いたそうね、月彦」
 駅を出るなり、真狐が意地の悪い笑みを浮かべる。
「そんな事は思ってない」
「嘘ばっかり。もう頭の中はいやらしいことでいっぱいのくせに」
「……そんなことはない」
 とは言うものの、やはり全く考えないと言えば嘘になる。敗北したチームは、勝利したチームに一晩言いなり――つまり、月彦には真央と真狐に命令する権利があるのだ。
(さて、この生意気な女をどうしてやろうか……)
 その事を考えるだけで、前屈みにならねばならないほどに股間が反応してしまう。この期に及んで尚真狐の態度は不貞不貞しく、やれるものならやってみろとばかりにふんぞり返っている。
「……父さま」
 くいっ、と月彦の袖を引いたのは真央だ。じっ、と訴えかけるような上目遣い。ああ、そういえばと月彦は思い出す。
(真狐は追い払う、って言っちまったんだった……)
 あの時は勢いでそう言ってしまったが、しかしそれはあまりに惜しい――と、月彦は思う。普段からいろいろとやりこめられ、腹立たしい思いをさせられた女に復讐するチャンスなのだ。
(まずは、あの非常識な巨乳を……)
 いやというほど揉んでやりたい。あんなものを男の前に晒し続ければどうなるのかを徹底的に思い知らせてやりたかった。
 ぐにぐにと、指が埋没するほどに強く。痛い、と言われようがしった事ではない。搾るように揉みながら、先端を嘗め回し、吸い、噛んでやりたい。
(次に、あの生意気な口を……)
 鼻を摘んで無理矢理口を開かせ、喉奥まで突っ込んでやりたい。頭を掴んで好き勝手に動かし、有無を言わさず口腔内に牡液をぶちまけ、飲ませてやりたい。その後で、じっくり丁寧に舐めさせるのだ。文句など言おうものなら、言った数だけいやってほど飲ませてやる。
(そして、最後は……)
 仕置きだ、と尻を叩き、犯す。悲鳴、嘆願など一切利かない。ケダモノのように突きまくり、たっぷりと中に出す。執拗にマーキングをして、徹底的に屈服させて二度と悪さが出来ないようにしてやる。
「父さま!」
 真央に呼ばれて、月彦はハッと妄想の世界から帰還する。じぃ、と見る真央の視線が痛い。
(……一晩中寝ていろ、と言ったら寝るのかな………………)
 つい、そんな事を考えてしまう。真狐は言った、稲荷誓紙の力は絶大であると。ならば、真狐と同じくその影響下のある真央に寝ろ、と命じれば一切邪魔をされることもなく――。
「なーに黙り込んでんのよ。したいんでしょ? このあたしと」
 ふふん、と鼻を鳴らして、まるで挑発するように真狐は胸元を寄せ、見せつけてくる。
「ああ、そっか。真央が邪魔なのね。そんなの、お前は寝てろ、とでも言っとけばいいじゃない」
「う、うるさい……誰が、お前の言うことなんか聞くか!」
 図星を突かれ、月彦は些か狼狽えてしまう。
「父さま……母さまと、したいの?」
 じぃ、と見上げる真央の目。もし、ここで肯定でもしようものなら、今後一切真央は自分を信じてくれないだろう。となれば――断腸の思いだが、月彦は決断せざるを得なかった。
「おい、真狐! お前に命令する」
「何よ。まさかここで口でしろとか?」
 人通りの多い駅前。それでも構わないとばかりに、真狐はぺろりと舌を出す。
「……ゴミを拾え」
「はぁ?」
「お前って奴はほんっっっっっといつもいつもいつもいつも人様に迷惑をかけっぱなしだからな。今日はそのお詫びってことで奉仕活動をしろ。明日の夜明けまでゴミを拾って、この街を綺麗にするんだ」
「なっ、何言ってんのよ! なんであたしがそんな事――」
 そう、真狐が反論しかけた時だった。朱に染まった親指から、赤い光が迸る。途端、真狐が苦痛に耐えるように顔をゆがめる。
「もう日が落ちたからな。……稲荷誓紙には逆らえないんだろ?」
「くっっ……」
「さあ、真央。俺たちは帰るぞ」
「うん!」
「言った通り、俺は嘘なんかつかないだろ?」
「うん、父さま、大好き!」
 すりすりと真央にすり寄られ、月彦は苦笑しつつその頭を撫でる。が、内心ではトホホと落胆しまくっていた。
(ああ……勿体ない……)
 無論その気持ちはおくびにも出さず、月彦は家路を辿るのだった。



 駅が見えなくなる距離まで由梨子は小走りして、さらに曲がり角を曲がって漸く一息つく。はあはあと荒い呼吸を整え、何度も深呼吸をする。
(やっと、言えた――)
 月彦との別れ際。僅かな勇気を振り絞って、少しだけ本音を言えた。言うだけで勇気を使い果たしてしまったから、恐くて返事までは聞けなかった。
(本当に、凄く楽しかったです、先輩……)
 いろいろとイレギュラーはあったが、由梨子は大満足だった。普段は殆ど会話すら出来ないというのに、今日は何度も話をして、挙げ句ペアまで組めたのだ。その上、由梨子が体力をつけたら、また行こうとまで言ってくれたのだ。
(ひょっとして、ただの社交辞令ですか?)
