――悪い誘いというのは、えてして夜に来るものだ。

 

 

 

 

 深夜、淺野琢己は自室でPCに向かっていた。ディスプレイ画面には、女性の裸の画像が映し出されている。淺野は慣れた手つきで画像の首から上部分を切り取り、そこへ別の画像を貼り付ける。
「うーん……」
 いけるか、と思ったがそぐわない。淺野は何度か画像を拡大させたり縮小させてみたり、肌の色などを変えたりして微調整をする。
 が、結果としてやはり“ボツ”だった。決して悪い出来というわけではないのだが、それでも彼のコラージュ職人としての矜持が許さなかった。
 淺野は一端画像編集ソフトを最小化させ、デスクトップにある別のフォルダを開いた。フォルダには“mao”という名前が付けられていた。
 フォルダの中には百数十枚にも及ぶイメージファイル。その全てが、ある一人の被写体を隠し撮りしたものだった。
 紺崎真央。彼のクラスに転校してきた謎の少女。同年代とは思えない色香を身に纏い、ファッションモデル顔負けのプロポーションの持ち主だ。
 淺野は転校初日に真央を見るなり、一目惚れした。それは恐らく、淺野だけではなく男子の大半がそうだっただろう。
 単純に美人、美少女、というだけではそうはならない。正常な男子であればしゃぶりつきたくなるような体つき――というのも確かに一因としてはあるが、真央にはどこかそういったものを超越した魅力があるように感じられるのだ。
 席替えで真央の隣の席になった淺野の友人などはもっと酷い。最初はクラスのアイドルの真横の席ということで舞い上がった友人だが、彼は三日で音を上げた。友人の言い分によれば授業に全く集中出来ないのだそうだ。どうやら夜も眠れないらしく、友人は日に日に窶れ、窶れて尚、授業中突然前屈みでトイレに駆け込む――ということが頻発した。
 拷問だ、と。友人は言っていた。それは淺野のクラスの男子ほぼ全員が思っている事だろう。それであるのに、男子達は真央に対してろくに声もかけられない状況なのだ。真央を男子から守ろうとする勢力があることには、淺野も気づいていた。
 だから――というのは言い訳がましいだろうか。淺野は少しばかり友人達よりもPCの扱いに慣れていた。真央が転入してから、密かに持ち込んだデジカメで真央を盗撮し、それを元にコラージュ画像を作り始めるまでにはさほどの時間はかからなかった。元々気に入ったアイドルのコラ画像などを個人的に作ってHP上で秘密裏に公開したりはしていたが、真央のそれを作るときには今までにないほどの熱意が沸いた。
 素材となる数多の裸体画像を収集し、それらと合いそうな真央の写真を捜す。コラージュ画像の完成度の基準は日に日に高くなり、それに伴って彼の作業は苦痛を伴うようになったが、彼は全く頓着しなかった。完成に苦労するぶん、その画像を用いた自慰には途方もない快感が得られる事を知ったからだ。
 やがて寝る間を惜しんでコラ画像を作り始めた。ある日、その中でも比較的出来の良いものを親しい友人に見せた。友人は絶賛し、是非欲しいと言ってきた。その時だ、これは商売になるのではないか――と、彼が考えたのは。
 彼のコラ画像職人としての腕が良い、という事もあるが、何よりやはり素材が良かったのだろう。真央のコラ画像は友人に驚くほどの値段で売れた。皆が皆、“おあずけ”にうんざりしていたというのもある。
 無論、友人等に売るのは秘蔵のコレクションのほんの一部だけだ。彼はそれほど金に困っているわけではなかったし、心が広いわけでもない。“極上品”を見れるのはあくまで自分だけでなくてはならない。そういう意味では、彼は嫉妬深かった。
 また新しく、真央の画像ファイルを開く。それに合う身体を捜す。何百枚何千枚という素材から合うものを捜すのは本当に骨が折れる作業だ。しかしその作業に、彼はこれまで感じたことがないほどの興奮を覚える。決して手の出せない――真央は付き合っている彼がいるらしく、その手のいかなる誘いにも乗らないと有名だった――相手を貶める行為。真央の顔に合う裸体写真を捜しているとき、淺野はまるで自分が真央の衣類を脱がしているかのような錯覚を覚える。
 ただの裸体写真ではなく、交接している所と合わせる時などは、あたかも自分が真央を犯しているかのような気分になれるのだ。出来上がった画像の精度が良ければ良いほど、彼の興奮は高まっていく。
(畜生……マジでいい乳してやがる……)
 彼の作業を最も妨害するのはやはり真央の高校生離れした巨乳だった。真央の顔つきにぴったりな身体を選ぼうとすると、決まって胸がサイズダウンしてしまうのだ。
(揉みくちゃにしてやりてぇ……!)
 制服や体操着の上からでもはっきりと解る巨乳は男子らにとって殆ど凶器だった。その魅了力たるや凄まじく、真央が来るまでは「貧乳以外は女と認めない」とまで豪語していた友人の大石も、「紺崎真央なら巨乳でも構わない」と鞍替えをしたほどだ。
(いっそ、更衣室にカメラを……)
 盗撮とはいえ、今まではあくまで彼自身がカメラを隠し持ち、シャッターを押してきた。コラ画像を作るならそれだけで十分だったからだ。しかし、それだけでは段々と欲望が抑えきれなくなってきている。作業の合間に気が付くとオークションサイトでCCDカメラの出物を捜していたりするのだ。
(今なら、あの小うるさい宮本も居ないし……)
 淺野が盗撮を始める前から、宮本由梨子のガードは堅かった。更衣室に見慣れぬ穴があったというだけでそこをガムテープで塞ぎ、彼女のせいで真央の範囲二メートル以内に近づけた男子もまた皆無だった。彼が安易に仕掛けカメラに走らなかった理由は、由梨子の存在が大きかった。
 淺野ははあはあと息を荒げながら、“mao”フォルダの中にある不可視属性ファイルを開く。そこには苦労に苦労を重ね撮影した真央のパンチラ写真や、体育の授業の際の乳揺れ動画が保存されていた。彼のコレクションの秘中の秘だった。
(たまんねぇ……!)
 画面に映し出されている動画はほんの五秒ほどのものだったが、繰り返しリピートされるそれは見事に真央の胸の揺れを再現していた。
 淺野は画面を見ながら極度に興奮し、寝間着のズボンに手をかける。不意に、傍らに置いてあった携帯電話が鳴り出した。
 チッ、と露骨に舌打ちをする。自分と真央との甘美なひとときを邪魔され、淺野は甚だ不機嫌だった。見れば、液晶に映った番号は見慣れないもの。間違い電話か、とも思ったが、それならそれで怒鳴りつけてやろうと思ってあえて彼は電話に出た。
「もしもし」
『もしもし、紺崎真央のコラージュ写真作ってるのって貴方?』
 聞いたこともない女の声だった。女は艶めかしい、そしてどこか悪意を含んだ声で続けた。
『紺崎真央とヤりたくない?』

