母親の不吉な予言もなんのその、なんとも平和な日々が数日続いた。
「ここも陽が当たってぽかぽかしていいでしょ?」
 円香に連れられて、校舎と校舎の合間の中庭で昼食をとることになった。二人並んで渡り廊下の端に座り、真央は弁当包みを開いて円香は売店で買ったパンと豆乳のパックを出す。
「昔は、由梨とこうして二人で食べてたのよ」
 目を細め、遠くを見るようにして円香が呟く。どの言葉にどこか含んだものを感じて、真央は返事が出来なくなってしまう。
「真央のお弁当って、いつも凄い量ね。そんなに食べきれるの?」
「……う、うん。ちゃんと、食べられるけど……」
「いいなぁ、それだけ食べて太らないなんて。何か運動でもしてるの?」
「えっと……してるといえば、してる……かなぁ」
 詳細は言えない、とばかりに真央は口を噤む。円香も興味を失ったのか、ふぅん、と言ってパンの包みを開ける。円香が買ったのはカレーパン一個だった。
「佐々木先輩の方こそ、それで足りるんですか?」
「ん……最近ちょっと食欲なくて」
 どきり、と胸が撥ねる。軽い既視感が、真央を襲う。
「大丈夫よ。私は由梨みたいに神経細くないし、勉強でちょっとストレス溜まってるだけだから」
「それなら、いいんですけど……」
「それももうすぐ解消されるし」
 意味深な円香の言葉。真央はつい「えっ」と返してしまうが、円香に答える気はないようだった。
 相変わらず、真央は円香が苦手だった。以前家に上がり込まれたときに身体を触られて、一掃強く感じるようになった。出来れば距離を取りたいと思うが、円香の方が執拗に付きまとってくるからそれもできない。
 それでも、あの時のように身体を触ってくることはないから、まだ耐えられる。きっと、真央がどれだけ嫌がっていたのかが円香にも通じたのだろう。少なくとも真央はそう信じていた。
「…………っ……」
 不意に、真央は身体を強ばらせた。人のそれよりも鋭敏な聴覚が、不吉な足音を捕らえたのだ。それは一年生の校舎がある方から、渡り廊下をまっすぐに真央と円香の方へと近づいてきていた。
「佐々木センパーイ、ここにいたんスか」
 知らない男子生徒が一人、声をかけてくる。どこか粘っこい、不快と感じるような口調だった。
「……誰?」
 円香は不愉快を隠そうともせず、男子生徒に返事をする。へへっ、と男子は笑い、円香に視線を落とす。まるで獲物を見るような目だ、と真央は思った。
「淺野の“仲間”っす」
 仲間、の所だけやや強調するように男子は言う。
「何か用?」
「まあ、用っちゃ用なんすけど。急ぎでもないんで、メシ終わるまで待ちますよ」
「いいから、言いなさいよ」
 円香が苛立ったように言うと、男子はにやつきながら「ここじゃちょっと」ともったいぶる。はあ、と円香が大きくため息をつき、立ち上がる。
「ごめんね、真央。ちょっと野暮用入っちゃった、先に食べてて」
「えっ、あのっ……」
 真央が止める間もなく、円香は男子と共に校舎の方へと消えていった。その後ろ姿に、真央はどうしようもなく悪い予感を感じた。
 
 



 

 男子は吉良耿介と名乗った。下卑た笑みを浮かべながら、円香を男子トイレの個室の中へと誘う。
「……何の用?」
 問いながらも、円香にはもう吉良の用件は予想がついていた。安易に予見できすぎて、またかとため息を尽きたくなる。
「先輩、依怙贔屓はよくないっスよ」
「だから、何?」
 トイレの個室は狭い。しかも、男子トイレの個室は女子のそれ以上に掃除が杜撰なのか、酷い異臭がした。
 吉良はへへへと照れ笑いのようなものを浮かべ、小声で呟いた。
「俺もヤらせて下さいよ、先輩」
「…………」
「淺野や他の奴にはヤらせて、俺だけダメなんて言わないですよねぇ?」
「あれは――」
「ヤらせてくんなきゃ、俺……全部タレこみますよ」
「……っ……」
 どいつもこいつも、と円香は胸の内で毒づく。淺野を籠絡し、“仲間”を集めさせたまでは良かったが、あのキモデブはどうやら余計なことまで口にしたようだった。
 即ち、“計画”に参加すれば、円香の身体を好きに出来ると。
「アイツら、自分たちだけ童貞じゃなくなったからって俺のこと馬鹿にするんスよ。だから先輩、責任とって下さいよ」
 淺野の後に三人、立て続けに円香の元にやってきた。口上は殆ど吉良と変わらない。計画を破綻させたくなかったら、言うことを聞け。面白いように誰も彼もがそう言い、円香は要求通りに身体を開いた。
(……そういうものかもしれない)
 なんて浅ましい男共なのか。しかし、そういう男達だからこそ、真央を犯す等という計画に参加するのかもしれない。まともな常識、倫理観を持つ者ならばそもそもこんな話には乗らないだろう。
 つまり、淺野の人選は正しいのだ。むしろ褒めてやりたい気さえする。よくもまぁ、こんな人間の屑のような連中ばかり集めたものだと。そしてそういう連中にこそ、円香は真央を犯させたくてたまらないのだ。
 吉良は淺野とは対照的に長身細身という体躯をしていた。顔の造作は悪くないが、残念なことにうんざりするほどホクロが多い。少なくとも円香の価値観では、美男子とは評しがたい面構えだった。
「……解ったわ」
 呟いて、円香は脱力するように個室の壁にもたれ掛かる。好きにすれば?――そういうジェスチャーだ。吉良はにやりと笑うと、便座の蓋を下ろしてどかりと座った。
「まずは口でしてくださいよ」
 足を開き、怒張した股間を強調する。円香は無言でタイルの上に膝をつき、ジッパーを下ろす。抵抗や、文句を言っても何も変わらないと身をもって知っていた。
「どうっスか、俺の。デカいっしょ?」
 円香がジッパーの隙間からペニスを取り出すや、吉良が誇らしげに嗤う。なるほど、確かに他の四人の粗末なものよりは長いかもしれない。が、長いだけだ。竿は細く、先端ばかりが大きく、まるで銛のようだと円香は思う。
(……どーでもいいわ)
 ペニスが大きかろうが、小さかろうがどうでもいい。どうせやることには変わりがないのだから。円香は無言のままつんとアンモニア臭のするペニスに口を付け、頬張る。
「おおうっ……!」
 他の四人と同様、吉良もまた情けない声を上げる。
「あーっ……すげぇいいっす……他の奴らにもこうしてやったんスか? 先輩も好き者っすね……」
 初めての女性の唇の感触に、吉良はご満悦のようだった。円香はただただ、機械的に奉仕を続ける。
 頬張り、裏筋を嘗め回し、一端口を離し、舌だけで舐める。経験から、どうすれば男がすぐにたまらなくなるのかは、大凡解っていた。
「へっ、へっ……先輩、聞きましたよ。紺崎に恨みがあるんですって?」
 暇なのだろうか。円香の髪を撫でながら、そんなことを問うてくる。答えられる筈など無いのに。
「それはただの口実で、本当はこうして、先輩が男を咥えこみたいだけじゃないんスか?」
 言葉責めとやらのつもりなのだろうか。他の四人にも似たような事を言う奴がいた。答える気すら起きなくて、円香はひたすら無視をする。
(そんな事言われて喜ぶ女なんて、実際に居るわけ無いじゃない――)
 少なくとも円香はそうではないし、そういう好淫症――俗に言う淫乱――の女など会ったことはない。そんなものは、男の想像の中にしか居ないのだ。
「へへ……図星っスか、先輩」
 沈黙を肯定とでも受け取ったのか、うわずった声で吉良が呟く。そろそろかな――と目星をつけて、円香は口戯を一掃激しいものにする。
「うっ、……ちょっ……先輩っ…………ヤバいですって……ううううっ!」
 咄嗟に、吉良が円香の頭を掴み、強引に引きはがす。刹那、円香の視界が白く染まった。
「はあはあ、出ちゃったじゃないスか……」
 びゅっ、びゅっ……と、断続的に円香の顔に白濁が降りかかる。避けることは出来なかった。吉良が、そうなるように顔を固定していたからだ。
「誰が……顔に出していいって――」
 片目に精液が入り、開けられない。残った片目で、円香は吉良を睨み付ける。
「なんだ、飲ませて欲しかったんですか、先輩」
 今までよりも一段、高圧的な口調だった。ああ、例の“馴れ馴れしくなる症候群”か――と、円香はうんざりした。
「先輩ももう、びしょびしょじゃないんですか?」
 にへら顔で、吉良は円香のスカートの中に手を伸ばす。が、当然ながら湿り気など皆無。吉良は露骨に不満そうな顔をする。
「先輩、全然濡れてないじゃないスか」
「……当たり前でしょ」
 トイレットペーパーを手に取り、顔を拭おうとする。――その手が、吉良に掴まれ、止められる。
「先輩、オナニーしてみて下さいよ」
「はぁ?」
「先輩がオナニーするところ、見たいんス」
 吉良は強引に円香と位置を入れ替え、円香を便座の上に座らせる。