 一人、心の内で問い、苦笑する。たとえ月彦が社交辞令のつもりで言ったのだとしても、そうだと解っていても、本気にしてしまう自分が居る。
 次こそは、ちゃんと着飾ろう。新しく服を買って、髪も整えて――と、そこまで考えて、由梨子ははたと思う。
(先輩は……どっちが好きなんだろう)
 長い髪か、短い髪か。常識的に考えれば、真央の髪を見るに長い髪が好きだと思える。
(私……先輩のこと……何も知らない……)
 好きな音楽も、本も、テレビも、女性のタイプも。好物も、少なくとも月彦自身の口から聞いた事は一度もない。
 今日、縮まったと思った月彦との距離が一気に広がるのを、由梨子は感じた。もっと月彦のことを知らなければと、強く思う。
「……ぁっ……」
 家路を辿る足が、はたと止まる。思いも寄らぬ場所で、思いも寄らぬ人物に出会ってしまったのだ。
(円香……先輩……)
 道の隅で呆然と立ちつくしているのは、間違いなく円香だった。由梨子の記憶にある顔よりも弱々しい、窶れたと言ってよい顔立ちだったが、見違える筈もなかった。
 引き返そうか、と一瞬思った。またぞろ絡まれて嫌な思いをしたくなかった。
(無視……しよう)
 しかし、逃げるのも癪だから、結局由梨子はまっすぐ突っ切ることにした。円香との距離が五十メートルほどにまで接近したところで、円香も由梨子に気がついたらしく、澱んだ目を向けてきた。が、すぐに興味がなさそうについと逸れる。まるで、赤の他人を見るような目だった。
 由梨子はそのまま歩き、とうとう円香の脇をすり抜けるという所で、あの……と声をかけられた。由梨子は足を止め、無言で円香の方を見た。
 円香もまた無言で、由梨子を見る。その顔はひどく困惑していて、何度か口を開きかけるも、はっきりとした声になることはない。まるで言葉を忘れてしまったかのように、何かを話し掛けようとして、その都度途中で止まる。その左目から、不意に涙がこぼれた。
「ご、ごめんなさい」
 そう言い残して、円香はその場から走り去ってしまう。由梨子は、円香が立っていた場所の真向かいの建物を見た。看板には“野口産婦人科”と書かれていた。


 その日の紺崎家の夕飯はひどく賑やかなものになった。月彦、真央は昼食を食べた時間が時間であったから、量こそ少なめではあったがその分会話が弾んだ。
 一番喋ったのは真央で、初めてのボウリングということで未だ興奮覚めやらぬという饒舌ぶりだった。珍しく機嫌の良い――ように月彦には見えた――霧亜も真央の話には相づちを返し、葛葉も相変わらずにこにことしていた。
「私、母さまがボウリング上手だなんて全然知らなかった」
「まあ、長生きだけは人一倍してるみたいだからなぁ……」
 風呂から上がっても、真央は相変わらずの調子で喋り続ける。対して月彦もあの女なら何をやってても不思議ではない、と相づちを返す。
「こんなに楽しいのなら、母さま……もっと早く教えてくれればよかったのに」
「そいつぁどうだろうな。楽しかったのはメンツが良かったからだ。多分、二人だけでやってもそこまで楽しくはないと思うぞ」
「そうなの?」
「ああ。二人より三人。三人より四人で遊ぶ方が楽しいんだ。……真央、俺が友達を増やせって言った意味が分かったか?」
 こくこく、と真央は頷く。
「私も母さまみたいに巧くなりたいなぁ……父さま、また連れて行ってくれる?」
「それは構わないが、真狐並ってのはどうだろうなぁ……」
 あそこまでの腕前になるには、相当な時間投げ込みをしなければならないだろう。さすがにそこまでボウリング場に通おうとは思わない。
「由梨ちゃんには悪い事をしてしまったけど、まあ楽しかったからいいかな」
 ふと、由梨子の別れ際の言葉を思い出して、月彦は戸惑ってしまう。あれは一体どういう意味だったのだろうか。言葉の通りべきなのか、それとも実は由梨子は楽しんではおらず、嫌味で吐き捨てたのか。
(いや、そんな風には見えなかった……)
 少なくとも、自分や真央と同じように楽しんでいるように月彦には見えた。なら、やっぱり言葉の通りに――
「もう! 父さままた他の女の子の事考えてる!」
「い、いや……考えてないぞ」
 真央に詰め寄られて、月彦は慌てて弁解するも、真央はむーっ、という顔を崩さない。
(何で解るんだ……)
 真央のあまりの勘の良さにドキドキと胸が跳ねる。同じドキドキでも、由梨子に対して時折抱くそれとは全く性質の違うものだった。
(……真央もこの嫉妬深さがなけりゃなぁ…………)
 これはこれで可愛くもあるが、気が休まる事がないのが困りものだった。その点、由梨子はなんとも月彦を和ませてくれる。いわば、避難所のようなものだった。
「さて、と。んじゃ、ぼちぼち寝るか」
 久々に健全な事に体を動かし、ほどよい疲労感に身を任せて月彦はベッドに横になる。
「えっ……寝ちゃうの?」
 が、しかし真央はそれが不満のようだった。
「寝ちゃうのって、真央は疲れてないのか?」
「少しは…………だけど…………」
 と、真央が見たのは自分の右手の親指の腹だった。朱色に染まったそれを見て、はたと月彦は思い出す。
(そういえば、そんな約束も……)
 寝返れば、いっぱいしてやる――そう言って、真央を籠絡したのだった。
「私……母さまと一緒で、明日の朝まで……父さまが言うことに逆らえないんだよ?」
 月彦に添い寝をするようにして、真央がそんな事を囁いてくる。
「……つってもなぁ。性悪の真狐と違って、真央には仕置きをするわけにもいかないし。第一、真央はいつでも俺の言うこと聞いてくれるじゃないか」