『キツネツキ』

第十二話

 

 

「嫌な予感がするわ」
 開口一番、真狐がそんな事を言う。突然の出来事に、真央をベッドに押し倒そうとしていた月彦も、月彦に押し倒されようとしていた真央も固まってしまう。
 夕食、入浴後の自室。誰にも邪魔されず、心おきなくイチャつける甘いひとときを狙ったかのように窓から一匹の獣が飛び込んできて、人型を成したそれがでんと机に腰掛け脚を組む。
「か、母さま……!」
 先に動いたのは真央だった。かなり今更だが、はだけていた胸元を但し、ベッドの上に座り直す。月彦も興が削げたとばかりに真央の隣に座る。
「凶事の根元のようなやつが言うことか」
 月彦はぷいとそっぽを向いて憎まれ口を叩くが、真狐は取り合わない。珍しく真面目な顔をしている。
「真央、最近何か変わったことはない?」
「えっ……変わったこと……?」
 真央はちらり、と月彦の方を見る。
「最近、父さまがスゴくてあんまり眠らせてもらえな――きゃんっ!」
 真央の言葉を最後まで聞かずして、真狐がその額にデコピンをかます。
「月彦、あんたは?」
「……しいていうなら、由梨ちゃんが入院した。まあ、お前は知らないだろうけどな」
「そんなのはどうでもいいわ」
 なにっ、と月彦は声を上げるが、真狐はすぐに額を抑えて涙目の真央に向き直る。
「真央、本当に心当たりはないの? 変な奴につけられたとか、襲われそうになったとか」
「ない……よね?」
 真央は月彦に同意を求める。月彦も心当たりが無かったので、うんと頷く。
「そう……杞憂ならいいんだけど。昔っから尻尾がぴりぴりする時って、ロクな事がないのよね」
「前は何があったんだ?」
「捕まったわ」
 例の、牢に囚われた時のことだと、すぐに解った。
「なんだ、吉兆じゃないか」
 月彦は手を叩いて喜んだが、そんな憎まれ口にも真狐は珍しく乗ってこない。
「いい、あんた達。私はちょっと遠くに行かなきゃいけないから、あんた達の面倒は見れない。何をするにも可能な限り用心して、特に日が落ちてからの外出は極力控える事。いいわね?」
 言って、真狐はなにやらごそごそと着物の袖を探る。取り出したのは、小さな小指ほどの骨だった。
「それでももし、どうしても危ないって事になったら、これを折りなさい。時間くらいは稼げる筈だから」
 真狐は骨を真央に渡す。月彦も、しげしげと真央の手の中にある骨を見る。見た目には手羽先の骨にそっくりだった。
「なんの骨だ?」
「以津真天の骨よ」
「イツマデ……?」
 真狐は答えず、くるんと身を翻すと再びキツネの形になる。
「いいわね、くれぐれも用心するのよ。事が終わった後で悔いてもしょうがないんだから特に月彦、男親としてちゃんと真央を守るのよ」
 言い残して、真狐はぴゅんと窓から飛び出していってしまう。月彦も真央も、見送りすら忘れてしばしぽかんと開け放たれたままの窓を見る。
「あいつがあんなに真面目な顔をするのは珍しいな……」
 月彦は骨を手に取り、軽く匂いを嗅いでみる。微かながら独特の臭みがあり、どう見てもただの鳥の骨のように見える。
「手の込んだ嫌がらせ……じゃあないよなぁ……」
 さも凶事があるという風に思わせ、ただの鳥の骨を後生大事に持たせ、からかう。――あの女ならやりかねないが、それにしては妙に迫力があったように思う。
「なあ、真央はどうお、も……う?」
 真央の意見を聞こうとして、はたと固まる。じぃ……と訴えるような目と、拗ねたような口元は明らかに母親のコトを気にする月彦への嫉妬の表れだ。真央はするりと、その白い手を月彦の身体に伸ばしてくる。
「とうさま、つづき」
 艶めかしい発音で言い、今度は真央が月彦を押し倒すようにしてベッドに横になる。月彦が握っていた骨は、かたりと音を立ててベッドの裏側へと落ちた。



 翌日。最愛の父親と一晩しっぽりと濡れて、真央はことさら上機嫌だった。登校の準備を済ませ、心なしか元気が無い様に見える父親より先に玄関の外に出る。出るなり、声をかけられた。
「おはよう、真央」
「あ、お……おはよう」
 慌てて返事を返す。玄関の外、門の前に制服を着た女子が息を弾ませて立っていた。先日“友達”になったばかりの佐々木円香だ。
「真央、行こう?」
 円香はずいと真央に近づくと、その腕を引いて颯爽と歩き出してしまう。
「ま、待って……まだ――」
 父さまが、と言いかけて慌てて先輩と言い直そうとする真央に、円香が言葉をかぶせてくる。
「いいじゃない。私が側にいるんだから」
「でも」
「私が、真央を守ってあげる」
 にっこりと円香は微笑む。真央はこの先輩がちょっと苦手だった。
(由梨ちゃんの親友らしいけど……)
 人間で一番の友達である由梨子の親友となれば、無碍に扱うこともできない。そんな真央につけ込むように、円香は日に日に気安い態度をとってくる。度を超しているとさえ思える保護だが、善意から出ていると思うとやはり断れない。
 朝の迎えから、夕方の送りまで殆ど付きっきりなのだ。昼食時まで教室にやってきて、一緒に食べようと体育館裏まで真央を連れ出す始末。どうして由梨子との秘密の場所をしっているのかと聞けば、由梨子から聞いたのだと円香は言う。
 時折行きすぎた感、やりすぎた感はあるものの、基本的に円香は良い人間だと思う。思うが……僅かに気にかかることもある。終始笑顔を絶やさず、にこにこと応対してくれる円香だが、不意に酷く暗い目をする時があるのだ。それは決まって、真央が由梨子の事を問われ、その事に関して返事をした時だった。
(……もしかして、由梨ちゃんとあまり巧くいってないのかな……?)
 そういえば以前、円香が由梨子に正座させられているのを見ている。月彦に相談したら特に問題はない、と言っていた。月彦がそう言うのなら、真央はそう思うしかなかった。
(……この事も、“変わったこと”になるのかな)
 不意に、昨夜の母親の問いを思い出す。あの時は父親との行為の事で頭がいっぱいだったが、よくよく考えてみれば円香が急に声を掛けてきたのも変事といえば変事だった。
「どうしたの?」
 問われて、なんでもない、と真央は返す。ちらり、と後方を見るが、父親の姿はまだ見えなかった。