(本当に、男共って――)
 どうせ逆らえば、脅しにかかってくるに決まっているのだ。真央を襲わせるまでは、円香には拒む手段が無い。
(こんな横暴が、永遠に続くと思わないことね――)
 真央さえ襲わせてしまえば、今度は円香が脅迫者の側に立てる。それまでの辛抱だ。
 円香は大きくため息をつき、自ら手をスカートの中へと這わせる。自慰をしろ、とは言うが、どうせ女子の自慰など見たことはないだろう。適当にそれっぽい事をしていれば、納得するはずだ。
 下着の中に手を忍ばせ、触ってみると見事なまでに渇いていた。こんな場所で、しかも下種に見られた中でいくら触っても、濡れてくる気がしなかった。
(由梨――……)
 円香は静かに目をつむり、由梨子のことを思う。由梨子とのキスを、愛撫を、同衾の夜を思い出して、そっと自らを慰める。そうでもしなければ、自慰のフリすら出来なかった。
「んっ……はっ……」
 僅かに、身体に火が点る。指の先に湿気が絡みつき、やがてそれが確かな水分となる。
(由梨……由梨……)
 やがて円香は吉良に見られているのも忘れて、自慰に没頭する。制服の上から胸元をまさぐり、腰をくねらせて喘ぐ。くちゅ、くちゅと確かな水音が、下着の奥から聞こえ始める。
「……やめろ」
 という声が聞こえて、円香ははっと我に返る。片目を開けると、血走った目をした吉良が迫っていた。
「見てくださいよ、先輩。さっき出したばっかりなのに、先輩がすっげぇエロいから、また勃っちゃったじゃないッスか」
「そんなの――」
 知らないわ、と言う前に、吉良に唇を塞がれていた。吉良はそのまま密着してきて、下着の上からぐいぐいと怒張を押しつけてくる。
(ちょっ――)
 戸惑う円香を力でねじ伏せ、下着を脇にずらす形で怒張が挿入される。
「ああぁっ!」
 たまらず、声を上げてしまったのは円香だった。由梨の事を想って自慰をしていたのが、仇になった。たとえ刺激を加える相手が下種な男であろうとも、快感を感じるような状態になってしまっていたのだ。
「ふう、ふう……これで、俺も……もう、童貞じゃ、ねえ……」
 ぐっ、ぐっ……と円香を便座に押しつけるようにして、吉良は怒張を押し込んでくる。その感触に、思わず声を上げてしまいそうになるのを、円香は歯を食いしばって堪えた。
(誰が――)
 快感など感じるものか。事実、由梨子の事を考えるのをやめてから、身体の火照りは急速に収まりつつあった。――しかし、完全に収まるには、まだ少し時がかかる。
「先輩、どうっスか、俺の……気持ちいいっしょ?」
 円香は答えない。
「黙っても解りますよ。さっき、すっげぇいい声で鳴きましたもんね。もっと気持ちよくしてあげますからどんどん声出してくださいよ」
 言って、吉良は腰を使い始める。円香はただただ歯を食いしばって、耐える。吉良の怒張は先端ばかりが大きく、カリが異様なまでに尖っていて、腰を引く際にうっかり声が出てしまいそうになるのだ。
(こんな、男に――)
 声を抑えねばならない、という事自体が屈辱だった。同時に、由梨子に申し訳ない、と思う。
「はあ、はあっ……先輩、我慢しなくていいんスよ? このトイレ、殆ど誰も使ってないんスから」
 吉良は腰を使いながら、円香の耳を舐めてくる。両手は円香の尻に添えられ、さわさわと蠢く。。
「へ、へ……声、必死に我慢してる顔もエロいっすよ、先輩」
「……っっ……!」
 反論は出来ない。口を開くと、甘い喘ぎが出てしまいそうで。そうしたら、この男はますます増長するだろう。円香はただ、歯を食いしばって耐える。
「あぁ……先輩の中マジ気持ちいい! ……俺、もう……出ちゃいそうッス」
 吉良からの圧力が、ますます強くなる。便座の背に押しつけられ、殆ど身動きのとれないまま円香は一方的に攻められる。はあはあという吐息が、徐々に切ないものに変わっていく。
(やっ……だ、め……い、イく……!)
 こんな男にイかされてたまるか――円香は吉良の背に爪を立て、堪える。下腹部に力を込め、背筋をゾクリと走る快感を我慢しようとした、その時だった。
「ううぅ、出るっ……!」
 どくりっ、と、熱いものが円香の中で溢れた。
「えっ……ちょっ……何してるのよ!!!」
 叫び、円香は咄嗟に吉良を押しのけようとした。しかし吉良は凄まじい力で円香の身体を抱きしめ、離さない。
「あーっ……あーっ……すげえっ……マジ気持ちいい……たまん、ねぇ……はあはあっ…………」
 膣内で怒張が跳ね、びゅくり、びゅくりと汚液が吐き出される。ぞっとするようなその感触に、円香は忽ち蒼白になる。
「な、中……で…………」
 声が震えていた。吉良は己の行為にはまったく頓着をせず、ふうぅと息をつくとぬろりと怒張を抜いた。
「先輩が悪いんスよ。あんな事されたら、抜くに抜けないじゃないッスか」
「なっ……」
 確かに、背中に爪を立てた。しかしそんなもの、男の力ならどうとでもふりほどける筈だ。
「先輩、綺麗にしてくださいよ」
 白い粘液のまとわりついた半萎えのペニスを、眼前に突きつけられる。円香は無視して、キッと吉良を睨み付ける。
「ほらっ」
 しかし、髪を掴まれ、無理矢理口に含まされる。あんまりな扱いに、噛みちぎってやろうかと思った時だった、吉良が自ら腰を引いた。
「先輩、今噛もうとしたでしょ」
 円香は答えない。へへっ、と吉良は笑みを浮かべる。
「そんなに怒らないで下さいよ。大丈夫ですって、妊娠なんて滅多にしないもんスから。世の中には毎日頑張っても子供が出来ない夫婦だって居るんですよ?」
 吉良は一体円香のどんな言葉を期待していたのか。個室に漂う沈黙に耐えかねたように、吉良は扉を開く。
「じゃ、じゃあ先輩……日取りが決まったら教えて下さいよ。俺ら、ちゃんとやることはやりますから」
 吉良は逃げるように個室を後にする。その足音が遠ざかってから、円香は怠惰な手つきで再びトイレットペーパーを手に巻き取る。まずは顔に張り付いた精液を拭う。どうやら髪にまでかけられたらしく、白い汚液の全てをとるのはとても大変な作業だった。
 一通り拭い終えて、視線を落とす。下腹部に残る、異物感。およそ感情のこもっていない手つきで、そっと指を差し込み、どろりとした白濁を掻き出す。何度も、何度も繰り返す。指に白いものが絡まなくなるまで繰り返して、最後に指と秘裂をトイレットペーパーで拭く。そこに、不意に滴が落ちる。それは円香自身の目から溢れたものだった。
「…………私、何やってんだろ」
 呟き、また涙が一滴、こぼれる。昼休みの終了を告げるチャイムだけが、まるで呟きに答えるように無慈悲に鳴り響いた。
 


「まーお、一緒に帰ろっ」
 放課後、真央は教室を出るなり円香に声を掛けられた。
「先輩、あの、さっきは――」
「ああ、いーのいーの。何でもないから、気にしないで」
 さあ帰ろう、と真央の手をとり、円香は歩き出す。そのまま昇降口の辺りまで引っ張られて、真央はついと円香の手を振り払った。
「真央?」
「ごめんなさい、先輩……今日は、一緒に帰れないんです」
「どうして?」
「えと、その……月彦先輩と、一緒に由梨ちゃんのお見舞いに行く約束があって……」
 一瞬、ほんの一瞬円香が暗い目をする。真央がそれを気にとめるよりも早く、円香はにぱっ、と笑みを零した。
「そかっ、じゃあしょうがないね」
「あ、あっ……そのっ、良かったら、先輩も一緒にお見舞いに――」
 円香は首を横に振る。
「考えてみたら、私も今日は用事があるんだったわ。じゃあね、真央。また明日迎えに行くから」
 円香は手を振って、三年の昇降口のほうへと駆けていく。真央はホッと安堵の息をついて、月彦との待ち合わせ場所へと向かった。

 月彦と合流して、二人で由梨子の病室へと向かう。道中、待ち合わせの場所に遅れたのは、由梨子に頼まれた本を図書室で探していたからだ、と月彦は弁明した。
「どうして由梨ちゃんは父さまにそんなことを頼むの?」
 と、つい口に出してしまう。悋気は抑えなければならない、とは思うが、時折堪えきれなくなってしまうのだ。
「そりゃあ、真央には授業のノートとか頼んでるし、これ以上は頼みづらいんじゃないのかな」
「友達なんだから、遠慮なんてしなくていいのに」
「友達だから、頼り過ぎちゃいけないって思うんじゃないのかな」
 それはおかしい、と真央は思った時、月彦が足を止めた。いつの間にか由梨子の病室の前まで来てしまっていたのだ。
 ノックをして、由梨子の病室に入る。
「二人揃ってなんて、珍しいですね」
 由梨子の第一声はそれだった。由梨子の視線が真央のほうではなく、月彦の方に向いているのが、真央には些か気になってしまう。
「ちゃんと二人で来るって約束しただろ?」