「そ、それは……そうだけど……」
 一体何を思い出したのか、かぁぁと真央が顔を赤くする。
「ま、でも確かに今日は真央のお陰で勝てたようなモンだからなぁ。………………これは、ご褒美を上げないといけないかな」
「えっ……ごほう――び?」
「ああ」
 と言って、月彦は苦笑する。ご褒美でも、お仕置きでも、結局やることは同じなのだからなんとも皮肉だ。
「ご褒美に、今夜はいっぱい可愛がってやる。ついでだ、稲荷誓紙の力がどれほどの物か、試してみるのも面白いかもな」
 そう言って、月彦は端で見ている愛娘がひぃと怯えるほど、意地悪な笑みを浮かべる。
「と、父さま……何、する、気なの?」
「なに、ちょっとした実験だ」
 ひょっとしたら“ご褒美”にはならないかもな――月彦は己の中にわき上がる悪い考えに、自嘲気味に笑った。


「まずは、そうだな……簡単な約束事を決めておくか」
 そう言って、月彦はなんとも意地悪な顔をする。
「一つ目は……真央、今夜はどんな理由があっても勝手にイくのを禁止する」
「え……」
 ぴりっ、と。朱に染まった親指から電流のようなものが真央の体を貫く。
「イッていいのは俺が“イけ”って言った時だけだ。解ったな?」
「そ、そんな…………んぅ……!」
 また、親指から電流のようなものが走る。真央の意志などまるでお構いなしに、了解、とでも言うように。
「二つ目。嘘は絶対につくな。俺が何か聞いたら、必ず正直に答えるんだ」
「っ……は、はい…………」
 素直に返事をすると、親指から走る電流が幾分弱まることに真央は気がついた。
「……とまぁ、こんな所か。細かいルールは追って決めればいい」
「やだ……父さま、一体……何する気なの……?」
「何って、決まってるだろ?」
 月彦は苦笑し、ぎゅうっ……と、パジャマ姿の真央を抱きしめてくる。
「真央が一番してほしいと思ってる事だ」
 ぺろり、と月彦の舌が狐耳を這う。
「真央、……発情しろ」
「えっ……ぁっ、あああああっあっ……!」
 月彦がぼそりと囁いた刹那、親指からまた電流が走る。ずくんっ、と下腹が疼き、全身が次第に熱を帯びてくる。
「やっ、やぁぁぁっっ…………」
 心臓が暴れるように波打ち、あっという間に体中が火照る。真央はその感覚に覚えがあった。薬によって強制的にもたらされた物とはまた違う――純粋な動物としての生理現象。即ち、――“発情期”のそれだ。
「へぇ……凄いな。本当に発情したのか」
 興味深そうに呟きながらも、月彦は真央を抱きしめたまま何もしてこない。ただ、真央ばかりが月彦の腕の中ではあはあと悶え、焦れったそうに太股を擦り合わせる。
「真央、足を動かすな」
「ぇっ、ぁっ、ああっ……!」
 ぴりっ、と痺れが走り、両足の制御が利かなくなる。途端、下腹のうずきが一掃耐え難いものになる。
「本当に俺の言いなりなんだな、真央?」
 くすくすと、月彦が笑う。その残酷な笑みに、ゾクリと……背筋が冷える。
(父さまに、本当に……逆らえないんだ…………)
 覚悟はしていた。使用したことこそ無かったが、稲荷誓紙とはそういうものであると知識としても知っていた。
 古くは、大妖狐同士の約定事などに使われた誓紙だ。その強制力は絶大で、たとえ大妖狐であろうとも抗う事など出来ないと言われている。尤も、それは誓紙が本物であれば、の話だ。
 誓紙の起源については金毛白面九尾の狐が自ら紙を漉き、僅かな数だけ世に残したと言われているが、定かではない。それほどに希少で、欲しがる者も多いから粗悪品が多数出回っている。とはいえ、粗悪品でもそこそこの強制力はあるらしいのだが。
(もしかして……本物……?)
 身を包む途方もない力に、真央は恐怖すら抱く。稲荷誓紙の粗悪品には逆らうと苦痛や激痛が走り、それによって誓約を強制するというものがあるが、真狐のそれはそういう類では無かった。当事者である真央の意志など微塵も介さず、ひたすらに月彦の言うままに体が反応してしまうのだ。その強制力は凄まじく、もし月彦が“浮け”と言えば、体が浮くのではないかと思えるほどだ。
(でも、いくら母さまでも……)
 貴重な本物の稲荷誓紙をあんな児戯に使ったりはしないだろう、と思う。いや、あの母親ならば――とも思うが、そんなことも真央には段々どうでも良くなってくる。誓紙の真贋より、今宵一晩一切月彦には逆らえないという事の方が、遙かに重要だからだ。
「……よし、もう足を動かしていいぞ、真央。……その代わり、自分で服を脱ぐんだ」
「は、い……」
 足の感覚が戻ると同時に、真央は自らベッドから降り立ち、パジャマのボタンに手をかける。月彦の言葉にさえ逆らわなければ、最低限の行動の自由はあるらしかった。
「……っ……ぅ……」
 とはいえ、発情した体ではそんな簡単な作業すら思うようにいかない。皮膚とパジャマの生地が僅かに触れあうだけでも甘い声が漏れ、足が震える。
「ちゃんとよく見えるように脱ぐんだぞ」
 脱ぎ方に、一つ条件が加わる。真央は羞恥を堪え、辿々しく脱衣をする。父親からの、舐めるような視線に晒されながら。
(父さまに、見られてる……)
 こうして、父親の前で脱衣するのは何度目だろうか。じぃ、と見られているだけで、見えない手で愛撫されているかのように真央は悶えてしまう。パジャマの上着を脱ぎ終わると、月彦の目は真央の胸元に釘付けになる。真央もまた、月彦の視線を感じて、先端を堅く尖らせてしまう。