 殆ど寝て過ごした、と言っていい。身体はなんとも気怠く、疲労の局地であり、最後の意識を振り絞って学校へとたどり着き、気がついた時は放課後、日も傾こうという時刻に一人教室で伏せっていた。
「んぁ……」
 月彦は身を起こし、涎を制服の袖で拭う。今日一日をどのように過ごしたのか全く記憶に無かった。ひょっとしたら教室にたどり着くなり机に伏し、一日中寝ていたのかもしれないが、その割には鞄の中の弁当箱の中身は空だったりする。
 月彦は伸びをして帰り支度を始める。何処かうきうきと心が弾んでくるのは、家に帰れるからとか、帰って愛娘とイチャつけるからという理由では決してない。
(なんたって、真央の許しが出たもんな)
 月彦が向かう先は、無論由梨子の病室だった。さすがに毎日というわけにはいかないが、都合がつく限り月彦は由梨子の病室に通っていた。
 霧亜と一戦交えた(?)ことは由梨子には言っていない。あれほどまでに霧亜と事を構えるな、と言われた後でいきなり喧嘩をしたとでも言おうものなら呆れられてしまうだけだろう。しかも、ろくに言及も出来ずに地に伏したとなれば、恥以外の何者でもない。
 あの場に及んでも、本気になりきれない。由梨子の件もあって霧亜に対して腹立たしく思う事が少なくはないが、それでもやはり――霧亜には強く出られない。出る資格はないと、そう思ってしまう。
 そのことを考えれば考えるほど、無力な自分に打ちのめされる。由梨子の元へ通うのは、そんな自分でも何かの力になれれば、と思ったというのもある。
 しかし本当の所は、純粋に由梨子に会いたいから見舞いに行くのだ。由梨子も、月彦が来たからといって嫌な顔はしない。それどころか――これは月彦のひいき目かもしれないが――喜んでくれているような気さえするのだ。
 月彦は教室を出ると、まずは図書室へと向かった。メモを片手にいくつか本を借りてから、病院へと向かう。時折すれ違う看護婦達が月彦の方を見て眉を寄せひそひそと内緒話をするのがやや気になるが、月彦は無視して由梨子の病室へと向かう。
 コンコン、とノックをするとどうぞ、という返事。失礼します、と断って、月彦は病室に入る。
「あっ……」
 と、つい声を漏らしてしまったのは、先客がいたからだ。由梨子の弟の武士が、月彦を見るなりぴくり、と片方の眉を上げる。
「じゃあ、俺は帰るから」
 と、武士は一言残して退室する。その去り方が、自分が入院していた時の由梨子の去り方とそっくりで、月彦は微かに微笑んでしまう。
 ばたん、とドアが閉まり、しばしの沈黙。先に耐えられなくなったのは月彦の方だ。
「ええと、ひょっとして邪魔だったかな」
「いえ、弟に嫌味を言われていた所ですから、丁度良かったです」
 そっか、と武士が座っていた椅子にそのまま座り、早速鞄から先ほど借りたばかりの本を取り出して由梨子に渡す。
「頼まれてた本、持ってきたよ」
「いつもありがとうございます」
 由梨子は本を受け取り、微笑む。その笑顔がなんとも癒される。まるで慈母のようだ。
 見舞いも初期の頃は毎回見舞いの品を持って行っていたのだが、やがてそれは由梨子に堅く禁じられるようになってしまったのだ。とはいえ手ぶらでは――と食い下がる月彦に由梨子が提案したのが、本を借りてくる事だった。これならば金はかからないし、月彦の方も“由梨子の為になっている”という実感が得られるからなかなか良い案だったと言える。
「ちなみに嫌味って?」
「それは……先輩は聞かない方がいいと思いますけど」
「気になるな、その言い方」
 ふふ、と由梨子は微笑む。
「先輩があまりに頻繁に来るから、どういう関係なんだって。彼氏なのか、ってしつこく聞いてくるんですよ」
「なるほど」
 それは由梨子にとっては嫌味だろう。
「ごめん、やっぱり迷惑なのかな」
「そんなことはない、って……何度言わせる気ですか?」
 また、由梨子は笑う。
「そういえば、今日も真央さんは一緒ではないんですか?」
「ああ、まだ来てないのか。最近真央と帰りが重ならなくてなぁ……」
「真央さんが来たと思ったら先輩が来てなくて、先輩が来たと思ったら真央さんが来てない……ひょっとして、喧嘩か何かしてるんですか?」
「いや、たんに都合が合わないだけだよ。心配なら、次来る時は必ず真央と一緒に来る。約束するよ」
 この大事なときに自分たちの事などで由梨子に気を揉ませてはならない。その心配は本当に杞憂なのだと、示してやらねばならない。
「俺たちの心配より、由梨ちゃんは自分の身体を治す事に専念しなきゃ。……どう、少しは食べられるようになった?」
「……それは………………」
 由梨子は口籠もる。やはりまだダメなのか――月彦は少なからず落胆する。こうして話し相手になってやることが出来ても、読みたい本を持ってきても、肝心なところでは毛ほども役に立っていないのだと、実感させられる。
「……まあ、焦ってもしょうがないさ。真央が授業のノート持ってきてるんだろ? 読めない字があったら遠慮無く言ってくれ、解読するから」
 月彦が冗談めかして言うと、由梨子がつられて笑みを零す。真央の字の下手さ加減はちょっと目を引くほどなのだ。
(明らかに真狐の血だ)
 と、月彦は思う。全く、似なくていい所ばかり似る母娘だと、ため息をつきたくなる。
「俺に出来ることがあったら何でも言ってくれな。由梨ちゃんが全快したら、お祝いに真央とのデートだって少しくらいなら許しちゃうぜ」
「あら、いいんですか? そんな事許しちゃって……私、真央さん寝取っちゃうかもしれませんよ?」
「そんなことにはならない、と俺は真央を信頼している。無論、由梨ちゃんもだ」
「私も、先輩の事は信頼してます。……だから、真央さんを裏切るような真似はしないでくださいね?」
「…………俺を誘惑しようとした誰かさんの言葉とは思えないな」
 言って、月彦も由梨子も吹き出す。互いに、これくらいの冗談を言い合えるくらいにはなっているのだ。
「本当に、先輩と一緒に居ると楽しいです。霧亜先輩は……なんて言えばいいのか、一緒にいてもずっと気を張りっぱなしで、気の休まる事が無いって感じでしたけど、先輩相手なら、私も本音で話が出来て気が楽です」
「……それは、喜んでいいのか? 侮られているだけのような気がするが」
「勿論、喜んでいいんですよ」
 そうなのかな、と月彦が呟くと、また由梨子が吹き出し、笑う。ああ、こんなだから由梨子にからかわれ、侮られ、笑われてしまうのだな、と思うも、それも悪くないと思う自分がいる。
 物笑いの種にされてもいい。こうして少しでも多くの笑いを零させる事が、由梨子の病を快方へ向かわせるのだと、月彦は思っていた。