 月彦は自分の分と真央の分の椅子を出して、座る。真央も習って隣に座る。
「どう、具合は」
「……まずまずといった所です」
 由梨子は苦笑しながら言う。良くはなっていないんだ、と真央は解釈した。
「ああそうそう、頼まれていた本持ってきたよ」
「本当に、いつもすみません」
 月彦が鞄から本を出し、由梨子に手渡す。由梨子が微笑んで、礼を言う。端から見れば、ただの微笑ましい先輩と後輩のやりとりだが、真央には全く別のものに見えた。
 由梨子の瞳に、単なる感謝の念以外のものを感じるのだ。ピンク色の波長のようなものが二人の間で繋がったような、そんな直感が真央の嫉妬メーターを一気に振り切らせてしまう。
「由梨ちゃん、これ!」
 突如立ち上がり、真央は自分の授業ノートのコピーをずいと差し出す。
「えっ……あっ、真央さんも、ありがとうございます」
 まるで夢の途中で起こされたような声だった。由梨子は慌てて真央の方に向き直り、なんともおざなりな礼を言う。――月彦に対する礼とのあまりの差異に、ぴくぴくと真央の眉が震える。
「そうだ、先輩。前に貸して頂いた本お返しします。とっても面白かったです」
 由梨子は真央から受け取ったコピーを枕元の棚に投げやるや、すぐにまたそうやって月彦の方へと向き直る。
「由梨ちゃんのお陰で、図書の先生に褒められたんだよ。活字離れしてる子が多いのに、こんなに本を読む生徒は珍しいって」
「怪我の功名みたいなものですね。折角ですから先輩も読んでみたら如何ですか?」
「いやぁ……俺はやることが多くて、読書なんかする暇ないから」
 そう言って、月彦はちらりと真央の方を見る。
「そうですね。先輩には真央さんがいるんですから、本なんて読む暇はないですよね」
 自分は独り身だから、いくらでも暇がある――という様に、真央には聞こえた。これは暗に月彦を誘っているのではないかとすら、訝しんでしまう。
(友達の由梨ちゃんを、そんな風に疑っちゃ、だめだ……)
 自分の中に起きる猜疑心を、そうやって必死に押さえ込む。しかしそれでも、由梨子と月彦が言葉を交わすたびに、胸の奥に黒い固まりがつっかえているような不快な感じが増すのだ。
 しばらく、月彦と由梨子だけが楽しそうに会話を弾ませる。真央はその環に入れず、次第に月彦の制服の端を掴み、くいくいと引っ張っていた。もう帰ろう、というジェスチャーだ。
「なんだ、真央」
「……そろそろ帰らないと暗くなっちゃう」
「まだ来たばっかりじゃないか。今日は俺が居るから夜道でも大丈夫だろ?」
「でも……」
 夜道が不安なのではない。月彦と由梨子を一緒にしておくのが不安なのだ。二人が話をし、笑顔を見せれば見せるほど、真央は不安でたまらなくなる。胸の中の黒い固まりがどんどん大きくなって、息苦しささえ感じてしまう。
「真央さんの言う通りです。冬の暮れは早いですから、そろそろ帰った方がいいと思いますよ」
 そんな真央の心中を察したかのように、由梨子が助け船を出す。
「そうか? 由梨ちゃんがそこまで言うなら……」
 月彦は如何にもしぶしぶ、という仕草で立ち上がる。
「じゃあな、由梨ちゃん。迷惑じゃなかったら、また見舞いに来るから」
「はい、楽しみに待ってます」
「……由梨ちゃん、またね」
 月彦に由梨子の見舞いを許したのは、失敗だったかもしれない。病室を後にしながら、真央はそんな事を思った。


「……以上が、私の計画よ。何か聞きたいことはある?」
 円香はストローを口にくわえ、対席に座っている二人の男子の様子を観察した。二人とも、呆気にとられてるという顔だった。
 真央と別れた後、円香は淺野に電話を掛けた。例の計画の事で話がある――と。淺野は塾があるからすぐには行けない、と言った。結局、二人とも知っている喫茶店を集合場所に決め、落ち合うことにしたのだ。
 八時過ぎになって漸く、淺野が喫茶店に来た。一人ではなく、“計画”のメンバーである大石を伴っていた。なんでも同じ塾に通っていて、円香に呼び出された旨を伝えたら勝手についてきたのだという。別に一人で来いと言ったわけではなかったから、円香は気にしなかった。むしろ手間が省けた、とばかりに“計画”の内容を二人に説明した。
「……随分急だなぁ」
 先に口を開いたのは淺野だった。
「ほんと、やるのはもっと先じゃなかったんですか?」
 続いて、隣に座っている大石が声を出す。冬だというのに、ニキビだらけの顔にはてらてらと油が浮いている。見ているだけで不快になって、円香は視線をそらした。
「予定が変わったの。特に用意するようなものもないし、別に問題はないでしょ」
「そうだけど、なぁ?」
「ええ、俺たちも心構えってものが」
 淺野も大石も、にやにやと意味深な笑みを浮かべる。何が心構えだ、と円香は内心毒づく。
 確かに、もう少し慎重に事を運ぶつもりだった。しかし、状況は円香の予想に反した方向へとどんどん傾きつつあった。
(これ以上伸ばしたら、こいつらが何を言い出すか解ったもんじゃないわ)
 男達は日に日に増長し、円香にさらなる要求を突きつけてくるだろう。そうなれば、いざという際にちゃんと言うことを聞かせられるかどうかまで怪しくなってくる。
 だから、多少強引にでも計画を遂行することにした。
「……まさか、怖じ気づいたの?」
「いや、そういうわけじゃないけど」
 ぽりぽり、と淺野が頭を掻く。パラパラと落ちたのは、フケだろうか。
「俺、新しいカメラ買おうと思ってたんだよなぁ……」
 淺野は自分のフケが降りかかったレモンスカッシュに何の躊躇もなく口をつける。恐らくは、気がついてもいないのだろう。そしてなにやら解像度がどうたらとうんちくを騙り始める。
「なぁ先輩、やっぱりかぶり物とか用意したほうがいいの?」
「……好きにしたら」
 多分、撮影する気なのだろう。自分たちが真央を犯す、その様を。別段、円香には止める気はなかった。
「とにかく、日時も場所ももう決めたから。変更は受け付けないわよ」
「わ、解ったよ……その時までに、準備……しとくよ」
 淺野の返事はなんとも頼りなく、辿々しかった。こいつら本当に大丈夫か、と円香が不安に思った時だった。例の“にへらっ”という顔を、二人がする。
「なら、話は終りね。私、帰るわ」
「ま、待てよ、先輩」
 席を立つ円香を、淺野が止める。
「何?」
「せ、先輩……吉良ともヤッたって本当?」
「……それがどうかした?」
「な、中出し……させたんだって?」
「………………」
「ズルいよ、先輩。俺たちには我慢させてさぁ……なぁ?」
「ああ、ズルいよな」
 大石が同調し、頷く。そして二人して、ギラついた……獲物でもみるような目で円香を見る。
「先輩、俺たちにもさせてくれよ。不公平だろ?」
 淺野の手がテーブルを這い、円香の手を掴む。汗の滲んだ、不快な感触だった。
「……好きに、すればいいわ」
 まるで人ごとだ。円香は自分の呟きを聞いて、そう思う。きひひ、と目の前の二人がいやらしい笑い声を上げる。
「い、行こうぜ、先輩。俺ンち、今日誰もいないからさ」
「やべ……先輩とまたヤれるって思ったら……もう勃ってきた」
 大石と淺野に挟まれるようにして、円香は喫茶店を後にする。夜道を歩きながら、しきりに尻を触ってくるのは大石だろうか、淺野だろうか。
(……どうだって良いわ……)
 円香は不意に、夜空を見上げた。曇っているのか、ただの一つも星は見えなかった。



 “その日”の昼休み、紺崎月彦はいつものように屋上に出ていた。天気はやや曇り、そろそろ屋外での昼食は無理かな、と。天を仰いでそのような事を思う。
 手には、弁当の包みがある。あとは連れさえ来ればすぐにでも昼食にとりかかれるのだが、その連れがいつになっても来ない。
「何やってんだか……」
 月彦は腕時計を見る。既に昼休みが始まって十五分が経過しようとしていた。しょうがない、先に食べてしまおうかと腰を下ろして包みを開いたところで漸く踊り場へと通じるドアが開いた。
「よぉ」
 白い包みを抱えた静間和樹がのっしのっしと近寄ってくる。いつもならその背後に追従している影は、今日はいない。千夏は欠席しているのだ。
「待たせたな」
「……遅い。何やってたんだ」
「ちょっと、外に買い物にな」
 言って、和樹は紙袋からさらに小さな包みを取り出す。ふわり、と芳るその匂いで和樹が何を買ってきたのかすぐに解った。
「肉まんか」
「当たり。他にもあんまんピザまん中華まんにカレーまん、豚の角煮まんなんてのもあるぜ」
「よく見つからなかったな」
 月彦達の高校では、昼休みに校外での外食及び買い食いは原則として禁止されている。
「俺がそんなヘマするかよ。待たせた詫びだ、どれか一つ、好きなの喰ってもいいぜ」