 よく見えるように――その指示に引っかかるからだろう。胸を隠すような仕草は一切出来なかった。続いて、パジャマのズボンを下ろす。すると今度は月彦の視線が真央の下着の辺りに集中する。この間の買い物で買ったばかりの、新品の下着だ。淡いレモン色のショーツが、真央が溢れさせたものですっかり色が変わってしまっている。それを見て、月彦が意地悪に微笑む。
 続いて、真央がショーツに手をかけようとした所で、月彦がストップ、と声をかけた。びくん、と体が震えて、真央はショーツから手を離す。
 そのまま、月彦の指示が途絶えて真央は動けなくなる。真央はそのまま、ベッドの傍らに立ったまま、月彦の視線に晒され続ける。
(私……父さまに、視姦されてるんだ…………)
 発情“させられた”せいか、火照った肌はいつも以上に月彦の視線を敏感に感じ取る。それはさながら、視線という舌で体中を嘗め回されているかの様だった。
「ほんと、良く育ったなぁ……真央。綺麗だぞ」
 綺麗、という言葉にまた体がじぃんと熱くなる。それは誓紙の効果ではなく、純粋に懇意の牡に容姿を褒められた事による、牝としての反応だった。
「こっちに来い」
 言われた通りに、真央はベッドの上に乗る。月彦に促されるままに仰向けになり、両手を頭の後ろで組まされる。
「離すなよ」
 と言われれば、離すことなど出来ない。真央は仰向け、着衣はショーツのみという無防備な姿で、不安げに月彦を見上げる。
「ぁっ……」
 つい、と胸の頂に触れられて声が出る。月彦はそのまま指先だけで、先端を擦り続ける。
「ぁっ、やっ……とう、さま……何を……」
「逃げるな、真央」
 身をよじろうとしたところを、月彦の言葉で止められる。月彦はさわさわと胸を撫で腹を撫で、太股をなで回してくる。その弱い愛撫が、発情状態の真央には余計に辛い。
「真央って、下の毛は薄いけどちゃんと生えてて……でも、こっちは生えてないよな」
「ひん……!」
 ぺろり、と脇を舐められる。
「それとも、俺に内緒でちゃんと処理してるのか?」
「そんな、こと……して、ない――んっ……!」
 ぞぞぞと脇の下を舐められ、真央は咄嗟に身をよじろうとする――が、矢張り出来ない。
「ぁっ、あっっ……やっ……とう、さまぁ……そんな、所……舐めないでぇえっ……!」
「いっつも真央はここガードしてるからな。……今日は、たっぷり舐めてやる」
「やっ……あんっ!」
 抵抗も、隠すことも出来ず、真央は良いように脇を舐められる。逃げるな、の命令通り、月彦の愛撫から逃げるような行動は一切出来ない。代わりに――
「ぁっ、ぁっ、ぁっ……やぁぁっっ……」
 勝手に、足が開く。すっかり濡れて、ぴたぁと張り付いたショーツを誇張するように。くすりと、月彦が笑う。
「どうした、真央。そんなに触って欲しいのか?」
「う、うん……触って、欲しい……」
 下腹が疼く。発情状態にさせられ、放っておいても止めどなく溢れさせてしまうそこを、差し出すように月彦の方へと向ける。
「でも、ダメだ。俺は今、無性に真央の胸に触りたい。そして、脇を舐めたい」
「え……そ、そんなっ……んんんぅ!!!」
 触れるだけだった手が、急に荒々しく真央の双乳を捏ねる。同時に脇を舐められ、真央は下半身を痙攣させてその快感に耐える。
(やっ……だめっ、イっちゃう……!)
 発情して敏感になった胸をもみくちゃにされ、脇を舐められて、真央はそう直感した。しかし――イけない。
「やっぁっ……なに、これっぇ……!」
 がくんっ、がくんと体が揺れる。頭の後ろで組んでいる指の親指の辺りから、強烈な力が流れ込んでくるのを感じる。
「やぁぁぁっ……ぁぁああっ、いやっ……いやぁっ……!」
 通常であればとうに達しているほどの快感を与えられているというのに、イけない。月彦の許しが無くては、絶対にイけない体――それがどういうものか、真央は身をもって思い知る。
「どうした、真央。随分辛そうだな」
「お、おかしいの……イきそうなのに、イけない、の……」
「当たり前だろう。ちゃんと約束したじゃないか。勝手にイくな、って」
「で、でも……んんっ!」
 月彦の手が、濡れそぼったショーツに触れる。そのまま、スリットをこしゅこしゅと指で辿る。
「はぁぁぁあッ……っぁああ!!」
 絶頂の寸前で無理矢理イくことを止められている真央には、そんなゆるい愛撫すら、気が狂わんばかりの刺激となる。がくがくと下半身が震える様は、まるでサイドブレーキを引いたまま無理矢理発進しようとする車のようだった。
「どうだ、真央。こういうのは、今夜じゃないと出来ない事だぞ?」
「ひっ……」
 月彦の手で、ショーツが脱がされる。湯気が立ちそうなほどに火照った秘裂が顔を出し、そこを月彦がくぱぁと開く。
「真央のここ、ひくっ、ひくって動いてるぞ。……美味そうだ」
「やっ、やぁっ……だめ……あひィッ!!!」
 月彦は足の間に体を割り込ませ、真央の秘裂にしゃぶりつく。ぬろりとした舌の感触に、真央は悲鳴を上げて腰を浮かせる。
「ひはぁぁぁぁぁっ!! やああっだめっ……と、さまっ、それっ、だめえええッ!!」
 ぴちゃ、ぴちゃと音を立てて舐められ、真央は咄嗟に狐耳を伏せさせる。無論、そんな事で音を遮断出来る筈もない。
 じゅるるるるるる……!――そんな音を立てられ、溢れたものが月彦に吸われる。両腕が利くなら、間違いなく真央は両耳を押さえている所だった。
「ぷは……真央、本当に発情してるんだな……いつもより匂いも味も濃いぞ。……発情した、牝の味がする」
「い、いや……」
 父さま、言わないで――それは声にならなかった。月彦が服を脱ぎ、ぐい、と真央の眼前にそそり立った剛直を見せつけたからだ。
(あぁ……)
 ぞくぞくぞくっ……!