 月彦が由梨子とイチャついていた頃、真央はといえば円香と共に自室に居た。
(どうしよう……)
 と思うのは、果たして円香を家に招いて良かったのだろうか、という後悔があるからだ。月彦に予め了解を得たわけではない。それというのも、帰り際に円香が急に真央の家に寄ってもいい?と言い出したのだ。
 無論、最初は遠回しに断った。しかし、円香は聞かなかった。強引に、真央の部屋を見たい、と言い張った。そのままずるずると家の前まで来て、なし崩し的に入られてしまった。
 やむなく自室――というより、月彦の部屋に案内する。さすがに円香は呆気にとられたようだった。到底女子の部屋とは思えない内装に、だ。そのことに関しては、イトコ同士で部屋を共有しているのだと、さすがに寝室は別なのだという風に説明した。
「ふぅん……勉強するときとかはどうしてるの?」
 円香は部屋に一つしかない勉強机を見ながら、そんな事を聞いてくる。
「ええと……変わりばんこに……」
 としか、真央は答えられない。ふぅん、と呟いて、円香はベッドに腰を下ろす。
「真央も座りなよ」
「う、うん……」
 円香とやや距離を置いて、真央もベッドに座る。まるで部屋の主が逆のような円香の物言い。年上ということもあって――それを言うなら、由梨子も年上となってしまうのだが――真央は言いなりにならざるを得ない。
「珍しいわね、高校生にもなって自分の部屋がないなんて」
「私……居候だから」
「本当の親御さんとどうして一緒に住まないの?」
「それ、は……母さまが、たくさん借金しちゃって……それで……」
 そういう事を聞かれたら、そのように答えるように、と月彦に言われているのだ。
「ふーん。……お母さんも、やっぱり綺麗?」
「……ふつう、かな」
「胸も大きいんじゃないの? 真央がこれだけ大きいんだから」
 ずい、と円香が身を寄せてくる。その手が真央の胸元へと伸びてきて、真央は咄嗟に庇うように胸を手で押さえる。
「いいじゃない、女同士なんだから。触らせてよ」
「で、でも……」
「いいから、手どけて」
 強引に手をどかされ、制服ごしに胸を掴まれる。円香は真央の胸の下の所に手を当て、その質量を弄ぶようにたぷたぷと上下に揺する。
「すっごぉい……90くらいあるんじゃない?」
 真央は顔を赤くして、弄ばれるままになっている。これが男であれば、有無を言わさずはね除ける所なのだが、“女同士だから”と言われると、あまり強くでれない。
(由梨ちゃんの、親友だし……)
 真央とて、由梨子との関係は良好のままでありたいと思っている。ならば、由梨子の親友である円香の機嫌は出来るだけ損ねたくなかった。
「ねえ、真央は……由梨とどこまでいったの?」
 いつの間にか、円香に背後から抱きすくめられるような形になっている。真央の耳に――無論、人の形をしている――唇を寄せるようにして、円香は問うてくる。
「ど、どこまでって……ぁん!」
 ぺろり、と耳を舐められる。
「しらばっくれないで。したんでしょう?」
 円香の口調の裏に、悋気の影を見て真央は漸くその言わんとするところを理解する。
「そんなこと、言われても……由梨ちゃんとは、普通に……」
「嘘ばっかり。この身体で由梨を誘って、虜にしたんでしょう? ほら、言いなさいよ。どういうことをしたの? それともされたの?」
 さわさわと、円香の手が制服の上から真央の身体をなで回す。体中をヘビがはい回っているような感触に、真央はひっ、と声を漏らす。
「あの子、舌使いが巧いでしょう? 私が教えたのよ。キスの仕方も、Hも、何もかも。それなのに……!」
「あ、あのっ……私、本当に……ひっ……」
 円香の手が、スカートの中へと入る。そのまま、太股のあたりを執拗になで回してくる。
「どうして嘘つくの? それとも、由梨に内緒だって言われたの?」
 円香は微かに吐息を乱しながら、スカートの中から手を抜く。そのまま腰から上へとはい上がり、今度は真央の胸元をまさぐる。制服越しに、器用にホックを外し、たゆんっ、と支えを失った巨乳が俄に揺れる。
「や、やめて下さい……私……こういうの……」
 しかし、円香は聞かない。最低限のボタンだけを外し、するりと制服の中に手を忍ばせてくる。指先が、直に真央の乳房に触れる。
「真央……すごく良い匂いがする……」
 円香は真央のうなじのあたりに鼻を近づけ、すんすんとならしながら両手で真央の巨乳を掴み、揉む。
「や、やめて……下さい……」
 真央は顔を真っ赤にして、円香の手を掴むも、制止しきれない。気持ちいいわけではない。むしろ不快でしょうがなかった。
「柔らかくて、張りがあって…………肌もすべすべで……羨ましいわ、真央…………」
「っっ…………」
 真央は身を強ばらせ、凶行が終わるのをただじっと耐える。それ以外に術がなかった。
「ねえ、教えてよ。いつも由梨はどんな風にしてくれるの? 真央はどんな事をしてあげるの? どういう事をしてあげれば……由梨は喜ぶの?」
 巨乳を揉む手が、徐々に大胆になる。比例するように、円香の吐息も、はあはあと大きくなる。
 真央は答えなかった。違う、と答えても聞いてもらえないと解っていたからだ。ただただ黙って、されるがままになっている。
「狡いわよ、真央。貴方ばっかり由梨を独占して。貴方が現れてから……私は――」
 円香の右手だけが、制服の中から抜かれる。あぁ、やっとやめてくれた――と思ったのは早計だった。円香の手は真央の太股をいやらしい手つきでなで回し、再びスカートの下に潜り込んだ。そのまま、ショーツの中へと――
「やっ……!」
 さすがに真央が大声を上げようとした時だった。階下からドアが開く音がし、ただいま――と、待ちわびた声が聞こえた。
 ちっ、と円香が露骨に舌打ちの音を立て、真央から離れる。真央は急いで衣類を正す。程なく、足音が階段を上がってきてがちゃりと部屋のドアが開かれる。
「なんだ真央、客か――っておわっ」
「真央、またね」
 円香は月彦を押しのけ、階下へと降りていく。真央はそれを見送って、ふうと安堵の息をついた。
「なんだ真央。ひょっとして邪魔だったか?」
 ぽりぽりと頭を掻く月彦に、真央は無言でしがみつく。そんなことはない、とでも言うように、すりすりと鼻面を擦りつける。
「……何だったんだ?」
 月彦はただただ、首を捻るばかりだった。