 和樹は肉まんから豚の角煮まんまでそれぞれ二個ずつ買っていた。月彦は物珍しさもあって、豚の角煮まんを選んだ。
「てめっ、一番高いのを!」
「どれでもいいって言ったのはお前だろ!」
「馬鹿、そういうときは普通遠慮して一番安いのを選ぶだろ!」
 友達甲斐のないやつだとプンスカ怒りながら、和樹は肉まんを頬張る。月彦も、弁当そっちのけで豚の角煮まんを頬張った。
(……美味い)
 と、正直に思う。味云々より、寒い中暖かいものを食べるという事自体が美味として伝わる、そんな感じだった。
「そんな冷えた弁当より、よっぽど美味いだろ」
「……たしかに」
 せめて弁当も暖め直すことが出来れば良いのだが、そういうわけにもいかない。月彦は苦笑しながら豚の角煮まんを頬張る。外気に晒され冷えた指先が角煮まんを持つことでじんと暖まり、なんとも心地よい。
「……寒いときには、肉まん――か」
 呟いた刹那、月彦の頭の中で何かが繋がった。それは一筋の光明となって、胸の内に巣くっていた闇を切り裂いていく。
「……どうした?」
 和樹の言葉すら、耳に届かない。角煮まんを手に持ったまま、月彦はしばし固まっていた。
「……試す価値は、あるか」
 呟き、月彦は角煮まんから口に含む。顔を上げて目をやった先は、少女が入院している病院の方角に他ならなかった。
 


 朝から、嫌な予感はしていた。母親の言葉を借りるなら、“尻尾がぴりぴりする”というやつだ。
「まーおっ、一緒に帰ろう!」
 教室を出るなり、円香に捕まる。三年生の方がHRが早く終わるのか、最近ことごとく教室の前で待ち伏せされていた。
「真央、今日は何も用事ないよね?」
 真央の腕を引きながら、問いかけてくる。
「そう言ってたよね?」
 確かに、何日も前から円香に念を押されていた。今度一緒に由梨子の見舞いに行こう――と。その日が、今日だった。
 正直、真央は気が進まなかった。由梨子の見舞いが、ではない。円香と共に行くのが、だ。理屈ではない、動物的な直感で、危険ではないか、と思う。
「どうしたの? 真央」
 互いに靴を履き終え、校門を出る。真央の歩みが止まってしまって、円香が不審そうに声を出す。
「あの、先輩……私、やっぱり今日は――」
「ダメよ」
 いつもの円香の声とはうって変わった、威圧的な声だった。思わず、真央は怯えるように身を竦ませた。それを見て、円香がにんまりと笑う。
「だって、真央も一緒に行くって由梨に話しちゃってるのよ? 今更行かないなんて言ったら、がっかりされるじゃない」
「でも……」
「大丈夫だから、ね?」
 円香に押し切られる形で、真央は再び歩き出す。否、手を強く引っ張られるから、否応なく歩いているという形だ。
「あ、の……先輩、由梨ちゃんのお見舞いに……行くんですよね?」
「そうよ」
「でも、方向が……」
「もう一人、一緒に行くって約束してる子がいるの。まずはその子の家にいかなきゃ」
 円香はずんずん歩き、辺りからはどんどん人気が失せていく。
(尻尾が……)
 普段は人の目から隠している尻尾が、ぴりぴりと。円香に続いて歩いていくにつれて電気を帯びたように痺れてくる。
(そうだ……お守り……)
 母親が、何か渡してはくれなかったか。真央はとっさにスカートのポケットに手をいれて、それを捜す。
(無い――)
 それもその筈だった。制服のポケットになど、入れた覚えがない。鞄の中にも、多分ない。部屋に、起きっぱなしに違いない。
(どうしよう……)
 悪い予感がする。円香に腕を引かれて行く先に、途方もない厄災が待ち受けているような気がする。真央は腕に力を込め、円香に抵抗をしようとした。
「どうしたの? もうすぐだから、ね?」
 肩が抜けるかと思うほどの力でぐいと引き返され、状況は少しも好転しない。
「あ、あの……本当に、由梨ちゃんのお見舞いに、行くだけ……なんですか?」
 勇気を振り絞って、尋ねる。円香はにっこりと笑みを浮かべて、真央の方に振り返る。
「そう言ってるじゃない」
「……わかり、ました」
 今にもスカートの中で尻尾が暴れ出しそうなのを堪えて、真央は円香に続く。獣である部分は危険を告げているというのに、人間の部分が円香の言を信じてしまっているのだ。
(由梨ちゃんの親友なんだから――)
 そうそう酷い目に遭わされる筈がない。真央は必死にそう思いこみ、円香に追従した。




 
 最初は、気の迷いかと思った。次に馬鹿な、と。そんなはずはないと散々に否定した。
 しかし、いくら否定しようとしても、本心を偽ることはできないと気がついてしまった。
 退屈な入院生活。母親は入院初期こそ豆に顔を出したが、由梨子が鬱陶しがっていると悟ったのか、はたまたこれで体裁は整ったとでも思ったのか、最近は殆ど顔をみせていなかった。弟も三日に一度くらい来てはおざなりに会話をし、小言を残していくくらいで何がどうという事もない。単身赴任中の父親に至っては顔どころか電話すらかかってきていない。
 ある意味で、赤の他人の月彦が最も由梨子の病状を心配してくれているように感じた。それは恐らく、自分の姉のせいで由梨子がこうなってしまった――と、思いこんでいるからなのだろうが、たとえそうだとしても月彦の厚意が由梨子は嬉しかった。
 見舞いに来るのは月彦だけではない。真央や、級友も少なからず見舞いに来た。早く良くなってね――と、言われるたびに、由梨子の心は大きく沈んだ。
 正直、病状が快方に向かっているとは思えなかった。治療という名目の医師や看護婦達との会話もさしたる効果はなく、それはカウンセリングでも同じだった。
 ただの怪我であれば、薬を飲んで身体を休めればいつか必ず治る。しかし、由梨子の場合は心の病だ。薬を飲んだから、身体を休めたからどうというものではない。
 ひょっとしたら、自分は一生このままではないのか――そんな事を思って、夜中に泣いたのは一度や二度ではない。食べたいのに、食べて元気になりたいのに、身体が受け付けない。自分の身体のことなのに、自分の思い通りにならないことが歯痒くてたまらず、そして辛かった。
(私は、先輩に来てほしいと思ってる――)
 数多の見舞客の中で、自分が一番希う回数が多いのは弟ではなく真央でもなく、月彦だった。カウンセリングの時間が終わり、時計を見てそろそろ学校が終わるころだなと思うと、決まって月彦が来るかどうかを考えてしまうのだ。
 来れば、その日は安らかに眠れた。見舞い品など無くてもいい、他愛ない会話で構わない。ただ、足を運んでくれるというだけで嬉しかった。
 逆に来なければ、たまらなく不安になった。もう、見舞いなど面倒だと思われてしまったのだろうか。ひょっとしたら二度と来てくれないかもしれない――ある時などは、不安に押しつぶされて病室を出、ロビーの公衆電話に手をかけたほどだ。
 どうして、今日は来てくれなかったんですか――喉まで出かかったその言葉を飲んで、結局電話を掛けずに病室に戻ったが、その夜は悪夢に魘された。
 鏡に映った自分の顔が、みるみるうちに痩せこけ、骨と皮だけになる夢だった。悲鳴を上げて飛び起き、すぐに鏡で自分の顔を確認した。その時はそれで安堵したが、それから似たような夢をよく見るようになった。
 ある時は、学校に居る夢。ある時は家にいる夢。ある時は、誰かとデートしている夢。その夢も、最後は由梨子の身体がやせ細り、骨と皮だけになって周囲の人間が悲鳴を上げて逃げていくという内容だった。
 カウンセラーに夢の内容を話したこともあるが、誰にでも言えそうな気休めの言葉しか返ってこなかった。由梨子に付いたカウンセラーは四十代くらいの中年の女性だったが、優しい言葉使いとは裏腹に由梨子を見る目は“最近の若い子は――”と言いたくてたまらないといった風に見えた。遅々として進展しない事態にうんざりした女性の「貴方もいつまでも甘えてないで」の一言から始まった説教は恐らく一生忘れられないだろう。何度思い出しても、とてもカウンセラーの口から出たとは思えない発言だった。
 “治療”と名の付く時間は辛いことばかりになって、そうなるとますます月彦の来訪を希うようになった。もう、本を借りてきてもらうとか、そういうことはどうでもよかった。ただ、姿が見れて、声が聞ければ。
 由梨子は壁に掛けられた時計を見る。学校はもう終わった筈だ。今日、来てくれるのならば、時間的にそろそろの筈だ。過去の経験から、由梨子は月彦がくる時間の幅がおよそ決まっている事を知っていた。
 しかし、期待した時間帯が過ぎても、月彦は来なかった。今日は来ない日なのかと、暗澹たる思いではあとため息をついたとき、こんこんと小気味のよいノックの音が聞こえた。
「由梨ちゃん、俺だけど」
