気がつくと目を開けて、天井を眺めている。そんな目覚めだった。
 時刻は深夜。かちかちという耳障りな音だけが、自室に木霊していた。
 身体を起こそうとするも、それが叶わない。見れば、傍らで寝ている人影に左腕がしっかりと絡められていた。
「…………」
 鬱陶しい、とばかりに、霧亜は無理矢理に腕をふりほどく。そして人影を一瞥。微かな月明かりの中、はて今日は誰と寝ていたんだったかなと、記憶を探る。
(ああ、あの娘か)
 大病院の一人娘。名は北里紫織といったか。眠る前は何度も甘く囁いてやった名前だというのに、酷く記憶に薄いのはやはりそれだけ情も薄いということだろうか。
 そもそも、容姿もそんなに気に入っていたわけではなかった。顔の造作は美形であったし、金持ちの娘らしく肌や髪の手入れも良かったが、それだけだ。一人娘ということでよほど甘やかされて育ったのか、或いはその逆なのか。甘ったるい声を上げてべたべたと付きまとってくる様は苛立ちしか呼ばなかった。
 この娘ともそろそろか、と思う。数度、身体を重ねはしたが、特にどうということもない。他の数多の娘達と反応も口調も似たり寄ったり。先輩、好きです――そう言われれば言われるほど気持ちが冷めていくのを感じた。それはまるで、身体中の血が冷え切っていくような不快さだった。
「ん……せんぱい…………」
 不意に娘が寝言を言って、何かを探し求めるようにもぞもぞと手を動かす。その手が霧亜の手に触れようとした所で、霧亜はついと手を引き、ベッドから立ち上がった。娘は一糸まとわぬ姿だったが、霧亜はその反対だった。
 ベッドの傍らに立ち、娘の顔を見る。無邪気そうな寝顔だった。さぞかし良い夢を見ているのだろう。だが家に泊めてやるのは今日限り。きっと言葉を交わすことも無くなるだろう。何より、この娘にはもう利用価値も無い。
 一服しようかと思って、それは禁忌だと思い出す。同衾する者が居る時は煙草は控えるというのが、霧亜なりのルールだった。煙草を我慢すると、今度は喉の渇きを覚えた。冷水が欲しくなって、一人階下へと降りる。
「ん……」
 階段を下りきった辺りで、台所の方から奇妙な光が漏れていることに気がつく。まさか、と身構えながら霧亜は足音を消して密かに近づく。光は、開いた冷蔵庫の中から漏れるものだった。
「……なっ」
 と、絶句してしまう。半開きになった冷蔵庫、そこに後ろ足で立ち鼻面を突っ込むようにしてがさがさと音を立てているのは人ではなく獣だったからだ。獣も霧亜に気がついたのか、生のウインナーソーセージを口にくわえたまま霧亜の方を向き、きらりと目を光らせる。
 ぴょんっ、と獣が後方宙返りをする。しゅたんっ、と地に着いた足は獣のそれではなく人のそれ。ふわりっ、と着物の袖を舞わせて、長身の女が姿を現す。
「狐……」
「ひさしぶり」
 女は毒々しい笑みを浮かべて、いけしゃあしゃあと挨拶する。
「どう、元気にしてた?」
「………………ッ!」
 霧亜は返事を返さず、ただ眉を寄せて女を睨み付ける。女は、霧亜のそんな反応が楽しくてたまらないとばかりにくつくつと嗤う。
「随分嫌われてるのね」
「……悪いけど、あんまり喋らないでくれる? あんたが口を開くと精液臭くて鼻が曲がりそうだわ」
 ぴくっ、と女が笑みを止める。
「どうせまたどこぞで男をくわえこんで来たんでしょう。真央ちゃんみたいな子を何人増やすつもり?」
 公衆便所女、と霧亜は吐き捨てる。ふっ……と女は笑みを零し、霧亜に向かってずいと歩み寄る。互いの鼻の頂が触れあいそうな距離で、しばし、眼光をかわし合う。
「手当たり次第に女の子を引っかけて女帝気取り。男には手を出さないのはどうしてかしら?」
 今度は霧亜が黙る番だった。刃のような眼光を、ただただ女へ向ける。
「弟を殴るのはただの憂さ晴らし? 単純に憎いから? それとも――」
 女の手がさわりと霧亜の頬を撫でる。咄嗟に、霧亜はその手を打ち払う――が、霧亜の手が触れる前に、女の体は靄のようになって消え失せてしまう。
「……いい気になるなッ、狐」
 姿は見えない、しかしくすくすと、耳に残る嘲笑だけが台所に木霊する。
「……真央ちゃんを暴漢から助けたそうね。あんたみたいな女でも、お腹を痛めて産んだ子は大事?」
 くっ、と霧亜は口元をゆがめる。愉快――という笑みではない。苦々しい、苦渋に満ちたものだ。
「私は忘れない、あんたが私の弟にやったことを。私は……あんたを絶対に許さないわ」
 

『キツネツキ』

第十三話

 

 


 


 “事件”の後、真央は三日連続で学校を休んだ。体調が悪かったわけではない。真央自身が「行きたくない」と言ったからだ。
 男達に襲われそうになった旨を、月彦は後日真央から聞かされた。そして、それを真狐が助けたことも。
(俺は、馬鹿だ……)
 由梨子の事を気にかける余り、真央のことを疎かにしてしまった――それは男として、何より真央の父親として失格と言われても仕方がないほどの失態だった。
(折角、真狐が警告してくれたのに)
 真央にもしもの事が無くて本当に良かったと思う。真央を襲おうとした男達については真央の話だけでは正体が分からなかった。被り物をしていたから顔は解らないのだという。
「……それに、もう思い出したくないの」
 と、泣きそうな顔で言われれば、月彦としてはそれ以上言及ができない。真央がそのような目に遭っている時、自分はそのことすら知らずに呆けていたのだから。
 学校に行きたくない、という真央の言葉にも、そうか、としか返せない。
(一体、何処の馬鹿が……ッ)
 俺の真央に手を出そうとしたのか。月彦は独自にそのことを調べ、そして“犯人”らしき一味を捜し出した。
 男達は月彦と同じ高校に通う一年生男子生徒五名。そのうち二名が事も在ろうに真央のクラスメイトだった。確証があっての事ではない。ただ、事があった日以降欠席をし続けている者がその五人だけ、というのが根拠なだけだ。
 月彦の力では、それが限界だった。何故なら、この一件は驚くほど表沙汰に、人の口に上らなかった。微かにうわさ話のような形で『五人の男子生徒が女子生徒を襲って捕まったらしい』という所まではまことしやかに囁かれたが、襲われた女子というのが人によってまちまちなのだ。ある者は、学校一の美女――即ち紺崎真央だと言うし、三年生の女子だという者も居た。挙げ句、一年で長期入院している宮本由梨子も実はその被害者なのではと言い出す者も居て、月彦は危うくその生徒に殴りかかりそうになった。
 実際の所、一体何がどうなったのかは月彦にも解らない。ただ、推測できるのはあの性悪狐が何かしらの小細工をしたのだろう、という事だ。
(まさか死んじゃいないと思うが……)
 噂の通りなら、学校に来ない五人は警察に捕まったという事になる。しかし、真央の様子を見るにそこまでの事をされた形跡はない。ならば、五人が姿を現さないのは真狐が何かしらの制裁を加えた為だろう。
(あの女の事だ。襲われる瞬間に真央と入れ替わって五人とさんざんヤりまくった後、態度を豹変させて警察にタレ込んだのかも……)
 そんな所だろう、と月彦は自分なりに結論を出す。そして、真狐が他の男と寝たのではないかという推測に苛立っている自分に気がつく。
(違う、これは真央の危機に気がつけなかった自分にイラついているだけだ)
 真央を襲ったという五人はいつ学校に来るのだろうか。もし自分の前に現れたら顔の形が変わるほど殴りつけてやる、と月彦は息巻いたが、結局それは叶わなかった。五人は結局そのまま“自主退学”となって学校に来なくなり、挙げ句家族ごと何処かへ越してしまったからだ。それが本当に彼らの意志によるものなのか、それとも“誰か”の思惑によるものなのか、月彦には判断が付くはずもなかった。





 真央は自室で布団にくるまり、震えていた。この所家に居るときは殆どそうして過ごしていた。
(恐い……)
 他人が恐い。恐くて堪らない。あの事件以降、男を見れば誰も彼もが強姦魔に見えてしまう。
 ずっと家に居ても――と、葛葉に誘われて一緒に買い物に出かけたりもしたが、それでも何も変わらなかった。すれ違う男達の粘っこい視線はゾッとするほど気色が悪く、舌なめずりなどされようものなら叫び声を上げて逃げ出したくなった。
(父さま以外になんて、絶対嫌……!)
 容姿の造作など関係ない。醜かろうが美しかろうが、そんな事は真央には全く関係なかった。基準はただ一点、月彦か、月彦じゃないか。それだけだった。
「…………っ……」
 乱暴に犯された事ならば、何度もある。半ば以上本気で怯え、月彦にやめてと懇願したこともある。しかし、そういうものとは根本から違った。
 四肢を押さえつけられ、手荒く体をまさぐられる。発情した牡達の生臭い息がかかり、全身に怖気が走る――真央が体験したのはそこまでだったが、母親が助けに入らなければそれ以上の事をされていた筈なのだ。
(好きでもない人となんて……)
 自分には絶対無理だ、と思う。体をまさぐられただけであれほど怖気が走ったというのに、それ以上の事などをされたら屈辱と嫌悪で舌をかみ切ってしまうかもしれない。
(でも、あの人は……)
 やったのだ。それも、五人全員と。そう言っていた。
 佐々木円香。由梨子の親友――だと自称していた。そして恐らく、そのことは本当なのだろう。
(私は……疫病神……)
 真央が来るまでは、何もかもが巧くいっていたのだと。真央が来たから、何もかも狂ってしまったのだと。そう言っていた。
 自分がそれほどまでに他人に憎まれていたというのがショックだった。人間の学校へと通い、自分なりに周囲とも巧くやれているつもりだった。しかし、己の預かり知らぬ所で深い恨みを買っていたのだ。
 それがどれほどのものか。あのような――人間の価値観に照らし合わせれば醜悪な――男達に体を委ね、その協力を仰いだという事から、尋常の事ではないと解る。そこまでして、円香は自分を貶めたかったのだ。
(私が……由梨ちゃんを寝取ったなんて……)
 酷い誤解だと、真央は思う。確かに由梨子は人間の女子の中では一番の親友だった。しかし、決してそれ以上の事は無かったと思う。ましてや、円香が勘ぐるような事は何も。
 しかし、円香は聞かなかった。真央がいくら弁明をしてもそれは通じず、己の意見を押し通し、そして――真狐によって報復を受けた。
(母さま……)
 真央は真狐が何をしたのか、具体的には覚えていない。それは真狐が真央に見せまいとしたのか、真央自身があの現実から目を背けたくて意図的に真狐の支配を受け入れ、己の意識を沈めたのか。とにかく、次に真央が眼を覚ましたときには目の前に父親の顔があり、そして全ては終わった後だった。
(母さまは、どうして……)
 一時期は、母親のようになりたいと思った。月彦が真狐に対して好意を抱いているのは真央の目には明白だったし、だからこそあのような女が月彦の好みなのだと思った。しかし、無理だ。自分は、母親のようにはなれないと、真央は今回の一件で強く感じた。
 真央は知っている。母親が数多の男達と関係を持った事を。そしてその大半が、好意という感情以下のものしかない相手だったという事も。
 きっと母親ならば、あのような状況になっても嬉々として男達を喰らい、そして圧倒していたのだろう。五対一など、丁度良いハンデだとでも言いながら。
(私には、絶対無理だ……)
 月彦以外の男に抱かれる所など、想像できない。想像したくもない。たとえ月彦本人の命令であろうとも、それだけは出来ないだろう、と真央は思う。
「違う、父さまは……」
 そんな命令をしたりしない、と真央は布団の中で頭を振る。月彦だって、真央と同じの筈だ。本当に好きな相手以外とは体を重ねたくない――そう、思ってる筈だ。
「……っ……!」
 こんこん。そんな音が不意に真央の耳に飛び込んできて、真央はびくりと布団の中で体を震わせる。布団の端からにょろりと出ていた尻尾が警戒するように毛を逆立たせ、真央は恐る恐るドアの方を見る。
 まさか――と思ってしまう。そんな筈はないと分かり切っているのに、真央は不安でたまらなかった。あのドアが開いたら、被り物をした男達が一斉に自分に襲いかかってくるのではないか――そんな想像にがちがちと奥歯が鳴る。
「真央ちゃん、私よ」
 その言葉に、真央の不安は一気に消し飛んだ。しかし、安堵の息を吐くゆとりもなく、別種の不安が沸々とわき上がる。
「入ってもいいかしら」
 だめ……と、掠れた声で言ったが、それはドアの向こうまでは届かなかった。




「真央ちゃん、大丈夫?」
 室内に入るなり、霧亜が声をかけてくる。いつもより数段優しい口調だったが、霧亜に限ってはその優しさが恐い――と、真央は思う。
「座ってもいい?」
 真央は布団を被ったまま、返事を返さなかった。すっ、とベッドが端の方に向かって沈み、そこに霧亜が座ったのだと解る。
「どう、少しは落ち着いた?」
「……うん」
 小声でそう返す。願わくば、この返事で納得して部屋から出て行ってはくれないか――と、そんな事を考えてしまう。
 決して、嫌いというわけではない。自分に接するときの霧亜はいつも優しいし、何より真央が学校に行くために必要だった勉強を教えてくれた。そういう意味でも、真央は霧亜を信頼していた。
(でも――)
 時折、“それ”だけでは済まない事がある。耳元で甘い言葉を囁かれ、体を撫でられ、そのままなし崩しに……という事になってしまったのは一度や二度ではない。
 きっと、霧亜なりに自分を可愛がってくれているのだろう――と思う。霧亜の仕草は巧みで、それこそあの円香の手つきとは比べものにならない。最初はそれとなく、そして気がついた時にはもう引き返せぬ所まで――それが霧亜の愛撫だ。心の奥に月彦という太い柱が立っていなかったら、容易く虜にされてしまったかもしれない。霧亜の愛撫は、それだけのものを真央に与えてくれる。
 真央としては、霧亜にそうされることは決して本意ではない。本意ではないが……殆どの場合拒みきれなかった。ひょっとしたら強く拒絶すれば霧亜とて無理強いはしてこないのかもしれないが、それが出来ない。いや、やめて……そう言いながら、結局は霧亜に身を任せてしまう。そしてその都度、真央は月彦に対してばつの悪い思いをするのだ。
 浮気をしているという実感はなかった。しかし、知られたくないと思っている事もまた事実。後ろめたいとは思っても、やはり積極的に逃げようとしない自分が居る。
(父さまの、姉さまだからなのかな……)
 ひょっとしたら、体が本能的に月彦に近い匂いを霧亜に感じているのかもしれない。月彦以外の人間に体を触れられたときに反射的にわき起こるあの圧倒的な嫌悪感が霧亜にはあまり沸かないのだ。同じ同性でも、円香に触れられた時はあれほど怖気が走ったというのに。それが不思議で、同時に恐い。たとえどんな男に体を陵辱されても心までは屈しないと思っていたが、霧亜相手だとそれが怪しくなってしまう。
「……大変だったわね」
 すっ、と霧亜の手が布団越しに肩を撫でてくる。それがいつもの序曲――の筈だった。
 しかし、霧亜はそのまま真央の上に被さるようにして体重をかけてくる。えっ、と真央が声を漏らした時には布団ごと抱きしめられていた。
「こんなに震えちゃって……」
 ぎゅうっ、と霧亜に抱きすくめられる。
「真央ちゃんお願い。顔……見せて?」
 請われて、真央は恐る恐る布団から顔を出す。不安げな目を霧亜に向けると、すっ、と後ろ髪を撫でられる。
「可哀相な真央ちゃん。…………絶対、仇はとってあげるからね」
「えっ……」
 ぞくりと、背筋に冷たいものが走る。
「姉さま、仇って……」
「こんなに可愛い真央ちゃんに手を出そうとしたんだもの。当然でしょう?」
 髪を撫でる霧亜の手つきは慈愛に満ちている。それが逆に、真央の心に恐怖を呼ぶ。
「やめ、て……姉さま。……私はもう、なんともないから……何もしないで」
「そういうわけにはいかないわ」
 にっこり、と霧亜が笑む。その笑みに酷く冷たいものを感じて、真央はぶるりと体を震わせた。霧亜が誰に、何をするつもりなのか。それは解らないが、霧亜を止めなければならないという事だけは解る。
「お願い、姉さま。私は本当に大丈夫だから」
「でも……」
「お願い」
 霧亜の手を握り、真央は懇願する。……ゾッとするほど、冷たい手だった。
 霧亜はしばし思案するように黙り、そしてにっこりと微笑んだ。
「解ったわ、真央ちゃんがそう言うなら」
 その一言に、真央はホッと安堵の息を漏らす。霧亜の手が、再び真央の髪を撫で始める。
「ねえ真央ちゃん。一緒にお風呂入ろっか」
「えっ……」
「こんな男臭い布団なんかで寝てたら、落ち着いて寝られないでしょう? お風呂に入って、それから私の部屋で一緒に寝ない?」
 それが何を意味するのか、真央には十二分に解っていた。しかし、たった今自分の頼み事を聞いてもらった立場上、真央には断りづらかった。
「じゃ、じゃあ……お風呂、だけ……」
 ちらり、と上目遣いに霧亜を見る。まるで主の機嫌を伺う奴隷のような仕草。霧亜は変わらぬ笑みを浮かべ、答えた。
「分かったわ。お風呂だけ、ね」