 惚れ惚れするような力強さに真央は身震いしてしまう。そして、はたと今の自分の状態に気がつき、期待が恐怖に変わる。
(今、あんなの挿れられたら……)
 普段ならば、間違いなくイってしまう。ずぶぶと肉襞を引きずるようにして押し込まれ、ごちゅん……と膣奥を小突かれた時の快感は中出しされた時のそれに匹敵する。しかし、今の自分は――。
(でも……)
 快感も度を超せば、いくら誓紙の力が止めようとイってしまうのではないか。真央はそう信じるしかなかった。
「いくぞ、真央」
 月彦は両手で真央の両足を抱えるようにして、剛直を秘裂に宛う。にゅり、にゅりと先端に蜜を塗し、そして一気に――
「やっ、ぁぁぁぁあああああああっ!!!!」
 ずぬぬぬぬっ………ごちゅん!――そんな音が真央の中に響く。懐かしい下腹部の圧迫感、そして最愛の牡に貫かれるという満足感が相まってたちまち真央はイってしまう。……筈だった、普段ならば。
「あああぁあっ、ぁっ、そん、なっっ……ぁああっ……!」
 がくっ、がくと体が跳ねる。親指からひっきりなしに力が注がれてくるのは、それだけ快感も大きいということだ。それなのに、真央はイかせてもらえない。
「ふう、ふう……いつも、挿れただけでイくのに……偉いな、真央……ちゃんと我慢したな」
 月彦はぺろりと脇を舐め、胸を吸い、そしてもう手を離していいぞ、と真央に囁いてくる。
「やぁああっっ、と、さまっ……これ、いやっ……嫌ぁぁあッ!!」
 月彦が腰を使い、何度も何度も膣奥を小突いてくる。その都度、真央はびくんと体を跳ねさせ、イこうとする。――が、それが強大な力によって止められる。
(イきたいっ……イきたい、のに……!)
 イかせてもらえず、途方もない快感だけが一方的に与えられる。それは最早拷問と言っても良く、真央は両手両足で月彦にしがみついて気が狂わんばかりに泣き叫ぶ。
「っ……凄い、な。本当にイけないのか?」
 意地悪な笑みを浮かべて、月彦は好き勝手に腰を使い、真央の中を陵辱する。その都度、真央は無様に体を跳ねさせ、ぎゅううっ、と剛直を締め付けるが、決してイくことはない。
「いやぁぁぁあっ……いやぁぁぁぁっ……と、さま……おね、がい……イかせ、てぇ……こ、れ……辛すぎっっ……んんんっ!! んんんンーーーーーーーーッ!!!!」
 口を塞がれ、ごちゅんっ!、と突かれる。そのまま舌を絡め唾液を絡め、濃密にキスをしながらぐりぐりと膣内をかき回される。
(だめ、だめっ……死んじゃう、死んじゃうぅッ!!)
 思考回路の端々までどっぷりと快感漬けにされて、真央は純粋に恐怖する。絶頂とは、一種の安全装置のようなものなのだ。ブレーカーが落ちるように、一定量以上の快感は受け付けないようにするリミッターなのだ。――それが、今の真央にはない。
「は、ぁ……いいぞ、真央……すっげぇ締め付けてくる…………そんなに、気持ちいいのか」
 はあはあと息を荒げながら、月彦は遮二無二腰を使い始める。真央には、すぐに解った。それは、月彦がイきそうな証拠なのだ。
「はあ、はあ……真央、今から……たっぷり中に出してやるからな」
「ひっっ……い、嫌っっ……と、さま……お願い……真央も、イかせ――ぁっ、やぁああんっ!!!」
 真央の懇願などまるで無視して、月彦は一際深く挿入、何の躊躇いもなく牡液を吐き出してくる。
「あぁぁあああああッ! ぁぁあっぁッっ! ぁあああっあうっ、あうッ!!!!」
 どびゅっ、どびゅう!
 熱く滾った白濁液が真央の子宮口を叩くたびに、体が跳ねる。親指から流れ込む力はさらに強まり、真央は中出しという至福の瞬間にすらイかせてもらえず、ただただ滑稽に喘ぐばかり。
「あぁぁあっ! ぁあああっあっ! あぁあっ、あっ!」
 ぎりぎりと月彦の背中に爪を立て、快感に耐える。どぷ、どぷと注ぎ込まれ続けた白濁が漸く止まり、それがぬっ、ぬっ……と膣壁に擦りつけられる。
「ふーっ……ふーっ……本当に凄いな……中出しされてイかなかったのなんて、初めてじゃないか?」
 髪を優しく撫でられ、頬にキスをされるが、真央に答える余裕は無かった。ただ、はあはあと息を乱し、月彦にしがみついていた。そうせねば、正気を無くしてしまいそうだった。
「さすがにちょっとショックだな。……イくな、って命令して、無理矢理イかせてやろうと思ったんだが。……こうなったら、真央がイくまで中出ししてやるからな」
 いつもなら、体が震えるほどに嬉しい言葉。しかし、今の真央には死刑宣告にしか聞こえなかった。
 



「ひいいぃぃいっ!! あっ、あっ……と、さまっ……おね、がい……イっても、いい、って言っっ……あぃいいいいいッ!!」
 泣き叫ぶ真央の腰をしっかりと掴み、奥の奥まで剛直を押し込み、月彦はこれでもかと中出しをする。今宵通算――七度目の正直だったが、それでも真央はイけなかったようだった。
「ぬぅ……これだけしてもダメなのか。本当に凄いんだな、稲荷誓紙って」
 月彦は眼下でぐたぁ……と力無く尻だけ持ち上げた真央を見下ろす。よほど消耗しているのだろう、普段ならビンビンにそそり立っている尾までもがくたぁと倒れてしまっている。
 イけないせいか、真央の消耗は普段とは比べものにならないようだった。既にこれまで三度、真央は気を失っていたが、そのたびに月彦は起きろ、と命令した。すると真央の親指の朱が光を放ち、たちまち真央は覚醒――そして犯す。その繰り返しだった。