 待ちに待った声に、由梨子は飛び上がりそうになった。可能な限り平生を装い、どうぞ、返事をする。がちゃりとドアノブが回って、月彦が入室する。手には珍しく紙袋のようなものを抱えていた。
(えっ……)
 不意に、鼻を襲った臭気に、まさか、と思う。月彦は無言で病室内に入ると、何を思ったかいきなり空調を止めた。
「えっ、あの……先輩……?」
 戸惑う由梨子そっちのけで、今度は病室の窓を全開にする。冬の香りを含んだ風が、ひゅうと吹き込んできて、由梨子は咄嗟に身を縮めた。
「先輩……何を……きゃっ……!」
 つかつかと由梨子の方に歩み寄ってきたかと思えば、こんどは掛け布団をすべて矧ぎ、部屋の隅に放り投げてしまう。由梨子は寝間着だけの姿にされ、身を縮めて震え出す。
「せ、先輩……布団を返してください!」
 室内の気温はあっという間に下がり、由梨子はがちがちと歯を鳴らしながら懇願する。が、月彦はまったく取り合わず、震える由梨子を見下ろすのみだ。
(酷い、どうして……こんなことを……)
 由梨子には、月彦の行動が全く理解できなかった。あんなに優しかった月彦が、何故このような意地悪をするのか。裏切られた――という思いが、沸々と胸にわき上がる。
「……寒いか、由梨ちゃん」
「あ、あたりまえです……お願いですから、布団を返してください。このままじゃ……凍えてしまいます」
「悪いけど、布団は返せない」
「そんな……」
「代わりに、これをあげよう」
 言って、月彦が紙袋から取り出したのは、これまた小さな紙の包みだった。手にとってみると、紙は僅かに湿っていて、そして暖かかった。
「どうだ、暖かいだろ」
「暖かいですけど……」
 でも、それが何か?――という顔を月彦に向ける。途端、月彦が失意を露わにする。
「食べたく……ならないか?」
「は……?」
 由梨子は首を傾げ、そして包みを開いてみた。予想通り、包みの中身は肉まんだった。
「どう? 少しだけでも、食べたくならないか?」
「……なりません」
 ここに来て、由梨子は漸く事態を把握した。月彦が何故急にこのような暴挙に出たのか、全てを察した。
 じろり、と抗議の目を向けると月彦はあっさりと怯んだ。うぐと呻いて、おろおろと狼狽え始める。
「……布団、返してもらえますか?」
「…………うん」
 まるで叱られた子供のようにがっくりと肩を落とし、月彦は布団をベッドに戻し、窓も空調も元通りにする。
「……今回ばかりは、呆れて物も言えません。こんなことで、私が食べると本気で思ったんですか?」
「……ごめん、ひょっとしたら巧くいくかなって……思った」
 月彦は椅子に座り、しゅんと身を縮こまらせる。はぁ……と、由梨子は露骨にため息をついた。。
「こんな子供みたいな発想で食べられるようになるんだったら、拒食症なんて病気は世の中にありません」
「…………ほんとに、ごめん」
 月彦は深々と頭を下げる。
「どうすれば由梨ちゃんが食べられるようになるのか、俺なりに一生懸命考えたんだけど……ダメだな、ほんと。こんなんじゃ出涸らしの弟なんて言われても、言い返せないな」
「別に、そこまでは言ってませんけど」
「いや、良いんだ。考えてみたら、確かに幼稚な思いつきだった。寒い思いさせちゃって本当にごめん」
 もう一度頭を下げて、月彦は立ち上がる。
「あっ、先輩――」
 もう、帰っちゃうんですか――その言葉が、喉まで出かかる。
「……今度は、ちゃんと真央さんと一緒に来てくださいね。そしたら、こういう無謀なことはちゃんと真央さんが止めてくれる筈ですから」
 しかし、結局口から出たのはそんな言葉。無駄に強がって、虚勢を張ってしまう。それはもう、殆ど癖になってしまっていた。
「解ってるけど、真央が一緒だとなぁ……」
「女の子は大切にしてあげないと、すぐ拗ねて臍を曲げちゃいますから、注意してくださいね?」
「ははっ、確かに」
 苦笑して、じゃあと挨拶をして月彦が退室する。遠ざかっていく足音に反比例して、室温を適温に戻そうと必死に頑張っている空調の音が耳に付く。
「ほんと、ちゃんと構ってくれないと……すぐに臍を曲げちゃうんですから」
 呟いて、由梨子は視線を落とす。手には、月彦から手渡された肉まんがある。少しばかり冷めてしまったものの、それはまだ十分に暖かかった。
 あんなに怒ることはなかったな――と、今更に後悔する。月彦は月彦なりに考えて、由梨子の為にしてくれたことなのだから、感謝こそすれ怒るのは筋違いだ。
「ごめんなさい、先輩……」
 謝るのは私の方です――由梨子は口の内で呟く。そうなのだ、現状に焦れているのは自分だけではない。見舞いに来ている月彦だって同じなのだ。
(もしかして……)
 あのカウンセラーの説教も、月彦がとったのと同じような“荒療治”の一環だったのだろうか、と思ってしまう。親身になって話を聞くばかりではなく、時には突き放し、怒りを誘って反骨を煽った方が良い事もあるだろう。
 ひょっとしたら、自分はとんでもない思い違いをしていたのではないか。今までは白い個室の中で、一人孤独に闘っているつもりだった。孤立無援など己の思い違いなだけだ、周囲にはこれほどにも快方を願ってくれる人々が居る――。
 じんと、まるで胸の奥に火が点ったようだった。そのぬくもりに触発されるように、不意にきゅうっ、とお腹が鳴った。
「え……」
 戸惑い、驚いた。それは自分が忘れて久しかった“空腹”という感覚に他ならなかった。



 たっぷり一時間以上かけて着いたのは、四階建ての古ぼけたアパートの角部屋だった。円香は鍵を使わずドアを開け、真央に入るように促す。真央は渋々従って、そしてハッと身を竦ませた。
 入ってすぐ左手側が台所。その奥に六畳の和室があるのだが、そこに五人の男達が屯していた。
 否。正確には、“男らしき者達”がだ。
「あの……先輩?」
 真央が振り返ると、円香はドアに鍵をかけチェーンロックをしている所だった。再び和室の方を向いた時、異形の者達はもう真央のすぐ側まで来ていた。
「ひっ……!」
 服装はそれぞれ私服。だが、その首から上はまちまちだった。ある者はゴリラの被り物をしており、ある者は狼男。フランケンシュタイン、ドラキュラ、ゾンビ。百貨店などで売られている安物のパーティグッズの被り物のようだった。
「先輩……あの、これ……どういう……」
 狼狽える真央の手を、ゴリラ顔が掴む。そのままぐいぐいと力任せに和室の中へと引っ張り込まれる。
「い、イヤッ……先輩ッ、助けて……!」
 抵抗空しく和室の中央に引きずり出され、真央は膝を突く。その周囲を、異形の者達が囲む。皆、無表情な被り物の奥から一様に真央を見下ろしてくる。真央には解った。被り物のせいで表情こそ伝わってこないが、この気配には見覚えがある。そう、真央がよく知っている――“発情した牡”の気配だ。
 真央は恐る恐る周囲を見回す。アパートの一室には間違いない。しかし、この部屋には居住感というものがまるでなかった。家具の類は一切無く、部屋の隅に辛うじて男達の私物と思われるバッグがいくつかあるのみだった。
「思ってたより単純なのね。あんな嘘にコロリと騙されてホイホイついてきちゃうなんて」
「え……」
 気が付くと、円香が和室の入り口に立っていた。その口元には、真央が見たことがない類の笑みが浮かんでいる。
「う、嘘って……先輩、どうして」
「ふーん。身に覚えがないんだ。可哀相に、身に覚えの無いことで今から輪姦されちゃうんだ」
 意地悪い笑み――母親のそれとは全く違う、何かが決定的に歪んでいる笑みだった。円香はゆっくりと部屋の隅、男達の私物が置かれている場所へと歩み、バッグの中から四角いものを取り出す。
「真央、これが何か解る?」
「……カメ、ラ?」
「そう。デジタルムービーカメラっていうのよ。今から貴方は裸に剥かれて、レイプされて、その様子をいやってほどこれで撮られるの。良かったわね」
「っっ………………!」
 冗談――には聞こえなかった。真央は咄嗟に畳を蹴り、和室からの脱出を試みる。
「おっと!」
 しかし、即座にゾンビ顔がしがみついてきて、真央はタックルを受けるような形で俯せに伏す。はあはあという息づかいが、被り物越しでもいやというほど伝わってくる。
「いっ、いやっ……嫌ァ!!!!」
 太股の辺りに当たる、屹立した剛直の感触に真央は叫ばずにはいられなかった。異形の男達はスイッチが入ったように一斉に動き出し、真央を仰向けにするとその両手足を押さえにかかる。
「嫌ッ! いやっ……助けて、父さま! 母さまァァァ!!!!」
 真央は涙さえ零しながら必死に抵抗を続ける。足の間に身体を割り込ませてきたゴリラ顔が制服の上から胸を掴み、乱暴にこね回してくる。不快な感触に、真央はさらに大声で叫ぶ。