「…………来ちまった」
 白い巨塔を見上げて、月彦は呟く。ここに通いすぎたが為に、真央があんな事になっても気がつけなかったというのに、性懲りもなく。
(……由梨ちゃん、元気かなぁ…………)
 肉まん事件の一件以来、ばつが悪くて一度も顔を出していない。いい加減由梨子がどうなったのか、さすがに気になり始める。
(真央の側に、居てやらなきゃいけないのに……)
 真央が傷心の今こそ、父親の自分がしっかりしなくてどうするのだ、と己を奮い立たせてきた。立たせてきたが、気がつくと放課後、ふらりと病院に寄ってしまう自分がいる。
(だめだ、帰ろう……)
 由梨子の顔を見れば、心は癒され気は楽になるだろう。しかし、今の自分にはそんな資格はないと思う。何より、あのような醜態を演じた手前、会わせる顔もない。
(帰ろう……)
 そう思って踵を返すも、足が重い。まるで後ろ髪を誰かに掴まれているかのように病院から離れられなかった。
「くそっ、どこまで由梨ちゃんに甘える気だ……!」
 己で己を叱咤し、帰ろうとするも気がつくと受付のロビーに立っている。いかんいかんと首を振って正面玄関からロータリーへと歩き出した筈が何故かエレベーターに乗っている。
(だめだ、俺は何をやってるんだ…………)
 由梨子の病室の前に立ち、ノックしようと手を挙げかけてまたもや頭を振る。ごつ、ごつとドアに頭をぶつけて自制を効かせようとするも、今度はそれがノックになってしまっていると気がついて、大あわてでドアの前から走り去る。
「会っちゃ、だめだ……!」
 意を決して、エレベーターの場所へと戻る。しかし、誰かが呼んだらしくエレベーターは動いてしまっていた。
(これは、帰るなって事じゃないのか――)
 と、そんな妥協をしてしまいそうになって、また頭を振る。
「ダメだ、何言ってんだ……」
「何が駄目なんですか?」
 突然背後から声をかけられ、月彦はうわあと大声を上げてしまう。その聞き覚えのある声に恐る恐る振り返ると、いつもの寝間着姿にドテラという出で立ちの由梨子が不思議そうに首を傾げていた。
「ゆっ、由梨ちゃんっっっ!?」
 月彦は声をうわずらせ、病院の壁に張り付く。そんなオーバーアクションに由梨子はまたしても首を傾げる。
「……先輩?」
「あ、あぁ……いや、なんでもないんだ。こっちの話だ」
 何とか取り繕いながら、月彦はコホンと咳をつく。由梨子との予期せぬ出会いの為か、顔は真っ赤で尚かつ異常発汗が止まらないという有様だ。
(なんか由梨ちゃん……また、可愛くなったなぁ……)
 どきどきと高鳴る胸を押さえ、月彦はそんな事を思う。寝間着の上にドテラという、お世辞にも色気がある姿とは言えないのに、そんな由梨子がいつになく可愛らしく見えて仕方がない。
「先輩、大丈夫ですか? 顔真っ赤で汗びっしょりですよ?」
「ゆ、由梨ちゃんが病室に居なかったからさ……今日はもう帰ろうかと思ってた所でいきなり声をかけられたから、驚いただけだ。すぐ収まる」
「そうだったんですか……。すみません、少しずつでも体を動かした方がいいと思って、散歩してたんです」
 由梨子は丁寧に頭を下げる。ああ、違う、由梨ちゃんが謝るような事じゃない――と、月彦はまたあたふたしてしまう。
(おかしい、俺は一体いつから……こんなに口べたになった!?)
 焦れば焦るほど舌が縺れ、言葉がつっかえる。月彦のそんな慌てようが面白いのか、由梨子はくすくすと笑みを零す。
「先輩、立ち話も何ですから、病室の方に行きませんか?」
 俄に首を傾け、微笑む。そんな由梨子の仕草に月彦は心臓を射抜かれ、条件反射的にこくり、と頷いてしまう。
(俺はなんて、意志が弱いんだ……)
 ドテラの背中に書かれている“無双”の字を凝視しながら、月彦は己のふがいなさにため息をついた。



「こうして真央ちゃんと一緒にお風呂に入るのも久しぶりね」
「そう、かな……」
 真央は戸惑いつつも、そう返事をする。霧亜がそうよ、と返す。
「私は、真央ちゃんとなら毎日でも良いんだけど」
 言って、霧亜は背後から真央を抱きすくめる。ぷにっ、と二つの膨らみが直に背中に当たるのを感じて、真央は何故か緊張してしまう。
 霧亜と一緒の入浴。それは拍子抜けするほど何も起きなかった。一緒に脱衣所で衣類を脱ぎ、体を流し、共に湯船に入る。紺崎邸の湯船は二人で入るには少々狭いが、真央は霧亜に抱きすくめられる形で浸かっていた。
(姉さま……やっぱり、綺麗……)
 久々に霧亜の裸を見て、真央はそう思わざるを得なかった。母親のように、出るところがしっかり出た――という類ではない。純粋に綺麗、と思うプロポーション。単純に胸の大きさのみを比べるなら霧亜のそれは真央よりも小さいが、それでも真央には微塵も優越感が沸かなかった。それほどに、霧亜の体は美しかった。
「信じてもらえないかもしれないけど」
 ちゃぷ、と音を立てて、霧亜は真央の腕に触れる。
「私が一緒にお風呂に入る娘って、真央ちゃんだけよ」
「それは――」
 どういう意味なのだろうか。真央がそれを考えるよりも先に、真央の両腕ごと、霧亜に抱きしめられる。
「ねえ真央ちゃん。学校にはもう行かないの?」
「…………わからない」
 としか、真央は答えられなかった。自分がこれからどうしたいのか、決めかねていた。
「私は、もう行かないほうがいいと思うわ」
 ちゃぷ、と水音を立てて、霧亜の手が真央の肩を、首を撫でる。
「今度みたいな事がまた無いとも限らないし、私は学校にはついていけないから、また護ってあげられないかもしれない」
「……っ……」
 また、あんな事があるかもしれない――霧亜のその言葉に、真央はぶるりと体を震わせる。
「今回の事で、あの愚図は全く頼りにならないって分かったでしょう?」
 愚図、というのは父親の事だろう。真央は霧亜が月彦をそう呼ぶことが好きでは無かったが、霧亜の方は真央がそう思うことを承知で言っている節があった。
「真央ちゃん一人くらい、私がいくらでも養ってあげる。勉強がしたいなら私が教えてあげるし、女の子の友達ならいくらでも紹介してあげるわ。……だから、ね?」
「でも……」
 やはり、真央には決められない。それは霧亜の言うことを聞くのがいやだとか、そういう次元の話ではなかった。結局は、自分がどうしたいのか――そういう話なのだ。
(私は、父さまに喜んで欲しい……)
 真央が学校に行く事を月彦が望むのか、望まないのか。そのことのみが判断材料だった。……ただ、今はそこに他者への恐怖という二次的要素が紛れ込んでしまっている。だから、迷う。
「じっくり考えて決めるといいわ。真央ちゃんが望むなら、私はいくらでも力になってあげるから」
「……うん。ありがとう、姉さま」
 真央の呟きに答える様に、霧亜は再び両腕で抱きしめてくる。その指先が、不意に真央の胸の頂に当たる。
「……っ……」
 反射的にびくりっ、と身を強ばらせてしまう。霧亜の手はそのまま、真央の乳房を包み込むように宛われ、しかしそれきりぴくりとも動かなかった。
「安心して」
 慈母のように優しい口調で、霧亜は続ける。
「傷心の真央ちゃんを手込めにするほど、私は落ちぶれてないわ」
「姉さま……」
「今日はただ、真央ちゃんと一緒にお風呂に入りたかった。……それだけよ」
 後ろ髪の辺りに霧亜の額が当たる感触がした。真央は何故か、その仕草にひどく寂しいものを感じた。
 


「ええと……由梨ちゃん、この間はごめん!」
 病室で落ち着くなり、月彦の第一声はそれだった。月彦自身、今日は本当は見舞いをするつもりではなかったから、話の種に困った、というのもあった。
「気にしないで下さい。……私も、あの時の事は反省しています」
「いや、由梨ちゃんは何も悪くない。悪いのは全面的に俺だ」
「先輩は別に意地悪でやったわけじゃないんですから。お願いですから謝らないでください」
 でも、と月彦は食い下がるが、由梨子の困ったような顔を見て口を噤む。そしてしばしの沈黙。空調の音のみが、二人の間に漂い続ける。
(何か、話さなければ……)
 と思うが、自分でも驚くほどに話題が頭に登らない。唯一登ったのは真央の事件の事だが、これは病床の由梨子に聞かせるような話題ではないと却下する。
(話題、話題……)
 きょろきょろと病室内を見回し、ネタを捜す。月彦の目にとまったのは、先ほど由梨子が着ていた――そして今はハンガーに掛けられているくすんだ茶色のドテラだった。
「そ、そうだ……由梨ちゃん、さっき聞こうと思ってたんだけど……」
「はい?」
「あのドテラどうしたの? 随分古いものみたいだけど」
「ああ……」
 と、由梨子は俄に頬を赤らめる。
「父方の祖父のものなんです。私、昔から寒がりで……よく風邪ひいてましたから、幼い頃に貰ってずっと使ってるんです。それで愛着が湧いちゃって……散歩を始めたって武士に言ったら、昨日家から持ってきてくれたんです」
「そうだったのか……」
 寒がり、と聞いてまたしても先日の自分はとんでもない事をしてしまったと思う。反射的にそのことを謝りかけて、鋭くそれを察知した由梨子が有無を言わさず言葉を続ける。
「寒がりの孫に自前のドテラをくれた祖父……そう話せば美談で終わるんですけど、本当は続きがあるんです」
「続き?」
 ええ、と由梨子は話を続ける。
「祖父は剣道の道場を持つほどの実力者で、典型的な“病は気から”の人間でした。ある日、お前が風邪をひくのは自分が寒がりだと思いこんでいるからだ、って言い出して、いきなり祖父と一緒に乾布摩擦をやらされたんです」
「……そりゃあ……災難だったね」
 ふふ、と由梨子は笑う。
「まだ小学校にも上がる前でしたけど、あの日の事は良く覚えてます。霜が降りるほど寒い朝、祖父と一緒に裸足で庭先に立って乾布摩擦をやりました。私が寒くて死んじゃいそう、って懇願しても祖父は頑として聞いてくれず、あの時は祖父の事が本物の鬼のように見えてました」
「それで……どうなったの?」
 倒れました、と由梨子は実にあっけらかんと言った。
「三日三晩高熱で魘されて、目が覚めた時には布団の上にあのドテラがかけられてました。その時はとても驚いたんです。祖父はあのドテラをとても気に入っていて、誰にも貸さないことで有名でしたから」
「……それだけ由梨ちゃんの事が大切だったんだな……」
「それが違うんです。後から聞いた話では、私が倒れた後も、祖父は“こんな貧弱な孫は知らん!”って自分の責を認めなかったそうです」
「………………」
 確かにただの美談じゃないな、と月彦は思う。由梨子は微笑んで、話を続ける。
「それを聞いた祖母が突然立ち上がって、祖父をはり倒したそうです。ちなみに祖父は空手四段合気二段柔道五段剣道八段の自称熊殺しでしたが、祖母は普段は置物のように静かな人でした。それがいきなり、般若のように怒ってさんざんに祖父を打ち据え、挙げ句お気に入りのドテラを剥ぎ取ったんだそうです。“そんなにご自身が寒さに強いのなら、こんなものは要らないでしょう”って」
「うわぁ……」
「ドテラを剥ぎ取られた祖父は一回りも二回りも小さく見えました。私は何度も祖父にドテラを返してくれないかと言われましたけど、戒めだから返してはだめだと祖母にきつく言われましたから、結局返してないんです」
「そうか……話を聞いて、何となく、由梨ちゃんの事が分かった気がする」
「どういう事ですか?」
「由梨ちゃんって、若いのに敬語とか気遣い気配りがしっかりした子だなぁ、って思ってたんだ。ご両親の躾かな、って思ってたけど、どうやらお爺さんとお婆さんの躾みたいだね」
「そう……なんでしょうか。確かに、父方の祖父達は躾に厳しい人でした」
「でした……って、もしかして――」
「ええ、祖父も祖母も五年前に……」
 と、由梨子は沈んだ顔をする。野暮な事を聞いてしまった、と月彦が思いかけた時、
「北海道の方に引っ越して、あちらで新しく道場を開いたそうです。結構繁盛しているそうですよ」
 由梨子はけろりと、なんでもない事のようにそう続けた。
「……由梨ちゃん」
「はい?」
 月彦は抗議の視線を送るが、由梨子は涼しい顔。まるで“勝手に勘違いをした先輩が悪いんですよ?”とでも言いたそうな顔だ。
「先輩も人のことが言えないほど、気遣いをする人ですね。……もう少し横暴粗暴でも、真央さんには嫌われないと思いますよ?」
「……由梨ちゃんが知らない所で、気遣いなんて全く無しにいちゃいちゃしてるから、心配無用だ」
「それなら、良いんですけど」
 そう返す由梨子の言葉は、どこか棘を含んだものだった。月彦も少し大人気なかったかな、と反省する。
「……先輩、真央さんとは……うまくいってるんですか?」
 えっ、と月彦が尋ね返すと、由梨子は慌てて言葉を続ける。
「いえ、その……何となく、先輩が元気無さそうでしたから、真央さんと何かあったのかな、って……」
「ああ……」
 やはり隠そうとしても見破られてしまうものなのか、と月彦は苦笑する。
「真央は今ちょっと体調を崩してて学校を休んでるんだ」
「真央さんが……風邪ですか?」
「まあ、そんな所だ」
「……先輩、何やってるんですか!」
「へ……?」
「真央さんが病気の時こそ、先輩が側に居てあげなくてどうするんですか!」
「いや、でも……」
「でも、じゃありません! 先輩は女の子が一人で病気で伏せてる時にどれほど心細いか知らないからそんなに暢気にしてられるんです! すぐに帰って、真央さんの側に居てあげてください!」
 由梨子は凄まじい気炎でベッドから飛び出し、月彦をぐいぐいとドアの方へと押しやる。
「わ、分かった。帰る、帰るから由梨ちゃんはベッドに戻ってくれ」
「本当ですね? 嘘をついたら許しませんから」
 どう、どうと由梨子を宥めながら、月彦はゆっくりとドアノブに手をかけ、そして別れの挨拶をして病室を後にする。
「……今日の由梨ちゃん、いつになく行動的だったな……」
 ひょっとしたら、病状は快方に向かっているのかもしれない――そんな事を考えながら、月彦は帰路についた。