 稲荷誓紙は絶対だと、真狐は言っていた。だとすれば、本当に人間一人の力ではどうしようもないのかもしれない。何より、さすがにこのままでは真央も持たないだろう、と月彦は思案する。
(でも、言い出しっぺは真央だしなぁ……)
 元々自分は普通に寝るつもりだった。そこを、真央が誘ってきたのだ。だから、好きなようにして当然、という思いが、月彦にはある。
(とはいえ、少しは休ませてやらないと可哀相か)
 そう思って、月彦は抽送を止め、真央が落ち着くまでそっと抱きしめ、待つ。
「とう、さま……?」
「真央、大丈夫か?」
 はあはあと、真央は以前荒く肩を動かす。
「あんまり、大丈夫じゃ、ない、かも……」
「そうか。じゃあ……次は真央が好きなようにやらせてやる」
「私の、好きなように……?」
「ああ。真央は……どんな風にされるのが一番好きなんだ?」
 えっ……と、真央が声を漏らし、黙るが、途端にその親指が赤く光る。質問にはきちんと正直に答えろ――その誓約に違反するからだ。
「わ、私……父さまに、抱かれて、キス、されながら、するのが、一番、好き……」
 対面座位か、と月彦は頷く。
「後ろからされるのよりもいいのか?」
「う、後ろからも、好き……だけど、キス、しにくい、から……」
 なるほど、と月彦は納得する。
「じゃあ真央、一番嫌な体位は?」
「えっ……嫌なのなんて、ない、よ……?」
 嘘はつけない筈だから、それは本当なのだろう。
「じゃあ言い方を変えるか。一番苦手なのは?」
「それは……私が、父さまに跨って、上になるのが……」
「騎乗位か。……真央、苦手なものがあるのは良くないよな?」
 にやり、と月彦は笑みを浮かべる。
「と、父さま……今、私の好きにしていいって……」
「ああ、真央が上になって、好きにしていいぞ」
 上になれ、と月彦は命じ、己は仰向けに寝る。真央がそこに跨り、月彦が命じたままに剛直の上に腰を落とす。
「もっとだ、ちゃんと根本まで入れろ」
「そん、なっ……んっ、ぁっ……あぁっぁっ!」
 ずぷっ、ずぷぷっ。
 決して逆らう事の出来ない力に翻弄されて、真央が悲鳴を上げながら腰を落としてくる。とんっ、と月彦の胸板の上に手をつき、はあはあと悶える。
「なんだ、ちゃんと出来るじゃないか。どうして真央は苦手なんだ?」
「だ、って……と、さまの……お、っき、くて……お腹の奥、ぐぃぃっって押されて、あんまり、動けない、から……」
「奥をぐぃぃって押されると、嫌なのか?」
「い、嫌じゃ……ないけど、それ、されると……すぐ、イきそうに、なっちゃうから……」
「そうか。……じゃあ真央、さっそく苦手体位克服の練習だ。まずはゆっくり腰を動かしてみろ」
「ぇっ、ぁっ、やっ……んんっ!」
 戸惑う真央を尻目に、真央の腰がくいくいと勝手に動く。月彦はあえてマグロになり、辿々しく腰を動かす真央を見上げ、くつくつと笑う。
「よし、真央。ステップUだ。次は……真央が一番弱い所に擦りつけるように動くんだ」
「えっ……そんなの、だめっ、出来な――あぁああああっ!!」
 真央がぐっ、と深く腰を落とし、剛直の先端に子宮口をぐりぐりと擦りつけるように腰を動かしてくる。
「うっ、お……真央、それ、いい、ぞ……もっとだ、もっと……しろ」
 月彦は真央の太股を掴み、敢えて己は動かず、真央の動きに任せる。極上の膣内でぐりんぐりんと剛直が捻られ、先端を擦られる快感にたまらず時折うわずった声すら上げてしまう。
「やぁぁっっ、だめっ、だ、めぇ……とう、さまっ、これ、やっ……あああっんっ! あぁぁっっl、あぁっ、やっ……」
「だめ? ッ……どんな、風に……だめ、なんだ?」
「父さまの、堅い、のが…ンッ………真央の、奥にぃっ……あぁぁぁっ……こりゅ、こりゅってぇ……んんっ!」
「つまり、いいってことだろ。……真央、ついでに聞くぞ。今……一番触られたくない所はどこだ?」
「えっ……それ、は……あうぅぅうう!!」
 親指が光り、真央が悶える。
「し、尻尾……尻尾には、触らないで……おね、がい……きゃうんッ……!」
「尻尾って、コレの事か?」
 意地悪く笑いながら、月彦は少しだけ体を起こし、真央の尻尾を掴む。
「はあ、はあっ、だめっ、父さまっ……やっ……そん、な……擦らないでっっあぁんッ!」
「尻尾を擦ると、真央のナカ……きゅううって締まるぞ。っ……たまんねぇっ……」
 月彦は快感の誘惑に負け、とうとう自ら動いてしまう。真央の太股を掴み、ごちゅんっ、と下から大きく突き上げる。
「あひィッ! やっ、とう、さま……動く、なんて、反そ、くゥッ……!」
「だ、まれ……真央が、真央の、ナカが、無茶苦茶いいから、我慢、できねぇ、んだ……く、そ……」
 ベッドのスプリングを利用してごちゅんっ、ごちゅんと突き上げながら、両手で真央の双乳をもみくちゃにする。
「あぁぁああっあっ、だめっ、だ、めぇッ! とう、さま……おね、がい……イかせて、イかせてぇえッ!!」
「だめ、だ……絶対イくな、よ、真央……っ――出るッッ!!」
 真央の太股の付け根を押さえつけ、絶対に逃げられないようにして月彦はどぷどぷと子種をぶちまける。あァァッ――真央が喚くが、構わず最後の一滴まで吐きだし、塗りつける。
「真央、もう……腰、止めて良いぞ」