「……待ちなさい」
 円香の声に、ぴくりと男達の動きが止まる。ただ一人、ゴリラ顔だけは執拗に真央の胸を触ってくる。
「待て、って言ってんのよ」
 ゴリラ顔の横っ腹を円香は容赦なく蹴り飛ばし、強引に真央から引きはがす。それを見て男達は怖じ気づいたのか、一斉に真央の手足を解放した。
「真央、ちょっとこっちに来て」
 円香に手を引かれる形で真央は立ち上がり、台所まで歩む。おい、と背後から声を掛けてきたのはゴリラ顔の男だった。
「安心しなさいよ、逃がすワケじゃないから」
 そう言って、円香は真央の方を見、くすくすと笑う。真央はちらりと玄関の方を見たが、脱出は不可能そうだった。たとえ円香を突き飛ばし、玄関までたどり着けたとしてもチェーンロックを外している間に追いつかれ、引きはがされるだろう。
(母さまが、危ないって言ってくれたのに……)
 和室の入り口からこちらを覗き込む五人の男達。皆が皆、自分を犯そうと待ちかまえている。円香はその手引きをしたのだ。
(でも、どうして――)
 由梨子の親友ではなかったのか。そもそもそのことから嘘だったのか。あの男達は一体何者なのか。真央には、自分がこのような目に遭わされる理由が解らなかった。
 円香に連れられた先は、三点式のユニットバスだった。円香は浴槽の縁に腰を下ろし、真央と対峙する。
「さて、と。これで二人きりで話が出来るわね」
 台所とを繋ぐ仕切戸を閉じて、円香は脚を組む。
「ねえ、真央。今どんな気分?」
 愉快そうな、それでいてやはり歪んだ笑み。円香はこういう人間だったのだ――と、真央は改めて思う。
「“助けて父さまぁ!”なんて泣いちゃって、ふふっ……そんなに恐かったんだ?」
 ハッとして、真央は涙を拭う。その様を見て、円香がクスクスと笑う。
「ねえ真央。逃がしてあげよっか?」
「えっ……」
 まさかの光明に、真央はつい反応を返してしまう。それを見て、今度は円香が吹き出し、笑う。
「バッカねえ、今更逃がすワケないじゃない。貴方はこれから輪姦されるのよ、さっきの男達にね」
「どう、して……」
「どうして? それはトボけてるの? それとも本当に気づいてない?」
 真央には、円香が何の話をしているのかすら解らなかった。円香は、苛立った顔で続ける。
「紺崎、真央。貴方はどうして転入なんてしてきたの? 貴方さえ来なければ、私も、由梨もずっと幸せだったのに」
「わ、私は……何も、悪いことなんて……」
「はぁ? 私から由梨を寝取っておいて、よくもそんな口が利けるわね」
「私、本当に……由梨ちゃんとは……」
「由梨に、顔も見たくないって言われたわ」
 胸がドキリと跳ねるほどに、高圧的な口調だった。
「声も聞きたくない、二度と会いたくないって。貴方が来た途端よ? そして今度は真央の事が好きだって。これが寝取りじゃなくてなんなのよ!」
「わ、私は――」
 寝取ってなんかいない、と言うしかなかった。誤解なのだと、円香にそれを理解してもらうしかない。
「真央、」
 不意に名を呼ばれて、手をとられる。円香はそのまま真央の手を引き、己のスカートの中へと誘う。
「ぇっ、やっ……」
 真央は手を引こうとするが、円香は強引に己のスカートの中、下着のすぐ側まで引き寄せる。
「真央、下着の中に指いれて」
「……っ……」
「入れないと、今すぐ男共呼ぶわよ」
 脅されて、真央は渋々円香のショーツの中に指をいれる。そして、ハッと円香の顔を見た。
「私ね、貴方が憎くてたまらないの」
 円香は微笑む。
「憎くて、憎くて。貴方を襲わせる為にあんな男達に頼んで、頭を下げて、身体を許したわ。……一人、頭のオカシイやつがいてね、そいつに剃られたのよ」
 円香は漸く真央の手を離す。
「どうして……そこまで……」
 好きでもない男に抱かれる。その苦痛は、同じ女である真央にはよく分かる。――まだ体験したことはないが、月彦以外の男に組み付かれ、押し倒されただけでも泣き叫びたくなるほどに絶望的な気分にさせられた。あれ以上の事など自分は耐えられない――と、真央は思う。
「由梨の為よ」
「由梨ちゃんの、為……?」
「そうよ。貴方が来てから、由梨はおかしくなったの。挙げ句、あんな事になっちゃって……由梨がこのまま死んじゃったら、真央。貴方どうするつもり?」
「私のせいで……由梨ちゃんが……?」
「そうに決まってるじゃない。貴方が来るまでは全てが巧くいってた。貴方が来たから、何もかもおかしくなった。疫病神なのよ、貴方は」
 疫病神、と真央は唇だけで呟く。その顔は、既に蒼白になっている。
「私は、由梨のためならどんなことでもやれる。あんな男達と寝ることだって、由梨を助けるためなら厭わない。真央……貴方にそれが出来る? 由梨の為に、好きでもない男と寝れる?」
「それ……は……」
 口籠もる、が、既に真央の中では答えが出ている。自分は、出来ないだろう――と。
「浅ましい女ね。そんな女に、絶対に由梨は渡さないわ」
「……由梨ちゃんと、もう会わないって言ったら……帰してくれるの?」
 ぴくり、と円香が眉を動かす。
「どういう事?」
「もう、由梨ちゃんとは関わらないから。話もしないから。だから……」
「ふぅん、ずいぶん聞き分けが良くなったじゃない。……でもダメね。口だけじゃ、なんとでも言えるわ」
「じゃあ、どうすれば……」
 怯える真央に、円香はふふふと微笑みかける。
「そうねぇ。私だって覚悟を決めたんだもの、真央にもある程度の覚悟は決めてもらわないとね」
「覚悟……?」
「真央、貴方……私専用の便器になりなさい」
「えっ……」
「学校に居る間だけでいいわ。私が呼んだらすぐに来て、跪くの。こうやって、ね」
 円香は真央の髪を掴み、強引に跪かせる。
「そして、口を開けて……私のを飲むの。飲み終わったら“ごちそうさまでした”って言って、きちんと舌で綺麗にするのよ」
 狂気すら孕んだ目で真央を見下ろしながら、円香は自ら下着を下ろし、足を抜く。スカートを上げ、跪いた真央の眼前に剃られた場所を露わにする。
「ふふっ、さっき男達に襲われてた時の真央の顔、すごく良かったわ。ゾクゾクしちゃった。……ほら、口を付けなさいよ」
 髪を掴まれ、強引に円香の秘裂に顔を近づけさせられる。真央は何とか首を捻って、それから逃れようとする。
「ちゃんと飲めたら、逃がしてあげてもいいわよ。……アイツらが言うこと聞くとは思えないから、私の携帯で警察を呼んであげる。……どう?」
 うって変わって甘い声。髪を掴んでいた手を離し、そっと真央の頬を撫でてくる。
「ほ、本当……? 本当に、帰してくれるの?」
「ええ。真央がちゃんと誓って、飲むんならね」
 誓う――というのは、先ほどの件だろう。そんなの、絶対嫌だと、真央は思う。……しかし、好きでもない男達に陵辱されるのは、もっと嫌だ。
「……わか、った……誓う、から……家に、帰して……」
 真央は呟き、覚悟を決めた。


 まだか、と。淺野は面の内で呟く。きっと馳走を目の前に待てをされた犬の気持ちというのはこういうものだろう。
「何やってンだよ」
 呟いたのは、ゾンビの被り物をした堀部だった。しきりに足を揺らし、貧乏揺すりをしている。
「まさか、逃がす気じゃ……」
 これはドラキュラの被り物をしている大石だった。それはないだろう、とフランケンシュタインの被り物をした原が返す。二人が入っていったのは三点式のユニットバスだ。小さな換気窓があるが、それは到底人が出入りできるような代物ではない。
「ここで逃がしたら、円香先輩ただのヤラレ損じゃん」
 くつくつと笑うのは狼男の被り物をした吉良。確かに、と淺野は同意する。
「なあ、もう先輩も一緒にヤッちまわねぇ?」
 大石の提案に、四人がハッと息を呑む。ある種の天啓、皆がその事実に気が付いた瞬間だった。即ち、“何故自分たちが下手に出ていなければならないのか”という事実に。
「いいんじゃねえの。先輩も一緒に輪姦しちまおうぜ」
「どうせ五人一片にはヤれねーし」
「押さえつける奴が二人、犯る奴が二人、余った一人は撮影な」
 恐ろしい計画が、瞬時に決まる。皆が皆、女性の身体を好きにするということに慣れすぎていた。
 ぞろぞろと五人、和室から台所へと移動する。ユニットバスの仕切戸の方からしきりに、あの“甘い香り”が漂ってくる。
(とうとう、紺崎真央を犯れるんだ)
 甘い、とは思うが、それは大別すればそう感じるだけで、砂糖の甘さとはまた違う甘ったるさだった。教室で何度、この匂いに狂いそうになったことか。本能に直接訴えかけ、理性を失わせるような牝の香り。