 ばたん、とドアが閉じられた瞬間、由梨子は糸が切れたように病室の床にへたり込んだ。辛うじて体に蓄えられていたエネルギーを全て使い切ってしまった……そんな脱力感だった。
 肩を抱き、自己嫌悪に震える。自分から真央の話を振っておきながら、いざ月彦が真央の話をすると身が燃えるような悋気がわき起こり、素っ気ない態度をとってしまう。
(……私が礼儀正しい娘なんて、とんだ思い違いですよ、先輩)
 自嘲の笑みが漏れる。己がどれほど薄汚い、卑怯な人間なのかは由梨子自身がよく知っている。礼儀正しく見えるのは、それが他人にバレないよう、必死に演技しているからだ。
(先輩に、お礼を言おうと思っていたのに…………)
 僅かずつではあるが、食事はとれるようになっていた。このまま行けば、退院もそう遠い話ではないと。月彦に会ったら、まずその話をしようと思っていた。そして、それは先輩のおかげです、と礼を言おうと思っていた。なのに。
(どうして……)
 いざ月彦を目の前にすると、どうでもいい話ばかりしてしまう。本当に言いたいこと、伝えたい事は微塵も言えないのに。
 先輩相手なら、気楽に話せる――由梨子は月彦にそう言った。しかしそれは真実ではない。そういう冗談めかした言葉しか言えないのだ。自分の本心はひた隠し、さも“真央を気遣っている風”の発言で“良い子”に思われようとしている自分に気がついて、また自己嫌悪が沸く。
 思えば月彦には随分酷いことをしてきたと思う。初めて会った頃には霧亜に嫌われるから自分に話し掛けるな、とまで言った。好きだと騙して、浮気をさせようともした。
 我ながら酷い女だと思う。そんな自分に、こうまで見舞いに来てくれる月彦は一体何なのだろう。ひょっとして――と淡い期待を抱きそうになるたびに、月彦には真央という本命が居るという事に気がつき、絶望的な気持ちにさせられる。
「先輩……」
 酷く胸の奥が痛んで、由梨子は右手で掻きむしるように爪を立てる。
「私は……どうすれば…………どう、したら……」
 呟いて、伏せる。リノリウムの床は無慈悲なまでに冷たかった。


 月彦が家に帰ると、部屋着の真央が出迎えてくれた。
「なんだ、もう風呂に入ったのか?」
「うん、姉さまが一緒に入ろうって。ごめんね、父さま」
「別に謝るような事じゃないさ。…………何もされなかったか?」
 ぼそぼそと小声で月彦はそんな事を聞く。真央は苦笑して大丈夫、と返した。
「そうか、ならいいんだ」
 うんうんと頷いて、月彦はふと真央の格好に目をやる。普段着の白トレーナーに紺のスカート。見慣れているから今までさほど気にもとめなかったが、些か色が褪せているように感じられた。
「ふむ……真央、今度服でも買いに行くか?」
 えっ、と真央が難色をしめしたのは、外出の誘いだったからだろう。
「やっぱり、外に出るのは嫌か?」
「そういう……わけじゃないけど」
 とは言うが、やはり渋っているようだった。
「大丈夫だ、真央。学校と違って、買い物なら俺が四六時中側にいるから安心しろ」
 真央の頭を撫でる。が、しかし真央は何かを思案するように黙り込んだままだった。
  その日の夕食は特にどうということもなく。霧亜を含め全員が食卓に揃った。霧亜は相変わらず眠そうな、気怠そうな感じでさっさと食事を済ませると自室へと戻っていった。そういえば先日母に呼ばれたのはどういう用件だったのだろう、と月彦は姉の後ろ姿を見て思ったが、すぐに詮ない事だと気がついた。
「……最近、姉さまあまり喋らないよね」
「そうか?」
 言われてみれば、確かに口数が減ったような気がしなくもない。それは自分だけかと思っていたが、どうやら真央ともそれほど会話はしていないようだった。
「霧亜だって年頃の娘だもの」
 そう言ったのは葛葉だ。
「いろいろ悩む事だってあるわよ」
 そう言う葛葉は、まるで己のみは全てを見透かしているかのようににっこりと微笑んだ。


「なに……今日は姉ちゃんの部屋で寝るのか!?」
「うん……だめ?」
 真央は上目遣いに、父親の機嫌を伺うようにじい、と見る。月彦は明らかに難色を示すようにううむ、と唸った。
「……それは、やっぱりアレか。男が恐いからか?」
 真央は否定するために首を振る。
「そういうんじゃなくて……今日の姉さま……なんか少し変だったから……」
「姉ちゃんはいつも変だと思うが……ちなみにどんな風に変だったんだ?」
「うまく言えないけど……一緒に居た方がいいかな、って……」
「うーん……そりゃあ、真央を騙す為の演技じゃないのかなぁ」
 演技……なのだろうか。真央は己の記憶を振り返ったが、そうは思えなかった。尤も、相手が相手だから、自分が見抜けないだけ――という可能性も否定できない。
「まあ、真央がそうしたいって言うのなら俺は止めないさ。……でもな、何かされそうになったらすぐに大声を上げるんだぞ?」
 うん、と頷いて、真央は自分のマクラを持って霧亜の部屋へと向かう。まだ起きているのか、ドアからは僅かに明かりが漏れていた。
「姉さま、入ってもいい?」
 こんこんとノックをして、尋ねる。少し間が空いて、かちゃりとドアが開いた。
「どうしたの? こんな夜更けに」
「えと、その…………今日、一緒に寝ちゃ……だめ?」
 ぴくりと、霧亜の眉が動いた。
「本当にどうしたの? 真央ちゃん。月彦と何かあったの?」
「そうじゃ、なくて……。ただ、今日は姉さまと一緒に寝たいなぁ、って……」
 だめ?――と、上目遣いに尋ねると、霧亜は優しく微笑み返してくる。
「まさか。私が真央ちゃんを拒むわけないじゃない」
 するりと真央の腰に手を回して、室内へと招き入れる。どうやらPCでの作業中であったらしく、つけっぱなしになっていたが霧亜は躊躇無くその電源を落とし、すぐに真央をベッドへと誘った。
「ちょうど寝ようと思ってたの。真央ちゃんが抱きマクラになってくれるなら、こんなに嬉しいことはないわ」
「姉さま……」
 霧亜は部屋の明かりを消し、本当に真央を抱きマクラにするようにぎゅうと抱きしめて横になった。真央は霧亜の手に、そっと自分の手を引っかける。
(やっぱり……姉さま、変だ……)
 その夜も、霧亜は何もしてこなかった。


 そして土曜日の朝。月彦は約束通り真央と服を買いに行くことになった。資金については裏でこっそり葛葉から小遣いをもらったから問題は無かったのだが。
「父さま、早く行こう?」
 フードつきの白のジャケットにチェックのスカート。白のオーバーニーソックスという出で立ちの真央にぐいぐい腕を引っ張られ、月彦は渋々自室から出る。
「姉さま、お待たせ!」
 部屋の前に立っていた霧亜に、真央が元気に挨拶をする。霧亜は真央に微笑みかけた後、その手を取ってしずしずと階下へと降りていく。
 はあ……と、月彦は重いため息をつく。そう、買い物には霧亜も同行するのだ。
 月彦は“それ”が決まってからというもの、穴が開いたのではないかというほどに胃痛に悩まされた。
(姉ちゃんと一緒に出かけるなんて――)
 考えただけでもゾッとする。恐らく一刻一秒たりとも気の休まることのない過酷な一日になることだろう。
(俺はただ、真央に気分転換してもらいたかっただけなのに……)
 真央の服を買いに行く、という名目で二人で休日に出かけようと言い出した。そこまではよかった。しかし翌日――霧亜と一晩過ごした後――、真央は霧亜と一緒じゃないと嫌だと言い出したのだ。
(何かあったんじゃないのか……) 
 と、つい勘ぐってしまう。なにせ“あの”霧亜だ。一度でも閨へと誘われた女子は霧亜の手技によって身も心も虜にされ、離れられなくなる。まるでアクセサリーの一つにでもなったかのようにぴったりと霧亜に寄り添い、陶然とした眼差しの娘達……。
 無論、月彦は何度も真央を問いつめた。しかし、そのたびに真央は頑なに否定した。あの晩、霧亜とは何も無かった……と。
「父さまー! 早くー!」
「あ、ああ……今行く」
 月彦が階下まで下りると、真央は既に靴を履き終わり、早く早くと急かしていた。月彦が自分も玄関へと行こうとした所で、不意に霧亜が接近してくる。
「え……」
 胸ぐらを掴まれ、ぐいと引き寄せられる。
「私と真央ちゃんから二メートルは離れて歩きなさい。いいわね?」
 有無を言わさぬ迫力に、月彦は条件反射的にこくりと頷いてしまう。
「姉さま、どうしたの?」
「なんでもないわ。行くわよ、月彦」
 にっこり微笑み、ぽんと軽く肩を叩かれる。気の重い一日になりそうだ――月彦は覚悟を決めた。



 
 最初に向かった先は近所の大手デパートだった。近所、とはいってもバスで片道三十分かかる距離だ。幸いにも座席が空いていて座る事は出来たが、霧亜と真央が並んで座り月彦は一人だった。にもかかわらず霧亜は不機嫌そうに眉を寄せ、バスに乗っている間中一切口を利かないのだから隣の真央も困っていた。
「帰りは乗りたくないわ」
 バスを降りるなり、霧亜の第一声がそれだった。乗り物酔いでもしたかのように顔には色が無く、明らかに気分を害しているようだった。
「ご、ごめんね……姉さま。私が無理に誘ったから……」
「真央ちゃんのせいじゃないわ」
 そしてちらり、と月彦の方を見る。まるで悪いのは全て月彦だと言いたそうな目だった。
 デパートの中に入り、真っ先に衣類コーナーへと向かう。霧亜と真央があれこれ相談しながら衣服を選び、月彦はそれを一歩引いた位置から眺める。
(姉ちゃんが居なかったら……)
 あの霧亜の位置に自分は居たのだなぁ、としみじみ思う。最愛の娘が自分の目の前で、自分以外の者と親しげにしている様は月彦にとって生殺しに近い光景だった。
(ひょっとして……)
 これは真央から自分への遠回しの罰なのではないか。そんな事を考えてしまう。娘の有事に側に居なかった父親への抗議を真央はしているのではないか。
(いや、いくらなんでも……)
 そんな捻くれた事はしないだろう、と思い直す。しかし、他に霧亜を同行させる必要性を見いだせない。
 自分と霧亜の確執については明確に話をしたことはない。しかし、真央もそれとなく察してはいる筈なのだ。それなのに、何故あえて呉越同舟のような真似をさせるのか。
 ああだこうだと話をしながら部屋着を選ぶが、どうやら真央の気に召すものは無かったらしく、結局一着も選ばないまま寝着コーナーへと移動する。
「これなんか似合うと思うわよ、真央ちゃん」
 霧亜がパジャマの一つを手に取り、真央に見せる。ピンク色のネグリジェに近い形の寝間着だった。それを見て、真央がうーんと首を捻る。他にも真央の手にはいくつかの候補が握られていたが、どうやら決めかねているようだった。
(パジャマも買うのか……)
 妙な気分だった。そもそも真央はパジャマを着て寝た回数より、着ずに寝た回数のほうが圧倒的に多いのだからさほど古くはなっていない筈だ。
(ああでも……)
 何着か持っていたパジャマもなんだかんだで(主に暴走した月彦が破って)数が減っているから補充はしたほうがいいかもしれないなとも思う。
「ねえ、父さま。父さまはどれがいいと思う?」
「ん……」
 真央がトトトと駆けてきて、三着ほど手にもって月彦に見せてくる。一つは霧亜が勧めたピンク色のネグリジェ風パジャマ。一つは乳牛柄のオーソドックスなパジャマ。最後のはワンピース型のパジャマだった。
「そうだなぁ……」
 月彦は脳内でそれぞれ真央が着た状態をシミュレートしてみる。
「月彦っ」
 真央の後ろから霧亜が言い、無言で首を振る。何も言うな――という意味のようだった。
「そうだなぁ。俺はこれが好きかなぁ……」
 と、月彦は乳牛柄のを指し示す。
「私はこっちの方が似合うと思うわ」
 今度は霧亜が己が選んだ方を推してくる。
「そんな趣味の悪いパジャマより、よっぽど可愛く見えるわよ?」
「待てよ、姉ちゃん。選ぶのは真央だろ? 真央はどれが良いと思うんだ?」
「わ、私は……」
 真央は霧亜と月彦は見比べるように見た後、三つのうちの一着を恐る恐る選ぶ。
「これがいいかな、って……」
 真央が選んだのは牛柄のパジャマだった。ぴくっ、と霧亜の眉が僅かに揺れる。
「……そうね。真央ちゃんになら、そのパジャマもよく似合うと思うわ」
「ご、ごめんなさい。姉さま……私、やっぱり……父さまに一番見て欲しいから…………」
「真央……」
 やはり、杞憂だったか――月彦はホッと胸をなで下ろすが、安堵も長く続かなかった。霧亜からの鋭い視線に気がついてしまったからだ。月彦も負けじとにらみ返す。
(……俺には、真央が居るんだ)
 せめて真央の前だけででも格好はつけなければ、と恐怖に竦む体を必死に奮い立たせる。
「真央ちゃん。下着も買うでしょ? ……可愛いの選んであげる」
「えっ、あっ……ね、姉さま?!」
 しかし霧亜はぷいと視線をそらすと、真央の腰に手を回して一足先に下着コーナーへと向かう。追従したものかどうか月彦は悩んで、結局ついて行くことにした。



 下着選びでは、霧亜との地位が逆転した。それというのも――
「父さまは……どういうのが、好き?」
 真央が大胆にもそんなことを聞いてくるからだ。
「いや、俺は女物の下着はよくわからないからな。姉ちゃんに選んでもらったほうが良いんじゃないか?」
「で、でも…………見せるのは、父さま……だよ?」
 俄に頬を赤らめながら、上目遣いにそんな事を言われて、月彦は立ちくらみに近いものを覚えた。うっかりフラフラと真央を押し倒してしまいそうになって、ここが公然の場であるということに気がついてハッとする。そんな危うい状態にまでなってしまった。
「そ、そうだな……どっちかっていうと、俺はフリルがついてたり、あまり派手な色は嫌いかなぁ……」
 といいつつも、月彦の目にとまったのは黒のガーターベルトだった。
(ガーターベルトといえば黒。黒ガーターといえばメイド服……!)
 かしゃかしゃしゃきーん!とその様な連想をしてしまい、そういえば真央はメイド服も持っていたなぁと思い出す。じゅるりっ、と涎が出そうになるのを慌てて拭い、真央に黒ガーターを勧めたものかと悩み始める。
(いや、でも……真央にはまだ、ガーターは早い……!)
 何が根拠なのか。とにかく月彦は一人でそう思って、泣く泣くガーターは諦めた。代わりに淡い色のショーツとブラを三着ずつ買い物篭に放り込む。
「姉さまは買わないの?」
 と、真央が振り返って声をかけてようやく、月彦は霧亜も同行しているということを思い出した。下着コーナーに来るなり真央が月彦の意見ばかり求めるので、霧亜は真央に衣服を勧めるということを止めて少し離れた所から傍観していたのだ。
「私はいいわ」
 霧亜は微笑んで、下着売り場を一瞥する。
「真央ちゃんと違って、見せるような相手も居ないし。……ねえ、月彦?」
「……………………」
 睨まれたわけではない。ただ、同意を求める目。月彦は頷くことも出来ず、ただ沈黙だけを返した。
「わ、私は……姉さまが綺麗な下着つけてる所……少し、見たい……なぁ…………」
「なっ……真央!」
 そりゃどういう意味だ!――と、月彦は喰ってかかろうとしたが、言葉を飲み込んだ。ちらりと月彦を見た真央の視線が、月彦にそうさせた。
「ふふ、ありがとう、真央ちゃん。……じゃあ、私に似合いそうなのを真央ちゃんが選んでくれる?」
「え……私なんかより、姉さまが……」
「真央ちゃんに見せる下着なんだから、真央ちゃんに選んでほしいのよ」
 でも、と真央は反論しようとするが、先ほど自分が言った理由なだけに逆らいきれず、結局霧亜の為に下着を選んだ。
(……でも、金を払うのは俺なんだよなぁ)
 そこに釈然としないものを感じつつも、まあ葛葉から金はもらってるのだからと思い直す。
「よし、じゃあ最後に俺の下着も真央に選んで貰おうかな」
「真央ちゃん、私は向こうで休憩してるから。終わったら呼んでね」
 にべもなく霧亜はそう言い、一人衣装コーナーから離れて中央の吹き抜け側のベンチへと向かう。
 まあ予想通りの反応だな――と月彦は落胆するどころかむしろ感心してしまう。その傍らで、真央が小さくため息をついたのには気がつかなかった。