 月彦が言うや、真央はかくんと脱力して被さってくる。はあはあ、ぜえぜえと荒く息をするものの、また失神してしまったのか反応が薄い。
「真央、起きろ」
 命じると、びくんっ、と真央の体が震える。
「答えろ。……真央が一番恥ずかしい、見られたくない場所は、何処だ?」
 続いて、底意地の悪い笑みを浮かべて真央に囁く。ひい……という声が、ゾクゾクするほど心地よかった。

 真央はお尻、と答えた。月彦は真央を四つんばいにさせ、たっぷりと視姦、その後に指を入れて弄りまわした。指を一本から二本へと増やし、さんざん弄ってから剛直をねじ込み、犯した。
「い、やっ、いや……父さま、もう、許して……」
 怯えたような声でそう言う真央にまたムラムラして、月彦はそのまま真央の前も犯した。そこで漸く、月彦は心変わりを起こした。
(やっぱり、イく時が一番気持ちいいな……)
 真央の膣の何が良いかと言えば、あの雑巾でも絞るかのようにぎちぎちと締め付け、吸い付いてくる肉襞と、まとわりついてくる恥蜜の感触だ。そしてそれが尤も具合がよくなるのが、真央がイく時なのだ。
(それに、真央もさすがに辛そうだしな)
 意地悪一辺倒だった心に、僅かな情が芽生える。月彦は体を倒し、真央の耳に唇をつける。
「……よし、真央。イッてもいいぞ」
「……ぇ……?」
「イッていい、と言ったんだ」
 イけ、と月彦が呟いた瞬間、真央がびくんと体を震わせる。
「やっ、あああっあああっあっあっあっあっ!」
 ぎゅぎゅぎゅっ、ぎゅううううう!――途端、真央の膣内が強烈に締まる。まるで剛直を雑巾搾りにされているかのような締め付けに、月彦は歯を食いしばって耐えねばならなかった。
「くはっ……イけって言った途端、これか……本当に――言いなりなんだな」
 ぎゅうっ、ぎゅうと剛直を締められ、その窮屈さに酔いしれながら、月彦は真央の体をぎゅうと抱きしめる。
「はーっ…………はーっ…………とう、さま……だ、め……普通に、ふつう、に…………」
 長時間イけなかった所を唐突にイかされ、真央はもう舌もまともに回らないのか、息も絶え絶えに掠れた声で懇願してくる。その弱々しい口調に、ゾクリと、月彦の中の悪い部分が首を擡げる。
「真央……イけ」
「えっ……ぁっ、いやっ……ひぃいぃいいいいいッ!!!!」
 悲鳴、そして痙攣でもするように真央の体が跳ねる。ぎちぎちと剛直を締め付けられて、くっ……と月彦は眉を寄せる。
「もう一度だ、真央。また、イけ」
「い、いやっッ……やぁぁあっ!」
 びくんっ、と体を跳ねさせ、真央がイく。ぎちぎちと締まる膣内を、無理矢理押し開くように月彦は腰を使う。
「あぃぃいいッ!!!! ひあっ、あああっんぁあっ……あはぁあっ!」
 イけ、と何度も囁き、その都度月彦は腰を使う。本当に、真央は言いなりなのだ。絶頂の自由すら、月彦に握られているのだ。
 ゾクリと、また悪寒に近いものが体を駆け抜ける。ただ、一言――イけと命じるだけで、真央はイく。自分の意志など関係ない、何もかもが、月彦の思い通りに。
「はーっ、はーっ……マジ、いい、ぞ……真央がイく時の、ナカ……無理矢理、動かすと、ゾクッて来るくらい、良い……」
「やっ、やぁぁっ……と、さまっ……らめっ、も、言わなっ……ひぃぃいっ!!」
 真央の口上を無視して、イけ、と命じる。ぎゅううう、と締まり、そこを無理矢理剛直で押し開く。ひぃッ、と真央が悲鳴を上げてまた啼く。……ゾクゾク、する。
「なぁ、真央。稲荷誓紙ってのは本当に凄いんだな。これなら……真央を妊娠させることだって出来るんじゃないのか?」
 えっ、と真央が掠れた声で返す。
「真央に中出しして、孕め――そう命じたら、その通りになるんじゃないのか?」
「と……さま……ほ、本気、なの……?」
 月彦は、肯定するように口の端をつり上げ、笑む。
「ものは試しだ。そうだろ、真央?」
 


 稲荷誓紙の力を使えば、子を孕むことが出来るかもしれない――月彦はそう言った。確かに、可能性はあると思えた。親指から流れ込んでくるあの圧倒的な力、真央の意志などまるでお構いなしに体の自由を奪い、絶頂を抑制したかと思えば、月彦の言葉一つで容易くイかされる、あの力ならば。
「なぁ、真央……真央は男の子と女の子、どっちが欲しい?」
 先ほどまでの苛烈な攻めとはうって変わって、月彦は背後から真央を抱きすくめ、優しく胸元を触りながらそんなことを囁いてくる。
「ど、どっち、なんて……そんなの、急には……」
「やっぱり子供も、真央みたいに成長が早いのかな。ってことは、女の子だったら……こうして、真央みたいに可愛がってやれるわけか」
 えっ、と真央は声を漏らしてしまう。まだ居もしない娘に、謎の悋気を感じてしまう。
「男の子だったら、二人がかりで真央とヤれるな。真央はどっちがいい?」
「そ、そんな……どうして……エッチする前提なの?」
「だって、俺と真央の子供だぞ? エッチ大好きに決まってるじゃないか」
 そう言われては、真央には反論の余地はなかった。ぐっ、と下腹部に収まったままの剛直が再び動き出す。
「真央が決められないんなら、天の采配に任せるか」
 ずんっ、と月彦が一際強く突いてくる。既にくたくたで、声も掠れるほどに戦慄いたというのに、真央は己の内に不思議な力が湧いてくるのを感じた。それは、決して稲荷誓紙による力ではなかった。
(私の体……父さまに孕まされたいって、思ってる……)