 淺野や、他の四人がこうも簡単に常軌を逸した行動に出てしまったのには、少なからず真央のフェロモンが作用していた。無論、当の淺野達にはそのような自覚はなく、あくまで自分の意志で真央を襲うのだと思っているが。
(や、べぇ……)
 真央が居る場所に近づけば近づくほど強くなる香り。じぃん、と脳を痺れさせ、思考力を低下させるその香りに目眩すら覚えてしまう。くらくらする頭を振り、意識をはっきりさせようと試みる。見れば、周囲の四人も同じように首を振っていた。アパートの狭い室内に居るせいか、真央から感じられる甘香がいつもより数段強く感じられるのだ。
 仕切戸の前で、五人の足が止まる。誰かが先陣を切って戸を開けねばならないのだが、そこはそこ、根が小心者な五人組。おい、お前が行けよと先駆けを譲り合う始末。そうこうしているうちに仕切戸の方が勝手に開き、中から円香が姿を現した。
「おまちどおさま。さっ、好きにしていいわよ」
 妙にスッキリした顔の円香が、どんと真央の背を押し、淺野達の前に突き飛ばす。円香の笑顔とは裏腹に、真央は困惑に満ちた顔をしていた。
「そん、な……私、言うとおりにしたのに」
「ばーか。なんで私が泥棒猫との約束なんて守らなきゃいけないのよ。“父さま”の所に帰れなくて残念だったわね」
 げしっ、と円香は足の裏で真央の肩の辺りを軽く蹴る。
「ほら、何してるの。犯っちゃえば?」
 円香に促され、原、堀部、大石の三人が抵抗する真央を和室に引きずっていく。淺野と吉良だけが、円香にずいと詰め寄る。
「何よ」
「せ、先輩も暇だろ? だから俺たちが相手してやるよ」
 つっかえながら言い、淺野は円香の腕を掴もうと手を伸ばす。が、その手を円香は振り払い、どんと淺野を突き飛ばしてくる。円香の意外な抵抗に、淺野は尻餅をついてきょとんと見上げてしまう。
「いい気になるな、カス共。お前達の相手は私じゃなくてあの女。お膳立てはしてやったんだから、さっさとやることやりなさい」
 有無を言わさぬ命令口調だった。淺野を見下ろす円香の背後から吉良が手を出そうとしたが、円香は機敏にそれを察し、睨み付ける。
「グズグズしてたら、先にあの三人に取られちゃうわよ」
 円香のその言葉が決め手になった。確かに、何度も犯った円香より、真央の身体を一番乗りする方が先決だ。
 淺野は吉良と顔を合わせ、頷いて和室へと駆け戻る。既に三人が和室の中央に真央を押し倒し、その服を脱がせにかかっていた。
「退けよ」
 真央を押し倒すようなポジション取りをしていた原を、淺野は突き飛ばす。
「犯るのは俺が一番だって言ってただろうが」
 それは、事前に何度も話し合った事だった。しかしそれでも、原は些か不満そうな顔をする。
「そんな顔すんなって。俺の後で好きなだけ犯ればいいだろ」
 言って、淺野は両手両足を押さえつけられた真央を見下ろす。誰がやったのか、既に口には詰め物がされてうう、とうなり声が聞こえるのみだ。
「目隠しもするか?」
 と、聞いてきたのは手を押さえつけている堀部だった。どうやら口に詰め物をしたのも堀部の仕業のようだった。
 確かに、目隠しをしてしまえば淺野ら全員被り物をする必要は無くなる。が、しかし――
「いや、いい。最初くらいは……紺崎の顔をしっかりと見ながら犯りてぇ」
 うう、と真央が唸る。その両目からは大粒の涙がこぼれ落ちている。本来ならば相手の憐憫の情を誘い、助けを呼ぶ筈の涙さえ、この場に置いては男達の興奮をかき立てる要素にしかならない。
「へ、へ、へ……」
 ごくり、と生唾を飲みながら、淺野はまず二つの膨らみに手を伸ばす。円香とは段違いに大きなその塊を弄ぶようにゆっくりと揉む。
「さすがに、すげえな」
 言ったのは、端で見ている大石だ。
「おい、さっさと脱がせよ」
 急かしたのは原。手を出したくてウズウズしているという感じだ。
「解ってるって。焦んなよ」
 淺野は制服のボタンを外そうと試みるが、極度の興奮のせいかそんな単純な作業すらうまくいかない。
「破っちゃえば?」
 と、口を挟んできたのは円香だ。壁にもたれ掛かりながら、くすくすと愉快そうに笑っている。
「そりゃまた……鬼畜ッスね」
「制服破ったら紺崎、どうやって帰るんですか?」
 吉良、大石の問いに円香は知らないわ、とつれない返事。円香にしてみれば、真央が悲惨な目に遭えば遭うほどいいのだろうから、そのような事を言うのだろう。
「へ、へ……でも、いいな、それ。犯してる、って感じでさ……」
 真央の制服を掴み、ぐっと力を込める。生地が良いのか、AVで見たようには簡単に裂けなかった。仕方なくボタンを無視して上着を左右に開き、さらにブラウスも同様にボタンを飛ばしながら左右に開く。眼下に淡い白のブラに包まれた巨乳が顔を覗かせ、場にいた男共の口全てからおお、という感嘆の声が漏れる。
 淺野は容赦なくその白いブラに手を伸ばし、引きちぎるようにして剥ぎ取った。真央が唸るように叫び、たゆんっ、と白い塊が揺る。ごくり、とまた唾を飲み込む。
「スゲェ……」
 全員が、真央の胸元に釘付けになっていた。
(紺崎の、生乳だ……)
 一も二もなく淺野は手を伸ばし、こね回す。
「すっげっ……柔けぇっ……」
 周囲の友人達の目など最早関係無かった。夢にまで見た紺崎真央の巨乳を堪能することで頭が一杯になり、両手で揉み捏ねながら被り物を上にずらし、先端にしゃぶりつく。
「お、おい……俺にも触らせてくれよ……」
 そんな情けない声を無視して、さらに無断で伸ばされる手を強引に払いのけて、淺野は真央の身体を独占する。
 真央はもう抵抗する気力も無くなったのか、先ほどからはうなり声すら途絶えていた。表情からは諦めすら伺え、抵抗する真央を無理矢理犯りたいと思っていた淺野としては些か拍子抜けだった。
「おい、てめぇ、いい加減にしろよ!」
 たっぷりと真央の乳を弄んでいた淺野に、とうとう罵声が浴びせられる。
「後がつかえてんだよ! さっさと一発ヤッて代われよ」
 そうだそうだ、と同調する声。ちっ、と淺野は舌打ちをして、真央の乳から離れた。
「……だってよ、紺崎。後がつかえてるらしいんだ、悪いな」
 きひひ、と淺野は笑みを浮かべ、真央のスカートの中に顔を潜らせる。
「んんぅ!!!」
 ここに来て、真央の抵抗が再び復活する。淺野はショーツにぐりぐりと鼻を擦りつけるようにして、胸一杯にその香りを吸い込む。
(ああぁ……この匂いだ)
 教室にいつも充満していた真央の香り。それをさらに濃密に煮染めたようなものが、淺野をますます高ぶらせる。
「お、おい……淺野。下着は破んなよ。俺が貰うって約束してんだからな」
 情けない声を出してきたのは大石だった。股間を押さえ、辛抱溜まらないという顔をしている。
 ククク……と、まるで帝王のような笑みが淺野の口から漏れる。これほどに。これほどまでに男達を魅了して止まない紺崎真央を、自分は今から犯すのだ。
「ああ、解ってるよ、焦んな」
 この友人達からも、決して尊敬されているわけではない。普段こそ真央のコラ画像などを配布しているから友達面をしてはいるが、裏では淺野の事をキモデブ扱いしているような連中だ。今回の事とて、言い出しっぺという事で辛うじて頭目の体を成しているが、それも危うい橋渡りだった。適当なところで機嫌は取らねばならない。
 淺野は丁寧にショーツを脱がせた。無論真央は足をばたつかせて抵抗したが、三人がかりで押さえ込み、それを封じた。
「ほらよ」
 脱がせ終わった下着を放ると、人目も憚らず大石は頭から被った。そのまま聞くに堪えない奇声を上げ、ばたばたと和室の上を転げ回る。
「さてと、いよいよだな、紺崎」
 真央は涙目で淺野を見上げる。その表情に加虐心をゾクリと刺激されながら、淺野はスカートをめくり、白日の下に真央の秘裂を晒す。
 おおおっ、という歓声は胸の時とは比較にならなかった。
「んぅー! んんんぅ!!!」
 真央が抵抗し、手足をばたつかせようとするが、当然男達の力には叶わない。淺野は口元を引きつらせ、態と真央の羞恥を煽るように、友人達に向けて秘裂を指で開いてみせる。
「おおおっ……たまんねぇ!」
「淺野、頼む……代わってくれ! 代わってくれたら、後で十万やるから」
 堀部が叫び、原がそのような提案を出してくる。原の家は比較的裕福で小遣いも多く、コラ画像の買い取り客としては上得意だ。原なら確かに十万は出しかねないが、たとえ十万が二十万、三十万でも淺野は代わる気はなかった。
(誰が、代わるかよ)
 淺野はひとしきり衆目に向けて秘裂を弄った後、被り物をずらして直接吸い付いた。真央がまた噎ぶが、最早その声は誰の耳にも届かなかった。男達は皆、淺野が真央の秘裂を啜る汚らしい音の虜となっていた。
(ああぁ、凄ぇ……円香とはダンチだ……!)