 デパートでの買い物を一通り終えて、昼も近いからどこかで昼食を取ろうという話になった。じゃあファミレスにでも――と月彦が言い出すや、
「真央ちゃん、この近くに美味しいパスタのお店があるの。行ってみない?」
 と、霧亜がかぶせてくる。明らかに自分が意見を言うのを待っていたな、という霧亜の言葉に、月彦は些かムッとする。
「真央、ファミレスでいいだろ。真央が好きなチョコレートパフェもあるし」
「“Perry Pasta”のパスタは本当に美味しいんだから。真央ちゃんも絶対気に入ると思うわ」
「え、ええと……」
 二人に挟まれ、やいのやいのと言われて真央は狼狽する。
「じゃ、じゃあ……今日は姉さまのお店のほうに、行こう……かな」
「な……ま、真央!」
 悲鳴を上げる月彦に霧亜は勝ち誇った笑みを向けて、するりと真央の腰に手を回し、道案内を開始する。月彦は渋々両手に紙袋を提げてその後に続いた。
(真央の裏切り者め……!)
 そんなにパスタが食いたいのかと月彦は心の中で毒づきながら二人の後に続く。デパートから歩くこと十五分、漸く目当ての店“Perry Pasta”に到着した。
 少し早めに来たのが功を奏し、月彦ら一行が最後の空きテーブルに収まる、という状態だった。その後、ぞくぞくと客がやってきてレジ前には長蛇の列が出来、こりゃあさぞかし美味しい店なんだろうな――と内心月彦の期待は高まった。
「……いや、待てよ……」
 月彦は店内を見回して、はたと気がつく。店の内装はイタリア風、月彦の目ではニセモノなのだか本物なのだか分からないような調度品できちっと飾られているが、そんなことはこの際どうでも良かった。月彦の目がとまったのは店員の服装だった。
(ああいうの、アンミラって言うんだっけ……)
 何故か店員はことごとく女性。そして全員がまるで胸元を強調するかのような制服を着用しているのだ。それは巨乳フェチの月彦としては、注目せざるを得ない姿だった。
(こういうの……真央に着せたら…………)
 たまらんだろうなぁ、とそんな事を考えていると突然鼻先になにか堅いものがぶつかった。
「きゃあッ!」
 続いて悲鳴。続いてがっしゃーんと何かが派手に割れる音。見ると月彦達のテーブルの真ん前で女性店員が派手に転んでいた。
「だ、大丈夫ですか……って、冷てぇ!」
 その時になって漸く、月彦は己の鼻に当たったのが冷水の入ったグラスだったのだと気がついた。見れば服もズボンも冷水でびしょびしょに濡れていた。
「も、申し訳御座いません!」
 店員は即座に立ち上がり、平謝りをしながら丁寧に月彦の体を拭く。
「父さま、大丈夫?」
「あ、あぁ……大丈夫だ、真央」
 大丈夫だからその“私の父さまに触らないで!”って顔はやめるんだ、と視線で訴えかける。
「本当に、申し訳御座いません」
 よほど躾の行き届いた店員なのだろう。何度も丁寧に頭を下げられ、月彦としてはそんなに悪い気はしなかった。店員のミスで衣類を汚されることはファミレスでも一度あったし、その時の店員の対応に比べればこの店の店員の方が遙かに謝り方が丁寧だった。
(……ただ、鼻にコップが当たるほど派手にこけられたのは初めてだが……)
 月彦は鼻をさすりながら、きっとドジな娘なんだろうなぁ、と勝手に想像をする。程なく、別の店員が改めてお冷やを持ってきて、注文を受け取った。
 月彦はなにやら店側のお勧めらしいモッツァレラチーズ入りのトマトソーススパゲッティを選び、真央はゴルゴンゾーラのカルボナーラ、霧亜はボンゴレビアンコを注文した。余程手間のかからない料理なのか、込んでいるわりには真央と霧亜の注文はすぐに来た。しかし、月彦の料理はいつまでたっても来ず、最初は待っていた真央もパスタがのびてしまうからと食べ始め、それが食べ終わってもまだ来なかった。
「……ひょっとして忘れてるんじゃないのか」
 そう思って店員を呼ぼうとした手がはたと止まる。盆を持った店員が一直線に月彦達のテーブルへと近づいて来て、ああやっと来たかと胸をなで下ろそうとした時だった。
「先ほどは本当に申し訳ありませんでした」
 そう言って店員が置いていったのはパスタと何故かチョコレートパフェだった。はて、と月彦は首を捻る。
「あの、すみません。これ頼んでないんですけど……」
 サービスです、と店員は微笑んだ。月彦はメニューを見直すが、どこにもチョコレートパフェなど載っていなかった。
「父さま……それ、食べるの……?」
 真央が夜空の星のように目を爛々と輝かせてパフェを見ている。父親としては
「勿論、真央が食べていいぞ」
「いいの!?」
「ああ、俺が食べ終わったころにはパフェ溶けちまってるかもしれないもんな」
 それは口実だったが、既に真央はパフェにスプーンを差し込みさも美味そうにぱくついていた。苦笑して月彦もパスタをフォークに巻き、食べてみる。
(ん……?)
 と思ったのは、食感がおかしかったからだ。パスタ専門店ならばアルデンテにして然るべき――とまではいわないが、さすがにこれは無いのではないか。パスタの腰ともいうべきものが微塵も感じられない。明らかに茹ですぎだ。そのせいかソースもやたら水っぽく、お世辞にも美味いとは思えない。
「なあ、真央」
「なあに?」
「真央が頼んだカルボナーラ、美味かったか?」
「うん! すっごく美味しかったよ!」
 そうか、と肩を落として、月彦はパスタを皿の上から消す作業に入る。ただ、霧亜だけがくつくつと意味深な笑みを浮かべていた。


「月彦はもう帰るんでしょう?」
 店を出るなり、そう言ったのは霧亜だ。
「えっ……?」
「この後、友達の所に行く用事があるって言ってたじゃない」
 にっこり、と菩薩のような笑みを浮かべる霧亜。ああなるほど、そういうことかと月彦は思う。
(邪魔だから帰れって事か)
 昔の自分であれば、霧亜の迫力に押されて一も二もなく回れ右をしていた所だろう。しかし、今は真央が側にいる。たとえ虚勢であっても、霧亜に気後れするわけにはいかなかった。
「予定なんて無いぜ」
 霧亜が、笑みを止める。
「姉ちゃんの勘違いじゃないのか。俺は今日は一日真央の為に使うって決めてるんだ」
「……月彦」
 姉弟の間に、ぴりぴりとした空気が漂い、張りつめる。真央が困ったように霧亜と月彦の顔を交互に見る。
「真央ちゃん」
「な、なぁに、姉さま」
「今日は服を買いに来たのよね。だったら、私の知ってるお店にも行ってみない?」
 霧亜はちらり、と月彦の方を見る。
「あんな量販店じゃあ、気に入る服も無いでしょう。女の子専門のお店があるの。可愛い服が一杯あるわよ?」
「ええと……」
「良いんじゃないのか、真央。可愛い服があるのなら、俺も真央が着た所見てみたいな」
「と、父さまがそう言うなら……」
 真央はしぶしぶこくり、と頷く。その時の霧亜の口元に浮かんだ笑みの意味を、月彦はすぐに知る事になった。

 霧亜の知っている店とやらにはさらに徒歩三十分かかった。こんなに遠いのならバスなりタクシーなり使えば良いのに、と月彦は思ったが当の霧亜はバスが大変嫌いなご様子だ。公共交通機関を利用するくらいなら己の足で歩いた方がまだマシ……という風に見える。
(そりゃあ、二人とも荷物持ってないもんなぁ……)
 紙袋の中に入っているのは洋服ばかりだから、そんなに重いというわけではないが両手が塞がっているという事実が悪戯に疲労感を倍増させる。挙げ句、店についたらついたで
「当店では男性のお客様は――」
 と、門前払いをされる始末だ。そんな馬鹿なと思ったが、シックなスーツを着た短髪の女性店員は頑として月彦を店の中に入れるつもりは無いようだった。
 結果、まるで遅刻をして廊下に立たされている生徒が如く月彦は店の前で呆然と立ちつくすより他無かった。店内をガラス越しに覗き見ると、霧亜と真央がさも楽しそうに服を選んでいるのが見えてうっかり爪を噛みそうになる。
(真央の浮気性め!)
 と、わけのわからない毒を吐く。自分の味方についたと思ったら、今度は霧亜の味方につく。明確にどっちにつくわけでもなくふらふらと立ち位置を変える様が月彦には許し難く見える。
 今にもガラスに爪を立てそうな勢いで店内に見入っていると、ついとドアが開いた。出てきたのは霧亜だった。
「一服」
 と言って、霧亜は煙草を取り出してぷかぷかと吸い出す。月彦は別段話し掛けることもなく、絶妙な距離を保ったまま二人、しばし無言で軒の下で立ちつくす。
「今日は――」
 先に口を開いたのは霧亜だった。
「どうして私を誘ったの」
 決して視線は月彦の方に向けず、市街のビルの合間に見える空を眺めながら、霧亜はまるで独り言のように呟く。
「誘ったのは俺じゃない。真央だ」
「真央ちゃんはあんたに誘うように言われたって言ってたわ」
「まさか。俺は何も言ってない」
 月彦は即座に否定した。霧亜がくつくつと笑う。
「俺は、真央と二人で出かけるつもりだった」
 なのにどうして霧亜を――と、月彦は心のうちで呟く。唇を噛み、拳を握り、ちらりと霧亜の方を見る。霧亜は相変わらず月彦には興味が無い、といった風でぷかぷかと煙を燻らせる。
「あんたさぁ、よっぽど頼りにならないって思われてるんじゃないの?」
「えっ……」
 どきりと胸が跳ねるような言葉を残して、霧亜は煙草を投げ捨て、それを踏んでから店内へと戻る。入れ替わりに出てきた女性店員が手慣れた仕草でその吸い殻の後始末をする。
「頼り……ない……」
 月彦には反論も否定も出来なかった。



 

 ブティックで、真央はしこたま服を買いこんだ様だった。真央が金を持っている筈はないから、きっと霧亜が払ったのだろう。
「父さま、どうしたの?」
 と、真央が声をかけてくるほどに月彦の失意は顔に出ていた。
「いや、なんでもない」
 とは言ったが、真央の訝しそうな顔は晴れない。その後ろで霧亜がくつくつと笑い、癪に障るその笑みが月彦の中に僅かな反骨心を生み出す。
「そうだ、真央。ついでだ……このまま由梨ちゃんの見舞いに行かないか?」
 月彦なりの反撃。切り札のカードを切ったつもりだった。由梨子をダシにすることは少々気が引けたが、この鼻持ちならない姉に幾ばくか反撃をしてやりたかった。
(さあ、どう出る)
 まるで要らないペットでも捨てるように、あっさりと由梨子を切った霧亜。いまさらどの面下げて会い、なんと言い訳をするのか。
「じゃあ、私は帰るわ」
 しかし、霧亜は一瞬の逡巡も見せず、ぬけぬけとそう言い放った。
「買い物はもう終わりでしょう。車を呼んで荷物だけ持って先に帰ることにするわ」
「待てよ」
 携帯を取り出した霧亜に、月彦は詰め寄る。後先考えての行動ではない。殆ど条件反射の行動だった。
「姉ちゃん、逃げるのか?」
「と、父さま……」
「真央は黙ってろ」
 仲裁をしようとしたのか、間に入ろうとした真央を月彦は押しのけ、霧亜を睨み付ける。霧亜はいつもの、汚い鼠でも見るような目で月彦を見る。しばしのにらみ合い。先に視線を緩めたのは霧亜だった。
「……自分の立場が解っていないようね、月彦。そんなに殴られたいの?」
「由梨ちゃんの見舞いに行こう、って言うのが殴られるような事なのか? 心が冷たけりゃ器も小さいんだな、姉ちゃんは」
 言いながら、これは確実に殴られるな――と、月彦は覚悟していた。真央の前だから、霧亜が手を出さないとか、そういった打算は一切なかった。
 しかし――
「姉さま、だめ……」
 見ると、真央が必死に霧亜にしがみつき、その両腕を封じていた。
「けんか、しないで……」
 その健気な仕草が、月彦の中の闘争心を一気に萎えさせた。そしてそれは、霧亜の方も同様のようだった。
「大丈夫よ、真央ちゃん」
 霧亜は笑みを浮かべ、真央の頭を撫でる。
「こんな愚図の言う事にいちいち耳を貸すほど私は暇じゃないわ」
 そしてその笑みを消して、今度は月彦を見る。
「あんたは最低な男ね、月彦」
「なんだと……」
「賭けてもいいわ。あんたはいつか必ず真央ちゃんを捨てる。あんたは……そういう男よ」
「なっ……!」
「父さま、だめ!」
 今度は月彦が殴りかかる番だった。しかし、真央がそれを止める。
「ふざけるな! 俺は姉ちゃんとは違う、たとえ死んだって真央を捨てたりするもんか!」
 月彦の怒りは心頭に達しかけていた。他の誰でもない。“あの”霧亜にお前は愛娘を捨てる、と言われたのだ。
(姉ちゃんにだけは、言われたくない……!)
 そう思って、ハッとする。脳裏によぎったのは既視感だった。似たような言葉を、最近聞いた気がする。それはいつ、誰が言ったのだったか。
「これ以上あんたと下らない議論をする気はないわ。見舞いに行くんでしょ、だったらさっさと行ったら?」
 まるで見えない壁でも作られたかのように、月彦も真央も最早霧亜に言葉をかけられなかった。


 