 真央はそっと己の腹部に手を当てる。発情によるものなのか、それとも散々突かれたからか、じんわりと熱を帯びているように感じられる。
 本来ならば、まだ生理の来ていない真央の体では決して懐妊など出来る筈がない。でも、今なら――その期待に応えるように、下腹部を中心にじぃん……と心地よい波が広がり、真央は微かに喉奥で呻く。
「どうした、真央。……妊娠した姿でも想像したのか?」
「う、うん……父さまの、赤ちゃん……すごく、欲しい…………あ、あんっ……!」
 こちゅんっ、と突き上げられ、真央は甘い声を漏らしてしまう。先ほどまでのように一方的に快感を加えられる時に漏らした悲鳴とは違う、牡を蕩かす甘い牝の声だ。
(あぁっ……父さま、父さまっ…………)
 今までのようなただの交尾ではない。妊娠の可能性を孕んでいると思うだけで、快感とはまた違うものが真央の心を満たしていく。
(父さまに……私、孕まされちゃうんだ…………そして、父さまの赤ちゃんを……)
 己が認めた、最愛の牡の子を身ごもる。牝としての至福。長く実現しないと思っていたそれが、唐突に手の届く距離に。
「んんっ、あっ、あんっ! あんっ、あっ、あっ……とう、さまっ…………とう、さまぁっ………!」
 ぱんっ、ぱんと尻が鳴るほどに突かれ、真央は甘い声を上げ続ける。被さってきた月彦に振り返るようにして唇を重ね、胸をもみくちゃにされる。
「はっ、ぁっ………とう、さま………いっぱい、出して、ね? 絶対……妊娠、させ、て……真央を、孕ませて………あっ、ン!」
「ああ、解ってる。……真央、そろそろ……」
 互いに感じ、気持ちよくなる動きから、イく為の動きへ。真央は四つんばいになって軽く踏ん張り、月彦の動きに備える。
「んっ、あっ、あんっ! あっ、あっ、あっ……あっあっあっあっあっぁッ! あっあぁっあっあっぁっ、と、さまっ……とう、さまぁぁっっっ……!!!」
「ッ……いくぞ、真央……俺の子を、孕めッ……ッ!」
 どくんっ、と真央の中で牡液が爆ぜる。ああぁッ!――声を上げて、真央はそれを子宮口で受け止める。
「あっ、あっ、あっ…………ぁぁぁぁぁ………………」
 びゅるっ、びゅっ、びゅっ。子宮口に白濁がかかるたびに、真央はか細い声で鳴いて、ぎゅうっ、と剛直を搾るように締め付ける。その都度、月彦が呻き声を漏らして、ぐっ、と真央の胸を握りしめてくる。そのまま、月彦は力尽きたとばかりに真央に被さってきて、二人、ベッドの上ではあはあと呼吸を整える。
「はぁ…………はぁ………………これ、で……私、父さまの、赤ちゃんを…………」
「……だといいが、真央。……気がついてるか?」
 えっ、と真央は月彦が指さした方角を見る。部屋の窓、その向こうに群青色の空があった。ハッとして真央は己の右手を見た。親指からはあの鮮やかな朱色が消え失せていた。
「そん、な……」
「ま、ひょっとしたらギリギリ間に合ったかもしれない。そう落ち込むな、真央」
 月彦が優しく髪を撫でてくる――その刹那だった。けたたましい音を立てて、窓ガラスが割れたのは。



「な、ななななななんだぁっ!?」
 月彦、真央共に度肝を抜かれた。窓ガラスを割って部屋の中に入ってきたのは古びた十五インチ型のテレビだった。さらに立て続けに車のバッテリー、電子レンジ、トースターに古タイヤ、ビニール袋に入った大量の紙くずに弁当の殻、異臭を放つ生ゴミなどがどんどん放り込まれてくる。その量は凄まじく、部屋の隅に立って避難して尚肩までゴミに埋もれるという有様だった。
 ざんっ、とゴミに埋もれた部屋の中に入ってきたのは全身泥まみれになった真狐だった。引きつった笑みを浮かべて、じろりと月彦を睨んでくる。
「お望み通り、町中のゴミを拾ってやったわよ。捨てる場所まで言わなかったのは失策だったわね」
 ざまーみろ、と真狐はけらけらと高笑いをする。その笑い声で、漸く月彦は困惑から立ち直る。
「このっっ……お前なぁっ、やって良いことと悪いことがあるだろうが! どうすんだよこれ!」
「知らないわよ。あたしはあんたに言われたとおりにやっただけ。今日は日曜なんだし、二人がかりで片づければ夜までには終わるんじゃない?」
「ふざけんな! お前も手伝え!」
 と、月彦はゴミをかき分け真狐の足を捕まえようとするが、ぴょんと真狐は跳ねて逃げ、そのまま部屋の外まで出てしまう。
「ばーかばーか、鬼さんこちらー」
「っっ……てめっ、そこを動くな!」
 月彦はさらにゴミをかき分け、ガラスに気をつけながら窓の外、一階の屋根の上に出る。
「なっ……」
 と、絶句する。ゴミは月彦の部屋だけではなく、庭の中にも家をぐるりと囲むように集積されていたのだ。
「まぁぁぁこぉぉおおッッ」
「きゃー、月彦の顔こわーい、犯されるぅー!」
 真狐はなんとも似合わない甲高い声を上げながらケダモノのような俊敏さでぴょんぴょんと家の屋根から屋根へと飛び移り、何処かへ消え失せてしまう。
「父さま、だめ!」
 月彦も続こうとするが、真央に止められる。そこで初めて、月彦は己が全裸である事に気がついた。
「あンの野郎……次会ったら絶対とっ捕まえて懲らしめてやる!」
 けらけらと、狐の笑い声が木霊する朝焼けに向かって月彦は力強く拳を掲げ、不動の決意を叫ぶのだった。

 

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