 円香は、紺崎邸を後にする。その顔は驚くほど無表情。しかしその眼光だけは、酷く暗いものを含んでいる。
(……許せない)
 歩調は早くもなく、遅くもなく。よどみなく、しかしどこに向かうというわけでもなく。
(清純ぶって、人を馬鹿にして。……泥棒猫のくせに!)
 ぎり、と歯を鳴らし、心の内で毒づく。
 誑かしたに決まっているのだ。あの美貌を武器にして、由梨子を虜にしているのだ。
 確かに真央は、女の円香から見てもかなりの容姿の持ち主だ。あの霧亜が寵愛するのもうなずける。そこに関しては、円香には特に文句はない。
 しかし、由梨子を取られるのだけは我慢ができない。由梨子は自分のモノだ、誰にも渡したくはない。これはもう、理屈ではなかった。
 自分はもう、由梨子なしでは生きられない。円香はそのように思う。寝ても覚めても考えるのは由梨子のことばかり。二人で過ごした、あの甘美な一時が忘れられない。
 由梨子の声が聞きたくてたまらない。肌を触れ合わせたくてたまらない。顔を見たくて、一緒に居たくて、たまらない。
 由梨子の側に居られるなら、どんな事でも我慢出来る。トイレの床に這い蹲らされ、踏まれようとも我慢できる。それで由梨子が喜んでくれるなら、自分を側に置いてくれるのなら。何をされても構わない。
(そこまで、譲歩してるのに)
 由梨子はいやだという。円香の顔を見るのもいやだと。声を聞くのもいやだと。何故、そこまで嫌われてしまったのか。円香はたった一つの理由しかないと思いこんでいた。
(紺崎、真央のせいだ)
 霧亜から世話を仰せつかり、そのうち情が移った。或いは、真央が誘惑したのかもしれない。あの身体で、さらに霧亜仕込みの手技で迫れば大抵の女子ならば容易く落ちるだろう。そうして、由梨子も骨抜きにされてしまったに決まっているのだ。
(あどけない顔をして、猫を被って、淫売のくせに)
 素直に白状するようなら、少しは容赦してやろうとも思った。しかし、いくら問いただしても真央はしらばっくれるだけ。それで円香の腹は決まった。
 あの淫売女から由梨子を取り戻す。その為には、手段を選ばない。それだけの決意を、円香は固めていた。
(可哀相な由梨……あんなに窶れて……)
 真央と関わったばかりに、入院するほどに消耗してしまった由梨子が哀れでならない。霧亜と決裂させるだけでは手ぬるかったのだ。もっと積極的に動いて、真央からも引き離すべきだった、
(紺崎、真央……許さない)
 準備は着々と進めている。淫売は淫売らしく、男の相手でもしていればいい。真央が庇うに値しない女だと解れば、由梨子も必ず正気に戻り、自分の所に帰ってくる筈だ。
「……絶対に許さないわ」
 呟き、円香はポケットから携帯電話を取り出す。アドレス帳にただ“男”という名前だけで登録された番号に電話をかける。
「もしもし、私。今から会える?」