 体を動かすことがこれほど大変な事だとは思わなかった。しかし、その後に心地よい疲れが自分が生きているのだということを実感させてくれる。
 食事はもう、ほぼ日常生活に支障がない程度にまでとれるようになっていた。嬉しい誤算だ――と、医者は言う。拒食症という疾患は長引けば長引くほど消化器系にダメージが残り、復帰が難しくなるらしい。酷い場合には胃そのものが駄目になってしまうそうなのだ。由梨子の場合は、比較的症状が軽いうちに食事がとれるようになったから、復帰も早いのだという。
 退院は既に明日と決まっていた。とはいえ、まだ通院はせねばならないから全快というわけではない。しかしそれでも退院には変わりが無く、真っ先に月彦に伝えたかったが、わざわざ電話で連絡するのも気が引けた。次に見舞いに来てくれた時に伝えれば良いと、そう思った。しかし結局無理矢理返した日以降、月彦は一度も顔を見せていなかった。
(……私が、あんな事を言ったから…………)
 真央の側に居てやれと、それは他ならぬ自分が言った言葉だ。あの馬鹿正直な先輩は恐らく由梨子の言を鵜呑みにして、病床の真央の側にずっと居るのだろう。あの人はそういう人だと、由梨子は苦笑する。
(女の子の言葉を額面通りに受け取っちゃだめな時もあるんですよ、先輩)
 機会があったら、そのことを教えてあげねばと思う。そうでなければ自分はともかく真央がやきもきするだろう。
 由梨子は病院の廊下を歩きながら、窓から沈む夕日を眺める。明日は、夕日を病院からではなく自宅で見るのだろう。そのことを思うと、由梨子の胸中は複雑だった。退院はしたかったが、家にはあまり帰りたくなかった。
(……真央さん、貴方が羨ましいです)
 愛しい人と一つ屋根の下。由梨子には到底叶わぬ夢だ。それでいて容姿端麗、その美は遠く自分が及ぶ所ではない。天は二物を与えるのだとつくづく思う。
 由梨子は考え事をしながら、病院内をくまなく練り歩いた。明日で去る場所を記憶に止めておきたいと思ったのだ。廊下を歩き、階段を上下し、廊下を行き交う数多の看護婦、患者達を見た。
 由梨子は看護婦達や医者達とはそれなりに親しくなったが、患者達とは殆ど会話らしい会話をしなかった。それは由梨子の病気が些か特殊で、通常の病室ではなく個室だった事も関係していた。食べ物の匂いを嗅いだだけで嘔吐してしまう由梨子は、他の患者と同じ病室には居られなかったのだ。
(あの人は……)
 自分の病室の側のロビーにまで戻って来た時、不意に目に止まるものがあった。記憶に新しい――というわけではないが、由梨子には決して忘れられぬ娘。そう、いつぞや月彦の見舞いからの帰りに見た、霧亜に親しげに寄り添っていたあの少女だ。
 同一人物であるのは、間違いがない。間違いがないが、その顔には端から見ていて恐ろしいほどに生気が無かった。ロビーの長椅子に座り、呆然自失としたその姿。今にも立ち上がって三階の窓からするりと飛び出してしまいそうな気配。手に握られた携帯電話が唐突に鳴り出し、少女は慌てて虚ろな目を向ける。一瞬その目に生気が戻りかけるが、すぐに落胆、失意に塗りつぶされる。少女の手から携帯電話が滑り落ち、かちゃんと音を立てた。少女はそのまま腰を折り、肩をゆらし始める。
「……あの………………」
 声をかけようとして、由梨子は出しかけた手を引いた。胸の奥に感じる、微かな痛みを堪えながら踵を返し、病室へと戻る。
「おっ、由梨ちゃん!」
 病室の前に見知った人影があった。声をかけられて、由梨子は自然と笑顔を浮かべてしまう。
「先輩! それに真央さん!」
 小走りに駆け寄り、距離を詰める。まだ走るのは辛いのか、どきどきと心臓が高鳴る。
「良かった。真央さんも病気治ったんですね」
 えっ、という顔をする真央を差し置いて、月彦がずいと身を乗り出す。
「それより由梨ちゃん、さっき看護婦さんに聞いたんだけど……退院するって本当なのか?」
「えっ……」
 月彦の顔は真剣だった。由梨子としては自分から切り出そうと思っていただけに、看護婦の口の軽さが恨めしかった。
「ええ、そうです。明日、退院します」
「ってことは……食べられるようになった、のか?」
「はい……少し前から、ですけど」
「そうか!」
 ばんっ、と両肩を叩かれて、由梨子は小さく悲鳴を上げた。月彦はそのまま、痛いほどに肩を握りしめてくる。
「そうかぁ……良かった。食べられるようになったのか……………………」
「あ、あの……先輩?」
 良かった、良かったと呟きながら、月彦はうんうんと頷く。由梨子が見上げた先の顔には、涙すらにじんでいた。どきんっ……と、胸が一際高鳴る。
 先輩のおかげです――そう言おうとして、口が固まる。舌の根が完全に凍り付いて、そのくせ顔のほうは火照りきって熱くてたまらない。掌には汗が滲んで、由梨子はドテラの袖をぎゅうと握りしめる。
(言わないと……)
 しかし、言えない。肩に乗せられたままの月彦の手の大きさにばかり意識がいってしまって、今度は全身がかぁぁと上気し、火照ってくる。
「良かったね、由梨ちゃん」
「は、はい……ありがとうございます、真央さん」
 真央には、反射的に言葉を返せた。しかし月彦には何の言葉も返せなかった。
(どうして――)
 一番礼を言わねばならない相手なのに。心の中ではあれほど感謝を繰り返したのに。会ったら言おうと、いつも心に決めていたのに。
「由梨ちゃん、どうした? 具合悪いのか?」
「ええと……はい。ちょっと……目眩が――きゃあ!」
 言うが早いか、由梨子は月彦の腕の中に抱え上げられていた。俗に言う、“お姫様だっこ”というやつだ。月彦はそのまま病室のドアを蹴破るようにして踏入り、有無を言わさず由梨子をベッドに横たえ、布団をかける。
「病気ってのは治りかけがいちばん大切なんだ。安静にしてなきゃ」
「は、はい……そうですね。……ありがとう、ございます……」
 由梨子に言えたのは、それだけだった。本当は体が熱くて布団などすぐにはね除けてしまいたかったが、出来るわけもない。
「良かったね、由梨ちゃん」
 だっこしてもらえて――まるでそう続きそうな声。先ほどと同じ笑顔、同じ言葉。計ったように同じ発音。それが由梨子には酷く儀礼的に感じられた。


 人生、悪いことばかりではないのだなぁ、と月彦はしみじみ思った。霧亜と同行の買い物で散々苦渋を舐めさせられたかと思ったら、由梨子が退院するという朗報だ。あまりの嬉しさに不覚にも涙を禁じ得なかったほどだ。
(良かったなぁ……由梨ちゃん……)
 見舞いを終え、病室を去った後も月彦は由梨子の顔を思い出してはうんうんと頷く。いつもと違って全然喋れなかった事が心残りといえばそうだが、由梨子が退院するという事実がとにかく嬉しくてそれに比べればどうでも良い些事だった。
(でも、退院したら今までみたいには……)
 朝、真央の事を頼むひとときくらいしか顔を合わせないことになると思うと、それだけが残念でならない。とはいえ、特別な関係など何もない先輩後輩の間柄などそういうものかな、と思って自嘲気味に笑ったりもする。
「どうした、真央。由梨ちゃんが退院するってのに嬉しくないのか?」
 帰路の途中、真央があまりにだんまりなので月彦は声をかけてみる。真央はとぼとぼと月彦の隣を歩きながら、なんとも複雑そうな顔をしていた。
「由梨ちゃんが退院するのは、嬉しいよ」
 何処か引っかかる言葉だった。しかし、月彦は深く考えなかった。
「それなら、もうちょっと嬉しそうな顔をすればいいだろう。明後日からまた一緒に学校に――」
 と言いかけて、月彦はハッとする。真央は今、学校に行ってないのだ。
「父さまは……私に、学校に行って欲しい?」
「そりゃあ……もちろんな」
「それは由梨ちゃんのため?」
「何馬鹿な事言ってんだ。真央の為に決まってるだろ。真央だって学校に行くようになってから由梨ちゃんや他の女の子達っていう友達が出来たんじゃないか」
「うん……そう思ってたんだけど…………ひょっとしたら違ったのかなぁ、って」
「なんでそう思うんだ?」
 真央はしばし無言で歩く。言おうか言うまいか、迷っているようだった。
「友達だと思ってた女の子にね、言われたの。お前は疫病神だ、って」
「な……」
「由梨ちゃんがあんな風になったのも、私のせいだって」
「それは違う!」
 月彦は断固として否定した。
「あれは……姉ちゃんのせいだ。姉ちゃんが悪い、姉ちゃんのせいで……由梨ちゃんは……」
「姉さまが……?」
「ああ……悪い、真央。由梨ちゃんの、それも結構踏み入った話になるから、いくら真央でも詳しくは言えない。けど、由梨ちゃんの事だけは真央のせいじゃない。断言できる」
「……父さま、由梨ちゃんの事に詳しいんだね」
 しまった、と思ったが、もう遅かった。真央は明らかにへそを曲げていた。
「……私、姉さまが言ったみたいに捨てられちゃうのかなぁ………………」
「真央!」
 月彦がいくら否定しても、家に着くまで真央は一切口を開かなかった。


 悪いことの後には良いことがあり、その後にはまた悪い事がある。人間万事塞翁が馬とはよく言ったものだ。
 夜、月彦は自室で悶々としていた。結局、真央の機嫌が戻らないのだ。
 家に帰って自室で休んでいる時も、夕飯を食べているときも。何ということのない日常会話は普通に出来るが、ひとたび“今日した話”に月彦が触れようとすると真央は貝のように口を閉ざしてしまうのだ。
(何が気に入らないんだ……)
 普通に生きていく以上、真央以外の女の子と全く関わりを持たないということは不可能だ。そんなことは真央にだって解っている筈だ。なのに、月彦が少しばかり他の娘を気にかけただけで口もろくに聞かないほどへそを曲げられたのではたまらない。
(挙げ句、姉ちゃんがあんな世迷い言を残すから……)
 真央が口を利かないから、結局霧亜を誘った理由についてもうやむやのままだ。霧亜は月彦が頼りないからではないか――と言ったが、本当にそうなのだろうか。
 確かに、真央が危ないときに自分はその危機すら知らなかった。だがそれはしょうがないことではないか、とも思う。自分はあくまでただの人間、真狐のように千里先を見通す目を持っているわけでも、風より早く地を駆ける術を持っているわけでもないのだ。四六時中真央を見守ることなど不可能だ。
(捨てられるとしたら、真央じゃなくて俺の方か…………)
 自室で一人呆然としていると、そんな事を考えてしまう。その都度、自分には真央が必要なのだと思い知らされる。真央さえ側に居れば、あの恐ろしい霧亜と真正面からにらみ合う事だって出来たのだ。
 子を持つ母は強い、と人は言う。ならば、子を持つ父も強くて然るべきではないのか。
(俺には、真央が必要だ……)
 幾度と無く感じた事だ。そんな自分がどうして真央を捨てられるだろう。やはり霧亜の言葉は悔し紛れの遠吠えだ。真央に早くそれを解らせてやらねばならない。
 その為には、まず機嫌を直さねばならない。真央が喜ぶ事といえば何か。月彦は十分少々頭を働かせたが、一つの事しか思いつかなかった。
(でもなぁ……)
 と思うのは、件の事件以降、どうにも真央に手を出しづらくなってしまった事だ。まるで男を怖がるかのように、同じベッドで寝はしても以前のように月彦にべったりというわけではなくなり、僅かに間隔を空けるようになっていた。微妙な変化だが、真央の心中何らかの変化があったのだと月彦は思った。以降、一切手は出していない。何度も何度も襲いかかりそうになるのを、(自称)強靱な意志で押さえ込んだのだ。
 事実、今日も危うかった。真央にどんな下着が良いか、と尋ねられ、脳内シミュで真央の下着姿を想像した。それだけで……たまらなくなった。
「父さま……」
「なっ、ま、真央っ!?」
 ごくり、と生唾を飲んだ瞬間、唐突に自室のドアが開き、真央が入ってくる。それまで妄想していた内容が内容だけに、月彦は素っ頓狂な声を出してしまう。
「ふ、風呂から上がったのか……そのパジャマは新しく買ったやつだな、似合ってるぞ、真央」
 半分狐の真央に大して思うのもなんだが、この乳牛柄のパジャマはよく似合っていると思う。理由はもちろん、ゆさぁ……と存在を誇張している胸元のせいだ。
(ブラジャーつけなくて、これだもんなぁ……)
 型くずれなど知らない、とそっぽを向いているような真央の胸元は眺めているだけで涎が出そうな代物だ。いやいや、今はそんな事を考えている場合ではない。失意と傷心の真央を慰めねばと月彦は必死に頭を切り換える。
「父さま……ごめんなさい」
 真央は部屋の入り口に立ったまま、いきなりそんな事を呟く。
「なんだ、真央。どうしたんだ?」
 まさか、また霧亜の所で寝るとでも言うのか――月彦は失望と共にそう予測した。
「私が、父さまを信じなきゃ……父さまが私を信じてくれるわけ、ないよね……」
 しかし、次に真央の口から飛び出したのは、月彦の予測範疇外の言葉だった。そしてふらふらと、頼りなげな足取りでベッドに座っている月彦の隣にすとんと収まる。
「真央、急にどうしたんだ?」
 月彦が尋ねると、真央はもう一度ごめんなさい、と零した。
「父さまが何度も信じろ、って言ってくれてるのに、私……すぐ疑っちゃって。由梨ちゃんとの事だって……父さまは本当に由梨ちゃんの事が心配で、お見舞いしているだけなのに」
「ああ、そりゃあ、まあなぁ……」
「でも、どうにもならないの。父さまが由梨ちゃんと喋ってるのを見ると、ものすごく不安になって、そして疑っちゃうの。父さまを信じなきゃいけないって思っても、だめなの……」
「真央……」
 月彦はそっと真央の肩に手を回す。真央はそれを受け入れるように、身を寄せてくる。
「私、もっと父さまを信じられるように頑張るから。少し時間はかかっちゃうかもしれないけど、でも……努力するから」
 だから――と、真央は月彦を見上げる。
「父さまも、真央の事……もっと信じて?」
「何言ってんだ。俺はいつも真央の事は信じてるぞ?」
「じゃあ、どうして………………ずっと、してくれないの?」
 ぎゅっ、と月彦のシャツを真央が掴む。
「いや……そりゃあ、あんな事があった後だから……真央も忘れたいかなぁ、と思ってだな……」
「“俺が忘れさせてやる”って……言ってくれないの?」
 どくん、と胸が跳ねた。真央の言葉に月彦はまるで急所を突かれた思いだった。
「他の男達の事なんて俺が忘れさせてやるって。私、父さまに言って欲しかった。そう言ってくれなかったのは、父さまが真央のことを信じてないからじゃないの?」
「それは――」
 そうなのだろうか。件の事件以降、真央は明らかにショックを受けていた。そんな真央に淫らな欲望はぶつけられない、と月彦はひたすら辛抱した。それは突き詰めれば“そんな自分を真央に嫌われたくないから”ではないのか。
「それとも、他の男の子に襲われそうになった女の子なんて、汚くて抱きたくない?」
「なっ、馬鹿! 俺がそんな事思う筈ないだろ!」
「じゃあ、どうして父さまは……」
「……俺はただ、今はそっとしておいた方がいいと思ったんだ。第一、真央だって……したいって言わなかったじゃないか」
「父さまは、私が“忘れさせて欲しい”って言わないと、そうしてくれないの?」
 うっ、と月彦は言葉に詰まった。そうだ、確かに言葉だけが相手に思いを伝える術ではない。微妙な仕草や表情、あらゆるもので人は意志を伝えられる。
 月彦は必死に思い出し、そして考えた。事件以降の真央の行動、振り返れば振り返るほど、真央が“忘れさせてくれる”のを望んでいる様にしか思えなかった。
「父さま、忘れないで。……父さまになら、私……何されても、絶対嫌いになんてならないから」
「真央……っ……」
「父さまが慰めたい、って思ったときが私が一番慰められたい時で、父さまが叱りたい、って思った時が、私が一番叱られなきゃいけない時。そして――」
 と、真央の指が、月彦の股間の辺りを撫でる。既にそこは、真央が部屋に入った瞬間から臨戦態勢になってしまっている。
「父さまがしたい、って思った時が、私が一番父さまに抱かれたい時なの。時間とか、場所とか、問題じゃないの。父さまがしたいって思ってくれてるかどうか、それが一番重要なの」
「た、確かに……俺は、真央と……したい。すごくしたい。けど……」
「けど?」
 真央に返されて、月彦は気がつく。真央が聞きたいのは、そんな弱気な言葉ではないのだと。
「すまん、真央」
 ぎゅうっ、と真央を抱きしめる。可能な限り力強く、苦しいほどに。かはっ、と真央が微かに息を詰まらせるが、それでも月彦は包容を解かない。
「確かに、俺は不甲斐なかった。頼りな過ぎた。真央が襲われそうになったって聞いた時、一番にこう言ってやるべきだったんだな」
 月彦はさらにぎゅう、と力を込める。真央の口から微かに悲鳴が漏れるが、構わずにそこに食らいつく。
「んんぅ……!」
 呻く真央の唇を吸い、嬲るようにして味わい、離す。包容を俄に解き、優しく髪を撫でる。
「他の男の事なんて、俺が忘れさせてやる。そんな奴らの記憶なんて入る余地が無いくらいに、真央を俺色に染めてやるからな」
「あぁ……父さま……」
 ずっとその一言が聞きたかった、とばかりに真央がしがみついてくる。月彦はその包容を受け止め、先ほどよりも優しく口づけをかわした。 