 刺激に応じるように溢れてくる蜜はほんのりと甘ささえ感じ、舐めれば舐めるほど下半身に力がみなぎるようだった。
(はあ、はあ……ウザッてぇ……!)
 呼吸が荒く、なんとも息苦しくなって淺野は己がつけていたゴリラの被り物を脱ぎ捨てた。ざわっ、と友人達がどよめいたが、知ったことか、と思う。眼前の真央を抱く事に比べたら、顔を隠すとか隠さないとかは些細な事に思えた。
「もう、たまんねぇ……い、挿れるぞ、真央……!」
 淺野は大あわてで下半身裸になり、ずいと真央の足の間に身体を入れる。最後の抵抗――とばかりに真央が暴れたが、やはり叶わない。ずっ……と、先端が真央の秘裂に埋没する。
「ンーーーーーーーーーーーーッッ!!!!」
「うわぁぁぁ……!」
 悲鳴を漏らしながら、淺野は一気に腰を押し込んでいた。
(やっべぇっ、たまんねぇ……!)
 真央の腰を掴み、淺野はいきなり腰を使い始める。その動きは回りから見ればなんとも無様で不格好な動きだったが、誰も笑わなかった。
「なんだこれっ、なんだこれっ……こんなの知らねえっ……!」
 腰を使いながら、淺野は殆ど忘我状態だった。ただ牡としての本能に従い、目の前の極上の牝を犯すことにのみ専念する。
「お、おい……淺野……?」
「そんなに……いいのか?」
 声を掛けられても、そんなものは耳に届かない。たゆんっ、たゆんと誘うように揺れる二つの塊に手を伸ばし、指を埋没させるようにしてこね回しながらひたすら腰を使う。
「うううっ、ヤベぇ……出るっ、もう、出るっ……!」
「おい、お前っ……中には――」
 吉良が淺野の肩を掴むのと、淺野が真央の中に射精をするのはほぼ同時だった。馬鹿野郎!という罵声と同時に、淺野は真央から引きはがされ、粗末ながらも立派に屹立したものからは尚射精が続き、それが真央の身体を汚す。
「馬鹿野郎! 一巡するまでは中出ししねえって決めてたじゃねえか!」
 顔を真っ赤にして怒る吉良の言葉が、淺野は理解できなかった。言葉ではなく、単純に“大きな音”として頭蓋骨の内側で何度か反響し、彼がその言葉の意味をようやく理解できたのは一分近くが経過した後だった。
「あ、あぁ……悪ぃ」
「悪ぃじゃねーよ、どうすんだよ、これ」
「……いいんじゃねーの」
 ぼそり、と呟いたのは大石だった。
「汚ぇとか、そういうの気にするくらいなら帰れよ。……その分残った奴が多く紺崎と犯れるんだから、俺はかまわねーぜ」
「ば、馬鹿っ……誰も、犯らねえとか言ってねーだろ」
 友人達が口論している様を、淺野は一歩引いた場所から傍観していた。下半身だけ裸、無様にも屹立したままの股間が無様さを一掃際だたせている。
(やべぇ……理屈じゃねぇ……)
 射精と同時に魂まで吸い取られたかのような脱力感。円香とのそれとは膣の感触も何もかも段違いだった。真央との交接を味わってしまった後となっては、円香とのあれは本当にセックスだったのかと疑いたくなるほどだ。その証拠に、淺野が挿入してから射精までは一分とかかっていなかった。
「はーい、カットォ、ご苦労様」
 場にあまりにそぐわない、明るい声が不意に淺野の耳に入る。声の主は円香だった。一体いつのまに構えたのか、その手には淺野が親に頼み込んで急遽買って貰った最新のムービーカメラが握られていた。
(……撮ってたのか)
 別にそのこと自体はなんとも思わなかった。最終的に動画を処理するのは自分なのだし、素顔が映っていたとしてもモザイクをいれてしまえばいいだけの話だ。真央には、動画そのものを使って脅せばいい。
(これからも……この身体を好きに出来るんだ……)
 真央の身体の味を思い出して、ごくりと三度生唾を飲む。
「さーて、次は誰が犯るの?」
 何処までも明るい、生き生きとしている円香の声。淺野が抱いている時には一切見せなかった快活さだ。
(復讐、か……)
 男達に身体を売ってまで成しえたかった復讐が、今成就しようとしているのだ。人が変わったように生き生きとして見えるのも当然かもしれない。
 友人達の方へと目をやる。どうやら二番手は大石に漸く決まったようだった。




「ただいまー……って、誰もいないんだよな」
 自室に入り、月彦は鞄を下ろしてベッドに座り、ふうと一息つく。玄関の鍵がかかっていたのだから、家に誰もいないのはほぼ明白だった。
「今日は真央も遅いな……入れ違いで真央も病室に行ったのかな?」
 病室、というフレーズに月彦は胸にズキリとした痛みを覚える。先ほどの自分の失敗を思い出してしまい、がっくりと肩を落とす。
 考えれば考えるほど、なんと幼稚な策を実行してしまったのかと、自分で自分に嫌気が差してしまう。あのような事をされて、由梨子もさぞかし迷惑だったことだろう。
(しばらくは、由梨ちゃんに合わせる顔がない……)
 はぁぁ……と大きくため息をつく。霧亜にも勝てず、由梨子の役にも立てず、俺は生きている価値があるのか、とさえ思ってしまう。
(……そうだ、俺には真央がいる…………)
 そういえば、最近はあまり構ってやってないな、と思う。一緒にいる時間は長いが、真央の相手をしながら由梨子の事を考える事が多いから、どうにも漫ろになってしまいがちなのだ。
『……で』
「うん?」
 不意に何か声が聞こえた気がして、月彦は周囲を見回した。しかし、部屋には己以外の誰もいる筈がない。
「気のせいか……」
 それとも、隣に霧亜が居るのだろうか。月彦はそっと耳をそばだててみるも、やはり人の気配はない。
『……いつまで』
「まただ」
 今度はハッキリと聞き取れた。いつまで、確かにそう聞こえる。それも、凄く近い場所から。
「待てよ、いつまで……って……確か――」
 月彦が思い出したのは、少し前に真狐が来た時の事だ。あの時真狐が置いていった骨。真狐は確か“イツマデの骨”と言わなかったか。
「どこに、やったんだっけ……」
 真狐から受け取って、そのすぐ後に真央に押し倒されて、ベッドの裏側に――と思い出して、月彦はすぐにベッドの下を捜した。
「あった!」
 手羽先の食い残しのような骨を摘み上げ、握る。
『いつまで……』
 それは音ではなく、念波のようなもので直接頭に響いてくる感じだった。いつまで、いつまでと何度も何度も呼びかけてくる。
「いつまで、何なんだよ」
 不気味な代物だった。見かけはただの骨なのに、ひたすらいつまで、と語りかけてくる。その“声”に、月彦は無性に胸中の不安をかき立てられる。
(いつまで――)
 不意に、そこから先の言葉が頭の中に沸く。
(いつまで他の女に構っているのか)
(いつまでそこにそうしているのか)
(いつまで娘を放っておくのか)
(いつまで、いつまで――)
「っ……!」
 月彦はたまらず、骨を投げ捨ててしまう。骨はかたんと音を立てて床に転がり、転がって尚、か細い声でいつまで、いつまでと鳴り続ける。
「馬鹿な……真央に何か、あったってのか?」
 強がりの笑みを浮かべるも、月彦の顔面は蒼白だった。いつまでも帰ってこない真央。もう日が暮れようとしているのに。
「馬鹿、な……」
 呟く月彦をあざ笑うかのように、骨はただいつまで、と鳴りつづけた。

 

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