 自室に、女の子がいる。それは淺野にとってとても奇妙な光景だった。彼は今まで異性とは縁のない生活を送ってきたし、それが当たり前だと思っていた。だから、同年代の――正確には二つ年上だが――制服姿の女子が自室に居るという光景が、とても真新しく見えた。
「汚い部屋ね」
「ご、ごめん……一応、片づけたんだけど……」
 自分の目で見ても、部屋は雑然としていた。それでも急な電話からの来訪の割には、マシな状態じゃないか、と淺野は思う。
「なんか変な匂いがするし……悪いけど換気してくれる?」
 淺野は言われるままに暖房を止め、窓を開ける。ひゅうっ、と凍えるような寒気が忽ち部屋を満たす。
 急な来訪者――佐々木円香は露骨に眉を寄せ、しぶしぶベッドに腰掛ける。淺野の部屋には来客用の椅子だとか、座布団だとかいうものは皆無だったのだ。淺野自身はPCラック用の椅子に腰掛け、円香の方を向く。
「それで、考えてくれた?」
「考えるもなにも……本気で言ってるの?」
 円香から初めて電話をもらったのは五日前。彼女は淺野が電話に出るなりこう言ったのだ。紺崎真央とヤりたくないか――と。
 以来、何度か会って話をしているが、円香の言う事は淺野にしてはあまりに突飛なことばかりだった。
『人数を集めて、真央を襲え』
 円香の要求は一言で言えばそういう事だった。何故淺野が目をつけられたのか、それはどうやら例のコラージュ写真の販売が絡んでいるらしかった。
「あんな写真作ってるくらいだもの。ヤりたくてヤりたくてたまんないんじゃないの」
「そ、それは……」
 事はそう簡単ではない。想像の中で犯すのと、実際に犯すのとではまるで違う。人にやれ、と言われたくらいでやれるようなものではないと、淺野は思う。
「お膳立てはしてあげるって言ってるでしょ。貴方は適当に人数を集めて、あの娘をヤッちゃえばいいの。後はこっちに任せて」
「でも、もしバレたら……」
「バレないわよ。貴方たちがヘマしない限りはね」
 円香の計画はこうだ。まず、円香が真央を人気のない場所へとおびき出す。そこを、淺野とその仲間で襲う。仲間の人選は淺野に一任され、円香からの要求は“最低でも五人以上”という点のみだった。
(俺をハメようとしているんじゃないのか……)
 というのが、淺野の正直な感想だった。見ず知らずの女子からいきなりこんな話を持ちかけられたのだ、警戒するに決まっている。
「私、あの娘に恨みがあるの」
 淺野の不信を感じ取ったかのように、円香が言う。
「恋人を寝取られたの」
「寝取られた……って、紺崎に?」
 そう、と円香は苦渋に満ちた顔で頷く。
「あの娘、清純そうな顔をしてるけどとんだ淫売よ。あどけない顔をして、言い寄ってきた男を片っ端から喰ってるの。勿論、気に入った男には自分からも手を出しているわ」
「まさか」
 紺崎真央には既に彼氏が居て、その手の誘いには絶対に載らないと、淺野は聞いていた。
「それがあの娘の手なのよ。誰にでも身体を開く女だって噂が広まったら、敬遠する男も出てくるでしょ? だから敢えて何も知らないフリ、処女みたいなフリをしてるの」
「じゃあ――」
「ええ、もちろん処女じゃない筈よ。だから、そんなに気を張る必要はないわ。貴方は人数を集めて、あの娘にちょっと恐い思いをさせてやればいいの。私はそれを見て溜飲を下げる。ちゃんと手を打っておくから間違っても警察沙汰になんかならないわ」
「……っ……」
 紺崎真央が、男と寝まくっている。それは少なからずショックだった。たわわな美貌と、あどけない……天使のような無邪気さが最大の魅力だと思っていたのに。その内実は、男を喰らう淫魔だったなんて。
「どうしたの。これだけ言ってもまだ怖じ気づくの?」
「そういう、わけじゃ……」
 淺野はちらり、と円香の方を見る。円香の言い分は解った、真央を憎む理由も、自分の所に話を持ってきた理由もある程度は納得がいった。
 しかし、最後の所で踏ん切りがつかない。円香が切ったカードは全て己の言葉のみであり、具体的な証拠は何もない。円香が真央を恨んでいるという証拠も、真央がふしだらな女である証拠も、どちらもだ。
「その……先輩、が、言ってることが、本当っていう証拠はあるの?」
「証拠?」
 妙な事を言う、とばかりに円香はふんと鼻を鳴らす。
「私が紺崎真央を恨んでるって証拠を見せろって事?」
 こくり、と淺野は頷く。こちらとて危険を冒すのだ、円香にも相応のものを見せてもらわねば割に合わない。
 円香は少し考えるような仕草をして、そして俄に表情に不快を表した。それが何を意味するのかは、淺野にもすぐに解った。
「そうね。貴方の言い分もある意味、もっともだわ。……証拠、見せてあげる」
 言って、円香は淺野を睨み付ける。
「貴方の名前、淺野……琢己、だっけ。はっきり言って嫌いだわ。優柔不断なキモデブ、パソコンオタクまんまの外見。こんな寒い日なのにどうして汗なんてかいてるの? 髪を伸ばしているのはおしゃれのつもり? 服のセンスも最低だし、きっと今まで女の子にモテた事なんて一度もないんでしょうね」
 突然の毒舌が、淺野の胸を深くえぐる。
「お得意のパソコンでこそこそとコラージュ写真をつくって一人でオナるのが精一杯なんでしょ。ウジ虫、お前みたいなカス野郎こそ、あの娘にはお似合いだわ」
「……そこまで――」
 言わなくても、と渇いた舌で淺野が言いかけた時だった。不意に円香がくすりと笑みを漏らし、その手でスカートの端を掴んだ。
「どうせまだ童貞なんでしょ。ひょっとしたらキスもまだ? 案外手握ったことも無かったりして」
 言いながら、円香は俄に足を開き、自分の手でスカートの裾をゆっくりとまくり上げていく。えっ、と淺野は声を漏らし、徐々に露わになっていく円香の太股を凝視する。
「私はあの娘が憎くてたまらないの。どれくらい憎いかって? あの娘が酷い目に遭うのなら今ここであんたみたいな脂ぎったデブに抱かれてもいいくらいよ」
「えっ……」
 淺野は耳を疑った。今、円香は一体何と言ったか。
「真央をメチャメチャに犯してくれるなら、お礼にヤらせてあげてもいいって言ってんのよ。頭悪いわねえ」
「で、でも……」
 淺野は狼狽え、そしてごくり、と生唾を飲み込む。そしてゆっくりと、円香の言葉を咀嚼する。
 真央を犯すのなら、報酬として抱いてもいい――確かにそう言った。そのことを強調するかのように、円香はベッドに座ったまま自らスカートを持ち上げ、淡いピンクの下着を淺野に見せつけてくる。
「い、いいの……?」
 興奮は最高潮に達し、呼吸が荒くなる。全身から汗が噴き出し、部屋着のトレーナーが肌に張り付く。
「いいって言ってるでしょ。そのかわり……解ってるわよね?」
「……っ……」
 怯む。これ以上進めば、引き返せなくなる。最後の分岐点だ。
 淺野は考える。これから先の事を。円香が言う通り、自分は決して異性にとって好ましい外見ではない。彼女を持つ事など夢、さらに深い関係になる事など夢のまた夢だと思っていた。
 このまま高校を卒業し、大学に行き、就職して、いったいどれほどの女性と関係を持てるだろうか。ひょっとしたら一人か二人くらいは、物好きがいるかもしれない。しかし、それが美人であるという保証もない。
 ならば――と、思う。一か八か、人生で一人会えるか会えないかの美女を抱く方が良いのではないか。危険はあるが、しかしその価値は十分にある。さらに言えば、真央に比べれば見劣りしてしまうが、眼前に居る円香もなかなかの容姿だ。多少額が広いことが人によってはマイナスとなるだろうが、淺野としてはその要素はむしろプラスと言ってよい。
(この先輩と、ヤれるんだ……)
 先ほどキモデブ扱いされた事などすっかり忘れて、淺野は舐めるような視線で円香を見る。真央をやる――と、誓いさえすれば、好きにできるのだ。この身体を。
「……どうするの?」
 円香は上げていたスカートを元に戻し、脚を閉じて組む。露わになっていた下着が隠された瞬間、淺野は弾かれたように椅子から立ち上がっていた。
「やるっ、やるから……!」
「ちゃんと人も集める?」
「あ、集める!」
「私が止め、って言うまで、徹底的に犯すのよ。いい?」
「解った、解ったから……だから!」
 淺野はぱんぱんに張った股間を隠そうともせず、円香に詰め寄る。円香は淺野のそんな姿をつまらなそうに見て、蛍光灯の紐を引く。それをOKの合図とみて、淺野がかぶさる。
「はあっ、はあっ……!」
 ふがふがと豚のように鼻を鳴らしながら、両手で円香の身体をまさぐる。
(本物の女っ……女の、身体……!)
 両手で円香の尻を撫で、制服の上から胸を触る。顔をスカートの中に突っ込んで、下着に鼻を擦りつけるようにして匂いを嗅ぐ。
「…………これで貴方も同罪。裏切りは許さないわよ」
 愛撫と言うにはあまりに暴力的なものを受け入れながら、円香は人形のように呟いた。