 


「んぁっ、んっ……んぷ……!」
 一つ一つは、とても短い口づけ。しかしそれが断続的に、何度も何度もかわされる。
「ん、はっ……んっあんっ……!」
 呼吸をするのももどかしいとばかりに月彦は真央の唇を愛で、ゆっくりと優しくその体をベッドに押し倒す。普段の獣のような仕草からは到底似つかわしくない動きだった。
「とう、さま……ん!」
 ちゅっ、ちゅっ……ちゅっ――……真央の唇、頬、額にまで丁寧にキスをする。今までの失態を許してくれとは言わない。代わりに、補って余りあるほどに真央を愛でてやるつもりだった。
 抱きしめ、背中を撫で髪を撫で、優しく狐耳に触れる。内耳に生えた細い毛を指先でそっと弄ると、意外にも真央は心地よさそうに反応を返した。月彦は苦笑して、キスをしながらしばらくそうやって内耳の細毛を愛でる。
「やっ……やぁ……父さま、それ……だめ……んっ……!」
「ん? 真央は耳を触られるのは嫌だったか?」
「い、嫌じゃないけど……父さま、いままで……あんまり……ん!」
「舌で舐めてやったことはあるだろう? 今は真央にキスをしたくてたまらないんだ。指で我慢してくれ」
「そん、な……あんっ!」
 首筋に、吸い付くようなキス。それだけで真央はぴくんと体を揺らして反応する。そんな真央が愛しくてたまらない。月彦は立て続けに十数回、真央の首や頬、そして唇にキスをする。
「や、ぁ……んっ、んっ!……ぁっ……だ、め……父さま……わた、し……キス、弱い…………のぉ……」
「ああ、知ってる。弱いけど、大好きって事もな」
 パジャマのボタンの一つ目だけを外し、僅かに除いた谷間の付け根辺りにちゅ……と月彦は口づけをする。
「やっ……だ、だめっ……そんなに、いっぱい……父さまに、キスされたら……ぁっ…………んっ…あた、ま……ぼぅって……しちゃう………!」
 真央の言葉を無視して、パジャマを軽く脱がせて肩の辺りまで肌を露出させ、愛撫しながら丁寧にキスをする。その都度、真央が切ない声を上げ、月彦の下でもぞもぞと悶える。
「どうしたんだ、真央。まだキスしかしてないのに、そんなに息を乱して」
 月彦は愛撫を中断して、はあはあと肩を上下させる愛娘を見下ろす。火照った肌が先ほど部屋に入ってきた時よりも数段色っぽく見え、ますますしゃぶりつきたくなる。
「とう、さま……こそ……どうして、いつもみたいに、しない、の……?」
 呼吸のたびに、真央の大きな胸が上下する。早く窮屈そうなボタンから解放してやらねばという衝動を月彦は必死に押さえる。
「いつ、も……パジャマなんて、すぐ、脱がして……ケダモノ、みたいに………後ろ、から……する、のに………」
「俺らしくない、か?」
「んっ……!」
 尋ねながら、月彦は真央の耳の中を舐める。先ほど散々指で愛でた白い毛を、こんどはたっぷりと舌先で愛撫する。
「ぁっ、ぁっ、ぁっぁっ…………!」
 自らの乳房ごと肩を抱き、真央はぴくぴくと震える。月彦は鼻先まで狐耳の中に潜り込ませ、敏感な内耳の奥までたっぷりと嘗め回す。
「あっ、あっ、あっ……ああぁぁぁぁぁっっっ!」
 か細い声を上げて、真央がさらに体を震わせる。背を浮かせるように仰け反らせ、たまらず月彦の髪を掻きむしるように爪をたててくる。
「だめっ、だめっ……父さまぁっ……そんな所、舐めないでぇぇえっ!」
 はあはあと荒い息を上げながら、真央が必死に懇願する。が、月彦は聞かない。真央の右の耳をたっぷりじっくり、ぴんと立っていた耳がふやけるまで執拗に嘗め回した。その時には真央はもう体をぐったりさせていたが、
「真央、耳は二つあるよな……?」
 ふやけた耳に態とそう囁いて、月彦はもう片方の耳まで丹念に嘗め回す。舐めながら、今度は唾液ですっかり湿った内耳の毛をさわさわと撫でる。ああぁッ!――と、真央は牡ならばだれもがゾクゾクと奮い立たされるような声を上げ、硬直と脱力を繰り返す。
(……今日は、いっぱい真央に優しくしてやるんだ)
 月彦なりの、せめてもの詫びのつもりだった。今まで不甲斐なかった分と、由梨子との事でやきもきさせてしまった詫びも含めて。
「はぁ……はぁ……とう、さまぁ……も、う……耳、許してぇぇ……」
「本当にどうしたんだ、真央。もうヘバったのか?」
 久しぶりだからか?と月彦は首を捻る。一回や二回中出ししたところでもっと、もっととねだってくる真央が今日に限っていやに大人しいのだ。
「だ、だって……父さま、いつもと、違う、ことばかり……」
「嫌なのか? 俺がどんな事をしても嫌いにならないって言ったのは真央だぞ?」
 さあ四つんばいになれ、と真央に囁くと、真央は辿々しくも言うとおりにする。そして月彦に尻を差し出すように高く上げ、上体は伏せ、不安げな顔で後ろを見る。
(いつもなら、速効脱がして犯すところだが……)
 月彦は軽く尻を撫でた後、ついと持ち上がっている尻尾の先を掴む。
「きゃんっ……!」
「綺麗な尻尾だ。今日は尻尾もいっぱい触ってやるからな」
「ぇっ、ぁっ、やっ……そん、な……後ろ、から……するんじゃ……ひぃいいいいっ!!」
 ふさふさの尻尾を、月彦はこれでもかとモフる。尻尾の芯にすりすりと鼻先を擦りつけたり、軽く噛んだり、付け根の周囲を舐めたりキスしたりと好き放題に弄り倒す。
「ひいっ…………ぁっ、あうううううううう!……だ、め……尻尾、噛まないでぇぇえ…………あんっ、あっ、ぁっ、ぁっ……!」
 真央が尻を震わせ、ぞぞぞと尻尾の毛を逆立たせる。それでも月彦は構わず、尻尾の毛並みにうっとりと頬ずりを続けたり、すんすんと匂いを嗅いだりする。
(真央……なんて可愛いんだ……)
 震えた声や、何度も逆立ち、そして萎える尻尾の毛が真央がどれほど感じているかを克明に月彦に伝える。それでなくとも、新品のパジャマのズボンの太股の辺りがすっかり色が変わっているのを見れば一目瞭然だった。
「やぁぁ、だ、めぇ……と、さま……お願い、許してぇ……」
「許して? 何言ってるんだ、真央」
 こんなに優しくしているのに、と月彦は苦笑する。月彦はそのまま、真央の耳のように尻尾の毛が唾液や汗にしっとりとするまでモフり続けた。



 

 いつもと違う――それは、真央の心に戸惑いを呼んだ。
「ひいいいっ……!」
 月彦に尻尾を甘噛みされる。途端、電流のようなものがいっきに体を突き抜け、体が震える。
(だめ、父さま……)
 真央は心の中で叫ぶ。いつもとは段違いに優しい父親の愛撫。その危険性にどうやら月彦は全く気がついていないようだった。
 勿論真央は優しくされるのは好きだ。月彦に優しく触れられ、体を撫でられるだけで、背筋がぞくぞくするほどに気持ちよくなれる。キスをされれば、された場所がぼう……っと火がついたように火照り、やがてそれが全身に伝播し、発情を促す。
 しかしそれはあくまでいつもの――つまり月彦との“普通のエッチ”での話だ。
「だ、だめぇ! 父さま、もう、尻尾は……ひぃィ!!」
 付け根から先端まで、辿るようにはむはむと噛まれ、真央はベッドシーツを掻きむしりながら悶え狂う。序盤、さんざんにキスをされた結果がこれだった。頬や鼻、額、唇は言わずもがな、首や肩、余すところ無くキスされ、その都度真央の意志とは無関係に、体の感度が跳ね上がっていく。
(優しくなんて……しないで……)
 こんなにいっぱいキスをされたら、優しく尻尾を愛撫されたら、感じ過ぎてしまう。なまじ期間が空いて愛撫が新鮮だから尚タチが悪い。優しく何度もキスをされるというのは、真央にしてみれば全身に強力な媚薬を塗られているのと同じことなのだ。
(本当に、相手が父さまなだけで、全然違う……)
 あの男達に組み敷かれ、胸元をまさぐられた時に感じた嫌悪感は何だったのか。同じ男であっても月彦に触れられれば、身が震えるほどに心地よく、幸せな気分になれるというのに。
「真央、尻尾……そんなに良かったのか?」
 さすがの月彦も、真央が尋常ではないくらいにぐたぁ……としているのに気がついたようだった。尻尾が良かったのではない。その前のキスが、あまりにも念入りすぎたのだと、真央は教えたかった。
「父さま、あのね……真央のお願い、聞いてくれる……?」
 真央は仰向けに寝直し、呼吸を整えながら、じっ……と父親を見上げる。
「なんだ。真央が言うことなら何でも聞いてやるぞ?」
「あのね、えとね……その……あんまり、優しくされると……」
「されると?」
「か、感じ過ぎちゃう、から……だから、私、いつもみたいに――」
「却下だ」
 月彦は笑顔のまま呟き、そのまま被さってきてちゅっ、ちゅっ、と真央の頬にキスをしてくる。
「ぇっ、やっ……そんなぁっ、父さま、何でも言うこと聞いてくれるって……」
 月彦は一切反論せず、ちゅうっ、と音を立てて吸いながら、真央の体に唇痕を残していく。パジャマの第二ボタンまで外され、胸の半ば近くまで脱がされる。
(あぁ……そんな……)
 また、優しく――と、真央は体が火照ってしまうのを感じる。いつものように、ボタンなど邪魔だとばかりに強引にパジャマを開き、ゴムマリでも捏ねるように乳をこね回してほしかった。そうされることで、真央は月彦がどれほど自分を欲しているかを感じられ、快感を得られるのだ。
 しかし、今日は違う。月彦は正気のまま、そして優しい。そのせいで、真央はいつまでもケダモノになれない。気恥ずかしさが先だって、はしたない声一つだすのにも顔から火が出るほどの羞恥を感じてしまう。
「意外だな、真央は優しくされるのが苦手なのか?」
「に、苦手ってわけじゃ……ないんだけど……んっ……!」
「でも、そうやって恥ずかしがってる真央もなんか新鮮だな。……まるで初めての時みたいだ」
「えっ……あ、あんっ! あぁっっっ、父さまっ、本当に、キス、だめぇええ! んんっ!!!」
 叫んだ口を、キスで塞がれる。舌を差し込まれ、これでもかと絡まされる。
(あぁ……父さま、父さまぁ…………!)
 いつしか真央は自ら吸い付き、積極的に舌を動かして月彦の舌と絡み、唾液を吸い合う。後頭部に回った月彦の手があくまで優しく、真央の後ろ髪を撫でる。上手だぞ、真央……まるでそう言っているかのように。
「んはぁ………ぁ………」
 月彦が唇を離した時には、身も心もとろけきっていた。まだ服も脱がされていないというのに、二度か三度は中出しをされた後のように下半身に力が入らなかった。
(父さまのキス……凄い…………)
 舌使いとか、そういう次元ではない。月彦と唇を重ねるだけで、舌が触れあうだけで気持ちが良い。それは最早理屈ではなかった。
「はあ、ふう……真央、まだ物欲しそうな目をしてる、な……」
「えっ、あんんゥう!!!!」
 再び、口を塞がれる。ぐじゅぐじゅと口腔をかき回され、真央は目を見開き、背を浮かせて噎んだ。
(やっ……だめっ、だめぇっ!!)
 触れられてもいないのに、びくんっ、びくんと腰が跳ねる。差し込まれた舌が真央の唇に触れ歯に触れ、月彦の唾液をとろりと真央に飲ませてくる。
 真央はそれをこくん、と飲み干す。自らが作った媚薬を飲まされたのは比較的最近の事だが、それに負けず劣らず体が熱くなってしまう。ただ、月彦の唾液を飲まされたというだけで。
「ぷはっ、ぁ…………どうだ、真央……やっぱりキス、嫌か?」
 優しく頬を撫でられる。その後で、口の回りに漏れたと思われる唾液を月彦が舌で舐め取り、真央の口腔に流し込んでくる。真央はこくんと喉を鳴らして、それを飲み干す。じゅんっ……と、体が内側からとろけるのを感じた。
「い、や……」
 被さっていた上体を起こそうとする月彦の首に、真央は己の手を絡めていた。
「だめっ……もっと、父さまと……キス、したい…………」
 真央はもう、すっかり中毒となってしまっていた。唾液という名の蜜と、それを運んでくるキスの味に。


 かつてないほどに、真央はキスをした。最初はキスの魔力を恐れ、次第に屈服、やがて恭順、そして依存するようになった。もっと、もっとと自ら月彦にねだり、少しずつ衣服を脱がされながら全身くまなく唇痕をつけられた。
「あぁ……父さま、ぁ……」
 月彦がつける唇痕が一つずつ増えるたびに、真央はゾクゾクするほどの快感に身震いする。その数だけ、自分は月彦に想われているのだと実感できた。
 既にパジャマは脱がされ、下着だけの格好にさせられた。いつぞやのように“脱げ”――と命令されたわけではなく、あくまで優しく、丁寧に脱がされた事だけが些か不満だったが、それも唇痕が増えていくに従ってどうでもよくなった。
(母さまに、見せてやりたい……)
 そんな事を思う。自分は、こんなにも想われているのだと。そしたら、あの母親はどう出るだろうか。張り合ってくるだろうか。
「父さま、真央にも……させて?」
「ああ、いいぞ」
 月彦は真央の頭を撫でてあっさりと許可してくれた。そしてごろり、と横になった月彦に、今度は真央が被さる。
「……んっ……!」
 一も二もなく、月彦の唇に吸い付く。そして、自分がされたように、顔中にキス。そして首、時折舌を這わせて肌の味を確かめながら、余すところ無くキスをする。
「なんか、くすぐったいな……」
 そう言って、月彦は苦笑する。くすぐったいだけなのか――と、真央は俄に落胆した。自分は、違う。月彦にキスをされた場所は熱く火照り、やがてそれが全身に伝播して肌そのものが敏感になってしまう。――所謂、発情状態にさせられてしまうのだ。
「父さま、好き……」
 呟いて、唇にキス。触れるだけの、簡単なものだ。
「大好き」
 再びキス。軽く舌を入れて、唇を舐める。
「それは……真狐よりもか?」
「うん。母さまより、父さまの方が……何倍も好き」
 呟いて、唇を密に合わせる。月彦の方も真央の後ろ髪に手を回してきて、互いの唇を貪りあうようにしてキスをする。肺の中の空気が尽きて尚、そのまま時を惜しむようにして唾液を啜り合う。
「はぁっ、ぁ…………」
 唇を離し、肩で呼吸をする。月彦と繋がっているときに入っていたものだと思うと、吐く息すら愛しく感じられた。
「父さまが一番好き」
 呟き、真央は月彦のシャツを捲し上げ、その胸板にキスをする。何度も、何カ所も。余すところ無く舌を這わせる。
(私が、一番父さまのこと好きなんだから……)
 それを証明しようとするかのように、唇痕をつけまくる。そして徐々に南下、やがて手が、月彦のトランクスのゴム部分にかかる。
 真央はちらり、と月彦の顔を見て、その部分をショートカットし、今度は太股にキスをする。それから膝、脛、足の甲。つま先までちゅっ、と吸って、真央は再び月彦の唇へと戻ってくる。軽く唇を合わせ、合わせながら……その手はギンッギンになっているトランクスのこわばりなで回す。
 欲しい――と。敢えて言わず、目で訴える。
「解った、真央」
 もはや阿吽。月彦は体を起こし、真央と体を入れ替える。シャツを脱ぎ、がちがちにそそり立った股間をトランクスごと、真央のショーツに押し当てる。
「んぅ……!」
 真央は僅かに背を浮かせ、月彦を受け入れるように足を開いてしまう。くすり、と笑みが振ってくる。
「すごいな……真央。折角買った新品なのに……見ろ、こんなに濡れて……ぴっちゃり張り付いてるぞ」
「……やだ………………」
 父さま、言わないで――その抗議は、掠れて言葉にならなかった。
「ぁっ、ぁっ……!」
 月彦がこしゅこしゅと、下着の上から剛直を擦りつけてくる。真央はそうされているだけで甘い声を上げ、下着に護られた場所を差し出すように足を広げてしまう。
「くす……どうしたんだ、真央。そんなに足を広げたら、脱がせられないじゃないか」
「あっ、ぁっ……だって、父さまの……すごく、堅くて、熱、い……あっ、あんっ……!」
「凄いのは真央のほうだ。……お尻の方までびちゃびちゃだぞ」
 優しい口調。しかし、真央が耳を伏せられないように狐耳の中に囁いてくる月彦は意地悪だ。その手が、真央が呼吸をする旅にたゆたゆと揺れる白い塊に触れる。
「ここも、ピンッピンに尖って、堅くなってる。……噛んだら美味しそうだな」
「ぇっ、やっ……だ、だめっ……あっ、あぅぅぅ!」
 ピンク色の突起を甘く噛まれ、先端を舌でちろちろと弄ばれる。さらにこしゅっ、こしゅとこわばりを擦りつけられ、真央は仰け反って声を荒げる。
「真央は、少し痛いくらいのほうが一番気持ちいいんだよな」
「えっ、ぁっ……やっ、あううう!!!」
 ぎゅうっ、と握りしめるように乳房を掴まれ、少し痛いくらいの強さで先端を噛まれる。
「あぁぁぁぁっ、ぁっ、あっ、ぁっ……ぁぁぁ……!」
 ゾゾゾ、と胸の先から快感が体を貫き、体の内側がとろけてしまう。こしゅこしゅと擦り続けられている下着に、新たな湿り気が加わってしまう。
「ほんっと、これだけ大きくて何もでないのが不思議だよな。下手な妊婦さんより胸あるんじゃないのか、真央は」
「そ、んな…………んっ!」
「これで真央が妊娠したら……どれくらい大きくなるんだろうな」
 ぼそぼそと、狐耳の中にそんな事を囁かれて。
「っ……ぁ……………………」
 真央はますます顔を赤らめてしまう。
「こんなに可愛くて、おまけにこの胸だ。真央を襲いたくなった奴らの気持ちは、よく分かる」
 月彦もまた興奮しているのか、はあはあと息を荒げながら真央の双乳をたぷたぷと弄ぶ。
「でも、駄目だ。真央に手を出すことは絶対に許さない。真央は――俺のモノだからな」
「あぁぁ……父さま…………」
 嬉しい、と真央は涙すら浮かべて呟く。その言葉が聞きたかったのだ。力強く、雄々しく、堂々と、ハッキリと。真央は俺のものだ、と。
(ぅ、ぁ……すご、い……)
 あまりの嬉しさに、先ほどとはまた比べものにならないほどに体が火照り出す。じゅん……と体の奥が鳴いて、牡を迎える為の蜜がしとどに溢れてしまう。それはもう、真央の意志でどうにかなる類ではなかった。
(欲しい…………すごく、欲しい………………)
 はあはあと息を乱して、真央は月彦を――否、その股間のこわばりを見つめる。
(父さまのが、欲しい……)
 ゾゾゾ……と、尻尾が震える。うっかり気を抜くと自ら手を伸ばしてしまいそうだった。真央はケダモノのように息を荒げながら、こわばりと月彦の顔を交互に見る。
(欲しい、欲しい……欲しい……)
 ごくん、と生唾を飲む。“脱げ”――と。言ってくれないだろうか。空耳でもいい。たとえ勘違いでもいいから、そのように聞こえたら、真央は即座にショーツを脱ぎ捨てる所だった。
「……俺がしたいときが、真央が一番したい時、だったよな?」
 真央は無言で、こくり、と頷く。
「じゃあ、今……真央はものすごくしたい――ってわけだな」
「ぁ……」
 どうして、この父親は。
「と、父さま……ぁ…………」
 この土壇場で、途方もなく舞い上がってしまうような言葉を言うのだろう。
「ぁ、ぁっ、ぁっ…………」
 言葉だけで、真央はイきそうになるのを辛うじて堪える。ぐい、とショーツに手がかけられたのはその時だ。
「真央。いつまで足を開いているんだ?」
 そのままじゃ脱がせないじゃないか、と言われて、真央は慌てて足を閉じる。閉じるなり、ゆっくりとショーツが脱がされていく。真央は待ちきれず、途中で片足を引いて自ら足を抜いた。
「父さま……」
 羞恥も忘れて、真央は足を開いて隠すものがなにも無くなった場所を月彦に晒す。
「……綺麗だぞ、真央」
 呟いて、月彦が手を伸ばす。人差し指と中指で、くぱぁ、と秘裂を割り開く。
「やんっ……!」
 奥を覗き込まれていると、意識した刹那、いつものゾクゾクが真央の背筋を駆ける。イきそうになるのを堪えようと下腹部に力をいれたせいか、びゅっ、と僅かに蜜が飛んでそれが月彦の手にかかる。
「悪い子だな、真央は」
「ぁ……ご、ごめんなさい……父さま………………ぁぁぁッ……!」
 秘裂を開いていた月彦の人差し指が、ゆっくりと真央のナカに埋没していく。たっぷり十五秒ほどかけて、指は根本まで真央のナカに収まった。
「ぁぁぁぁぁっ…………!」
 ただの、指。それなのに、焼けた鉄棒でもねじ込まれたかのように下腹部がじんと熱くなる。
 月彦はゆっくりと、入れるのに要した時間と同じくらいかけて、指を引き抜いた。
「す、ごいな……今までで一番具合が良いんじゃないのか?」
 月彦は人差し指に絡みついた蜜がとろりと滴る様を真央に見せつける。そして、言った。
「今、挿れたら…………どうなるんだろうな」
 真央がゾクリとするような、最後の一押しの言葉を。
 トランクスを脱ぎ捨て、ずい、と真央の足の間に月彦が体を割り込ませる。真央は咄嗟に、その胸板に両手を当てていた。
「だ、だめ……父さま…………」
 あんなに欲しかったというのに。欲しくてたまらなかったというのに。真央は臆病風に吹かれた。
 鉄塊のように力強く屹立した剛直。あれを今挿れられたら――正気を保つ自信が、真央には無かった。
「駄目――か、それはこっちの台詞だ。真央」
 胸板に当てた手が掴まれ、ぐいとベッドに押しつけられる。
「俺は今、真央としたくてしたくてたまらないんだ。……だったら、真央だって……その筈だろ?」
「で、でも……ぁっ……!」
 くち……と、剛直の先端が秘裂に触れる。そのままにゅりにゅりと、溢れる蜜をなじませるように浅く前後する。
「だ、だめっ……父さま…………ひっ――――」
 ずん、と一気に剛直が最奥まで貫く。刹那、真央は獣のように啼いた。


「う、は…………たまん、ねぇ……!」
 真央のナカに挿入し、こちゅんと最奥を小突いた刹那、ゾクリと背筋が冷えた。
「ひさし、ぶり……だからか……? いや……それだけじゃ……くはぁぁぁ……きゅうっ、きゅうって吸い付いて……トロットロで……無茶苦茶あったけぇ………っ……………」
 月彦は腰を動かすことも忘れて、そのまま真央の上に被さる。そのまましばし呼吸を整える。そうせねば、僅かでも腰を動かした瞬間全てをぶちまけてしまいそうだったからだ。
「ほ、本当に……真央、か? 真狐が化けてるんじゃないのか?」
 果たして月彦の言葉が真央の耳に届いているのか、怪しかった。挿入の瞬間、真央は声にならない叫びを上げ、月彦の背中を掻きむしったのだ。
「あっ……ひぃっ…………ぁっ、ぁっ………とう、さまぁ………!」

 びくんっ、びくっ、びくっ……!
 
 月彦にしがみついたまま、真央が痙攣でもするかのように体を揺らし、そしてくたぁ……と脱力した。その間十、月彦は歯を食いしばり、止めどなく襲ってくる快感に耐えねばならなかった。
「っ……くぁぁっ、ぁ……やっべ……真央のナカ……腰、動かしてもないのに……す、げ……なんか、しゃぶられてるみたい、だ……」
 締め付けてくるとか、吸い付いてくるとか、そういう次元ですらない。極上の肉襞が極上の恥蜜の滑りにのってぬちょぬちょとからみつき、それがまるで得体の知れない生物の口戯でも受けているかのような感触を月彦に与えるのだ。
「とう……さまぁ……気持ち、いい?」
 はあはあという吐息の中、とぎれとぎれに真央が尋ねてくる。ああ、と月彦は自信を持って答えた。いつものことながら真央の中はほどよい――否、些かきつすぎる狭さだっった。世界で唯一の、月彦専用の膣肉――それはさながら、一本の日本刀を収める為に誂えて作られた上等の鞘のようだった。。
「すっげぇいい……。発情期の時より、薬を使った時より、全然いいぞ。……真狐、以上だ……」
「本当!? 母さまより……いい?」
「あぁ……真央の方がいい……ってっ、うっ、ぁっ……真央、またっっ…………やっべぇ……これ、癖になりそうだ……」
 ぞくんっ、と得体の知れないものが月彦の中を駆け抜ける。それは快楽によるものか、それとも度を超した気持ちよさに対する恐怖なのか。最早そんなことは、月彦にはどうでもよかった。
「わ、りぃ……真央……長く持ちそうにない……動く、ぞ……」
「えっ、んっ、あっ、あんっ!」
 真央の腰のくびれを掴み、月彦は一端腰を引く。ぬろぉ……と、剛直に吸い付いた肉襞の感触がたまらなくて、月彦はひっ……と無意識のうちに悲鳴を漏らしていた。
「やっぁ……と……さまのもっ、すごく、大きくて……堅っい……んぁぁっ!!!」
 
 ばちゅん! ばちゅん! ばちゅん!
 
 真央の腰のくびれを掴み、己の方に引き寄せながら月彦は何度も己の腰を叩きつける。その都度、真央の秘裂からしとどに溢れたものが互いの腰の間でぶつかり、爆ぜ、派手な音を立てて飛び散る。月彦の胸板も真央の下乳もそれらでてらてらと光沢を放つほどだ。
「はーっ……はーっ……真央、真央っ……真央ッ!」
 いつもならば、眼下でたゆんたゆんと暴れる白い塊が目障りだとばかりに月彦は鷲づかみにし、こね回す所だった。しかし、今の月彦にはそれすら見えていなかった。
(真央のナカ、やべぇ……溶けちまいそうだ……!)
 今までも何度かそう思った。しかし、今回ほどの具合の良さは初めてだった。
(久しぶりだからか? それとも、いっぱいキスしたからか?)
 恐らくはその両方だろう、と月彦は推測する。やっぱり前戯って大切なんだなぁとしみじみ思いながら、遮二無二腰を動かす。
「あぁぁあっ! ぁあっあんっ! あぁあっっ、とう、さまぁぁあっ! ひいっ……す、ごいっ……かた、くて、おっきくてぇ……やあぁっ、真央の、お腹……ぐちゃぐちゃに、され、ちゃう!!!」
 真央は戦慄き、そしてぐりんっ、ぐりんと月彦がえぐるように腰を捻るたびに、気が狂った獣のような叫び声を上げる。その都度、びくんっ、びくんと体を震わせ、剛直にこれでもかと絡みついてくる。
「っ……く、そ…………真央、イきすぎだっっっつの…………っ、だめ、だ…………」
 月彦はベッドに両手をつき、真央を押しつぶすようにして剛直を打ち込む。
「やっ、と……さまっ……く、はっ……んっ! ひっ……ひぃぃっ、ひぃっ、んんっ、あっ、あぁっ、あぁああッ!!!!」
 真央はサカり声を上げて、月彦の背中に爪を立て、やがてそれも指が剃り、今度はシーツを握りしめ、離し、爪を立てる。にぃ、と唐突に月彦は笑みを零す。
「ま、お……たし、か……キスされながら、だと……すぐ、イく……んだよ、な?」
「ぇ……と、さま……まさ、か……」
「久々の子種だ。我慢してたぶん、真央がびっくりするくらい……中に出してやる。……ひょっとしたら孕めるかもな、真央」
 言って、月彦は真央にキスをし、ぐっ……と剛直を押し込む。真央の噎びを唇越しに感じながら、月彦は真央のナカに全てを解き放った。



 どびゅうっ! どぷっ! どぷ!

 己の体内から聞こえてくるその音を、真央は確かに聞いた。
(だめ……!)
 訳も分からず、そう思った。キスをされ、背筋にゾクリと快感が走り、イかされそうになった所での、唐突の中出し。
「ンーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーッ!!!!!!!!」

 どぷっ! ごぷっ、ごぽっ……!