 明かりの消された室内に、はあはあという吐息が木霊する。
 己の下半身をはい回る不快な触感を、円香は無感動に受け入れていた。
 投げやり、と言ってもいい。両の腕を左右に伸ばしたまま、呆然と天井の虚空を見つめる。制服のセーターは脱がされ、ブラウスはボタンを全て外され、ブラは乳房の上にずらす形で放置されている。
 ほんの少し前までは円香の胸をしゃぶっていた淺野は今度はスカートの下に潜り込み、下着を脱がしにかかっているようだった。円香は僅かに尻を持ち上げ、脱がし安いようにしてやる。
「へへ、へ……そ、その気になってきたのか」
 円香の行為を勘違いしたのか、淺野が下卑た笑みを浮かべる。違う、このままでは下着を一枚ダメにされそうだったからだ――と思ったが、口に出すのもおっくうだった。
 ショーツから片足が抜かれ、足が広げられる。下着によって隠されていた部分に生臭い息がかかる。
「……っ……」
 舌が這う感触に、円香は俄に眉を顰める。鳥肌が立つほどに不快だった。しかし、彼女は抵抗もせず、逃げもしない。
 不快なのは当然だ。そういう男を選んだのだから。誰の目から見ても醜悪な男であればあるほど円香にとっては好都合だったのだ。
 ただ、襲わせるだけでは物足りない。淺野のような男に襲わせてこそ、円香の溜飲も下がるというものだ。
「はあ、はあ……濡れて、きてるな……」
 股ぐらの当たりから声がする。そしてまた、ぴちゃぴちゃという音。淺野の言とは反対に、円香は微塵も快感などは感じていなかった。それでも濡れてきている、というのなら、単純に秘部をいじくりまわされることへの生理反応だろう。
「なぁ、そろそろいいか? いいだろ? せ、先輩も……欲しいんだろ?」
 ぎこちない。まるでAVかなにかからそのまま持ってきたような台詞だった。円香はただ無感動に好きにすれば、と答えた。ぐい、と足が広げられるのが解った。
「うぅっ……!」
 と、声を上げたのは淺野の方だった。下腹部に僅かな圧迫感を感じ、あぁ……挿れられたんだな、と円香は人ごとのように思う。
「すっげぇ……気持ちいいっ……! はあはあ…………っ……」
 淺野は快哉を上げながら遮二無二腰を使う。ぎしぎしと、ベッドが軋みを上げる。
「はあっ、はあっ……先輩も、いいんだろ? エロい声、出せよ」
 いいわけないだろ、馬鹿。――と、思わず言ってしまいそうになる。淺野はぎこちなく腰を動かしながら、身体を倒して円香の乳房を吸う。吸った後、今度はキスを迫ってきた。
「っ……!」
 ここに来て漸く円香は僅かに抵抗した。胸を触られ、舐められる事よりも、生殖器を挿入される事よりも、キスをされる事の方が抵抗があった。しかし、調子に乗った淺野は円香の抵抗をねじ伏せ、強引に唇を奪ってくる。
「んんんぅ……!」
 閉じた唇を無理矢理開かされ、舌を挿れられる。が、歯を食いしばってそこで止めた。
「口、開けろよ」
 苛立ったような声。
「開けろっつってんだろ!」
 円香は頑として開けなかった。いい気になるな――そういう目で、淺野を睨む。びくりと、微かに身を震わせて一瞬、怯えたような顔をする。
「ちっ」
 さもばつが悪そうに舌打ちをして、乱暴に腰を使い始める。ベッドの軋みも激しくなるが、円香の口からはおよそ嬌声の類は漏れない。
「……中で出さないでよ」
 淺野の限界が近いのだと悟って、円香は呟く。へへ、と淺野は下品に笑う。
「孕ませてやろうか」
「なっ――」
 円香の抗議を無視するように、淺野がさらに腰を使う。
「ううぅっ……出るっ……!」
 情けない声で呻いた瞬間、異物が下腹部から抜かれるのが解った。びゅるっ、と熱い液体が迸って、円香の腹と、胸を汚す。
「ビビっただろ、へへへっ……」
 淺野は引き抜いた逸物を円香の太股のあたりに擦りつける。円香は俄に身体を起こし、そこで初めて淺野の物を見た。
(ああ、どうりで――)
 と、思ってしまう。彼のそれは円香が知っているものと比べてあまりに矮小だった。入ってるんだか入ってないんだか、わからない筈だと納得する。
「最っ低…………」
 身体を起こし、見てみるとスカートには白い液体が染み付いていた。じろり、と淺野を睨むと、一瞬怯むもすぐににやけ顔に戻る。
「な、中には出さなかったんだから、いいだろ?」
「全然良くないわ。どうしてくれんのよ」
「洗えばいいだろ。……そんなに怒るなよ、な?」
 淺野は気安く近づき、トレーナーに下半身は裸という格好で円香に添い寝してくる。
「ちょっと、何してんのよ」
 事が終わった後だというのに、淺野はしつこく円香の胸を触ってくるのだ。
「いいだろ? 俺たちもう他人じゃないんだし」
 きっと、本人は甘い声で囁いているつもりなのだろう。しかしよほど出し慣れていないのか、中途半端に裏返った声は怖気がするほど気色が悪く、おまけに酷い口臭が円香の鼻を突く。
「なぁ……もう一回ヤッてもいい?」
「はぁ?」
 さすがに、口に出た。一体この男は何様のつもりなのか。
「一回だけじゃ収まんねぇよ……なぁ、頼むよ、俺たちもう恋人同士だろ?」
「……何、言ってんのよ」
 一体どういう思考回路をしているのか。一度寝たら、身体を重ねたらそれだけで恋人同士なのか。そんな話、少なくとも円香は聞いたことがなかった。
(……これだから、キモデブは)
 どうせ恋愛シミュレーションや、年齢制限付きゲームなどでしか“異性”を知らないのだろう。あの手のゲームはニーズの関係上、どうしても男にとって都合の良いような女ばかりが登場する。そんなものと自分を重ねられてはたまらない、と円香は思う。
(一回ヤッたら、女は無条件で男に惚れるとでも思ってるの)
 キモデブ淺野の態度を見ていると、そうとしか思えなかった。
「なぁ、ヤらせてくれよ、一回も二回も変わらないだろ?」
「……好きにすれば」
 ねちっこく胸を弄られ、臭い息をはきかけられ、円香は辟易しながら呟いた。円香の返事で、淺野はまた己の優位を確認したのかへへっ、と笑い声を上げる。体を起こし、ベッドに胡座をかく。円香もまた身体を起こすように促されて、同じように座る。
 ちらり、と円香は横目で枕元の目覚まし時計を見た。蛍光塗料の塗られた長針の場所から、円香が部屋の明かりを消してからまだ十五分も経っていなかった。
 淺野は己の逸物を誇示するかのように掴み、にへらっ、と笑みを浮かべる。
「なあ先輩、口でしてくれよ」
「……ふざけんじゃないわよ」
 身体を汚されることよりも、口を汚されることのほうが抵抗がある。だから円香は、ここにきてハッキリと拒否の意を示した。しかし――
「こ、紺崎を犯って欲しいんだろ? お、俺の機嫌損ねて、いいのかよ」
 ぎこちない口調だった。しかし、淺野は自らの優位を確信しているかのように笑みを浮かべる。
「だ、大丈夫だよ……先輩がちゃんとしてくれたら、俺も約束守るからさ」
 円香の視線から逃げるように目をそらし、淺野はぼそぼそとそんなことを呟く。本来、気の小さい男ではあるのだ。しかし、異性との距離感、駆け引きのほうは絶望的なまでに誤解をしている。円香をまるで、己の欲望を処理するための便利な道具のように見るその目に、彼女は覚えがあった。
(……あいつらと同じだわ)
 懐かしい――とは思わなかった。良い思い出でもなかったし、出来れば思い出したくない部類だった。円香の記憶の中に居る、二人の男。霧亜とも、由梨子とも出会う前に関係を持った二人。
 一人は、中学二年の時に付き合った一つ上の先輩だった。円香の方から告白して付き合い始め、一ヶ月目に円香は処女を捧げ、その一週間後にその先輩には本命の彼女が居ることを知った。
『なんか、すぐヤらせてくれそうだったから』
 本命の彼女が居ながら何故二股をかけたのか――そう問いつめる円香に男はぬけぬけとそう言い放った。さらに聞きもしないのに、本命の彼女とはキスもまだなのだと言われた。無論、すぐに別れた。
 次の男は、高校受験を控えた頃に親が雇った家庭教師の大学生だった。まだ件の男との関係の破局の失意から立ち直れておらず、そのことを相談してしまったのが運の尽きだった。
 家庭教師は親身になって円香の相談にのってくれた。そんな非道い男がいるのか、と憤慨さえしてくれた。世の中そんな男ばかりじゃない、お願いだから男というものに絶望をしないでくれと熱心に説いてくれた。次第に円香はその男に対して好意を抱き始め、そしてある日身体を重ねた。家庭教師が家にやってくるのは週に二回だったが、最後の方は勉強などそっちのけで男に抱かれ続けた。
 結果、当然の事ながら志望高校には落ち、滑り止めに受けた現在の高校に入ることになった。それでも最初は後悔などしていなかった。当時の円香にとって、その男と過ごす時間に勝る甘美な一時はなかったからだ。しかし、志望校の合格発表の前後辺りから、男との連絡がぱったりと途絶えた。――いやな予感がした。
 入学式が終わっても、男からの連絡は無かった。たまらず、両親に家庭教師を斡旋した会社を尋ね、男の住所を調べて足を運んだ。男の住まいは比較的建築年数の若い小綺麗なアパートの一室で、インターホンを押して出てきたのは男ではなく女性だった。女性の口から、男とはもう二年も同棲しているのだと、聞かされた。
(男なんて――)
 優しいのは、身体を重ねるその寸前まで。一度ヤッた後は急に馴れ馴れしくなり、女をまるで所有物か何かのように振る舞う。交尾のことしか頭にない、最低な生き物だ。
「……解ったわ、口で……すればいいのね」
 円香はベッドに手を突き、伏せるようにして淺野の股ぐらに顔を入れ、逸物を口に含む。
「おぉうっ……!」
 淺野が悲鳴にも似た声を上げて、円香の頭の上に手を置く。
「あーっ……いい……すっげぇ気持ちいい……」
 気持ちいい、気持ちいいと連呼しながら、淺野は円香の髪を撫でる。円香はただ、無感動に唇と舌で己が口に含んだ肉塊を刺激する。
 ロクでもない男であればあるほどいい。淺野が憎たらしい男であればあるほど、真央が犯される様はさぞ見応えがあることだろう。
 こんなに醜悪な、身勝手な男に好き勝手に犯されるのだ。それも唐突に、そして陵辱は一人では終わらない。真央は泣き叫ぶだろうか、助けを求めるだろうか。
 無論、円香は間近で見届ける。そして助けを求める真央を見下ろし、嗤ってやるのだ。自分から由梨子を奪った罪がどれほどのものか、身をもって思い知らせるのだ。
 そして、由梨子を取り戻す。由梨子とて、男共によってたかって汚された真央など最早保護の対象にすらならない筈だ。いっそ真央が首でも吊ってくれればいい。そうすれば失意の由梨子を自分がたっぷりと慰めてやれる。
 全ては由梨子の為。その布石と思えば、こんな男の逸物を咥える事など大したことではない。
(待っててね、由梨……。私が必ず助けてあげる)
 円香が内心独白した瞬間、気色の悪い呻き声と共に口腔内に苦い液体が満ちた。
「はあ、はあ……の、飲め、よ……」
 言われて、円香はごくりと喉を鳴らした。彼女の仕草は、どこまでも無感動だった。

 

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