 早くも膣内を満たした牡液が、音を立てて漏れだしていく。それでも射精は止まらず、真央の一番深い場所に次々と熱い牡液が浴びせられる。
(だめぇ! それ、だめぇえええええ!)
 真央は夢中でキスをし、そして下腹部に力を込める。くっ、と月彦が眉を寄せるのが解った。
「ぷはっ……だ、から……真央、そんな、搾り取る、みたいにっっ……や、べ……止まんねっ…………くはぁぁあああっ!!!」
 そうは言われても、真央にはなんら自覚はなかった。ただ、そうせねば、この圧倒的な快楽に押し流されて意識をなくしてしまいそうだったからやったまでだった。否――意識をなくしてしまいそう、ではない。事実、真央の意識は瞬間的ながら何度か飛んだ。それほどの、途方もない快楽だった。
(やぁぁぁあっ、す……ご、い…………父さま、の……すご、い…………)
 視界がちかちかと明滅する。膣奥を叩く白濁の感触をもっと味わいたくて、真央はみずから腰を浮かせ、剛直に擦りつける。そこをびゅうっ、と濃いものに押し返させて、ぞくんっ……と牝の歓びに打ち震える。
「ぁ、ぁ…………ぁ……はひぃぃぃぃぃっぃぃぃ…… 」
 膣奥に押し当てられた剛直が、さらに凄まじい勢いでびゅるっ、と牡液を出すたびにぐいっ、ぐいと膣奥を押し込む。その感覚があまりに心地よくて、真央は歯の根があわないほどの快感に身震いし続けた。
「はーっ…………はーっ…………し、死ぬかと、思った……」
 縁起でもないことをいいながら、月彦は恒例のマーキングを行う。ぬりぬりと、真央の膣内に己の牡液を塗りつけ、主張するのだ。この牝は俺のものだ、と。
(あぁ……父さまぁぁ…………)
 真央はそっと月彦の背に手を回し、マーキングを受け入れる。ぬっ……ぬっ……と白濁が塗りつけられるたびに、牝としての至福を感じながら。
「ふう……ふう……ま、お……一度抜く、ぞ……」
 だから少し力を抜いてくれ、という目を月彦がする。真央は自覚していなかったが、そうとうな圧力で剛直を締めっぱなしのようだった。月彦がずいぶん難儀して剛直を真央のナカから引き抜くと、その後を追うようにびゅるっ、と白濁のものが迸った。
「えっ、やっ……やだっ……!」
 びゅっ、びゅっ……びゅっ……!――真央の意志とは無関係に膣内が勝手に収縮し、中に溜まっていた白濁を水鉄砲のように飛ばしてしまう。
「だ、めっ……父さま、お願い、見ないでぇ……!」
 それがまるで、自分が粗相をしてしまっているように見えてしまって、真央は顔を真っ赤にする。しかし、月彦は真央が飛ばした白濁が己の腹や剛直にかかっても別段どうという事もない、という顔をする。
「普通、とろとろ漏れてくることはあっても、こんなに飛んだりはしないもんだ、……どーりで、締めまくってくるわけだ」
 うんうん、と頷いて、そして改めて月彦は真央を見る。
「で、真央。お前が汚したこれ……どうするつもりだ?」
「えっ……」
 と、真央は月彦が指し示す場所を見る。腹と、剛直、そして太股。真央が白濁を飛ばし、かけた場所だ。それを見て、またかぁぁ、と顔が赤くなる。
「わ、私が……綺麗にする、の?」
「そうだな……じゃあはっきり言おうか。真央に舐めてほしい」
「……んっ」
 ぞくんっ、と、またあの悪寒に近いものが真央の体を駆け抜ける。次の瞬間には、はあはあと息を乱しながら四つんばいに月彦に忍び寄っていた。
「あ、む……」
 まずは、太股にかかった白濁に口を付け、吸い取る。最早液体というよりゲル状のそれはちょっとしたゼリーのようだった。生臭く、そして苦い――しかし、牝にとっては至上の美酒とも言うべき味。
 真央は腹にかかったぶんも唇で吸い、最後に舌で丁寧に舐めとる。そして最後に――と、剛直に目をやって、こくんと喉を鳴らす。
 ちらり、と月彦に一度目をやって、それから恐る恐る口を付ける。今宵の月彦は、あくまで正気のまま、真央を抱くつもりのようだった。いつもなら、髪を掴み無理矢理剛直に顔を擦りつけられ“舐めろ”と命令される。そうされるのが、真央は決して嫌いではないのだが。
「んっふ…………」
 剛直の先端をくわえ、舐める。過去、どれほどそうしてきたことだろう。鉄塊のように堅い、惚れ惚れするような剛直に頬ずりし、舐め、咥え、場合によっては喉奥まで頬張る。そこまで挿入されるのはとても苦しかったが、しかしそのあとの“ご褒美”を考えればその程度の苦痛はどうでもよかった。
「あぁ……やっぱり、真央が一番、だな…………」
 わしゃわしゃと髪を撫でられながら、真央は口戯に没頭する。まるで母猫の乳房に食らいつく子猫のようにうっとりと目を細め、ぐぷぐぷと音を立てて頬張り、竿を愛撫する。
「真央、ちゃんと……いつもみたいにするんだ」
 言われて、またぞくんっ……と悪寒に近いものが走る。はい、と真央は心の中で返事をして、そして左手で竿を握ったまま、右手を己の秘裂へと這わせる。
「んんぅっ……!」
 歯を立てぬように気をつけながら声を漏らし、くちくちと指先で秘裂を愛撫、先ほど出されたものを自らの指で肉襞に塗りつけていく。
(んっ……父さま、に、見られ、てる……!)
 何度やっても、慣れない。恥ずかしい。真央は剛直を舐めながら、恐る恐る見上げる。月彦はしっかりと、真央を見ていた。真央が、剛直を舐めながら、自慰をする様を。
「いい、ぞ……真央。無茶苦茶、エロい…………すげえ、興奮、する……」
 はーっ、はーっ、と荒い息を吐きながら月彦は真央の髪に爪を立てる。いつもの合図だ。真央は素直に牡液を受け止めるべく、口戯を荒々しいものにする。ぐぷ、ぐぷと音を立てて吸い、月彦の爪が食い込んでくるのを感じ、自らもまた高みへと上り詰める。
「ま、お……出す、ぞ……!」
「んんんんっんんんんんんんんんぅ!!!!!」
 月彦に両手で頭を掴まれ、喉奥まで剛直を押し込まれ、白濁をぶちまけられる。それは飲ませる、というより、喉の奥へと直接流し込んでいるというのが正しかった。
「はぁ……はぁ……く、そ……溜まってる、なぁ…………!」
 いつもより濃い牡液をたっぷりと真央の喉に吐きだし、月彦はようやく剛直を引き抜いた。あまりに大量の白濁を無理矢理流し込まれ、さすがの真央もけほけほと咳き込む。
「んっっ……ふっ…………ぁ……………………」
 そして、真央は感じる。おのれの内側から沸き立つ牡液の、生臭い匂いに。それが裏側から鼻腔へと達し、真央は否が応にも己が牡液漬けになったことを自覚させられる。
(とう、さまの……匂い、だ…………)
 不快ではない。むしろ、自分が父親のモノにされたという実感がより顕著になって、真央はぶるりと体を震わせる。そんな真央の頬に、ぬっ……と剛直が塗りつけられる。
「まだだ……そうだろ、真央」
 ぞくんっ、と。また、あの感覚が。
「俺は他の男の事なんか忘れさせてやるって、約束したんだからな。もっと……真央に俺の匂いをつけてやる。二度と他の男になんか狙われないように、な……」
「ぁ……」
 父さま――と、真央は声にならない声で呟き、そして自ら四つんばいになり、差し出すように尻を向ける。いい子だ――と、真央の背後で声が聞こえた。

 



「んぁあっ……やっ、と、さま……も、やめっ……はぅううッ!!!」
 窓から白んだ空の光が差し込む室内に、サカった牝狐の声が木霊する。
「はあっ、はあ……やっぱり、真央、は……後ろから、が……好き、だな……!」
 月彦もまた、ぜえぜえと息を切らし、ぐぐっ、と剛直を真央の尻穴へと押し込み、ぐりんぐりんと腰をくねらせてくる。
「うひぃぃぃいいッ!!! ぁっひぃぃいいいッ!!!」
 尻の奥をこれでもかとかき回され、真央は歯を食いしばってベッドに顔を伏す。その顔も、髪も、濁った白に染められている。否、顔だけではない、髪も、背中も、尻も、腕も、足も、殆どが。
「はあ、はあ……まだだ、……まだだぞ、真央。たっぷり、俺色に……染めて、やるからな……」
 真央の手を押さえつけていた手が離れ、乳牛のように育った胸元へと這う。そこもまた、既に胸を使って出され、ドロドロに汚れていた。月彦はまるで、牡液を真央の乳に塗り込むようににちゃにちゃと揉み捏ねる。
「ぁぁああっ、だめっ、だめっ……父さまぁぁあ……!」
 しかし、真央の懇願は聞き入れられない。男の無骨な手が、にちゃにちゃ、ぬちゅぬちゅと、白い巨乳に汚れた白を塗り込んでいく。あぁぁ……と、真央は己の胸がじんと熱くなってくるのを感じる。
「だめぇっ、だめぇっ……父さま……そんなに、されたら……お風呂に入っても……匂いがとれなくなっちゃう………」
「いいじゃないか。……そしたら、他の奴らにも真央が誰のものなのか一発で解ってもらえるだろ?」
「そん、な……ぁっ、ぁぃぃいいいっ!!」
 ぎゅううう! 
 搾るようにきつく揉まれて、真央は下腹部に力を込めてしまう。びゅっ……と、先ほどまでに何度も中出しされて残っていたものが、膣圧に負けて飛び出し、ベッドを汚してしまう。
「……せっかくいっぱい出してやったのに、真央はすぐそうやって絞り出すんだな。……尻の方に出してやったら、また前のほうに出してやるか」
「ひっ……」
「仕方ないだろう。出しても出しても真央がそうやって溢れさせてしまうんだからな……」
 くつくつと笑いながら、月彦はまたゆっくりと腰を使い始める。真央は双乳をこれでもかと揉まれながら、己の尻穴の中を蠢く鉄芯のような剛直の感触に身も心もとろけてしまう。
「ほら、真央。自分で言ってみろ、……真央は誰のモノだ?」
「んぁっ! ぁっひっ……わ、私は……父さまの、モノ……です……あんっ!」
 良くできた――、とばかりに、ずんと一際強く突かれる。
「……これでもまだ、他の男の事が、視線が気になるか?」
「あんっ、ぁっ、んっ! やぁぁっ……知らないっ……父さま以外の男子なんて……知らない、のっ……! ひぃぃぃいいい!」
 また、尻を犯される。それも断続的に、徐々に早く。
「ぁっ、あぁっあっ、ぁっっあっあっあっ!!」
 腰を掴まれ、ばちゅんばちゅんと突き上げられる。真央はもう肘を突く力もなく、ただただ尻だけを持ち上げ、好き放題に尻穴を犯される。疲労の為か、堅くそそり立った尻尾すら危うげで、突かれた側からゆらゆらと先端が揺れた。
「はあっ、はあっ…………っ……ま、お……ッ…………!」
 どくっ……と、真央の中に熱いものが溢れる。剛直が引き抜かれ、ぬりぬりと真央の尻になすりつけられる。
「真央、ほら……来い」
 月彦が胡座をかき、呼ばれる。
「前にも出してやる、って言っただろ?」
「ん、ぁ……」
 もう、這う気力も無くなったと思った。それなのに、月彦にそう呼ばれたら、真央の中に得体の知れない力が湧き起こり、気がつくとふらふらと月彦の腕の中に入っていた。
「あっ、ああああっんんっ!!」
 真央は月彦にしがみつくようにして貫かれ、その尻を掴まれる。
(あぁぁぁっ……父さまぁぁあ…………!)
 月彦の脇から背中に手を回し、肩に引っかけるようにしてしがみつく。ぐっ、と尻を掴んだ手に力が入って。真央は上下に揺さぶられる。
「あっ、あっ、あっ、あっ……!」
 こちゅん、こちゅんと何度も膣奥を小突かれる。その都度、真央の体重の殆どが剛直の当たる膣奥に集中し、勝手にはしたない声が漏れてしまう。
「ま、お……可愛い、ぞ……」
「やっ……とう、さま…………んっ……!」
 キスをされ、そのままこちゅこちゅと突き上げられる。
「んんん! んんぅ! んンッ!!!!」
 真央は噎びながら、ぎゅううとしがみつき、たわわな胸を月彦の胸板に押しつける。しかし、突き上げてくる剛直の動きは些かも緩む事はない。
(だ、め……と、さま……私、それ……弱い、のに……!)
 キスで口を塞がれたまま突き上げられ、真央は何度も小さくイく。しかし、本当の絶頂に達することは決してない。愛しい牡の子種を膣奥に受けた時にしかイけないよう、そう躾られてしまったから。
(……父さま、の……欲しい…………!)
 真央は夢中で月彦の唇を吸い、自ら腰をくねらせる。はやく、はやく欲しい――と、体でねだる。
「っ……わか、ってる……解ってるから、真央……そう、あせ、るな……」
 月彦は苦笑し、そして再びキス。今度は真央から仕掛けたキスだった。そのままくちゅ、くちゅと舌を絡ませる。
(あぁっ……父さま、父さまぁぁっ…………!)
 想いの全てをキスに乗せて、真央は一心にしがみつく。月彦が、その真央の体を上下に揺さぶる。
「んゥ!」
 唇を合わせたまま、真央が噎ぶ。
「んぅっ、ぁっ、んっ! んっ! あっ、ふっ……ぁっ……はぁぁぁっ……ああっ、あっ、あっあっ……あっ……!」
 こちゅっ、こちゅと何度も執拗に小突かれて、真央はたまらず唇を離し、声を漏らしてしまう。耳元で真央、という呟きを聞いた気がした。
「あっ、あっ、あっ……あっ、あっあっ、あっあっ!!」
 突き上げるリズムが、徐々に早くなる。月彦がイきそうなんだと、すぐに解る。
「とう、さま……あんっ!」
「解ってる。……キス、しながら……イきたいんだろ?」
 真央は唇を奪われ、そしてぐっ……と尻肉を強く掴まれる。
「んんぅっ! んっ! んっ! んっ!」
 何度も何度も、膣内余すところ無く擦り上げられ、突き上げられる。あまりの快感に手足が痺れ、感覚が遠くなる。それでも真央は必死にしがみつく。
「んんんっ! んっ! んんっっ! んっ、んっ、んっ、んぅっ……んっんっっっんンーーーーーーーーーーーーーーーーッ!!!!!!!」
 
 ごちゅっ……!

 一際強く、そして奥まで小突かれた瞬間、真央は唇を塞がれたまま叫んでいた。

 どくっ……どくっ……!

「んっ……んっ……んっ………………!」
 膣内に爆ぜる白濁を受け止めながら、くちゅくちゅと静かに舌を絡ませ合う。射精そのものが終わっても、しばし、そのまま名残を惜しむように。
「はぁっ……ぁ……真央……」
 唇が離れるや、月彦が優しく髪を撫でてくる。そしてその手が背中に回り、ぎゅうっ、と真央を抱きしめる。
「んっ……とう、さまぁ…………」
 だいすき、と呟いて、珍しく――真央は失神した。


「本当に大丈夫なのか? 無理しなくてもいいんだぞ?」
 制服を着る真央に、月彦はついそんな言葉をかけてしまう。
「大丈夫」
 と、真央は笑顔を返す。そして、続ける。父さまが忘れさせてくれたから――と。
「そ、そうか……」
「父さま、行こっ」
 それまでの不登校が嘘のように真央は自ら月彦の手をとり、家を飛び出す。ああ、これは本当に心配無用かな、と月彦は苦笑する。
「そうだ、真央……ずっと聞きそびれてたんだが」
 登校途中。それとなく月彦は切り出した。
「なに?」
「一昨日、どうして姉ちゃんを誘ったんだ?」
 結局日曜日は一日中ベッドの中でいちゃいちゃしていて、すっかりそのことを失念していたのだった。
「なんとなく、かな……」
「なんとなくって……」
 それでどれほど修羅場が起きそうになったことか。月彦は少しばかり憤慨しそうになる。
「なんとなく、姉さまが寂しそうで……なんとなく、このままじゃいけない、って。そう思ったの」
「姉ちゃんが寂しそう?」
 数多のコネクションを持ち、その“妹”は千人とも一万人とも言われる霧亜には、到底似つかわしくない言葉に思える。
「そりゃあ、真央の気を引く姉ちゃんの手だな。間違いない」
「そうかなぁ……」
「姉ちゃんとは俺の方が付き合いが長い。間違いない」
 うんうんと頷きながら歩き、そして月彦の目が、はたと一人の少女を捉える。かつては、いつもそうして校門の前に立ち、月彦達を待っていた――。
(あぁ……本当に、退院したんだな)
 と、つい涙ぐみそうになる。向こうも月彦達に気がついたのか、とととっ、と小走りに駆けてくる。
「おはようございます、先輩、真央さん」
「おはよう、由梨ちゃん」
「おはよう」
 制服姿の由梨子を見る事自体久しぶりで、なんとなく気恥ずかしい。そして、制服を着た由梨子はドテラ姿の時よりもさらに可愛らしく見える。
「では、先輩。……真央さんは必ず私が護りますから」
 ぺこり、と頭を下げて由梨子は真央の手を引いて一年の昇降口へと向かう。月彦はその後ろ姿をしみじみと眺める。
(俺は、見る目が無かったんだなぁ……)
 月彦はそのまま、由梨子の後ろ姿が見えなくなるまで見送り続けた。

 

 

 

 

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